無双†転生   作:所長

9 / 36
3-1 広げた後ほど忙しい

「足りない?」

「左様」

 

 筋肉にヒゲが生えたものが筋肉を揺らしながら答える。

 

「土地が?」

「そうなのよぉん」

 

 筋肉に三つ編みが生えたものが身体をくねらせながら答える。

 

「人が増えすぎて?」

「はい」

 

 イケメンの少年が静かに肯定する。

 

「予想をぶっちぎったってこと?」

「面目次第もございません」

 

 イケメン眼鏡が申し訳なさそうに頭を垂れる。

 

「どうしてこうなった……」

 

 

 まだ要塞都市が造られてから5年である。予想では10年くらいはかかるはずだった。

 

「西の方が広かったっけ……」

「はい」

「どうやって拡張する?」

「その前に現状の確認を行いましょう」

「ああ、そうだね」

 

 江陵という都市は豊かであり、江陵には仕事が多い。

 

「現在の江陵の人口は、最下層が30万人。外周から二層目、最低限の読み書きを覚えた層が30万人。一定教養のある第三層に35万人。政庁を含めた機密を多く取り扱う第四層が25万人」

「このうち第二層と第三層の人口が限界なんじゃ」

「hai」

 

 貧しい民の新天地であると噂された江陵の人口は、僅か5年で20倍増していた。

 

「我々の予想では、江陵は外周から人口が埋まる見込みでした。にもかかわらず、先んじて上層が埋まった原因は――」

 

 一つは予想より学習意欲が高かったこと。学力の向上に伴う収入の上昇に釣られた人間は多かった。これが全体を底上げしている。

 そしてもう一つが、家族から離れ単身赴任となってでも収入を増すことが善いことだと認識されたこと。実際には手続きが少々面倒なだけで、移動にかける時間も大したものではないため、近所の職場に住み込みしているような感覚なのだろう。

 

「選別はしておるんじゃがそれでも流入が多すぎるんじゃ。拡張案はいくつか用意したんじゃが、いずれも第二、第三層を広げる方向になっておる」

「hai」

 

 非常に贅沢な悩みだ。

 現状ですら健康なものだけが都市に残り、病気などを持っている人間は都市への入場を拒否している。一時滞在でも同じ措置である。江陵にはまだ病気に勝てる医療インフラが整っていない。

 さらに、病人達が近くにスラムを形成しないよう追い払うことすらしている。食事を持たせたり道を教えたり、場合によっては船を出すなどして下流の揚州へ誘導し、荊州防衛にも一役買っているのだ。

 そして、これだけ捨てているのに、流入人口が限界だという。

 

「これほど早く限界にぶつかった原因じゃが、現荊州()が関わっておる」

「孫堅討伐の際、江陵は荊州南部を煽るだけ煽りました。しかし、荊州牧劉表はこれに収拾を付けなかったため、南部から逃げ出した人間の多くは北部に向かいました」

「江陵を見た人の多くが江陵に残ったんじゃ。通り過ぎた人も、その多くは江陵に引き返して来おった」

「hai」

 

 対応の遅れた劉表だが、後に、江陵を通さずに南部を抑えるために江陵の東を回り込むように新しい街道を設置した。

 南陽から襄陽を通り江陵へと南北に続いていた街道のうち、襄陽のすぐ北側から東へと『ト』の字に分岐する新街道。江陵の東、江夏郡西陵へと続く道である。

 江夏からは川と湖畔を遡って南の長沙まで道を広げるつもりだったようだ。江陵方面と揚州方面への抑えとして名高い黄祖を太守に据えるなど、それなりに本気も見せた。

 江夏が銅製品の大産地であることも加え、荊州が取り得る万全の体制だった。

 

 だが、結局は江陵を通る方がアクセスが良かった。

 江陵からは旧州都漢寿を経由して長沙へ続く道が存在した。前漢時代から使われた知られた道だ。江陵からならば漢寿までは船で移動することも出来たし、何より江陵そのものが目的地となり得る都市である。

 結果を見れば劉表は江夏と襄陽と江陵を結ぶデストライアングルを完成させてしまったことになる。もちろん劉表にとってのデスである。

 

 江陵と江夏はそれぞれ、荊州の南部と北部を結ぶ大拠点となった。特に、江陵商人のもたらす金銭は荊州を大いに潤した。

 賑わう荊州には多くの人々が流れ込み――そのうちの2割以上が江陵に留まった。

 

 この5年、荊州には150万を超える人々が流れ込んだ。流出も数十万人ほどいたようであるが。そして、約30万人が江陵に向かったのである。

 

「さらに、袁家が南陽をまとめきれず住民の一部が江陵に来ておるんじゃ。一部と言いましても南陽は人口200万を超える大都市。江陵を通過して南陽へ向かった難民が改めて江陵に引き返すことも多く、釣られる形で多数の民が流れ込んでおるんじゃ」

「現在は落ち着きつつありますが、将来、乱などで世が乱れれば、民の流入は再び大いに増加する可能性が高いかと」

「hai」

 

「以上が現状です」

「hai!!」

 

 

 江陵要塞は上から見ると大きな円形をしている。細かいことを言えば最下層、第一層の外周が800角形なのだが、一つの角が0.5度すら曲がっていない多角形など、ほぼ円形と言っても良いだろう。

 

 拡張プランは全部で3つ。

 1つ目は円と円を並べて行くだけのもの。3つ目以降は間を埋めていくことで面積を稼ぐ。防衛に向いているが拡張出来る居住空間は少ない。

 2つ目は要塞を大型化して各層の比率を変えるもの。ただし、現在の江陵の位置が既に襄江と長江に挟まれて結構ギリギリなので、襄江と長江の流れを変えた(・・・・・・)上でやや北西よりに大きく広げることになる。

 3つ目がポンデリ○グ風。円と円の間隔を縮めて互いに重なり合うように配置。二つのプランの中間タイプになり、良く言えばいいとこ取り、悪く言えば中途半端なもの。

 

 大型化が最も欠点の少ないプランだ。ただ、最も大きな土木工事を伴い、空海の手間が増えるため、管理者としては避けたいようだった。

 とはいえ、空海にとっては『ほぃさっ』が『ほいさっ』になる程度の違いでしかない。

 結局は北西に大拡張して最大700万人までが一戸建ての家に住めちゃう超巨大要塞都市となった。

 

 直径60㎞以上、外周400㎞、総面積120万ヘクタール。東京都の5倍を超える面積を一つの要塞の中に閉じ込めた化け物である。

 満員ともなれば市街地面積だけでも洛陽の10倍を超える都市になる。仮にそうなったとしても近未来東京には遠く及ばないため、空海としては不満足なスケールだったが。

 人が少ない今は軍用地(あきち)が多いのだが、将来人が増えてきたら徐々に屯田兵用居住区域、一般居住区域として開放していく予定だ。

 

 

 突然広がった土地に江陵の民は驚愕した。そして事情を聞かれた空海が、毎回楽しそうに『内緒』だと答えていたため、犯人はバレバレだった。

 しばらくして、江陵の外の民や下層の住民の間で、空海が漢王朝を滅ぼすために江陵に降り立った天の御遣いであるとの噂が流れた。江陵を作ったり民を導いたり朝廷を滅ぼしたり悪人を改心させたり巨大化したり一騎当千の猛者を従えたりするのだそうだ。

 この噂は、空海自身が否定したことで、すぐに終息したように見えた。ただ、噂の半分くらいが事実だったためにしっかりと否定出来ず、火種となってくすぶり続けた。

 

 

 

 ところでいつだったか、当陽という街をぶっつぶしたことを覚えて居るだろうか。

 今回、江陵の北の端がだいぶ北上して、旧当陽市街跡地を完全に飲み込んでしまった。

 

 実は『張飛仁王立ち』の長坂という場所は、当陽の近所なのだ。

 襄陽と江陵を結ぶ街道から枝分かれする道で、街道から枝分かれした直後の入り口付近にある土地が長坂だ。道自体はそのまま西の当陽を通ってさらに西へ続いている。

 江陵が北西に広がって当陽を飲み込んだせいで、長坂を通って西に向かう利点がなくなり、結果、道がほぼなくなってしまった。

 拡張から数ヶ月が過ぎて、今この道は所々崩れていたり草が覆っていたり細くなったり本筋を見失うような枝分かれがあったりと、既に歩きづらいものへと変貌しつつある。このまま行けば、遠からず完全に街道としての機能を失うだろう。

 

 ――つまりこれ、長坂の戦いが起きないんじゃないの?

 

 桶狭間を平地にして関ヶ原に城を作ってたレベルのブレイクである。

 空海にとっては貂蝉に指摘されて初めて知った話だ。

 焦った空海は江陵に直接入らずに西の夷陵に向かう街道を自ら作り、途中にゆるく長い坂を設置、その終点付近の割と緩やかな谷っぽい地形にちょっと無理して吊り橋をかけさせた。吊り橋などは、わざわざ地元民に頼み込んで。

 空海が自分でやってしまうと何をしても傷つかない謎素材になりがちであるし、江陵の民を使うと張飛が落とせない程度に頑丈な物を作ってしまう恐れがある。そこで、あの手この手で地元民に協力を仰ぎ、作ってもらったのだ。

 なお、歓待で使われた酒や料理を気に入った地元民は、工事が終わった後に揃って江陵に引っ越した。計算外である。

 

 謎の金属に覆われた非常に歩きやすい街道の先に突如現れる木製のみすぼらしい吊り橋は旅人達の人気スポットとなった。主に悪い意味で。橋を渡らずに低地を歩く者達すら現れたくらいである。

 

 空海は勢い余り、益州と荊州の境、長江の小さな支流(日本で言う一級河川)が流れ込む巫峡(ふきょう)まで街道の整備を進めることにした。

 ちゃんと街道にしておかないと張飛たちが通らない可能性もある、と考えたのだ。

 

「うーん、実に素晴らしい自然だな」

 

 青い空、雄大な山々、見下ろせば大河、散歩をするように道作りに励む空海。

 ――青い空、雄大な山々、見下ろせば大河?

 

「どこかで……」

 

 空海の顔から血の気が引いていく。

 

「……やべぇ、あの秘密基地どうなった?」

 

 この国に降り立ったあの土地に作り、しかし使うことなく放置した拠点のことだ。

 温泉なんか延々とあふれ出している可能性がある。

 しかし、そもそも場所がわからない。

 空海は懐かしのあの場所に思いをはせる。主に悪い意味で。

 

 わかっているのは、背後が山だったこと、江陵よりも上流のおそらく長江沿いであったこと、しかし巫峡ほど上流ではないと思われること、川は視界の左から右へと蛇行しながら流れているように見えたこと、川幅が500メートルくらいだと思われること。

 天気の良い昼下がりに小舟が一艘だけしか見えなかったところから、人里からは遠いのではないか、そう考察したところで結論を出す。

 

「よし、探してもらおう」

 

 空海は、今こそ増えすぎた人口を活用するときだと、密かに確信していた。

 

 

 

 大陸南部の荊州と大陸南西部の益州の境、巫峡に突如現れた馬車が通れるほどの立派すぎる街道。それまで、人一人がようやく歩けるほどの道と、崖に打ち込んだ杭の上を渡る桟道しか通っていなかったはずの場所である。

 

 荊州側の関の兵士は、激務に追われたせいで幻覚を見たと判断して大半が自主的に寝込んだ。日々増え続ける江陵関係の通行人を捌くため、1日12時間を超える労働が続いていたのだ。

 

 益州側の城の兵士は荊州が戦争の準備をして来たんだ、と色々漏らした。最近荊州の連中は調子に乗っている、と噂していたのを聞かれていたのではないかと。

 

 

 そして何故か敵対すらしていないうちから益州が荊州に降伏した。

 

 

 その時、荊州と益州の境で緊張が高まっている、という急報を受けた劉表は対策会議に入ろうとしていた。しかし、会議の直前に降伏の使者の訪問を受け、劉表は思わず人生最大の醜態をさらした。

 普段遠地に留まる部下達が集まり益州の使者までもが揃った謁見の場で、降伏の使者に向かって全身全霊でツッコミを入れてしまったのである。

 

 これ以降、荊州の団結はより強固なものになった。

 荊州幹部達の友情は、断金の交わりと評された。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

「征伐は任せろー」グビグビー

「やめて母様!」

 

 今日は馬騰の偏将軍就任祝いである。元気よく飲んでいる方が()(とう)寿成(じゅせい)。それを止めようとしているのが()(ちょう)孟起(もうき)、真名を(すい)という。

 

「一気飲みはやめておけ、寿成」

「止めるな翠、空海殿! しばらくは来られないから、飲み貯めておくんだ!」

「母様ぁ……」

 

 偏将軍就任に伴って、馬家は漢の北西部にある涼州、その更に北西の最奥地、敦煌郡に本拠を移すことになった。西涼と呼ばれる地である。

 江陵からは馬を飛ばしても片道4週間。交易として見れば片道10週間もの日数が必要とされる。気軽に江陵を訪れることは出来ない。

 今までも異民族征伐のために西涼まで遠征をすることはあったようだが、今回は本拠を移すのだ。毎年2、3回会っていたものが1回に減るのは、双方に寂しさがあった。

 

「お前、去年似たような事言って食べ貯めるのに失敗してただろ……」

「そうだよ叔母様! たんぽぽもう叔母様から逆流した物の片付けなんて嫌だからね!」

 

 本人曰く「光が逆流した」のだとか。そして逆流した光を片付けたのが()(たい)、真名は蒲公英(たんぽぽ)

 

「去年のことなんか忘れた!」

「母様ぁ……」「叔母様ぁ~……」

 

 これでも偏将軍は涼州で刺史に次ぐほどの軍の権力者である。しかも中央でも中郎将と並ぶほどの権威を持つ。

 この場でこれを上回る官位を持つのはただ一人、空海中司空(ちゅうしくう)だけだ。当人は官位など気にしていないが。

 

「本当にその辺にしておけ」

「止めてくれるな空海殿!」

「お前のためにならない。――寿成、俺の言葉は聞くに値しないのか?」

 

 寂しそうな目で告げる空海に、馬騰がひるむ。

 

「む……ぅ……けぷっ。すまん。はしゃぎすぎた。ごめん。その目はやめてくれ……」

「……うん。俺はもう良いから二人に謝ってやれ」

「ほっ……翠もたんぽぽも、悪かったよ」

「ハァ。うん。もういいよ、母様」

「んふふ。いつものことだもんねー♪」

 

 馬家の様子に空海も笑顔を取り戻す。

 

「折角良い酒を用意したんだ。味わって飲まなくては酒にも悪いぞ?」

「……そうだな。ありがとう、空海殿」

「気にするな、寿成。ほら、こっちの乾物も食べてみろ」

「ああ」

 

 急にしおらしくなってあれこれ世話を焼かれ始めた母を見て、馬超は複雑な表情だ。

 喧嘩っ早い馬騰は、言い方一つで相手に斬りかかることさえあるのだ。そんな馬騰をたしなめた上、一瞬で仲直りまでする人物を、馬超は一人しか知らない。

 

「空海様って相変わらず母様の手綱を取るのが上手いよなぁ」

「本当だよねー。もう叔母様たちそのまま結婚しちゃえばいいのにー♪」

「な、何言ってるんだよ、たんぽぽ!」

「そそそそうだぞ、たんぽぽ!」

 

 馬岱の茶々に真っ赤になる馬母娘。いちいちこういう反応をするから馬岱もからかうのをやめないのだが。

 そんな中、空海だけは優しく微笑んで口を開く。

 

「俺はたんぽぽのような姪が出来るのは嫌だぞ」

「ひっどぉい!!」

 

 宴会は、宿の主人が迎えに来るまで続いた。

 

 

 

 

「よっ! ほっ! っせい!」

「ふん! まだまだ!」

 

 馬超と黄蓋が打ち合っている。朝一番から2回目の模擬戦だ。最初は黄蓋が勝ち、今も黄蓋が押している。

 

「孟起、強くなったね。公覆が反撃狙いになってる」

「まだまだあたしの後を継ぐにはひよっこだけどな」

「でも、字を贈ったのは気まぐれではないんだろ?」

「……それは、そうだけど」

 

「それに比べて……」

 

 

「っひぃん! へなっぷ! たわば!」

 

 馬岱は黄忠に責め立てられて防御と回避に手一杯になっている。むしろ時々攻撃を受けている。

 

「たんぽぽは……。同じ環境で育って、どうしてこれほど差が?」

「あたしにもわからん!」

「わからん、って。どうにかならないのか?」

「ちょっと目を離すと手を抜くんだよ。実戦に出そうにも五胡と戦わせるにはまだ力不足だし、どうしたもんかなー……」

 

 筋は良いはずなのだ。手抜きの鍛錬だけで黄忠の攻撃をそれなりに防げるのは誇っても良い。

 空海は何か良い方法はないかと考え、口を開いた。

 

「二つ、思いついた」

「うん?」

「一つは、江陵にいる間、左慈に鍛錬の監督を任せる」

「左慈?」

「ウチの軍事教官といった所だな」

「へぇ、強いのか?」

「江陵の軍事を任せるに足りる強さだな」

「へーぇ……」

 

 馬騰が面白そうに頬をつり上げる。

 

「だが、今回は左慈の強さよりも厳しさが重要だ」

「厳しさ?」

「左慈は、そうだな……鬼教官の名にふさわしい厳しさだ」

「お、おぉ。そうなのか」

 

 馬騰は、黄蓋が鍛錬に対して厳しい姿勢であることを知っている。空海は、その黄蓋に対しても鬼という言葉は使っていなかった。

 

「ただ……ちょっと、泣いたり笑ったり出来なくなるかもしれない」

 

 割とマジな目だ。

 

「あと、二度と江陵に近寄らなくなるかもしれない」

「そ、それはちょっと……」

「ですよねー」

 

 思ったよりも厳しそうな雰囲気に、思わず馬騰の腰も引ける。

 

「もう一つは、河賊退治だ。近いうちに行ってもらおうと思っていた案件があったから、それに同行させる」

「おおっ? それはなかなか良さそうじゃないか?」

「船の上での戦いは経験がないだろうが、まぁ、孟起は心配いらないとして、たんぽぽも身を守るくらいは余裕だろう……あの様子なら」

 

 

「無理無理ッ! ――激流に身を任せどうにかすちにゃっ! 無理だってヴぁ!」

 

 

「うん。大丈夫だよな、寿成?」

「あたしが聞きたいよ、空海殿」

 

 

 

 

「朝も早いが、みんな起きているか?」

「あたしは大丈夫だけどたんぽぽが……」

「うー」

「タレてるのか」

「タレてるんだよ」

「にゃー……すぴー」

 

 馬超と馬岱とその護衛が数名、それに空海とその護衛が数名で出立の時を待っていた。

 馬超は馬岱の身体を支え、護衛達が二人の荷物を抱えている。

 

「あと軍師見習いと指揮官見習いたちがくるから」

「見習い?」

「それぞれ学校を出たばかりなんだ。訓練はこなしてるが、実戦で上に立つのは初めてという連中だな」

 

 水鏡女学院と、江陵高等学院の第一期卒業生達だ。参謀が一人とあと全員が指揮官の候補という偏りである。

 男子校の方からは文官が一人も上がって来ていない。卑弥呼に担当させたのは間違いであったかもしれなかった。

 

「大丈夫なのか?」

「河賊退治くらいで今更怖じ気づく程度の奴らではない。……たんぽぽと違って」

「あー。あたしもここまで嫌がるとは思ってなかったよ……」

 

 河賊退治に出ることを告げてから、たんぽぽは陸に上がった魚のように全身を使って拒否を示し、泣き疲れて死んだ魚のようになるまで馬超に縋り付いて泣いていたそうだ。

 馬騰曰く半分以上嘘泣きだそうで、結局送り出されることになったのだが。

 

「寝ていた方が大人しくて良いかもしれないな」

「母様が起こさずに連れて行けって言うから、そのまま連れてきたんだよ」

「その寿成はどうしたんだ?」

「あー、母様なんか調子が良くないみたいでさ(髪が整わなくて空海様の前に立てないって泣いてたことは秘密にしておこう)」

「そうか。なら、後で見舞いに行くか」

「え!? そ、そうだな。少し時間をおいてから見に行ってやってくれよ、空海様」

 

 

 やがて早朝の靄に紛れるように、静かに馬車が到着する。

 

「お待たせいたしました、空海様」

「うん、おはよう」

「おはようございます」

 

 馬車から現れたのは長い黒髪に褐色肌の美少女だ。最近になって江陵の外にも売り出され始めた眼鏡を掛け、鮮やかな紅い服には桜模様の染め抜きが目立つ。

 

「孟起、紹介する。今回の作戦の指揮を執る周公瑾、さっき言ってた軍師見習いだ」

「周公瑾と言う。よろしく頼む」

「馬孟起だ。こっちの寝てるのが馬岱。引き返せないとこまで進んだら起こすから、自己紹介はそれまで待ってやってくれ」

「……ふむ、なるほど。了解した」

 

 周瑜がニヒルに笑い、釣られて馬超も笑う。

 

「よかった。あんたとなら上手く行きそうだ。よろしくな」

「ああ」

 

 二人の様子を見た空海が声をかける。

 

「公瑾」

「はっ」

「今回は、殲滅する事よりも戦いの経験を得ることを意識しろ」

「承知しました」

 

 神妙に頷いた周瑜を見て、空海も頬を緩める。

 

「期待している」

「お任せください」

 

 その自信に満ちた笑顔は、黄蓋によく似ている。

 

 

 

◇◇◇◇

 

 

 第二層と第三層の人口は早期に限界を迎えたが、限界を迎えていたのは何もそれだけではなかった。

 代表的なものが本の製造だ。これまでの製本は、出版と言うには手段が古く、手作業でページを模写して手作業で束ねて作っていた。

 

 江陵では民の収入が多く、学習意欲が高い。

 結果、1冊500銭もする子供向けの絵本すら次々と売り切れる。

 500銭は江陵の外では農民一戸の1ヶ月分の総収入に匹敵する。収入が多い江陵の民達であっても、半月分の収入とほぼ同額である。

 軍略本も人気だ。高等学校での必修科目になっているから、自習用に買う人間も多いのだろう。孫子は全十三編が1冊に、六韜は全六章が2冊に、三略は全三章が3冊にまとめられて、それぞれ1冊1000銭で売られている。

 

 それらが売れすぎて、生産が追いつかなくなっている。

 本の製造はこれまで、ある程度の教養がある民達の層において、数百人単位で行っていた。主にご家庭で、毎日数ページずつ作られる内職のようなものである。

 当然、生産性は高くない。必然的に価格も上がるし、乱丁なども多かった。

 

 そこで新たに登場したのが木版印刷である。版画のイメージそのままの印刷技術だ。

 空海は木版印刷で大量生産を行う出版社を立ち上げ、本を一般化することを目論んだ。

 書の上手い人に原稿を書かせ、木版の彫刻師に写刻させ、印刷する。これまでの十分の一の人員で業務の大半が行える。にも関わらず、すぐに増員することになったのだが。

 ひとまずこれまで本の製造を行っていた知識層の人員の手が空いたため、彼らを記者にして、いわゆる雑誌の刊行も行った。

 元々教養の高かった人々だ。それぞれに与えられたコンセプトの取材を空海が思ったよりも上手くこなし、江陵の都市情報誌からファッション誌、小説本まで様々な本が刊行されるようになった。

 

 空海は出版社の元締めとして都市情報誌を空海ウォーカーにしようと企んだが、意味が通じなかったので空海散歩で妥協した。もちろん空海自身が散歩した場所も載っている。

 一方、ファッション誌は貂蝉の口出しで阿蘇阿蘇(あそあそ)という名前になった。貂蝉は筋肉に三つ編みのファッションで流行を牽引していると言い張っているのだ。

 

 なお、漢字の数は膨大であるため、活版印刷を行うのは難しい。少なくとも現在の江陵の技術ではまだ無理だと判断している。

 木版印刷でも、多色刷りくらいは行っているが。

 

 

 そして、小説本である。その中でも成人向け(・・・・)の娯楽本。

 需要があることはわかりきっているため、特に誰からも反対意見は出なかったのだが。

 

 ――もちろん小説本もこれだけではない。全年齢向けや15歳以上を対象にするものもちゃんとある。だが、成人向けは難しかった。だから作家を厳選することにしたのだ。

 

 厳選したのだ。

 

 

 司馬徽がモジモジしながら告げる。

 

「わ、私が書きます」

 

 その瞬間、空海の脳裏によぎった感情は複雑だった。あらかわいいとか、あの水鏡先生にそんなことさせるのはどうなの? とか、そういえば学院運営で最近ストレス貯めているように見えたなぁとか。

 

「徳操が、書くの?」

「ダメ……ですか?」

 

 空海は背が低い分、上目遣いに弱い。だが水鏡先生に艶本を書かせるのは流石に――しかし代わりに書く人間もいないし――けど徳操には学院もあるから――ストレス発散の場は必要――もはや才能の不法投棄――

 それでも結局、代案が浮かぶことはなく。

 

「……わかった。よろしく頼む」

「はい。お任せください」

「どうせ書くなら、お前自身も楽しんでやれ」

「はい! もちろんです!」

 

 いらんことを言ったかもしれない、だがとりあえず、徳操一人に汚名()を着せるわけにはいかない。

 空海は、司馬徽のペンネーム伏水に対して、ペンネーム静水として出版社の社長に名を連ねることにした。名前だけのつもりで。

 

 伏水と静水の名は後に、伏龍と鳳雛という二大軍師からあがめられることになる。

 

 

 

 さて、ファッション誌が出来たと言ったが、ここ数年の最も大きな変化はその根っこ、つまりオシャレという概念が出来たことにある。

 色とりどりの染料、様々な糸とその縫い方、スカートや下着や靴下、リボンやタイ、見せるための重ね着など。

 

 元々この三国志に似た世界には、洋服のようなものや比較的色鮮やかな布を使った衣服などがかなり多かった。

 しかし、布や服は主に奴隷に作らせており、手工業そのものを見下す風潮があったため質も量もふるわず、その割には高かったので一部の金持ちにしか受け入れられず、文化として花開くには時間がかかるものと思われた。

 

 そこに登場したのが江陵だ。

 江陵は独自の職人制度を作り、免許状を得た人間しか扱えない染料や素材をいくつも用意し、管理者(主に貂蝉と卑弥呼)らが中心となってファッションショーを執り行い、入賞作品の販売権を買い取って江陵の公営店で取り扱った。

 生産性を上げるために専業の仕事として地位を確立し、大量生産のための未来的手法を多数導入し、素材の生産から製品の販売までを行政主導で管理し、これまでに比べて8割も安く、それでいて高品質な衣料品を大量に売り出したのだ。

 

 さらに、美男美女を雇って販売促進を行ったり、街の外で行っている仕入れの際に支払う物品に格安で混ぜ込んだりして売り込み、比較的簡単に作れる染料や飾り縫いなどは全江陵民を対象に行っている教育の一環として広め、それらを含めて劉表を通して朝廷へ献上品として伝えた。

 江陵や劉表、そして朝廷から全土へと広がったファッション文化は、江陵を中心に年間数十億銭の市場を生み出し、材料の高騰によって全土の農民が僅かばかりの財を築いた。

 そうして豊かになった民がファッションへと興味を示し、やがてあらゆる国民へと新しい文化が広がり。

 

 その結果。

 

 

「な、なんか言ってくれよ、空海殿」

 

 リボンやらよくわからないひらひらとした布きれやらがついた、うぐいす色の服。白いキュロットスカート。白い編み上げ靴。

 俯いておきながら睨み付けるように上目遣いで空海を窺う馬騰。

 

「とてもよく似合っていて可愛いと思うが……調子が悪いんじゃなかったのか?」

「か、可愛いって……」

「聞けよ未亡人」

 

 顔を真っ赤にしてクネクネしてる馬騰と、純真な馬騰が眩し過ぎて疲れてきた空海。

 

「よし……よし! 翠とたんぽぽの分も買ってやらないとな!」

「というか、孟起とたんぽぽにご褒美を買いに来たんだろ。なんでお前の分を買うことになってるんだ? というか、調子が悪かったなら休めよ」

「そそそ、それじゃあ行くぞ、空海殿! まずはあっちだ!」

「聞けよ寿成。そっちは茶畑ばっかだぞ? おーい」

 

 その日はチビの手を引いて歩く一騎当千と、一騎当千に手を引かれて歩くチビが江陵のあちこちで目撃された。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。