黒刀のシンシアと無刀の剣士   作:七海香波

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第9話「キミには何もやってほしくない」

 

 彼を知り己を知れば百戦殆からず、とは『孫子』の一説だったか。

 だが、そもそも戦うどころかこれ以上関わる気のない俺からしてみれば、たとえレキに「彼女は父親を殺した」などと言われても毛頭自分から神保シンシアについて調べるつもりはなかった。下手に神保の過去を知ることで、猶更自分から深みに嵌ってしまうかもしれないからだ。

 そう。何も起きて欲しくないのなら、何もしないのが一番なんだ。

 神崎が部屋から消え、キンジが強襲科(アサルト)に通うことになってあの日から少しずつ日常が変化していったとはいえ、平穏な生活にこれくらいのちょっとした波が起きるくらいは許容範囲だ。

 それに拍子抜けするほど神保もぱったりと姿を見せなくなり、俺はまだこの平和がこれ以上大きくかき乱されることはないと思っていた。

 普段通りに起きて、授業と依頼をこなして、寝る。

 それだけで、この七年間続いてきた落ち着いた生活は変わらないと確信していた。

 ――いや、正しくは。

 嫌な予感がしていたのを、信じまいとしていただけなんだ。

 なにせ、もう事件(武偵殺し)は発生しているんだから。――なにかが既に起きてしまっていたとしたら、その時には「何もしないことが一番」なのか?

 それをただ、考えたくなかっただけなんだ。

 ――状況は待ってくれないだなんて、当たり前のことを忘れたまま。

 

 

 ■■■

 

 

 蘭豹が担任を務める我がC組では、遅刻した人間には体罰が待ち受けている。リノリウムの床へのプロレス技(内容は蘭豹の気分による)を自分から食らいに行く奇特な奴でもなければ、五分前行動を自然と心掛けさせられるものだ。

 この日は朝から雨が降っていた。

 春の雨には趣なんてあるはずもなく、陰鬱な気分にしかならない。その下を傘をさして走り抜ければ、予想通りバス停には多くの人間が並んでいた。やってきたバスの中に半ば押し込まれるように俺は中へ中へと追いやられ、いつの間にか一番奥の座席に詰めるように座らされることになった。

 

「あ、すいません」

 

 先に端っこに座っていた相手に勢いよく腰をぶつけてしまい、相手を確認するより先に軽く頭を下げる。

 

「いや、構わないよ。なにせボクとキミの仲じゃないか、大和クン」

 

 ――嘘だろ。

 その嫌に聞き覚えのある声に恐る恐る顔を上げる。

 次の瞬間、俺の視界に飛び込んできたのはやはり彼女の顔だった。

 

「なんだい、そんな渋柿を齧ったような顔をして。いくらなんでも淑女に対して失礼とは思わないのかい?」

「面白い冗談だな、神保。そっちこそ、数日前の会話をそのご自慢の素ン晴らしい頭で思い出したらどうなんだ。そうしたら、むしろ失礼なのはどちらなのか分かりそうなもんだと思うが」

「……まだ怒っているのかい? ボクがキミの家のことを(つまび)らかにしたことを。許したって言ってくれたじゃないか」

「そりゃ手討ちにするのを止めたってことだ。その後も良い関係を築けると思ってたんなら、お前の頭はどれだけお花畑なんだ。それともなんだ、イギリスじゃ握手と同時に相手の過去話を持ち出すのが挨拶なのか。そいつは知らなかったな。生憎と俺は日本産まれ日本育ちなんでね、海外の事情には疎いんだよ」

「やっぱり怒っているじゃないか……。そうだね。ボクとしても、逸り過ぎた。キミが機嫌を直してくれるというのなら、なんだってするさ。だから改めて、感情的にも許してもらえないかな」

「それじゃあ二度と俺に近づくな。……運命なんて、俺は信じないからな」

 

 混雑するバスの中でも、はっきりと彼女の耳に届くように告げると――。

 彼女は、その細い眉を曲げつつもやれやれと苦笑いを浮かべた。

 

「済まないね、もはやそれはボクの推理の及ばないところだ。この日までならともかく。ボクはまだまだ、ただの探偵に過ぎないからね」

「何が言いたいんだ? なんだってするって、言ったばかりだろ」

「今のキミの言葉は、ボクに鳥の翼を生やして空を飛べと言ってるようなものだ――探偵は、起きることを推理するしかないんだから。糸のほつれを解き明かせても、ほつれないようにすることは不可能なんだよ。そして、キミが信じようと信じまいと、もはやここがボクたちの交わってしまう場所なのは確定事項なんだ。ああ、まさか忘れた訳じゃないだろう? ボクたちが再び出会うとき、それは――」

 

 意味深に切られた言葉の続きが、自然と脳裏を過ぎる。

 俺と神保の運命が交わるときってのはつまり――奴が襲い掛かってくる事件なんだ。

 

「≪武偵殺し≫か……っ!」

「このバスには 爆弾が仕掛けて ありやがります」

 

 同時に、混雑したバスの中に聞き覚えのある機械音声が鳴り響いた。

 

「なんだ、今の?」

「冗談じゃないの?」

 

 突然の声を信じられない他の奴らは呑気にそう言っているが、そうじゃない。

 俺だけが、この声を知っている。なにせ奴には、爆弾と鉛玉で殺されかけたばかりなんだから。そしてそれを知るもう一人の武偵、神保にこそこそと問う。

 

「おい神保、お前この状況を推理してたんだろ?」

「ああ、もちろんだとも。今日この時まではまだ、ボクにはキミに関わらないという選択肢もあったからね」

「訳が分からんが、それじゃあ、何か策くらいあるんだろ。何かなくても、お前ならあの時みたいに咄嗟にどうにか出来るんじゃないのか」

「うん、ボクにはこの状況を打開する策も見えているとも。万が一の時のためにね」

「じゃあそいつを早く言え、今がその万が一の時だろ。奴のことだ、きっとまた洒落にならない量をまた乗せてるに違いない。バス一つなんか軽く吹っ飛ばせるくらいのな」

「……なんだヤマト、さっきから神保さんとこそこそと。≪武偵殺し≫とか、物騒な単語が聞こえてきたが」

 

 人ごみの隙間から顔を出してきた武藤が声をかけてくる。

 どうやら今の俺と神保の話に聞き耳を立てていたらしい。

 

「ああ。俺が始業式の日に奴に遭遇したのは話したよな? あの時俺が聞いたのと同じ声だ。模倣犯かどうかはさておき、多分犯人は本当にジャックしたんだろうよ。ヘタすりゃドカンといくつもりだ」

「なんだって、マジかよっ!」

 

 武藤の慌てた声を聴いた車内が騒ぎ出す。「うそ、本物の武偵殺しかよ!?」「な、なんで私たちが狙われるの?」――狭いバスの中で焦燥がすぐに伝播し、瞬く間に軽いパニック状態に陥ってしまった。

 収拾がつかなくなったこの状況に、隣に座る神保は呆れている。

 

「無暗に事実を伝えたところで、普通は混乱するだけだよ。そんなことも分からなかったのかい?」

「分かってたんなら止めろよ!」

「別にこの程度なら支障はないさ。なにせ、この事件を止めるのに彼らは必要ないからね。パニックになろうがなるまいが、結果は変わらないさ。――それは大和クン。キミもだよ」

「なにっ」

 

 突然おかしなことを言い出した彼女に、思わず声を荒げてしまう。

 だが焦る俺の心内とは正反対に、神保は至って冷静な表情を浮かべたままだ。

 

「この事件はボクたちが関わらずともじきに解決するんだ。むしろボクたちはこの事件には、積極的に関わるべきではないさえ言える」

「お前、何を言ってるんだ!? 事態が警察に伝わるまでは時間がかかるし、その間に死傷者が出ないとも限らないんだぞ。この場にいる俺たちが誰よりも早く動けるってのに、そんな呑気に状況を眺めてろってのか!」

「おっと、落ち着きたまえよ大和クン。キミはボクが手出しをしたくない理由を知りたいようだが、すまないね。これも屋上で言ったろう? 武偵殺しの件も含めて、≪全ては相棒になってから≫だとね。――そもそもただの装備科(アムド)でしかないと言ったキミに、この場でいったい何が出来るというんだい?」

「っ、それは……」

 

 彼女の言葉に、途端に現実に引き戻される。

 何かしなければ――俺もこの事態を引き起こしてしまったから何とかしなければならないという混乱に襲われて、彼女と力を合わせればどうにか出来ると考えていたが……ダメだ。

 あの力を発揮せず、技も極力隠したまま動いたところで、そんな俺には出来ることがほとんどない。この押して押されてのバスの中を移動することだって無理に近いんだ。

 

「ボクたちはしばしの間、ゆるりと待つとしよう。なに、心配せずともじきに電波を掴んだ彼女たちがやってくる」

「彼女たち……?」

 

 それっきり話すことはなくなったと言いたげに、彼女は鞄の中から取り出した明治の板チョコの欠片を口に含みつつ、一緒に取り出した新潮文庫版の『シャーロック・ホームズの冒険』を読み始めた。

 

「――これ以上言っても無駄か」

 

 いや、無駄なのは俺のやる気も同じか。

 今の状態では、自分が引き起こしてしまったこの混乱を治めることも出来やしない。

 ただ、これ以上余計なことを仕出かさないためにじっと黙っていることくらいしか……今の俺に出来る事は、なかった。

 そのままバスは混乱に見舞われつつも、時折響く武偵殺しの指示に従って島を抜け、橋を通って台場の方へと抜けていく。メーターは見えないが、雨の方向からして時速60キロ程度だろうか。

 「速度を落とせばドカンです」との指示により、バスがそこそこの速さを維持したまま東京の中を駆け抜けていくと――。

 やがてパラパラパラ……と、ヘリの音が雨音の向こうから聞こえてきた。

 

「んむ、来たようだね」

 

 後ろの窓へ目をやると、その先には黒塗りのシングルローター・ヘリが浮かんでいる。遅れて、屋根の上に鈍い音が二つ。

 やがて、バスの中にはC装備に身を包んだキンジが入ってくる。

 こちらの姿を見つけたアイツは、わざわざ人の間をすり抜けてこっちへやってきた。

 

「せっかくこのバスに運よく乗り遅れたってのに、のこのことやってくるなんてな。お疲れさま、キンジ」

「アリアのせいだ。一件だけ付き合うことになったんだが、まさかこんな大事件になるなんて想像できる訳ないだろ」

「どんまい。一応伝えとくと、さっき武偵殺しはバスは速度を落とすと爆発するって言ってたぜ。んで、爆弾の場所はまだ誰も調べてないが――」

「バスの下だよ」

 

 突然話に割り込んできた神保に、キンジはやや戸惑ったようだ。

 

「えっと、神保か? どうしてそう言い切れる」

「なに、キミの相棒とは違ってきちんとした根拠もあるさ。武偵なら周知のことだろうが、車の運転手は運転前に必ず一度エンジンを確認しなければならない。加えて武偵殺しはやや過剰気味の爆薬を乗せる傾向にある、そんな相手が小分けして見つかりやすく仕込むなんてこと、すると思うかい?」

「……いや」

「だけど、車の下は確認しないさ。会社の倉庫の中に朝早くから子供や小動物なんて、普通は紛れ込むわけがないからね。キミたちだって、サドルの下に何かあるだなんて思いもよらなかったようにね。それならば、普通は確認しないその場所に備え付けている可能性が一番高い」

「あ、ああ――。アリア、バスの下だ!」

『もう確認してる!』

 

 甲高い神崎の声がイヤホン越しに聞こえてくる。やはり強襲科(アサルト)のSランクらしく、キンジと一緒に自分も乗り込んできていたんだな。

 と、同時に――ドンッ!

 バスが大きく揺れ、立っていた奴らはバランスを崩して近くのものに体を預けさせられた。

 

「なんだっ!?」

 

 衝撃のあった方を見れば、ルノーがバスに衝突していた。その上にはこれまたあの時と同じようにご丁寧にも、UZIが乗っけられていた。

 キンジは今ので意識を失ったらしき神崎に慌てるが、相手はこっちのことなんて待ってくれやしない。

 隣に車体を寄せて銃口を向けたルノーに、キンジが叫ぶ。

 

「みんな伏せろ――っ!」

 

 ――バリバリバリバリッ!

 少々高い位置にいた最後尾の俺たちはともかく、下段にいた連中は咄嗟に訓練通りに頭を下げる。一瞬遅れて、その頭上を銃弾が通り過ぎていった。

 武偵高の生徒たちは奇跡的にも無事だったようだったが――。

 

「キンジ、運転手が被弾してる!」

 

 運転のために体勢を変えられなかった運転手が肩に被弾してしまったらしい。

 

「クソっ! 武藤、運転を代われ!」

 

 キンジはヘルメットを武藤に預けて運転するよう言いつけ、自身は神崎の様子を確認するためかバスの上に登っていった。

 頭に何もつけず、撃ってくださいと言わんばかりの姿で。

 

「待ってろアリア、今行く!」

「っ、待てキンジ! その状態じゃ無謀も良い所だぞ!」

 

 ヘルメットなしに銃を持つ相手の前に飛び出るなんて、自殺も良い所だ。いくら元Sランクでも、これでは蛮勇に過ぎる。

 だが相方がよほど大事らしいキンジは、自身のことなんてまるで顧みない様子だ。

 ああ、その仲間を救うために動く姿はまさに理想的な武偵だよ――だけど、現実は理想通りに動くとは限らないんだ。

 このままでは何か、最悪の結果が待っているように思えてならない。

 ――やはり、俺もなにかしなければ。

 

「――今この状況で最も優先すべきことはなんだ?」

 

 バス下の爆弾は、ただの制服姿では手の出しようがない。ワイヤーだって拘束するバス装甲に耐えられるほど頑丈なものじゃないんだ。

 ならばその次に重要なのは……≪武偵殺し≫のもう一つの手ともいえる、UZI付きのルノーだ。アイツらを止めることが出来れば、キンジが神崎を助ける時間が生まれる。

 そうと決まれば、俺の体はすぐに動いた。

 SIG(シグ)を引き抜き、バスの周囲を取り囲むように走るルノー目掛けて発砲する。狙うはタイヤ。≪例の状態≫になればUZIの銃口を射抜いて爆散させることも出来るだろうが、今の俺にはそんな芸当は不可能だ。ならばせめて、動きだけでも――。

 ――パンッ! パンッ! パンッ! パンッ!

 

「クソッ、やっぱり防弾かっ」

 

 だが、用意周到な犯人はご丁寧にも自分の足に防弾タイヤを履かせていた。そのおかげか、全弾命中したにも関わらずまるで手ごたえがない。

 やはり今の俺ではダメだ――そう頭では分かっていても、どうしようもない。

 

「≪()≫ッ、――≪()≫ッ!」

 

 呟くのはたった一文字で済むのに。

 その言葉だけが、どうしても口をついて出てこない。

 前に≪武偵殺し≫に襲われたときは、発動できたのに。どうしてなんだ。

 隣を見れば、この状況を予測していたと語った魔女はこんな時にも静かにケータイを弄っている。

 ――そうだ。

 

「神保、何か言ってくれ!」

「ええ? 急にどうしたんだい?」

「あの日お前が力を貸してくれた時みたいに、お前が何か指示してくれれば動けるかもしれないんだ!」

 

 そうだ。あの時俺は、最悪海に飛び込めばどうにかなる――そう考えていたんだ。

 わざわざ神保の言葉になんて従わなくても、力を発揮させずにそのまま走り去ってしまえばよかったんだ。

 それでも俺は、彼女の言葉には迷うことなく暗示を発動させることが出来た。

 ――なら今回も同じように彼女にやれと言われれば、力を使えるんじゃないか?

 ガラス窓が破れ、雨粒が車内に殴りこむ中、俺は彼女に叫ぶように頼み込んだ。

 

「でもキミは、力を振るいたくないんじゃないのかい?」

「ああそうだよ!」

 

 こんな友人の命が危険に晒されているときでも、俺は恐れてる。

 一度命の奪いの中でこれを解放すれば、守るべき仲間の命すらこの手で奪ってしまうんじゃないかって。

 

「――だけど、このままじゃいずれにせよキンジたちが危ないんだ!」

 

 仲間を助けるために全力で今を駆け抜けようとするアイツらに応えないようじゃ――結局、力を解放しなくても俺がアイツらを見殺しにするようなもんだろうが。

 でも、情けないことに俺の臆病さは潜在能力を引き出すことを許さない。

 だが俺じゃない神保・M・シンシアなら――。

 

「お前と出会ったあの時は、自然と力を出せたんだ! 絶対に出したくなかった力を、お前なら引き出せるはずなんだ! だから、なにか一言でも良い、指示を出せ!」

「ほぅ……あの時は力を発揮できたのかい。しかし、今は無理だという――あの時と今で、キミの何が違う?」

「こんな時に何を考えてるんだ、早く!」

「――いや、駄目だ。今回ボクは、キミには何もやってほしくない。絶対にね」

「くそっ」

 

 これで彼女を責める訳には行かない。

 だって、自ら動けない俺がなによりも悪いのだから。

 奥歯が軋むのにも構わず、自分の情けなさにキリキリと顎を食いしばった俺は結局所持していた銃弾を全弾使い果たすも――何も、出来なかった。

 ――武偵憲章三条。強くあれ。但し、その前に正しくあれ。

 この仲間を救いたいと思う気持ちが、間違っているはずがない。

 だけど俺にはどうしても――強くあることが出来なかった。体ではなく、心が弱かったんだ。

 この誰かを傷付ける力で、再び誰かを傷付けるかもしれないと怯えていた俺は、きっとこの場の誰よりも弱かった。

 ――そしてその後、結局俺の出来ることはなにもなく。

 被弾した神崎を抱くキンジの悲痛な叫びをただ聞くしかなかった無力感と共に――このバスジャックは終息を迎えたのだった。

 

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