その生活は、とても怠惰で心地よいものだった。
好きな人と箱庭の中で二人きり。そこではただ愛だけがあれば良い。それ以外の何も考えず、ただただ堕落していく日々。
それによって、ハクアは確かに安定している。戦場での悪夢を思い出すことはなく、グレイの愛に包まれる日々だ。
だが果たしてこのままで良いのだろうか。
そうグレイは思う。
これは目の前の現実から目を逸らし、ただ逃避するだけの行為だ。
心の安定には必要だが、その先に未来があるとは思えない。
本当にハクアを救うためには、外界の恐怖を取り除かないといけないのだろう。
それはつまり、ハクアを戦わせようとする者達を全員倒す。
そして姫騎士という楔から解き放つ。
それが現実逃避ではないハクアを救う道だろう。
「グレイ、あーん」
だけどその道は、あまりにも困難だった。
「ありがとうな、ハクア」
弱いグレイでは救えないから、こうして微睡のように怠惰な日々を送り続ける。
「美味しい?」
「ああ。ハクアが作ってくれたからかな。いつもより美味い」
「そっか。嬉しい!」
この一週間ほどで、ハクアの料理の腕は向上していた。
やはりやろうと思えば何でもできるぐらい天才なのだろう。料理も初めてだったと言うが、あっという間に美味しい物を作れるようになった。
それをハクアが食べさせてくれるし、グレイもまた食べさせる。
恥ずかしくなるほどベタベタイチャイチャと過ごすこの一週間は、ある意味で幸せだった。
「今日は、なにしよっか。ゲームする? 最近流行ってるゲームも持ってる」
「そうだな。ゲームも良いが……」
今日も二人きりで遊ぼうと言うハクア。
だけどやはり、何かを変えないといけない。そう思ったグレイは、勇気を出して提案した。
「散歩とか、どうだ? 観光スポットとか案内するぜ」
「……散歩。グレイ、一緒?」
「当たり前だろ。絶対に離れない。それは前提だ」
ずっとこの箱庭にいるわけにはいかない。だから少しずつ、外への恐怖を取り除いていくしかないだろう。
恐怖を取り除いたとて根本の原因がなくならなければ意味はないが、グレイは何かを変えたかった。
「……でも、無理。外には、いるから」
しかしハクアの返答は、否。
首を振り、明確な拒否を示す。
「いるから? どういうことだ?」
「っ――グレイ、一緒だよ。ずっと、ずっと」
「っ!」
急に、ハクアはガタガタと震えだした。
匙を床に落とし、飛び掛かるほどの勢いで抱き着いてくる。
「ハクア?」
何かを恐れているかのようだった。
グレイは安心させるようにその頭を撫でて、それでゆっくりと体の力が抜けていく。
やはりハクアの負った心の傷は、想像以上に深かったのだろう。
この箱庭から、決して抜け出せないほどの傷だ。
「絶対に、邪魔させない。グレイと、ずっと、ここにいる」
ハクアは小さく呟いた。
「だから、あいつら許さない。グレイの、大切な人、傷つけようとする」
「ハクア?」
ゆらりとハクアは立ち上がり、扉に向かって歩き出す。
先ほどまで恐怖していた外に、ハクアの足は向いていた。
「どうしたんだ? 大丈夫か?」
「絶対、許さない」
グレイもその背を追って、外に出る。
庭に出ればやはり光り輝く壁が四方を囲んでいた。
その壁に向かってハクアは指を振る。そうすれば、一瞬で壁が取り払われた。
そこには――
「えっ?」
見渡せば騎士団長のレベルカに、第一騎士団の精鋭。そして第二騎士団と、王国兵団。まるで国でも亡ぼすのかという布陣である。
そしてその中心にいるのが、王だ。
「ハクアよ! ようやく姿を見せたか!」
王はハクアを見つけ、叫ぶ。
それにハクアはただただ冷めた目を向けていた。
そしてグレイもまた彼らを観察して――
「許さない」
「っ! リズリー! カストロン! セリア!」
兵士達の中には、グレイの大切な幼馴染達が拘束され、剣を突き付けられていた。
◇
国王バルカン・G・クリスタはハクアを決して手放さない。
ハクアは己の野望を叶える唯一の手段であり、世界征服すら可能とする兵器を手放すなどあるはずがなかった。
戦場から逃げ出したとて、もう一度捕えて戦わせる。
それがバルカンだ。
手段なんて選ばない。家を囲む壁が決して壊せないとわかれば、人質を取って脅すことも平気でやる。
ハクアと共にいるグレイの、大切な人を人質に取るという、あまりの邪悪すら何の躊躇もなく実行していた。
「さあハクアよ。今戻って来るならば、戦場から逃亡したことも不問としよう。しかし拒否をするならば――」
「ぐっ――」
カストロンの首筋に、剣が突き付けられた。
それに血が上り、一気に踏み出そうとするのはグレイである。
「カストロン! 今助ける――」
「動くな! マヌル人、一歩動けばこいつの首を撥ねる」
しかしその足を、騎士団長レベルカの言葉が止めた。
レベルカはハクアを除いた時の王国最強。そんな彼女は、グレイが動くよりも前に躊躇なくカストロンを殺すだろう。
速さには自信があるグレイであるが、今は駄目だ。
今のグレイは、本来の速さを出せぬ状況だった。
「お前ら……許さねえぞ。そいつらは関係ない。解放しろ」
「ハクアよ。戻ってくるのだ。さすれば解放しよう」
「っ――」
グレイの言葉に、バルカンはそう宣告する。
ハクアさえ戦場に戻れば、全員が助かる。しかし拒否するならば殺す。
彼の邪悪さを考えれば、ハクアが戻ると言うまで順番に大切な人を殺していくだろう。
グレイは、動けなかった。
バルカンの目を見れば、グレイから説得しろと訴えているよう。
グレイの言葉なら、多分ハクアは聞く。
戦場に戻って、敵を殺して、そして最後は罪に耐えられず自決するだろう。
最悪の二択だ。ハクアと仲間達。どちらを取るか。
どちらかを選べば、どちらかが死ぬ。こんな二択を突き付けてくる者は、間違いなく人間ではない。
グレイは決断できずに冷や汗を流し――
「許さない……」
――ハクアはポツリと呟いた。
「!――」
「『空間断裂』」
何かを感じ取ったレベルカはすぐさまカストロンの首を撥ねようとするが、その前にハクアが動く。
空間に、ヒビが入った――
「許さない。何で、こんなことするの。グレイを傷つける人達は、絶対許さない!!!」
「――ひいっ!!」
「な、なんだこれは!?!?」
「た、助けてくれええええ!!」
周囲一帯の空間が無差別に破壊され、それに巻き込まれた騎士や兵士達は全身をバラバラにされる。
「これは……魔術」
空間破壊の魔術によって、周囲は阿鼻叫喚の地獄絵図。騎士や兵士は逃げ惑う。
しかし、誰一人として死んではいなかった。
全身をバラバラにされた者もいるのに、なぜか生きている不可解な現象だ。
だが死んではいなくても、誰もが戦意を喪失する。
場は一気にハクアの支配下に置かれた。
「っ、お前ら、待ってろ!」
それにグレイは呆けながらも、今何をしないといけないかをすぐ考えて走り出す。
逃げ惑う騎士達の中に突っ込み、拘束されていたカストロン達を担いで救出した。
「大丈夫か!?」
「あ、ああ。どうにかな」
「死ぬかと思ったわ」
「危機一髪です」
三人担いでも平気でグレイは走り回り、すぐさまハクアの横へと退避する。
幼馴染達の拘束を解いて安否を確認し、グレイは騎士達に目を向けた。
「出ていけ。グレイを傷つけるな! もう二度と、顔を見せるな!」
怒るハクアは魔術を放ち、騎士や兵士を攻撃する。
誰も死んでいない。しかし恐怖は最大級に与え、逃亡させようと仕向けていた。
「ちっ。レベルカよ」
「……私にはどうにも。陛下、ここは一旦引くのが吉かと存じます」
「っしかたない。撤退せよ!」
ハクアの猛攻を前に、不可能と見たバルカンは一時撤退を命令する。
人質も奪還され、無理に押し通ることも不可能となれば撤退するしかないだろう。
その命令に、騎士や兵士は凄い勢いで撤退しはじめる。
かつては敵に向いていたハクアの力を身を持って体験し、誰もが恐怖に支配されていた。
「はぁ、はぁ……」
敵の姿が見えなくなっても、ハクアは興奮して息を荒げる。
誰も殺していない。だけど戦い、魔術を放った。その事実に全身が震えていた。
「っグレイ!」
敵はもうどこにもいない。それを確信したハクアは、恐怖から逃げるようにグレイの胸に飛び込んだ。
「ありがとうな。よく、頑張った」
「うん。グレイ、ごめんね。私のせいで、お友達、傷ついた」
ハクアは強くグレイに抱きつきながら、泣いていた。
それは戦った恐怖ではなく、迷惑をかけた恐怖からだ。
「何で、こんなことになるんだろ。こんな力、なければよかったっ」
泣いて、泣いて、己の力を唾棄するハクア。
誰もが羨む最強の力を持ってしまったから、このような運命に突き落とされたのだ。
ハクアが望むのは、好きな人と幸せに暮らしたいというただそれだけなのに、最強の力が逃してくれない。
やはり、このままでは駄目なのだろう。ハクアを抱きしめながら、グレイは強く思う。
ハクアを本当の意味で救って、全ての敵を倒す未来。全員幸せのハッピーエンドを掴むためには、グレイがやるしかないのだ。