ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……! 作:怪盗218
1話 新女王誕生
1986年11月28日。紅葉が終わりを迎え、街を歩けば気の早い店のどこかしこからジングルベルの音が漏れ聞こえてくるある日の東京。東京都千代田区にある建物 日本武道館内には、地方予選を勝ち進んで来た年齢も体格も異なる、千差万別な200人を超える柔道家と、彼らを目当てに多くの観客が集っていた。
『ザッ、ザザッ』という、畳を素足が擦った時に生じる独特の異音が会場内に響くが、その音をかき消すかのように、観客席から熱い声援が飛ぶ。
最大収容人数1万人を優に超える日本武道館。1964年に東京オリンピックの柔道会場として建設された同館は、まさに当時の熱狂を再現したかのように、その日男女合わせて最強の柔道家12人を決定すべく熱戦が繰り広げられていた。
武道館の中央に敷かれた畳の上では、その日最後となる12人目の王者を決定する試合が行われており、その周囲を取り囲む1階から2階の観客全員が、その日最後の王者を決定する試合にくぎ付けになっていた。
女子52kg以下級決勝戦。相対する二人のうちの一人は、長年女子柔道界を牽引してきたと言っても過言ではない、女三四郎の異名で名高い筑波大学4年生 山口 かおる 22歳。
対するは、秋田東工業高等学校2年生
決勝までの山口4試合(シード枠有)、桐生5試合、共に一本勝ちで勝ち上がってきた両者だったが、下馬評ではこの大会、『全日本柔道体重別選手権』女子52kg以下級3連覇中の山口が圧倒的に有利だった。
対して、本大会初出場の桐生は母校のある秋田県内ではそれなりに名の知られた存在でありながらも、全国的にはほとんど無名の選手と言って良かった。2人を見つめる観客席の多くの者も、山口かおるの前人未到の4連覇を期待して旗を振り、喉をからして声援を送る。
試合時間は4分。審判の『始め』の合図から早1分が経過しており、両者ともポイントはまだ無い。山口の得意技は、小内刈りを中心とした切れの良い足技。対して桐生の得意技は、講道館柔道 投技の手技16本の一つ『
試合が動いたのは、もうすぐ開始3分になろうかという時だった。山口が鋭い足技を連続して放ち、桐生のバランスを崩す。重心が桐生の身体の右足に偏ったのを見逃さなかった山口は、その右足を即座に小内刈りで払った。小内刈りとは、かける側の足を、組んだ相手の対角線上にある足、つまり右足なら相手の右足を、左足なら相手の左足を内から外に引っかけるようにしてかけながら、相手を後ろに倒す技である。
山口の払った小内刈りで、桐生は更にバランスを崩し、本来畳から足を浮かせないすり足が理想とされる柔道の足さばきが、無残なほどにどたどたと音を立てて、たたらを踏む。山口の小内刈りはそれだけで一本を取れる技であるが、取れなかった時はそこから背負い投げや大外刈りと言った大技にスムーズに移行する事ができる連続技として昇華していた。
桐生の体幹が優れている事は、彼女の決勝戦までの闘いぶりを見て、山口はよく分かっていた。当然、小内刈りだけで、体幹の優れた桐生を倒せるとは山口は思っていない。そのため、当然のように自身の必勝パターンである小内刈りから背負い投げに山口は移行する。
筑波大学の同級生や後輩が、山口が必勝の態勢に入ろうとしている事に気づき、勝利を確信したかのように席を立ち、前のめりとなる。そして、彼らの期待通りに、畳の上で大きな弧を描いて宙を飛ぶ選手。その選手の背が畳に叩きつけられると同時に、彼らが「うおーーッ」と雄たけびを上げて拳を突き上げた。
誤審の生じようもない完璧な1本だった。何の迷いもなく、主審である角刈りの男性の手が高く上がり「――1本!!」と宣告する。抱き合って喜ぶ応援団。山口の名を書いた大きな応援団旗が左右に激しく揺れる。
だが、徐々に驚愕の表情を顔に浮かべる人間がさざ波が広がるように増えていく。彼らはようやく気づき始めていた。
完璧な一本を決めた選手と、畳に背をつけ茫然自失となりながら武道館の高い、高い天井を見上げている選手が誰か……に。
投げたのは、桐生。そして、投げられたのは山口だった。
しかし、山口を応援していた人間が、勝者を勘違いしたのも無理は無かった。その理由の一つとしては、柔道着の色が両者とも白色だったため判読が難しかったという事もあるだろう。
彼らは知りようもない話だが、青色の柔道着が誕生し、白色と青色で対戦者の着る柔道着の色が分けられるのは、この年から11年後、1997年である。そのため、この時点で両者を見分ける術は、容姿や体格を除けば、いずれか一方の腰に巻かれている赤い布のみのため、それを見落としてしまったのだ。
しかし、そのような理由は些細な事であり、もっと大きな理由は他にあった。その理由、……それは、尋常ではない桐生のスピードだ。
中継していたカメラのスロー映像が、会場中央に備え付けられていたモニターから流れる。それは、1/10のスロー映像にしてなお、桐生の姿がぶれるほどのスピードだった。映されていたのは、山口が背負い投げを放つために桐生の懐に飛び込む姿。バランスをくずしていたはずの桐生にはその山口の動きを止められるはずもなかった。彼女が本当にバランスをくずしていたのなら……の話であるが。
未だ畳の上に横たわり、天井を見上げている山口は理解していた。出足払いでバランスを崩した、と自身が思っていたのは大きな間違いであり、本当はこれ全て桐生の誘いだったのだと。
彼女はあえて隙を作り、山口を身体ごと懐に飛び込ませた。その誘いに乗った山口は、ものの見事に、彼女以上の速さで動いた桐生に、逆にその飛び込む力を利用され背負い投げで投げられたのだと。
……時代が変わったわね。そう胸の内で呟き、ようやく山口は畳に手を突き立ち上がる。何故か悔しさは感じなかった。逆に、ほっとしたという思いに近い感情が胸中を占める。それは、15の歳からこれまで7年間の長きに渡って守ってきた女子柔道52㎏以下級を次世代にやっと託せる、という安堵の感情だったのかもしれない。
審判に促され、互いに向かい合い礼をする。ショートに切りそろえた茜色の髪をした桐生が、控えめな笑顔を浮かべて山口に歩み寄り、手を差し伸べる。彼女の目線は山口よりやや低い位置にある。互いに52㎏以下級の選手でありながらも、もしかすると彼女は50㎏に満たないのかもしれない。そんな風に内心考えながら、その差し出された手を握り返す山口。
「小内刈り、もう少しで倒されるところでした」
「ふふ。よく言うわ。逆に私の小内刈りを利用して誘ったくせに」
「私に有利なタイミングで誘えたから耐えられたんです。山口さんのタイミングで入られたら、危なかったです」
「まあ、そういう事にしておいてあげるわ」
そんな会話を二言三言交わし、両者は互いに背を向けて神聖な畳に礼をして下がっていった。
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はー、どうにか勝てたけど、今でも勝てたのが信じられないわ。憧れの、現役バリバリ、絶頂期の山口かおるさんと対戦できたのは嬉しかったけれど、あんなに強い人だったなんて。私が2024年のパリオリンピックに出場した時の山口さんの年齢は確か60歳。さすがに直接組んではいないが、当時の彼女を知る人達からは『鬼のように強かった』、『彼女の小内刈りは唯一無二』などと聞いていたからどれほどのものかと思っていたけれど、本当だったわ。
筑波大と大きく書かれた紫紺の旗が振られている応援団の一角を見上げて軽く頭を下げ、その後コーチに付き添われて控室に戻っていく彼女の背中を、私はそんな事を考えながらじっと見つめていた。
「桐生選手、優勝インタビューをあちらでお願いできますか」
不意に背後からかけられた言葉に我に返った私は、「あ、すいません。今行きます……!」と返事をして、案内してくれるスタッフの後ろをついていく。
インタビュー席までの会場脇の狭い通路を歩きながら、私は会場を囲むように設営されている観客席に視線を向ける。日本武道館。この武道館の事はよく知っている。だって、私が2021年東京オリンピックと2024年パリオリンピックの代表に決まった選考会もこの武道館で行われたから。だけど、あの時は客席にこれほどの観客はいなかったし、今日ほどの熱狂的な応援も無かったと記憶している。後、今私の視界に映っている武道館より、多少くたびれていたかしら。
平成の後期から令和にいたるいわゆるZ世代が中心となった時代は、スポーツの裾野も多種多様に広がり、それは決して悪い事ではないんだけど、その広がりと反比例するかのように柔道競技者の数は年々減っていっていた。私が生まれた時からそんな状態だったからそんなものかな、と思っていたけれど、まさか昭和の後期が、これほど柔道熱が高かったとは思わなかった。
正直、令和に生きた私が昭和の後期に新たな生を得るなど、いったいどんな罰ゲームかとわが身を嘆いたものだけど、この柔道熱は嬉しい誤算ね。うん、スマホはおろかガラケーすら無いこの時代だけど、悪い事だけじゃないわ。
と、いけない。そろそろ皆さんに全てを語っておくべきだろう。でないと、“桐生 茜という女性はどんな不思議ちゃんか”、とあらぬ誤解をされてしまう。いや、全て語ったとしても不思議ちゃんと言うレッテルは張られてしまうかもしれないが、それでもだ。
述べよう。私の生年月日は1969年11月13日。つい先日17歳になったばかりの、花も恥じらうピッチピチの女子高生だ。でも、それは仮初の姿。その前の私の生まれ年は、2000年。つまりミレニアムベビーだ。そして、認めたくはないが認めざるを得ないだろう。おそらく私は享年24歳でこの世を、いや、前世を去っている。
何故なら、私の記憶が2024年で途切れているからだ。より正確に言うなら、2024年パリオリンピック 女子52㎏以下級で東京オリンピックに続き2連覇を果たし、最も高い位置に掲げられた日の丸をバックに金メダルを首にかけてもらったその日以降の記憶が無い。
あの日は、長年にわたり同階級のライバルであったイギリスのレイナードが決勝戦の相手だった。私が背負い投げ、レイナードが内股を放ち互いに技ありのポイントを奪った段階で試合時間4分が経過した。その後、ゴールデンスコア形式(どちらかがポイントを奪った段階で決着がつく試合方式)に持ち込まれた末に私の放った片手袖釣り込み腰がポイントを奪い、私はパリの地で頂点に輝いた。
煌びやかな金メダルを首にかけてもらった私はその足で日本の各TV局をはしごし、遠い日本で応援してくれた皆さんに2連覇の報告をすると共に、3連覇への抱負を語って選手村の割り当てられた部屋に戻ったのは、日も変わった深夜未明だった。この時、コーチにも誰にも言っていなかったが、試合終了から時間が過ぎるにつれ、私の頭はずきずきと激しい鈍痛が時折襲っていた。
理由は薄々とだが分かっていた。決勝のレイナードに奪われた内股による技あり。背中から落ちる事を避けようとするあまり、私はしたたかに頭を畳に打ちつけていた。この日ポイントを取られるほど投げられたのはこの決勝戦のみであったため、おそらくそれが原因だ。
翌々日に控えている国別の柔道団体戦までにこの痛みが引いたらいいな、と期待しながら段ボールで出来たベッドに横になったのだが、次に目覚めたら意味不明な事に、私は産婆さんに取り上げられたばかりの赤子の姿に変わっていた。
もうお分かりだろう。私は前世の記憶を保持したまま転生したのだ。しかも、時の流れを支配するギリシャの神クロノスが何をバグったのか、何故か時を遡って過去にだ。
気が付いたら私は、前世を生きた時代から30年近くも遡り新たな生を得ていた。
まだ記憶が残っていなければ良かったのだろう。そうであれば、私はこれほどの違和感を覚える事は無かったはずだ。だが、幸か不幸かクロノスに加えて、輪廻転生を司る名も知らぬ別の神がやはり同じくバグったのか(いや、ここまで来ると何らかの悪意を感じるが……)、私は前世の記憶を持ったまま新たな生を得てしまった。
昭和の後期。『欲しがりません、勝つまでは』で知られる激動の昭和前期でなかっただけまだましなのかもしれないが、それでも平成生まれの私には実感のしようのない時代。先ほども言ったが、ガラケーすら存在しない。当然SNSなどあろうはずもない。そもそもインターネットすら存在しない。メイドインジャパンが誇るウォシュレットトイレも無い。公共施設では、禁煙スペースと喫煙スペースの比率が逆転している。
そうだ、この時代はまさに、パリオリンピックの前年に放送されていた『不適切にもほどがある』の昭和の時代そのものなのだ。キョンキョン若い! ミポリンお尻出してる! お昼に女の子が水着に生着替えして熱湯風呂に入るって何!? もう意味不明だよ!!
いや、これ以上はよそう。言い出せばきりがない。何といっても、私は好きなことを好きなだけさせてもらえる日本と言う平和で自由な国に再び生まれる事が出来たのだ。世界を見渡せば、なりたい職業、やりたい事、果ては学ぶ権利すら制限されてしまう国もある。もっと言えば、女性蔑視の国も、物心ついた頃から銃を手に取らざるを得ない国も、普通に拉致されて見知らぬ男の奴隷にされてしまうような国だってあるのだ。
それらに比べたら時代を遡るくらいなんだ。記憶がリセットされていないことくらいなんだ。ノープロブレムだ。ああ、クロノス様と名も知らぬ輪廻の神様。ありがとうございます。
「桐生―! おめでとう!」
「桐生先輩、最高でした!」
不意に私の名を呼ぶ一団を観客席の一角に発見した私は、そちらに視線を投げて微笑んだ。そこにいたのは、東京から北に遠く離れた秋田県にある私の通う高校の同級生達だった。
県立 秋田東工業高等学校。略して秋田東。前世も含めて、女の子の好む遊びがどうにもなじまなかった私が男子比率の高い工業高校に進んだのは必然と言えた。(ちなみに前世も男子比率の高い工業高等専門学校だった)
二階席の手すりに身を乗り出すようにして手を振る、同じ柔道部の男子達に手を振り返す私。
「皆、わざわざ冬休みに東京まで来てくれたの? ありがとう!」
「そんなの当然ですよ! 桐生先輩は我らが秋田東柔道部の主将にして、部の紅一点なんですから!」
「そうそう! 同じ柔道部として俺達も鼻が高いぜ! よっ、女子52kg以下級 日本一!」
「あはは! ありがとうね、皆!」
インタビュースペースに向かう足を止めて部活の仲間達と語り合う私を、案内スタッフがどうしたものかとおろおろしている。あまり困らせてはいけないと感じた私は、皆に「また週明けに学校でね!」と声をかけて背を向けた。
皆、良い友達だ。女子部員は私一人だが、そんな事は何も関係ない。秋田東工業高等学校は、工業高校としては全国的にも珍しい中高一貫の学校だった。中学1年生の時から柔道部に所属している私は、付き合いの長い部員とはもう5年近い時を一緒に過ごしている事になる。
ちなみに小学生の時には、私は柔道はしておらず、通っていた小学校のサッカークラブに入っていた。それはやはり、前世で死んだ原因である柔道から、今世では距離を取りたいと思ったからだった。不幸な事故だったとはいえ、さすがに柔道が原因で24歳の若さで死んでしまっては、そう考えても仕方ないだろう。
だが、やはり私は柔道から離れられなかった。中学に入り、体育の授業で柔道が始まり、13年ぶりに柔道着に袖を通した私は、やはり自分の気持ちに嘘が付けないことを悟った。
柔道、大好きだ。
そう、やっぱり私は柔道が大好きなのだ。
『柔良く剛を制す』 体の小さな人間でも、力ではなく、技と切れで自身よりはるかに大きな人間を投げ飛ばす事のできるスポーツが他にある? いや、無い。絶対に無い。
享年24歳? それがどうした。前世では、6歳の時から柔道教室に通って18年間柔道漬けの日々を過ごしたのだ。日本はおろか、世界中の強敵達と凌ぎを削った柔道人生。それは、たとえ24の歳で生を終えたとしても、柔道をせずに生きれたかもしれない百年の人生に勝る。
「こちらに立っていただけますか。記者の皆様は、この後表彰式も控えておりますので、各社時間厳守でインタビューの方をお願いします」
「はい、ここですね」
おっといけない。そんな事を考えていたら、知らぬ間に会見場に到着していた。私の前に各社の記者が列を成して並ぶ。前列に5名、後列に3名といった所か。前世でも経験があるが、記者さん達の間にも暗黙の序列は存在する。それはやはり発行部数の差で現れており、業界大手の記者から前列に並び、質問もその順で基本的には行われる。
そんな事を考えていると、さっそく前列中央にいるベテランらしき風貌の記者さんから質問が飛んだ。
「おめでとうございます、桐生選手。52㎏級では本命と言われた山口選手を破っての優勝ですが、今の心境は?」
『あこがれていた選手の現役バリバリの時代の彼女と闘えて最高に幸せでした!』などと応えるわけにもいかない私は、「山口選手は事前に私が想像していた以上に強くて、勝てたのが今でも信じられません」と無難に答える私。
各社順番に質問とあらかじめ決められているのか、直ぐにその隣に立つ記者が質問を続ける。
「山口選手は、準決勝で右足を負傷していたらしいですが、それはお気づきになっていましたか?」
え、そうなの? そんな風には見えなかったけれど、記者さんが言うのなら間違いはないのだろう。
「いえ、全然気づきませんでした。そんなにひどい負傷だったんですか?」
「足技で鳴らす山口選手ですからね。やはり本調子は発揮できなかったと思いますよ」
ん……? 私の問いかけに応えた3人目の記者の言葉に、私はほんの少しだけ引っ掛かりを覚える。もしかしてこの記者さん、ううん、その前に質問してきた記者さんも含めて、私が山口さんに勝てたのは、山口さんが負傷していたからだと言いたいのかな?
山口さんの負傷がどの程度か知らないけれど、負傷なら私だって全く無いわけではない。ていうか、柔道なんて負傷してなんぼの格闘技だ。多少の捻挫、突き指は当たり前、バルセロナオリンピックで金メダルを取った古○俊彦選手なんて、直前に負った靱帯損傷の怪我を押して出場し、金メダルを獲得している。
実際私の両足、両手の指もテーピングの巻いていない指の方が少ないほどだ。怪我なんて、何の言い訳にもならない。なにより、山口さん自身がそんな言い訳、一言も言っていなかった。
うん、でも、まあ良い。多分皆さんは本来ならこの場所で4連覇を達成した山口さんをインタビューしたかったはずだ。それが、こんな東北の片田舎の小娘が奇跡的に優勝したものだから、思惑が外れてしまったのだろう。
だから私は、記者さん達が好むだろうと思われる答えをすらすらと口にする。
「なるほど。それでは本調子だった山口選手が相手では、勝てなかったかもしれないですね」
「いやいや、運も実力のうちだから。はっはっは」
「そうそう。それに、今日の試合結果だけで、2年後のソウルオリンピックの選手選考が決まる訳ではないからね。山口さんの巻き返しもあるだろうから、茜ちゃんも油断しない方がいいんじゃないかな」
茜
「そう言えば、茜ちゃんの髪はこの大会に向けて染めたのかな?」
「ああ、いえ、これは染めたのではなく地毛で……」
うん、この辺はしっかりと否定しておかないといけない。私の通う学校では髪を染める事を校則で禁止されている。以前も髪を染めていると誤解されて、やれ不良だのなんだのと後ろ指をさされたことがある。でも、髪の色なんて柔道に関係ないのに、どうして東京の記者さんはこんな質問しかしないのかな。
そんな内心の思いをおくびにも出さずに前列の記者さん達と受け答えしていると、突然「桐生さんは、柔道は中学1年生から始めたようですが、指導は部活の顧問の先生が?」と尋ねる声が飛んだ。
おや、私がいつから柔道を始めたのかを知っている記者さんなんて珍しい。それに、インタビューを受け始めた当初はともかく、今ではほとんどの記者さんが私の事をちゃんづけで呼んでいるのに、さんづけで呼ぶなんて。
前にいる記者さんの影に隠れて良く見えなかったが、首を傾げて見てみると、その記者は20代前半と思われる東京では珍しいちょっとやぼったく見える青年だった。
「はい、指導は顧問の先生がしてくれました」
「なるほど。初段は中学2年生の春に取られているようですが、柔道を始めて1年と少しで取得するとは、目覚しい速さの成長ですね。顧問の先生の指導も良かったのでしょうが、桐生さんの努力もあったのでしょうね」
びっくりした。私が初段、つまり白帯から黒帯に代わった時期まで知っているんだ。誰だろう、この記者?
「中学生の時は裏投げなどの力技を苦手としていたようですが、高校に入ってからは見事に克服してきましたね。何か特別な練習でも?」
うん、もう驚くのはやめよう。この記者は私の事をよく調べた上で質問をぶつけてきている。その真摯な取材姿勢からは、17歳という小娘を相手にしているという見え透いた感情ではなく、私を一人のアスリートと認識している様子が垣間見られる。
それに実際この記者の言葉は正しい。昔取った杵柄ならぬ、前世で取った杵柄で資格が取れる年である中学2年に上がってすぐに初段となった私だが、それからしばし試合に勝てない日々が続いた。もちろん、負けてばかりだったわけではないが、まだまだ体の出来上がっていなかった私は、自身より大きな相手から裏投げや肩車と言ったパワー系の投げ技を仕掛けられ、それがために大会を勝ち上がる事がなかなか出来なかったのである。
理由は明らか。いくら相手の方が体が大きいと言っても、私だって、腐っても柔道二連覇の女王だ。普通ならやすやすやられたりはしない。だけど、問題は私がオリンピックで二連覇をしていた時代には、裏投げや肩車(プロレスのバックドロップを想像して欲しい)、あるいは、双手刈りや朽ち木倒し(こちらはレスリングのタックルを思い浮かべて欲しいかな)といった技の数々が禁じ手であったという点だ。
つまり、私はそれらの技を前世で受けた事が無かったのだ。その事にカルチャーショックを受けた私は、中学時代の3年間、そういったパワー系や奇襲系の技への対処法を身に着ける事を優先した。
そう、優先したのだ。ただ勝つだけなら、それらの技を出させる前に勝つ程度の試合運びをする事は可能だった。それを、相手にそれらの技をあえて出させて、その上で勝つ事に、私は中学3年間こだわっていた。
それはもちろん、将来世界に出た際に対峙する事になるパワー主体の外国勢との戦いを見越しての話だ。
つまり私は、中学生の頃からいつかは世界に出てこの世界でも金メダルを取る事を夢想していたのだ。
「いや、失礼しました。中学時代の戦い方を見ると、桐生さんはその頃から世界を意識して柔道をしていた、そういう風に私は感じましたが、そのあたりいかがですか?」
我が意を得るとは、まさにこの事だろう。前世を思い返しても、これほど的確な問いかけを記者さんから投げかけられた記憶がついぞ無い。こちらの考えを先回りするかのような問いかけ、そして聞き出す言葉は記者にとっての答え合わせの段階になっている。実に無駄がなく、その上、問われた側が自然に返事をしたくなる問いかけ方。
「はい、そのとおり――「おいっ! 日刊エブリー! いつまでやってんだ! いい加減、引っ込んでろ! 茜ちゃんには俺達が質問してんだよ!」」
「うるせぇな! 良いじゃないかよ、どうせあんた達は山口さんの取材しか興味ないんだろう!?」
「何だと、三流新聞の三流記者が偉そうに!」
突然私の前で争いを始めた記者さん達。常なら、そんな光景を見ても、やれやれ、と肩を竦めるだけの私だが、今日は違った。
え……? 今なんて言った……? 日刊エブリー? そんな新聞社聞いた事がない。いや、違う。聞いた事はある。ただし、それはあくまでフィクションの話だ。
その新聞社が登場するのは、私が前世で一番のお気に入りだった柔道恋愛漫画。ちなみに2番目は帯ギュ。あと、『柔道部物語』も私の愛読書の一つだが、あちらは柔道のバイブルであって特別枠。だってあれは柔道漫画であって、柔道
話を戻そう。私が最も好きだったその漫画に出てくる記者の所属する新聞会社が、日刊エブリーと言った。間違いない。あの互いにじれったく、読者をやきもきさせるやり取りを何度も何度も読み返した私が間違うはずがない。
「あ、あの……!」と声をかけると、私の眼前でやいのやいのやっていた記者さん達が私に注目する。そんな注目の中、私は日刊エブリーと名指しされた記者の目を見て問いかける。
「あの、あなたの名前を聞かせてくれませんか?」
私の問いかけに、目をぱちくりさせて私を見る記者。しかし、すぐに「あ、ああ! これは失礼しました!」と薄水色のジャンパーの内ポケットに手を突っ込み、1枚の名刺を私に差し出す。
その名刺を恭しく受け取った私は、そこに書かれている名前を見た瞬間、頭の中が真っ白になり、周囲の景色が急速に色を失っていくように感じた。
急速に遠のく意識の最中、その名刺に書かれていた『日刊エブリ―スポーツ 松田耕作』の名が、私の頭の中でぐるぐると回っていた。
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*ステータスはあくまで私の独自解釈で、柔道の強さと直結するわけではありません。温かい目で見ていただければ幸いです
【桐生 茜 ステータス】
なまえ :きりゅう あかね
せいべつ :おんな
ねんれい :17さい
れべる :22
くらす :じょし52kgいかきゅう
ちから :78
すばやさ :185
たいりょく:124
かしこさ :175
わざ :168
こうげき力:207
しゅび力 :169
E じゅうどうぎ
【山口 かおる ステータス】
なまえ やまぐち かおる
せいべつ :おんな
ねんれい :22さい
れべる :20
くらす :じょし52kgいかきゅう
ちから :84
すばやさ :156
たいりょく:138
かしこさ :155
わざ :146
こうげき力:179
しゅび力 :147
E じゅうどうぎ
とりあえず本話を含めて3話を連続投稿します。その後の投稿時期は未定です。