ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……!   作:怪盗218

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推敲をする時間が取れたので、週末では無いですが投稿しますね。


20話 世界柔道選手権の開幕

ポーン……、という無機質な電子音が微かに聞こえた気がして、私の意識は徐々に覚醒する。日本の成田から約12時間のフライト。日本を発ち最初の2,3時間までの記憶はあるが、そこから先の記憶は全くない。

 

ん……。頭からすっぽりかぶっていたタオルケットをずらし、カセットレコーダーから耳に伸びたイヤホンを外す。テープはとっくに止まっていて、そのために先ほどの電子音が聞こえたのだろう。

 

私がイヤホンを手に周囲を見渡すと、座席の左側に小さな窓がある事を不思議に感じ、思わず首を傾げる。私、確か通路側の席に座っていたはずだけど、と考えた時、隣でまだいびきをかいている藤堂由貴の存在に気づき、はたと手を打った。

 

そうだ、そうだ。フライト直後私は通路側の席だったが、窓際は狭いから嫌だという理由で藤堂に替わって欲しいと頼みこまれ、彼女と席を替わったんだった。

 

ふと頭上に目をやるとオレンジ色に光っているベルトのマーク。先ほどの電子音はあれか、と一人納得した私は、倒していたシートを正位置に戻し、小窓からそっと外を覗き見る。

 

今は高度何メートルだろう……。外は真っ暗だ。ガラスに映るぽっかりと黒いシルエットが眼下に見える。あれが西ドイツの大地か。車のライトだろうか。赤や黄色といった小さな光点が列を成して東西に伸びている。その先に視線を投げていくと、輪郭が闇夜と同化して滲んだように見える明るい何かが瞳に映る。どうやら、私達柔道日本代表の選手が乗った飛行機はそこへ向かっているようだった。

 

という事は、あれがデュッセルドルフ空港か。その空港には前世でやはり柔道の国際大会の関係で2度降り立った事がある。これで3度目だ。懐かしい……。私の隣に藤堂がいなければ、思わずここが21世紀と錯覚してしまいそうになる。

 

「ふわぁ。ようやく着いたわね。あんた、西ドイツは初めて……?」

 

私が窓から外を食い入るように見つめていると、ぬっと大きな顔が横から飛び込んできた。藤堂だ。

 

「そう……ですね。初めてです」と、今しがた胸に抱いた感傷を隠し、そう応える私。

 

「そっ。西ドイツは何と言ってもビールとソーセージよ。あんたはまだビールは駄目だろうけど、美味しいソーセージの店は知っているから時間があったら連れて行ってやるよ」

 

「本当ですか? ありがとうございます!」

 

ああ、でもビールも飲みたい。噛むと皮がプリっと弾け、中からジューシーな旨味の滴るソーセージと一緒にビールを飲めないなんて生殺しに近い。こっそり飲めないだろうか。確か前世で未成年の新体操の選手が飲酒でパリオリンピックを出場辞退に追い込まれていたけれど、この時代の倫理規範ならたとえそれがばれても笑いごとで済みそうな気がするんだけどな……。

 

そんな事を考えていると、窓ガラスに私が左手首に巻いている機械式腕時計が反射して映り込む。ああ、駄目ね。真田と約束したもんね。問題行動は絶対に起こさないって。しかし、あいつは本当に18歳なのかね? 私なんて精神年齢は40を超えているはずなのに、あいつにマウントを取られてばかりだ。もしかしてあいつって、私と同じように未来からの転生者?

 

……ま、いっか、どっちでも。あいつは良い奴。今の私にとってはそれで十分。

 

私は窓の外の景色から視線を剥がし、シートに身体を預ける。そして手首に巻いた機械時計をそっと耳元に当てる。カチ、コチと規則正しい機械音が僅かに聞こえてくる。その音を目を瞑って静かに聞いていると、海外に来たという高揚感が徐々に落ち着いていくように感じていた。

 

 

 

~~~~西ドイツ エッセン 柔道日本代表 宿泊ホテル~~~~

 

「へー、ここが滞在中にずっと過ごす部屋ですか。なかなか広いし、調度品も品があって過ごしやすそうですね」

 

「だね。桐生、壁際のベッドを使って良いかい? 見ての通り私繊細だから、外の明かりと車の音が気になって寝れなくなるタイプなんだよ」

 

「もちろん良いですよ。私はむしろ窓側で外の気配を感じながら寝る方が好みですから」

 

(繊細と言いながら飛行機の中ではいち早く眠りについていましたよね?)、とは心の中だけで思っておくことにする。

 

「藤堂さんは無差別級だから出番は6日後でしたよね。私は明後日だけど、待たされるのって嫌じゃないですか?」

 

私は窓際のベッドの上に旅行鞄を置きながら、同室の藤堂にそう声をかける。

 

「まあね。だけど桐生。今回私は無差別級だから、体重制限を気にしなくて良いんだよ?」

 

そうニヤッと笑う藤堂に、私は彼女が何を言いたいのかを理解した。あなた、ここぞとばかりに食べまくる気ですね?

 

「あっ、エッセンの町を堪能するつもりですね。良いですねぇ、私も連れて行ってくださいよ」

 

「そのつもりだったんだけど、あんたは未成年だから勝手に連れまわすなって、さっき柳澤監督から釘を刺されたんだよ。土産に旨いソーセージを買って来てやるから、それで我慢するんだね」

 

「ええーー、そんなーー!」

 

よよよ、と崩れ落ちるような芝居をする私に、藤堂は苦笑いを浮かべる。

 

「しかし、あんた。初めての海外試合だというのに、随分と落ち着いているね。前に私と同室だった初めて海外遠征に来た選手は、緊張で食事が喉も通らないようなありさまだったよ」

 

「いやいや、緊張はしっかりしていますって。だからこそ私も、エッセンの夜の町に連れて行ってくださいよ。美味しいソーセージと美味いビールを飲めば、緊張もほぐれますって!」

 

「未成年を連れまわした上にビールまで飲ませたら、私が雷を落とされるだけじゃすまないんだよっ! それに、どう見てもお前は緊張していないじゃないかっ!」

 

そんなとりとめのない会話をひとしきり交わした後、夜も更けていた事から私達は順番にシャワーを浴び、早々に就寝したのだった。

 

 

 

――翌日。

 

私達日本柔道陣は男女とも、本日より5日間にわたって世界柔道選手権が行われる会場であるグラスホフ体育館にやって来ていた。ただし、今私がいるのは、2万人の観客が収容可能なメイン会場ではなく、地下1階にある選手用の練習場だ。この体育館の地下には、中央階段を下りた場所から東西方向に25mプール程の細長い畳敷きの練習場がそれぞれ併設されていて、世界選手権に参加する各国の選手団が、そのいずれかに割り振られていた。

 

我らが日本代表はその2つの内の東に向かって伸びた練習場の一部を割り当てられていたが、当然そこには日本以外の国の選手団も大勢いて、国際色豊かな気合の声と熱気、そして、ズバン、ズバンと畳を叩く振動が絶え間なく足元から伝わってくる。

 

今頃上階のメイン会場では、世界中から集まった2万人の観客の前で、男女それぞれの軽量級である48kg以下級の試合が行われているはずだった。

 

日本女子の48kg以下級の代表選手はもちろん猪熊柔でも本阿弥さやかでもなく、筑波大学の木下だ。下馬評では、優勝は厳しいまでも3位入賞は十分狙えるとの事だから頑張って欲しい。日本女子チームを率いる柳澤監督は、その木下につきっきりで、メイン会場の方にいる。

 

「ふっ、ふっ!」

 

私の打ち込みを受けてくれていた強化選手が、周囲の喧噪に負けじと大きな声を出す。

 

「良いよ、桐生さん。時差ボケも無さそうだし、明日の試合に向けて支障は何もない様子ね」

 

「ありがとうございます。じゃあ、次は袖釣りの打ち込みに移りますね!」

 

「ちょっと桐生。あんた、明日が本番なんだから、あまりやりすぎて疲れを明日に残さないようにしなよ」

 

私の隣でそんな声をかけて来たのは藤堂だった。その藤堂も大会に同行している強化選手を相手に打ち込みをしていた。そんな藤堂に私は笑みを返す。

 

「これくらい準備運動ですよ。それに、明日あんな最高の会場で試合が出来る事を考えると、待ち遠しくてじっとしていられません」

 

「ふふふ。桐生さんは本当にこの大会を楽しんでいるわね。これが世界戦のデビュー戦とは思えないわね。若いって羨ましいわ」

 

私の打ち込み連続200本に付き合ってくれていた、私より3歳年上なだけのお姉さんである三上という名の女性選手がそんな年寄り臭い事を言うので、私は苦笑いを浮かべる。三上はそのまま隣の藤堂を気にしながら、私の耳に口を近づけて小声で尋ねて来た。

 

「ねえ、桐生さん。藤堂さんと同室で大丈夫だった? 藤堂さんの、その……いびきが大きくて寝られなかったんじゃない?」

 

「え……? 藤堂さんのいびきですか? どうでしょう? 私、わりとどこでも寝られるタイプなんで、全然いびきは気にならなかったですよ?」

 

藤堂のいびきは知らないが、秋田東工では毎年夏休み中に近隣の高校との3高合同夏合宿を行っている。合宿中、男共に混ざって他校の図書室の床に寝具を敷いて雑魚寝していた私は、男共の大きないびきに耐性がついていたし、どこでも寝られるようになっていた。まあ、前世の学生時代でも似たような生活を送っていたから、今更と言えば今更の話しだが。

 

「そ、そうなんだ……。ほんと、桐生さんってつくづく大物だわ。あ、ごめん、桐生さん。ちょっと休憩させてくれない? 私、ちょっとお手洗いに行ってくるわね」

 

「どうぞ、どうぞ」と三上を送り出した私は壁際に移動し、そこにまとめて置かれてある日本代表用のスポーツドリンクを手に取りながら、周囲に視線を投げかける。

 

この練習場には、日本以外にどの国の選手がいるんだろう……? 肌の色や掛け声だけでは、この練習場で調整している選手がどの国出身なのか判断が出来ない。だけどそれは、壁際に置かれているお揃いのバッグやユニフォームに縫い付けられている国旗を見る事で、ある程度判読が可能だった。

 

太極旗に、トリコロール……。なるほど、日本以外の大所帯チームとしては、韓国やフランスもいるようだ。おや、奥の方の壁に見慣れない国旗が立てかけられている。錆色の旗の左上隅に金の鎌と槌、それに赤い五芒星。あれってもしかして……。

 

あの国旗は、前世では一度も目にした事が無かったが、今世では目にした事がある。確か社会の授業で習った……、えっと……。うーん、もう少しで思い出せそうなんだけどな、と一人頭をひねっていると、突然その私の頭上に影が差した。

 

 

 

お前がアカネ・キリュウか?

 

ん……? この発音は確か……、と私が背後を振り返ると、見上げるほど大きな女性が私を見下ろしていた。思わず男かと間違えそうになりそうなほど角刈りに切りそろえられた金髪。面長の顔に怜悧な瞳で私を見下ろすこの女を私は知っている。

 

もちろん初対面だ。

 

……だけど知っている。

 

「アンナ・テレシコワ……」

 

私の呟きを拾ったのか、彼女の眉がぴくっと動いた。

 

そうだ、間違いない。アンナ・テレシコワだ。『YAWARA!』の世界におけるヒール役かつ、ある意味ジョディとは別の意味で柔ちゃんのライバルと言えるソビエト連邦出身の柔道選手。

 

二人が初めて対決したのはソウルオリンピックだが、その確執はこの世界選手権から始まっていた。何故なら、4日後にここグラスホフ体育館で行われる無差別級の決勝戦で彼女は、ジョディ・ロックウェルに靱帯断裂の怪我を負わせるからだ。

 

そしてソウルオリンピックでも怪我から復帰したジョディに再び大怪我を負わせ、柔ちゃんにしては珍しくテレシコワ相手に本気の怒りの感情を向けるのだ。

 

もう一度尋ねる。お前の名前はアカネ・キリュウだな?

 

母国語では意味が通じていないと思ったのだろう。テレシコワは、今度は英語でそう問いかけて来た。ああ、英語なら分かる。私はニヤッと笑みを浮かべ、テレシコワを正面から見返す。

 

「YES I AM(ああ、そうだよ)」

 

私の返事にテレシコワの切れ長の目がすっと細められる。

 

お前がヤワラ・イノクマに勝ったという記事を見たが、それは本当か? お前の力はそれほどなのか?

 

なるほど……。柔ちゃんにご執心のあなただから、その柔ちゃんに勝った事があるという私に興味を持ったか。しかし、テレシコワのこの怜悧な瞳。私の力が本物かどうか疑っている目だな。

 

本当だよ。それがどうかした?

 

……信じられない。あのヤワラ・イノクマが敗れるなど

 

信じられない……か。だったら、私の力を試してみたらどう?

 

その私の挑戦的な言葉に、テレシコワの目がさらに細められる。

 

試しようがない。お前は無差別級に出ていない。それに……

 

……それに、何さ?

 

試すまでも無い。お前は私に遠く及ばない

 

へぇ……。言ってくれるじゃない、テレシコワ。あんた、まだオリンピックで金メダル取ってないよね? ちょぉっとばかし、先輩に対する礼儀がなってないんじゃないかな?

 

私はテレシコワの襟元を右手で掴み、その私を見下ろしているすまし顔をぐっと引き寄せ日本語で言い放った。

 

 

「テレシコワ、あんたちょっと、……()が高いよ

 

「ズ……? なんと言った、アカネ・キリュウ?」

 

その問いかけに応えず、私は自身の着ている柔道着と畳を指差した。

 

あなたも わたしも 柔道着を着ている。そして ここには 畳がある。 何を躊躇う必要があるわけ?

 

 

ジェスチャーも交えた私の言葉を彼女も理解したのだろう。その精密機械のような顔に僅かに赤みが差し、彼女の右手が私の襟元に伸びる。それは思わず私の身体が浮き上がるほどの力だった。

 

ふふ、あなたもやる気が出たようじゃない。それじゃあ、審判もいない事だし、『始め』の合図は私達でかけましょう?

 

「……Ready?」

 

「――GO!」

 

その言葉と共に、テレシコワがぐっと私を押し込んできた。周囲で調整中だった選手達がギョッとした顔を私達に向けるが、一瞬で二人だけの世界に入り込んだ私達にはもう関係のない話だった。

 

2万人の観衆が声援を送るメイン会場の地下。観衆は一人もいない練習場の片隅。審判も線審もおらず、更に言えば組み合い中に隣の選手と身体がぶつかるような狭い畳数枚のスペースで、私とテレシコワの力の試し合いが始まろうとしていた。

 

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