ちょっと待って! 私の下の階級に猪熊柔がいるんだけど……!   作:怪盗218

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63話 男女国別団体戦 4回戦 準決勝 副将戦

side 藤堂 由貴

 

「――おう、おうっ!」

 

カナダの副将 マッケンジーが鼻息荒く責め立ててくる。マッケンジーとは、共に長い間に渡って72kg超級で凌ぎを削ってきた関係だ。一度も勝った事は無いけれど、こいつの手の内は分かっている。ほら、来た! 内股っ! だけどこれはフェイント。本命はその後の――。

 

「背負いだろっ! 分かってんのよっ!」

 

案の定マッケンジーは私を背負ってきた。それを察していた私は、上から押しつぶすようにしてその背負いを潰す。潰れたマッケンジーに対して、後ろから首に手を回し、襟を絞りながら身体を横に滑らせる。

 

「――ぐぇぇっ!」と、喉がつぶれたかのような声を上げるマッケンジー。

 

ちっ、入っていない! これはマッケンジーの擬態だ。いくら仕掛けても決まらない技で、無駄に体力を消耗させようという姑息な手段。それを看破した私は、首に回していた手をほどき、さっと立ち上がる。

 

「待て」

 

表情はうかがえないが、四つん這いになったマッケンジーは、(ばれたか)とこっそりと舌を出しているだろう。

 

「藤堂さん、あと3分(みっつ)です!」

 

猪熊の言葉に軽く頷きながら開始線に向かう。マッケンジーは基本的にじらし屋だ。この後は開始線に戻って、大して乱れてもいない道着をほどき整える時間を稼ぐつもりだろう。

 

私は今日の団体戦でこれまでずっと副将を務めている。それはつまり、本来の階級である72kg超級と同じ階級で出続けているという事だ。無差別級は文字通り全階級の選手が出る資格があるし、次鋒と中堅、それに副将は一つ下の階級の選手も出場する資格がある。そのルールを活用し、日本は次鋒と中堅、そして大将が本来の階級で無い選手が務めている。

 

しかし、日本のように5人中3人までもが本来とは異なる階級の選手で登録されている国は他にない。他国ではせいぜい1人、多くても2人と言った所だ。それは、日本の台所事情がそうさせている訳で、致し方ない所はもちろんあるが、実際問題としてそれは大きなハンディだ。

 

本来とは異なる階級で試合をするという事は、単純に体格差と体重差が発生するだけじゃない。それらと同様か、あるいは、それ以上に大きな要素は、ほとんどの選手と対戦した経験が無いという事だ。

 

私なら、例えば今、私の目の前で柔道着をゆっくりと整えているマッケンジーと対戦した経験があり、彼女のやり口をある程度把握している。しかし、三上や桐生達は違う。ほとんど何の知識も無いまま、自身より上の階級の選手に挑まざるを得なくなっている。

 

だから本来の階級で出場出来ている私は、彼女達に比べて恵まれている。その恵まれた私がチームのために出来る事は何か。

 

今日会場入りする際、送迎バスから降りる直前に柳澤監督から託された言葉。

 

『藤堂、すまないが、今日のお前には汚れ役を頼みたい』

 

柳澤監督はおそらく私達の全員に言葉を投げかけているはず。私が想像するに、本阿弥には切り込み役を、山口には先駆者としての助言役を、三上にはチーム唯一の常識人としての役割を、そして桐生には……。

 

桐生は何だろう……。私は、のろのろと柔道着を整えるマッケンジーから視線を剥がし、試合会場袖でこちらを見つめている桐生に視線を固定する。点取り屋? それとも精神的支柱? 分からない。どれもあり得そうだし、どれも違う気もする。

 

まあ良いさ。あいつが監督に求められた役割が何であろうが、私は汚れ役としての仕事をこなすのみさ。どれほどみっともなく、どれほど呆れられようが、大将まで……桐生まで回してやる。あいつにさえ回せば、きっとなんとかしてくれる。面と向かっては絶対に言ってやらないが、私は柔道家としてのあいつの力を信じていた。猪熊も寒気がするほどの強さだけど、皆を引っ張っていく力は無い。

 

……それが出来るのはあいつだけだ。

 

「――はじめっ!」

 

ようやくか。主審の合図で試合が再開される。畳の中央でがっしりと組み合う私達。互いに足を飛ばしけん制し合った後、今度は私からマッケンジーを責め立てる。

 

大内刈りっ! マッケンジーもやすやすとやられはしない。私の踏み込みを真正面から受け止める。互いの額がガシッとぶつかり合った。痛みなど感じる余裕は無い。ぐぬぬ……と互いに一歩をも引かないまま畳の中央で身体を預け合う。マッケンジーと私の体格はほとんど互角。引いた方が負け。今までの私なら、そう考えていただろう。

 

だけど、本阿弥や猪熊、そして桐生と言った軽量級の選手との試合の経験が、私にこれまでとは異なる攻め方を取らせた。引いたら負けなんて事は無い。いや、引くからこそ新たな扉が開く事もある。

 

私は不意に前に向かっていた力を減衰させる。すると、私同様に前掛かりだったマッケンジーがたたらを踏む様に、前に一歩、二歩と足を出す。

 

その無造作に踏み出された足を私は咄嗟に内から刈った。大内刈りだ。体が崩れていたマッケンジーにこれに抗う術は無かった。拍子抜けするほどあっけなくマッケンジーの背中が畳につく。

 

「――技有っ!」

 

よしっ! 胸の内でガッツポーズをした私は、そのままマッケンジーを抑え込もうと伸し掛かる。しかし、その時マッケンジーの伸ばした右ひじが偶然私の顔に当たる。一瞬意識が飛びかかったが、急速に口内を錆臭い鉄の味が占めた事で意識が覚醒する。なんだかよく分からないが、逃がさないよ!

 

しかし、必死にマッケンジーを攻め立てていると、不意に主審が私の肩に手を置き試合を中断させた。いったい何が、と不審な顔を主審に向けると、主審は自身の鼻を指差し私に何かを訴えて来た。そうやって指摘されてようやく理解出来た。

 

私は気付かぬうちに鼻から大量の出血をしていた。頷いた主審が試合を完全に止めて私を試合会場隅に誘導する。そこでは大会の医療スタッフが待機していて、直ぐに私の怪我の状態を確認し始める。

 

何だっていいよ、たかが鼻血なんだ。大げさに騒ぐほどの事じゃない。私は医療スタッフが手にしたティッシュを掻っ攫い、それを丸めて血の出ている鼻の方に突っ込む。これで良い。せっかくポイントも取っていい流れが来ているんだ。私は開始線に一人立つマッケンジーを一瞥し、半ば強引に畳の上に戻って行った。

 

 

 

「――ぐはっ!」

 

ポイントはっ!? マッケンジーの体落としで体を崩されて引きずり倒された私は、咄嗟に審判に顔を向ける。審判の手は斜め下を指し示していた。助かった、有効だ。

 

「――ちいっ!」

 

私同様に審判の判断を伺っていたマッケンジーが追撃しようと伸し掛かってくるが、審判が待てを告げ、寝技の攻防が途切れる。

 

「はあっ、はあっ!」

 

立ちあがった瞬間、ふらっとよろめきたたらを踏む私。

 

「藤堂、後1分(ひとつ)よっ! 最後まで集中切らさないで!」

 

山口の声が私の背後から届く。分かっている。朦朧としながら、それを頭の中に叩きこむ。まったく息苦しいね。鼻にティッシュを詰め込んでいるからか、呼吸がしづらく直ぐに息が上がる。

 

私が奪っているポイントは技有一つ。対してマッケンジーは今のを合わせても有効二つ。いくら有効を積み重ねても技有一つには及ばないんだから、依然私が優位に立っている事は変わらないけれど、もう体力も限界だ。

 

だけど、負けるわけにはいかない。私が負けたら日本の敗北が決まる。なら引き分けなら良いかというと、それもよろしくはない。そうすると日本は1勝2敗1引き分けとなり、この後の大将戦で、桐生はあのジョディ・ロックウェルを相手に勝利しなければいけないというプレッシャーを背負いながら戦う事になる。

変わり者のあいつならその状況を嬉々として受け入れるかもしれないが、汚れ役を任された副将としては、それは出来れば避けたい。

 

「さあ、来いっ!」

 

「おうっ!」

 

試合再開と同時に声を張り上げた私に対して、マッケンジーが負けじと気勢を上げながら向かって来る。3分以上の激闘で身体の節々が悲鳴を上げている。何度もぶつかり合った額からはうっすらと血がにじんでいる。

いちいち確認してはいないが、指の爪も何枚か剥がれているようだ。まったく、引退したら真っ先にマニキュアを指に塗ってやるからね。そうやって精一杯おしゃれして、最近大学に赴任してきたあの感じの良い講師の前に立ってやるんだ、絶対に!

 

 

そして私とマッケンジーの最後の激闘が始まり、私は最初に挙げた技有のポイントをどうにか最後まで守り切る事ができたのだった。

 

 

 

「お疲れさまでした、藤堂さん。藤堂さんらしい、身体を張った素晴らしい試合でした」

 

畳に一礼した後振り返ると、にこりと笑みを浮かべた桐生。

 

「……ちゃんと繋いだからね。次はあんたの番だよ」

 

私が顔の前に掲げた右手の掌に、桐生がぱちんと手を合わせる。

 

「確かに受け取りました。後は任せて下さい……!」

 

頬を2、3回強く叩く桐生。そして彼女は、畳の前でさっと一礼し、迷いの一切感じられない歩調で畳の上に上がっていく。

 

ここまで2勝2敗。日本対カナダの一戦は大将戦に委ねられた。相手はカナダの不沈艦こと、ジョディ・ロックウェル。しかし、桐生も負けてはいない。あいつも、ここまで各国のエース級を相手に全勝で来ている。

 

今日無敗同士の一戦の行方を期待して、異様な熱気に包まれつつある奨忠(チャンチュン)体育館。先に決勝進出を決めているソビエト連邦の選手達が、真剣な眼差しで視線を注いでいる。もちろん既に敗退が決まっている各国の選手達も同様だ。おそらく、TVの向こう側でも日本中の柔道ファンが固唾を飲んで見守っているはずだ。

 

その小さな肩に凄まじい重圧がかかっているだろうに、あいつはそれを微塵も感じさせず、ゆっくりと開始線に向かう。

 

いけ、桐生。日本柔道の神髄を世界に見せてやれ。あんたならそれが出来る。世界の度肝を抜いてやれ!

 

そして運命の大将戦の開始の合図が主審より告げられた。

 




ちょっと副将戦は短めになってしまいました。力尽きたんです。ごめんなさい、藤堂さん。
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