――警戒するどころか、下手なことを喋れば即座にその口を黙らせることすら躊躇するつもりはない。
そんな脅しを込めて睨みを効かせるが、眼前の神保シンシアは一向に余裕ぶった態度を崩さない。
「やれやれ。そんなポーズを取ったって、力の行使を厭うキミが実際にボクをどうこうしようとするとは思えないがね。推理するまでもない。太陽が必ず東から登るくらいに、答えは明らかだよ」
「さて、どうだろうな。その切れすぎる頭が空回りした挙句、知らぬ間に俺の逆鱗に触れてしまう可能性がないとは言い切れないだろ?」
喧嘩腰を崩さないこちらに対し、彼女はそれでも腰に下げた柄頭に手を掛けない。
「今日のところはそこまで深く刺激するつもりはないよ。なにせ知り合ってまだ一日だ。信頼パラメータの低い内に手を出すと失敗するってことくらい、今どき小学生だって知っているさ」
「現実にゃ、ゲームみたいに必ず正解が用意されてるわけじゃないんだぜ。踏み入れた瞬間バッドエンドが確定することもある」
「ふっ。もしキミのルートが失敗なのなら、既に迷うことなくボクを襲っているだろうね。いざと言うときには躊躇しないのがキミの美徳だと、今朝がた教えてもらったばかりだからね」
登校時の一件を引き合いに出しつつ俺の皮肉をさらりと受け流し、彼女は一転して真面目な顔に切り替えて、俺の足を引き留めさせた≪巌流島事件≫について語り始めた。
「――≪巌流島事件≫とは。名前こそ有名なものの今や無人島と考えられていたかの巌流島に、密かにとある一族が隠れ住んでいたことが露わになった事件だ。もっとも、一族以外の者が彼らの存在を把握した時には、既に一族の全てが業火に焼かれて息絶えてしまっていたがね。――ただ一人の生き残りである宮本大和クン、キミを除いて」
彼女はまず、おさらいと言わんばかりに事件の全容を語り出す。
事件の資料をまるっと記憶している機械のように一言も
「発覚した原因は主に二つ。当時僅か八歳だったキミが偶然にも流木に捕まって、海を漂流し本土に辿り着いたこと。そして、宮本家の全てを焼き尽くした煙が近隣を通りがかった漁師の目に留まったことだ。それらが切っ掛けで、宮本一族の存在が知られることになった。――ただ、その二つの中でより重要なのは、流れ着いたキミの身体だった」
「……」
「最初にキミを発見した人間は、非常に驚いたと証言している。海に染み出すほどの血で真っ赤に染まった戦装束と、その隙間から見える幼子には相応しくない傷だらけの身体にね。その異常性から親による虐待が疑われ、また体に残る新しい火傷の跡から、キミの家族は同じ時期に煙を上げていた誰も居ないはずの巌流島にいると仮定され、通報を受けた行政機関は警察の派遣を決定した。しかし島に辿り着いた彼らが発見出来たのは、その後の雨で鎮火した廃墟だけだった。かすかに人が住んでいたとだけ読み取れる、炭と化した集落の痕跡。それに加えて見つかったのは、幾つかのかろうじて燃え残った黒焦げの遺体。規模からして五十名ほどはいたと思われるのに、誰一人として生存者は見つからなかった。なんとも悲惨な話だね」
そう評しながらも、彼女の顔は語り始めた時と何一つ変わらない。
「もちろん生き残ったキミだけが何かを知っているはずだ――そう考えた大人たちだったが、幼いキミは何も話すことなく、やがて医者にトラウマを抱えていると診断されて大した事情聴取も行われなかった。また一族が他との交流を絶っていたことから、戦後最大の犠牲者が確認された大事件であるにも関わらず新聞も大きく取り上げることはなく、事件はひっそりと闇に消え去っていった。……ここまでで何か、間違っていることはあるかな?」
「いや、間違ってはないな」
だが、その程度の概略なら≪真相≫なんて言葉は付け加える必要がない。
何故なら俺が改めて事件の記録がどうなっているのか問い合わせた時にも、大して変わらない内容の公開資料が送られてきたからだ。ちょっと調べれば、そこらの武偵でも十分知り得る情報に過ぎない。
「よろしい。では、ここからボクの掴んだ≪真相≫を語るとしよう。この事件が世間に広く知られなかったことにはもう一つ理由があった。――宮本家が数百年にも及ぶ野蛮な歴史を紡いできたことが、発覚したからだ」
……薄々予想はついていたが、やはり神保はそちらの方も掴んでいたのか。
「何故誰も逃げなかったのか。何故彼らがこんな島に隠れて過ごしていたのか。色々と違和感はあるものの、そのままでは唯の火事で片付けられそうだった事件。捜査を打ち切ろうとした警察の認識をひっくり返したのは、廃墟の中から発見されたたった数頁の指南書の燃え残りだった」
俺の見た資料にはそんな証拠の存在は記載されていなかったが――そうか。
全て消え去ってしまったと思っていたが、それが残っていたのか。当事者の俺に隠される情報なんてないと思っていたのだが、まさか非公開の資料が存在していたとは思わなかったな。
ともかく、どこかに保存されていたその資料の存在に気づいて、彼女は真相を求めてそれを手に入れてしまったのだろう。
「そこに記載されていたのは、宮本家の行っていたと考えられる非人道的な習慣だった。身内相手にさえ躊躇なく刃を振るうべしといった尊属殺人の推奨。優れた才能を持つ者同士を掛け合わせ、更に優秀な力を持つ者を作るべしという優生思想。慌てて焼け残りの遺体の検死をすれば、頭蓋骨に残る刃の貫通痕や、心臓を切り裂く際に肋骨につけられたひっかき傷などから、遺体の全てが火災ではなく鋭い刃によって斬殺されていたことが明らかになった。だがちょうど国内は、武偵制度の導入後の犯罪率の増加が騒がれ、武偵への非難が再燃していた時代だ。その野蛮な事件が都合よく切り取られて無理やり武偵制度と結び付けられ、制度を非難する材料にされることを恐れた時の政府は、たった一人しか残らなかったことを良いことに『宮本家は破滅的な歴史の積み重ねを経て自滅した』として、世間が大騒ぎしないように情報を隠蔽したんだ。――どうかな。これがボクの掴んだ≪巌流島事件≫の全容なのだが。キミの眼から見て、間違っている事はあるかな」
「……俺はそんな資料が残ってたなんて知らなかったし、当時の政治との関係なんてことも知らなかったよ。だけど家の風習に関してだけなら、間違ってないと言い切れるさ。ああ、そうだ。神保の言う通り、宮本家ってのはそんなことを平然とする人間の集まりだったさ」
そう肯定した俺に、彼女は「ところで」と話を変えた。
「さて、ここで一つ疑問が得られるね。――そこまでしてキミの実家は、何がしたかったのだとね」
「そこまで調べたんなら、
どうせここまで調べ上げるような頭脳と行動力の持ち主なんだ。
恐らく、ほとんど俺の知る事実に近い推論を立て終えているに違いない。
「無論、ボクはこのような断片からでも推理出来ているさ」
「だったら――」
「だが、流石に材料が足りなすぎる。灰の中から拾い上げられた僅かな資料だけでは、継ぎ接ぎのみっともない憶測になってしまうことは拭えない。それにどうやら勘違いしているようだが、ここまではまだボクの言いたいことを述べるための事実確認に過ぎないんだよ。それに、さっきの長い説明でボクの口も疲れたんでね。故に、どうせならキミの口から語ってはもらえないかな?」
彼女はポケットの中に手を突っ込んだかと思うと、取り出したちっぽけな何かの封を解いて口の中に放り込んだ。そして、先ほどまで雄弁すぎるほどだった口をもごもごとさせながら、期待に満ちた目でこちらを見つめる。
手慣れた動作に一瞬見逃しかけたが、暗褐色の丸い物体だ。……まさか、チョコレートか?
いや、彼女が何を食っているかなんて事はどうでも良い。
それよりも未だ空論の段階であるとはいえ、どうせほとんど正解に辿り着いているに違いない。そんな相手には、無理に隠し通すよりも敢えてこちらから話してしまった方が良い。
素直にゲロることを決め、俺は振るう気も失せたトンファーを袖に戻し、話し始めた。
「分かったよ、教えてやる。……俺たち宮本家の人間の目的は。ロクでもないことに手を染めながらあいつらが目指していたのは、たった一つのことだ。――日ノ本最強の剣豪と謳われた、宮本武蔵を再現する事だった」
――宮本家の人間は別に、同室の遠山のように過去の偉人の血を引いている訳じゃない。
そもそも宮本武蔵の息子である宮本伊織は、養子だったのだから。
武蔵が何を思って伊織を迎え入れたかは知らないが、彼には父のような偉大な才能はなく、かの二天一流兵法を継ぐことも出来なかった。事実、宮本武蔵に息子がいたこと自体知らない人の方が多いだろうさ。
そしてその、父を超える息子たれないことを最大の恥と考えた彼は自身が無理なら自身の息子に流派を継がせようとして、子孫による偉大な父の再現を目指したんだ。
さっき言った優生思想ってのはそこだ。有名な剣士だけじゃない。怪しげな力を使う巫女を攫って母体としたり、時には百発百中の弓兵なんかも一族の女が誘惑して子種を手に入れたりもしながら世代を重ねてそれらの力を集約し、ありとあらゆる状況に左右されることなく、自らの置かれた戦場に自然と適応することの出来る最強を生み出そうとしたんだ。
その過程でかつての父が『五輪書』を記した霊巌洞が狭くなり、やがて一族は父にゆかりのある巌流島に移り住んだんだが、狭い島の中で思想は徐々に先鋭化し、やがて彼らの理想とする宮本武蔵を生み出すためなら何をしても良いという風潮にさえ至ってしまった。兄弟同士での真剣を持った戦いはもちろん、不慮の事故が起きれば武蔵を継げぬ未熟者の恥とされるほどにな。
そんな狂った歴史の積み重ねが、宮本家の悲願の歴史だったんだ。
胸の奥に燻ぶる吐き気と共にそう吐露した俺に、彼女は納得するようにふむふむと頷いていた。
「やはりね。親兄弟の血で手を染めることを良しとするまでの殉教者的思想には、神や仏のような絶対的な芯が必要なんだ。それが何かと考えた時に、ボクにはどうしても断片的な情報からはそうであるとしか予想できなくてね。はっきり結論を述べられるだけの証拠だけは、その思想を実際に知るキミの頭の中にしかなかったんだが、これではっきりしたよ」
「でも、それもどうでも良いことだ。だって、宮本家は――あんな時代錯誤な俺の家は、もう終焉を迎えるべきだったんだよ。俺は武蔵の復活なんて一族の恩讐に興味はない。あんな胸糞悪い、歪んだ伝統なんて呪いも良い所だし、全部俺の代で終わらせるつもりだ。家族の血で身に着けた戦いの技術だって、使いたくもない」
宮本家が歴史の中で獲得した技術の一つに、暗示により火事場の馬鹿力を意図的に発動させるものがある。俺が今朝と、そしてさっき神保に撃たれたときに咄嗟に発動させたものだ。
戦いの場に結果が左右されないためには、状況による有利不利をねじ伏せられるだけの個人の力量が求められる――そう考えた
心頭滅却すれば火もまた涼し――集中力を高めることで脳の枷を外して現代で言うゾーン状態に入ると共に、爆発的な膂力を瞬間的に獲得することで、いついかなる時でも戦場で最高のパフィーマンスを発揮できるようにする体質。
しかしそれを最大限に発揮するためには元の体を鍛えると共に、半ば反射的に襲い掛かる状況に対応できるだけの経験を体に刻み付ける必要がある。そのため、俺たちは幼い頃から刃引きされていない真剣を訓練に用いて、常日頃から死を意識する生活を送らされる。
――ああ、思い出してきた。
ぬるりと鉄の匂いのする、見知った誰かの血に染まった呪われた両手を。そして、その腕を見て「よくやった」と褒める、俺に斬られた父本人のおぞましい笑顔を。
そんな業を身に着けた腕で、固く拳を握りしめる。
「それがキミの想いなんだね。彼らと同じような畜生の道にこれ以上足を踏み入れたくないがために、そもそも技を振るう状況に置かれることを回避したいということかな」
「……否定はしない。ともかく、俺の話せる事はこれで全部だ。まだ何か聞きたいか?」
「いや、すまない。そう気持ちをカッカさせないでくれ。流石に、血の繋がった家族を畜生呼ばわりなんて出来るはずもないか。またボクは失敗してしまった」
彼女はなにやら勘違いしているようだが――違う。
俺は家族のような人間になりたくないんじゃない。
なぜなら俺はもう既に――畜生以下の何かに堕ちているからだ。
だがその根本の、俺だけが握る≪真相≫だけは決して誰にも明かすつもりはない。
そこまで知られているのかと思い生きた心地がしなかったが、いくら彼女でもそこまでは辿り着くことが出来なかったようだからな。
それで良いんだ。彼女にはこのまま、俺の抱える不幸な過去は今の話の中だけで全て解き明かされたものと考えてもらおう。
そんな俺の心内を知らぬまま、先ほど躊躇なく人の顔面に銃弾を放ってきた魔女とは思えないほどのしおらしい顔で神保は頭を下げた。
「こんなのではダメなんだ。真実を追求しようとするあまり人を傷つけるようでは≪あの人たち≫と何も変わらない――宮本クン。本当に申し訳なかった」
「……人の忘れたい記憶をここまで完璧に掘り起こしておきながらよくそんな事が言えるな、と言いたいが。反省してるなら、別に構わねぇよ。朝に助けてもらった事と帳消しってことで。それで、結局ここまでして、神保。お前は何がしたかったんだ?」
このまま彼女の≪言いたいこと≫とやらにこちらから話題を乗り換えると、そんな些細な誘導にも目くじらを立てないまま、彼女はようやく自身の語りたかった本論へ移るために俺の言葉に乗っかってきた。
「ありがとう。そして、そうだね。ボクがこうしてまでキミを引き留めたのは、主に二つの理由があるんだ。まず一つ、自分の推理が正確な事実へと辿り着いていることを確かめること。それはたった今済んだが、それにもう一つ、キミから引き出したかったことがあったんだ」
「……もう一つ?」
「それが今から語ることに必要な事でもあるんだよ。予めキミの事を調べて、一族の歴史から身を遠ざけておきたかったことは推理出来ていたことだが、こうしてキミ自身の口からもはっきりと聞きたかったんだ――ねぇ。キミは先ほど、一族の恩讐になど興味はないといったね。そして、胸糞悪いとさえ」
「ああ。それがなんだ?」
そう答えると、彼女はずびし、と頷いた俺の鼻先に指を突きつけた。
今度はいきなり何なんだと神保の顔を見ると、その黒の瞳はこれまでの柔らかさを消し、まっすぐに俺を射抜いている。
「そう、それだ。それこそが、ずばりボクがキミを相棒にしたい最大の理由なのだよ。他の誰でもない、キミでなければならない理由――それが、あの言葉の中に示されているんだ」