無双†転生   作:所長

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4-2 黄巾賊

「わたし、大陸のみんなに愛されたいのー!」

「大陸、獲るわよっ!」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「大規模な賊?」

「はい。朝廷より討伐の令が下されました。劉車騎将軍からも近隣の賊について積極的な討伐と殲滅が要請されています」

 

 江陵では姿形もない賊の話題に空海が疑問を呈し、文官をまとめる周瑜が答える。

 臨時の会議が開催され、広場には江陵における幹部級の文官や武官が集まっていた。

 

「ふぅん。珍しいくらいに積極的な動きだね。朝敵にでも指定したの?」

「はい。宮中からも内応したと思しき者が出たため、官民合わせて千人あまりが処断されたと聞きます」

「公瑾はそれで難しい顔をしてるの?」

 

 空海が周瑜の顔をのぞき込むように見上げる。周瑜は慌てて頷いた。

 

「え、ええ。江陵内も警戒しなくてはなりませんし、敵の動きを探り、遠征を行える者を選抜し、特別に予算を組んで早急に動き出さねばなりません」

「……そう。じゃあ、孔明と士元が怒ってるのはなんで?」

 

 周瑜が慌てて二人を目をやり、苦虫を噛み潰したような表情となった。

 江陵のツートップの視線に晒された孔明と鳳統は、私怒ってますと言わんばかりの表情で頬を膨らませて胸を張る。

 

「……その、賊が掲げております標語というのが少々」

「標語? 賊なんじゃないの?」

 

 強盗や泥棒をするのに犯行声明を発表する賊など、この時代には存在しない。賊に身をやつすのは、その大半が学のない庶民だからだ。

 義賊なのかと尋ねる空海に、周瑜は首を振って否定する。

 

「朝敵として賊とされましたので」

「ああ、なるほど。反乱か」

 

 朝廷としては、理性ある反乱ではなく、賊の起こした蛮行だと言いたいのだろう。

 

「それで標語というのは何?」

「……大変申し上げにくいのですが『蒼天すでに死し、黄天まさに立つべし』と」

「え? ……あははははっ! なるほど。確かに、空海の時代が終わって俺たちが立つ時が来た、って言ってるように聞こえるね」

 

 なるほど黄巾"賊"か、と空海は一人頷いて笑う。

 そもそもその標語の指す蒼天は空海のことではないだろうし、人間が何十万と集まって叫んでいたとしても空海にとっては他人事だ。種族的にも、せいぜい雑菌が集まっている程度にしか感じられない。

 

 しかし、江陵の民にとってはそうでもなかったらしい。

 空海のこととなるとすぐに実力行使しようとする武官たちはもちろん、今回は普段冷静な二大軍師が怒りを顕わにしている。

 

「笑い事ではありません!」

「すぐに討伐すべきです!」

「朱里! 雛里! 二人とも落ち着け! ……空海様、申し訳ございません」

 

 周瑜が難しい表情をしていた本当の理由がわかり、空海も苦笑する。

 

「孔明と士元の態度が、おおむね総意と取って良いかな?」

「それは――はい。仰る通りかと」

「わかった。参考にするよ。他に賊の特徴は?」

「はい。賊は皆、黄色い布を身につけている模様です。おそらく先の『黄天』にかけての行動でしょうが……。そのため朝廷からは黄巾または黄巾賊と呼ばれております」

 

 頷いて続きを促す。答えたのは厳しい表情の孔明だ。

 

「賊は南陽より北側に多く、その北側の潁川(えいせん)、さらに北側の陳留付近、さらに北の冀州(きしゅう)と、北に向かうほど多数見られます。おそらくは冀州のどこかに本拠があるのでしょう」

 

 さらに鳳統が続ける。

 

「漢に対する反乱ならば、漢を打倒することが目的だと思われます。具体的な目標はわかりませんが、単純に考えれば洛陽を陥落することが勝利条件でしょう。仮に冀州と河南尹(かなんいん)洛陽の間で迎え撃つとした場合、河内郡または魏郡が決戦場となります」

 

「朝廷は各地より指揮経験のある武官を集めています。馬将軍らも先日洛陽入りしたそうですが、その他にも盧植(ろしょく)董卓(とうたく)皇甫嵩(こうほすう)朱儁(しゅしゅん)らが任官されているようです」

「寿成か……病気は大丈夫なの?」

「それが、病気を理由に洛陽郊外の城に駐屯することになったとか」

「ふむ。仕方ない。さっさと賊を討伐して寿成の負担を軽くしてやるか」

 

 

 

 

「南陽の宛城が黄巾賊に奪われました」

「はやっ」

 

 2月の会議での通達から1ヶ月弱である。流石にこれには報告を携えてきた周瑜も呆れ顔を見せている。

 

「南陽では大きな戦闘もなく、城塁はほぼ無傷。南陽から逃れた首脳部、南陽軍10万、難民10万が襄陽に迫っているようです」

「劉景升も頭を抱えてるだろうね」

 

 南陽には200万に迫る人が住む。逃げ出した人が20万と少々では、大半の人間が都市に残ってしまっているということになる。

 そして劉表は、守るべき城と守るべき民を放り出して逃げ出す太守が自分の城に迫っているのだ。立場としては受け入れざるを得ないが、支持を得られるものではないだろう。

 

「その劉車騎将軍より要請がありました。難民の何割かを受け入れて欲しい、それと出来れば南陽の奪還にも手を貸して欲しいと」

「ん、孔明と士元は?」

「朱里には既に難民受け入れの指揮を任せました。襄陽に迎えを出すため、下層から2万ほどの兵を連れ出すことになるでしょう」

「うん、孔明はわかった。士元は?」

「雛里には南陽奪還作戦の立案を指示しました。兵の準備についても自由な裁量で行わせています」

「おお。俺の立場がない」

 

 空海と周瑜は笑う。これだけの独断専行を笑って許してくれる職場に、周瑜は密かに感謝を深める。

 

「両者共に計画の確認と承認はこちらで行うことになっています。特に雛里の方は、最近は憤りを積もらせておりましたので」

「例の蒼天が死んでるやつかー」

「左様ですな」

 

 

 周瑜の予言通りに勢いよく飛び込んできた鳳統がまとめて来た案のうち、全軍出撃とか最大戦力で撃滅とか南陽を火の海にするとかいったことが書かれた書類については、周瑜がその手で破棄していく。

 正座してべそをかきながら代案をまとめさせられている鳳統だが、そんな状態でも最大戦力出撃の有用性を周瑜に訴えられるのは、余裕があるのか能力の無駄遣いなのか。

 

「士元」

「はい!」

「この討伐令は俺たちにだけ出たものではないだろ」

「空海様の仰る通りだ。河南尹には既に10万に近い兵が集められている」

 

 空海と周瑜に追い詰められるが、それでも鳳統は諦めない。

 

「でしゅから、それらと連携して――」

「連携して討伐して、蒼天が死んでないと証明できるとでも言うのか? 雛里のそれは、鬱憤を晴らすための手段でしかない」

「公瑾やめろ」

 

 周瑜を止めたことで、空海が同じ気持ちなのだと知り、鳳統は涙を浮かべる。

 

「士元、お前はうちの上級参謀だろう。どうすればいいのか、わかるだろ?」

「……はい……」

「公瑾だって、大軍でなければ兵を用いることは否定していない」

 

 周瑜に目をやれば静かに頷いている。そこで空海はニヤリと笑って鳳統を向く。

 

「とはいえ、お前たちの総意も気にしてやらないとな」

「……え?」「空海様?」

「少数で派手に戦うというのはどうだ? なんなら俺が出てもいいぞ」

「なっ! 空海様!?」「――お、お任せくだしゃいっ!」

 

 周瑜から声が上がるが、空海は鳳統を盾にして逃げる。

 

「空海様! 御身を――」

「冥琳さん! 遠征軍の皇甫嵩(こうほすう)という方はどういった方ですかっ?」

「なっ……ぐ。涼州北地郡の太守で、軍功がある。叔父の中郎将皇甫規(こうほき)に似て公正で厳格な人物だと聞く。――空海様、そのまま動かないでくだ――」

「冥琳さん、盧植(ろしょく)はどういった方でしょう?」

「……盧植は揚州九江郡で蛮族平定の功がある。あの馬融の弟子だが、清廉で落ち着きがあると言われている。今回は冀州への遠征を任されるはずだ」

 

 馬融は天才学者で女好きで不真面目と言われた人物である。いくつかの古典に注釈書を作っており、それらの大半は江陵で印刷されている。

 

董卓(とうたく)という方はどうでしょう?」

「ククク」

「くっ――涼州の騎馬を用いることに定評がある。人となりは聞こえてこないが、陣営の人材は充実し始めている。今回は試金石と言った所だろう」

 

 空海の狙い通りに鳳統にペースを乱され、周瑜は悔しそうだ。

 

「では朱儁(しゅしゅん)という人物は?」

「あれは今回招集された者の中では小物だな。苛烈な言動だが、反してなかなか粘り強い用兵という印象を受けた」

「なるほど……」

 

 聞くことを聞いたのか、鳳統はサラサラと書類をまとめ始める。空海は横に回り込んでその様子をのぞき込む。周瑜は後ろに回り込んで空海を捕まえる。

 

「あ」

「油断されましたな?」

「hai!」

「――出来ました!」

「hayai!」

 

 空海は鳳統の働きによって辛くも周瑜の魔の手から逃れた。だがそれが問題の先送りにしかなっていないことには気付いていない。

 

 

「南陽宛城にこもる賊軍は推定10万単位。やはり兵糧ですね」

「既に明命を動かし、潜入と内応を試みるよう指示してある」

 

 周瑜と鳳統が二人だけで完結する会話をしている。空海は寂しくなって聞いてみた。

 

「『袁術は暗愚』『南陽の民は餓えてる』『目標はたぶん洛陽』だっけ」

「はい。南陽に残る兵糧はおそらく多くありません。さらに宛城はまだ奪われたばかりで賊の周囲には敵対勢力もなく、攻め立てられたとしても立て籠もり続けなければならない理由はありません。今なら最小の労力で南陽から追い出せるでしょう」

「俺が江陵軍を率いて追い立て役でもする?」

「はわわわ……その、あのー……」

「空海様、どうかご自愛くださいますよう」

 

 このままでは認められないと悟った空海は、味方を増やすことにした。

 

「公覆と漢升が遠征担当だ! お前らも俺と一緒に行きたいよね?」

「え!? え、ええ、それはそうですが」

「そういう言い方をされると否定しづらいですな」

 

 静かに控えていた黄蓋と黄忠を引き合いに出して数を合わせる。

 

「空海様、なりません!」

「はわわわ」

 

 さらに味方を増やそうと考えた空海の脳裏に素晴らしい発想が芽生えた。

 

「クッキー……」

「は?」「賛成します!」

「よし!」

 

 餌付けはしておくものである。

 あとは、鳳統が周瑜の追求に負けないうちに周瑜を丸め込まなくてはならない。

 

「じゃあ公瑾も従軍させる! 一緒に行こうず!」

「いけません、空海様。私が遠征に参加することは問題ありませんが、空海様の御身をむやみに危険にさらすようなことは……」

 

 周瑜は冷静だ。空海は切り札を持ち出すことにした。

 

「冥琳」

「え?」

 

 突如、真面目な表情となった空海に、周瑜は言葉を詰まらせる。

 

「一緒に行こう、冥琳。俺はお前と一緒に、江陵の外の世界を見たいんだ」

「は……はい……」

「 説 得 完 了 」

 

 切り札その1。乙女回路を刺激する台詞10選。

 根が素直な江陵の民には効果は抜群だ!

 言質は取った。この勝負、空海の勝ちである。

 

 

 勿論4人からすごく怒られた。今後、切り札の使用は控えようと空海は決意した。

 

 

 

 

(のん)、軍をまとめるわよ。袁術ちゃんから南陽を奪取しろってお達しよ」

 

 桜色の長い髪を後ろに流しながら、きつそうな口調で命令を伝えた美女は孫策。

 今は袁術の下で客将として爪を研いでいる猫科の肉食獣系女子だ。

 

「了解です~」

 

 答えたのは肩に掛かる程度で切りそろえられた若草色の髪と、優しげな目つきに眼鏡が特徴の女性。

 孫策の下で呉の軍師を勤める陸遜(りくそん)である。

 

「姉様! この上、袁術に従うのですか!?」

 

 強い口調で孫策を批難したのは、その妹の孫権だ。

 姉を一回り小さくしたような見た目をしている。

 

蓮華(れんふぁ)様、お二人に話を伺いに来たのでは?」

 

 赤みがかった服と短いスカート、くすんだ藍色のストールを首に巻き、赤いリボンと白いシニョンキャップで髪をまとめた女性――甘寧が、睨むような視線で孫権を止める。

 

「っ……そうだったわね。ごめんなさい、思春(ししゅん)

「あーあ。蓮華の言う通り、この機に南陽を奪っちゃうのも悪くない気がしてきたわ」

「いけませんよ~。今奪えば黄巾一味として朝廷から追われてしまいます~」

「チッ、しょうがないわね」「あ……」

 

 自身のために芝居を打ってくれたのだろう孫策(あね)と陸遜の様子に、孫権は顔を赤くしてうつむいてしまう。

 

「……まぁ、今戻っても奪える気は微塵もしないんだけどね」

「えっ?」

「またいつもの勘ですか~?」

「そうよ」

 

 陸遜は、軍師泣かせのこの勘に、いつもいつも論理的思考の帰結を覆されていることから、警戒と信頼と諦観を持って可能性を推察する。

 

「南陽を出てから、例の『見られてる感覚』はなくなったんですよね~?」

「そうよ。ここ数日は感じていなかったんだけど……昨日くらいから少しずつまた戻って来てるみたいね」

「なっ! どこにっ!」

 

 慌てて探し始める孫権の様子に、孫策はそれを苦笑を交えながら止める。それでも露骨な警戒をやめられない孫権は、真面目なのか不器用なのか。

 甘寧もその顔に無表情を貼り付けたまま、薄らと警戒をにじませる。

 

「昨日から合流し始めたのは、民の受け入れのために劉表さんのところから派遣された人たちと~」

「同じ理由で江陵から来た役人たちね」

「江陵の……!」

 

 甘寧からあふれ出した敵意に、孫策と陸遜は顔を見合わせる。

 

「相変わらずねー、思春は」

「蓮華様も~、捕まえるにしても泳がせるにしても、その様子はいただけませんね~」

「……申し訳ありません」「ご、ごめんなさい」

 

 普段通りの様子が戻ったところで、行動方針の話に戻る。

 

「江陵相手じゃ警戒するだけ無駄ね」

「いつものように~、必要以上に探られないよう要点を押さえるに留めましょう~」

「とりあえずは軍か。穏」

「はい~。では蓮華様にもお手伝いしていただきましょうか~」

 

 孫策の勘に従って、軍をまとめ始める。

 そこには10万の敵兵に突っ込む悲壮感は、微塵も感じられない。

 

 

 

 

 孫策たちが青空の下で意見を戦わせていたころ。江陵での会議から4日後のこと。

 

 空海率いる江陵最精鋭の部隊は、わずか500騎で南陽を強襲。

 一人の脱落もなく、南陽を占領していた賊の大将趙弘(ちょうこう)を討ち10万に近い賊軍を蹴散らした。

 さらに、南陽軍が戻るまでの1週間で残党の追撃、治安の回復、民の手を借りた防御の強化を並行して行い、南陽は賊に襲われる前以上の活気を手に入れた。

 南陽の民は江陵軍の勇姿を大いに称えたという。

 

 

 

 江陵が初めて行った都市攻防の結果は、全土に衝撃を持って伝えられた。

 

 河北や中原で自軍に数倍する黄巾賊を打ち破り、民たちの語りぐさとなっていた官軍や公孫賛の大戦果は、一斉に江陵軍の英雄譚に塗り替えられた。

 

 

 

 

 

「要請を説明しましょう」

「イラッ……七乃、何じゃあやつは」

「シッ!(あの人は江陵元帥府付き軍師の周瑜さんですよっ!)」

 

 玉座に腰掛けた袁術を、下から(・・・)見下すような態度で話し始める周瑜。

 

「依頼主は劉車騎将軍。目的は南陽周辺から潁川方面へ移動中の賊の討伐となります」

 

 南陽郡を含めた洛陽周辺の大まかな地図を、持ち込んだ机に広げて教鞭のようなもので各地を指しながら話を進める。

 

「賊は黄色の布をつけた一団で、総数は8万程度が確認されています。彼らが豫州潁川郡長社(ちょうしゃ)に駐屯している官軍と接触する前に排除して下さい」

 

 8万の賊というのは、江陵軍が南陽から追い払った一団だ。江陵軍以外に討伐させるため、わざと官の討伐軍方面へ逃がしたのだ。なお、潁川は南陽の北東にある郡である。

 

「また、依頼主は江陵軍との連携をご希望です。最終的にはそちらの判断ですが、無理はしない方が良いのでは?(嘲笑)」

「(イラッと来るのじゃ!)」

「(お、落ち着いてくださいー!)」

 

 袁術がさらに顔をしかめる。周瑜はその顔を見て鼻で笑う。

 

「フッ……説明は以上です」

 

 周瑜は嘘を言っていない。必要な情報もしっかりと伝えた。余計な事も言わない。

 

「荊州並びに江陵との繋がりを強化する好機です。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが(失笑)」

「七乃! もう我ムグッ――!?」

「(お嬢さまダメですってー!)」

 

 周瑜の態度に切れかけた袁術を張勲が取り押さえる。今ここで江陵に喧嘩を売ったりしたら、江陵はもちろん、荊州全土、下手をすれば南陽(ホーム)までが敵に回る。

 

「ムグムグッ(何をするんじゃ七乃!)」

「(あの人はとーっても怖い人ですから、黙ってないと食べられちゃいますよ!)」

「どうかされましたかな?」

「ムグッ!?」

 

 青い顔をして黙った袁術を抱きしめ、張勲が慌てて返事をする。

 

「いえいえー、何でもありませんよー。あとはこちらでやっておきますので、周瑜さんは帰っていただいて結構ですよー」

「……ふむ。では、そうさせてもらおう」

 

 

 

「正確に伝えてきたか?」

「ええ、もちろんです。これ以上無いほど正確に」

 

 宛城の兵舎前でのんびりとお茶を飲んでいる空海に、袁術の元を辞した周瑜が報告している。勿論、空海にも嘘は言っていない。

 

「思ったより上手く行って余力があるからね」

「そうですな。狙いはしましたが、潁川方面へ逃げてくれる者が多く、洛陽方面へ負担をかけずに済みました」

 

 豫州潁川郡には今、黄巾賊の大部隊と官軍の大部隊が揃っている。

 むやみに洛陽に向かわれては江陵軍の評判を落とすと考えた軍師たちは、黄巾賊の間に潁川の『お仲間』のことを伝え、洛陽には恐ろしい馬将軍がいると噂を流した。

 そして、食料庫を襲撃し、命令系統を要所で壊し、派手に夜襲を行って、逃亡を始める先頭集団を潁川方向に逃がしたのだ。

 

「よし、じゃあ用意が出来たら潁川郡へ向けて出発だね」

 

 あとは、潁川郡に集まる大軍の間に官軍側の白馬の騎士として現れて、戦場を支配して勝てば良いだけだ。

 それが出来るだけの官位と、それが出来る軍師は揃っている。

 

「いえいえ、空海様。我々は江陵に戻ります」

「えっ?」

「袁南陽太守はこちらの申し出を拒否いたしました」

「えっ?」

「自軍のみで追撃戦を行うので我々には江陵に戻るようにと、要求されました」

「えっ?」

 

 空海は、周瑜のやったことを知らない。

 

「え? この状況で?」

 

 南陽から逃げ出した賊や朝廷が用意した本隊から見れば、南陽の遠征軍など弱小零細の集団に過ぎない。本拠で負けたばかりでは発言力も皆無だろう。

 劉表という上官からの要請、空海という高官からの申し出、加えて南陽軍自身の汚名返上のために、江陵軍と組むのは当たり前だと空海は考えていた。

 

「あるぇ?」

 

 

 

 

 

「待たせたな、雛里」

「冥琳さん」

 

 江陵に帰り、周瑜が真っ先に向かったのは鳳統の所だった。前日に送った伝令が仕事を果たしたのだろう。鳳統も慌てることなく周瑜を迎え入れる。

 

「官軍の人事については聞いたか?」

「はい、先ほど確認を……あまりに予想外でした。まさか騎兵を城にこもらせ、城攻めと防衛に定評のある人物を籠城させるとは……」

「ああ、他にも宦官の動きがきな臭い。ヤツら、鎮圧よりも出世が大事らしい」

 

 周瑜が苦々しげに呟き、鳳統も悲しげな表情で言葉を詰まらせる。

 

「ともかく空海様にはご帰還いただいた。また出るつもりでおられるだろうから、まずは策を万全にしておこう」

「はい」

「おそらく江陵(こちら)の方が情報が集まっているだろう。まとめて貰えるか?」

 

 鳳統は一つ頷くと書類を取り出して一枚ずつ周瑜へと渡していく。

 

「豫州頴川郡では遠征軍の朱儁が賊に敗北しています。賊将の名は波才(はさい)。頴川郡の北側で朱儁とは別に行動していた皇甫嵩が8万の賊によって長社城に追い込まれています」

「何故ここに董卓を……いや、詮無きことか。頴川についてはわかった」

 

 鳳統は何枚か紙をめくり、下の方にあった書類を周瑜へと渡す。

 

「董卓や馬将軍ら涼州騎兵は、河南尹の洛陽周辺の城に押し込められています。これには()大将軍の意向も絡んでいるようです」

「……何進(かしん)か。……これ以上に悪い知らせがあるなら先に教えて欲しいのだが」

「黄巾賊に絡んでは、今のところこれだけです。ただ、別件が一つ……」

 

 言いづらそうにしている鳳統に、周瑜は嫌な予感を抱く。

 

「何だ?」

「馬将軍の容態が悪化しているそうです」

「それは……! いや、そうか。空海様へは後で伝えよう」

 

 鳳統は同意し、書類の束から比較的新しい一枚を取り出して周瑜に見せる。

 

「朝廷は盧植を冀州の中南部へと派遣しました。鉅鹿(きょろく)郡の南部に黄巾賊の大集団があると見込まれているようです」

「ふむ……この人事には問題が見当たらないな」

「そうですね。盧植ならば大いに勝つでしょう」

 

 その他、細かい数字や確認出来ている賊の活動範囲と規模を伝達する。

 

 

「よろしい。では、策だ。空海様の安全のため、明らかな負け戦と、敵戦力が不明のものには触れたくはない。よって、まず考えられるのは盧植よりの進路で機を見て介入し、官軍の勝ちを決めること」

「次点で頴川の官軍を救い出すこと、でしょうか。ただ、こちらには近場の陳留から刺史が援軍に向かう可能性があります。手早く行わなければなりません」

「あとは、河南尹へ官軍兵士の鼓舞に赴くのも良いかもしれん」

 

「いえ、それはやめておいた方が良いでしょう」

 

 会話に割り込んで来たのは孔明である。

 

「朱里ちゃん!」

「……どういうことだ、朱里?」

「その前に確認を。空海様の今後の方針で、河南尹へ向かっていただく、という手について考えられていたのですね?」

「そうだ。安全であるし、中央への印象も深められる」

「なるほど。しかし、河南尹には馬将軍がいらっしゃいます」

 

 ここで馬騰の名前が出るとは思わず、周瑜は意表を衝かれる。

 

「中央に召集されたにも関わらず半ば冷遇されている馬将軍に、南陽で大勝した空海様が会いに行かれた場合……」

「なるほど、確かに、余計な疑いを持たれ、いらん罪を着せられる可能性があるか」

「はい」

「馬将軍の体調が優れないことは既に空海様にも伝わっています。河南尹へ向かわれれば会見を望まれるでしょうね……」

「そうだな。まず、間違いはあるまい」

 

 周瑜と鳳統と孔明は、三人が揃ってため息を吐き、その様子がおかしくて少しだけ笑い合ってから情報を交換する。

 

 

 

「――そして、最も消極的な策として河南尹へ向かうことを検討していた」

「なるほど。ではこれはある意味で朗報ですね」

「ん? 何か新しい情報があるのか?」

「はい。陳留(ちんりゅう)の北側、(とう)東武陽(とうぶよう)の周辺に黄巾賊の大きな集団が侵入した模様です」

「かなり、北の方ですね。陳留の街からは往復だけで半月は掛かるでしょう」

 

 東郡は冀州魏郡の南隣にある。黄巾党の本拠地が冀州の中部とされているので、かなり近所だと言えるだろう。

 江陵から見れば、北東の南陽の、北東の潁川の、北東の陳留の、北東の東郡の、北の冀州魏郡の、北の鉅鹿が黄巾賊の本拠地と思しき場所だ。

 

「では江陵は……」

「陳留の刺史が豫州の平定に援軍を出すなら、東郡を本命に。東郡の平定に動くのならば豫州頴川を本命に据えて行動しよう」

「わかりました」「はい」

 

 この予想は、半月も経たず覆されることになる。




アディ・ネイサンの慇懃無礼な口調は実際に耳にしないと表現しづらいかも。
でも冥琳にはよく似合うと思うんです。祭に嫌みを言ってる時みたいな感じで。
「オーメル・サイエンス社との繋がりを強くする好機です。そちらにとっても、悪い話ではないと思いますが?」

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