――夢を、見た。
遥か昔のこと、と懐かしむほどでもないだろう。それは約六年前の出来事だった。当時八歳だった俺の、精神も肉体もまだ瑞々しく、何でも自分の努力で叶うと信じていた――そんな情けない頃の記憶だ。
その中で俺は、真っ赤な世界に一人で立っていた。
燃え盛る歴史の炎と、煮え滾る熱血。一族の執念と狂気の収斂が可視化された世界だ。もちろん、現実の光景がそんなんだったわけじゃない。俺の記憶で再現された目の前の彼らの抱える怒りと殺意は――俺がこうして想像するよりももっともっと、イカレていたんだろうから。
そう、その中心に立つ俺は彼らに囲まれるようにしてこの狭くて息苦しい鳥籠の世界に一人立ち向かっていた。
相手は、鍛錬を終えた後に握り飯をくれた叔母さんや、俺を産み育てた父を含めた大人だけではない。同じ机を囲んで飯を食べた、兄弟姉妹と呼べる仲の良かった子どもたちもだ。誰も彼もが、俺を中心とした円を組み、その手に己の得意とする武器を掲げて怒りと殺意に満ちた負の感情を俺一人に叩きつけている。
俺の自由を、好き勝手を許さまいと。
だが、そんな彼らの掲げる御大層な志なんては、俺の足を止める理由にはならなかった。
なぜなら――そんな彼らの理想なんてものが、俺にとっては何よりも歪んだ妄執で束縛だったのだから。
それを許さないとして俺は、それに縛られ、また新たな家族を縛ろうとする目の前の家族たちに剣を向けた。
斬って、斬って、斬り続けて。それだけじゃない。柄で殴って峰で銃弾を逸らし、飛んできた手裏剣を足の指で投げ返して。こちらの襟を握ろうとした指を食いちぎり、前方から迫る鎖鎌の分銅を避けて背後から迫る鉤づめを装着した男の鼻先へと打ち付けさせる。そんな、これまで彼らから習った通りの命の奪い方をひたすらに繰り返し――。
やがて、視界の全ての敵が死に絶えて、燃える家々と共に煤となった頃。
新たに一人の少女が炎の中から歩み出てきた時、俺の心臓がひときわ大きく脈を打つ。
彼女の姿を捉えた途端、決意に満ちたはずの柄を握る両手が震え、前に進もうとする熱い意思が急速に冷え込んでくる。
なぜって、そりゃそうさ。俺は彼女とは戦うんじゃない。
彼女を――妹を救うためにこの手を血に染めたんだから。
「来るな。来るんじゃない」――夢の中の俺は叫ぶ。
周りの邪魔者たちが燃える炎の陰で少女の背を押す。殺せ、殺せ、殺せと。
その声を受けた、俺と瓜二つと言っていい容姿をした、白い布一切れを纏う、世間の穢れを知らぬ妹が相対する。
「止めて、止めてくれ」――幼い頃の俺が叫ぶ。
だが、その叫びは無意味だった。
俺と同じように、ハの字を描くように諸手の刀を構えた彼女の唇が小さく、動く――「ごめんね」、と。
「違う。違うんだ。お前は悪くない。お前は――っ!」――その光景を見つめる今の俺が、そう叫ぼうとした次の瞬間。
――俺の手に握られた小さな刀は、寸分違わず愛する彼女の心臓へと突き立っていた。
――違う。こうじゃ、なかったんだ。
俺が剣を取ったのは、お前を
■■■
「うぉッ……!」
ゴスッ! 嫌な音と共に、額に鈍い痛みが走る。どうやらあまりの夢見の悪さに天井に頭をぶつけてしまったようだ。
「な、なんだ……夢か」
嫌な感覚を纏めて吹き飛ばすような痛みに顔を顰めていると、続いてカーテンの隙間から眩く輝く太陽の光が俺に否応なく朝ですよと教えてくれた。
寝ている内に思わず外してしまったのか、足下にくちゃくちゃに纏められていた毛布を引っ張ってもう一度中に潜り込む。そしてその薄暗く落ち着いた中で腕の時計を見ると――七時十分。
普通に登校時間だった。
「やっべぇ!」
一瞬で吹き飛んだ眠気の勢いと共に二段ベッドの上から飛び降りる。つい癖で音を立てずに着地しつつ見れば、下で寝ている同居人も起きずにぐーたらと寝過ごそうとしているようだ。
まったく、彼の嫌う《武偵》にふさわしい生活習慣である。
……とりあえず、起こしてやるか。
呑気な俺の同居人の名は、遠山金次。
同じく武偵高に通う
きっと多くの男子が「一回死んで性根を叩きなおしてこい」と男子がそう思っているに違いない。いや、思うどころか実際に銃弾を撃ち込むのが、我らが武偵高の悪い伝統である。
そんな伝統とは程遠く、俺はぺちぺちとキンジの頬を軽く叩いた。
だって、伝統は伝統として。人に銃口を向けることは悪いことだ。そうだろう?
「おい、起きろキンジ。もう学校に行く時間だぞ」
「ん……ヤマトか。おはよう」
どうやらこれだけで起きてくれたようだ。これで起きなきゃ音量最大にしたアラームをぶつけてやろうと思っていたのだが、そこまで手を染める事態にならなくて本当に良かったと思う。
傍らに立つ俺に挨拶し、キンジはのそりと起き上がる。
「白雪はまだ来てないのか?」
「さてな。みそ汁の匂いもないし、まだじゃないのか? だとすればそろそろ――お、噂をすればだ。愛妻のお出ましじゃねーか、朝っぱらからおアツいですねぇキンジ君」
ピン、ポーン……とちょうど、玄関の方から慎ましやかなチャイムを鳴らす音が聞こえた。
どうやら丁度、キンジの幼なじみ兼自称良妻である星伽白雪が来たらしい。
「愛妻とか変なことを言うんじゃねーよ。アイツはただの幼馴染だッ」
そんなことを言いながら、トランクス一丁だったキンジは慌ててその辺りに放ってあった服を着て、彼女を迎えに玄関へと躍り出ていった。慌てて、と言うのも彼女こと白雪は少しでも待たせると不機嫌になり、さらに放っておくとキンジが女を連れ込んだと悪い方向に勘違いして鬼神化しかねないからである。
毎朝手作りの朝御飯を届けてくれるこんな美少女が《ただの幼馴染》とはこれ如何に。
絶対に、先に書いた通りの愛妻、いやそれどころか文字通りの鬼妻だろう。
「き、キンちゃん……」
「白雪――」
そんな馬鹿馬鹿しいことを考えながら、玄関先からの夫婦の話し声を遠くに、俺はベッド脇のハンガーに掛けてあった制服を羽織る。
白い防弾ワイシャツと、防弾ズボン。それらの武偵高指定の制服を身に着けて腰のベルトを通したところで、俺はようやくリビングへと移った。
そこでは既に、広い机の上に朝飯の準備を整えていた二人が俺に声をかけることもなく仲良く飯を食べ始めていた。
そう、仲良くだ。実はそこにいる星加さんがキンジに惚れており、その逆にキンジは何も気付いていない――そんな世の中からしたら馬鹿じゃねーのとか刺されろとか思われる状況で、かつ当のキンジは女嫌いとか複雑な状況が絡み合う中、それでも二人は普通に仲良く食べていた。やっぱお前ら夫婦だろ。
星加さんが可哀想だ、とかは間違っても思いはしない。
なぜならこの子は、キンジが他の女の子と仲良くしいてたら即座にヤンデレに進化するし、その度に近くにいる連中が巻き込まれるのだから。もちろん一番巻き込まれるのが誰か、なんてことは言うまでもない。
同情するより、普通に友人として接するだけで十分だ。
……だが、そんなことよりも。
お前ら、せめて同居人の俺ぐらい待つか呼びに来るかぐらいしたらどうなんだ。
たまにしか来ない星伽はともかく、キンジェ。
「おはよう星伽。どうぞ、今日も頑張ってキンジとイチャついてくれ」
「おいヤマト。余計な事を言うな」
飯を食べるキンジと、その左正面に座った俺との間で火花が散る。
――余計な事、なんて言われてもなぁ。こちとら見ているだけで胸焼けしそうなんだよ。
――知るか。
――鬱陶しいんだから、さっさとくっつけ。
――ふざけんな。
と、そんな目でやり取りをする俺たちの光景を仏のような慈愛の笑みで眺めながら、星伽がこちらに声を掛けてくる。
「おはようヤマトくん。ありがとうねっ! ……あ、ヤマトくんも、良かったら。どうぞ」
「これはありがたい」
彼女が差し出してくれた黒塗りの箸を手に取り、早速ご飯から手を付ける。
「いただきます……んぐんぐ、やっぱ美味いな」
俺とキンジはよく登校時間がズレるため、彼に合わせてやって来る彼女の飯にありつけることはそんなに多くはない。だが、その時は単に飯代が浮くからなどという邪な気持ちからではなく、本当に感謝しながら食べる。
なにせ、星伽の作る飯は本当に美味いからだ。愛妻を自称する分の腕前はもとより、素材も別格だ。安定した稼ぎのある
そもそも彼女の実家は格式高く、千年以上続く神社の巫女の家系らしい。聞いたところによると食材はそちらから送られてくるのだとか。巫女は神聖で処女、ついでに恋愛なんてもってのほかなんていう先入観があるけれども、星伽のラブラブな目を見る限りはそうでもないみたいだ。ちなみにそこはキンジの先祖とも関係があるらしいが、詳しい内容まで聞いたことはない。
一通り味わって食べさせてもらった後、俺は箸を置いて星伽が入れてくれていたお茶を一啜りした……ふぅ。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「お粗末さま」
あー、ほっとする。野郎二人きりと違い、大和撫子が一人居るだけで空気は静かでなごまされる。
普段からこれでいてくれたら完璧なんだけど、当然本人はそんなこと分かってはいない。まあ、他人が無理に口を挟んでも解決しないから放っておくしかないのだが。
隣で星伽の下着を覗いてしまったのか顔を赤くしているキンジと、一緒になって夫婦漫才をしている彼女を置いて俺は一足先に腰を上げた。
自分の分の食器は台所まで戻し、水につけておく。
リビングに戻り、ソファーの上に掛けるように放り出してあった臙脂色の防弾制服の上着を羽織る。
「っと、そうだったな」
武偵高では四月には生徒それぞれが名札を付けなければならないんだった。自身の机の中から黒地に白で『
――俺はもう二度と、人に対して武器を振るいたくないのに。
「あとは……こいつらだな」
同じように机の上に並べて置かれていた
本来ならばキンジの持つナイフのように刃物を持つのがオーソドックスなのだが、俺はとある理由により自身が刀剣を帯びることを絶対的に禁止している。
最後に防弾改造済みのスマホをズボンに突っ込み、俺は椅子の上に立てかけてあった鞄の取っ手を掴んだ。
「よし、忘れ物はないな。……先出てるぞー、キンジー!」
こっちに荷物を取りに来ないことを見るに、どうせまだ星加さんとイチャイチャしているのだろう。それくらいは見なくても分かる。
そんな二人の愛の邪魔をするのもあれなので、俺は一足先に家を出ることにした。
まったく親切ダナー、俺ってば。
見れば、時計は大体三十分を指している。自転車通学には丁度良い頃合いだろう。
「さあて、今日も一日頑張りますかね、っと」
……とまあ、気分良く家を出たまでは良かったんだ。
まさかこの後に世にも珍しいハイジャックの自転車版、それも短機関銃の乗ったセグウェイ付きに巻き込まれるなどとは――今の俺には、知る由もない。