あの後ハクアは落ち着きを取り戻し、死にそうな顔で帰っていった。
そして数日後、違法薬物撲滅のためにやってきたハクアは相変わらず姫騎士であった。
王国兵団を引き連れて、完璧な姿で指揮を執る。その感情の読み取れぬ表情からは、頼もしさすら感じていた。
ハクアは皆が想像する姫騎士の姿であり続け、まるで先日の出来事が夢物語かのようだった。
「ハクア様。恐らく残党は北地区の方に逃げ込んだかと思われます」
「……追います。王都を混乱に陥れた者は、全員捕らえる」
「はっ!」
それは悪を許さず正義を貫く、皆が望む姫騎士の姿だ。
何も知らなかったら、そのハクアの姿に憧れの念を抱いていたのは間違いない。
しかし彼女が本当は何を思っているかを知れば、その姿は痛々しく見えてくる。
グレイだけが、悲しげな表情でハクアを見つめていた。
「あの。協力、してくれる?」
「えっ。あ、ああ。もちろんだ。北地区にも顔は利く」
急に話しかけてきたハクアに慌てて返事をしつつ、グレイは意識を切り替える。
ギャング達の残党が逃げ込んだ北地区にもグレイは顔が利く故、ハクア達を連れて行かねばならない。
基本的にグレイの仕事は貧民街の住人との交渉だ。
勝手を知らぬハクア達がトラブルを起こさぬよう、グレイが間に入って話をする。
だからこそハクアのことを一番近くで見ることができた。
「標的を発見しました!」
「私が行く」
彼女は姫騎士であろうとする。
どれだけ辛くても、それがハクアの生き方だ。
その強さは尊敬するが、果てにあるのは潰れる未来だ。
だからグレイも、その背を追う。
「手伝おう」
「ありがとう」
今自分が少し手伝った程度で、何かが変わるとは思わない。しかし何もせず、見ているだけというのは嫌だった。
このまま何もしないというのは、ありえなかった。
「おら。待て!」
「ぐうっ!!」
二人の最強が協力すれば、貧民街のギャングなど小物でしかない。
王都を混乱に陥れたギャング共は、その恐ろしさを感じさせることなく次々捕まっていった。
「この糞グレイが! クリスタ人に寝返りやがって」
「汚い口を閉じろ。お前みたいなのがいるからまだまだ人種の問題が根強く残るんだよ!」
グレイに捕まり暴言をまき散らすギャングを、黙らせようとぶん殴る。
クリスタ人に差別主義者がいるように、マヌル人にも存在する。
こういう者が居るかぎり、人種の垣根というのはなかなか超えられないものだ。
「さて。こいつらで全員か?」
「多分。協力してくれて、ありがとう」
「俺達の問題でもある。こちらこそ助かった」
そう言ってグレイも礼を告げる。
ハクア達のおかげで貧民街の治安はずいぶんとよくなった。国家が干渉するだけでここまで変わるなら、もっと早く治安維持をして欲しかったものだ。
「ではハクア様。全員連行していきます!」
「うん。お願い」
「……グレイ殿も、協力感謝する」
そうして兵士達は流れるような連携で罪人達を連行していく。
兵士の言葉を聞けばわかる通り、この数日でグレイは王国兵団の者達とも仲良くなっていた。
共に戦い、その強さや性格が伝わったことで、当初あった軋轢なども解消された。
一部は複雑な感情を抱いている者もいるが、兵団とも繋がりができたと言えるだろう。
「今日もありがとう。また明日、来ると思う」
「ああ……お疲れ」
今日の任務を終えたハクアは、そう言って去って行こうとする。
結局最後までハクアは姫騎士だった。
その内にある思いを一切見せず、仮面を被って演じ続ける。それは彼女の醜態を見たグレイですら、先日のは見間違いかと思うほどだ。
しかしその背はとても寂しそうで、思わずグレイは手を伸ばした。
「……大丈夫か?」
「…………」
呟くように言ったグレイの言葉に、ハクアはふと足を止めた。
「……ううん。大丈夫じゃないよ」
ハクアは取り繕ろわなかった。
「ああ。だろうな」
グレイだから、ハクアは正直に告げていた。
振り向いたその顔は、先ほどまでの姫騎士のものではない。ハクアのものだ。
「……俺にできることがあったら言ってくれ」
「……あなたは、優しいね」
「別に。そうでもねえよ。見てられなかっただけだ」
グレイのその言葉に、ふとハクアの仮面が崩れたような気がした。
「……じゃあ、ちょっとだけ。ちょっとだけ、良い?」
ハクアは自分の弱い部分を見せていた。取り繕うことをやめて、グレイに全てをさらけ出して楽になりたい。そんな姿を見せている。
「……俺ができることがあれば何でもしてやるよ。まあ……家来るか? その仮面を外せるぐらい、もてなしてやるよ」
「良いの? ……うれ、しいな」
そう言ってハクアは、柔らかく笑っていた。その笑顔は、何かから解放されたがっているような、そんな微笑みだった。
◇
貧民街の住宅地。非常に入り組んだ路地裏の奥に、グレイの家はあった。
ハクアは姫騎士ではないその姿を誰にも見せたがらず、隠れ潜むようにグレイ宅へ移動する。足早に路地裏をかけるのは、どことなく背徳感があった。
「ここ……?」
「ああ。遠慮なく入れ」
その家は路地裏に佇む雰囲気のある家だった。植物が庭には多く置かれていて、隠れ家のように心を震わす外観をしている。
そんな家に、ハクアは招かれる。
ハクアにとって異性と一つ屋根の下で二人きりなど初めてのことで、緊張した面持ちでグレイの家に入っていた。
中に入ればとても綺麗に整頓されていて、物が少ない。
グレイの粗雑なイメージとは合わない家だ。
「一人暮らし?」
「ああ。親は死んだし。兄弟もいないし。ずっと一人だ。その椅子に座ってくれ」
「そうなんだ。ありがとう」
勧められた椅子に座り、部屋をキョロキョロと見渡す。とても物珍しそうな顔だ。
平民の家なんて初めてだろうし、異性の家というのは初めてだろう。そんなハクアを微笑ましく見つめながら、グレイは慣れた手つきで茶を入れる。
二つの茶をいれたグレイは、ハクアの対面に腰を下ろした。
「仲間以外招くことはないからなんか恥ずかしいな」
「ううん……いい、場所」
「そう言ってもらえると助かるよ」
男の一人暮らしと言われていまいち納得できないぐらい良い場所だ。
外観はお洒落は部屋は整頓されている。ハクアはまたキョロキョロと物珍しそうに見回した。
「調子はどうだ? ……無理してるだろ」
「うん……あんま、良くない。今日は、怖かったから」
「戦うのがか?」
「うん……」
先ほどの暴れ回った姿と一変するように、ハクアはコクリと頷いた。
あれほどの強さでギャング達を蹴散らしていたハクアも、その内側は非常に弱い。
簡単に倒せる相手であっても、戦いというのは怖いものだ。それに相手を傷つけるというのは、心優しきハクアにとって自分が傷つく以上に怖いことだった。
「グレイは、怖くないの?」
ハクアは震える手を押さえながら、そう問いかける。
その目に映るのは憧憬であり、戦い続け、みんなの英雄であろうとするグレイへの憧れがあった。
そんなハクアに、グレイは苦笑する。
「……昔は、怖かったな。ギャングに襲われることも沢山あって、その戦いは凄い怖かった」
「やっぱり……でも、今は怖そうじゃない」
「慣れ、だよ。慣れた。慣れたくなかったけど、そうするしかなかった。いちいち怖がってたら、仲間が死ぬ。今は何とも思わない」
「そっか。凄いね。私は慣れない。最初からずっと怖い。怖くて怖くて、たまらない」
顔を青くして、うつむきながらハクアは言う。その体は小さく震えていて、多くの争いの過去がその脳裏には過っているのだろう。
そんな痛々しい姿に、グレイは眉を顰める。
「私も、早く慣れたいな。そしたら、この苦しみも、なくなるかな」
「……そうだな。慣れたら、それが良いかもしれない」
「うん」
「でも、こんなの慣れない方が良いんだ」
ハクアの言葉を肯定しつつも、グレイは首を振った。
戦いの恐怖に慣れることは、確かに戦士にとって大切だろう。しかしグレイは、慣れた今だからこそそれを言う。
「戦いなんてくそったれだよ。どうしても誰かが傷ついて、死ぬんだ」
グレイは戦いを恐れないし、逃げることはない。だが戦いが素晴らしいものなんて思ったことはなかった。
戦闘なんて起こらない方が良いし、みんな笑顔で平和なのが一番良い。
しかし世界はそうなっていないから、守るために戦うしかなかった。それがグレイの戦う理由だ。
「あなたは、そう言うんだね」
「ああ。そうだな」
「とても、良いね」
グレイの言葉に、ハクアはほっと息をついていた。
やはりそう言いつつハクアも慣れたくなかったのだろう。ハクアの思いに、グレイの言葉が刺さるのだ。
本来出会うはずがなく、住む世界も違うのに、なぜかこの時間がハクアは一番安心できた。
張り詰めていた心が解けていくようで、お茶を飲むたびにすっと力が抜けていく。
そしてふと、ハクアはカップを置き、じっとグレイを見つめた。
何かを決意したように、小さく息を吸い込む。
「グレイ……」
「ん……っ」
ポツリと呟かれたのはグレイの名だ。
今までずっとあなたと言っていたのに、急にグレイの名前を呼ぶ。それに戸惑いというか、驚きをみせていた。
「ん。どうしたの?」
「あ、いや。それはこっちの台詞だろ。急に名前を呼んで」
「……別に、何でもないよ」
「そ、そうか」
ふるふるとハクアは首を横に振る。そしてただ名前を呼んだだけ、というのもグレイの心をからかうようだ。
別に他人から名を呼ばれることなんて普通のことなのに、ハクアだけはどうも違う。
白くて綺麗な瞳がじっとグレイを見つめていて、本当に美しい少女だ。
その儚くて消えてしまいそうな小さな体に、ハクアは多くを背負って苦しんでいる。そんな彼女にだけは、平常心でいられなかった。
「私のことも、姫騎士は、止めて」
そしてハクアはそんなことをグレイに言う。それにドキっとするのはグレイだ。
つまりハクアは呼び名を改めろと言うのだ。姫騎士とは簡単に呼べたのに、その真名を呼ぶことをなぜか躊躇してしまうのは男であるからか。
「それは、えっと……あー、ハクア?」
「ん。そう」
グレイが戸惑いながらそう呼べば、ハクアは満足そうに頷いた。
その笑顔はとても美しくて消えてしまいそうなほどに儚い。
「良いのかな……。ハクア様とかの方が良いか?」
「だめ。ハクア。様はいらない。今さら、なに言ってるの」
「んぐっ」
「グレイに礼儀とか、求めてない。すでに打ち首ぐらいの、態度取ってる」
「そ、そうか。それは、何か。すまん。もっと勉強しとくわ」
「良い。それが、私にとって心地よいから」
グレイにしてみればただ学がないだけだが、ハクアにとってはそれが心地よかった。
何も気負う必要がなく、姫騎士でなくても良い。その時間はグレイという存在の様々な要素によって生み出されたものだ。
ここで態度を改められると、全てが狂ってしまう。
「……はあ。ここ、良いね」
「ああ。なら良かった」
穏やかな時間が流れていた。
適当な会話をしたり、愚痴を吐いたり。傍から見れば何ともない普通の時間だが、ハクアにとっては特別だ。
ずっと張り詰めて生きてきたから、息が抜けるこの時間がとても良かった。
そして時は過ぎ去って、別れの時間はやってくる。
いつまでも一緒にはいられないもので、グレイはハクアを見送るために庭まで出る。
「また、来て良い?」
「ああ。いつでも来い。歓迎するよ」
「ふふ……ありがとう、グレイ」
グレイのその言葉に、ハクアは嬉しそうに微笑んでいた。
ずっと無表情だったハクアの顔に、喜の感情が浮かんでいる。
それはとても可愛らしくて、誰しもを魅了する笑顔であり、姫騎士のものではない。
ハクアという一人の少女が、心の底から笑ったような、そんな笑顔だった。
「……ハクア」
その笑顔に魅了されるのは、グレイとて例外ではない。
ふと口をつくように、ハクアの名前を呼んでいた。その瞳とぶつかり合うと、心臓が高鳴ってしまう。
「ん。どうしたの?」
「っ、何でもない。じゃあ、また今度な!!」
「……うん。またね」
グレイは慌てて訂正し、首を振る。しかし彼女への視線だけは逸れなかった。
姫騎士ではなく、ハクアという少女の微笑みに、グレイの視線は釘付けになってしまう。
そんなハクアは早く帰らねばと走ろうとして、ふと立ち止まる。
そして軽快な足取りで、またグレイの下に戻ってきた。
「ねえグレイ」
「な、なんだ? 急にどうした」
帰るのかと思った瞬間に戻ってきて上目遣いで見上げてくるハクアに、グレイの心臓はドキドキと鳴っている。
その瞳は、とても綺麗で、じっとグレイを見つめている。
そして数秒見つめ合い、ハクアはにこっと笑顔を見せた。
「ん……グレイの目は、とっても優しい」
「へっ? それだけ?」
「うん。またね」
本当にただそれだけだったらしい。ハクアはそう言って、足早に路地裏の奥へと消えていく。
グレイはその背を呆然と見送りながら、庭で立ち尽くしていた。
そして上を見て、右を見て、左を見て、呟く。
「……女の子ってズルいな」
ほんの少し見つめ合っただけで、こうして心を奪っていく。
逆を言えば男というのは浅ましいと言うべきか。グレイは小さく溜め息をついて、内に溢れるその思いを、強引に奥へと押し込んだ。