「ぐぬぬ……」
「ぐぬぬじゃないですよぉ、雪蓮様ぁ~」
「ねぇ思春、こう何度も地味な嫌がらせに直面するの何故なのかしら?」
「半分は董卓の、もう半分は袁術のせいでしょう。手が止まっております、蓮華様」
『……はぁ』
4人のため息が重なった。
孫策たちは今、山間の細道いっぱいに埋め込まれた杭を抜く作業に取り組んでいた。
杭は人が歩いて通るのには問題が無いくらいにはまばらに、しかし軍が通ると考えれば明らかに邪魔になる程度に密集していた。おまけに、大半の杭が地面のかなり奥深くまで突き刺さっており、しかも上からたっぷりと水をかけられて冬の冷気に晒されているため表面の一部は凍っていて掘れば泥になるという悪質さである。
数少ない救いは、歩調を合わせている江陵軍が比較的広範囲を担当し、なおかつあまり慌てて作業していないということだろうか。
作業を始めてしばらくはうるさかった袁術も、江陵軍をだしにして追い返した後は静かにしているようだ。
曹操軍は杭の手前でさっさと大休止に入り、杭を超えたところには江陵軍の簡易本陣が置かれているため、間に挟まれたこの場が安全地帯であることもありがたい。
「何で江陵の兵はあんなに手慣れてるのよぉー」
「廃材と槌と縄であんなに手早く引っこ抜けるなんて……」
「馬に引かせてもいますねぇ~」
「馬は全て江陵赤兎のようです。……一体いくら掛かっているのか」
孫策たちの知らない事だが、通常の軍において5万の兵と2万の馬を揃えるのに必要な経費は6億6千万銭ほど。対して江陵はそれらに25億銭を掛けている。維持費まで含めればその差は5倍程度にまで開く。
江陵の物価は確かに高い。しかし、江陵では大量生産の技術が他より優れているため、軍事物資のように同一規格品を多数揃える場面で必要になる費用は、諸侯と比較しても大幅に小さい。
つまり高い質でまとまった装備を潤沢に揃えているのが江陵なのだ。全兵士に防寒具が行き渡っている軍など連合内でも江陵しかいない。
それなのに、なぜ孫策たちの作業に比べてもそれほど早くないのかと言えば。
「汜水関の目と鼻の先で無陣のまま兵のほとんど全てを休ませるなんて、『江陵は董卓に味方してるので疑って下さい』って言ってるようなものじゃないの?」
「確かに、これはやり過ぎです」
「万事が策ですのでー。敵がこれに食いつくのであれば、敵将の首級をあげ、兵の半数を討ち取ってみせましょうー」
「そ、そこまで言うのであれば見逃すが、これは全軍の士気にも関わる故、今後は形だけでも陣を組んで貰うぞ」
余りに堂々と即答した程立を見て、追求を考えていた連合首脳部がひるむ。しかしそれも劉表の要望に対する解答を見てからだと気を取り直し、程立の返事に注目する。
対して程立は、ほとんど考えるそぶりも見せずに深く礼をして同意を示し、逆に劉表に意見してみせた。
「御意ですー。ではでは今回は『敵の鼻先で堂々と休み、その胆力を見せつける目的』と銘打ってあえて全軍を休ませてはいかがでしょうー。風たちに策があるのならば、あとは後方にいる袁紹さんが警戒するだけで済みますからー」
「む……」
追求のために呼び出したはずの劉表が今度は「江陵を信じられるのならば態度で示してみせろ」と要求されている。
確かに、江陵を信じた上であればその提案には魅力も感じるのだ。
「関の前でしっかりと休めるのも最後と考えれば、それも良いかもしれんな」
これより汜水関に近づけば、敵は油断を突いた攻撃を仕掛けようと関から飛び出してくることもあるだろう。現時点でもかなり危険なのだ。江陵が責を負うなら悪くない。
「はいー。曹操さんたちの杭抜き作業もしばらく掛かりそうな気配でしたので、そちらを除いて兵に酒などを振る舞うのはどうでしょうー?」
「ぬ、酒か……それはいささか過ぎてはおらんか」
曹操や前線に出ている孫策に対する嫌がらせと、連合の足止めを兼ねての提案。同時に江陵から恩を売る機会でもあり、江陵の品の売り込みにも繋がる。
「一人二杯までとすれば良いのですよ。明日、前進して関の前で陣を組んだら休むことになるでしょうから、明後日の朝までに取り戻せば良いのです。ならば、むしろ明日の陣内で振る舞う理由を無くすのにも使ってしまいましょうー」
「なるほど。確かに敵前で酒盛りする愚を思えば、一歩でも二歩でも引いた場所で済ませるのは悪くないな」
既に劉表の中ではこの場で進軍を停止して休むのは『前提』になっている。そのように誘導して振る舞ったのは程立ではあるのだが。
「よかろう。酒は江陵も出すのか?」
劉表の言葉に程立は江陵軍の物資状況を思い浮かべる。酒1万石に水12万石、自前の糧食と飼料を8万石ずつ、矢を1200万本など。馬車6千台で約20日分の消耗品。
江陵の売り込みのため酒を出すのはもう決まりだが、どの程度を拠出するべきかは程立に一任されている。ケチと思われても得はないし、大盤振る舞いが過ぎては劉表の面子を潰すことになる。1人2杯ならば全軍で30万杯くらいだろうかと程立は考える。
「そですねー。1千石(10万杯分)はこちらから出しましょうー。ですが、江陵の兵には今夜は飲ませられませんから、ほんの少し陣を離して下さるとありがたいですねー」
「ほぅ、さすが江陵だな。うむ、陣地は配慮しよう」
どこまでも江陵のための提案だ。曹操たちは必要以上に警戒するだろう。
しかし、劉表はむしろ必要以上に警戒を解いてくれている。劉表にとってこれは自身と連合のための提案であり、これまでに築いた江陵との信頼関係もあって疑う意味はないのだから。
しばらくの後、日暮れも近づいた先陣近く。
「なんでウチには酒が来ないのよぉ! 江陵の酒よ! 江陵の! わかってんのっ!」
「飲んでいては作業が終わりそうにないからでしょう。手が止まっております、雪蓮様」
「姉様、酒よりも日暮れまでに作業が終わりそうにないことの方が問題です」
「蓮華様ぁ~、作業よりも糧食が届いていないことの方が問題ですよぉ~!」
後方で本隊が陣を組み始めた頃、孫策たちはまだ作業を続けていた。不慣れで過酷な内陸の冬の作業に、身も心もぼろぼろである。
その日の夕食は曹操に分けて貰ったのだとか。夕食時に酒を求めた孫策が一騒動起こすのだが、それはまた別のお話。
◇◇◇◇
「やっとぉ……やっと着いたのだぁー、汜水関なうー」
梅干し色の頭髪が特徴的な少女が、梅干しの様にしおれた表情でだれている。劉備の配下、張飛その人である。後ろから黒髪の女性が呆れた顔で近づく。
「鈴々、休むのは天幕を張ってからにしろ。泊まる場所がなくなるぞ」
「んにゃー……なら、さっさと作っちゃうのだー! 作業開始なうっ!」
疲れた表情から一転して、張飛が元気よく駆け出していく。黒髪の女性、関羽は苦笑いでそれを見送った。
さらに後ろから桃色髪の女性、劉備が笑いながら話しかける。
「あはは……鈴々ちゃん元気だねー。私もうお尻が痛くて……」
「桃香様は休んでいて下さい」
見目麗しい女性が自分の尻を揉みしだきながら微妙に年寄り臭いことを言っている姿は見るに堪えず、関羽は半ば目を背けながら助け船を出した。
「うーん、みんなが頑張ってくれてるのに私だけ休むのは……」
「いえ、堂々とされていることが主君の仕事でもあります。お気になさらず」
劉備は渋るが、人に指示を出すのが苦手な劉備が一人加わったところで仕事がはかどるということもない。繰り返し関羽に言われ、劉備も考えを変えることにした。
「仕事……あ、そうだ! それなら劉表さんたちに挨拶してくるね! ご飯とお酒ありがとうございましたって」
「なるほど、それは良い考えですな。護衛は――」
視線を巡らせた関羽の耳に、張飛の向かった方向から上がった変な悲鳴が届く。
おそらく張飛が設営の邪魔になっているのだろうと気付き、関羽はため息を吐いた。そして、ちょうどいいと言わんばかりに劉備に提案する。
「護衛には鈴々をお連れ下さい。陣の方は私にお任せを」
「あはは……、うん。それじゃお願いするね。こっちは任せてよ!」
「はい。すぐに呼んで参りましょう」
にこりと笑って駆け出す姿からは、一騎当千の猛者の気配は感じられない。
「華雄が汜水関に入ったようでしゅ」
「冥琳さんが止められませんでしたかー。あまり良くない展開ですねー」
「望ましくはありませんが、最悪でもありません。目標は10日間です」
空海に命じられた任を果たすため、鳳統と程立は毎日のように相談を重ねていた。
汜水関に到着したことで作戦は佳境に入り、進軍中の戦力分析の正確さが試される時が近づいている。
「袁術さんを前に押し出し時間を稼ぎますかー?」
「いえ、ここはまず曹操さんを前に出しましょう。両軍共に健在な今、曹操軍の兵だけが疲弊するのは彼女も望まないはずでしゅ……はずです」
曹操は劇薬だ。前面に押し出し過ぎれば過剰な戦果を上げてしまう。鳳統は、優秀だからこそ慎重にならざるを得ない場面を曹操に押しつけることで時間を稼ぐつもりなのだ。
「最初の数日を曹操さんにお任せして、その後に袁術さんを前に出しますか?」
「あるいは、汜水関で劉備軍の実力を測っておくのも良いかもしれません。黄巾賊騒動の際には、あの曹操さんに先鋒を認められていますから」
内情をつかみ切れていない勢力で一定以上のものと言えば、残るは劉備のみだ。劉姓を前面に押し出して劉表からの支援を引き出すなど――弱者の振る舞いではあるものの――侮れないしたたかさを感じさせる。
関羽や張飛と言った将たちは、黄巾賊の時には曹操軍の夏侯惇と共同戦線を張っていたことも確認されている。積極的に労力を割くべき大勢力ではないが、野放しには出来ない程度に力のある勢力だ。
軍師たちの話し合いは白熱しているが、指揮の方針は確認しなくてはならない。静かに見守っていた趙雲が口を挟む。
「いずれにしても我らは高みの見物というわけだな?」
「少なくともこれから数日はそうなりますねー」
「なんや、つまらんなー」
張遼が拗ねたように言えば、趙雲も同意するように息を吐いている。
「だからこそ――」
そこで言葉を句切り、鳳統は強い視線を張遼と趙雲に向けた。
「お二人の力が必要です」
『……』
二人の武人は顔を見合わせ、笑みを浮かべた。
「うむ。了解した、
「ウチらに任しとき」
初日は、何事もなく過ぎた。
「また袁術ちゃんからご飯が送られてこなくなったんだけどー?」
「関攻めの命令は送られてきてますよぉ~……」
二日目、移動中と合わせて2度目の補給停止が孫策たちを襲っていた。
初回は直接の抗議に加えて曹操からも非難の声が出たため、すぐに曹操が立て替えていた分の食料が補充された。
しかし、曹操の関攻めに加わる形となった今回、曹操と結んで袁術の影響下から逃れようとしているのではないかという声が袁術の部下たちから上がり、結果的にその意見は袁術本人によって認められた。
今の曹操陣営は、先日、他軍にのみ飲酒が許されたことで若干の陰りが見えた士気を回復するため糧食を多めに振る舞っているため、立て替える余裕がない。曹操からは袁術への抗議と劉表への通告に留めて、孫策たちは前線から外された。
曹操は軍を前進させ関から1里(400メートル強)ほどの距離に柵を建て始める。定石通りの城攻めの準備だ。関からの妨害を警戒して大軍を用いる事が出来ず、夕刻まで使い切ってようやく馬の侵入を防ぐ柵が一通り前線に並んだ。
三日が過ぎて、四日目も曹操は定石通りの準備を進めている。弓を防ぐ塀を建て、関へ侵入するための雲梯をこれ見よがしに作る。一貫して防衛を整える姿勢のまま、この日を終えた。
四日目の夕刻、とある陣にて。
「なんじゃあやつは! 攻めると言っておきながら何もやっとらんではないか!」
「さすがお嬢さま! 兵法も知らないのに言葉だけは威勢がいい酒場の中年親父みたいな物言い! よっ、大言壮語の申し子!」
「うん? 中年親父のたいげんそーごとはなんじゃ?」
「もうお父様とお母様を超えられたも同然、という意味ですよっ」
「なるほど! そうじゃろうそうじゃろう。もっと褒めてたも!」
「無謀と勇気をはき違えた蛮勇の化身っ!」
「うははははーっ」
五日目、袁術の
最前線には孫策、甘寧、関羽、張飛らの姿が見られる。合わせるように関に掲げられた牙門旗が左右へと別れ、正面から見ると『
これまでの様子見のような攻撃は過ぎ、連合の前線は
関からの反撃は限定的だったが、連合に数千の死傷者を出す。
六日目、孫策や劉備たちが関に向かって罵声を浴びせかけ始める。申し訳程度の攻撃を除けば丸一日ほど動きがなかった。
六日目の夜、連合軍内の江陵陣地、首脳部の集まる天幕にて。
汜水関の攻略は全く進まず、連合の足は止まったままだ。江陵の思惑通りの展開であるはずなのに、ほぼ同時に届いた良い知らせと悪い知らせが首脳部を悩ませていた。
「まず、あまり良くない知らせです。翠さんでは華雄を抑えきれないようでしゅ」
「予想通りと言えば予想通りですねー」
「……面倒なやっちゃなぁ」
「あの罵声には、確かに耳を汚された気分ではあるが」
気を取り直して、趙雲が鳳統に尋ねる。
「して、良い知らせの方は?」
「はい。成都までに予定を2日短縮出来たそうです。朱里ちゃんによればそのまま予定を2日早めて考えても問題は無いだろうと」
「では最短であと2日か」
目標の10日間まであと4日。2日の短縮が可能ならあと2日だ。洛陽で待ち構えているだろう大事件に刻一刻と近づいていく重圧に、皆の緊張がにわかに高まる。
だが、そこで程立が致命的とも言える問題を指摘した。
「ここで華雄さんを逃した場合、虎牢関に入られてしまうことになりますがー」
「げっ」「うぅむ」「あわわ……」
将たちが苦々しい表情で声を漏らす。汜水関は10日で抜く『予定』だが、虎牢関はその倍をかけることになっているのだ。たった1日で我慢が効かなくなる者が関の中で兵の指揮を執るなど、考えるだけで嫌になる。
鳳統は少しだけ考え、結論した。
「でしたら、ここで討つか捕らえるか……星さん、出ますか?」
「ふむ? では任せて貰おうか」
「あー! ずっこいー!」
一騎打ちを仄めかした鳳統に趙雲は頷き、張遼は駄々をこねる。歴戦の戦士らしからぬその姿に、鳳統たちは目を細めて笑う。
「霞さんには、虎牢関で『飛将軍』の抑え役に回って貰うつもりですから」
「あん? あー、確かに恋の相手はウチしかおらんな……んまぁそういうことなら今回は譲ったるわ♪」
「フッ。ぬかせ」
武人たちが結論を出したのを見計らい、いつの間にか横で寝息を立てていた程立が鳳統にたたき起こされる。
「風さん、起きてください!」
「おおっ? ……ではでは明日は陣を組み替えて貰い一騎打ち。明後日にも劉将軍を前に出して関を占拠していただきましょうかー」
程立が起きると同時にさらりと話がまとまり、武人たちは急にだらけモードへと突入した。張遼が憮然とした表情の鳳統を見て笑う。
「雛里も強ぉなったなー?」
「し、霞さんっ、真面目に聞いてくだしゃい!」
「ちゃんと聞いとんでー。上手く立ち回れば2日3日稼げるっちぅこっちゃろ?」
「うむ。負けろと言われても聞けぬ時はあるが、勝てと言われれば大抵の相手には勝ってみせよう。その辺りの差配は任せて良いのだろう?」
趙雲は気負いもなく言ってみせる。張遼も同じ気持ちで頷いてみせるが、程立は相変わらず眠そうにしながらも、僅かに眉を寄せる。
「軍師としては、必要な時には負けたフリくらいはして欲しいものですねー」
「せめて引き分けくらいは……」
「ふむ? まぁ約束は出来んが引き分けならば努力しよう」
「相手が三下やなかったらなー?」
張遼が茶々を入れ、趙雲も笑いながら頷く。軍師たちの苦悩は続くようだ。
◇◇◇◇
「陣地を入れ替える? あー……この嫌な感じは、それだけじゃないわね」
「そ、それがですねぇ。私たちのやり方は評価をしてくださるとのことでしてー。なんと言いますか、そのー」
言いよどむ陸遜に、孫策の中で嫌な予感が更に膨らむ。そしてそれは、とても嫌な形を作り始めていた。具体的には自分たちの目標達成が遠のいたかのような。
「まさか……。まさか、袁術ちゃんにその手柄を取られたのかしら?」
「あ、あはは……はいー」
陸遜は半泣きで肯定した。落ち込んで大きな二つの果実が地面に落ちそうな程に沈んでいる陸遜を責めることは出来ず、孫策は唇を噛む。
「なんてこと……。功を上げるどころか、名を売る機会すら奪われるなんて……っ!」
「姉様」「雪蓮様」
今にも崩れ落ちそうなほどに弱々しい孫策の姿に、孫権と甘寧はかける言葉が見つからず、伸ばしかけた手を下ろす。
「ですけどぉ、江陵の取りなしで、劉将軍からは一定のはからいが」
「茶番でしょ。劉表と江陵はどう見ても繋がってるもの」
陸遜の言葉を遮って孫策が言い切る。孫権と甘寧はそれを見ることしか出来ない。陸遜は無理に笑って劉表からの『はからい』を振る舞うことにした。
「そう、ですね……。ではでは、もう、今夜はパーッと飲みましょうか~」
「えっ? お酒飲めるの!?」
「姉様?」「雪蓮様?」
一瞬で態度を切り替えた孫策の姿に、孫権と甘寧はかける言葉が見当たらず、それぞれの得物に手を伸ばす。
「あ、あら? 二人ともどうしちゃったの」
『反省してください』
七日目、連合軍は朝から関から3里(1.2㎞)ほどの位置で陣地を入れ替える。
昼前、関から300歩(350メートル弱)ほどの最前線に江陵が戦陣を組んだ。
関からならば遠当ての矢が届く距離ではあるが、射程いっぱいまで飛ばして勢いを無くした軽い矢が貫けるような江陵軍ではない。一方で江陵の長弓も関の高さに届かせるには威力を削るしかなく、結局の所、牽制くらいしか行われていない。
『馬ー華、馬ー華!』
「イラッとした。ちょっと江陵軍潰してくる」
「だあああ! もうちょっと我慢しろって!!」
なぜ「もうちょっと」なのか。それは朝から華雄の牙門旗に向かって何度も同じ文面の矢文が打ち込まれているからだ。
――華雄に一騎打ちを申し入れる。未の初、関より二百歩の場にて待つ。
未の初、つまり13時頃に、関から二百歩、約230メートルの位置で待つ、と。
江陵の戦陣の前には、おそらくどちらかが一騎打ちの相手だろう白馬の将が二騎並んでたたずんでいる。13時まではあと2刻(30分)といったところ。そろそろ華雄の我慢も限界だった。
それを抑える馬超も、江陵の狙いを部分的にではあるが正確に察していた。つまり、限界を訴えた馬超のため華雄をここで仕留めてその負担を軽くするという目的を。故に自分のためにもなるべく江陵の思惑から外れたことをやって欲しくない。
今はその江陵のせいで抑えるのに苦労しているのだが。あの先頭で白馬に乗って華雄を煽っている青い羽織のヤツは後で絶対にぶっ飛ばすと心に決め、馬超は華雄を抑える。
13時まであと1刻(約15分)を切っただろう頃合い。江陵からの攻撃と罵声の一切が止んだ。
僅かに間を置いて2頭の白馬が前に進み出る。
「我は江陵の将、趙子龍なり! 華雄に一騎打ちを申し込む!」
さらに1刻後、両軍は約1里(400メートル強)の距離を置いて対峙していた。
一方は反董卓連合軍約20万。一方は馬超と華雄直属の兵数百、背後には関を背負う。
中央に進み出るのは『趙』と『張』の旗と将、『馬』と『華』の旗と将。
「口汚く嘲弄してくれた割には潔い態度ではないか。ここでもあの不快な台詞を聞かされるのかと思っていたぞ」
「あの程度の罵倒で曇る武であるなら、それまでの人であったということだろう?」
栗毛の馬に跨がった華雄が前に出る。対するように趙雲がゆっくりと進み出る。
「ぷっくく、華雄っちはどっちかっちゅーと――」
「どちらでも構わんよ。仕事が楽になるか、仕事が楽しくなるかの違いでしかない」
「ほざけ! 我が武の曇りなき様、とくと見るがいい!」
「やっちまえ華雄!」
立場を忘れた馬超の声援によって戦いの火ぶたは切って落とされた。
最初から激しく攻め立てる華雄の槍を趙雲が受け流すようにして立ち合う。
やや離れた場所に居た張遼が、打ち合う趙雲と華雄を避けるようにゆっくりと馬超の隣に回り込んだ。
「なぁなぁなぁなぁ……ウチらもやらん?」
「あん? 何言ってんだお前?」
「あっちはえっらい楽しそうやんー」
「そぉかぁ? 華雄が楽にあしらわれてるだけじゃねーか」
「そんなこと言わんとー、ウチ虎牢関まで暇やねん」
「お前は後でぶっ飛ばすつもりだけど、今そんなことしたらあたしが怒られんだろ」
「……へぇ。まるでウチをぶっ飛ばせるみたいな言い方やな?」
「当然だろ」
「なんやて?」
「なんだよ?」
「敵将華雄、趙子龍が捕らえた!!」
『おおぉーっ!』
「「はやっ」」
二人を除いた周りは割と盛り上がっていたらしい。
「馬超と華雄。関を抑えるのに適当な将とは言えないわ」
再び閉じられた関の門を遠目に見ながら、曹操が傍らの軍師たちに話しかける。
「はい。守りに徹すれば今しばらく保たせられたものを、のこのこと一騎打ちに出てくるような連中です」
「そこよ、桂花。なぜ彼女たちは江陵が前に出た途端に一騎打ちに応じたのかしら?」
「――やはり江陵との間に密約があったのではないかと」
「関を明け渡すのが予定通りならば何を狙うのか……。稟、貴女の考えは?」
「はい。考えられるのは大きく分けて3通り。一つは連合に味方し、馬超を獅子身中の虫として董卓軍で働かせること」
「連合参加については、劉表から要請が出されるまで江陵は様子見をしていたはずよ」
曹操たちは黄巾賊騒動以来、江陵に関しての情報収集を怠っていなかった。
そして劉表に付けた間諜から判明している限りでは、劉表に遅れること数日程度とはいえ江陵の動きは明らかに劉表より後手に回っている。
そのため、先立って動いた馬超とは連携が取れていないのではないかと考えていた。
「その通りです。ですから状況を利用したと考えます。この場合、江陵は未来への布石のために袁紹や、あるいは我らを生け贄にしている可能性があります」
「2つ目は?」
「董卓軍に味方し、江陵が獅子身中の虫となることです。これならば、我らを関の間に誘い機を見て連合から離脱、前方の董卓軍10万を虎牢関に、後方の江陵軍10万を汜水関に入れてしまえば我々に手はありません。……ですが」
「その兆候は見られないわね」
曹操が確認するように荀彧に目を向ける。
「我々は陳留付近を通る道には全て関を置いて厳重に通行を管理させています。更には、聞こえてくる噂、間諜、斥候にもそれらしき影は掛かっていません」
汜水関に残した兵も万に僅かに届かない程度の大兵力だ。疑って掛かっている曹操たちに気付かれるより早く制圧することなど不可能に近い。
「ですので最後の一つ、どちらの味方でもないか……双方の味方である場合。私は後者の可能性が高いと考えます」
郭嘉の言葉に、曹操は目を細める。
「そうね。私を出し抜いて横から全てを奪い取って勝てるというのなら、どちらかの味方でなくとも勝者たり得るでしょう」
そんなことは不可能だと言わんばかりの口調だ。そしてそれは郭嘉にとっても同じ認識であったらしい。微塵も揺らぐことなく曹操の言葉を待つ。
「ならば、双方の味方というのはどういう意味か?」
「黄巾賊討伐の折、江陵の目的は乱を治めることでした」
曹操や荀彧にとっては苦い記憶だ。引き合いに出されただけで荀彧は拳を強く握る。
「今回は無理よ。劉表が立った時点で董卓は『賊』になった。仮に董卓が賊でなかったとしても、いえ、洛陽にいた劉表が知らないわけがない。董卓を賊として扱い続ける利点を無くすか、賊でなくすことに利を生み出さなくては劉表は認めないわ」
荀彧の指摘した解法を聞き、曹操はすぐに解答に至った。
「……つまり、江陵は劉表が認めるだけの利を与えて乱を治め、その
連合と董卓らをぶつけるより、諸侯を多く残すことで利に繋げるのだろう。
「その通りです。彼らの振る舞いは君主のそれと言うより商人に近く、官位よりも実利に重きを置いていると考えれば、これまでの行動にも辻褄が合います」
大陸で最も優秀とされる江陵商人達の親玉である、という考え方だ。元々商人に対してあまり良い感情を抱いていなかった荀彧も納得の表情を見せた。
20万の大軍同士がぶつかって勝敗を付けるより、両軍を残す方が商売相手が多く残るということだ。酒を配ったことも宣伝に利用しているのか。
「商人……なるほど。官位すら商品というわけね」
利益が一時手元から離れても、やがて大きくふくれあがって手の内に戻ってくるように方策を練っておく。やり口と視点は違うが、普通の君主や軍師と同じことをしているかのように見えてしまう。
かみ合わないのは、江陵の目標と曹操らの求める場所が全く異なるからだ。さらに、空海の意思と江陵の行動が一致しないように見えることもあるため余計にややこしい。
「ふふっ。だとしたら空海は、史上最も出世した商人ということになるわね」
曹操はここにきてようやく納得していた。『彼を知る』ことは本当に重要だった。出世株ということで目がくらんでいたらしい。求めている場所が違えば手段も異なるのは道理であるし、おそらくは出世も"手段"でしかなかったのだろう。
空海を隠れ蓑にしている江陵幹部のしたたかさと、そんな幹部達をまとめ上げて江陵を育てた空海はやはり油断ならない。しかし、商人というのなら商いを許せば……否、許す許さないではなく、何らかの取引という形であれば関係を見直せるかもしれない。
曹操は新しい興味を得て笑う。洛陽にあるという決着の行方を、今だけは忘れて。
>梅干し鈴々
あるオンラインゲームで私入魂のアバターの赤髪が梅干しって言われたことがあるんです。思い返してみると鈴々の頭部にそっくりだったので彼女も梅干しと言うことになりました。性格改変は……今年のクリスマスが中止されたらツンデレにします。
>汜水関
汜水と呼ばれる川の名前が付けられている。虎牢関と同じ県にあり、東が汜水関、西が虎牢関らしいです。両者の距離は10㎞くらい? どっちが西でどっちが東だったかよくわからなくなります。恥ずかしながら執筆中の3ヶ月くらい虎牢関と間違えてたり。
>虎牢関
生け捕りにされて皇帝に献上された虎がこの地で飼育されたということで付けられたのが虎牢という名前。当時は城塞だったとか背が低かったとか言われることもありますが、この小説では難攻不落絶対無敵七転八倒虎牢関です。
>曹操と結んで袁術の影響下から逃れる
後の時代の創作において、孫策は敵である曹操から官位を貰い、皇帝でもないのに太守の官位を配り、袁術に絶縁状を叩き付けて曹操に付き、曹操の命令を受けて袁術を攻撃する準備をしている最中に袁術が死んで後継者争いが起こると曹操から官位を貰い、曹操の本拠地を攻める準備をしている最中に殺されます。もちろん史実ではありません。
孫呉が嫌いなわけではないのですが、史実ネタを織り交ぜようと調べていると、自分の部下が問題を起こしたので報償が延期されて「袁術を恨んだり」、「袁術を追い詰めるために」袁術と同等以上の敵対勢力を倒そうとしたり、兵士を返された「直後に兵士を返されていなかった」ことになったり、「後漢の忠実な臣なのに皇帝を無視して自ら」官位を発行したり、曹操側の記録にない「官位を曹操に発行して貰って袁術と手を切ったり」、袁術が死んだので「(用のなくなった)曹操の本拠地へ攻め入ろうと準備したり」。
こんな孫呉書けるか!
何故こんなことになっているのかと言えば、元は孫呉の残した記録が呉王朝に都合良く改ざんされて書かれていたせいであるのと、後の小説家が孫策らを格好良く書いて袁術を小者にするために勝手にエピソードを追加したせいらしいです。上で「」で書いた部分がオリ展開ですね。
恋姫孫呉はこの創作されたエピソードのいくつかを元に作られています。断金とか。
>袁術
わたしは 美羽が すきです
>商人空海屋
イチキュッパの官位が2割引! 報償一括払いで5%オフ! 今なら田祖還元が13%ついて! さて、いくらっ?
先ほどクリスマスにどうすればプレゼントを受け取ることが出来るのか現実的な解答を模索してみたところ、Amazon先生にお願いすれば確実なのではないかという事実に気がつきました。そう、今日頼めば届くのは25日……少しばかりヘッドホンが欲しかった気がしてきたのでAmazonで探してきます。
→注文しました!