「グレイ殿は知っていますか? 我らマヌル人の罪を」
狭い個室で二人きり。椅子に腰掛けた二人は対面し、そんな話をマクガフ司教はし始めた。
その目はどこか遠くを見るようで、彼の言う罪を憂いているよう。
「知らないな。それが教義なのか?」
「ええ。我らマヌル人は、かつて神を世界の外へ追い出したのです」
「…………」
とんでもないことをしでかしたと打ち震えるマクガフ司教だが、グレイは首をかしげている。
「神ってのはあれだろ。この世界を作ったみたいな」
「ええ。非常に偉大なお方なのです。そんなお方を世界から追い出すなど、あまりの罪だと思いませんか?」
「……そう、なのかな?」
教養のないグレイはあまりピンとこないが、よく考えてみれば確かにそうかもしれない。
つまり子が親を家から追い出して、乗っ取る。というような感じだろう。そう考えればマクガフ司教の言葉も理解できた。
「この世界を創造した神を、支配のために追い出すというあまりの身勝手。我らマヌル人が辛い歴史を過ごしてきたのは、その罪を浄化するためなのです」
マクガフ司教は涙ぐみながら、マヌル人の罪を語った。
世界を創造した神と、それを追い出したマヌル人。故にマヌル人は罪を抱えている。
それがマクガフ司教の話だ。
だがやはり、グレイは打ち震える彼と同じ感情を抱けない。
どこまでも遠い世界の話に感じられ、漠然と捉えるので精いっぱいだ。
「それっていつの話だ?」
「そうですね。神話の時代。もう何千年も前のことです」
「ならそんときの罪って言っても、もう浄化されただろ」
「否!」
グレイの言葉に対し、マクガフ司教は絶叫した。
「ならば我々のこの苦しみは何なのですか! クリスタ人に奴隷にされ、使役され、解放されたとしてもここに押し込められて、わずかな資源を奪い合う。罪を持たぬなら、これほど苦しい境遇なはずがない!」
マクガフ司教は椅子から立ち上がってグレイに叫ぶ。
それは教義を妄信し、この苦しみに理由をつけようという姿だった。
「……そうか」
その様子に、グレイは目を伏せて沈黙する。彼らの思いに言葉が出なかった。
結局この宗教も違法薬物と同じなのだろう。
苦しい日々を過ごしたから、そこから目を逸らしたかった。
地獄のような日々だったから、宗教ができてそれに縋った。
それがこのマヌル人隔離地区。別名貧民街だ。
「しかし、それも終わりです! 我らは神に贖罪をする機会を得た!」
一転し、マクガフ司教は歓喜に打ち震えながらグレイと向き合う。
「ハクア様は、神です」
そして満面の笑みを浮かべながらそう言った。
「……どういうことだ? ハクアはクリスタ人ではないのか?」
「ならばあの、白い瞳をどう説明するのですか? 神話には書いてあります。神は白かったと。白は神の色。ハクア様が唯一持つ白こそが、神の証! あの方のために尽力することが、我らの罪を浄化する唯一の方法! この贖罪により、我らは許されるのです!」
それがマクガフ司教の思いなのだろう。
神を世界の外に追い出した罪で、マヌル人はこれほどに苦しんでいる。故に神と同じ色を持つハクアを助けることで、その罪を浄化しようとした。
あまり、信じられる話ではない。
突拍子もないし、マクガフ司教にあるのは妄信する姿だ。
「なるほどな。よくわかった。じゃあ罪を浄化しにいこうか」
しかし、無理に否定する話でもない。
それが彼らの救いだし、結果的にハクアを助ける戦力にもなるだろう。
だからグレイは、笑顔を浮かべて手を差し出した。
「力を合わせようマクガフ司教。ハクアを、救うために」
「ええ。その言葉を待っておりましたよグレイ殿。あなたが全てのきっかけです。共に頑張りましょう」
グレイとマクガフ司教は握手をする。
それは貧民街の二大勢力が、協力関係を結んだと言うマヌルの歴史に残る大事だった。
「……それで、俺が切っ掛けってのはどういうことなんだ?」
協力関係を結んだところで、グレイは気になったことを聞く。
それにマクガフ司教はまっすぐ見つめながら答えてくれた。
「我らに教義を授けてくれた方が言ったのですよ。ハクア様を助けることができるのは、グレイ殿だと。故にあなたが我らに助力を求めぬかぎり、無理にハクア様と接触はするな。そう言われていたため、ただ見守るだけに止めました。しかし漸くその時が来たのです」
「なるほど……」
覚えがないのに切っ掛け切っ掛け言われるのは不気味な感じだが、説明されても要領を得ないので一旦考えないことにする。
何よりも大切なのは、この作戦を成功させること。
バルカンを打倒し、ハクアを戦いの運命から救い出す。
それがグレイの願うことだ。
◇
マクガフ司教との打ち合わせを終え、グレイは帰宅する。
変わらず黒い壁で囲まれているが、グレイが目の前にいけば人一人通れるだけの穴が空いた。
「グレイ!!」
そうしてグレイが中に入ろうとする前に、ハクアが飛び出してきて抱き着いてくる。
それを慌てて抱き留めるグレイだ。
「大丈夫だったか。ハクア?」
「うん。怖かったけど、頑張ったよ」
強くグレイに抱き着いて、グレイの存在を確かめようとするハクア。
ハクアが成し遂げたことは、一人で留守番という大役だ。
グレイがいないと駄目なのに、それでも頑張って一人になった。
呪いから解き放たれたことと、未来への希望が生まれたことで、徐々に心の傷も癒えているということだ。
「よく頑張ったな。今日は一緒にいような」
「うん。ご褒美が、必要。ぎゅーって、してね」
ハクアは頑張ったが、しかしその反動によってより甘えん坊になってしまった。
これはしばらく離してくれないだろう。
「あ、そうだ。兄様の、使いの人が来た」
「お、何だって?」
「レベルカさん、調べて、アザール人だって、わかったみたい」
「なるほど。さすがはレインクルト様だな」
グレイもいろいろ動いているが、より動いているのはレインクルトだろう。
あのレベルカを調べ上げるその手腕は、さすがの一言しか湧いてこない。
「それにしてもよく分かったな。あの人、隙を見せるような人じゃないと思うが」
「……うん、そうだね」
一度しか会ったことはないが、レベルカという女は傑物だ。
サングラス一つでずっとアザール人であることを隠し通したことを考えても、確実な証拠をつかむのは至難の技だ。
「なんか、使用人とぶつかった拍子にサングラスが外れて、目が見えたらしい」
「なるほど。それは運が良いのか?」
少し引っかかるし、ただの使用人がレベルカにぶつかれるというのも疑問だが、一旦考えないことにする。
不思議な話だが、マイナスなことではないだろう。
「で、陛下は、私をどうにか、引っ張り出そうと、計画してる、みたい。その前に、叩くって」
「そうか。近い内に始まりそうだな」
ハクアからの報告に、グレイはふっと息をつく。
気づかれる前に電光石火で決着をつけねばならないだろう。
グレイも部下達をなるべく集め、マクガフ司教との連携も急がねばならない。
「私も、頑張る。グレイと一緒なら、頑張れる」
「ハクア……まあ、無理はするな。頼りになる戦力を集めてきた。ハクアの負担は減らせるはずだ」
「ほんと? でも、頑張る」
ハクアに頼るのはもうしかたない。しかし誰かを殺させるわけにはいかない。
そのために、グレイが全力で頑張るつもりだ。
最前線で戦う覚悟がある。
グレイは英雄だ。英雄になるしかなかった男だ。
だから最後まで、一番前で戦い続ける。それが英雄というものだろう。
「グレイのこと、私が守るよ。傷つかないでね」
「俺は大丈夫だ。ハクアは自分のことを心配してくれ」
「うん。グレイが、強いのは知ってる。でも、心配」
「ああ、そうだな。でももし一週間後に作戦開始なら、俺は誰にも負けない状態で挑める」
「……?」
グレイは空を見た。夕方になる貧民街だが、グレイの目には月が見えている。
己の内に眠る闘術が、訪れる夜に呼応する声が聞こえてきた。
「『闘術』は使い勝手の悪い術だ。……でも、
「そう、なんだ……」
「ああ。だから、安心してくれ」
厳しい戦いになると想定していたレベルカすら、最強状態のグレイは簡単に打倒してしまうと断言する。
マヌル人の術『闘術』は、知る人がほとんどいない。
故にそれがどれほど恐ろしい力なのか、多くの人が欠片も知ることはなかった。