狭いシングルベッドでは、二人が寝るには密着するしかない。
ハクアは何の躊躇もなくグレイに抱き着くと、その胸の中でグリグリと頭を擦り付ける。
「グレイ、温かいね」
「ハクアもな。体温、戻ったようで何よりだ」
「グレイと一緒にいたら、ポカポカしてくる。へへ、好き」
グレイもまた普通に会話をしながらハクアを抱きしめるが、その心臓はうるさく鳴っている。
どうにか取り繕ってはいるが、さすがにこの状況には緊張が勝った。
暗い部屋の中で、狭いベッドで抱き合いながら眠る。
その上ハクアはグレイのTシャツしか羽織っておらず、その体を惜しげもなく密着させてくるのだ。
今のハクアに変な気を起こすなど許されざることだが、人間は理性だけの生き物ではない。
ふと冷静になれば、ハクアがこれほど近くにいることに緊張が高まっていた。
「……グレイ、ドキドキしてる」
「っそ、それは……しかたないだろ」
グレイの胸に抱かれていたハクアは、うるさく鳴り続ける鼓動を聞き逃さない。
それにグレイは頬を染めた。
「えへへ。私のこと、好きだから?」
「そうだな。好きな子とこんな近くにいたら、心臓が破裂しちゃいそうだ」
「そっか。私も……!」
ハクアはゆるゆると頬を緩ませて、気分が高まったのかより深く抱きついてきた。
そうやって無防備に、思うがままに振舞うから、グレイの高鳴りは止まらないのだ。
「お母さん、思い出すな」
心を落ち着けるようにそっとハクアの髪に触れていれば、ふとそんなことを口走る。
「お母さんか?」
「……うん。白かった私を、撫でてくれて、抱きしめてくれた人。お母さんだけ、私を愛して、くれたな。あまり、覚えてないけど」
「そうか……」
その台詞から察するに、ハクアが幼い頃に死んでいるのだろう。
ハクアの母がどんな人だったかはわからぬが、その懐かしく思い出すような顔を見れば、良い人だったと理解できた。
「ん、グレイ、好きぃ。……好き、好き好き」
ハクアは母を求める幼子のようにグレイに甘えてきた。
まるで足りなかった愛を求めるように、グレイの愛を欲していた。
「よしよし。良い子だな」
「んー……」
まるで子供のような態度だが、それが心を壊した結果だ。
全国民の期待を背負って、潰れるまで頑張ったから、ハクアは幼子のように甘えるのだ。
「明日は、なにしよっか」
「そうだな。一緒にお菓子でもつくるか?」
「そ、それ。したい。おいしいの、作る」
ハクアはそう言って無邪気に笑った。その笑顔にグレイはほっと息をついて、このままハクアを癒そうと愛を持って接する。
「じゃあ寝るか」
「うん。おやすみ。ずっと、ぎゅってしててね」
「ああ、もちろんだ。安心して眠れ」
「んー」
ハクアが安心できるぐらい強く抱きしめて、二人は目を瞑る。
グレイの愛に包まれたハクアは、恐怖を忘れるように穏やかに眠っていた。
そしてグレイもまた眠り、夢を見る。
それはあり得たかもしれない下らない未来の夢だ。
ハクアを強引に姫騎士の任務から解き放ち、心が壊れない結末を迎える。結婚して、子供が出来て、幸せな家庭ができて――そんな、夢物語のような夢を見た。
◇
何かが、おかしかった。
ふと目を開けて、胸の中で眠るハクアを見る。そしてグレイは外を見た。
窓の外は真っ暗で、未だ朝日は昇っていない。だけど、おかしい。グレイの体内時計では、丁度朝になる頃だ。
グレイはわけあって太陽と月の動きに非常に敏感だ。
そのグレイの感覚が、間違うなんてあるはずがない。
「……これは」
「ん……どう、したの?」
グレイが戸惑っていれば、抱きしめていたハクアも眠気眼で聞いてくる。
「ハクア? 何かおかしいんだ。ずっと夜っていうか……朝日が昇らない」
「……見えないよ」
「えっ?」
「そんなの、見えないよ」
ハクアは感情のこもっていない声音で、なんとなしに言った。
その言葉だけで、意味を理解することなんてできやしない。
「どういうことだ?」
「どういうこと? だって、来るんだよ。私を連れ戻しに、来る。絶対に来る。嫌だ。そんなの嫌だ。もう戦いたくない。ずっと、ずーっとグレイと一緒にいるの。あそこにはもう行きたくない。また、たくさん、殺すの? そんなの、嫌だ。グレイと一緒にいる。ね、ずっと一緒だよね? グレイ、どっか行かないよね?」
「ハクア……」
取り乱すハクアの落ち着かせるように頭を撫でて、ふと窓の外を良く見れば、そこには壁がそびえ立っていた。真っ黒な壁は景色を映さず、外界とこの家を遮断している。
これはハクアによって生み出された魔術の壁なのだろう。
もう二度と地獄へ戻らないために、ずっとグレイと一緒にいられる天国を作る為に生み出されたものだ。
当たり前だろう。グレイには力がない。だから国家が軍を率いてやってきたとしたら、ハクアを守ることはできない。
だからハクアは全てを遮断し、この世界を生み出した。
地獄へ戻らず、ずっと天国に居続けるために。
「……でも、朝わかんないの、不便かな」
ハクアは少し考えて、すっと人差し指を振る。そうすれば、急に光が満ちた。
「朝になれば、明るくなるようにするね。こうしたら、安心だね」
「あ、ああ。そうだな」
ハクアは決して、この壁を取り払うつもりはない。
ずっとグレイと一緒に、この家で暮らすつもりだ。
「だけどずっとこのままじゃ暮らせないだろ」
「ううん。私の、魔術は結構すごいよ。昨日見せたように、食べ物もある。グレイを不便に、させない。だから、大丈夫」
「……そうか」
確かにハクアの魔術があれば、外界と遮断されても暮らしていけるだろう。
だがそれは、いつまでも永遠ではない。
たとえハクアの力があったとしても、永遠に幸せに、この箱庭で暮らすなどできるはずがないのだ。
それにグレイには、大切な仲間がいる。大切な場所がある。
それを守ることも重要な役目だ。
ハクアを見捨てるつもりは毛頭ないが、かといって仲間を見捨てるつもりもない。
みんなで幸せ。それが最良だろう。
「ずっと。ずっと一緒。もう、誰にも邪魔させない。ね、グレイ」
「……ああ、そうだな」
だがグレイは、今のハクアの状態を冷静に見てそう肯定した。
拒絶するべきではないだろう。そうなれば不安定なハクアは本当に終わる。グレイが少しでも突き放せば、全てを失ったハクアは自死を選ぶことすら考えられる。
ハクアの精神はすでにボロボロだから、ちゃんと言葉を選ばないといけないのだ。
「……まあ、飯でも食うか」
どれだけ考えたところで正解は出てこない。
だからグレイはそう言って立ち上がった。
この壁はハクアの心の壁。これは心の傷が癒えることでしか取り払われないものだ。
小さな箱庭の中で、ゆっくりとゆっくりと治すしかない。
「ご飯。楽しみ! 一緒に、作ろ」
ハクアはとても、楽しそうに笑っていた。
共に立ち上がり、グレイの腕に抱きつきながらキッチンへと歩く。
ハクアと二人。天国のような箱庭で、共同生活が始まった──