ニワトリの魔術師、タマゴの墓守 作:どういうこったあ!
「私は父と子と聖霊のみ名において、貴方の罪を赦しましょう」
その日何度目になるか分からない赦しの言葉を吐いたところで、私は今日の業務を終えた。壁の向こうの生徒が帰ってしまわないうちに、取って付けたような『今日も良い一日を』を吐いた。
懺悔室の硬く座り心地の悪い椅子から立ち上がり、凝り固まった背筋を伸ばすと、骨がパキパキと小気味いい音を鳴らした。いくつかの書類を持ってカビの生えた木製の扉を押す。ギィギィと軋む音が木霊し、やがて雑踏の中に消えていった。
貼り付けたような笑みを浮かべた生徒たちの合間を縫うようにして地下へと歩を進める。
「……さん、私たちとともに行きませんか。あのティーパーティーを牽制するには私たちが――」
道中、一年生と思わしき子が勧誘を受けていた。表面上は笑みを浮かべているけど、そんなものがにせものだというのは嫌でも分かってしまった。桃色の長髪巨乳。浦和ハナコちゃん、だっけ。一年生なのに全学年のテストを受けてオール満点をとった子。曰く、トリニティ始まって以来の才媛。
無理な勧誘にあってて可哀想ではあるけど、ノブレス・オブリージュってやつだ。優秀な子の宿命。そうやって見て見ぬふりをして通り過ぎるつもりだったのに、気付けば、二人の目の前で立ち止まってる私がいた。
「ハナコちゃん、事務の人が急ぎの用だって」
自分でもなぜこんなことをしているのか分からなかった。
「ヨナギ、私は今……」
「あら、そうでしたか。すみません、私はこれで……」
「何の真似ですか」なんて台詞を吐かれる前にその場から逃げ出す。
こんな正義のヒーローの真似事のようなことをして、私は何がしたかったのだろうか。正義のヒーロー気取りなんてことは天と地がひっくり返ってもないので、八方美人で立ち回ろうとしていたときのくせみたいなものなのかもしれなかった。
肯定的な見方をするのなら、私も少しはいい人になれたってことなのかもしれない。彼女には少し悪かったかもしれない。曲がりなりにも同じシスターフッドなのだし。けど生憎と私は私の尺度でしか生きられない。世界をどれだけ憎んだところで、あるのは私の物差しだけなのだ。
彼女にとってはハナコちゃんよりもシスターフッドが大切で、私にとってはシスターフッドよりも苦しんでいる見ず知らずの少女が大切だっただけ。私は彼女への――良心の呵責というわけではないのだろう。私はそんなできた人間でない。結局は嫌われたくないだけなのだ。他人のことなど知ったことではないと謳いながら、他人に嫌われることをひどく恐れている。
私は脳内いっぱいに広がった自己嫌悪から逃げるようにして地下へと急いだ。
そのカタコンベを初めて訪れたのは学園に入学してからほどなくだった。かび臭い、古ぼけた、小さなカタコンベだった。古聖堂の地下カタコンベとは比べ物にもなりそうもない。が、そこには確かな歴史があった。(勝者の歴史であることは否定しないが)壁伝いに規則正しく積み重ねられた幾千もの頭蓋。刻まれた文字。壁や天井に描かれている文字や絵画。そのどれをとっても、歴史の生き証人だった。
「年に二度しか公開されないのが口惜しいですね」
私はカタコンベに満ちた歴史に圧倒されながらも、歯がゆい思いを強いられていた。
「じゃあ、君もセクストンになりなよ」カタコンベの案内をしていた先輩は言った。
「セクストン?」
「シスターフッドの備品管理を任されてる人のリーダーってとこかな。カタコンベの管理のおまけ付きでね」
心惹かれる提案ではあったが、折角築いた友人関係がバラバラになるのが怖くて、その日は適当な返事をしてカタコンベを出た。三時間ほど地下にいたこともあり、地上に出るとその光に目が眩んだ。
結局、私がその提案を受けることにしたのは、それから約一年後の二年生に進級してからのことだった。その頃になると少しずつだがウイちゃんとの一件が風化してきていた。なんとか死ぬ気で気力と体力を振り絞って、ようやくカタコンベに行くことができる程度だったが、それでも大きな一歩だった。
ちょうど回復期に差し掛かったときに、カタコンベの公開時期が重なっていたことも大きかっただろう。カタコンベを見るという目的がなければ、今でも布団の中で世界を憎み、恨みつらみを垂れ流すだけの肉塊になっていたはずだ。時間は全てを解決してくれるわけではない。仮にそうだとするのなら、世界は私たちが思うよりもずっと残酷だった。
私がカタコンベに着いたときには這々の体もいいところだったが、彼らの変化することない過去は私を安らがせてくれた。時間ギリギリまでカタコンベを堪能したのちに、私がセクストンになりたい旨を伝えると、先輩は少し驚いたような顔をした。
「手伝いはいくらでも歓迎なんだけど――なんか雰囲気変わった?」
「気のせいじゃないですか?」見え透いた嘘を吐いた。
多少は回復したとはいえ、私の精神は荒れたままで、とてもじゃないが相手を肯定する余裕なんてものはなかった。
「ま、いいけどさ。心配しなくとも、一年間ちゃんとアタシの言うこと聞いてたらセクストンにはしてあげるよ。アタシ、これでも偉いからね。ってことでまずは焼きそばパン買ってきて?」
「いつの時代のいじめっ子ですか」
この先輩、地位は高くとも人格は低いのかもしれないと、このとき何となく感じた。あるいはそういう演出なのかもしれなかった。
「ただ今戻りました」
「あ、おかえりー。代打助かったよ。アタシ、懺悔聞くのって苦手なんよねー。あそこの椅子、かったいし」
地下カタコンベの管理室に戻ると、先輩はロッキングチェアで白の長髪を揺蕩わせていた。私が先輩の代わりに硬い椅子で赦しの言葉を吐いている間も、この人はフカフカのロッキングチェアで揺られていたらしかった。
前髪を軽く直しながら、先輩がこちらを向く。美人は仕事をサボっているだけで絵になる。何気ない仕草にたおやかさがあった。模範的なトリニティ生の所作とはこういうものを指すのだろうなと思った。
「次これよろしく」と、休む暇もなく『謝肉祭に際しての備品移動』と書かれた書類を手渡される。それは今日の仕事が延長されるのと同義だった。
「本来の仕事まで後輩に投げないでくださいよ」
「後進育成と言って欲しいよね。ダイジョブダイジョブ、ちゃんと監督責任は果たすからさ」それに、と先輩は付け足して言った。「みんなから備品希望調査とったのはアタシだかんね。言うほどサボってないんだなあ、これが」
サボってるという事実に変わりはないはずなのだが、どうしてこうも誇らしげなのか。私が先輩に冷めた目を向けると、彼女は頬を赤らめ、自分を抱きしめるような仕草をとった。
「後輩の……っ、冷たいっ、視線が……ッ!」
「仮にも修道女がドMみたいな反応しないでください」
「はいはい、せんせー。修道女がドMじゃダメだって言うんですかー」
なんとなくこの人が懺悔をしたがらない理由が分かった気がした。深いため息が口をついた。
「幸せが逃げるよ」
「先輩に分けてあげてるんですよ」
私の言葉を聞くやいなや、先輩が大きく深呼吸をする。私が悪かったとは言えドン引きだった。
「後輩の……っ、冷たいっ、視線が……ッ!」
「さっきやりましたよ、それ」
「天丼はお笑いの基本だよ」
「誰も笑ってないネタを繰り返してどうするんですか」
特大のため息を吐きそうになったが、なんとか飲み込む。眉間のシワを揉んでほぐしていると、思い出したように先輩が言った。
「来週の放課後は空けといてね」
「何曜ですか?」
「全部」
予想外の返答に思わず聞き返すが、先輩からの答えは変わらなかった。
「これ先輩命令ね」
そう言うと先輩は、もはや先輩の私室と化している仮眠室に消えていった。命令という言葉に違わず、有無を言わせるつもりはないらしい。扉から僅かに覗く仮眠室は暗く、風に乘って、微かに金木犀が香った。
来週の放課後の自由は諦め、渡された資料にザッと目を通す。少なく見積もっても三日はかかりそうだった。授業にはもうあまり出ていないし、することが無いと言えば無いのだが、それはそれとして億劫だった。これでセクストンにしてくれなかったら絶対に蜂の巣にしよう。私はそう心に誓った。
*
「ウイちゃんは『みんなちがって、みんないい』って思う?」暖炉に薪を焚べながら私は言った。
私の背後では、ウイちゃんがロッキングチェアに揺られながら一冊の詩集をめくっていた。壁に埋め込まれた暖炉の中ではパチパチと耳障りのいい音を奏でている。ゆたかな炎が私たちを優しく照らし出していた。
「ヨナギはそうは思ってないのでしょうが……。少なくともこの子の親にとってはそれがほんとうだったのだと思います。個性の尊重ではなく互いの尊重が叶ったとき、初めて私たちは『みんなちがって、みんないい』と言える世界はあったのだと胸を張れる。雲を掴むような話で、きっと実際に目にするまでは信じられないと思います。けれど私はこの子の語る言葉を信じてあげたいと、そう思うんです」
「ウイちゃんは、優しいね」私は呟くように言った。
「あなたのことは信じられませんでしたけどね」
バッと後ろを振り向くと、ウイちゃんが貼り付けたような笑顔で私を見つめていた。それは彼女が絶対にしないであろう表情。即座にこれは夢だと理解する。
「解釈違いなんだよクソが」
私は立てかけていた愛銃を素早く手に取り、ウイちゃんの顔をしたナニカの頭を撃ち抜いた。ソレはべチャリという下品な音とともに、泥のように崩れて溶けた。
寝落ちてしまっていたらしかった。
嫌な夢だった。吐き気を催すようなクリーピーパスタの詰め合わせを見た方がよっぽどマシだったが、過去のトラウマの方が何倍も効いてしまうので見ることはないのだろう。汗で張り付いたシャツが不快だった。
暗闇の中、ポケットから手探りでスマホを探し出す。画面を軽くタップすると、十九時を指す時計がディスプレイに浮かび上がった。管理室に来てから三時間。書類作業を始めてからだと二時間ほどだろうか。それなりに寝たはずなのだが、よりにもよってな夢だったおかげで疲れが取れていないどころか体感三割増しだった。
起き上がる気力も湧いてこず、うんうんと唸りながらロッキングチェアに揺られていると、自分の体がタオルケットに包まれていることに気付いた。タオルケットなんてかけただろうかと記憶を探っても、それらしい記憶は見つからなかった。そういえば、作業中に寝落ちたのにも関わらず何故か電気が消えている。管理室に来るような人間は私と先輩以外にはいないので、先輩がやってくれたのだろう。なんだかんだで面倒見のいい先輩だった。
動きたくないと主張する体になんとか言うことを聞かせ、タオルケットを剥ぎ取って椅子から立ち上がる。頭にズキズキとした痛みがはしった。覚束ない足取りで電気をつけると、暗闇に染まっていた部屋が一気に白一色に染めあげられる。思わず眉をしかめてしまうような明るさを、薄目を開けることでやり過ごす。
机上の書類は、綺麗に整頓された状態で並べられていた。ご丁寧にも『済』と書かれた付箋まで貼ってある。見たところの進捗は二割といったところだろうか。水筒の中に四分の一ほど残っていたアメリカーノを飲み干し、どうしようかと思案する。
今日中に終わらせなければならない仕事というわけでもないが、このまま終わるには些かキリが悪い。できればもう少しだけ書類を片付けたかった。だが生憎、夢見と目覚めは最悪で頭も痛い。少し、新鮮な空気を吸いたかった。
*
外に出ると、辺りはすっかり暗くなっていた。雲の間を縫うようにして三日月が出ていた。肺に空気を満たすようにして深く呼吸をする。冷たい夜風も寝ぼけた体には心地いい。地下に籠もりきりだと体感時間と実際の時間が一致しないというのはよくあることだが、今回に限って言えば、地下にいたからというよりは単純に寝てしまったからだろう。
ほとんどの生徒は部活も終えて帰路につき、学園寮の生徒は既に外出許可時間を過ぎているので、学園内は静かなものだった。夜風で木々が擦れる音がやけに長く耳に残った。眠らない街とまでは言わないが、トリニティの夜は長い。この時間でもまだ営業している飲食店も多かった。
何か味の濃いガッツリとしたものを口に入れたかったが、そういったものにありつくには少し離れたデパートまで行く必要があった。今からデパートに行って戻ってくるのはさすがに気が重かったので、特に行くあてはなかったが取り敢えず商店街へと向かう。歩いている内にいい案も浮かぶだろう。
道中、当たり前だが学園の生徒もいた。イチゴのタルトを幸せそうに頬張る生徒、紅茶を傍らに参考書を広げる生徒、友達と他愛もない会話をする生徒。いかにもな青春の一ページを送る彼女たちが羨ましかった。
ウイちゃんと喧嘩をしてからというもの、友達と遊ぶこともなくなってしまった。以前までの私はそれが到底友達と呼べないような関係であっても友達と呼んでいたが、今はもう違っていた。それがもう半ば縁が切れた状態であっても、今の私が友達と呼ぶのはたった二人の少女たちだけだった。
私がほんとうを素直に曝け出してもなお、彼女たちは友達でいてくれたのだろうか。ふと、疑問が頭をよぎった。タラレバだと分かっていた。私はほんとうを求めるくせに自分のほんとうを見せることが怖いから、そんなことできっこないと嫌になるほど自覚していた。
自分の心は閉ざすくせに他人には心を開くことを求めていた。その上、分かり合えないなどと宣っていたのだから質が悪い。お互いの理解もなしに、言葉の外側で分かり合うことを夢見ていた。理想に向けて努力するでもなく、もしかしたらと惰性で生きていた。挙げ句の果てには、傷つくことを恐れてにせもので取り繕ったくせに、取り繕うことすら嫌になって逃げ出した。
さすがにあの頃から変わったと思いたかった。
『今の私なら、ひょっとして』そんなことを考えてモモトークを開いてみるも、二人との最後のやりとりは半年も前で、関係性が変わってしまうには十分すぎる時間が経っていた。心地よかった夜風も、今はもう肌寒かった。
寒さから逃げ込むようにして入ったのは、コンビニエンスストアだった。フラフラと彷徨った末にたどり着いたのがありふれたコンビニだなんて、だったら購買で良かったのではないかと数十分前の自分にツッコミを入れたかった。
ほんとうは即席麺を買いたかったが、管理室には生憎とポットがなかった。諦めて、おでん(大根、玉子、はんぺん)とベーコンおかかのおにぎり、ついでにエスプレッソをカゴに入れる。古書館でウイちゃんの作ってくれるアメリカーノが恋しかった。
折角コンビニまで来たのだから立ち読みでもしようかと雑誌を開いてみれば、お気に入りだった漫画が打ち切りになっていた。いつものことだった。レジに並ぼうとしたところで、銃弾が少なくなっていたことを思い出したので買い足しておく。しめて千一円。なんともキリが悪い金額だった。