ふと、昔のことを思い出す――
それはハクアの中にあったのに、呪いによって封じられていた記憶だ。
多分一番最初の戦争の後の記憶。
この頃の意識は酷く曖昧で、解呪されることでようやく思い出せたほどの記憶だった。
誰かが、ハクアに問いかけたのを覚えている。
「君は、何を望むんだい?」
顔は覚えていない。男だったか、女だったかも覚えていない。
かろうじておぼろげな人型だけが記憶にあって、とても優しかったのを覚えている。
「幸せに、なりたい」
だからハクアは、己の内にあったその願いを、ポロっと口にしたのだ。
ずっと内に秘めていた隠し通す願いだったのに、この者の優しさがハクアの壁を壊してしまう。
「そうか。君にとっての幸せとは、何かな? 金銀財宝か。誰もが傅く名誉か。世界を統べる権力なのか」
「……そんなの、いらない」
「へえ」
「私のことを好きな人と、一緒にいられたら、嬉しい。私もその人を、好きになって、幸せに、生きる」
ハクアは彼が提示してくる全ての幸せを否定し、ただ小さな愛を望んだ。
クリスタ人なのに白かったハクアは、愛された記憶がほとんどなかった。幼い頃に亡くした母の愛か、滅多に会えない兄の愛。記憶にあるのはそれだけだ。
故にハクアは、愛が欲しかった。
誰もが望む財宝も、名誉、権力もいらない。この心に空いた穴が埋まるような愛を望んだのだ。
「とても謙虚だけど、とても難しい願いだ。特別な君の隣に立てるのは、また特別な者だけ」
「……うん。知ってる」
人類という枠組みでは考えることもできぬほどの強さがある限り、その願いは叶わない。
それを幼いハクアは重々承知していた。
「……だけど、希望は捨てないで欲しい。君と並べる子がいるから。あるいはその子が生まれたから、君が生まれた。それほどの運命があると思う」
「……どういうこと?」
「さてね。結局僕の妄想である以上、詳らかな話はしないでおこう。だけど、希望はあるという事実だけは忘れないで欲しい」
そう言って、彼はハクアに背を向けた。
「じゃあ、今日は君の思いを確認しに来ただけだから帰るとするよ。見つかったら終わりだしね」
「そう……」
ここは王城。そして彼は多分部外者。長居することはできなくて、だから足早に去って行こうというのだろう。
ハクアとしても、よくわからない人だった。
その言葉の意味も、幼いハクアは首をかしげるばかりだ。
だから特に引き留めることはなく、その背を見送る。
「変な人……」
最後にハクアは、ポツリと呟いた。
そして呪いは、その記憶を邪魔なものだと消してしまう。
だから今さら、思い出したのだろう。
彼が何者なのかは未だわからない。
しかしその言葉の意味は、今ならわかる気がした。
確かにハクアは、隣に立てる人と出会い、幸せを掴もうとしているのだから。
◇
古い記憶を思い出して、ハクアは微睡みの中から覚醒する。
寝ぼけ眼で見渡せば、ここはグレイの家。そこにあるベッドで仮眠を取っていたのを思い出し、ゆっくりと起き上がった。
姿見を見て髪を整え、寝室を出てリビングへ向かう。
そこには椅子に座って忙しそうにペンを動かすグレイの姿があった。
「グレイっ」
その姿を見たハクアは、ぴょんっと背中に抱きついてその頭にグリグリと頬ずりする。
一人で眠っていたせいで、足りなかったグレイの温もりを補給しようというのだろう。
「おっと。ハクア、よく眠れたか?」
「うん。お昼寝、ちゃんとできた。今夜の準備は、バッチリ」
「それはよかった。俺も、準備万端だ」
そう言って、グレイは今まで書き込んでいた紙束をトントンと整頓する。
「じゃあ起きたばかりで悪いが、これを頼む」
「ん、心得た」
グレイから紙束を受け取ったハクアは、それを空間魔術を使ってレインクルトの下へ転移させる。
敵に悟られないために、こうして関係各所とやり取りを交わしていた。
だがそんなやり取りも、今日で終わりだ。
今夜作戦が決行され、王が替わる。クリスタ王国の歴史に刻まれる、重要な日となるだろう。
「……大丈夫かな?」
「大丈夫だ。安心しろ」
「……私のせいで、凄い大きな話になっちゃった」
「……それは、そうだな」
ハクアを戦いの運命から救い出す唯一の道が、バルカンの打倒だった。
それをなすために、国を揺るがす事態になった。
「私のせいで、誰かが傷つかないで欲しい。この国は、大丈夫かな。内乱とか、起こらないかな。……もし、そんな、ことが起きたらっ」
「大丈夫だ。ハクアが一番よく知ってるだろ? レインクルト様は凄い人だって」
「うん……知ってる」
レインクルト・G・クリスタは先のことまでよく見据えている。
その動機が妹を助けたいといものであっても、この国のこともよく考えていた。
作戦を成功させる準備より、その後すぐに安定させる準備を徹底的にやっていた。
次期王はすでにレインクルトと決まっていたのもあり、急に王が代わったとしても国は変わらず安定するはずだ。
「あの人はアザール帝国と交渉して、戦争も終わらせると言っていた。この先に平和と幸せがある。それを信じよう、ハクア」
「……うん。そうだね。頑張る。そのために、私も」
ハクアはぎゅっと強くグレイを抱きしめて、その不安をかき消すように顔を埋めた。
覚悟は決まっても、怖いものだ。ハクアは戦いの恐怖だけは克服できなかった。
いつまでたっても、戦うことは怖いこと。それは生来故のしかたのないものだろう。
「俺も頑張る。今日の俺は、最強だ。だからハクアも気負いすぎるな」
「ありがとう……今日のグレイ、なんか、満ちてるね」
「だろ。『闘術』が最も効果を発揮する日だ」
そう言ったグレイと強く密着し、その内に眠る力にハクアは触れる。
グレイの中で煮えたぎるようなそれは、ハクアの知らぬものだ。
これがグレイを超強化し、レベルカすら打倒してしまう力となるのだろう。
「『闘術』って、どういう力なの?」
そんな力に触れたから、ハクアは素直に疑問を尋ねる。
「……師匠はマヌル人の生まれに作用する力と言っていた。闘術は、昼夜と月の満ち欠けに左右される術だ」
「……不思議な、術」
「だろ。魔術とも、呪術とも、聖術とも違う」
闘術は非常に特殊な術だ。その効果は、己の肉体を強化するというただそれだけ。
しかも時によって効果が変わる。夜や満月になればなるほど効果が強くなり、昼や新月になればなるほど効果が低くなる。
新月の昼はほぼ効果が無く、満月の夜に効果が最大になる。
そして今日が、満月の日だ。
「今日の俺は最強だ。誰にも負ける気がしない」
「……かっこいい。好き」
「うおっ」
グレイがかっこつけて宣言すれば、キラキラとした目のハクアが感極まるように、より強く抱きついてきた。
その宣言は、ハクアの琴線に触れたらしい。ハクアを前に最強を名乗る者などもう久しく見ていない。
故にグレイがそう言ったことで、胸がときめいているのだろう。
「……まあ、そろそろ準備するか。気付かれないように集合場所まで行くぞ」
「ん、まかせて。偽装は、得意」
たっぷり抱き合ったところで、二人は切り替えて立ち上がる。
目指すは王城。その近くにそびえる王国兵団の施設だ。
「レインクルト様が説得して仲間にしてくれた王国兵団。そして俺達が力を合わせれば、簡単な任務だ」
「うん。行こう、グレイ」
ハクアは魔術を発動し、姿を隠して二人で家を旅立った。
これよりクリスタ王国の歴史に刻まれる、王の交代が幕を開ける。
姫騎士ハクアの運命は、ここで全て決まると言っても良いだろう。