ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……!   作:怪盗218

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62話 男女国別団体戦 4回戦 準決勝 中堅戦

三上とクリスティンの試合が始まった。クリスティン・アダムスは72kg以下級の選手だけど、おそらく体重は72kgジャストではない。いい所60kg前半じゃないだろうか。4年後のバルセロナオリンピックでは61kg以下級で伊東富士子と激闘を繰り広げていたのだから、その見立てはあながち間違いではないはずだ。

 

だからだろう。クリスティンと組み合っている三上との間に、極端な体格差は感じられない。当然クリスティンの方が上背があるのだけれど、もともと三上が52kg以下級では上背のある方だから、せいぜい頭一つ分の差と言った所だ。

 

もちろん、だからと言ってクリスティンが三上にとって与し易い相手というつもりは毛頭ない。クリスティンは3日前の72kg以下級を制した正真正銘のゴールドメダリストだ。60kg前半の体重で72kg以下級を制している。

 

それはつまり、彼女もまた“柔良く剛を制す”を少なからず体現している選手であると言う言い方もできる。そう言う意味では、彼女はカナダの大将 ジョディ・ロックウェル以上かもしれない。

 

「――場外っ!」

 

線審のジェスチャーで主審が場外を宣告する。クリスティンの勢いに押された三上が場外のラインを割ってしまったのだ。

 

「三上、足技だっ! いつもの通り足技から崩していけっ!」

 

藤堂が開始線に戻る三上に激を飛ばす。その激は間違ってはいない。藤堂の言う通り足技、それも小外刈り、小内刈り、出足払いと言った小技は、三上の柔道を支える生命線と言って良い。それがあるからこそ、大技“山嵐”が効果を発揮するのだ。

 

再び組み合う二人。どうしても上背のあるクリスティンに、奥襟などの良い所を取られてしまう。それでも三上には、体重移動の一瞬の隙をついた足技がある。……あるのだが、試合開始後既に50秒を超えつつあると言うのに、その足技が有効に機能していない。

 

理由は明らか。クリスティンの“足運び”が秀逸だからだ。誰が言ったか、『三流は自ずと乱れ、二流は他者によって乱され、一流は決して乱れず』という言葉があるように、“足運び”を見るとその選手の力量がある程度分かる。

 

“足運び”というのは、すり足かどうか、足が揃っていないか等という次元の話に加えて、自身の体重がどちらにかかっているか悟らせないという要素も含まれる。

 

そう言う意味で、クリスティンはまさに一流選手だ。三上が攻めあぐねるのも無理はない。いかに蛸足という技能があっても、足が張り付くと言う一点だけでは相手を倒せない。体重の乗った足に対して然るべきタイミングで足をかけてこそ、相手を倒せるのだ。

 

「――場外! 待てっ!」

 

再び場外の宣告を主審が発する。先ほどと同様、クリスティンに押された三上が場外を割った形だ。

 

「まずいね……」と山口。うん、まずい。このままでは……。

 

「――指導!」

 

わっと歓声が上がるカナダ応援団。やはり。開始線に戻った三上に対し、主審が消極的柔道を示すジェスチャーを取り“指導”を宣告した。“指導”は一度目ならポイントを取られた事にならないが、二度目には有効に、三度目は反則負けとなる。

 

「三上―、攻めろー!」

 

背後の日本応援団からそんな声が飛ぶ。そうだ、攻めなくてはいけない。だけど、無策で攻めてはいけない。クリスティンは無謀な攻めを三上が選択する事を待っている。そして彼女は返し技一本を狙っているはずだ。ここまでのクリスティンの力推しの攻め方から、私はそう確信を持っていた。

 

「三上さん! クリスティン、返し技狙ってるよっ! 攻め方、よく考えて!」

 

審判の試合再開の合図で開始線から一歩踏み出した三上が、一瞬私の言葉に頷きを返したような気がした。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

side 三上 杏

 

「ぜえっ、ぜえっ!」

 

試合開始からまだ1分少々しか経っていないというのに、もう私の息は上がっている。体重差のある選手と戦って何が嫌かって、体力の消耗が同階級同士の試合とは、けた違いだという事だ。頭を押さえられる、力でふり回される、引き付けられる、それらに抗う全ての動作に、余計な体力が消耗される。

 

せめて私が試合をコントロール出来ていれば、その体力の消耗も抑えられるのに。これまでの試合では足技が有効に機能する事で、体格差のある選手が相手でもある程度それが出来ていた。そして試合の展開に焦れた相手が前に出た所でタイミングよく山嵐を仕掛ける事で、体力が尽きる前に勝負を決める事が出来た。

 

だけど、この選手は……! まただ。クリスティンは釣り手を突っ張らせて押し込んで来るので、彼女の懐に入れない。その上、足さばきに隙が無く、刈るべき足を見出せない。でも、攻めない事にはまた指導を受ける。次に受ければ“有効”でポイントを取られる。

 

「――やあっ!」

 

クリスティンの踏み込んだ左足を右足で刈る。私の柔道の生命線である小外刈りだ。と同時に彼女の体幹を崩そうと、襟を取っている釣り手を彼女の左足の方に引く。普通なら足が畳に接地していない方向に倒されると、ぐらりと身体が傾くはずだ。

 

……はずなんだけど、クリスティンは体幹がぶれない。

 

「――わっ!」

 

逆にクリスティンは私に払い腰を仕掛けてくる。でも、クリスティンの体勢が不十分だ。これなら躱せるっ! 躱せ――嘘でしょっ、躱せないっ!

 

クリスティンの払い腰に対して、私は十分な間合いを取って躱したはずなのに、彼女は強引に私を巻き込んでくる。くっ、これは払い腰からの払い巻き込みっ!

 

「堪えろっ!」の声援を力に、クリスティンの払い巻き込みに全力で抗う。蛸足の指先で畳を掴む様に堪える。

 

でも、72kg以下級ゴールドメダリストの意地が、私のそんなささやかな抵抗を打ち砕く。

 

「――おらぁっ!」

 

「――しまっ!」

 

ズダーーーン!

 

「――有効っ!」

 

ポイント取られた! ギリギリまで粘った事で私を背中から叩きつけるほどの滞空時間は無かったけれど、それでも私はクリスティンの巻きこみに取り込まれ、身体の右側面を畳についてしまった。

 

「三上さんっ、顎引いて! 絞め技来るよっ!」

 

恐らく桐生さんだと思うけれど、それを確認する余裕なんて私にはなかった。クリスティンが電光石火の勢いで畳に横たわる私に覆いかぶさってきた。彼女は当初絞め技を狙っていたようだけど、桐生さんの声で咄嗟に顎を引いた事で、狙いを切り替える。

 

「くっ! 袈裟固めっ!?」

 

駄目だっ! 袈裟固めは、相手の腕を脇に抱え背中で抑え込む寝技の代表的な技で、がっちり固められるとまず脱出不能な事で知られている。しかも私より重い相手に仕掛けられたら尚更だ。

 

に、逃げないと! 駄目だっ! もうほとんど身動きが取れなくなっている。右腕は既にクリスティンの左脇に捉えられている。

 

「――抑え込みっ!」

 

視界の端に揺れるメイプルフール旗と日の丸の旗。

 

「ぐうぅっ! 離してぇっ!」

 

上半身を封じられた状態で必至に足掻くけれど、重しのようにクリスティンの全体重を預けられた状態では、この拘束から逃れようがない。

 

嫌だ、嫌だ、嫌だっ! 勝って、藤堂さんに繋ぐんだ! そうやってバトンが桐生さんまで繋がれば、桐生さんならきっとなんとかしてくれるんだから!

 

だけど時間だけが無情に過ぎていく。どれほど時間が経っただろう。抑え込みは、25秒で技有、30秒で一本だ。ぐぎぎぎっ! 離れてぇっ! 耳がおかしくなりそうなほどの大歓声に遮られ、それまで意味のある言葉として私の元まで届いていなかった声の内の一つが、何故かその瞬間だけ空気を切り裂く様にして私まで届けられた。

 

「三上さんっ! 蛸足っ!」

 

――!

 

そのアドバイスの意味を瞬時に理解した私は、大きく身体をのけぞらせ、左足裏をクリスティンの背中に届かせる。

 

掴めぇっ! 掴んだっ!

 

「――やあっ!」

 

足の指を九の字に折り曲げクリスティンの柔道着の背中をがっしり掴んだ私は、そのままクリスティンの背中の方向に身体を回転させ、彼女をひっくり返す。

 

「――何ッ!?」

 

勝利を半ば手中に収めていたクリスティンの驚きの声が聞こえるが、この時の私には一刻も早くこの寝技の拘束から逃れる事以外頭に無かった。

 

逃れたっ! 審判、時間を止めてっ! クリスティンを私の身体の上から排除して即座にうつ伏せになった私は審判に訴えるような視線を投げる。その訴えが通じたわけでは無いだろうが、赤毛のイタリア女性の主審はじっと私達を見て、大きく寝技が解かれた事を意味するジェスチャーを取った。

 

良かった……! 間に合った。咄嗟にうつ伏せの姿勢のまま電光掲示板を見ると、時間は27秒で止まっていた。……27秒。25秒を過ぎている。つまり、この寝技で私は技有を取られた事になる。先に取られていた有効と合わせて、技有一つ、有効一つ。そして残り時間は1分30秒(ひとつとはんぶん)

 

72kg以下級のゴールドメダリストを相手に、52kg以下級の控え選手がこの劣勢を残り1分30秒(ひとつとはんぶん)で逆転する。無理だ。誰もがそう思うだろう。

 

「さすがは三上さん。私が見込んだ女性なだけはありますわ!」

「よーし、良く逃げたっ、三上! ここからだよっ!」

「良いぞ、蛸女! まだ諦めるんじゃないよっ!」

「藤堂さん、さすがに蛸女は三上さんに失礼だよ。せめてミス・オクトパスとか呼ばないと……」

「茜さん、それ一緒だから。三上さん、一度呼吸を整えてっ! 大丈夫、ここからです!」

 

重い足取りで開始線に戻る際に、チームメイトからそんな声が投げかけられる。思わずそんなあだ名で私を呼ばないで、と声を張り上げたくなったけれど、とてもではないけれど私にそんな力は残っていない。ただ、共通しているのは、誰もが私が勝つ事を諦めていないと言う事だ。嬉しい……。今日このチームの一員として出場する事が出来て本当に良かった。きっとこの経験は私の一生の思い出になるだろう。

 

ううん、違うっ! まだ思い出になんかしないっ! 私はまだバトンを渡せていない。このままじゃあ、藤堂さんにバトンを渡せない。

 

いくよっ! 三上杏! 皆のチームメイトとして恥ずかしくない試合をするんだっ!

 

「――さあ、こい、クリスティン!」

 

試合再開の合図があったと直後、私は両腕を高く掲げて、そう声を張り上げた!

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「――さあ、こい、クリスティン!」

 

三上のあんな気勢の声、初めて聞いたかもしれない。気合の入った良い顔でクリスティンに立ち向かっていく三上。寝技から逃れるのに必死で、もうろくに体力も残っていないだろうに、まだ試合を諦めていない。その戦いぶりからは、自分のため、ではなくチームのためにという思いがひしひしと伝わってくる。私達の中で最もチームワークという言葉が似つかわしくないさやかまで必死の形相で応援しているのが、その証拠だ。

 

三上の小外刈りが、今日初めてクリスティンに深く決まる。

 

「審判、どこを見てらっしゃるの! 有効くらいはあるでしょう!?」

 

いや、無いって、さやか。腰がついただけだから、ポイントはもらえない。

 

だけど、試合開始直後はクリスティンに通じなかった足技が徐々に通じる様になってきている。ほら、今も三上の出足払いにクリスティンがたたらを踏んだ。その理由は、おそらく慣れだろう。ここまでクリスティンと真っ向から組み合ってきたからこそ、その微細な体重移動の癖を三上は掴みかけている。

 

「三上さん、あと一分(ひとつ)です!」

 

選手に残り時間を伝えるのも役割の一つの柔ちゃんがそう声を張り上げる。残り時間は少ない。未だ三上はクリスティンに対して技有と有効一つ分負けている。残り時間を考えると、ここから逆転するには一本取るしかないだろう。

 

幸い、クリスティンは圧倒的優位に立っていながら、逃げ勝とうとする気配が無く、要所要所で的確な攻めをしている。攻めてくる以上、リスクはどうしたって増す。三上にチャンスがあるとするならそこだ。さすがだよ、クリスティン。それでこそジョディの盟友にして、伊東富士子最大のライバルだ。

 

「――おうっ!」

「――やぁぁっ!」

 

クリスティンの内股から大内刈りへと変化した連続技を、後方へケンケンしながらかろうじて躱す三上。いや、違う。三上は躱しただけでなくその状態からクリスティンに対して攻撃を仕掛けていた。仕掛けたのは、支え釣り込み足。

 

上手いっ! 大内刈りを仕掛けて前掛かりになっていたクリスティンに、前方へ崩す支え釣り込み足は実に効果的だった。その上、釣られた足を剥がそうともがく足に添えられたのが蛸足ならなおさら。巨体のクリスティンの身体が、前方宙返りするように宙を舞った。

 

「――有効っ!」

 

とたんにわっと沸き立つ日本の応援団。初めて三上がクリスティンから奪ったポイントに、まだ追いつける、と大声援が飛ぶ。激しく振られる日の丸の旗の中には、同じように振られる和菓子屋の旗がある。

 

これで両者のポイント差は技有一つ。とうに限界を超えているだろうに、三上はクリスティンに対して臆することなく立ち向かっていく。

 

「三上さん、あと30秒(はんぶん)!」

 

柔ちゃんが残り時間を告げると同時に、クリスティンが動いた。ばたばたと釣り手を上下に振って三上を揺さぶる。同時に小刻みに足を出して三上の足も止める。そうして三上の意識を上下に向けている間に、いつの間にか三上の襟を取っていたクリスティンの手が、袖口までスライドしていた。

 

――あれはっ!

 

「――三上さんっ! 袖――」

 

間に合わなかった。私の警告の言葉が終わらぬうちに、クリスティンが三上の懐に飛び込んでいた。その時、三上の左手はクリスティンによって高く釣りあげられていた。

 

――袖釣り込み腰。クリスティンは三上にその技を仕掛けたのだ。何も不思議な事は無い。袖釣り込み腰は本来、上背のある選手が自身より体格に劣る選手に対して仕掛けるのに適した技だ。

 

そしてクリスティンの放った袖釣り込み腰は、同じ袖釣り込み腰の使い手である私から見ても十分に一級品だった。気合の踏み込みで三上との間合いを一瞬で詰めたクリスティンは、その腰に三上を乗せる。後は釣り上げた左手を軸にして腰に乗せた相手を投げ飛ばすだけ。

 

やられたっ! 一瞬私の脳裏にそんな光景がよぎった。それは固唾を飲んで見守っていた藤堂達も同じようだった。皆が、うっとうめき声をあげて、そのあと訪れる光景に身構えた。

 

しかし、三上はクリスティンの袖釣り込み腰を、驚異の粘り腰で耐える。違う、粘り腰じゃない。おそらくあれは……、あれこそが蛸足だ。三上の足裏にまるで接着剤が付いているかのように、その両足が畳から剥がれない。

 

「くっ! ――何故浮かせられないっ!?」

 

――!

 

「――今ッ!」と私が声を張り上げるのと、三上が反撃に転じるのは同時だった。

 

袖釣り込み腰の威力が十分落ちた瞬間、三上は身体を捩じる様にしてクリスティンの腰の上から逃れる。そして袖釣り込み腰を躱され大きな隙が出来たクリスティンに対して、三上が最後の大技を仕掛ける。

 

一発逆転しかありえないこのタイミングで仕掛ける大技。もちろんそれは山嵐に他ならない。

 

「――えいっ!」

 

仕掛けるタイミング。踏み込み。足の払い。それに伴う上半身の引き付け。これ以上ないと言う程の完成度で放たれた山嵐がクリスティンを襲う。72kg以下級のクリスティンの身体が空を舞った。天地が逆さまになったまま畳に向かって放物線を描きながら落ちていくクリスティン。

 

ズダーーーーン!

 

クリスティンの背が完璧に畳につく。三上も勝利を確信して主審をばっと見上げる。対するクリスティンは、あまりに一瞬の事で茫然としたままだ。時計の残り時間はちょうど0を示している。はたして、主審の宣告は……。

 

 

 

宣告は無かった。つまり、三上が起死回生の技を仕掛けたのは、ほんのわずか遅かったという事だ。

 

 

 

観客席から一斉に吐かれた安堵と落胆のため息が、奨忠(チャンチュン)体育館内に木霊のように浸透していく。駄目だったか……。思わず私は天を仰いだ。だけど、すぐに手を叩き三上の健闘を称える。その拍手は奨忠(チャンチュン)体育館の試合会場を取り囲む観客席からも上がり、直ぐに体育館中にさざ波のように広がって行った。

 

主審に促されて三上が立ち上がる。クリスティンは一足先に開始線に戻っている。敗北を悟ったのか、肩を落としたまま開始線に戻る三上。そんな三上に「うつむくなっ!」「よくやったぞ! 胸を張れ!」と言った彼女の激闘を労う声が観客席から上がった。

 

「――互いに礼っ!」

 

開始線の上で(こうべ)を垂れて肩を震わせる三上にクリスティンがゆっくりと歩み寄る。そして軽く抱擁し何かを語り掛けるクリスティン。それでようやくこちらに戻り始めた三上だけど、その瞳には大粒の涙が。そして彼女は畳から降りて人目をはばからず涙を零す。

 

「ご、ごめんなさいっ! 私……、私……!」

 

私は、号泣する三上を抱きしめ、その後頭部をポンポンと優しく叩く。三上は過呼吸を起こしたように息も絶え絶えで、私達に謝罪する。

 

「か、勝って……、皆の役に立ち……立ちたかったけど……、わ、私、何の役にも――」

 

「謝らないでよ、三上さん。三上さんの頑張りは皆分かっているから。大丈夫、三上さんは、ちゃんとさやかから山口さんに繋がったバトンを藤堂さんに渡せてるよ。ねっ、藤堂さん」

 

私の言葉に、藤堂は三上の肩に手を回しながらその野太い声で応える。

 

「ああ、ちゃんと受け取ったよ。あんたのファイト、見ていて胸が熱くなったよ。見てみなよ、私の手。あんまり熱が入って応援していたものだから、見ていただけなのにびっしょりと汗をかいたよ」

 

藤堂だけではない。柔ちゃんに山口、そしてさやかまでも次々に三上を取り囲み彼女の健闘を称える。柔ちゃんは、目に涙を溜めながら三上の両手を取る。

 

「三上さん、私、三上さんの試合を見ていて、今まで以上に柔道が好きになりました。ほんっとうに感激しました!」

 

「ナイスファイト、三上。聞きなよ、この拍手。全部あなたを讃える拍手だよ。あなたは胸を張っていたら良いんだよ」

 

「ふふふ、なかなか見ごたえのある試合でしたよ、三上さん。もちろん私には及びませんが」

 

「何言ってんだよ、さやか。あんたの試合の後はこんな拍手は無かったじゃないか」

 

「――何ですって!?」

 

私の茶々に目を吊り上げて食って掛かるさやか。

 

そんな私達のやり取りを見ていた柔ちゃんが「あの二人、またやってる」とぷっと噴き出すと、それにつられたのかようやく三上の顔にも笑顔が浮かんだ。

 

 

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

「よくやったね、クリスティン」

 

「クリスティンさん、お疲れさまでした!」

 

畳の上から降りたクリスティンをカナダチームの大将であるジョディが労う。同時に最年少のナディアがタオルとスポーツドリンクを手渡す。しかし、クリスティンの表情が浮かない様子を見て、ナディアが「どうしました?」と心配そうに問いかける。

 

「いや、私としてはミカミのヤマアラシにやられたとばかり思っていたから、勝った気がしなくてね」

 

「それほど凄かったかい、ヤマアラシは?」と問いかけるジョディに、クリスティンは強く頷く。

 

「まるで天井まで放り投げられたような感覚だったよ。で、そこからはまるでジェットコースターに乗ったようにぐるぐると回転して、気が付いたら畳に叩きつけられていた。勝ったのは、正直奇跡のようなものだよ」

 

「だけど、勝ったのはクリスティンだ。これで2勝1敗。私が次の試合で勝てば私達カナダチームの勝ちが決まる。悪いけど、ジョディの出番は無いよ」

 

カナダの副将 マッケンジーの言葉に、ジョディは畳の方に視線を投げかける。畳の上では大会スタッフがてきぱきと畳の上の汗を拭き取っているが、彼女の視線はその先に向かっていた。日本チームが涙を零す三上を取り囲み、その肩を叩いている。その彼女達の目には全くと言っていい程諦めの色は無かった。むしろ、ゴールドメダリストのクリスティンを相手に激闘を繰り広げた三上から闘魂を注入されたかのような、目に見えない闘志がみなぎっているように思える。

 

「気を付けるだわさ、マッケンジー。まだ日本は諦めてないね。ほら、もうすぐ中断が終わるよ。身体を動かしておくね」

 

「分かった、分かった、心配性だね、ジョディは」

 

マッケンジーは肩を竦めてアイヴィーを相手に軽く打ち込みを始める。実際マッケンジーは副将戦の対戦相手である藤堂に対して苦手意識は無かった。ともに72kg超級の選手同士、これまでに3戦して2勝1引き分けと負け無しであり、つい先だっての72kg超級の試合でもマッケンジーがベスト4だったのに対して、藤堂はベスト8。負ける要素が無いと彼女が考えても無理からぬことだった。

 

しかし……。ジョディは再び日本チームに視線を投げかけた後、クリスティンに顔を向ける。

 

「クリスティン、疲れている所悪いけれど――」

 

「身体を動かしたいんだろう? 良いよ、付き合うよ」

 

盟友であるジョディに皆まで言わせるクリスティンでは無かった。というより、クリスティンはこの時ジョディの抱いていた危機感を共有していたと言っても良い。この二人にしか通じない感覚であろうが、二人はこの準決勝がそう簡単に終わるとはどうしても思えなかったのである。

 

 

 

試合会場を見下ろす日本の解説席では、先ほどの中堅戦の熱気が未だ収まっていないかのように興奮した様子の二人がいた。

 

「いやー、返す返すも素晴らしい三上選手の粘りでした。それだけに、敗退が残念でなりませんね。間に合わなかったのでしょうか?」

 

「そうですね。クリスティンの足が畳から剥がれた瞬間、残り時間が0を指し示していましたね。惜しかった。それに尽きます」

 

そして山上は、チームメイトに囲まれようやく笑顔を見せ始めた三上を見下ろし、優しい口調で続けた。

 

「いずれにしても、52kg以下級の控え選手だった三上が、72kg以下級のゴールドメダリストをあわやという所まで追い詰めたのです。大殊勲ですよ。胸を張ってもらいたいですね、三上には」

 

「本当にそうですね。記録では、カナダのクリスティン選手は、3日前の72kg以下級の全試合を一本勝ちしており、今日の団体戦でもここまで全試合一本勝ちです。つまり、三上選手が唯一クリスティン選手に一本勝ちを許さなかった選手という事になります。この大会で、三上杏選手の名前は世界に鳴り響いたのでは無いでしょうか」

 

 

日本の応援席では、試合前と変わらず和菓子屋の名前を冠した旗が、誇らしげに揺れていた。

 

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