槍のように突き付けられた、神保の細く可憐な指先が俺の意識を捉えて離さない。
――まったく、忌むべき過去の話を語り終えて、こっちはもう腹いっぱいなんだ。胸もむかむかしているし、これ以上彼女と何かを話す気にもならない。
だが、残念なことに彼女にとってはこれからが本番らしい。
凛とした彼女の瞳の奥に潜む闇に吸い込まれるように、意志に反して俺の足はこの場から立ち去ることを良しとはしなかった。
「さて、ここからはボクの背景について語らせてもらうとしよ――」
だが、そんな俺たちだけの空間は唐突に終わりを告げる。
「――くォらァ宮本ぉっ! ンなところでなにやっとるんやァ!」
――ドンッ、ドンッ!
ここ武偵高でお馴染みの銃声と共に、これまた聞き慣れた声が下の方から飛んでくる。
「げっ、蘭豹!?」
「おっと。これは流石のボクも推理していなかったね」
ひらりと神保が、背を預けていた柵から身を翻す。
声の聞こえてきた眼下のグラウンドでは、見慣れた女教師がそのポニーテールを荒ぶらせてクソデカい拳銃、≪
更に続けて、彼女の手元で連続して火花が散る。
「危なっ!」
俺を狙ったであろう次の銃弾は、運よく屋上の縁にめり込んだだけで済んだ。だが続けて飛来してくる弾丸に、俺も打たれてたまるかと屋上の反対側へと飛び
「うーん、この時間はあの人は体育館で授業を行っているはずなんだがねぇ。これは推理が外れたかな」
「……武偵高の授業がマトモに予定表通りに行われる訳ないだろ、教師のその日の気分で場所も内容も決まるんだからな。ウチの担任なんかその筆頭だろうが、そんなことも知らないのか」
「いやはや、無茶を言わないでくれたまえよ。ここに来たばかりのボクにはまだまだ、あんな破天荒な御仁まで推理しきるのは難解に過ぎる」
気楽に顎に手を当てて射線から身を遠ざけた神保に、俺はため息をつく。
あの呑まれかねなかった雰囲気を壊してくれたことには感謝するが、後で待っているであろうお仕置きは勘弁だ。
「あのな神保、B組のお前からしたら他人事かもしれんが、俺からしたら一日の朝には必ず蘭豹と顔を合わせなきゃならないんだ。ただでさえ俺は今朝の騒ぎでこってりと絞られたばかりなんだぞ。今日は逃げるが、もし明日も覚えてたら、今度こそあの荒くれ共の巣窟に放り込まれるかもしれん。そうなったらお前も巻き込んでやるからな」
「おっと。デートのお誘いかい?」
「んな訳ないだろ!」
「ふふふ、冗談だよ。いくらボクも、男女のお付き合いには相応しい場所くらい選ぶさ。それに、ただでさえ今の
「誰が未来の相棒だ、誰が。だけど、任せるって言うんなら任せるぞ。礼は言わないからな」
あの蘭豹をどうやって落ち着かせるのか、それはそれで気になるが今はそんなことを聞いている暇はないんだ。
手持ちが切れたのか銃声が止まっているが、蘭豹がこのまま俺たちを放っておくわけがない。きっと授業のベルが鳴ったら速攻でこっちまで駆け上がってくるはずだ。
「もちろん、構わないさ。これはボクの失態だからね。さてと、これ以上あの人の機嫌を損ねないためにも今日はお開きにしようか宮本クン――いや、大和クン。そもそもこんな短時間でキミを納得させられるとは思ってはいなかったからね。今日はほんの自己紹介程度のつもりだったんだ」
「知るか。それに馴れ馴れしく下の名前で呼ぶのを許した覚えはないぞ、神保」
「欧米じゃそんなものだよ、大和クン。キミも気軽にボクのことをシンシアと呼んでくれて良いんだよ?」
「止めろ、そんなのが
至って真剣に彼女とこれ以上付き合うつもりはない俺に、彼女は再びあの余裕そうな笑顔を浮かべるばかりだ。
「ふふっ、この国じゃそれをフラグと言うんだろう? もちろん知っているとも。峰クンに教えてもらったからね」
「余計なところだけはさっさと学んでくれやがって……」
というか、その口調じゃ理子とは知り合いだったのか?
本人に聞いた時はそんな素振りを見せなかったが……。
「まあいいさ。キミがその気分でなくとも、次の機会に、改めてボクのことを知ってもらうとしよう。その時は邪険にしないで貰えると嬉しいかな」
「次の機会なんてねーよ。
さっさとこの場から退散しようと踵を返す俺に、彼女は「それはどうかな?」と嫌に引っ掛かる声を残す。
「どういう意味だ」
その言葉に、足を引きとどめて振り返る。
いつの間にか柵の向こう側に立っていた神保の眼は、空の彼方を見据えていた。
「ボクとキミの運命の糸は、既に≪武偵殺し≫によって交わってしまったんだ。そしてこの一件が、ボクたちを再び絡み合わせるだろう。――それだけじゃない。大和クン。もはやキミが望まなくとも、世界は加速を始めているのだよ。ボクがキミに関わろうと、関らなくとも、キミが戦わなければならない時は訪れる」
「どういうことだ……っ、おい!」
「詳しいことが知りたければ、ボクの相棒になることだ。それでは、ごきげんよう」
問いただすより先に、意味深な言葉を残した彼女はゆっくりと倒れ込むように姿を消してしまった。
思わず手を伸ばしかけたが、――いかん、いかん。
これじゃあまるで、俺の方から彼女に関わろうとしているみたいじゃないか。
誰がわざわざ、厄介そうな魔女の思惑になんて乗るもんか。あんな言葉なんて気にしない方が良いに決まってるんだ。
「アイツの言葉なんかよりも、俺もさっさとこの場から退散しないとな」
頭を振って雑念を振り払いながら、ふとスマホを取り出すと――ちょうど、デジタル表示が五時間目の終了を指し示したところだった。
や、ヤバい。よく分からん神保よりも、まずは目先の蘭豹から逃げないと。
ベルが鳴り始めるのと同時に、俺は階下へと続く扉へ飛び込むのだった。