貧民街東地区。そこは常に活気に満ちているが、少し入り組んだ道に入れば静寂が訪れる。
その果てにあるのが東地区の主グレイの邸宅だ。
とても静かで美しい家。かつてはグレイが住み、いつしかハクアとの家になった場所。しかし今は、人気もなくガランとしていた。
花壇の花は全て枯れ、鉢に数株あるぐらい。中に入れば時が止まったように、あの日のまま保存されている。
二人分の食器。二人分の洗面具。二人分の服。二人分の椅子。
だけどその、二人がいない。
時が止まったような静寂が支配した、寂しい家だった。
「……グレイさんは、いつ帰ってくるんでしょうね」
その光景を見て、セリアはポツリと呟いた。
目を瞑り、思いを馳せ、当初の目的を思い出すように掃除道具を手に取る。
「最低限の掃除はしておきます。だから、早く帰ってきてくださいね」
セリアは悲しげにそう独り言を言って、箒で床を掃き始めた。
その目に映るのは、言いようのない不安である。
グレイが戦場に行き、ハクアがそれを追いかけたあの日から――すでに一年が経過していた。
グレイが戦場で行方不明になったと聞いて、絶望したのは覚えている。
そしてグレイという最高戦力を欠いたクリスタ王国軍は、ハクアに頼り切るしかなかった。
そんな戦争は未だ続いていて、国を守るためハクアも前線から離れられない。
どちらかが倒れるまで続く、地獄の戦が終わる気配は微塵も無かった。
カストロンはみんなを守るためにグレイに代わって必死でマヌル人達を率いて、帰ってくることはほとんどない。
今はセリア、リズリー、そしてたまに帰って来るゴーズの三人でどうにか貧民街を治めていた。
「いつ、戦争が終わって……みなさん帰ってくるのでしょうね」
不安から、セリアはそう吐露する。
しかしそれで何かが変わるわけがない。
静寂が、セリアに応えてくれた。
「はあ……」
だからセリア溜め息をついて、掃除道具をしまい家を出た。
「あ、セリア。ここにいたのね」
「リズリー? どうしたんですか?」
そしてセリアが仕事に戻ろうかと歩き出したところで、幼馴染のリズリーと鉢合わせる。
「またいろんな値が上がったから相談したくて捜してたの。このままだと、また飢餓が蔓延しそうだわ」
「……そうですか」
そして告げられた言葉に、セリアは複雑な思いで目を伏せた。
「男手は足りないし、治安は悪化するし、もう最悪。早く戦争が終わってくれないとこのままじゃやばいわね」
「……どこも、そんな感じですね」
本当に頭を抱えたくなるような状況だった。
戦争は終わる気配がない。兵力が足りないから、どんどん戦地に男が送られる。
しかし姫騎士に頼り切ったこの国では、民間の兵力が帝国とは雲泥の差。
すでに心がボロボロの姫騎士ありきで成り立っているような状況だった。
「グレイさんがいれば、マシになったんですかね?」
「あいつ一人で何が変わる、と言いたいけど、多分どうにかしちゃうんでしょうね。あいつはそういう奴よ。私達の英雄だもん」
「はい。だから、早く帰ってきてくれないと困っちゃいますね」
セリアとリズリーは揃って溜め息をつき、願った。
英雄の再来を。
全てを解決し、平和に導くヒーローが帰ってこないかと、そう願った。
◇
コーヒーは眠気を覚ましてくれる。
グリシャ・G・クリスタは、眠らなくて良いこの不思議な飲み物を病的までに愛飲していた。
「見つからない。どこにいる。どにいるのだ、貴様は」
苛立ちが顔を見せる度、グリシャはコーヒーを一気に飲み干す。
もう数日は寝ていないが、ようやく頭が冴えてきたところだ。
その目に映るのは、大半が黒塗りされた大陸地図。
「私から逃げられると思うなよ。姉様を泣かせたクソ馬鹿男が」
グリシャは舌打ちをしながら、入って来た情報を元に地図を黒く塗りつぶしていた。
捜しているのは、姉の想い人。
突如として行方不明になり、煙のように消えた男グレイだ。
「どこにいる。クリスタ王国内にはいなかった。アザール帝国にもおそらくはいない。ならば他国。しかしクルル聖王国にも恐らくいない」
ブツブツと呟きながら、クリスタ王国が必死に捜した以上の情報をグリシャは紙に記していく。
それはグリシャが独自に調べた情報だ。
全ては敬愛する姉のため。
グレイをなくし、国を守るために戦うしかなくなり、ボロボロになった姉を救うため、グリシャは寝る間も惜しんでグレイを捜していた。
この広い大陸から一人の人間を捜すなど無理難題も良いところ。しかしグリシャはそれをなす。
かつてハクアとグレイの逢瀬を突き止めたように、何かを捜す才が自分にはあると信じて血眼で行動していた。
「グリシャ様! 失礼します」
「どうした?」
バンっと扉を開けて入って来たのは、グリシャ直属のメイドである。
「走馬より、グリシャ様へと」
「っ!」
その手には報告書が握られていて、グリシャはすぐそれを受け取り目を通した。
「……これは」
「グリシャ様。大丈夫でしょうか?」
「……目撃証言だ」
もたらされた報告書に記されていたのは、グレイの目撃証言。
灰色の髪のマヌル人を、国境付近で見かけたというものだ。
しかしこの程度の目撃証言なら何度もあったし、全て誤報というのが過去の結果。
「目撃された場所に調査員を派遣しますか?」
「……そうだな。一応そうしよう」
少し腑に落ちないものを感じながらも、グリシャは頷きその提言を受け入れた。
「何かありましたか? 報告書に問題でも?」
「いや……外見情報は合っているのだが、それ以外がな」
「と言いますと?」
メイドの問いかけに言葉を詰まらせながらも、グリシャは告げる。
「今にも誰かを殺しそうな、殺人鬼みたいな雰囲気を持っていたらしい――」