翌日。戦々恐々として朝の
元気なく椅子に座り、二リットルの水をがぶ飲みするさまは一目で酒にやられていると分かる。二日酔いでの出勤など本来ならば教師にはあるまじき失態であるが、生憎とこれくらいなら
「よぅ宮本、俺の銃やってくれたか? なんか他の連中のも溜まってたみたいだけどよ?」
「おはよう
話しかけてきた
「まいどあり。で、一体ウチの担任はどうしたんだ?」
「さてな。
首を振りつつ、八葉は帰ってきた相棒の感触を確かめていた。こいつにとっては蘭豹のあの姿も、割とどうでも良いらしい。
「それくらいであんな風になるもんなのか?」
「
「流石にそれは死ぬだろ。強襲科流のジョークにしても言い過ぎだろ。……いや、蘭豹なら死なない気がしないでもないような」
「かもな。案外酔拳とか言って暴れ回るかもな――いや、まさかな。勘弁してくれよ……」
急に頭を抱え始めた八葉のことは放っておくとして、それにしてもあの蘭豹が机に突っ伏してしまうほど酔うのは本当に不思議だ。酒精は判断力を鈍らせ、時には記憶さえ飛ばしてしまう。だからこそ武偵にとって酒は遠ざけるべきものなんだ。二日酔いの常習犯である蘭豹だって、それくらい知らないわけがないのに……いや。
他のクラスメイトもそれぞれ好き勝手に婚活に失敗したやら男に逃げられたやらと理由を想像してざわついている中、俺だけはその原因に心当たりがあった。
そう。酒は記憶を飛ばすんだ。
――俺には大変都合の良いことに。
「アイツか……」
計画通り……、と笑う神保の姿が頭に浮かぶ。
さてはこの現状、仕組んだのはヤツに違いない。
任せろとは言っていたが、まさかこんな方法で物理的に記憶を消しにかかるとは。てっきりあの手この手を駆使して俺には想像もつかないやり方を使うと思っていたのだが、これは酷い。確かに想像もつかなかったが、これを魔女の智略と呼ぶことにはなんとなく躊躇いを覚えてしまうのは気のせいだろうか。
いや、彼女のおかげで俺は責められることもなく、朝の危険地帯を乗り越える事に成功できそうなんだが……釈然としない。
悶々としつつもHRは無事に終わり、結局俺はそのまま午前の一般科目を何事もなく終えることが出来たのだった。
「……まあ、これにて一件落着ってことで良いのか?」
■■■
本当にこれで良かったのか。そんな悩みを抱えながら午後を迎えた俺は、昨日整備した装備を一通り返還し終えたのちに別科の棟を訪れていた。
とは言っても、別に授業を自由履修しに来たわけではない。
「――《大地の如く、不動たれ》」
深呼吸し、久々に唱えた短文と共に体を固定。雑念を振り払い、澄み切った頭でそのまま指を引く――タァンッ!
肩に伝わる反動を押さえつつ、隣に立つ観測手の報告を待つ。
「右に三センチ。上に四センチ六ミリです」
「了解」
半ば機械的ともいえる、静かな声がターゲットの状況を報告してくれる。
ボルトを引き、排莢。手探りで次の弾丸をセット――ほんの僅かにずらした照準を覗き込み、再び引き金を引く――タァンッ!
「命中です」
「よし」
体制を崩さず、そのまま続けて残る弾を発射する。
ジャキッ――タァンッ! ジャキッ――タァンッ! ジャキッ――タァンッ!
「……《解除》、っと。どうだ?」
「いずれもターゲットの中央に命中。しかし、多少のブレが見られます」
「そりゃお前からしたらそうだろうけどな。多分、本職じゃない俺からしたら誤差の内に入るくらいじゃないのか?」
ビービー煩いサイレンを鳴らしてから円に十字のターゲットを回収してくると、中心に刻まれたXの文字を取り囲むように三つの孔が綺麗に開いている。そこからちょっと離れて、最初に発射した弾丸の跡が仲間外れのように一つ。
予想通りの、十分立派と呼べる成果だ。普通なら腕のいい部類に入っているだろう。
だが、今回俺の観測手を務めてくれた少女からしてみれば不満だったようだ。
「ありがとな、レキ。助かったよ」
「いえ、構いません。次は私の観測手をしていただければ」
感謝の言葉を述べると、薄緑色の髪をした華奢な体格のクラスメイトはコクリと頷いた。
レキ。
口数が少ないせいか人付き合いは悪いとされているが、俺と彼女には運よく
というのも、彼女は自身の扱う弾丸を自作しているのだが、その際に俺のラボを借りているからだ。湿度や温度まで徹底して管理された部屋はそこらの部屋よりも制作環境に適しているらしく、それ故に彼女は時折俺の部屋を訪れてくる。
「では、交代しましょう」
肩にかけた
――技術ってのは使わなければすぐに忘れる。
もちろん俺からしたら忘れてしまうのが一番良い結果なんだが、どうしても今日のように訓練の場に足を運んでしまうのは―――俺が神保の言うように、あの島の事に囚われているからなのかもしれない。
力を振るうことを恐れはするが、振るわずに力を失ってしまうこともまた恐れてしまうんだ。
教師役の叔父に《腕を落とせば、いざと言うときに困る》と、散々叩き込まれたからだろうな。そのためか、時折きちんと武器を握って腕を確認しなければ不安で夜も眠れなくなってしまう。いざ襲撃されたらば、咄嗟に想像通りに体を動かすことが出来るのかと。
「準備は良いか、レキ」
「はい」
声をかけると、彼女は小さく返事をする。
それにしても、今日は偶然レキが居てくれて助かった。あまり多くの人間に見られたくはなかったからな。レキなら部屋の使用料の代わりに黙ってくれる契約を結んでいるから、誰かに知られる心配はない。
自衛隊からの
彼女はこれを使わなかったようだが、流石に俺には狙撃用のターゲットをミリ単位で観測できるほどの視力はない。いくら様々な武器が扱えるように躾られたとはいえ、宮本の人間はあくまで接近戦中心の剣士なのだから。
静寂に満ちた空間の中、共にターゲットを見据える彼女の言葉がかすかに耳に届く。
「――私は一発の銃弾。銃弾は人の心を持たない――ただ、目的に向かって飛ぶだけ」
彼女が狙撃の際に呟く特有のフレーズ。尋ねたことはないが、恐らくは俺と同じような自己暗示だ。
俺のは咄嗟に発動できるように普段は一文字に縮めているが、彼女の詩はいつも同じフレーズのまま、決して変わらない。
この詩を謡う時の彼女は、いつもの儚さに《銃弾》のような筋を通す意志の強さが併さるように見えて、本当に――見惚れてしまいそうだ。
――タァンッ!
「……ド真ん中だよ。いつも通りにな」
そして、そのまま無言で連続して発射された弾は――。
Sランクの名に恥じない通り、標的にたった一つの弾痕を残すのみだった。
■■■
「流石だな、俺には到底真似できないよ。いつ見ても、素直に尊敬する気にしかならない」
「いえ」
回収してきた彼女のターゲットと自身のものとを改めて比べると、その天と地ほどの差には思わず苦笑するしかない。
誉め言葉を軽くいなした彼女からしてみれば、当然の結果に過ぎないんだからな。
だが、そもそも比べること自体が間違っているんだ。こっちとしては、腕が落ちていなかっただけで十分満足だよ。
銃をしまった白銀のケースを担いでいつものように射撃場を出ようとすると、そんな俺の袖を急にレキが掴んだ。
「宮本さん。今少し時間を頂いてもよろしいでしょうか」
「なんだ? 俺は別に良いけどさ、次に使う奴の邪魔になるぞ。こんな味気ない場所じゃなくて、小洒落たカフェにでも行かないか」
「大丈夫です。そう長くはありませんから。それに、ここの方が都合が良いので」
その答えに俺は眉を顰めざるを得なかった。
「……そんなに誰かに聞かれたくない話なのか?」
「はい」
似たような状況につい最近置かれたばかりだからか、いくらレキのような美少女と二人きりとはいえ、あまり喜ばしい状況とは言えない。
だが、
「分かったよ。じゃ、手短に離してくれ」
「――神保・M・シンシアの相棒になることは、止めるべきです」
その言葉に、俺はどきりとさせられた。
……どんな話が飛び出してくるのかと思えば、なんでそれがレキの口から出てくるんだ。
「いや、アイツにミドルネームがあった事にも驚きだが、どこからその話を……」
「宮本さんと神保さんの屋上での一件は私も見ていましたので。失礼は承知の上で、唇を読ませてもらいました」
確かにあの場所には誰も居なかったとはいえ、吹き抜けだから蘭豹が俺たちを見つけたように他の場所からでも見ようと思えば見ることが出来る。
だが、唇の動きから話を読み取るレベルとなると偶然なんてあり得ない。
「……どっちだ?」
「監視していたのは神保さんの方です。宮本さんではありません。結果的には似たような事になってしまいましたが」
「そうか、気が付かなかったな……」
どっちにせよ、それなら俺の過去の話も聞かれていたことになる。
これは俺のミスだ。あそこを選んだ神保も責めたくはなるが――彼女の不思議な雰囲気に釣られて不用意にペラペラと話してしまった俺も悪い。
やれやれと馬鹿な自分に首を振りながら――そのまま即座に懐の仕掛けを展開し、右手のトンファーの先を顎下につきつける。
だが、それでも彼女はその表情を変えずに琥珀色の瞳でじっくりと俺を見据えている。
「巌流島事件のことですか」
「ああ。あまり広められたくない話なのは、お前だって想像くらいつくだろ。それにあの話を聞いてたんなら、裏のことまで知ったはずだ」
「だからなんだというのですか?」
なんですかって、言われてもな。
むしろこっちの方が、どうして平然としたまま俺と対峙していられるのかを問いただしたいんだが。あんな過去を知ったのなら、俺のことを警戒してしかるべきなのに。今日だって、わざわざ俺に付き合うことはなかったはずだ。
――この国は一度悪と定めた者にはとことん厳しい国だ。少し前にキンジの兄が命を捨ててでも事件で被害者を出さなかったというのに、世間は事件を未然に防がなかった――遠山金一武偵が≪誰だって出来もしない理想の上の最善≫を尽くさなかったと素人判断し、彼を悪人と定めてワイドショーやインターネットなど、あらゆるところで彼を叩いたように。
だけど、話はそれだけじゃない。俺は同室にいたからこそ知っている。あの事件の後、記者たちが無神経にもキンジに詰め寄ってきていた姿を。兄を失くしたからなんだ、被害に遭いかけた一般人の無念をどう思うのか――と。まるで事件に関係のないキンジすらも、悪であるかのように。
そう。誰かが悪と考えれば、その家族すらも悪と見なすことが
だからこそ、俺は過去を無暗に知られることも恐ろしいんだ。俺が兄や親と同じように、家族ですら手に欠けることを良しとする武蔵狂いの一人に数えられたくなくて。
神保は自前の推理で俺の過去を知っていてもなお何故かこちらを悪と断じるような目は向けてきていなかったから良かったが、レキは知り合い以上友人未満とはいえ、一年近くも付き合いを続けてきた仲だ。「お前と俺は友達だよな?」なんて馬鹿げたことを尋ねたことはないが、それでも互いの信頼関係はうまく築いてこれたと思っている。
だから、そんな彼女にこちらを怯える目で見られたくなかったのに。仲間と呼んでいいくらいの相手にある日突然剣と敵意を向けられることが、俺には恐ろしくて仕方がなかったのに。
――変わることのない澄んだ瞳で彼女がこちらを見つめられるのは、何故なんだ。
「宮本さんは実家の風習を嫌いだと言いました。その言葉が嘘ではないことは、この一年が証明しています」
「……具体的には?」
「もしあなたが祖先と同じ野望を抱いていたのなら、あの部屋の中で私を襲っていたでしょうから」
「――は?」
顔色一つも変えずに、なんてことを言いやがるんだコイツは。
「機会があったにも関わらず才ある人間に子供を産ませようとしないということは、そういうことなのでしょう」
「……い、いや。その通りと言うか、言わないというか……」
「違うのですか?」
「……はい。おっしゃる通りです。なので、それ以上はどうか言わないでくださいレキさん」
暗に男の沽券を貶められているようで、あの張り詰めた心の中の覚悟はなんだったんだと言わんばかりに消えていき、代わりに別の意味で情けなくなってくる。
慌ててトンファーを引っ込めて勘弁してくれと頭を下げる俺にも構わず、彼女は話を続ける。
「それと、私からこの話を言いふらすこともありませんので、安心してください。宮本さんとは今後も良い関係を築いていくべきだと《風》に言われています。信じられませんか」
「いやまあ、こっちも一年の時からの付き合いだし、言ってることが嘘じゃないってことはなんとなく分かるけどさ。……お前、俺の過去についてはどうでも良いのか」
「はい」
いつもと変わらず小さく頷く彼女を、俺はこれ以上自分のことで問い詰めるつもりはなかった。
「そうか……。ありがとう」
「何故感謝を?」
「レキが俺の知るレキのままでいてくれたからさ。――いきなり武器を突きつけて悪かったな。で、結局なんでお前は神保と俺を離しておきたいんだ?」
「私ではありません。《風》がそう告げている」
「風、か……」
彼女が時折口にする《風》という謎の存在は、俺にもよく分からない。なぜって、誰も彼女が言うそれらしき他人の姿を目にしたことがないからだ。
恐らくレキなりの勘みたいなものなんだろうが、そいつが俺に忠告したいのか。
「《風》は言っている。彼女は善悪の歯止めを知らないと。宮本さんもそれを体感させられたのでは」
「……確かに、レキの言う通りではあるな」
思い出すのは、いきなり発砲してきた彼女のイメージ。
いくら避けられるのが分かっているからとはいえ、やって良いことと悪いことがある。子供でも分かるようなその常識を、彼女は容易く超えてきた。
「彼女にあるのはただ一つ。己のためならどのような手でも使おうとする冷徹さだけ。そこには他人の心情など慮る余地はありません」
「お、おう。《風》さんは随分と毒舌と言うか、なんというか。そこまで言うのか……」
思わず口を挟むも、彼女は気にせず《風》の言葉を代弁し続ける。
「そして、宮本さんが彼女の誘いに乗ったところで良い結果がもたらされはしない。再びその手を親しい者の血で染め、後悔することになる――と」
「……待て。なんで、そんな事まではっきり言い切れるんだ」
「さて」
コテリと首を傾げる。どうやらレキには、本当に分からないようだ。
「私には、《風》が彼女を警戒する明確な理由は分かりません。ですが、風は示している――彼女という魔女は私にとって、明確な敵であると」
「……そうなのか」
いくらレキの言うことでも、正直に言って根拠のない勘だけではあまり参考にならない。
とはいえ知り合いの言葉を目の前で完全に否定してしまうことも憚られる。
「とりあえず、ありがとな。その忠告はキッチリと覚えとくよ」
一応感謝を言って別れようとすると――彼女は最後にもう一つ、呟いた。
「《風》は、宮本さんが信じないことは仕方がない、と。ですので、もう一つだけお教えします。――神保・M・シンシアは、必要がなくなれば自らの父すら手にかけることを躊躇わなかった、と」