貧民街東地区。その外れにある小さな家が、医院であるという有名な話だ。
ぼったくりだが腕は良い。そんな場所であるからこそ、貧民街にあるというのに王都からも客が来る。
グレイもかつてはギャングから盗んだ金で仲間の治療もしてもらった縁ある場所で、そんな医院のベッドにグレイは寝転がっていた。
「いてえっ。もっとマシな治療はできないのか?」
「我慢しなよ。男だろグレイ」
「痛いもんは痛い。ヤブ医者!」
「ヤブじゃないってのに。生意気言うんじゃないよクソガキ!」
グレイとそんな言い合いをするのは、腰の曲がった老婆だった。
恐らく齢八十は超えているだろうが、元気にグレイと言い合いしている。
その距離感を見れば、両者が近しい関係であるというのは理解できるだろう。
老婆はベッドに寝転がった傷だらけのグレイを、バシバシ叩く。それを見ればグレイがヤブ医者と呼ぶのもわかる光景だが、不思議なことにグレイの傷はみるみるうちに治っていった。
「まったくボロボロだね。何してたんだい」
「別に。普通だ」
「普通でこんな傷ができるわけないだろ。いい加減にしな!」
医者である老婆の目から見て、グレイの傷は異常だ。
常に誰かのために戦うグレイであるが、ここ数年これほどの怪我を負った姿は見たことがない。
つまり無茶に無茶を重ねたということだ。
「グレイさん、凄い無茶な修行をしてたんですよ」
「へえ。それは本当かいセリア」
「おいセリア!」
グレイがなかなか言いたがらない怪我の理由を、側でサポートしていたセリアは簡単に暴露した。
口の軽い幼馴染に声を上げるが、セリアはクスクスとどこ吹く風だ。
「私としては、そんな無茶しないで欲しいです。それがグレイさんだってのはわかりますが、心配です」
「……誰の為だい?」
「好きな人のためです」
「へえ。クソガキだったあんたにも、そんな子ができたのかい」
セリアは全てを暴露し、老婆はグレイの恋愛模様に急に笑顔を見せて元気になる。
彼女の中ではグレイはまだまだ子供。そんなグレイが初めて見せた恋に、興味津々なのだろう。
そんな二人にジト目になるのがグレイだ。
言いたくなさそうだが、致し方なしと口を開いた。
「……はぁ。どうしても、強くならないといけないんだ」
「あんたほどの男がさらに上を目指すのかい?」
「どうしても届かないほど高見に、その花はある」
「詩的な表現だね」
グレイが怪我した理由を知ったからか、老婆は少し優しくなる。
恋する十八の青年に、親心のようなものでも感じたのだろう。
「セリア。今日は少し、治療について教えてやろう」
「良いんですか? ずっと何も教えてくれなかったのに」
「気まぐれさ。一流の治癒魔術師になりたいんだろう? 早く来な」
「は、はい」
老婆の呼びかけに、セリアはすぐさま走って来る。
しかし教材にされたグレイは複雑な顔だ。
元々ここにセリアがいるのは、グレイの付き添いとかではなくアルバイトのようなもの。
治癒の魔術を操るセリアは、凄腕ヤブ医者の老婆に教えを乞う為にここで働いていた。
しかし老婆が何かを教えてくれることはなく、月日は流れようやく今日だ。
どんな気まぐれかは知らないが、千載一遇のチャンスだとセリアは目を輝かせていた。
「結局あたしらは薬を使うわけじゃない。こうしてツボに術をかけてやれば体は勝手に治っていくのさ」
「なるほど」
「それはあんたの魔術であっても、あたしの
老婆はそう言って、バシバシとグレイの体を叩いた。
それは患者を傷つけているようだが、的確にツボを刺激して術を掛ける高等技術である。
これをセリアは学びたかった。故にここで働いている。
「腕は良いが乱暴だな。だからヤブ医者って言われるんだ」
「誰に何言われようとかまいやしないよ」
セリアに教授しながら治療を施し、酷い怪我をしていたグレイをあっという間に治してしまう。
傍から見ればヤブ医者の治療だが、その実態は一流の医者。
それが東地区に住む老婆の力だ。
「ふう……まあ、助かった。ありがとう」
「はっ。もう二度と無茶はするんじゃないよ」
全身を治癒されたグレイは、起き上がって伸びをする。
酷い怪我だったはずだがすっかり治っており、老婆の腕はやはり一流だ。
「こんな治癒の力を使いこなす
「いいや。あたしが凄いのさ」
「さすがの自信だ」
自信満々に笑う老婆の瞳は、黄色く輝いていた。
彼女はクリスタ人でもなければマヌル人でもない。かといって敵対しているアザール人でもない。
老婆は四人種の中でも治癒の力で有名な、クルル人という人種だった。
「四人種の中でも治癒に特化したあたしらクルル人。その中で最高峰の治癒の力、〝聖術〟を操るあたしの治療は高くつくよ」
「お婆さんの聖術本当に凄いですよ。治癒に特化した力だけあって、魔術の治癒とは効果が桁違いです」
「ああわかってる。いくらだ?」
「あんたとはいろいろあった。二十万でいいよ」
「持ってけ泥棒」
手持ちの金を全て老婆に渡し、グレイは溜息をつく。
これが無茶をした代償であり、恋心によって暴走した果てだ。
思わぬ出費に顔をしかめるが、グレイは後悔をしていなかった。
「……また無茶すんのかい?」
「ここまではもうしない。……だけど、強くなる道を諦めない」
少しでもハクアに近づきたかった。
無駄なことだとわかっていても、身を焦がすような激情が立ち止まることを許してくれない。
あるいは何もしていなかったらどうにかなってしまいそうだから、無茶をして忘れようとしているという面もあるだろう。
つまりグレイは立ち止まれないのだ。
あまりに大きなものを無くしてしまったから。
「これ以上無茶するなら、治せるのはあたしぐらいだ。そしてあたしはまけてやるつもりはない。高くつくよ」
「ああ。問題ない」
老婆なりに無茶を止めようとそう言ったのだろうが、グレイには届かない。
フラフラと医院を出る姿は、とても哀れなものがあった。
「……失恋でもしたのかい?」
「それに近いものです。結構、叶わない恋をしちゃったんですよ」
「そうかい……」
どんな恋をしているかは詳しく聞かなかった。
首を突っ込めば恐ろしいことになると長く生きた経験が警鐘を鳴らす故だろう。
「まあ、若いとそういうこともあるさね」
そう言う老婆の眼差しには、とても暖かなものがあった。
若さを見せるグレイを馬鹿にはせず、見守るように優しい目だ。
「……お婆さんも何かあったんですか?」
「あたしが国を出て、こんな場所にいるのも若い頃いろいろあったからさ」
老婆はそう言って苦笑した。
クリスタ王国においてクルル人は差別対象ではないとはいえ、同族の居ない異国の地だ。
これほどの聖術の腕を持ちながら異国の貧民街にいるのは、それ相応の理由があるのだろう。
「下らない恋の果てに、あたしもここにいる。叶わない恋はするもんじゃないね。待っているのは不幸な未来さ」
「……そうですね。私もそう思います」
己自信が叶わぬ恋のなれの果てだから、セリアも強く頷いた。
しかし老婆はそう言いつつも笑っている。
「でもね。後悔はしていないんだ」
「…………そうなんですか?」
「ああ。だからグレイの気持ちも、わかるつもりだよ」
老婆はそう言って溜め息をついた。
そして黄色の瞳でグレイが寝ていたベッドを見つめる。
「気持ちはわかるけど、待っているのは不幸な未来。グレイは大丈夫かね」
「グレイさんは大丈夫ですよ」
「そうかい?」
「はい! 私達のヒーローですから」
老婆が心配する一方で、セリアは心配していなかった。
それがグレイの積み上げた信頼であり、絶対的な強さだ。
「叶わない恋はすべきじゃないです。でもあの人なら、みんなができないことも、成し遂げてくれるはずです!」
どんな困難も跳ね除けてきた彼を、幼馴染は信頼していた。