メスガキちゃんを命がけで助けたら右腕がなくなった 作:崖の上のジェントルメン
……ちゅん、ちゅんちゅん
小鳥のさえずりが、微かに窓の外から聞こえてくる。
俺は朧気な意識の中、その声を耳にし、眠りから目覚める。
「ふぁ……あ……」
大きなあくびをすると、目に涙が滲み、視界がぼやける。その涙を左手で拭ってから、むくりと起き上がる。
隣では、まだすやすやと長谷川が寝ていた。こちらに身体を向けて、細い寝息を立てている。
「………………」
こうして改めて見ると、やはり彼女は可愛い。丸い輪郭に、小さな鼻先、あどけない唇。まさしく少女という単語が彼女にはぴったりだった。
「……ん」
長谷川は目をごしごしと擦って、うっすらと眼を開けた。そして、朝の掠れた声で「先輩、おはようございます……」と呟いた。
「ああ、おはよう長谷川」
「どうしました……?ゆずのこと、見てましたよね?」
「え?ああ……まあ……」
「もしかして、ベッドから降りるのに、邪魔でしたか?どきましょうか?」
「いや、大丈夫大丈夫。ちょっと……ぼーっとしてただけだから」
そう言って、俺はなんとか答えを濁した。長谷川が可愛くてじっと見ていたなんて、さすがに恥ずかしくて言えなかった。
こうして、俺と長谷川の……春休み初日が始まった。
……カチャ、カチャカチャ
一階の食卓で、俺、長谷川、そして父さんと母さんの四人で朝ご飯を食べていた。
今日のメニューは、炊きたてのご飯に、豆腐と大根の味噌汁、そして昨日の夕飯の残りである酢豚が少しと、卵焼きだった。
ただ俺のメニューだけは、母さんが特別におにぎりを作ってくれた。それから、おかずもサイズを大きくしてくれて、箸で掴めずとも、刺して食べれるようにしてくれていた。
「………………」
長谷川はまだ四人で食べることに慣れていないらしく、少しそわそわしていた。
そんな彼女を横で見ていると、俺もなんだか緊張が伝播してしまって、落ち着かなかった。
「礼仁郎も長谷川さんも、今日から春休みか?」
父さんからそう話を振られて、俺は「うん」と返した。長谷川の方も緊張気味に「はい」と答えていた。
「そうかそうか。なら、のんびり過ごすといい。長谷川さんも、家に帰りたい時があったら、遠慮なく言ってくれて構わないからな」
「あ、ありがとうございます。でも……ゆずは、大丈夫です。先輩のそばにいます」
「そうか、いつも礼仁郎のためにすまないね」
「いえ、そんなこと……」
父さんと長谷川の会話に、母さんが加わった。
「長谷川さん、礼仁郎と一緒の部屋なのは、本当によかったの?着替えの時とか大丈夫?」
「あ、はい。それぞれ時間をずらして着替えてますから」
「そう。もしどうしても一人の部屋が欲しかったら、言ってちょうだいね?今物置になっちゃってる部屋を片せば、お部屋として渡せると思うから」
「ありがとうございます。でも、ほんとにゆずは大丈夫です。先輩のお世話のために住まわせてもらってるんですから、一人の部屋を貰うなんて……」
と、そこまで言ってから、彼女はハッとした顔で、俺の方を見た。
「あ、で、でも、もし先輩が嫌だったら……その、違うところで寝ますから」
「ええ?いやいや、俺は全然平気だよ。俺の方こそごめんな。着替えの時とか気を遣わせちまって」
「いえ、全然ゆずは……大丈夫ですから」
彼女が住み始めてから、まだ1ヶ月も経っていない。お互いにどこかギクシャクした感じが残ってしまっている。
もう少し、この四人がフランクに話せるようになれたらいいなと……そんな風に思っていた。
「……ごちそうさま」
俺は拙いながらも、なんとか箸でご飯を食べ切れた。
「礼仁郎、あなたお箸の使い方、上手になったわね」
母さんはにっこりと笑って、俺にそう言った。俺はちょっと照れ臭くなりながらも、「うん」と答えた。
先にご飯を食べ終えていた長谷川は、台所で自分の食べた食器を洗っていた。
「長谷川、食べるの遅くなってごめんな。部屋に行こうぜ」
俺がそう言うと、長谷川は「はい」と言って、水道を止め、タタタタと小走りで俺の元へとやって来た。
そうして、俺と長谷川が二階へ戻ろうとした時。
「ああ、礼仁郎、すまんな。ちょっといいか?」
父さんから、手招きされて呼び止められた。「なに?」と返してみると、「渡したいものがある」と父さんは言った。
「渡したいもの?俺に?」
「ああ、とりあえず、俺の部屋に来てくれるか?」
「いいけど……なんなの?渡したいものって」
「まあまあ、それは現物を見てからのお楽しみだ」
「………………」
「ああ、長谷川さん、君は先に二階に行っててもらえるか?ちょっと礼仁郎と……男だけの秘密があってな」
「は、はあ……わかりました」
俺も長谷川も、何がなんだか分からなかったけど、とにかく父さんに言われた通りに、長谷川は先に二階へ、俺は父さんの部屋へと向かった。
……父さんの部屋は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。
机の上には飲みかけのコーヒーがあったり、何かよく分からない書類が散乱していて、椅子の背もたれには、くたびれた背広が乱雑にかかっていた。
本棚には本が大量にあって、そのほとんどが釣りと宇宙に関するものばかりだった。
部屋の隅には、釣り道具が置いてあった。これだけは綺麗に整頓されて、道具もひとつひとつが手入れされていた。
「さてさて、礼仁郎くんよ。お前にいいものをやろう」
父さんはニヤニヤと口角を上げながら、本棚の奥からごそごそと何かを取り出した。
「なんだよ父さん、ずいぶんと含みを持たせた言い方をして。本当に長谷川もいちゃいけなかったのか?」
「いやな、さすがに“これ”を渡すとなると、女人厳禁だと思ってな」
そう言って、父さんはある雑誌を俺に見せてきた。
「………………」
それは、エロ本だった。
スタイル抜群の女性が、扇情的なポーズを取ってこちらを見つめている表紙だった。
「ちょ、ちょっと父さん……!なにかと思って来てみたら、エロ本かよ!」
「いやな、お前も長谷川さんと四六時中一緒だと、なにぶん“溜まる”だろうと思ってな?ほれ、俺の部屋の、この本棚に隠しておくから、欲しい時は取りに来なさい」
「止めてくれよ!こ、こちとら思春期なんだぜ!?そーゆーのはもっとオブラートにさあ!」
「はははは!すまんすまん!冗談だよ!」
父さんはひとしきり笑った後、エロ本をまた本棚に戻した。
「実は、お前とちょっと話がしたくてな」
「話?」
「ああ、長谷川さんについてだ」
「………………」
「どうだ?彼女の様子は。いつもどんな感じなのか、聞きたくてな」
「どんなって……まあ、そうだな。いつも俺に気を使ってて、何かといろいろ世話を焼いてくれる。ありがたいなとは思うけど……」
『ゆずの人生を、歪ませて。先輩の手で、おかしくさせて』
「……それと同時に、凄く……いたたまれなくなる」
「………………」
「なあ父さん。もう長谷川のことを……許してやってくれないか?」
「………………」
「あいつはもう、十分過ぎるほど、俺に尽くしてくれている。これ以上ないほどに。だから……どうか長谷川を、家に帰してやって欲しい」
「……そうか」
父さんは何か考える素振りを見せた後、「そろそろ頃合いかもな」と、意味深な言葉を呟いた。
「礼仁郎、お前に今一度、話しておきたいことがある」
「な、なに?父さん」
「実はな、俺と母さんは、最初から長谷川さんに対して、そこまで怒ってはいないんだ」
「え?」
「正直に言うと、彼女がお前のために四六時中一緒にいて欲しいとは、俺も母さんも思っていない」
「え!?え!?そ、そうなの!?」
「ああ」
「で、でも、長谷川がこの家に来た時、父さんたち言ってたじゃん!長谷川に対して怒ってて、誠意を見せてほしいとかなんとかって……」
「そりゃ、事故ってからすぐの時はそう思ってたが、あの子、お前が入院中にいつも来てくれてたろ?それで、俺も母さんも、長谷川さんの誠意は感じられてたんだ」
「じゃあ……なんで、長谷川を家に……。彼女は、俺の世話をするために、めちゃくちゃ大変そうにしてるんだぜ?なんでそんなことを……」
「………………」
父さんはじっと、真剣な眼差しで俺を見つめた。そして、人差し指を立てて、口にそれを当ててから、「長谷川さんには言うなよ?」と前置きしてから話し始めた。
「まず、彼女をうちに招いたのには、ふたつの理由がある。でも、そのどちらもが、彼女のためだ」
「え……?」
「前にも言ったが、お前のお世話をしたいと申し出たのは、彼女の方だ。俺たちにそれを頼みに来た時の彼女の顔は……本当に悲惨だったよ。目には泣き腫らした跡があったし、黒々としたクマもあった」
「………………」
「あんな顔をされて頼まれたら、俺も母さんも断り切れなくてな。彼女の罪悪感を晴らすためにも、ここはあの子のやりたいようにさせてあげる方がいいだろうって、そう思ったんだよ」
「………………」
俺は、父さんの言葉に説得力を感じていた。確かに俺も、長谷川からお世話をさせる時、似たようなことを思っていたからだ。
大きな罪悪感を抱えているのであれば、あえてこちらが甘えて、少しでも罪悪感を晴らせるように気を遣う……。
「それとな、礼仁郎。その時の彼女の顔には、今言った悲惨さとは別の悲惨さがあってな」
「別の悲惨さ?それって一体……」
「……殴られた跡だ」
「!?」
「頬が、真っ赤に腫れててな。本当に痛そうだった。たぶんあれは、あの子のお母さんだな」
「………………」
「お前も見たことがあるんじゃないか?あの子のお母さんが、長谷川さんを殴っていたところを」
『なんでこんな時も!お前は一言だって謝れないの!?もう!お前は!お前は本当に!!』
『あんたがどれだけ!迷惑かけたか分かってるの!?あんたがどれだけ!どれだけ……!!』
「あ、あった……!確かにあった……!俺が事故ってすぐの頃、長谷川はお母さんからめちゃくちゃにビンタされてて……」
「な?俺と母さんのところに謝りに来た時も、もう酷いくらいに殴っててな。慌てて二人で止めに入ったんだよ」
「………………」
「もちろん、あっちのお母さんの気持ちも分かる。なにせ腕がなくなるほどの事故だからな。しかし……かと言って、あんなに殴るのは少し異常だと思う。だからもしかすると……彼女の家庭環境は、あまりよくないんじゃないかと、俺と母さんは考えたんだ」
「………………」
「ほら、さっき飯を食ってた時に、俺が『家に帰ってもいいよ』と話したけれど、長谷川さんは断っただろう?お前の世話のために残りたいっていうのもあるが、あの母親の元に帰りたくない……という気持ちも、少なからずある気がしてな」
「………………」
「もちろんこれは、こっちの推測でしかないんだがな」
「……ねえ、父さん」
「うん?」
「それなら、どうして最初の時に、長谷川を許してないっていう風に話したの?もう長谷川のことは許してくれてるなら、どうしてそのことを……」
「それじゃあ、彼女が納得しないさ」
「え?」
「長谷川さんは、とてつもなく大きい罪悪感を抱えている。それを安易に俺たちが許す方が、彼女にとっては苦しいのさ」
「………………」
「人の心というのは難しいもので、許して欲しいと思いながらも、簡単に許されると怖くなる。『本当は心の中ではまだ怒っているんじゃないか?』って、そんな疑心暗鬼が産まれてしまう。なぜなら、彼女自身が、自分のことを許していないからだ」
「………………」
「だから、しっかり時間をかけて、罪を償ったんだと自分でも思えるくらいになったら、その時ようやく、彼女は自分を許せる。そうしたら、俺も母さんも、本当のことを彼女へ話そうと思う」
「……父さん」
「時には許しよりも、罰が人を救うことがある。そういうことさ」
「………………」
「すまんな、長々と話しちまって」
そう言って父さんは、にっこりと笑って、俺の肩に手を置いた。
「それにしても、礼仁郎、お前は立派だな」
「え……?」
「腕がない自分の世話をしてもらうことよりも、彼女のことを案じて、家に帰して欲しいと言った。本当に立派だよ、礼仁郎」
「………………」
「何か困ったことがあったら、遠慮なく俺や母さんに相談しなさい」
「父さん……」
「もちろん、エロ方面の相談でもいいぞ?」
「い、いや、それは遠慮しておくわ。それに、俺は本派じゃなくて、動画派だし」
俺の言葉を聞いて、父さんは「はははは!現代っ子め!」と高らかに笑った。
「……あ、先輩。お帰りなさい」
部屋に戻ると、ベッドの上に座っていた長谷川が、そう言って俺を出迎えた。
「結局、先輩のパパさんが渡したいものって、なんだったんですか?」
「ん……ああ、えーと……ちょっとね」
俺は苦笑しながら、頭をカリカリと掻いた。
長谷川は頭にはてなマークを浮かべながら、首を傾げていた。
……その日、俺たちは久しぶりにのんびりとした1日を送った。
春休みの宿題をしたり、漫画を読んだり、スマホで動画を見たりと、気の張らない時間を過ごした。
「………………」
俺はふと耳掻きをしたくなった。
ベッドの上で寝転がりながら動画を見ていた俺は、上半身をむくりとお越し、床に座って漫画を読んでいた長谷川に「ごめん」と言って声をかけた。
「俺の机の上にさ、耳掻きがあると思うんだ。それを取ってくれないか?」
「あ、分かりました」
長谷川は本を床に置き、腰を上げて机にある耳掻きを取った。
「はい、先輩」
「おお、ありがとう」
長谷川が腕を伸ばして、俺に耳掻きを手渡そうとした。
「………………」
だが、彼女は途中で伸ばした手を止めると、また引っ込めてしまった。
「?どうしたんだ?長谷川」
彼女の行動の意図が掴めなかった俺は、そう問いかけてみた。すると長谷川は顔を上げて「ゆず、やりましょうか?」と告げた。
「ゆずが、先輩の耳掻き、しましょうか?」
「え?お、俺の耳掻きを?」
「はい」
「い、いやいや、いいよ。さすがにばっちいって」
「でも、先輩では右耳を掻くことができないですし……」
「あ……」
そうだ、確かに左腕だけでは、右耳を掻けない。どれだけ腕を伸ばしても、耳垢が取れる範囲は限られてくる。
「いいですよ、先輩。ゆずはこういう時のためにいるんですから」
「う、うーん……。分かった、じゃあ……お願いしてもいいか?」
「はい、もちろん」
長谷川はベッドに腰かけて、太ももの上に左手を置き、右手で耳掻きを持った。
「じゃあ先輩、この太ももを枕にしてください」
「あ、ああ……」
俺はおずおずと頭を横にし、右耳を上にした状態で寝転んだ。
彼女の柔らかな太ももが、俺の左の顔全体に当たる。きめこまやかなその肌は、まるでお豆腐のようだった。
「えっと、じゃあ……やりますね」
「お、おう……」
長谷川は耳掻きを俺の右耳に入れて、掻き始めた。
かり、かり
がさっ、がそっ
耳の中を掻かれている音がする。
今までは自分でするのが普通だったから、こうして人にしてもらうのは初めてだった。
「先輩、痛くないですか?」
「うん、大丈夫だよ」
ああ、結構気持ちいいな……。長らく耳掻きしてなかったから、ちょっと新鮮にすら感じる。
しかも、長谷川という美少女にしてもらえるというこの状況が……かなりドキドキする。
かり、かりかり
そぼ、ずそ
耳掻きをする時の音って、何とも言えない快感がある。事故の前は、こういう音フェチ動画(ASMR)を、眠る前によく聞いていた。
ちょっと照れ臭いけど、そういうのでエッチなやつなんかも聞いたりしてた。特に耳掻き系や耳舐め系が大好きで、ほんとに一時期は気が狂ったようにそれ系の動画を聞いてた。
だから、長谷川に今耳掻きをしてもらっているというのは、俺の密かな夢が叶ったような気がして、嬉しいやら恥ずかしいやらで、複雑な気持ちだった。
「……よし。先輩、次……反対側の耳、向けてくれますか?」
「分かった」
俺は身体の向きを変えて、今度は左耳を上にして横になった。
すると、今度は景色ががらりと変わって、彼女のお腹が目と鼻の先にあった。
(うっ……!こ、これは、刺激が強いぞ……)
長谷川の甘い香りが、鼻をくすぐる。同じボディーソープを使っているはずなのに、なんで長谷川はこんなにもいい匂いなんだろう。
「それじゃあ、やりますね」
「あ、ああ」
がさがさっ
ごそ、ごそ
(おおっ……!)
耳の奥を掻かれて、あまりの気持ちよさに思わずぶるっと背中が震えた。
(うーん、いいなあこれ……。リアルASMRだ……)
「……はい、終わりました」
しばらくしてから、彼女はそう言って耳掻きを終了した。
俺は膝枕から頭を上げて、「うー!」っと腕を伸ばして身体をほぐした。
「いやー!気持ちよかったー!ありがとうな長谷川、こんなことまでさせちゃって」
「いえいえ、ゆずは全然平気です」
「すごい気持ちよかったよ!俺、こういうのちょっと憧れてたから、余計に嬉しかったわ」
「憧れてた?耳掻きにですか?」
「あ……そ、そう。そうなんだよ」
うっかり自分が耳掻きに憧れてたことを口にしてしまった俺は、ちょっと後悔しつつも、吐いた唾は飲めないと諦めて、全部話すことにした。
「俺、音フェチが好きでさ、寝る前とかASMRをよく聞いてたりしたんだよな」
「あー、ゆずも時々聞きますよ。眠れない時とかにいいですよね」
「そうそう。俺、特に耳掻きしてもらう系のやつが好きだったから、今回のは凄い気持ちよかったよ」
「………………」
「ありがとな長谷川。もしよかったら、また今度してくれると嬉し……」
「他には」
「え?」
「他には、どんなシチュエーションが……好きなんですか?」
「………………」
長谷川は頬を赤く染めて……俺のことをじっと見ていた。
俺はそんな彼女から目が離せなくなって……「いや、えっと……」と、どもってしまった。
「ま、まあ……えっと、み、耳舐め……とか?」
「………………」
「後は、ちょっと甘い言葉を囁かれる系とか……」
「甘い言葉……」
「ほ、ほら……す、好き、とか」
「………………」
「は、ははは!ごめんごめん!キモかったよな!お、俺も男だからさ!そ、そういうのはやっぱ興味あって……」
「……耳舐め、いいですよ」
「え……?」
「いいですよ、先輩。ゆず、耳舐めしますよ」
「ええ!?い、いや、さすがに……それは……」
「ゆずは、全然嫌じゃないですから。遠慮、しないでください」
「そ、そんな……」
「………………」
「………………」
「え、えっと……」
「………………」
「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……お願いしても、いい?」
「……はい」
俺はごくりと生唾を飲んで、ベッドに座り直した。
心音が激しくなってきて、呼吸も荒くなってきた。
(やばいなこれは……。ドキドキどころじゃないぞ……)
胸の中をくすぐられているかのような、妙な高揚に襲われる。
心を落ち着かせるために、なんとか呼吸を整えようと必死になる。
「……それじゃあ、やりますね」
右の耳元で、彼女の小さな声が囁かれる。それに俺はこくりと頷いて、眼をぎゅっと閉じた。
「……ふう」
まず彼女は、耳に向かって吐息を吹きかけた。
あたたかい息が耳に当たって、ぞくぞくっと身体が震える。
……ぴと
(あっ……)
耳に、彼女の舌が触れた。
柔らかい舌は、耳をゆっくりと舐めていき、全体をほんのりと濡らしていった。
(う、うう……!)
俺の左手が、自ずと握り締められる。掴まれているシーツに、ぎゅっとしわが寄る。
ちゃぷ、ぷ
ぴちゅ
丹念に丹念に、耳が濡らされていく。その途中で、彼女の「はあっ……」という呼吸音が、鼓膜をくすぐる。
「先輩……」
「………………」
「中村、先輩……」
「………………」
彼女は耳元で、俺の名前を何度も囁く。その声はどこか上ずっていて、興奮しているように聞こえた。
「………………」
全身が、燃えるように熱かった。
ひょっとすると湯気が立っているんじゃないかと思うほどに、全身の皮膚がチリチリと焦げていた。
(や、やばい……これ以上は、やばい……!)
ちゃぷ、ぴちゃ
くちゅ、ちゅ
(止めないと、ここらで止めないと……!)
ねぷ、ぬぷ
ぴちゅ
(理性が飛ぶ……!飛ぶ!飛ぶ!飛んでしまう!)
「……先輩、先輩」
──好き。
「!?」
バッ!!
俺はあまりの衝撃に、彼女から直ぐ様距離を置いた。
「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!」
ばくんばくんと激しく跳ねる心臓が、痛みを感じるほどに脈打っていた。
「…………あ」
長谷川は顔を真っ赤にして、慌てて俺に弁解してきた。
「ち、違うんです!先輩!こ、こ、これは!その……!」
「………………」
「シ、シチュエーションというか!ほら!あの!先輩が甘い言葉系のASMRも好きだって言ってたから!だ、だから!それやったら……!先輩が、その、喜ぶかなって……!」
「………………」
「つまり!先輩が好きだから言ったわけじゃなくて……!そ、その!先輩が喜ぶのをしたくて……!あ!えーっと!だからって先輩が嫌いなわけじゃなくて!つまり、だから、その……!」
「そ、そうだよな!お、おう!もちろん分かってるさ!」
俺はそう言って納得したような素振りを見せていたが、内心はとんでもない嵐が吹き荒れていた。
身体はずーっと火照っていて、落ち着きそうになかった。
「ご、ごめんな!変なことさせて!大変だったよな!」
「い、いえ、ゆずは全然、だ、大丈夫です!むしろ、ゆずの方こそごめんなさい!」
「は、ははは……!」
「え、えへへ……!」
「………………」
「………………」
……変な空気になってしまった。
お互いに顔をうつむかせて、何も言えなくなってしまった。
ああ、俺はアホだ。一時の欲望に流されて、長谷川を利用してしまった。彼女は立場上、俺の頼みを断りにくいんだから、長谷川に頼むのはやっぱり良くなかった……。
自分で思っていた以上に、欲求が溜まっているのかも知れない。きちんと適度に欲求を発散しないと、また長谷川に迷惑をかけてしまう。
「………………」
こんなもの、なくなってしまえばいいのに。
性欲なんて、消えてしまえばいいのに。
長谷川や、他のみんなに迷惑をかけてしまうくらいなら、こんなもの……。
「……先輩?」
隣にいる長谷川が、心配そうな声色で俺に話しかける。
「……あの」
「………………」
「……先輩、どうしたんですか?どうしてそんな、険しい顔を……」
「……ごめんな」
「え?」
「嫌なことさせて、ごめんな」
「そ、そんな、ゆずは嫌だなんて……」
「………………」
この時ほど、自分が男であることを呪ったことはなかった。
性欲という……生物としての本能が、心底憎かった。
長谷川を自慰行為の道具のような扱いをした自分に、つくづく嫌気がさした。
「………………」
美術の時間に描いた、俺の絵が脳裏に浮かんできた。
醜く汚い、俺の似顔絵。
俺という男の、穢れた似顔絵……。