空海様にため息を吐かれるのも、当たり前のことだった。
最初の踏み込みは、目で追うことも出来なかった。
振り切った方天戟を目にして初めて、攻撃が行われたことに気がついた。
一振りごとに何人もの賊が舞う。
舞い上がった賊が、何十人も巻き込みながら吹き飛んでいく。
武器を構えた賊に向かえば、風を残して武器が両断される。
盾を持った賊に向かって踏み込めば、地面さえもが畏怖するように震え、盾が割れる。
『推して参る!!』
賊をかき分けすぎて弓兵の前に躍り出たにもかかわらず、進撃は加速する。
飛んでくる矢の隙間を縫うように進む。
矢をかわして方天戟をふるうのではない。方天戟をふって矢をかわすのだ。
賊たちは攻撃をされるために矢を放っているのではないかとすら思ってしまう。
『真の武よっ!』
圧倒的な高みにありながら、そこにあるのは孤高ではなく調和。
しかも、そうであるのに、戦場の
当たり前だ。この高みに触れることが出来るのは、高みを目指す者だけだ。
――ああ、せやけど
『
――あの武と踊って逝けるなんて――
◇◇◇◇
「
「うん。よろしくね、文遠」
謁見を行う広場で、今日から空海の側に仕えることになった張遼を半ば囲むようにして江陵の幹部たちが立っていた。
張遼が仕官に訪ねてきた時に会って以来、およそ半年ぶりの再会になる。広宗の包囲戦から見れば約1年半が経過していた。
空海はニコニコと笑って再会を喜び、張遼は幸せそうに悶え、江陵系女子は壮絶な笑顔を二人に向けている。
「時間が掛かったけど、変わりはなかった?」
「はい! あっ……ホンマに申し訳ありません! ウチ、空海様のご期待を裏切るようなことをっ!」
「そんなことないよ。左慈相手に1刻(約15分)も戦えるようになったんでしょ?」
二人の会話に必要以上の注意を払っていた江陵女子の間に動揺が走る。普段は最下層で兵士の教導を行っているだけの左慈だが、その実、江陵武官の誰よりも強いのだ。
黄忠など得意な獲物との相性も悪いため運が悪ければ数合しか打ち合えず、近接戦闘に自信のあった趙雲でさえ1刻もあれば少なくとも2回は沈められる。最もよく食い下がる黄蓋ですら1刻持ち堪えるのは難しい。
それまで張遼に向けられていた嫉妬に似た視線が、驚愕と感心へ塗り代わる。
「せやけどまだ一度も勝てなくて」
「左慈はたぶん呂奉先より強いよ。勝つのは簡単じゃないと思うなぁ」
左慈と比べる人物として、黄蓋ではなく聞き覚えのない名前が出てきたことに周囲から疑問の声が上がる。代表して空海に尋ねたのは武官筆頭の黄蓋だ。
「空海様、呂奉先とは? 儂は聞いた事がありませんが……」
「ウチの――じゃなかった、董卓んとこの将や。一騎打ちに限って言えば左慈ちんと比べられるくらい強いと思うわ」
武官たちの間に本日2度目の驚愕が広がる。一つは、それほどの将がいたことに対する驚き。もう一つは、そんな将を空海が知っていたことに対して。
「黄巾騒動の後に并州刺史から董仲穎のところに推挙された武官だね。天下に並ぶ者なしなんて評価を受けてたから動向を気にしてたんだよ」
空海は、実際に調査を行っていたのは周瑜だと説明する。周瑜は呂布が張遼に勝ったことや、飛将軍の再来との呼び声も聞こえるといった補足をした。
空海は改めて張遼に笑いかける。
「勉強も頑張ったんだってね。子龍や漢升よりも良い成績だったって聞いたよ」
「そ、そんな。ウチは空海様のお側に上がりたくて必死にやっとっただけで……」
突然比較に出された趙雲と黄忠は驚いたりばつが悪そうにしていたが、張遼が悶えているのを見て落ち着いたらしい。からかったり褒めたりして更に悶えさせている。
◇◇◇◇
「袁隗が帝の
璽綬を解くというのは、帝の地位を剥奪する、という意味だ。大事件の知らせは周瑜を経由して空海へともたらされた。
袁隗は(名目上は)帝を指導する役目とされる太傅の地位にある。かつて文官筆頭の地位にあったこともある生粋のエリート政治家だ。
「え? 解くって……もしかして死んだ?」
「いえ、劉弁は弘農王とされたようです」
郡王の大半は洛陽に留まるため、名ばかりの任命と言える。
とはいえ、弘農は洛陽の西隣、長安との間にある郡で、洛陽と長安を結ぶ街道と関に加えて、荊州の襄陽と長安を結ぶ街道と関をも有する要所だ。名目上、要衝を預けているというのが言い分だろう。
「劉弁にはあまりよろしくない気質が見られたとか。袁隗は劉協こそ帝の器と考えているようですな」
「だからって引きずり下ろしたりしたら袁隗の首が飛ばない?」
「袁隗は董卓に全てを押しつけるつもりのようで、袁家一門にはこれに呼応する動きが見られます。董卓は偶然居合わせただけであるとも言われておりますが」
袁家一門と言えば、先に劉協が渤海王に任じられると同時に実質的な太守である国相として渤海へと赴任した袁紹、そして寿春の太守にして袁家本拠の汝南を勢力下に治める袁術らに代表される官民の大集団だ。
三公を幾人も輩出する規模の集団ともなれば、その政治力は一州を超えるほどになる。
「まず、帝の譲位に先立ち袁紹らの手によって主要な宦官が一掃され、譲位に合わせて董卓が三公の武の筆頭――太尉に指名されました」
「袁家が何進の方針を継いだワケか。董卓は中郎将からいきなり三公?」
「いえ、中郎将からは前将軍に昇格しています。太尉へは無官からの任命ですな」
三公は太尉を含む文官筆頭の3つの官位をまとめた呼び方であり、中郎将と前将軍は武官の位だ。
太尉ともなれば軍事の関わる政治のトップに位置する高官であり、文官の官位としては宮廷内での序列において空海の持つ元帥を超えるほどである。
ちなみに、武官としての地位や文武を合わせた給金では元帥の方が遥かに高い。
そして、前将軍もまた武官の中では政治色の強い官位であり、漢の閣僚会議とでも言うべき宮廷での朝議への参加資格を持つ。
太尉・前将軍への就任というのは、中郎将という、いわば一部隊の指揮官からの出世としては異例中の異例であり、下手をすれば数万人抜きの大抜擢なのだ。
諸侯に『董卓が帝の地位を剥奪して地位を強要した』と判断されるだけの材料が揃ったことにもなる。
「文武両方で昇進か。どっちも袁隗が手を回したの?」
「正確には袁家一門が、ということになるでしょう。帝への奏上なども袁隗やその取り巻きが行っていたと劉車騎将軍より聞き及んでおります」
「劉景升か。そこまで詳しいということは、巻き込まれる位置にいないか?」
「それについては『今は霊帝陛下の喪に服するという理由で会見を拒める』と」
「悪い奴だな」
口では悪く言いつつも、空海は楽しそうに笑う。
実際には会見を拒んだとしても危険は残る。しかし、実戦派の実力者として名高い三者を有する勢力に喧嘩を売る人間はどこにも居なかった。
南方司令官兼司令長官の劉表、西方司令官の馬騰、黄巾討伐の英雄空海。
漢の主力は東にあると言われているが、東から見ても一つ一つが無視できない規模の勢力となっている。
それは同時に、葬儀の時に何進がしたように、一つ一つ個別に接触される可能性があることを示している。
「袁家からの接触には注意するように寿成たちに知らせておいて。長安に居ては巻き込まれるかもしれない」
◇◇◇◇
周瑜がやや難しい顔をしながら空海に声をかける。
「董卓が相国に指名されました」
「相国? なにそれ」
「三公の上に新設された、帝を補佐して政を執り行う官だそうです。丞相のようなものであるとのこと」
「へぇ、
空海は任官させたのが袁隗だとは思っていない。袁家は『三公』を輩出した名家であることを強調しているからだ。
「いえ、これは帝の意向だそうです。袁隗は反対するも取り上げられず、同意する条件に寿春太守の袁術を揚州刺史に推挙、さらに渤海太守の袁紹を冀州牧へと推挙し、直後に洛陽から逃亡しております」
正確には帝の前で推挙を行うことを条件にし、実際に推挙を行ったという実績を作って逃亡した。帝に認められた人事ではなく、推挙した事実だけで引き下がったのだ。
後に地位を奪ったとき、事後承諾の理由として御前での推挙を引き合いに出すつもりなのだろう。同時に、袁家に連なる者に対して『地位を奪って上洛しろ』と伝えたかったのかもしれない。
帝の意向に逆らったため保身に走ったようだが、一族へのメッセージを兼ねて最後まで引っかき回していくところは恐るべき政治家の力を感じさせる。
「袁家ってそんなのばっかりなの……捕まえられる?」
「いえ、それが……どうやら袁隗は京兆尹方面へと逃亡したらしく、これから指示を出しましても、追いつくのは袁隗が長安へ入った後になるかと」
「長安か。寿成たちがどう動くか……。とりあえず、生きてるならこちらで預かるように手配しておいて。洛陽や長安の周辺にいる人材についてもよく調べておくようにね」
「はい」
取り込むにも敵対するにも距離を取るにも情報はあった方が良い。対象地域の出身者や懇意にしている商人からも聞き込みを行わせる。
だが、事態は既に動き出していた。
その知らせもまた、いつものように周瑜からもたらされた。やはりいつものように難しげな表情のままだ。
「袁隗が袁紹を通して諸侯へと檄文を送った模様です。おそらく洛陽を出る前に指示していたのでしょう。また、檄文の発信に合わせ、袁紹が冀州牧の地位を奪ったようです」
「ああ、例の推挙を受けてか。檄文って言うと?」
「漢の臣下たる我ら悪逆の董卓を討つべし、と書かれています。体裁としては袁紹の名で送られた檄文ですが、中身はどう見ても我らの知る袁紹の考えたものではありません」
さんざんな言い回しだが、
「ん? 待て、諸侯に送ったと言ったが……誰に届いてる?」
「まず、全てを把握することは出来ませんでした。申し訳ございません」
「それはいい。わかってる範囲ではどうなってる?」
「幽州の公孫賛、平原の劉備、陳留の曹操、荊州の劉表、我ら江陵、寿春の袁術、益州の劉璋、そして、長安の馬家にも送られているようです。袁紹からの使者は、彼らの呼応が間違いないかのような物言いで参加を迫っておりました」
このうち重要になるのは、現状では江陵として手を結んでおきたい劉表と、空海を含めた江陵幹部の思い入れがある馬騰の動きだ。
劉表は得の大きい方に付くだろう。むしろ、劉表が付いた方が大義名分になる可能性すらあるため、ある程度の得を示せば江陵が方針を動かすことも可能だ。
その点、馬騰は政治的な動きが読み辛い。最近になって当主の仕事を任され出した馬超がいるため、頭が――それも直感的に動く人間が――2つ並んでいることになる。
「今のところの、馬家の動きは?」
「申し訳ございません。袁隗捕縛の指示が間に合ったかどうかも、未だ不明です」
連絡は密にしていたが、そろそろ今年の最後の交易団が来る時期なのだ。情報を直接仕入れられるために、諜報の手をやや緩めていたことがあだになった。
いつもより
「……劉景升を止められるか? ああ、動けるなら仲徳に回しても良い」
「馬家の動きが判明するまで、でしょうか?」
「そうだ」
「直ちに手配いたします」
交渉役として最も信頼できる程立を出してでも劉表を止めるよう言い渡され、周瑜にも緊張が走る。
すぐに馬を走らせ、程立はその日のうちに襄陽に向けて出立した。
◇◇◇◇
「翠が――馬超が、長安へと逃亡を図った袁隗を討ち取り、洛陽へ向かったようです」
「なん…だと…?」
劉表を止めに走った僅か2日後に届いた急報である。事件自体は1週間近くも前に既に起こっていた。
「馬超は2万を超える兵を率いて洛陽へと向かいました」
「孟起は……いや、馬家は、董卓に味方するつもりか」
「間違いないでしょう。兵糧や金銭を過剰に持ち出している模様です」
「きっかけは檄文か」
「時期を見るに、おそらくは」
たった数日の諜報の遅れが致命的な時間差を生み出していた。周瑜は難しい顔でため息を吐き、空海も珍しく顔をしかめている。
「例の檄文に呼応すると思しき諸侯は?」
「現在、精査しております。襄陽から風が戻りましたら、そちらの報告と共に皆を集めて確認しましょう」
「うん、そうだね。じゃあ、手配はよろしく」
「劉景升が連合への参加を決めた。江陵へも参加の要請が届いている」
「申し訳ありませんでしたー。連合参加への動きを止めるどころか、逆に参戦を迫られてしまいましたー」
「いや、これは諜報の手を抜いた私の責任であり、風の責任ではない。諸侯からも同調する動きが出ているのだ。むしろ、よく結論を持ち越してくれた」
劉表との交渉のため襄陽に出向いていた程立を迎え、報告会を執り行っている。
一通りの報告が済み、空海がまとめた。
「しかしこれで、馬家と劉景升の勢力が別れてしまったか」
幾人かが沈痛な表情を浮かべ、幾人かは好戦的な笑顔で興味深げに空海を見ている。
「まず簡単に状況をまとめよう。……公瑾」
「はっ。まず一昨年、洛陽での政争が激化したところから――」
洛陽に董卓が呼ばれ、何進が失脚し、諸侯が宦官を排そうと集まり、宦官の一部が逃亡に成功し、逃げた先に董卓がいて逃亡に失敗し、董卓が祭り上げられて帝の譲位の責任をなすりつけられ、諸侯が董卓を排したいがために連合を呼びかけ、馬超が義を為して董卓に味方し、劉表が董卓を排する事に決めた。
「言葉にすればたったこれだけのことではあります。しかし、江陵は連合につくか董卓につくか――いえ、劉表に付くか馬家に味方するかを判断せねばなりません」
「劉将軍が参戦を表明した今、連合軍へは袁家だけでなく多くの諸侯が付くものと思われます。全ての勢力を合わせれば兵数は20万を超すかもしれません。檄文の通りであれば司隸の東側にその軍を集結させ、数によって事を為すつもりのようです」
周瑜が説明をまとめ、鳳統が軍事面を補足する。
「……心情としては、馬家に味方したいところじゃの。昨今の洛陽で悪政が行われているなど、聞いた事もないわ」
黄蓋がため息と共に漏らした言葉は、話し合いに参加しているほぼ全員の心情を表しているようだった。しかし、軍師たちの浮かべる沈痛な表情もまた、選ぶべき道が定まっていることを示している。
「檄文には書いてあったけどね。洛陽が地獄絵図で全部董卓が悪いとかなんとか」
「ふざけた話じゃ」
空海の茶々に黄蓋は笑おうとして、しかし笑うことが出来ずに顔をしかめる。
一呼吸置いて、空海が軍師たちの注目を集める。
「公瑾。董卓は自らの窮地に気がついていないのか?」
「いえ、おそらくは既に逃げようにも逃げられないのでしょう。袁家一門によって外堀が埋まりすぎています」
周瑜の語る推測に武官たちの苛つきが増して怒気が漏れ出す。
「仲徳。参加の見込まれる諸侯とその兵力はどのくらいだ?」
「確実なのは袁紹さん約6万と劉将軍6万。人物も地理も可能性が高いのが曹操さん5万と劉備さん1万。五分より高そうという程度で公孫賛さん2万と袁術さん3万。おそらく来られない勢力は劉璋さんの4万くらいでしょう」
軍師たちの間からも小さく呆れの色を含んだため息が漏れる。呆れの対象は、もちろん名声を得るために目の前の餌に飛びついている諸侯だ。
「士元。諸侯が集まり洛陽に届くまでどれだけかかる?」
「軍の移動だけならば10日ほどです。主要な関を固めればいくらでも、と言いたい所ですが、あまり強固にしてしまうと迂回を考える人たちも出てきてしまうでしょう。董卓軍が上手く引き込んだとして……半年間足止めできれば良い方ではないかと」
武官たちはおそらく董卓の側についた用兵を考えているのだろう。江陵から遠征軍を組んだ上で連合軍20万を相手取るのは容易ではない。静かに口を結んで空海を見ている。
「孔明。孟起たちだけを引きはがして董卓と関係を断ったことに出来るか?」
「……翠さんたちの意向を無視し、わだかまりを残しても良いのであれば、可能です」
諜報や交易を含め、馬家の勢力に最も食い込んでいるのは孔明だ。同時に、思い入れが強いのも孔明だと言える。余りの無理難題に、いつもの快活な表情を全く消している。
空海が小さく笑って視線を集めた。
「なるほど。どちらに付くべきか、か」
◇◇◇◇
「馬護羌」
「あん?」
馬超が声を上げながら振り返る。やや離れたところに立っていたのは、ツリ目に眼鏡の少女だった。
「その、荊州の劉表が連合に付いた、って……江陵も連合に付くだろうって聞いたわ」
「ふぅん」
賈駆の言葉に素っ気なく返事をして馬超は武具の手入れに戻る。
「ふーん、って。それだけ?」
「あー。まぁ江陵が本気であっちに付くっていうのは嘘だな」
「は? 嘘? ……なんでそんなことわかるのよ?」
「江陵が本気だったら、洛陽なんて知らせが届いた時点でもう囲まれてるよ。下手したら母様と一緒に外から楚歌を歌うくらいしてくるかもな」
あたしもそれは嫌だ、と馬超は苦笑いを浮かべる。
馬超は江陵の手腕に対して、一種の信頼のような感情を抱いていた。敵に回れば先手を取られて、自分がまともに戦えないような状況を作り出されて、その上無理矢理その場に立たされるくらいのことはされるだろうと考える。
「そもそもあたしたちが来るからって函谷関もほとんど兵を置いてなかっただろ」
函谷関は洛陽の西側にある関だ。東の虎牢関に並ぶ難攻不落の関として有名である。
賈駆は訳がわからないと言った表情だ。
「来もしない敵のために兵は割けないんだから、当然でしょ。言っとくけど、いくら江陵でもボクに察知されずにあそこを通るのは無理よ」
「まあ察知されないか、っていうのはわかんないけどさ。こっちの対応が間に合わないような時期と方法で来るのは間違いないよ」
短い期間ではあったが江陵で軍略を学んだ馬超は、頭を使う相手を侮ることはしないと誓っていた。江陵の演習では、1対1の模擬戦で確実に勝てる相手にも簡単に5対1の状況を作られてしまい、結果として十連敗したことすらある。
「こっちも言っておくけど、江陵が弱いことなんて期待しても無駄だぞ」
「別にそんな期待してないわよっ。ただ、ボクたちはどうしても勝たなきゃいけないの」
「わかってるって。
「……それが何なのよ」
馬超は、何て言ったらいいかわからないけど、と前置きし。
「あたしたちもそろそろ汜水関に向かわないと間に合わないだろ。ってことは、そろそろ何か動きがあると思うんだよな」
「動き?」
馬超が言葉を紡いだちょうどその頃、運命の狼煙は洛陽の西の空に上がっていた。
◇◇◇◇
「では空海はこちらへは参らぬのか」
「空海様からは『長丁場は御免蒙る』とのお言葉を預かっておりますー。しかし手抜かりなどあっては成らぬとは空海様も重々承知。そこで、元帥府より鳳長史(筆頭参謀)と程従事中郎(上級参謀)、趙将軍と張将軍を参戦させ、万全の体制としたわけです」
諸侯が集まる陣地の奥、ひときわ大きな天幕の中、劉表の前で顔を伏せたまま、挨拶に訪れた程立が慇懃に、しかし淡々と報告を重ねる。
「ふむ、そうであったか。……では周瑜はどうした?」
「周軍師は洛陽への調略を指揮しておられます。こちらが実を結び次第、劉車騎将軍には呼応していただきたいとのことー」
程立はいぶかしむような劉表の視線を顔を伏せたままかわし、『時機』を匂わせる。
江陵に判断の時間を与えぬよう先手を打ったはずの連合で、既に手を回されていることに劉表は驚く。しかし、その驚きを悟らせぬよう静かに続きを促した。
「まずは折々で戦を支える端役は江陵にお任せいただき、いざ要所を攻め落とさん時には劉車騎将軍に決していただければ幸いとのことですー」
「うむ。まぁ参戦を促した身である故、そのくらいは請け負おう。時機には知らせよ」
「御意にございますー」
顔を伏せたまま下がっていく小さな身体を見下ろし、劉表は小さく息を吐く。どうやら江陵を引っ張ってきたのは正解であったと。
「雄々しく、華麗に、前進ですわ!」
「ならば先陣こそが最も適当であるかと」
「うむ。袁紹は先陣を務めよ」
「……あら?」
決め台詞一つで命運を決められてはたまったものではない。袁紹は視線を巡らす。
「今、私を推挙したのはどなたかしら?」
「私です。袁"渤海"」
「袁"冀州牧"ですわ! 私のことを知らないなんてどこのお猿さんですの?」
郡太守ではなく州牧なのだ、と袁紹は興奮したように言葉を発する。
声をかけられたツインテールの娘は帽子と髪で表情の大半を隠し、しかし普段の彼女を知る人間ならばもれなく逃げ出すだろう極寒の気配を漂わせながら袁紹を見つめ返す。
そして、帽子を被り、椅子に腰掛けたまま、言葉を返した。
「……そうでしたね。名乗りが遅れました。私は空海様の名代にして、元帥府付き長史の鳳士元です」
「な、空海元帥のっ?」
『三公』相当の権威を保つ元帥の名代であり、自身も元帥府の長史という冀州牧に並ぶ高官だと名乗った少女に、袁紹がひるむ。
袁紹は一瞬だけ名家袁家の名乗りを上げようかと考え、少女が自分より上座にあることを認めて、口にしかけた言葉を飲み込んだ。
「そう。元帥の……」
それにしても、と袁紹は思う。名だたる諸侯や高官が洛陽にて交流を図る中、だた一人江陵にあって滅多に上洛しない引きこもりの元帥。その部下、こんな田舎者の娘に舐められたものだと。
「仕方ありませんわね。前進するにも訓練が必要ですもの。亀のように引きこもって前に進んだこともない方たちに、先陣をお任せするわけには参りませんわね。でしたら、この袁・本初が! 手本をご覧に入れますわ!」
「……これは困りましたね。ここまで言われて反論しなければ、訓練に励む兵たちに申し訳が立ちません。――劉車騎将軍、下知を賜りたく存じます」
鳳統は全く困っていない様子で淡々と議事の進行を促す。軍議に臨席した江陵の将軍はもとより、近くに居た劉表たちまで恐ろしさから若干引いている。
気にしていないのはいきり立っている袁紹と、遠巻きに見ている数人の諸侯だけだ。
「う、うむ……よかろう。先陣左翼を江陵が、先陣右翼を袁紹が務めよ」
「御意です」
「――わかりましたわ」
二者はそれぞれの思惑通りの展開に、矛を収める。
しかし、それぞれが思い描く結末が全く異なっていることに、袁紹は気付いていない。
「では本陣前部に公孫賛、本陣後部に曹操、輜重隊に袁術と劉備を当てる」
劉表は会議の前に程立から頼まれた通り、公孫賛を先陣の後ろに当てる。
なお、地理的な要因から劉璋は連合には不参加だ。
「出立は明後日」
劉表麾下の将軍が立ち上がり、命令を下すために天幕から駆けだしていく。鳳統たちもまた、話し込むこともせずにその場を辞した。
「白蓮ちゃん! やっと会えたー!」
「ん? おお、桃香。久しぶりだなぁ」
桃色髪の少女が、赤い髪の少女と親しげに声をかわしている。
「久しぶりだねー♪ 元気だった?」
「おかげで、無病息災さ。桃香――に預けた馬も元気か?」
「あ、あれ? 白蓮ちゃん、私のことは? 私もいるよ?」
「あははっ! 冗談だ。桃香のことも同じくらい気になっていたよ」
赤い髪の少女は笑いながら、しかしその目は『お前とお前の無駄にデカい乳の元気なんて見ればわかるからさっさと馬の安否を教えろ』と告げている。
「う、うん。私もあのお馬さんも元気だったよ! あ、でも前に鈴々ちゃんがお馬さんの身体に墨で『四駆』って落書きをした時は綺麗に」
「殺ス」
「待って白蓮ちゃん!!」
「どうやら上手く『要所を落とす』『時機』と思わせることが出来たようですねー」
「お疲れ様でしゅ……です、風さん。嘘を言わずに時機を待たせる。少しばかり加減の難しい任でしたが、まずは一つ片付きましたね」
程立の言葉に、鳳統が能面のように表情を貼り付けたまま笑い声を漏らす。
一方でそれを見て厳しい表情をしたのは趙雲だ。
「雛里よ。本当に難しいのはこれからだぞ。
「曹操さんなら大丈夫です。明命ちゃんに動いて貰っていますから、当面は先日の失態をつついて封じておくことが出来るでしょう」
鳳統は、悪辣と言って良い手をうっすらと笑みすら浮かべながら説明する。
「むしろ、連合の発足人である袁紹さんが問題ですね。そちらは勢力を削ぐため、そして報いを与えるため策を当てることにします」
さらりと、何でもないことのように報復を仄めかしたことに、厳しい表情を作っていたはずの趙雲の顔が引きつり、背筋に冷たいものが流れる。
軍師という生き物は味方の兵士を手足のように動かすが、一流と呼ばれる軍師は敵兵までもを思った通りに動かすのだ。その中でも『とびきりの天才』に狙われるなど、悪夢と言うほかない。
袁紹の自業自得とはいえ、それに巻き込まれる兵たちの冥福を、趙雲は静かに祈る。
「ほな、ウチらの最初のお仕事はその策っちぅことかいな?」
鳳統の言葉を受けて張遼が尋ねた。
「そうですね。連合本陣の兵の動きを封じることが、最初の仕事になるかと思います」
「『我ら連合が連携に戸惑う』間に、敵は袁紹に一当てして悠々と関へと戻る、と?」
思っていたよりも単純な策に、趙雲も張遼も疑問の表情を浮かべる。
「そない簡単に行くんか?」
鳳統はそれすら見越していた様に静かに頷いた。
「汜水関の前で3つの関と城塞を無傷で占拠できた後の初戦ですし、敵が関という有利を捨てていきなり騎兵で現れれば混乱も仕方ありません」
「騎兵? ということは……」
鳳統はこれからの『予定』を当たり前のように話し、それを聞く者はそれを当たり前のように受け止めている。
「はい。初戦は翠さん――『錦馬超』に、袁紹を叩いて貰います」
修正前のものを上げてしまったので直しました。変更は一部のみ。
>資治通鑑は小説で後漢書は歴史書
資治通鑑の59巻、中平六年九月甲戌の項には『袁隗が帝の璽綬を解き以って陳留王に奉ると、弘農王を扶けて下殿させ北面して臣と称させた』とあります。
袁隗って長安遷都にノコノコついて行って殺される役回りののんきな人だと思っていたんですが……。
なお、後漢書の72巻、列伝の62巻にある董卓伝にはこの記述はありません。
>
なぜ袁隗を悪役にしたか。袁紹さんが真恋姫本編で酷いことしてたのでその肩代わりをさせたのです。袁家は真恋姫で月ちゃんに酷いことしたんだから親戚を悪役にされるくらい我慢してよね!
私は史実なんて聞いた事もないので真恋姫本編こそが正しい流れです。なお、袁家でも有数の辣腕政治家であったことは事実のようです。
>6万+6万+5万+1万+2万+3万+江陵5万
想定している人口は袁紹の冀州600万(兵6万)、劉表の荊州(江陵除く)550万(兵6万)、曹操の陳留州(エン州)400万(兵5万)、劉備の平原国100万(兵1万)、公孫賛の幽州200万(兵2万)、袁術の揚州400万(兵3万)……ただしまだ統一前。江陵の450万(兵5万、総兵力17万)くらいです。
>赤い髪の少女
うまがすきだぞ!
>桃色髪の少女
ちちがでかいぞ!
土曜日の更新を忘れていたのは金曜日夜に見た動画で超エキサイティン!してしまったためであることを告白しておきます。5-4までは概ね出来たはずなんですけど、そこに虎牢関があれば立ち止まってしまうのが人の運命。流石、虎牢関です。