――「グレイ。君は本当に強いなあ」
ずっと昔、師匠から告げられたその台詞だけはよく覚えている。
師はとても強い人だった。だというのに、事あるごとにグレイこそが最強だと言っていた。
当時からまだ十代前半の若造に何を言うかと思っていたが、確かにグレイは年齢からは考えられぬほど強かったのは間違いない。
十歳でギャング相手に戦えたほどだ。その強さに惚れたから、師匠は様々なことを教えてくれたのだろう。
「別に、そんな強くないだろ。師匠の方が強いし。姫騎士って奴は、同い年なのにバケモンだと聞くぜ」
「違うよグレイ。姫騎士は例外だ」
師匠はグレイが否定するたびに首を振る。
「彼女は同じと考えてはいけない。クリスタ人という枠組で考えることすら危険だ」
「そうなのか。よくわかんねえな」
師匠はそう言うが、そもそも姫騎士に会ったことはなく、その活躍を伝え聞いた程度。師匠の言葉も、あまりよくわからなかった。
「姫騎士の存在は理解ができるよ。しかしね、君だよグレイ。僕は君の存在は理解できないんだ」
「なんでだよ。俺はここにいるぞ」
「そういう意味ではない。マヌル人でありながら、その枠組みを飛び越えようとしている。そもそも人ではない姫騎士とは対極を成す存在だ」
「……?」
「この世界の特異点は姫騎士ではない。君だよグレイ。僕はそう思う」
「何言ってんだよ。わけわかんねえ」
学のないグレイは、師匠の難しい話はよくわからない。
ただグレイのことを酷く買いかぶっていて、期待しているというのだけわかった。
そこまで自分を特別視していないグレイにとっては、気持ちの悪い評価だ。
「
「そうかー。じゃあ忘れる」
お勉強は嫌いだ。師匠の難しい話はすぐ忘れて、グレイは剣を握った。
「俺は強くなりたいんだ。みんなを守れるぐらい強くな!」
実体の伴っていない評価など意味が無い。グレイは今、仲間を守れる確かな強さが欲しいのだ。
そのために師匠へ懇願する。
「グレイは最強になれるよ。でも、今はそこへたどり着けないね」
「何でだよ」
「足りないんだよ。グレイには」
「足りないって?」
「渇望さ」
師匠は鋭い瞳でグレイを見つめ、ニヤリと口角を上げて答えた。
非常にシンプルな一単語であるが、とても重い感情がこめられている。
「グレイにはね、ただただ強さを求める渇望がたりない」
「何でだよ。仲間を守れる強さが俺は欲しい!」
「そうだね。でもグレイは、戦いを素晴らしいものだと思っていない。手段の一つと捉えているんだ」
その言葉は、グレイの本質を突いていた。
幼いグレイは首を傾げるが、師匠は止まることなく口を開く。
「戦うことは躊躇はしない。しかし戦わずに同じ結果が出るなら戦いを避けるし、交渉や取り引きもする。僕が求めるのはただ強さだけを求める渇望だよ。グレイが強さを一つの手段と捉えているうちは、最強にはなれないね」
「……そうなのか」
確かにそうだろう。グレイの強者への思いは、師匠が望む水準に達していない。
師は渇いた喉が、水を求めるほどの渇望を求めているのだ。
グレイはそんなものを、持っていなかった。
「まあでも鍛えはするよ。君はいずれ強くなりたくてたまらなくなる。その時までは……まあ適当にやっていこうか」
「なんだよそれ。まあ強くなれるならそれで良いけど――」
そんな会話をしたのはもう七年は前だろう。
ずっと忘れていたのに、ふと今思い出してしまった。
師匠が言うその時は、まだやってきていない。
しかしグレイは、十八で恐ろしいほど強くなった。
貧民街で並ぶ者なし。ハクアはその強さを、騎士団長と同等と評した。
師匠の言葉通り、グレイは強かったのだ。
しかし――最強ではない。
世界を見れば、並び立つ者が多く居るし、上を見れば遙か彼方に姫騎士ハクアがいる。
グレイは未だ道半ば。師匠が視た最強の姿はまだ見えない――
◇
「ふはははは……なるほど。お前は確かに強いな」
貧民街より離れた人気のない平野。
そこでグレイと男は剣を打ち合った。
グレイの剣と、男の大剣。二回りは違う武器の打ち合いで、平野の空気が揺れていた。
その一合で、互いに実力を認識する。
「……お前もな」
この男は、纏うオーラの通りに強者であった。
グレイと互角に打ち合える個など、そうそういるはずがない。
彼がハクア絡みの襲撃者であるならば、その候補は絞られていく。
これほどの腕前を持つならば、最も可能性が高いのは――
「――騎士団長」
それしかない。
「はっ! 『火炎剣』」
男は答えなかった。
代わりに大剣が燃え上がり、グレイへと迫る。
「火が有名な騎士団長……確か第二騎士団団長。アバン……だったか」
「ほお。……なるほど、バレてしまったか」
顔は知らぬが、グレイはかつてお勉強した内容を必死に思い出し口にする。ゴーズから聞いた情報では、そんなのがあったはずだ。
そしてそこまで言えば、アバンは否定せず笑って肯定した。
「まあ隠しているわけではない。どうせ死ぬのだ。バレたところでどうってことはないな」
「おいおい騎士団長様が一平民を殺すってのはどういう了見だ? これは騎士団の理念に反することのはずだぞ」
騎士は国家のために尽くす者。無論罪なき国民を傷つけることは、規律で許されていない。
奴隷から解放された時、法律上は国民となったマヌル人もそれは例外ではないのだ。
「……犯罪者は国民ではない。王族を誑かし、国家の転覆を謀ったその罪は死刑すら生温い」
「っそれは飛躍しすぎだろ!」
「否! ハクア様は王国の剣。それをマヌル人の汚い手を触れようなど、国家の転覆を狙っていると断言できるだろう」
「…………」
グレイはその言葉に、顔をしかめた。
飛躍した理論であるとはいえ、国家という権力はそれを簡単に正解に変えてしまう。
やはりこれは、するべきでない恋だったのだ。
マヌル人とクリスタ人。平民と王族。そこにある差は、決して埋められるものではない。
わかっていたはずだ。わかっていて、それでもなおグレイは引き返さなかった。
「……言葉はもう通じないらしいな」
剣を構えて、アバンと対峙する。
「もう見捨てられないんだよ。ハクアが潰れて、消えていく未来は許せねえ」
「何を言っている。下らん妄言を吐くな!」
本当のハクアに気付いて、彼女の涙を見たその瞬間から、もう逃れられない恋が始まっているのだ。
たとえわかっていたとして、好きな女が心を壊して戦いながら、潰れるその未来は看過できない。
どんな未来が待っていたとしても、ハクアを捨てて逃げる未来はグレイになかった。
「はあ!!」
その剣には迷いがなかった。
「なっ」
「お前らは最後まで、ハクアを兵器としか見てないんだろ」
「何を言っている! ハクア様は大切な王国の剣だ!」
大剣と打ち合う度に、その衝撃で周囲の草花は散ってく。
この平野には、凡夫が立ち入ることを許さぬ凄まじい覇気が飛び交っていた。
「ああ――あいつの涙を、見たことがないらしいな」
「当たり前だ。俺達はハクア様を大切に扱う。しかし薄汚れたマヌル人は乱雑に扱い、ハクア様を泣かせてしまう。その涙は、お前が嫌だから流したものだ」
「そうかい。お前はハクアの、何を見てんだよ!」
彼の台詞を聞く度に、ハクアが本心をひた隠しにしていた理由がよくわかる。
こんな者達が多く居る場所で、とても脆い本当の自分をさらけ出すことなんてできるはずがないだろう。
「おかしなことばかり言う狂人の戯れ言には付き合ってられん。死ね!」
アバンはこれ以上会話は不要と、より攻撃を苛烈にした。
「ちっ……」
その攻撃は、グレイがしのげる範囲を徐々に超えていった。
大剣の一撃。そして、恐ろしい炎の攻撃だ。
「燃えろ。全て、骨すら残らず!」
その炎の魔術は、前に戦った騎士ガイデルの数段上。
彼の上司であることを考えれば当たり前だが、恐ろしいほどの練度である。
クリスタ王国の切り札たる騎士団長の実力を、グレイはその身で実感していた。
「どうした。弱いな。お前は強者だと聞いていたが、そこまでだな」
アバンの攻撃に、グレイは防戦一方だった。
大剣だけならばグレイが上だが、魔術も含めると圧倒的にアバンに分がある。
魔術というマヌル人が決して使えぬその力が、グレイとアバンの差を生み出していた。
「やはり間違いだったか。マヌル人の強者などありはしない。グレンザーが死んだ今な!」
「たく。舐めやがって」
グレイを殺してしまおうと、アバンの攻撃はより苛烈になる。
それをただただグレイは凌いでいた。
魔術の差が、グレイを苦しめる。
かつてハクアは騎士団長と同等とグレイを評したが、その戦闘振りを見れば疑問に思う。
グレイはずっと防御に徹し続けていた。
まるで
「すぐに終わらせてやる! 死ね!」
グレイは冷静だった。
冷静に、アバンを倒す機会をうかがっていた。
寒い冬風が平野を吹き抜ける。
そして世界に、夜が訪れようとしていた。