無双†転生   作:所長

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6-3 本日、晴天!

「逃がすな! 追えっ!!」

応ッ(おおおおっ)!』

 

 夏侯惇たちは今、賊の討伐を行っている真っ最中だった。

 曹操と別れて早1ヶ月。各地の賊を追って討伐を行う役の夏侯惇と、大都市圏を回って民心を落ち着ける役の曹操。適材適所というもの――らしい。それを言った郭嘉は今、夏侯惇を含めた遠征軍の頭脳となっている。郭嘉の指示通り移動して、戦って、勝つ。この繰り返しだ。最初こそ味気ないと感じたが、なるほど、これだけの勢いで賊を討てるなら曹操の元に帰る日も近いだろう。

 

(華琳様は今どこかなぁ……)

「華琳様は今どこかなぁ……」

 

 まぁいくら帰る日が近いとは言え寂しいものは寂しいのだが。

 

「今は(はい)(しょう)県の辺りのはずですよ」「姉者は可愛いなぁ」

「おおっ! 我が家の近くにおられるのか! ならばすぐに歓迎の準備を何故私の考えていることがわかったのだ!?」

「声が出ていたぞ、姉者。あと、ここからでは馬を飛ばしても4日はかかる」

 

 慌てる姉に向けて夏候淵がのほほんと答える。最も緊張を強いられた徐州との境を抜けたため、少しだけ気が抜けているようだ。

 とはいえ、気の抜けるような戦闘が続いているのだから仕方がないのかもしれない。

 今回の戦闘も、千に満たない賊軍を、万に近い数の精兵で三方から包み込むようにして追い立て、集まったところに矢を射掛け、壊走したところをまた三方から追い立てて矢でとどめを刺し、僅かに逃げ出した者を集団で追わせているだけなのだ。

 賊に容赦はしないし自軍の被害も最小に抑えるべく注意しているが、個別に追わせる段階まで進んでしまえば、もはや指揮することも注意が必要な事案もない。

 

「春蘭様ー、もう賊の人たち残ってないってー」

「お? おお、よくやったぞ、季衣!」

「ご苦労だったな、季衣」「お疲れ様です、季衣」

「あっ、秋蘭様、稟様、たっだいまー!」

 

 想像を超えるイナゴ被害のせいで曹操たちは内憂外患に陥り、遠征能力までもが大幅に制限されてしまった。領内の不安要素を取り除くことが急務となって、それ以上の遠征も困難になった。その結果として初動が速くなったのは皮肉という他ないだろう。

 そして、初動が早かったために領内で10万を超える賊が発生していながらも、彼らが集結する前に大半を討伐できている。

 

「秋蘭様、怪我人の治療は終わりました。動けないような兵はいないみたいです」

「うむ。ご苦労、流琉」

「おかえり~、流琉」

 

 郭嘉は勝つための努力を惜しまない。現状、兵は一人でも貴重だ。故に同数の敵と戦うというような愚は犯せない。ある意味では守るべき民よりも重要なのだ。

 過去ひと月で15回以上も戦いながら、敵は全て自軍の半数以下。そうでありながら、討伐した賊の総数は自軍の5倍以上。言い換えれば、およそ1万の遠征軍が僅か数百人の被害で5万以上の賊を討っている。

 一つひとつの結果は当たり前だ。訓練も受けていない農民が武器を持っただけの集団の前に、遠くから精強な騎馬集団が土煙と共に現れ、賊を指揮するものがいなかったらどうなるのか。散り散りになって逃げ出した先に、自分たちの数十倍の数の精兵が陣を組んで待ち構えていたら。おっかなびっくり構えた盾とは別の方向から矢を射掛けられたら。

 その当たり前の積み重ねという離れ業を当たり前にこなしているからこそ、討伐は完全に順調だった。

 

「大丈夫ですよ、春蘭。このまま進めば陳留までひと月も掛かりません」

 

 討伐は、より大きな集団を残す後半戦に差し掛かる。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 災害支援を決めた江陵ではあるが、最大の争点は最大の被災地にあった。

 

「風はこれを曹操さんに恩を売る最大の好機と考えますー」

「ボクはどっちかというと大反対よ。今こそ曹操の力を削ぐべきだわ」

 

 程立と賈駆、両者共に主張しているのは曹操への積極支援だ。だが、二人の求めている結果は正反対のものと言える。

 

「曹操の才と領土野心は必ず大陸全土を巻き込むわ」

「曹操さんは覇王たる人物ですので、恩を忘れて襲いかかるようなことはないでしょう。既に与えた恩を含め、枷をつけておくことに損はないかとー」

「恩と施しを分けるのは感情よ。そして施しは『覇王』の恨みを買うでしょう。あんたの言う『覇王』って他人に言われただけで感情の名を変えるような小者なわけ?」

「はて? わざわざ他人が諭す必要があるのでしょうかー?」

 

 議論を見守る者のうち、孔明は程立に、鳳統は賈駆に、それぞれ消極的な賛意を示していた。立場上、それ以外の意見を表明しづらいためだ。周瑜は意見をまとめるため、聞き役に……否、空海への説明役に徹している。

 

「つまり詠は、この機に曹操を封じ込めなければ、彼女自身の飛躍のため、全土に戦渦を広げるだろうことは間違いないだろうと言っています」

「まぁ、うん。それらしい意見だね」

「対して風はそれを否定せず、全土へと広がるだろう戦渦を、江陵に及ぶことがない形に収められるだろうと言っています」

「積極的に関わろうという意味か」

「一方で詠は、曹操の意志を江陵の望む形に収めるのは困難で、王としての判断を曲げるかも曖昧であると反論しています」

「なるほど。それももっともな話だ」

「しかし風は、そもそもこちらが曹操の方針を変えるのではなく、曹操自身に――」

 

 

「――うーん。このままでは平行線だな」

 

 空海が議論の合間に挟み込むように告げたことで、吸い込んだ息が音に変わることなく吐き出される。

 

「文和、仲徳の意見はどちらも一面から見れば正しいし、見方を変えれば不確定の要素が目立っている。公瑾や俺が決めてもいいけど、折角だから今この時、どちらの方が優れた結果を出せるのかを……ちょっと競ってみようか?」

 

 言葉とは裏腹な子供っぽい表情で提案した空海に、軍師たちのため息が重なった。

 

 

 

 玉座の裏にある大きな遊戯板の周りには今、江陵の上位6人の姿があった。意地とプライドを賭けた本気の戦略ゲームのために。

 

 

(――舐めてたつもりはないけど)

 

 対局が始まってから変わらず顔に貼り付けている難しげな表情の裏で、賈駆は初手から表情まで含めて全力で事に当たって正解だったと自画自賛する。それだけで、少なくとも表情から手の内を読まれる可能性が激減するはずだからだ。

 そして隣で賈駆と同様に表情を貼り付けた――彼女の場合は無表情だったが――鳳統に強い感嘆と畏怖を抱く。十手、二十手と先を読んで盤上を動かす鬼才と呼ぶにふさわしい希代の策士。おそらく賈駆とて正面から挑んだのでは十回戦って十敗するだろう。初めのうちに分担を申し出されていなければ、今頃は手の解説を二桁は願っていたはずだ。

 

「ではでは、ここに駒を進めたところで手番の終了を宣言しますー」

 

 賈駆は内心舌打ちしたい気持ちを押し込める。考える時は眠そうな表情で、手を見せる時にはうっすらと笑い。それ以外にも動きの度に僅かに変わる表情が、程立の作ったまやかしであると()()()()()()()()()()()()、それで感情が動くことを止められない自分に腹が立って仕方がない。そして、そんな賈駆の内面を覗き込むような視線で、程立がじっとこちらを観察していることも苛立ちを増長させていた。

 

 

 

(――焦りはあるようですが、手の内は読ませて貰えませんねー……)

 

 程立はその胸の内に、賈駆に対する静かな賞賛を滲ませる。盤面は今のところ程立たちに有利だと言えた。この瞬間を取り出して見れば程立陣営がやや苦しい局面に立たされているようにも感じられるが、最初から大局で勝つと決めて戦っている以上は、押し切られなければそれは勝利に限りなく近い引き分けだ。賈駆もそのくらいはわかっているだろうが、内心は()()()()読ませて貰えない。

 

「これで撃破ね。戦闘状態から抜けた都市は将を入れ替えて調練と補修を指示するわ」

 

 隣で表情を消している孔明や、賈駆の相方を務めている鳳統などならまだわかる。この遊戯に何年も親しんだ存在であるし、研鑽を重ねて来たことは想像に難くない。だが、聞けば賈駆はこの遊戯にほとんど初めて触れると言うではないか。江陵に集まっている才の豊かさに思わず笑みを浮かべそうになり、わざとらしいあくびでそれを打ち消す。

 賈駆の瞳が僅かに揺れたのを見て少しだけ申し訳ない気持ちになりつつも、程立は眠そうな表情を変えないまま盤面に目を落とした。

 

 

 

(両者共に孔明、鳳統には及ばず……しかし得意な面に関しては追随を許さず、か)

 

 局地戦ではあるものの、孔明や鳳統だけでは絶対に見られないような鮮やかな逆転劇が散見される。両者の手を全て見た上で記録している周瑜をして、それは敵に回したくない類の妙技だった。

 空海が遊戯で決着をつけようなどと口にしたときには後で説教することも視野に入れていたものの、今この盤面を見る限り、遊戯であるが故に全力でぶつかり合うことができ、全力でぶつかり合えるが為にお互いを知る良い機会となるだろうことがわかる。

 本人たちには自覚もなかっただろうが、お互いの言葉を聞くべき機会に、自らの言葉を口にすることを優先している節があったのだ。冷遇されてきたのか、あるいは才を発揮する場を求め続けてきたのかはわからないが、そういった人間ならではの悪癖を身につけてしまっていた。

 周瑜はこの交流を機に両者が良い方向へ向いてくれることを願いながら、また一手、記録をつけていく。

 

 

「仲徳の側が有利に見えるけど、文和の方も動きを誤魔化してるねぇ」

 

 ゲームを眺める空海が感心したように言葉を漏らし、隣で周瑜が頷いて同意する。

 孔明の戦略をベースに各地の戦場を間延びさせ続ける程立と、鳳統の戦術を武器に要所を丸ごとひっくり返す賈駆が、いわゆる戦略ゲームで競い合っている。本気で取り組ませるためにご褒美を用意したとはいえ、ゲームとは思えないほどのド本気っぷりだ。

 

「風と朱里の方が恐ろしく感じますが、詠と雛里の方は相手取りたくない打ち筋ですな」

 

 じわじわと、煉瓦を積んで壁を作るような動きをしているのが程立と孔明のチーム。

 壁の前で武器を持ち、隙を突いて内側から壁を一気に崩したり壁に守られているはずの中身ごと奪うようなスタイルで戦っているのが賈駆と鳳統のチーム。

 

「それにしても良い勝負……だけど、千日手の一歩手前かな」

 

 壁を育てる早さとそれを崩す速さの勝負になりそうなものだが、圧倒的な観察眼とどうやっているのかもわからないような程立の誘導が崩壊を防いだり、遠い戦場で起こした行動の余波を正確無比に読んだ鳳統によって寡兵が大軍を破ったり、僅か数回の手番だけで兵数を倍化させる孔明マジックによって戦線の膠着が失われたり、お互いの戦場を支えるはずの前線都市に賈駆の手が入ることで何故か両者を交換することになったりと、現実で起きて欲しくないようなことが次々と起き、ゲームはカオスに陥っていた。

 

「もう20ずつも手番を進めればある程度は動くでしょうな」

「ふーむ。待ってもいいけど、そろそろ介入しようか」

 

 空海が自分で打っても孔明や鳳統には遠く及ばない。だが、長年の研鑽と第三者という立ち位置と周瑜の解説によって、戦況は概ね正確に把握できている。

 手番が程立陣営に移ったところで、空海が立ち上がって注目を集めた。

 

「お上の命令だ。北方で異民族の大規模侵略が発生した。ふた月以内に、双方が所有する人口5万以上の都市1つにつき、2千の兵と兵糧1万石を供出せよ。支度金として先述の都市1つにつき1千万銭を与える」

「んなっ」「ぉお?」『……』

 

 賈駆が頬を引きつらせながら、程立が目を少しだけ見開きながら反応し、賈駆を助ける鳳統と程立についている孔明は表情を殺したまま、その命令の内容を吟味する。

 絶妙な数字だ。富国政策の程立と孔明に有利にも見えるが、都市の数や質から考えれば負担が大きいのもこのチームだ。だが、より少ない兵数をやりくりしていた賈駆と鳳統のチームへの打撃も大きい。いずれにしてもここで対局が動くのは間違いないだろう。

 

「次は仲徳の手番だが、しばらく後の文和の手番でいくらか減らして兵を返却しよう」

「つまり、それがいつになるか、どの程度減るのかも明らかにしないってわけね」

「その通り」

「長引けば、今後もこのようなことがあるのでしょうかー?」

「手を変え品を変え、ね。頻度はわからないよ。孔明たちの対局を含めて、こんな介入をしたのはまだ4回目なんだ」

 

 僅かな間、場を沈黙が支配する。

 若干の苛立ちを滲ませながら、賈駆が空海を睨んだ。そんなにも不甲斐ない対局をしていたように見えたのかと。

 

「なんで、介入したのかしら?」

「うん。これが名勝負であって名局ではないから、かな」

 

 今度こそ、全員が沈黙した。

 

「万人が喜ぶ対局ではない。だが、学ぶものが知るべき対局だ。だから、彼らが知るべき出来事を割り込ませた。いい考えだろ?」

 

 無表情を繕っていた鳳統や孔明が視線を泳がせて頬を染める。表情を作っていた賈駆や程立までもが僅かに頬を緩め、慌てて顔を背けた。そして直後、自らの手落ちに気付いたように慌ててお互いに目を向け合ったところで、青い羽織に視線を阻まれる。

 

「双方、目を閉じろ。10、数えたら目を開けて、仲徳の手番で再開だ」

 

 誰もが目を閉じた暗い視界の中、安堵のため息や小さく吹き出す音などが聞こえたが、それが誰のものだったのかは賈駆にもわからなかった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「一昨日、15万に迫る江陵軍が南陽を越えたそうです。確認されているのは黄蓋だけですが、念のため襄陽方面の索敵を強化しました。既に近隣の兵に集結を命じています」

「ッ、そう。よくやったわ、桂花」

 

 曹操は漏れそうになった悪態をどうにか飲み込む。数刻(1時間程)前に届いた第一報で状況は予想出来ていた。曹操たちが弱り切るだろう時期はまだ少し先だが、弱り切るのを待つ必要があるのは弱者だけだ。思っていた内でも悪い方から考えた方が早い状況。

 

「何人、集まるかしら?」

「江陵の足ならば、ここ許昌までは遅くとも4日以内、早ければ明日には到着します。明日までにはどれほど多くても2万……4日あっても3万。さらに6日稼ぐことが出来れば陳留から春蘭たちと3万を呼び寄せられますが……」

 

 許昌を放棄して陳留まで撤退すれば合流を2日は早められる。荀彧が口にしなかったのは、それが曹操の戦い方に反することだからだけではなく、そこまでしてもなお勝ち目がほとんどなかったからだ。

 

「少ない糧食で遠征を繰り返して兵は疲弊している。最悪、2万の兵で15万を抑えなくてはならない。どんなに保たせていてもこちらは合わせて6万ということね。……士気が崩壊しかねないわ」

 

 息苦しさすら覚える緊張感の中、時間だけが過ぎていく。

 間もなく夕刻を迎えるという時間帯だ。街の喧騒が僅かに届く。そこに含まれた感情の色がにわかに変化したことに、曹操だけが気付いた。

 

「失礼します! じょ、城門前に黄勁弓(けいきゅう)将軍様と程従事中郎様がいらしております!」

「は!?」

「……最後通牒かしら? あちらから来てくれるとは親切ね。丁重にお通ししなさい」

 

 曹操は驚く荀彧に命じて楽進たちを呼びつける。黄忠と向き合おうというこの時、果たして抑止力たり得るのかを自問しながら。

 

 

「……お迎えも出来ず申し訳ございません」

「私たちも先触れを出していませんし、有事にあって気遣いは無用です」

「はっ」

 

 黄忠たちの表情に曹操に向けての敵意や侮りが見当たらないことを見抜き、楽進たちの抱く緊張感が僅か弛緩した。

 

「空海様からのお言葉を伝えます」

 

 黄忠が恭しく書簡を取り出すと曹操や荀彧は流れるように、慣れない楽進たちは慌てて膝をつく。全ての人間の頭が下がったことを確認して、黄忠が書を広げる。

 

「『陳留、豫州1000万人の民に哀れみ、穀物1600万石他を与える』」

『なあっ!?』

 

 衝撃が、走った。

 

 穀物1600万石ともなれば、1000万人のひと月分の食料を上回る量だ。

 曹操陣営はこれまで、1000万石2000万石という量が足りないと考えられる中で10万20万といった単位でしか食料を用意することが出来なかった。

 上出来だと言える。

 朝廷が行った最大級の援助が150万石なのだ。足りない量で見れば全く話にならないが、用意できた量で見れば朝廷と比べられる。

 1000万人が苦しむとしても、150万石しか出せない。それが国家の限界だった。

 そこへ来て、1600万石という天の恵みとも呼ぶべき援助。

 だがそれは、朝廷からの援助の10倍以上を得ること、つまり天子の面子を潰す行為に他ならない。江陵は曹操陣営を助けるため、支援という形で国の力不足を痛烈に批判して喧嘩を売ったに等しい。それも、万人が正しいと思える手段で、だ。

 

「――空海様のお言葉を遮るほどの何かがありましたか?」

 

 黄忠が曹操たちに向け、柔らかな声色で問いかける。謝罪以外の音が聞こえたら斬首に処するつもりで。空海に向ける笑顔と同じものを浮かべて。

 アレは優しいお姉様が年齢を聞かれたときに浮かべる笑顔と同種のものだと悟った曹操陣営は一斉に押し黙り、結果、曹操だけが慌てて謝罪のために頭を下げた。

 

「し、失礼いたしましたっ!」

「――そうですか。では、続きを。『米250万石、ヒエ350万石、キビ400万石、粟400万石、大豆200万石。加えて塩100万石』」

『……ッ! ……!?』

 

 次々と告げられる単位を間違ったのかと思うほどの物資。一同は絶句と絶叫の狭間で必死に耐え続ける。

 

「『加えて牛2500頭、馬2500頭、羊8000頭。加えて見舞金1億銭』」

 

 曹操が手を取れば、天下への喧嘩を出血大サービスで売りつけることになる。そこに待つのは間違いなく流血沙汰だ。覇王の行いではなく、江陵の臣下に限りなく近い何かへと成り下がったとも取れる。しかしそれが大衆の正義に沿っているからややこしい。

 曹操が手を取らなければ、1000万人の民が敵に回る可能性が生まれる。加えて、自軍最大6万に対して江陵15万の兵をも相手取らなくてはならないだろう。どう考えても待っているのは破滅だ。

 

 曹操は背中に冷たい汗が流れることを自覚した。

 支援を受けるか、死か。1年前の自分なら、いや、3ヶ月前であっても、そんなことを聞けば一笑に付していただろう。思えばあの頃は楽しかった。豫州を手中に収めるべく、軍師たちと語り明かした。大切な部下たちと未来への展望を語ったりもしていた。江陵に売りつけられた恩などのしをつけて返してやろうという――

 

「『――並びに、米類脱穀機設計図。大豆、麦、粟の種籾各1万石。袁術でもわかる災害対策の基礎。()()染色指南書。輪作農業指南書を授ける』以上」

『……』

 

 大盤振る舞いどころではない。下手をすれば、曹操が過去数年で集めた税収の総額をも上回っている。荀彧など、いくら未曾有の危機であったとしても、それだけでこれほどの支援を行うだろうかという疑問を浮かべてすらいた。恐怖を感じる物量だ。

 曹操の内で、冷静な部分が主張する。これを受け取り、後に強大になってから無理なく返しても言い訳は出来る。反董卓連合の折、彼女たちが正しいと知りながら天下に喧嘩を売ることをしなかったのは何故だったのかを思い出してみろと。

 だが同時に、熱い何かが曹操を揺さぶるのだ。もし自分であればこれほどまでの支援を行えただろうかと。高値で受け取っておきながら安値で返すことが覇王の行いかと。

 

「つ、謹んで……」

 

 膝を折るべきか、天下に喧嘩を売るべきか、膝を折らずに天下に喧嘩を売らずを選べるのか、曹操の中でいくつもの選択肢が生まれては消え、声と瞳を揺らした。

 

「謹んで――」

「すみません。先に風からもお伝えしておくことがあるのですよ」

「ッ、失礼しました」

「いえいえ。まず、風たちは南陽の方から来たのではありません」

「……え?」

「風たちは洛陽にて天子様に謁見してからこちらに来たのです」

 

 曹操の目が驚愕に見開かれる。

 

「これは内々の御意向なのですが、間もなく洛陽より米400万石ほどの支援が行われることになるはずですー。もちろんこれまでの支援に追加してという形で」

「400万石、の、支援……?」

「洛陽では、この有事にあって死体を横目に不正を働く外道がおりまして、彼らの悪行のために物資を減らさねばならないことを天子様は深く嘆いておられました」

 

 実際には400万石のほとんどは不正に蓄財された資産から支払われる。400万石分が増えた計算になるのだが、建前というものは重要なのだ。

 

「もとより京兆尹や冀州など天子様が慈悲を分け与えねばならない土地は多いですから、江陵に近い陳留や豫州へは空海様が主になって支援を行い、天子様はさらに広く遠くまでご威光を伝えられてこそ、民の憂いを打ち消す近道になると悟られたのだとかー」

「……天子様の慈悲に、感謝、いたします」

「ふふ、内々の御意向ですよー。不正に心を痛めておられた天子様は、華美に飾る必要もなしと仰せでしたのでー。そのように対応されて良いかと存じますよ?」

 

 つまり彼女は、江陵からの支援を受け取りやすいよう、受け取ったときのデメリットを潰しておいてやったぞ、と言っている。理解が追いついた瞬間、曹操はカッと頭に血が上りかけ、直後、絶大な利を捨てる愚に阻まれて怒りを鎮火させた。

 

「そういうこと……。江陵に、部下のごとく気にかけて貰うなんて……いえ、貴女たちに大恩があることは変わらない。感謝させてちょうだい」

「礼ならば空海様にしてください」

「そうですねー。洛陽を動かすために持ち込んだ2億銭は、空海様が指示して風に預けて下さったものですのでー」

『2億!?』

 

 何らかの思惑があるとして。支援を行いやすくするために、地方の一都市が、国家予算の1厘(1%)を超える額を、皇帝を動かすことに使う。その馬鹿げた規模の豪快さは曹操陣営を驚愕させるのに十分だった。

 これが曹操に向けられたのは都合が良かったからだろう。だが、自らの祖父を思わせるその豪快さと、好みと言いながら目を背けた小柄な男の記憶と、見えない場所から絶大な支援を行ってくれたことへの歪んだ感謝が、曹操の心をかき乱した。

 曹操が黄忠の前に膝をつき、深く頭を下げ、顔を上げないまま口を開く。

 

「謹んで、お受けいたします。民を代表し、空海元帥に御礼申し上げます」

「承りました。必ずお伝えしますわ」

「引き渡しにあたり、まず、南陽郡葉県に駐留しておられる黄鎮江将軍に触れを出して、兵と物資を誘導していただきたいのですがー」

「ッ! 桂花、すぐに伝令を!」

「はっ!」

 

 眠たげな声で告げられた黄蓋の行方を聞き、曹操が鋭く指示を発する。発見の第一報とほとんど時間差なく届いた支援の申し出に、万一軍の暴走などという形で答えたりしたら最悪である。仮に敵性と判断していたとしても、個別に反撃を加えるような者達は流石にいないだろうが、自暴自棄になりかねない条件も揃っているため油断できない。

 もっとも。江陵は曹操軍が暴走を防げるだろうと判断しているし、仮に攻撃を受けたとしても実力差でねじ伏せて弱みも握れる、と腹黒いことを考えているのだが。

 

「それともう一つ。本隊がこちらに来るまで風たちを泊めていただきたいのです」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 曹操たちが江陵の支援を受け入れると決めてから三日。昼を回るころになって、街には江陵の馬車が到着し始めていた。

 

「なんて進軍の速さなの……」

 

 曹操の側近として江陵軍を見る荀彧が呟く。南陽郡葉県から潁川郡許昌までの進軍ともなれば、伝令にかかる日数を除けば曹操軍でも倍は掛かる道のりだ。

 

「一人ひとりの装備も桁違いに良いわ。洛陽の北軍にはいくらか見劣りするかもしれないけれど。この部隊が特別というわけではないのでしょう?」

「はい。陛下の近衛と比べられるほどの装備が15万人分揃っていると見るべきです」

 

 曹操たちには既に江陵軍の陣営が伝えられている。黄蓋を筆頭にして兵15万人、馬車10万両の大集団。このうち9万両以上が初回の支援物資であり、冬までに今回を含めて計3回の輸送を行う計画であると聞かされた。

 

「桂花、うちの兵とは作業を分けなさい。勝手に比べて自信を無くすようなことがあっても困るわ。それと、民に配給を行う時にはこちらの軍を前面に押し出すこと」

「了解しました。江陵側へは要望という形でよろしいでしょうか」

「街の中では命令に従って貰う。だからといってこちらの兵士があちらの兵士を下に見るような態度を取らないよう徹底しなさい。江陵の兵が命令に違反した場合は抗議に留め、こちらの兵が命令に反した場合は、斬首よ」

「畏まりました。直ちに」

 

 荀彧が立ち去りかけたその瞬間。

 両軍の兵が向かった先から喚声が上がった。

 

『おぉおおおおおぉぉぉぉぉぉ……っ』

「「何事!?」」

 

 生やさしい響きではない。興奮や悲哀に満ちた声だ。

 大事を予感した曹操と荀彧は揃って現地へ駆け出した。

 

 

 そこに広がっていたのは、大の大人が膝をついて大泣きし、大の大人が空を見上げて大泣きし、大の大人同士が抱き合って大泣きし、江陵の兵がそれを慰めている姿だった。

 与えられた職務を放棄して、というより横に置いたまま、最後の瞬間まで曹操に従って命を投げ出せる精兵が、千人を超える兵士たちがうずくまって泣いている。

 

「アカーン……これはアカンてぇー」

「沙ー和ーもぉー無ー理ーなぁーのぉー」

「……グスッ」

 

 兵を指揮していたはずの李典、于禁、楽進まで、何かを手に涙を流していた。

 

「ちょ、ちょっとアンタたち! これは何!? 何が起こってるの!」

 

 いつもならまず文句か叱咤から入る荀彧も、驚愕と困惑の声を上げ。

 李典が手に持った紙の束を広げて見せる。

 

「これやぁ……オロロロロロロロ」

 

 

 ――そこには、目を見張るような達筆が並んでいた。

 

『美味しいものを食べて元気を出せ』『一口多く食べて一寸深く耕せ』『悪木の陰に休まず』『盗泉の水を飲まず』『善の善なるを知るを善とする』『里は仁なるを美しと為す』『太陽は昇る』『心は錦』『天知る、(ネコ)知る、我知る、子知る』『仁は天地になく人にある』『これで勝つる』『天網恢恢、疏にして失わず』『一陽来復』

 

 一つひとつが名筆と言っていいだろう、見る者の心を揺さぶる。

 

 それは、正しいことを為す勇気を肯定する言葉だった。

 それは、苦しみもがく者達に救いを与える言葉だった。

 それは、困難を乗り越え歩み出す力を生む言葉だった。

 

 空海の書、元気の出る言葉五百選と誇りを得る言葉五百選だ。

 

「これ、は……」

「――空海様の書ですよ」

 

 兵の間から現れた黄忠がにこやかに、誇らしげに告げる。その発言で、兵達の泣き声がさらに大きくなる。苦しく辛かった日々が報われたような気がして。これでやっと家族や友人を助けられると安堵して。

 一方で、推測を肯定された曹操たちにも衝撃が走っていた。そうだ。確かに空海の書跡だと。その美しさには曹操や荀彧たちにも見覚えがある。郭嘉に見せられた老子の一節と目の前の文字が一致した。

 眠たげな様子で曹操の側に立った小柄な少女が、柔らかく笑いながら書を指し示す。

 

「支援を決めてから十日もの間、空海様は不眠不休で、食事も取らずに両州の民に向けてお言葉を書き続けられました」

 

 何だそれはと、曹操は喉元まで出かかった言葉を飲み込んだ。それが君主のやることかと口を開こうとし、ただの一言すら発することが出来ずに奥歯を噛み締める。口を開けば今までの自分を否定する何かが溢れそうで、潤んだ瞳をなかったことにするように、拳を強く握り込む。

 

「両州全ての民に一つずつ書くためには時間が足りない。けれど、10万両200万箱、せめて送り出す全ての馬車に一つずつくらいは書いてみよう。そう仰ったのです」

 

 馬車10万両に1枚ずつ。10日間の不眠不休でも1分間に7枚以上を書かなければならない。墨や紙の用意を周囲に任せ、筆を20回以上取り替え、空海以外の人間は交代を重ねながら取り組んだ。

 

「知っていますか? 墨というのは石のように重いのです。掌ほどの大きさの墨を十枚も重ねて百歩も歩けば女官などは息が上がってしまいますし、紙を千枚ほども重ねてみるとまっすぐ積み上がらないこともありました。使いすぎた筆は一つひとつの毛が細くなって折れてしまいます。さらにさらに、墨を擦りすぎると硯にも穴が開いてしまうのです」

 

 吃驚仰天ですねー、と少女は目を細めて笑う。

 

「ばっ……バカじゃ、ないの……っ! 本当、に、バカだわ。こんな……!」

「そうですねぇ。風もそう思います。でも、風たちもバカでしたので、そんなことを言う空海様に協力することにしたのです」

 

 あちこちから鼻をすする音が聞こえ、こぼれた涙が拭われる。その中には天下一気丈な少女や、天下有数の男嫌いの少女の姿もあった。

 

「色々ありましたが、風は満足しているのです。そしてこれは空海様に協力した風たちの総意なのですがー」

 

 言葉をため、一呼吸を置いて、しっかりと頭を下げる。

 

「――どうか曹操さんの力で、一人でも多くの人々を助けてあげて下さい」

 

 曹操は目の前で少女に頭を下げさせたまま、自身を落ち着かせるため何度も深い呼吸をした。周囲も黙ってそれを待つ。

 彼女たちの礼に無様を返すことは出来ない。否、そうならないよう曹操が落ち着くのを待ってくれてさえいる。最高の状態で返答すべきだ。

 わかっているのに、ようやく出せた言葉にはまだ、僅かな震えが残っていた。

 

「私はね、借りたものは返す主義なの。……この借りは、必ず返すわ」

 

 曹操がさらに大きく息を吸って吐く。今度こそ震えが止まり、その身に纏う覇王の気配が何倍にも膨らむ。

 

「米一粒でも無駄にせず活かしきることを、我が真名に誓う」

 

 少女が頭を上げた時、曹操の目は燃えていた。

 太陽のように、燃えていた。

 

 

 

 やがて止まっていた軍が動き出す。と言っても江陵軍が馬車から荷を降ろして曹操軍に引き渡していくだけだ。今回引き渡すのは主に穀物が詰まった木箱約200万箱。江陵の街中から職人をかき集めて作った600万石に迫る支援物資。実際、緊急の支援としてはこれ以上は行えないくらいまで全力を出し切っている。600万石ずつ3回に分けたのも江陵から陸路で一度に運び出せる物資の限界に当たったからだ。

 馬車についた江陵側の兵士は馬車の上を行き来するのみで、もう半分の曹操側の兵士も馬車達の合間を縫うように働いているため、多数の兵士が大量の荷物を動かしている場の割には落ち着いているように見えた。

 もっとも、所々で涙を拭う仕草や鼻をすする音が止まないあたり、目に見える落ち着きと内心とは必ずしも一致していないようだが。

 

「おお、そうでした。曹操さんに風から一つお願いがあるのですよ」

 

 しばし荷の上げ下ろしを眺めていた曹操の耳に、気遣いを感じさせる声が近づく。

 

「何かしら。できる限りのことはするわよ」

「大したことではないのですよ。稟ちゃんに言葉を伝えて欲しいのです」

「あら、この私を伝言役に使うの? ふふっ、いいわ。言ってごらんなさい」

 

 では、と頭を下げた少女は簡潔に告げる。

 

「風は父と母よりいただいた(てい)(りつ)の名を返上し(てい)(いく)と名乗ることにしました、とだけ」

「――そう。必ず伝えましょう」

「よろしくお願いしますねー」

「どうして名を変えたのか聞いてもいいかしら?」

 

 名を変えるというのは一大事だ。自身が高く評価する程昱ほどの人物の理由は、曹操も知ってみたいところだった。

 構いません、と答えた程昱は少しだけモゴモゴと考えをまとめるように口を動かして、やがて眩しいものを見るように目を細めて語り出した。

 

「空海様は十日間の不眠不休で書き上げられました。風もそれにお付き合いしたのですが……クスッ、恥ずかしながら三日目の夜に意識をなくしてしまいましてー」

 

 程昱の居眠りする姿が容易に想像でき、曹操も小さく笑う。

 

「風はその日の夢で、日輪の御座す蒼天(晴れわたる大空)を懸命に支えていたのです。ですが目を覚ますとそこに蒼天はなく、ただ、目の前に青い衣が広がっていたのです」

 

 程昱は高く空を支えるように伸ばした手を説明と共にゆっくり下ろす。

 

「青い衣は風に向かってこう告げました。『天子を動かせ』と」

 

 その言葉は、程昱にとっては特別な意味を持っていた。

 正確には「文和(賈駆)の策が動き出した。お前も洛陽に向かい、天子を動かせ」だ。洛陽内の不正を天子自身に気付かせ、ついでに江陵にとって思わしくない人物を片付けるところまでを賈駆が指示し、程昱は没収した財産を支援に回させて寄付金(2億銭)で朝廷の方針を定めさせた――のだが、それはこの時点から見れば未来のこと。

 ふらふらと空海の前に立ち、寝起きだったのでバランスを崩して空海の股間に向かって頭突きを繰り出し、恥ずかしかったので乙女を傷つけた報いを与えたところ、何故こんな理不尽な仕打ちを受けなくてはならないのかと空海に問い詰められたりもしたが、些細なすれ違いを除けば人生の転機と言って良い出来事だった。

 すなわち、空海とは夢に見た日輪の御座す蒼天(天子を動かす者)だったのだ、と。

 程昱に自身()を支えることを期待してくれているのだと確信に至り。

 

「風は青い衣に日輪の輝きを見ました。故に、その日輪を支え立つことを誓ったのです」

 

 程昱はまだ誰にも言っていない話ですよと笑う。その笑みには誇りが垣間見えた。

 話を聞いた曹操は絶句する。空海の言は『()()()()()()()』ものだ。程昱の言は『()()()()()()』ものだ。

 だが、二人の言葉は生きていた。野心的で傲慢で、それでも命の輝きがあった。

 死にかけの天下で、なんて眩しい生き様かと曹操は思う。

 

「程仲徳――いえ、()()

「はいー」

()()殿()に『見事』と伝えてちょうだい」

「承りましたー」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「……見てみろ」

 

 空海はそう言って周囲の軍師に、天子の決定を通達する書を見せる。

 

「あわわ……」「はわわ、凄いです」「やるわね」「ああ、素晴らしい」

「どうやら俺の目は曇ってたみたいだね」

 

 静かに告げた空海に、周囲の空気が固まった。

 だが程昱だけは、穏やかな表情を崩すことなく。

 

「仲徳、お前を見くびってた。ごめん」

 

 そう言って空海は頭を下げる。

 通達には、陳留と豫州への400万石に始まり、冀州、涼州、京兆尹、南陽ら被災地へ計800万石近い穀物の支援と、該当地域への田祖(土地税)の免除が行われると書かれていた。高級官僚数人の処断と、戦略ゲームのご褒美として与えられた自由裁量の2億銭を動かしただけで得られた対価としては、まさしく桁外れだ。

 高級官僚の地位など2億銭もあれば買える。さらに2億銭を追加したところで、出費は多くても2倍程度だ。対して1石数千銭にもなっている穀物800万石となれば百億銭は下らないし、該当地域の田祖も30億は超えるだろう。合わせれば国家予算の半額を軽く上回る。それを、認めさせた。道理が味方していたとしてもとんでもない成果だ。

 

「クスクス……風には天が味方していますのでー」

「マジで」

 

 おそらくは江陵による経済の活性化がなければなしえなかっただろう。同時に、現在の税収に慣れてしまっていたら対応できなかっただろう。活発になった経済によって税収が激増し、しかしその使い道に慣れていない(天時)だからこそ出来た偉業だ。

 下手を打てば江陵(地方都市)より下に見られかねないという特大の矛による脅しも多分に含まれていたからだろうが。

 程昱が僅かに目を細める。

 

「それに、戦略遊戯の際、ご期待に添えなかった風にも責任があるのですよ」

 

 先日の、意地とプライドを賭けた戦略ゲームでは、要所で行った3度の介入を尽く有効活用した両陣営が逆に拮抗状態を強めてしまい、日暮れまで対局がもつれ込んだところで程立と孔明が敗北を宣言した。

 だが、賈駆と鳳統が「先に負けを宣言されたことこそ敗北」だと主張し、曹操陣営への対応を全面的に譲歩。以後は激しい譲り合いの応酬があり最終的に両者の良いとこ取りを目指すことになったのだった。

 謝罪の言葉と共に頭を下げた程昱を見て空海が立ち上がる。

 

「こんな凄い成果をお互いの謝罪で飾るとか、ちょっと何言ってるのかわかんないよね」

 

 空海は周りの軍師たちに笑いかけながら程昱に近づき、その手を引いて立たせた。

 

「ほら、立って。もちろん許すよ、仲徳」

 

 ふわりと風に舞うように立ち上がった程昱は、片手をそっと空海の胸に置き。

 

「空海様、風からは許すに代わり一つお願いがあるのですよ」

「何かな? そこそこ重いものまで認めよう」

「はい。風は『(てい)(りつ)』の名を改め、日輪を支える『(てい)(いく)』を名乗ることにしました。どうか、程昱の名と共に生涯の忠誠を捧げることをお許し下さい」

「か……かなり重いお願いだぞ、それ。……でも。うん、認める」

「ふふ、ありがとうございますー」

「じゃあ俺の真名も許すね。()()()()()()()。俺に仕えろ、()()

「――はっ」

「これからも私的な場面以外ではお前を真名で呼ばないし、俺の真名は呼ぶなよ。そこはまぁ微妙なあれこれってことで理解してくれ」

「承知しておりますー」

 

 天から地上を預けられた『天子』を継いだ、と言い張っている歴代の王朝が国を支配している大陸で、「天から来た」なんて真名がバレれば大事だ。

 のほほんとしたやり取りをしているが、最悪の場合死に至る。空海は死なないので死ぬのは相手か空海の周りだ。真名一つで甚だ迷惑である。

 

 

「そいえば空海様ー。曹操さんより言伝がー」

「言伝? 何だって?」

「風を認めたその手腕、『見事』だそうです」

「いつのことだろ……? まあいいか。あの曹孟徳に褒められたなら自慢になるよね」

 

 程昱の肩に優しく手を置き、お前のおかげだ、という想いを込めて伝える。

 

「風、ありがとう」

「はいー、天来様」

 




「――いつまで抱き合っているのですか?」
「ぅひょぅ!」(※抱いているわけではないです の意味)

 六章『陳留(兗州)大飢饉』完。

 三姉妹とかその辺みんな助けたかったんだから、仕方ないよね! 言い訳です。
 そして「助けに来たぜ!」という展開は序盤を書き直したら使いたい候補トップ。


 以下、プチ解説。活動報告の方に長々と解説してます。

>兗州大飢饉
 後漢書や三国志演義でも取り上げられている史実のエピソードです。
 興平元年(西暦194年)春頃から、長安から兗州にかけての広い範囲で深刻な干ばつが発生し、さらに夏には蝗の大発生が重なって夏から秋冬にかけて収穫する作物が致命的な被害を受け、大飢饉に陥りました。
 なお感想でもご指摘いただきましたが、蝗はイナゴと訳すのが一般的なものの、実際は(色々な種類の)飛蝗(バッタ)を指している漢字です。紛らわしいことをしました。

>本日、晴天!
 お天気係のお仕事全国版。干ばつ(日)と天子と太陽(日)と空海(青)と一陽来復(救済)と程昱(日を支え立つ)をかけてます。

>膝をついて頭を下げる。
 中国には漢代より前から現代まで伝わる拱手や抱拳という礼があります。拱手は相手が偉い時に、抱拳は相手が同世代または同格の時に使うようです。
 これらは文字ではとても描写しづらいので、今後も使う予定はありません。


 次章は恋姫らしく恋に恋する乙女が出てきそうです。閑話は挟まない予定。

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