王都東にある貧民街。
かつては非常に治安の悪かったここも、レインクルトが国王になったことで大きく変わった場所の一つだろう。
レインクルトに協力し、共に戦った貧民街のマヌル人達。それにより、少しずつ待遇も改善されていった。
グレイによって平定され、治安もよく特産品も多くあると広まってからは王都とも活発に交流が始まり、より活気が満ちている。
南地区とは協力関係を結び、敵対している北地区も、いずれグレイにすり寄ってくるだろう。
そうすればついに平和な貧民街が生み出されるはずだ。
バルカンが約束し、しかし破った故に訪れなかった未来を、レインクルトは叶えてくれる。
マヌル人達の目には希望が灯っていた。
そんな貧民街東地区の静かな住宅地に、グレイ宅は存在する。
今はハクアとグレイが二人で静かに暮らすそこは、とても幸せな愛の巣だ。
「ん……くすぐったい」
「よしよし。甘えん坊だな」
「ふへ。好き」
イチャイチャらぶらぶ。障害がなくなり、存分に愛し合えるようになった男女というのは質が悪いものだ。
互いに互いしか見えていない。もう少し時が経てば落ち着くだろうが、今は本当に質の悪い時期だった。
それが兄を前にして、行われているのだから尚更だ。
「まあ仲が良いのはよいことだけど、ほどほどにね」
「あはは。すいません、レインクルト様」
「なに。ハクアが幸せそうなら何よりだ」
グレイ宅にて、訪れたレインクルトと二人は対面していた。
兄を前にしても幸せすぎて自制が聞かないのか、グレイに甘えるハクア。
存分に愛し合えるこの日々を堪能していた。
「まあだけど、子供ができないようには気をつけてくれ。この国は、異人種が子をなすと大罪になる」
「こ、子供……」
その言葉に、ハクアは顔を真っ赤にした。
その脳裏には何が映っているのか、目を泳がせるハクアだ。
「大丈夫です。気をつけます」
「ああ。僕は君達の恋を応援するが……非常に難しい。この法は建国当初からあるもので、魔術の力を保つためにも重要なもの。どうにか君達だけ特例で認められるかどうか、というところだ」
「ありがとう、ございます兄様。あの、沢山、迷惑かけて、ごめんなさい」
「何気にするな。妹のためだ……まあ僕からお願いがあるなら、たまにはグリシャにも会ってやってくれ、というぐらいだね」
「グリシャ、ですか?」
「とても寂しがっているよ」
腹違いのハクアの妹、グリシャとは久しく会っていない。
あれほどハクアを信望していた少女だ。とても寂しい思いをしていることだろう。
ハクアはコクリと頷いて、グリシャに会いに行くことを決める。
「それで……レインクルト様は今日はどんな、用事ですか?」
「ああ。そうだった。本題に入ろうか……少しグレイ君と二人で話したいんだ」
「へっ?」
レインクルトの言葉に、ハクアは呆けてぎゅっと強くグレイの腕を掴んだ。
◇
どうにかハクアを説得して、グレイ宅を出て静かな場所へ二人はやってくる。
レインクルトの顔は真剣であり、非常に重要な話があるのだろうとグレイは息を呑む。
「あまりグレイ君を拘束するとハクアに怒られてしまうから、手短にいこう」
「そうですね。……一体、何の話ですか?」
「……アザール帝国についてだ」
その言葉に、グレイはピクっと眉を動かす。
最近アザール帝国が動き出しているというのはゴーズから聞いた話である。
つまりそれは――
「戦争が、始まる」
「……そうですか」
戦争は終わらなかった。ハクアが逃げ出したことによって中断していた戦争が、ついに始まるのだ。
「アザール帝国に対抗するために、姫騎士ハクアを出動させろと貴族は言う」
「っでもそれは」
「ああ。ハクアはもう戦場には行けない。だけどそうは言っても、力は健在だ。だから、求めるんだよ。貴族も、国民も。姫騎士ハクアがアザール帝国を撃退してくれるってね」
「…………」
結局、何も変わらなかった。
ハクアを取り巻く戦いの運命は、容赦なく戦場へ連れ戻そうとする。
「ハ、ハクアの現状をちゃんと説明したら納得してくれるんじゃないですか? ハクアはもう、無理だって」
「それはできない。それを世間に公表すれば、アザール帝国は嬉々として全勢力を以て攻めてくるだろう」
「……っ」
姫騎士ハクアの力はあまりに絶大なのだろう。
ただ存在するだけで戦争の行方を左右するほどの力がある。
ハクアがバルカンによって洗脳されていた、というところまでは公表したが、今のハクアの状態を公表しないのは象徴としての力を期待してだ。
戦うことはさせないが、積み上げた名声は利用する。それがレインクルトの思惑だろう。
しかしそのせいで、人々がハクアを戦わせようとする。
「父上がハクアありきで軍を編成していたから生まれた歪みだ。急いで立て直しているが、数年は掛かるだろうね」
「……そんな」
つまりアザール帝国に対抗するためには、ハクアの力が必要ということ。
ハクアなしでもやっていけるようになるまでの間、ハクアを戦わせる。
でもそんなことをすればハクアは──
「無論、ハクアを戦わせるつもりはない。今のハクアがどういう状態かは先日痛いほど理解した」
グレイの懸念を、レインクルトは払拭してくれた。
しかしならば、代替案が必要だ。故にレインクルトはグレイの目を見て口を開いた。
「だから、君に。君達に協力して欲しいんだ」
「……俺ですか?」
「ああ。君達の力も先日よく理解した。だから、我が国を守る為に力を貸して欲しい」
レインクルトは、ハクアの代わりをグレイに求めた。
グレイ、そして貧民街の戦力があればアザール帝国に対抗することも可能だろう。
特にグレイの存在は非常に大きい。
現時点でハクアに次ぐ最強だ。アザール帝国の最強を打倒するには、グレイの力が必要不可欠だった。
「それは、もちろんです。俺にとってもこの国は故郷。守らないといけない奴らが、山ほどいる」
グレイはレインクルトの要請に、力強く頷いた。
バルカンが王であれば考えた要請も、レインクルトなら頷ける。
彼が王ならこの国は良い方向へ変わっていくだろう。
戦い、守り、そしてマヌル人の復権を目指す。戦いを拒否する理由はない。
「ありがとう。君達マヌル人はとてもひどい時代を過ごしたと聞く。でも、もう大丈夫だ。僕が差別のない世を作って見せるさ」
「それが実現するなら、俺も頑張れます」
レインクルトとグレイは、そう言い合って固い握手を交わした。
クリスタ人とマヌル人。両者は百年の歴史を経て、ようやく手を取り合うことができた。
これならば、アザール帝国の侵攻を防ぎ、より良い未来を作ることができるだろう。彼らはそう、希望を持った。
しかしグレイは、まだ知らない。
姫騎士ハクアの偉大さと、その存在の圧倒的な力を、まだ知らなかった。