グレイは全てが上手くいくなんて思っていない。
どんな物事だって紆余曲折あるものだし、どれほど順調に進んでいたとしても思わぬところで落とし穴があるものだ。
今回の一件で言うならば、非常に上手く行っているだろう。
レインクルトの助力を得て、戦力も充実。トントン拍子に物事が運び、気づけば作戦決行の日。
しかしその前に立ち塞がる男がいた。
「わかるかマヌルの若造。ハクア様の偉大さを──」
王国兵団訓練場。そこでグレイは大きな障害と対峙する。
「ハクア様は我らを助けてくださる素晴らしいお方だった。それがただの偶像であったとしても、それによって救われた者は多くいる」
グレイに向かってそう語りかけるのは、髭を蓄えた初老の男だった。
年齢を感じさせぬ筋骨隆々な肉体に、鋭い眼光。しかしその口が叫ぶのは、ハクアへの信望である。
「……いや。申し訳ないが、あんたがそれほどの感情を抱く理由はわからない。わからないです」
「なるほど。礼儀もなく、教養もないガキだな」
「はは……まあ、それはそう。ですね」
面と向かって馬鹿にされようと、グレイが怒ることはない。
言い方はきついが、その内容は的を射ている。グレイは確かに礼儀も教養もない。最近勉強し始めた身だ。
それにこの男を怒らせることは、作戦失敗を意味するほど重要な人物。故に下手なことは言えない。
「我ら兵士は、貴族にとってただの駒だ。魔術の使えない平民など、奴らにとっては人ですらないのだろう」
男が語るのは、王国兵団。ひいては魔術の使えぬ平民の実態だ。
「戦争のたび、魔術を発動する騎士を守るために、肉盾となるのが我らの役目。あまりに不名誉で惨めな役回りだろう。敵の攻撃で死に、しかし功績は魔術を放った騎士にある。まさに、駒だ」
「それは、厳しい話だ」
「うむ! それを変えたのがハクア様だ! ハクア様は騎士でありながら、我らを率先して守ってくださった。肉盾ではなく、兵士として扱ってくださった! この感動が、貴様にはわかるまい!」
男は感情を昂らせ、絶叫するように叫んでいた。
それが彼の、ハクアへの思いの丈なのだろう。
「いや、わかるさ。俺達も、人間扱いされないことなんて何回もあった」
「……ああ、そうか。貴様はマヌル人だな。なら、感動したことだろう。差別意識を欠片も持たぬ、ハクア様に」
確かにハクアは不思議な少女だ。王族でありながら、あれほど差別意識を持たぬのも珍しい。たとえ敵国の兵士であっても、傷つけることに心を痛める子だ。
だからこそ、ハクアを信奉し、そのために立ち上がる者達がいる。
「ああ。ハクアは本当にすごい奴だ。しかしそれ故に、苦しんでいる。だから、助けたい」
「それは同じ思いである。しかし! ハクア様と貴様は思い合っていると聞く。だが果たして相応しいと言えるのか」
同じ思いを共有した上で、レイノルドはそれを問いかけた。
「それは、これから証明していくつもりだ」
「その先に幸せはあるのか? 異人種同士の婚姻を、我が国では認めていない。……しかしハクア様の幸せこそが我らが幸せ。故に、確かめてやろう。グレイ!」
男は背負っていた大剣を構え、グレイへ向けた。
その覇気は百戦錬磨の戦士が放つものであり、彼が武人である証明。
初老となっても戦場に立ち続ける男の覇気は、グレイすら圧倒される。
「我が名は王国兵団団長、レイノルド・グレイス。ハクア様に相応しい男なのか、わしに示して見せよ!」
グレイの審査をするのは、王国兵団のトップ。
彼の助力が得られるか否かで、今回の作戦の運命が決まると言っていいだろう。
故にグレイは、彼と相対してその力を見せつける──
◇
そもそもこんなことになったきっかけは、ハクアと共に王国兵団の本拠地を訪れた故だった。
スピードを重視したため王国兵団のトップと会うのは作戦決行の日。そこで初対面となったグレイは、兵長のレイノルドにちょっと付き合えと訓練場まで連行された。
その結果これだ。
ハクアを信奉するレイノルドはグレイを簡単には認めてくれず、戦うことによってグレイが相応しい男なのか見極めようとしていた。
「手加減はしねえ」
「そんな下らないことをすればワシは貴様を見限るだろう。では、行くぞ」
そうだろう。本気でぶつかり合うことによって、相手を理解する。
それが武人というものだ。グレイもよく理解している。
故に闘術を使う。
「『闘術・起動』」
グレイから橙色のオーラが立ち昇る。
これにより、闘術はグレイに今できる限りの力を与えようとした。
「これはっ──」
そして闘術の知識がないレイノルドは、その橙色のオーラに驚き目を見開く。
だが始まりを宣言した以上、グレイが止まることはない
「しっ」
「何っ」
グレイはただ、剣を振り下ろした。
しかし恐ろしいほどの速度であり、レイノルドは反応するだけで必死だ。
だが反応できただけでレイノルドはすごい。
ある騎士は、反応することすらできなかったのだから。
「ぐうっ。なんと重い剣なのだ!」
その大剣で受け止めたレイノルドは、グレイの一撃に体を痺れさす。
そしてそれほどの隙をグレイの前に晒せば、もはやただの的だ。
二手目でレイノルドの内側に潜り込み、その鳩尾を痛打する。相手が初老の男であるなど関係なく、一人の武人としてグレイは見ていた。
「なんの!!」
二手で追い詰められたレイノルドだが、何十年も前線に立ち続けたその力は伊達ではない。
痛みも全て堪えると、グレイに向かって大剣の一撃を振り下ろした。
「!」
容赦など一切ない。並の男なら頭蓋から真っ二つにしてしまいそうなほど重い剣。
それをグレイは受け止めて――たまらず受け流して一歩下がった。
「……さすがの力だ」
「舐めんな、若造」
一大国の兵団。そのトップともなれば、強さは一級品。グレイも舐めているわけではなかったが、想定では二手目ですでに決着がついていた。それを乗り越え反撃してきたのは想定外だ。
しかし、グレイとレイノルドには埋めようのない圧倒的な差が存在する。
それは貴族と平民を生み出した絶対的な差であり、勝利など不可能と言える差であった。
「もしあんたが、魔術を使えたら。この国の最強は、あんただったかもしれない」
「っ! くだらん仮定だ」
「そうだなっ!」
グレイは一気に踏み込んで、三手目の攻撃に入る。
夜が近づくにつれ闘術の出力は高まり、それによってさらなる速さをグレイは得ていた。
レイノルドが、反応できないほどの速さだ──
「ぐふっ」
グレイとレイノルド。そこには術が使えるか否かという絶対的な差があった。
それぞれの人種でも一部の者しか使えない術。それをレイノルドは、使えない。
使えないからこそ、王国兵団の長をやっていた。
対してグレイは使える。マヌル人最強の使い手であるとも自負している。
三手目は、その差が如実に現れていた。
「貴様は、強いな。騎士団長アバンより、も。あるいはレベルカよりも」
「ああ。だけど、ハクアの隣に立つにはまだまだ。俺は、止まらない」
「……見上げた向上心だ」
レイノルドは膝をつき、もう動けない。
三手目のグレイの一撃は、速すぎて視認することも叶わなかった。
もう少し若ければ、グレイの攻撃も六手目ぐらいまで耐えられただろう。レイノルドが憧れた様々なものを、グレイは持っている。
だから
「わしらはハクア様を英雄にしてしまった。それがハクア様の望むものではないのにだ。……レインクルト様は、貴様がハクア様を救い出せる唯一だと言った。そうなのだろうな。そうなのだな?」
「間違いなく。ハクアを運命から救い出す」
レイノルドの言葉に、グレイは力強く頷く。
彼の後悔を払拭し、ハクアを運命の螺旋から救い出す覚悟があると伝えていた。
「ハクア様を救わねばならない。わしらは散々救われた。だから、今度こそ、返そう」
「ああ。だから王国兵団の助力が必要なんだ」
「わかっとる。そのために、精鋭を揃えた。魔術は使えぬが、誰もが戦場を生き抜いた最強の兵士達だ」
レイノルドはよろよろと立ち上がり、鋭い眼光でグレイを睨む。
だがその目の奥には期待と憧れが存在した。
「だがわしら凡人では、真にハクア様を救えない。救えるとしたら、英雄たる力を持つ貴様だ」
「いや、俺だけじゃ無理さ。全員で力を合わせないといけない」
「っ……」
魔術が使えぬ力不足を恥じるレイノルドを、グレイは否定し助力を求める。それにレイノルドは、目を見開いていた。
彼は魔術を使えぬことで多くの挫折を味わい、こうして苛烈な男になったのだろう。
だからその言葉に、顔を綻ばせて喜びを露わにした。
「はっ……なら、共に全力で行こうか」
「ああ!」
そして二人は握手を交わす。
レイノルドが認めたことで、全てのピースが出揃った。
ハクアを救いたい。そんな思いを持った者達が集い、大きなうねりをあげるのは、もうあと少しだ──