ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……!   作:怪盗218

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3話 帰郷

『本日もJR東日本をご利用くださいまして、ありがとうございます。まもなく、秋田ぁー、秋田ぁー。お忘れ物ございませんよう……』

 

今日だけで5試合した疲れからうとうとしていた私は、その車内アナウンスで我に返る。切符、切符はどこ……。ああ、良かった。ポケットに入ってた。

 

「あ……」

 

コートの内ポケットから切符を取り出した際に、同じく内ポケットに入れていた名刺が一枚、ひらりと足元に落ちる。

 

倒していたシートから身を起こし足元に落ちた名刺を拾い上げ、それをまじまじと見つめる私。

 

その名刺は、今日東京で行われた大会のインタビューの際にとある記者から頂いたものだった。

 

『日刊エブリースポーツ 記者 松田 耕作』

 

うん……、間違いない。やはり夢では無かった。ていうか、私はあのインタビューに加えて、武道館から帰る際にもこの松田と言う記者に会っているのだから、今更夢のはずもなかった。

 

 

~~~~日本武道館 玄関前広場~~~~

 

時は少し遡る。

 

傾きかけた西日が、武道館を出たばかりの私の影を灰色のコンクリート舗装に投影する。周囲には私以外の柔道選手も、熱狂的だった観衆もほとんど残っておらず、閑散としたものだった。

 

「仕方ないよね……。気が付いたら全部終わってたんだもん……」

私はあのインタビューの後失神してしまったらしく、次に目覚めた場所は医務室だった。

 

武道館の前にあるタクシー乗り場に向かっていた私は、突然「桐生さん!」と呼ばれて後ろを振り返った。そこには、先ほど、いや、今に至るも私を混乱の渦に突き落としている(くだん)の記者とそのカメラマンがいた。

 

「あ……松田さん……。それに、鴨……田……さん」

 

「えっ? 桐生さん、どうして俺の名前まで知ってるんですか?」

 

私に名を呼ばれたことに驚いたのか、ぽっちゃり体系のカメラを持った人物が目を丸くして驚きの表情を顔に浮かべる。

 

「え……。あ、か、会場ですれ違ったときに首に下げていた身分証を見て……それで」

 

危なかった。日刊エブリースポーツの記者と言えば、松田記者に、鴨田カメラマン、それに邦ちゃんという女性カメラマンは忘れようはずもない。私が咄嗟に口にした言い訳に、「ああ、そうか。目が良いんすね、桐生さんって」と、疑いもなく頷く気の良い鴨田カメラマン。

 

「あの……さっきは俺のせいで倒れこんだみたいになっちゃってその……申し訳ない!」

 

さっきの……? ああ、インタビューの際の事か。まあ、松田さんのせいと言えばせいだけど、それはこの人には関係のない話だ。きちんと誤解を解いておこう。

 

「あ、いえ……すいません。タイミング的に松田さんの名刺を見て倒れこんだみたいになっちゃったんですが、本当は山口さんとの決勝戦で体力を使い果たして限界が近かったんです。だから、ちょっと気が抜けて倒れたみたいになってしまって。逆に気を使わせてしまってすいませんでした、松田さん」

 

「あ、ああ……そうなんだ。それなら良かった……」

 

そう言って、松田さんは右手を所在無げに頭の後ろに持って行く。ふーん、確か彼がこのポーズを取る時は……。

 

「あの……、松田さん。私に何か他に言いたい事があるのでは?」

 

「――! あ、ああ。ごめんよ、取材スペースでもない所で選手に質問をするのはルール違反だって事はよく分かっているんだけど……。その、もし構わなければさっきの質問の答えを聞かせて貰えたらなって……」

 

「松田さん、駄目ですよー」、「だってお前、俺はこの質問をぶつけたくて今日ここまで……」というやり取りをしている2人が可笑しくて、私はつい笑みをこぼしてしまった。

 

「ぷっ。良いですよ、応えますよ。でも、その代わり、後で私からも一つだけ質問させていただいても良いですか?」

 

「――! あ、ああ。もちろん! なんでも聞いてくれ!」

 

「ありがとうございます。それじゃあ、まず私から答えますね。確か、中学の時から世界を意識して柔道をしていたのでは、という質問でしたね?」

 

うん、うん、と頷きながら小さな手帳とペンを用意する松田さん。

 

「答えは、その通りです。国内ではそれほどの体格差の選手と闘う事は少ないですが、世界では同階級でも異様に手が長かったり、異常なまでに筋力が発達した選手はざらにいると思っています。私はそんな世界の強豪といつか戦う事を見越して、自身の苦手な部分の克服に力を入れてきました」

 

まあ、そのために身体に負担をかけすぎて、高校1年生の時は怪我の影響もあって全国に進む事が出来なかったが、別にその事に後悔はしていない。

 

松田さんは、私の答えに、「やはり……!」と頷きながらペンを走らせている。

 

「うん、うん。助かりました。これで明日の紙面に桐生選手の言葉を掲載する事ができる! ありがとうございました!」

 

「いえ、とんでもないです。それじゃあ、今度は私から質問しても良いですか?」

 

「もちろん! 何でも聞いてください」と、胸を張る松田さんに私は問いかける。

 

「それじゃあ……。松田さんが今最も注目している選手はどの階級の選手ですか?」

 

「ん……? それってどういう意味ですか? もちろん、桐生選手の事は注目していますよ?」

 

私の質問の意図がうまく伝わらなかったのか、松田さんが不思議そうな顔で私を見返す。

 

「あ、違うんです。いや、違わないか。えっと……、私が聞きたいのは、今松田さんが最も興味を持っている選手はどの階級の選手ですか、という質問です。どうです? 答えられますか?」

 

そして私は、右手でマイクを持っているふりをして松田さんの口の前にその手を差し出す。その様子がおかしかったのか、鴨田さんが「ははは」と笑いながらカメラを構えてシャッターを押す。そして松田さんは少し後ろにのけぞりながら口を開く。

 

「……えっと、そ、そりゃあ、やっぱり桐生さんだから――「私、記者さんからの誠意の感じられる質問には、本音で応える事を常日頃から意識しています。松田さんは違うんですか?」」

 

松田さんの答えにかぶせるようにして放った私の言葉に、松田さんは「うっ……」と言葉を詰まらせる。そして、数呼吸後、私の上目遣いの目と視線を合わせて言いにくそうに口を開いてくれた。

 

「き、気を悪くさせたらごめんよ。俺は今、女子48kg以下級の選手に注目している……!」

 

留飲が下がる気持ちと言うのはこういう時の事を言うのだろう。すっきりした私は更に尋ねる。

 

「気を悪くするなんて、とんでもないです。女子48kg以下級……という事は、今日の大会で優勝した村上選手が注目株と言う事ですか?」

 

「……。いや、違う」 断言する松田記者。

 

「ふーん。優勝者ではない……。今日48kg以下級で優勝した村上選手を差し置いて注目している、という事は、松田さんはその選手が村上選手より強いと判断しているんですね?」

 

上目遣いで松田さんをはたと見つめると、彼は明後日の方向に顔を向け口を閉ざす。

 

「……」

 

ノーコメントか……。まあ、現時点では彼女の事は松田さんしか把握していない特大の隠し玉だし、そうそう口には出せないわよね。それじゃあ、攻め方を変えてみよう。

 

「すいません、記者さんなら応えられない質問もありますよね。それじゃあ、後これだけ教えてください。その松田さんが興味を持たれている48kg以下級の選手と私、どちらが強いと松田さんはお考えですか?」

 

私と松田さんの熱を帯びたやり取りに、カメラを構えていた鴨田カメラマンが、冷や汗をかき始める様子が視界の端に映る。

 

「……誠意の感じられる質問には、本音で応える事を常日頃から意識している……だったよな?」

 

その問いかけに、ええ、と答える私。その私を真剣なまなざしで見つめて、やっと松田さんは重い口を開いてくれた。

 

「……48kg以下級の選手の方だ」

 

ふふふふふ……。やった、さすが松田さん! 私の推しキャラ松田はこうでないといけない! もとより私は、現時点で彼女に絶対勝てるなんて断言するつもりは露ほどもない。ここで桐生さんの方だ、なんて応えられると、興ざめする所だった。

 

当たり前だ。電光石火のあの一本背負い。最軽量級の選手でありながら、ジョデーやテレちゃんと言った無差別級の選手をバッタバッタと投げ飛ばす彼女を、私なんかと比べたら彼女に失礼すぎる。

 

そんな事を考えていると、松田さんは言葉を続けた。

 

「だけど、勝負は下駄を履いてみるまで分からないとも言う。正直言って、今の俺の答えは、彼女に対する俺の期待値も含まれているんだ。だからどうか、気を悪くしないで欲しい」

 

「……ふふ。良いですよ。私が聞いたんですから、気を悪くなんてしません。でも、“松田さんはその選手の次くらいには私にも期待してくれている”、と己惚れるくらいは良いですよね?」

 

「――! もちろんだ! 俺はいつか、48kg以下級、52kg以下級で君達が世界の頂点に立つ事を心の底から願っている!」

 

満足する答えが聞けた私は笑顔で頷き、彼らに別れを告げタクシーに乗った。

 

 

 

『秋田ぁー、秋田ぁー。降り口は左側になります。席をお立ちの際には……』

 

おっといけない。もう秋田駅に到着だ。私は外の景色に目を走らせる。全国的には田舎県のレッテルを張られるだろう秋田だが、さすがに駅周辺はそれなりにビル群が立ち並んでいて、今も暗闇を背景に赤色や黄色、紫色のネオンが瞬く様子が車窓から見える。

 

父さんはもう駅に迎えに来てくれているだろうか? 東京を発つ前に、秋田に22時50分着予定と電話で伝えてはいたが、だいぶ待たせてしまったかもしれない。

 

2日ぶりに会う家族の姿を脳裏に思い起こしながら、私は手を伸ばし頭上の棚に置いていた東京土産の紙袋を引き寄せた。

 

改めて今日一日で起こった事を頭の中で整理する。まさか大会で優勝した事が霞むほどの一大事が、大会の後私の身に起きようとは……。

 

ふーと、深く深呼吸をする私。

 

大丈夫、大丈夫。こんなの今更だ。『なんもなも』って奴よ。前世の記憶を持ったまま過去に飛んで生を受けた私だ。今更それに、ここがあの大人気柔道恋愛漫画『YAWARA!』の世界だったという事が付け加えられただけだ。

 

ううん、むしろ大歓迎よ。だって、あの最高のカップルを読者目線ではなく間近で見る事が出来るのかもしれないじゃない。ページのコマとコマの間を想像するしか出来なかった私が、そのコマ間まで包み隠さず見る事が出来るのよ。

 

これはまさに神様……うん、おそらく柔道の神様ね。柔道の神様がくれた私への最高のプレゼント。

 

ありがとう柔道の神様。私、これから毎朝練習前に神様にお祈りする事を欠かしません。

 

どうか私を、あの主人公『猪熊 柔』の隣に立つまで導いてください。

 

座席で手を組み合わせそう祈った私は、列車の振動が収まったのを確認して席を立った。

 

 

 

########################################

 

【日刊 エブリ―スポーツ 1986年11月29日 2面】

 

『全日本柔道体重別選手権 女子52kg以下級は桐生茜が山口かおるを下し、新女王に!!』

 

11月28日に武道館で開催された全日本柔道体重別選手権の女子52kg以下級で、新女王が誕生した。彼女の名は桐生 茜。彼女はこの大会4連覇を目指していた山口かおる選手を決勝戦で下し、初めてこの階級を制した。

この日の彼女は決勝戦も含めて全て一本勝ちで勝ち上がってきている。それも、山口かおる選手ばかりか、昨年の同大会2位の海老原亮子選手を始めとする並み居る強者をのきなみ下してだ。もはやその実力が本物である事に疑いの余地はない。

彼女は現在高校2年生であり、中学時代は全国的にも無名の選手であったが、高校に上がった頃より徐々に故郷の秋田県でその名をとどろかせ始め、そして今日この日全国にその名を刻んだ。

 彼女の柔道のスタイルは、一本を取って勝つ事以外全く考えていないように見える火の出るような柔道であり、それは昨今主流になりつつあるポイントを取って勝つという柔道を真っ向から否定しているような攻撃的な柔道である。

 私は、この攻撃的なスタイルの柔道家が今この時代の日本に現れた事に興奮を隠せない。彼女はきっと世界を相手にしても、この戦い方でどこまでも登って行ってくれるはずだ。実際彼女は、試合後の本誌のインタビューで『中学時代からその視線は世界に向いていた』と、語っている。

 桐生茜。日本女子柔道界に、突然彗星のように現れた彼女。私は確信している。近いうちに日本女子柔道界は、群雄割拠の時代に突入すると。彼女達が国内でしのぎを削り、そして世界の強敵に立ち向かっていく。これからの女子柔道界に、是非注目してもらいたい!

                              ≪松田耕作≫

 




48kg以下級と52kg以下級は、全く別の階級。しかし、この世界には現代には途絶えた無差別級が存在する! いや、深い意味はありません……。

とりあえず連続投稿はここまでとします。本当にストックがほとんどないので、次回投稿時期は不明です。感想など頂けると、やる気アップに繋がるので、大変嬉しく思います(^▽^)/ 

と言いながら、この令和の時代に、この作品にどれだけ思い入れのある方がいらっしゃるのか(苦笑)
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