ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……!   作:怪盗218

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60話 男女国別団体戦 4回戦 準決勝 先鋒戦

ナディアとさやかが開始線の中央で対峙する。右組手のさやかに対して、ナディアは左組手。少しでもいい所を持とうと、互いが手を指し伸ばし、同時に互いが差し出された手を払う。

 

「あ……、ナディアが良い所取った……」

 

「うん、さやかさんが引いた……?」

 

畳の下で先鋒戦を見つめていた私の呟きを隣に立つ柔ちゃんも耳にしたようで、少し意外そうに呟く。うん、意外だよ。さやかって、組手争いではこれまで妥協せず、一番いい所を掴むまでは相手にも掴ませないくらい強引な所があったのに……。

 

先に良い所を掴んだナディアは、左右に動きながらさやかに対して積極的に技を仕掛ける。他人の事は言えないけれど、あの攻撃編重なさやかが受け身に回っているのも意外だ。

 

「動きが硬い……わけじゃないね。組手のあれはどっちかというと……」

 

「真似したんじゃないの……、あなた達の」

 

藤堂と山口が私の顔を覗き込む様に見つめてくる。私達の真似をした? あの女王様が……? ああ、だけど、あの組手争いに頓着しない素振りはどこか頷けるところがあるわね。

うん……? それって大丈夫か? その懸念が顔に出ていたのだろう。柔ちゃんがこくりと頷いてさやかに声を張り上げる。

 

「さやかさん、ちゃんと嫌な所は切って! 妥協しちゃ駄目!」

 

そうだ。組手争いは重要だ。良い所を取らないと技の威力が半減してしまうし、相手にそこを取られると技の威力が十全に発揮されてしまう。私や柔ちゃんが組手争いに頓着しないのは、技を仕掛ける瞬間だけはしっかりと良い所を取らせてもらえる技術が身体に染みついているからだ。正直に言って、さやかにはまだそこまでの技術は……。

 

「――危ないっ、さやか!」

 

藤堂の声で私は試合に集中する。まずいっ、ナディアの小内刈りでさやかの(たい)が乱れた。ナディアの柔道は良くも悪くも基本に忠実だ。だからこそ技の仕掛けに失敗が少ない。

 

「――さやか、背負いが来――「こんなものっ!」」

 

私の声とさやかの気勢の声が重なる。小外刈りから背負い投げという定番の連続技をさやかも察していたのだろう。懐に飛び込んで来たナディアの背負いが自身の身体を捉える前に、さやかはするりと体を横にずらした。その際、自身の左足をナディアの揃った両足の後ろに置いておくことを忘れない。

 

「――せえぃっ!」

 

「――!?」

 

自身の残した左足に引っかける様にしてナディアの身体を後ろに引き倒すさやか。変形の小外刈り。かつて県大会の決勝で真田が見せた技だ。

 

小内刈りから続く背負い投げという王道の連携技は、成功率も高いけれど読まれやすいという欠点も存在する。今回に限ってはそれがさやかの方に優位に働いた。

 

「――有効っ!」

 

やるっ! 私の感嘆はさやかに向けてのものでは無い。ナディアだ。さやかに読まれていたとはいえ、ナディアの反射神経は驚嘆すべきものだった。背中が畳に着くまでの短い時間にその驚異的な反射神経と身体の柔軟性で身体を捩じり、一本負けが確実だった小外刈りを有効でとどめた。

 

「――無駄なあがきですわっ!」と、悪態をつきながらさやかが畳にうつ伏せになったナディアに覆いかぶさる。寝技を仕掛ける気だ。だけどそこは……。

 

「さやか、場所が悪い! そこは頭からじゃなくて横から――」

 

咄嗟に私はさやかにアドバイスを送るが、一歩遅かったようだ。ナディアはさやかが頭上から攻めた瞬間、そのひっくり返す勢いを利用し自分から大きく回転した。すぐそばの赤い畳の線に向かって。

ああ、駄目だ。足が出る。ナディアの回転に巻き込まれた形でさやかの身体が大きく揺らぐ。その様子をじっと見つめていた線審が手を左右に振って審判に伝えた。

 

「――場外っ! 待てっ!」

 

その言葉で、メイプルリーフ旗を振っていた相手側応援席から安堵の声が漏れ、反対に日の丸を振っている私の背後の応援席からため息が漏れた。

 

「よく集中できているわっ、さやかさん! でも、もう少し組手を意識しようっ!」

 

柔ちゃんの声が届いているはずなのに、さやかはこちらを一瞥すらせずゆっくりと開始線に戻って行く。

 

「……動きは悪くないね。1回戦のときのような硬さは見られないし。ただ……」

 

「ただ……、なんだい、山口?」

 

藤堂が山口の呟きを拾ってそう怪訝そうな表情で尋ねるが、山口はそれを言語化出来るほど自身の中で咀嚼出来ていないようだった。

 

「うーん、いや、上手く言えない……かな。とにかくポイントは取った。大事なのはここから受け身に回らない事だよ。本阿弥、攻めていくんだ! 引いちゃだめだよっ!」

 

その山口のアドバイスを耳にしたからでは無いだろうが、試合再開の合図と共にさやかは積極的に前に出て行った。残り試合時間は3分と少々。まだ試合は序盤と言っても良かった。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

side ナディア・クロスベル

 

危なかった……! 小内刈りから背負い投げの連携で5日前の個人戦ではホンアミからポイントを奪えていたけれど、さすがに二度は通じなかったか。続く寝技は場外に逃げる事が出来たけれど、やはりこの選手は強い。受けより攻めの方を重視しているのは、日本のアカネさんと重なる所がある。

アカネさん。開始線に戻る途中で、私を真剣な表情で見つめている彼女の姿が視界に入った。昨年の世界選手権で知己を得て、約1年ぶりの再会となったここソウルオリンピックでも、選手村や会場で顔を合わす度に言葉を交わしてきた。

 

アカネさんの力は十二分に分かっているつもりだ。5日前の52kg以下級の試合もカナダの選手の応援の傍ら、全て見させてもらった。私より3歳年上なだけという事が信じられないほど、修めている技が多彩でそのどれもが洗練されている。そして驚くべきは、場面場面で放つ技の選択が実に的確だという事。おそらく技への理解がとても深いのだろう。どの時点でどの技を繰り出すと一番効果を発揮するのか、という事を余人の追随を許さないレベルで理解されている気がする。

 

「――はじめっ!」

 

審判の再開の合図と共に、ホンアミが私に組み付いて来る。受けに回ってはいけない。攻めよう。ましてや、私は先ほどホンアミに有効一つ奪われているんだ。だけど、時間はまだたくさんある。焦る必要は無い。私はそれを自分自身に言い聞かせるように頭に刻み込み、ホンアミと対峙した。

 

取れたっ! 先ほど同様、私にとって一番技が仕掛けやすい場所の襟と袖を取れた。だけど妙だ。5日前にホンアミと戦った時はこれほど楽に良い所を取らせてはくれなかった。個人戦と団体戦では戦い方を変える選手なのだろうか? 分からない。

 

「ナディアッ! 自分の柔道をしろっ! 余計な事を考えるなっ!」

 

クリスティンさんの声。そうだ、余計な事を考えるのはやめよう。相手は相手。私は私。初めてのオリンピック。初めての団体戦。個人戦では一番綺麗な色のメダルには届かなかった。だけど、団体戦では手にしたい。皆で一番高い場所に登って、カエデの葉の描かれた国旗が昇るのを見ると誓ったんだっ!

 

「――はっ!」

 

私が仕掛けた体落としをホンアミは余裕をもって躱す。直後ホンアミから払い腰を仕掛けられ、私の身体が浮きかける。この人が柔道を始めて間もない事は、技のレパートリーの少なさで分かる。だけど、どんなスポーツをこれまでしてきたのか、驚くほど足腰が強い。今も片足だけで私の体重を支え、もう一つの足で私の足を払いに来ている。

 

先日、私はこの技に苦戦を強いられた。だからこの5日間、私は夢にまで見るほどこの技の対策をしてきたんだ!

 

「受けるかっ、そんなのっ!」

 

足を払われる前に、私は右足を、ホンアミの右足に巻き付かせる。これが功を奏し、ホンアミは私を背負ったまま身体を崩した。すぐにホンアミは私の寝技を警戒して身体を丸める。だけど、私には最初から寝技に行くつもりはなかった。

 

私が柔道を習ったのは、故郷モントリオールで日本人が経営する“志導館”という教室。そこでは日本に倣い、15歳になるまで関節技や絞め技が禁止されていた。ちょうど今年15歳の私はつい先日その解禁が解かれていたんだけれど、練習不足は否めず、監督からも自分からは決して寝技にいかないようくぎを刺されていた。

 

私が寝技に行く様子がないのを見て取った主審が「待て」を宣告する。そして私達は試合を再開した。

 

その後も一進一退の攻防が続く。残り時間は1分30秒を切ったところか。組手は良い所を持たせてもらっているから、何度もホンアミに対して技を仕掛けるものの、彼女はそれを癪に障る余裕の笑みで躱している。

 

「ファイト、ナディア! 大丈夫、時間はまだあるだわさっ!」

 

ジョディさんの太い声が、残り時間が少なくなってきて焦り始めた私の頭を冷ませてくれる。うん、私、まだ諦めないよ。きっと勝ってみせるから!

 

「――やあっ!」

 

昨年東ドイツでアカネさんから習ったのを契機に習得に励んだ袖釣り込み腰をホンアミに仕掛ける。国際大会ではほとんど使っていなかったけれど、国内大会では私の得意技と言っても良いだけのレベルに達しているこの技。だけど、ホンアミはそんな私の袖釣り込み腰を難なく躱す。まるで、私以上の袖釣り込み腰の使い手を想定していたかのように……!

 

「あなた程度が放つ袖釣り込み腰で私を倒せると思って!?」

 

柔道教室の日本人コーチに習って日本語はある程度分かる。少なくとも、おかしな日本語を使うジョディさんよりは上手に話せると自覚している私は、ホンアミの発した言葉の意味も理解できた。

 

あなた程度……? 私はホンアミの大外刈りを交わしながら、先ほど彼女が発した言葉の意味を理解しようとする。そしてすぐに私は理解した。

 

 

そうか、ホンアミは最初から私を見ていないんだ、と……。

 

今私と組み合っているこの高飛車な女は、私では無く彼女にとって上の柔道家を見ている。おそらくこの女にとって私は一度負かした相手、路傍の石ころ程度の認識なんだ。だから個人戦の時ほど組手争いに執着していないんだ。上から目線。

 

私はこの人に勝つために全力を尽くしているのに、この人は私を見ていない……! あまりの悔しさに、試合中だと言うのに涙がこみ上げそうになる。

 

確かに私は一度負けたよっ! でも、一度負けたからと言って、生涯負け続ける事まで許したつもりは無いんだからっ!

 

「――Look at me!(私を見なさいっ!)」

 

「――!?」

 

良い所を取れているがゆえに、私はホンアミを左右に自在に振れる。その勢いが先ほどまでと違う事をホンアミは察したのか、顔色を変えてそれに抗う。

 

「さやかさん、左手、気を付けて!」

「さやか、ナディアの引き手を切れっ!」

 

日本チームからホンアミに対して注意が飛ぶ。そのうちの一つはアカネさんの声。だけどホンアミは、その声が耳に入らなかったのか私の引き手を切る動きを取らない。もっとも、引き手を確実に取っておく事は今から仕掛ける技に必至なため、私もそう易々とは切らせるつもりはなかったけれど。

 

ホンアミは私の左右の揺さぶりに対して腰を落として対処する。それこそが私の狙いだったとは知らずに。ホンアミの重心が下がったのを組手から伝わる肌感覚で察した私は、彼女に対して小内刈りを仕掛ける。

 

「――くっ! あなた、またそれを!」

 

読まれている。ホンアミは私がこの後繰り出す技を先読みしたようだ。だけど、関係ない。どれほど読まれていようが、この連携技が私にとって一番勝率の高い技なんだから。

 

「――ふっ!」

 

懐に入るのを躊躇すれば、技の威力は半減する。返されても構わない。これで勝負をつけるんだっ! この“背負い投げ”でっ!

 

「――このっ!」

 

先ほどと同様にホンアミが身体をずらし私の側面に回る動きを取る。だけど、私の踏み込みがそれを凌駕した。私は引き手と釣り手をぐっと利かせ、ホンアミの身体を私の背中に密着させる事に成功した。

 

「――ぐっ!」と、私に担がれまいとホンアミが背中で暴れる。背負い投げの最後の仕上げに必要なのは膝のバネ。このバネが、選手によって最上級クラスから最低クラスまで様々だ。最上級クラスが日本のヤワラ・イノクマやアカネさんだとしたら、私のはせいぜい中の下と言った所だろう。

 

だけどこのバネの不足を補うのが上半身の動き。上半身の筋肉は膝のバネのように持って生まれたものでは無く、後天的な要素で身に着ける事が出来る。

 

「たあっ!」

 

私に出来る精一杯のバネを利かせてホンアミの身体を宙に跳ね飛ばす。同時に上半身は、吊り手と引き手をぐっと身体に引き付け、ひねる! このひねりが背負い投げの威力を倍加するんだ。

 

ズダーーーーン!

 

「――一本!」

 

ワーーーー!

 

主審の声というより、カナダの応援団から一斉に上がった歓声に私は、先鋒戦に勝利した事に気づいた。その瞬間、思わず飛び上がってガッツポーズをしてしまったが、直ぐに私は畳の上では喜びを控える様にという日本人コーチの教えを思い出し、ことさら自然体で開始線へと戻って行った。一度背後を振り返ってみたホンアミは、まだ私に負けた事が信じられないのか、畳に背中を付け茫然としたまま天井を仰ぎ見ていた。

 

「よくやったね、ナディア!」

「えらいぞ!」

 

ジョディさん達の言葉に私は笑顔で応え、未だ開始線に戻ってこようとしないホンアミを待っていた。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「さやかさん、大丈夫かしら?」

 

未だ畳に横たわったままの本阿弥を見て柔ちゃんが心配そうに呟くので、私は「大丈夫でしょ。綺麗に投げられていたし、怪我をするような受け方はしてなかったはずよ」と応える。多分今起き上がれないのは、肉体的なショックというより精神的なショックのためでしょう。

 

「一度勝っていた相手だからって、本阿弥は油断したのかね?」

 

「油断とは少し違うように思えるけどね……」

 

藤堂と山口の会話を耳が拾う。うん、私も油断じゃないと思う。私が思うに、本阿弥は上を見上げ過ぎていたんじゃないかな。それゆえに一度は自身の下に位置付けた人間が、いつの間にか自身に並び、わずかだけど上に立った事に気づかなかった。そんな気がする。まあ、これって本阿弥だけじゃなくて私も含めた皆に言える事なんだけど……。

 

審判に促されてようやく本阿弥が開始線に戻って行く。その姿からは、試合が始まる前の自信に満ちた様子は微塵も見て取れなかった。悔しいよね、本阿弥。だけど、これが柔道だよ。この魅力に取りつかれたからこそ、私はこの世界でも柔道をやっているんだ。

 

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