姫騎士殺し   作:天野雪人

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第一話 あなたが私の全てだから

 グレイは己がいかに弱いかを知っている。

 

 貧民街最強になり、マヌル人という人種で見ても最強になり、世界的に見ても最上位の強者になったとしても、好きな女一人守ることができない。

 それがグレイという男だ。

 

 ずっと地獄で生きてきて、多くの者達を守った自負はある。しかしまた多くの者を守れなかったのも覚えている。

 グレイの力及ばず死んだり、大怪我を負ったり、心を壊した仲間がいた。大切な幼馴染たるウェンデルやその仲間達も守れなかった命に入る。

 そしてまた、ハクアの心を守れなかった。

 

 もしもっと強ければ、ハクアを運命の螺旋から救い出すことができただろう。

 予想していたこの未来も、強引に変えることができたはずだ。

 

「……くだらねえな」

 

 だからグレイは、テーブルに肘をついてポツリと呟いた。

 

 ハクアが風呂に入り一人切りになったリビングで、己の無力を自嘲する。

 もっと強くなれれば、ハクアを救えたのに。そんな下らない後悔ばかりするのだ。

 

「はぁ……過去を悔やんでもしかたないか」

 

 そしてパンっと頬を叩き、気合をいれて立ち上がった。

 もう十分後悔した。ならばもう、後悔しない道を選ぶだけだ。今のハクアを救えるのはグレイだけ。クヨクヨして、立ち止まっている暇はない。

 

 グレイは戦争で心を壊したハクアを救う決意をする。そのための第一歩が美味しいご飯だろう。

 

 体が温まるスープを作れば、少しは癒されるはずだとキッチンに立った。

 材料はあるので後は作るだけ。

 グレイは腕をまくって包丁を握り――

 

「いやあああああああああっ!?!?」

 

 風呂場から聞こえてきた悲鳴に目を見開いた。

 

「ハクア!? くそっ」

 

 何が起きたかはわからない。しかしそれがハクアの悲鳴だったため、グレイはすぐに風呂場へ駆け込む。 

 躊躇はなかった。ただ、彼女の身を案じる心しかなかった。

 

 そしてそれが功を奏し、扉を開けた先の風呂場ではハクアが蹲って泣いていた。

 

「あっ――グレイっ!!!」

 

 入って来たグレイを見たハクアは、何の躊躇もなくその胸の中に飛び込ん抱き着く。 

 お湯に濡れたハクアだというのに、その体はとても冷たかった。

 

「どうしたんだハクア? 何かあったのか?」

「……私が、たくさん、殺したの。みんな、怒ってる。私が、悪いの。ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい――」

 

 ハクアはずっと懺悔していた。

 ふと風呂場を見渡しても、そこには何もない。だけどハクアにしか見えない何かがあるようで、ただただハクアは震えていた。

 

「大丈夫だ。ハクアは悪くない。ハクアは命じられたんだろ?」

「でも、私がやった。みんなが、望む姫騎士のために、やった。私が、みんな、やった。殺した」

 

 グレイの慰めの言葉も届かない。だが当たり前か。例え命じられたとしても、己の手で大量殺人を行ったという事実は変わらない。

 ハクアはそれだけで耐えられないし、何ならグレイだって耐えられないだろう。

 

「グレイ、グレイ、グレイ――」

 

 ハクアは己の罪から逃げるように、グレイの愛で上書きしようと、より強く抱きついてくる。

 グレイもそれに応えるように強く抱き返した。

 

 ハクアの体はとても華奢で、抱きしめればその脆さがわかる。

 こんな小さな体で、大きな責任を背負って、罪を重ねた。それがハクアだ。

 

「…………」

 

 戦争で心を壊す兵士がいる、というのはグレイもよく聞く話だった。

 実際三十年前の内戦を経験したマヌル人には、未だ心に傷を負った者も数多くいる。

 

 屈強な兵士すら病んでしまうのに、こんな華奢な少女が耐えられるはずがない。

 重圧の果てに潰れたハクアを、グレイは愛を持って抱きしめた。

 

 もう何も怖いものはない。ここにいれば大丈夫。そう伝えるように濡れた髪を撫で、その体を決して離さぬように腕に抱いていた。

 

 

 ◇

 

 

 十分ほど抱きしめればハクアは落ち着いて、再度入浴ができるようになる。

 

「グレイ、いる?」

「もちろんだ。安心しろ」

 

 しかしグレイが側を離れることをハクアは許してくれず、扉を一枚隔てて脱衣所で待機していた。

 離れていても存在を確認できて会話ができればハクアも安定するようで、たわいもない話を二人はしていた。

 

「…………ハクア」

 

 そんなハクアの現状に目を伏せて、グレイは小さく呟く。

 ハクアの裸体も見たし、薄い扉一枚隔てて風呂に入っているが、特にドキドキすることはなかった。

 今はそんな邪な気持ちが沸くような状況ではない。

 

 ただただどうすれば救えるのか。考えるのはそれだけだ。

 

「グレイ……出るね」

「あ、ああ。じゃあ俺も外出ていようか」

「だめ……」

 

 グレイは立ち上がって脱衣所から出て行こうとしたが、それをハクアは許してくれない。

 風呂場から出てきたハクアは当たり前のように全裸であり、そして目には光りが灯っていなかった。

 

 だがグレイの姿を見て安心したようで、ハクアは妖しく微笑んだ。

 グレイはすぐにバスタオルを差し出して、ハクアはそれでようやく体を隠してくれる。

 

「服、泥だらけだから。代わりの、あったりする?」

「あー……セリアに借りてくるか。ひとっ走り行ってくる」

「出れないよ」

「ん?」

「グレイの服、貸してくれたりしないかな?」

 

 ハクアは申し訳なさそうにそう言うが、服を貸すぐらいならどうってことない。

 背丈がほぼ同じのセリアに借りた方が良いと思うが、それがハクアの望みならそうするだけだ。

 

「了解。デカいかもしれないが、いくらでもいいぜ」

 

 グレイの言葉に、ハクアは安心したように笑っていた。

 

 

 

「お風呂、ありがとう。すっきりした」

「そうか。ならよかった」

 

 風呂から上がり、縛っていた髪を解いてグレイの服を着たハクアは、少し落ち着けたようだ。

 ブカブカのシャツだけを身に纏い、グレイの側でうろちょろしている。

 裾が長いためワンピースのようになっているが、その下は下着だけと非常に危うい恰好だ。

 グレイという男を側にしてこれほど無防備な恰好をするのは、それだけ信頼しているということだろう。あるいは姫騎士の重圧から解放された反動とも言える。

 

「今日はスープとパンだ。他に何か欲しいものはあるか?」

「ないよ。グレイが作ってくれたご飯、楽しみ」

 

 ハクアはご飯に注文をつけることはなく、とても笑顔だ。

 グレイの側にいること以外、全てが必要ないと言わんばかりの態度である。

 

 そうして料理を作り上げ、テーブルに並べて席に着く。

 しかしいつも対面に座るハクアは、すぐ隣に椅子を持ってきた。

 

「今日は隣か?」

「うん。側に、いたい」

 

 テーブルを挟むことも不安なのだろう。

 すぐにグレイに触れられる距離じゃないと駄目なのだ。

 それを理解し、グレイは何も言わず並んで食事を開始する。

 

「温かい」

「そりゃ良かった。明日は何を食べような」

 

 温かい飯が、心を癒やす大きな手段だとグレイは考える。

 明日の献立を考える中で、ハクアはすっと指を振った。

 

「ご飯ね、私、いろいろ持ってる」

「いろいろか?」

「うん。空間魔術が使えるから」

 

 ハクアが発動した魔術は、空間を操る超高等魔術だ。

 異空間に繋げ、様々な物資を収納しているらしい。ハクアの私物もあれば、多分騎士団の物資らしきものまである。

 そして保存可能な食料品もだ。

 

「干し野菜や干し肉か」

「いろいろあるから、何でも言ってね。全部あげる」

「そうか。じゃあこれを使って明日は何か作ろう」

「私も、手伝う。初めてだけど、頑張るね」

 

 恐らくこの食料品も国の物資なのだろう。

 それを勝手に使って良いものかと思うが、拒否するとハクアが不安定になりかねない。今のハクアは非常に危ういバランスで保たれている以上、笑顔でお礼を言うのが正解だ。

 共に料理をするのも、良い癒やしになるだろう。

 

 食事を終えれば、穏やかな夜の時間がやってくる。

 普段は剣を振ったり、お菓子作りをしたりと独りで過ごすグレイも、今日はハクアと時間を過ごす。

 

「へへ。グレイ、温かい」

「んっと。くすぐったいぞ」

「んー」

 

 グレイも風呂に入り、さっぱりしたところでハクアがずっとくっついてきた。

 もう絶対に離れないとばかりに抱擁に、グレイも苦笑する。

 しかし好きな人とふれあえるのは、彼女が心に傷を負っていたとしても嬉しいものだ。

 

 こうして愛を伝えて、少しずつ癒やしていくしかないだろう。

 

「グレイに抱きしめられると、凄い安心する」

「この程度で安心するなら、いくらでもやってやる。俺も、ハクアを抱きしめると癒やされるよ」

「ほんと? 嬉しい。好き。大好き」

 

 これはもう、絶対に離してくれそうにない。

 グレイは愛を持ってハクアを強く抱きしめて、ゆっくりと癒やすように頭を撫でた。

 そうすればハクアの顔はどんどん蕩けて、先ほどまで悲鳴を上げて泣いていたのが嘘のように穏やかになった。

 

「……そろそろ寝るか。もう夜も遅い」

 

 窓から外を見れば真っ暗で、いつもならば寝ている時間だ。

 明かりの燃料も馬鹿にならないし、ハクアも落ち着いたのでそろそろ寝るとしよう。

 

 そう考えてハクアと共に寝室へ行き、そこでふと思い当たる。

 

「あー。ハクアがベッドを使ってくれ」

「ん。グレイは?」

「俺は床で寝よう。もちろんすぐ側にいるから、不安なんてないぞ」

 

 予備の毛布などもあるので、床で寝るのは大丈夫だろう。さすがに一緒に寝るというのは、いろいろ問題が出てきそうだ。

 すぐ側で眠れば、ハクアの心も安定するはずだとそう提案する。

 

「一緒に寝よ?」

「えっ?」

「嫌なの? 私のこと、嫌い?」

 

 しかしハクアはそれすら許してくれなかった。

 絶対に離さないとばかりに強く抱きついてきて、これは同じベッドで寝ると言わない限り解放してくれないだろう。

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