無双†転生   作:所長

33 / 36
7-4 覇王vs

「「「みんなーっ! 曹操様を助けてーッ!!」」」

 

『『『  中!  黄!  太!  乙!  』』』

 

 

 

 

「――馬鹿なッ!?」

「あわわ!? せっ、青州で黄巾の一斉蜂起!?」

「あははははっ、すっげぇー、そう来るかよ」

「なんと……徐州と青州の境に追い込んで二重の挟撃とはー……」

 

 江陵幹部は皆、驚きの余り目を見開き、口を閉じることもできずにいる。

 周瑜たち江陵幹部が驚き固まることしかできないということ、それだけで大事件だ。

 

「それだけじゃないわ。この情報は冀州から司隸を通って荊州へ入ったんだけど――」

 

 冀州は漢北東部の幽州から一つ南、袁紹の本拠地である渤海を有する州だ。司隸はその南西の州で、東側に首都洛陽、西側に京兆尹長安を持つ。荊州は司隸のさらに南側にある南北にやや長い州で、北側から順に南陽、襄陽、江陵、漢寿といった大都市を有する。

 

「少なくとも冀州の中では、知らせが届くのに併せるようにして黄巾が立ち上がったり、曹操軍の兵士が街に雪崩れ込んで来たりしていたそうよ」

「はわわっ、一斉侵攻まで!? どっ、どうやってそこまで、……!!」

 

 

 曹操が朝廷に、河北四州三十五郡に及ぶ袁紹領内で反乱が起こっている、と訴え出た。

 この知らせはすぐに空海の元へも届いた。ただ、事実の確認ができていない曹操からの訴えでしかないため、『反乱』ではなく『反乱の告発』であることをしっかりと幹部へも伝えて翌日の招集を指示し――。

 やや早めに集まった他の幹部に続いて飛び込んで来た情報官(賈駆)が、開口一番に告げたのが青州で発生した20万もの黄巾賊の蜂起だった。

 

「みんな注目ー。元々、今日集めて知らせるつもりだったことがあるんだ。――配れ」

 

 空海の指示に従い、女中の手から軍師たちに名簿が配られる。

 

「冀州を始め河北四州の主要な役人が政務を執り行えなくなった、という名目で、曹操によって代わりの者が勝手に、大量に任命された。一応は天子に報告されているため、朝敵に指名されるとしてもしばらく討議の時間を取ってのことになりそうだが」

 

 数百人に及ぶ人材一覧に、軍師たちの目が再び驚愕に見開かれた。

 

「これは潁川の……。なんてヤツ……追い詰められた中でこんなことまでやってたの?」

 

 豫州の名家と名士から使える人材を全て集めましたと言わんばかりの名簿に素早く目を通しながら、賈駆が思わずといった様子で声を漏らす。

 決戦に至るまでの経緯とその対応策を思い返して、程昱と鳳統も冷や汗を流した。

 

「勝ちを決めるため必要に迫られて後退して決戦を遅らせたように見せ掛け、決戦すらも囮にして本命は決着だったとー……黄巾を使ったのも決別の意志の表れでしょうかー」

「戦力で上回る相手を戦術で追い詰めるだけでなく、自らの窮地すらも逆転の戦略に組み込み、あの逆境から勝利と独立の道を見つけ出したなんて……恐るべき戦略眼でしゅ」

 

 一つひとつは自分たちでも出来る。それは間違いない。だが、受け身の決戦を強いられながら、それを逆転までの一つの流れに組み込む戦略眼は、恐るべき高みを感じさせる。

 

「兵を豫州北部に集めて決戦のために必要な分だけを引き抜き、遅れて集まった兵たちも北方の制圧に回すか……。確かに無駄がないな。予想を上回ったせいで早さにばかり目が向いていたが、なるほど、兵を余らせておく道理もない」

 

 腕を組んだまま目を閉じた周瑜が、一つひとつ確認するように呟く。

 袁紹を閉じ込めた状態で混乱を引き起こし、曹操陣営の人間が実権を奪っていくだけの単純な策。

 言葉にすれば簡単なものだ。しかし、河北全土を一気に狙う規模と、袁紹という旗印を戦場に閉じ込める手法と、支配が安定する間を待たなかった袁紹の拙攻を利用したおかげで、曹操は河北全土に渡って袁紹勢力の身動きを封じることに成功している。

 さらに混乱を治めるだけの軍事力を用意していなかった、否、用意できなかった劉表も併せて動きを封じられており、曹操の勝利と独立は既に決まったも同然だった。

 

「寒気のする神算鬼謀ですな。黄巾を取り込むだろうという予想はありましたが、それをここまで……青州の情勢不安定をこのような形で利用するとは……」

「しかし、曹操さんの独力にしては手が広すぎますし早すぎますねー。どのような意図が隠されているのか不明ですが、劉表さんの足下でも妙な騒ぎになっていますしー」

 

 袁紹に対峙するため領土南部から東へ急行した曹操では、これだけの仕掛けを実行することは難しい。知恵を持つ者もそれを具体案にする者もいる曹操陣営だが、実行するのが郭嘉と荀彧と楽進たち3人だけでは手が足りなかったはずだと程昱が指摘する。

 さらに、劉表の膝元である襄陽や南陽で受け入れた難民の間で袁紹への敵対的な言動や空海がこぼした『人事案』が囁かれており、劉表の出兵にブレーキを掛けてもいる。

 これらの動きも、曹操の働きかけによるものだろうと程昱は言っているのだ。

 

「そもそも兵の大半が黄巾を巻いただけの現地民っていうのは、タチが悪すぎて袁紹じゃ防げないわね。人事は内容を見る限り男嫌いの()()が考えたみたいだけど、選定も派遣も迅速すぎる……たぶん袁紹が青州へ侵攻した時点で国境を越えていたのね」

「あわわ、兵を動かせば目につくため、民を動かせる人を移動させたのだと思いましゅ」

「ドキッ☆女の子だらけの人事案なー。それに国境をすり抜けて煽動ってやり方は――」

 

 現在、皇帝を含めた諸侯のうちで全土に手を伸ばしている勢力は、本当の意味で勢力が根を張っている漢帝国と、全土に根付きながら組織的な実態を隠した江陵陣営の2つだけだ。国家の形に合わせて勢力を拡大しつつある劉表陣営は、全土に手を回すほどに広くはないが、実力的に皇帝に次ぐ勢力である。

 では江陵の実態というのは、どういうものなのか。

 

「やっぱり()()の商人が利用されたのかね」

「残念ですが」「それしか考えられないわ」「間違いないでしょうー」「仰る通りかと」

 

 軍師たちに肯定された空海は目を細める。手塩を書けて作り上げたシステムを断りなく利用されたことへの僅かな危機感と、多少の嫌悪感と、若干の面白さを笑顔に載せて。

 

「道理で知らせが遅れるわけだ。勢力圏内に協力者を潜り込ませる策も()()の模倣か」

「潜在的な協力者候補をも削られました。河北の調略方針は転換するべきですな」

「あと人事に口出ししたら駄目って言うから黙ってたのに何で俺が言ったみたいなことになってんの? 時間稼ぎに煽っただけか、本当につぶし合って欲しいのか……嫌な奴だ」

 

 そう言いながらも空海は笑う。

 立案し実行するだけでも大変だったろう、空海に気付かれずに江陵商人を利用する策を本当に実行し、保身のために必要なことではあったのだろうが、他の策で江陵に牽制までしてみせる曹操たちへの賞賛を織り交ぜた笑み。

 

 江陵の勢力は江陵に属するものではない。江陵商人という端末を使って経済という血を動かし、江陵商人たちや江陵を通る血脈から流れを阻害しない程度に少しずつ金や情報という栄養を吸い上げていく、臓器や細胞のような存在だ。

 それを最も上手く活かして最も上手く扱えるのは江陵という脳であり心臓だ。しかし、活かしきれないとはいえ、他者にそれが利用できないわけではない。広義には客ですらも江陵の商人を使って利を得ている細胞なのだから。

 

 曹操による江陵商人の扱いが度を超したものであったとして、そこに忌避感や危機感を抱いたとして、しかし拒絶感はない。それが勢力における特徴でもあったから。

 ただ一人、顔面を蒼白にし、手が白くなるほどに強く拳を握る彼女を除いて。

 

「――誠に、申し訳、ありません……グスッ……油断じで、いまじた……っ」

 

 慚愧(ざんき)に堪えないと言った様子で孔明が深々と頭を下げる。

 江陵の商人に横の繋がりを提供していたのは孔明だ。基礎になったシステムこそ空海と水鏡が管理者の協力の下に構築したものだったが、孔明が組織のまとめ役となってからの数度にわたる大規模な組織改革で、当初の体制は僅かな名残を残すのみとなっていた。

 

 孔明にとっては、商人や客に信頼を置きすぎたせいで出し抜かれたようなものだった。

 指摘されれば当然警戒すべき場所であったと理解できたし、江陵に不利にならない形で弱点が露呈したことも、転じて利益に出来るだけの頭脳と理性は持っている。

 だが、それでも。これまで人の悪意を信じられなかった彼女にしてみれば、人の善意を信じすぎた少女にとってみれば、それは脳を直接殴られたような衝撃だった。

 初めて感じる息苦しさと胸の痛みと不快感に、耐えきれず涙がこぼれる。

 思わず腰を上げかけた鳳統に掌を向けて抑え、空海は俯く孔明の隣に立ち、小さな頭を強く撫でつけた。

 

「――大丈夫だよ、朱里」

「ッ、でっ、でも!」

「お前が頑張ってることは俺が覚えてる。お前が凄いことはここに居る皆が知ってる」

 

 空海の言葉に皆が頷く。実際に凄いのだから誰もが自然と同意していた。

 

「だから、大丈夫!」

 

 孔明に信頼を抱く空海だから、それを言葉にして、力強く断言する。

 

「……っ、はい。……はいっ!」

 

 空海の言葉は孔明の心の内を理解してのものではないだろう。今回明らかになった問題についてどうやって解消するかの道筋すらつけていないのかもしれない。

 けれど、その言葉は救いだった。空海が江陵を作ったように、江陵がこれまでそうしてきたように、孔明が大好きな江陵のようにこの世の中を作り替えればいいだけなのだと、家族同然に思っている空海に肯定されたように思えた。

 だから孔明は、生まれて初めて空海を異性として強く意識し――今日だけは別々のお風呂で、自分の手で髪の毛を洗えるはずだと、長年の習慣を我慢する決意を固めた。

 

「なに。江陵の商人なら諾々と従うだけで済ますはずはあるまい。曹操自身も、我々との敵対は望んではいない。ならばやはり、上手く利用されたのだろうさ」

 

 周瑜が励ましを混ぜながら事実の再確認を行う。

 曹操が『空海の書』の受け渡しを拒否した話は、開戦当初から大々的に広まり続けている。そこからは曹操自身が積極的に噂を広めているらしいことが読み取れた。

 それはつまり、曹操軍の士気や結束や大義を『空海』が支えているということだ。

 

「使ったものこそ江陵の力だけど、結果的には表向きにも裏向きにも曹孟徳自身が動いて解決してくれたしね。対策はいるけど直接的には利益が出てるんじゃない?」

 

 空海が軽い調子で述べていることも、幹部たちが慌てない理由の一つだ。

 金銭か権益か、あるいは他の形でかはわからないが、曹操は江陵商人が組織として動くだけの理由を作ったのだ。先に挙げた理由から江陵、ひいては空海を敵に回せない以上、利益で釣っていることはおそらく間違いない。

 

「商人の件もそうだけど、推挙された人材は潁川から多く出てるわ。周家に動きが無いというのも問題よ。周家が曹操に肩入れした、と伝わるのは面白くないでしょ?」

 

 長く名簿を眺めていた賈駆が周瑜を揶揄する。

 揚州最大の名家として、豫州の袁家を通して影響力を発揮していたのも今は昔。周瑜が苦笑いを浮かべながら現状を認めた。

 

「昨今、有能な者はこぞって江陵へ移っている。地元近くでさえ存在感をなくしていると露呈した形になったな……。情けないが、潁川での我が一族の威光は過去のものだろう」

「公瑾の影響が潁川にまで届いていた、というのも今さら広めるような話じゃない。取り繕う必要はないと思うし、それを明かす方向で損を切ろうかね」

 

 影響力のいくらかを諦める選択を曹操に強いられた状況に、空海もまた苦笑をこぼす。

 江陵商人が曹操からどんなに利益を得ていようと、それを上回るような損を発生させていては取引が失敗しているも同然だ。その損が江陵の悪手から来るものであれば文句すら言えない。

 

「ある程度の事実を明かして商人が勝手に動いたことを強調しておくべきでしょうねー。しかし利用し利用されるのは望むところですが、あまり勝手が過ぎてもかつての黄巾賊のようになってしまいますねー?」

「利が生まれているとしても、手足が我々の意志に反して動くのは放置しておけません。動きを察知できなかったことも……。これらは直ちに改めるべきです」

 

 空海に続いて、いつの間にか孔明の両隣に移動した程昱と鳳統が、孔明に代わるように商人の弱点を指摘する。

 どちらかと言えば商人たちに寄った発言の多い周瑜や程昱も今回は彼らに身を削らせることを容認し、鳳統や賈駆は普段の主張を一層強くして繰り返す。

 一部には自分の主張に孔明を巻き込もうという気概が見られたが、全員から彼女を励まそうという気遣いが感じられた。

 

 発言が止み、一人の言葉を待つように静寂が訪れる。

 

「――改めます。二度と……二度と、このような心得違いを()()()()()ように」

 

 やがて、顔を上げた孔明の瞳には。

 強く、鋭い、冷徹な光が浮かんでいた。

 

 孔明の様子を見た賈駆が、心底楽しそうに幹部たちの顔を見回す。

 

「まずは何があったのかを知るべきよね」

 

 恐るべき好敵手と、それを上回るほどに頼もしい味方。彼女たちに混じり、策士として歴史を踊らせることが出来る幸運に心から感謝しながら。

 だが、軍部として安全保障の最前線に立つ鳳統が、慎重な判断を要求する。

 

「最優先課題の一つと見て良いとは思いますが、曹操さんの他にも四方の動きに関しては流動性があります。連絡を密にして都度に進捗と優先度を確認すべきです」

「異論はない」「いいと思いますよー」「ま、そうね」

「……うーん」

 

 ただ一人、空海が大げさに首を傾げ、その様子を見た周瑜がいぶかしげな表情で空海を窺う。「……空海様?」

 

「うん。まぁ、これまで通りの延長でいいと思う」

「――と、いいますと?」

「曹操対策と外務は公瑾(周瑜)仲徳(程昱)を中心に、組織改革は孔明(はわわ)を中心に、士元(鳳統)文和(賈駆)は当面は両方に注力して、要所では全員が集まる。双方、必要な助力は遠慮なく口にして、調整は公瑾が行う。手が足りなければ徳操(水鏡)に相談してみる。これまで通りで問題はある?」

 

 今この体制に何一つ不足はないという強い自負を感じさせる言葉。曹操に出し抜かれはしたが、それは幹部会の体制の問題ではないのだと空海は説明する。

 空海の発言に納得の空気が流れた。周瑜が優しげに微笑むのに釣られ、幹部たちの顔に落ち着きと共に笑顔が浮かんでいく。

 

「……いえ、問題ありません。少々気負いすぎておりました。焦りがあったようです。そうですな。これまで通りというのは、わかりやすくて馴染み深いものですからな」

「私も、いいと思います。これまで通り――これまで以上に頑張りましゅ!」

 

 周瑜に続いて孔明が勢いよく、力強く宣言する。鳳統が、賈駆が、笑顔でそれを見つめながら、彼女に遅れまいと声を上げた。

 

「わたしゅもっ、私も頑張ります!」

「ま、ボクも江陵に骨を埋めるつもりだしね。できることがあるならやってやるわ」

 

「……ぐー」

『…………』

 

 一人を除いた全員の気持ちが、今、あらゆる違いを越えて一つにまとまった――。

 

「茹でるか」

『異議なし』

「――ほっ、ほぁぁぁーっ!?」

 

 江陵はだいたい平和だった。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「これで、勝ちよ」

「流石ですっ、華琳様!」

 

 やり遂げた感のある曹操に、夏侯惇が輝くような笑顔で追従する。

 

「一時はどうなることかと思いましたが……」

「うむ。これも愛紗の助力あってのことだ。本当に感謝する」

 

 曹操たちのやや後ろで、関羽と夏候淵が彼女たちの様子を見守っている。本来ならもう少し近くに控えるべきものなのだが、曹操に褒めて貰いたい夏侯惇が威嚇するため、数歩下がって護衛を行っていた。

 ここは曹操軍の陣地の最前線。20万に迫る投降兵の武装解除を行う、そのすぐ隣だ。

 

「……いや、本来ならば桃香様が行うべき仕事の延長に過ぎん。それに、負けを防いだのは()()殿()の、勝ちを決めたのは春蘭殿と華琳様の手腕によるものだろう」

 

 関羽が言ったことには謙遜もあるが、それ以上の負い目が感じられた。夏候淵は僅かに眉をひそめ、それを覆い隠すように一転して楽しげな表情を浮かべる。

 

「それでも、だ。我らは我らを守るために当然のことをしたまでだが、愛紗の負った役割も無視できんほどに大きい。……これで返済が近付いたと思うぞ?」

「よしてくれ。それだけ褒められた後に告げられると、その、なんだ。借りているものの大きさに押しつぶされそうだ」

 

 関羽が胃の辺りを押さえ「ぽんぽん痛いの」と言い出しそうな表情で白旗を揚げる。

 夏候淵は弱り切った関羽の背を押しながら、慰め半分に容赦なく追撃を選んだ。

 

「くくく――自信を持て。お前は20万の兵を押し返した猛将なのだぞ」

「……むぅ」

 

 

「それじゃ、疲れているところ悪いけど、三人ともお願いね」

『はっ』

 

 元の曹操軍と、合流した黄巾と、袁紹軍の投降兵。それらを仕分けして袁紹から奪った土地まで含めた全七州に振り分ける仕事。これにはすぐにでも取りかかって、逃げ出した袁紹が再起する可能性を潰さなくてはならない。

 官位の高い夏侯惇に人口の多い地区を、足の速い夏候淵に辺境を、関羽に徐州と青州の平定を任せたところで、曹操はようやく一息ついた。

 

 今は張角たち三姉妹に兵士の慰撫と投降兵の人心掌握を任せ、典韋をその補佐に付けている。許緒は袁紹追跡の後、周辺地域の見回りに入る予定だ。強運袁紹の捕縛は期待していない。

 夏侯惇たち三将軍は、曹操軍を編制の後に黄巾の取り込みと再編、投降兵の取り込みと再編という非常に手間の掛かる仕事に取りかかっている。

 徐州北方まで来ていて手の空いている者は、曹操と、あと一人しかいない。

 

「――困ったことになったわね、稟」

 

 曹操が天幕の隅に向かって声をかける。

 

「確かに。しかし勝った後にこのようなことで悩む日が来ようとは……」

 

 感慨深げに答えたのは、青州で黄巾蜂起を煽る役に就いていた郭嘉だ。

 

「桂花は怒り狂っているでしょうね」

「決戦前の別れ際に彼女が何と言ったか、お聞きになりますか?」

「ふふっ、それを言わせたのは私よ? 聞かなくてもわかるわ」

 

 曹操が楽しげに声を上げるのを見て、郭嘉は呆れたように息を吐く。

 

「わざわざ桂花が荒れ狂いそうな言葉で檄を飛ばすとは、華琳様もお人が悪い」

「あの娘は少し追い込まれている時の方が可愛いのよ」

「……案外、空海殿も同じようなことを考えているのかも知れませんね」

 

 飄々と答える曹操への小さな意趣返し。郭嘉の放った矢は、悩める乙女である曹操改め華琳の心に深々と突き刺さった。

 

「ごめんなさい。私が悪かったから、想像させないでちょうだい」

 

 万一。状況から考えてありえないが、万が一。本当にこれが仕掛けた罠に空海が狙って追い込んでいるのだとしたら。きっと、怒りや不満を通り越して笑いしか出ない。

 下手をしたらその一件だけで新たな性癖でも開拓されてしまうかもしれないほどだ。

 曹操は馬鹿げた考えを振り払い、郭嘉の言葉を待つ。

 

「華琳様は空海殿の好みだそうですので、半ばほど本気で言ったのですが」

 

 そして、至極真面目な様子で告げられた内容に脱力した。

 

「はぁ……本当に対価となるなら、身体を差し出すくらいしてもいいのだけど」

「あの方は対価と認めないでしょうね。下手をすれば『安い』と言われかねません」

「ちょっと稟、流石に私だって『安い』なんて言われたら傷つくわよ」

「申し訳ありません、華琳様。ですが数千万の民に比して、と考えますと私でも……」

「貴女はもう少し歯に衣着せなさい」

「重ね重ね、申し訳ありません」

 

 空海の人気と江陵商人の人脈を大いに利用した今回の策。相手が敵であれば切り捨てるのも簡単だった。

 だが、相手は商人。限りなく味方に近い中立なのだ。

 しかも、今回はこれまでの5倍に迫る広さの土地、3倍を超える行政区域、これまでの2.5倍もの数の民を支配しなくてはならない。

 それらに深く根付く江陵商人を今、敵に回すことだけは絶対に出来ない。それは最早、自殺と変わらないのだから。

 

「まあいいわ。空海が聖人君子ではないから取引が出来る、というのも間違いないもの」

「かといって単なる俗物ではない……民の心を買われたのは痛恨の極みですね」

 

 空海は豫州や陳留といった曹操の元々の支配地域でも人気が高かったが、新たな領土、つまり旧袁紹領での人気も桁違いであった。

 袁紹が空海の人気を高めることに腐心していたことも理由の一つだが、それ以上に大きな存在が――民の生活に密着した『江陵商人』だ。

 江陵商人が空海の支援によって商売が出来ること、黄巾騒動を治めた空海と二黄の話、竜退治の董卓たちが空海の下で働いていること、そして直近の飢饉への対策など。

 噂こそが情報となるこの時代に、人気が出ない方がおかしいほどの英雄譚が商人を通して広まってしまっている。

 その上、善政を敷いていたという袁紹を倒した曹操は、北方の民にとって異分子だ。

 だからこそ、今このとき、空海だけは敵に回せない。

 

「……困ったわね。謝罪と謝礼を伝える方法が、時間と手間の掛かる三通りしか思い浮かばない……どうにかして先送りするしかないかしら」

「ひとまず健全な関係を求めていることを強調しては。……こちらの都合を考えなければもう一つ、比較的実行しやすいものがありますが」

 

 一瞬、虚を突かれたような顔を見せた曹操は、すぐに郭嘉の考えを察して鋭い目で睨み付けた。

 

「――桂花を憤死させる気? ()()は最終手段よ」

「ですがこれ以外は、荊州の巨人に阻まれ、どの方法もいまだ現実的ではありません」

 

 曹操の眼光にも怯まず、郭嘉は淡々と返す。

 最終手段を含め、曹操と江陵の間に荊州が、劉表がいては困るのだ。

 

 二人は内心を隠したまましばらく見つめ合い――

 

「――はぁ。そうなのよね……。本当に、どうしようかしら」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「厳顔と会っていたそうだな、空海」

「ああ、白帝城のあれか。居るとは思わなかったんだが、まぁついでだから利用した」

 

 襄陽の城内で、威厳に満ちた風貌の巨漢と子供にしか見えない男が、向かい合って席に着いている。

 椅子に深く腰掛けた劉表が、腕を組んで低い声で問う。

 

「利用? 目的はなんだ?」

「益州の動きに少々怪しげなところがあってね。その確認」

「なんだと、益州に? その動きとは」

 

 劉表の問いに子供のように机に身を乗り出しながら楽しげに答えていた空海は、待っていましたとばかりに劉表を手招く。

 

「周りの者はちょっと耳をふさげ。……実は劉璋が劉――益州に――――したらしい」

「! それはまことか」

 

 告げられたのは足下を揺らがしかねない大事だった。表情を厳しくする劉表に対して、空海は相変わらず楽しげに笑っている。

 

「さて? 厳顔はそんなそぶりは見せていなかったね。ただの将軍だからかもしれんが」

「ふむ……では何故、厳顔は白帝城にいたのだ?」

「一応は厳顔の言い分も理解できるものだった。益州巴郡の太守が貴重な船を揚州豪族に売り払ったせいで足がなくなったんだと。それで、有事に緊急で隅々まで足を伸ばすのが難しくなったから、警邏の範囲を益州境まで広げているんだとかなんとか」

 

 空海が口にするのは厳顔から聞き取った事情に若干の推論を交えたものだ。

 劉表は空海の話一つひとつに頷き、厳しい表情に若干の困惑を混ぜた。

 

「なるほど。しかしその揚州の豪族とは周家のことではないのか?」

「うん。揚州がきな臭くなって盧江から逃げだそうって民が増えて来たらしいんだけど、北回りは曹操の領地、南回りは長江だろ? 船も数がなくて悩んでいたところに……」

「益州から声をかけられたということか」

 

 空海の言っていることは真実ではない。だが、嘘でもない。劉表もそれをわかっているのか、僅かばかり呆れたように息を漏らしながら言葉を引き継ぐ。

 

「江陵から出してやった金品をそのまま益州に回すような形で決着したみたいだね」

「やはり江陵は周家を支援しておるのか」

「江陵に取り込む予定さ。ただ、連行しているのではなく逃亡を助けているということは理解してくれ」

「荊州としては、江夏(こうか)で受け入れても構わんが?」

「望むところだ。苦しいとは言わないが、江陵にもそれほど余裕があるわけじゃない」

 

 周家から出た優秀な人材は既にほぼ全て江陵に移住済みなのだ。劉表は、自身が後手に回っていることに気付いていない。むしろ空海が明かした苦境に関心が向くほどだ。

 

「揚州の弱体化は我らにとっても利が大きい。一度思い切って出兵し大々的に収容しても良いかもしれぬな。無論、その時は江陵にも――」

「まぁ盧江は守りづらいもんな。でも牽制の出兵なら手伝わないからね?」

 

 劉表は「確かに」と頷く。出兵を牽制に用いるのは常道に反している。最初から本気で攻めるつもりで兵を出すか、そもそも出さないで解決するのが兵法としては正しいのだ。

 牽制を良しとするのはそれを用いた策を実行するときだけだろう。そして、牽制するだけだと決まっている策で、江陵に出兵と出費を強いることは難しい。

 つまり劉表単独で牽制を行うか、江陵と共に本気で侵攻するか、どちらも行わないかの三択だ。

 

「……本気となると、呂布と華雄も必要か。しかし呂布は動かせぬ。劉備は信用ならぬ」

「その辺はそっちで判断してくれ」

 

 難しい顔で考え込んだ劉表を尻目に、空海はのんびりとお茶をすする。

 空海の湯飲みからお茶がなくなったころ、劉表が顔を上げた。

 

「劉備は曹操の策謀に荷担しておるかもしれん。……荷担といえば、河北で曹操の挙兵を助けたのはお主らと耳にしたが」

 

 劉表の厳しい視線に晒され、空海はここに来て初めて顔をゆがめる。

 

「あー、なんと言うか、江陵の商人が使われたのは事実だな。ただまぁ、それに関しては()()の幹部連中がかなり腹を立てていると言っておこう」

 

 その瞬間の劉表の気持ちを表現するのは難しい。一番近いのは「曹操やっちまったな」であろうか。

 江陵幹部というのは敵対するものに容赦ないのだ。その上飛び抜けて有能でもある。兵法にもあるように、敵が嫌がるところを攻めてくるのだ。それはもう平然と。劉表も一度被害を受けたことがある。あの時は最終的に娘から「お父様なんて大嫌――

 劉表は考えるのをやめた。

 

「そ、そうか。あー……()()()曹操に手心は加えてやらぬのか? 好いておるのだろう」

 

 もう十分に手助けしている、という言葉を苦笑いで覆い隠して、空海は首を振る。

 

「好みであって好きとは違う。異性に対する好意なら、むしろお前の娘たちに感じ」

「ふざけるな空海ッ! 娘はやらんぞ!」

 

 突如、劉表は吠えた。

 

「えー? あいつらなかなか健気で可愛」

「誰かこのものを捕らえよ!! 娘はやらんッ!!」

「切れすぎだろ! しかも私情混ぜすぎ! ――あ、お前ら下がってていいから」

 

 護衛の兵たちは「え、マジで?」といった表情で右往左往している。大柄な男が子供に向かって怒鳴っているようにも見えるが、年はそれほど離れていないし、道ばたで娘離れできない親父が絡んでいるだけにも見えるが、どちらも国家の重鎮である。

 

「よいか、空海? 娘はァ、誰にもォー……やらんぞぉぉぉおっ!!」

「溜めるな。叫ぶな。あんまりはしゃいでると、また嫁さんに怒られるぞ?」

「お、脅す気か!? 私が屈すると思うてか!!」

「あの()たちも何て言うかなぁ」

「!? と――とりゃえるのはやめよ。ちゃを……ちゃをもってくるのだ」

 

 劉表は威厳に満ちた低く渋い声を、生まれたての子羊のように震わせながら告げた。

 

「ぅゎ景升ょゎぃ」

 

 叫び声を聞いた娘たちが駆けつける1分前の出来事であった。

 




 反省点。曹操強くしすぎた。(※ただし冒頭に限る)
 1話の文末「そのための手」から今回の冒頭のお話に繋がるのです。いかがでしたか?

>青州黄巾
 端的に言えば後方遮断の戦法です。皆さんの予想を上手く裏切れたでしょうか? 想像を上回れていたら言うことはありません。
 6章冒頭の黒山賊の幽州侵入は、史実の袁紹と結んだ黄巾との戦いをなぞらえており、7章の青州黄巾賊一斉蜂起は史実の出来事を入れ替え、曹操が先んじて黄巾と結び袁紹に対抗していたら、という恋姫・魏ルートと歴史のIF展開になります。

>臓器や細胞のような存在
 いわゆるGoogle先生のことですね。

>今日だけは、別々のお風呂に――(性的な意味で)
 継続意志E-。シリアスなんてなかった。
 孤児や学院の寮生は男女問わずに空海の子なので小さい頃は入浴の監督してます。成長しても後輩の入浴を手伝ったりする卒業生。孔明たちもその一環で空海と一緒のお風呂に入ることに慣れているんですね。あとは長年の習慣です。
 結果→「あわ、あわわわが目にー」「いま流すから目をギュッってしろー」ジャバー

>二度と心得違いを起こせないように
 決まったァー! 電磁計略の孔明を本気で怒らせやがった!
 実はピンチなのは曹操ではなく、これに関わった商人と、次に江陵を食いものにしようとする連中のはず。既にやらかすヤツは決まっていますのでご安心配ください。

>劉表パパの苦悩
 空海は友であり政治的パートナーでもあるが、父親としては敵。江陵幹部は限りなく味方に近い敵。嫁さんも敵。天子も敵。娘も空海に騙されている。四面楚歌。味方はいない
 なお空海の感じている好意とは「女の子らしくて可愛いなー」という程度のもの。


 揚州には蜂蜜好きの娘がいる。そこには実はとんでもない部下がいるんだが、ま、それはさておき妙に移民が増えてきやがった。盧江の周家が本格移民を企画したとかで、俺の力を借りたいそうだ。ところが周家を狙ってるヤツがいた。揚州の幹部で浅黒いやらしい小娘よ!(※次章は『揚州騒動』です の意味)
 次回『更に闘う者達』でまた会おう!

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。