メスガキちゃんを命がけで助けたら右腕がなくなった   作:崖の上のジェントルメン

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17.今日1日だけ

 

 

 

「……中村ー!そっち行ったぞー!」

 

サッカーボールが、青い空に浮かんでいる。

 

俺は「よし!」と元気よく答えて、唇をぎゅっと噛み締め、ヘディングをするために勢いよくジャンプした。

 

 

ガスっ!!

 

 

サッカーボールは、見事俺の“顔面”に炸裂した。

 

土と泥が、思い切り顔にこびりついた。

 

「うがーーーー!!いっっってーーーー!」

俺の絶叫が、辺りいっぱいに響き渡った。サッカーボールはまた宙に浮いて、青い空の向こうに跳んでいった。

 

 

 

 

 

……幸せになりたいと決めたあの日から、俺はいろいろなことに挑戦することにした。

 

こうして友人たちとお昼休みにサッカーをして遊ぶのも、その一環だった。

 

些細なことでも、楽しそうだな、やってみたいなと思ったなら、とりあえずやってみる。そんな前向きな気持ちを手に入れたかった。

 

今日1日を幸せに生きるためには、きっとそんな心構えが必要なんじゃないかって、そう思うから。

 

「ううう、いちちち……」

 

ボールをもろに食らった痛みに、俺は顔をしかめていた。左手で、赤くなった鼻の頭をさすっていた。

 

「大丈夫か?中村」

 

そう言って声をかけて来たのは、最近仲良くなった浅井くんだった。

 

俺は苦笑しながら「うん、平気だよ」と答えた。

 

「後から保健室に行っとけよ。少し冷やしてもらえ」

 

「い、いや、そんな大したものじゃないし……」

 

「対処はちゃんとしとけ。こういうのが後々尾を引くんだから」

 

「そ、そっか……。わかった。ありがとう、浅井くん」

 

「礼はいい。当然の話をしただけだ」

 

浅井くんはいつも眉をしかめてして、常時ムスッとした顔をしているけど、こうしてなんだかんだいつも気にかけてくれる。

 

顔が怖いから他の人からは敬遠されがちだけど、本当は優しい人なんだと俺は思う。

 

「うーすっ!」

 

「うわっ!?」

 

その時、俺の肩を突然組んでくる奴がいた。彼は丸岡という名前で、こいつも最近仲良くなった奴だった。

 

「おっとー!?顔面ヘディングの中村“さん”じゃないっすかー!こんちゃーす!」

 

「ちぇ、からかいに来やがったな丸岡!」

 

「そんなことねーってー!俺マジ中村さんのこと尊敬してるんでー!」

 

丸岡はひょっとこのように唇を尖らせて、眼を糸のように細めていた。こいつがこういう変顔をしながら話す時は、大抵俺をおちょくってる時だ。

 

「たくっ!相変わらずだる絡みするなあ丸岡は!」

 

「ひゅー!やってやるぜ“だる絡み”、目指してやんぜ“遥か高み”!チュクチュクチュー!チュクチュクチュー!」

 

丸岡は突然ラップ調になり、スクラッチの音を真似し始めた。

 

このように、丸岡は浅井くんとは真逆のお調子者キャラだった。ラップをこよなく愛し、何かある度にビートを刻んでくる。

 

癖の強い奴だなと思うが、一緒にいて楽しくなれる……明るくて気のいい友だちだった。

 

(なんか、この感じ久しぶりだな……)

 

 

『きゃははは!先輩ってばダサーい!』

 

 

「………………」

 

こういう時に、俺はふっと……昔の長谷川が頭に浮かんでくる。

 

今の彼女では絶対にあり得ない言葉と表情が……色褪せた光景として思い出される。

 

「う、いててて……」

 

ボールでぶつけた鼻先が、ズキズキと痛む。

 

やっぱり、ちゃんと保健室に行こう……と、そう思う昼下がりだった。

 

 

 

「あれ?中村くん、その鼻どうしたの?」

 

昼休みが終わって教室に帰ってきたところで、俺は倉崎さんからそう尋ねられた。

 

俺は絆創膏を貼っている鼻先を掻きながら、苦笑混じりに経緯を話した。

 

「いや、さっきサッカーやってたんだけど、ボールを顔面で受けちゃってさ」

 

「そうなの?大丈夫?」

 

「うん、保健室で絆創膏も貼ってもらったし、平気だよ」

 

「えー?絆創膏だけでいいの?鼻血は出てない?アザにはなってない?」

 

倉崎さんは心配そうに眉をひそめて、俺の前までやって来た。爪先を立てて背を伸ばし、顔をぐっと近づけて、俺の鼻をじーっと観察している。

 

目と鼻の先に彼女の顔があって、吐息が微かに俺の頬へかかっていた。

 

(う、な、なんか……距離、近いな……)

 

心配してくれる彼女の気持ちを裏切るような罪悪感があったけれど、俺は内心……この状況にドキドキしてしまっていた。

 

「……うーん、確かにアザにはなってないね」

 

彼女はひとしきり俺の鼻を見つめた後、そう言って爪先立ちを止めた。

 

「中村くん、あまり無理しないでね?もし痛くなったりしたら、氷とか借りてくるから」

 

「あ、ああ、ありがとう……」

 

俺以上に俺の身体を心配してくれている倉崎さんの言葉を聞いて、俺は少し恥ずかしくなった。

 

「あ、そうだ中村くん、今度の日曜日なんだけど、その日は何か予定ある?」

 

「日曜日?いや、別になにもないけど……」

 

「ほんと?よかったら、一緒に映画を観に行かない?」

 

「え?」

 

「私ね、その日クラスの友だちと映画を観に行く約束をしてるの。それで、中村くんも誘いたいなって思って」

 

「い、いいの?倉崎さんたち女子の間に、俺が割って入って……」

 

「うん、男子も何人か誘う予定だったの。それで、私は中村くんを誘いたくて」

 

「ああ、そういうことだったんだね。ありがとう、誘ってもらえて嬉しいよ」

 

うおお、なんか凄いな……。まさしく青春ならではのイベントって感じがする。

 

こういうのも、積極的に参加させてもらおう。楽しそうだと思ったら、躊躇わない。

 

「そうだ、倉崎さん。その日はなんの映画を観に行くの?」

 

「ほら、最近話題になってる、『恋が透明だったなら』ってやつ」

 

「あー、確かにCMか何かで見たような……。いいね、楽しみだ。俺も是非みんなで観たいな」

 

「うん!よかった!」

 

倉崎さんは眼を薄めて、本当に嬉しそうに笑った。

 

「中村くんが連れてきたい人も、誘ってくれていいからね」

 

「ほんと?じゃあ浅井くんとか、丸岡とかも誘っていいかな?」

 

「うん、もちろんだよ」

 

「ありがとう!わあ、楽しみだな~!こういうのいつぶり……」

 

……と、そこまで言いかけて、俺は言葉を止めてしまった。

 

上がっていた口角はゆっくりと下がり、高まっていたテンションはだんだんと落ちていった。

 

「………………」

 

俺の脳裏に浮かんでいたのは、長谷川のことだった。

 

彼女はいつだって、俺のそばにいる。だから俺がこの誘いに乗ると、自動的に長谷川もついてくることになる。

 

長谷川からしたら年上の、しかも面識のない奴らとの映画なんて、気まずくて仕方ないだろう。

 

それに、こういうイベントの時は、だいたいみんなでご飯を食べに行ったり、ゲーセンで遊んだりと、他にもいろいろやる流れになることが多い。その間、長谷川はずっと居心地の悪い状況に陥ってしまう……。

 

(……長谷川の気持ちを考えるなら、この誘いは、断るべきなんじゃないだろうか?)

 

俺の胸の中には、そんな想いが渦巻いていた。

 

自分ばっかりが楽しい思いをするのは、なんだかとてもずるいように感じた。

 

「……?中村くん、どうしたの?」

 

倉崎さんは首を傾げながら、俺にそう尋ねた。

 

「……ごめん、倉崎さん。俺……やっぱり行けないかも」

 

「え?ど、どうして?」

 

「………………」

 

「何か……用事でもあった?」

 

「いや、用事っていうか……その……」

 

俺は頭を掻きながら、口をもごもごさせて答えた。

 

「長谷川がさ……ちょっと、大変かなって」

 

「長谷川ちゃん?」

 

「うん」

 

「………………」

 

「長谷川はさ、ずっと俺のそばにいてくれるから、俺がみんなと遊んでると……一人、浮いちゃうよなって思って」

 

「………………」

 

「だから、ごめん。せっかく誘ってもらって申し訳ないんだけど、今回俺は……」

 

「やっぱり、優しいね」

 

「え?」

 

「中村くんは、やっぱり優しい」

 

突然そう言われた俺は、思わず倉崎さんの方へ目を向けた。

 

彼女は緩く微笑みながらも、どこか悲しそうな眼差しを持っていた。

 

「長谷川ちゃんのこと、そこまで考えてあげてるんだね」

 

「ま、まあ……。いつも彼女には、助けてもらってばかりだからね」

 

「……でもね、中村くん」

 

「うん?」

 

「その優しさは、長谷川ちゃんにとっては……苦しいかも知れないよ?」

 

「え?く、苦しい……?」

 

「うん」

 

「ど、どうして?」

 

「だって、自分のせいで……中村くんが楽しく遊べないんだって思っちゃうから」

 

「………………」

 

「もし私が長谷川ちゃんの立場だったら、そこは自分のことを気にせず……楽しく遊んでくれる方が、気が楽だと思うな」

 

「……倉崎さん」

 

「中村くんらしい優しさだとは思うけど、それはどうしても、自分が重荷になっているって感じちゃうんじゃないかな」

 

「………………」

 

……そうか。

 

いや、確かにそうかも知れない。

 

倉崎さんの言うとおり、もし自分が長谷川の立場だったら……そういう気遣いをされてしまうと、却って苦しいのかも。

 

自分を気にかけるせいで、好きなことができない……。そうとらえてしまう。

 

そういう意味では、そこは長谷川のことを気にしすぎず、俺がやりたいことを素直にやった方がいいのだろう。

 

(そうだ、俺は……決めたんじゃないか。楽しそうだと思ったら、躊躇わないって)

 

せっかくの決心を、危うく鈍らせてしまうところだった。

 

長谷川も一緒になって、みんなで楽しい1日になれるよう、俺が頑張ればいいだけの話じゃないか。

 

それに、遊びに来るみんなは、きっと優しい人たちばかりさ。倉崎さんは言わずもがな、浅井くんも丸岡もいい奴だし、倉崎さんの友だちもきっといい人に違いない。なんたって倉崎さんが友だちになるくらいの人なんだから。

 

その人たちのことを、信じればいい。きっと何も怖くないさ。

 

「倉崎さん、ありがとう」

 

「うん?」

 

「俺、ちょっと考えすぎてたよ」

 

「………………」

 

「今度の日曜日は……長谷川も誘いたい。いいかな?」

 

「……ふふふ、うん」

 

倉崎さんはにっこりと笑って、「もちろんだよ」と答えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……映画、ですか?」

 

放課後の16時頃。ゆずは家へと帰る途中で、先輩から今度の日曜日の予定について説明を受けていた。

 

「そうそう、倉崎さんから誘われてさ。クラスの友だち何人かと一緒に行こうって」

 

「………………」

 

「長谷川もさ、一緒に行かない?きっと楽しいと思うよ」

 

「……はい、ゆずはもちろん行きます。先輩のそばに、必ずいますから」

 

「よかった、ありがとう」

 

先輩は、いつになくニコニコしていた。

 

「ふふん、ふんふん♪」と鼻歌を歌っていて、上機嫌なのが丸分かりだった。

 

「………………」

 

夕暮れの光を背中に浴びて、黒い影がぬうっと前に伸びる。

 

ゆずと先輩はそれを踏みつけるようにして、アスファルトの上を歩いていく。

 

「先輩、今日はなんだかご機嫌ですね」

 

「ん?んー、そうだな。今日は確かに、楽しかったからね」

 

「楽しかった?」

 

「そうそう。お昼休みにはサッカーもできたし、日曜日は誘ってもらえたし、嬉しいことがいろいろあった」

 

「………………」

 

「長谷川、俺ね、これから頑張って幸せになりたいと思うんだ」

 

「……幸せに?」

 

「うん。楽しいと思うことは、躊躇わずにする。そんな風に生きたいんだ」

 

横断歩道にさしかかったゆずたちは、二人でならんでそこを歩いた。

 

先輩は大股になって、白い線のところだけを踏んで、横断歩道を渡っていた。

 

「腕を失ってから、俺は……自分が幸せになれないと思ってた」

 

「………………」

 

「未来は苦悩と絶望に満ちていて、生きることすら苦しいと思っていた」

 

「………………」

 

「でも……そうじゃない生き方が、きっと俺にもできる気がする。中村 久子さんが、強く幸せに生きられたように」

 

先輩はすっと、ゆずの方へ顔を向けた。そして、太陽のように優しい声で、こう言った。

 

 

 

「長谷川、いつも俺のために、ありがとうね」

 

 

 

「………………」

 

「みんなで一緒にさ、幸せになろうよ。今日1日が、いい日であることを祈ろうよ」

 

「……先輩」

 

「毎日幸せでありたいとか、そんな贅沢は言わない。今日、今日1日だけ、幸せでいよう」

 

「……はい」

 

ゆずは首を縦に振って、そう答えた。そして、先輩から目を逸らし、顔を下にうつむかせた…

 

「………………はい」

 

もう一度、ゆずは頷いた。今度はさっきよりも、ゆっくりと首を動かした。

 

「………………」

 

突然眼から、ぶわっと涙が溢れた。

 

大粒の雫がぽたぽたとアスファルトの上に落ちて、染みていった。

 

先輩にバレないように、声を上げず、嗚咽を出さず、息を殺して泣いていた。

 

「………………」

 

先輩。

 

先輩は、どうか幸せになってください。

 

先輩みたいにあったかい人が、幸せになれないなんて、そんなのゆず、許せない。

 

だから、先輩だけはどうか、幸せになって欲しい。

 

「………………」

 

でも、先輩。

 

ゆずも、幸せになっていいんでしょうか。

 

先輩は『みんなで幸せに』と言ってくれたけど……ゆずはそれに、加わっていいのでしょうか。

 

 

 

──先輩のことを傷つけたゆずなんかが、幸せになって……いいのでしょうか。

 

 

 

「……ふんふん、ふふふん♪」

 

上機嫌な先輩の背中が、夕焼けに当たって赤く光っている。

 

その暖かくて綺麗な背中を、ゆずは滲んだ瞳で見つめていた。

 

 

 

 

 

 

 

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