無双†転生   作:所長

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4-3 江陵→←南陽→

『中! 黄! 太! 乙! 中! 黄! 太! 乙! 中! 黄! 太! 乙!』

「ほぁぁぁー! ほっ、ほぁ、ほぁぁぁぁ!」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「緊急です」

「ぉ。何かあったか、幼平?」

 

 空海は、突如現れたNINJA周泰(しゅうたい)に慌てることなく用件を尋ねる。

 

「はい。南陽が賊の襲撃を受けて再陥落しました」

「また?」「なっ!」「はわ!?」「あわわわ!」

 

 その場にいた周瑜たち軍師を始め、護衛の黄蓋たち武官の間にも動揺が走る。

 

「どこから沸いた賊? 規模は?」

「賊は潁川郡長社で官軍を取り囲んでいた者達の一部、6万です。速報では――」

 

 潁川郡南部で波才率いる黄巾賊8万が、朱儁率いる官軍2万を撃破する。黄巾賊は洛陽に近づくために北部に向かい、長社城にこもる皇甫嵩率いる官軍を包囲した。江陵の手で南陽から追い出された黄巾賊もここに合流。

 一方、黄巾賊に破れた朱儁は、南西の南陽郡から袁家の孫策が連れてきた援軍と合流して北上。さらに東から陳留刺史の曹操が援軍として参戦し、長社城の官軍と連携して城を包囲していた賊を内外から攻撃、そして壊走させた。

 その後、官軍は北側から圧力をかけ続け、討ち漏らしの黄巾賊12万の半数、約6万を南陽方面に押しやる。直後に曹操は東郡の平定を理由に撤退。

 官軍は潁川と汝南(じょなん)、南陽の平定を行うことを決定。潁川を共同して平定の後、皇甫嵩と朱儁を別々の場所に派遣する方針であるようだ。

 

 南陽方面に逃げ出した6万近い黄巾賊は再び徒党を組み(えん)城を攻撃。南陽軍も今回は多少抵抗したが、やはり一瞬で敗走して襄陽方面に逃亡。

 戦闘の前後で南陽から脱出した兵士は5万弱、難民は既に20万を超えているとか。

 

「20万?」

「20万人を超えていると思われます」

 

 空海は生真面目に答えた周泰に頷いて、顔を引きつらせている周瑜に尋ねる。

 

「公瑾、今回は何割が江陵に来ることを希望してると思う?」

「……。……おそらく、9割以上は」

「そうだよね」

 

 春先の肌寒い空気の中、周瑜は滝のように汗を流している。

 空海は軽く目をやるだけに留めて、孔明に視線を移す。

 

「よし、孔明。徳操(とくそう)元直(げんちょく)も使って良い。難民については任せる」

「はわわっ!?」

「急げ。放っておいたら、腹を空かせた難民が人を食べ始めるぞ」

「はわ!? ……きゅぅ」

 

 真っ青になって目を回した孔明を、すぐ隣の鳳統が支える。

 空海は黄蓋を呼び、孔明を指差す。

 

「公覆。孔明を……たたき起こして徳操の所へ連れて行ってあげて。道すがら、元直にも伝令をやって呼び出しとくように」

「そちらも乱暴に取り扱ってよろしいのですかな?」

「うん。今寝てたら本人たちが後悔するだろ?」

「左様ですな」

 

 ニヤリと笑って了承した黄蓋を送り出し、空海は周瑜に向き直る。

 汗もぬぐわず、顔色を悪くして眉を寄せ、それでも打開策を必死に練っているのだろう周瑜の表情が、空海は嫌いではなかった。

 

「さて。受け入れはこれでいい。南陽はどうする?」

「え……? これでいいとは、どういう意味ですか! 20万人ですぞ!?」

だから(・・・)諸葛(しょかつ)孔明と(じょ)元直と水鏡(すいきょう)に任せたんだろ。もう大丈夫だ。お前の仕事は他にある」

 

 周瑜は情けない顔で呆けたあと、吹き出し、笑い始める。

 笑い声は徐々に大きくなっていき、ついには涙さえ流して笑う。

 

 そうしてひとしきり笑って徐々に落ち着いてくると、周瑜は空海の横に跪いた。

 

 

「――空海様、お慕い申し上げております」

「お……おう」

 

 

 すっきりした表情で、あまりにあっさりと告げられたために、空海以外――広場にいた人間の理解が遅れる。

 

「それにしても、空海様は我ら軍師という人種に対する理解が不十分です」

「ですよねー」

「軍師というのは、考えられる可能性について思考してしまう生き物なのです」

「だから、どんな風に言われても20万人の難民が起こす諸々を心配してしまう、と」

「その通りです」

 

「その割には、ずいぶん晴れやかな表情をしているけど?」

 

 空海の言葉に、クスクスと笑い声を漏らした周瑜は柔らかい表情のまま、潤んだ目で空海の顔を見上げる。

 

「空海様が疑わぬ我らの(・・・)能力を、どうして私が疑えましょう」

「これまで通りに歩くけど、足下の確認に向けていた目線を上げたってこと?」

「左様です」

「んー……ならばよし!」

 

 満面の笑みになって告げた空海の顔に、周瑜は思考を忘れて魅入っていた。

 

 当の空海が、曹操の台詞を取って喜んでいたのだと知る者はいない。

 

 

 

「さて、どうする?」

「能動的に動くのは南陽の奪還に来る官軍の陣容が判明してからですな。皇甫嵩が来るならばこれに協力し、朱儁が来るのであれば南陽は放置しましょう。軍は――雛里」

「はい。いずれにしても、難民のために軍の派遣は必須です。当面は前回の3倍、6万を動かせるよう手配しておきます」

「あとは今回の陳留刺史の動きを精査してからとしましょう。まずは情報収集です」

 

 頷き合って、それぞれの仕事に取りかかるため慌ただしく動き出す。

 空海の仕事は頷くところまでしかなかった。女中と護衛の兵士ばかりが残る、女性率の高い空間に取り残される。

 

「あれ? 俺の仕事は?」

 

 何もなかった。

 

 

 

 

「――陳留の刺史、名はなんと言ったか」

(そう)孟徳(もうとく)さんですね」

「ああ、曹操か。……この動き、警戒が必要だ」

 

 周瑜は持っていた報告書を鳳統に見せる。

 そこに書かれているのは、曹操軍の動きだ。

 陳留から3日の強行軍で朱儁らと合流、そこから長社城の包囲網に接触するのに1日、賊を破って官軍を誘導し北側に回り込ませて1日、追撃を辞して陳留に戻る行程を2日で半分まで消化した、という時点で出された報告書のようだ。

 都合9日で陳留へと戻った曹操は、続いて東郡の平定へと乗り出すつもりらしい。

 

「神速の用兵……いえ、それ以前にこの動き……私たちの狙いに気がついた、と?」

「おそらく、我々が押しつけた南陽の賊軍を我々に返したつもりなのだろう。意趣返しとしては効果的だと頷かざるを得んな」

「空海様の名が広まったこと、江陵の利が大きかったことに対しての憂さ晴らし、あとは自らの時間的制約と兵力の節約でしょうか?」

「雛里の言う通りだろうな。……民たちの被害をなんだと思っているのか」

 

 南陽は漢の下で最大の人口を誇る郡だ。曹操治める東郡の4倍もの人が住む。

 今代太守の悪政、そして二度の襲撃で数十万人の逃亡者が出てなお、東郡の3倍は下らない人が暮らしているのだ。江陵が大軍をぶつけなかった理由でもある。

 そこに規律を失った賊の敗軍をぶつけるなど、想像を絶する被害となるのは必至だ。

 

 周瑜も鳳統も民の幸福を望める人間だ。二人は唇を噛む。

 彼女たちはつい先日まで、難民10万を受け入れるための施策と指示で眠れない日々を過ごしていた。新しい法の立案と施行、新しい仕事、部署、人員の確保、一時の衣食住の提供、一時措置ではない衣食住への移行など、数百万人の江陵の民を動かすために。

 

「今度は南陽から追い出すのは至難だぞ……」

 

 後がないとわかっている賊に城を乗っ取られた時点で、宛城内は地獄絵図だろう。

 おまけに、南陽側に出張ってきたのは朱儁らしい。

 

「朱儁は賊の徹底討伐を唱えています。おそらく降伏は認めません」

「最悪なのは、朱儁の方針が朝廷のそれと完全に合致していることだ。南陽郡を奪われた袁術も、その方針に反対することはないだろう」

「それどころか、南陽の民すら……いえ、こうなってしまった以上は、南陽の民であればこそ、賊の徹底的な殲滅を望むでしょう」

 

 そして、賊たちも死にたくない(・・・・・・)から死ぬまで(・・・・)抵抗する。

 

「恩赦か、せめて減刑だけでも認められるのであればやりようはあると思います」

「我らが訴え出れば空海様は動いてくださる……だが」

「はい……空海様が、立場を悪くされてしまう」

「最悪の場合、こちらの要求が通らない上に空海様が罰せられる。……それだけは避けねばならん」

 

 南陽に来る将が皇甫嵩だったならば、自主的に(・・・・)動いてもらうことで罪を被せた上、こちらの要求を十分に満たすことが出来た可能性もあった。

 二人は南陽の不運を嘆く。だが、いつまでも立ち止まっていられない。頭を切り換えて広げられた地図に目を移す。

 

「となれば、次善の策だな」

「はい……乱の早期終結ですね」

 

 周瑜は頷き、手にした書類で地図を叩いた。

 

「各地の賊の討伐……そして、賊どもの本拠を落とす」

 

 指し示した先にあるのは、冀州(きしゅう)鉅鹿(きょろく)郡。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「そのまま死んでてくれてたら、こっちとしてはありがたいんだけどなー」

「南陽の軍は敗走の最中ではあるものの、未だ軍の体裁を保っています~。かろうじて、と前置きする必要はありますが~……袁術は健在でしょう~」

 

 孫策は舌打ちしつつ、陸遜に相づちを打つ。

 

「あーあ、朱儁はいつまでこの辺をウロウロしてんのかしら。汝南には袁術ちゃんの実家があるんでしょ? いっそ放っといてくれないかなー」

「駄目ですって雪蓮様。ここを平定しないと、寿春から揚州に入られてしまいます~」

「わかってるわよ。寿春に入られたら建業まであっという間だしね。言ってみただけ」

 

 大規模遠征軍の下っ端援軍であることと、小規模な討伐を繰り返しているという状況が揃っているせいで、出陣もない上に軍議でも相手にされない。

 かろうじて回される復興支援の仕事も、頑張れば頑張った分だけ『袁家の方が家臣を遣わしてくださった』と感謝される。

 やる気を失って仕事に身が入らなければ、簡単な仕事も出来ない援軍と言われて、ますます遠征軍の中心から遠ざけられる。

 孫策の一軍は今、悪循環に陥っていた。

 

 加えて、孫策自身は袁術の下に残した妹たちの様子も心配している。そのストレスが仕事にも現れ……。現状が良くないことだとは自覚しつつも、それを打破する最適な方法が『南陽へ向かう』ことである以上、どうしようもない。そして遠征軍が早期に南陽攻略に乗り出してくれることを期待してしまうことも、やめられなかった。

 

 

 遠征軍が南陽に向かったのは、これより4週間後のことである。

 

 

 

 

 

 朱儁が主催した軍議に周瑜が参じている。

 朱儁は汝南郡平定の功績で鎮賊中郎将に任じられている。中郎将は皇帝直属軍の指揮官だ。鎮賊ということで、賊の鎮圧のために臨時で設置された職ではあるが、有事にあって四品官相当の権限が与えられている。

 しかし、それでもなお周瑜の方が高官である。上座の席を空けて、全員が深く頭を下げたまま周瑜を迎え入れる。

 

「では、袁太守をお返しする」

 

 周瑜は特に気にした様子もなく、孫策に向けて袁術を押し出す。

 

「ガクガクブルブルガクガクブルブル」

「わたしの物じゃないんだけど……」

 

 袁術は、頼りの張勲が入場を禁じられ、軍議の場の異様な雰囲気に押され、隣の周瑜は怒らせると自分を食べてしまう(と思っている)ので、刺激もできずに震えるばかりだ。

 ほぼ唯一の味方である(と思っている)孫策にまで受け取りを拒否(と思っている)されて涙目である。

 

 遠征軍首脳部はやり取りを無視して、袁術を孫策に押しつけて議場から追い出す。

 

「南陽を除いた荊州内の敵の拠点はほぼ全て制圧済みだ。ただ、南陽の内応者までは追えなかった」

「江陵には感謝しております」

「我ら江陵があなた方の方針に口を出すつもりはない。ただ、明後日にはここに空海様が到着される。それまでに全軍の引き継ぎが終わるよう、協力をお願いしたい」

 

 南陽を巡る話し合いは、南陽軍(とうじしゃ)を無視して続く。

 

 

 

「七乃ぉ~っ! 怖かったのじゃ~!」

「はいはい、お嬢さま。もう大丈夫ですよー」

 

 袁術と張勲が抱き合い、くるくる回りながらどこかへと消えていく。

 それを横目に自陣へと戻る孫策の視界に、しばらくぶりの姿が映る。

 

「雪蓮姉様! ご無事ですかっ?」

「蓮華……思春も。よかった、あなたたちこそ無事だったのね」

 

 孫権と甘寧が孫策に駆け寄り、互いの無事を確認する。

 

「こっちはほとんど無傷よ。まともな戦闘なんて1回しかなかったもの。貴女たちの方が大変だったはずよ」

「いえ……こちらも大変だったのは宛城を脱するときくらいで、4日目には江陵軍に保護されましたから……」

 

 孫権は暗い顔をして告げる。南陽を捨てて逃げたことをふがいなく思っていた。

 

「江陵、ね。そういえば、さっき軍議に周家の娘が出てたわ」

「周家の……! 周瑜ですか!?」

 

 周家は今や揚州最大の豪族だ。揚州の奪取を最終目標に掲げる孫呉にとっては、袁術に並ぶ障害と言える。

 その周家の当代最高の実力者が周瑜だ。

 

「ええ、思ってたよりずっと若い……あなたと同じくらいじゃないかしら、蓮華」

「私と、同じ……」

「そのようなはずはありません! 数年前私が江陵に捕らえられたときには、周瑜は既に現在の蓮華様と変わらぬ年格好でした!」

 

 今はまだ手の届かない場所にいるその高官が、自らと変わらない年だと聞いて、孫権はまたしても落ち込む。

 それを否定したのは甘寧だ。怒りをにじませて拳を握りながら語っている。

 孫権はやんわりと甘寧を抑えながら気になっていたことを告白する。

 

「そういえば、江陵軍を率いる黄蓋も、とても若く見えました」

「黄蓋は私よりも年上よ。それは間違いないわ」

 

 孫策は母が生きていた頃を思い出しながら語る。かつては母の友人だった黄蓋も、今は遠い場所に立っている。

 

「妖術……でしょうか?」

「ぶっ」

 

 甘寧が真剣な顔で告げるのを見て、孫策は思わず吹き出す。

 

「単なる若作りじゃない? そういう邪な気配みたいなのは感じなかったわよ」

 

 直感を含めた自身の感覚に絶対の自信を持つ孫策は、気軽に考えて気軽に告げる。

 笑われた甘寧は少し不満そうな表情を見せるが、すぐに表情を改めた。

 

「軍は、この後は、どうなるのでしょう?」

「南陽軍はほぼ壊滅しています。江陵軍と遠征軍が揃った以上、南陽奪還のために攻勢に移るのでしょうか?」

「んー、そこまで聞く前に議場を追い出されちゃったんだけどね。江陵軍はすぐに居なくなりそうな気がするわ」

「……それは、またいつもの?」

「そ。勘よ」

 

 あっけらかんと笑う孫策に、孫権はため息を漏らす。

 そんな孫権の様子を見た甘寧はフォローに回る。

 

「しかし蓮華様。江陵軍が撤収準備を始めていることも事実のようです」

「えっ?」

 

 孫権は慌てて周りを見回す。そこには、明らかに早くから炊飯を行っていたり、天幕をたたんでいたりする江陵軍の姿があった。

 孫策の様子を知るために、いかに孫権が周りのことを見落としていたのかがわかる。

 

「ま、なるようになるわ。今官軍を敵に回すわけにはいかないし、大人しくしてましょ」

「はい」「はっ」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 南陽郡から北東方向に向かう道の途上。

 

「ヒマデス!」

「朱里の真似をしても退屈は紛れませんぞ、空海様」

 

 馬車の席で突然奇声を上げた空海にも、周瑜は冷静だ。黄蓋と黄忠も笑っている。

 

「昨日も一昨日もその前も移動しかしてないんだぞ……」

 

 空海率いる、あるいは空海を伴っている江陵精鋭軍は、江陵から出て1日で襄陽、さらに1日で南陽、さらに1日で頴川郡襄城を通過した。

 

「我が軍だからこそ3日で潁川郡に入れたのです」

「他軍であれば10日は掛かりますかの」

「馬も違いますからね」

「なん…だと…?」

 

 全方位から否定されて空海がひるむ。

 周瑜すら感覚が麻痺しかかっているため忘れがちだが、江陵の最精鋭たちは一人ひとりの装備が最低で20万銭、軍馬に100万銭を軽く超える赤兎馬、その赤兎馬に引かせる荷馬車集団という黄金が服を着て歩いているような連中である。1万銭が金220グラム程度であるから、本当に純金の半分くらいの価値はある。

 その最精鋭が700人。漢の国家予算5%に相当する集団だ。彼らの持つ最精鋭としての強烈な自負は、行軍の常識すら現在進行形で塗り替えている。

 八日で二千五百里を進んだ江陵軍に漢全土が震撼するのは、少しだけ未来の話だ。

 

「陳留刺史がなかなかやり手でしてな。彼女を見習って早めの行軍を心掛けております」

「冥琳が燃えておるので大変じゃったわ」

「クスッ……そうですわね」

「お、おお。なんかわからないけど凄そうだからよし! 良い感じでよろしく」

「お任せください」

 

 そのまましばらく会話が途切れる。

 

「……あれ? 俺が暇であることは何ら変化がないね?」

 

 空海の言葉に周瑜が苦笑し、進軍先を指差す。5列縦隊に並んだ馬群が何十と続く先。

 

「昼過ぎには、長社に差し掛かります」

「先日官軍が籠城し賊が包囲をしておったという場所じゃの」

「賊の痕跡が確認出来れば野営を行い、場合によっては早朝に討伐を行う心づもりです」

「ふーん。楽しそうだけど、外に出るなって言われない?」

 

 実際、南陽についた時など朱儁への挨拶以外に出ないよう言われていたのに、朱儁から挨拶に来てしまったためにどこにも出歩けなくなった空海である。

 

「城の周囲を固める予定ですので、城内は好きに歩いていただいて構いません」

「おお、さすが公瑾! ありがとー!」

「我らが護衛に付きます故」

「ご安心ください」

「公覆と漢升もありがとうね!」

 

 お礼の言葉を引き出すためにわざわざ声を上げた黄蓋と黄忠は、狙い通りの結果に上機嫌だ。一方、周瑜は笑顔の裏に少しの打算を持つ。

 城では、賊討伐のために報告を受ける必要がある。空海の隣でそんな話をしていては討伐に出かけると言い出しかねない、と周瑜は考えている。餌でペットの気をそらす行為と大差が無いことには目を背けつつ。

 

「明後日は船での移動となりますので、今日と明日は早めに休むことになります」

「明日には河南尹入りですな」

「おおー、船かー。黄河?」

「ええ、河水です」

 

 空海は知らないが、河とはそれそのものが黄河を指す言葉だ。大河と言えば黄河だし河水と言えば黄河である。長江も同じく大江で長江である。

 

「楽しみだ」

 

 

 

 

「お、ビワ発見」

「む?」

 

 低い背の割にしっかりと枝を広げた木の多い、なかなか立派なビワの畑だ。

 遠目に見える黄色い実りに、甘い物好きな空海の目が輝く。

 

「よし、見に行こう」

「空海様お待ちください!」

 

 空海が馬車から立ち上がって飛び降りる。

 慌てて止める周瑜に悪戯っぽい笑みを向けて、空海は味方を呼ぶ。

 

「漢升おいで!」

「はい!」

「なっ、しまった!」「あ、こら、紫苑! お主も止めぬかっ」

 

 黄忠は大体いつも空海の行動に味方する。

 急いで黄蓋に後を追わせて、周瑜自身は軍を止める。空海がビワをおやつに、茶飲みを含めた休憩を希望する可能性が高そうだと考え、長めの休憩を指示する。

 

「全軍、大休止に入る。即時、周囲の偵察を行って報告に来い!」

 

 空海の周囲には既に護衛が10人以上広がっていた。だが、それで危険がなくなるわけではない。周瑜は更に数十人の護衛を選出し、空海の元へ急ぐ。

 

 

 

「おねーちゃんたち、だめー!」

「お?」

 

 畑に近づいた空海の元に小さな女の子が駆け寄る。護衛たちが警戒の色を見せた。

 

「威嚇するな。この畑の持ち主かもしれない。話をする」

 

「おじちゃんもだめー!」

「クルルァ!(威嚇)」

 

 

 

「なるほど。やはりお前の家の持ち物だったか」

「そうだよ! おとーさんがとってくれるの。とーってもあまいんだよ!」

「うん。確かによく手入れされていて美味しそうだな」

「すっごくおいしいよ!」

「おおー、いいね。一つくれ」

「だめー!」

 

 両手を広げて空海の行動を阻もうとする姿に、黄忠の口からも笑い声が漏れる。

 

「どうしよう、漢升。この子、手強い」

「クスクス……そうですわね。では、買い取るというのはどうでしょう?」

「その手があったか! 我が財力を見よ! いくぞ小娘、ビワの貯蔵は十分か?」

 

 30秒に及んだ畑の主(子供)と江陵の主による首脳会談の結果、2個1銭で買うことで決着が付き、二人はやりきった感のある笑顔で握手を交わす。

 

「よし、では5銭分を……。……。……誰か5銭持ってない?」

 

 空海はお金を持ち歩かないし、護衛は仕事中お金を持たないし、黄忠も行軍中は小銭を持ち歩くことなどない。空海は遠巻きに見ていた周瑜に詰め寄る。

 

「小銭だ! 小銭を出せ!」

「え? わ、わかりました。今用意させます」

「あれ? あるの?」

 

 行軍と言っても陸の移動である。当然、途中には街もある。買い物を行えるよう金銭は持ち歩いている。

 

「ええ、もちろん。5銭でよろしいのですか?」

「うん。よろしくね」

 

 周瑜から5銭を預かった空海は、女の子の前に屈み、目線を合わせて手を差し出す。

 

「では5銭分のビワを頼む。良い感じのを見繕ってくれ」

 

 女の子はにっこりと笑ってお金を受け取り、そのまま空海の手を引いて歩き出した。

 

「うん。こっちだよ! いちばんあまいのがこっち!」

 

 

 

「ご馳走様でした」

「えっと、あまり食べられなかったようですが、よろしかったのですか?」

「いいよいいよ。璃々、美味しかったか?」

「うん! あまかった!」

「よろしい、ならば満腹だ」

 

 空海は女の子の頭を撫でながら笑う。黄忠は女の子の口の周りをぬぐう。

 ここだけを見ればまるで親子のような姿だった。

 

「公瑾」

「はっ」

 

 空海は、近くに控えていた周瑜を呼びつける。

 

「血の臭いがする。何があった?」

「!?」「「!」」「ち?」

 

 黄忠が驚き顔を上げる。周瑜と、いつの間にか近くに来ていた黄蓋が苦々しく顔をゆがめる。女の子はよくわかっていないように空海たちを見上げている。

 

「……近くに、賊の拠点があり、最寄りの集落に襲撃を受けた形跡があります。結論から言えばここで休止を挟んだのは正解でした。賊が拠点にしている廃城は長社周辺で最大の集結地だと思われますが、未だ気付かれた様子はありません」

「そう。それともう一つ、気になっていた」

 

 空海は厳しい表情をそのまま女の子に向ける。

 

「――璃々、父と母はどこだ?」

 

 何十人もの護衛と共に移動しているのだ。子供をこの場に放置しておいて、この事態に1時間以上も気付かないというのも不自然である。

 

「おとーさんは、おかーさんがかえってこないから、おむかえにいくって」

 

 その言葉と共に、女の子の表情に陰りが見えた。

 聞けば、昨日の朝、黄色い布を付けた賊たちに襲われて母親が居なくなり、昼過ぎには父親が出かけ、夜は一人で寝た、と。

 黄忠などは既に悲痛な表情で璃々を抱き寄せている。

 

「そうか。……どう思う、公瑾?」

「おそらく賊のところでしょう。本当に奪還を狙っているか、玉砕かは……」

 

 周瑜の言葉に空海も頷く。

 

「わかる範囲で調べておいて」

「承知しました。集落の方にも人をやろうかと思うのですが、そちら側もまずは遠巻きに探ってみることにします」

「よろしくね」

 

 

 女の子を昼食に誘い、周囲の探索を行う。

 続報が入ったのは1時(2時間)後のことだった。

 

 

「空海様、おそらく発見しました」

「おそらく?」

「対象の男性の周りに旅人らしき3人組がおり、遠目での偵察に留めたそうです」

「そう。じゃあ直接行くか」

「畏まりました」「はっ」「はい!」

 

 空海は女の子を抱き上げて護衛たちに囲まれ、周瑜の指し示す方向へと歩き出す。

 

「静かに周囲を取り囲み、もし誰かが逃げ出すようなら取り押さえろ! 相手は賊の可能性がある、怪我をさせるくらいは構わん。絶対に油断するな!」

『はっ』

「おお。俺の立場がない……」

 

 周瑜が全て指示してしまって、空海は女の子を抱き上げて歩いているだけだ。

 とはいえ、空海は指揮などしたことがないので、普段から部下に任せきりである。今更指揮をしたいとは言い出せない。

 子供にまで笑われ、しょんぼりと馬車に乗り込む。

 

 

 

「ここからは徒歩になります」

「森の中?」

「はっ。奥に1里(約400メートル)ほど入ったところです!」

 

 森の側で馬車を止め、背の低い樹木の少ないそこに足を踏み入れる。

 護衛たちは木の陰に隠れるようにしながら周囲を移動する。ここまで案内してきた兵もそれに紛れ、空海と共に歩くのは、腕に抱かれた女の子と黄蓋、黄忠、それに周瑜だけとなった。

 

「あれか」

「! おとーさん!」

『!?』

 

 急に聞こえた子供の叫び声に、男性を取り囲んでいた3人が大きく反応する。

 青緑の服を着て眼鏡をかけた少女、水色の服を着て背の低い亜麻色の髪の少女、白い服を紫の大きな帯で止め赤い槍を持った少女。

 特に大きく反応したのは白い服の少女だ。槍を構え、険しい表情で周囲に視線を巡らしている。

 

「……(祭殿、紫苑、油断しないでください)」

「(うむ。何かあればあの白いのから潰すぞ)」

「(はい)」

 

 3人組が一歩下がり、空海に支えられた璃々が駆け寄る。黄蓋たち護衛が空海と3人組との間に割り込むように立つ。

 

「おとーさん!!」

「っ、璃々……!?」

 

 3人組のうち、眼鏡の少女が代表して声を上げる。

 

「あなた方は?」

 

 空海はちらりと目をやっただけですぐに男性に視線を戻す。

 

「先にこっちだ。怪我の様子は?」

「……もはや、苦しませるだけです」

「そうか」

 

 黄蓋も黄忠も、警戒を怠ってはいない。しかしそれでも、表情の変化までは抑えられなかった。

 

「璃々、すまん……すまんっ! 母さんのっ、仇を、取れなかったっ……すまんッ」

「おとーさん! おとーさんっ!!」

 

 璃々が泣きながら父親の手を握る。

 父親は、その手を握り返すことも出来ずに涙を流す。

 

「璃々、お前を遺して、ゴホッ、逝く……せめて、お前だけは、幸せに……」

「おとーさん、やだよ! ダメ! まって!」

 

 空海は璃々の後ろにしゃがみ、やんわりと璃々の肩を抱く。

 

「死にかけのお前に言うのもなんだが、璃々のことは任せろ」

「どなたか、存じませんが……最期に娘の、顔を……ゴホッ、見られました。璃々を、娘を、頼みます……。どうか……! ゴホゴホッ」

 

 口から血の混ざった唾液を垂らしながら、それでも頭を下げようとしている男を、空海が押しとどめる。

 それまで警戒を見せていた白い服の少女が、ゆっくりと槍を引いた。

 

「大人になるまでは面倒を見てやる。お前は娘に悪い虫が付かないかだけ心配していろ」

「――はは、ハハハッ……それは、しんぱい……です、な……ゴフッ……感、謝……」

「おとーさん、やだ! おきて! おとーさん!!」

 

 空海は、璃々が泣き止むまでその背中をなで続けた。

 

 

 

 璃々が泣き止み、空海が布で遺体の顔を綺麗にしている間、誰もが口を開けない時間が過ぎた。

 やがて、血濡れた布をたたみ、空海が立ち上がる。

 

「見ていてわかったかもしれないが、俺はこの子供の保護者だ。……だから、お前たちに聞かなくてはならないことがある」

 

 空海の言葉と共に黄蓋たちから僅かに戦意が漏れる。空海に質問を浴びせた少女が少し慌てた様子で答えた。

 

「――あっ、わ、私たちは、この男性が黄色い布を付けた3人組の賊に襲われているのを見かけて助けに入り、賊たちの拠点があるだろうあちら側から見られないよう、森に運び込んだのです!」

 

 少女は空海たちが入って来た方向とは反対側を指差して説明する。

 空海は頷いて周瑜に目をやった。

 

「事実だと思うか?」

「賊の拠点については間違っておりません。璃々の父親もこの者たちには警戒しておりませんでした。おそらく事実でしょう」

「そうか」

 

 空海はそれだけ言って璃々の横にしゃがむ。

 

「璃々、決めろ」

「……え?」

「この者たちは、お前の父親を救おうとした。どうするのか、お前が決めろ」

 

 厳しい空海の言葉に口を開きかけた者を止めたのは、璃々の行動だった。

 父親の側から立ち上がり、涙をぬぐって3人をしっかりと見たのだ。

 そうして誰もがかける言葉を見つけられない中、璃々は頭を下げ。

 

「おとーさんをたすけようとしてくれて、ありがとうございました!」

 

 その言葉に、眼鏡の少女と、亜麻色の髪の少女が目を細める。涙もろい黄忠などは静かに涙を流している。

 空海は璃々を優しくひと撫でして、厳しい表情に戻る。

 

「良く言った、璃々。だが、もう一つだけ決めなくてはいけないことがある」

 

 空海は璃々の両手で肩をしっかりと抑え、目を合わせて告げた。

 

「お前の父と母をこんな目に遭わせた賊どもをどうするのか。決めるんだ」




ならばよし!は、用法を守って正しくお使いください。
正しくは『是非もなし』的な使い方をされますが空海は気付かずにミスしており「そのように改善されたならば良いよ」の意味で使ってます。気付いてないのでこのミスは直りません。

没ネタ
「見上げた孝行心だ小娘。だがな! てめぇの命を張るほど値打ちのある親か! さあ頭を冷やしてよく考えてみろ! 握手してんのは左手だ、利き腕じゃないんだぜ」

次回、子連れ元帥。ただし(拝)一刀ではない。

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