ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……!   作:怪盗218

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10話 打倒 不敗神話!! ① 激突

ザワザワ……。

 

優に100人を超える報道陣と関係者が、畳の中央に立つ桐生茜と猪熊柔を見つめている。審判が、両者が開始線に立った事を確認して開始の合図を発しようとした時、桐生茜が「あ、ちょっと待って!」とそれを制止する。

 

皆が「どうした、どうした?」と疑問の目を向ける中、桐生茜は松田耕作に声をかけた。

 

「ほら、松田さん。あれ、あれ!」

 

当の松田は、「あれ……? 何だっけ?」と首を傾げる。その様子を見てしびれを切らしたように桐生茜が声を荒げる。

 

「だから、試合ルールだってば!」

 

そこまで言われてようやく思い出したのか、松田は「あっ!」と声を上げる。

 

「そうだ、そうだ。忘れていました。審判、すいません。この試合は……」

 

そう言って、日刊エブリ―スポーツで用意した審判を場外に呼び出し、何やら耳打ちする松田。

 

「え? サドンデス……? それは……」

 

「良いじゃないですか。公式戦じゃないんだし。それが桐生選手が付けた唯一の条件――」

 

そんな会話を交わす隣で、いつの間に現れたのかふんふん、と耳をそばだてる高齢の男。

 

「え? ちょっ、滋悟郎さん!? いつからそこに!?」

 

「ふぉっふぉっふぉ。最初から聞いておったわ。おもしろいではないか。儂もあの二人の対決が、万が一判定などで終わっては面白くない。じゃが、なにぶん初めてのルール。お主には少々荷が重いのではないか?」

 

猪熊滋悟郎にそう水を向けられた角刈りの審判は、自身でも思う所があったのか、むむっと頷いた。

 

「そうじゃろう。……どうじゃ、儂が審判をしてやろうか?」

 

「えっ!? い、いや、それはさすがにまずいですよね。滋悟郎さんは、柔さんサイドの人間じゃないですか。公平性が……」

 

「馬鹿もん! 儂が柔道の精神に反するような真似をするはずが無かろうが! よいか、日刊エブリー。儂は、あの女子をこの場に引っ張ってきたお前をほんの少しだけ見直した! 安心せい! 見事にあの二人の試合を裁いてみせようぞ!」

 

「え……、う、うーん、でも桐生選手が何て言うか――「私ならかまいませんよ!」 ……え?」

 

突然試合会場からかけられた言葉に、松田の視線が畳の上に向かう。そこでは、桐生茜が会場袖に集まって話し合っている彼らに視線を向けていた。

 

「私はかまいません。柔道七段、全日本柔道選手権大会五連覇の猪熊滋悟郎氏に審判してもらえるなんて、これ以上光栄なことはありません」

 

「ふぉっふぉっふぉ。ほれ、日刊エブリー! あの女子もそう言っておるではないか。儂に任せい! ああ、それとキリューとやら。儂は柔道八段、全日本柔道選手権大会は七連覇じゃ! 間違うでないぞ!」

 

「ふふふ。はい、分かりました」と返事をする桐生。

 

そして猪熊滋悟郎は、審判をするために身支度を整え始める。そのために生じた僅かな時間。開始線に立つ桐生茜と猪熊柔に会話をする機会が訪れた。

 

「ふふふ。元気なお爺ちゃんね。ねえ、猪熊さん。あなたの柔道はやはりあのお爺ちゃん仕込みなのかしら?」

 

気さくに声をかけてきた同年代と思われる桐生茜に、猪熊柔も心をほぐされたのか「え、ええ……」と返事をする。

 

「あの……私、藤堂選手もだけど、柔道の選手や大会の事を全然知らなくて……。あなたはいったい……」

 

「ああ、私はあなたより一つ上の階級で、52kg以下級の選手よ。ちなみに高校3年生。柔ちゃんもでしょう? 試合中は難しいけれど、試合が終わったら同性の同い年どうし仲良くしましょう?」

 

「あ、は、はい……。あの……、日刊エブリ―スポーツの松田さんとずいぶん親しいようですが、お二人はお知り合いなんですか?」

 

その問いかけに、一瞬桐生茜の顔が(おおっ、柔ちゃんったらそこ気になっちゃう!?)とでも言いたげな表情になるが、それを自制するように彼女は返事をする。

 

「ああ、松田さんとは、昨年11月に武道館で行われた大会で取材を受けた時に知り合ったの。今年の2月にあった大会でも顔を合わせたから、今日で3回目かな。それがどうかした?」

 

「……そうなんですね。いえ、別に。私、松田さんには追いかけまわされて困っているので、桐生さんもそうなのかなって思っただけです」

 

「ああ、松田さんが追いかけまわしているのは柔ちゃんだけよ。何と言っても、柔ちゃんは松田さんが発掘したような存在だから、松田さんの思い入れは人一倍なのよ。それに比べたら、私なんて足元にも及ばないわ。……でもね、柔ちゃん」

 

「はい……?」

 

「記者 松田耕作は、間違いなくアスリートに対して誠意をもって取材できる稀有な記者よ。でも、それだけじゃなくて、人間 松田耕作はアスリートの心に寄り添い、アスリートの立場に立つ事も出来る人物。

それって、今日の試合を松田さんと一緒になって仕組んだ柔ちゃんなら、分かるんじゃないかな?」

 

「え……?」と、不思議そうな顔を桐生茜に向ける猪熊柔。「もしかして桐生さん……」とさらに彼女が続けた時、「待たせたな!」という声が二人に投げかけられる。

 

「いえいえ、とんでもない」、「お爺ちゃん……」と口にする二人の間に立ち、猪熊滋悟郎氏は会場全体に聞こえるように宣告する。

 

「今より試合を始める二人に加えて、会場にいる皆に伝えておく! それは、今から始める試合のルールについてぢゃ! 一つ、試合時間は4分。4分が経過した時にポイントに優劣が無かった場合は、通常なら旗判定で勝敗を決める事になるが、今より始める試合はそれを撤廃する」

 

その言葉に「撤廃!?」、「じゃあ、その時点で勝負が付いていなかったら引き分けか?」という声が上がるが、猪熊滋悟郎は「うんにゃ、違う!」と更に口を開く。

 

「その場合は、4分経過後延長戦をそのまま行う。延長戦では、どちらかが先にポイントを取った方の勝ちとする! つまり、『さどんです方式』というわけぢゃ!」

 

おおおおーーー!

 

聞きなれない決着方式に何やら新鮮なものを感じたのか、会場を取り囲む人々からどよめきが発生する。

 

そのどよめきが収まらぬ中、猪熊滋悟郎が真剣なまなざしを開始線に立つ孫娘に向ける。

 

「柔! 言いたい事はありすぎるほどあるが、それはこの試合が終わってからぢゃ! 良いか、心してかかれぃ! この外国人、ただ者ではないぞ!!」

 

「「え……?」」

 

猪熊柔と桐生茜の両者から疑問の声が漏れるが、その声は猪熊滋悟郎氏の「――はじめぃ!!」という声にかき消された。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

私は、(まさか私、この髪の色のせいで外国人と思われている!?)という疑念が頭を渦巻いたが、試合開始の言葉を聞いて、ひとまずその疑問は頭から締め出した。

 

それより、今は猪熊柔に集中!! 即座に猪熊柔に接近した私は、右手で彼女の襟元を掴み、同時に左手で彼女の右袖を掴む。良いとこ取った、と思った時、逆に私の襟元と右袖も彼女に取られていた。

 

――速い!

 

共に右組手の私達。異なる組手同士ならケンカ四つとも言う、どちらかが有利な組手を取るために激しい組み手争いが発生するが、私達にはそれは無縁だった。というより、もともと私も猪熊柔も、組み手争いに執着するタイプではない。

 

先手だ。私の最も得意とする奇襲技で、猪熊柔の力を図って見せる!

 

足を飛ばす。左足で猪熊柔の左足を軽く刈る。重量級の藤堂由貴との戦いとは明らかに異なる速度で飛ばされた足技に、猪熊柔の体幹が少しだけ乱れる。その一瞬の隙に、私は彼女の懐に正面から飛び込み、右足の裏を彼女の腹に添えながら後方に倒れ掛かる。

 

――巴投げ! 私の背が畳に着くのと同時に、猪熊柔の腹に添えた右足を大きく跳ね上げる。猪熊柔の身体が私を起点に円を描くように宙を飛ぶ。

 

「――! くっ!」

 

ズダーーーン!

 

音が鈍い。当然だ。彼女は空中でかろうじて身をひねり、畳に背中から着く事を回避していた。

 

良い反応! でも、……ふふ。審判を務める猪熊滋五郎氏の口から発せられた「有効!」という言葉を耳にしながら、私はまずは狙い通りとほくそ笑んだ。

 

何故か……。だって、猪熊柔が相も変わらずこの戦いで負けるつもりでいるなら、今の巴投げを躱すはずがない。でも、現実として彼女は躱した。おそらくその理由は、彼女の意思とは別に、身体が反応したから。

 

自分の行動が信じられないのか、畳の上で隙を見せる彼女に私はそのまま寝技勝負を挑む。重量級とは次元の異なる軽量級の軽快な動きに、彼女が動揺している事が手に取るように分かる。ここは一気呵成に行くところと判断した私は、寝そべる彼女の上から覆いかぶさるが、そこはさすがに猪熊柔。巧みに私の攻撃の隙を見つけ、私の下から逃げ出す。

 

「待てっ!」という猪熊滋悟郎氏の制止の声に、私は両膝をついて「ふー……」、と大きく息を吐く。同時に、猪熊柔も私の至近で顔を上げる。

 

猪熊柔の瞳に私の表情が映っている事が分かるほど至近で視線が交錯する。どう、柔ちゃん? 私は、あなたに楽しいと思って貰える柔道が出来ているかしら? そう問いかけたい思いを私はひた隠し、立ち上がる。そしてそのまま開始線まで戻る。

 

さあ、まだまだこれからよ、柔ちゃん!

 

 

 

再び組み合う私達。私は左右の足を時折彼女に飛ばすが、彼女からは、まだ技らしい技が出てこない。

 

「柔さん、攻めろーーー!!」

 

柔ちゃんを応援する松田さんの声が私の耳に届く。と同時に、柔ちゃんから足が飛んだ。相手の踏み出す足を狙って払う『出足払い』。先ほどその技によって藤堂由貴から一本を奪う寸前までいった切れ味抜群の足技が、私の踏み出した右足に飛ぶ。

 

しかし、私の右足の外から払うように繰り出された猪熊柔の左足を、私は咄嗟に足を上げる事によって躱す。いや、ただ躱したわけではない。躱しつつ勢いのついた猪熊柔の左足を、先ほど彼女がやろうと思っていた事をやり返すかのように払い返す。

 

「――えっ!? くっ!」

 

私に左足を払われた事で、猪熊柔の身体が綺麗に宙に浮く。私は態勢十分なまま彼女の背を畳に叩きつけようと、組んでいた引き手と釣り手を巧みに制御し、彼女の背を畳に叩きつけた。

 

ズダーーーーン!!

 

「――いっぽ――!? むぅっ!? 技ありぃ、ぢゃ!!」

 

嘘ッ!? 完璧に『燕返(つばめがえ)し』が決まったでしょう!?

 

燕返し。かの戦国時代の剣豪 佐々木小次郎の必殺剣と同じ名前を冠する足技の返し技。燕がくるりと方向を転換するように、飛ばしてきた相手の足をすばやく躱し、逆にかけ返す足技21本の内の一つ。

 

一瞬、かの滋悟郎氏も孫娘可愛さから判断を誤ったか、と思ったが、直ぐにそれは思い違いだったと気づく私。

 

完璧に取っていたはずの私の引き手が、外されていたのだ。……いつの間に。引き手を外されては完全に背を畳につけることなど、できようはずがない。現に猪熊柔は、半身の態勢で畳に背をつけていた。

 

しぶといっ。このしぶとさが、まさに猪熊柔ね。思わず笑みを浮かべてしまいそうになるほどの喜びを、私は感じていた。

 

 

 

「はあっ、はあっ!」

 

猪熊柔の息遣いが徐々に荒くなっていく。もちろんそれは私も同様だった。試合が始まって既に2分が過ぎようとしている。ポイントは、私の奪った『技有り』と『有効』のみ。あれから何度か技をかけたが、猪熊柔は徐々に軽量級の戦い方にアジャストしてきたのか、私の技を容易く受けなくなってきた。

 

逆に、少し前から猪熊柔の方から技を仕掛ける事が増えてきた。彼女はあまりに彼女の代名詞である一本背負いの威力が飛びぬけているため、どうしても大技が得意と思われがちだが、それは大きな間違いだ。

彼女の本当の怖さは、小技から大技まで極めて高い次元で習得していて、かつ、それを連続技として完璧に繋げる事ができている点にある。

 

ほら、言っている側から! 猪熊柔の切れ味鋭い足技が、私の足に飛ぶ。ちょうど技を仕掛けた直後だった私は、その一瞬の隙にしかけられた足技で腰が引ける。腰を引かせたら何が来る!?

 

ほら来た! 猪熊柔が腰の引いた私の懐にズザッと摩擦で畳から火が出そうなスピードで飛び込んでくる。私の視界の全てが、彼女の後頭部で覆われる。

 

「「「――決まった!!」」」

 

外野からそんな声が飛ぶ! 同時に、決定的チャンスを逃すまいとカメラを構える音。

 

ふざけんなっ! まだ決まってない!!

 

「やあっ!」

 

「くはっ!」

 

天地が一瞬で覆った。体中の血液が脳に集まったかのように、かっと頭に血が昇る私。

 

ズダーーーーン!!

 

痛っ! 激しく畳に叩きつけられた私は、痛みに顔を歪める。

 

「――技有りぃ!!」

 

「「「おおおおおーーーー!」」」

 

滋悟郎氏の手が斜めに上げられるのと同時に、報道陣から感嘆の声が上がった。最初から一本が取れなかった事に気づいていたのか、畳に半身で横たわる私に猪熊柔が即座に寝技を仕掛けてくる。亀のように身を縮こませる事でそれを躱しながら、私はまだ肌の泡立ちを抑えられずにいた。

 

危なかった! 猪熊柔に身体を跳ね上げられる直前、私は自分から宙に飛んでいた。そのおかげで猪熊柔が想定していた以上の遠心力が発生し、私の襟元を掴んでいた彼女の手が緩んだのだ。その一瞬の隙に私は宙で僅かに身体を捩じり、かろうじて背中から畳に叩きつけられるのを防いでいた。

 

「待てぃっ!」

 

滋悟郎氏の制止の声で寝技の攻防が終わり、私達は組み合っていた身体を離し再び開始線につく。

 

滋悟郎氏が私の道着の乱れを直すよう促したので、私は帯をほどき道着の乱れを整える。その間に猪熊柔の表情をそっとうかがう私。

 

どうだろうか……? 彼女は、私と対戦する事を楽しいと感じてくれているだろうか? ジョディと戦った時、彼女は初めて柔道の楽しさに芽生えた様子だった。私はあなたのお眼鏡に叶った? ずっとあこがれていた女性の反応が知りたくて、私は彼女から視線を外せなかった。

 

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