無双†転生   作:所長

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5-3 アンチ・トータク・ユニオン 英雄集結

「これが江陵赤兎……これなら仕官と引き替えにしても……いやいや、しっかりしろ私、自分を安売りするのは良くないぞ。ああっ、でも体格からして違うんだよなぁ……!」

 

 身なりの良い少女が江陵軍の赤兎馬を前に、素早い蟹歩きでうろついている。

 

「これはもう馬じゃなくて別の何かだろう。キャディとかそういう……ッククク」

 

 清潔な服、引き締まった身体、よく手入れされた赤い髪、ややツリ目の整った顔立ち、トランペットに憧れる少年のような瞳で――しかし、喉の奥から漏れ出すような笑い声と不自然に素早く細かいステップを刻む蟹歩きと時々口から漏れる早口の独り言が、全ての魅力を打ち消す不気味さを演出していた。

 

「汗が血のような色をしてるんだよな……いや待て肝心なのは馬力だ」

 

 知る人ぞ知る幽州の雄、公孫賛である。

 

「ウホッ、白馬! しかもいい体格……ほ、ほほ欲しい欲しい欲し欲し欲ほほほほ!」

「あー、そこの赤毛さんや」

「ホホホホホホ――ホァッ!?」

「馬と兵士が怯えとるさかい、その辺にしたってや?」

 

 公孫賛が振り返ると、そこには青い羽織を纏った女性が、江陵の紋が入った鎧を身につけた兵士たちを引き連れて堂々と立っていた。大物っぽく。

 

「! あ、あ、ほぁ――あの馬の主か!」

 

 白馬を見て冷静さを失っていたところに、白馬を与えられている(と思っている)ほどの高官が現れたのだ。

 

「あの馬をくれええええええ!」

 

 公孫賛は殺してでも奪い取ることを選択して。

 

「ひっ! こっち来んなや!」

 

 ゴツンと派手な音がして。

 結果、公孫賛は地に伏した。

 

 

 

公孫(こうそん)伯珪(はくけい)です。先ほどは申し訳ございませんでした」

 

 赤毛の少女が身を縮め、地面に額を付けて謝罪している。いわゆる土下座だ。

 ここに至るまでの簡単な経緯を聞いていた他の者達も、今は緊張というよりむしろ疑念を向けていた。

 気まずい沈黙の中『お前が連れて来たんだろ』的な視線を受けた張遼が嫌々前に出る。

 

「ちょい聞きたいんやけど、ええか?」

「は、はい。なんでもお聞き下さい」

「ほなら、あそこで何しとったん?」

「えーと、その。視察というか、何というか」

「視察て。あそこ馬と見回りの兵しかおらんで」

「うっ」

 

 何か言い訳を探すように視線を巡らせる公孫賛に、疑惑の目が向けられる。

 やがてその圧力に耐えられなくなったのか、公孫賛が息を吐いた。

 

「う……馬が、好きで、その……」

 

 顔を真っ赤にして目に涙をためる少女を責められる人間はここには居なかった。強い視線を向けていた者たちも居心地を悪くしている。

 空気を変えるため、今度は趙雲が声をかけることにした。

 

「ふむ。さすがは白馬長史と言ったところですかな」

「――白馬力長史(はくばりきちょうし)

「は?」

「白馬"力"長史だ」

 

 公孫賛は真剣そのものの表情で訂正を求めている。

 

「あーと……白馬力長史殿は、江陵の馬が気に入ったと」

「あ、ああ。そうだ! あの白馬! 江陵赤兎にあんな白馬がいたなんて! そもそも江陵赤兎ってだけでウチの予算じゃ年10頭しか買えないのに、まだ別格がいるのかと!」

「お、おぉ、そうでしたか。いや待て縋り付くのは、ええい、とにかく落ち着かれよ」

 

 趙雲は助けを求めるように鳳統に目を向ける。鳳統は笑って答えた。

 

「伯珪殿。確かに江陵赤兎は、江陵外に100万銭からの値で販売しています。しかし白馬については、皇帝陛下と劉車騎将軍の他には江陵幹部にしか与えられていません」

「そ、そうだったのか!?」

「……なんと。それほどの馬だったとは」「ああっ、空海様……! ウチにそんな――」

 

 事情を知らなかった二人の武官が、驚愕と歓喜に身を震わせている。江陵を出るときに預けられたばかりで事情を知る時間も無かったのだ。名馬だとは感じていたが、皇帝への献上品に並ぶほどのものだとは考えていなかった。

 鳳統はそのまま公孫賛に話しかける。普段の彼女らしからぬ、堂々とした態度と妙に艶のある流し目で。

 

「白馬をお譲りするには陛下のお許しが必要になります。ですので、白馬にまたがりたいのであれば、功を立てて陛下に許しをいただくか、江陵の幹部となる他ありません」

「ゆ、幽州の民を捨てろと……?」

 

 震える公孫賛に、鳳統は優しい目を向けて首を振る。江陵で仕込まれた演出である。

 

「そのようなことは申しておりません。音に聞く白馬…力…長史殿ならば、幽州で戦功を重ね、陛下に申し出れば良いのではないでしょうか」

「そ、そうか……そうだよな」

 

 公孫賛の目に希望の光が戻る。しかし、この話の展開もまた、江陵赤兎を特別な方法で販売し始めた時からの江陵の戦略であることを、公孫賛は知らない。

 

「しかし、先に申しておかねばならないこともあります」

 

 鳳統は残念そうに――この演技指導に当たったのが周瑜と孔明と水鏡だと知れば一部の人間は発狂するだろう――目を伏せ、内緒話をするように公孫賛に顔を近づけた。

 

「江陵赤兎の白馬は、馬征西将軍にも与えられておりません」

 

 その瞬間、公孫賛は絶望の余り、自らを支えていた地面が崩れていく姿を幻視した。

 馬と共に生き、軍の実力者として漢で五指に数えられるほどの地位にまで上り詰めた馬騰ですら不可能。馬騰の生き方は公孫賛の人生の目標と言っても過言ではない。馬と共にある立身出世の代名詞。

 その人物が、超えられない壁。

 

「そ、そんな……」

 

 実のところ、馬騰には空海と一緒に品評会に出かけて選んだ月毛(クリーム色)の愛馬が居たため願い出ることも受け取ることもなかっただけなのだが、誤解上等である。

 

「さて伯珪殿。申し訳ありませんが、ここに居る皆さんはこれより『江陵に仕官してから初めて大仕事に臨む』ため、軍議を行わなければ――」

「ま、待って! 待ってくれ!」

 

 公孫賛からは見えることはなかったが。その瞬間に鳳統の顔を見ていた全ての人間は、彼女の浮かべていた表情についてその後に語ることはなかった。

 幸いなことに、あるいは不幸にも、視野狭窄と言って良い状態に陥っていた公孫賛は、鳳統の顔を見て表情を変えた人間が居たことにも気がつかなかった。

 

「なんでしょう、伯珪殿?」

 

 振り返った鳳統は実に優しそうな笑顔を浮かべている。

 

「た、頼む! 何でもするからあの白馬をッ――」

 

 

 この2刻(約30分)後、江陵の陣地から意気揚々と立ち去る公孫賛が目撃されたとかされなかったとか。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「何をやっていますの!」

 

 金の長髪を振り乱し、袁紹が声を荒げる。

 

「麗羽様っ、下がってください! 文ちゃんが向かっていますけど、一人では『アレ』は抑えられません!」

 

 前方に見えた砦に我先にと殺到した結果、袁紹率いる約6万の兵は縦10里(4㎞強)に伸びきって前進していた。そこに砦の陰からいきなり飛び出してきた2万を超える騎兵が斜めに突入し、伸びきった紐を断ち切るように袁紹へと迫っているのだ。

 文醜が飛び出していった先に馬旗を確認した顔良は、『一刻も早く文醜の援護に向かうため』袁紹に後退を促そうと本陣まで下がっていた。

 

「麗羽様。私たちが前をふさいでしまったせいで今、退路には江陵軍が広がっています。陣を組み直しているようですから、それが終わってからでないと全軍に後退命令を出せません。ですから、まずは麗羽様だけで劉将軍の所まで下がってください」

「斗詩さん、貴女、何を言っていますの!?」

「……私と文ちゃんは、江陵軍が陣を整えた後に下がります。急いでください、袁紹様」

 

 袁紹の声を振り切って顔良が飛び出して行く。馬超の軍勢は2里(約800メートル)にまで迫っていた。

 

 

 

 前方では袁紹の兵が馬超たちに蹂躙されている。しかし江陵は袁紹軍の退路をふさぐ形で防御陣を構築しつつあり、その陣内に即席で用意された指揮官用の陣幕では、4人の首脳部が静かに今後を話し合っていた。

 

「袁紹がこちらに会見を要求しているようでしゅ――っです」

「思ったよりも早かったですねー」

「こりゃ潮時ちゃうか?」

「兵らの準備は万端だが」

 

 報告を受けた鳳統が江陵軍首脳部に告げる。それぞれがのんきに感想を漏らし、しかしいつでも動けるよう緊張を保っていた。

 

「そうですね。袁紹の兵たちは思ったよりも脆かったですから、ちょうど良かったのかもしれません。風さん、ここからいくらかでも恩を売ることは出来るでしょうか」

「ぐー」

「風、起きろ」

「おお? んー……袁紹さんたちはあまり頭を使われないようですからねー。くふっ……ですが、やれることはやっておきましょうかー」

 

 程立がふらりと陣から立ち去る。それを見送って武官たちが口を開いた。

 

「風が戻ってくるのを待つか?」

「風さんならば、その必要はないでしょう」

「まぁ、せやろなぁ」

 

 強い信頼を置いた言葉に、張遼も趙雲も頷く。

 張遼が立ち上がって身体を伸ばし、趙雲も陣幕の外に控えた副官を呼ぶ。

 

「よっしゃ、そんじゃさっさと陣を組み替えて合図を出さんとな」

「遅れるなよ、霞」

「はっ、言っとれ」

 

 それから1刻(約15分)を待たずに江陵の陣容が整い、馬超たちはその後の1刻ほどで反転していった。

 

 被害は袁紹軍に集中しており、袁紹は6万の兵のうち実に1万を喪失。3万の負傷兵を抱えることになる。

 

 

 

 

「申し訳ありません、劉車騎将軍。もっと強く危険を訴えるべきでした」

「うむ。ああいや、先の戦いはこちらの従事中郎も見ている前で起こったこと。あれも、お前たちの行動に非はないと証言している」

「……納得いきませんわ」

 

 鳳統が頭を下げ、劉表が重々しく頷く。江陵軍の動きを見るために送り込んでいた劉表軍幹部が袁紹の独断専行と自滅を報告しており、覆しようがなかった。

 袁紹も小さく異議を唱えるが、3万もの負傷兵を後方に下げるために、袁紹軍に残った兵士2万に加えて劉表からも2万以上の兵を貸し出されており、劉表の陣内では今も袁紹配下の武将たちが治療を受けているのだ。いつもは軽く開く口が鉛のように重い。

 

「明日からは陣容を組み替える。袁紹は本陣の後ろまで下がれ」

 

 文醜や顔良が傷ついている今、無理をして軍を前に出すことは出来ない。袁紹は黙って同意を示す。

 

「そして今回の罰だが……」

「劉車騎将軍、よろしいでしょうかー」

 

 罠に気がつかなかったという責任は袁紹以外にもある。だが、嬉々として罠にはまりに行った責任が袁紹にあるため、やはり袁紹を罰するしかない。

 その罰を諸侯の前で決めるべく開いたのが今回の軍議である。

 しかし、それに待ったをかけたのが程立だ。

 

「申してみよ」

「御意ー。まず、今回の件では江陵軍より後方の兵士はほとんど無傷で、袁紹さんの軍が被害を一手に引き受けて下さったことで連合の瓦解が防がれたという面がありますー」

「だが欲をかいて連合を危険に晒したことも事実」

「はいー。そこで、負傷兵の世話を含め、以後は縁の下を支えることに務めていただく事で罰としてはいかがでしょう?」

「ふ……ぅむ」

 

 元々有志が集まった連合ではお互いの立場は対等だ。そんな中で、地位の差によってまとめ役に収まっているだけの劉表にそれほど大きな権限はない。罰が厳しすぎれば「連合を離れれば良い」と判断される可能性もある。

 程立の提案に乗れば、袁紹は部下や兵の治療に専念しながら負傷兵の世話という名目で連合に残れる。

 江陵としても、袁紹たちが連合から離れてしまうのは本意ではない。袁紹に対して恩を売るついでに、連合に袁紹という枷を取り付けたい。

 劉表としても袁紹の発言力を落としつつ、連合の正当性を主張するための責任をすりつける相手として残したい。

 思惑は一致しつつある。

 

「江陵としましては、それ以上の処分を求めることはありませんー」

 

 程立はそれだけ伝えて眠そうに目を細めた。

 

 幾人かが江陵の提案にそれぞれ違った感想を抱く。

 江陵と劉表の近さであるとか、江陵自身の発言力の大きさであるとか、優しい罰に感心するとか、甘い罰に憤慨するとかである。

 曹操は江陵の提案に小さな違和感を抱くが、確証もないままつつくには江陵に握られた弱みは今でも少々痛い。頼れる軍師に相談することにして、会議に目を向ける。

 

「よろしい。では袁紹には後方での支援と輜重の管理を申しつける」

 

 劉表が頷き次の議題へと進むと、程立は袁紹に目を向け小さく目礼をし、袁紹は程立に向けて小さく首を縦に振った。何人かがそれに気付き、しかし誰もそれを口にすることなく会議が進んでいく。

 

 

「さて、本陣の後部だが、場合によっては袁紹を支える位置になる故……」

 

 露骨に目をそらした人間も居るが、諸侯は概ね渋い表情で目を伏せている。劉表が議場を見回し、一人の少女と目が合った。

 

「私がやるよ――じゃなかった、やります」

「公孫賛か」

「白蓮さん……?」

 

 名乗りを上げた公孫賛が袁紹に向かって頷く。

 

「気にするなよ、麗羽。荷を引かせるなら馬力がいるだろ?」

「白蓮さん、貴女……」

 

 公孫賛の素晴らしい笑顔を向けられた袁紹は、頬をやや紅潮させながらも、かろうじて微笑みを返すことに成功した。いつもの袁紹を知る袁術や曹操が、半ば唖然とした様子でそれを眺める。

 劉表は江陵組をチラリと横目で見る。劉表の視線を受けた程立が小さく頷きつつ、目と本体で劉備を指したのを見て、劉表が告げた。

 

「よろしい。本陣後部には公孫賛と劉備を当てる」

 

 劉備は連合の中でも小規模な勢力であり、参加に至る経緯も消極的な賛同からであったために、後方に留まることを良しとしているようだ。馴染みの友人と一緒になったことで喜んでさえいるようだった。

 

「他は兵数を鑑み、先陣に曹操、本陣前部に袁術とする」

 

 袁術は嫌そうに、曹操は表情を消して同意を示す。

 曹操にとっては江陵の狙いがわからないままに前線と江陵軍に挟まれる位置に置かれるのは面白くない。しかも、現在諸侯の中で最も力を残す自軍がここに置かれたということは、襲われる可能性と襲われない可能性が同時に高まったということだ。

 

 この場から汜水関のどこで何を仕掛けられるのかわかったものではない。

 何事も無ければ汜水関までは6日。曹操にとって、とても長い6日が始まる。

 

 

 

 

「そう、何もなかったのね」

「はっ、今のところ新たな罠も確認されていません」

 

 先陣に立って進軍を開始してから4日、2つの砦と1つの関を越え、今は2つ目の関の偵察を終え、曹操は荀彧から報告を受けていた。

 曹操は、あと2日と考えて漏れそうになったため息を飲み込む。

 

 この4日は曹操陣営にとってひたすら神経をすり減らすだけの進軍が続いていた。

 江陵軍が地形に合わせて陣を変える、索敵や伝令の人員を飛ばす、宿泊のために天幕を設営する、それら一つひとつに斥候を放ち将を集めて動きを注視してきた。

 現状は後手に回らざるを得ないが、江陵軍は陣替えも『なかなか素早く』、すぐに対応しないと最悪の場合には無陣形で脇腹を晒すことになるのだ。

 無論、完全に味方だと信じられるならば頼もしい限りなのだが。

 

「厄介ね、江陵は」

 

 不気味過ぎる味方である江陵に気が休まるときのない行軍は、曹操たちの精神に大きな負担を強いていた。

 一つ朗報があるとすれば、黄巾の残党を取り込んでいることについて――おそらくは江陵主導で――諸侯を通じて入れられていた探りが落ち着きを見せたことだ。馬超が先帝に申し開いた例を出して劉表を丸め込んだため、江陵も手を緩めたのだろう。

 

 一方で、地道に江陵軍の調査を続けていた荀彧が厳しい表情をしながら顔を上げる。

 

「ひとつご報告があります、華琳様」

「何かしら?」

「袁紹配下の兵から聞き取りを行った所、先の馬超戦で江陵が行った斉射は、矢を当てる気がまるでなかったとしか考えられません」

 

 荀彧の言葉は『江陵が敵である』証拠を指摘しているようで――しかし、曹操は納得の表情と苦々しいとしか言いようのない表情を続けざまに浮かべた。

 

「……なるほどね。さっきまで程立が来ていたでしょう。あの娘『袁紹からの依頼で兵を救い出した』ことを強調していたのよ。……つまり、そういうこと」

 

 程立の話は――曹操ですら――袁紹の救出という連合への貢献を笠に、曹操軍へ圧力をかけているかのように聞こえていた。実際に重圧を感じて居るのだからなおさらだ。

 もちろん『裏で探っていることなど筒抜けであり、江陵は対策まで取っている』のだとわざわざ宣言しに来ているとは曹操も考えていなかった。

 

「馬超を追い返すことを優先した斉射であって、袁紹とも話が付いている、と?」

「『袁紹からの依頼』で手加減したのだとすれば、私たちが江陵を追求することは出来ないわね。……麗羽の馬鹿が積極的に江陵を庇うでしょう。麗羽を連合に残したのには、こういう理由もあったのかしら」

 

 袁紹が庇う理由も多い。彼女がどこまで考えているかはわからないが、配下を実質的な人質に取られ、しかし江陵に恩を感じて居るだろうことは容易に想像が付く。

 情勢もまた曹操には向いていない。連合への貢献度は、確かに江陵の方が上なのだ。

 

「為人は知っておりますが、袁紹が江陵に味方するとはとても思えないのですが……」

「アレは悪い意味でも馬鹿だけど、いい意味でも馬鹿なのよ」

 

 誇りのために誇りを捨てられるという潔さは、極めて稀有な、あるいは袁家にあってはならない類の人間性だ。袁紹本人に『江陵に恩を返そう』と思わせたのであれば、それに横合いから手を出すのは面倒極まりない問題となったと言える。

 事実、袁紹を知る曹操は既にこの件で口出しする気を無くしているのだ。

 

「では汜水関まではこのまま――?」

「程立が来ていた、と言ったでしょう。本題は麗羽の件ではないわ。いえ、袁紹関連ではあるのだけれど……」

 

 言葉を濁す曹操の姿が珍しく、荀彧は内心驚いた。ここまでの精神的負担が曹操の態度にも表れつつあるのだ。やや戸惑いつつも荀彧は尋ねる。

 

「袁紹の件ではない袁紹関連の話、ですか?」

「袁紹軍と連合の行軍についてだったのよ。負傷兵と輜重が思っていたより負担になっているので、進軍を遅らせるのだそうよ」

 

 そう告げる曹操は本当に不機嫌であるようで、うっすらと笑いながら指先で机を叩く。

 

「これ以上軍が縦に伸びるのは好ましくない、と劉表が言ったらしいわ。しかも、私たちだけは『江陵が責任を取るから先行しても構わない』のですって」

 

 責任を取るとはどういう意味かしらねと笑う曹操は、近寄りがたい恐ろしい雰囲気をまき散らしている。先の『圧力』はこれを促しているように聞こえていたのだ。

 荀彧は、真っ先に思いつく可能性を口にした。

 

「江陵が董卓と繋がっているとして、最悪の場合、連合を前後から挟み撃ちに――」

「桂花、最悪はもっと悪いわ。江陵が連合の足を遅らせて私たちとの距離が十分に開いたところで私たちの前に董卓軍20万と江陵軍10万の連合軍が現れ、後方で劉表が江陵についていたら……」

 

 30万に追い立てられた状態で10万が進路をふさいだりすれば、流石に手の打ちようがない。江陵の思惑を外すような方法に思い当たることなく、曹操は唇を噛む。

 そもそも程立の言葉は()を匂わせるだけで脅しですらないのだ。あえて思惑を外そうと言うのなら、その代償を血で支払わねばならない状況に陥るかもしれない。

 

「私たちに連合と離れるという選択肢は、ない」

 

 曹操は小さく呟いて笑った。今度の笑みは暗いものではない。むしろ、面白くてたまらないといった感情を無理矢理に押さえ込んだような笑いだ。

 

「いいえ。選択肢を無くされた、というのが正しいかしら。劉表と連合の方針を私たちに伝える、たったそれだけの席で私たちの行動を縛った。……程仲徳、欲しいわね」

「華琳様ぁ……」

 

 切なげに声を上げる荀彧の頬を撫で、曹操はさらに笑う。

 

「連合と離れる選択肢はない。それならまず、私たちの負担を一部でも押しつける相手がいるわ……桂花」

「でしたら袁術――いえ、その配下の孫策が適当でしょう。かの者は勇猛果敢で知られています。先陣を押しつけるのには適任です」

 

 黄巾の乱で名を上げた人物の登場に、曹操の胸中が僅かに波立つ。だが、それを態度に表すことなく続きを促す。

 

「袁術には功を稼ぐ機会であると伝え、説き伏せましょう。黄巾の際も同じ構図であったため受け入れやすいでしょう。劉表も同じ線で説得が可能かと」

「そうね。それで構わないわ、桂花」

 

 曹操は荀彧に伝令の手配を指示し、ふと、先ほど外へ連れ立って出た程立と郭嘉の姿を思い浮かべた。

 あの郭嘉が、程立から何かを引き出してくれることを期待して。

 

 

 

 気の強そうな眼鏡の少女と、眠そうな目の少女が並んで歩く。

 

「璃々も元気にしていますか……。それを聞いて安心しました」

「稟ちゃんが江陵に来たときには案内役をしたいと言っていましたよ」

「それは楽しみです」

 

 璃々に対して若干の負い目を感じていた郭嘉は、その言葉にほっと息を吐いて優しげに微笑む。そして、自らの微笑みを隠す様に意地の悪い笑顔を作った郭嘉は、怒ったような口調で程立を攻める。

 

「それにしても、江陵は後ろ汚い手を好みますね」

「クスクスッ。風には何のことだかわかりませんねー。それに風たちは、空海様がやれと言ったことをやっているだけなのですよ?」

 

 程立は、自分は悪くない、といった論調で否定した。確証を持たせぬまま煙に巻く言動で、その上自らの主に罪をなすりつけて笑う程立に、郭嘉は呆れたように告げる。

 

「それを飄々と実行出来るだけでも同類です」

「……ぐー」

「寝るな!」

 

 変わらない程立の姿に郭嘉も思わず吹き出してしまう。

 いつもの調子が戻って来たところで、郭嘉はそれまで一番聞きたかった、しかし立場上どうしても聞きづらかった質問を口にした。

 

 

「風。空海殿の元は、充実していますか?」

 

 策に絡むために口に出来ないこともあるだろう。それ以上に心情の面で聞きづらい。だが聞かなくてはならないことでもある。

 

「そですねぇ……。その答えは、洛陽にあるのだと思いますよー」

「――洛陽」

 

 程立の思いがけない解答が、遠く黄巾の潰された地に馳せていた郭嘉の意識を目の前の大地へと引き戻す。

 

「江陵の策が後ろ汚いとして。風たちがそれを実行していたとして。洛陽に至り果たして本当に後ろ暗いのは一体誰なのか……くふふっ」

「っ! 本当に、貴女たちは……」

 

 唐突に緊張感のぶり返した程立との会話は、郭嘉にはお互いの距離を再確認させられているように感じられた。同時にどこか気分が高揚しているのも自覚する。

 思わず笑みが浮かぶ。郭嘉はそれを隠すことなく程立を見据えた。

 

「思った以上に、難敵になりましたね」

「過大評価かもしれませんよ?」

「私は相手を小さく評価するのは苦手なんです」

 

 二人は小さく笑い合い、そしてお互いに背を向けた。

 

 

 

 

 そこは陣地と陣地の隙間に出来た、谷間のような場所だった。冬の日は短く夕刻に吹く風は冷たい。

 多くの護衛を引き連れ自陣に戻る程立は、先ほど別れた親友に向けて真っ白な息と共に小さく言葉をこぼす。

 

 

「洛陽で待っているのが風の覚悟を裏切る答えであって欲しいと……望んだ答えであって欲しいと、風も心から思っているのですよ、稟ちゃん」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 空海が小さく笑って視線を集めた。

 

「なるほど。どちらに付くべきか、か」

 

 腕を組み、少し難しそうな顔をし、もう一度小さく笑う。

 

 

「矛を収めるには、董卓が名実を捨てられ、諸侯が名実を得られ、孟起が納得して離れられる状況を用意する必要があるわけだ」

『えっ?』

 

 軍師たちが驚いたように声を上げ、武官たちが「またか」と笑う。

 

 

「……うん。悪役を作ろうかな」

 




◇二枚舌+1
 江陵は劉表に味方するために連合に呼応するフリをして、董卓について連合にダメージを与えるように見せ掛けて、袁紹に恩を売るフリをして、連合の足を引っ張るように見せ掛けて、本当は

>ATUシリーズ。五章にはこんなタイトルを付けたかった的な。
 アンチ・トータク・ユニオン ~英雄集結~
 アンチ・トータク・ユニオン2 ~紅に染まる大地~
 アンチ・トータク・ユニオン3 ~黄河の中流で牙をむく野生~
 アンチ・トータク・ユニオン4 ~大陸の行方~
 アンチ・トータク・ユニオン5 ~夜明けの時~

>普通脱却記念日
 この公孫賛を書くのが楽しすぎて困惑している昨今。普通が嫌だと聞こえてきたので。
 横文字が許されるならパゥワァァァアア!と叫ばせたいキャラです。作中唯一のパワー厨の予定。幽州は馬がいいので正義だったが、江陵はもっと馬がいいのでもっと正義。彼女が董卓と出会ったとき、新たな物語が始まる――! 予定はありません。

>わたしは 華雄も すきです
 出番あるの?
 春蘭たち武将も書きたいんですけど、400行の話、120行のシーンに軽く絡めるだけで50行くらい一気に追加することになるので、バランスが取れなくなる上シリアルになってしまい書くに書けず……。

 板垣さん通算80個目の超新星発見おめでとうございます。今年5個目だそうです。使いどころのない空海の必殺パンチの威力が上昇しました。
 そしてお気に入り2000件超えありがとうございます。評価も一杯感謝一杯。あと、ありがたいことに前回の更新からランキングも上位に入ってたみたいです。感謝です。
 お礼になるかはわかりませんが、明日も1話投稿します。5-4です。

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