メスガキちゃんを命がけで助けたら右腕がなくなった   作:崖の上のジェントルメン

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4.すべてを隠したまま

 

 

 

……窓の外に見える木々たちは、すべての葉を散らせた後、また春に向けて新芽をつけていた。それに合わせるかのように、俺の身体も次第に良くなっていった。

 

幻肢痛が起きても、前に比べたら痛みが和らいできたし、腕がない違和感も少しずつ慣れてきた。

 

そうして、事故に遭ってから4ヶ月ほどが経った、3月5日。この日、俺はついに退院することができた。

 

もちろん、まだ二週間に一回程度は通院する必要があるが、それでも退院できるというのは、俺にとって大きな一歩だった。

 

「長いこと、お世話になりました」

 

夕方の五時頃。病院の駐車場にて、父さんと母さん、そして俺の三人で、見送りに来てくれたお医者さんや看護師さんたちに頭を下げた。

 

父さんの車に乗って、病院を後にする。4ヶ月ぶりに、街の風景を車の窓の外から眺めることができた。いつも見ていたはずの光景なのに、今の俺は観ているだけで無性にワクワクした。

 

「礼仁郎、今日の夜は何が食いたい?お前の好きなものを晩飯にしよう」

 

運転席に座る父さんが、弾んだ声でそう言った。

 

退院できてテンションが上がっていた俺は、「じゃあフランス料理のフルコース!」と、冗談めかしく叫んだ。

 

それを聞いた父さんと母さんは、声を上げて笑っていた。

 

「ははは、いいぞ礼仁郎。フランス料理、予約するか?」

 

まさかその冗談を真に受けられるとは思っていなかったので、俺は「いやいや父さん、冗談だよ!」と答えた。

 

「俺、フランス料理とかよく分かんないし。あ、じゃあラーメンとか久しぶりに食べたいかな」

 

「ラーメンでいいのか?せっかくの退院なんだから、もっといいものにしたらどうだ?」

 

「そうよ礼仁郎、遠慮しなくていいのよ?ほら、お寿司とかは?あなたお寿司好きでしょう?」

 

「いや、何て言うか……その~、俺の入院費とかさ、結構かかっちゃってるじゃん?それにこれからも俺、金かかる人生だろうし、二人にも迷惑かけるだろうし……」

 

「バカ、変なところで気を使うんじゃない。お前が食べたいものを言ってくれ」

「………………」

「なーに、これは先行投資だ。お前が大人になったら、よぼよぼになった俺と母さんの世話をさせるためのな!」

 

「な、なんだよそれ~!無償の愛じゃないのー!?」

 

「ははは!残念だが、そんなもんはない!恩着せがましく奢ってやろう!」

 

「ちぇ、現実は厳しいなあ」

 

「そうだ!だからな礼仁郎、何も遠慮するな。好きなものを、好きなだけ食え」

 

「………………」

 

もちろん、俺には分かっている。これが父さんなりの、優しさであることを。

 

俺は自分の右腕の方へと目をやった。長袖の中には何も通っていなくて、だらんと垂れていた。

 

「……じゃあ、寿司、食いたいかな」

 

俺が小さな声でそう言うと、父さんは嬉しそうに「よし!」と答えた。

 

「お前が入院している間に、いい店を見つけてな。まだ食べたことはないんだが、めちゃくちゃ旨いって評判でさ」

 

「………………」

 

「退院したら、三人で一緒に食べに行きたいなって、母さんと話してたんだ」

 

「……そっか」

 

助手席の方を見ると、母さんはすんすんと、涙ぐんで鼻をすすっていた。

 

俺は掠れるほどに小さな声で、「ありがと」と呟いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

……食事を終えた俺たち家族は、午後八時半過ぎに家へと帰りついた。

 

4ヶ月ぶりの我が家は、なんだかいつもより大きく見えた。二階建ての一軒家で、どこにでもある家だって思ってたけど、こうして帰ってくると、ちょっと胸にくるものがあった。

 

「ただいま」

 

玄関をあがって、ダイニングに向かう。そして、四角いテーブルの周りにある椅子に腰かけて、はあ~っと息を漏らす。

 

ああ、やっとここに帰ってきた。この空間に戻ってきた。

 

ようやくリラックスできた俺は、この瞬間に糸が切れたように身体が重くなり、目蓋が重くなってしまった。

 

「礼仁郎、ココア淹れるけど、飲む?」

 

母さんからそう言われて、俺は「うん、欲しい」と答えた。

 

「ふー……。おっ、もう八時半か。そろそろ“あの子”が来る時間じゃないか?」

 

父さんは俺の対面に座って、壁掛けの時計を見るなりそう呟いた。すると母さんは、「あら、ほんとね」と答えた。

 

「じゃあ、あの子の分のココアも用意しなきゃね」

 

「ああ、ありがとう」

 

「……あの子?父さん母さん、あの子って、誰の話?」

 

「ああ、礼仁郎にはまだ話してなかったか?実は今日からな、うちに住みたいって人が一人いるんだよ」

 

「ええ?な、なにそれ?急な話」

 

「本人からの強い要望でな。お前が退院する夜に来てくれって伝えてたんだよ」

 

「俺が退院する日……?」

 

ピンポーン

 

俺と父さんが話している最中に、玄関のインターホンが鳴り響いた。

 

「お、きっとあの子だぞ」

 

父さんは椅子から立ち上がり、玄関へと向かった。俺も誰か気になったため、父さんの後をついて行った。

 

ガチャッ、ギィ

 

玄関の扉を開けて外を見ると、キャリーバッグを持った一人の少女が立っていた。

 

それは、長谷川だった。

 

「え!?は、長谷川!?」

 

俺がそう叫ぶと、長谷川はぺこりとお辞儀した。

 

 

 

 

……四角テーブルの席に、俺たち家族三人と、長谷川が座っていた。

 

俺の右隣に長谷川が座り、俺の対面に父さん、そしてその隣に母さんといった配置だった。

 

それぞれの前には温かいココアが置かれており、白い湯気を立ち上らせていた。

 

「実はな、礼仁郎」

 

父さんは咳払いをひとつしてから、俺に経緯を話し始めた。

 

「この長谷川 ゆずさんがな、お前の介護をするために、この家に住まわせて欲しいって言ってきてな」

 

「俺の介護のため……?」

 

「ああ。これから24時間、付きっきりでいたいそうだ。お前の部屋に寝泊まりして、ずっと様子を見守りたいんだと」

 

「………………」

 

俺は顔を向けて、長谷川の横顔を見つめた。彼女はじっと顔をうつむかせて、ごくりと息を飲んだ後に、緊張した声色でこう言った。

 

「じ、自分勝手なお願いをして、ごめんなさい。ご飯とかは自分で用意しますし、電気代とか水道代とか、ちゃんとゆずが払いますから……」

 

「大丈夫よ、そこまでしなくても」

 

母さんは落ち着いた声でそう告げた。

 

「暮らしていく分の援助は、私の方もするから。それに、いくらかはあなたのお母さんが払って下さるって聞いてるわ」

 

「………………」

 

「だから、どうか礼仁郎のことをよろしくね」

 

「は、はい。精一杯、頑張ります」

 

長谷川はぎこちなく頭を下げていた。

 

(ま、まじかよ長谷川……。正直、ここまでやるとは思ってなかったな……)

 

「というわけでだ、今日からこの長谷川さんが家に住む。礼仁郎、何かあったらこの子を頼るといい」

 

「父さん……」

 

「正直に言うとな、礼仁郎。俺も母さんも、この長谷川さんって子に対して、あまりいい感情は持ってない」

 

「………………」

 

「この子は、お前の事故の原因になっている子だ。長谷川さんが不注意に道路へ出なければ、お前は事故に遭わずに済んだ。故意でないにしろ、そこは揺るがない事実だ」

 

「で、でも、一番悪いのは車の運転手だろう?酒飲んで運転してたんだし、道路の真ん中にいた長谷川に気がつかなかったんだし」

 

「確かにお前の言うとおり、その運転手が一番悪い。事実この人には、多額の賠償金を支払うよう要求するつもりだ」

 

「それなら長谷川は……」

 

「だがな、礼仁郎。こればっかりは理屈じゃない」

 

「………………」

 

「もちろん、長谷川さんが毎日毎日、お前のところへお見舞いに来てくれたのを知ってる。礼仁郎が命がけで助けようとした子なんだから、決して悪い子ではないんだろうと、俺も母さんもそんな風に思いたい。だが普段の彼女は、先輩であるお前のことを、いつもいじって笑っていたという話も……こっそりと聞いている」

 

「………………」

 

「端から見ると、ハラハラする行動や言動もしていたらしいな。お前を「ダサいダサい」って笑ったりはしょっちゅうだったとか。お前が許してくれてたからよかったものの、あの行動はいじめだって言われても反論しようがないってな」

 

「……それは、その」

 

ここで上手く長谷川をフォローできないところが、俺の詰めの甘いところだった。確かに長谷川からのいじりはかなり激しかったし、生意気なことを言われるのもめちゃくちゃ多かった。その事実に対して、俺は嘘をつけなかった。

 

「そんな子を助けるために、お前は腕を失った。親としてはこれ以上ないくらいに、悔しいものだよ。「なんでこんな子のために?」って、どうしても思ってしまう」

 

「父さん……」

 

「寛容な大人の対応じゃないのは、俺も分かってる。俺も母さんも、長谷川さんのような子どものことを憎みたくなんかない。だけど……どうしても、ここで「全部許します」とは、言い切れない俺たちがいる。胸にしこりが残ってしまう。だから今回、長谷川さんの誠意をきちんと感じるために、この話を承諾したんだ」

 

「………………」

 

「もちろん、彼女のことを不用意に邪険に扱ったり、憂さ晴らしに八つ当たりをしたりとか、そういうことはしない。だが誠意を認められるまでは、彼女には頑張ってもらいたいと思っている」

 

父さんは長谷川の方へ顔を向けて、「それじゃあ、これからよろしくね」と、言って頭を下げた。

 

長谷川もあわただしく頭を下げて、「はい、死ぬ気で頑張ります」と答えていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……えーっと、ここが俺の部屋だよ」

 

俺は長谷川を二階へと連れていき、自分の部屋の中に招き入れた。

 

勉強机に、漫画ばっかりが並んでる本棚。そしてウォークインクローゼットに、小さな四角いテーブルと座布団。ここが俺の城だった。

 

「……ごめんなさい、先輩。勝手にこんなことしてしまって」

 

「いや、まあ……びっくりはしたけど、長谷川は24時間付き添いたいって前から言ってたし、気持ちは無碍にしたくないからさ」

 

「………………」

 

「さて……と。じゃあ、今日からもよろしくな」

 

「はい」

 

「と言っても、もう今日は寝るだけだな。パジャマに着替えて寝ようか」

 

俺はクローゼットを開き、中にあるプラスチック製の棚の引き出しを開けて、そこに入っているパジャマを取り出した。

 

「あ、長谷川。悪いけど今から着替えるから、外に出ててもらえないか?」

 

「ううん、ゆず、します」

 

「え?」

 

「先輩の着替え、やります」

 

「え、ええ!?いやいやいや!大丈夫だって!着替えはできるよ!」

 

「お願いします、やらせてください……」

 

「う、うーん……」

 

長谷川は必死に懇願する瞳を、俺へと向けてくる。そのあまりにも真っ直ぐな目にやられて、俺は彼女に頼む他なかった。

 

「じゃあ、上のTシャツを脱がせますから、ばんざいしてください」

 

長谷川からそう指示されて、俺は腕と顎を上げた。

 

彼女は俺のTシャツをぐいっと脱がせて、それから上のパジャマを着せた。

 

ボタン式となっているため、首の下からお腹までのボタンを、長谷川はひとつずつ留めていく。

 

(な、なんか……人に着せてもらうって、小さい時以来かもな……)

 

幼稚園児の時とかは、母さんや幼稚園の先生から服を着せて貰うことはあった。まるでその時に戻ったかのような気がして、気恥ずかしかった。

 

「……よし、じゃあ次は下ですね。足を上げてください」

 

「え!?は、長谷川、下もやるのか!?」

 

「はい、もちろんです」

 

「………………」

 

彼女はベルトをカチャカチャと外してから、俺のズボンにあるチャックのつまみを指で挟み、じー……と下へおろした。

 

そして、ズボンがゆっくりとおろされていく。俺が履いていた黒のボクサーパンツが、完全に顕になる。

 

(やっべ~……!こ、後輩にパンツ見られんの、めちゃくちゃはずい……!)

 

ごくりと生唾を飲んで、右足を少し上げた。それによって、長谷川は俺のズボンを片方脱がすことができた。

「………………」

 

その作業をしている最中、長谷川はふと俺のパンツへ目を向けた。そして、頬を真っ赤にしながら、顔をうつむかせた。

 

「は、長谷川、その……無理しなくていいぞ?お前も……な?さすがに恥ずかしいだろう?」

 

「う、ううん。大丈夫……です」

 

長谷川は緊張した手付きで、俺からズボンを脱がさせていた。ベルトの金具がカチャカチャと鳴るのが、異様にエロく聞こえた。

 

「じゃあ、先輩。また足あげてください。パジャマ、履かせますから」

 

「お、おう」

 

そうして、俺がまた右足を上げて、長谷川がパジャマを着せようとしていた時……。

 

「う、うわっ!?」

 

俺は足が上手くパジャマに通らなくて、バランスを崩してしまった。

 

「きゃっ!」

 

勢いよく前に倒れ込んだことにより、長谷川を押し倒してしまった。

 

「い、いたた……。長谷川、ごめん、大丈夫か?」

 

「は、はい……」

 

目と鼻の先に、長谷川の顔がある。ばっちりと目があってしまい、お互いに気まずくなって目を逸らした。

 

「……ん?」

 

その時、俺は左手の手の平に、何か柔らかいものが触れていることに気がついた。

 

言葉にしがたい感触だった。柔らかくもあるけど、なにか板?のような固いものも当たっている。

 

自分が触れているものを確認するために、俺は手の平へと視線を移した。

 

「!?」

 

そこは、長谷川の胸の上だった。固いと思っていたのは、ブラジャーの感触だった。

 

「うわわわっ!!わりぃ!!」

 

俺はすぐに手をどかして、彼女に謝った。

 

「ま、まさか触っちまうとは思わなかった!」

 

「………………」

 

「ごめんな、今、ちょっとどくから……」

 

と、そう言って起き上がろうとしたその時。

 

長谷川が、俺の左手の手首を、両手で掴んだ。まるで起き上がなきでくれと、そう言わんばかりに。

 

「え?は、長谷川……?」

 

「……先輩は、え、えっちな気持ち、溜まってませんか?」

 

「え……?」

 

「病院生活も長かったですし、そ、そういう……欲求とか、溜まってませんか?」

 

長谷川は頬から耳まで赤く染めながら、俺の手を……自分の胸の上に置いた。そして、震える声で彼女は言った。

 

 

「もし、よかったら……ゆずの身体、使いますか?」

 

 

「………………」

 

その瞬間、ばくんっ!と俺の心臓がはね上がった。

 

全身の血液が凄まじいスピードで循環し、身体中が熱を帯びていた。

 

彼女は濡れた瞳で、じーっと俺のことを見つめていた。

 

「ゆず、胸おっきいし……先輩のこと、満足させてあげられるかなと思います」

 

長谷川の左手が伸びて、俺のパンツに触れていた。

 

そして、ゆっくりと彼女は、俺へ顔を近づけてきた。目を細めて、唇の先を少し尖らせていた。

 

「い、いや……ちょ、ちょっと、ちょっと待って」

 

「先輩の命令なら、ゆずはなんでも聞きますから、さ、“最後まで”しても……いいですよ?でも、ゆず初めてなんで、優しくしてもらえると……嬉しいです」

 

「ま、待ってって」

 

「もし妊娠したとしても、ゆずは先輩の責任にしませんから。ゆずが一人で……どうにかしますから。だから……いくらでもゆずのこと都合よく……」

 

「長谷川!頼む!待ってくれ!」

 

俺は彼女の肩を掴んで、そう叫んだ。長谷川はハッとした顔で、俺のことを見つめていた。

 

「長谷川……そういうことは俺じゃなくて、本当に好きな人としてくれ。な?」

 

「………………」

 

「自分のことを、蔑ろにしないで欲しい。俺のことを支えてくれるのは嬉しいけど、それでお前が傷つくのは、嫌だからさ……」

 

「………………」

 

「手を、離してくれるかい?」

 

「………………」

 

長谷川はその時、ようやく俺の左手を離してくれた。俺はゆっくりと立ち上がり、息をふうと吐いた。

 

長谷川も同じように立ち上がって、もじもじとうつむいていた。

 

「せ、先輩……。ごめんなさい。変なこと言っちゃって」

 

「ははは、いいよ。状況がちょっと特殊だし、混乱しちゃうよな」

 

「………………」

 

「さてと、もうパジャマのズボンは自分で履くよ。そして、もう眠ろうか」

 

「……はい」

 

「お前もパジャマあるだろ?俺、一旦部屋から出ておくから、その間に着替えなよ」

 

「はい」

 

そうして、俺と長谷川はパジャマに着替えて、この慌ただしい1日を終えようとしていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

……先輩の暗い部屋の中で、ゆずは先輩と背中合わせになって、一緒のベッドに寝ていた。

 

最初はゆずが床で寝るって言ったんだけど、先輩はさすがに申し訳ないって言って、ベッドの半分を貸してくれた。

 

そう言えば、病院でこうしてベッドを分けあったことがあったっけ。

 

「………………」

 

明日から先輩は、ようやく学校に復帰する。ゆずも一緒に登校して、先輩のサポートをしなきゃ。

 

学年が違うからクラスは別々になるけど、お昼休みとかは先輩のクラスに行って、お箸を代わりにゆずが使おう。

 

放課後の生徒会の活動も、ゆずが隣に座って、代筆したりしようかな。左手で字を書くのが慣れるまで、そういうのをした方がいいよね。

 

大変かも知れないけど、ゆずに弱音を吐く権利はない。

 

先輩は、ゆずの命を助けてくれた。その代償として、人生を歪めてしまった。

 

腕がなくなるというのは、人生が歪むのと同義。だからゆずは、この一生をかけて、先輩にお礼をしないといけない。

 

「………………」

 

ゆずは身体を起こして、後ろにいる先輩のことを見下ろした。

 

先輩はすーすーと寝息を立てて、穏やかに眠っていた。

 

 

『長谷川……そういうことは俺じゃなくて、本当に好きな人としてくれ。な?』

 

 

さっきの先輩の言葉が、ぼんやりと思い返される。

 

「…………先輩はやっぱり、先輩ですね」

 

口を薄く開いて、眠っている先輩の顔をじっと見つめた。

 

「………………」

 

ゆずは、ずっと独りぼっちだった。

 

シングルマザーだったママからは、全然構ってもらえなかった。いつも仕事が忙しいから、家にはいつもゆずだけだった。

 

ゆずが小さい頃、一人で家の近所を散歩していた時、道端で綺麗な石を拾ったことがあった。今にして思えばただの白い石なんだけど、当時はあまりにも綺麗だから、「きっとなんおく円もするすごい石なんだ!」と思った。

 

「きっとこれがあれば、ママはおしごとしなくてよくなる!ずっとおうちにいられる!」

 

そう考えたゆずは、ウキウキでその石を家に持って帰った。そして、寝室にいるママのところへ向かった。

 

その日はママはお休みの日で、朝からずっと寝ていた。そんなママの肩を揺らして、「ママ!みて!すっごいきれいな石だよ!」って話しかけた。

 

「きっと、なんおく円もするよ!もうママ、おしごとしなくていいんだよ!」

 

「………………」

 

「ねえ、ママ、おきて!ゆずのことみて!この石、きれいだよ!すごいんだよ!」

 

「………………」

 

堪忍袋の緒が切れたママは、ゆずのことを睨み付けて、すごい剣幕で怒鳴った。

 

「このバカ!なんで私が寝てるところを邪魔するの!?ママが疲れてることがわかんないの!?たかが石ごときで、私を起こさないでよ!」

 

そうして、ママはゆずが持っていた石を奪って、思い切り壁に投げつけた。

 

かんっ!と音を立てて、その石は欠けてしまった。

 

「さっさとあっち行って!もう入って来ないで!」

 

「………………」

 

「次入ってきたら、殴るからね!」

 

「………………」

 

そうして、ゆずは割れた石を持って、寝室から出ていった。

 

ゆずはお庭に一人で行って、泣きながら石のお墓を作った。その時は、石も生きていると思っていたから。

 

「………………」

 

ゆずは、ママから構ってもらえない。そういう不安が、小さい頃からずっとまとわりついてた。

 

ママから石の話を聞いてもらえなかったことが、当時は凄く哀しかった。だけど、その時にふっと、気がついたことがあった。

 

『ママは、ゆずから嫌なことをされたら、反応してくれる』

 

綺麗な石のお話は無視されるけど、起こされることには応えてくれる。

 

だから方法はなんでもいい。とにかくゆずが悪いことをすれば、またママは叱ってくれるんじゃないか。こっちを見てくれるんじゃないか。

 

それからはママの気を引くために、たくさんいたずらをするようになった。汚すなと言われた服を泥んこにしたり、わざとお皿を割ったりした。

 

「またゆずはそんなことして!なんで手のかかるようなことするの!」

 

そうして毎日毎日、ママから怒られた。でも、叱ってもらえるのが、ゆずには嬉しかった。

 

だってその間は、ママはお仕事に行かずに、ゆずのそばにいてくれるから。ゆずのことを見てくれるから。

 

そのコミュニケーションの取り方は、ママ以外にもやっていた。友だちの気を引くために、服の中に虫を入れたり、突然頭を叩いてみたりした。

 

「なんでまたそんなことするの!人様に迷惑をかけるなって、何回も言ってるでしょう!?」

 

もちろん、それでママからはこっぴどく叱られた。

 

「長谷川さん!どうしてそんなことするの!?」

 

「ゆずちゃんひどいよ~!わ~ん!」

 

先生からも友だちからも、そうやって怒られたり泣かれたりした。ゆずが何かをすることで、みんなが関わってくれた気がした。だからどんどん、エスカレートしてしまった。

 

でも、そんなことし続けたら、どんどん孤立していくのは明白だった。ゆずはどこにいても仲間はずれにされたし、声をかけても無視された。

 

そしていつしか、どんないたずらをしても、何も反応してもらえなくなった。ママからも、叱ってもらえなくなった。

 

もういよいよ、自分の居場所はどこにもないんだって、そう思った。

 

 

『こんのやろ~!今度と言う今度は怒ったぞー!』

 

 

……でも。

 

中村先輩だけは、ずっとゆずのことを、無視しないでいてくれた。

 

ゆずがやったいたずらに、いつも怒ってくれた。ゆずはそれが嬉しくて、ついつい、いつも先輩のことをからかったりしていた。ゆずのために困って欲しかったし、ゆずのために時間を使って欲しかった。

 

どんなことをしても、先輩はちゃんと叱ってくれた。突然口を聞かなくなったりしないし、無視しないでいてくれた。いつまでもゆずと……関係を持ってくれた。

 

そんな先輩の優しさに、ゆずは……ずっと甘えてしまった。

 

本当の気持ちを打ち明けようって、何回も思った。でもその度に恥ずかしくなって、いつものように先輩をからかうだけで終わってしまった。今までママや友だちに、『寂しいから構って』と素直に言えなかった逃げ癖が、身体に染み付いてしまっていた。

 

そのせいで……先輩は、人生が歪むほどの傷を負ってしまった。

 

「………………」

 

実は、ゆずにはひとつ、決めていることがある。

 

それは、先輩に好きな人ができたら、この付き添いを止めようということ。

 

だって、もし先輩に好きな人ができたら、絶対ゆずは邪魔になる。デートの最中とかにもゆずがいたら、おかしいことこの上ない。

 

だから、先輩にそういう人ができた時に、ようやくゆずはお役御免となる。

 

 

 

──そしてその後、ゆずは一人で死ぬんだ。

 

 

 

もちろん、自分の気持ちを先輩へ話すつもりは一切ない。だって、ゆずがこんな気持ちを持っちゃいけないから。こんな気持ちを先輩に抱くこと自体が、許されないことだから。

 

ゆずはこの先輩への気持ちを抱えたまま、死のうと思う。すべてを隠したまま、この世を去りたい。去らなきゃいけない。

 

「………………」

 

ゆずはベッドに横になって、先輩の背中に身体を向けた。ギシッっとベッドが軋む音がした。

 

「……ねえ、先輩」

 

眠っている先輩の背中に、ゆずは小さな声で語りかける。

 

「先輩だったら、きっと……ゆずが綺麗な石を持ってきたら、『綺麗だね、よかったね』って、言ってくれるんでしょうね……」

 

ゆずは先輩の背中にすっと鼻を近づけて、先輩の香りを少しだけ嗅いだ。

 

先輩らしい優しい匂いが、ゆずの鼻をくすぐって、思わず泣きそうになった。

 

その香りに包まれながら、ゆずはすっと目を閉じて、深い眠りの谷へと落ちていった。

 

 

 

 

 

 

 

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