この世界に生きる四人種には、それぞれ特別な術が存在する。
各人種の中で一部の者が扱えるそれは、非常に強力なものだ。
たとえばクリスタ人の『魔術』。何もないところから火を起こし、水を呼び出し、風を起こす。さまざまな自然現象を操れるその力で、クリスタ王国という巨大な国家を作り上げた。
他にもクルル人の『聖術』に、アザール人の『呪術』など。それぞれが非常に強力なものだ。
その四人種の中で、マヌル人だけが何もなかった。
他の三人種には特別な術があるのに、マヌル人には存在しない。
故に劣等種であり、差別される。というのが現状である。
しかし、そんなことがあるだろうか。
三人種にはあるのに、マヌル人だけないなんてことがあるだろうか。
否である。
マヌル人にも、ちゃんと特別な術が存在する。
しかしそれは、すでに失伝してしまったものだ。
百年前の大戦で敗北したマヌル人は、クリスタ人によって使い手を皆殺しにされた。
そして徹底的に闇に葬られ、マヌル人の力は歴史の彼方へ消えてしまったのだ。
その日から奴隷にされ、劣等種として侮辱され続けた。
しかしその血が続く限り、術が消えることはない。
かつて消されたその術は、百年の時を経て蘇っていた。
「『闘術』起動」
グレイの全身から、橙色のオーラが立ち上る。
その黒い瞳は、凄まじい輝きを放っていた。
その身から感じる恐ろしい覇気に、アバンは言葉が出てこない。
「つ、馬鹿な。なんたる出力だ」
絞り出すように、アバンは言う。
無論、想定はしていた。歴史に消えた闘術の知識も、アバンは持っていたからだ。
しかし、これは想定以上。
かつてアバンが見た闘術よりも数段上。闘術の質が、高すぎた。
「師匠にはあまり見せるなと言われている。まあ殺しはしないが……記憶がなくなるまでボコボコにしてやるか」
「っ! 舐めるなよ、劣等種が!」
グレイの挑発に、アバンは憤怒する。
まだ十代の若造にそんなことを言われて、騎士団長としてのプライドが黙っていられない。
確かに闘術の質は高いだろう。しかしアバンも高い魔術の練度を誇る男だ。
クリスタ人の中でも五指に入る実力者だと自負していた。
故にグレイなどというクソガキに負けることはありえない。
「陛下の命に従い、その命を散らせ!」
アバンは全身から炎を吹き出しながら、グレイへ迫った。
「……ふう――しっ!」
「――――?」
そして次の瞬間、アバンは空を飛んだのだ。
数秒は、何がおきたのか理解できなかった。
グレイに向かって走っていたのに、急に空を飛んでいる。
少し考えて、考えて、ようやくわかる。
――あ、殴られたのだ。と。
「ぶへっ!!」
一発ぶん殴られたアバンは、その衝撃で空を飛び、平野にそびえ立つ大岩に激突する。
全身を強打し、ズキズキと腹が痛んでいた。
グレイの姿を一切視認することができず、殴られたと気付いたのは数秒後。
常識外れの速さであり、それで一気にアバンは勝てる気がしなくなった。
だが当たり前だ。魔術という力があってもグレイを殺せなかったのに、それに闘術を積み上げられては勝利不可能。
グレイは間違いなく、マヌル人の最強。世界でも五指に入る実力者であることは確定的だった。
「な、で……そん、なに。つよ、い」
「……強い? 姫騎士よりは弱えよ」
「そんな、ことは、聞いていない!」
姫騎士ハクアは論ずるべきではない化け物だ。
それを除いたとしても、グレイの強さは訳がわからなかった。
「ありえん、強さだ」
「そうか? まあ、今はまだまだだ。一番強い時の俺と戦いたいのなら、
「……?」
「まあ、次はねえけど」
「ぶぐはっ――」
グレイは、さらなる追撃を加えた。
瞬きした瞬間に姿を消し、気付けば目の前に拳が迫っている。
アバンは再度ぶん殴られた。
「はぁ、はぁ。こい、つは。危険だ。陛下、に知らせ、なければ」
殴られ吹き飛び、アバンは息を荒げながら立ち上がって背を向ける。
このグレイという化け物の存在を、早く国王に知らせなければならなかった。そして地方にいる騎士団長も呼び寄せて、集団で倒さないといけない。
記憶が飛ぶほど、殴られてしまうその前に――
「逃がさねえ。この力を見たからには忘れてもらうぞ」
グレイからは逃げられなかった。
フラフラと走っていたアバンは、グレイに頭を掴まれ地面に押し倒される。
「『炎上』!」
「……効かない」
それを振り払うために全身から炎を吹き出してみたが、グレイは業火に焼かれながら笑っていた。
その闘術の練度は、騎士団長を軽々凌ぐ。
ハクアはグレイを騎士団長と同等と評したが、それは間違いなのだろう。
闘術を発動したグレイは、騎士団長よりも強い。
それは鍛えた肉体と、それを強化する術『闘術』によってなされるものだ。
魔術が自然現象を操り、聖術が他者を癒やす力を操り、呪術が他者を害す力を操る一方で、闘術は己の肉体を超強化する術だった。
それは元の肉体が強ければ強いほど効果を発し、グレイならば恐ろしい力を得る。
「ああ……化け物が」
「ビビんなよ。さっきまで俺を殺すと息巻いてただろ」
「やはりそうだった。陛下の言葉は間違っていなかった。マヌル人は人ではない」
「おい、失礼な物言いだな」
「こいつが果てにたどり着いた時、俺達が恐れた未来がやってくる」
アバンは空を見上げて、ブツブツと呟いていた。
先ほどまでの姿はなく、何かを恐れるように震えている。これが騎士団長の姿とはとても思えまい。
一体どんな、恐怖があるのだ。
「消さねば。あの日の出来事が、無駄になる前に――ぶぐはっ」
ブツブツと呟くアバンに、グレイは容赦をしなかった。
「何言ってんだお前は」
グレイから立ち上る橙色のオーラを見た瞬間から、様子がおかしくなったアバン。
しかしそれを気にすることなく、グレイは拳を振り上げていた。
◇
夜の平野を歩き、貧民街まで帰ってくる。
グレイからは闘術のオーラが消えており、右手には気絶したアバンの襟を掴んで引きずっていた。
「はあ。ようやく帰ってこられた」
取りあえずアバンをボコボコにし、グレイは帰還した。
その身には傷一つないが、問題はこの後どうするかだ。
国家に目を付けられた。そしてその刺客を退けた。
この後訪れる面倒事は、考えただけでも頭が痛い。
わかっていたことではあるが、いざ訪れると辟易とするものだ。
「……少し休むか」
いろいろ考えてみるが、疲れているからか考えが纏まらない。少し休んでから、今後の動き方を考えるべきだろう。
この気絶したアバンをどうするべきかも含めて前途多難だ。
「いいや、休む暇などない」
「あ?」
グレイが貧民街に足を踏み入れようとしたその時、周囲に人の気配がいきなり現れた。
数十名の人間は、例外なく強力な覇気を放っている。
闇夜に紛れて姿を見せたのは、剣を携えた強者達。
それぞれがゆったりとした黒地のローブを身に纏い、何者かを悟らせない。
しかしランランと輝く赤い瞳を見ればクリスタ人であることがわかり、アバンと同じ奴らだとは察せた。
「王国騎士団か?」
「さてな」
そう言って姿を見せたのは、一人の長身の女だった。
その女だけサングラスを掛けて顔まで隠しており、かなりの徹底ぶり。しかし周囲の誰よりも強い。
少し気配を探るだけでも、敵は二十人ほど居るだろう。
それにグレイは囲まれていた。
「……めんどくせえな」
ボソっとそう呟いて、グレイは目を細める。
全員を相手するとなれば闘術を使うしかないが、だとしても全員の口を封じることはできない。
闘術の存在は知られてはいけないと師匠に言われている手前、口封じできないならば使用を躊躇してしまった。
そしてなにより、グレイの正面に立つ女。
「強いな」
「ああ。その引きずられている男よりはな」
「お前が噂に聞く最強か」
姫騎士ハクアという規格外を除いた時、王国騎士団最強に君臨する女傑について存在ぐらいは知っている。
第一騎士団という精鋭中の精鋭を編成した部隊のトップともなれば、間違いなく強者である。
「そいつは人間性に問題はあれ、強者の部類なのだが。お前は倒したか。……使い手か?」
「いいや。俺はただの一般人だよ」
「ああ。そうだろうな。すでに失伝した術だ……とは、お前を見て言えないな」
女はすっと剣を抜いた。
「総員、抜剣――」
そしてその号令で、周囲の者達は一気に動き出す。
少なく見積もって一対二十。その上目前の女は、間違いなく化け物。
グレイと同じ場所にいる者かも知れない。
「…………」
表情は消して侮られないようにしてみたが、久方ぶりに冷や汗を掻く。
ヒリヒリとしたこの空気。アバン戦とは違う、死が目の前にあるという興奮。ハクアと戦った時以来の感覚があった。
グレイもアバンを地面に捨て、剣を抜く。
死ぬつもりは毛頭無い。グレイは闘術を発動しようとして――
「グレイ!!!!!」
空から降ってきた凄まじい衝撃により、場の空気は一変した。
「なっ――」
女の顔が歪む。
「ハクア?」
グレイは驚きで目を見開く。
「ああ、良かった。死んでない? 怪我してない?」
そして空から降ってきたハクアは、泣きそうな顔をしながらグレイに駆け寄っていた。
場の混沌は、加速する――