メスガキちゃんを命がけで助けたら右腕がなくなった   作:崖の上のジェントルメン

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15.春休み

 

 

 

……ちゅん、ちゅんちゅん

 

小鳥のさえずりが、微かに窓の外から聞こえてくる。

 

俺は朧気な意識の中、その声を耳にし、眠りから目覚める。

 

「ふぁ……あ……」

 

大きなあくびをすると、目に涙が滲み、視界がぼやける。その涙を左手で拭ってから、むくりと起き上がる。

 

隣では、まだすやすやと長谷川が寝ていた。こちらに身体を向けて、細い寝息を立てている。

 

「………………」

 

こうして改めて見ると、やはり彼女は可愛い。丸い輪郭に、小さな鼻先、あどけない唇。まさしく少女という単語が彼女にはぴったりだった。

 

「……ん」

 

長谷川は目をごしごしと擦って、うっすらと眼を開けた。そして、朝の掠れた声で「先輩、おはようございます……」と呟いた。

 

「ああ、おはよう長谷川」

 

「どうしました……?ゆずのこと、見てましたよね?」

 

「え?ああ……まあ……」

 

「もしかして、ベッドから降りるのに、邪魔でしたか?どきましょうか?」

 

「いや、大丈夫大丈夫。ちょっと……ぼーっとしてただけだから」

 

そう言って、俺はなんとか答えを濁した。長谷川が可愛くてじっと見ていたなんて、さすがに恥ずかしくて言えなかった。

 

こうして、俺と長谷川の……春休み初日が始まった。

 

 

 

 

 

 

……カチャ、カチャカチャ

 

一階の食卓で、俺、長谷川、そして父さんと母さんの四人で朝ご飯を食べていた。

 

今日のメニューは、炊きたてのご飯に、豆腐と大根の味噌汁、そして昨日の夕飯の残りである酢豚が少しと、卵焼きだった。

 

ただ俺のメニューだけは、母さんが特別におにぎりを作ってくれた。それから、おかずもサイズを大きくしてくれて、箸で掴めずとも、刺して食べれるようにしてくれていた。

 

「………………」

 

長谷川はまだ四人で食べることに慣れていないらしく、少しそわそわしていた。

 

そんな彼女を横で見ていると、俺もなんだか緊張が伝播してしまって、落ち着かなかった。

 

「礼仁郎も長谷川さんも、今日から春休みか?」

 

父さんからそう話を振られて、俺は「うん」と返した。長谷川の方も緊張気味に「はい」と答えていた。

 

「そうかそうか。なら、のんびり過ごすといい。長谷川さんも、家に帰りたい時があったら、遠慮なく言ってくれて構わないからな」

 

「あ、ありがとうございます。でも……ゆずは、大丈夫です。先輩のそばにいます」

 

「そうか、いつも礼仁郎のためにすまないね」

 

「いえ、そんなこと……」

 

父さんと長谷川の会話に、母さんが加わった。

 

「長谷川さん、礼仁郎と一緒の部屋なのは、本当によかったの?着替えの時とか大丈夫?」

 

「あ、はい。それぞれ時間をずらして着替えてますから」

 

「そう。もしどうしても一人の部屋が欲しかったら、言ってちょうだいね?今物置になっちゃってる部屋を片せば、お部屋として渡せると思うから」

 

「ありがとうございます。でも、ほんとにゆずは大丈夫です。先輩のお世話のために住まわせてもらってるんですから、一人の部屋を貰うなんて……」

 

と、そこまで言ってから、彼女はハッとした顔で、俺の方を見た。

 

「あ、で、でも、もし先輩が嫌だったら……その、違うところで寝ますから」

 

「ええ?いやいや、俺は全然平気だよ。俺の方こそごめんな。着替えの時とか気を遣わせちまって」

 

「いえ、全然ゆずは……大丈夫ですから」

 

彼女が住み始めてから、まだ1ヶ月も経っていない。お互いにどこかギクシャクした感じが残ってしまっている。

 

もう少し、この四人がフランクに話せるようになれたらいいなと……そんな風に思っていた。

 

 

 

「……ごちそうさま」

 

俺は拙いながらも、なんとか箸でご飯を食べ切れた。

 

「礼仁郎、あなたお箸の使い方、上手になったわね」

 

母さんはにっこりと笑って、俺にそう言った。俺はちょっと照れ臭くなりながらも、「うん」と答えた。

 

先にご飯を食べ終えていた長谷川は、台所で自分の食べた食器を洗っていた。

 

「長谷川、食べるの遅くなってごめんな。部屋に行こうぜ」

 

俺がそう言うと、長谷川は「はい」と言って、水道を止め、タタタタと小走りで俺の元へとやって来た。

 

そうして、俺と長谷川が二階へ戻ろうとした時。

 

「ああ、礼仁郎、すまんな。ちょっといいか?」

 

父さんから、手招きされて呼び止められた。「なに?」と返してみると、「渡したいものがある」と父さんは言った。

 

「渡したいもの?俺に?」

 

「ああ、とりあえず、俺の部屋に来てくれるか?」

 

「いいけど……なんなの?渡したいものって」

 

「まあまあ、それは現物を見てからのお楽しみだ」

 

「………………」

 

「ああ、長谷川さん、君は先に二階に行っててもらえるか?ちょっと礼仁郎と……男だけの秘密があってな」

 

「は、はあ……わかりました」

 

俺も長谷川も、何がなんだか分からなかったけど、とにかく父さんに言われた通りに、長谷川は先に二階へ、俺は父さんの部屋へと向かった。

 

 

……父さんの部屋は、お世辞にも綺麗とは言えなかった。

 

机の上には飲みかけのコーヒーがあったり、何かよく分からない書類が散乱していて、椅子の背もたれには、くたびれた背広が乱雑にかかっていた。

 

本棚には本が大量にあって、そのほとんどが釣りと宇宙に関するものばかりだった。

 

部屋の隅には、釣り道具が置いてあった。これだけは綺麗に整頓されて、道具もひとつひとつが手入れされていた。

 

「さてさて、礼仁郎くんよ。お前にいいものをやろう」

 

父さんはニヤニヤと口角を上げながら、本棚の奥からごそごそと何かを取り出した。

 

「なんだよ父さん、ずいぶんと含みを持たせた言い方をして。本当に長谷川もいちゃいけなかったのか?」

 

「いやな、さすがに“これ”を渡すとなると、女人厳禁だと思ってな」

 

そう言って、父さんはある雑誌を俺に見せてきた。

 

「………………」

 

それは、エロ本だった。

 

スタイル抜群の女性が、扇情的なポーズを取ってこちらを見つめている表紙だった。

 

「ちょ、ちょっと父さん……!なにかと思って来てみたら、エロ本かよ!」

 

「いやな、お前も長谷川さんと四六時中一緒だと、なにぶん“溜まる”だろうと思ってな?ほれ、俺の部屋の、この本棚に隠しておくから、欲しい時は取りに来なさい」

 

「止めてくれよ!こ、こちとら思春期なんだぜ!?そーゆーのはもっとオブラートにさあ!」

 

「はははは!すまんすまん!冗談だよ!」

 

父さんはひとしきり笑った後、エロ本をまた本棚に戻した。

 

「実は、お前とちょっと話がしたくてな」

 

「話?」

 

「ああ、長谷川さんについてだ」

 

「………………」

 

「どうだ?彼女の様子は。いつもどんな感じなのか、聞きたくてな」

 

「どんなって……まあ、そうだな。いつも俺に気を使ってて、何かといろいろ世話を焼いてくれる。ありがたいなとは思うけど……」

 

 

『ゆずの人生を、歪ませて。先輩の手で、おかしくさせて』

 

 

「……それと同時に、凄く……いたたまれなくなる」

 

「………………」

 

「なあ父さん。もう長谷川のことを……許してやってくれないか?」

 

「………………」

 

「あいつはもう、十分過ぎるほど、俺に尽くしてくれている。これ以上ないほどに。だから……どうか長谷川を、家に帰してやって欲しい」

 

「……そうか」

 

父さんは何か考える素振りを見せた後、「そろそろ頃合いかもな」と、意味深な言葉を呟いた。

 

「礼仁郎、お前に今一度、話しておきたいことがある」

 

「な、なに?父さん」

 

「実はな、俺と母さんは、最初から長谷川さんに対して、そこまで怒ってはいないんだ」

 

「え?」

 

「正直に言うと、彼女がお前のために四六時中一緒にいて欲しいとは、俺も母さんも思っていない」

 

「え!?え!?そ、そうなの!?」

 

「ああ」

 

「で、でも、長谷川がこの家に来た時、父さんたち言ってたじゃん!長谷川に対して怒ってて、誠意を見せてほしいとかなんとかって……」

 

「そりゃ、事故ってからすぐの時はそう思ってたが、あの子、お前が入院中にいつも来てくれてたろ?それで、俺も母さんも、長谷川さんの誠意は感じられてたんだ」

 

「じゃあ……なんで、長谷川を家に……。彼女は、俺の世話をするために、めちゃくちゃ大変そうにしてるんだぜ?なんでそんなことを……」

 

「………………」

 

父さんはじっと、真剣な眼差しで俺を見つめた。そして、人差し指を立てて、口にそれを当ててから、「長谷川さんには言うなよ?」と前置きしてから話し始めた。

 

「まず、彼女をうちに招いたのには、ふたつの理由がある。でも、そのどちらもが、彼女のためだ」

 

「え……?」

 

「前にも言ったが、お前のお世話をしたいと申し出たのは、彼女の方だ。俺たちにそれを頼みに来た時の彼女の顔は……本当に悲惨だったよ。目には泣き腫らした跡があったし、黒々としたクマもあった」

 

「………………」

 

「あんな顔をされて頼まれたら、俺も母さんも断り切れなくてな。彼女の罪悪感を晴らすためにも、ここはあの子のやりたいようにさせてあげる方がいいだろうって、そう思ったんだよ」

 

「………………」

 

俺は、父さんの言葉に説得力を感じていた。確かに俺も、長谷川からお世話をさせる時、似たようなことを思っていたからだ。

 

大きな罪悪感を抱えているのであれば、あえてこちらが甘えて、少しでも罪悪感を晴らせるように気を遣う……。

 

「それとな、礼仁郎。その時の彼女の顔には、今言った悲惨さとは別の悲惨さがあってな」

 

「別の悲惨さ?それって一体……」

 

「……殴られた跡だ」

 

「!?」

 

「頬が、真っ赤に腫れててな。本当に痛そうだった。たぶんあれは、あの子のお母さんだな」

 

「………………」

 

「お前も見たことがあるんじゃないか?あの子のお母さんが、長谷川さんを殴っていたところを」

 

 

『なんでこんな時も!お前は一言だって謝れないの!?もう!お前は!お前は本当に!!』

 

『あんたがどれだけ!迷惑かけたか分かってるの!?あんたがどれだけ!どれだけ……!!』

 

 

「あ、あった……!確かにあった……!俺が事故ってすぐの頃、長谷川はお母さんからめちゃくちゃにビンタされてて……」

 

「な?俺と母さんのところに謝りに来た時も、もう酷いくらいに殴っててな。慌てて二人で止めに入ったんだよ」

 

「………………」

 

「もちろん、あっちのお母さんの気持ちも分かる。なにせ腕がなくなるほどの事故だからな。しかし……かと言って、あんなに殴るのは少し異常だと思う。だからもしかすると……彼女の家庭環境は、あまりよくないんじゃないかと、俺と母さんは考えたんだ」

 

「………………」

 

「ほら、さっき飯を食ってた時に、俺が『家に帰ってもいいよ』と話したけれど、長谷川さんは断っただろう?お前の世話のために残りたいっていうのもあるが、あの母親の元に帰りたくない……という気持ちも、少なからずある気がしてな」

 

「………………」

 

「もちろんこれは、こっちの推測でしかないんだがな」

 

「……ねえ、父さん」

 

「うん?」

 

「それなら、どうして最初の時に、長谷川を許してないっていう風に話したの?もう長谷川のことは許してくれてるなら、どうしてそのことを……」

 

「それじゃあ、彼女が納得しないさ」

 

「え?」

 

「長谷川さんは、とてつもなく大きい罪悪感を抱えている。それを安易に俺たちが許す方が、彼女にとっては苦しいのさ」

 

「………………」

 

「人の心というのは難しいもので、許して欲しいと思いながらも、簡単に許されると怖くなる。『本当は心の中ではまだ怒っているんじゃないか?』って、そんな疑心暗鬼が産まれてしまう。なぜなら、彼女自身が、自分のことを許していないからだ」

 

「………………」

 

「だから、しっかり時間をかけて、罪を償ったんだと自分でも思えるくらいになったら、その時ようやく、彼女は自分を許せる。そうしたら、俺も母さんも、本当のことを彼女へ話そうと思う」

 

「……父さん」

 

「時には許しよりも、罰が人を救うことがある。そういうことさ」

 

「………………」

 

「すまんな、長々と話しちまって」

 

そう言って父さんは、にっこりと笑って、俺の肩に手を置いた。

 

「それにしても、礼仁郎、お前は立派だな」

 

「え……?」

 

「腕がない自分の世話をしてもらうことよりも、彼女のことを案じて、家に帰して欲しいと言った。本当に立派だよ、礼仁郎」

 

「………………」

 

「何か困ったことがあったら、遠慮なく俺や母さんに相談しなさい」

 

「父さん……」

 

「もちろん、エロ方面の相談でもいいぞ?」

 

「い、いや、それは遠慮しておくわ。それに、俺は本派じゃなくて、動画派だし」

 

俺の言葉を聞いて、父さんは「はははは!現代っ子め!」と高らかに笑った。

 

 

 

「……あ、先輩。お帰りなさい」

 

部屋に戻ると、ベッドの上に座っていた長谷川が、そう言って俺を出迎えた。

 

「結局、先輩のパパさんが渡したいものって、なんだったんですか?」

 

「ん……ああ、えーと……ちょっとね」

 

俺は苦笑しながら、頭をカリカリと掻いた。

 

長谷川は頭にはてなマークを浮かべながら、首を傾げていた。

 

 

 

……その日、俺たちは久しぶりにのんびりとした1日を送った。

 

春休みの宿題をしたり、漫画を読んだり、スマホで動画を見たりと、気の張らない時間を過ごした。

 

「………………」

 

 

 

俺はふと耳掻きをしたくなった。

 

ベッドの上で寝転がりながら動画を見ていた俺は、上半身をむくりとお越し、床に座って漫画を読んでいた長谷川に「ごめん」と言って声をかけた。

 

「俺の机の上にさ、耳掻きがあると思うんだ。それを取ってくれないか?」

 

「あ、分かりました」

 

長谷川は本を床に置き、腰を上げて机にある耳掻きを取った。

 

「はい、先輩」

 

「おお、ありがとう」

 

長谷川が腕を伸ばして、俺に耳掻きを手渡そうとした。

 

「………………」

 

だが、彼女は途中で伸ばした手を止めると、また引っ込めてしまった。

 

「?どうしたんだ?長谷川」

 

彼女の行動の意図が掴めなかった俺は、そう問いかけてみた。すると長谷川は顔を上げて「ゆず、やりましょうか?」と告げた。

 

「ゆずが、先輩の耳掻き、しましょうか?」

 

「え?お、俺の耳掻きを?」

 

「はい」

 

「い、いやいや、いいよ。さすがにばっちいって」

 

「でも、先輩では右耳を掻くことができないですし……」

 

「あ……」

 

そうだ、確かに左腕だけでは、右耳を掻けない。どれだけ腕を伸ばしても、耳垢が取れる範囲は限られてくる。

 

「いいですよ、先輩。ゆずはこういう時のためにいるんですから」

 

「う、うーん……。分かった、じゃあ……お願いしてもいいか?」

 

「はい、もちろん」

 

長谷川はベッドに腰かけて、太ももの上に左手を置き、右手で耳掻きを持った。

 

「じゃあ先輩、この太ももを枕にしてください」

 

「あ、ああ……」

 

俺はおずおずと頭を横にし、右耳を上にした状態で寝転んだ。

 

彼女の柔らかな太ももが、俺の左の顔全体に当たる。きめこまやかなその肌は、まるでお豆腐のようだった。

 

「えっと、じゃあ……やりますね」

 

「お、おう……」

 

長谷川は耳掻きを俺の右耳に入れて、掻き始めた。

 

かり、かり

 

がさっ、がそっ

 

耳の中を掻かれている音がする。

 

今までは自分でするのが普通だったから、こうして人にしてもらうのは初めてだった。

 

「先輩、痛くないですか?」

 

「うん、大丈夫だよ」

 

ああ、結構気持ちいいな……。長らく耳掻きしてなかったから、ちょっと新鮮にすら感じる。

 

しかも、長谷川という美少女にしてもらえるというこの状況が……かなりドキドキする。

 

かり、かりかり

 

そぼ、ずそ

 

耳掻きをする時の音って、何とも言えない快感がある。事故の前は、こういう音フェチ動画(ASMR)を、眠る前によく聞いていた。

 

ちょっと照れ臭いけど、そういうのでエッチなやつなんかも聞いたりしてた。特に耳掻き系や耳舐め系が大好きで、ほんとに一時期は気が狂ったようにそれ系の動画を聞いてた。

 

だから、長谷川に今耳掻きをしてもらっているというのは、俺の密かな夢が叶ったような気がして、嬉しいやら恥ずかしいやらで、複雑な気持ちだった。

 

「……よし。先輩、次……反対側の耳、向けてくれますか?」

 

「分かった」

 

俺は身体の向きを変えて、今度は左耳を上にして横になった。

 

すると、今度は景色ががらりと変わって、彼女のお腹が目と鼻の先にあった。

 

(うっ……!こ、これは、刺激が強いぞ……)

 

長谷川の甘い香りが、鼻をくすぐる。同じボディーソープを使っているはずなのに、なんで長谷川はこんなにもいい匂いなんだろう。

 

「それじゃあ、やりますね」

 

「あ、ああ」

 

がさがさっ

 

ごそ、ごそ

 

(おおっ……!)

 

耳の奥を掻かれて、あまりの気持ちよさに思わずぶるっと背中が震えた。

 

(うーん、いいなあこれ……。リアルASMRだ……)

 

 

 

 

「……はい、終わりました」

 

しばらくしてから、彼女はそう言って耳掻きを終了した。

俺は膝枕から頭を上げて、「うー!」っと腕を伸ばして身体をほぐした。

 

「いやー!気持ちよかったー!ありがとうな長谷川、こんなことまでさせちゃって」

 

「いえいえ、ゆずは全然平気です」

 

「すごい気持ちよかったよ!俺、こういうのちょっと憧れてたから、余計に嬉しかったわ」

 

「憧れてた?耳掻きにですか?」

 

「あ……そ、そう。そうなんだよ」

 

うっかり自分が耳掻きに憧れてたことを口にしてしまった俺は、ちょっと後悔しつつも、吐いた唾は飲めないと諦めて、全部話すことにした。

 

「俺、音フェチが好きでさ、寝る前とかASMRをよく聞いてたりしたんだよな」

 

「あー、ゆずも時々聞きますよ。眠れない時とかにいいですよね」

 

「そうそう。俺、特に耳掻きしてもらう系のやつが好きだったから、今回のは凄い気持ちよかったよ」

 

「………………」

 

「ありがとな長谷川。もしよかったら、また今度してくれると嬉し……」

 

「他には」

 

「え?」

 

「他には、どんなシチュエーションが……好きなんですか?」

 

「………………」

 

長谷川は頬を赤く染めて……俺のことをじっと見ていた。

 

俺はそんな彼女から目が離せなくなって……「いや、えっと……」と、どもってしまった。

 

「ま、まあ……えっと、み、耳舐め……とか?」

 

「………………」

 

「後は、ちょっと甘い言葉を囁かれる系とか……」

 

「甘い言葉……」

 

「ほ、ほら……す、好き、とか」

 

「………………」

 

「は、ははは!ごめんごめん!キモかったよな!お、俺も男だからさ!そ、そういうのはやっぱ興味あって……」

 

「……耳舐め、いいですよ」

 

「え……?」

 

「いいですよ、先輩。ゆず、耳舐めしますよ」

 

「ええ!?い、いや、さすがに……それは……」

 

「ゆずは、全然嫌じゃないですから。遠慮、しないでください」

 

「そ、そんな……」

 

「………………」

 

「………………」

 

「え、えっと……」

 

「………………」

 

「じゃ、じゃあ、ちょっとだけ……お願いしても、いい?」

 

「……はい」

 

俺はごくりと生唾を飲んで、ベッドに座り直した。

 

心音が激しくなってきて、呼吸も荒くなってきた。

 

(やばいなこれは……。ドキドキどころじゃないぞ……)

 

胸の中をくすぐられているかのような、妙な高揚に襲われる。

 

心を落ち着かせるために、なんとか呼吸を整えようと必死になる。

 

「……それじゃあ、やりますね」

 

右の耳元で、彼女の小さな声が囁かれる。それに俺はこくりと頷いて、眼をぎゅっと閉じた。

 

「……ふう」

 

まず彼女は、耳に向かって吐息を吹きかけた。

 

あたたかい息が耳に当たって、ぞくぞくっと身体が震える。

 

……ぴと

 

(あっ……)

 

耳に、彼女の舌が触れた。

 

柔らかい舌は、耳をゆっくりと舐めていき、全体をほんのりと濡らしていった。

 

(う、うう……!)

 

俺の左手が、自ずと握り締められる。掴まれているシーツに、ぎゅっとしわが寄る。

 

ちゃぷ、ぷ

 

ぴちゅ

 

丹念に丹念に、耳が濡らされていく。その途中で、彼女の「はあっ……」という呼吸音が、鼓膜をくすぐる。

 

「先輩……」

 

「………………」

 

「中村、先輩……」

 

「………………」

 

彼女は耳元で、俺の名前を何度も囁く。その声はどこか上ずっていて、興奮しているように聞こえた。

 

「………………」

 

全身が、燃えるように熱かった。

 

ひょっとすると湯気が立っているんじゃないかと思うほどに、全身の皮膚がチリチリと焦げていた。

 

(や、やばい……これ以上は、やばい……!)

 

ちゃぷ、ぴちゃ

 

くちゅ、ちゅ

 

(止めないと、ここらで止めないと……!)

 

ねぷ、ぬぷ

 

ぴちゅ

 

(理性が飛ぶ……!飛ぶ!飛ぶ!飛んでしまう!)

 

「……先輩、先輩」

 

 

 

 

──好き。

 

 

 

 

「!?」

 

バッ!!

 

俺はあまりの衝撃に、彼女から直ぐ様距離を置いた。

 

「はあっ!はあっ!はあっ!はあっ!」

 

ばくんばくんと激しく跳ねる心臓が、痛みを感じるほどに脈打っていた。

 

「…………あ」

 

長谷川は顔を真っ赤にして、慌てて俺に弁解してきた。

 

「ち、違うんです!先輩!こ、こ、これは!その……!」

 

「………………」

 

「シ、シチュエーションというか!ほら!あの!先輩が甘い言葉系のASMRも好きだって言ってたから!だ、だから!それやったら……!先輩が、その、喜ぶかなって……!」

 

「………………」

 

「つまり!先輩が好きだから言ったわけじゃなくて……!そ、その!先輩が喜ぶのをしたくて……!あ!えーっと!だからって先輩が嫌いなわけじゃなくて!つまり、だから、その……!」

 

「そ、そうだよな!お、おう!もちろん分かってるさ!」

 

俺はそう言って納得したような素振りを見せていたが、内心はとんでもない嵐が吹き荒れていた。

 

身体はずーっと火照っていて、落ち着きそうになかった。

 

「ご、ごめんな!変なことさせて!大変だったよな!」

 

「い、いえ、ゆずは全然、だ、大丈夫です!むしろ、ゆずの方こそごめんなさい!」

 

「は、ははは……!」

 

「え、えへへ……!」

 

「………………」

 

「………………」

 

……変な空気になってしまった。

 

お互いに顔をうつむかせて、何も言えなくなってしまった。

 

ああ、俺はアホだ。一時の欲望に流されて、長谷川を利用してしまった。彼女は立場上、俺の頼みを断りにくいんだから、長谷川に頼むのはやっぱり良くなかった……。

 

自分で思っていた以上に、欲求が溜まっているのかも知れない。きちんと適度に欲求を発散しないと、また長谷川に迷惑をかけてしまう。

 

「………………」

 

こんなもの、なくなってしまえばいいのに。

 

性欲なんて、消えてしまえばいいのに。

 

長谷川や、他のみんなに迷惑をかけてしまうくらいなら、こんなもの……。

 

「……先輩?」

 

隣にいる長谷川が、心配そうな声色で俺に話しかける。

 

「……あの」

 

「………………」

「……先輩、どうしたんですか?どうしてそんな、険しい顔を……」

 

「……ごめんな」

 

「え?」

 

「嫌なことさせて、ごめんな」

 

「そ、そんな、ゆずは嫌だなんて……」

 

「………………」

 

この時ほど、自分が男であることを呪ったことはなかった。

 

性欲という……生物としての本能が、心底憎かった。

 

長谷川を自慰行為の道具のような扱いをした自分に、つくづく嫌気がさした。

「………………」

 

美術の時間に描いた、俺の絵が脳裏に浮かんできた。

 

醜く汚い、俺の似顔絵。

 

俺という男の、穢れた似顔絵……。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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