ふと、思い出す記憶がある。
とても昔の、まだグレイが闘術を習得しようというその時の記憶だ。
「運命というのは時にどうしようもなく苦難を強いてくるものだ」
師匠の言動は、とても遠回しで詩的なものだった。
「蝶が花に導かれるように、君も英雄の道へ引きずりこまれるだろう。そういう星の下へ生まれている」
幼いグレイには、その言葉の意味は半分も理解できない。
ただ漠然と、師が己に期待しているというのだけがわかった。
だからグレイなりに、その言葉へ返答する。
「俺はそれで良いよ。みんなを守れるなら、英雄でもなんでもなってやる」
「素晴らしいね。君は英雄たりえる男だ」
師匠の武骨な手がそっとグレイの頭に置かれる。
「君なら救えるはずだよ。英雄たりえないのに、運命がその道に引きずりこもうとする少女をね」
「……?」
「マヌルの罪……人間の罪は君が浄化するのだろう」
それは生まれながらに決まっていた運命だ。
最強として生まれ、その力を自分のためではなく誰かを守る為に使うと決めた時から、その運命の螺旋がグレイを取り巻いている。
グレイは英雄になるしかなかった。
それが運命の決めたことだ。
そしてハクアも英雄になるしかなかった。
それもまた、運命が決めたことだ。
◇
貧民街の戦力は、国家の制御下に置かれていないのに恐ろしい勢力を誇る。
臭いものに蓋をするよう隔離したその末に、生まれた部隊は戦争で活躍するとレインクルトが断言するほどの力があった。
「かなり仕上がってるっすね。これは大活躍間違いなしっすよ」
「それは心強い話だな」
レインクルトから話を持ち込まれた数日後、グレイは貧民街が誇る戦闘部隊第一班の視察に訪れていた。
主に治安維持を担当する一班は、非常に高い練度を誇る。
西地区を吸収したことでさらに勢力を増し、素人目で見ても王国兵団と遜色ないと言えるほどだ。
「報酬はでかいし、みんなやる気っすよ」
「そりゃあ心強い」
ゴーズの言う通り、訓練をする者達の意欲は高い。
戦争になればグレイ達が出す給金に加え、国からも金が出る。そしてレインクルトは捨て駒などではなく、ちゃんと戦力として扱うと言ってくれた。
そこで活躍すれば、マヌル人の地位は向上するだろう。
それらの事実により、一班の面々は高い士気を保っていた。
「あと闘術使えるようになりそうな奴も三人見つかったんで、カストロンが教えてるところっす」
「それは良いな。俺とカストロンだけしか使えないのは問題だ」
さらに闘術の使い手が増えるかもしれないという嬉しいニュースも入って来る。
百年前に使い手が皆殺しにされ、つい最近まで失伝していた闘術は、貧民街においてグレイ、カストロン、そしてマクガフ司教しか使えないものだ。
何千人といるマヌル人の中で、三人しか使えぬのは非常に問題であり、それが増えるというのは喜ばしいニュースだった。
「……それが報告することっすね。……で、兄貴はどうかしたんすか?」
「何がだ?」
「あまり元気がないような気がするっす」
ゴーズは長い付き合いだからこそ、グレイの変化に敏感だ。
嬉しい報告が沢山あるはずなのに、グレイはあまり元気がない。
「……まあ、一番大事なことをやってないからな」
その理由を説明すべくそういうが、それだけでは理解できない。
「どういうことっすか?」
「戦争に行くこと……ハクアにはまだ言ってないんだよ」
「……えっ?」
その言葉に、ゴーズは呆けた。
グレイは現実逃避をするように目をつむった。
◇
ハクアは絶対に反対するだろう。
それは言わずとも察せることである。
戦争に極度の恐怖を抱くハクアは、絶対にグレイが戦場へ行くことを許してくれない。
グレイほどの強さがあれば、怪我はするかもしれないが、死にはしない。それを理解していても、絶対に許してくれないだろう。
それがハクアだ。
でも行かぬわけにはいかなかった。
ハクアという極大の戦力を欠いたクリスタ王国は、戦争で敗北することすら想定される。
だから、グレイがハクアの代わりになるしかないのだ。
少なくともバルカンが生み出した歪みを立て直すまでは、グレイが英雄になるしかない。
そうしないと、全てを守れない。
「えっ? どういう、こと?」
しかしそれをどれだけ丁寧に説明しても、ハクアは止めるはずだ。
「だ、駄目! せんそう、だめ。あんなとこ、行かないで!」
理屈ではない。
ハクアがそれを止めるのは恐怖からのことだ。
あそこがどれほど怖い場所が、心を壊したハクアはよく知っている。そんな所に最愛の人が行くと言えば、絶対に止めるのだ。
「でも行くしかないんだ。俺なら大丈夫。安心してくれ」
帰宅して、それを告げて取り乱したハクアをグレイは優しく抱きしめる。
そうして安心させるように頭を撫でるが、ハクアの震えは止まらなかった。
「だめだよ。なんで、なんで、行っちゃうの」
「みんなを守るためだ」
「っ……私のせい?」
「なわけないだろ」
ハクアはぎゅっと強く服の裾を握るが、それは違うと断言できる。
しかしハクアが切っ掛けなのは間違いない。
「俺が強いのは知ってるだろ。だから大丈夫だ」
「…………」
グレイは詳しく理由は言ってくれなかった。
それはハクアに余計な罪悪感を持たせないためだろう。
しかしハクアはわかっているのだ。
ハクアの代わりに、グレイが行くのだと。
「……いやだ」
グチャグチャになった心で、ハクアは泣いていた。
最愛の人が地獄へ行くことは許されない。でも運命がそれをなそうとする。
だからもう一度、二人だけの閉じた楽園に行こうと魔術を練り上げた。
「ハクア!」
「っ……」
「大丈夫だ。俺を信じてくれ」
それを感じ取り、グレイはハクアの顎をそっと上に上げ、目と目を合わせた。
涙に濡れ、不安と恐怖に満ちた白い瞳。
対して自信に満ちあふれ、安心させるように暖かな黒い瞳。
「……グレイ」
密かに構築されていた魔術は空に消え、ハクアはぎゅっとその体を抱きしめる。
行ってらっしゃいとは言えなかった。
でもそれ以上何も言わなかった。
ただ愛を伝えるようにずっとずっと抱きしめていた。