ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……! 作:怪盗218
35話 新生活
~~~~ソウルオリンピック柔道競技会場
「――イッポン!」
「ああーー、今、オランダのロイゼン・ハワード主審の手が高く上がりましたぁ! ――桐生選手! 国内外通じてこれまで公式戦57戦無敗の記録が、ここソウルの地でとうとう止まってしまいましたぁ!! 金メダルに王手をかけていた試合だったのですが、山上さんっ! この結果をどう見ますか!?」
「いやー、……衝撃的な結果ですね。私もちょっと言葉が出ないですよ。“講道館柔道の完成形”とまで囁かれていたあの桐生が……。時間は……3分54秒ですか……。後6秒耐えていれば金メダルと言う試合でしたが……」
「そうですねぇ、金メダルを半ば掌中に収めていた試合でした……。ああ、桐生選手がその拳を畳に叩きつけて悔しがっています。いったい誰が彼女のこんな光景を予想したでしょうか。我々も悔しいですが、桐生選手はそれ以上でしょうね……」
「ええ、彼女がこの試合にかける思いはひとしおでしたからねぇ。ああ、肩を震わせたまままだ立ち上がれない桐生を、猪熊柔が心配そうに見つめています。ですが、まだ……」
ソウルオリンピックの柔道競技が行われている
その観客席の一角を占めている日の丸を握り締めた大応援団は意気消沈したように旗を力なくおろし、反対に錆色の国旗を握った集団は腕が千切れても構わないとばかりに、その旗を左右に激しく振っていた。
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時は、桜舞い散る出会いと別れの季節まで遡る。
(……茜さん。茜さんってば……!)
「……うーん。金メダルゥ……獲ったどぉ。zzzz……」
(金メダルって……、もう、いい加減に起きてよ、茜さんっ!)
「そこ、静かにしなさいっ!」
「はいっ、ごめんなさいっ!」
「もう、茜さんのせいで私まで叱られちゃったじゃないっ!」
「だからごめんって、何度も謝ったじゃない。だいたい、祝辞のスピーチが長すぎるのがいけないのよ。それより、柔ちゃん、早く柔道着に着替えて部員勧誘するわよ!」
「えぇ……、本当に入学式の日から勧誘するの、茜さん? せっかく新調したスーツを着て来たんだし、勧誘は明日からにしない……?」
柔ちゃんは私からそそと距離を取ろうとするが、そうは問屋を下ろさない。
「何言ってるのよ。周りを見てみなさい、周りを」
柔ちゃんに周囲を伺うように言うまでも無かった。入学式を終えたばかりの三葉女子短期大学の体育館前には、先輩である短大2年生が勧誘するサークルの受付場が所狭しと並んでいた。その中に男子学生の姿があるのは、近隣大学の学生が手伝いに来ているからだろうか。
「新入生のみなさーん、私達と一緒にテニスを楽しみませんかぁ?」
「初心者大歓迎でーす。ゴルフをやってみませんか?」
体育会系サークルだけでは無かった。文系サークルの勧誘も至る所で行われていた。
「書道サークルはどうですかぁ? 字が綺麗に書けると、就職に有利ですよ」
「伝統ある三葉女子短大の茶道サークルに興味はありませんか? お茶を上手に立てられる女性は、男性からも好印象を抱かれやすいですよ」
人の背丈ほどもありそうな大きな筆を持ち出した書道サークルに、地面に直接畳を敷いた即席の茶席でお茶をたてる茶道サークルなどなど。高校とは違う大学ならではの派手なその勧誘に、入学式を終えたばかりの新入生の多くが目を輝かせている。
「……ね? 今日が部員勧誘の青田買い日なんだから、今日やらないでいつやるのよ。さ、柔道着もちゃんと持って来ているんだから、早く着替えましょ♪」
そして私は、なおも勧誘に消極的な様子の柔ちゃんに柔道着を無理やり押し付け、その手を引いて体育館の一角にある更衣室に向かうのだった。
「柔道サークルでーす! そこ行く貴方、柔道は護身術として最適ですよぉ! 憎い痴漢を成敗するもよし、浮気者の彼氏を投げ飛ばしても良し、逆に良い男に寝技を仕掛けてあなたの虜にしても良し、の万能スポーツでーす。短大生活の2年間、柔道着に袖を通して快適なキャンパスライフを満喫してみませんかぁ」
「ちょ、ちょっと、茜さん。痴漢と浮気者の彼氏は良いとして、良い男に寝技って犯罪じゃ……」
「良いの、良いの。大事なのは柔道に興味を持ってもらう事なんだから。それより柔ちゃんも声出して!」
私は、柔道着に着替えたものの往生際悪く、未だもじもじしている柔ちゃんを、ぐいぐいと前に押し出す。
「はー……。あ、あのー、柔道サークル良かったらどうですかぁ……?」
しかしその柔ちゃんの呼び声に対する反応は驚くほど薄かった。というより、どだいたった二人で勧誘している私達と周囲の大所帯のサークルとでは、最初から勝負にならなかったと言って良い。
(参ったなぁ……。もう少し目立たないと、今日どうしても勧誘したかった伊東富士子の目に止まらないんだけど……。あー、もう、あの長身なんだから入学式の時に見つけられると思っていたのに、なんで私ったら肝心の式の最中に寝てしまうかなぁ……)
「誰の目に止まらないの、茜さん?」
私の呟きに柔ちゃんが不思議そうな顔をするが、私は「何でもない、何でもない」と彼女に答えながら戦略を練り直す。
さて、どうしようかな。せっかく柔ちゃんっていうコケティッシュな存在がいても、女子が相手ではそれも効果が無いに等しいし……。
――! そうだ、せっかく2人いるんだから、あの手で行こう!
「柔ちゃんっ! 実演でいきましょう! その方が絶対に注目されるから!」
「え、ええっ!? 本気なの、茜さん!? 実演って、畳も無いこんな場所で?」
「大丈夫、畳なら私に考えがあるから任せて! ちょっと待ってて、柔ちゃん。直ぐに舞台を整えるから!」
そして私は彼女を残し、とあるサークルが勧誘しているブースに背後からそっと近づいて行った。
「はい、出来た! 2畳分しか無いけど、技を披露するだけならこれで十分しょ!」
首尾よくとあるサークルから畳を調達してきた私は、柔ちゃんに胸を張る。さすがに小さすぎるため下手な選手では危ないが、私達が実演する分なら問題ないはずだ。
「……う、うん。でも、どこからこんな畳を借りて来たの、茜さん?」
「ふふふ、細かい事は気にしない、気にしない」と柔ちゃんの問いかけを煙に巻く私の耳に「あれ……? なんか茶室が狭くなってない? 気のせいかしら?」という声がどこからか届くが、それを聞かなかった事にする。
「そんな事より柔ちゃん、始めるわよ。さあ、さあ、そこ行くお嬢様方。見てらっしゃい、寄ってらっしゃい! 今から皆さんに本物の柔道と言うものを見せて上げるわ! 眼ん玉ひん剥いてよく見ていてね。はい、柔ちゃん、好きなように私を投げて!」
私は周囲の耳目を集めると、半ば強引に柔ちゃんの手を取り、私の襟と袖を握らせた。
「え、私が投げるの? 茜さんじゃなくて?」
「そうそう。こんなのは上背の小さな方が大きな方を投げた方がインパクトがあるじゃない。だから柔ちゃんが私を投げてよ」
「上背って……、私達ほとんど背丈は変わらないじゃない。はー、もう良いわ。それじゃあ、投げるわね。えいっ!」
パンっと、柏手を打ったような子気味良い音を立てて柔ちゃんが私を投げ飛ばす。もちろんその技は、彼女の代名詞と言える一本背負い。柔ちゃんは意識していなかっただろうが、こういうデモンストレーションの場でシンプルな動作の一本背負いは実に分かりやすく絵になった。
「わっ、何あれ? なんか知んないけどあの子、赤毛の子を軽々と投げ飛ばしたわよ」
「すごっ! 今のどうやったの?」
私の狙い通り、柔道の実技を披露した事で徐々に私達の周囲にも人だかりが出来ていった。しめしめ、このまま注目され続けたら、きっとあの伊東園の元バレリーナもこちらに興味を示すはず。そして私は、時折周囲にのっぽの女性がいないかどうかを確認しながら、柔ちゃんの試技の相手を続けていった。
「へー、これはまた面白い事をやっているなぁ」
「あ、松田さん」
何度目かになる投げ技を私に放った姿勢のまま、柔ちゃんが熱心にこちらを見つめている女子学生の中に松田さんの姿を見つける。松田さんは私達に視線を投げかけながら、嬉しそうに拳を握り締めた。
「ソウルオリンピックでの活躍が期待されている二人の試技が短大のサークル勧誘の場所で見られるなんて。くー、やっぱり来てよかった! 柔さん、桐生さん、良い紙面になりそうだから、写真を撮らせてもらって良いかな?」
「わ、私は別に……良いですけど……。どうせなら新調したスーツ姿の方が良かったのに……。……こんな柔道着じゃなくて」
何故か柔ちゃんは、先ほどまでの激しい動きで乱れた髪を手でささっと整えながら、もじもじと応える。
「私も良いですよ。綺麗に撮れたら焼き増しして、うちの柔道サークルの勧誘ポスター用に下さいね」
「それぐらいの事、お安い御用さ。それじゃあ、加賀君! 二人からOKを貰えたから撮って、撮って!」
加賀君……? あ、松田さんの背後に隠れて見えなかったけど、カメラを手に持ったお胸の大きな丸眼鏡の女性がその声に応える様にひょこっと顔を出す。
「はいはい、分かったわよ、耕作。やっほ、柔ちゃん。久しぶり。茜ちゃんは初めましてね。私、加賀邦子っていうの。柔ちゃんとはとっても仲良くさせてもらっているの。よろしくね♪」
「は、はぁ……。よろしく……」
その豊満な胸を、手繰り寄せた松田さんの腕にぎゅっと押し付けながらぐいぐいと迫ってくる加賀邦子。ああ、そう言えばこんな子だったなぁ。そっか、もう鴨田さんは松田さんのペアから外れたのか。そんな事を考えながら私がふと柔ちゃんに視線を投げると、彼女は何故か眉間にぎゅっと皺を寄せていた。うん……?
「ほらほら、写真撮るからさっきのもう一度やってよ、柔ちゃん」
加賀邦子に促された私達は、再び組み合う。そしてこれまでと同様に柔ちゃんが私を綺麗に投げ飛ば……いや、それは断じて同じでは無かった。
ズダーン!
「――い、痛たた……。ちょっ、……柔ちゃん、今の意味わからないほど痛かったんだけど……」
本番でなくデモンストレーションに近い試技で相手を投げる場合、相手の身体が畳に着く直前に投げた側がぐっと釣り手と引き手を引く事で、投げられる側の衝撃はかなりの部分が軽減される。事実、先ほどまで柔ちゃんは私を投げ飛ばす際にそのような対応をしてくれていて、私はほとんど痛みを感じる事が無かった。
しかし先ほどの投げ技は、憎い相手を感情に任せて渾身の力で畳に叩きつけると言った方がしっくりくるような投げ方で、どれほど完璧に受け身を取っても受け流せなかった衝撃が、私の身体の芯にジーンと伝わる。
「え……? そう……? ごめんなさい、さっきまでと同じつもりで投げたんだけど……」
……駄目だ。柔ちゃんには全く自覚が無いようだ。私が痛む背中を抑えながらふらふらと立ち上がっていると、不意に甘い香水の匂いと共に私達に掛けられる声が。
「いやー、良かったです。仕事の段取りがつかなくてお二人の入学式に間に合わないかと思ったのですが、ここでお会いできて。お二人とも、入学おめでとうございます」
「「風祭さん……/風見鶏……」」と重なる私達の声。
そして松田さんと加賀邦子も彼の突然の登場に、「あ、風祭、お前、どうして!?」、「わっ、風祭さん、こんにちはー!」とそれぞれが驚きの表情を顔に浮かべる。
「どうしても何も無いでしょう。柔さんと茜さんのお二人の入学式なんですから、この風祭進之介、何を置いても駆けつけますよ。どうぞ、柔さん、茜さん」
風祭は松田さんを涼しい目でやり過ごし、手に持った二つの花束をそれぞれ私と柔ちゃんに差し出す。
「あ、ありがとうございます……風祭さん」
「どうも……」
柔ちゃんには白い花を中心とした花束、そして私には赤い花を中心とした花束を渡して満足そうに歯を見せて微笑む風祭。
うーん、こういう如才無い所はさすが風祭だねぇ。私じゃ無かったら思わず頬を染める所だよ。事実、松田さんには何の反応も示さなかった周囲の女子学生達から、「わっ、誰、あのハンサム? 柔道サークルの関係者?」「え、もしかして柔道のコーチ? 私、入部してみようかしら?」という黄色い声がちらほらと聞こえてくる。
そしてその反応を見て、この外見だけは良い男の使い道を閃く私。ちょうど柔ちゃんが私を投げるだけの試技にマンネリを感じ始めていた私は、二人の男性の出現でこの勧誘行動を次のステージに進める事にした。
「さて、このように柔道を習う事で誰でも憎い相手を投げ飛ばす事が出来るようになります。しかし、柔道を学ぶ事のメリットはこれだけではありません。例えば皆さん、今日は満員の電車に乗ってこの大学に来た人も多くいる事でしょう」
その私の問いかけに、私達を囲む学生達からうん、うんと頷く者多数。その反応に気をよくした私は更に続ける。
「そして満員の電車と言えば、やはり気をつけないといけないのは痴漢です。柔道は満員電車内の痴漢撃退にも実に有効です。これもやはり実演してみましょう」
私はそこで一息つき、私の言葉を黙って聞いていた松田さんを手招きする。その松田さんは「え……? 俺……? 一体何をさせるつもり、桐生さん?」と、幾分腰が引けた様子で私の側までやって来る。
「はい、皆さん、こちらの男性が痴漢と思ってください」
「――痴漢ってどういう事って、い、痛たたた……! お、折れるって、桐生さん!」
松田さんが突然苦悶の表情で叫び声を上げる。何故なら、私が松田さんの腕を一瞬で絡めとって逆関節に極めていたからだ。
「このように、柔道を習う事で投げ技から関節技まで覚える事が出来ます。どうですか、自衛にもってこいだと思いませんか?」
私は、悲鳴を上げている松田さんの腕を極めたまま周囲に対してそう声を投げかける。
「ははは、松田さん、これも柔さん達のサークル活動の一環ですよ。松田さんが痴漢役をするからリアリティーが出てくるんですから、協力しないと」
「てめっ、風祭! 他人ごとだと思いやがって、い、痛たた……。捻らないで、桐生さん!」
私は涙目になった松田さんの腕を離し、一人涼しい顔の風祭の隣に移動する。
「そして柔道は、痴漢を撃退するだけでなく甘いマスクで女の子を食い物にするプレイボーイに喝を入れる際にも有効です」
私は周囲にそう声をかけながら、ストライプの入った風祭のいかにも高級そうなスーツの襟元と袖口をぐっと掴む。
「はい、風祭さん。次は浮気者のプレイボーイ役で協力をお願いしますね♪」
「ちょっ、茜さん、僕にはそんな役は相応しくな――」
「――ピッタリですよね? ふっ!」
ズダーーーン!
「――ぐはっ!?」
柔道経験者である風祭に遠慮など不要だろうと、私は背負い投げで彼を畳の上に豪快に投げ飛ばす。
そして私は、右に松田さんを、左に風祭を立たせて周囲に声を張り上げる。
「このように、痴漢撃退にも浮気者撃退にも有効なのが柔道です。皆さん、“命短し 恋せよ 乙女”とも言います」
最後に私は、松田さんの手を掲げながら「痴漢に費やす時間も……」、風祭の手を掲げながら「浮気者に費やす時間も……」と続け、最後に「乙女にはもったいなさすぎます!」、と柔道サークルの勧誘活動を締めたのだった。
私の両隣に立つ二人は、憮然とした表情で「お前は実際、浮気者なんだから良いじゃないか!」、「松田さんこそ、痴漢が板についてきているんじゃないですか」と、しばらく互いに罵り合っていた。
~~~~東京 都内のとあるディスコクラブ~~~~
ズドガン、ドドガン!
赤や黄色、紫といった色鮮やかなライトの束が薄暗いホール内を貫く様に走り、天井にはキラキラと周囲の光を反射するミラーボールが瞬く。同時に、カジュアルな服装の男女がひしめくホール内には、思わず耳を抑えたくなるほどの爆音が轟く。
そう、ここは東京都内のとあるディスコクラブ。いやー、バブル期のジュリアナ東京は映像でこそ知っていたが、まさかこの目で直に見る事が出来ようとは。呆気にとられていた私に、微かな声が届く。
「ねえ、茜さん! 本当にこんな所にその有望株がいるの!?」
「え……、何、聞こえないよ、柔ちゃん! もっと大きな声で言って!」
「本当に、こんな場所にその有望株がいるのって、言ったの!!」
ああ、そんな事か。柔ちゃんが言っている有望株、それはもちろん伊東富士子の事だ。結局、松田さんと風祭にも協力してもらった昼間の勧誘活動では伊東富士子は現れなかった。新入生がほとんど立ち去り、閑散とし始めた広場で、私は考えたのだ。どうすれば伊東富士子を見つけられるだろう、と。
恐らく同じ学科のはずなので、明日からの学生生活の中で彼女を見つけるのは容易い事だろう。だけど、今日という日を逃せば、伊東富士子は柔道サークルより先に別のサークルに入部してしまうという危険性があった。
できれば、今日中に彼女の身柄を確保したい。そう考えていた私は、不意に原作で柔ちゃんと伊東富士子が当初入部する寸前までいっていた、ゴルフサークルの事を思い出したのだ。
それを思い出した私はゴルフサークルの部室を訪問し、サークル活動の一環として今日このディスコクラブで新入生と二年生、それに提携している近隣の男子大学生達が懇親を深めるという情報を入手した。そういうわけで、私は柔ちゃんを言葉巧みに説き伏せ、ここまで来ているわけだ。例の滋悟郎さんに課された門限は……まあ、入学式の初日ぐらい多めに見て貰おう。
どぎついライトの光をミラーボールがチカチカと反射するから真っ暗では無いものの、ホール全体の照明は絞られているから、この場所にいる人達の顔が良く見えない。それに皆激しく踊りまくっているものだから、見つけにくい事この上ない。しかし、上背のある彼女の事だ。彼女がここにいるのなら、頭一つ、二つ抜けた身長を目印に探すと見つけられるのでは無いだろうか。
柔ちゃんにも既に伊東富士子の身体的特徴は伝えている。心細そうに私の服の裾を摘まみながら私の後ろをついて歩く彼女も、時折視線をキョロキョロと周囲に走らせていた。
「あっ! 背が高くて、バレエみたいな踊りをする人! あの人じゃない、茜さん!?」
早速柔ちゃんが伊東富士子らしき女性を発見したようだ。私が彼女の指さす方に視線を向けると、なるほど、確かに原作そのままの容貌の背の高い女性が一人くるくると舞っている。ボンテージ衣装で扇子を片手に踊り狂っている周囲の女性達とは明らかに異なる彼女の舞は、どこか気品を感じさせた。
よし、見つけた。後は彼女を連れ出すだけだけど、周囲にいるであろうゴルフサークルのメンバーの眼前で引き抜きのような真似をするのは、出来れば避けたいな。彼女達の注意を引き付けている間に、こっそりと伊東富士子を攫ってしまいたい。
「ビンゴだよ、柔ちゃん。あの子が探していた私達のサークルのホープよ。それじゃあ、彼女に勧誘をかけたいけれど、周囲の学生が邪魔ね。柔ちゃん、何でもいいからちょっと一騒動起こしてくれない? その隙に私があの子をここから連れ出すから」
「一騒動って、何をすれば良いのよ、茜さん!? 私、そんな事できないわよ!」
「別に騒動でなくても、例えばここにいる人達の目を引くダンスでも良いんだけど……」
私の視線の先には、一段高いお立ち台に上がって扇を手にし腰を振っている女性達の姿が。柔ちゃんも私の視線を追いかけるが、ひくっと頬を引きつかせ、ふるふると首を振る。
「あんなダンス、出来っこないわよ! 茜さんはどうなの?」
「うーん……、ナートゥなら大の得意なんだけど、ジュリアナ東京はちょっと……」
ナートゥなら、前世でRRRのビデオを何度も見て完コピ出来ている。しかし、あれを私一人で踊って、周囲の耳目を集める事が出来るとは思えない。
「分かった。じゃあ、騒動は私が起こすよ。柔ちゃんは、誰でも良いから、誰か男の子を掴まえて踊っててよ。別に踊りは目立たなくても良いから」
「誰かを掴まえてって……、そんな簡単に言うけど、茜さん――「やあ、そこのお二人さん。ここは初めてかな? 良かったら僕達と踊らないかい?」」
タイミングが良いのか悪いのか、私達の会話に混ざってくるいかにもあか抜けた格好の男性二人。私は、柔ちゃんに(ほら、チャンスよ)と、視線で語り掛ける。その柔ちゃんは嫌そうな顔を浮かべるが、遠くで回りを囲まれるようにしている伊東富士子の姿を視界に入れ、ふーと溜息を付いた後、私を見返した。
その目は明らかに、(私は本当にただ躍る真似をするだけだからねっ)と、言っていた。
柔ちゃんが、時折こちらを振り返りながらすかした男性に手を引かれてホールの中央に向かうのを、私は見送る。その私に、「ねえ、君もあの子みたいに踊ろうよ」と、二人組の片割れの男がしつこく声をかけてくるが、それを無視して絶好のタイミングを計る私。
柔ちゃんと伊東富士子の位置関係を考えると、もう少し……。慣れない踊りに付き合わされ、引きつった笑いを顔に浮かべている柔ちゃんの横顔を見ながら、私は「あの辺りで良いかしら……」と呟き、私も密集度の高いホールの中心部にゆっくりと進んでいく。
「あっ、君も踊る気になった? 良いね、良いね。それじゃあ、僕が手取り足取り、なんだったら腰も取って教えてあげるよ。冗談、冗談!」
相も変わらず私の後ろをついて来る不愉快な男を無視し、私はタイミングを合わせる様に歩くスピードを調整しながら進む。すると、突然、音楽がこれまでのような派手で騒がしいものから、しっとりとしたそれに変わる。いわゆる、チークタイムというものだろう。
やっぱり……。そろそろだと思っていたわ。狙い通り、と口角を上げながら、私は柔ちゃんの方にそっと近づいて行く。思っていた通り、柔ちゃんのダンス相手は、このチークタイムを利用して彼女の身体に密着し始めている。
彼の左手は柔ちゃんの肩に置かれており、その右手は彼女の背中の中ほどに添えられている。男性に触れられる事に慣れていないのだろう。側に近寄ると、それがはっきりと分かるほど柔ちゃんの身体は硬直していた。
「あ……あの、困ります……」
「今日、僕、車で来ているしぃ……第3京浜飛ばして……その後は夜景が綺麗に見える場所にでも……ふふふ」
「ちょ、ちょっと……!」
二人の会話が聞こえるほど近づいた私は、そのまま足音を立てずに柔ちゃんの背後へ回り、すれ違いざまに右手で柔ちゃんのお尻のあたりを舐めるようにねっとりと撫でる。
「――!? 何するんですかっ!!」
背負い投げ一閃。反射的に放った柔ちゃんの見事な背負い投げが、柔ちゃんのダンス相手に決まる。彼はそのまま私の後ろをコバンザメのようについてきていた男を巻き込み、ズダーンと大きな音を立てて白目を剝いていた。
ザワザワ、ザワザワ。突然の騒動に周囲の視線が柔ちゃんに集中する。そしてその時には、私はもう伊東富士子の手を取り、「さっ、行くよ!」と声をかけ出口に向かって駆け出していた。
「――だ、誰なの、あなた!?」
「桐生茜。あなたに、もう一度青春をやり直そうって絶対に思わせてみせるから、今は口を閉じてついてきて!」
そして私達は、やはりダンスホールから逃げる様に駆けて来た柔ちゃんと合流し、その場を後にするのだった。