バルカン・G・クリスタが新王として即位したその日、人気の無い山道に数台の馬車と数名の人間がいた。
まるで人目を避けるように行動する彼らがいるのは、凶暴な獣。暴獣化した肉食獣達が暮らす山だ。
基本的に人が訪れることはない。しかし彼らは一つの目的を持って危険な山を訪れていた。
「ここら辺でいいだろう。これ以上行くと暴獣化した熊と鉢合わせかねない」
「だな。じゃああとは、獣達に処理してもらうか」
男達は馬車から降りて、荷台に積んであった物を日の下に晒す。
それは山と積まれた死体だった。
苦悶の表情を浮かべた、戦士達の死体。自由を勝ち取ろうと戦い、最後に裏切られたマヌル人達の死体である。
「もたもたするな。獣が集まる前に帰還するぞ」
「「はっ!」」
リーダーらしき男は大声で指示を出し、馬車から死体を人気のない山へ捨てる。
これであとは獣達が食い散らかし、証拠は一切残らない。
マヌルの英雄達は内戦で死去したということになるだろう。
「終わりました!」
「よし。では帰還する!」
死体を遺棄した男達は、再度馬車に乗り込むと全速力で下山した。
そして血に引かれるように、獣達の足音がする。
空からは怪鳥が、木々を押し倒すように暴獣化した獣達が、地中からは虫すら現れ、死体を食らおうと集うのだ。
戦士達の肉は美味いだろう。たとえ死後数日経っていたとして、構わぬほどに獣達は舌なめずり。
そして死体に手を伸ばし――
「止めなさい」
その声に、獣達は動きを止めた。
何かを恐れるように硬直し、草木の奥をじっと見つめる。
ガサガサと茂みを揺らしながら現れたのは、一人の老女だった。
「グルルルル」
「……熊か。去るんだね。死にたくなけりゃ」
「…………」
相手は小さな老女だ。数メートルはある熊が勝てぬ道理はないだろう。
しかしその青い瞳に恐怖を覚え、あっという間に集った獣達は四方に散っていく。
その場にはつまらなそうに顔をしかめた老女しか残らなかった。
「別に見捨ててもよかったけど……気まぐれって怖いものさね」
老女はそう言いながら積み上がった死体に近づき、その中に手を突っ込んだ。
青い瞳には嫌悪感など一切無く、ただ哀れみの色だけが浮んでいる。
そして老女は、その中から一つの遺体を取り出した。
「蘇生できそうなのはあんただけだ――『泡沫舞踊』」
老女が放つのは、聖術の奥義。
世界でも数十人しか使えぬ神業を、死体に向かって打ち放った。
それは全てを巻き戻し、全てを癒やす奥義である。
死んでいたはずの人間すら、たちまち蘇生してしまう。
「――ごほっごほっ。あ、ここ、は」
死の淵にいた英雄グレンザーは、老女の奥義によって蘇った。
激しく咳をして、周囲を見渡しそう呟く。
老女を見つめ、そして積み上がった死体を見つめ、何かを察するように目を伏せた。
「あ、いや……そう、だった。俺達は――」
「何があったかは知らないけど、ロクでもないことってのはわかるさね。あんた、大丈夫かい?」
「……あなたが、助けてくれたのか? あの、僕以外は?」
「もう死んでるよ。あんたがなぜ生きていたか不思議なくらいさ」
「……そうか」
その言葉で希望をなくし、グレンザーは涙を零す。
自由を求めて戦った果てがこれなど、あまりに救えない話じゃないか。
なぜ世界はこれほど残酷なことを強いてくるのか、グレンザーの心は怒りと悲しみでグチャグチャだ。
「あんた、これからどうするんだい?」
「……どうしよう。わからない。もう、何も、わからないよ」
「そうかい。まあ、一応言っておくと体はボロボロ。もう二度と元には戻らない。ゆっくり静かに暮らすんだね。戦うなんてもってのほかだよ」
老女はそう言って、グレンザーの唯一の長所を奪ってきた。
このまま復讐でもして仲間の後を追うかと考えたグレンザーだが、それを果たせぬならただの無駄死にだ。
ふと己の内に集中すれば、ボロボロの肉体を認識する。確かにこれなら、バルカンの下まで刃を届かせることはできないだろう。
良くてもレベルカと差し違えて終わるぐらい。
なら、駄目だ。意味がない。
「どうすれば良いんだ。もう、わかんない。僕はっ」
「……何があったかは聞かないよ。でも、逃げなさい。今は何かをしようとしてはいけない。それがあたしの診断だ」
「逃げるって、どこへ?」
「……あたしの故郷に行けばいい。僻地にあるから、あんたにそれをなした者の手も届かない」
グレンザーはその目を見て、己の手を見て、小さく頷いた。
「っ……ありがとう。そうする」
何をするにしても、今の自分では何も出来ない。
だから、逃げるしかなかった。バルカン達の手の届かぬ遠くまで逃げて、息を潜めるしかなかった。
「地図はあげる。ここに行って、あたしの名前、メルペルを出せば良くしてくれるはずだ。……多分ね」
老女はとても優しかった。死にかけのグレンザーに己の物を分け与え、助かる道筋まで示してくれる。
裏切られて傷ついていたグレンザーには、その優しさが骨身にまで染みていた。
「あの、ありがとう。今度、お礼は絶対するよ」
「気にしないで良いよ。これはあたしに残った最後の良心。それとここで決別するための優しささ」
老女にも、いろいろな思いがあるのだろう。
故にそれを素直に受け取り、グレンザーは立ち上がった。
「じゃあね」
「あ、ああ。……その、最後に一つ。仲間達の死体を埋葬するのを、手伝って貰えないだろうか?」
「……要求するね。まあ、良いよ。あたしもこれを放置したら寝覚めが悪い」
グレンザーは出立の前に老女と一緒に仲間の死体を弔った。
必ず彼らの無念を晴らす。そう、心に誓いながら。
◇
老女の地図を頼りにたどり着いたのは、遙か北の小国だった。
そこはグレンザーの知らない場所。四つの人種が共存する理想郷のような国だ。
老女メルペルの名を出せば、少しの悶着はあれど滞在を許可された。
そこでグレンザーは、初めて自由というものを知った。
奴隷ではなく、人として生きるという素晴らしさ。四人種が啀み合うことなく共存する平和。
それはずっと夢見てきたグレンザーにとっての理想郷だ。
しかし同時に、深い罪悪感を感じていた。
仲間達を判断ミスで死なせた己だけが、幸せを謳歌して良いのか。良いわけがない。
なぜ仲間達は死ななくてはいけないのか。
なぜ自分だけが生き残ってしまったのか。
理想郷にいるはずなのに、グレンザーの心は闇に落ちていく。
ただ毎日のように祈りを捧げ、仲間達に懺悔することでどうにか心を保っていたような状況だった。
だから、グレンザーは〝神〟という存在に救われたのだろう。
その国には神話があった。
この世界を創造した神がいて、神の下で全ては平等だったという神話だ。
それを人々は神を欲望のために世界から追い出して、支配したから争いが生まれた。
神を追い出したから、人々はその罪を背負って苦難な人生を歩むこととなる。
そういう、この国ではありふれた神話である。
「ああ。神父様。僕達の不幸は、神を追い出したことから始まったのですね」
「ええそうです。なので神に祈り、日々正しく生きるのです」
グレンザーは、神話を聞かせてくれた神父に涙を流して説法を求めていた。
それがグレンザーの救いだった。
不幸には理由が必要だ。でなければ人は壊れてしまう。
グレンザーにとって、その神の存在が不幸の理由となったのだ。
「ああ。神の許しを請うことで、僕達は全ての不幸から脱却できる」
「ええ……まあそうとも言い切れませんが」
「そうですね、神父様!!」
「……そ、そうですね」
グレンザーは神父よりも熱心に神へと傾倒した。
神話を研究し、神がなんなのか探求する。それにより、グレンザーは贖罪の機会を得ようとした
それが仲間の無念を晴らす道だと思ったのだ。
ずっと捜した。神という存在がどこへいるのか血眼になって捜した。
神を助け、許しを請うためにだ。
古文書を舐めるように何度も読み込み、神の跡を捜し、そしてようやくグレンザーは発見した。
神は追い出した四人種を恐れている。故にもし、その中で神にすら届きうる強力な個体が生まれたなら、全力で潰しに来るだろう。
使いを世に放ち、その命を刈り取ろうとするはずだ。
「ああ。神はまたこの世に降臨してくださるのか。なら、その時贖罪の機会がうまれるはずだ」
グレンザーはついにたどり着き、歓喜に震えていた。
研究に没頭し十年以上の月日が経過し、ようやくだ。これでようやく、仲間達の無念を晴らすことができるだろう。
グレンザーは神に許されることこそが、救われる唯一の方法だと見いだした。
そして同時期、一つの噂がグレンザーの耳に入ってくる。
道を歩いていたグレンザーは、露店で世間話をする二人の会話に耳を惹かれた。
「なあ知ってるか。南のクリスタ王国ってところで凄い英雄が生まれたらしい」
「どうすごいんだ?」
「人外の力を持つ少女で――彼女は全身が白いらしい」
それが一つの切っ掛けだった。
「っその話、詳しく聞かせてくれないか!!」
「うおっ。誰だお前」
グレンザーはその言葉に食らいつき、世間話をしていた彼らの間に割って入る。
突然話しかけたグレンザーに驚きつつも、彼らは詳しく聞かせてくれた。
いわく、クリスタ王国にて姫騎士ハクアという規格外の化け物が生まれたらしい。
彼女は四人種どの色でもない、白を持っており、神の生まれ変わりと言われている。
「そうか。ありがとう!」
グレンザーは笑みを浮かべ、一気に足を踏み出し走り出した。
向かうは故郷たるクリスタ王国。かつて奴隷として使役され、裏切られたその地へ、二十二年ぶりにグレンザーは足を踏み入れようとしていた。