エルメシアは、今現在非常に緊張していた。
エルメシアは高貴なるハイエルフである。
父は剣の名手サリオン。
母は神祖トワイライト・ヴァレンタインの高弟たる偉大なるハイエルフ、シルビア。
そんな高潔な血統であるエルメシアだからこそ高い才能と能力値を誇り、幼い頃からできないことはないと言わしめる天才児であった。
いつ頃からか抱いた夢、「いつかこのソーマを超える善き超大国を作りたい」も努力し己の力を磨く理由になった。
もっと強く、もっと賢く、もっと優雅に。
そして数年前。
力をつけたエルメシアは世を知るために旅に出ることを決意した。
国を建てるにはまず世を知らねばならぬ。
国の良きも悪きもこの目で見て、その上で理想の国を建てようとしたのだ。
両親の応援を受けて旅を始めたエルメシアだったが、やはり女の一人旅は過酷だった。
野盗に襲われ、野の獣に食いつかれ、生傷は絶えなかった。
ベッドなど望むべくもない野宿の睡眠は浅く、食事は簡素で質素。
足腰は常に痛み、風呂のない身体は自然と匂いもキツくなった。
それでも諦めずに旅を続ければ、気付けば超魔導大国ソーマを出て三年もの年月が経過していた。
最早弱々しかったエルフの箱入り娘はいない。
強く美しい娘、ハイエルフの女王がいるのみであった。
そんな、ある日のことである。
いつも通り旅を続けていると、森の中に奇妙な一軒家があることに気が付いた。
世捨て人だろうか。
森深く魔物も獣も多いここにこんな立派な小屋を建てるなど、奇人変人にも程がある。
少し近寄ってみれば、生活感もあることが確認できた。
積まれた薪によく整備された庭。畑は小ぶりながら立派な作物が実っている。
そういえばそろそろ夕暮れだ。
ここの小屋の住人に頼んで一泊止めてもらおうか。
エルメシアはそう思って小屋の扉を叩いた。
「ごめんくださいな」
「──はい、何か御用でしょうか、旅のエルフさん」
ガチャっと木製の扉を開けて出てきたのは。
魔素の暴力みたいな怪物であった。
「…………」
「あの。どうかされました?」
立ったまま一瞬気絶していたエルメシアがハッと意識を取り戻す。
改めて見れば、目の前の男は鬼人に似た長く青みのある角を持つ浅黒い肌の魔人であった。
黄金の装飾を全身に纏う姿は間違っても庶民には見えない。
一際目を引くのはその内包する魔素量である。
あまりの密度に縮退した魔素が収縮と膨張を繰り返し、大きな心の臓にすら見える有様だ。
核撃魔法の擬人化か何かか?
エルメシアは訝しんだ。
「え、ええ。私はこの辺りを旅しているんだけれど、一泊屋根を貸していただければと思って」
「もちろん構いませんよ。どうぞ、お入りください」
超級の魔人は人の良さそうな笑みで扉を開けてエルメシアを招き入れた。
しまった。あらかじめ用意していたセリフをついつい言ってしまった。
ここは逃げるべきだったのに。
しかしもう後には引けず、エルメシアはカチコチに固まりながら簡素ながら立派な小屋の中に入った。
中は何故か、外から見た十倍の広さの異国の宮殿だった。
「………は」
「客間もありますので、どうぞこちらへ。三階のバーラウンジは自由に使っていただいて構いません。風呂は五階、食事は一階でできますので、後で案内しますね」
はぁ、と間の抜けた声が出た。
この魔人の持つ何らかのスキルだと思われるが、それにしてもどこぞの王宮並みの設備だ。
これはとんでもない場所に来てしまったかもしれない。
エルメシアは慎重に魔素をたぐり、何があっても動けるように己の身体に巡らせた。
そうして四階に登る途中。
上から桃色の髪の女の子がものすごい勢いで降ってきた。
「びゅーーん!!!なのだ!!!」
「こらっまた!階段で遊んだら危ないと言っているでしょうミリム!」
「でも楽しいのだ。ノワールも遊んでくれないし」
「ノワールは薪割りの仕事中なので我慢してください。これから冬に向けて暖炉があると暖かいですよ?」
「むーー、あーー。ならヒーローごっこなのだ!竜星爆炎覇(ドラゴ・ノヴァ)!!!」
「!?!?!?ちょっ待っ」
女の子の体から全方位に向けて光が放たれる。
恐るべき魔素と不明な力の収縮に、あっ、死んだコレ……エルメシアは一瞬そう確信した。
しかし、光が体に届くことはなかった。
魔人が円形にバリアを張り宮殿の三分の一が消滅する威力を完全に防いで見せた。
外から夕日が差し込み、宮殿を赤く照らし出す。
外では黒髪の男が黙々と薪を割っているのが見えた。
エルメシアはその男を見て、思わずゾッとした。
あれは悪魔だ。しかも、相当強力な。
しかし何故薪割りなんかさせられているのか。
遠目に見える悪魔はただ黙々と、淡々と、死んだ目で凄まじい爆発に振り返ることすらせずに薪割りを続けている。
「ご、ごめんなさいなのだ…」
「………今日、晩御飯抜きですからね」
「!?!?」
パチン、と魔人が指を鳴らせば次の瞬間宮殿は美しい装飾の扉から観葉植物まで完璧に元通りになっていた。
まるで能力の底が見えない。
何故こんな強大な魔人が森のど真ん中でスローライフなんぞ送っているのか。
エルメシアは明日は朝早めにこの宮殿を出よう、と決意する。
それはそれとして、ここのベッドは実に高級そうだと期待できる。
風呂もついているみたいだし、久しぶりに体の節々を休めるチャンスかもしれない。
「あっ、アルジュナ!!ワタシは反省したのだ!だから!だから今日の晩御飯は勘弁してほしいのだぁぁああ!」
「ダメです。屋敷を壊す悪い子に出すご飯はありません」
「うわぁぁぁああん!!!」
手足をジタバタさせて桃色の髪の女の子は絨毯敷きの床に転がった。
それをひょいと抱き上げ、魔人──アルジュナという名前らしい──はゴホンと咳払いをした。
「失礼しました、お客人。部屋はこちらです」
「……ええ」
四階に上がり、部屋に入ればそこは二つのベッドと山と川とを眺める素晴らしい景色、貴族の屋敷にも似た豪華な調度品の並ぶ素晴らしい部屋がそこにはあった。
ちょっと一般的な旅人を迎え入れるには過剰すぎるように見える。
気が引けて「本当にこんなところに一晩泊まってもいいのかしら」と聞いてみれば、かまいませんよとだけ返事が返ってきた。
「まぁ、私たちも基本的に暇してますから。夕食の時にでも旅の思い出を聞かせていただければそれで構いませんよ」
「ありがとう、つまらない話かもしれないけれど、精一杯話させてもらうわ」
「旅の話!!楽しみなのだ!なぁアルジュナ!」
「ええ。楽しみですねミリム」
アルジュナの肩の上で桃色の髪の女の子がパタパタと両腕を振っている。
戦闘力こそ可笑しいが、悪い人たちではないらしい。
とりあえず、今日の一晩は忘れられない思い出になりそうだ。
エルメシアはそう思って、今晩語る予定のとっておきの旅の笑い話を脳内で整理したのであった。