ニワトリの魔術師、タマゴの墓守 作:どういうこったあ!
冬休み明け最初の登校日の朝、いつものルーティンを終えた私はバスに揺られながら学園へ向かっていた。座席は既に埋まっていたので、鞄を両足に挟んでつり革に掴まった。
SNSのタイムラインをぼーっと眺める。カフェの新メニューや、顔も知らない誰かの悪意が下から上へ流れていった。目ぼしいものはないなと思い、別のSNSを起動しようとしたところで一つの投稿が目に止まった。電子の海にはありふれた、承認欲求が満たされなかったことを理由に、恨みつらみを吐きながら作品とともに消える創作者の一人だった。僅かばかりのハートマークがつけられ、コメントはなかった。
創作において目的よりも手段の比率が大きかった人なのだろう。『本は誰かに伝えたいことがあるから著される』以前、ウイちゃんがそんなようなことを言っていた。
この人にしても大なり小なり、伝えたい想いはあったはずで。その伝えたい相手が自分だったのだとしても、その想いが他の誰にも受け入れられなかったのだと思うと、少しだけ心が痛んだ。私に心を痛める資格なんてものはないのかもしれないが。
誰かの想いが書き留められた古書の修復や解読と違い、考古学において発掘とは破壊だ。言うなれば、ウイちゃんは人知れず朽ちていくはずだった想いを汲み取ろうとする優しい子で、私は自分勝手に知ろうとする人間。考古学を否定するつもりは一切ないが、身近にウイちゃんのような子がいるとどこか後ろめたくなってしまうのも事実だった。
後ろ暗い感情を追い出すように頭を振る。私は心ばかりのハートマークをタップし、別のSNSを開いた。そこでは友達たちが休み明けの学校を似たような言葉で憂うか、冬休み明けから変わる座席に思いを馳せていた。私の席は最後列の左角だった。私は空っぽの感情でハートボタンをタップした。
私は学校最寄りのバス停でバスを降りた。トリニティ生のいなくなったバスはガランとしていて、僅かにスーツを着た人たちが乗っているだけだった。私よりも先にバスを降りていた生徒たちの後ろをついて歩いていると、突然背中を叩かれる。
「おはよう、ヨナギ」
振り返ると、溌剌とした笑みのツヅカがいた。彼女の横ではヒガサが控えめに手を振っていた。
「二人ともおはよ」
「ヨナギは数学のテスト勉強した?」
「それなりにはしたかな。ツヅカは?」
「ワークは解いた! あとは何もしてない!」
ツヅカは何だかんだ言いながらちゃんと勉強するタイプなので心配は要らなかったが、ヒガサは数学に関しては赤点常習犯だ。どこか結果を知りながらもヒガサを見ると、彼女は微笑をたたえながらグッと親指を立てていた。恐らくノー勉だった。
「新作もう見た? イチゴのやつ」
ツヅカが言っているのはコーヒーチェーンの新作のことだろう。私はSNSに流れてきたイチゴのフラペチーノを思い出す。
「おいしそうだったよね」
ツヅカは激しく首を縦に振った。「今度一緒に飲みに行こうね」
「そうだね、楽しみにしてる」
甘いものはそれほど得意じゃないが、二人とカフェに行くのは好きだった。だから、この言葉は嘘じゃない。ズキズキと鈍い痛みを訴える心に私は言い聞かせた。
「私、事務室に用事あるからまた後でね」
教室とは逆方向に去っていくツヅカとヒガサの後ろ姿を見送り、私は教室へと歩き出した。掲示板を横目で見ていると、冬休み前に比べていくらかポスターが変わっていることに気が付いた。掲示物の中には定期テストに関するものもあったので、忘れない内に撮っておく。
ポケットにスマホをしまい教室へ目を向けると、廊下の端でウイちゃんが項垂れるようにして立っていた。私は小走りで彼女の元へ移動すると、顔を覗き込むようにして声をかけた。
「大丈夫? 顔色悪いよ?」
「もう取り繕わなくていいですよ」ウイちゃんは俯いたまま言った。
私はその言葉の指す意味が分からず、首を傾げた。
「陰で私のことを笑っていたんでしょう? にせものの友情に一喜一憂している私を見るのは楽しかったですか? だったら最初から放っておいてくださいよ。どうして希望なんて見せたんですか。こんな友情ごっこを演じるくらいなら、私は!」
にせもの、友情ごっこ。混乱の最中、私が嫌っていたはずの言葉が私に襲いかかった。視界を暗闇が埋め尽くした。真っ暗で深い穴に落ちたような気がした。
「あなただけは違うと信じていたのに、どうして……っ!」
ようやく顔を上げたウイちゃんはぐちゃぐちゃの顔で泣いていた。色んな感情を一緒くたにして、ない交ぜたような表情だった。私は今更ながらに私たちの関係に大きなヒビが入ってしまったことを悟った。
「結局、あなたも外の人たちと一緒なんですね」
「ウイちゃん、待っ――」
伸ばした手は空を切り、静止の声が聞き入れられることはなかった。追いかけようとした私の足は、竦んで動かなかった。懐中時計の落ちる音が聞こえた。歪んでいく世界の中で、外れた歯車が転がる音が反響していた。
どのくらいそうしていただろうか。始業十分前の鐘が鳴っていた。私は幽鬼のような足取りで古書館へ向かう。ウイちゃんがいるとしたらそこ以外には考えられなかった。
荒んだ心に蓋をしながら、やっとのことでたどり着いた古書館の扉を叩く。鈍い音が七回繰り返されただけで、扉が開くどころか足音一つ聞こえなかった。ポケットの中では懐中時計のパーツが擦れ、カチャカチャと音を鳴らしていた。
道中、周囲の人たちは誰一人として話しかけてこなかった。赤の他人も、見知った友達も。心配してほしかったわけじゃないが、必死になって抱えていたものの軽さに気付いてしまって泣きそうになった。ウイちゃんの方がよっぽど泣きたいんだぞと自分に言い聞かせながら、滲んだ涙が零れないように上を向く。乱暴に動かした首が痛んだ。私は上に向けた頭の自重に耐えられず、後ろに倒れ込んだ。
空には嫌になるくらいの青空が広がっていた。口から乾いた笑いが漏れた。腕をアイマスクのようにして、青空から目を背ける。もしかすると、ウイちゃんは別の場所に行っているのかもしれない。ここで待っていればいつかは会えるだろう。そう思ってないと壊れてしまいそうだった。
私を目覚めさせたのはウイちゃんの声などではなく、鋭い手足の痛みだった。体を起こそうにも悴んでしまって上手く動かすことができなかった。覚醒した意識が体に追いついてきたのか、歯がガチガチと震えた。寝返りを打ち、うつ伏せになってからなんとか立ち上がる。立ち眩みを起こしたときのように足元がフラついた。思うように足が動かず、扉に寄りかかろうとすると、大きな音を立てながら倒れ込んでしまう。
「誰ですかこんな時に……!」
小さい声だったが、確かに聞こえたウイちゃんの声。私はようやく訪れたチャンスに目を見開いた。ウイちゃんの開ける扉にぶつからないよう、体育座りのような体勢で扉に寄りかかりながら、少しだけ横にずれる。
扉はすぐに開いた。小さく開けられた扉の隙間から顔を覗かせるウイちゃんと目が合う。ウイちゃんは小さく息を飲んだ。私は閉められてしまう前に、扉の隙間に足を挟み込んだ。まるで悪徳セールスマンのようだった。
「何の用ですか」ウイちゃんは吐き捨てるように言った。
「私、ウイちゃんに何かしちゃったかな? ウイちゃんに嫌われるような」
私は穏やかになるように努めたつもりだったが、私の言葉を遮るようにして、ギリッと歯を食いしばる音がした。
「この後に及んで、まだそんな嘘を吐くんですか。帰ってください」
ひどく平坦な声だった。
「待って」
何とか立ち上がり、扉を閉めようとするウイちゃんの手を掴む。久々の温もりに少しだけ体が緩んだ。
「まさかずっと……」ウイちゃんは私の手を一瞥したあと、何かを振り切るみたいに頭を振った。「しつこいです。帰ってください」
「きっと何か誤解があるの。話し合えばきっと」
「いい加減に……ッ!」
ウイちゃんは私の手を振りほどき、その手に握られた銃のストックで私の足を叩いた。私は思わず扉から足を引っ込めてしまう。
「うるさいんですよ! どこかへ行ってくださいよ! もういいでしょう!? 誰が頼んだって言うんですか! 私の気も知らないで……ッ!」
私がウイちゃんの言葉を咀嚼しきる前に、乱暴に扉が閉められる音と、ガチャリと鍵の閉まる音がした。
私の口からは言葉未満の何かが漏れ出るだけだった。私は数歩、後ずさったあと、尻もちをついてその場に座り込んだ。思考がまとまらなかった。私は悴む手で髪をグシャグシャにかき乱した。
*
蛇口から注がれるぬるま湯で、顔を覆う泡を流す。泡が流れきったら蛇口をひねり、脇に置いてあったタオルで水気を拭き取る。ヘアバンドを取ると、焼いたホタテが開くみたいに、上げていた髪の毛が広がった。ぱぱっと寝癖を直すとリビングへ向かい、朝ご飯をとる。朝はどうにも食欲が起きないので、野菜はジュースで済ませていた。
そんな『小椎葉ヨナギのルーティン』が崩壊してから二週間が過ぎていた。
ウイちゃんから明確に拒絶されたあの日。どうやったのかは記憶になかったが、私はどうにか家まで帰ってこられたらしい。意識を取り戻したときには、トイレで蹲まっていた。口の中がやけに酸っぱかったので、胃の中身は全て吐き出されたのだろう。
かけてすらいない目覚まし時計を見ると、あの日からおおよそ一週間と少しと言ったところだった。スマホはどこかに投げ捨ててしまっていた。ツヅカとヒガサからくるメッセージが鬱陶しくて仕方がなかった。時計は朝の九時を示していた。狂った生活リズムが一周回って正常に戻ったらしかったが、私も一周回って正常な人間になりたい気分だった。
何をするでもなくベットの中で蠢いていると、最後にシャワーを浴びたのは随分と前だったことを思い出す。恐らく一週間前だろうか。シャワーを浴びに行こうとも思ったが、冬特有のヒリついた寒さと私の心を満たす鬱屈とした感情がそれを拒んだ。
かと言ってベットの中に籠もっていれば、あの日の記憶が現実味を持って蘇ってくるだけだった。あの日からそれなりの時間が経ったと言うのに、私は未だにウイちゃんの身に何があったのかを知らずにいた。学園に行っていないのだから、当たり前と言えば当たり前だった。
嘘、にせもの。私が嫌っていた言葉たち。
『お嬢様学校というものはどこかお淑やかな印象を抱きつつも、その実、内情はかなりドロドロとしたもの』というイメージ。トリニティ総合学園に限って言えば、それはかなり的を得たイメージだった。学園というものは得てして社会の縮図になることがほとんどだが、トリニティはその中でも政治的な側面の強い学園だ。それは学園に限らず、中学校でも同じことだった。私たちは常に腹の中を探り合うような環境で日々を送っていたし、今でも送っている。
ある人は誰かの上に立つことを望み、ある人は人との関わりを断つことを望み、ある人は政治から離れた日々を望んだ。そしてある少女は嘘を憎み、にせものを嫌った。そのくせあれやこれやと理由をつけて、自分は嘘を吐くような少女だった。彼女は人に嫌われることを恐れていた。彼女は変わらない過去が好きだった。彼女の名前は、小椎葉ヨナギと言った。
目を覚ましてから一時間ほど経った頃。私は喉の乾きに誘われ、ベットからの脱出に成功していた。リビングに入ると、センサーで私の入室を検知した型落ちのAIスピーカーが一方的かつ饒舌に語りだす。
「今日の天気は曇りです」だけでいいのに「今日は白リン弾の日です」なんてお節介を焼く。モノグサって名前の割にやる気を出さないで欲しかった。
「白リン弾の日の由来は?」
私の問いに答えが示されることはなかった。どうやら音声認識されなかったらしい。私がため息を吐くと同時に、お腹が大きな音を鳴らした。もう三日は何も食べていなかった。コップに注がれた水を一息で飲み干す。水は冷たく、胸元を通って落ちていくのがはっきりと感じられた。私は寒さから逃げるようにしてバスルームへと向かった。
着ていたパジャマを洗濯機に放り込んだところで、先にシャワーの水を流して温めておけばよかったなと後悔する。もう一度着るのは面倒くさかったので、下着も同じように洗濯機へと放る。私は浴室に入るとシャワーヘッドを浴槽の中に落とし、勢いよく水を噴射した。誰にも支えられることのないシャワーヘッドは自身の水圧で暴れ回り、音と水を撒き散らした。水は鋭い冷たさを持っていた。あの日のことが頭をよぎったが、それを上書きするようにして、私は冷たいままのシャワーを頭から被った。
シャワーを浴び終えた私は、自宅近くのコンビニエンスストアを訪れていた。お腹は空いていたが、冷蔵庫には当然の如く何もないため、必然的に食事を摂るのなら近くのコンビニか出前かの二択だった。出前注文の煩雑な作業が面倒くさかったこともあり、選ばれたのはコンビニだった。
目に止まった食べ物を適当にカゴへ入れていく。改めてカゴの中を見ると、そのほとんどが炭水化物だった。さすがにマズイなと思い、申し訳程度に野菜ジュースも数本入れておく。腕にズッシリとした重みがかかった。
会計を済ませ店の外に出ると、冷えきった空気が肺を満たした。吐いた息は白く染まっていた。手袋を持ってくればよかったと思いつつ、ジャンバーの袖ごと私はレジ袋を握った。昨日は雪が降ったらしく、踏み固められてはいるものの、所々に積もったばかりの雪が見えた。外に出るのも、外の景色を眺めるのも久しぶりのことだった。
「カーテン、開けなきゃな」私は誰にも聞こえない声で呟いた。
私の日々は、未だ暗闇の中だった。