襲撃者達を退けてその場を納めたレインクルトは去って行った。
そして闇夜の中で残るのは、グレイとハクアの二人だけだ。
レインクルトはわざわざ二人きりにしてくれたのだろう。もう、次いつ会えるかわからないから。
レインクルトの助力があったとしても、二人が再度交わる道は非常に難しいと言わざるを得なかった。
「…………」
「…………」
二人は見つめ合って、沈黙した。
言いたいことはいくらでもあるだろう。だが何を言っても心に空いた穴は埋まる気がしなかった。
「……ごめんね。私のせいで、グレイが殺されかけた」
「いや。ちげえよ」
「ううん。私が、関わったから。わかってたんだ。こうなるって。でも、私はわがままを言って、グレイと一緒にいた」
ハクアはちゃんと知っていた。己がグレイと関わることによって、迷惑がかかると。
それが身分差というものであり、姫騎士ハクアという立場だ。
しかし、グレイの隣にしかハクアの居場所はなかった。
どうしても好きだった。
胸が痛くなって、狂いそうになるほど大好きだった。
だから、わかっていながらこの関係を続けたのだ。
「……俺もわかってたよ。だからお互い様だ」
そんなハクアにグレイは安心させるように微笑む。
グレイもまた、わかっていた。
こうなるってわかっていたし、ハクアを拒絶することだってできた。
元々住む世界から違うのだ。ハクアの性格を考えれば、一度拒否すれば二度と来ることはなかっただろう。
でも、そうしなかった。
グレイもまた、好きだったから。
それは理性を溶かすほどの恋だった。
「そっか……」
「ああ」
互いの意思を再確認した。
ハクアの瞳は揺れていて、じっとグレイを見つめている。その視界にはグレイ以外の全てが消え去っていた。
「グレイ、好き。好き、だよ。すっごい、好き」
もしかしたらこれが最後になるかもしれないから、ハクアはずっと言わなかった台詞を告げる。
理性が押しとどめていたその言葉は、言えば二度と引き返せなくなる劇薬だ。
最善の行動はそんなものを告げずに、この関係を断つことだった。
だけどハクアは大好きだったからそうしない。
この思いを、思うがままに全力で告げていた。
「俺もだよ……」
それにグレイも応えて言葉を紡ぐ。
「俺はずっと戦ってたからさ。恋とか、よくわかんなかった」
「うん……」
「敵を倒して、仲間守って、それでずっと生きていくつもりだったから……ハクアと出会って、
仲間達を大切に思う気持ちとはまた別のものが、グレイの中にはあった。
胸をずっと騒がせて、ハクアのことだけを考え続ける。理性すら崩壊させるこの思いが、恋というものなのだろう。
「っ! 私ね、頑張るよ。グレイと、一緒にいられるように、みんなを説得してみせる!」
「……その未来は嬉しいけどよ。無理すんなよ。難しいってのは、わかってるんだ」「そう、だけど……グレイと一緒じゃないと、私は……もう、無理だよ」
ハクアの中で、グレイの存在はあまりにも大きくなっていた。
グレイに依存しているところはあるのだろう。彼はハクアにとっての癒やしであり、もはやなくてはならないものだ。
グレイの温かさを知ってしまったら、もうそれを失う冷たさに耐えられない。
「そうだな。でもそうやって、ハクアに傷ついて欲しくない。すげえ、茨の道だからさ」
それを理解してなお、グレイは言う。
この身分差を解決する道に、恐ろしいほど困難が待っているのを知っている。
進めば進むほど、傷ついていくだろうことは想像に難くないほどだ。
「俺に力があれば、代わりに傷ついてやれたのにな」
グレイは己の弱さが嫌になった。
ただ強いだけではどうにもできない世界があって、それがとても辛いのだ。
「大丈夫だよ。私は、強いから」
「……そうだな。それは、違いない」
その力は知っている。だけどその精神はどうだろうか。
確かに強いだろう。どれだけ辛くても姫騎士であり続けた少女だ。
しかし同じぐらい、脆いのを知っている。ハクアの弱い部分を沢山見てきたグレイだから、心配になった。
「待ってて! グレイが待っててくれるなら、私は頑張れる!」
でもハクアは強い子だ。
その瞳を見れば、彼女の覚悟が伝わってくる。
「それは間違いない。ずっと、わすれねえよ。大好きだ」
「っ! 私も。好き!」
それが別れの言葉だった。
闇夜の中で一回だけ二人は抱擁を交わす。
とても強くて温かい抱擁を、ずっと二人は交わしていた。
そこにある愛は、とても深くて重いのだ。
◇
日常が帰って来た。
それは今までグレイが過ごしてきた、平和な日々だ。
仲間達がいて、そんな彼らと作った平和な貧民街があって、そこを守る日々。
そこにハクアはいないし、グレイの命が狙われることもない。
ずっと過ごしてきた望んだ時間だと言うのに、なぜだろう。
心にぽっかり穴が空いたような気分になるのは。
「どうしたんだグレイ? 最近なんだか憂鬱な顔をしているな」
「……そうだな」
そんなグレイに、カストロンが不思議そうな顔で話しかけてきた。
余計な心配かけぬように先日命を狙われたことは言っていないが、それでも様子がおかしすぎてハクアの件でなにかあったのだろうとは察せられていた。
「権力って……どうやったら手に入るんだろうな?」
「どうした突然」
「……何でもない」
馬鹿なことを言ったとグレイは首を振る。
ハクアに釣り合う男に成るにはどうすれば良いかと考えた結果の言葉だが、不可能だ。
マヌル人がこのクリスタ王国で権力を握る方法など、皆無に等しい。
差別は表向きはないことになっているが、実際は未だ根強く残っている。
完全な世代交代をしない限り、マヌル人が権力を得るのは難しいだろう。
「……そりゃ、最強になることだろ」
しかしカストロンは、あっけらかんとそう言う。
「何言ってんだよ。力だけあっても意味ないんだなって、最近思ってるところだよ」
「確かにそうだな。でも難しいぞ。俺達にあるのは強さだけだ」
「まあ……な」
カストロンの言葉には一理ある。
強いというのはそれだけでステータスだ。グレイが持っているのはその強さだけなら、それを磨くのが良いとも言える。
「確かに強さだけじゃどうにもならないことがあるかもしれない! しかし、それすら突き抜ける強さだ。最強になるんだ。シュギョーだぜグレイ!」
カストロンは馬鹿な男だ。
しかしその言葉は、時に本質を突く時がある。今から王国内で権力を得る手っ取り早い方法は、確かに最強になることかもしれない。
姫騎士ハクアすら越えてしまう、ぶっちぎりの最強に。
「……その未来は、いつ来るんだろうな」
少し考えて、それもまた茨の道だと溜め息をついた。
今のグレイには、ハクアを超えるビジョンが見えない。
そうしてしばらく沈黙が訪れて、グレイはボーっと周囲に目を配る。
東地区の運営本部。そこにあるグレイの席からは、部屋全体が良く見えた。
多くの者達が行きかい、働くその姿は平和な貧民街の証である。
「ったく。ほんと、勘弁してほしいわね」
そんな中で、ぷりぷりと怒りながらリズリーがグレイの下までやってきた。
「ん、どうしたんだよ。そんなに怒って」
「燃料の高騰よ。国が買い占めるから、馬鹿みたいに上がってんの。こっちに回って来るのはただでさえ少ないってのに」
貧民街での食料生産を管理するリズリーにとって、燃料高騰は死活問題なのだろう。
それはグレイも理解するところだ。
「確かに問題だな……なんでそんなことになってるんだ?」
「多分戦争よ。ゴーズの情報では、近々起きそうね」
「戦争……アザール帝国とか?」
「そこしかないでしょ」
「確かに」
クリスタ王国のお隣にある大国とは、非常に仲が悪いことで有名だ。
アザール人が主体となった帝国とのいがみ合いは歴史が深く、何度も戦争を繰り返してきた。
グレイの先祖たちも奴隷時代、何度も尖兵として戦地に連れていかれたらしい。
故にマヌル人の数は、奴隷にされた百年前からかなり数を減らしていた。
「……戦争か。それは困ったな」
「でしょ。まあ小競り合いならいつものことだけど……値上がりの幅を見るに、今回は大きくなりそうね」
「そうか――あ」
そこでグレイは、ふと思い至ってしまった。
「ハクア……」
そして愛しい人の名前を呟いた。
「ん、どうしたのよ。突然姫騎士様の名前何て呟いて。恋しくなったの?」
「……姫騎士も、戦場に行くよな」
「当たり前でしょ。それが姫騎士様よ」
ハクアは戦場に行く。
だけど、それは大丈夫なのか。
ハクアという少女の本質を、グレイは知っている。戦いは嫌いだし、人を殺すことは本来できるような子ではない。
姫騎士の重圧に心が疲弊して、もう潰れそうなほど追い詰められてるのがハクアだ。
それをグレイがいたから、今のハクアは持ち直してきた。
だが果たして今のハクアは大丈夫なのだろうか。
戦場で戦い、敵を殺し、姫騎士としてあり続けられるのか。
その無理が、今回もできるのか。
「…………」
その考えに至った瞬間、グレイの心はざわつき始める。
とても嫌な予感が、胸の中を過ったのだ。
「ああ。くそっ」
同時に己がいかに無力なのかを痛感する。
今のグレイに、ハクアを助ける術はなかった。
「……あんた、大丈夫?」
「そうだぞグレイ……」
「……よええな、俺。どうしようもなく、弱い」
「何言ってんの。グレイより強い奴なんて姫騎士様ぐらいでしょ」
「そうだぞグレイ!」
幼馴染達はそう言ってくれるが、慰めにもなりはしない。
「好きな女一人助けられず、何が強いだよ」
己の無力が、ただただ憎かった。