無双†転生   作:所長

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2-1 自分では暴れない将軍

「そなたを江央将軍に任ずる」

 

 堂々と、しかし少しの呆れをにじませながら黙って突っ立っているチビは空海。

 その正面に堂々と立ち、疲れた表情ながら威風を感じさせる男は、先日征南(・・)将軍に任じられた劉表(りゅうひょう)である。

 

「これで、そなたが軍を持つ理由が出来たわけだ。理解してくれ」

「理解しているとも。だから黙って聞いていたじゃないか」

 

 

 今回、空海は紙の試作品を持って来たのだ。これまで作られていた紙よりも遥かに白く薄く滑らかなそれを見せて驚かせ、気分が良くなったところで劉表が言った。

 

「ではこの功を以って空海を江陵県侯ならびに江央将軍に任ずる」

「は?」

 

 

 空海は是とも非とも言っていないのにあっという間に書類の類が運び込まれ、服従のポーズ(土下座スタイル)を取れと言われ、拒否してみたものの返事は聞いていないとばかりにそのまま無理矢理に任官された。

 

「先の同意にあった通り、江陵は国から独立した政治経済軍事を持つつもりなんだが?」

「わかっている。今後は江陵周辺を特別郡として南郡より独立させ、太守(たいしゅ)(こう)といった形を取った後、官位を新設して江陵丞相(じょうしょう)のような役についてもらおうと思う」

 

 独立区画の制定、統治者として新設の官位を制定。どちらも提案済みの事項だ。空海が投げやりに提案した職名は変わっているが。

 太守や侯というのは市長のようなものである。政治と経済の実権を握る。街と郡が同じ意味となる江陵では県令の上位版だ。将軍位で軍事も言い訳が立つため、これで公的にも江陵が独自の政治経済軍事を持つだけの根拠が出来た。

 そして丞相。これは漢における最高位の一品官の中でも最上となる官位である。江陵と頭につくことから限定的な権限しかないことは想像に難くないが、ほぼ全ての相手からの要求を拒否出来るだけの根拠を持てるだろう。

 

「うーん、まあそのくらいが限度か」

「私か陛下の親族を名乗ってくれたら楽だったのだが?」

「断る」

 

 苦笑と共に意地悪な視線を向ける劉表に、空海は呆れを含んだ視線を返す。郡へと格上げして郡王とするだけなら過去にも例があり手間も掛からないのだ。だが、郡王は皇帝の親族でなければつけない。

 

「と、言うと思って面倒な手を打ったのだ。改めて言うが、理解してくれ」

「理解したよ」

 

 漢において天子と同位ということはあり得ない。国外の全ての国が漢より下であるという立場を崩さないからだ。その徹底ぶりは交易品すら献上品に対する下賜として交換しているほど。

 国内最高位と同じ名の付く官位を創設し与えるというのは、ほぼ最大限の譲歩だろう。

 劉表が現在のように幕府を持てる高官である限り、解任するまで空海の将軍位は残る。

 おそらく劉表が征南将軍にある内に江陵丞相とやらにする自信もあるのだろう。劉表は卓越した政治手腕を持っている。既に各方面に手を回しているに違いない。

 

「この紙の他にも何かの功績があるのなら、推挙も容易になるのだが?」

「お前たちの好みそうなものだと、海の幸の内いくつかを加工して、涼州(りょうしゅう)くらいまで腐らせずに運ぶ方法を考えたぞ。野菜についても同じく」

 

 漬け物の類である。魚については一夜干しなども視野に入れている。

 

「まことか!」

 

 割と食いつく劉表。荊州南部の食料は腐りやすいのだ。その問題点の克服は荊州にとって莫大な利益となる。

 

「ああ、あとは籾殻をこれまでより容易に脱穀する方法についても、道具の作り方を模索しているところだ。これは今のところ江陵内で効果を競わせている」

「なんと!」

「上手く行けば民も畑を広げられるだろう」

「ほう……!」

 

 劉表の目は徐々に政治家の色をにじませている。空海は面白そうにそれを眺める。

 

「稲を育てる方法の改善策については来期まで様子を見てから、こちらにだけ伝えよう」

 

 劉表の目は空海を見ている。だが、脳裏ではそれらの技術革新がもたらす利益が計算されているのだろう。

 数瞬黙った後に、口元を隠す様に手を添え、わざとらしく咳払いをする。

 

「ううむ……では、来期を目処に特別郡の侯となって貰うつもりで居てくれ」

「まあ、いいだろう」

 

 空海は相変わらず呆れを見せつつ答える。

 

「こちらからはもう一つ、長沙(ちょうさ)孫堅(そんけん)のことだが」

「謀略によって太守連中の不和を誘発したり、都市をかき乱すことくらいはやってもいいが、討伐は行わんし、江陵での対応を強いるようなら、取引に出したいくつかの条項について改定を求めるぞ」

「いくつかの条項とは……?」

 

 どうやら本当に江陵に任せたいらしい。ならばふっかけるかと、口を開く。

 

「長城の修復についてこれを免じること。12年の免税をさらに加えて24年の免税とすること。国において罪を犯した者が江陵に逃げ込んだ場合でも、江陵が彼らを独自に裁く権利を持つこと」

 

 ちなみに江陵の犯罪者が漢の側に逃げ込んだときには引き渡して貰う、という項目は前回の取引で了承されている。あまりにあっさりと認められたため、漢と江陵でどれほど刑罰が異なるのかを理解していないらしいと推測した。

 

「12年……12年は大きい。何とか4年ほどにならないか?」

 

 ――やはり。

 劉表が免税などに気を取られているウチに話をまとめようと決める。

 

「ダメだ。10年、いや、8年の免税と4年の半額免税までなら譲歩しよう」

「むむ……! 6年、どうだ?」

 

 空海は黙って首を振る。

 江陵から出てくる利益は現金以外の部分でなお大きいのだ。劉表はその大きさを理解し評価しているため、判断を曇らせている。

 

「うむむ……、仕方あるまい。8年の免税と4年の半額免税を認める」

「うん、では軍を1万5千ほど貸せ」

「なんだと? 江陵で対処するという話で認めたのだぞ!」

「わかっている。だから、大筋では俺たちが手を伸ばす。だが、お前のとこの将が手柄を上げた方が今後のためになるだろう」

 

 つまり、大将首を取らせるから名前を貸せと言っているのだ。

 

「……なるほど」

「無論、戦っても貰うが、財貨や物資でその補填は行おう」

「うむ。それならば文句はない」

「大筋で言えば、太守らの不和を煽り連携を阻む。それぞれの太守に個別に当たり、街から引きずり出して罠にかけ、勢いや数を殺した上でお前たちの軍がとどめを刺す」

 

 劉表は大筋を想像し、納得する。

 

「ならば部下の(こう)軍司馬(ぐんしば)を遣わす。そなたの言葉に従うよう告げておく故、見事逆賊孫堅を討ち取ってみせよ」

 

 黄軍司馬とは黄祖(こうそ)という人物のことだ。頑固だがなかなか有能らしい。

 

「同意書を作っておこうか。軍を動かすのは再来月の末日からということにしてくれ」

「む。良いだろう」

 

 元々、軍の出立には日数が掛かる。再来月末からの行動ならば、今すぐ徴兵して一通り訓練まで行うことすら可能だろう。

 同意書につらつらと条項をまとめ、筆を置く。空海はまだ文字の練習中なので劉表側に書かせて、連れてきた文官に確認させる。

 

「江陵はまず、長江と襄江の河賊どもを駆逐する」

「なに? 再来月までそうしているということか?」

「そうではない。再来月を超えて河賊の討伐に当たっているから、黄軍司馬を助ける余裕はなかった、ということにするんだ」

「なるほど……」

 

 実質は助けておきながら、対外的には黄祖が単独で打ち破ったことにする。黄祖を遣わした劉表の名声に繋がるし、やはり劉表が任命した江央将軍の役目も果たせる。

 

「良い手だ。結果が伴うなら言うことなしだな」

「問題ない。孫堅が王叡(おうえい)を殺害してすぐに種をまいておいたからな」

「なんと、それはまことか!」

「王叡には見る目がなかったが、孫堅には機がなかった。王叡を殺害した時点で詰みだ」

 

 一時的にはそれで良かった。荊州の一部で天下を取った気になれたし、喜んだ民も居ただろう。だが政治的には行き先がなくなった。

 江陵からの謀略によって都市の勢力基盤はぐらつき、身動きが取れなくなった。

 劉表が赴任した時点で従属すれば望みはあったかもしれないが、窮地にあって汝南郡の袁家と結んで劉表に対抗しようとしてしまった。これは劉表を赴任させたこの国へ反逆の意志を示したと言っても良い。

 

 袁家と孫堅、そして劉表と孫堅を結ぶ線の上には江陵がある。それぞれのやりとりを思うように動かせる位置にあって于吉を通じて既に手も打たれていた。

 太守同盟とも言うべき南方の都市に不和が起こし、それに乗じれば、状況を動かすことはさらに容易になる。

 おそらく罠を悟り長沙から出てくる頃には歴戦の兵は五千も残らない。あとは、小さな怪我やストレスを与え続けるだけで、食べ頃に熟れる。

 

「うむ、では頼むぞ」

「ああ、任せおけ」

 

 顔も知らない孫堅に対し、俺を頼れば助けてやったものをと心の中で独りごちて、頭を切り換える。

 

「話は変わるが、涼州(りょうしゅう)方面で力がある勢力と言うとどのあたりだ?」

「涼州? ……そうだな。刺史が討ち取られたばかりで不安定ではあるが、隴西(ろうせい)の董家は上手く治めていると聞く」

 

 隴西はかなり西側の郡だ。西側の異民族との国境ではなかっただろうか。

 この件ではあまり遠い場所はよろしくない。荊州のすぐ北、司隸(しれい)ならばどうだろうか?

 

「司隸を含めてもいい。それなりに近場ではどうだ?」

「それならば先日、反乱に際して仕官して軍功を上げ、直後に賊軍と結び、官軍に打ち破られ、皇甫(こうほ)中郎(ちゅうろう)に免罪されたという愉快な経歴の者がいるぞ」

「波瀾万丈すぎるだろ。誰それ?」

扶風(ふふう)郡の馬騰(ばとう)なる者だ」

 

 ――バトーさんかよ!

 かろうじてツッコミを飲み込む。見所でもあったのではないか、と呟く劉表は、空海を見て意地悪そうに笑っている。

 

「……では、馬家との取引で馬を手に入れたいと思う。年に数度の交易について、馬家と江陵の間で大規模な護衛を含めた交易団を通す許可を得ておきたい」

「大規模な護衛とは?」

「今すぐの話ではないが、騎兵を、最大5000」

 

 かなり大きな数だ。そこそこの規模の軍でも騎兵でこの数はいない。

 であるにも関わらず劉表の驚きは小さかったようだ。驚かされ慣れてきたらしい。

 

「5000か……。わかった。荊州については問題ない。だが司隸の通行には何か対価が必要となるだろう」

 

 劉表は賄賂を当然のものとして考えている。好き嫌いを差し置いて、こういった濁流に理解のある人物であるために南部方面軍の司令官という立場にまで出世できたのだ。

 

「下っ端の方には安酒でも振る舞う予定だ。上の方は権威で何とかならないか?」

「ううむ……権威か」

 

 賄賂では通行のたびに要求され、いずれはその額も上がっていくだろう。だが『権威』ならば一度手に入れてしまえば毎度の賄賂要求などは避けられるのでは、と考えた。

 

「そうだ。五銖銭(ごしゅせん)の鋳造でも行おうか」

「なっ!? 鋳造、いや、出来るのか!?」

 

 五銖銭の鋳造は長安だけで行われている。偽造の難しい貨幣であり、特に配合は秘中の秘とされていた。京兆尹(けいちょういん)によって監督されており、同時に京兆尹の特権でもある。

 

「おそらく出来る。出回っている貨幣も緩やかに増やしていかねばならないだろう?」

「馬鹿な……そんなことが、いや、京兆尹はそれを認めまい」

「だから、長安に納めに行くんだ。護衛を伴って。1年に何度か。1千万銭ずつ」

「なる、ほど……それなら……だが、どうやって京兆尹に認めさせるか」

「まずは古い貨幣を潰して鋳造し直す部分を請け負おう。京兆尹を立てつつ認めさせるなら、上司を懐柔すれば良いんじゃないか?」

 

 そう言っていくつかの名をあげる。大司農や司徒、いくつかの監察官たちだ。京兆尹が重要な役割である以上、直接の上司というのは少ない。

 さらに言えば、その上司たちはほぼ最高位の官である。これ以上の出世も見込めないため、金よりも現物を好む連中が多い。名士筆頭劉表の認める、『徳を高める名酒』などを差し出せば漏らしながら喜ぶだろう。

 袖から取り出した徳利を差し出す。日本酒の製法で作られた江陵の酒は、まだどこにも出回っていない透明な清酒だ。劉表はその透明さに、香りに、味に驚嘆した。

 

「なにこれ超美味ぇ!」

 

 キャラが崩れるほど驚いた。

 

「江陵で作る公良酒というものだ」

「超美味ぇ! ……うむ。これならばこちらでも打つ手はある。やってみよう」

 

 劉表もやけに乗り気である。

 美味しかったのか? それだけ特権に食い込めるうまみは大きいのか?

 

「ところで……。美味い酒が目の前を右から左へと流れていく奴の気持ちを考えたことありますか? マジで飲みたくなるんで勘弁してくれませんかねぇ……?」

「……わかった。わかったから。今度持たせるから、その切ない視線をやめろ」

「9杯でいい」

 

 さすが謙虚な劉表は格が違った。

 

 

 

 

「――そういうわけで県侯兼将軍となった」

「なるほど。では今後は空海江央将軍様と呼んだ方が」

「ああ、それは元のままでいいよ」

 

 空海は黄蓋の言葉を遮る。

 

「どうせすぐに郡侯だかになって、江陵丞相だか何だかになるはずだからね」

「……空海様は、とんでもないことをさらりと申されますな」

 

 黄蓋の頬は引きつっている。丞相など官位の頂点ではないか。江陵丞相が何であるかは知らないが、その名が許されるというだけで桁違い、それこそ歴史に残るほどの大事だ。

 とはいえ空海としては官位は望んでいない。温度差を自覚しつつも無視して続ける。

 

「そういえば将軍に任官されたから、今度河賊退治をするぞ」

「ほう。腕が鳴りますな……と、そういえば一つお伝えしたいことが」

「ん、なに?」

「調練の最中に見所のある兵を見つけたのです」

 

 黄蓋は毎日調練を行い、あるいは左慈の調練に参加し、帰り際に酒を試飲していく。

 調練への参加時間は左慈に次ぐ都市第2位だ。当然、兵と接する機会も多い。

 

「ほー。俺に伝えるって事は取り立てるに値すると思ってるわけだ」

「左様ですな」

 

 黄蓋の目にかなうなら期待できる、と空海は考える。河賊退治のために時機も良い。孫堅とぶつかる可能性のある部隊には黄蓋を使いづらかったために、駒が増える事は素直にありがたい。

 

「じゃあ、とりあえず会ってみようか。今度連れてきてよ」

「承知」

 

 

 

 于吉と左慈には既に指示を出し、あとは成果を待つだけだ。表向きの軍事行動に司馬徽の知恵を用いるべく、料理試作部へと足を向ける。

 

 

「徳操」

「空海様、ようこそいらっしゃいました」

「少し話がある。今いい?」

「はい」

 

 空海は直近の話題として、将軍と県侯への任官、劉表との取引、馬騰との取引を考えていることなどを伝える。

 

「河賊退治の方ではお前も知恵を出しておくれ」

「了承」

「もちろん、于吉や左慈と相談の上で、ということになるけど」

「承知しております」

 

 さらに現在動かせる兵の数、于吉に用意させている策、新規に将を採用するかもしれないことを付け加える。

 将について話してから何かを考えていた様子だった司馬徽が顔を上げた。

 

「一つ腹案があるのですが、お聞きいただいても?」

「うん? なんだ?」

「襄江の方面に黄公覆殿を派遣されてはいかがでしょうか」

 

 襄江は長江の支流の一つ、北から流れ江陵の北側を通り東に向かう。北にある襄陽から江陵をかすめて、江陵の東で長江本流と合流する形だ。

 江陵から襄陽に続く陸路が側を通っているため、叩いても叩いても埃が出てくる地域でもある。治安の改善は襄陽と江陵、双方の利益となるだろう。

 

「一方で、江陵周辺では別部隊を運用するということにし、そちらを孫堅へと割り当てれば兵を動かす表向きの理由が出来ます」

「なるほど。それで行くか。于吉達と相談して詰めておいてくれ」

「了承」

 

 司馬徽が新しい仕事に取りかかろうと立ち上がったとき、ふと空海が思い出したように告げた。

 

「そういえば徳操」

「はい、何でしょうか?」

「河賊退治が終われば、都市周辺の街道整備に入る」

「はい」

「都市から人手が出て行くから、子供を預かる大規模な施設を用意するんだ」

「素晴らしいですわ。お手伝いしても?」

 

 司馬徽の目は輝いている。子供好きなのだろうか。

 

「ダメー。お前にはやって貰うことがある」

「……承知しました」

 

 意気消沈してしまったようだ。空海は意地の悪い笑みを浮かべて続ける。

 

「ふふふ。まあ最後まで聞け。……預かった子供達には読み書き計算や教養の試験にある諸々を教えていくことになっているんだ」

「そうなのですか……」

 

 司馬徽はますます沈む。何故そこに自分がいないのかと。

 

「そして、子供達の中から特に出来の良いもの達を集め、さらに進んだ内容を学ばせる」

 

 空海は悪戯を成功させた子供のように笑いかける。

 

「……まさか」

「身体の動かし方などを貂蝉が教え、各種の職業につく者達からの話や日常生活にまつわる話を聞かせるため講師として街の者を呼び、その他の学問を……お前が教える。まとめ役はお前だ」

「えっ、あわ、はわわっ」

「水鏡学院とでも名乗ると良い。江陵が、学ぶ者と教える者を助けてやる」

「ありがとうございましゅ!」

 

 司馬徽は顔を真っ赤にしながらも深く頭を下げ、その光景を脳裏に描く。

 

「――ありがとうございます」

 

 水鏡学院は開校ほどなくして女学院に変わるのだが、それはまた別のお話。

 

 

 

 玉座が置かれた広場(・・)から奥、裏庭とでも呼ぶべきか、桜が咲き誇り岩の隙間を落ちるせせらぎも爽やかな庭園の隅に、大きなテーブルがある。

 

「なんで雲一つないんだろうなー(棒読み)」

 

 空海が江陵に来てからかれこれ数ヶ月、江陵は一度も雲に覆われたことが無い。空海の言葉に慌てた太陽神が居るとかいないとか。

 今、空海はテーブルについてお茶を飲んでいた。わざわざ卑弥呼に作らせた日本茶だ。

 

「空海様、連れて参りました」

 

 声を掛けたのは黄蓋。今日は先日話に上がった見所のある人物を連れてくると言っていた。空海の座る後ろで二人が膝をついて頭を垂れる。

 

「うん、いらっしゃい」

 

 空海は座ったまま、お茶を片手にのんびりと振り返り、思わず笑みを浮かべた。

 

「よく来たね、紫苑」

「――お久しぶりですわ。空海様」

 

 黄蓋の横で膝をつき、空海の言葉に顔を上げたのは黄忠だった。

 

「む? ご存知でしたか」

「ああ、最初に劉景升のところに行ったとき、案内をしてくれたのが紫苑なんだ」

 

 迷子になっていたのは秘密だ。

 

「ええ。その際に江陵のことを伺って、邑の人たちと共に移住してきたのですわ」

「そうじゃったのか。では推薦は必要ありませんでしたかな?」

「腕前は聞いていないよ。確か、狩りに弓を使うとは言っていたな」

「はい。江陵に来てから兵士に志願し、先日、長弓兵から一軍へと上がった際に黄将軍に声をかけていただきました」

 

 読み書きの出来る健康な者が入れるようになる第二層。その第二層を守るのが三軍であり、この三軍で一定量の訓練をこなすか目立った軍功か成果を上げると、第三層を守る二軍へと昇格する。

 二軍からは扱いの難しい長弓兵だ。二軍で一定量の訓練を受けた上で、一定の軍功などを上げるか指揮官としての適正が高い人間は第四層の一軍へと昇格する。

 黄忠が移住してきてからまだ半年も経っていない。適正があったとしても、かなり短期での昇格と言える。黄蓋からの推薦も考えれば本当に優秀なのだろう。

 

「そうか。公覆、紫苑の実力をどう見る?」

「そうですな。武器を持った近接戦闘ならば、ワシには及ばずとも並の兵士では敵いますまい。……しかし、弓では江陵一でしょうな」

「お、褒めるねー」

「こちらが撃った矢を空中でたたき落とされた時は、思わず訓練を忘れて唖然としてしまいましたわ」

「へぇ。凄いじゃないか。指揮の方は?」

「訓練では問題ありませんな。後は実戦で臨機応変に対応出来るかと言った所でしょう」

「なるほど」

 

 黄忠は目の前で評されて少し居心地が悪そうだ。頬を染めてもじもじしている姿はとても矢で矢をたたき落とす武人とは思えない。

 

「なら、ちょうど良いと言えばちょうど良いかな」

「む?」「え?」

「河賊退治の話さ」

「なるほど」「?」

 

 黄蓋には河賊退治の話をしてある。何も聞いて居ない黄忠は不思議顔だ。

 

「紫苑」

「あ、はい!」

「お前は明日から武官だ。家も用意するから、来月くらいまでには引っ越しだぞ」

 

 空海が告げると、黄蓋からも話を聞いていたのだろう、黄忠は元気よく答えた。

 

「はい!」

「どのような待遇になるかは公覆から聞いておけ。詳しい話とわからない部分は司馬徳操か于吉に聞くように」

「わかりましたわ」

 

 では、と前置きして話を続ける。

 

「公覆、お前は襄江を遡って襄陽方面の河賊退治だ」

「はっ」

「紫苑には指揮の訓練もかねて江陵付近で部隊の展開をしてもらう」

「はい!」

 

 先日司馬徽と話していた黄蓋の遠征を指示しておく。

 

「二人とも、陸と連携して街道付近の掃除もしていくから、徳操たちに行動計画を聞いておくようにね」

「承知した」「はい」

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 黄蓋に率いられ、江陵から襄陽に向けて兵士と共に大量の荷車が運び出されている。

 物資を川上の襄陽に持ち込み、襄陽から江陵に向けて水軍と陸軍共同で河賊退治を行うためだ。

 襄陽に向かう間にも適当に賊を討伐。襄陽から長沙に向けて進軍する黄祖の軍の露払いとする。劉表を通じて襄陽で手配した分と持ち込んだ物資でそこそこの船団を用意し、折り返して陸軍と協調しながら江陵までローラー作戦。

 汚れの酷い地域なので雑巾がけは念入りに、というのが今回の方針だ。

 黄祖と入れ替わりで襄陽に入ることで拠点も用意出来るし、作戦が少々長引いても大丈夫である。船の手配に手間取ることなどよくあることなのだから。

 

「刺史の劉表には協力を依頼すると共に、船の手配については少々遅らせるよう要請してあります」

「黄蓋には伝えていないが、気がついてしまうかな」

「……物資にあれだけ酒を詰め込んでいるのです。さすがに気がつかれないということはないでしょう」

「だって酒好きだろ!?」

「理由になっておりません」

「気を回しすぎたかなー」

 

 于吉曰く。長沙の孫堅は、零陵(れいりょう)桂陽(けいよう)の太守と仲違いを起こし長沙の郊外で野戦。余裕で勝ったものの兵士や民の間には孫堅への疑心が蔓延しているようだ。

 零陵と桂陽の太守は逃げ帰り、今は都市に引きこもって追撃に怯えているそうだ。こちらも、兵士や民の間には強い不信が募っているらしい。

 

「孫堅には兵を率いる才こそありますが、豪族のとりまとめには知恵が足りていません」

 

 目の前で長々と説明していた于吉がようやく結論に入ったようだ。

 

「ふーん。劉表の手駒がたどり着くまでに弱らせることは出来そう?」

「既に商人らの協力も取り付けており、こちらの指示があればすぐにでも孫堅軍は瓦解するでしょう。今は弱らせすぎないように削り取っています」

「そう。手加減しすぎて足下をすくわれないようにね」

「はっ」

 

「空海様」

「お、紫苑」

 

 于吉の話が終わるのを待っていたように黄忠が現れ、跪く。

 

「これより演習に向かいます」

「うん。明日の夕方までだったかな? 川に落ちたりしないようにね」

「大丈夫です! 泳ぐ練習もしましたから!」

「えっ? あ、そうなの。うん、まぁ、頑張って」

「はい!」

 

 あれ? 黄忠って天然入ってる?

 ついつい応援してしまうのは黄忠が可愛いからだろうか。何はともあれ、50隻を超える船を指揮するべく、黄忠も出立する。

 

 

 今更だが江陵の軍艦は主にジャンク船と呼ばれる未来志向の乗り物である。未来と言っても10世紀頃のものなのだが。

 喫水線より下には謎の金属を多く用いており、サイズの合うねじとドライバーを使用して頑張れば、馬車で運べる大きさに分解できる。

 神様パワーで生み出した謎の金属製なので、座礁しようが横から船をぶつけられようが沈むことは無い。実は無敵水軍を作りたかったわけではなく、木がなかったので仕方なく使っただけの素材だ。

 とはいえ、この時代の船にしては比較的大型の船体、大きい割に浅瀬でも安全な行動が可能な作り、船体の大きさに比してかなり余裕のある積載量、布製の大きな帆。謎の金属を除いたとしても贅沢なスペックの船である。河賊など鎧袖一触であろう。

 

 ここで長江を抑える水軍の強い江央将軍、という認識を持たれるのは悪くない。

 それなりに戦闘が起きてくれるのが最善だが、劉表を通して大げさに喧伝してもらえばあまり戦う必要もないかもしれない。

 いずれにしても河賊は普通に討伐する予定であるから、それなりの数の戦闘は見込まれる。あとはリアリティを持たせつつ大げさに広まりさえすれば良い。兵士の口を通して民にも広がるよう、学級新聞レベルの広報を作らせ始めた。文字が読める者が多い江陵ならではの情報操作である。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 孫策(そんさく)孫権(そんけん)の姉妹を(のが)した。

 

 意外と言えば意外な急報を携えてきた于吉が跪く。

 

「お叱りいかようにも」

「中身を聞いてからね。何があったの?」

「はっ。実は――」

 

 江陵(こうりょう)で船に乗り換えた黄祖(こうそ)らは、長江を下り南側の支流から洞庭湖に入り、湖の南西側にある荊州都の漢寿(かんじゅ)を制圧。すぐに東へと進路を取り、孫堅(そんけん)のいる長沙を包囲した。

 この時点では孫堅はまだ抵抗する気だったようだ。家族も重鎮も手元に残し、南陽(なんよう)の袁家に向けて庇護を求める文を発している。

 不仲となった太守連盟も当てにしていたようだ。危機には立ち上がるだろう、と。甘い見込みだったのだが。

 孫堅以外の2つの郡の太守は、戦闘すら起こさずに討ち取れた。というより、民衆や太守の部下が討ち取った太守の首を黄祖が受け取っただけで終わってしまったそうだ。

 

 孫堅を討つべく長沙を取り囲んだまま、2つの首を受け取って酒盛りを始めた黄祖の部下達は、黄祖からの下達を受けて一旦は騒ぎをやめたものの、夜半に寝入って孫堅軍に強襲され、あっけなく突破を許した。

 その上、失態を隠そうと夜明けまで報告を遅らせ、結果、一時的に孫堅達を完全に取り逃がすことになった。

 直ちに追撃が行われたが、結局その場では追いつけず、于吉の部下らが孫堅の追跡及び逃亡の妨害、黄祖を含む本隊は川を下って追撃と戦闘をすると役割を分担し、長江と襄江の交わる大都市、江夏付近まで約2週間にわたって追跡。

 江夏郊外で対峙した孫堅軍約3000と決戦し、これをほぼ一方的に打ち破るが、討ち取れたのは孫堅を中心に数名と名も無き兵士たちだけ。孫家重鎮を始めとして、幹部クラスを数名、兵士数千人は完全に見失ってしまった。

 

「荊州内では情勢不安定な都市にも密偵を放っております。網に掛からないところを見ますに、おそらく揚州の……かなり奥地まで逃げた可能性があります」

「ふーん。でも、揚州でも手近なところにはもう手は打ってあるんだよね?」

「はい。長江沿い、または主要街道沿いの都市では既に網を構築しつつあります」

 

 揚州では各地で豪族の勢力が強いため、警戒網の構築は容易ではない。

 

「んー、『呉』は?」

「未だ手が回らず……誠に申し訳ございません。急ぎ手配を行っております」

 

 長江河口付近にある呉は孫家の本拠地だ。だが、この地における孫家の影響力は意外と小さく、他の四家が実質的に呉を抑えている。逆に言えば、四家全てに対してそれなりに影響を与えなければ、ここに警戒網を敷くことは出来ないということだ。

 

「そう。まあ于吉に抜けられても困るから……そうだな。劉表に約束していた黄祖出兵の穴埋めがあるんだけどね。黄祖の失態の分を取り返してきてよ」

「そのような――いえ。謹んで拝命いたします」

「ああ、ちゃんと相手には気持ちよく支払ってもらうように」

「かしこまりました」

 

 空海の命を受けて、于吉が深く頭を下げる。

 

「じゃ、于吉への罰はこれで終わり。劉表が追わなくても良いって言ったら、手を緩めて居場所を探るだけにしていいよ」

「はっ」

 

「お待ちください、空海様」

「ん、徳操(とくそう)どうした?」

 

 声を上げたのは水鏡(すいきょう)先生こと司馬徽(しばき)徳操。ずっと黙っていたが、于吉の報告前から側に控えていたのだ。

 

「この際です。表に出た謀り事の責は黄軍司馬(ぐんしば)に押しつけては?」

「ふむ。于吉はどう思う?」

「はっ。その条件、必ず飲ませます」

「えっ、あー。うん。じゃあその方向でよろしく。劉表だけじゃなく、黄祖にもちゃんと話を付けておくようにね」

「はっ」

 

 于吉が足早に去り、司馬徽と空海だけが残される。

 感想を聞きたかっただけなのにいつの間にか実行することになっている案件はこの他にもたくさんある。どれも空海のことを思って勢い余っているだけなので空海としては責めるに責められないのだ。むしろお礼を言って誤魔化してしまう。

 

「徳操、ありがとね」

「はい」

 

 この態度が彼らの行動を助長していることに、空海は気付かない。

 

「さて、お待たせ。学校の件だったね」

 

 孫堅の件の報告に司馬徽が立ち会ったのは、たまたま学校設立の件で相談に来ていたからだった。学校を建てる土地は既に準備に入っている。今は内装と設備について授業内容などに合わせて決めていこう、という段階だ。

 先日気がついたのだが、水鏡先生を江陵に取り込んでしまった事で諸葛孔明と鳳士元が世の中に出てこなくなったら色々な意味で残念だ。

 とりあえず水鏡には江陵の学校で教鞭を執ってもらい、多少なりとも誤差を埋めようと空海は考え、学校計画を大きく水鏡寄りのものとした。

 

「はい。教科書について、人数分を揃えるのは至難、と結論いたしました」

「うん」

「ですので、生徒にではなく机に教科書をつけてはどうかと考え、試算いたしました」

 

 司馬徽は空海に手渡した資料を指しながら説明する。

 

「この3ヶ月分の費用と期日がどうこうっていうヤツ?」

「はい。講師の数や授業の中身をひと月を区切りとして調整することで、内容を理解している生徒から順に段階的に引き上げようという試みです」

 

 実に未来的な手法である。現代日本での大学の単位に似ているっていうことは――

 

「卑弥呼あたりが提案したのかな?」

「いえ、貂蝉さんが提案してくださったものを卑弥呼さんと私とでまとめたのです」

「へぇ。貂蝉は半年区切りって提案したけど、実情に合わせてひと月区切りにした、とかそんなところ?」

「え、ええ。その通りです。ご存知だったのですか?」

「あはは、そうだね、そんなところ」

「さすがは空海様です」

 

 司馬徽の目から時々ハイライトが消えるのが怖い。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「作り手が足りない?」

「そうなんじゃ、ご主人様」

 

 住居の作り手、要は大工が足りないと卑弥呼に相談を受けた。

 

「道具や材料が足りてないってことじゃないよね? 釘とかもあまり使わないし、大して難しくないと思ってたんだけど」

 

 そう、日曜大工レベルのオッサンでも数人で取りかかれば1日で建てられるような作りになっていたはずなのだ。

 

「ご主人様が旧江陵に行ったときは、市街地しか見ておらんのじゃったか?」

 

 旧江陵の市街地にあったのは角材で作ったログハウスを思わせるもので、縦横を交互に積み上げたような意外にオサレな平屋の商店である。路地を少し眺めれば、角張った石を積んで作ったのだろう石造りの平屋も見受けられた。

 

「うん、けどあの建物に比べたらだいぶ簡単――もしかして」

 

 あれらの建物に比べれば柱を組み合わせて枠を作り、壁を貼り付けるだけの工法なんて手間も時間も僅かだ。もしかして、市街地の外ではもっと簡単な建物しかないのか?

 正岡子規式住居とか。

 

「今、江陵に移り住んできた民のほとんどは、竪穴式住居に住んでおったんじゃ」

「……なるほど、竪穴式住居か。そりゃ、理解出来ないか」

 

 洞穴じゃなかっただけ良かったと思うべきなんだろうか。

 

「建て方はもちろんじゃが、住み方についての教育も必須でしての」

「拘り過ぎたのも、あだになったか」

 

 上水道トイレ冷暖房庭温泉付きで南向きの平屋一戸建て住宅はまだ早かったと。住人の文化水準的な意味で。

 

「左様。そこで、集団生活で教育と慣らしの期間を取らせたいと思っとるんじゃが」

「ふむ。体育館のようなものが良い? あるいは長屋とか?」

 

 卑弥呼曰く。段階的にならしていくのがベスト。スペースや手間の圧縮のために長屋のような施設にするべきで、住人50人に対し2人以上の監督の設置は必須とのこと。

 

「アパート風にして風呂やトイレを共同にするか」

 

 いくらか生活に慣れるまでは、監視に近い形で保護するという方針でいこう。いきなり全部を変えるのは大変だろうし、段階を踏んで普及させるべきこともあるだろう。

 

「以後、移民の受け入れはそこを経由して行おう。街の出入り口近くの建物を潰して、土地を用意しないとな」

「確か軍の練兵場がありましたのぉ」

「左慈と于吉に相談して場所を用意しておいて。上手く使えば防衛の利にもなるだろう」

「了解じゃ! では早速行って参りまする。ご主人様、さらばじゃ!」

「よろしくね」

 

 土煙を残して跳び去る卑弥呼を見送る。

 種族が変わってから、躍動する筋肉の動きの一つ一つまで目で追えてしまうのが憎い。

 

「……ぉぇ」

 

 口直しに含んだ緑茶は、いつもより苦い気がした。




2話をまとめて一つに。大幅カットしました。次の2話もまとめたいけど、悩ましいところ。
追記。タイトル直しちゃいましたー。

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