無双†転生   作:所長

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3-2 アイツが空き家に一番乗り!

 東からの風を受けて、大きなジャンク船が長江を上っていく。

 

「それで、策は?」

 

 馬超が神妙な顔で周瑜に尋ねる。

 対する周瑜はクスリと笑って馬超をたしなめた。

 

「そう硬くならずとも大丈夫だ。まずは味方の鎧と顔を覚えて、間違えてぶちのめさないようにしておいてくれれば良い」

「うっ……やっぱ、わかるか?」

「ああ。緊張はしておいた方が良いが、怖がるほどの相手ではないぞ」

「そうか……うん。楽になった。ありがとう、周軍師」

「こそばゆいな」

 

 二人は穏やかに笑う。

 

「実際、策というほどのものは必要ないんだ」

「そうなのか?」

「ああ、馬孟起殿は――」

「孟起でいい。真名はこれが終わってからな?」

 

 馬超は先ほどまで緊張をしていたとは思えないほどの気軽さで周瑜に笑いかける。

 勝ち気な笑顔は馬超にとてもよく似合っており、生来の気質を思わせた。

 

「ははは。わかった、孟起殿」

「殿もやめてくれよ~」

「わかったわかった。孟起。これでいいか?」

「ああ。……わかっててやったろ?」

 

 半眼の馬超に意地悪く笑ったまま肩をすくめる周瑜。

 

「さてな? 話を戻すが。孟起の仕事は、船に乗り移ってくる敵を倒すか、敵の居る船に乗り移って敵を倒すだけだな」

「そんなに簡単なのか?」

「ああ。伝令が要るような動きをさせるには連携に不安があるし、偵察や討ち漏らしの処理に使うには勿体ない人材だからな」

「あんまり褒めるなよ……って、なんかあたしのこと知ってるような口ぶりだな」

「祭殿――黄公覆と鍛錬をしただろう?」

「ああ、まだ負け越してるけどな」

「なかなかやる、と評しておられた」

「えー? 褒められてんのか、それ?」

 

 周瑜は苦笑を漏らしつつ勿論だと答え、続けて馬超に優しく笑いかけた。

 

「あの方はこういった人物評で世辞は言わない。ここまで褒められる武人は、お母上を含めて2人しか知らんぞ」

「そ、そうか? なんか照れるな……」

「うむ。祭殿の言葉だ、誇って良いだろう。……あれで酒飲み癖さえなければ文句はないのだがな」

「んん? ああっ! 黄将軍の言ってた口うるさい小娘って――」

「――ほう?」

「あ、やべっ」

 

 周瑜は獰猛に笑う。その笑顔は肉食獣が餌を目の前にしているかのような凄みに満ちており、草食系女子である馬超としては一刻も早く最大限の距離を置くべきであることは疑う余地もなかった。

 

「是非、聞かせてもらいたい話が出来たな、孟起?」

「いやー、あたしはちょっとたんぽぽの様子を見に行かなきゃって言うかー」

「おお、いいとも。いくらでも見てくるといい」

「そ、それじゃあお言葉に甘えて――」

「いやぁ……帰路が楽しみだな?」

「全てお話しさせていただきます」

 

 そして、距離を取ることも出来ない船の上では、結末は全く予期した通りなのだった。

 

 

 

 一晩が過ぎて。

 船上には、操舵方法のレクチャーを受ける馬超と、船酔いから回復したのに元気のない馬岱の姿があった。

 先ほどから部隊へと指示を出していた周瑜が戻り、二人を呼ぶ。

 

「目標まで2刻余り(30分強)だ」

 

 馬超の顔が引き締まり、馬岱の顔が僅かに青ざめる。

 

「早ければ、そろそろ敵が動き出す。2刻後には敵の船を奪うために戦闘になるだろう。まず無いとは思うが、移動中に奇襲を受ける可能性もある。注意は怠らないように」

 

 馬超は頷いたが、馬岱は落ち着きなく周りを見回している。

 

「孟起達はそろそろ身体を温めておいてくれ」

「わかった!」「……うん」

 

 

「……慣れぬうちは仕方が無い、か」

 

 周瑜のつぶやきは、誰の耳にも届くことがなかった。

 

 

 

 戦闘は、完全に予定した通りに始まった。

 遡ってきた長江の流れ、その中央付近から岸辺の河賊達の船に向けて急速に接近する。

 見張りだろう数人の男達が船内に飛び込み、そして再び甲板へと上がったときには、白銀の穂先が胸に突き立っていた。

 

「おっし、一番槍もらいっ!」

「孟起! 船内はこちらの兵が見て回る! お前は甲板を抑えてくれ!」

「りょーかいっ!」

 

 賊に一、二歩道を譲った馬超は、後退をやめて軽く踏み出し、一息で三人の胴を貫く。

 初戦は一人の怪我人すらなく、あっさりと終結した。

 

 

 馬超は、細い身体のどこにそれほどの力があるのかと思わせるほどに、力強く槍を振り回して血糊を払う。

 そうして今度こそゆっくりと周りを見回し、気付く。

 

「たんぽぽ! お前何やってんだよ!」

「ひーん。だってぇー……」

 

 馬岱は、船を移ることも出来ずに槍を持って突っ立っていた。

 

 

 遺体の検分をしていた周瑜が眉をひそめる。

 

「ふむ。派手な飾りと鈴を身につける河賊か」

「なんだそれ?」

「ん? たんぽぽの説教は済んだのか?」

「あー。なんかぐちぐち言ってたけど右に行くヤツだけ任せることにして置いてきた」

「大丈夫なのか?」

「アレでも馬家の人間だよ」

「……そうか」

 

 静かに同意した周瑜を眺め、改めて馬超が尋ねる。

 

「で、何の話だったんだよ」

「派手な飾りと鈴。この河賊たちの特徴だ。確か、長江のもっと上流の方で活動していた連中に同じような特徴のものがいる、と聞いた事があったんだ」

「じゃあ、そいつらが川を下って来たってことか?」

「おそらくな。ここ数ヶ月はこの辺りを縄張りにしているようだ」

「ふーん。鈴が特徴ねぇ」

「何でも頭目は『胸に七つの鈴を持つ女』らしいぞ」

 

 二人はその姿を脳裏に描く。

 

「そいつ鈴が好き過ぎだろ」

「そうだな……」

 

 

 

 ――リン

 

「!! 下がれ周軍師!」

 

 馬超がはじかれるようにして槍を構え、一瞬遅れて周瑜が声を上げる。

 

「もう次が来たのか!? ――アレは孟起に任せてお前達は周りを抑えろ!」

「たんぽぽを頼む!」

『ハッ!』

 

 船に飛び移ってきただろうその女性は、ゆっくりと身体を起こす。

 赤みがかった服と、白いシニョンキャップ、太刀を逆手に構え、堂々と張った胸には七つの鈴が――

 

「お前らァ――私の名を言ってみろォ~!!」

 

「知るかっ!」

「孟起っ、そいつは例の河賊の頭だ! それは任せる!」

「! おう!」

 

 身構える馬超を目の前に、賊の女性は不満そうに鼻を鳴らす。

 そして周りにも聞こえるよう、大声で名乗りを上げた。

 

「甘寧、一番乗り!」

 

 

 解答は、白銀の穂先だった。

 

「賊の名前なんざ、いちいち覚えておかねーよッ!」

「チッ!」

 

 甘寧はかろうじて穂先を捌きながら、大きく飛び退り手すりや段差を巧みに足場にして逃げ回る。小回りがきかない槍をあえて船上で使う相手に、油断は出来ない。

 甘寧は逃げ回りながら思う。これは名のある将か、と。

 

 甘寧が穂先を避け、弾き、掠め、避け、弾く。反撃に移れない。狭く障害物の多い船上で、それを利用する甘寧と、不都合しかない馬超との差が、埋まらない。甘寧は舌打ちと悪態を飲み込み、縄や小道具を蹴り上げて隙を狙う。

 馬超にかわされ、弾かれ、あるいは避けることもせずに無視される。絡みつくように投げられた縄を馬超は無理矢理引きちぎる。

 狭い船上で縦横無尽に駆け回っていた甘寧は右舷と左舷で向き合った瞬間、足下の段差を足先で捉えて、思い切り踏み込んだ。

 

 ――リン

 

「行くぞっ!」

 

 

 足場が揺れる、という未知の感覚に馬超は一瞬我を失う。

 首に迫る甘寧の太刀筋にかろうじて槍を割り込ませる。

 

「くっ」

 

 はじく、などという上等なものではない。腕の力だけでなんとか防いだだけだ。

 甘寧の攻撃の勢いに押されてそのまま数歩下がってしまう。

 不安定な足場であることを一瞬頭の隅に押しやり、踏み留まって石突きを振り上げる。

 

「ッらァ!」

 

 甘寧はその石突きすら足場にして馬超と距離を空ける。

 体勢を崩した馬超は追い打ちすら出来ずにたたらを踏み、槍を構え直した。

 

 力も早さも勝っておきながら、あわや首を落とされるところだったことに、馬超は警戒を強める。

 

 奇策で奇襲してくる相手に後手はダメだ。馬超は戦略を変え、先んじて攻撃を加えるために大きく踏み込んで突き上げる。

 甘寧は太刀ではじきながら無様に身体をひねって避ける。鈴がチリリと鳴った。

 馬超はその姿に心動かすことすらなく槍を引き、甘寧の胴体を狙って切り払う。

 甘寧は壁と手すりを走るように駆け上がり、大振りの後の馬超に斬りかかる。リン。

 馬超は太刀を防ぎ、踏み込みながら押し出す。距離を空ければ槍が有利。甘寧の後を追うように数度突くが全て防がれる。チリリン。

 甘寧が身体ごと飛び込むようにして繰り出した大振りの太刀筋をほぼ真正面から突いて払う。石突きで額を狙うが避けられる。リン。

 甘寧の回し蹴りを長柄で受けてしまい、手すりを折りながらなんとか甲板に留まる。

 

 ――やりづらい!

 

 馬超は素直にそう感じる。

 黄蓋ほどの恐ろしさはないが、甘寧はとにかくいやらしい手でこちらの決定打を阻む。

 攻撃に大振りが多いのも、読みやすいが防ぎづらい。さらに鈴の音に惑わされる。

 なにより、この狭い甲板で障害物を利用する相手に、揺れる足場で慣れない戦いをするというのは――

 

「面白ぇじゃねぇか」

 

 槍をふるいきれない船上、奇策を用いる油断ならない相手、慣れない戦い、しかし。

 

「あたしが勝つ」

 

 不敵に笑って告げた馬超の言葉に、甘寧の敵意がふくれあがる。

 

 馬超と甘寧は再び向き合って距離を詰め――

 

「――えいっ」

「じゃぎッ」

 

 突如横から現れた馬岱に石突きで打ち抜かれ、甘寧がその場に倒れる。

 

「なっ!? 何するんだ! たんぽぽ!」

「お姉様まわり! 周りを見て!!」

「あ? 周り?」

 

 馬岱、穴が開いて傾いた甲板、倒れた帆柱、目を回しているだろう兵士とそれを介抱する兵士たち、取り押さえられた賊たち、肉食獣のように笑う周瑜、怯えて固まっている兵士たち、折れた手すり、倒れたまま動かない甘寧、申し訳なさそうにしている馬岱。

 

「……。助けてくれ、たんぽぽ」

「お姉様……その、ごめんね?」

「う、裏切り者ぉ~っ!!」

 

 

 

 

「で、船は沈めてきたと」

「左様です」

「で、孟起とたんぽぽが沈んでいると」

「左様です」

「で、そこで一人浮いているのが、鈴をむしり取られた甘寧か」

「左様です」

「むーむー、むむむーむむ!(観念一番乗り!)」

 

 空海は一つ頷き、周瑜に尋ねる。

 

「まず、甘寧はどうするべきかな」

「法に照らし合わせれば死罪です」

 

 周瑜はあっさりと告げる。

 

「だが、生きたまま連れて帰って来ているということは別の方法を考えているのか」

「はい。更正の機会を与えてみては、と」

「なるほど? それほどの人材だったか」

「取り込むことが出来れば、江陵の力となるでしょう」

 

 打てば響くような周瑜の反応に、空海は心の中だけで感嘆する。

 改めて甘寧に目を向け、武闘派の彼女を制圧できる人材を思い浮かべる。

 

「ふむ……左慈と貂蝉の監督の下で半年間兵役に従事、様子を見て改めて沙汰を下す。これでどうだ、公瑾?」

「よろしいかと存じます」

 

 周瑜が頷いたところで馬超と馬岱に目を向ける。

 

「孟起の方は、寿成と公覆に任せよう。武人として成長すれば調子も戻るだろう」

「左様ですな」

「あとは、たんぽぽか」

「ええ……私見ですが、戦いを怖がっているように感じました」

「ふむ?」

 

 この時代の人間というのは人の死が近いため、強い相手に卑屈になったり、死生観がとても希薄であったりする。

 空海が見る限り、馬岱は強い相手にあまり媚びることもなく――何かを要求するときや相手の要求を拒否する時は除く――人を殺すことに関しても、馬騰や馬超の働きを誇っているように見える場面が多々あった。

 自分の手に掛けることに忌避感でもあるのかと思ったが、とうの昔に済ませたはずの初陣の後にも、変わった様子があったとは聞いていない。

 

「聞かなくてはわからないことかもしれないな」

「既に私や孟起から尋ねてみたのですが、かなり言いづらいことらしく……」

「じゃあ、俺が聞いてみよう」

「よろしいのですか?」

「場合によっては、お前達に理由も話さず、かばうことになるかもしれない。まぁ、なるようになるだろう」

「……承知しました」

 

 周瑜も納得したのか、静かに頷いた。

 空海は不安そうにしている馬岱に声を掛け、二人だけで話をしてみることにした。

 

 

 

「さて、たんぽぽ」

 

 馬岱がびくりと身体をこわばらせる。悪いことをしたのだと、思っているようだった。

 

「まず最初に聞いておく。お前が戦えなかった理由と、鍛錬から手を抜く理由は同じ……あるいは似たようなものか?」

「……うん」

 

 馬岱は少しだけ考えて、首をこくりと縦に振る。

 

「その理由は『なにがあっても絶対に』寿成や孟起に話すことが出来ないものか?」

「そんなことない!……です」

 

 空海は少し考える。

 

「言わない理由は『それを言ってしまうと、何らかの理由でたんぽぽが困る』からか?」

 

 馬岱は今度は声を出さず、顔を赤くしながら首を縦に振る。

 

「何故赤く……もしかして『それを言ってしまうと恥ずかしいから』か?」

 

 さらに顔を赤くしてかろうじて頷いた馬岱を見て、空海はよくわからない脱力感に襲われた。馬家の連中は何故こうも純情派が多いのだろうか。

 空海は顔を伏せがちな馬岱の肩に手を置き、目をしっかりと見つめて話しかける。

 

「わかった。俺はお前の理由を馬鹿にしないし、お前が言わない限り他の連中には言わないし、この件に関してお前が困ることはなるべくしないし、問題の解決のために助力してやるから。理由を話してみろ」

「う……」

 

 空海に見つめられ、馬岱は気まずげに目をそらす。

 二人の間に長い沈黙が降りた。

 

「……ホントに言わない?」

「うん。真名に誓おう」

「ホントだよ!?」

「ああ」

 

 馬岱は何度も逡巡し、何度も空海の意志を確認して、やっと口を開く。

 

「下着が見えちゃうから恥ずかしいんだもん……」

「なん…だと…?」

 

 乙女チックな馬家の一員だからと覚悟していた分よりさらに女の子らしい理由であったために思わず言葉を失う。

 

 ――というか下着が見えると恥ずかしいって武人にあるまじき……ああ、江陵の影響を受けているのか。あるいは俺や漢升が言っていたのを覚えているのか?

 

 馬岱は赤くなってうつむいたままだ。

 

「あー……その、下着が見えないような服は買わなかったのか?」

「だって叔母様たちたんぽぽの意見なんか聞いてくれないもん!!」

「お、おう」

 

 爆発するように顔を上げ迫る馬岱の勢いに押される。

 

「それにこんなこと言ったら叔母様やお姉様にたんぽぽ絶対怒られちゃうよ!」

「ありそうだなー」

 

 聞けば、着せ替え人形にされた上に意見は通らず、小遣いも少なくて自分では買えず、鍛錬を逃げているからと少ない小遣いすらなくなっているらしい。

 話しているうちに涙さえ流し始めた。

 

「わかった。うん。わかったから泣くな。理由もわかったし、助けてやる」

「ひっく……ホント? ……ヒック」

「うん。とりあえず、新しい服を見に行こう。俺が買ってやる。鍛錬や実戦に使える服に限ってなら、いくらでも買って良い」

「ぐすん……それだけ?」

 

 何やら嘘泣きっぽい雰囲気が漂い出す。これも馬岱なりの照れ隠しなのかもしれない。

 

「可哀想なたんぽぽに好きな服をいくらでも買ってあげるって言ってくれたら、すっごく格好良いと思うよ?」

「そういうことを思うたんぽぽは可哀想だと思わないからなー」

「ぐす……空海様のケチ」

「鍛錬が出来るようになれば、寿成たちがご褒美に買ってくれるだろ?」

「えー。空海様が買ってよね! グスッ……可愛いたんぽぽがお願いしてるんだよ?」

「お願いはしてないだろ……」

 

 先ほどまで泣いていた馬岱は、今はもう半泣きで、そして半分は笑っている。

 

「じゃあ、こうしよう。今日は鍛錬用と実戦用だけ買い、その服ですぐにもう1件の河賊退治に出てもらう。上手く終わらせられたらご褒美にいくらか買ってやろう」

「うーん……まあそれでいっか! 約束だよ!」

 

 あっという間に涙を引っ込めた馬岱を見て、空海は苦笑いを浮かべた。

 

「うん。これも真名に誓おうか?」

「あー! 真名を安売りしちゃダメなんだよっ?」

「一人称に真名を使ってるものの発言ではないな……」

「たんぽぽのことはいいの!」

「はいはい」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 秘密基地の温泉を潰し、甘寧ら河賊によって運び込まれていたものを検分し、家財道具を潰し、最後に基地そのものを潰して作業を終える。

 丘の上で待つ二人の元に戻り、一息吐く。

 

「悪いね、付き合わせてしまって」

「お気になさらないでください、空海様。これもお役目ですわ」

「左様。それに、いくら冥琳達が掃討した直後とはいえ、賊が現れぬとも限りませぬ」

 

 空海は今、黄忠と黄蓋を連れて、先日河賊討伐を行ったばかりの土地へと来ていた。

 もちろん秘密基地を潰すためである。場所がバレてしまった秘密基地など秘密と呼ぶ価値すらないのである。

 

 空海は最後にこの場所から見る景色を目に焼き付けておこうと視線を巡らせ、すぐに顔をしかめた。

 

「……公覆は先見の明があるね」

 

 あるいはフラグ建築士か。

 

「……もしや、賊ですか?」

「うん」

「えっ?」「どこじゃ?」

「アレだよ」

 

 そういって空海が指した先は、蛇行する川の真ん中付近。大型ジャンク船を、1隻の大きなガレー船が追いかけている。

 周辺に目を向けていた黄忠と黄蓋は揃ってそちらを向き、反応したのは黄忠だった。

 

「あれは……!」

 

 弓の名手である黄忠は目も良い。黄蓋も名人と言えるが、そこは野生で鍛えた黄忠には一歩及んでいなかった。

 

「後ろの船の船員は、太刀を持っているようです」

「……よく見えん。何人かが船首に集まっているのはわかるんじゃが、既に武器を抜いているということか?」

「はい。おそらくは」

 

 黄蓋の顔が引き締まる。

 

「急がねば。乗り移られてからでは手を出しづらくなる」

「そうだね。今は横風になってるから引き離しているけど、流れに沿えば1刻(15分)もせずに手漕ぎ船の方が早足になりそうだ」

 

 見下ろす先にある大河は、船の向かう先で大きく蛇行している。追い風になれば帆船の逃げ足が鈍ることは間違いない。船が速くなるほど相対的に風が弱くなるからだ。

 

「少し早足で行けば、ちょうど先行してる船の横に付けそうだね」

 

 空海たちが乗ってきた船は、ちょうど大きく蛇行しているその場所に停めてあった。

 今いる丘からは直線距離で1㎞程度。少々道が悪いとはいえ、大半は膝下程度の草が生えているだけ。空海たちの足ならば早足で10分も掛からない。

 

 

 

 船の周りに居る乗員を拾い帆を張った頃には、逃げていた船が目の前を横切っていた。

 

「まずは先行する船の横に付けて隅に寄せさせよ。船の位置を入れ替えたらワシらで賊を迎え撃つぞ」

「俺と公覆と漢升で行こう。一度横に付けて、俺たちが乗り移ったらすぐに離れろ」

「空海様、いけません!」「おやめくだされ、空海様!」

 

「……あの船な」

 

 空海の視線の先にあったのは先行していた船だ。空海の雰囲気に押され、黄忠と黄蓋は息を飲んだ。

 

「子供が乗っていた」

「っ!」「!!」

 

 船の甲板では、武器とも呼べないだろう木ぎれなどを持った大人たちが、震えながらも気丈にこちらを睨み付けている。

 

「兵はあの船に乗せる。船を動かすのに必要な船員だけ連れていく。乗り移るのは俺と公覆と漢升。俺たちが乗り移ったら、俺たちの船はあの船の護衛に回す」

「危険です、空海様」

「どうかご自愛くだされ」

「お前達……」

 

 黄忠と黄蓋の言葉を受けて、空海は言葉を詰まらせる。どちらかと言えば呆れで。

 

「黄漢升と黄公覆が揃っているのに、あんな50人程度の賊相手に危険などあるか」

 

 呂布や関羽が賊をやっているわけではないんだから、と心の中だけで続ける。

 二人は一瞬だけ呆けてその後顔を見合わせ、黄蓋は苦笑を浮かべ、黄忠は赤面した。

 黄両将軍がいれば護衛を任せるのに何の心配も要らない、と聞こえたのだ。

 

「それもそうですな」「……お、お任せくださいっ」

「じゃあ、そういう感じで手配して、賊の船に乗り込めー」

 

 周りで聞いていた兵士は、たった二人の護衛で軽々と死地に飛び込める江陵の主に、畏怖に似た感情で顔を引きつらせていた。

 

 

 

「頭ァ! こっちに来ますぜ!」

「戦闘用意! 敵は少ねぇ、まだ打つなよ!」

『応!』

 

 江陵の紋が入った船は、舳先をぶつけてすぐに離れていく。

 

 大きく揺れ軋む船の上を一瞬で移動した『三人』が賊船の甲板上に立っていた。

 一人は青い羽織姿の小柄な男。男の両脇に控える二人は大変な美少女だ。

 

「ヘイヘーイ……女だ、悪かねえぜ」

「ブッヒィイイイイ! 極上の獲物があっちから飛び込んできやがったな!」

 

 頭目の男の言葉に、賊の間から下卑(ブヒ)た笑いが上がる。

 三人のうち、先頭に立った小柄な男が口を開いた。

 

「獲物か。天敵の間違いだと思うが」

「どこに目を付けてやがんだチビが。こっちは50人も仲間がいるんだぜ? たった3人で何が出来る!」

「ふん」「……」

 

 黄蓋は見下すように鼻を鳴らし、黄忠は既に戦意をにじませている。

 二人の放つ強者の空気に賊たちから笑いが消えた。

 対して空海は、ただ一人ニヤリと笑って賊を見回す。

 

「50対3? そっちこそ、どこに目を付けてる」

 

 空海はニヤニヤと笑ったままだ。

 

「ここに居る二人は一騎当千」

 

 護衛の二人を指す。そして軽く指を振って一方的な(・・・・)戦いの火蓋を切った。

 

「――50対2000だ。悲鳴を上げろ」

 

 

 空海の言葉通り、賊たちの絶叫が船を覆った。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「孟起が沈んでるのは、最も手強かっただろう相手をたんぽぽに取られたからか」

「左様です」

「すっごく素早くてぴょんぴょん跳ね回って大変だったんだよ!」

「で、たんぽぽが捕まえて来た、小さくて素早くて黒光りしているというのがそれか」

「左様です」

「黒光りじゃなくて、黒髪だよ?」

「孟起が捕まえた蒋欽(しょうきん)という者が賊の頭なのだろう? そっちに転がってる蓑虫状の物体」

「左様です」

「たんぽぽもあっちの方が良かったのにー」

 

 空海たちが秘密基地の探索と破壊に向かっている間、周瑜たち討伐組は長江下流側の河賊退治へと向かっていた。

 討伐は無事に終わり、馬超は賊の頭目を、馬岱は賊で一番強かったという少女をそれぞれ捕縛し、重傷者もなく全員無事に帰還したということで周瑜も表情が柔らかい。

 

「じゃあ、わざわざ生かして連れてきたその賊二人は、先の甘寧と同様に手配して」

「お待ちください」

「ん?」

 

 空海の指示を周瑜が遮り、馬岱の横に転がされている少女を指す。

 

「こちらの者は、小柄で素早くとても身軽です。他の者とは別に、江陵の目として教育することも視野に入れるべきです」

「なるほど」

 

 NINJAにするのか。

 

「では左慈と于吉にそちらの教育も行うよう言っておけ。公瑾も参加するか?」

「はい。私としてもこういった経験は貴重です。是非参加させていただきたく」

「うん。それじゃ、その方向でよろしく」

 

 空海は、空気を読んで黙っていた馬岱を褒め、気になっていたことを尋ねる。

 

「ところで、その……蒋欽だっけ? なんでそんな状態になってるの?」

「はっ……えー、なんと言いますか。蒋欽はいかにも賊らしく、非常に口が悪く」

「お姉様かわいそー。クスクス」

 

 空海は一瞬だけ想像を働かせ、すぐにその光景が思い浮かんで苦笑した。

 

「あー。孟起が何か言われて真っ赤になりながらぼっこぼこにしたのか」

「左様です」

「顔とか刺してたよー」

「よくわかった。だから包帯だらけなのか」

 

 蒋欽は包帯と縄のコントラストも鮮やかな蓑虫状態で虫の息なのだ。自業自得とはいえかなり惨い絵面と言える。

 

「……もしかして、公瑾がその娘の教育に参加するっていうのも」

「お任せください。必ずや矯正させてみせます」

「そ、そうか」

 

 周瑜を送り出し、蒋欽と少女を運び出し、馬超を慰めて馬岱を褒めて連れ出し、馬騰と一緒に買い物に繰り出し、頑張った馬岱を何度も褒めていたら馬騰と馬超から妙な雰囲気がにじみ出し、空海は早々に逃げ出した。もちろん馬岱は泣き出した。

 

 

 

 空海が馬岱を裏切った翌日。

 

「たんぽぽが鍛錬に付き合えるようになったからと言って、アレはないんじゃないか?」

 

 空海の視線の先には、槍にしがみついて生まれたてのトムソンガゼルのように膝をふるわせている馬岱がいた。

 

「激流を制するは雰囲気――」

 

 その声は病人のように定まらず、その目は人生を50年ほど先取りしているかのように遠くの何かを見つめている。

 

「むごい」

「……すまん」「ご、ごめん」

 

 馬岱がいつもの調子を取り戻すのには、丸1日かかった。

 

 

 

 

 馬家の面々が西涼に旅立ってからしばらく。

 

 左慈は甘寧という生意気な兵士の参加に実に生き生きとした日々を過ごし、貂蝉は蒋欽というイケメンの教育係として肌をツヤツヤさせる日々を過ごした。

 于吉と周瑜もまた、諜報員の育成というやりがいのある(・・・・・・・)仕事に熱心に取り組んでいるようだ。時々様子を見に来るよう頼まれその通りにすれば、会うたびに確実におしとやかになっていく少女に、空海は恐怖を覚えた。

 

 

 数ヶ月後、蒋欽と甘寧が共謀し、隙を突いて江陵から逃亡。冬の長江を1㎞近く泳いで逃げたと聞いた空海の脳裏にアルカトラズという名前がよぎった。

 

 逃げ出せなかった少女の教育には、左慈、于吉、周瑜に加えて司馬徽、黄忠までが参加し始めた。とんでもないNINJAを作る事になってしまったのかもしれない。

 最近は会うたびに涙を流して喜ぶ少女に同情し始めた空海である。

 

 

 なお、江陵を逃げ出した甘寧は、南陽の袁さんとこに就職したらしい。




「甘寧逃亡も一番乗り!」

油断をすると会話に逃げたくなるのは、きっと二次創作作者共通の悩み。

『俺の名を言ってみろォ~!』
甘寧の史実のエピソードから。名前を知らなかった人間をぼこぼこにしたらしい。
そりゃあもう、こうするしかないだろう? ということで、こうなりました。

次回は閑話を挟んで原作時期へ。

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