クリスタ王国とアザール帝国。両国を比べれば、国家としての規模が大きいのはアザール帝国である。
本来であれば、戦争はアザール帝国の勝利で終わっていた。
しかしクリスタ王国はマヌル人という奴隷を戦力に数えたり、魔術や戦術を巧みに利用したり、様々な要因が絡むことで拮抗した状況を維持していた。
最終的に姫騎士ハクアが誕生し、その状況を打ち崩す。大陸統一は目前だった。
しかしそれは、一つの歪みを生み出す。
ハクア一人で全てを解決できるから、それ以外が疎かになった。
徴兵なんてしなくても、ハクア一人がいれば良い。
戦術なんて考えずとも、ハクアが魔術を放てば良い。
姫騎士ハクアは全てを解決し、バルカンはそれに頼りきった。
たった一人に国家の命運を託す愚行ではあるが、ハクアはまだ十八歳。何年何十年と君臨し続けることが可能で、それを考えれば英断とも言えただろう。
しかしそれにハクアは耐えきれず心が壊れて、同時に歪みが顔を出す。
ハクアありきのクリスタ王国軍は、意地とプライドで愚行とも言える大軍を動かしたアザール帝国に押されていた。
「はて、姫騎士ハクアはいつ来るのか。療養中ということだが、国家の危機には駆けつけるだろう。しかし姿形も見えやしない。これはこれは、一体どういうことだろう」
不敵な笑みを浮かべたアザール帝国最強の呪術師ガーネットは、グレイと対峙しながらぺちゃくちゃと喋ることを止めやしない。
最初からずっと何かを喋り続けるこの男は、非常に不気味というしかないだろう。
グレイは顔を歪ませて、剣を構える。
「さてな。ハクアは最強の札だ。新王はそう簡単に切らないのさ」
「なるほど。前王は姫騎士を前面に押し出していた。それは愚行と言えるかもしれない。一個人に頼り切った国家の寿命は短いからな。しかし、使いどきがわからぬならそれはそれで愚行である。皆の者、構え」
「「「はっ」」」
ガーネットは命令し、グレイとアイゼンを取り囲む三人の呪術師に命令を出した。
「殺せ。この者達はクリスタ王国の最高戦力。ここで消さねばならぬ灯火だ」
その言葉に、ずっと笑顔を浮かべていたアイゼンも無表情に変わっていった。
「まったく。こいつら本気も本気。ちょー本気だぜ。恐らく全呪術師を集めている」
「……だな。戦力、違いすぎる」
グレイ達と戦うのは、ガーネットだけではない。
彼の部下らしき呪術師も次々と参戦し、あっという間に多勢に無勢。
アザール帝国は国中の戦力をかき集めてきたのだろう。
クリスタ王国も動員できるだけしたとはいえ、あまりに数が違う。
全てをかけた戦争とでも言いたげな戦力差だ。
「漏れてそうだな……ハクア様の現状」
「ああ……」
誰にも聞かれぬほど小さな声で、アイゼンとグレイはやり取りする。
やはり隠し通せるものではなかったのだろう。人の口に戸は立てられぬと言うが、その恐ろしさを痛感する。
視線をどこにやっても、アザール帝国軍に押し込まれている景色しかない。
これが姫騎士ハクアがいなくなった結果である。
「……ちっ」
己の弱さを突きつけられたようだった。
たとえグレイが闘術を全開に使える時であっても、この盤面は覆せない。
しかしハクアは覆せる。
それが二人の差だ。
姫騎士ハクアの偉大さだ。
グレイは弱い。
その力は英雄たり得ないのだと、全てが己に見せつけてくる
「ではここを支配下に置いてしまおう――『呪泥遊戯』」
ガーネットは決して容赦をしてくれない。
若造二人を囲んでも、奥義を使って仕留めに来る。
今誰を殺しておかねばならないのかを、呪術師のトップはよく理解していた。
降り注ぐ泥は足を取り、触れるだけで力を奪う。
すぐ側にある河に飛び込めば一旦は逃れられるが、流れる河の中で戦うなどそれもそれで愚の骨頂。
フィールドの支配権を、ガーネットに奪われた。
「弱気になるなよ。グレイ」
「わかってる。俺達がやるんだ」
敵は最強。しかしこいつら全員倒して、盤面を覆すしかない。
ハクアなら、それをなせる。
その代わりを務めるならば、軽くこなさなくてはならない――
「はあっ!」
最強の呪術師ガーネットに対し、グレイは一気に踏み込み勝負を挑む。
アイゼンに他の呪術師の相手をしてもらい、一対一の状況を作り出した。
「良き剣。しかしながら、これ以上があるのではないか。私はそう思ってしまう」
ガーネットの拳と、グレイの剣が打ち合った。
それで空気が揺れ、有象無象は立ち入ることすら許されぬぶつかり合いが開始する。
だが、グレイの劣勢だ。
「若者の芽を摘むのは悲しみと同時に楽しみだ」
「くだらねえ。悪趣味だな」
闘術の出力は最低レベル。となれば本来の力で戦うしかないが、相手は最強の呪術師だ。
ガーネットも呪術が使えない状況になってくれれば勝てると断言できるが、そんな夢のようなことあるはずがない。
泥が足を取り、グレイの力を奪っていく。
奥義の有無も、大きな差を生み出していた。
やはりグレイは道半ば。まだ十八の若造でしかない。
長く経験を積み、最強に至ったガーネットに多くのハンデを背負って勝つなど、どだい無理な話だ。
「くっ――」
呪いが意識を朦朧とさせて、それを振り払うために流れる河に足を付ける。
「どこにいようと意味はない。私と君の差がある限りね」
ガーネットは河に飛び込み追撃してくる。
呪いを纏ったその拳は、一撃受け止めるたびにグレイの心を抉る取るようだった。
「ああ――」
呪いが体を蝕んだとき、思ってしまうのだ。
弱い己が顔を見せ、外に何かを求めてしまう。
あるいは遙か高い壁を見たとき、誰かに助けて欲しいと願ってしまう。
『助けてくれ……』
『ハクア様さえいれば……』
『こんな、ことには――』
それは兵士達、騎士達、騎士団長であっても変わらない。
今まで助けてくれた、英雄を求める。
グレイですら、願ってしまう。
英雄が降臨して欲しいと、心の奥底で願うのだ――
「『魔王降臨』――」
世界に夜がやってきて、異界より魔が呼び出される。
それは怒号を上げて、大切な人を助けようと力を解き放つ。
魔王を瞳に焼き付けたガーネットは、目を見開いて呆けていた。
「あ――なぜ?」
闇色の光が戦場に放たれ、アザール人を全て吹き飛ばす。
そして戦場に現れたのは、闇に落ちたように暗き英雄だった。
それは一直線に、全てを無視してグレイの下へ駆けつける。
「グレイ!!」
「ハクア……」
まるで火箭のように突撃してくるのは、涙に濡れたハクアだった。
グレイの無事を確かめて、その胸の中で泣き続ける。
その体はとても冷たくて、恐怖で全身を震わせていた。
「ハクア様――」
「ハクア様が来て下さった!」
「我らの勝利は間違いない!!」
戦場から、歓喜の声が聞こえてくる。
誰もが英雄の帰還に狂乱し、劣勢だったのが嘘のように勝ち鬨を上げる。
これが英雄だ。
たった一人で戦況を変え、人々を熱狂させる本物。
姫騎士ハクアは偉大な英雄だった。
しかし当のハクアは、まるで幼子のように泣いていた。
その声を聞きたくないように、耳を塞いで泣いている。
ハクア・G・クリスタは、英雄じゃない。
「……馬鹿な。いや、しかし――私達の情報は間違っていないようだ」
そんなハクアを見て、困惑と歓喜に震える男がいる。
呪術師ガーネットは、笑っていた。
「どっか行って! グレイを傷つける奴は、許さない」
「ああ――素晴らしい。落ちた英雄の姿とは、なんと美しい芸術か」
ガーネットはそう言って一歩下がった。
「英雄は壊せる。それがわかっただけでも収穫だ」
部下達に命じて下がらせて、ガーネットは殿を務めるように去って行く。
それに対して追撃することはなかった。
多くのアザール兵はハクアの攻撃で吹き飛ばされ、残った者達もガーネットの号令で撤退していく。
戦場は歓喜の声で満ちていた。
しかしそれをなしたハクアだけが、泣いて泣いて泣き続ける。
「ハクア。大丈夫だ。ありがとう。よく頑張ったな」
「グレイっ、グレイっ、グレイっ――」
辛くて怖くてたまらなかっただろう。
でもグレイのためなら何でも出来る。だからハクアは泣きながら魔術を放ち、姫騎士になったのだ。
ハクアの前に敷かれた英雄道は未だ途切れていない。
グレイは代わりにその道を歩むことが、できなかった。