無双†転生   作:所長

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閑話 本日、晴天。

■詠の長い朝

 

「来たのは初めてだけど、おかしいわよね、ここ」

 

 賈駆と董卓が呼ばれたのは江陵の民から『究竟頂(くっきょうちょう)』と呼ばれる謁見の広場(・・)である。

 

「空海様ってやっぱり凄かったんだね……」

 

 かつて純白の石畳だった広場だが、江陵の拡張に伴って移転して改装されている。稀に街の人間を招くこともあり、中には見ただけで感極まって気絶する者も。

 大半の人間にとって、ここは噂話と自慢話の中でしか知ることのない空間だ。

 

「こ……ここ、そのまま歩いて良いのかな……」

 

 曇ることがない江陵の空を映す、黒曜石を磨き上げて作った鏡のような黒い床。上品な黒のつや消しで描かれた道が、立ち入りの許された場所を控えめに示していた。

 入り口から広間の中央を通ってまっすぐ空海の居る座に向かう道と、その道を挟むように配置された多数の儀仗兵たち。彼らが背後に背負うのは江陵からほど近い巫峡の雄大な山水を模したのだろう、黒い鏡の水底を持つ岩と流水の庭。

 

「大丈夫よ。入るときに何も言われなかったんだし、空海――様なら、怒らないわよ」

 

 賈駆はそう声をかけつつも、皇帝に謁見するときのような緊張感でもって道を歩く。

 空をそのまま天井にするということは、どんなに注意していても必ず汚れが降ってくるということだ。それなのにこの広場にはチリ一つ見当たらない。それは、これほど巨大な広場をそんな状態に保ち続けるだけの強大な権力の存在を物語っている。

 目につく場所を全て美しく磨き上げることは大変だ。だがそれ以上に、目につく場所を全て美しく磨き上げさせる(・・・)のは至難なのだ。

 帝の玉座の間ですら暗い照明によって誤魔化していた『それ』を難なくやってのけている江陵の人材の豊富さとその質の高さに、賈駆は内心吐き気を催すほどの重圧を感じながら、それでも緊張を内に留め、おっかなびっくり歩みを進める董卓を半ば引っ張るように数百歩を進み――やがて長いつや消しの道に終点が訪れる。

 

 つや消しが途切れたその向こう、数歩分の黒い鏡の床を挟んで向こうには、拳一つ分の厚みと大きな家一軒ほどの広さを持つ重厚な銀色の板が階段状に二段積まれていた。いぶし銀仕上げのようなつや消しと鏡面の加工を組み合わせ、全面に初夏の野原に花が咲き誇る様子を描いた見事な細工の芸術品だ。

 銀の舞台を越えた向こう側では、無数の花を咲かせる木々が雪のように花びらを降らせている。荒々しさを感じさせる幹と、その幹に似合わない小さく儚げな白い花たち。江陵に住む民ならば一目でわかるその花の名を、桜という。

 幹部たちの席と思しき場所には白くて上品な腰掛けが前と後ろの互い違いに置かれているが、今その席を埋めるのは空海の護衛だろう黄忠と軍事筆頭の鳳統のみだ。

 

 そして、左右に広がった幹部たちの席から少し奥。

 白い腰掛けが置かれた床からさらに拳一つ高く、一段下の床よりいっそう白さを増した白銀の床。やはり細工の施されたその床に一体化するように、卵を斜めに切断したような奇妙な形の椅子らしきものが鎮座する。

 子供の腕ほどの太さの継ぎ目も見当たらない白木で出来た輪と、その輪に無数に結びつけられた小指ほどの太さの白い紐。輪の中で紐が絡み合い織り上げられた厚い布の座面。一見しただけでは座るものとはわからないような不思議な座。

 座が置かれるべき場所にあって初めてそれが座るものだとわかる。

 

 その光景は、昨今の事件ですっかり洛陽の玉座に慣れてしまった賈駆ですら『天子』が今どこにいるのかを考え直してしまうほどに、神秘的な雰囲気を纏っていた。

 

 ――実はこれ、空海がハンモックのイメージを伝えて作って貰ったソファだ。想像とは多少違うものが出来たのだが、腰の辺りのフィット感がたまらないので劣化しない概念を与えて愛用している。賈駆の執務室に置いてある椅子より安いのは秘密だ。

 

 呆然としていた賈駆は、黄忠と鳳統に加えて、先に膝をついていた董卓の視線までもを集めていたことに遅ればせながら気付き、慌てて頭を下げる。

 そして、二人の頭が下がったとほぼ同時(・・・・)に、頭上から声が掛かった。

 

「久しぶりだね」

「ッ!?」

「七百年ぶりだねぇ」

 

 思わず顔を上げてしまったことを責める声はなかった。

 汚れ一つ無い白い着物、秋空のような青い羽織、背後に白い桜吹雪を背負い――身体を包むような白い椅子に、斜めに腰掛けた空海が笑って二人を見下ろしている。

 現実離れしたその光景に、賈駆はしばし言葉を失う。

 

「ふふ。空海様、あまりからかってはいけませんわ」

 

 空海と一緒に笑っていた黄忠が空海を注意する。

 黄忠の言葉より一瞬早く我を取り戻していた賈駆は、お前が言うなという言葉をすんでの所で飲み込んだ。賈駆にだって江陵内での立場というものがあるのだ。

 

「そうだねぇ。全然ウケなかったみたいだし。あ、二人とも江陵での生活はどう?」

 

 とんでもないことが続いて混乱していたこともあり、賈駆には咄嗟に返す言葉がない。

 

「あ、えっと、空海様には過分のご配慮をいただき、その」

 

 それでもなんとか現状に満足していることを伝えようとする賈駆を、空海が遮る。

 

「もっと簡潔に! 良い感じか悪い感じか、その辺どうなの仲穎?」

「えっと、良い感じです」

 

 話を向けられた董卓が素直に思ったことを口にする。権力にビビりまくっていた賈駆に比べれば、純粋に芸術的な美しさに感動していただけの董卓の心にはゆとりがあった。

 思い返してみれば、馬を食べる機会が減ったことや遠乗りが出来ないことなどの細かい不満も見当たるものの、それ以上に生活水準の向上が劇的だ。水が流れ続ける水場、湯がわき出る風呂、日当たりの良い庭の縁台。市場には一流の品々が溢れており、商店を回ることも文を書くことも自由。条件こそつくが、引っ越しすら出来ると言われている。

 それは、事前に覚悟した待遇のうち、最も良い想像を遥かに上回るものだった。

 

「ちょっと月!?」

「へうっ」「あれ? 文句あった?」

「え? は、いえ。そういうことではなく、あの、仲穎の態度につきましては――」

「俺はお前の態度の方が苦手。何で話をするのにわざわざ頭のてっぺんを見せるの」

 

 賈駆は慌てて両手で頭を隠す。冷静になりつつあった思考が再び空回りし始める。別に頭頂部が寂しいとかそういうことはないが、見られて良い気のする部位でもない。なんでこっちを見ながら話をしてるんだと空海を責める言葉まで浮かんでは消える。

 

「とりあえず顔を上げて話をしようず。ほら、取り次ぎも置いてないだろ?」

 

 取り次ぎとは、高貴な人間が座にあって下の者と話すとき、直接声を聞かずに臣下らに言葉を伝えさせることを指している。皇帝の周りでは十常侍などが職権を超えてこの取り次ぎの役目を負っていた。

 言われて見れば、空海と董卓たちの距離はずいぶんと近い。皇帝との会話には数十歩の距離が置かれていたことを考えれば、お互いの声が普通に届くというのはずいぶん身近に感じる。むしろ賈駆の持つ必殺技の大半が届くのではないだろうか。好奇心からちょっと試してみたくなったが、理性で押さえつける。

 

「ですが、その」

「普段通りでいいよ。文句があっても罰する前に改める機会をやるから、余程に酷くなければ大丈夫」

 

 空海が楽しそうに笑う。黄忠も優しく笑う。鳳統も柔らかく笑う。

 

「……俺を信じてみろって。お前たちの雇い主だよ?」

 

 董卓が頬を緩めて、頭を抱えたままの賈駆を見て悲しそうな表情を浮かべた。

 

「詠ちゃん……」

 

 董卓に見つめられた賈駆はただ一人疑心に囚われているという罪悪感から後退しそうになり、しかし、愛と勇気と根性でかろうじて踏みとどまる。

 

「ぅ、く……わ――わかり、ました」

「ました?」

「うぐっ。……ああああっ、もう! わかったわよっ! これで良いんでしょう!?」

 

 空海は満足げに頷き。

 

「よし、引っかかったな。じゃあ罰として」

「いきなり裏切ってんじゃないわよッ!!」

「オウフ」

「出たー! 詠ちゃんの8つある必殺技の一つ、賈文和螺旋突きッ!」

「あらあら」「あわわわ」

 

 賈駆は調子を取り戻した。

 

 

 

 

■ここでは八達も姉妹

 

「今思うと、シヴァ家って凄く強そうだよね」

 

 アホなことを言っているのは青い羽織を着たチビ。最近、高濃度茶カテキンのおかげで順調にパワーアップしている空海だ。

 

「下唇を噛んで発音するのはやめませんか?」

 

 黒の長い髪をかんざしでまとめて、藍色の着物に桜色の羽織をまとった優しげな風貌の美女は司馬徳操、天下の水鏡先生である。

 今日は、水鏡女学院に今季入学する予定の生徒について話しているのだが、その中でも非常に目立つ存在が空海の目を惹いていた。

 

「今季の学院は何なの。春のシヴァづくし?」

 

 言っても聞かない空海に小さくため息をついた水鏡は、空海のボケを無視して答える。

 

「私も流石に驚きました。偶然かと思って調べたのですが、全員が姉妹でした」

「八つ子なの!?」

 

 そう、8人もの姓が――江陵ではあまり見かけない――司馬だったのだ。

 水鏡女学院は女子校なので、当然、全員が女子だ。

 

「いえ。本妻の子は二人で他は妾腹であるとか。上から下まで4つほど離れています」

「へぇー。って、シヴァ家で子供8人って周家の紹介で来たヤツらだわ。……まさかとは思うけど、試験に不正があったなんてことはー……」

 

 江陵に来たばかりなのだから試験を受けた時期も同じだったというわけだ。もっとも、水鏡女学院は元から個別指導に特化しているので、入学者も卒業者も年齢はまちまちだ。

 

 遡ること1ヶ月。董卓たちの受け入れが概ね落ち着いた頃になって洛陽から流れてきた人材の一人が司馬防であり、その一家には幼い8人姉妹がいると空海は聞いていた。

 董卓の辞職に合わせて洛陽周辺の官職で大規模な人員整理が行われ、それに巻き込まれた司馬防は、前任者である周瑜の母を頼り、周瑜の母は一族の出世頭で学術都市の幹部でもある周瑜を紹介し、話を聞いた周瑜が江陵に導いた、と。

 周瑜が積極的に不正に絡むとは考えづらいが、理由があればやりかねないのも周瑜だ。

 

「ご安心を。どの子も素晴らしい才と教養を備えていますわ」

「不正なしで全員が学院に入るのか。それはそれで……」

 

 ちなみに空海の知らない事ではあるが、反董卓連合騒動の際、空海から礼を受け取って洛陽城壁に江陵の旗を立てさせたのが当時洛陽令だった司馬防の部下であり、この責任を取るため司馬防は辞任に追い込まれていた。

 事態を把握した司馬防は部下が処断されても騒ぎ立てず、静かに周家に接触した。公に晒すことも抱えたまま逃げることもしないから、味方として自分を買って欲しいのだと。

 そのため、周瑜は司馬家を江陵に招くことにしたのだ。

 

「色々凄いけど、注意して見てあげてね」

「心得ております。既に上の3人だけを入寮させることにしました」

「さすが徳操」

 

 学院内で姉妹がグループを作ってしまえば、将来の江陵を動かす学院生らとの繋がりが弱くなってしまう。姉妹の仲を引き裂きたいわけではないが、姉妹以外との関係を育ませるために強制する部分も必要だと空海や水鏡は考える。

 

「会ったことはないんだけど、確か上の方の子供は璃々と同じくらいだったでしょ?」

「そうですね。長女が一つ上、次女と三女が同い年で、一つ下に三人が続きます」

「ふむ。漢升たちの影響かわからんけど璃々もだいぶ大人びてるから、この機に同世代で対等に付き合えるような友達になってくれるとありがたいな」

 

 最近の璃々はどうにも子供たちのまとめ役が板に付いてしまい、我が侭は減るし、遊びより勉学だし、大人の仕事を学ぼうとしている節すらある。

 その健気な姿勢のせいでますます母親役の女性たちから人気が出てしまい、褒められて可愛がられ、その道に縛り付けられつつあるようにも見えるのだ。

 遊ばないというわけではないし、甘えることもあるし、社交性はむしろ同世代の中でも秀でているようだし、とても伸びているためにあまり問題視されていないが、本当に心を許しているだろう相手は大人の中に数人見られるだけ。

 対等に付き合える同世代の友人が欲しいというのは、璃々の親たち(・・・)の総意でもある。

 

「そうですね……。司馬家の子供たちも大人びておりますから、璃々ちゃんが童心を取り戻せるかと言われますとどうなるかはわかりませんが、対等に付き合えるという意味では申し分の無い相手でしょう」

「いいね。じゃあ今度、仲を取り持つために一緒に遊んでみよう」

 

 遊びと言っても、身体を動かすものに始まり将棋や人形遊びまで、江陵の遊戯は極めて充実している。何かしら気に入るものがあるだろうなどと楽に考える空海は、待ち受ける8人と1人が分野次第では孔明や鳳統をも上回る真性の天才たちであることを知らない。

 

 そんなやり取りからしばらくが過ぎ。孔明や鳳統に続いて戦略遊戯と戦術遊戯で子供に負け旗揚げのために幽州へ旅立とうとしたチビが学院付近に発生したとかなんとか。

 

 

 璃々に友達を見つけよう計画は司馬家次女と口論になった璃々が彼女を認め、その後にあっさり仲直りしたことで解決した。子供は仲良くなるのが早いのだ。

 口論が始まってから仲直りするまでずっと間に挟まれ続けた空海は、何故か仲直りにも巻き込まれて真名を預けられた。何歳か年上の子供だと思われていたことが判明するのは数日後のことである。

 流石にショックを隠せず、空海は餌付けによって認識を改めさせようとクッキー作戦を実行し、結果的に姉妹全員と仲良くなることには成功する。意識改革には失敗したが。

 

 こんなことがあり空海は、お父さん娘でしっかり者で人見知りで甘えん坊という司馬家次女にとても懐かれた。三代目クッキー様の物語はここから始まる。

 

 

 

 

■詠の長いお昼

 

「我々が今まで口にしてきた『馬』とは一体何であったのか……。そう疑問を抱かざるを得ない」

 

「どうやってあんなトコ登ったんだろ。やっぱり壁かなぁ」

「ああ、どうしよう……月が壊れちゃった……」

 

「よく考えてみて欲しい。我々がこれを『馬肉』と呼び続けることは、果たして正しいのだろうか? ……答えは、否ッ! それは断じて誤りである!」

 

「熱いなー。仲穎っていつもこんなに激しいの?」

「そんなワケあるか! 月ぇーっ! 今すぐ降りてきなさーいっ!」

 

「諸君、これはもはや『馬肉』ではない! ――これは『破壊』でへうッ!!」

 

 賈文和破山拳では靴が飛ぶ。

 

 

 

「いやぁ。理解を深めようとしたのに謎が深まったな」

「あんたのせいよ!」

「え? ホントに俺のせい?」

「えっ、た――たぶん」

「たぶん俺のせい?」

「うっ。そ……うでもない、かも、しれないわ」

「かもしれない? どっち? ねぇ、どっちぃ?」

「くっ――ぅぅぅぅうう!」

 

 ニヤニヤとからかう空海は完全にいじめっ子であり、涙目でそれを睨み付ける賈駆は、噛みつく寸前の小型犬のようですらあった。

 

「へぅ~。美味しかったよぅ」

「「……」」

 

 ただし、当の本人は幸せそうである。

 

 

 

「へぅ~……♪」

「試作品を食べさせられるって聞いたときには警戒したけど、その、凄く美味しかったと思うわ。……月のことがなければ(ボソッ)」

 

 賈駆がやや黒い表情を浮かべながら料理を褒める。空海としても説明したくて仕方ない話題であったため、ニコニコと笑いながら身振り手振りを交えて返す。食事中は食べ方の説明や店の話題などで時間が取れなかったのだ。

 

「あのふわふわしたの大根おろしって言うんだけどね。おろし金っていう調理器具使って作るの。調理は難しくないんだけど、おろし金そのものを作るのが大変でねぇ」

「大根おろし!」

「あんたが大変っていうと本当に大変そうだわ……」

 

 賈駆の呟きに空海も頷いて、しみじみと語り出した。

 

「形が決まって量産の試作が始まったのが5年くらい前でね。それから毎月試作を重ねて仕上がりを確認して、1年で欠陥を見つけて、2年で職人が倒れ、3年で工房を移して、4年で材料を変えてさ。やっと完成したのが今月なんだよ」

「今月!」

「ホントに大変ね。でも今月完成したばかりで、もうあの料理が出来るの?」

 

 料理と言っても、数週間をかけて臭みを抜いた馬を丁寧に処理し、おろしダレで焼肉を楽しんだだけである。一般兵の給料半月分がぶっ飛んだが。

 

「料理の方は別件で開発済み。量産に問題があっただけで試作品はあったわけだし」

「量産型!」

「なるほどね。量産ってことは広めるんでしょ? あの美味しさを自分たちで再現出来るならやってみたいわ」

 

 肉を焼く網、火力が高く臭いや煙の少ない炭、それらを乗せる七輪のような鉢。どれも未だ江陵でしか手に入らない、江陵ならではの料理だ。

 

「大根おろしとそれを使った料理は料理教室で来月から扱い始めるよ。といっても、もう旬が終わるから次は半年後かな」

「来月から!」

「ふぅん、残念ね」

 

 賈駆は軽そうに、しかし実のところ心底残念に思いながら返す。董卓と知り合ってからことあるごとにご馳走されてきた馬だが、あんなに美味しく食べられるなら「飽きた」と言い出せない現状を打破できるかもしれない。

 

「ま、他のおろし料理もあるからお楽しみに。料理は仲穎の方がよくやるんだよね」

「おろし料理!」

「そうよ。月の料理は(意外にも)美味しいんだから。星もよく食べに来てるわ。――ほら月、そろそろ戻って来なさい」

 

 言葉と共に右腕を大きく振り上げた賈駆は、直後、腰から上の上半身でひねりを加えて相当な勢いで董卓の後頭部をはたいた。

 スパンと洗濯物を伸ばすときのような気持ちの良い音が董卓の後頭部から周囲に響く。

 

「へう゛っ!! あ……あれ? 詠ちゃんどうしたの?」

「空海様が、ボクと月はどんな料理ができるのか、って。聞いてなかったでしょ?」

「あ、うん。ごめんね、詠ちゃん。えっと……私は麺料理とメンマ料理が得意です」

「へぇ。麺と、えええっ! メンマ料理!? いつの間にそんなに浸透してたの!」

 

 あまりに自然に口にしたため思わずスルーしそうになった空海だが、メンマ料理という違和感を無かったことには出来なかった。

 

「あの、江陵に来てすぐ星さんが色々教えてくださって……」

「悔しいけど美味しいのよね」

「子龍そんなことしてたのかよ……。うーん、あとでなんか届けてやるか」

 

 董卓が早く江陵に馴染めるように配慮してくれたのか、何色にも染まっていないうちにメンマ色に染めてしまおうと考えたのか真実はわからないが、結果として董卓の江陵での生活を助けているようではある。

 別にメンマ料理を普及されて困ることもないが、メンマ不足で暴走したのなら困る。

 さっさとメンマ分を補給してやらなくてはならないと空海は考え、お酒に合う料理と、料理に合うお酒を扱っている店の位置を頭に浮かべる。

 

「ふぅん……意外と甘いのね」

「どちらかと言えばマメだと言われることが多いな。豆のように小さいとか」

「それは見た目でしょうが!」

「そう言えば、うちの台所はメンマが切れると勝手に補充されます……!」

「それは俺じゃない!」

 

 

 

 

■袁紹頑張る

 

 江陵の流行り物の話題や一緒に贈った品物の解説など、読みやすい文章で書かれた挨拶混じりの手紙。その中で、袁紹から送った手紙への返答は、たった八文字だった。

 

 ――夫謂惚恍(それは朧気なものであり)、夫謂道紀(それは道の始まりと言う)。

 

 それは、麗羽の心をこれ以上無く的確に、そして美しく詩的に表す八文字でもあった。

 かつてこれほどまでに麗羽の気持ちを華麗に描き出してくれた者がいただろうか。これほどまでに正しく理解してくれた者がいただろうか。思わず反語で語りたくなるほど衝撃的な出来事だった。

 手紙がしわにならないよう優しくたたみ、柔らかく胸に抱きしめて静かに涙を流す。

 赤く鮮やかな服と、長く柔らかな金髪と白い肌、そして整った顔立ち。昼下がりの庭の四阿(あずまや)で静かに顔を伏せる姿は、絵画の一枚のようでもあった。

 

 

「うわぁ……うわぁぁああああー(ガタガタブルブル)」

「どうしたの文ちゃん?」

「ひ、姫が……姫がっ、手紙読んで涙流してる!」

「えー、うっそだぁー。……う……嘘……。嘘だッ!!」

 

 活発そうな明るい髪色の文醜と、大人しそうな暗い髪色の顔良が揃ってうろたえる。

 

「ど、どうしたらいい? 何が降ってくるんだよ! 雷か!? 槍か!? 空か!?」

「はっ!? 待って文ちゃん! もしかしたら目にゴミが入っただけかも!」

「おおっ! そうか、そうだよな! じゃあ……え? じゃあ、どうすればいいんだ?」

「えぇっとー、そうだ! 涙を拭く布を持って行こう?」

「おお、流石あたいの斗詩!」

 

 ちなみに袁紹が空海に宛てた手紙には、曖昧模糊とした気持ちがあって云々と綴られており、空海は「一言でまとめるとこうじゃないか?」と返しただけだ。まとめただけなのだから、そりゃ当人の気持ちとも一致するはずである。

 

 

「あら? 猪々子さん、斗詩さん。どうしましたの?」

「ほらっ、斗詩!」

「あ、私!? いえ、そのですね。涙を流されていたようでしたので、お顔を拭く布をと思いましてー」

「まあ。気付きませんでしたわ」

「目にゴミが入って気付かないなんて、流石の姫でも珍しいっすねー」

「ゴミ? 何のことですの?」

 

 目元をぬぐった袁紹はすぐにいつものような自信ありげな笑顔を見せる。

 文醜と顔良はお互いの顔を見合わせ、原因究明を決めた。

 

「で、えっとー、なんで泣いてたんすか?」

「それは……ほら、この手紙ですわ」

「わ。綺麗な字。飾っておきたいくらいですね」

「そうでしょう? これは、その中身まで素晴らしいんですのよ。ご覧なさいな」

 

 袁紹は微笑みながら、自分が送った手紙への返信部分を指差して見せる。

 

「夫謂道紀……えっと、どこかで見た気がするような」

「老子にある『是謂道紀』という一節を書き換えたものでしょう。老子のこの話は、曖昧模糊とした『道』を言葉にして示そうとした、かの書の中でも異色の章ですの」

「うわー。老子のちからってすげー……なんか姫まで賢そうに見える」

 

 ある意味で素直な文醜の人物評に、顔良は苦笑いを浮かべるしかない。

 

「もう、文ちゃん……。それにしても誰からのお手紙なんですか?」

「空海()からに決まっていますわ!」

「んあー……ああっ! 江陵のものすんごく偉い人だっけ?」

「えぇー、そういう理解なんだ……。ええっと、流石に『知の国』の長は手紙からも品が漂ってきますね。――前に南の田舎者って言ってましたけど」

「まさしくその通りですわ! 一見しただけでは見窄らしいこの包み紙も、銀糸で上品に縁取りされ、光にかざせば花模様の透かしが浮き上がり、新雪のように輝く白さと絹のような滑らかさと羽根のような軽さを持っている……」

 

 袁紹は宙にかざした手紙を下ろし、指で文字を追いながら講じていく。

 

「何よりその中身。ため息が出るほどに美しい文字と、大陸の知を結集した荊州江陵ならではの余話、この私が見た事もないような品々のお話。……そして、私の送った手紙への知性溢れる返答……」

「うあー……帰りてー……」

「あはは……」

 

 うっとりとした表情で賛辞を並べ続ける袁紹に、顔良も文醜も既に食傷気味だ。

 

「ですが、空海様にも一つ足りないものがあるとは思いませんこと? おわかりかしら」

 

 袁紹は急にいつもの調子に戻って二人に問いかける。

 

「え? えぇ~……? あ、強い武将とか!」

「文ちゃん、江陵にはあの(・・)竜殺しがいるんだから、強くないわけないってぇー」

「ええー? そうかなぁ」

 

 袁紹は、わけがわからないと言った表情の文醜に向けてため息をつく。

 

「猪々子さんはわかっておりませんのね。斗詩さんはどうかしら?」

「あ、はい。えーと、劉将軍に蓋をされてしまっている地の利、じゃないでしょうか」

 

 顔良の解答を聞いた袁紹は大きくかぶりを振った。何もわかっていない、と。

 

「大外れですわ! 空海様に足りないもの。それは――」

「「それは?」」

「審美眼ですわ!」

「「……えぇぇぇ……」」

「何ですの、その目は! いいかしら? 空海様はあのクルクルパーの華琳さんを好ましいなどとっ……くっ! つまり、そこ だ け は、足りておりませんの。ですからこの私が、空海様の目を覚まして差し上げなくてはなりませんわ!」

 

 言葉の途中で険しい表情になった袁紹だが、最後には強い決心を胸に顔を上げる。

 

「なあ斗詩ー。あたい帰りに肉まん食べたい」

「文ちゃん、お願いだからまだ帰らないでよぉ。私一人でこうなった麗羽様の相手をするなんて無理だってばぁー」

「なら、あたいと一緒に帰りゃいいって!」

「ダメに決まっているでしょう!」

「うわっ」「きゃん!?」

 

 袁紹は二人を物理的に止めるため首根っこを掴み、耳元ではっきりと宣言する。

 

「よろしいこと? お二人には空海様の目を覚まさせるための、袁家当主たる私からの贈り物にふさわしい品物選びを手伝わせてあげますわ!」

「うぇぇ、面倒くさー」「ああ、やっぱりー……」

「何か仰いまして?」

「いえー、何でもないっすー」「何でもありませぇん」

 

 文醜は疲れ気味に、顔良は涙目で、袁紹は元気よく。

 三人は四阿から踏み出した。

 

「さあ行きますわよ、猪々子さん、斗詩さん!」

「へーい」「はぁい……」

「何ですの、その気のない返事は!」

「あらほいさっさー!」「あらほいさっさぁーっ」

「おーっほっほっほっほっほっ!」

 

 

 

 

■詠の長い夕方

 

「ここのトコなんでこんなに鑑定依頼が多いのよ……! 昨日までに処理した数と同じくらいまた増えるとかおかしいでしょ!?」

 

 空海の元には毎日大量の貢ぎ物や贈り物が届く。それらを仕分けて、例えば北の産物を南の豪族に贈ったり、あまり日持ちのしない物品をちょうど江陵に滞在する人間に渡して処理させたり、高級品や学術的・芸術的価値が高くて扱いづらいものは江陵が所蔵するよう専門家に保存を指示したりと、取り扱い方を決めるのも江陵幹部の仕事である。

 そして、幹部にまであげる価値のある物品かどうかを専門家に判断させるのが、現在の賈駆の仕事だ。

 

 空海の元には確かに毎日のように大量の貢ぎ物や贈り物が届く。それでも、ここ数日のそれは苛烈を極めていた。普段の数十倍の物品が寄せられ、他の仕事を後回しにしてなお処理が追いつかないほどに指示すべきことが溢れているのだ。

 動植物と食べ物類を先んじて終わらせたために緊急の処理がないのは救いだが、未だに何が原因でこんなことになっているのかを調べる時間すら取れないというのは、温厚を自負する賈駆ですら苛立つ異常事態だった。

 

「書、銅鏡、巻物、銅の鎧、檜の棒、金糸の織物に何かの種に石版――石版!?」

 

 節操なく買い漁ったとしか思えない混沌とした品目の数々。少数の鑑定人では処理できないせいで、わざわざ取り扱いの心得がある人員を動かして整理させたり、専門分野の鑑定士を用意したりと手間が増える。

 昨日は下層に店を構える鑑定士に依頼するためふた時(4時間)も馬を走らせた。これが賈駆への嫌がらせなのだとしたら、確かに効果的だと相手を褒めてやりたいくらいだ。

 とりあえず、ここまで処理してわかったことと言えば。

 

「北方……それも冀州の北の物品かしら」

 

 古今東西の諸々が溢れかえった内容ではあったが、眉唾物の物品を除いて特徴的なのは幽州漁陽郡の塩や鉄製品、同じく楽浪郡の薬草類であろう。

 昨今、漁陽の塩鉄が幽州を超えて出回ることは珍しく、大消費地である冀州程度まででしか見られない。同じく、楽浪の産品などは幽州と青州を除けば冀州の北部程度までしか流通していないのだ。

 その双方が手に入る地理。それを満たす諸侯は公孫賛と劉備ともう一つしかない。さらに、これだけの物品を贈り物に出来る財力となれば、もはや答えは一つだけだ。

 私意によって判断が曇らぬよう伏せられたはずの贈り主の名前。忙しくて調べることも出来なかったそれ。その秘が、賈駆の知識と頭脳に曝かれようとしていた。

 

「へぇ、なるほど。袁紹、ね。……ふぅん。面白いわね、これ。ボクに対する挑戦?」

 

 非常によろしくない、不吉な何かを思わせる音が、賈駆の喉から漏れ出した。その日の賈駆は、非常にいい笑顔で帰宅が遅くなったことを董卓に謝罪したのだとか。

 

 

 

「やっほー。文和いる?」

「あら? あんたがここに来るのは珍しいわね」

「うん。ほら、しばらく贈り物凄かったでしょ。俺のとこにもいくつか来たけど」

 

 空海の元にまで届いたのは綺麗な岩塩やかなりヤバそうな銅鏡や名剣や書の類だ。

 

「ああ……袁紹のやつね。今回のはもう片付いたわ」

「あれ。知ってたんだ? まぁいいや。今度その贈り物にお返しするんだけどさ、物量に物量で返してたらキリがないでしょ。だから少数の一品もので返そうかと思って、現場で裁いたお前の意見を聞きたいなと」

 

 そう言って空海は手に持った包みを持ち上げてみせる。

 

「ふぅん。中身はともかく、あの山に返すとなるとかなり大変よ?」

「そこで用意しましたのはこちらの一品!」

 

 空海が包みから取り出したのは、上品な焼き目が付いた木箱だ。

 

「……なにこれ? 中は……ん、お酒? まさか公良酒の!?」

「うん。特撰ってヤツ」

 

 綿の敷き詰められた箱の中には、白い綿に映える暗い青の陶器の酒瓶と、二つ折りにされた一枚の紙が、控えめにその存在を主張していた。

 

「初めて見たわ……。えーと『江陵最上層で作られる元帥様への献上米を特別に使用し、磨き上げた米をじっくり熟成させました。深い森に湧く清水のような甘みと、真夏の氷のような辛みが味わえる極上の逸品です』……こういうの初めて見るけど、美味しそうね」

「いやぁ、お酒嫌いな俺が感想を求められて苦し紛れに言ったことが、ほぼそのまま採用されちゃってて心苦しいんだけど」

「聞かなきゃ良かったわ」

「でもその説明文は俺じゃないけど、箱の文字の方は俺が書いたわけですよ」

 

 空海はそう言って箱を見せる。飴色の木箱の表面には「特撰」と書かれた墨の文字が、光を浴びて小さな星のような輝きを放っていた。墨に混ぜ込んだ宝石の粒子の輝きだ。

 勿論一つひとつ書いているわけではなく版画ではあるのだが、筆の乱れまでもを再現したそれは、肉筆と変わらない芸術性を保っている。

 

「どうでもいいわ。まだ続きがあるわね」

「俺の扱いが酷すぎる!」

「『一切の臭みを消しながら体の奥を抜けるような華やかな香りが特徴です。是非、湧水で冷やしてお楽しみください』と。なるほど。全然わからないけど凄みを感じるわ」

「そのよくわからない感じが売りなんだよね。どう? お返しによさそう?」

「うーん」

 

 確かに珍しさも質も高いが、売られている以上は値段がついているわけで、値段相応の価値くらいしか認められないかもしれない。空海が特別に文でもつければ、と賈駆はそこまで考えて肝心の値段を聞いていなかったことに気がつく。

 

「ちなみにこれ、いくらくらいなの?」

「んー。その時々で変わるから一定の価格っていうのはないんだけど、今年の春に出来たお酒は、一番安いの一斗(2リットル)で15万銭くらいついてたかな」

「ブーッ!!」

「あ、落とさないようにね。それもっと高いはずだし」

「ふざけんじゃないわよ! あんたそれを先に言いなさい! これがその辺の家5軒より高いだなんて想像つくかッ!!」

「ご、ごめんなさい。今度それ飲ませてあげるから許して」

「はァ!? ……あ?」

「一本持ち帰っても良いから」

「……ボク、誤解してたかも。あんた良い奴だったのね。ええ、さすが空海様だわ!」

「贈り物とはこうやって心を通わすためにあるのだよ、諸君!」

 

 

 誰も知らないところで始まった袁紹対賈駆の戦いは、やがて度重なる物量重視の贈り物攻勢にぶち切れた賈駆によって効率的な物品の仕分け方法が確立されたことで終結した。

 

 最終的に全面採用に至ったのは、暫定仕分けから正否などの判断を重ね、その都度の評価で次の評価者が決まっていくという方式だ。より良い、より悪いと判断された品に集中的に実力のある鑑定者を中て、それ以外の品は回数をこなして正確さを増す。

 全ての鑑定物を全ての鑑定者が確認するよりは不確実だが、最低でも3回の鑑定を通すことで見落としや評価の誤りを限りなく抑えつつ、鑑定機会の総数を減らして結論を得るまでの指示と手順も簡略化した、江陵にとって理想的な仕分け方法だった。

 この方法は間違いを減らす合理的な手段として、後にいくつかの仕事に用いられるようになり、江陵の発展に寄与することになる。

 

 後の話ではあるが、新しい手法で直接的に年間十数万銭の経費を削減するに留まらず、幹部の仕事を効率化したことで年間数百万銭の利益を恒久的に生み出したとして、賈駆は幹部へと昇格する。

 

 

 

 

■今日で三日目

 

「お。今日は孟起の勝ち?」

「馬上で一勝一分け、地上で一敗一分けだよ」

「なるほど。最終が騎馬戦で、子龍は怪我の治療中かな?」

「ああ」

「そっか。今日は行けなくて悪かったね」

「いや、いいよ。三日経っても決着が付けられないあたしたちが悪いんだ」

 

 長い栗毛を軽く揺らし、馬超が告げる。最近ますます母親に似てきた顔が、今は悔しそうに歪んでいる。

 

「三日なー。良い勝負するようになったねぇ」

「……ホントにな。あー、くそっ。初めて会った時に侮りすぎたんだよなぁ」

「ま、でも、そのおかげで孟起も強くなってるでしょ」

「そりゃそうなんだけど、あたしとしては敵を強くしちゃったわけだしさ」

 

 馬超は乱暴に髪をかき乱し、唇を尖らせる。趙雲との模擬戦に明確な決着が付かないことで苛立っているのだと思っていた空海は、疑問符を浮かべた。

 

「ん? 味方でしょ? 競い合ってはいるけど。ナカーマ、ナカーマ」

「……そういやそうだな。……忘れてたよ」

 

 何かを誤魔化すように小さな声で言い訳する馬超。空海はそんな彼女を見てニヤニヤと人の悪い笑みを浮かべた。馬家の人間の可愛らしい誤魔化し方は空海の好物である。

 

「えぇー、忘れてたぁー? 殺してないのにぃ?」

「う、うるさい! そういうとこ嫌いだ!」

「あははは。ごめんごめん」

 

 馬超は顔を真っ赤にしてそっぽを向くが、空海が軽い調子で謝るとすぐに機嫌を戻して笑う。このくらいのじゃれ合いが関係を壊さない程度には、長く深い付き合いなのだ。

 

「そういや、たんぽぽは?」

 

 馬超が空海と一緒に居るはずの従姉妹、馬岱の行方を尋ねる。

 

「今は寝てるよー」

「あれ、もう? 早すぎないか?」

「それがさ。聞いてくれよ、孟起」

「ん? ああ」

 

 空海が困ったような顔で告げたため、馬超は困惑を浮かべ、曖昧に返し、直後に迫った空海の顔に少しだけ心拍数を上げた。

 

「たんぽぽ起きる。目が覚めて寝台脇の水を飲む。俺の横で着替えながら喋り出す。俺の後ろをついて回って喋り続ける。俺が人と会ってる時だけ静かにして、その時以外ずっと喋り続ける。部屋に戻ってきて寝台脇の水を飲む。寝台に座って喋り続ける。喋り疲れて寝る。最初に戻る。お昼からも一通り同じことやって今に至る」

「何やってんだよ、たんぽぽぉ……」

 

 空海の淡々とした説明が、馬岱の行動をいっそう強調して伝える。

 

「何をそんなに話すことがあるんだと思うだろ? 今日だけでお前が袁隗の首を塩漬けにした話を7回聞いたし、寿成が手紙に書く字を間違えて馬を走らせた話を6回聞いたし、江陵で行きたい店の話を9回聞いたし、思いっきり買い物をするために小遣いをいっぱい持ってきたことは15回聞いた」

「うわぁ……。ホントにごめんな、空海様」

 

 馬岱から短期間に何度も同じ話をされ、暇に飽かして意識の隅で数えていたせいでしっかり回数まで把握してしまい、かといって馬岱相手にそれを指摘する気も無かったため、馬超に伝えられた空海は実にすっきりした表情だ。

 

「孟起が謝ることでもないし、嫌だったわけでもないんだけどね。ひょっとしていつもはいっぱい話が出来る相手が居ないんじゃない?」

「ああ。母様はずっと調子悪いし、最近はあたしも忙しくて……」

 

 馬超はばつが悪そうに告白したが、空海も予想していたのか、軽く頷くだけだ。

 

「だよねぇ。というわけで、明日はお前も一緒に買い物に行くぞ」

「ええっ! ちょっ、待ってくれよ。あたしはアイツと決着を――」

「ああ、じゃあ子龍も誘って行こう。二人とも根を詰めすぎってことで一つ」

「とってつけたような理由じゃんか!」

 

 それでも口で空海に勝てる馬超ではなく、ズルズルと言い訳を探しているうちに同意を取り付けられ、空海の部屋の前に到着する頃には翌日の買い物が楽しみになっていた。

 

「じゃあ、たんぽぽは引き取っていってくれ。運び役は出すから」

「ああ。ありがと、助かるよ」

「あと、たんぽぽに『いい年した娘が男の部屋に泊まってはいけない』って、お前からも注意してくれないか? 俺が言っても聞かないっていうか、今日なんか、遊びに来ていた子供を引っ張り出して『この子たちがいいなら私も残る』とか駄々をこねるんだ。寝台の取り合いをした挙げ句、お昼は8歳児の方が遠慮して帰っちゃったんだよ」

「子供と張り合うなよ……ホントに何をやってんだよ、たんぽぽ……」

 

 馬超は頭を抱えながら唸る。

 ちなみに張り合っていた8歳児とは璃々と司馬懿の二人である。表面では苦笑していただけの二人だが実はたいそうご立腹であり、二人で策を練って夜には部屋から馬岱を追い出す算段だ。昼間はそのために引き下がっただけだったりする。水鏡女学院の寮住まいの二人は現在、水鏡先生に外泊許可を申請している最中だ。

 

「百歩譲って俺の部屋に泊まるのはまだいいとしても、他の男の部屋にホイホイ泊まりに行くのはやめて欲しい。ていうか泊まりに行く前に俺に許可を取れ。相手を表から裏から調べ尽くしてやるから」

「それは大丈夫……だと思う。男嫌いってわけでもないんだろうけど、触れるくらいまで自分から近づく相手は空海様だけだよ」

「それはそれで心配なんだが。アイツ、ちゃんと結婚できるのか?」

「そ、それは言わないでやってくれよ」

 

 空海はじとっとした目を馬超に向け、やや暗く笑いかけた。

 

「実はこれお前にも言ってるんだけどー」

「あ、あたしは空かいサッ、マぁぁにぃ、しょおかいしてー、もぉーらい、マス」

 

 勢いよく飛び出した言葉が途中から失速し、最後には真っ赤になった馬超がたどたどしく告げる。

 

「いきなり片言になってヴァモーキにでもなった? ……というか、俺が紹介? お前の官位に見合う未婚の男なんて一人も知らないけど。あ、偉くて若くて結婚できそうな奴は一人いるか」

「一人? ……って陛下のことかよ! そんな――あっ、でもたしか結婚してただろ!」

 

 あまりにとんでもない相手が候補に挙げられたため、馬超には珍しく、恥ずかしがるそぶりを見せることもなくツッコミに忙しい。

 

「相手はまだ一人だし、子供も出来てない。実は刺史より上くらいになると奥さん何人か居るのが普通らしい。劉景升にも嫁さんが二人いるのにまだ縁談は多いみたいだし、俺のとこにも姉妹やら何やら数人一緒に娶りませんかって紹介が来るし」

「へぇ、姉妹か……あ、じゃあ従姉妹も――って空海様結婚するのか!?」

 

 反応は遅れたが大ニュースである。詰め寄る馬超に対して、空海は冷静だった。

 

「少なくとも会ったこともない連中と結婚する気はない。結婚そのものも今は欲が湧かないかな。まぁ、ちょっと、思うところもあってね」

「……ふ、ふーん。そーなのかー」

「そんな棒読みで返事するくらいなら反応しなくていいのに……」

 

 数秒唸っていた馬超が、何かを閃いたように勢いよく顔を上げる。

 

「あっ、じゃあ母娘(おやこ)っていうのはどうなんだ?」

「その条件を満たすヤツがお前の周りに何人いるんだよ」

「え? え~と……ああっ!? 今のなし! なしでっ!」

「んー。明日、可愛い服を着てくれたら忘れるかも?」

 

 空海は割といい笑顔で告げた。

 

 

 

 

■詠の長い夜

 

「例えばこの明かりの量はおかしいわよ?」

「そうなんですか? あ、でもこんなに増えたのはここ5年くらいですね」

「あら、そうなの。油……じゃないわよね。これは何かしら」

「南方の木の実から作るロウソクというものです。大別すれば油になるようですよ。人肌程度では溶けませんが、火の近くでは、ほら。このように液体になっています」

「へぇ。なるほど、全身が燃料か……これは、賢いわね。でもお高いんでしょう?」

「あはは……そうですね。この一尺(23㎝)のもので一時(2時間)ほど燃えて、お値段は100銭くらいです」

「あら。意外と安いのね……いえ、そうでもないかしら? 手元が見られるくらい明るくしようと思ったら4、5本はいるでしょうね」

「そういうことです。これでも安い時期のお値段ですから、秋には倍くらいしますよ」

「朱里ならともかく、さすがにボクじゃ一時で1000銭は稼げないわ。それにしても、秋に高いってことは冬から安くなるってことかしら?」

「芯に使われる紙作りは冬場の仕事です。この木の実は夏のものですが、夏場に収穫したものを乾燥させて、江陵に運んでから約9ヶ月保管し、翌年冬場の仕事にするんです」

「ふぅん。それって冬の仕事ってことに意味があるのよね?」

「そうですね。冬場に他の仕事が減るというのもあるんですが、紙もロウソクも作る時に多くの熱を必要とします。ちょうど炭作りの最盛期が冬場なので、たくさんの火を使う窯から熱を分けて、お湯を沸かしたりロウを溶かしたりするんです」

「へぇ、3つの仕事を一緒に……面白いわ。やっぱりこの街は型にこだわらないのね」

「自分の目で外と比較したことがないので、実感はわきませんが……」

「そもそも日が落ちてからもこれだけの人間が昼と同じように動き回って――あら?」

「 イディー カムニエー 」(※我が元へ来い の意味)

「ひゃわわああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!?」

 

「くくくくうかい様はくくくらいところから『いでぃーかむにえ』しゅるの禁止ですっ」

「ええっ! じゃあ何ニエーならいいの!?」

「何にえーでも駄目です!」

「あんたたち仲が良いわね……」

「あっ、え、詠しゃん! 知ってたなら教えてくだしゃいっ!」

「空海様があんたの後ろに立ったのが見えただけで、何をするかなんて知らないわよ」

「文和は偉いぞー。何をするのかもわからないのに信じられるなんて、見事な忠誠心だと感心するがどこもおかしくはないな」

「悪戯の片棒を担がされた上にそれで忠義を測られても、全っ然、嬉しくないわ」

「空海様っ! 聞いてるんですか!」

「聞いてる聞いてる。ごめんね孔明ー。ほーれ、よーしよしよしよし!」

「はわっ!? はわわ、しょんな、これくらいで。――えへへへ」

「朱里……あんたそれでいいわけ?」

 

「二人とも晩ご飯は食べた?」

「あ、これから食べて帰ろうかと思っていたところです」

「この時間でも食べられるところがあるから、ついつい遅くなっちゃうのよ」

「実は南方の豪族から変わったメンマが届いてさ」

「……星さんですか?」

「逆に聞くけど、星以外に居るの?」

「いやいや、子龍は喜んだけどそうじゃなくて。あと子龍、江陵には色々とメンマ料理があるから、そのままで食べるのは減ったらしいよ?」

「加工して食べてるだけでしょう」

「そうですね」

「否定できない……。とにかく、メンマ料理なんだけど、前に袁本初から貰ったもち米があったから、ロウツォンっていうのを作ってみたんだよ」

「ツォン? ちまきですか?」

「そうそう、肉ちまきー。お酒にも合うらしいよ。俺も手伝ったんだ」

「相変わらず無茶苦茶な君主ね……」

「子龍はもう出来上がっちゃってるから、『メンマが美味い』以外の感想をくれるヤツを探してたらお前たちを見かけて、カムニエーしたと」

「アイツはどこまでメンマなのよ……。ああ、ボクは行くわ。月にはもう、ご飯を食べてから帰るって伝えちゃったし」

「あの、でも、よろしいんですか?」

「あ、じゃあ孔明は来ないんだね」

「行きます!」

「お前は遠慮するフリしてるだけだと知っているぞ、孔明!」

「はわわわ」「わははは」

「あんたたちホントに仲が良いわね……」

 

「……で、なんでこの広場の床は光ってるのよっ。ただの石じゃなかったの!?」

「俺は注文通りに床を用意しただけだよ。これをやったのは于吉だね。貂蝉も同じことをやれるみたいだけど今回は断固拒否した」

「何でも于吉さんは方術を、左慈さんは道術をそれぞれ修められているとか。貂蝉さんや卑弥呼さんもそれぞれの道の第一人者だと聞いた事があります」

「よくわからんけど秘術か何かじゃない? 夜天光(やてんこう)とか言ってたよ。死ぬ気で方術の修行をするなら教えてくれるかもしれないけど、たぶん今のお前たちが聞いても答えないと思う」

「聞かないわよ。――アイツはなんか苦手なのよね」

 

「……で、なんでこの花は光ってるのよ。もうツッコミ疲れたわ」

「え? 桜って光る花じゃないんですか?」

「んなわけあるかァ! マトモだと思ってた朱里までここに染まってるなんてっ!」

「フフフ。この環境に10年以上も漬かっていればよくしみ込むさ!」

「ああ、そっか。朱里は江陵育ちだったんだっけ。……そっか。ごめんね、朱里……」

「なんで悲しそうな顔をするんでしゅか!?」

「まぁ流石の孔明も知ってることしか知らないよねって話じゃないか?」

「わはははは! 酒の肴には最高ですな、主! 美味い酒に美味いメンマ。見事な山水に光る桜の雪。そして女の涙、と。――ん? 何を泣いておるのだ、詠」

「何でもないわ……もう食べるもの食べて帰ろうかなって思ってただけよ」

「なんだ? 折角こんなに美味いメンマと酒があるというのに、勿体ない」

「もうボクのことは放っておいて、って、それ公良酒の最高級品じゃない!!」

「む? そうなのか?」「だいぶ飲んでるねぇ」

「知らずに飲んでたの!? 州刺史どころか九卿でも滅多に見られないくらいの高級品なのよ!? ボクだって初めて実物を見たのは江陵に来てからなんだから!」

「おぉ、実に美味い酒だと思っていたが、さすが主っ!」

「……ちなみに、その器に一杯であんたの給金2日分にはなるわ」

「8000銭くらいです」

「もうちょっとするよ?」

「…………。おおっ! さすが主ですなぁ! あっはっは!」

「今、考えるのを放棄しましたね」

「だいぶ間があったなぁ」

「驚いたからって落とすんじゃないわよ? ボクも飲むんだから」

「ま、お金のことは気にせずいくら飲んでも良いけど、明日に残るような飲み方はしちゃ駄目だよ」

「おおぉぉぉ……! 主ぃ~、愛しております~っ!」

「そう……ありがとね。さっきロウツォンに同じことを言ってなかったら、お前の愛にももう少し価値を認めたんだけど」

「ちまきと同じくらい愛してると。……そうね、ボクもちまきと同じくらい愛してるわ」

「その哀れみと嘲りを込めた目と台詞をやめてください しんでしまいます」

「わ、私はもっと好きです!」

「うぅ、生き返るよ、孔明ぇー」

「はわっ、空海さまー……えへへへ」

「茶番ね」

「鼻で笑うなし」

 





 なんかこういう江陵の描写も求められていた気がしたのです。
 それと告白します。5章最終話で周泰への指示を書かなかったのは素で忘れていたからです。将軍ではなく忍者なので、忘れていなくても書かなかったかもしれませんが。

>究竟頂
 究竟頂は「くっきょうちょう」と読みます。色究竟天(しきくきょうてん)という極楽系の超凄い世界から名をあやかった「超凄い場所」という意味。鹿苑寺金閣にあります。

>十常侍などが職権を超えてこの取り次ぎの役目を負っていた。
 蒼天航路では。

>江陵春の司馬祭り。
 周瑜の親との関係はほぼ史実ですが、八達の年齢とか妾腹とかはウソです。

>司馬家次女
 司馬懿のこと。璃々が江陵に来てから3年……同い年でキャラ立ちまでハイスペックな天才8歳児が現れた! もちろん三代目クッキー様なんて書きませんよ?

>是謂道紀
 本当に老子の一節です。『異色の章』も本当。贊玄第十四。
 執古之道、以御今之有、以知古始。是謂道紀。 温故知新で道の始まりを知る。

>漁陽の塩鉄、楽浪の薬草
 幽州漁陽郡は塩鉄の産地。幽州楽浪郡は現在の北朝鮮から韓国。

>上に若くて結婚できそうな奴が一人いる
 この小説の初平二年は西暦201年で、劉協(献帝)は11歳くらい。
 史実の初平二年は西暦191年で、劉協は夏4月には11歳のはず。

>長い夜
 実験的手法。評判が良かったらまたどこかでやるかも。

>ロウソク、ちまき
 ロウソクは史実で数十年後に、まだかなりの貴重品として扱われている記録が。
 ちまきの歴史は古く、紀元前から食べられていたらしいです。

>給料
 漢の一般的な将の給金は年10万~60万銭。一般的な兵12~75人分。


 その他の解説、雑記は活動報告にて。
 次章は一応この閑話の内容を受けたお話です。

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