メスガキちゃんを命がけで助けたら右腕がなくなった   作:崖の上のジェントルメン

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11.恋の炎は豪雨の下で

 

 

 

……放課後の15時半頃。俺は長谷川とともに学校を出て、バス停の前でバスを待っていた。

 

空模様はあまり芳しくなく、どんよりと曇っていた。もしかしたら、雨が振り出すかも知れない。

 

(しまったな、傘を持ってくればよかったかな……。まあ、どうせバスに乗るし、傘がなくてもそこまで影響はないかな)

 

そんなことを考えながら、俺はぼんやりと空を見上げていた。

 

「………………」

 

ふと、横にいる長谷川へ視線を送る。

 

彼女は未だに、苦しそうな顔をしていた。お昼休みに俺が倉崎さんから勉強を教えて貰った時から、ずっと彼女は……この顔のままだった。

 

「……な、なあ、長谷川」

 

「……はい」

 

「その、大丈夫か?」

 

「……大丈夫、と言うのは?」

 

「いや、なんか……その……顔色が優れないからさ」

 

「……はい、ゆずは大丈夫です。心配、しないでください」

 

「………………」

 

長谷川の言葉には、見えない壁を感じていた。これ以上は聞かないで欲しいという心の声が、言葉の端々から漏れていた。

 

そう言われてしまっては、俺も口を閉ざす他なく、また無言の時間が訪れてしまった。

 

「………………」

 

「………………」

 

気まずい空気だった。咳払いひとつすら躊躇われるほどに、俺たちの間は凍っていた。

 

ブロロロロ……

 

ちょうどその時、待ちかねていたバスがやって来るのが見えた。俺は鞄から定期券を出して、乗車する準備をしていた。

 

「……あれ?」

 

だが、隣にいる長谷川は、怪訝な顔をしながら鞄の中をあさくっていた。

 

「どうした?長谷川」

 

「す、すみません、定期券を学校に忘れてしまったみたいです」

 

「あらら、そっか」

 

長谷川は額に汗を滲ませながら、「ど、どうしよう……」と呟いていた。

 

この時、俺は長谷川が困っている理由が、おおよそ理解できていた。

 

彼女としては、学校へ定期券を取りに行きたいところだけど、たぶん俺に迷惑をかけたくないと思っている。

 

歩いて片道10分かかる学校まで付き合わせるのは気が引けるし、かと言ってこのバス停で20分近く待っててもらうのも忍びない。

 

そんな彼女の気持ちが、手に取るように伝わってきた。

 

「長谷川、俺のことは気にせず、取りに行ってきなよ」

 

「で、でも先輩を待たせちゃうことになりますし……。ここはゆず、自腹で払います。定期券は、また明日取りに行きます」

 

「いやいや、もったいないよ。ここから俺の家まで、片道500円はするぜ?今から帰る分と、明日学校へ来る分を合わせたら、1000円にもなる。これはさすがにちょっと高くないか?」

 

「それは……」

 

「いいよ、俺……先に帰っておくから。そしたら長谷川も、俺を待たせておく罪悪感がないだろ?」

 

「で、でも、大丈夫ですか?一人でバスに……」

 

「いいっていいって。俺も赤ちゃんじゃないんだし、家まで一人で帰るのは、全然平気だよ」

 

「………………」

 

 

プシュー

 

『大淀前~、大淀前~』

 

 

バスはいよいよバス停に停車し、乗車する側の扉を開けた。

 

それを見た長谷川は、とうとう意を決して、「分かりました」と答えた。

 

「それじゃあ、ゆず、行ってきます」

 

「うん、気を付けてな」

 

「ごめんなさい、先輩。一緒にいれなくて」

 

「いいよいいよ、大丈夫だから」

 

そうして長谷川は、俺に背を向けて、学校へ向かって走っていった。

 

 

 

 

……ブロロロロ

 

家へ向かうバスの中、俺は吊り革に捕まって立っていた。

 

車内はかなりぎゅうぎゅうで、おしくらまんじゅうをしているかの如く、むわっと蒸せ返るような熱気に包まれていた。

 

(くっそ~……腕がきついな。席に座りたいんだけど……)

 

だがその時は運悪く、俺の近辺の椅子に座っている人は、みんな眠っていた。この人たちを起こしてまで座るのは、さすがに気が引けた。

 

仕方ない、しばらくすれば乗客も減っていくだろうし、それまでは我慢するしかない。

 

「………………」

 

 

『ゆずは大丈夫です。心配、しないでください』

 

 

……どうも長谷川とは、上手くいかない。仲良くなれたと思ったら、またいつの間にか壁ができてしまう。

 

どうにかして関係をよくしたいが、どうすればいいか分からない。

 

もう、あの事故以来、悩み事が無限に増えて止まらない。人間関係にも物理的にも、頭を抱える場面が多い。

 

正直なところ、両腕がある周りの人たちのことを、時々恨めしく思うことがある。俺の持ってるような悩みなんて全然なくて、気楽に生きているんだろうなって……そんな風に思ってしまう。

 

つり革に難なく捕まりながら、もう片方の手でスマホゲームをする乗客だっている。俺は捕まっているだけで、精一杯なのに。

 

「……くそ、キツくなってきた」

 

吊り革を握っている手が、いよいよ痛くなってきた。俺は一旦吊り革を離し、手を握ったり開いたりして痛みを解す。本当ならもう片方の手で揉んだりするといいのだろうけど、俺はそうもいかない。

 

「おっと」

 

その時、車内がぐらりと揺れて、俺は体勢を崩してしまった。そのせいで、近くにいたじいさんの後頭部に、俺の左肘が当たってしまった。

 

「いたっ!なんだおいコラ!」

 

じいさんはこっちに顔を向けて、凄い形相で俺を睨み付けていた。

 

「す、すみません!大丈夫ですか?」

 

「大丈夫なわけないだろ!これで俺が脳卒中で死んだらどうするんだ!ああっ!?どう責任取るんだよ!?」

 

じいさんの怒声が、車内に響き渡る。しまった、このじいさん、面倒なタイプの人だ。

 

「本当に申し訳ないです。降車ボタンを押したくて、吊り革から手を離してしまって……」

 

「バカが!障がい者のくせに、バスなんか乗るな!」

 

「え?」

 

「迷惑なんだよ!満足に吊り革も掴まれない奴が、バスに乗ってんじゃねえ!バスはなあ、両腕がある人間のためのもんなんだよ!」

 

「………………」

 

「おい!運転手!バス止めろ!このバカをさっさと降ろせ!ほんとに近頃の若い奴は、他人の迷惑も考えられんバカしかおらん!」

 

じいさんの怒りがヒートアップしていったその時、「うるさいわね!」と、近くにいたおばさんが怒鳴った。

 

「あなたの方がよっぽど迷惑ですから!あなたこそ、今すぐ降りなさい!」

 

「な、なんだと!?」

 

「この子はもう謝ってるじゃないの!いちいちしょうもないことで騒ぐんじゃないよ!!これ以上騒いだら、警察呼びますからね!」

 

「………………」

 

じいさんはおばさんからの言葉に何も反論できず、苦虫を噛み潰したような顔をしていた。「警察」という単語を出したのが効いたのだろう。

 

バスが停車すると、じいさんはそそくさと降車していった。それを見届けたおばさんは「ふんっ!情けない」と呟いて、鼻息を荒くししていた。

 

「すみません、おばさん。ありがとうございました」

 

「いいのよ、困った時はお互い様なんだから。いい?あんなじじいの言うことなんて、気にしちゃダメよ?バカなのはあのじじいなんだから」

 

「……はい」

 

ブロロロロ……

 

バスがまた、次の駅に向かって走り出した。

 

「………………」

 

 

ピンポーン

 

『次、停まります』

 

 

俺は静かに、降車ボタンを押していた。まだ降りる駅ではなかったけど、一刻も早く降りたかった。

 

 

『障がい者のくせに、バスなんか乗るな!』

 

 

あのじいさんの罵声が、俺の脳裏にこびりついていた。何度も何度も脳内で再生されて、消すことができなかった。

 

 

……ポツ、ポツポツ

 

 

外では、小雨が振り出していた。バスの窓ガラスには水滴がついて、下へと滑って落ちていた。

 

俺は吊り革に捕まりながら、ぼんやりと揺られていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……ねえねえ、みんな聞いて~。最近、うち気になる人できてさ~」

 

放課後の16時頃。私、倉崎 桃香は、友人二人とともに、学校から歩いて10分くらいのところにあるカフェへ来ていた。

 

友人のうちの一人は、夏希ちゃん。もう一人は沙穂ちゃんという子だった。

 

夏希ちゃんは、黒髪を後ろで結んだ女の子で、肌が健康的に焼けているスポーツ好きな子だった。

 

それとは対照的に、沙穂ちゃんは明るい茶髪のギャルっぽい子で、ゆるふわなパーマをかけている。

 

丸いテーブル席に三人で座って、私の前にはフラペチーノが、夏希ちゃんの前にはココアが、そして沙穂ちゃんの前にはイチゴスムージーがそれぞれ置かれていた。

 

沙穂ちゃんは頬を赤らめて、私と夏希ちゃんに「二人だけには話すんだけどさ~」ともじもじしながら言った。

 

「うち最近、浅井くんが気になってて~。ちょっとどうしよっかな~ってなっちゃってるんだ~」

 

「へー?浅井って、陸上部の浅井のこと?」

 

夏希ちゃんがそう言うと、沙穂ちゃんは嬉しそうに「うん」と頷いた。

 

「なんかー、寡黙?な感じがカッコいいな~って」

 

「沙穂ってば、ほんとに惚れっぽいよね。ついこの前までは、サッカー部の宮本先輩追っかけてたのに」

 

「えー?だってみんなカッコいいんだも~ん。うち、一人に決められないよ~」

 

「はあ、相変わらず恋愛脳なんだから」

 

「む~、なんか言い方がちくちくしてる~!じゃあ逆になっちゃんは、気になる人とかいないの~?」

 

「アタシ?」

 

夏希ちゃんは頬杖をついて、しばらく「うーん」と唸っていた。

 

「アタシは、そういうのいないかな」

 

「えー?そうなの~?」

 

「正直、今はテニスに集中したいんよね。来月からいよいよ三年生になるし、今年こそは全国大会に出たい」

 

「そっか~。じゃあ、あんま恋愛とか、そういうの考える気分じゃない感じだね~」

 

「そうそう。デートに時間割くくらいなら、今は練習したい」

 

「すごいストイック~!まあでも、それがなっちゃんらしいかも~」

クラスメイトのことで盛り上がる夏希ちゃんと沙穂ちゃんのことを、私はフラペチーノを飲みながら眺めていた。

 

「ねえねえ、桃ちゃん。桃ちゃんは誰か、気になる人いないの~?」

 

「わ、私?」

 

沙穂ちゃんからそう話しかけられて、私は思わずどもってしまった。フラペチーノを机に置き、眉をひそめて考える。

 

「気になる人……か」

 

「そうそう、つい目で追っちゃうな~みたいな、そういう人!」

 

「…………うーん、それだったら……」

 

私はフラペチーノから出る白い湯気を見つめながら、「中村くん、かな」と答えた。

 

「中村くん?中村くんって、あの……事故に遭った人?」

 

「うん」

 

「へー!桃ちゃん、ああいう感じの人がタイプなんだ~!全然知らなかった~!」

 

沙穂ちゃんはそう言って驚いていたけど、夏希ちゃんの方は反応が薄く、「やっぱそうなんだ」と呟いていた。

 

「なんか最近、桃香が中村にやたら話しかけてるから、もしかしたらそうなんじゃないかって思ってたけど」

 

「うん。なんか……放っておけなくって」

 

「まあ、腕があれだとね……。さすがにアタシも気の毒に思うかな」

 

「ね、ほんとにそう思う。中村くん、すごく優しい人だから、余計にそれが辛くて……」

 

「じゃあさ、ももちゃん。中村くんのこと好きなんだったら、告白したりしないの~?」

 

「ええ?い、いや、何て言うのかな……まだ好きって感じとはちょっと違うなって思ってて」

 

「えー?どういうことー?」

 

「その~……優しい人だし、助けてあげたいなってすごく思うんだけど、恋かどうかはまだ分からなくて……。でも、気になる人なのは、間違いないかな?」

 

「あー、なるほどね~」

 

「でも中村ってさ、付き合ってる子いなかった?」

 

「え?そうなの?夏希ちゃん」

 

「ほら、なんかよく一年生の子と一緒にいるじゃん?あの子、彼女じゃないの?中村の鞄とか持ってたりするところ、たまに見かけるけど」

 

「あー、あの子は違うみたいだよ。彼女じゃないんだって」

 

「へー?じゃあ、なんでいつも一緒に?妹とか?」

 

「あの子がね、中村くんが事故から助けた子なんだって」

 

「……あ~~~、そういうことか」

 

「そうそう。きっとほら……ね。いろいろ罪悪感とかあって。だから、中村くんの身の回りのお世話とかを……」

 

「そっか、確かにね。でも凄いねそれ。アタシだったら無理かも。会うのが気まず過ぎて、顔合わせる勇気ないや」

 

「うん、少なくとも前までの関係には……なかなか戻れないよね」

 

「てかさ、そもそも中村とどう接していいのか分かんなくない?下手なことして地雷踏みたくないし、かと言って無視すんのもモヤるし」

 

「私も、そのことはよく考えるの。だけど、中村くんには……その、少しでも明るい気持ちになって欲しくて。それで、頑張ろうって思ってるの。彼と話す時は、私も少しでも明るく振る舞おうって」

 

「さすがももちゃん~!優しい~!」

 

「あ、あはは……」

 

私は褒められた気恥ずかしさを誤魔化すために、またフラペチーノを口に含んだ。

 

 

 

 

 

 

ザーーーー……

 

私たちがカフェを出る頃には、もう雨がずいぶん酷くなっていた。

 

「じゃあ、またねももちゃーん!」

 

「またね桃香。明日学校で」

 

沙穂ちゃんと夏希ちゃんは、私に向かって手を振ってから、そう言って去っていった。

 

私はあらかじめ持ってきていた折り畳み傘を鞄から出して、この雨の中を歩いていた。

 

足元にある水溜まりに、雨が落ちてできる水の波紋が、無数に現れていた。

 

(……恋、か)

 

実は私は、今までちゃんと恋愛をしたことがなかった。

 

告白されることはたくさんあったし、付き合って欲しいといろんな人から言われた。でも、自分の気持ちがよく分かっていなくて、結局全部お断りしていた。

 

だから、私が中村くんに抱いている気持ちが恋かどうかも、いまいち分からなかった。

 

「………………」

 

だけど……彼が長谷川ちゃんと一緒にいるところを見ると、少しだけ、胸がざわっとする。

 

それが、いわゆる嫉妬というものなのかなー?と、どこか他人事のように思っていた。

 

「……うん?」

 

ふと10メートルほど前の地点に、人が立っているのが見えた。

 

それは右手側にある道路を横断するために、赤信号を待っている人だった。

 

この土砂降りの中だと言うのに、傘もさしておらず、降りしきる雨を全身で受けていた。

 

「……!」

 

それは、中村くんだった。

 

身体を横に向けてるから一瞬分からなかったけど、向けているのが右側で、右腕がないことがすぐに分かった。だから彼だと判断できた。

 

「中村くん!」

 

私は彼の元まで走って、傘を彼の頭上に差し出した。

 

「傘、持ってないの?これじゃ風邪引いちゃうよ」

 

「………………」

 

「どこまで行くの?私、それまでついて行くから、一緒に傘の中に入ろ?ね?」

 

「………………」

 

「あ、ふふふ、もしかして恥ずかしいのかな?中村くんってば、結構照れ屋さんだよね」

 

「………………」

 

私はいつもの通り、彼に明るく話しかけていた。中村くんは何も言わずに、ゆっくりと……こちらへ顔を向けた。

 

その時の彼の表情は……たぶん、一生忘れられない。

 

 

 

あまりにも、悲痛な顔だった。

 

 

 

一見するとただの無表情なんだけど、眼差しが虚ろだった。こんな瞳は初めてだった。本当にすべてに絶望しているような、そんな色だった。

 

彼は唇を小さく噛んでいて、眉間にも軽くしわが寄っていた。大きく歪んだ表情じゃないからこそ、それが余計に……胸に秘めた感情が抑えきれなくなっていることを表していた。

 

前髪からポタポタと、雫が垂れている。顔もびっしょりと濡れていて、顎先から水が滴っている。

 

この中のいくらかは、もしかしたら雨ではなく、涙だったかも知れない。

 

「……倉崎さん」

 

中村くんは掠れる声で、私の名を呼んだ。

 

「俺のことは、大丈夫だから。構わないでよ」

 

「え?」

 

「傘を忘れたバカは、濡れて帰らなきゃいけないんだ。自分のドジは、自分で尻拭いしなきゃ……」

 

中村くんの言葉は、いつになくトゲがあった。それに面食らいながらも、私は彼にこう言った。

 

「そ、そんな、そこまで自分を追い詰めることないよ。中村くんが風邪引いたら、みん……私、心配するよ」

 

「………………」

 

「自分のことは自分でって気持ちは私も分かるけど、でも……もっと他人を頼ってもいいと思うな」

 

「………………」

 

「ほら、ね?そんなに意地張らないで?傘、入れてあげるから」

 

「……分からないよ」

 

「え?」

 

中村くんはぎりっと、歯を食い縛った。そして……いつも優しい彼とは思えないほどの怒鳴り声を上げた。

 

 

「倉崎さんには、俺の気持ちなんて分からないよ!!」

 

 

「………………」

 

「もう止めてよ!構わないでよ!俺なんか、ここにいない方がいいんだ!!毎回毎回人の迷惑になる俺なんか、死んだ方がいいんだ!」

 

「…………!」

 

「俺は……いっつもドジで、間抜けで、肝心な時に頼りにならない!!もともとそんな性格なのに、腕までなくなってしまったら!もう人に迷惑かける以外で生きていく道がない!!」

 

「………………」

 

「俺は!みんなの人生を邪魔して!歪ませる以外の何者でもない!みんなにとっての邪魔者、障害でしかない!」

 

「………………」

 

「そんな気持ちが!あんたに分かるかよ!?分かるわけないだろ!?だったら近寄んな!!俺に構うな!!腕がちゃんと2本ある奴に、俺の気持ちが分かってたまるかーーー!!」

 

 

……ザーーーーー

 

 

雨音をかき消すくらいに、中村くんの絶叫は凄まじかった。

 

彼は肩で息をしながら、呼吸を整えていた。

 

「………………」

 

時間が経つにつれて、彼もようやく落ち着いたのか、申し訳なさそうに眉をひそめていた。そしてうつむきながら、囁くように「ごめん」と呟いた。

 

「倉崎さん、ごめん……本当にごめん……」

 

「中村くん……」

 

「倉崎さんに……酷いこと、言ってしまった」

 

「………………」

 

「君はただ、俺のことを心配してくれただけなのに。それなのに俺は……」

 

「………………」

 

「ほんとに、ただの八つ当たりなんだ。自分の中にある苛立ちを……倉崎さんにぶつけてしまった。くそったれ、やっぱり俺は最低だ……」

 

彼はその場にひざまづいて、顔をうつむかせた。そして、何も通っていない右の袖を、力いっぱい握り締めた。

 

「ちくしょう、ちくしょう、ちくしょう……」

 

「………………」

 

「もう、どうしたらいいんだよお……。何もかも、わかんない。どうしたらいいのかわかんない……」

 

「………………」

 

「誰か……誰か……」

 

 

 

────助けて。

 

 

 

 

「………………」

 

私は、彼と同じ目線になるように、その場にしゃがんだ。

 

そして、傘を横に置いて、ぎゅっと彼のことを抱き締めた。

 

「……え?」

 

「………………」

 

「倉、崎、さん……?」

 

「………………」

 

私は一度彼から離れて、両手で彼の頬に手をそっとあてた。そして、じっと彼の顔を見つめた。

 

ああ、なんて眼をしているんだろう。

 

悲しみも怒りも、苦しみも憎しみも、全てがその瞳に写っている。

 

いけない、いけない、いけない。

 

 

今、すごく、中村くんにキスがしたい。

 

 

キスして、抱き締めて、それからこのまま押し倒したい。

 

この哀れな男の子と、心ゆくまで肌を重ねたい。

 

「………………」

 

「………………」

 

お互いに、何も言わない時間が流れた。ただじっと見つめあって、相手がそこにいることを確認していた。

 

ザーーーー……

 

雨は、容赦なく私たちを濡らしている。なのに、私の心臓は尋常じゃないほどに熱かった。燃え盛る火が、胸の中に確かにあった。

 

ああ、恋だ。

 

疑う間でもない。考える間でもない。

 

間違いなく、これは恋だ。

 

ぼろぼろになってしまっているこの人を、愛したい。私が目一杯、優しくしてあげたい。

 

ぬくもりを感じさせてあげたい。あたたかい気持ちにさせてあげたい。

 

“私の手”で、幸せに導きたい……。

 

そのことばかりが、頭の中を駆け巡っている。

 

「中村くん……」

 

口を開けば、そこに雨水が流れ込んで来る。だけど私は、そんなこと一向に気にしなかった。

 

「中村くんの人生は、私が“治す”」

 

「え……?」

 

「人生が歪んでしまっても、私が一緒に、それを治すよ。私が絶対、あなたを歪ませない」

 

「倉崎、さん……」

 

「私が絶対、あなたを助けるから。もう絶対絶対、泣かなくていいようにするから」

 

「………………」

 

「私がずっと、そばにいるよ」

 

「………………」

 

 

 

……ザーーーー

 

 

雨は、私たちに止めどなく降り注いだ。

 

まるで空が、私たちの代わりに泣いているみたいだった。

 

 

 

 

 

 

 

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