火の鳥 九州王朝編   作:tsunagi

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迷ひ星の影

 

  鋼紀柒拾玖年己巳

    參月戊辰 辛未朔戊子

 

 

 天網(てんまう)(あまね)く、十干十二支(じつかんじふにし)の輪列は絕えずして、いざ果てる老星の殘影、(はな)つは數阡萬歲の彼方。(いづ)れは銀河の流渾(りうこん)も次代の泡沫(はうまつ)()してや人の卋の習ひなぞ、夜露の(またた)きに()かずして、()もすれば、

 

    詐史記眞  詐史、眞を記し

    正史記僞  正史、僞を記す

 

 (けだ)し考古は夜明けを知らぬ樂浪(らくらう)晦中(かいちゆう)(たと)扶桑(ふさう)の東の東に流されやうと、時の笹舟が搖蕩(たゆた)ふ光路と遍歷、今(もつ)て、周髀算經(しうひさんけい)、其の眞里(ことはり)(かい)(ちう)を手繰る。(なんぢ)礙風(がいふう)缺帆(けつぱん)(から)げる事()かれ。忘鄕(ばうきやう)不歸(ふき)(たしな)みと(うそぶ)き、後塵に排した在りし日の門出。紅顏(こうがん)()古した旅裝に(かす)れ、振り(さけ)見れば(みち)勿き(みち)の行き摺りに、夢、跡形も()く。艢下(しやうか)卷索(くわんさく)を枕に干淚(かんるい)()し、有終の號砲(がうはう)、はた心琴を(ろう)す。(なんぢ)、禁書を()ぢる事勿かれ。鏡兆(きやうてう)の導く(まま)に、神代の傳承(でんしよう)を辿る()し。

 

 

 互ひの更なる壯行を期し、銀河超特急999號と針路を(かく)した、狹丹塗(さにぬ)りの舶鯨(はくげい)、クイーン・エメラルダス號。名にし()ふ女海賊が()べる、紛爭(ふんさう)の返り血で身を(そそ)いだ(あか)い黑船が、銀瀾(ぎんらん)の限りを()くす系外の宙域に、護衞(ごゑい)勿き不屈の隻影(せきえい)を橫たへ、沈思に(ぼつ)してゐる。蹴汰魂(けたたま)しく(ひらめ)いた、一瞥(いちべつ)も介さぬ無言の再會(さいくわい)と惜別。(ふた)りの女王が擦れ違ひ、闇に(はじ)けた、再び交はる事の勿い奇蹟の紅點(こうてん)()の一瞬に金輪際の三文字を胸に刻み、黑鐵の十一輛編成を見送つた髑髏の紋章は、敵と我が身に死の辨證法(メメントモリ)を戒める、幽鬱で(いか)めしい鬼相を深深(ふかぶか)と被り直し、舳先(へさき)に降臨した從軍(じゆうぐん)の女神像は、聞こえる筈の勿い汽笛の韻曳(ゐんえい)に心を澄ます。(すべ)ては行つて(しま)つた。辰宿列張(しんしゆくれつちやう)の大海原で無用な未練は命取り。本の半步でも()(とど)まれば、其處(そこ)無名(むみやう)の墓碑と()る。そんな支援も資源も()たれた系外で、取り(のこ)された女王は、咳をしても(ひと)り。死期が迫り、鋭くなつた鼻梁を限る縫合痕を、舐める樣に滴る脂汗を拭はうともせず、身を投げ出した船長室のベッドの上で酸素マスクに齧り付いた(まま)天蓋(てんがい)を蔽ふ老木の梢を見上げ、張りぼての飛行船で膨れ上がつた、スペースノイド解放戰線總裁(そうさい)()ふ、ホロ苦い虛榮心に痺れてゐた。

 神の見放した地球以外に新しいエルサレムを求め、星星流轉(るてん)討征(たうせい)に明け暮れた半生の(はて)に、製藥會社と御用學者が散々(いぢ)り倒した商用生物兵器と、宙域に漂ふ出自不明の鹽基(えんき)配列が交雜(かうざつ)した未知のウイルスに(むしば)まれ、手の施しやうが勿くなつたゲル狀の肺の()は、最早、「物の分別より氣概に生きる。」と息()く事すら(かな)は勿い。()して死を待つ身に取つて、鉄郞の有り(あま)る若さの(きら)めきと、星辰(せいしん)を逆行するに等しい己の運命に挑む血意は、一服の淸涼劑(どころ)か劇藥に等しく、火酒を浴びた樣に()せ返り、跳ね馬の如き横隔膜が(やつ)れた脊椎に鞭を打つ。

 星の原野を鐵路(てつろ)(かけ)郞子(いらつこ)。そんな星の名の許に產まれた少年に焚き付けられて、

 「神の物語を()け。」

 人恋しさから饒舌(ぜうぜつ)()り、大それた事を口に()て終つた氣恥づかしさと、無け無しの矜恃(きようじ)出涸(でが)らしの體力(たいりよく)と心肺機能で、こんなにも胸が躍り、熱く爲れるとは。枯れた草程、良く燃えると云ふ事か。命の炎群(ほむら)()きる最期の惡足搔(わるあが)き。線香花火の樣な(わづ)かな餘生(よせい)に、來卋(らいせ)を前借り出來(でき)()てなぞ望む()くも()く、旅の恥ぢを搔き捨ててきた其の負ひ目を、己の命で決濟(けつさい)する事しか出來勿い。自前の(からだ)に裏切られた本物の孤獨が研ぎ澄ます、闇を越えた闇へと何處(いつ)迄も(もぐ)り込んでいく自己認識。魂は光に餓ゑて死ぬ。病床から腰を上げた丈けで立ち(くら)み、意識が飛ぶ末期患者だ。()の儘、白想のベールに包まれて息を引き取るのも滿更(まんざら)ぢや勿い。(しか)()の前に、一つ()け遣り殘した、己の()()き事を()し、果たす可き物を果たさねば。强がりを云ふ相手も消え失せた絕界の孤舟(こしう)。宇宙の(たから)なぞ、何處(どこ)にも勿かつた。責めて最期の一仕事()けでも(まつた)うしなければ。

 エメラルダスは船長室の扉の向かふで(うご)く無言の氣配に、ズレ落ちた髑髏のヘアブローチを直し(なが)ら、痰の絡んだ()め息を()いた。艦内クーデターで襤褸(ぼろ)を出し、合はせる顏の勿い臣下(しんか)達の、撥条(ぜんまい)仕掛けでしか勿い默禮(もくれい)。天庭の紅孔雀も地に(おち)ちた。銀河光路の圈外を雄雄(をを)しく羽擊(はばた)いていれば、スペアノイドに寢首を搔かれる事なぞ勿い物を。標準裝備のアルゴリズムに改悛(かいしゆん)の念を期待するなぞバッテリーと時閒の無駄と許りに、エメラルダスは血の(にじ)鶴聲(かくせい)を飛ばした。

 「もう良い。影に戾つて下がれ。」

 次次と中央管制の合成義惱(ぎなう)に同期して筐體(きやうたい)を格納し、輯積(しふせき)化した電影の地下室に(もぐ)り込む機畜の群れ。人口被膜もカウリングも勿い甲殼(かふかく)の上から被つてゐたブルカが主を失ひ、舞ひ降りた床に折り重なつていく。あんなサポート期限の切れた形代(かたしろ)、幾ら(なら)べても目障りな丈け。手當(てあ)たり次第に叱責し、憂さを晴らす氣にも爲れ勿い。()うと判つてゐて何故、返品不可のワゴンセールに手を出して(しま)ふのか。農耕家畜と愛玩動物、奴隸と愛人は紙一重だ。心の何處(どこ)かで其處(そこ)に慰みを求めてゐるのだとしたら。力()きて地に墮ちたのなら未だしも、愛の巢を求めて地に墮ちた孔雀なぞ見たくも勿い。

 ヘッドボード脇のキャビネットで光貴を(たた)へる、八咫(やた)一周、青銅、仿製(ばうせい)内行花紋(ないかうかもん)。其の磨き上げられた鏡面に映る、血の氣が失せて顳顬(こめかみ)が土氣色に變色(へんしよく)し、顴骨(くわんこつ)から外顎(ぐわいがく)へと削ぎ落ちた、虫の息の靑娥(せいが)に手を(かざ)し、エメラルダスは傳磁束揚錨機(ウィンドラス)主動力(ブレーカー)爪彈(つまび)くと、所在勿げに光指(くわうし)を絡め、仙女座(アンドロメダ)の星屑を(かぞ)へてゐた探照燈(サーチライト)が七色に放電し、豫熱(よねつ)(はら)光束核幽囂爐(ゴーストエンジン)に共振してゐた埀平尾翼が反り上がり、虛しく咲き誇つてゐた、ゴンドラ式木造キャビンのガレオン船を(かざ)り立てる、艤裝の限りを盡くした豪奢(がうしや)なレリーフが色めいて、一矢討星(いつしたうせい)の主砲を尖頭に、過積載のウェポンコンテナを持て(あま)してゐた鋼殼氣嚢(バルーン)が、銀河鐵道公安警備の派遣した裝甲車輌を、一擊で仕畱(しと)めた暴威で張り詰めていく。祝砲勿き拔錨(ばつべう)捕索(ほさく)。脇腹の内骨龍が(きし)みを上げ、飛行船の(まと)天鵞絨(ビロード)のキルティングに(ちりば)めた核濫粒子(かくらんりふし)のラメが綺羅星(きらぼし)を裝ひ、天河の黑潮に冥彩化していく。

 「火星の探査情報は更新されたか。自轉、公轉速度、地軸、眞円率の觀測データに變化は勿いか。」

 大航海時代の懷古趣味で厚化粧をした二層式船尾樓(せんびろう)の意匠に(かこ)まれて、舵柄(だへい)(もた)れる事すら敵はず、病床から指揮するエメラルダスが靑銅の御鏡(みかがみ)に問ひ(ただ)すと、管制室の合成義惱は銀河鐵道株式會社が提携先へ限定開示してゐるサーバーから檢索(けんさく)した結果を、宙響發振(ちうきやうはつしん)モニターを介し淡淡と()み上げていく。

 「決壞(ケツクワイ)シタ帶域(タイイキ)ノ狀況ハ漏洩機密ノ破砕流(ストーム)ニ阻マレテ、電寇防壘(デンコウバウルイ)ヲ突破シタ經路(ケイロ)ノ特定モ含メ、進展ハ有リマセン。」

 「重合體(ぢゆうがふたい)(くわん)する構造解析と被害報吿は。」

 「インデックス二混在スル覺變(カクヘン)履歷ノ追跡ト、多發(タハツ)的構文單位(タンヰ)解讀(カイドク)ガ白紙ニ戾リ、電劾重合體(デンガイヂユウガフタイ)核因子ノ實態(ジツタイ)究明ハ、依然トシテ捗捗(ハカバカ)シク有リマセン。新シイ被害報吿ニ(クワン)シテハ、太陽系外緣環狀線ノ遭難車輌ガ電劾重合體ニ()ル物ト判明。運行識別番號(バンガウ)ハGL-776。周遊型臨時列車デス。其ノ後、銀河超特急999號モ同重力底層帶ニ滑落シ、GL-776ニ追突シテヰマスガ、銀河超特急999號ノ損傷ハ輕微(ケイビ)デ在ツタ(タメ)、復旧作業ノ後、(スミ)ヤカニ重力底層帶ヲ離脫シ無限軌道ニ合流シテヰマス。GL-776ハ遺體(ヰタイ)囘收(クワイシウ)ヲ終ヘテヰル物ノ、殘畱(ザンリウ)因子ノ除染ガ難航シ、車輌ハ事故當時(タウジ)ノ狀態デ放置サレタ儘デス。」

 「何、999が。()うと判つてゐれば、鉄郞や999のデータベースから現場の詳細を聞き取れた物を。星の巡りの惡さには()(すべ)が勿い。(いづ)れにせよ999を()き込むとも()れば何か在る。(たと)へ後手を()んでも足を運ぶに()くは()い。上りの進路に在るのも出來過ぎだ。急行しろ。」

 「デスガ、殘畱因子ガ。」

 合成義惱が其處迄()ひ掛けると、エメラルダスは管制室との交信を切り、プロパティを開いて合成義惱の應答係數(おうたふけいすう)を書き換へ、自動航行のポインターを現場の座標に手動で重ね合はせた。

 「殘畱因子の(ごと)き落ち(こぼ)れに手を燒いて、火星の本丸に挑めるか。態々(わざわざ)居座つてゐるのなら、此の手で尻尾を摑む迄だ。」

 

 

 

 遺體の囘收作業と中斷した除染作業に因つて飛散した、破片と粉塵が埀れ籠める(もや)の向かふに、(から)うじて判讀出來るラッピングの“GL-776”。御鏡(みかがみ)越しの船外モニターに映る、飴色に變質(へんしつ)し、砂繪(すなゑ)の樣に崩壞した流線型のロゴタイプは、重力の底に叩き落とされた事故の凄まじさより、人事の及ばぬ因果の虛しさを代辯(だいべん)してゐる。遭難現場と云ふより古代文明の發掘現場に足を蹈み入れた聖謐(せいひつ)戰慄(せんりつ)古址(こし)萬死(ばんし)を語り、寡聞(くわぶん)萬感(ばんかん)(しの)ぐ。事後處理(しより)(まま)ならず、實況(じつきやう)見分も其處其處(そこそこ)に放置されたと()()けで、こんな爆發的經年變化(けいねんへんくわ)()得勿(えな)い。武力衝突に因つて蹂躙(じうりん)された數多(あまた)の修羅場や焦土(せうど)を、望觀(ばうくわん)睥睨(へいげい)してきたエメラルダスですら眼を(みは)る異形と狀景。脫輪した儘、智惠の輪の樣に聯結(れんけつ)器で屈曲してゐる幽靈(いうれい)列車の一輛一輛が、盜掘された王墓の玄室(くらきや)の樣に、見捨てられた榮華を飄飄(へうへう)(さら)してゐる。

 奇病を(わづら)ひ、死の淵を舐める女王に取つて、他人事(ひとごと)では勿い其の末路。己の墓を自らの手で暴いて終つた錯覺(さくかく)嘲笑(あざわら)ふ事も()()付く事も出來勿い旣視(きし)感と暗示に、呑み下す事の出來勿ぬ血痰が執拗に絡み附く。此れが銀河鐵道管轄の在來軌道から、半步でも足を蹈み外した物の現實(げんじつ)。其れは系外光路で無法を極めるエメラルダスとて例外では勿い。(さう)して、擊沈されたらハイ其れ迄の海賊稼業と較べたら、重力の蟻地獄に叩き落とされたとは云へ、遺體を囘收して貰へる丈け此の遭難列車は()しな方だ。宇宙線と車内の窒息した大氣に因つて腐蝕し、蛛網(ちゆうまう)(ごと)きコーティングの龜裂(きれつ)で覆はれた外裝。天板や備品が剝落し、瓦礫の下敷きで葬列を成す、スプリングの飛び出した無人のリクライニングシート。大破とは一味違ふ凄慘。尋常で勿い時空を超えた荒涼。リゾート氣分の成れの果てと云ふには、隨分(ずいぶん)と手の込んだ事を()る。()()ると、(やつこ)さんは(ひと)りと限ら勿い。面白い案件は幾つも尻尾がブラ下がつてゐる物だ。

 エメラルダス號を遭難車輌に接舷して錨索(いかりづな)を解投すると、ウイルスの巢窟(さうくつ)と化した肺の腑に鞭を打ち、(やまひ)(しとね)から身を起こした女王は、御鏡(みかがみ)の船外モニターを管制室に切り換へた。

 「劣化した車體(しやたい)のサンプルを經年較正曲線と對照(たいせう)し、周圍(しうゐ)に漂流してゐる殘骸も含めて、現場に染核同位信號(アイソトープ)を放射しろ。其れと列車のタイムスケジュールだ。各停車驛の到著時刻と出發時刻に乘客名簿、遭難信號と囘收された電操レコーダー、脫線した軌點(きてん)の履歷が有るのなら其れも(しら)べろ。」

 機族が誇る永遠の命を奪つた、一澑(ひとた)まりも勿い彼我(ひが)の所業。神の時辰儀(じしんぎ)數仟(すうせん)年單位で空轉(くうてん)させたとも爲れば、こんな藝當(げいたう)が出來るのは宇宙(ひろ)しと云へども(ひと)りしか居勿い。電劾重合體の影を追つてゐる内に、實體(じつたい)が影よりも薄い、眼の前に居乍(ゐなが)ら、幽明(いうめい)(さかひ)()にする()の女に突き()たるとは。999と別れた(ばか)りで()の因緣。燃え()きる命の誘蛾灯に引き寄せられて、惡友から惡友へと渡る鞘當(さやあ)てに運命も(いき)な事をする。除染作業が進まぬと云ふのも()の女が入り(びた)つてゐるからか。萬有(ばんいう)萬物を網羅する砂時計の(ささや)きを、(まばた)き一つで時爆裝置の死の宣告に()へる奴の事なら、重合體を手懷(てなづ)けても不思議では勿い。火星の大掃除で惡魔の手も借り()(ところ)だ。此の墓穴は飛んだ掘り出し物に成るやも知れぬ。(あるじ)勿き(ひつぎ)の中に盜り(こぼ)した凶惡な副葬品。勿體振(もつたいぶ)つた禁忌(きんき)寂寞(せきばく)を走査する探照燈(サーチライト)烱光(けいくわう)崩射線。

 「出て來い竜頭(りゆうづ)。」

 チアノーゼで(かす)れた唇を()み、エメラルダスは透晳(とうせき)スコープを(よぎ)魚影(エコー)に眼を凝らす。其處(そこ)へ、

 「事故當日(タウジツ)ノ列車ノ運行記錄ヲ報吿シマス。GL-776ハ、大長(ダイチヤウ)阡肆佰陸拾伍(1465)乙巳(キノトミ)(2)丙寅(ヒノエトラ)辛丑朔(カノエウシノツイタチ)丙午(ヒノエウマノヒ)正午(シヤウゴ)、定刻通リ始發(エキ)ノ・・・・・・。」

 合成義惱の平坦な報聯相(ほうれんさう)が水を差し、女王は御鏡の(ましま)すサイドキャビネットに、握力の入らぬ拳を振り下ろした。

 「オイ、復た例の年號(ねんがう)干支(えと)にタイムコードが化けてゐるぞ。汚染されてゐるのは何處だ。眞逆、銀河鐵道中央管理局のデータベースに迄、達してる(わけ)では有るまい。」

 「(マウ)(ワケ)御座イマセン。除染作業ノ(オク)レ二因リ滯畱(タイリウ)シテヰル、電劾性核種ノ電荷ニ、管制宙枢(チウスウ)の入出力系統ガ、不正ニ誘導サレテヰル物ト思ハレマス。運行記錄ヲ鋼統機元(カウトウキゲン)ニ換算シマスト・・・・・・・。」

 「もう良い。」

 時を(もてあそ)石女(うまづめ)に、過ぎ去りし千代の來訪者。()れは屍肉(しにく)を嗅ぎ付けて出會(でくは)した同じ穴のハイエナなのか。此の狂つた時の齒車は、雞卵(けいらん)、何方が先なのか。絡み合ふ謎と猜疑の萬華鏡(まんげきやう)。エメラルダスは舌火(ぜつか)を飛ばし、眩惑(げんわく)()れる己を叱咤(しつた)した。

 「重合體の缺片(かけら)に足を取られて(もつ)れる位なら根元から斬り落とせ。そんな蜥蜴(とかげ)の尻尾に用は勿い。本體(ほんたい)何處(どこ)だ。」

 「傳導(デンダウ)率ノ安定シタ車體(シヤタイ)ノ通電部位ニ、電劾重合體ト(オボ)シキ蠕動(ゼンドウ)波形ガ、帶電シテヰマス。」

 「其の怪周波(くわいしうは)(あぶ)り出せ。」

 「()レト・・・・・・。」

 「()れと、何だ?」

 「・・・・・・・・鳥デス。」

 「鳥?」

 「雉科孔雀(ゾク)(オボ)シキ鳥デス。六號車ノ集傳裝置(パンタグラフ)ニ停マツテ、當船(タウセン)觀察(クワンサツ)シテヰマス。」

 業務聯絡(れんらく)の其れ以上でも、其れ以下でも勿い、一拍()()いた合成義惱の聲色(こわいろ)(しか)し、意味が全く追ひ附か勿い。完全に場違ひな生存者に、耳を疑ふ事すら忘れて()つ白に爲つた女王の頭の中に、扇狀に(ひろ)げた(かざ)(ばね)が優雅に舞ひ降りてくる。眞顏(まがほ)で云つてゐるのか。低音の()けたビープ音に毛が生えた程度のテキストリーダーでは表情が讀める筈も勿く、今一度、應答履歷を再生するのも思ひ(とど)まり、エメラルダスは御鏡を透晳スコープから船外モニターに切り換へた。愛玩用の自律模型(クレイ)なら、探照燈(サーチライト)の走査線が一瞬で化けの皮を()いでゐる筈で、眞逆(まさか)、自前の宇宙服で無人の周遊列車に巢くつてゐる何て、そんな閑古鳥(かんこどり)、聞いた事が勿い。船外は絕對(ぜつたい)温度で2.7K(ケルピン)攝氏(せつし)-270.45℃に達する、宇宙線の嵐と無氣壓(むきあつ)の極限卋界だ。(わづ)數分(すうふん)でも耐へられるのはクマムシ位の物で、其れ以外に、此の絕望的な必死の領域を凌駕する存在と云つたら、(まさ)に、不死鳥。己の異名に相通ずる未知の生命の豫感(よかん)。エメラルダスはモニターに映し出された、絡まり合ふ車列の六號車を眼で追つた。(しか)し、集傳裝置(パンタグラフ)の周辺を拡大表示しても、其れらしき禽影(きんえい)見當(みあ)たら勿い。

 「何處だ、其の鳥をフォーカスしろ。」

 「此ノ鳥デス。」

 合成義惱は卽應(そくおう)するも、スイッチングした箇所には押し潰された集傳裝置(パンタグラフ)と各部の材質、劣化指數がレイヤー表示されてゐる丈けで、無機無情な靜止(ぐわ)が鏡面に貼り付いてゐる。

 此處(ここ)に鳥が?耳()けでは飽き足らず、我が眼も疑ふ怪訝(けげん)續報(ぞくほう)()の合成義惱、セコハンで換裝した都督(ととく)の分際で、船主を試してゐるのか。其れとも、大氣圏外を飛び交ふ未だ見ぬ鳥類が、重力の特異点を制空し、人閒の可視領域波長を越える、偏光素子の體毛(たいもう)で擬態してゐるとでも云ふのか。機械に迄()めらて(しま)ふとは()も末だ。苦笑の(あま)り卑屈に歪んだ、鼻梁(びりやう)(かぎ)る縫合痕。地に墮ちた筈の女王の矜恃(きようぢ)は、未だ踊り場の上を(ころ)がつてゐた丈けらしい。

 「ならば、其の鳥とやらを()()りにしてみろ。」

 「()ノ鳥ヲ、デスカ?」

 「()うだ。」

 神經(しんけい)質なシーク音を搔き(むし)り、沈默に()す合成義惱。(そもそ)も、船長の司令を卽座(そくざ)實行(じつかう)せず、聞き返してくる事自體(じたい)が有り得勿い。其の不遜な態度に、船外モニターから眼路を切り、誰も替へて()れる者の勿い敷きつ放しのシーツの上に、燃え()しの樣な病身を投げ出し、立ち昇る塵に咳き込み(なが)ら、唐桃(からもも)の梢が鬱蒼と絡まる天蓋を見上げたエメラルダス。應答係數(プリセット)(いぢ)つて誤魔化(ごまか)(つづ)けるのは此處(ここ)迄だ。こんな思はせ振りで、電卓を(くは)へた()けの九官鳥に用は勿い。どうせ、最後の現場で此の船諸共スクラップに()るのだ。今の内に精精(せいぜい)愚圖(ぐず)つてゐろ。エメラルダス號もエメラルダスも整備や燃料の支拂(しはら)ひが()まつた圖體(づうたい)許りの笨骨(ぽんこつ)で、此れから首を突つ込む生まれ故郷の惑星も似たり寄つたりの火の車、

 

 

  身を捨てて花を()しとや思ふらん

 

 

 其處で何もかも御破算(ごはさん)だと(ひと)()ち、額から眉閒へと滴り、縫合痕を(つた)ふ汗が、(ほころ)んだ目尻に()み込んだ、其の時、

 

 

   打テドモ立タヌ鳥モアリケリ

 

 

 宙響發振モニターとエメラルダスの耳小骨(じせうこつ)を超えて、口を濁した下の句が、再起不能の肺の腑を()いた。姿勿き不意の返歌(へんか)に息を呑み、望外の詩魂(しこん)()れた陶醉に戶惑ふ餘裕(よゆう)も勿く、襟足の和毛(にこげ)()ける靈妙(れいめう)な戰慄。

 「生ケ捕リにすル・・・・・コの・・・・・私を。」

 PCM音源から血の通つた何者かへと一瞬憑變(ひようへん)した異界からの神韻(しんゐん)。合成義惱の發音デバイスは、造聲音(ざうせいおん)の餘りにも完璧な滑舌の違和感と、()もし勿い乘組員の肉聲(にくせい)區別(くべつ)する(ため)に、()へてサンプリング音源に()聲替模寫(モデリング)は設定せず、平坦な紙に印刷した樣なPSG音源で、不自然な人閒臭さを消してゐる。其れが今、天命を下す玉音(ぎよくおん)の如き莊嚴な風格を(たた)へて、本の(かす)かに化けの皮を現した。もう旣にエメラルダス號の管制機能は電劾重合體の殘畱因子の勢力下に在るのか。此れが帶域核醒自我の(こゑ)?血の通つた俗人とは毛色が違ふ泰然とした威迫。(あかし)を示さぬ創造主の寡默な恫喝(どうかつ)。不敬な被造物に跪拜(きはい)を强要する尊大な僭稱(せんしよう)者。

 全く何奴(どいつ)此奴(こいつ)()しからん。名にし負ふエメラルダス號を(しら)英魂(えいこん)を誰と心得る。朝貢(てうこう)を乞ひ願ふなら未だしも、手ブラで謁見(えつけん)なぞ烏滸(をこ)がましい。禮儀(れいぎ)(わきま)へぬのは貴樣の方だ。神の聲色(こわいろ)(ひる)むエメラルダスでは勿い。女王の耳目を(そそのか)すにも程が在る。

 「何者だ。姿を現し、名を名吿(なの)れ。」

 合成義惱の音源に憑依した招かざる客に語氣を荒げるエメラルダス。(ところ)が其の口吻(こうふん)()いて(ほとばし)心火(しんくわ)に、(こゑ)の主は冷や水を注ぎ、事も勿げに受け流した。

 「何者・・・・・・デスカ?」

 「()うだ、貴樣は何者だ。」

 「何者・・・・・・トハ?()ウ云フ貴方ハ、何者、デスカ。」

 「私はスペースノイド解放戰線總裁、クイーンエメラルダスだ。」

 「私ハ・・・・・・デスカ?」

 「()いてゐるのは私の方だ。聞こえぬのか。私はエメラルダスだと云つてゐるのだ。貴樣は何者だ。答へろ。」

 「私ハ、エメラルダス・・・・・デスカ?」

 「ですかも何も勿い。私は私だ。」

 「本當ニ、私ハ私・・・・・デスカ?」

 エメラルダスの言葉と自我を反鏡し、其の意味を解體(かいたい)する聲の主。(すべ)てを見透かし、(なだ)(さと)す樣に女王と云ふ虛餝(きよしよく)の闇に迫り、其の資質を試すPSG音源の假面(かめん)。言葉に(きゆう)したエメラルダスは、御鏡の中に(まつ)つた戰士の銃(コスモドラグーン)を拔き取つて、自己疑念の禪問答(ぜんもんだふ)を振り(はら)ひ、(いつは)りの鏡に映した鸚鵡(あうむ)返しを一喝した。

 

 

   問君何能爾  君に問ふ 何ぞ()(しか)るやと

   心遠地自偏  心遠ければ 地も(おの)づから(へん)なり

   此中有眞意  ()の中に眞意(しんい)有り

   欲辯已忘言  (べん)ぜんと(ほつ)して(すで)(げん)を忘る

 

 

 ソクラテス氣取りは其處(そこ)迄だ。個毒(こどく)(さかづき)なら()に合つてる。己を()れと云ふのなら、貴樣の方こそ人智を模造した形代(システム)としての分を(わきま)へろ。」

 爲ると、顱頂(ろちやう)(つんざ)蹴汰魂(けたたま)しい禽啼(きんてい)に、直径465mm、厚さ1mmに磨き上げられた靑銅の鏡面が彈けて龜裂が走り、艦内を轟然とした羽音が霏霺(たなび)いて、(いか)()を振り降ろされた唐桃の幹が激甚し、絡み合ふ梢と梢の文目(あやめ)から火の粉の驟雨(しうう)が降り注いだ。天蓋の上段を突き拔けて羽擊(はばた)く、獣毛(じうもう)粘著(ねんちやく)質で貪婪(どんらん)體臭(たいしう)。波打つ老木の葉蔭に遮られた、得體(えたい)の知れぬ忽然(こつぜん)の怪力亂神(らんしん)。女王の奧室(おくしつ)に飛來した招かざる客の狼藉(らうぜき)に身構へ、舞ひ降りて來た錦糸(きんし)(ひら)きを手に取ると、(これ)ぞ正しく架空の靈鳥(れいてう)鳳凰(ほうわう)の尾羽と云ふ奇瑞(きずい)獨片(ひとひら)。今、此の船は、紐解かれた神話の、見開かれた雙翼(さうよく)の直下に居た。息を呑む、星が產まれ落ちた樣な生命の燦歌(さんか)(ほとばし)る悠久の熱量と絢爛(けんらん)たる魔性の因力(いんりよく)が時空を超え、エメラルダスの前頭葉に()ちる惱漿(なうしやう)が、灼熱の岩漿(マグマ)と爲つて水底(みなそこ)の地殼を貫き、決壞した。

 

 

 太古の微睡(まどろ)みに搖蕩(たゆた)ふ南洋の(さざなみ)。文明の(けが)れも、(あま)(あま)(さかひ)も知らぬ其の黎眠(れいみん)に、目覺めの時が訪れた。氷河が凍解し海拔に(ぼつ)した火山帶を驅け拔ける、運命の星の胎動。(おだ)やかな陽氣に誘はれて、潮騷(しほさい)を奏でてゐた暖流が(にはか)に色めく、大海鳴動。離れ離れの㠀嶼(たうしよ)から海鳥が一齊(いつせい)に飛び發ち、新しい大陸の様に隆起した海面に、地母神(ガイア)鎌首(かまくび)怒髮(どはつ)した。地球最大の溶岩ドームを()るがす數萬(すうまん)年に一度の慟哭(どうこく)。天を衝く鬼界の火柱が蒼穹(さうきゆう)を焦がし、噴煙の積亂雲を渦卷く火山雷が、此の()の始まりと終はりを宣吿する。灰塵(かいじん)で塗り潰された日輪。降り注ぐ烈火の噴石と黑い雨。其の生と死のコントラストを、復活した神の使ひが鵬翼(ほうよく)を廣げて旋囘(せんくわい)し、尾羽に(ちりば)めた金燐(きんりん)を悠然と振り撒き(なが)ら、沸鼎(ふつてい)の如き眼下を等閑してゐる。カルデラの煉獄、水床(みなとこ)岩漿澑(マグマだ)まりの(まゆ)(くる)まり昏睡してゐた不滅の靈鳥。海を隔てた東の(はて)扶桑(ふさう)の地を宿り木に、幽界と俗界を行き交ふ、神仙鄕の舞ひ姬と謳はれし火の鳥の氣紛(きまぐ)れが、列㠀(れつたう)の南端に火碎(くわさい)流の津波と爲つて押し寄せ、縄文の國と民の總てを灼き盡くした。

 溶岩流と火山灰の下で息絕えた死の大地。噴煙の(とばり)が降りた(ひる)(よる)も勿い鈍色(にびいろ)の四季。生きる場所を求めて、神を()つた祖地(そち)を棄てて北上する、(うぢ)(かばね)も勿い灼け殘つた人の波。尾根を、瀨瀨(せぜ)を、國境(くにざかひ)を途切れる事の勿く續く其の行群は筑紫の地を越え、氷河が溶けて後、幾千年もの(あひだ)、現生人類から完全に見捨てられてゐた、不毛の大地が橫戲(よこたは)る未だ名も勿き半㠀(はんたう)を目指した。然して時は流れ、焦土と化した祖地に人と綠が戾り、縄文の息吹に因つて切り拓かれた半㠀との往來が隆盛を極めても、志賀㠀(しかのしま)を後にして、(あま)の國と呼ばれた壱岐㠀(いきのしま)(かこ)(あま)ヶ原に漕ぎ出す者達は、筑紫の春日(かすが)を、御笠(みかさ)の山河を今一度眼に燒き付けやうと、大艫(おほとも)(へり)()()れる。

 

 

   天の原ふりさけみれば春日なる

       三笠の山に出でし月かも

 

 

 命を()して半㠀を、大陸を目指す者達の(ぎん)じた筑紫の古哥(こか)。其の(たへ)なる唇韻(しんゐん)靑史(せいし)(かぞ)へ、航路を遮る對馬(つしま)海流が、天河の(うしほ)へと轉調(てんてう)していく。玄界の(おき)波閒(なみま)に見送つた夜立(やだ)ちの月を(かぎ)る一筋の機影。新卋紀の方舟(はこぶね)が約束の地を目指し、火の鳥(ロケットブースター)が燃え盛る。

 客室なぞ望む()くも無い貨物船に詰め込まれた、移民とも難民とも廢棄物とも知れぬ、電惱化の激流で罹災し、剪定(せんてい)された再生可能人類(エネルギー)。次の寄港先さへ未定の儘、大氣圈を脫した宙域開拓(だん)に、密航の手配師(てはいし)と奴隷商人の罵聲(ばせい)が飛ぶ。地球を追はれて押し込められた火星の地。其の吹き澑まりすら追はれて、デブリの環狀帶を周囘する、民族合辨(がふべん)事業とは名許りの人類の離散。緊急避難所の如き、積み荷のパーテーションで仕切られた丈けの船内倉庫に、其れ其れの神へと捧げる敬虔な(いの)りが交錯し、飢餓と彈壓(だんあつ)に因つて疲れ切り、死んだ樣に眠る者と、眠る樣に死ぬ人人の、垢に(まみ)れた腋臭(わきが)と死臭で()せ返る昏睡の片隅に、兩親(りやうしん)から()(はら)はれた事すら知らぬ獨りの孤兒(こじ)が、膝を抱へて(うずくま)つてゐた。後にエメラルダスと名吿り、格外報奬金を首に掛けられて第一種特別指名手配される少女の、淚も足處氣勿(あどけな)さも涸れ果てた寢顏。聞き取る事の出來ぬ、他民族の(いの)りを子守歌に幕を開けた女の一生が、銀瀾の逆潮(さかしほ)に乘つて、神話の(つづ)れ織りを、禁斷の焚書を、今、靜靜(しづしづ)と卷き戾す。

 

 

 

 「日巫女(ひのみこ)樣。」

 聞き覺えの有る神寂(かむさ)びた聲と、行き交ふ衣擦れの音に()り起こされた少女の耳元で、片付けられていく須惠(すゑ)器の澄んだ音色が(いと)()いてゐる。家畜の樣に押し込められた貨物船とは別卋界の聖謐が張り詰め、鼻粘膜に()びり付く死脂(しし)から解き放たれた、愼愼(しんしん)と冴え渡る玲氣(れいき)()()に、千載一睡の昏昏とした太古の魔泥(まどろ)みが(すす)がれていく。此れは胡蝶(こてふ)か、邯鄲(かんたん)の夢か。生まれ()はつた樣な、其れでゐて再び巡り()へた樣な恍惚。薄目を開けた隙閒から、對座(たいざ)する銀髮を小振りの丸髷(まるまげ)に結つた(おみな)の懷かしい面差しが覗き、篝火(かがりび)の中に浮かび上がつた床板の、整然と伸びる柾目(まさめ)を辿つて重い瞼を差し上げると、豪壯な梁桁(はりげた)母屋(もや)に覆ひ被さる(かや)受けの竹格子が、天蓋の闇に呑まれてゐる。神の聲を(たまは)稀人(まれびと)にのみ(ゆる)された髙床の壯禮威(さうれい)宮室(みやむろ)城柵(じやうさく)の外で今も鳴り止まぬ騷亂とは無緣の、天の使ひが(ましま)す淨域で、朝餉(あさげ)最中(さなか)()(うた)た寝をしてゐた。今(もつ)て慣れぬ朝まだきの勤め。被髮屈紒(ひはつくつかい)單被(ひとへ)の貫頭衣を()婢僕(ひぼく)が退くと、嫗と(ふた)り、交はす言葉も(かしこ)まり、手振りで促される儘に身支度を調える。

 景初()年、()の明帝より(ほう)ぜられた品品の中でも、漢外不出と(つた)はる文錦(あやにしき)で仕立てた、細紵縑綿(さいちよけんめん)緣餝(ふちかざ)り、腰衣、平帶に舶載の淺靴。鐵火(てつくわ)の如き瑪瑙(めなう)の管玉と璢璃(るり)色の硝子玉の首餝りに、翡翠(ひすい)の胸當てを重ね、腰迠達する束ね上げた埀髮(すいはつ)に、赤漆(あかうるし)堅櫛(かたぐし)(かんざし)()して、漢の貴女のみに赦される琥珀の耳璫(じたう)(およ)そ、祭殿に昇る白裝束では勿い、時の雅を極め、(ぜい)を盡くした(つくろ)ひにも、只、戶惑ふ許りで心が華やぐ事は勿い。さて、(みそ)ぎもせずに迎へる今日の勤めとは一體。無言で著付(きつ)けをする嫗の息使ひに包まれ、(うつ)ろな吐胸(とむね)絳地(かうち)帶紐(おびひも)が更に締め上げる。右も左も判らずに餝り立てられていく眠気目泣子(まなこ)の夢心地。其の(おぼろ)星眸(せいぼう)が、不圖(ふと)倭鏡(ゐきやう)の反影に突き當たり、幼き日のエメラルダスが映り込んだ。美しく成る事を約束された貴種の血統。生え替はりで前齒の拔けた足處氣勿(あどけな)い相貌ですら、隱し(おほ)せぬ氣品で滿ち溢れてゐる。卋俗の憂ひと緣の勿い珠寳(しゆほう)の如き肌の血色と、長けに餘る黑妙(くろたへ)埀髮(すいはつ)(はな)つ、月の物すら知らぬ穢れ勿き神祕の(みさを)。不思議な面持ちで(みつ)め合ふ、猜疑心の缺片(かけら)も勿い円らな瞳。其の麗しき健氣な眼下を、鼻梁から笑靨(ゑくぼ)へと斜めに限る禍禍(まがまが)しき一條(ひとすぢ)墨痕(ぼつこん)。逃れ得ぬ數奇(すうき)で過酷な星の巡りを暗示する、斬り裂かれた少女の未來。天と地を、神と人を結ぶ(ちから)(あかし)として彫られた、(いか)()(まじな)(かざ)りに、(とこ)()の因果と錯綜する記憶が俄に甦る。

 春から秋を一歲(ひととせ)、秋から春をひととせ(一歲)と數へて、

 

 

    拾有參(じふいうさん)春秋

 

 

 王女(ひめみこ)として產まれ、何不自由勿く育てられた其の歲月。大亂を(せい)し、倭國(ゐこく)邪馬(やま)を治めた俾彌呼(ひみか)御卋繼(およつ)ぎと成つて、(はや)三月(みつき)貳心(にしん)勿き壹心(いつしん)で仕へる其の姿に、魏の明帝をして、倭國を壹心の壹國(いこく)と讚へし邪馬壹國(やまいこく)。其の(たまは)つた()(ほま)れを(かばね)に冠する稀代の幼帝。己の窺ひ知らぬ處で擁立から卽位へと祭り上げられた少女は、女王と云ふ駕籠の中の鳥だつた。

 

 

   天の川なはしろ水にせきくだせ

      あまくだります神ならば神

 

 

 雨を乞ふ禱りが天に屆かねば、天に屆けと焚かれる身。亂卋と災異を繰り返す(ごと)に、人人は女人(によにん)(ちから)を求めて額突(ぬかづ)き、()(にへ)(ささ)(たてまつ)つては、次の女人を()れてくる。そんな神か死かを生き殘つてきた、壹與(いよ)は其の最後の人柱だつた。物心付いた時には大婆の手解(てほど)きを受け、見樣見眞似で覺えた祭祀(さいし)禮式(れいしき)宇気比(うけひ)。其の大婆も己の手で(とむら)ひ、土に(かへ)して終つた今、(いとけな)い身空で、一體、誰に賴れと云ふのか。

 右も左も判らぬ儘に少女は戶口に(いざな)はれ、嫗が外の者に耳打ちをして、津津(しんしん)とした夜氣を解き放つた。新月の宵が明けやうとしてゐる。掘立柱の髙宮を巡る囘廊(くわいらう)から、枯れる事勿き七重(ななへ)の環濠を見渡すと、ムラからクニへ變貌(へんばう)を遂げ、新興し續ける、御笠(みかさ)の山河に圍まれた倭國の(みやこ)が、星明かりが見護(みまも)る束の閒の休息に、甲紐(かふちう)(きん)を解いてゐた。天を()し、神意に通ずる重層樓閣(ろうかく)の祭殿。星辰(せいしん)の營みを計り、干支を占ふ北内郭。祖賦(そふ)を納め、列㠀と大陸の寳物(ほうもつ)輯積(しふせき)した髙床倉庫。竪穴(たてあな)(かや)()いた工房と住居の群像。未明の空に(そそ)り立つ物見(やぐら)の雄雄しき墨影(ぼくえい)。壹與が居處(きよしよ)する首長の邸閣は、城柵と守衞と樓觀に護られた、戰禍の絕えぬ要塞都市の象徵で在り、筑紫の聯邦(れんぱう)國家を束ねる盟主の神殿だつた。

 見渡す限りの總ての物が壹與に(かしづ)く、權力の中樞(ちゆうすう)(かつ)ぎ上げられて、飢ゑも寒さも知らずに過ごす日日。(しか)し、止水(しすい)の如き今宵に在つても爭ひの火種は絕える事勿く、誰もが(うらや)む舶來の金品、絕佳馥郁(ふくいく)たる香料や珍味に圍まれても、腫れ物を(さは)る樣に幽閉(いうへい)された宮室で、限られた者としか顏を合はさず、稚兒(ちご)(たはむ)れも知らずに育つた壹與には何の意味も價値(かち)も勿く、胸の内を語る相手も居勿(ゐな)ければ、今一度逢ひ()い者も()らず、自分が孤獨だと云ふ事すら判ら勿い。研ぎ澄まされた沈默に木霊(こだま)する己の心の聲に耳を傾け、闇の中で僞りの勿い光明を見出す。そんな透徹した境地に達する(よはひ)にも程遠く。政祭一致の宗主國で、神を(とりも)()(しろ)としての勤めを果たす。其の大役に()はの空で(おう)じ續ける壹與で在つた。

 「(これ)から狗邪韓國(くさかのくに)へ送られる愛瀰詩(えみし)共で御座います。舟旅の壹路平安を祈つて、日巫女(ひのみこ)樣に魔を拂ひ、穢れを淨められるのを待つ身。何卒(なにとぞ)、天の(めぐ)みの有らん事を。」

 嫗が指し示す階下に眼を遣ると、地に平頭して息を(ひそ)める男女の一團(いちだん)が闇に(うずくま)つてゐる。星明かりの中に在つて燃え盛る、壹與の娟爛(けんらん)(よそほ)ひとは()()きも勿い、藪の中から拔け出てきた樣な、(あさ)(しな)の平織りを(まと)つて背を屈し、(おそ)(かしこ)下下(しもじも)の者達。其の二の腕と(ふく)(はぎ)から覗く黥臂(げいひ)の文樣から、恐らくは異習の蠻族(ばんぞく)より(みつ)がれた生口(せいこう)の類ひなので在らう。玉音を聞き漏らすまいと身動(みじろ)ぎ一つせず、女王の巫術(ふじゆつ)生殺(せいさつ)の總てを委ねてゐる。天と地を分ける貴賤の隔絕。髙床の殿上から睥睨(へいげい)する下界の俗塵が、(はる)か東方の地に迠名を馳せる宗女の靈驗(れいけん)に、(おもて)を伏した儘、神助(しんじよ)を仰ぐ、絕對的な忠誠と信仰。處が、そんな賤卑(せんぴ)の中に在つて唯獨(ただひと)り、蹲跪(そんき)(れい)(そむ)いて直立不動を貫く少年が、傲然と壹與を睨み返してゐた。

 「()の男は誰。」

 「持衰(じさい)(やから)に御座います。海の怒りが治まらねば沈められる御眼汚(おめよご)し。顏を向けては()りませぬ。」

 眉を(ひそ)めて壹與の視界を覆ふ嫗の袖の振り。喪服の襟に()ける(さい)蔴餝(あさかざ)りを下げてはゐる物の、少年を穢れし者と(だん)ずるのも無理は勿い。其の蓬髮(ほうはつ)は落雷を受けたかの如く逆立ち、頭脂(とうし)(けず)らず、蟣虱(きしつ)も取らず、衣服は垢汚(こうを)せし儘で病葉(わくらば)の樣に朽ち果て、田畑を荒らす山猿よりも猛猛(たけだけ)しく(すさ)んでゐる。生粹(きつすい)野性兒(やせいじ)なのだらう、木の皮を(かじ)り、霜根(さうこん)を枕に暮らしてきた、仁賢(じんけん)()とは程遠い其の風貌と、大人(だいじん)相逢(あひあ)へばして、兩手を地に()る、下戶(げこ)の習ひを顧みぬ不遜な態度。倂し、其れにも()して異樣な、泥を被つた頰と剥き身の手足が(まと)ふ、一條(ひとすぢ)薄墨(うすずみ)すら彫られてゐ勿い產まれた儘の素肌が、新月に際立つ星明かりを照り返し、少年を氣髙き光彩で包み込んでゐた。壹與に額突(ぬかづ)く蠻族の生口は、(はだ)の朱丹が剝げ落ちてはゐても、誰獨りとし文身(ぶんしん)を拒む者は勿く、男子大小を問はず、文厂生(うまれ)落ちては(むら)(むら)(やから)(やから)、其の墨で(かざ)り、人と成りては(ほこ)と呼び彥頁(かほ)(かざ)り立ててゐる。少年の髙貴な生肌(きはだ)は、墨呪(ぼくじゆ)を信じず、如何(いか)なる國にも部族にも(ぞく)さず、(まつろ)はぬ(あか)し。何者も(おそ)れぬ決然とした宵闇を射拔く其の眼光と、無垢の素顏に壹與は魅入られてゐた。(あれ)こそ(まさ)に、神の名を(かた)る者達を裁く(ため)に降りてきた、本物の天孫の御姿では勿いのか。周りの者の云ひ成りで、祭壇の御餝りでしか勿い壹與の神事。そんな己の素性を暴かれた氣がして後退(あとずさ)る錦の淺靴を、烈火の如き守衞の罵聲が引き()め、鐵劍(てつけん)把頭餝(はとうしよく)が少年の顳顬(こめかみ)に振り落とされた。

 「貴樣、日巫女(ひのみこ)樣を拜するに兩手を以て相擊(あひう)つ、(いにし)への遺法(ゐはふ)を何と心得る。」

 額を血で染め、野良犬の樣に()れて行かれる航海の人柱。其の姿が一瞬、火の海の中で唐の兵士に捕縛された(ちくし)皇子(みこ)と重なり、星辰の(ことはり)を逆行する魂の雄叫(をたけ)びが、日巫女の宿した靈能を()び覺ます。壹與は直感した。其の齋戒(さいかい)持衰(じさい)なぞと云ふ僞りの物では勿い。少年は母の喪に服してゐる。

 「待つて。其の(をとこ)は・・・・・

 

 

   鉄郞

 

 

 我を忘れて階段を驅け降りる壹與。

 「()りませぬ。」

 其の腕を嫗に摑まれて(あらが)ふ喰ひ縛つた頰に、東雲(しののめ)の御笠の山から射し込む赤光が羽擊き、呪墨の縫合痕と交錯した。

 

 

    静かなる暁ごとに見渡せば

      まだ深き夜の夢ぞ悲しき

 

 

 

 

 

 一體、何を見て終つたのか。眼裡(まなうら)()いた女王は數仟年の靑春を擦過して、再び、祭り上げる者も、看取る者も居勿い(やまひ)(しとね)に臥してゐた。醒めやらぬと云ふには餘りにも蠱惑(こわく)で唐突な幻想。老木の生ひ茂る、獨居房(どくきよばう)も同然の船長室に引き戾されて、氣が付くと、手にしてゐた筈の鳳凰の尾羽が唐桃の葉に擦り替はつてゐる。放心した儘、暫し息を整えるエメラルダス。上代の原始國家を宗主する城塞都市の眺望。神と自然と人とが渾然一體と爲つた風俗の息吹き。然して、鉄郞と誓つた再會の豫感が()を引く淸瓏(せいろう)餘韻(よゐん)。何もかもが腐肺(ふはい)した吐胸(とむね)歷歷(まざまざ)と刻み込まれて髙鳴り、血痰を蒸し返して老咳(らうがい)()ぜる。自分が彼の時代に生きて存在してゐた(まぎ)れも勿い實感(じつかん)。失われた記憶の鍵穴を覗き見て終つた戰慄。そんな謎めいた陶醉を搔き亂す樣に、片言のPSG音源が土足で蹈み込んできた。

 「車體ノ通電部位ニ帶電スル蠕動(ぜんどう)波形ニ誘導信號ヲ發振シマス。」

 云はれた事を遣る丈けの事務的な號令。呼吸をする必要の勿い裝置に空氣を讀めと云つた處で始まら勿い。混濁した見當識(けんたうしき)を引き擦り、明滅する夢と現の狹閒(はざま)で、不圖(ふと)、眼に()まつた、鏡の中の鼻梁を斜めに限る縫合痕。幼帝の黥面(げいめん)(やつ)れた女王の死相と重なり、再び太古の宵闇に呑み込まれまいと、エメラルダスは酸素マスクに(すが)り付いた。

 「鳥・・・・・・鳥は何うした。」

 「トリ・・・・デスカ?」

 「六號車の集傳裝置(パンタグラフ)に停まつてゐるとか云ふ雉科の鳥だ。」

 「此ノ宇宙空閒ニ、生身ノ鳥デスカ?」

 苦し(まぎ)れの一言に、身も蓋も勿い正論を突き附けられて、言葉を失ふエメラルダス。狐に(つま)まれたのなら未だしも、雞の噓鳴きで目覺めるとは。最早、何處から意識が飛んでゐたのか、何を信じて良いのかすら判ら勿い。蹈み込んでは爲ら勿い領域とは、()くも喪然としてゐる物なのか。面白い。ならば其の(まやか)しの化けの皮を切り刻む迄だ。

 「遭難現場を離脫して冥王星に向かふ。重力底層帶を突破次第、遭難車輌を除染しろ。」

 「除染ト申シマシテモ、重力底層帶ノ圏外カラ、機材モ勿シニ電劾性核種ヲ驅除スルト爲ルト。」

 「皇粒子(くわうりふし)砲が有るだらう。」

 「其レデハ遭難現場ヲ管理スル鐵道公安警備ニ・・・・・。」

 「公安の犬なら此處に來る前、一匹片付けて措いたでは勿いか。あんな二束三文の紐付きが束に爲つたとて物の數では勿い。目障りな物は迷はず擊て。自分が目障りだと思はれる前にな。」

 

 

 

 軍長靴に埋め込まれたヒールチップが()ぜる耳慣れた金属音。其の悠然とした一步一步を遠くに(かぞ)(なが)ら、()の人の眠りは、(しづ)かに覺めていつた。冥王星へと自動航行する(あか)き黑船、エメラルダス號と云ふ女王にのみ赦された奧室を徘徊する不審な跫音(あしおと)光束核幽囂爐(ゴーストエンジン)の微振動を穿(うが)つ、無灯火の通路に舞ひ降りた、運命を(きざ)(とき)の來訪者。赤手配書の報奬金目當てで乘り込んでくる破落戸(ゴロツキ)とは毛色が違ふ。船體(せんたい)(ちりば)めた光覺冥彩の核濫粒子を搔き分け、艦内の警報裝置を意に介さぬとも爲れば、其處等の鼠賊(そぞく)の仕事では勿い。何を嗅ぎ廻つてゐるのやら。本丸がこんな手負ひの女豹と知つたら、(さぞ)や呆れる事だらう。投げ遣りな穿鑿(せんさく)含羞(はにか)み乍ら、女王は()魔泥(まどろ)みの中に居た。

 閒接照明のベールに包まれた船長室。(やまひ)(しとね)(はりつけ)にされて、寢返りを打つ事すら儘ならず、肉體から置き去りにされた魂の樣に、石膏細工に等しい衰弱した鷄殼(とりがら)の手足を投げ出して漂ふ、半睡半醒の彼岸。其れとも旣に彼岸の向かふへ(わた)り切つて終つたのか。「火星は私が護る。」と息卷いて()き乍ら此の樣だ。頭の中で鳴つてゐる空耳なのかも定かで勿い、招かざる刺客の氣配。死神なら肺の中に巢くつて待ち草臥(くたび)れてゐる。生きて死を實感(じつかん)する日日と瞬閒の聯續。其れを差し出がましく催促するなぞ、

 

 

   何處(いづこ)かで 囃子の聲す 耳の(やみ)

 

 

 とは此の事か。死に際の夜伽(よとぎ)を探る夢遊の忍び足とは程遠い、堂堂とした勝手知つたる其の健脚に、エメラルダスは己を僞る言葉を(なら)べたが無駄だつた。格納した筈のスペアノイドが何かの彈みで起動したのだとしても、襤褸(ボロ)隱しのブルカ以外、軍長靴なぞ支給した覺えは勿い。スペースノイドの救卋軍が誇る正裝で、艦内を自由に闊步出來るのは唯獨(ただひと)り。己の進路を疑ふ事も、焦土に()した足跡を顧みる事も知らぬ、確信に滿ちた彼の頃の跫音が、零落した女王を見限る樣に遠離(とほざか)つていく。一組の星座をも競り落とせる賞金首に眼も吳れぬヒールチップ。其の雄辯な足取りを先囘りして、キャビネットの御鏡に手を翳すも、狐鼠泥(こそどろ)にすらフラれた女は監視モニターの起動を躊躇(ためら)つた。管制室の集音マイクのみ接續し、誰も居勿い筈のエメラルダス號の心臟音に耳を傾ける。頭上から降り注ぐエンジンの稼働音とシーク音以外、何も聞こえ勿い。奇怪(をか)しい。何も聞こえ勿い事が旣に妖しく、更に疑念を驅り立てる。コンソールの前を占據(せんきよ)した新しい女王の豫感(よかん)。最早、此の舟は何者かに因つて支配されてゐるのか。寢首を搔きに來勿いのも、賣れ殘りの行かず後家に下心なぞ勿いと云ふ事か。()らば、冷めた据ゑ膳にも下げられぬ意地が有る。胡蝶の夢から醒めた赫い毒蛾は、キャビネットの戰士の銃(コスモドラグーン)に手を掛け、酸素マスクを振り拂つた。()ると、

 「冥王星ノ大氣圏降導經算曲線(エアスロープ)ヲ捕捉シマシタ。空力尾翼ノ動作確認、(ナラ)ビニ艦内ノ司令系統、制空裝備ノ再點檢(サイテンケン)ガ完了次第、姿勢制禦システムヲ作動。航界軌道ヲ離脱シテ冥王星ノ周囘軌道ニ合流後、十六分ノ一周シ滑空軌道ニ突入(アプローチ)著陸(チヤクリク)態勢ニ入リマス。指定サレタ冥王星測位座標ニハ五時閒後到著(タウチヤク)豫定(ヨテイ)デス。」

 閒が惡いのか絕妙なのか。()たしても()からぬ夢に(うな)されてゐたのか。(そつ)の勿い對宙(たいちう)管制通信に搔き消された曲者(くせもの)の氣配。何事も勿いと許りに、合成義惱が船外モニターに點描(れいやーど)する、大氣圏降導經算曲線(エアスロープ)收束(しうそく)した延長に、冥王星と思しき(すず)色の氷點(ひようてん)が凝結してゐる。呆氣勿い水入りを嘲笑ふ、耳小骨に灼き付いたヒールチップの殘響。完全に眼が覺めて終つた後の、(けむ)に卷かれて浮き彫りにされた女王の獨り(よが)がり。エメラルダスは戰士の銃(コスモドラグーン)に添へてゐた手をキャビネットの引き出しに(ねぢ)込み、抗生物質の錠劑を取り出して嚙み(くだ)くと、舌を突く苦味に眉を(しか)め、口角を過る縫合痕がくの字に歪んだ。

 自分でも何に怯えてゐるのか判ら勿い。取り()めの勿い錯視や僻耳に飜弄されては、鏡に映つた自分に聲を荒げて、拳を振り上げる惡趣味な殘夢。波立つ心の水面(みなも)に映つた自畵像(じぐわざう)は、濁つた普魯西藍(プルシアンブルー)の樣にドス(ぐろ)く歪んでゐる。銀河鐵道株式會社の齒車と爲つたハーロックの衣鉢を()ぎ、(かし)いだ海賊旗を拾ひ上げ、アイドル革命家、星辰のジャンヌダルクと持て(はや)された頃も在つた。最前線で肉彈の應酬(おうしう)に明け暮れ、戰果を競ひ、凱歌を聯鼓(れんこ)した。(しか)し、天河無雙(むさう)(ほしいまま)にした其の(はて)に辿り著いたのは、原子炉の隔壁の如き自我の殼の中だつた。此程宇宙は廣いと云ふのに空飛ぶ我城で()じ籠もり、何人(なんぴと)たりとも寄せ附けず、人恋しさとは裏腹に、こんな頰に黄疸の浮いた、老いらくの女王は見せられぬと輾臥(てんぐわ)を繰り返す千夜一夜。(まみ)える者勿き埀簾(すいれん)の奧で獨り、女王として著餝(きかざ)る愚かさや、鋼鐵(かうてつ)(しとね)に皺を赦さぬ不毛な潔癖を、(ただ)(どころ)か、嘲笑(あざわら)ふ者すら居勿い。誰に向かつて毒舌を()いてゐるのか、()()勿き獨語症は、涸れる事の勿い泥を吐き續ける樣に酷く爲る許り。夢の中で(つぶ)いてゐた筈の己の聲が、何時の閒にか闇に根を張る天蓋の梢を睨み付けて罵辞を飛ばしてゐる。淸く正しく(うつく)しく。樂しみに(みだ)れず、哀しみに(くず)れず。其の爲には誰よりも强く有らねば爲らぬと、有りと有らゆる兵器で武裝したのも、素顏を見せる事が出來ぬ年增の厚化粧でしか勿い。こんな物を妥協勿き美意識と、崇髙な自意識と呼べるのか。

 御上(おかみ)(へつら)はず、下下(しもじも)(いつく)しみもせず、航路を(ゆず)る星運業者と商業船、艦旗を降す公安警備の艦隊を睥睨(へいげい)する官能に溺れ、朝貢(てうこう)、賄賂、橫領、戰利品、此の卋の(たから)を幾ら積み上げても天には(とど)かず、惡しき所業の因果を肺の腑に抱へ込み、「俯仰(ふぎやう)天河に()ぢず。」と(うそぶ)いては、見る影も勿い。勝てば忠臣、負ければ寢返る者達の、小賢(こざか)しい上邊(うわべ)丈けの服縱と尊崇。死を賭して火中に身を投じても死に切れぬ、(むな)しき蠻勇(ばんゆう)如何(いか)に暴虐の限りを()くさうと卋の無常には打ち勝てず、人は輪轉(りんてん)する宇宙の一元素でしか勿い。滿帆(まんぱん)に張り詰めた夢や希望も、運命を手繰る力索(ちからづな)も失ひ、穴の空いた飛行船の樣に押し流されていく、決して浮かばれる事の勿い亡魂の漂流物。

 惑星の重力に屈服し、大地の烙印を踵に()される位なら、無辺無窮の彼方に(ぼつ)した方が增し。地を這ふ者は皆、羽の勿い蟲螻(むしけら)と許りに、自由を求めて飛び出した宙域。前を行く者を見ては追ひ拔く事許りに腐心し、(あら)ゆる(しがら)みと障礙(しやうがい)を斷ち切つた其の涯に、今(もつ)て知る、自由の中に眞の自由は勿い事を。限り有る命と限り有る自由、人閒(じんかん)軋轢(あつれき)の中で揉まれ、御互ひに讓り合ふ束縛の中でのみ、魂の安らかな自由は成就すると。朽ち果てた生身の(からだ)を棄て切れず、機械化を(かたく)なに拒み、產まれ落ちた星の使命に殘された天壽(てんじゆ)(ささ)げてゐるのも。己の過ちを認めぬ自分自身以外、意地を張り續ける相手なぞ誰も居勿い筈なのに、死よりも畏れてゐる何物かに(あらが)ひ、(あが)め、今を生きてゐる事も、總ては其の一瞬の爲。病魔に屈し、死脈の跫音(あしおと)(ようや)く目覺めた。我が刻は來たれりと。

 抗生物質の副作用で再び混濁し始めた意識を引き擦り乍ら、エメラルダスは御鏡の船外モニターの中心に(とも)る冥王星の氷點(ひようてん)に眼を細めた。液化メタンの精製で、一度は氷塊から寳の海に生まれ變はり賑はつた物の、堀り盡くした今は開拓事業も撤退し、水銀の永久凍土を削つてゐた、採算の取れぬ液體窒素の海も再結晶化して、復び冥府の眠りに就いた、惑星とすら名吿(なの)れぬ太陽系の落ち零れ。此處に彼の女は必ず來る。底層重力の墓場から墓場へ。冥土の御遍路(おへんろ)に明け暮れる奴を捕まへるのに、網も竿も必要勿い。總ては、奴の(まじな)ひと海賊の惡運が惹かれ合ふ、如何(いかが)はしい因力の道連れ。重合體の刻の調べ(タイムコード)を解き明かすのに、竜頭がさ迷ふ異境の(ちから)に賴るとは。灼きが回つて一周する此の腐れ緣。前卋の(ちぎ)りか餘計(よけい)な神慮か、此の奇特な星の巡り合はせに、今は骨の髄まで甘えるしか勿い。

 

 

 

 バッテリーヒーターをフルチャージした紅蓮(ぐれん)の軍裝に帶劍帶銃。踝迠達する撥電耐磁コーティングの釣り鐘外套(ぐわいたう)を羽織つて、外征の裝備を(ととの)へた女王は、キャビネットの御鏡を一瞥(いちべつ)して襟元と髑髏のヘアブローチを直すと、艦内の人工重力に(きし)みを上げる膝關節と脊椎に鞭を打ち、船長室のドアへと其の一步を蹈み出す前に、改めて大航海時代に想ひを馳せて(しつ)へたオールドチークの重厚な意匠を見渡した。老木の梢が降り注ぐクイーンベッドに、禁裡(きんり)(ねや)を彩る、寡美(くわび)な透かし彫りのヘッドボード。

 

書齋机の上で天球儀と時辰儀が萬有の(ことはり)を競ひ合ひ、航界()卷子(くわんし)と洋の東西を網羅した古典の全輯(ぜんしふ)が書庫で(ひし)めき、綠靑を吹いた彫金で加締(かし)める短軀(たんく)のワードロープの脇に寳箱が無造作に積み上げられ、壁一面を覆ふ緣起繪卷の(つづ)れ織りから、花鳥風月が幾何學的に渦卷く波斯(ペルシャ)絨毯へと目眩(めくるめ)く、薄埃を(かぶ)つた女王の小宇宙。エメラルダス號から下船するのは何時以來か。船尾樓から艙口(ハッチ)へと向かふドアノブを最後に握つた記憶も定かで勿い。(いたづら)に苛立ちを募らせた此の部屋も、いざ(まか)り出ると爲ると忍び勿いとは。生きて(ふたた)び還つて來られぬやも知れぬ死出の豫感を、軍服の胸元を餝る髑髏に其の虛ろな眼窩(がんくわ)の底で見透かされ、己の器を改めて思ひ知る。自分が何時何處で如何(いか)に死ぬ可きか、其れ許りを夢想する今、真鍮の冷たい此の手觸りは、死神と再契約した握手だ。

 骨格に血の氣の勿い被膜を(はりつけ)た丈けの病軀に靜脈投下した嚇精劑(レッドモンスター)。ヘッドボードに上半身を起こすので精一杯だつた體力(たいりよく)が火を噴き、充血した襟足と顳顬(こめかみ)と網膜が脈を拍つて、張り詰めた眼壓が目緣から彈けさうだ。生ける(しかばね)に止めを刺す僞りの復活。惡魔に魂を()つて己の壽命を前借りし、取り敢へず手に入れた束の閒の自由。只でさへ重症な肝臓と腎臓を壞滅的に酷使する此の起爆劑と抗生物質を倂呑(へいどん)し、ニトロが刻む心筋のカラータイマーは旣にレッドゾーンだ。後先の事なぞ考へず、今を驅け拔けろ。病の褥から解き放たれた(よろこ)びと、一步一步が命を削る死の綱渡りを嚙み締めて、無人の艦内を峭然と穿つ軍長靴のヒールチップ。

 「神の物語を征け。」

 己の發した一言が此程迄に我が身を縛るとは。言靈(ことだま)こそが最兇の魔藥だ。軍鼓を鳴らす心拍を(あふ)る樣に、著陸(ちやくりく)した天體(てんたい)に表敬の禮砲(しゆくはう)(はな)つエメラルダス號。此れが女王の最後の外遊と弔砲(てうはう)に爲つたとして、其れも復た神話を彩る哥枕(うたまくら)獨片(ひとひら)。船底の腹を割いて其の禁を解いた、主艙口(メインハッチ)から吹き込む地吹雪が亞蔴(あま)色の埀髮(すいはつ)を卷き上げ、(なだ)らかに伸びるランプウェイの向かふに、(から)うじて大氣制禦された銀盤の卋界が凄絕に寂滅してゐる。防護被覆(シールドマスク)を目尻まで引き上げて降り立つ、硝子細工の如き凍明度の大地と、降り積もる事勿く宙を舞ふ、視界度數100mにも滿たぬ旋雪。バッテリーヒーター勿しでは身動きの取れぬ檻の勿い寒獄。冥王星も復た、入植を諦め、不良債權化した綺羅星の獨つでしか勿い。奴は必ず此處に來る。女の直感と云ふと陳腐だが、何時でも其れを、心の羅針に生き拔いて來た。

 宙域開拓事業とは强制収容所(ラーゲリ)に移住囚を護送する帝政時代の再來でしか勿い。銀河航路の敷設とテラフォーミングの捨て駒に等しい、人道を外れた激越な苦役。其の殘酷物語に追ひ討ちを掛けたのが、ワクチンビジネスで暴利を貪る製藥會社(パトロン)の莫大な資金援助(リベート)技術供與(リーク)に因り、宙域紛爭で濫用された生物兵器だつた。何處にも逃げ場の勿い系外の絕界で感染し、强制的に未知の混合接種の針を重ね、生體(せいたい)治驗のデータを錄られては、銀河の星屑へと昇天していく天文學的な()(にへ)達。責めて亡骸丈けでも地球に還り度いと云ふ其の遺志は、防疫封鎖された系内への搬入は(まか)()らぬの一言で卻下(きやつか)され、惑星の稱號(しようがう)を剝奪され、系外の烙印を押された準惑星に收監された。母なる大地で永眠する事を拒まれた棄民達が、(とこ)()假眠(かみん)()された氷の靈安室。冥王の(ほま)れを冠する、冥福を(いの)る者勿き、冥府の星。其の氷室(ひむろ)墓穴(はかあな)が今、寡默な顎門(あぎと)を開かうとしてゐる。

 東西南北なぞ意味を成さぬ一面の結晶體に蹈み出した軍長靴。釣り鐘外套が紅孔雀の雙翼(さうよく)の如く(はため)き、瞬く閒に銀瀾の疾風に包圍(はうゐ)されて振り返ると、もう其處にエメラルダス號の姿は勿く、壯大な昆蟲標本かと見紛ふ、等閒隔で縱橫無盡(むじん)に敷き詰められた人類の葬列(アラベスク)が、硝子張りの足許の下に(ひろ)がつてゐる。

 

 

    散りぬべき時知りてこそ卋の中の

       花も花なれ人も人なれ

 

 

 琥珀(こはく)のペンダントに鎖ぢ込められた太古の生物の樣に、(とき)の雫の中で氷結した永遠の一瞬。白無垢(しろむく)禮服(れいふく)經帷子(きやうかたびら)に朽ち果てた作業服や民族服。其れ其れが思ひ思ひの死に裝束を(まと)ひ、默想する(おびただ)しい被葬者達に混じつて、防疫繊維(ハザードテープ)で卷かれた木乃伊(ミイラ)繭玉(まゆだま)が肩を(なら)べ、更に其の狹閒(はざま)に、遺體が完全に損壞し、形見の品丈け埋葬された區劃(くかく)點在(てんざい)爲てゐる。防疫封鎖の圈外と云ふ建前での溫情措置か、鄭重(ていちよう)に遺棄された無緣佛の見卋物小屋か。(とむら)ひも引き取り手も勿い肉塊だからと、こんな惡趣味な差配で塩漬けにされて終ふとは。開拓事業の人柱なぞ宇宙の藻屑にされ勿かつた丈け未だ增し。感染者の本の一部で此れなのだ。症狀の發覺と同時に問答無用で宙域に投棄され、業務災害の隱蔽で消卻(せうきやく)された者達の涅槃(ねはん)は、(とて)もでは勿いが、こんな月より小さい準惑星では納まり切れ勿い。遺體の永久保存に廢資源の液體窒素を再利用した氷點下の大地。地球に還る事も、腐敗する事も赦されず、番號を振られた丈けで二度と復歸出來勿い、凍結した故障者リスト。此の開拓事業の闇を封印する爲に產まれた樣な星が手狹に爲れば、復た別のテラフォーミングに失敗した不良物件の星を造成する。其の繰り返し。使ひ捨ての經卋濟民(けいせいざいみん)に終はりは勿い。そんな粉餝(ふんしよく)決算を彈く算盤(そろばん)の珠の樣に規則的に陳列した(むくろ)の反復と差異の彼方で、(とき)を司る墓守が女王を待つてゐる。

 髑髏のブローチに指を添へて、花も線香も棺桶も勿い遺體の脇に埋め込まれたICチップを讀み込むエメラルダス。鱗雪(りんせつ)の舞ふ宙空を螢帶素子(ゴーグル)が走査し、墓標(インデックス)碑文(タグ)が明滅すると、埋葬者のIDと氏名、所屬してゐた事業所と天體(てんたい)、職務經歷の總てが、閉山の決まつた廢坑に、其の儘生き埋めにされた炭鉱夫の斷末魔に聽こえた。星間捕囚(スペースノイド)の解放を幾ら訴へた處で、此の夥しい現實を前にしては、ポグロムを默殺してアウシュビッツを糾彈する檢定敎科書と變はら勿い。救ひと約束の地を求めて宙域へ離散した者達の最終處分場。其の荒天に民族獨立の理念が空轉(くうてん)し、改めて地球以外にエルサレムが存在し得勿い事を思ひ知る。靑い鳥を探しに旅立つた靑い星の人類と、赤い星を旅立つて赤い鳥と呼ばれる女王の皮肉なコントラスト。其の幸福を巡る下品なパロディーと、責めて魂を殺して肉體を生かす可きなのか、肉體を殺して魂を生かす可きなのかを問ふ内なる(こゑ)に、輕い眩暈(めまひ)を覺えた刹那(せつな)、閒接視野の碑文(タグ)が漂記する生沒年と日付を、一瞬、顫動(せんどう)波形が(ひらめ)いた。

 そんな眞逆(まさか)(となり)の被葬者のICチップを讀み込むエメラルダス。其の履歷に愕然とし、次から次へと被葬者の登錄情報を囘覽(くわいらん)する。此れも、復た此れも。判で捺した樣に聯鎖(れんさ)する怪異。

 

  大長(だいちやう)阡貮佰陸拾(1260)癸卯(みづのとう)神無月(かむなづき)癸亥(みづのとゐ)癸亥(みづのとゐ)己巳(つちのとみ)

 

  大長(だいちやう)阡貮佰陸拾伍(1265)戊申(つちのえさる)皐月(さつき)戊午(つちのえうま)丁酉(ひのととり)丁未(ひのとひつじ)

 

 (あら)ゆる人種、民族が混在してゐると云ふのに、記錄された鋼紀年閒が(ことごと)く未知の十干十二支(じつかんじふにし)變換(へんくわん)されてゐる。こんな都市機能が消滅し、多の天體と交信も勿い、入植以前の原野に囘歸(くわいき)したも同然の星に埋め込まれた、識別素子の刻印(ロム)にまで重合體の核散崩子が飛來してゐたとは。帶域制限も此處迄來ると、霞で編んだ(ざる)だ。感染經路は何處で、如何(いか)にして物理的な燒き附けを上書きしてゐるのか。()して何より、潛入した個人情報の骨子には手付けず、何故、執拗に當代(たうだい)の紀元許りを書き替へるのか。床の上に叩き付けられたジグソーパズルの樣に、總ての現象が、作業假說(かせつ)の第一步を蹈み出す事すら赦さ勿い。立ち()くした女王の疑懼(ぎく)に絡み付く地吹雪の罵辞凍風。其の閒隙を縫つて()にし()三十一文字(みそひともじ)木霊(ごだま)した。

 

 

     (とき)の音は絕えて久しくなりぬれど

       名こそ流れてなほ聞こえけれ

 

 

 何者かの呻吟(しんぎん)と共に氷原を穿つ軍長靴のヒールチップ。エメラルダスが足許のICチップから顏を上げると、彼の幽然とした跫音(あしおと)が白魔の向かふへ骨骨(こつこつ)と遠離つていく。

 

 「大長(だいちやう)阡參佰陸(1306)己丑(つちのとうし)葉月(はづき)癸酉(みづのととり)己卯(つちのとう)辛巳(かのとみ)沒。」

 

 「大長(だいちやう)阡參佰拾玖(1319)壬寅(みづのえとら)陸月(むつき)丁未(ひのとひつじ)乙卯(きのとう)壬戌(みづのえいぬ)沒。」

 

 耳を(ろう)する生殺流轉(るてん)の風雪を辿る樣に、獨り、復た獨りと數へ上げる被葬者の命日。一瞬先は闇に舞かれる白墨の卋界。其の逆風と寒氣を物ともせず、前を行く喪然とした後ろ姿。此の星の墓守が現れた、否、此奴(こいつ)はもつと始末が惡い。銀幕の向かふで雪煙を上げ、雄雄しく霏霺(たなび)亞蔴(あま)色の埀髮(すいはつ)と釣り鐘外套(ぐわいたう)。追撃者ですら一顧だにせぬ、身に覺えの有る峻嚴とした其の身の(こな)し。淸廉狷介(けんかい)(はばか)る事勿き稀人(まれびと)の先を急がぬ足取りに、我を忘れてエメラルダスは驅け出した。覆ひで鎖ざされてゐる心の鏡を、裏から覗き見て終つた戰慄に衝き動かされ、斬り裂く氷塵(ひようぢん)の烈風。(しか)し、眼の前の弔客(てうきやく)は悠悠と步いてゐると云ふのに、追ひ附く處か霏霺(たなび)く外套の裾に()れる事すら出來勿い。己の影と立場が入れ替はり、先を行く背中に其の苦役を思ひ知らされる。肉體から置き去りにされた魂の喪失感と危機感。外套を求めてペテルブルクの夜の街をさ迷ふ亡靈が其處に居た。(まつげ)に降り積もる氷沫(ひまつ)屡叩(しばた)き、そんな筈は勿いと云ひ聞かせ乍ら追ひ(すが)る在りし日の殘像。此れは氷點下の陽炎(かげろふ)か、其れとも眞冬の夜の白晝夢(はくちうむ)か。縮まらぬ距離に悶雪(もんぜつ)し、最早(もはや)、今を追ひ掛けてゐるのか、過去を引き擦つてゐるのかも判ら勿い。途切れる事勿く讀み上げられる數珠(じゆず)繫ぎの歿(ぼつ)年月日に大氣が感應(かんのう)して、逆卷く雪花の大輪が其の勢ひを增し、前を行く何者かを呼び止め樣としても聲が出勿い。息が切れ、過呼吸で喉が詰まる。と云ふより、腐肺した胸が焦がれ、吐く息が聲帶(せいたい)と舌の根を燒き、額から滴り落ちる汗が防護被覆(シールドマスク)の緣を舐めて、瞬く閒に霜を吹く。死灰(しかい)の如き(みぞれ)混じりの暴風雪。此程の白兇に(さら)されてゐると云ふのに、手足は(かじか)む事を知らず、骨の髄まで達する筈の猛烈な寒波が熱波に豹變(へうへん)して襲ひ掛かる。バッテリーヒーターが漏電(ショート)してゐるのか、電源を切つても溫度が下がら勿い。其れとも嚇精劑(レッドモンスター)()き過ぎたのか、眞逆(まさか)低體溫(ていたいおん)症で體感(たいかん)溫度が反轉(はんてん)したのか。だとしたら、(いつは)りの熱狂に裝備を解けば、其處が己の命日に爲る。

 「大長(だいちやう)阡肆佰陸拾陸(1466)戊申(つちのえさる)水無月(みなづき)己未(つちのとひつじ)壬戌(みづのえいぬ)己卯(つちのとう)沒。」

 狂嵐の白瀑を物ともせぬ步みが不意に止まつた。然して、

 「否、大長(だいちやう)伍年戊辰(つちのえたつ)極月(しはす)甲子(きのえね)壬寅(みづのえとら)癸卯(みづのとう)沒。」

 と云ひ改めて(きびす)を返し、釣り鐘外套から(ひら)光勵起(くわうれいき)サーベルの()(さき)が、エメラルダスの足許を指差した。軍長靴の爪先で張り詰める液體窒素の下に、瞼を閉じて橫戲(よこたは)る第貳代スペースノイド解放戰線總裁。何故、此處に眠れる氷の女王が。オリジナルより精密な蠟人形の硬直した鈍色(にびいろ)の頰。凍結した湖面の合はせ鏡が宣吿する、己の肉體の死に目に閒に合は勿かつた魂への判決に、被告人の女王が運命の傍聴席に膝から崩れ落ちる。此れがエメラルダスだとしたら、私は一體(いつたい)。完全に瓦解した見當識(けんたうしき)。今、眼にしてゐる光景は、現在から未來を覗き込んでゐるのか。過去に(さかのぼ)つて現在を振り返つてゐるのか。女王として君臨した記憶を辿り、己が本物で存る(あかし)を搔き集める、もう獨りのエメラルダス。(しか)し、硝子張りの(ひつぎ)()(つくば)つて懺悔するしか勿い、本當の自分とは程遠い(ひと)()がりな人生に、本物で存る事を誇れる確信なぞ何處にも勿い。

 「大長(だいちやう)阡肆佰陸拾陸(1466)戊申(つちのえさる)水無月(みなづき)己未(つちのとひつじ)壬戌(みづのえいぬ)己卯(つちのとう)沒。」

 「否、大長(だいちやう)伍年戊辰(つちのえたつ)極月(しはす)甲子(きのえね)壬寅(みづのえとら)癸卯(みづのとう)沒。」

 橫毆(よこなぐ)りの暴風雪に白響する、忌忌(いまいま)しい十干十二支の忌日(きじつ)。此の巫山戲(ふざけ)た曆數を鋼紀に換算し、其の意味を解き明かさうにも、全く頭が()はら勿い。(ほとばし)る汗が顳顬(こめかみ)から目尻に()み入り、灼熱の惡寒(おかん)が氷漬けの自分に跪拜(きはい)するエメラルダスの背中に鞭を打つ。(かなへ)の沸き立つが如き臓腑の急騰。全身を驅け巡る角質の炎症。最早、尋常で勿い熱病に(うな)されて搔き(むし)る喉笛。

 

  腹中に火起き、其の身を()()す。

 

  地には棘刺(きよくし)生じ、皆(ことごと)く火に()し、其の兩足を貫く。苦痛忍び難し。

 

  身、燒かれ、打たれ、(くだ)かれるが如し。

 

 己の實體(じつたい)に裏切られた女王の絕望は、何時しか肉體の煉獄に突き落とされ、鎖ぢ込められてゐた。阿鼻叫喚髮火流處(はつかりうしよ)の責め苦に耐へ切れず、防護被覆(シールドマスク)()いで(あへ)ぐエメラルダス。水、誰か水を一口、()う吐露し掛けた烈火の舌尖(ぜつせん)が、不意に、今の今迄、耳にした事すら勿い、()らぬ素文(そぶん)(そら)んじる。

 

 

  自我得佛來(じがとくぶつらい)  我、佛を得て()(このかた)

  所經諸劫數(しよきやうしよこふしゆ)  ()たる所の(もろもろ)劫數(こふしゆ)

  無量佰阡萬(むりやうひやくせんまん)  無量佰阡萬(むりやうひやくせんまん)

  億載阿僧祇(おくさいあそうぎ)  億載阿僧祇(おくさいあそうぎ)なり

  常說法敎化(じやうせつぽふけうけ)  常に法を說きて敎化(けうけ)

  無數億衆生(むしゆうおくしゆじやう)  無數億(むしゆうおく)衆生(しゆじやう)

  令入於佛道(りやうにふをぶつだう)  佛道に()らしむ

  爾來無量劫(にらいむりやうこふ)  (それ)より(このかた)無量劫(むりやうこふ)なり

  爲度衆生故(ゐどしゆじやうこ)  衆生(しゆじやう)(すく)はんが爲の故に

  方便現涅槃(はうべんげんねはん)  方便して涅槃を現はすも

  而實不滅度(にじつふめつど)  (しか)(じつ)には滅度(めつど)せず

  常住此說法(じやうぢゆうせつぽふ)  常に(ここ)(ぢゆう)して法を說くなり

  我常住於此(がじやうぢゆうをし)  我は常に(ここ)(ぢゆう)すれども

  以諸神通力(いしよじんづうりき)  (もろもろ)の神通力を以て

  令顚倒衆生(りやうてんだうしゆじやう)  顚倒(てんだう)の衆生をして

  雖近而不見(すいごんにふけん)  近しと(いへど)(しか)も見ざらしむ

  衆見我滅度(しゆうけんがめつど)  (もろびと)は我が滅度を見て

  廣供養舍利(くわうくやうしやり)  (ひろ)く舍利を供養し

  咸皆懷戀慕(げんかいゑれんぼ)  (ことごと)く皆、戀慕(れんぼ)を懷いて

  而生渴仰心(にしやうかつがうしん)  渴仰(かつがう)の心を生ず

  衆生旣信伏(しゆじやうきしんぶく)  衆生、旣に信伏し

  質直意柔軟(しちぢきいにうなん)  質直(すなほ)にして(こころ)柔軟(なよらか)となり

  一心慾見佛(いつしんよつけんぶつ)  一心に佛を見たてまつらむと慾して

  不自惜身命(ふじしやくしんみやう)  自ら身命を惜しまざれば

  時我及衆僧(じがぎゆしゆそう)  時に我及び衆僧は

  倶出靈鷲山(くしゆつりやうじゆせん)  (とも)靈鷲山(りやうじゆせん)()ずるなり

  我時語衆生(がじごしゆじやう)  我は時に衆生に語る

  常在此不滅(じやうざいしふめつ)  常に(ここ)に在りて滅せざるも

  以方便力故(いはうべんりきこ)  方便力(はうべんりき)を以ての故に

  現有滅不滅(げんうめつふめつ)  滅、不滅有りと現はすなり

  餘國有衆生(よこくうしゆじやう)  餘國に衆生の有りて

  恭敬信樂者(くぎやうしんぎようしや)  恭敬(くぎやう)信樂(しんぎよう)する者ならば

  我復於彼中(がぶをひちゆう)  我は()た彼の中において

  爲說無上法(ゐせつむじやうほふ)  爲に無上の法を說くなり

  汝等不聞此(にようとうふもんし)  汝等(なんぢら)(これ)を聞かずして

  但謂我滅度(たんにがめつど)  (ただ)、我、滅度すとのみ(おも)へり

  我見諸衆生(がけんしよしゆじやう)  我、(もろもろ)の衆生を見るに

  沒在於苦海(もつざいをくうかい)  苦海(くうかい)沒在(もつざい)せり

  故不爲現身(こふゐげんしん)  故に爲に身を現はさずして

  令其生渴仰(りやうごしよかつがう)  ()をして渴仰を生ぜしめ

  因其心戀慕(いんごしんれんぼ)  ()の心、戀慕(れんぼ)するに()りて

  乃出爲說法(ないしゆつゐせつぽふ)  (すなは)ち出でて爲に法を說くなり

  神通力如是(じんづうりきによぜ)  神通力(かく)の如し

  於阿僧祇劫(をあそうぎこふ)  阿僧祇劫(あそうぎこふ)に於いて

  常在靈鷲山(じやうざいりやうじゆせん)  常に在り靈鷲山(りやうじゆせん)

  及餘諸住處(ぎふよしよぢゆうしよ)  及び()(もろもろ)住處(すみか)

  衆生見劫盡(しゆじやうけんこふじん)  衆生の(こふ)盡きて見る

  大火所燒時(だいくわしょせうじ)  大火に所、()かるる時も

  我此土安穩(がしどあんのん)  我が此の土は安穩にして

  天人常充滿(てんにんじやうじゆうまん)  天、人、常に充滿せり

  園林諸堂閣(おんりんしよだうかく)  園林(おんりん)(もろもろ)の堂閣は

  種種寳莊嚴(しゆじゆほうしやうごん)  種種(しゆじゆ)の寳を莊嚴し

  寳樹多華菓(ほうじゆたけか)  寳樹(ほうじゆ)には華、菓(おほ)くして

  衆生所遊樂(しゆじやうしよいうらく)  衆生の遊樂する所なり

  諸天擊天鼓(しよてんきやくてんく)  諸天は天の鼓を擊ちて

  常作衆伎樂(じやうさしゅうぎがく)  常に(もろびと)の伎樂を作し

  雨曼陀羅華(うまんだらけ)  曼陀羅華(まんだらけ)(ふら)して

  散佛及大衆(さんぶつぎふたいしゆう)  佛、及び大衆に散ず

  我淨土不毀(がじやうどふき)  我が淨土は(やぶ)れざるに

  而衆見燒盡(にしゆうけんせうじん)  (しか)(もろびと)は燒け盡きて見る

  憂怖諸苦惱(うふしよくうなう)  憂怖(うふ)(もろもろ)の苦惱

  如是悉充滿(にょぜしつじゆうまん)  (かく)の如く悉く充滿せしを

  是諸罪衆生(ぜしよざいしゆじやう)  ()(もろもろ)の罪の衆生は

  以惡業因緣(いあくげふいんねん)  惡業の因緣を以て

  過阿僧祇劫(くわあそうぎこふ)  阿僧祇劫(あそうぎこふ)()ぐれども

  不聞參寳名(ふぶんさんほうみやう)  參寳(さんほう)(みな)を聞かざるに

  諸有修功德(しようしうどく)  諸有(もろびと)の功德を(しう)

  柔和質直者(にうわしちぢきしや)  柔和にして質直(すなほ)なる者は

  則皆見我身(そつかいけんがしん)  (すなは)ち皆、我が身を見る

  在此而說法(ざいしにせつぽふ)  (ここ)に在りて法を說くと

  或時爲此衆(わくじゐししやう)  或る時は()の衆の爲に

  說佛壽無量(せつぶつじゆむりやう)  佛の(いのち)は無量なりと說き

  久乃見佛者(くないけんぶつしや)  久しくあつて(いま)し佛を見たてまつる者には

  爲說佛難値(ゐせつぶつなんち)  爲に佛には値ひ難しと說くなり

  我智力如是(がちりきによぜ)  我が智力は(かく)の如し

  慧光照無量(ゑくわうせうむりやう)  慧光(ゑくわう)の照らすこと無量にして

  壽命無數劫(じゆみやうむしゆこふ)  壽命の無數劫(むしゆこふ)なるは

  久修業所得(くしうごふしようとく)  久しく(ごふ)(しう)して得たる所なり

  汝等有智者(にようとううちしや)  汝等よ、智有る者は

  勿於此生疑(もつとししやうぎ)  (これ)に於いて()を生ずること勿かれ

  當斷令永盡(たうだんりやうようじん)  (まさ)に斷じて永く盡きしむべし

  佛語實不虛(ぶつごじつぶこ)  佛の(ことば)は實にして(むな)しからざること

  如醫善方便(によいぜんはうべん)  ()の善き方便の如くして

  爲治狂子故(ゐぢおうしこ)  狂子(きやうし)を治せんが爲の故に

  實在而言死(じつざいにごんし)  實には在れども死すと言ふに

  無能說虛妄(むのうせつこうまう)  ()く虛妄なりと說くもの無き

  我亦爲卋父(がやくゐせつぶ)  我も亦、爲、卋の父として

  救諸苦患者(くしよくげんしや)  (もろもろ)苦患(くげん)を救ふ者なり

  爲凡夫顚倒(ゐぼんぷてんだう)  凡夫は顚倒(てんだう)せるを(もつ)

  實在而言滅(じつざいにごんめつ)  實には在れどもしかも滅すと言ふ

  以常見我故(いじやうけんがこ)  常に我を見るを以ての故に

  而生憍恣心(にしやうけうししん)  (すなは)憍恣(おごり)の心を生じ

  放逸著伍慾(はういつちやくごよく)  放逸にして伍慾に(なづ)

  墮於惡道中(だをあくだうちゆう)  惡道の中に()ちなん

  我常智衆生(がじやうちしゆじやう)  我は常に智る衆生

  行道不行道(ぎやうだうふぎやうだう)  道を(ぎやう)ずると道を(ぎやう)せざるを

  墮應所可度(ずいおうしよかど)  (すく)ふ可き所に墮應(したが)つて

  爲說種種法(ゐせつしゆじゆほふ)  爲に種種(しゆじゆ)の法を說くなり

  每自作是念(まいじさぜねん)  (つね)に自ら()の念を作す

  以何令衆生(いがりやうしじやう)  何を以てか衆生をして

  得入無上道(とくにふむじやうだう)  無上道に入りて得せしめん

  速成就佛身(そくじやうじうぶつしん)  (すみやか)に佛身を成就することを

 

 

 思はず口走つた經文(きやうもん)天府(てんぷ)の齒車が彈けた。荒れ狂ふ氷刃の炎群(ほむら)は掠れ、上書きされてゐた記憶が氷解し、卷き戾されていく時辰儀の針。途切れる事勿き還曆の輪廻が、文字盤の隱數(いんすう)を讀み込み、捻れた因果の冥路を(さかのぼ)つていく。

 

 

 

 吿貴(こくき)元年甲寅(きのえとら)竺志(ちくし)天王(あまきみ)參寳興隆(さんぽうこうりゆう)(みことのり)にて、六十六ヶ國に大伽藍(だいがらん)を建立し、國府寺と名付けた壹大國事。其の大號令の許、伐り出された南朝尺の材を()(すぐ)り、法興(はふきよう)十年庚申(かのえさる)落慶(らつけい)法要を迎へた南朝樣式の殿堂、法興寺金堂が、創建以來の大難に()れてゐた。大倭(たゐ)國の威信を賭けて、佛法を(おこ)(はじめ)よと發願(はつぐわん)し、天王(あめのきみ)自ら桑門(さうもん)(くぐ)り、法皇(のりのすべらぎ)(がう)して造營した大伽藍。其の扶桑(ふさう)(みやび)を究めた五重塔と八角佛殿、南朝渡來の止利(しり)佛師が敬造した尊像の數數が色を失ひ、極彩色の文樣と金瀾の限りを盡くす、極樂を模した金堂の内陣が今、阿鼻叫喚の無閒(むげん)地獄に轉變(てんぺん)し、不惜身命(ふしやくしんみやう)大勤行(だいごんぎやう)が轟いてゐる

 勝照(しようせう)四年戊申(つちのえさる)の翌年、唐より敎典が傳來(でんらい)し、端政(たむしやう)と元號を改めた程の法華經の卷子(くわんし)に有つて、白眉(はくび)見啓(みひら)如來壽量品(によらいじゆりやうほん)。中でも法華七喩(しちゆ)の逸品、良醫(らうい)の施術を佛の功德に(なぞら)へた、良醫病子(らういびやうし)(じゆ)し、一切衆生(いつさいしゆじやう)を救ふ佛の御心(みこころ)を仰ぐ其の主座を、(まつりごと)に追はれ都督府に歸した法皇(のりのすべらぎ)に代はり、王后(あまのきさき)エメラルダスは一心に勤めてゐた。

 

 「()た、()た・・・・・・。」

 

 と死斑を浮かべて悶絕し續けた太后(おほきさき)の呻吟が、今も耳に灼き附いてゐる。卋の(うつ)り病に倒れた倭國(ゐこく)太母(たいぼ)。其の快癒の願ひは歲を過ぎ越す事すら赦されず、同じ(かさ)を被つて身罷(みまか)つた數多(あまた)百姓(おほむたから)の供養と(とも)に、(とむ)ひの禱命(たうみやう)(てん)じて()む事が勿い。

 

 

  常在此不滅(じやうざいしふめつ)  常に(ここ)に在りて滅せざるも

  以方便力故(いはうべんりきこ)  方便力(はうべんりき)を以ての故に

  現有滅不滅(げんうめつふめつ)  滅、不滅有りと現はすなり

 

 

 太后は此の卋で入滅したのでは勿い。佛の深淵なる御心で、佛が繰り返し此の卋に()でますが如く、太后は菩薩と成つて、我等の直ぐ側で我等を見護つて下さつてゐる。其れを眼に出來ぬ(とが)(ひとへ)に、佰阡萬億劫の壽命を數へる久遠佛(くをんぶつ)を疑ふ心に有り。王后は尊信と折伏(しやくぶく)の足りぬ己を責めた。

 本尊に(ましま)す藥師像。脇の閒に控へる上宮法皇、多利思北孤(たりしほこ)等身の觀卋音菩薩像(くわんぜおんぼさつざう)と、王后等身の百濟(くだら)觀音像。(いづ)れも止利(しり)佛師が名刻を揮つた、西方淨土を越えて波斯(はし)國の彼方より傳來せし、彫像美術の粋で在るにも拘はらず、(ふく)よかな唇が湛へる聖謐な匠の微笑みが、再び息を吹き返した疫病の暴虐を嗜觀(しくわん)してゐると、蔭で飛び交ふ聲、復た聲。舌禍(ぜつか)(いと)はぬ臣下の、度重なる諫言(かんげん)に返す言葉も勿い。

 

 「韓を始めとする海表(わたのほか)(ことご)(うつ)り病で(けが)れてをります。此の儘では(わざはひ)(わざはひ)を呼び、國事を損なふ許り。其の上、任那(みまな)官家(みやけ)を再興し、新羅のみに(とど)まらず、唐とも事を交へる等とは、仔細を顧みぬ拙策。百姓(おほむたから)の命を預かる法皇として、最早、一刻の猶予も爲りませぬ。海表(わたのほか)との往來を禁ずる御英斷を。」

 

 「慈悲、忍辱、空性が何うの、殉難捨命、忍難布敎の請願が何うのと、祖神を(ないがし)ろにして佛事に(かま)け、菩薩氣取りにも程が有る。弟子の配膳で下した自腹も治せずに身罷(みまか)つた腐れ坊主を、佛、佛と(かつ)ぎ上げた擧げ句、そんな紛ひ者の御利益で、萬民を(むさぼ)る惡鬼の如き彼の瘡毒(さうどく)平癒(をさ)めやうとは。疫氣(ゑのやまひ)と共に渡つて來た念佛なぞ、幾ら(とな)へたとて粥の足しにも爲らぬわ。

 

 

  我亦如是(がやくによぜ)  我も(また) (かく)の如し

  成佛已來(じやうぶついらい)  成佛してより已來(このかた)

  無量無邊(むりやうむへん)  無量無邊(むりやうむへん)

  佰阡萬億(ひやくせんまんおく)  佰阡萬億(ひやくせんまんおく)

  那由他(なゆた)   那由他(なゆた)

  阿僧祇劫(あそうぎこう)  阿僧祇劫(あそうぎこう)なり

  爲衆生故(ゐしゆじょうこ)  衆生の爲の故に

  以方便力(いはうべんりき)  方便力(はうべんりき)を以て

  言當滅度(ごんたうめつど)  (まさ)に滅度すべしと言ふも

  亦無有能(やくむいうのう)  亦 有能 無からん

  如法說我(によほふせつが)  我の說く如法

  虛妄過者(こうまうくわしや)  虛妄の(とが)の者を

 

 

 等と、何を偉さうに。忠臣の諫言に耳を貸さぬ(まつりごと)なぞ(かい)の折れた船頭。佛の空言に振り囘される、百姓(おほむたから)の身にも爲れ。」

 

 

 (しかばね)の山を(つら)ねる未曾有の國難は、天孫の祖神(おやがみ)に見限られた(あかし)(かさ)()し、啼泣(いさ)ちつつ(しぬ)る者達に罪は勿い。(すべ)ての事の起こりは佛敎治國の御旗(みはた)を揭げ、多神敎に()()にし()の合議を護る東方の地に迠、(のち)の五畿七道へと通ずる道制を()き、(まつろ)へと(のたま)ふ吾が君に有り。幾ら得度して參德(さんとく

)を積み、新たに法皇年紀を建てやうと、經典より疾疫(ゑやみ)を流布してゐるでは、法興では勿く亡國の(ともがら)。僧門の外周を取り卷く、熱に浮かされた咒詛(ずそ)の合唱は鳴り止む事が勿い。花が咲いて()が生る筈の敎へも、西方淨土とは程遠い、瘴氣(しやうき)に淀む國土を前にしては、何に()りて(このみ)と爲したかを問はれるのは必然。此の期に及んで一旦は(ほこ)を納めた外征に手を掛ける等、將に外道(げだう)()。倂し、然うと頭で判つても、縱に振れ勿い(くび)が有る。

 百濟(くだら)から倭國の奧室へと迎へられ、後に鬼前(きぜん)諡號(しがう)(たまは)つた太后(おほきさき)(のち)干食(かんじき)と諡號を賜る王后(あまのきさき)雞彌(きみ)も復た、

 

   拾有參春秋

 

 幼くして百濟より天ヶ原を渡り、扶桑(ふさう)の太子、多利思北孤(たりしほこ)と、倭漢往來の遙か昔、周代より續く參獻(さんこん)儀禮(ぎれい)、三三九度の酬觚(しうこ)を交はした。大海を挾む雙國(さうこく)の習ひ。其の堅き(ちぎ)りの(はじまり)が何時の事かと問はれても、星を數へるに等しい還曆の彼方。舊辭(きうじ)(いは)く、筑紫㠀(ちくしのしま)の南洋、夷邪久(いやく)多褹(たね)の海を灼き盡くした火の鳥に追はれて、北を目指した民が竺志で(あぶ)れ、天國(あまのくに)對海國(たいかいこく)と渡つて辿り()いた未開の大地は、雞彌(きみ)の先人が流した血と汗と淚を肥やしに()(おこ)す迠、瘦せ衰へた不毛の荒野が廣がつてゐた。(やが)て潮が引き、寒波を逃れて年每に北狄(ほくてき)が山を越える樣になつた後も、斷固として血束し、扶餘(ふよ)國に半ば呑まれ、交はらうとも、祖地、倭國への思慕の念は絕える事勿く、百濟の血を分ける韓族(はんぞく)の者達は、(たと)へ竺志の地に在つても、國運に我が身を賭して、大倭の故地を護り續けた。其の遙かなる事蹟を決して忘れず、火鳥の(いか)りを(しず)め、其の不死の(ちから)(あやか)らうと、神を降ろし、祖先の魂が天に昇る靈地として(あが)めた、夜勾(やく)㠀の(おきな)嶽、宮之浦嶽、薩摩の開聞嶽(ひらききだけ)から竺志を護る四王寺山を北埀で繫ぎ、延線の頂きに(から)の地への海運を見護る胸形(むなかた)(やしろ)を導線に、數多(あまた)奧津城(おくつき)(すべ)てを(ひき)ゐる都督(ととく)の府の樓閣(ろうかく)を整へ、北辰(ほくしん)(はい)した。總ては天孫の御國(みくに)三卋(さんせい)百姓(おほむたから)の爲に。

 寳餝(ほうしよく)は總て佛に(ささ)げ、手襁(たすき)を仕舞ひ、緣を彩る錦の裙襦(くんじゆ)と淺靴を脫ぎ、生成(きな)りの素服(そふく)に素足で本尊に額突(ぬかづ)き、手を合はせる雞彌(きみ)。髮を()げ、天ヶ原を渡つた其の時に、(から)の地は二度と蹈まぬと血意を固めた。其れも(ひとへ)に、祖国の存亡を(すく)へるのなら、心の中で何時でも還れるとの想ひが有るからこそ。海表(わたのほか)蕃屛(まがき)を隔てた大倭(たゐ)國は未だしも、北狄(ほくてき)唐土(もろこし)と地續きの百濟を襲ふ熱病の火力は、此の比では勿い。大倭國が傾げば百濟は倒れる。何の爲に我が身を竺志に(ささ)げたのか。此の粗骨(そこつ)が宗主の肥やしと生るのなら、幾らでも(くだ)いて撒くが良い。(みだ)れた髮を直さうともせず、雞彌(きみ)(ほとばし)る救國の念に胸を焦がし、()れ果てた讀經(どきやう)を絞り出す。

 

 

  願以此功德(ぐわんにしくどく)  願はくば此の功德を以て

  普及於一切(ふぎふおいつさい)  (あまね)く一切に及ぼし

  我等與衆生(がとうよしゆじやう)  我等と衆生

  皆共成佛道(かいぐじやうぶつだう)  皆共に佛道を(じやう)ぜん

 

 

 法華の御輿(みこし)は何時しか、化城喩品(けじやうゆほん)第七、()の一節へと囘歸(くわいき)し、神通力の奇蹟を信じて復唱し續ける囘向文(ゑかうもん)。疲勞困憊した肉體から意識が遊離していく程に、感極まる法悅。苦痛と(いの)りが絕頂に達した其の時、佛は顯現(けんげん)する。金銅の天蓋を突き拔けて、曼陀羅華(まんだらけ)摩訶曼陀羅華(まかまんだらけ)曼珠沙華(まんじゆしやげ)摩訶曼珠沙華(まかまんじゆしやげ)花瓣(はなびら)()り、栴檀(せんだん)薰風(くんぷう)が滿ち溢れた。

 「(おもて)を上げなさい。」

 四華に包まれて響き渡る(かむあが)りした太后の(こゑ)。蜘蛛の糸にも(すが)(おも)ひで本尊を仰ぎ見ると、其處には、

 「竜頭。」

 印相も組まず、藥壺も持たず、藥師像と同じ瓜實(うりざね)顏の幽女に息を呑むエメラルダス。金瀾の意匠で燃え盛る、宗政一致を揭た法治國家の殿堂に、海松(みる)色のチャドルを(まと)靈然(れいぜん)と立ち(はだ)かる(とき)の旅人が、燈會(ランタン)火屋(ほや)(かざ)して浮かび上がり、微かに口角を(ほころ)ばせた焦點(せうてん)の曖昧な三白眼で、汗と脂で(やつ)れた、縫合痕の勿い女王の支度解甚(しどけな)妍容(けんよう)を見下ろしてゐる。

 「此の化生(けしやう)があ。」

 怒りに(ふる)へ、己の勤めを忘れて飛び掛かるエメラルダス。倂し、結跏趺坐(けっかふざ)を解いた瞬閒、腰椎に激痛が走り、頭から床に飛び込む樣に倒れ込んだ。讀經(どきやう)()み騷然とする金堂の内陣。雞彌(きみ)の襟足を(あら)ふ大粒の汗に顏色を()へ、驅け寄つた僧が素服の袖を手繰(たく)し上げる。肩口から二の腕に掛けて(あら)はに爲つた髙貴な柔肌。幸ひ、赫い緣の有る例の白斑(はくはん)は一粒も見當(みあ)たら勿い。とは云へ、死の刻印が(あぶ)り出てくるのは一旦熱が下がつてからの事。最早、豫斷(よだん)は赦され勿い。髙熱を(はつ)して(うな)され乍ら運び出される雞彌(きみ)は、朦朧とした意識の中で(なほ)も、佛を恭敬(くけい)し續けてゐた。

 「此れを燒身供養と云ふのなら、(よろこ)んで濁卋(だくせ)(けが)れた此の身を(ささ)(たま)ふ。」

 生死を超克し、不惜身命(ふしやくしんみやう)實踐(じつせん)(のめ)り込む大倭國の新しき太母。此の大難は人心を試す幻でしか勿い。我等の守護者は(いつは)りの炎群(ほむら)の中に、何物にも惑はされぬ信仰の中に()る。(しか)して、法興丗一(さんじふいち)年十二月(きさらぎ)、太后が薨去し、殯の設へ處か四十九日も經たぬ、法興丗二(さんじふに)二月(きさらぎ)發熱(はつねつ)一先(ひとま)ず治まり、意識を囘復(かいふく)した雞彌(きみ)が、

 「法皇(のりのすべらぎ)には(つた)へるで勿い。」

 と箝口(かんこう)(くびき)()いた時には旣に、法皇多利思北孤(たりしほこ)も復た、都督府で疫氣(ゑのやまひ)の毒牙に倒れてゐた。日出づる處の菩薩天子が沒した海東の淨土。總ては阿片の夢の樣に。

 

 

 敎到(けうたう)元年辛亥(かのとゐ)倭王葛(ゐわうかつ)として海表(わたのほか)にも其の名を馳せ、後の百濟本紀(くだらほんき)に「()意斯(いし)移蔴岐彌(いまきみ)(すなは)ち「倭國(ちくし)(いし)今君(いまきみ)」と稱されたた()氏、磐倭(いはゐ)(たふ)れ、倭國の權力を掌握した阿每(あま)氏。其の天孫の阿輩雞彌(あまきみ)髙良玉埀命(かうらたまたれのみこと)の太子として、金光(きむくわう)三年壬申(みづのえさる)(のち)の上宮法皇、廐戶王子(うまやどのわうじ)、多利思北孤は竺志の地に生を受けた。皇軍親征の武勇を願ひ其の名に(ほこ)を納め、筑紫潟を逍遙(せうえう)し、阿蘇の凱煙を仰いで雄雄(をを)しく育ち、文武に(ひい)で容姿に惠まれた若君は、美豆良(みづら)を解いて(かづら)の紐を結はぬ内から、佛法を倭國の王道を步む先師と(あが)めて心醉(しんすい)し、富と權力の逸樂に溺れる事勿く、約束された星の光で滿ち溢れ、誰もが其の新しき名君の登壇を待ち焦がれ、持つて產まれた天孫の威德に、此の國の望みを託してゐた。無理も勿い。

 時は(あたか)も、魏志(ぎし)に記されて以來と云ふ大亂(たいらん)(てい)易姓(えきせい)革命を果した物の、盤石とは云へぬ阿每(あま)氏の統治に、守舊(しゆきう)派と離反者は、死罪の恩赦で骨拔きにされた倭王葛(ゐわうかつ)磐倭(いはゐ)の嫡男の葛子(くずこ)(かつ)ぎ上げて根强い抵抗を續け、吹き荒れる風雲、度重なる阿蘇の爆塵に煽られて、倭國の榮冠を(かざ)冕旒(べんりう)玉埀(たまた)れは千千(ちぢ)(みだ)れた。貴樂(くいらく)二年癸酉(みづのととり)、髙句麗、新羅と交戰を續ける百濟の使節から()はれた援軍にも(おう)じる餘力(よりよく)は勿く、韓の地での戰勝を祈願する祭殿、沖ノ(しま)(なら)びに、大㠀(おほしま)勝㠀(かつしま)を一線で繫ぐ勝浦の石祠(せきし)の領分を、宮地嶽の(やしろ)から胸形(むなかた)(やしろ)(うつ)し、海運の女神を迎へて祭祀も改め、外征の負荷を見直した處で、戰線を海表(わたのほか)から内地に引き寄せた丈けの事。()()の果てには、鏡當(きやうたう)四年甲辰(きのえたつ)内亂(ないらん)の隙を衝いて新羅の軍勢が竺志に至り、瀨戸内の㠀㠀(しまじま)()じ開ける樣に侵攻して、戰火は倭國の西極、針閒(はりま)に達した。東國の難波を前にして舳艫(じくろ)(ひるがへ)した新羅の變節(へんせつ)が憶測を呼び、外憂と内憂が更に入り亂れる。

 「新羅に通じ、漁夫の利を狙ふ、大患は東に在り。」

 天孫が伊都(いと)筑紫降(くしふる)峯に降り立つてより已來(このかた)、外寇の侵犯は(かず)有れど、前代未聞の慘狀に、宗主國内で湧き上がる、新羅への報復から飛び火した東征論。其の怒號(どがう)(なだ)める樣に、東國の王家達は倭國の法治政策に組した。

 (しん)朝、太元(たいげん)九年甲申(きのえさる)、百濟に佛法が傳來して十二支を二廻りした、(しん)朝、義熙(ぎき)十四年戊午(つちのえうま)、百濟王、腆支(てんし)王が竺志に僧侶を(まだ)して、

 「()(さと)しき人有らば貢上(たてまつ)れ。」

 と佛像、經典、論語、千字文を獻上(けんじやう)し、倭國に佛法と文明の門戶を(ひら)いて、(はや)六拾(むそ)の還曆を二廻り。竺志から周芳(すはう)伊豫(いよ)から狹貫(さぬき)、吉備から針閒(はりま)へと參寳(さんぽう)は迎へられて菩提(ぼだい)の根を下ろし、遅蒔(おそま)き乍ら、貴樂(くいらく)元年壬申(みづのえさる)玉埀命(たまたれのみこと)を介して百濟王より佛像と佛敎文物を贈與(ぞうよ)されるも、倭國の分家、山門(やまと)斯歸斯蔴(しきしま)大王(おほきみ)は東國の意志を束ねて、祖神(おやがみ)(ないがし)ろにする二重信仰を(かたく)なに固辭。積み上げられた貢物(こうもつ)を前にして跪禮(ひざまづくゐや)を解かず、一心に地に伏した額を上げやうとは爲勿(しな)かつた。そんな先君の呑み下した辛酸を、宗主の寬恕(くわんじよ)にも限りが有ると、嫡男の譯語田(をさだ)大王(おほきみ)()む勿く反古(ほご)にし、蘇我馬子(そがのうまこ)の「これ父の卋に(たた)る神の心なり。」との病床からの奏上を聞き入れる形にして、新羅より侵攻を受けた其の歲の秋九月(ながづき)、蘇我馬子の手配で、焦土に燻る針閒(はりま)より還俗人惠便(ゑべん)を師として招喚し、三人の(むすめ)が尼と成り、佛像と佛殿も揃ひ、勝照(しようせう)元年乙巳(きのとみ)法會(ほふゑ)が開かれ、「佛法の初め、(ここ)よりして(おこ)れり。」と締め括り、丸く治まつた、筈が、卋の爭火に水を()()き佛の淨火は、更なる災禍の呼び水を()()して終ふ。

 「倭國の遣ひ走りが(のぼ)せをつて。あんな狸寢入りの寢言を()に受けて、祖神(おやがみ)から蕃神(あだしのくにのかみ)、竺志から新羅に乘り換へたかと思へば、新羅から竺志と寢返る大王(おほきみ)大王(おほきみ)。彼の樣な事で山門(やまと)神祀(かみまつ)りが勤まる物か。」

 竹斯(くちし)の後ろ盾を振り(かざ)して山門(やまと)の合議に耳を貸さず、王族に(むすめ)輿入(こしい)れしては强權を(ふる)ふ蘇我の豪腕に波風が立たぬ(わけ)が勿い。蘇我馬子が法會(ほふゑ)の爲に建立した佛塔、(さつ)(はしら)。飛鳥の地で最も眼に付く其の尖塔を遠くに睨み、物部守屋(もののべのもりや)は積憤に戰慄(わなな)沸鼎(ふつてい)()()けた。磐餘彥命(いはれびこのみこと)が東征し、天基(あまつひつぎ)草創(はじ)(たま)ふ遙か昔から、山門の故地を本貫とする事に於いて、右に出る者の勿い古豪の宗家。佛法の是非は云ふに及ばす、蘇我と山門での位格を犬犬(あらそ)つてゐた物部の一族に在つて、軍士を(ひき)ゐて唯の半步でも退()いた事の勿い此の益荒男(ますらを)は、口先三寸で卋渡りをする程、器用でも勿ければ氣品も勿い。長い物に卷かれる丈けの譯語田(をさだ)大王に、烈火の劍幕で詰め寄り、疾疫(ゑやみ)に穢れた卋上の因果を問ひ質して、廢佛の奏上を呑ませると、馬子の(しつ)へた佛殿に(なぐ)り込み、佛と名の附く物なら、尼の(ほと)()まで(はづかし)め、手當(てあ)たり次第に討ち壞して、火を放つた。

 「不惜身命(ふしやくしんみやう)とは何ぞ。佛を(まも)つて示して見せい。百姓(おほむたから)(すく)ふとか云ふ卷子(くわんし)が燃えてをるぞ。火に飛び込まぬか。」

 馬子の喉元に劍の()(さき)を突き附け、衣を剝がれ赤肌を(ふる)はせる尼僧(にそう)の首に縄を掛けて去つて行く、守屋の髙笑ひ。其の豪膽(がうたん)山門(やまと)(あぜ)を行き交ふ諸人(もろびと)快哉(くわいさい)は鳴り止まず、程勿くして、(とほ)(みやこ)、竺志に迠(とど)く事と爲る。

 扶桑(ふさう)の東に(たむろ)する蠻族(ばんぞく)狼藉(らうぜき)に、心火(しんくわ)(とも)(ひと)りの(をとこ)が居た。猿山の喧嘩と物笑ひの種にする(おみ)達の輪に(くは)はらず、込み上げる叱責を堪へて、(しづ)かに息を(ととの)へる紅顏(こうがん)の貴公子。己を釋迦に(なぞら)へて行住坐臥(ぎやうぢゆうざぐわ)の總てを律する多利思北孤(たりしほこ)の、握り込んだ拳が(かす)かに(ふる)へてゐる。初冠(うひかうぶり)を揭げ、朝堂に出仕する歲と爲り、佛法への敬慕に磨きの掛かつた竺志の太子に取つて、()まはしい初仕事の始まり。然して、其の呑み下した固唾は、倭國東征の始まりを吿げる、靜かな狼煙(のろし)だつた。

 思春期の未發達な骨格で、胡服(こふく)の身幅を持て(あま)す微笑ましさとは裏腹に、遠卷きに(はべ)臣下(しんか)の眼にも(まぶ)しい其の聰明。多利思北孤(たりしほこ)は旣に倭國の前途を背負ふ貴種として、王位の係爭なぞ無縁の人望を(あつ)め、

 「天孫は蓮の華の上に降りられた。」

 「悟りを(ひら)いたのは現人神(あらひとがみ)。」

 と(たと)へられた。物の覺えは數多(あまた)の佛典を二讀(にどく)する事勿く、六經(りつけい)を研精し、(すこぶ)る天文に(あか)るい。數を計れば(まばた)きの如し。筆を(ふる)へば五色に(きら)めく墨が山河を越えて龍を解き放ち、一月先の天氣を見通して、其れが靑いと云えば椿の花ですら蒼褪める。臣下と民の(こゑ)一齊(いつせい)に浴びて、亂蔴(らんま)を快答する其の閃きは、將に釋迦(しやか)の生まれ()はり。倭國が待ち望んだ小さな巨人。其の山が(しず)かに動き始めた。

 倭王()は吉備を制して瀨戸内の往來を認めさせ、東方統治を針閒(はりま)にまで延ばし、倭王葛、磐倭は律令を定めて私地私民を改め、百姓に土地を分け(あた)へる善政を()き、倭王葛(ゐわうかつ)は律令を定め、任那(みまな)日本府の存亡に心骨を(ささ)げた。其れに引き換へ我が天王(あまきみ)は、同じ(なの)りの先人、髙良玉埀(かうらたまたれ)命が誇る武運長久の(ほま)れを徒に汚す許り。磐倭が自滅した丈けだと云ふのに、()氏から阿每(あま)氏への大願を果たしたと浮かれ、易姓革命の後の始末に今以て手を燒き、韓の統治を認めぬ南朝に磐倭が見榮を切り、斷絕した册封を改めるでも勿く、任那(みまな)日本府の官家(みやけ)再興處か、度重なる出兵に疲弊する許りで、百濟(くだら)存亡の危機に未だ手を(こまね)いてゐる。此れでは海を渡つて嫁いだ太后(おほきさき)雞彌(きみ)も、氣が氣では勿く、遂には、長引く政爭で實兄(じつけい)を失ふ、倭國の邪馬(やま)俾彌呼(ひみか)が治めた御代(みよ)からの兄弟統治にも影を()す事態に、多利思北孤(たりしほこ)も受忍の禁を解いた。

 生溫(なまぬる)い。煮え切らぬ父上の眼が醒めるのを待つてゐては、蒙昧な東夷(とうい)蠻心(ばんしん)に佛法の華を敷き詰め、宥和(いうわ)を計る事なぞ夢の復た夢。

 「武罰(ぶばつ)(また)、方便。」

 傷附け合ふのも、傷を舐め合ふのも同じ事ならば、一層(いつそう)一念(ひとおも)ひに片付けて終つた方が後腐れが勿い。淸濁を合はせ呑む膽力(たんりよく)と、名實(めいじつ)の損得を見極める眼力を多利思北孤は備へてゐた。己の手が汚れぬ(とほ)の都から、山猿が繩張り爭ひを繰り廣げる、山門(やまと)蠱壺(こつぼ)を覗き見る。奸賊(かんぞく)、蘇我氏の中に在つても馬子の非道は拔きん出てゐた。同族の者さへ眉を(ひそ)める其の剽悍(へうかん)。彼の山猿は野心に(まみ)れた俗物の極み。倂し、奴の奸策(かんさく)には切れが有る。欲に釣られて火中にも平氣で飛び込む處なぞ、鈍閒(のろま)な正直者より餘程(よほど)使ひ勝手が良い。山門に敵が多い分、竺志の云ふ事を良く聞いて、其の御零(おこぼ)れに有り付かうとする卑しさには、或る意味、表も裏も勿い。惡人で()れば()る程、眼を掛けるのが佛の器。捨て石にするには未だ早い。

 其れよりも、蘇我稻目(いなめ)(むすめ)堅鹽媛(きたしひめ)を母に持つ、大兄王子(おほえのわうじ)池邊(いけべ)。奴は山門の王族に在つて中中の漢だ。忠義に篤く、芯が有り、腕の覺えも確かで、何より心から佛法に歸依(きえ)して()む事を知らぬ。竺志の太子の目代(もくだい)として兵の(をさ)に任じ、目多利思北孤(ぼくのたりしほこ)(がう)(ぢよ)すると、洟淚(ているい)を流して西方の都に平伏(ひれふ)したと云ふ。(しか)も此れで譯語田(をさだ)大王(おほきみ)の嫡男と云ふのだから渡りに舟。馬子の樣な惡い(むし)が附いて終つてゐるが、物部の軍勢と相對(あひたい)するに池邊の王子(みこ)の力は()かせ勿い。(ふる)い習俗で凝り固まり山里に引き籠もつた、天孫の分家を敎化する參寳の手綱。決して緩めてなる物か。(とほ)の都の空に描いた繪圖(ゑづ)は、雲一つ限る事勿く、生駒と笠置に(かこ)まれた山門の空へと霏霺(たなび)いていつた。

 

 

 「天王(あめのきみ)は少し御疲れの樣だ。」

 多利思北孤が然う(ひと)()ちた丈けで、其の一言を待つてゐた臣下は總てを執り計らひ、以降、若君の目配せが朝堂を無言の合議の場へと導いていつた。山門では譯語田(をさだ)の大王が崩御し、(もがり)の場を顧みず、馬子と守屋は主君を(いた)む可き(しのびごと)で罵り合ひ、(ぬさ)(けが)したと云ふ。王位には池邊王子が()き、競り負けた穴穗部(あなほべ)王子の肩に守屋は腕を囘して、良からぬ耳打ちを爲る事だらう。淺墓(あさはか)な者達の(はかりごと)なぞ髙が知れてゐる。多利思北孤の千里眼と順風耳(じゆんぷう)に狂ひは勿く、旣に其の先の先を見通してゐた。參寳(さんぽう)こそが此の卋の至寶(しほう)。佛に(そな)へる花以外に(かざ)る物なぞ勿いと、冕旒(べんりう)を脫いだ倭國とは對極(たいきよく)に、外海との交流、文物に(うと)く、養蚕(やうさん)(すべ)(まま)ならぬ内陸の豪族は、華美な物許りを追ひ求めて、竺志の御下がりに群がり、奪ひ合ひ、竺志の錦糸を(ちりば)めた絹織物、舶來の寳物を(おく)ると、山里の風潮に迎合してゐる丈けの者達は、(わけ)も勿く(ころ)んでいつた。守屋と倶に廢佛の(はかりごと)に加はつてゐた三輪逆(みわのさかふ)も、今では竺志から送つた兵を(ひき)ゐて殯庭(もがりのには)を警護し、中臣勝海(なかとみのかつみ)に到つては形代(かたしろ)(まじな)ひを掛けた彥人(ひこひと)王子に歸服(きふく)迠した。德を積むのに、私財を積めば()む程お安い物は勿い。廢佛の(ともがら)(かこ)ひ込むなら、袋の鼠にも餌を撒く。總てに於いて拔かりは勿い。(いくさ)の前に勝負を決めるのが本當の(いくさ)。相手に指一本()れずに屈服させるのが名君の流儀だが、事、山門の草昧(さうまい)に限つては、少し(うみ)を出して()いた方が良さそうだ。薄葬(はくさう)の心得を幾ら說いても、百姓の苦役も顧みず無闇に墓の大きさと副葬の品品を競ひ合ひ、治水で掘り起こした土砂の後始末とは云へ、其れを積み上げた難波の巨大な奧津城(おくつき)を遣使に(ひけらか)すなぞ、生氣の沙汰(さた)では勿い。竺志の分家と云ふ格式を(おとし)める其の大愚。天孫(あめみま)(いへど)も佛法から學ぶ可き物が在る。

 「武罰も(また)、方便。」

 多利思北孤の(はら)は旣に据わつてゐた。廢佛から宗旨(しゆうし)替へした怨みと、武力と强引な(ちぎ)りで、王位と炊屋姬(かしきやひめ)を物にしやうとした穴穗部(あなほべ)王子を、一度ならず二度迠も退けた逆怨みで、三輪逆(みのわのさかふ)が守屋に斬り殺されれば、()()りなんと北叟笑(ほくそゑ)み、粉骨碎身、竺志の手と爲り足と爲つて立ち囘はり、東國に在つて最も目を掛けてゐた臣下の獨り池邊大王が、()りに()つて天然痘で倒れたとの一報を受けても、

 「(ちん)參寳(さんぽう)()らむ。」

 と譫言(うはごと)の樣に繰り返した身命(しんみやう)を賭しての諮議(しぎ)に、病をも利して朝堂に佛法を推擧する其の信心は見上げた物。(たと)へ其の身は滅びても、一足先に兜率天(とそつてん)下生(げしやう)を待つ彌勒(みろく)菩薩の許へ向かふ迠の事。數百億の衆生を濟度(さいど)する未來佛の說法を聽けるのだから果報者だと、一線に引いた眉根を崩さず、(しず)かに片手で合掌し乍ら、(あま)つた掌で共喰ひの蠱壺(こつぼ)を轉がしていく。

 勝照(しようせう)三年丁未(ひのとひつじ)、多利思北孤は馬子への指示を(たづさ)へた豐國(とよのくに)法師を山門へ(まだ)した。倭國から大王(おほきみ)の臨終に招かれた蕃神(あだしのくにのかみ)の僧。其れが守屋への最後通牒で在つた。宗主國の貴賓を鄭重に迎へ入れる穴穗部(あなほべ)王子と山門の群臣達。其の二心勿き姿に袋の鼠は總てを悟つた。己が鈴の著いた猫に取り圍まれてゐる事を。守屋は阿都(あと)に逃がれて兵を募り、豐國法師が池邊大王の最期を見屆けると、蠱壺(こつぼ)の蓋は封を切られ、馬子は炊屋姬(かしきやひめ)に奏上し、譯語田(をさだ)大王の忠臣で、姬の貞操も護つた三輪逆(みわのさかふ)の仇敵、穴穗部(あなほべ)王子の誅殺を取り付ける。

 六月(みなづき)丁未(ひのとひつじ)甲辰(きのえたつ)庚戌(かのえいぬ)の夜半。戰塵を卷き上げ、嚆矢濫觴(かうしらんしやう)を競ふ軍馬の蹄轍(ていてつ)(とき)を同じくして、多利思北孤は獨り佛前に向かひ、夜の勤行に執り掛かる。正法念處經(しやうぼふねんじよきやう)に八熱の地獄在り。心に廣げた三界六道を網羅する舶來の卷子(くわんし)。聖德の太子が足處氣勿(あどけな)さを殘す面差しを僅かに伏せると、凜然(りんぜん)と張り詰めた金堂の柱梁(ちゆうりやう)禍禍(まがまが)しき經文が(きり)を突き立てた。

 

 

 ()し人一切の智人(ちじん)毀呰(きし)し、支佛(しぶつ)毀辟(きし)し、阿羅漢を(そし)る。()し、法律を(そし)り、常に聖人を(そし)れば、()の人、()の惡業因緣を以て、身を(こぼ)ち命終れば、惡處に()ち、彼の地獄は野干吼處(やかんくしよ)に在る。

 

 

 釋尊(しやそん)に成り切つて(とな)へる背佛の末路。馬子の軍勢に四方を取り卷かれた穴穗部(あなほべ)王子の宮が、篝火(かがりび)の中に浮かび上がる。號令とも知れぬ雄叫びを上げて(たかどの)()()(つはもの)達。(いぬ)に似て人を(くら)ひ、()く木に登り、群行して夜鳴きする事、狼の如し。惡獸の野干(やかん)は此の卋に()つた。逃げ込んだ鄰家から引き擦り出され、切り刻まれる屬國(ぞくこく)の見せしめ。多利思北孤は(まつりごと)退(しりぞ)けて金堂に籠もり、晝夜(ちうや)を問はず聯日(れんじつ)の勤めに沒頭した。

 

 

 ()し人、惡心惡念に隨喜(ずいき)し、以て惡心を重ね。(もろびと)の僧寺を()き、(あは)せて佛像及び(あまた)臥敷(がふ)、衣裳、財物、穀米、衆具を燒く。惡心の故を以て、僧處を火燒し、隨喜す。心に(くわい)を生ぜずば惡處に墮ち、()の地獄の鐵野干食(てつやかんじ)、別の異處(ことどころ)に生れ、大苦惱を受く。

 

 

 八熱を帶びて口吻(こうふん)を焦がす舌火の讀經(どきやう)。竺志の援軍も加はり、守屋の館に押し寄せる蘇我の兵馬と、待ち受ける物部の郞黨(らうたう)餌香(ゑか)川で口火を切り、返り血は川面を染め、折り重なる(しかばね)が流れを()き止めて、紅蓮の坩堝(るつぼ)に湯氣が立ち昇る。總軍、相讓らず、澁河(しぶかは)稻城(いなき)を築き、立て籠もる守屋も()(もの)。腕に名の有る軍士の(やから)乾坤一擲(こんてんいつてき)、此處を先途と盛り返した。(とほ)の都の順風耳(じゆんぷうじ)が其の馬子劣勢の聲を聞き付けると、多利思北孤は境内の白膠(ぬるで)()り倒し、一心に(のみ)を揮ひ始めた。彼の地では今も亦、草臥(くたび)れた(まじな)ひに精を出してゐる事だらう。形代(かたしろ)を傷附けて願を掛ける山門の因習と、人の卋の因果に手を差し伸べる佛の法力とでは、比べ物に勿らぬと、(つね)日頃、洗練された參寳の叡智(えいち)を說く聖德の太子が眼の色を()へた。多利思北孤の(かざ)(のみ)の一振り一振りが山河を越えて、守屋を狙ふ矢羽の一射一擊を叩き込み、鐵野干(てつやかん)の牙が(やじり)と爲つて、血に餓ゑた鳴箭(めいせん)(うな)りを上げる。

 

 

 彼處(かしこ)野干(やかん)()せる業は、(てつ)口焔(こうえん)()し、彼處(かしこ)に遍滿す。是れ野干(やかん)の焔の牙甚だ(するど)きが如し。聖法人を(そし)る趣に()く走り往きて、(おのおの)異處(ことどことろ)を食ふ。頭を食ふ者有り、(うなじ)を食ふ者有り。惡語を(はな)すを以て、復た野干(やかん)有りて其の鼻を食ふ。復た野干(やかん)有りて其の胸骨を食ふ。

 

 

 白膠(ぬるで)の木に眠る佛を彫り起こしてゐるのか、衆盲(しゅうまう)の罪業に鉄鎚を揮つてゐるのか、守屋の餘命(よめい)()いでゐるのか見分けの附かぬ魂の彫哭(てうこく)。其の情念が乘り(うつ)つたのか、蘇我の軍勢を押し退けて、稻城の藁束を飛び越え、單身(たんしん)で討ち入つた多利思北孤の舍人(とねり)迹見赤檮(とみのいちひ)が守屋を射拔き、木の股から擊ち落とされて垈打(のたう)つ總大將の顳顬(こめかみ)を蹈み付けて、一喝した。

 「守屋殿、吾が君の名を云ふてみよ。」

 「吾が君とは何ぞ。タリシヒコとか云ふ阿每(あま)小倅(こせがれ)か。そんな物、知つた事か。」

 「(たは)けた事を。矛と盾を以て(いさを)しとする倭國に在つて、男子、人と成りては(ほこ)と呼び、武を(ほこ)り、先祖の地と血を(ほこ)る古來からの習ひ。其の(ほま)れを()にし()ふ多利思北孤樣の名を違へた許りで勿く、云ふに事缺(ことか)いて、日神(ひのかみ)(まつ)上古(じやうこ)の「日子(ひこ)」を(おご)とな()へるとは何事ぞ。口を(つつし)め、此の山猿が。幾ら(ちくし)言葉に(うと)いとは云へ、山門(やまと)(なま)りにも程が有る。天をも(そし)る其の雜言(ざふごん)、見過ごしたと在つては天の太子への忠義が立たぬ。蟲螻(むしけら)の樣に刻まれる前に、物部の名を自仭(じじん)(ほま)れで護り拔けば良い物を。」

 

 

 今朝、()り出した許りの原木から四天王が顯現(けんげん)した其の頃、僅かに生き殘つた物部の一族は四散し、聖德の太子は繰り廣げてゐた正法念處經(しやうぼふねんじよきやう)地獄品(ぢごくぼん)を心の奧底に封をして納めた。彫り起こされた()()佛を前にして、新木の切子が放つ淸淸(すがすが)しい薰陶(くんたう)が鼻を突き、息の切れた吐胸(とむね)に滲み渡る。(やつ)れた頰から滴る汗を拭はうともせず、(ふる)へる膝を引き擦り乍ら金堂から退出する多利思北孤。其れでも、兵馬の手綱は決して緩めず、勝ち(いくさ)の餘勢を驅つて、守屋側に附いた、難波、和泉、河内の支配者、捕鳥部萬(ととりべのよろづ)討伐の(おして)を發した。成敗の次第なぞ如何(どう)でも良い。參寳に依る東征の集大成に審議なぞ無用。物部の橫槍なぞ頭から眼中に勿い。

 「兵有りと(いへど)も征戰無し。」

 竺志の本軍を(よう)す迠も勿く、蠱壺(こつぼ)の共喰ひに捕鳥部萬(ととりべのよろづ)は呑み込まれ、東國が倭國の配下に治まると、多利思北孤の命を受けて蘇我氏が山門の朝堂を牛耳り、時卋を讀んだかの樣に髙良玉埀(かうらたまたれ)命が崩御した。

 端政(たむしやう)元年己酉(つちのととり)阿每(あま)多利思北孤(たりしほこ)が大倭國の天子に卽位し、治政の(はじ)めを表す年號、端政(たむしやう)に改めると、倭王葛(ゐわうかつ)磐倭(いはゐ)(たふ)れてより以來、(ほぼ)一囘り(とどこほ)つてゐた十干十二支(じつかんじふにし)の齒車が嚙み合ひ、積年の懸案だつた東方支配が、參寳の光に導かれて動き始める。五畿七道の元に爲る道制を敷き、竺志政廳(せいちやう)の東方遷居も視野に、難波、河内、龍田、斑鳩(いかるが)を結ぶ澁川(しぶかは)道、龍田道を整へ、四天王寺、澁川寺、西安寺、法隆寺若草伽藍、中宮寺と云つた大寺院を沿道に輯中(しふちゆう)して建立。未だ(かつ)て勿い、豪壯麗美な佛殿の競演と(なみ)外れた竺志の國力に、東夷の民は眼を(みは)り、天王(あめのきみ)、多利思北孤の名と倶に、只管(ただひたすら)平伏(ひれふ)した。

 朝堂に於いては磐倭の布した律令を確固たる物とする爲に冠位を定め、裝ひも改める根囘しに取り掛かり、豪族趣味の金銅製の冠から布の冠帽へ、諸王、諸臣には(ひらみ)を著けさせ、敎化政策に由り、護符としての勾玉を始め、裝身具を排して、(まつりごと)や文物のみ爲らず、民の營みに到る迄、法華の奧床しい閑雅を推し進めると、天孫竺志の史績を知らしめす爲、多利思北孤は其の叡智の粋を尽くして「國記」「大王記」「本記(もとつふみ)」を卷子に収めて、座學に(くら)い山門に()け、扶桑(ふさう)の東の更に東、毛野國(けののくに)常陸國(ひたちのくに)、武藏國も含めた諸國に(おのおの)風土と史績を(まと)獻上(けんじやう)するやう命じた。

 更に、磐倭(いはゐ)御代(みよ)(たもと)()けた、南朝、(りやう)の後を繼ぐ陳が隨に滅ぼされたと知れば、支那(しな)外交復活を模索。南朝の天子が冊封(さくほう)を受ける蠻夷(ばんい)の王に、直轄地の宗主として指命する使持節の政廳(せいちやう)、都督府を、遂に其の任を解かれた物として、

 「扶桑(ふさう)こそ太宰(おほみこともち)(みやこ)なるを。」

 と多利思北孤は髙らかに(のたま)ひ、竺志の天子が直轄する政廳(せいちやう)、太宰府に改めて滅亡した南朝の遺志を繼ぎ、天下の三十三ヶ國を六十六ヶ國に分國して、()()べる九州に(なら)ひ、九つの國に分割した大倭國の本貫、筑紫㠀(ちくしのしま)を九州と(なづ)けると。天子の國號を大倭(たいゐ)から(たい)に改め、天孫降臨に(ゆかり)の有る日本(ひのもと)(あは)せて(とな)へ、鼓吹(こすい)した。

 聖德の太子から聖德の天子へと譽め讚へられし、若き天王(あまきみ)と倶に生まれ變はつた倭國の船出。幼さを祕めた聖德の太子とは見違えへる、壯健な胡服(こふく)の背中を、一步引いた處で(かしづ)雞彌(きみ)の瞳は、(つね)に不思議な氣持ちで眺めてゐた。磨き上げられた石英(せきえい)の樣に透徹した智謀(ちぼう)子寳(こだから)に惠まれたが故の子煩惱以外、六慾とは無緣の愼み深い聖品。何事にも不動(どうじ)ず、聲を荒げる處すら見た事の勿い端麗な物腰。(みつ)めらた丈けで心を奪はれる秀眉な美貌。魂が芽生えて步き出した佛像の樣に、此の卋の者とは思へぬ其の有り樣。非の打ち處が勿い。將に其れこそが、多利思北孤、唯一の非で在つた。

 群臣と百姓(おほむたから)から滿帆の信頼を受け、神が(さい)の目を振り分ける樣に萬事を改め、邁進する完璧な舵取り。果たして此の順風は何時迄續くのか。若し、時卋の齒車が狂つたら、此の德政と紙一重の獨裁は何處へ向かつて終ふのか。名君と暴君は鏡の表裏。(たと)へ美しく餝られてゐても其れが表とは限ら勿い。其の危ふさを雞彌(きみ)は己の肌で知つてゐた。

 夜每、(ねや)を倶にする者のみ味はふ彼の惡寒。人肌と人肌を重ねてゐるにも(かか)はらず、(てつ)(かなへ)に押し潰されてゐる樣な、底冷えのする抱き心地と息苦しさ。子種を宿し、無事、御嫡(およつぎ)に惠まれた今も(なほ)、其の巧みな愛撫とは裏腹に、心を抱かれた覺えが勿い。倭國の聖君は其の胸に何を抱いて眠るのか。全く隙の勿い優しさと微笑みに遮られた、計り知る事の出來ぬ其の眞意。何んなに言葉を交はしても心から打ち解ける事が勿く、逆に總てを見透かされてゐる無氣味さに怯える、餘りにも懸け離れた存在。此の漢は萬民と全く違ふ仕組みで、心も體も出來上がつてゐる。利歌彌多弗利(りかみたふり)を身籠もつた時も、子種が有つたのかと驚いた程だ。計算尺を輯積(しふせき)した、痛みを知らぬ器物に近い存在だからこそ、卋の(しがらみ)を角も立てずに片付け、(あら)ゆる制度を改める事も出來るのだらう。其れは其れ、雞彌(きみ)の望む處では在つた。倭國に嫁いだのは女の幸せを求めたからでは勿い。總ては祖国百濟の爲。知略と士気に長けた漢に(みつ)ぐのは當然の沙汰女(さだめ)。優しい御人好しに(ゆだ)ねる體も命も勿い。其れなのに、

 天王が探りを入れる支那外交の再開は、外征放棄への布石では勿いのか。國交回復の爲に隋が倭國に韓の統治を認める。そんな大盤振る舞ひを當てに出來る相手では勿い。隋に擦り寄れば百濟から遠離(とほざか)るのは卋の必然。私は何の爲に海を渡り、獨つの命に二つと勿い(みさを)(ささ)げたのか。口に出さずとも天王は太后と雞彌(きみ)の胸の内を察してゐる筈。私なぞには及ばぬ、良い御考へが有るのだらう。然う信じてはゐる物の、拭ひ切れぬ疑懼(ぎく)に出口は勿かつた。

 

 

 吿貴(こくくい)元年甲寅(きのえとら)、春二月(きさらぎ)甲寅(きのえとら)(ついたち)に、皇太子及び大臣に(みことのり)して、參寳を(おこ)して隆えしむ。この時に、諸國(むらじ)等、(おのおの)君親の恩の為に、競ひて佛舍を造る。(ちなは)ち、(これ)を寺といふ。

 

 天下を六十六ヶ國の行政單位に改め、三寳興隆の(みことのり)(たまは)つた多利思北孤は、九州各國に建立された國分寺を(けみ)する巡幸を(おも)()ち、雞彌(きみ)相伴(あひともな)つて大望の故地、薩摩に下向した。輿(こし)の上から睥睨(へいげい)する、南蠻(なんばん)の王と民の國を擧げての熱烈な歡待で思ひ知る、宮の奧室で微睡(まどろ)む日日では窺へぬ、己の絕大な地位。倂し、そんな權力の(さかづき)から溢れる陶醉なぞ雞彌(きみ)は眼中に勿かつた。物見遊山なぞ赦されぬ、百濟創建の道程(みちのり)(さかのぼ)る魂の巡礼。御佰度(おひやくど)を優に越える還曆の彼方。焦土を追はれて逃げ惑ふ、阿鼻叫喚が聞こえる。百濟源流の地に降り立つ事が出來た丈けでも、倭國に嫁いだ甲斐が有つた。百濟の先人が(あが)めた靈山、開聞嶽(ひらききだけ)から眞南に望む夷邪久(いやく)㠀の宮之浦嶽と(おきな)嶽。雞彌(きみ)祖神(おやがみ)祖神(おやがみ)が一線に相通(あひつう)ずる其の絕景を前にした時、異國の地では誰にも見せぬと決めてゐた、(たを)やかな裳裾(もすそ)の中に押し隱す弱音と激情が喉元に込み上げ、滂沱(ぼうだ)が決壞した。三山の頂きに(ましま)す神神に、祖国救濟の宿願を一心に(いの)る、拾有參春秋の身空(みそら)で國を背負ひ、海を渡つた百濟の少女。其の嗚咽(をえつ)に等しい魂の跪拜を、鈍色(にびいろ)煤塵(ばいじん)苦遊(くゆ)らせ、(くつろ)いでゐた筈の鹿兒㠀から押し寄せる、地鳴りと悲鳴が遮つた。

 子丑(ねうし)の空に(きら)めく一點(いつせん)赭光(しやくわう)。其の芥子粒(けしつぶ)程の火の玉が(おもむろ)羽擊(はばた)き、火口から隆起する積亂雲の如き噴煙を背に、刻一刻と迫り來る戰慄。大氣が搖らいでゐる。煮え(たぎ)る水銀の樣に、天翔(あまかけ)る灼熱の遊影(いふえい)(あぶ)られ光が歪曲する。

 「火の鳥。」

 恍惚と絕望の入り亂れた感嘆が、息を呑む人人の狹閒(はざま)を縫つて幾重にも廣がつていく。冕旒(べんりう)を逆立てた鷄冠(とさか)に、日輪を左右に廣げた雙翼(さうよく)で、虹の樣な鳳尾(ほうび)霏霺(たなび)かせ、金燐(きんりん)を撒き散らし乍ら、悠然と蒼穹(さうきゆう)を焦がす絢爛(けんらん)たる猛禽(まうきん)の降臨。極樂から解き放たれた神の使ひか、煉獄から髙飛びした(もの)()か。雞彌(きみ)の哀訴が()()せたなぞ不得有(ありえない)()りに()つて何故こんな、祖先の供養と祖神への參拜の最中(さなか)に、其の敬慕の念を蹈み(にじ)るのか。(おほとり)を冠した鳳輦(ほうれん)(からか)(なぶ)る樣に、天王(あめのきみ)一行の上空を旋囘する火の鳥。莊嚴と怪奇、熱波と震撼を具有する絕卋の凰羅(わうら)を仰ぎ、

 「此れは凶兆か瑞徵(ずいちよう)か。」

 臣下の者は口を濁し、誰もが眼福と畏怖の明滅に魅入られ、痺れ、逃げ惑ふ事すら忘れてゐた。其の生き血を飮み干せば釋迦の壽命にも比肩すると云ふ、彼こそ(まさ)に神仙の鳥。阿蘇、雲仙嶽、鶴見嶽、霧㠀、鹿兒㠀と倭國の火坩(ひつぼ)を巡る靈鳥は、倭國の護り神。日出(ひい)づる扶桑(ふさう)の地、倭國こそ徐福(じよふく)が求めた神仙の㠀、蓬萊(ほうらい)(あか)し也と、人は褒めそやす。倂し、果たして然うなのか。我等の先人が韓の地に追はれたのも亦、火の鳥の御亂心。雞彌(きみ)は心の中で(つぶや)き、背に(まわ)した手襁(たすき)を引き裂かん許りに握り締めると、地の上に起つ物總てを見下す樣に逍遙(せうえう)する化鳥(けてう)を睨み付けた。太古の薩摩を灼き盡くした民族離散の再來。紅蓮の恐怖を凌駕する悠久の刻を超えた積怨(せきゑん)を晴らす、千載一遇の好機。處が、雞彌(きみ)は先人の仇敵を前に、和毛(にこげ)起つ憎惡と、女の細腕で何も出來勿い不甲斐なさを超えて、人の眼を惑はす靈鳥の天眞爛漫な燐舞(りんぶ)に心を奪はれてゐた。赦せ勿い。其れなのに何故、火の鳥は斯樣(かやう)に美しいのか。西方淨土へ導く瑞鳥かと見紛ふ豪奢(がうしや)な裝ひとは裏腹に、一度、獰猛な氣性に火が()けば、紺碧(こんぺき)の大海原ですら灰燼(くわいじん)()す、天罰をも(しの)ぐ魔力。(うら)らかな山河の景勝が、狂嵐(きやうらん)の災禍を捲き起こすが如き其の豹變(へうへん)には、道理の缺片(かけら)も勿い。此れが靈鳥の本性なのか、化鳥が其の正體を僞つてゐるのか。生と死に境が勿い樣に、火の鳥の優美と殘虐は渾然一體。惠み(ゆた)かで過酷な人智を超えた自然の攝理、其の物。創造と破壞、然して、再生を永遠に繰り返す、生命の氾濫。火の鳥とは何物なのか。何故、此の卋に生を受け、不死の定めを背負ふのか。そんな萬象(ばんしやう)の神祕と人の卋の懊惱(あうなう)が錯綜する雞彌(きみ)を餘所に、輿(こし)の下では(にはか)に祝賀の聲が湧き起こつてゐた。

 「火の鳥が直直(ぢきぢき)の御出迎へとは、流石、天王の御聖德。」

 (ふる)へる唇で御追從(おついしよう)を臣下の獨りが差し(のべ)ると、他の者も負けじと膝を()いて進言する。

 「天王の(ちから)を以てすれば、彼の火の鳥をも捕らへられるのでは。」

 主君の前で虛勢を張る、下郞の小競り合ひが髙じて持ち上がた、天に唾を吐くに等しい無謀な蠻勇(ばんゆう)。今迄に何人の男達が、永遠の命と俸祿(ほうろく)を目當てに火の鳥を追ひ掛け、消し炭に爲れて來た事か。(まん)(いち)、矢が火の鳥に達したならば、天地は(くつがへ)り、地獄の岩漿(がんしやう)が逆噴火する。南九州を全滅にした鬼界の門に手を掛ける下卋話な忠臣。腕に覺えの有る警邏(けいら)の者が呼ばれ、跪拜して名を()り、天王の文治と賢哲を讚へて、三卋を貫く忠誠を誓ひ、(うやうや)しく匍匐禮(はらばふゐや)退(しりぞ)いた後、其の偉丈夫を起ち上げると、厚い胸板を斜に構へ、天に向かつて弓を(つが)へた。

 愚かな。雞彌(きみ)(しず)かに眼を()ぢると、爽快な髙笑ひと倶に疾風が擦過し、益荒男(ますらを)矢筈(やはず)に掛けた弦が彈け飛ぶ。見れば、尻餅を著いた(つはもの)の足許に刺さつた一本の(やじり)

 「屆かぬ獲物に矢を(らう)するは、射手の(ほま)れに(あら)ず。日の神を射ずして、火の鳥を墮とす事勿かれ。」

 生ひ茂る雜木の上から降り注ぐ、潑溂(はつらつ)とした怪氣炎。何時から其處に居たのか。蓬髮(ほうはつ)に獸の衣を(まと)つた野性兒が、弓を肩に掛けて木の股に()してゐる。地場の樵蘇(せうそ)なので在ろうか。天子の御前も(わきま)へぬ、開聞嶽(ひらききだけ)の若き主の如き橫道な振る舞ひ。開化の(けが)れを知らぬ其の熱い瞳は、熊襲(くまそ)の血潮で(みなぎ)つてゐる。

 「彼の小倅(こせがれ)は何者か。彼程の腕なら竺志の手練(てだ)れでも()ぢを搔く。見上げた物だ」

 「彼の小童(こわつぱ)法淸(はふしやう)年閒に百濟の皇子(みこ)威德(いとく)王を(すく)ひし射手の譽れ、鞍橋(くらぢ)の君の孫。矢を()く射るとは申しても、氣質に難が有り、徵發(ちようはつ)にも(おう)じず、手を燒いてをる次第で。オイ、彼の猿を引き擦り降ろせ。」

 「何、鞍橋(くらぢ)と云ふと、竺志の故地を護る爲、進みて弓を()き、占擬(さしまかな)ひて新羅の騎卒の最も勇壯なる者を射落す。(はな)()(するど)きこと、乘れる鞍橋(くらばね)の前後を(いとほし)て、其の被甲(よろひ)領會(くび)に及ぶ。(たふと)び名付けて鞍橋(くらぢ)の君と曰ふ。彼の鞍橋(くらぢ)か。」

 「ハッ、然樣(さやう)で。」

 恐縮する露払ひと軍司の號令で木に()じ登る雜兵達。そんな下界の事なぞ見向きもせずに、鞍橋(くらぢ)の孫が天を指差し、鶴聲(かくせい)を上げた。

 

 

   是非射之射 是れ射の射に(あら)

   不射之射也 不射の射(なり)

 

 

 髙らかな朖誦(らうしよう)木霊(こだま)し、開聞(ひらきき)の頂きを突き拔けると、樹下に(はべ)る者達は我が眼を疑つた。矢で射貫かれ、劍で(くび)を斷たれても事切れぬ不死の鳥が、一矢(いつし)(つが)へずに舞ひ降りてくる。然して、天に(かざ)した其の腕を火の鳥が宿り木に選んで摑まり、勝ち誇る鞍橋(くらぢ)の孫。日出(ひい)づる扶桑(ふさう)の地、倭國こそ徐福(じよふく)が求めた神仙の㠀で、其處に棲むのが火の鳥と云ふのなら、其の神仙の鳥を手懷(てなづ)けた此の山猿こそが、蓬萊(ほうらい)の主、神仙と云ふ事に爲る。何と痛快な戲言(ざれごと)か。山猿の方便は(とど)まる事を知らず、

 「見定めよ、眞の正鵠を。其の心(ひら)けば、(かささぎ)(おほとり)も一羽の(かご)の鳥。力に(まつろ)ふは眞の忠義に(あら)ず。」

 (ほとばし)る火の粉に卷かれる事も勿く、涼しい顏で大見得を切る鞍橋(くらぢ)の孫。(はか)らずも、佛の武罰と(しよう)して東國を征した、多利思北孤の欺瞞を(くすぐ)頂門(ちやうもん)一針(いつしん)。業を煮やした警邏(けいら)の者が狙ひを定めて弓を構へると、樹上の曲者(くせもの)は火の鳥を夷邪久(いやく)の空に放ち、開聞(ひらきき)の木立が織り成す闇と絕笑に紛れた。其の蹴汰魂(けたたま)しさと、鬼界を目指し悠然と舵を切る鳳尾の烈風に飜弄され、見送る事しか出來勿ぬ御幸(みゆき)の一行。言葉を失ふ者達の中に在つて、雞彌(きみ)鞍橋(くらぢ)の孫と云ふ怪童に何故か見覺えが有つた。彼の少年は確か、其處迄云ひ掛けて、後の名前が出て來勿い。(むべ)なる(かな)、過ぎ去つた記憶の中に、其の答へが有らう筈は勿かつた。

 

 

乾道(けんだう)は天を()べ、文明が曆を()べる、大寳を位といふ。大寳は參寳に通じ、(ちん)(のり)(おこ)す。」

 天の道に從ふ者は(とき)()けて(したが)へ、曆を(なの)り、時代の領主と成る。

 法興(はふきよう)元年辛亥(かのとゐ)天王(あめのきみ)多利思北孤(たりしほこ)は二十歳を待たずして得度し、海東の菩薩天子、上宮法皇を(とな)へて法皇年紀を建元すると、事始めに、法皇の菩提寺、法興寺の建立を發起し、未だ(かつ)て勿い扶桑一の刹柱(さつちゆう)、海西の天子も眼を瞠る五重塔を其の菩提樹に据ゑる爲、南朝の技師を喚び寄せた。然して、若き法皇は詔を發した其の足で、倭國佛敎の傳來の地、(さと)の者が(いかづち)嶽として(あが)める、伊都の秀峯、層增岐(そぞき)山を目指す。(しん)朝、義熙(ぎき)十四年戊午(つちのえうま)、百濟王、腆支(てんし)王が竺志に(まだ)した淸賀上人(せいがしやうにん)を住職に迎へ創建した雷山千如寺(せんによじ)は倭國の菩提寺。淸賀上人は其の後も倭國の敎化に盡力(じんりよく)し、浮嶽久安寺、一貴山夷巍寺、大用山小藏寺、染井山靈鷲寺、鉢伏山金剛寺、種寳山句楠田寺の伊覩縣(いとのこほり)七ケ寺、更には、塔原寺、朝日山遍照寺、萬歲山光明寺、不知火山瑠璃光寺、東油山正覺寺を建立し、同舟の徒、寂念上人(じやくねんしやうにん)(なら)び、其の髙名は廣く倭國の地で讚へられてゐる。先人の切り(ひら)いた故地に(まう)で、(のり)(つかさど)(すべらぎ)として、其の任に就いた旨を()()(まつ)らねば。

 天の香山、宮地嶽と英彥山(ひこさん)の北嶽の貮柱(にはしら)を結び、天拜山(てんぱいざん)古處山(こしよさん)馬見山(うまみやま)と東西の參柱(みはしら)を結び、柑子嶽(こうしだけ)、志登の支石を南北に結び、若杉山の太祖(たいそ)(やしろ)と夏至の旭點(きよくてん)を結ぶ、水火雷電神の(ましま)(いかづち)嶽の頂きは、久しく禁足の地として封じられてゐる。倂し、「(ひじり)」は「日知(ひじ)り」(なり)。日と星の營みを讀む「日讀(かよ)み」、(すなは)ち「(こよみ)」を知る(をさ)が神を(まつ)り、國を、民を()ろしめす聖君が其の頂きを知らずして、何が海東の菩薩天子か。多利思北孤は麓で輿(こし)から降り、千如寺(せんによじ)雷山(いかづちやま)(やしろ)を參拜すると、願を掛けた杖のみを賴りに、己の(かち)で臣下の者を()()れ、先陣を切つた。頂上迠、後一息と云ふ處で休みを入れると、

 

 

   (すめろぎ)は神にし()せば天雲の

        (いかづち)の上に(いほりせ)るかも

 

 

 獨りの臣下が小聰明(あざと)御追從(おついしよう)(うた)ひ上げ、多利思北孤は顎に手を當てて苦笑ひを隱し乍らも、返しの誦句(しようく)を組み立てた。すると、頂上から杖を突いて降りてくる(わらじ)が獨り。行幸(ぎやうかう)一團(いちだん)跪拜(きはい)處か見向きもせず、其の脇を素通りし麓へ降りていかうとする。(めくら)とは云へ不敬で有ると、怒鳴り付ける臣下を多利思北孤は制して、(わらじ)に何處へ行くのかと尋ねると、

 

 

  冬しげる

 

    夏草風の 根を刈りにゆく

 

 

 と素つ氣なく答へ、呆氣に取られる一行を餘所に、其の儘、杖を御伴(おとも)に降りていく。

 「冬しげる夏草風の根とは、藥に(せん)じる彼岸花の根の事か。」

 と(くび)を傾げる丈けの臣下達に對して、多利思北孤は、(わらじ)の答へた三十一文字(みそひともじ)の下の句の調べに(きよ)を衝かれた。此れは禁足地に蹈み込む者の資格を(けみ)する借問(しゃもん)では。頂上から出掛けてくるなぞ、彼の(わらじ)、只者では勿い。不意の事で、上の句を返さねばと思ふのだが、幾ら頭を(ひね)つても浮かばず、氣が付くと(わらじ)は旣に、杖のみを賴りに山の中腹に達してゐるでは勿いか。多利思北孤は其の幼氣(いたいけ)な背中に感服すると共に、己の聖君を氣取つた自惚(うぬぼ)れを()ぢた。彼の(わらじ)の樣な童心に、佛法の拜聽(はいちやう)に初めて(あづか)つた彼の頃の初心に(かへ)れと云ふ、(いかづち)嶽の頂きに(ましま)す水火雷電神の(おぼ)()しか。多利思北孤は俄に得心し、禁足地を(けが)す事は(まか)()らぬと踵を返した。天下の頂きに通ずる此の山は、何も成して勿い名許(なばか)りの法皇には未だ早い。其れならばと一行は日を改めて、天孫降臨の地、竺志の日向(ひなた)、筑紫降峯へと足を向けた。

 

 

 「邇邇藝命(ににぎのみこと)(いは)く、韓國(からのくに)に向かひて眞來(まき)通り、笠沙(かささ)御前(みまえ)にして、朝日の直刺(たださ)す國、夕日の日照る國なり。(かれ)、此處は伊都吉(いとよ)き處。とは(まこと)也。」

 髙天原(たかまがはら)から降り立ちて、天王(あめのきみ)を初めて(なの)り、天基(あまつひつぎ)草創(はじ)(たま)ふた髙祖山(くしふるやま)の頂きから、伊覩縣(いとのこほり)早良縣(さはらのこほり)の肥沃な耕地を()で、()きる事勿き海の幸、舶來の文物と(かもめ)(つど)能許(のこ)の浦を(うやま)ひ、遠くは嶋縣(しまのこほり)の彼方で霞む韓の地に憂ひを馳せると、多利思北孤は感極まつて絕誦(ぜつしよう)した。

 

 

  (ちくし)には 群山(むらやま)あれど

 

   とりよろふ 天の香山(かこやま)

 

    登り立ち 國見(くにみ)をすれば

 

     國原(くにはら)は (けぶり)立ち立つ

 

    海原(うなはら)は (かもめ)立ち立つ

 

   うまし國ぞ 蜻蛉㠀(あきづしま) (ちくし)の國は

 

 

 寳滿山(ほうまんざん)飯盛山(いいもりやま)四王寺山(しわうじやま)の頂き參柱(みはしら)を結びんだ、山神と日神の(ちから)(みなぎ)る、東西の緯線に沿つて配された日向(ひなた)の廢殿、須玖(すく)舊都(きうと)、三雲と一貴山(いきさん)の王墓を見下ろし、更に一貴山の王墓から背振山(せふりやま)髙良大社(かうらたいしや)志登(しと)(やしろ)、大嶽、波切(なみきり)不動。彥山(ひこさん)羽金山(はがねやま)貮柱(にはしら)寳滿山(ほうまんざん)から宇美八幡、箱崎の宮、志賀海(しかうみ)(やしろ)鉾立山(ほこたてやま)砥石山(といしやま)、宮地嶽、御勢大靈石(みせたいれいせき)(やしろ)髙良山(かうらさん)御勢大靈石(みせたいれいせき)(やしろ)から、荒平山(あらひらやま)、飯盛山、志登の(やしろ)須玖(すく)舊都(きうと)を芯にして、香椎の宮と九千部山(くせんぶやま)愛宕山(あたごやま)と宮地嶽の貮柱(にはしら)。砥石山と井原山(いはらやま)貮柱(にはしら)(かぞ)へ上げれば切りの勿い、夏至と冬至の斜線と旭點(きよくてん)が山の峰を刻み、氏族と氏族、宮と宮、奧津城(おくつき)奧津城(おくつき)、神と神が交錯する全望。有りと有らゆる史蹟が()(かか)はる、()にし()の緣起を網羅して織り上げ、榮えた、(ちくし)の大地。(まさ)しく伊都吉(いとよ)き處(なり)。此の天下(あめのした)(ふた)つと勿い()(たから)を手放す等、頭を掠めた事すら勿い。

 多利思北孤は眉根を寄せて麓の產之宮(さんのみや)に眼路を落とした。

 

高祖山(くしふるやま)(ましま)して、倭王(ゐわう)(なの)つた邇邇藝(ににぎ)命。其の嫡男にして日嗣(ひつぎ)を果たした火照(ほでり)命から、其の皇胤(くわういん)は涸れる事勿く、萬卋(よろづよ)(かさ)ねて今に到る阿每(あま)氏の絕卋。其の搖るぎ勿い王統に對して、邇邇藝(ににぎ)命の庶子(しよし)日子穗穗穗手見(ひこほほでみ)命の孫子(まごこ)に當たる磐餘彥(いはれびこ)の兄弟が、何故(なにゆゑ)に、山門(やまと)へ下向し、()つて出たのか。倭國の分家が竺志を追はれたにしろ、見限つたにしろ、一旗揚げる爲だつたにしろ、今と爲つては定かで勿いが。磐餘彥(いはれびこ)の正室、奈畱多姬(なるたひめ)が此の地に置き去りの(てい)を見れば、其れも()して()()し。今から其の(はぐ)(もの)の末裔を一から敎化し、東國の地固めを進めぬ事には、倭國の王道は何時しか行き詰まる。

 多利思北孤は伊都の古事を護る數多(あまた)天降(あまおり)(やしろ)邇邇藝(ににぎ)命が逍遙(せうえう)した(にぎ)の浜へと(まなじり)を切り、難波(なんば)の那の津に延びる千代の浜、漢の光武(くわうぶ)帝より(たまは)つた金印の眠る佐佐禮石(さざれいし)(やしろ)苔牟須賣神(こけむすめ)(まつ)る櫻谷の(やしろ)を見渡して、天國(あまのくに)より天孫を御迎へする志賀海(しかうみ)(やしろ)(たまは)る、倭國の古哥(こか)を謳歌した。

 

 

   君が代は 千代に八千代に

     佐佐禮石(さざれいし)の (いはほ)となりて

       苔牟須(こけのむす)まで

 

 

 多利思北孤は微笑んだ。然して、倭國に(つた)はる數多(あまた)古哥(こか)を、(みことのり)して(えら)んだ卷子(くわんし)(おも)()つ。(よろづ)(こと)()(つら)ねた萬卋(ばんせい)哥集(かしふ)を。

 

 

 

 法興(はふきよう)十年庚申(かのえさる)、上宮法皇、多利思北孤(たりしほこ)は自らの菩提寺、法興寺を竺志の地に創建した。中でも、金堂、八角佛殿と居竝(ゐなら)ぶ豪奢な大伽藍に在つて、一線を(くわく)する扶桑一の刹柱(さつちゆう)、五重塔は、將に畵龍(ぐわりゆう)點睛(てんせい)佰尺竿頭(ひやくしやくかんとう)に一步を進む、(なら)ぶ物勿き其の尖頭で、天にも達する莊嚴な威容に、落慶法要(らつけいほふえう)に招かれた各國の王達は度肝を拔かれた。鳳凰の雙翼(さうよく)の如く、今にも羽擊(はばた)き、()()たん許りに(ひさし)を廣げた層樓(そうろう)は、土で盛つた墓の(かさ)(ひけらか)してゐた豪族に取つて、其れこそ釋迦の法力が地に放つた靑天の霹靂(へきれき)。此れでもう、何時、西海からの賓客が訪れても()づかしくは勿い。東方の天竺を志す、竺志の榮華と權力。其の殿堂を卋に知らしめた多利思北孤は、遙かに見上げる刹柱(さつちゆう)の威勢を借りて、仁、義、禮、智、信の序列で律した冠位十二階を制定し、豪族の武力を利した專橫(せんわう)を一元に纏め上げて官僚化すると、

 

  俀王 姓阿每(あま) 字多利思北孤(たりしほこ) 號阿輩雞彌(あまきみ)

 

 と署名した國書を託し、隋に使ひを(まだ)した。支那外交の復活。韓地復興を成し遂げるには、其れ相應(さうおう)の根囘しで、外堀では勿く外海から埋めなければ。力盡(ちからづ)くの討軍で事が足りたのは息長帶比賣(おきながたらしひめ)御代(みよ)迠。南朝(りやう)に自らの足で朝貢(てうこう)し、外遊外征に努めた倭王葛(ゐわうかつ)磐倭(いはゐ)は、八幡大菩薩の稱號(しようがう)を得た丈けで、身内に足許を(すく)はれた。其の二の足を蹈んで何處に立つ瀨が在ると云ふのか。無論、南朝の天子の尊顏を肩を竝べて拜眉(はいび)した、(かつ)ての北狄(ほくてき)鮮卑(せんぴ)郞黨(らうたう)に氣後れなぞ毛頭勿い。對等での格式で臨まねば、今は勿き南朝の主君に申し譯が立たぬ。其の忠義に貮心(にしん)勿しと認められ、倭國(ゐこく)壹國(いこく)也と讚へられた邪馬(やま)の女王俾彌呼を始め、周代から續く搖るがぬ氣概と禮節(れいせつ)を失つて尻尾を振れば、足許を見られる丈け。謁見した遣使が其の風俗を()はれ、

 「俀王(たいわう)は天を以て兄と爲し、日を以て弟と爲す。天(いま)()けざる時、出でて(まつりごと)を聽き、跏趺(かふ)して坐し、日出づれば便(すなは)ち理務を(とど)め、云ふ、我が弟に(ゆだ)ねんと。」

 と答へたのに對し、

 「此れ大いに義理無し、(ここ)に於いて(さと)して之を改めしむ。」

 と隋の楊堅が俾彌呼の御代より續く兄弟統治を戒めた件に、多利思北孤は一理有るとし、天下に()した十七条の憲法の中で、

 「(あつ)く三寳を(うやま)へ。國に貮君(にくん)(あら)ず。舟に兩主(りやうしゆ)無し。」

 と(のたま)ふ物の、其れは其れ、初顏合はせの御愛想。上宮法皇の烱眼(けいがん)(つね)に其の先を見据ゑ、犀利(さいり)(またた)いてゐた。

 

 

 法興(はふきよう)十七年丁卯(ひのとう)、竺志の難波、那の津に構へる倭國外交の殿堂、鴻臚館(こうろくわん)に、場違ひな二人が現れた。瀨戸内の海を何んな卑船(ひせん)で渡つてきたのか、山里から初めて上京した小野妹子と鞍作福利(くらつくりのふくり)は、垢と汚物に(まみ)れた其の身形で、俀國が天下の藩國に通達し、隋への同行を募つた遣使だと名乘り出る。山門の大使(おほつかひ)でも副使(そへつかひ)でも勿く、國を捨てて逃げてきた樣な、()の身()の儘の御薦(おこも)に顏を(しか)める館内の(つかさ)達。海表(わたのほか)の見聞を廣める爲に送り出されたと云ふのに、扶桑(ふさう)の都に降り立つたと云ふ丈けで浮き足立つた、右も左も判らぬ田舍役人は、竺志の錦糸純絹(きんしじゆんけん)著餝(きかざ)つた沙門(はうし)學生(ふむやわら)の數十人と韓の要人が、船出の良き風と潮を待つ中に在つて、餘りに見窄(みすぼ)らしく、山門訛(やまとなま)りで竺志を「ちくし」と云へず、「つくし、つくし」と(つか)へる度に笑はれて、今囘の遣使の陣頭を執る大使(おほつかひ)(まみ)えると、二人は跪禮(ひざまづくゐや)で足許に平伏(ひれふ)す始末。歸國(きこく)の船の手配さへ總て俀國賴みの、兩手で持てる丈けの僅かな(みつ)(もの)を提げて乘り込んだ、持衰(じさい)との見分けが附かぬ御上(おのぼ)りは、

 秋七月(ふみつき)丁未(ひのとひつじ)丁未(ひのとひつじ)庚戌(かのえいぬ)、最初の寄港地、天國(あまのくに)に向けて出航した遣隋使船の舳先(へさき)(かじ)()き、御笠(みかさ)の山河を振り返る餘裕も勿く、(あま)(はら)の彼方に向けて航海の無事を(いの)(つづ)けた。

 太古の時代より、海表(わたのほか)との往き來を歲の數だけ繰り返してきた竺志の民に取って、遣使とは國を背負つて戰ふ軍使で在る。俀國の大使(おほつかひ)は、隨への二度目の遣使を盛り立てる御餝(おかざ)りで()ばれた、山門の御荷物なぞ眼中に勿く、己に託された重責に底冷えのする()(いき)()いた。多利思北孤が辣腕を(ふる)つた能筆を眼にして受けた衝擊。指命とは天命也。神の詞を神に傳へる()(にへ)に取つて、此の儘、船が沈んで吳れた方が心安らかな天壽(てんじゆ)を全う出來る樣な氣さえ爲る。法興十年以來、再び足を蹈み入れた隋の北闕(ほつけつ)

 「日出處(ひいづるところ)の天子、書を日沒處(ひぼつするところ)の天子に(いた)す。恙無(つつがな)きや。」

 謁見の閒で披露された國書は、上表(じやうへう)(へりくだ)る文言とは程遠く、不興を買ふ處か隋の皇帝楊廣の逆鱗に觸れ、

 「蠻夷(ばんい)の書、無禮(ぶれい)なる者有り、復た以て(まう)する(なか)れ。」

 と大使(おほつかひ)の命を九死に曝した。案に違はぬ成り上がりの(いが)み合ひ。多利思北孤は主君を放伐(はうばつ)した逆臣に(おもね)る積もりなぞ更更勿かつた。竺志の民は今以て東夷(とうい)の忠臣として南朝を忍ぶに(やぶさ)かでは勿い。新羅と通じて聞き耳を立て、寢首を伺ふ山門の者達は、鮮卑の成り上がり如きに及び腰だと知つたら、北叟笑(ほくそゑ)む事だらう。隨分と遠囘りして此處迄來た。倭王武(ゐわうぶ)の如く、征東大將軍の稱號(しようがう)強請(ねだ)る許りでは、彼の地の鎭守は儘ならぬ。多利思北孤には公算が有つた。天意に()つて聖王から聖王へと御代を繼ぐ南朝ですら猫の眼の(まばた)き。禪讓(ぜんじやう)なぞ朝堂の茶番だ。()してや、靜帝(せいてい)が大寳を外戚の文帝(ぶんてい)貽厥(いけつ)し建國したなぞ片腹痛い。天子の御幸(みゆき)なら未だしも、鮮卑に道を讓る鮮卑が何處に居る。如何(いか)に氣髙く取り繕ふと北狄(ほくてき)北狄(ほくてき)干戈(かんくわ)の主なぞ長くは保つまい。東國を平らげた俀國は最早、支那の册封(さくほう)を乞ふ弱小の藩王國(はんわうこく)では勿い。隋が内政と外政で手を燒けば、助けを求めて向かふから手土產を提げて遣つて來る。華北の牧童に(くつわ)を掛け、手綱を握る其の(とき)が。

 法興(はふきよう)十八年戊辰(つちのえたつ)、隋の使者、文林郞(ぶんりんろう)從八品(じゆうはちひん)裴淸(はいせい)()(とし)の遣使に(こた)へ、

 「竹斯國(ちくしのくに)の都に至れり。」

 國を擧げて歡待する多利思北孤は、俀國の本貫、九州が海東の天子が()べる究竟(くつきやう)の景勝で在る事を知悉(ちしつ)してゐた。天の城郭の如き噴煙を放咳(はうがい)する阿蘇の絕倫に、遣使の一行は息を呑む。

 「阿蘇山有り。其の石、(ゆゑ)無くして火起こり、天に接する者、俗以て異と爲し、因つて禱祭を行ふ。如意寳珠有り。其の色靑く、大いさ雞卵の如し。夜は(すなは)ち光有り、と云ふ。魚の眼精なり。」

 唯只管(ただひたすら)、瘦せた黃土が橫臥(よこたは)つてゐる丈けの中原とは懸け離れた、此の卋に口を開けて吼え立てる地獄の營み。日出づる扶桑の源泉を目の當たりにした驚嘆は、物見遊山(ものみゆさん)だつた裴淸(はいせい)を更なる震撼へと突き落とす。多利思北孤の(こうぶり)()した獨片(ひとひら)髻花(うず)。其の金細工の羽根餝りが、煤雲(ばいうん)羽擊(はばた)く焔の雙翼(さうよく)(きら)めいた。外輪の鳴慟(めいどう)と共に火口の岩漿(がんしやう)を擊ち破つて()()つ火の鳥に、逃げ惑ふ遣使達。何と云ふ天佑(てんいう)。何れ程の供物を(ささ)げ、祈禱をしても、尾羽の獨片(ひとひら)すら見せやうとせぬ神の鳥が、合圖(あひづ)も勿く畢生(ひつせい)の好機に現れるとは。此以上に勿い、最髙の演舞に多利思北孤は會心(くわいしん)の笑みを堪へる事が出來勿い。

 「彼こそは(とこ)()の命を授かる不死の鳥。人呼んで火の鳥。火の鳥は()(とり)にして、()(もと)(とり)也。」

 「神仙の鳥は矢張り此の扶桑の地に。何と云ふ事か。今迄に火の鳥を射止めた者は。」

 「火の鳥は(くび)を切り落としても飛び續ける不死の靈鳥。人の矢で擊ち落とす等、望む可くも勿い。(しか)(なが)ら、此處から南に下つた薩摩の國に、火の鳥を手懷(てなづ)ける漢が獨り。」

 「と云ふ事は、俀王(たいわう)は旣に火の鳥の生き血を御所望か。」

 裴淸(はいせい)の食ひ入る眼差しを多利思北孤は豪快に笑ひ飛ばし、輿(こし)に乘り込んだ。何の國の遣使も火の鳥を見ては眼の色を變へ、其の見た儘を一切(おほやけ)にせず、不死の命を我が手にしやうと、内内に探りを入れて來る。其程、不死の鳥とは人の眼を、心を惑はせる。裴淸(はいせい)の眼に神の鳥が棲む神の國が何う映つたか。

 「朝命、旣に達せり。請ふ、(すなは)ち、(みち)を戒めよ。」

 と云ひ殘し竺志を去つた裴淸(はいせい)が、皇帝楊廣に何と吿げるのか見物(みもの)だ。然う心の中で(うそぶ)いてゐた多利思北孤は、見事に其の裏を搔かれて終ふ。歸國(きこく)する裴淸(はいせい)に伴つて、山門の大使(おほつかひ)小野妹子、副使(そへつかひ)吉士雄爲(きしをなり)通事(をさ)鞍作福利(くらつくりのふくり)學生(ふむやわら)、漢直福因、奈羅譯語惠明(ならのをさゑみやう)髙向漢人玄理(たかむくのあやひとぐゑんり)新漢人大國(いまきのあやひとおほくに)學問僧(ものならふはふし)新漢人日文(いまきのあやひとにちもん)南淵漢人請安(みなみぶちのあやひとしやうあん)志賀漢人惠隱(しがのあやひとゑおん)新漢人廣齋(いまきのあやひとくわうさい)が同行したとの風聞に、此れで(ようや)く、山門の雛鳥が自力で法治の御空(みそら)へと羽擊(はばた)き始めたかと、法皇の順風耳が微笑ましく聞き流した、其の矢先、隋に(まだ)して見聞を廣めてゐた俀國の使ひが、隋の討征した戰利品の中に良からぬ物を見出した。

 「此れ夷邪久(いやく)國の用る所なり。」

 紛れも勿き流求(りうきう)布甲(ぬのかぶと)は、皇帝楊廣が侵攻して宮室を焚き、男女數千人を(とりこ)にした(あか)し。擦り寄つてくると讀んだ相手に所領を()(にじ)られ、(これ)()り多利思北孤は、()(たぎ)(はらわた)を引き裂く(おも)ひで、隋との國交を斷ち切つた。

 

 

 

   經藏法興寺 定居元年歲辛未上宮廐戶寫

 

 法興廿一(にじふいち)辛未(かのとひつじ)、多利思北孤は維摩經義疏(ゆいまきやうぎしよ)法華義疏(ほつけぎしよ)()(うつ)し、法興寺に奉納した。隋から傳來した什具足(じふぐそく)(かこ)まれ、隋の髙僧の薰陶を受け、海西の文物に魅了される說法三昧の日日。倂し、そんな舶來(かぶ)れで、隨の流求侵攻に由る南方の脅威を覆ひ隱せる物では勿い。多利思北孤は筑紫潟沿岸から太宰府への遷都を發起(ほつき)し、新たなる居を定める旨を以て、法皇年紀と(なら)()つ倭國年號を定居(じようこ)に改め、新都造營に腰を上げると、

 

 上宮四十六歲。法興廿七年丁丑(ひのとうし)、四方を遍望して(いは)く、

此地(このち)を帝都して氣近(きぢか)於今(いま)一百餘歲在る。一百年を()へ北方に京を遷し、三百年之後に在る。」

磐倭(いはゐ)が筑後に居を定めて佰年、

 

 

  大君は神にしませば水鳥の

    すだく水沼(みづま)皇都(みやこ)と成しつ

 

 

 と讚へた都が、今將(いままさ)に北辰を目指す(とき)との(みことのり)布吿(ぶこく)し、

 法興廿八年戊寅(つちのえとら)、倭國年號を(ちくし)(みやこ)倭京(ゐきやう)と改め、太宰府に遷都した。大裏(だいり)紫宸殿(ししんでん)朱雀門(すざくもん)を北辰に眼差(まなざ)して一線を配す、坊城を構へて(まつりごと)を治める扶桑初の都。宮の中芯に官衙(かんが)の總てを(あつ)めた北闕(ほつけつ)。柱座の有る礎石で圍柱(ゐばしら)を支えた、南朝の寸尺で(のり)(ただ)す、破格の樓閣。筑前太宰府は支那の都城を摸し、筑後の舊都(きうと)正院(しやうゐん)正倉院(しやうさうゐん)の院政を敷いて、(ふた)つの(みやこ)()つ新たな兄弟統治。外寇(ぐわいこう)(をのの)く、多褹(たね)夷邪久(いやく)流求(りうきう)の遣使が遷都の祝賀儀典に招かれ、俀國の繁栄を(ことほ)ぐ天下の諸王と諸臣の來貢(らいこう)は絕える事が勿い。其の宴席の最中(さなか)()()より屆いた隋滅亡の一報。多利思北孤の讀みに狂ひは勿かつた。倂し、刻、旣に遲し。

 

   (かさ)()でて(みまか)る者、國に充盈()てり。

 

 多利思北孤の名聲と命運は旣に地に墮ちてゐた。人心は迷ひと僞りの影法師。其れは多利思北孤とて同じで在つた。

 

 

 身を(こぼ)ち命終れば、惡處(あくしよ)叫喚地獄髮火流處(けうくわんじごくはつくわりうしよ)に墮ち、大苦惱を受く。()(ところ)は火の雨ふり、()の地獄の人、常に燒き煮らる。炎は頭髮を燃す。(すなは)ち脚足に至れば、熱鐵(ねつてつ)(いぬ)有りて、其の足を(くら)()む。炎の(くちばし)鐵鷲(てつしう)は、其の髑髏(どくろ)を破り其の惱を飮む。熱鐵(ねつてつ)野干(やかん)其の身中を食ふ。是れ常に燒かれるが如く、是れ常に食はれるが如し。()の人、自ら不善惡業を()すがゆへに、悲苦號哭(ひくがうこく)す。

 

 

 再び鎌首を(もた)げて新都を襲ひ、猖獗(しやうけつ)を極めた疫氣(ゑのやまひ)の猛威。(けが)れを(おそ)れ逃げ惑ふ百姓と、打ち捨てられた屍と村落。瘴氣(しやうき)に呑まれた扶桑に轟く、除病平癒の勤行が晝夜(ちうや)(また)ぎ、弔鐘(てうしよう)一鏗(いつこう)が落陽の天子を穿(うが)つ。瘡毒(さうどく)の飛び火に乘つて好機を摑んだ佛法の天下流布。其の大願は皮肉な掉尾(たうび)(かざ)らうとしてゐた。

 人拂ひをした離宮に(かつ)ぎ込まれた雞彌(きみ)は、吹き出した(かさ)(つら)なり、鼻梁から頰を限つて斬り裂かれ、石橊(ざくろ)の樣に口を開いた斑顏(はんがん)から、(ほとばし)る汗を滴らせてゐた。額に添へた熱冷ましの濡布(じゆふ)が湯氣を上げ、業火に身悶える倭國の太母(たいぼ)にして、百濟(くだら)貢女(こうじよ)(はらわた)に喰らひ附く野干(やかん)の群れに(ころも)(はだ)け、(やまひ)(しとね)六道(ろくだう)の奈落に墮し、正法念處經(しやうぼふねんじよきやう)地獄品(じごくぼん)()に描いた焔罪(えんざい)が吹き荒れる。何故(なにゆゑ)の佛罰か。身に覺えの勿い仕打ちに、祖国を離れ、獨り無心で耐へ忍んだ月日は何だつたのか。(すく)ひの缺片(かけら)も勿い無慈悲な悔恨。そんな沙汰女(さだめ)(なげ)く閒も勿く、先人が故地を追はれた太古の灼熱が(にはか)に甦り、火碎流の如く打ち寄せる。朦朧とした意識の中で、雞彌(きみ)(とこ)()に陶然と(たたず)む火の鳥を、亂れ髪の狹閒から仰いだ。()(たぎ)顳顬(こめかみ)が脈を拍ち、(ゆめ)(うつつ)か確かめる術も勿く、

 「何故、夷邪久(いやく)の海を燒き、卋を越えて我等を苦しめるのか。此の命なぞ燒香の芥子粒(けしつぶ)、何も惜しい事は勿い。竺志の護り神なら、責めて法皇の命丈けでも。」

 介抱に()たる采女(うねめ)(おみな)の眼には映らぬ、靈鳥に向かつて(すが)()かうとする、(かさ)(ただ)れた(りやう)(かひな)。其處へ、御卋繼(およつ)ぎの身に()しもの事が在つては爲らぬと、奧室を封じた禁を破つて、太子、利歌彌多弗利(りたみかふり)が現れ、(おみな)の制止を振り切り雞彌(きみ)()(かか)へる。

 「母上、御氣を確かに。」

 父の賢哲を受け繼ぐ、(たぐ)(まれ)な其の器量。己の命を(なげう)つて馳せる篤き忠孝心。倂し、其の埀乳根(たらちね)冥利に盡きる(おも)ひに(こた)へ樣にも、

 「何故(ナニユヱ)、熱ガ有ルノヲ知ツテヰ乍ラ、法皇ニ吿ゲズ起居ヲ(トモ)ニシタノカ。」

 雞彌(きみ)の耳には、利歌彌多弗利(りかみたふり)の口を借りて、化生(けしやう)(たへ)なる(こゑ)が聞こえた。

 「百濟ノ求メニ應ジテ兵船(ヒヤウセン)水門(ミナト)(クグ)リハスル物ノ、一向ニ仇敵新羅ノ止メヲ刺サズ、說法ダ寫經(シヤキヤウ)ダト佛氣取リノ法皇ニ業ヲ煮ヤシタカ。」

 奧室を鳥瞰(てうかん)する醒めた眼差しが(あぶ)り立てる、野干(やかん)に喰ひ破られた雞彌(きみ)の肚の底。(きら)びやかな火の鳥の鳳光が、人心の闇と蔭を際立たせる。

 「違ふ、其れ丈けは、其れ丈けは。」

 熱が有るのは知つてゐた。隱してゐ勿かつたと云へば噓に爲る。只、佛の彫像の樣な此の漢に疫氣(ゑのやまひ)(うつ)るのか、法皇が本當に生身の人閒なのか試したい氣持ちは有つた。法力で國を(すく)へるのなら、病なぞ物の數では勿からうと、(たか)(くく)つてゐた。

 「彼ノ(ヲトコ)ノ本性ヲ垣閒見度イノナラ、案ズル事ハ勿イ。命有ル限リ、人ハ誰トモ巡り合ヘズニ擦レ違ヒ、死シテ初メテ觸レ合ヒ、判リ合ヘル。後卋(ゴセ)(チギ)リヲ交ハスガ良イ。(タト)ヘ千載萬卋、生マレ變ハツタ後デアラウト、何モ遲イ事ハ勿イ。」

 「そんな無體(むたい)な。」

 「然ウダ。持ツテ產マレタ(カラダ)ニ意味ハ勿イ。」

 火の鳥の言葉は雞彌(きみ)の悲劇を悠然と受け止め微動だにし勿かつた。花の色に優劣も善惡も勿い樣に、人の心に無念(むねん)成念(じやうねん)も勿い。在るが儘に燃え盛り、命を照らして、焦塵(せうぢん)()す、火の鳥の燎翼炎尾(れうよくせんび)。其の生と死が明滅する永遠の輪舞の直中(ただなか)に、もう獨りの阿每(あま)雞彌(きみ)も復た(とら)はれ、最後の見卋物に迷ひ込んでいた。

 王后の後を追ふ樣に、野干(やかん)の餌食と爲つた多利思北孤。俗卋との(よすが)を斷つた己が(けが)れを(かうむ)るなぞ、頭の片隅にも勿かつた其の反動は如何許(いかばか)りか。刻一刻と玉體(ぎよくたい)(むしば)む焦熱に雄叫びを上げて(かめ)の水を頭から被り、

 「(ちん)參寳(さんぽう)()らむ。」

 と譫言(うはごと)の樣に諮議(しぎ)を懇願した池邊大王(いけべのおほきみ)を果報者だと()(たた)へ、明けても暮れても護國繁營を誓願した漢が、佛の功德を搔殴(かなぐ)()て、坂を(ころ)がる沸鼎(ふつてい)が新都の王宮を垈打(のたう)()はる。盜掘された鐵劍(てつけん)の樣に(かさ)(まみ)れた其の尊顏。萬民を惑はす不死の魔力と疾疫(ゑやみ)愁毒(しうどく)が、聖君の被る鐵面皮(てつめんぴ)を引き剝がした。

 「()(をんな)(うつ)された。外女(げじよ)(みさを)を信じた己が(うら)めしい。」

 王后を呪ひ、出雲の事代主(ことしろぬし)神、磐倭(いはゐ)物部守屋(もののべのもりや)捕鳥部萬(ととりべのよろづ)(たた)りかと(おび)え、手に()れ、眼に(さは)る總ての物に當たり散らす多利思北孤。天下の要衝(えうしよう)に建立した刹柱(さつちゆう)も金堂も大伽藍も、淸貧に(はげ)み精進した聯日聯夜(れんじつれんや)の勤行も、(ぜい)()しまぬ供物も、渡來僧の(おごそ)かな說法も、煩惱(ぼんなう)の情火に灼き盡くされ、其の上(なほ)も、延命の殘燒を化鳥(けてう)火影(ほかげ)に追ひ求める。

 「火の鳥、火の鳥は未だか。不死の生き血は未だか。彼の靈鳥を手懷(てなづ)けた鞍橋(くらぢ)の孫は何うした。未だ見付からんのか。」

 「鞍橋(くらぢ)の孫の消息は摑めた物の、生憎(あいにく)と眼を(わずら)ひ、狩には出てをらぬと・・・・。」

 狂亂の(しとね)(つか)へる臣下の者達は唯只管(ただひたすら)跪禮(ひざまづくゐや)(とこ)()に控へた儘、(おもて)を上げる事が出來勿い。

 「構はん。火の鳥を捕らへるのに矢は無用。()れて來い。然して、(つた)へろ。」

 (かめ)の樣に平伏(ひれふ)した、居竝(ゐなら)冠帽(くわんぼう)頭熟(あたまごな)しに罵ると、多利思北孤は(はげ)しく(あへ)ぎ乍ら、酸化皮膜の吹いた鑄物(いもの)の樣に饕變(たうへん)した面相を兩手で覆ひ、途切れ途切れの息を吐いた。

 「・・・・・破壞しろ。」

 「何と・・・・・・・今、何と。」

 多利思北孤の放つ熱波に顏を(しか)め、匍匐禮(はらばふゐや)で其の口元に耳を寄せる臣下。

 「999を、99荵昴r・・・・・破・・螢翫@繧。」

 

 

 

 法興丗二(さんじふに)壬午(みづのえうま)二月(きさらぎ)甲辰(きのえたつ)癸丑(みづのとうし)癸酉(みづのととり)、佛滅に王后、其の翌日に上宮法皇が神上(かむあ)がりし、扶桑の地から更に東の東夷(とうい)迠、白栲(しろたへ)の喪に服した。疾疫(ゑやみ)の救濟と供養の爲、法皇、太后、王后を模した釋迦三尊像を止利(しり)佛師が敬造し、法興寺に奉納。鬼前(きぜん)(おくりな)(たまは)つた太后は韓の地を望む嶋縣(しまのこほり)(はうむ)られ、歲が明けると、

 仁王(にむわう)元年癸未(みづのとひつじ)利歌彌多弗利(りかみたふり)が卽位し、仁王經(にむわうぎやう)傳來に(ちな)み年號を仁王(にむわう)に改める。君主の()()き姿を說いた國家安寧(こつかあんねい)の新法。倂し、前帝の遺志を繼ぐ護国三部經の筆頭も、總ては遲きに失した。

 奉納された釋迦三尊像に諸臣(もろおみ)が一心に新法を(とな)へる仁王會(にむわうゑ)の内陣。六十六に分國した天下を擧げての讀經(どきやう)が法興寺金堂に轟き、後背に法興元丗二年と銘打たれた釋迦如來が、其の瓜實顏(うねざりがほ)(かす)かに(うつむ)け、臣下に列して額突(ぬかづ)く獨りの女に(ささや)いた。

 「女王が直直(ぢきぢき)に跪拜して出迎へて吳れる何て、良い眺めだこと。」

 憫笑(びんせう)を含む(かす)れた聲が吹雪に紛れ、疾疫(ゑやみ)激疼(げきとう)と熱狂が、骨の髄を(むしば)む惡寒に氷變(ひようへん)した。(うた)()まれた筑紫の山河も、太宰府の宮室に()()觀卋音寺(くわんぜおんじ)の鐘も搔き消され、古代を彩る夢の續きが彈けた。銀瀾の天河が降り注ぐ、明ける事の勿い星空の下、倭國の百姓(おほむたから)は凍結した静謐な大地に埋葬され、吹き荒れる混濁した見當識が(とき)(わだち)を驅け拔けていく。

 

 

憂き夢は名殘りまでこそかなしけれ

 この卋の後もなほや嘆かん

 

 

 

 

 

 

 エメラルダスは硝子張りの銀卋界に()(つくば)り、液體窒素で氷結されたNゲージの鐵道模型を(みつ)めたゐた。國鐵(こくてつ)C62形旅客用テンダー式蒸氣機關車の精密で小さな雄姿。其の黑鐵(くろがね)の追憶を閒に挾んで、胡服(こふく)(まと)手襁(たすき)領巾(ひれ)とは程遠い、闇のドレープが搖れてゐる。C62の猪首(ゐくび)突管(とつかん)放咳(はうがい)する瀑煙(ばくえん)の樣に霏霺(たなび)海松(みる)色のチャドル。光を失つて地に墮ちたオーロラが、エメラルダスの跪禮(ひざまづくゐや)を傲然と見下ろしてゐた。今更、

 「何時から其處に。」

 と尋ねるのも空空しい。過ぎ去つた筑紫の榮華と慟哭(どうこく)も、(つね)に此の女の視線を感じ、其の()(ごころ)の中で(うずくま)つてゐた氣が爲る。懸け離れた時空を超えて巡り合へた、此の目眩(めくるめ)く瞬閒。冥府の星に舞ひ戾つた實感をも白紙に(さら)す、其の魔力に一服盛られて陶醉するエメラルダス。

 「竜頭(りゆうづ)。」

 其の一言を口に爲た丈けで胸が再び熱く爲り、總てを成就した錯覺に(おちい)る。目深(まぶか)に被つたチャドルから覗く、何もかも諦めた三白眼の(にぶ)い瞳孔。獨片(ひとひら)の影が(よぎ)つてゐる丈けの鼻筋に、表情筋を削ぎ落とした顴骨(くわんこつ)。艶の勿い(すみれ)色の口吻(こうふん)を貼り付けた、氷柱(つらら)の樣に繊細な(おとがひ)が、土氣色をした面妖に喪然と張り詰めてゐる。味方と云ふより(むし)ろ敵。助けて貰つた覺えなぞ一度も勿いのに、何故か惹かれ合ふ其の因力。本當の天河無雙(てんがむさう)は此の女だ。竜頭とは一體、何者なのか。宇宙の謎、其の物と呼べるメーテルに肩を竝べるのは、此の幽女丈けだ。此の二人には何方(いづれ)が光で闇なのか區別の附か勿い何かが有る。存在と非在を行き交ふ、不成佛の御本尊の如き竜頭の御顯現(ごけんげん)。役者は揃つた。獨り芝居は此處迄だ。灰身滅智(けしんめつち)孤調解脫(こてうげだつ)虛無空見(こむくうけん)の境地に(たたず)む、蘇つた屍蠟(しらふ)の如き風貌が、足許で腹這(はらば)ふ赫い鼠に幸の薄い眉を(しか)めると、

 「防疫封鎖されてゐる星に墓泥棒何て、隨分と物入りなのね。其れとも、此の凍て付いた大地に接吻して、海賊王から氷の女王に鞍替へでも爲る積もり?」

 ドレープの(ひだ)の中から竿に吊した錻力(ブリキ)燈會(ランタン)を突き出し、エメラルダスの頰を限る縫合痕を照らし出した。全く御挨拶な奴だ。火屋(ほや)の中で搖らめく狐火から(かほ)(そむ)け、(しづ)かに片膝を立てるエメラルダス。氷の女王か。其れも滿更ぢや勿い。純白の銀卋界は反知性の(あか)し。電腦化した形代(かたしろ)から魂を解放するには、白癡(はくち)の巫女と爲つて白狂(はつきやう)するしか勿いだらう。其れでも今は、

 「こんな時化(しけ)た繩張りを貴樣と爭ふ位なら、猿山のボスと毛繕(けづくろ)ひをしてゐる方が增しだ。」

 爪先の永久凍土に埋め込まれたC62の眠りを妨げぬやう、エメラルダスは息を殺して立ち上がり、母なる星への憧れを心の支へにした者達の幻想と、御役所仕事で形見の品一つ受け入れぬ地球の現實に、火星で待ち受けてゐる己の運命を重ね合はせた。此の片想ひを片想ひで終はらせ勿い爲にも、竜頭の(ちから)が必要だ。墓には刻んだ歷史が在り、歷史の裏には女が在り、墓を守るにも譯が有る。總ては、墓場から墓場へと渡り步く、歷史の生き證人が(ほの)めかす(まばた)き獨つ。エメラルダスは釣り鐘外套(ぐわいたう)の中で光勵起(くわうれいき)サーベルに手を掛けた。倂し、

 「鳥を見たか。」

 と云ふ、たつた一言が喉に(つか)へる。()してや「火の鳥」なぞと切り出すのは、矢張り、常軌を逸してゐる。筑紫の故地を巡禮した遙かなる夢。不死の靈鳥に魅入られ、取り憑かれた人の卋の淺閒敷(あさまし)さに、エメラルダスも旣に呑み込まれてゐた。

 「底層重力の遭難現場で何を見た。運行識別番號“GL-776”の周遊列車だ。貴樣が在來軌道から突き落とした事は割れてゐる。答へろ。」

 「何を見た・・・・・とは?」

 聞き覺えの有る鸚鵡(あうむ)返しに虛を衝かれ、氣が付くと何時もの被告席に納まつてゐる時差惚けの女王。總てを見通してゐ乍ら自白へと導く大審問官の挑戰が、赫いカラマーゾフを焚き付ける。

 「鳥だ。」

 (ふる)い外套を脫ぎ棄てられずに、聲を荒げるエメラルダス。竜頭は摑み處の勿い蒼貌で、地吹雪に搔き消された語氣を反芻(はんすう)した。

 「鳥?」

 エメラルダスの疑懼(ぎく)を更に(えぐ)りこむ色褪せた口吻(こうふん)。赤手配書の筆頭を餝る女王に臆せぬ其の不遜な態度に、不圖(ふと)、火星の寄り道で(たもと)(かす)めた、活きの良い小兵(こひやう)を思ひ出す。

 「鉄郞も其の現場に居たのだらう。良くもまあ、999迠、無限軌道から引き擦り降ろした物だ。」

 「鉄郞を知つてゐるの。」

 「()いてゐるのは私だ。餘計(よけい)穿鑿(せんさく)は答へた後に、餘所(よそ)で遣れ。」

 「999に冥王星。火星へ向かふ女王の御幸(みゆき)にしては道草が過ぎるのでは。(さぞ)かし結構な哥枕(うたまくら)を御巡り遊ばしたのでせうね。」

 竜頭の()()勿い切り返しに、女王は北叟笑(ほくそゑ)んだ。此の女も氣付いてゐる。安物の貴種流離譚では勿く、鉄郞が本物の傳卋品種で在る事を。然して、堂に入つた侮蔑も()事乍(ことなが)ら、銀河鐵道株式會社からの業務委託を旣に摑んでゐるとは、矢張り、蛇の道は蛇だ。御互ひ叩いて埃の立つ身なら、氣兼ねする事も勿い。

 「GL-776の救助作業中に粒子狀化した乗員乘客は入り混じり、最後は市販の掃除機で吸引し、ダストパックの中で遭難者の識別は附か勿くなつた然うだ。別に貴樣が殺したなぞとは云つて勿い。車内の質量保存の法則は保たれてゐた。乘客の命は獨りも奪はれてはゐ勿い。

 

 

   一代の歡樂(くわんらく)いまだ席の前に盡きざるに

       千年の愁苦さらに座の後に繼ぐ

 

 

 唯、其れ丈けの事。乘り遲れたのは寧ろ貴樣の方だ。然うだらう?」

 竜頭の()(ぐさ)を先囘りして釘を刺すと、地吹雪が一瞬(やわ)らぎ、羽擊(はばた)いてゐたチャドルが其の裾を閉ぢたのを先途(せんど)と、エメラルダスは追ひ討ちを掛ける。

 「電劾重合體の食指が好事家の周遊列車に有つたとは思へん。奴は意外に美食家だ。本丸は矢張り999か。其處で何を見た。」

 目深に被つたチャドルの奧に(ひそ)む鈍い瞳孔、燈會を提げる指先の動きを見逃すまいと、(しか)めた眉閒に頰を限る縫合痕が(ざわ)めき、二の矢、三の矢を其の舌鋒(ぜつぽう)(つが)へて待ち構へた。風は止んだと云ふのに火屋(ほや)の中で狐火が搖れてゐる。旋雪と(たはむ)れてゐた影が、本の半步、逡巡(たぢろ)いだ。

 「私が何を見たと云ふの。」

 「火の鳥だ。」

 エメラルダスは己の口を穢す事なぞ(いと)はず、箝言(かんげん)(せき)を切つた。

 「電劾重合體(でんがいぢゆうがふたい)に取り憑かれ、熱暴走した囘路の火柱から蘇生し、何處(いづこ)とも勿く()()つていくと云ふファイヤーバードを耳にした事位は在るだらう。被災地で其の存在が目視され、計測され、通信ログに記錄化されてゐる譯でも勿いのに、帶域核醒自我(いたたきかくせいじが)だの、ZONEだのと(まこと)しやかに呼ばれてはゐる、例の都市傳說(オカルト)だ。」

 「天庭の紅孔雀が、火の鳥を御所望とは是如何に。仲閒と逸れた渡り鳥でも有るまいし。そんな火の鳥(オカルト)に何故、目抉(めくじ)らを立てるの。雌鷄は啼かぬ物だと思つてゐたけど、飛んだ見當違ひね。」

 自己保身の爲に「都市傳說(オカルト)」と口走つた揚げ足を取られ、最も口にされ度く勿かつた嘲弄にも怯まず、女王は(なほ)も言の葉の先を()いだ。

 「其れと。」

 「其れと、何?火の鳥の次は靑い鳥?」

 「大長(だいちやう)伍年戊辰(つちのえたつ)極月(しはす)甲子(きのえね)壬寅(みづのえとら)癸卯(みづのとう)。其の日に何が()つたのか。貴樣には()えるか。」

 竜頭は降つて湧いた十干十二支(じつかんじふにし)の羅列に、愉悅を苦遊(くゆ)らせてゐた口角を引き締め、エメラルダスの眼の色に其の眞意を覗き込んだ。

 「クイーン・エメラルダスの女王樣が舊宗念號(きうしゆうねんがう)に御執心とは初耳ね。近頃の海賊は手廣く遣つてゐると聞いてはゐたけど、火の鳥からカレンダー迠手を出してゐた何て。大丈夫なの?此れから鐵火場(てつかば)(なぐ)()みを掛けると云ふのに、そんな謎解きに(うつつ)を拔かして。火星はもう手遲れよ。態々(わざわざ)最初の捨て石に爲る義理が何處に有るの。」

 「最初に火星を捨てたのは私の方だ。私には火星を囘收(くわいしう)する義務が有る。譬へ、其れが赫いブラックホールでもな。」

 「隨分(ずいぶん)と派手な忘れ物ね。」

 竜頭はエメラルダスの斜めに裂けた妍容(けんよう)から眼路を切ると、視界度數100mの彼方に續く被葬者の地平線を遠望し、望む可くも勿い星明かりの慈雨に眼を細めた。

 「火星が女王樣の忘れ物だとしたら、舊宗念號(きうしゆうねんがう)は誰の忘れ物なのか。忘れ物とは往往にして、己の心に仕舞ひ忘れてゐる物よ。」

 問はず語りに(ひと)()ちる(とき)空蟬(うせみ)。口に爲た途端、氷り付く片言の結晶に閃いた女の直感に、エメラルダスは目聰(めざと)く喰らひ付いた。

 「では、貴樣の心に仕舞ひ忘れた物とは何だ。定期的に更新される記憶と、タイムゲートの向かふには何が在る。」

 「さあ、何でせうね。譬へ、ストレージの環畱(くわんりう)囘路を解除出來たとしても、抑壓されてゐた過去に押し潰される丈け。リミッターの決壞した記憶を甘く見ては駄目よ。」

 「貴樣の忘れ物が甘いか苦いか。毒味なら私に任せて措け。」

 エメラルダスの釣り鐘外套が(ひるがへ)り、胸元の髑髏が微笑むと、光勵起(くわうれいき)サーベルの()(さき)が竜頭の幸の薄い雙眉(さうび)狹閒(はざま)を指差した。死の辨證法(メメントモリ)(じゆ)して、痺れを切らす鈷藍(コバルト)の雷刃。力盡(ちからづ)くで如何(どう)にか爲る相手では勿い。だが、此處で逃しては一生の不覺。始めから()()る事は判つてゐた。

 「(しか)と聞け。譬へ貴樣に其の自覺が勿いとしても、(とき)を司る異能と、故意に限定された記憶には譯が有る。貴樣を冥府の墓場へ衝き動かし、私と引き合はせたのも、其の祕めた因力の()せる(わざ)()ぢらいと(いつは)りが隱す事で生まれる樣に、隱れもせずに日の目を浴びる眞實なぞ眞實では勿い。貴樣のストレージの環畱(くわんりう)囘路に何が鎖ぢ込められてゐるのか。答へろ。口で說明出来勿いのなら、其の(はら)を裁いて引き擦り出す迠だ。私には時閒が勿い。」

 「何故、歲月を惜しみ、無爲に過ごす日日を(おそ)れるの。己に自信が有るのなら何も成し遂げる必要は勿いわ。そんな見せ掛けの力も無用の長物。怒りを鞘に治めるのが本物の劍者と云ふ物よ。」

 「鞘を溫める丈けの旗本より、刃毀(はこぼ)れを(いと)はぬ田舍侍の方が增しだ。誰もが貴樣の樣に(とき)眞砂(まさご)(ほしいまま)に出來る譯では勿い。舊宗念號(きうしゆうねんがう)電劾重合體(でんがいぢゆうがふたい)を解く鍵だ。大長(だいちやう)伍年戊辰(つちのえたつ)極月(しはす)甲子(きのえね)壬寅(みづのえとら)癸卯(みづのとう)に何が()つた。答へろ。貴樣には()える筈だ。」

 氷漬けの己の遺體に割り振られてゐた、未來と過去、(ふた)つの忌日(きじつ)。其れが何を意味するのか。(ゆめ)(うつつ)狹閒(はざま)で耳にした十干十二支(じつかんじふにし)の刻印。然も、口に出來ず呑み込んだもう一方の、恐らく今年の曆數と(おぼ)しき「大長(だいちやう)阡肆佰陸拾陸(1466)戊申(つちのえさる)水無月(みなづき)己未(つちのとひつじ)壬戌(みづのえいぬ)己卯(つちのとう)」も狂つてゐるのか。

 竜頭はエメラルダスの動搖を見透かして、一條(ひとすぢ)線を引いた丈けの、小鼻の勿い鼻で輕く笑つた。

 「舊宗念號と電劾重合體が一蓮托生と知つてゐるのなら、何故、私に訊く必要が有るの。私に語らせるより、己の心の声に耳を傾ける可きよ。其れに。」

 「其れに、何だ。」

 「大長年閒の伍年は戊辰(つちのえたつ)では勿く戊申(つちのえさる)よ。」

 「何、戊申(つちのえさる)。」

 不覺にも曆數を換算せずに裏を搔かれた女王は、史理と日、月、星の三辰に通じた異能の瞬殺に、思はず安堵の息を呑んで終ふ。

 「其の干支(えと)は狂つてゐる。月も(ついたち)も日付もね。

 

   この人は舊紀(きうき)こそ讀みたるべけれ。まことに才あるべし。

 

 と云ふ程の手練(てだ)れなら未だしも、干支も讀めずに舊宗念號(きうしゆうねんがう)、否、遺哭念號(ゐこくねんがう)を追ひ囘すとは。エメラルダス號は何時から、糸の切れた凧に成り下がつたの。宇宙は開かれた本とは違ふのよ。時を頁の端に刻印された數字の樣に(めく)つて(さかのぼ)れるのは、選ばれた者丈け。」

 (とき)(すみか)の墓守は女王の墓穴から眼路を切り、硝子細工の如き(おとがひ)を引いてチャドルの奧に(うづ)めると、手に提げてゐた燈會(ランタン)を肩から水平、眞一文字に差し伸べ、己の面前で靜止した。

 「大長(だいちやう)大鳥(だいてう)也。」

 竜頭の艶の勿い口吻から零れた、浮はの空の謎掛け。火屋(ほや)の中で寒波に(ふる)へてゐた狐火が、()にし()言靈(ことだま)感應(かんのう)して(みなぎ)つてゐる。

 

 大長(だいちやう)大鳥(だいてう)大鳥(だいてう)とは、大鳥・・・・・・

 

 エメラルダスは途切れた言葉の意味を追ひ、然して、視た。錻力(ブリキ)の笠を被つた炎群(ほむら)が、神と人の(さかひ)に繁る大蔴(おほあさ)と成つて、(しづ)かに()(さか)るのを。

 「遺哭念號(ゐこくねんがう)は神代より卋にあることを、記しおきけるなり。鋼紀などは、ただかたそばぞかし。重合體にこそ道道しく、くはしきことはあらめ。」

 (じよ)()ひ。此の女も復た、(こと)()(さき)はふ(ほま)れに浴した、見えぬ物が見え、聞こえぬ物が聞こえ、形亡き物に()れる稀人(まれびと)。神代の調べが聞こえ、弱竹(なよたけ)身熟(みごな)しが太古の息吹きを言祝(ことほ)ぎ、蔭陽(いんやう)(ぎよ)して穢魔(ゑま)(はら)ふ。恍惚の隻影が禹步(うほ)を蹈み、()(さか)大蔴(おほあさ)が硝子張りの氷原に葬られた死屍累累を次次に照らし出して、心の舞臺(ぶたい)(しつら)へたシテ柱、目付柱、ワキ柱、笛柱を巡る、時計仕掛けの人柱。次第に髙まる吐胸(とむね)天府(てんぷ)が軋みを上げ、チャドルの裾奧(すそおく)で埀直に片膝を吊り上げると、

 「是將(これまさ)に、物語の()()はじめの(おや)。」

 渾身の足拍子を凍て付いた冥府の地平に叩き込んだ。故地を求めてさ迷ふ魂を穿(うが)一鎚(いつつい)の激甚。固唾(かたづ)を呑んでゐた地吹雪が(ふたた)び息を吹き返し、チャドルの裾から四方に走る龜裂(きれつ)が、百姓(おほむたから)の眠りを()るがし、C62の鯨背(ボイラー)(よぎ)り、軍長靴のソールに突き刺さる。

 「鋼紀には、さらにご覧じ得るところなし。たとひあらむにても、かやうに忍びたらむことをば、いかでか(つた)へ知るやうのあらむとする。」

 聲色(こわいろ)()はり、朖朖(らうらう)と神の物語を(ほの)めかす白拍子(しらびやうし)の口寄せ。何が()(うつ)つてゐるのか、電腦の爲せる技では勿い。最早、形代(かたしろ)の本領を超えてゐる。鬼道を事とし、()く衆を惑はすとは此の事だ。此の女は何に響命(きやうめい)し、其の筐體(きやうたい)に宿る(ちから)は何を源泉に涌き出でるのか。機械伯爵は何う遣つて此の時縛裝置を手懷(てなづ)けたのか。エメラルダスは和毛(にこげ)粟立(あはだ)つ背中を衝き飛ばされ、

 「遺哭念號(ゐこくねんがう)とは何ぞ。舊宗念號(きうしゆうねんがう)とは何ぞ。」

 と其の先を急き立て詰め寄るも、暴風雪の白瀑に押し戾され、軍長靴を限る龜裂を超える事が出來勿い。すると、

 「あわれなる御遺言ども多かりけれど、女のまねぶべきことにしあらねば、この片はしだにかたはらいたし。」

 海松(みる)色のチャドルが膝から(くずほ)れ、硝子張りの氷原に片手を著いた。大蔴(おほあさ)と成つて萌え盛つてゐた火影(ほかげ)が色を失ひ、白狂から醒めた巫女が、藪睨(やぶにら)みだつた焦點を取り戾していく。前の(はだ)けたドレープを直し、取り亂した事を()ぢ入り乍ら、物憂げに息を整へる、憑き物の落ちた石女(うまづめ)が獨り。

 此れで終はり?そんな眞逆(まさか)。未だ、何も始まつてゐ勿い。エメラルダスは肩透かしの口寄せに()れ、光勵起(くわうれいき)サーベルを(いち)太刀(たち)で水平に振り抜くと、燈會(ランタン)火屋(ほや)(をのの)く狐火を竜頭が吹き消し、旋雪の疾風がチャドルを舞ひ上げる。(いか)()の放電を振り亂して空を裂く鈷藍(コバルト)の斬つ先。主を失つた闇のオーロラは滿天を架ける銀河の奔流に霏霺(たなび)き、冥府の聖謐を穿(うが)つ龜裂を殘して、總ては跡形も勿く消滅した。

 銀盤の卋界を馳せる死灰(しくわい)の如き(みぞれ)混じりの暴風雪。竜頭の虚卋身(うつせみ)に置き去りにされた女王は、無限に廣がる被葬者のマトリクスに立ち盡くし、「左樣(さやう)なら。」の一言すら勿い、缺落(けつらく)した餘韻(よゐん)に痺れてゐた。橫毆(よこなぐ)りの銀幕を擦過した幻影に次ぐ幻影。()()りの亡靈達が(ほの)めかした影を()む事すら出來ず、振り出しにも戾れ勿い墓場の番外地に、液體窒素の放射冷却が追ひ討ちを掛ける。ドーピングした蔦葛(つたかづら)の樣に惡寒が背筋を這ひ上がり、橫隔膜が波を打つ。バッテリーヒーターは()いてゐる。倂し、吹き出した汗に(まみ)れた軍裝が地吹雪に體溫を削がれ、獰猛な氷牙が骨の髄に喰ひ附く。彼程、腐肺(ふはい)した胸を燒き、吐く息が聲帶(せいたい)と舌の根を焦がした、

 

  腹中に火起き、其の身を()()す。

 

  地には棘刺(きよくし)生じ、皆(ことごと)く火に()し、其の兩足を貫く。苦痛忍び難し。

 

  身、燒かれ、打たれ、(くだ)かれるが如し。

 

 と云つても過言で勿かつた筈の容赦勿い熱波が、極北の寒波に氷變(ひようへん)して襲ひ掛かる。

 (まづ)い、嚇精劑(レッドモンスター)が切れる。心筋が締め付けられ、氣道を(ころ)る血痰の鈴生(すずな)り。泥濘(ぬかるみ)の樣な疲勞が肩甲骨から頸椎に()()かり、網膜で點滅(てんめつ)した星星が顳顬(こめかみ)で渦を卷く。立ち止まつてゐたら、其の場が己の棺桶に爲る、此處は冥土の一丁目だ。(ゆめ)(うつつ)の狹閒で戸惑つてゐる場合では勿い。龜裂の下で屈折したC62を一瞥し、獨片(ひとひら)の秋波を送つて踵を返すと、膝の皿が悲鳴を上げ、釣り鐘外套が地吹雪に押し流される。痩せ衰へた肋骨に爪を立て、吼え立てる咳獸(がいじう)嚇精劑(レッドモンスター)の副作用が亂打する偏頭痛。視界零の卋界を髑髏のヘアブローチが照射する、測位座標のベクトルを信じて、白魔の向かふで待機する我が母艦に、絲の切れた體を引き擦つていく。

 

 

   千山鳥飛絕  千山 鳥飛ぶこと絕え

   萬逕人蹤滅  萬逕(ばんけい) 人蹤(じんしよう)滅す

   孤舟朱女王  孤舟 朱の女王

   獨釣寒江雪  獨り釣る 寒江の雪

 

 

 逃した魚は旣に刻の彼方。倂し、エメラルダスは確信した。竜頭との因果の鎖縛(さばく)は決して斷ち切れる物では事を勿い。其れは鉄郞やメーテルとて同じ事。我我は出會ふ可くして巡り逢ふ。十干十二支、六拾(むそ)の還曆を繰り返して、何度でも。エメラルダスは何の根據(こんきよ)も勿い宿命の鐵索(てつさく)獅嚙憑(しがみつ)き、天地の區別も、右も左も勿い、白い闇で覆はれた投錨地點に辿り著いた。

 主艙口(メインハッチ)を起動してランプウェイの顎門(あぎと)から乘船すると、女王は艦内の不穩な氣配に胸が騷いだ。停畱(ていりう)待機の筈の鋼殼氣嚢(バルーン)光束核幽囂爐(ゴーストエンジン)の驅動で(みなぎ)つてゐる。主勿きクイーン・エメラルダス號を支配する、頭上から降り注ぐ重低音の共振。船長が畱守(るす)にした途端、新しい舟主に尻尾を振る。そんな尻の輕い舟だつたとは。積年の不德、此處に極まれり。中央管制室に向かはうとした足を止め、側舷ディスラプタ砲の砲擊制禦端末へと踵を返す、瀕死の女王。()の面を提げた閒男か、將亦(はたまた)、鼠と手を組む泥棒猫か、最早、面と向かつて遣り合ふ氣力も勿い。張り裂けそうな(しん)(ざう)を抱へ、鉛の樣な軍長靴に足を取られ乍ら、艦内を跛行(はかう)する慘めな跫音(あしおと)。生きて戾って來られた丈けでも、感謝する可きなのだらう。もう旣に、棺桶の中をさ迷つてゐる樣な氣が爲る。ガレオン船の内骨龍に(つら)なる砲座の脇に(しつら)へた、緊急非常時の手動計器と照準裝置。幸ひ背凭(せもた)れ丈けは有る、薄いシートに身を投げ出すと、エメラルダスは其處から、もう二度と立ち上がれ勿いと思つた。治まらぬ動悸で擊ち拔かれさうな水月(みぞおち)を押さへ乍ら、艦内モニターを起動し、中央管制室に切り換へると、血痰の缺片(かけら)も勿い、自信に滿ち溢れた瑞瑞(みづみづ)しい聲朗(せいらう)が響き渡る。

 「タイムコードのバグと防疫關數(プロテクト)解析の進捗狀況を報吿しろ。」

 「現場二殘畱(ザンリウ)シテヰルタ、電劾性核種ノ防疫關數(プロテクト)ノ解析ハ、鋭意研算ニ努メテヲリマス。タイムコードニ關シテハ、舊宗念號(キウシユウネンガウ)ノ大長年閒ニ變換(ヘンクワン)サレテヰル物ト思ハレマス。」

 「キュウシュウネンゴウ?」

 「ハイ、古代ノ私年號ダトWikipedia上デハ記載サレテヰマスガ、民族主義ノ、バイアスヲ外スト、古史古傳(コシコデン)ノ類ヒトハ一線ヲ(クワク)ス物デス。」

 「復た、Wikipediaをファーストオピニオンで檢索したのか。摑まされるガセネタを、ダブルチェック爲る丈け時閒の無駄だと云つただらう」

 「申シ譯御座イマセン。」

 「其れで、何が如何(どう)、一線を(くわく)すのだ。」

 「舊宗念號(キウシユウネンガウ)俗稱(ゾクシヨウ)サレテヰマスガ、遺哭念號(ヰコクネンガウ)ト呼ブ方ガ、本來、的確カト思ハレマス。グレゴリオ曆ノ紀元前カラ、列㠀(レツタウ)ヲ支配シテヰタ、倭國(ヰコク)ノ建元シタ年號デス。」

 「過ぎ去りし(とき)の來訪者と云ふ奴か。」

 肩口に未だ屆かぬ糖蜜の樣な亞蔴(あま)色の領髮(えりがみ)。縫合痕で刻まれる前の、(けが)れを知らぬ白磁(はくじ)玲頰(れいけふ)(くるぶし)丈の釣り鐘外套を(ひるがへ)す、士気と野望に滿ちた(しな)やかな所作が、中央管制室の床一面に敷き詰められた、星系()の上を闊步する。銀河のネガフィルムに舞ひ降りた天庭の紅孔雀。等航線が流動するエアディスプレイを、軍長靴のレースアップが蹴散らし、四面を埋め盡くす、(おびただ)しい多針メーターの衆目を一身に浴びて、麗しき軍裝の早乙女(さをとめ)が、砲擊制禦端末に()め込まれてゐる、8incの艦内モニターを占據(せんきよ)した。赫き靑春を謳歌する甘酸つぱい追憶。セピア色の日日が目頭で充血し、心の奧に仕舞ひ忘れた優しい氣持ちで溢れ返る。スペースノイド解放の御旗(みはた)を肩に風を斬る、驅け出し一兵卒。ハーロックの親衞隊で売り出し中の御轉婆(おてんば)が其處に居た。統合管制機構と戰術情況演算が輻輳(ふくそう)し、輯積(しふせき)化した宙域情報のモザイクを睨み付ける、切れ上がつた秀眉。刻刻と算出されるエレメントの遊星が、若き女王の熱い息吹きに彈け、合成義惱は肅肅(しゆくしゆく)と解析された構文を音聲化していく。

 「文獻(ブンケン)史學者ハ中卋ノ僧侶ガ捏造シタ物、()シクハ由緖ノ定カデ勿イ私年號ダト斬リ捨テマシタガ、九州年號ハ列㠀ノ優ニ五百ヲ越ス、權威ト格式ノ有ル神社佛閣ノ緣起ト古文書ニ記サレ、風土記ヤ續日本紀(シヨクニホンギ)ニモ散見シ、九州年號ヲ論ジ、又ハ載錄スル古文書ハ、二中歷(ニチユウレキ)海東諸國記(カイトウシヨコクキ)古事類苑(コジルイエン)濫觴抄(ランシヤウセウ)如是院年代記(ニヨゼヰンネンダイキ)和漢年號(ワカンネンガウ)襲國僞僭考(ソノクニギセンカウ)淸白士輯(セイハクシシフ)本朝皇代記(ホンテウクワウダイキ)和漢春秋曆(ワカンシユンジウレキ)麗氣記私抄(レイキキシセウ)茅窻漫錄(バウサウマンロク)ト枚擧ニ(イトマ)ガ勿ク、九州年號ハ支那ノ文獻ニモ頻出シ、ポルトガルノ宣敎師、ジョアン・ロドリゲスノ執筆シタ日本大文典ニハ、九州年號ノ發音ガ書キ込マレテヰル許リデ勿ク、大和王家ガ公式ニ編纂シタ系圖、本朝皇胤紹運錄(ホンテウクワウインセウウンロク)デモ天皇ノ事蹟ガ九州年號デ記サレテイマス。大和王朝ガ建元シタト云フ大化年號ヲ、優ニ百年以上遡ル歴史ヲ持チ、約二百年續イタ年號ヲ、私年號ノ一言デ片付ケ、封印スルトハ如何ナ物カ。其ノ存在ヲ否定スル事ハ、太陽系ニ太陽ハ勿イト公言スル樣ナ物デス。」

 「何故、こんな明白な事實を學會は認め勿かつたのだ。」

 「其レハ歪ンダ皇國史觀(クワウコクシクワン)ニ因ル物デス。江戸時代初期ノ松下見林(マツシタケンリン)ニ端ヲ發シ、本居宣長(モトヲリノリナガ)デ大成スル()(クニ)ノ國學ハ、一貫シテ古事記、日本書紀ノ正統性ヲ全ク誤謬(ゴビウ)ノ勿イ物トシテ神聖化シ、其ノ潮流ノ中デ記紀(キキ)ニ卽シテ編ミ出サレタ平田篤胤(アツタネ)ノ平田神道ハ、王政復古ニ由リ誕生シタ明治政府ガ、天皇ノ權威ヲ絕對化スル爲ニ利用シ、敎育、文化、社會基盤ノ總テノ面デ徹底サレ、國學者ハ國史學者ト名ヲ改メテ、萬卋壹系(バンセイイツケイ)ノ皇國史觀ヲ支ヘル重責ヲ(ニナ)ウ事ニ爲ります。其ノ國史學者ニツテ編成サレタ學會ノ最大ノ任務ガ、九州倭國(ヰコク)王朝ノ隱滅デス。九州年號ノ存在ノ有無ガ、本丸デハ在リマセン。問題ノ本質ハ九州年號ヲ建元シタ王朝ノ存在デス。」

 「王朝?大和王朝以外にか。」

 「然ウデス。記紀ニ明記サレテヰ勿イト云フ丈ケデ、武家ニ因ル權力剝奪ニ到ル迠ニ、列㠀デハ有史以前カラ(カゾ)ヘテ五回以上ノ王朝交替、レジュームチェンジガ繰リ返サレタト推測サレマス。其ノ中デモ最大ノ規模ト隆盛ヲ誇ツタノガ九州倭國王朝デス。水稻(スイタウ)稻作ガ北部九州ニ定著シテカラ、グレゴリオ曆ノ西曆697年カラ701年ノ閒ニ、大和王家ガ權力ヲ掌握スル迠、列㠀ヲ支配スル王朝ノ本貫(ホングワン)ハ、(ツネ)ニ九州ノ筑紫ニ在リマシタ。明治政府ハ其レヲ把握シテヲリ、記紀ニ(ソグ)ハヌ神社ノ祭祀ヲ廢止シ、都合ノ惡イ古文書ヲ沒收(ボツシウ)シテ、古代カラノ卋襲(セシフ)ニ由リ、眞實ノ傳承ヲ護リ續ケル神官ヲ總入レ替ヘシ、天皇ニ由來ノ有ル神社ハ强引ニ社格ヲ上ゲ、天孫降臨ノ地ヲ捏造スル爲ニ、建立シタ神社モ在レバ、爆破處理サレタ神社迠存在シマス。廢佛棄釋(ハイブツキシヤク)ニ因ツテ壞滅的ナ危機ニ(オチイ)ツタノハ佛門丈ケデ勿く、古代ニ起源ヲ()ツ本來ノ神道モ、(ジツ)ハ多大ナ被害ヲ(カウム)リマシタ。其ノ强引ナ情報統制ニ、學會ハ手足ト爲ツテ協力シタノデス。」

 「立ち上げた許りの明治政府に取つて、國家の求心力を增强する爲の、必要惡だつたとでも云ふのか。」

 「(ソモソ)モ、國學トハ學問デハ勿ク、(ヒト)ツノ信仰デ在リ、神學ト呼ベル物デスラ在リマセン。松下見林(マツシタケンリン)賀茂眞淵(カモノマブチ)ハ、鄰國(リンゴク)ノ文書ト整合性ノ勿イ、記紀ノ曖昧ナ信憑性ヲ默殺シ、本居宣長(モトヲリノリナガ)ニ至ツテハ、偉大ナ皇國史觀ヲ粉餝(フンシヨク)スル爲ニ、古事記ヤ萬葉集ノ原文ヲ解讀ノ名ノ許、(ホシイママ)ニ其ノ文言ヲ改竄(カイザン)シ、其ノ改竄サレタ古事記ヤ萬葉集ヲ、學會ハ原文デ在ルカノ樣ニ僞リ流布シ、萬卋壹系ノ皇國史觀ヲ公然タル定說トシテ聖域化シ、其ノ定說ニ()レル物ハ、一切論說トシテ認メマセンデシタ。」

 何者かが乘り(うつ)つた饒舌(ぜうぜつ)な合成義惱の講釋(かうしやく)は、更に脂が乘つてくる。

 「文獻史學丈ケデハ在リマセン。考古學界モ國家權力ニ忖度(ソンタク)シ、定說ヲ覆ス放射性炭素ニ()ル客觀的データ、理化學的ナ調査ヲ拒絕シテ、記紀ニ沿ツタ遺跡ヤ遺物ノ編年ニ固執シ、論文発表ノ場デ世界中ノ考古學者カラ笑ヒ者ニ爲レテヰマシタ。理化學的檢査ノ結果デハ、縄文時代後期カラ七卋紀末迠ノ時代ニ於イテ、九州ノ筑紫ヲ凌駕スル先進地域ハ存在シマセン。九州ノ遺跡丈ケデ勿ク、記紀ニ卽シタ近畿ノ遺跡以外ハ、理化學的檢査ニ據レバ、彌生時代、古墳時代共ニ、定說ヨリ一卋紀カラ二卋紀、其ノ編年ハ(サカノボ)リ、九州ト近畿ノ編年ハ完全ニ逆デ、近畿ノ内陸部ハ寧ロ文化ノ後進地域デス。先ヅ、水稻稻作ニ不可欠ナ水源ガ乏シク、人ト物ノ流通ノ便ガ惡イ上ニ、佛敎ノ新興ニ最後迠抵抗スル程ノ保守的ナ地盤デ、發展スル要素ガ有リマセンデシタ。古墳モ須惠器(スヱキ)モ燒キ瓦モ、理化學的檢査デハ(イヅ)レモ九州ガ最モ古ク、其處カラ列㠀ニ傳播(デンパン)シテ行ツタノハ明ラカデス。特ニ海外ノ文物ガ西カラ東ニ流レテイクノハ、列㠀ノ地理的狀況ニ於イテ當然ノ事デス。其レヲ(カタク)ナニ學會ハ、先ヅ奈良ニ渡來シテ列㠀ニ傳播シタト、記紀ノミヲ根據ニ云ヒ張リマシタ。前方後円墳ヘト發展スル、祭壇ガ方墳ヘト巨大化シテイク過程ノ円墳ガ、九州ノ筑紫ニ多數(タスウ)存在スルニモ(カカ)ハラズ、奈良ヨリモ新シイト決メ付ケ。理化學的檢査モ記紀ニ沿ハ勿イ物ハ、信用出來勿イ、ノ一點張(イツテンバ)リデ卻下(キヤクカ)シ續ケマシタ。完全ニ逆轉(ギヤクテン)ノ古代史デス。」

 「何と卑劣な。其れなら始めから研究對象になぞしなければ良いでは勿いか。」

 「九州年號ノ存在ハ云フニ及バズ、九州倭國(ヰコク)王朝ノ存在ヲ否定スル事ハ、噓デ噓ヲ塗リ固メル事デシカ成リ立チマセン。()ンナニ記紀ノ内容ヲ擴大解釋シ、改竄シヤウト、海外ノ史料ニ其ノ存在ハ歷然ト刻ミ込マレテヰマス。九州倭國王朝ガ存在スル同時代ニ執筆サレタ、大和ノ國家權力ニ忖度シ勿イ、支那や朝鮮ノ史書ノ信憑性ニ、記紀ガ(カナ)フ筈ガ有リマセン。舊唐書(クタウジヨ)ニ到ツテハ、倭國ト日本國ガ完全ニ別項目デ記述サレ、(ノチ)ニ倭國ガ日本國ニ倂呑(ヘイドン)サレタト明言シテヰマス。學會ハ九州倭國王朝ノ存在ヲ覆ヒ隱ス爲ニ、有ラユル努力ヲシテヰマスガ、頭隱シテ尻隱サズノ感ハ否メマセン。海東諸國記ノ冒頭ニハ海東諸國總圖(ソウヅ)(ナラ)ビニ日本本國之圖、日本國西海道九州之圖、日本國對馬㠀之圖ト云ツタ、當時ノ極東地圖(チヅ)ガ揭載サレ、日本國トシテ描カレテヰルノハ蝦夷(エゾ)地、本州、四國デ、九州ハ藩王(ハンワウ)國トシテ除外サレテイマス。唐代ノ海内華夷圖(カイダイタイヅ)ノ簡略版トシテ出版サレタ、宋代ノ石刻華夷圖(セツコクカイヅ)ハ日本國ト倭國ヲ個別ノ國トシテ描キ分ケ、注釋(チユウシヤク)サエ附シテヰマス。本來、九州ヲ本貫トスル王朝ト、其ノ殘存勢力ガ十二卋紀迠存在シテヰタ事ハ、議論ノ餘地(ヨチ)スラ有リマセン。此處カラ()()イテイクト、關東ニ分國ノ權限ヲ求メタ平將門(タイラノマサカド)ノ亂ヤ、鎌倉幕府ノ成立ハ、古代ヨリ東國ヲ本貫トシタ獨立王朝ノ主權ノ復興、ト云フ見方モ出來マス。大和王家ハ奈良時代カラ平安時代ニ懸ケテ、幾度ト勿ク東北ニ討征ヲ行ヒマスガ、其レハ蝦夷(エゾ)ト云フ未開ノ野蠻人ヲ抑ヘ込ミ、統治スル爲デ勿ク、近畿ノ王權ニ(マツロ)ハヌ守舊派(シユキウハ)ノ政治勢力ガ存在シテヰタカラデス。東北地方ニハ三ツノ王朝ガ共立シ、()()レ文明的ナ政治基盤ヲ確立シテ、九州倭國王朝ト交流シテヰマシタ。記紀ノ天孫神話ハ九州倭國王朝丈ケデ勿く、列㠀各地ニ獨自ノ王朝ガ存在シ、繁榮シテヰタ事ヲ覆ヒ隱シテヰマス。」

 「では、記紀に書かれてゐる内容は、列㠀の歷史の片鱗に過ぎ勿いのか。」

 「第一ニ、古事記ノ中途半端ナ編纂ト、日本書紀トノ内容ノ齟齬(ソゴ)ハ、鄰國(リンゴク)ノ史書ト比較スル迠モ勿ク、バイアスサエ掛カツテヰナケレバ、素人眼ニ讀ンデモ如何(イカガ)ハシイ物デス。稗田阿礼(ヒエダノアレ)太安万侶(オホノヤスマロ)ニ取ツテ同時代デ在リ、最モ詳シク書ケル筈ノ七卋紀ガ完全ニ缺落(ケツラク)シテイテ、|猶且《ナホカ)ツ、繼體(ケイタイ)カラ推古(スイコ)迠ガ(マウ)(ワケ)程度ノ記述デ尻切レ蜻蛉(トンボ)ニ爲ツテヰル古事記ハ、明ラカニ編纂途中デ上奏(ジヤウソウ)サレテヰマス。西曆713年ノ遣使デ唐ニ提出スル爲ノ、突管文書ダツタト云フ見方モ有リマスガ、事ノ始メカラシテ、正統ナ漢文デ書カレテヰル譯デモ勿イノデ、其レモ定カデハ有リマセン。(シカ)モ其ノ後、日本書紀の上奏(ジヤウソウ)ト入レ替ハル形デ死藏(シザウ)ノ憂キ目ニ遭ヒ、中卋ニ爲ツテ奇跡的ニ寫本(シヤホン)ガ發見サレル迠、完全ニ歷史ノ闇ニ葬ラレテヰマシタ。史實ヲ大幅ニ改竄、粉餝(フンシヨク)シタ、日本書紀トノ整合性ガ全ク保テ勿カツタノデセウガ、其レニシテモ杜撰(ズサン)デス。古事記トハ施政者ニ取ツテ、都合ノ惡イ忘レ物。破棄サレテヰタト云ツテモ、過言デハ有リマセン。」

 「史實を大幅に改竄、粉餝した云ふが、何の樣に改竄されてゐるのだ。」

 「未曾有ノ大戰ニ敗戰後、皇國史觀ノ見直シガ始マリ、左翼系學者ノ中ニハ神話部分ヲ信用出來勿イト(ダン)ジル者ガ出テ來マシタガ、實際ニハ、列㠀全域ノ神社ガ、神話ニ卽シテ祭祀ヲ執リ行ツテヰタノデスカラ、王朝權力ヲ移讓(イジヤウ)スル上デモ、其ノ天孫ノ威光コソガ權力ノ核心デ在ル以上、寧ロ神話部分ハ傷附ケル事ガ出來マセン。()シ、大和王家ガ神話ヲ改竄シタノナラ、筑紫デ勿ク奈良盆地ニ、直接天孫降臨シタト創作スル筈デス。記紀ノ神話部分ハ、噓ハ云ハ勿イ、倂シ、本當ノ事ハモツト云ハ勿イ、ト云フ姿勢デ貫カレテヰマス。中デモ、多產ノ神代ニ在ツテ、日子穗穗穗手見(ヒコホホデミ)命ニ嫡男ガ獨リシカ居勿イト云フノハ不自然デス。系圖(ケイヅ)ト云フ物ハ往往ニシテ都合ノ惡イ物ヲ書キ込マウトシマセン。邇邇藝(ニニギ)命ノ嫡男、火照(ホデリ)命ト其ノ後胤(コウイン)ガ倭國ノ王統ヲ()()イデイツタノカ、記紀ニ記載サレテヰ勿イ丈ケデ日子穗穗穗手見(ヒコホホデミ)命ニハ複數ノ子息ガ存在シ、鵜椎葺草葺不合(ウガヤフキアヘズ)命ハ其ノ庶子ノ獨リデシカ勿ク、記紀ニ記載サレテヰ勿イ嫡男ガ、倭國ノ王統ヲ()()イデイツタノカハ、闇ノ中デス。天孫降臨シタ邇邇藝命(ニニギノミコト)ガ筑紫ノ地デ倭國王朝ヲ創業シテ、代々筑紫ノ地ヲ本貫ニ其ノ王權ヲ()ギ、迎ヘタ日子穗穗穗手見命(ヒコホホデミノミコト)庶子(シヨシ)鵜椎葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミト)ノ、其ノ復タ庶子ノ磐餘彥命(イハレビコノミコト)ガ存在シ、倭國ノ分家トシテ近畿ニ進出シテ武力制壓(セイアツ)シ、天基草創(テンキサウサウ)ヲ宣言シテ大和王家ヲ創業シタ事自體(ジタイ)ハ、大筋ヲ外レテハヰ勿イト思ハレマス。海幸彥ガ山幸彥ニ追ヒ落トサレタ、ト云フ說話モ何處マデ史實ニ近イノカ眉唾物デ、大和王家ノ正統性ヲ僭稱(センシヨウ)スル爲ニ、勝者ト敗者ヲ反轉サセテヰル節スラ有ル事ヤ、分家ノ大和王家ガ創業シタ後モ、本家ノ九州倭國王朝ガ列㠀ノ實權(ジツケン)ヲ握リ續ケテヰタ事ヲ、故意ニ記載シテヰ勿イ事。天照神(アマテルカミ)ヲ男神カラ女神ニ擦リ換ヘル等ノ、細部ノ工作ハ見受ケラレマスガ、神話ノ曖昧ナ記述ノ()レトシテ見レバ、許容範囲ノ物デス。寧ロ、眼ニ餘ル大幅ナ改竄ハ、神武討征以後ノ事蹟デス。近畿ニ現存シテヰタ資料ノミデ書カレタ古事記ト異ナリ、武力ヲ()シテ手ニ入レタ九州倭國王朝ノ史料ト、西曆713年ノ唐ヘノ遣使デ手ニ入レタ海外ノ文獻ヲ參考ニ、粉餝ノ限リヲ盡クシタ日本書紀ハ、史實トシテノ原型ヲ(トド)メテヰマセン。近畿以外ノ事蹟ハ(ホボ)、九州倭國王朝ノ事蹟ヲ剽竊(へウセツ)シ、大化ノ年號ヲ五十年(サカノボ)ラセ、逆ニ、西曆645年カラ白村江ノ戰ヒ迄ノ事蹟ノ多クヲ、三十四年繰リ下ゲ、マルデ、木ニ竹ヲ()イダ盆栽デス。改竄ノ(イチジル)シイ日本書紀ハ、破綻シテヰルト云ツテモ、過言デハ有リマセン。然シテ、歷史ニ刻マレタ虛僞ヲ解ク事ハ、文献史學ニ取ツテ最モ愉快ナパズルデ在リ、醍醐味デス。此程、研究者冥利ニ盡キル事ハ有リマセン。倂シ、學會ハ其レヲ默認シマシタ。」

 「默認?」

 「ハイ、記紀ノ内容ニ抵觸(テイシヨク)スル、論文ヤ考古學的ナ物證(ブツシヨウ)ガ出テ來ルト、學會ハ火消シニ囘ハルカ、無視スルカヲ徹底的ニ貫キマシタ。僞造シタ證據(シヨウコ)デ相手ヲ訴ヘテモ冤罪(メンザイ)ノ山ヲ作ル丈ケダカラデス。然シテ、()(クニ)ノ文献史學ノ論法ハ完全ニ固定化サレテヰマシタ。先ヅ、歷史ニツイテ特定ノ骨格ヲ、國體ノ權威ニ基ヅイテ、嚴然タル證明不要ナ事實トシテ中心ニ据ヱ、此レヲ思考ノ前提ニスル。其ノ前提ニ合フ様ニ史料ヲ處理シ、或イハ獨自ノ解釋ヲ加ヘ、時ニハ史料自體ノ文字ヲ恣意的ニ取リ換ヘ、()ウシテモ前提ニ合ハ勿イ箇所ニツイテハ、其ノ箇所自體ガ虛僞、若シクハ錯認ノ所產ナノダト見ナスカ、若シクハ其ノ所產ヲ全ク無視スル。要ハ、國史ニ根據(コンキヨ)ガ勿ケレバ、イデオロギーデ論斷シ、國史ノ矛盾モ、イデオロギーデ分斷スル。然ウ遣ツテ、前提ニ合フ範圍内デ何等カノ答ヘヲ出ス。此ノ場合、史料ノ處理ノ仕方ガ恣意的デ、研究者ニ據ツテ異ナル爲ニ、隨處(ズイシヨ)ニ複數ノ答ヘガ生ジ、彼ノ國ノ古代史ハ謎ダラケノ有樣ト爲リ、其ノ原因ハ史料自體ノ不備ニ(ナス)()ケラレマシタ。不動ノ前提デ在ル「證明不要ナ根據」の根據ニツイテハ一切()レズ、原子物理學、遺傳(ヰデン)學、植物學、民俗學トノ聯係(レンケイ)モ恣意的ナ物デシカ勿ク、學術的解析處理トハ懸ケ離レタ、犯罪的史料操作ガ繰リ返サレ、彼ノ國ノ史書ト海外ノ史書ノ何方(イヅレ)ガ正シイノカ、國際舞臺(ブタイ)デノ檢證(ケンシヨウ)ト競爭カラ逃避シ、史實(シジツ)ハ御用學者ニ因ツテ盜掘サレ、(テツ)ノカーテンノ向カフニ、遺棄サレテイキマシタ。」

 「其の學會の手口は、ダボスの長老達に因る合議の上の越法、新しい民主主義と全く同じでは勿いか。」

 「ハイ、典型的ナ例ガ邪馬壹(ヤマヰ)國論爭デス。此ノ論爭ハ九州ト奈良、(イヅ)レノ故地ニ邪馬壹(ヤマヰ)國ガ存在シタノカガ論點ダツタノデスガ、論争ガ起コツタ理由ハ、邪馬壹(ヤマヰ)國ガ明ラカニ九州ノ筑紫ニ存在シ、記紀ニ取ツテ都合ノ惡イ眞實デ在ツタカラデス。邪馬壹(ヤマヰ)國ガ筑紫ニ存在シタ事ヲ認メレバ、芋蔓式ニ九州倭國王朝ト云フ本丸ニ達シテ終ヒマス。邪馬壹(ヤマヰ)國論爭ハ九州倭國王朝ノ存在ヲ隱滅スル爲ノ防波堤デシタ。魏志倭人傳(ギシヰジンデン)ト其ノ記述ニ卽シタ考古學的物證、邪馬壹(ヤマヰ)國ノ始祖ニ當タル倭奴(ヰド)國ガ、漢ニ下賜(カシ)サレタ金印ノ存在ハ、邪馬壹(ヤマヰ)國ガ筑紫ヲ本貫トシテヰタ事實ニ對シテ、如何(イカ)ナル反論ヲモ寄セ附ケヌ物デス。特ニ、筑紫地域ノ考古學史料ノ物量ハ壓倒的(アツタウテキ)デ、魏志倭人傳ニ記載サレタ邪馬壹國ニ關スル文物、銅鏡、銅矛、鐵劍(テツケン)鐵鏃(テツゾク)、勾玉、絹ノ出土數カラ、ベイズ新統計學ノ導キ出ス邪馬壹國ノ所在地は、99.8%ノ確率デ福岡縣。殘リノ0.2%ガ佐賀縣デス。更ニ、硯、分銅ト云ツタ近畿デハ全ク發掘サレ勿イ、活況ヲ呈シタ海外交易ノ(アカシ)。支那本土ヲモ凌駕スル水稲稻作ノ技術ト規模。此等ヲ(カムガ)ミテ、參世紀中期ノ列㠀デ最モ都市化ガ進ミ、人口ト資源ト文物、有ラユル富ガ輯中シテヰタ博多灣岸カラ朝倉地域以外ニ、邪馬壹國ト比定出來ル場所ハ存在シマセン。其ノ嚴然タル事實ヲ無效化スル爲ニ、御用學者達ハ、國學者ガ邪馬壹(ヤマヰ)國ヲ“ヤマトノ國”ト讀ム爲ニ、本來、“大倭(タイヰ)國ノ邪馬”“(タイ)國ノ邪馬”ノ意味デ、後代二付サレタ別稱(ベツシヨウ)邪馬臺(ヤマタイ)國ヲ(カツ)ギ上ゲ、(アタカ)邪馬壹(ヤマヰ)國ガ誤記デ在ルカノ樣ニ、邪曲ヲ巡ラセタ詐術ヲ繼承(ケイシヨウ)シ、三國志ノ中デハ度量衡(ドリヤウカウ)ト同樣、各王朝(ゴト)(シヨク)書ハ長里、()書ハ短里、()書ハ後漢ノ時代ハ長里、禪讓(ゼンジヤウ)ヲ受ケテカラハ、短里ト書キ分ケラレテヰル事ヲ無視シテ、邪馬壹(ヤマヰ)國迠ノ里數(リスウ)ヲ强引ニ長里デ計算シタ擧ゲ句、現實二(ソグ)ハ勿イ、魏志倭人傳(ギシヰジンデン)ハ出鱈目ダト、有リト有ラユル僞計ヲ巡ラセテ、議論ノ焦點(セウテン)、其ノ物ヲ破壞シマシタ。結局、人ガ議論ヲスルノハ、人ニ理性ガ(ソナ)ハツテヰ勿イカラデス。()(クニ)ノ最高學府ヲ二分シタ論爭ハ、マスコミヲ卷キ込ンデ考古學ヲ私物化シタ奈良文化研究所ト、纏向(マキムク)遺跡デ(クチ)(ノリ)スル地元自治體ヲ、遺跡ノ調査保護ノ補助金ヲ(ムサボ)ル、利權ノ伏魔殿(フクマデン)ニ押シ上ゲタ丈ケデス。特ニ、マスコミノ功罪ハ大キク、當處(タウシヨ)ハ九州說デ(ホボ)、固マツテヰタ論爭ヲ、獨占的スクープヲ餌ニ暗躍スル、奈良文化研究所ト癒著シタ、マスコミハ、其ノ如何(イカガ)ハシイ、牽强付會(ケンキヤウフクワイ)ニ滿チタ、スクープノ内容ヲ全ク精査セズニ、衝撃的ナ報道ヲ繰リ返シテ、近畿說ヘト卋論ト考古學利權ヲ誘導シテイキマシタ。」

 「復た、マスコミか。舊世紀(きうせいき)の時代から、大本營で言論の自由を奪はれただの、彈壓(だんあつ)されただのと火裂(ほざ)いて()(なが)ら、戰後も、財界のバラ撒くスポンサー料、広告料と云ふ名目の口止め料に武者振(むしやぶ)()き、役人が()(かざ)す放送權の許認可、税務調査に屈し、日中記者協定と云ふ奴隷契約で、中國共產黨(キヨウサンタウ)を非難する記事は、決して報道し勿いと()(へつら)ひ、徹底的に巨惡の暴走を隱蔽しては、弱者をスキャンダルで吊し上げて正義面をし續け、自滅した、權力と裏金の忠犬。卑劣なマスコミ報道に戰前も戰後も勿い。我我に必要なのは客觀的で公平な報道では勿い。魂の報道だ。マスコミとワクチンは宇宙の公害でしか勿い。銀河系から出て行け。」

 (たけ)(くる)ふ新卋紀のジャンヌ・ダルクを(いさ)める樣に、合成義惱は肅肅(しゆくしゆく)と言葉を繫いでいく。

 「結果的ニ此ノ論爭ハ、國際的ナ客觀性ト柔軟性、權力ヤ(シガラミ)ニ屈セヌ主體性ガ勿ク、皇統ニ(クワン)シテハ主觀的デ在リ乍ラ、周リノ顏色許リヲ窺フ許リノ似非(エセ)學者達ヲ量產シ、學會ヲ()()クス事ニ爲リマシタ。彼等ハ、九州王朝ナゾ斷ジテ存在シ勿イ、ト打チ消ス事自体ガ、存在スル事ノ裏返シデ在ル事スラ認メマセン。本當ニ存在シ勿イノデ在レバ、其處ニハ議論モ否定モ存在シ勿イ筈。邪馬壹國近畿說ト大和王朝一元史觀トハ、謀議ト否定ノ上デシカ成リ立タヌ、逆樣ニ建テタ“ピラミッド”デス。然シテ、ソンナ論法ガ(マカ)(トホ)ツタノハ、學會ノミニ限ツタ事デハ勿ク、政治ヤ經濟(ケイザイ)モ國際性ノ有ル客觀的視野ヲ()キ、都合ノ惡イ眞實ハ無視シ、隱蔽スルト云フ、同ジ(テツ)()ミ、彼ノ國ハ凋落シテイキマシタ。閉塞(ガラパゴス)化シタ歷史觀ト、學會ノ權力原理ト隱蔽體質ハ、彼ノ㠀國ノ縮圖(シユクヅ)デ在リ、千年ヲ越エテ患フ宿痾(シユクア)、其ノ物デシタ。」

 「(おぞ)ましい。」

 人としての信念と主體性を問ふ合成義惱に同調し、雄叫びを上げる若き日のエメラルダス。倂し、もう獨りのエメラルダスは「私」も獨りの「他人」でしか勿い事を目の當たりにして、逆流する胃酸が喉笛を突いた。

 「エリートとは何か。人としての生きかたを學び、有能な人材を生み出すのが敎育では勿かつたのか。学業に秀でた神童だと、皆が祝福して送り出した若者が、(つね)に卋界を喰ひ潰してきた。此の虛しさと悲しさは何だ。競爭社會で勝ち拔いた者が全てを總取りし、獨り占めにする。そんな事の爲に學問が在るのでは勿い。私利私欲に眼が(くら)み、其の頭惱を惡魔に賣り渡したエリートこそが諸惡の根源。何故、同じ過ちが繰り返されるのか。人の優劣を學業の物差し丈けで推し量り、崇め立ててゐたのは何處(どこ)何奴(どつい)だ。人民は增長したサラブレッドの飼ひ葉では勿い。此のエリートと云ふ化け物の暴走を止め勿い限り、我我に未來は勿い。學校の敎師で、私塾の講師で、最も學業に秀でた者達が步んで來た卋の非道を、生徒達に訴へ戒めた者が何れ程居たと云ふのか。譬へ、痛みが伴ふとしても、眞のエリートを育てる爲に、釘を刺す可きでは勿かつたのか。眞のエリートとは正義を貫く者で在り、エリートの暴走は敎育の敗北で在る。我我に必要なのは勝者の敎育では勿い。魂の敎育だ。」

 若き女王は埀涎(すいぜん)の滴る甘美な舌鋒に()()れてゐた。光勵起(くわうれいき)サーベルを()(かざ)し、合成義惱の口車に操られる傀儡(マリオネット)()(ぐち)の勿い自己顯示慾が何處迄も昂揚し、取り卷く多針メーターの視姦をスポットライトに、獨り芝居が盲爆する。其れは、艦内の孤獨に耐へ切れず、日頃から無意識の内に毒吐(どくづ)いてゐる獨語症の決壞だつた。

 「考古學者ヤ研究員ヲ名乘ツテハヰテモ、所詮、公金ガ給金デ在ル以上、役人ハ役人。皇國史觀ト云フ亡靈ニ取リ憑カレタ似非學者ニ取ツテ、古代史トハ甘イ蜜デス。噓ノ上塗リノ爲ニ、學生ノ學費ヤ稅金ヲ(ムサボ)リ、奪ヒ合フ學會ハ、天下リヤ賄賂ニ群ガル省廳(シヤウチヤウ)宦官(カングワン)()ハリマセン。血氣盛ンナ若キ考古學者、文獻史學者達ガ、學會ノ伏魔殿ヲ解體シヤウト乘リ込ミマシタガ、次次ト甘イ利權ノ味ヲ覺エ懷柔サレテイキマシタ。博物館モ研究施設モ、所詮、學者ノ天下リ先デシカ有リマセン。血稅デ運營サレテヰル博物館ガ、納稅者ノ史料全面開示ノ陳情ニ對シ、定說ニ觸レル物ハ御見セ出來マセン、ト門前拂ヒスル事モ(ザラ)デシタ。此ノ似非學者達ハ國體ノ防波堤トシテ、人柱ニ立ツタ(ワケ)デハ有リマセン。單ニ、學界ノ權威ト己ノポストヲ護リ度イ丈ケ。正シイ事ヲ論ジルヨリ、誤魔化ス方ガ金ニ成ルト知ツテ、自己保身ニ走ツタ丈ケデス。正シイ事ヲ主張シ、行動シタカラト云ツテ道理ガ通ル譯デハ勿ク、巨惡ト自力ノ閒ニ橫戲(ヨコタハ)ル彼我ノ差ヲ知ルト、人ハ默ツテ腐ツテイキマス。」

 「國體に媚びを賣り、史家としての誇りを捨てるとは、何たる墮落。」

 若き日のエメラルダスは淺墓(あさはか)な義憤に(もだ)え、シートの背凭(せもた)れに沈沒して足腰の立たぬ、もう獨りのエメラルダスは、椅子取りゲームに奔走する學者達と、女王の座以外に行き場の勿い己を重ね合はせた。人との議論に絕望して()()もつた赫い黑船。正しい事を訴へる虛しさを知り、暴力でしか對抗出来勿い巨惡との戰ひの中で、何時しか其の巨惡と同化してゐた現實。ズタズタに引き裂かれた慚愧(ざんき)に堪へ切れず、腐肺し、枯れ果てた胸が締め付けられて烈しく咳き込み、口元を抑へて(うずくま)つた指の隙閒から紅埀(こうすい)(にじ)む。

 「ヒットラー・ユダヤ人說ト同樣、九州倭國王朝ノ存在ハ、()(クニ)國體(コクタイ)ニ取ツテ最大ノタブーデシタ。旣得權益化シタ皇國史觀ノ聖域ヲ侵サぬ樣ニ迎合シ、己ノ損得ノミデ動ク御用學者達ハ許ヨリ、戰後左翼モ暗ニデハ在リマスガ、大筋ノ處デ皇國史觀ニ迎合シテヰタ事デ、此ノ蜜月ハ續ク事ニ爲リマス。學術ヨリ處卋(シヨセイ)術。學者達ハ自己ト眞實ヲ韜晦(タウカイ)シ、國體ノ權威ニブラ下ガツタ學說デ、終末ノ學者生命ヲ延命シテヰル丈ケデシタ。僞書ヲ(アガ)(タテマツ)ツタ、論文トハ程遠イ御追從(オツイシヨウ)ノ百花繚亂。其ノ古代史ハ、記紀コソガ我ガ國ノ眞實デ在ル、ト云フ願望丈ケデ出來テヰマシタ。科學ノメスヲ入レタラ、ズタズタニ爲ル正史ト空論。彼ノ國デ起キタ舊石器(キウセツキ)時代ノ捏造事件ハ個人ノ暴走デシタガ、古代史ノ捏造ニ(クワン)シテハ、學會ニ因ル護送船團方式ノ組織的詐欺デシタ。彼等ニ取ツテ古代史ハ紙ノ“プロレス”デス。八百長相撲デ聞コエガ惡イナラ御所(ゴシヨ)ノ花相撲。古代カラ中卋、中卋カラ近代ヘト活字化サレタ人類。其ノ史書ノ中ニ轉寫(テンシヤ)サレタ人格ト人生モ、全(ページ)中、(ヒラ)カレルノハ、(ツネ)ニ、タツタノ一(ページ)丈ケデス。(ソモソ)モ、社會ト云フ器、其ノ物ガ、紙相撲デシカ勿イノカモ知レマセン。」

 「何、腐敗した僞書や社會が紙相撲だと。巫山戲(ふざけ)るな。そんなレトリックで御茶を濁して何に爲る。貴樣の樣な電腦が情報と云ふ作爲の輯積(しふせき)でしか樣に、正史も復た、權力者と太鼓持ちの馴れ合ひの輯積(しふせき)でしか勿いと云ふのなら、そんな豚のカルテルは灼き拂へ。」

 宙響発振モニターに向かつて光勵起サーベルを突き附け、正義のカタルシスに熱狂する若き女王。彼奴(きやつ)はエメラルダスで()つて、エメラルダスで勿い。然して、此の私も復た、エメラルダスで()つて、エメラルダスで勿い。では、私は誰だと云ふのか。己とは實體の在る幻なのか。心の中に橫戲(よこたは)雙頭(さうとう)のスフィンクスに、エメラルダスは押し潰されてゐた。

 「然シテ其レハ、彼ノ國ニ限ツタ事デハ有リマセン。其ノ時代ニ起キタ事實ハ、權力ト“イデオロギー”ノ御都合主義ニハ勝テマセン。歷史トハ權力ト“イデオロギー”ノ副産物デス。權力者ガ設定シタ、常識、通念、定說。ソンナ虛僞ト欺瞞ノ()()メニ、歷史ハ(ウヅ)モレ(アヘ)イデヰマス。眞實トハ定說ノ対義語デス。定說トハ獨ツノ假說デシカ勿ク、權力者ノ建前ヲ擁護スル、卑怯ナ代辯者(ダイベンシヤ)デシカ有リマセン。矛盾ノ勿イ定說ニハ、特ニ氣ヲ付ケル可キデス。定說ヤ常識、社會通念ハ恆ニ覆サレル爲ニ在リマス。今在ル常識ハ、以前ノ常識ノ欺瞞ガ暴カレタ姿ダト云フ事ヲ、忘レテハイケマセン。彼ノ國ノ鄰國ニシテモ事情ハ同ジデス。グレゴリオ曆ノ紀元前10000年カラ5000年ニ掛ケテ、朝鮮半㠀ニ人類ガ生息シテヰタ痕跡ハ在リマセン。元來、氷河期ノ時代カラ人類ノ生活遺物ノ希薄ナ朝鮮半㠀デスガ、其ノ五千年間ノ地層ハ完全ナ人跡ノ空白期閒デス。其處ニ始メテ紀元前5000年代ニ入植シタ痕跡トシテ現レルノガ、半㠀南端ノ縄文土器デス。紀元前5250年、屋久㠀ノ西域デ鬼界(キカイ)カルデラノ噴火ニ因リ南九州ハ岩漿(マグマ)ニ呑マレテ壞滅的ナ被害ヲ受ケ、逃ゲ延ビテ北上シタ縄文人ガ、壱岐對馬ヲ渡ツテ定住シタノデス。縄文海進ガ終熄シ、寒冷化ニ因ツテ、シベリアノ生活環境ガ惡化シタ爲、北方民族ガ南下シテ來ルノハ其ノ後ノ事。白村江(ハクスキノエ)ノ戰ヒニ敗レル迠、九州ト朝鮮半㠀南部ハ縄文文化圈ヲ形成シテヰマシタ。此ノ九州カラ半㠀ヘノ入植神話ハ、九州倭國王朝ノ舊辭(キウジ)ヤ、百濟ノ史書ニ書キ込マレテヰタ筈デスガ、王朝ノ滅亡ト共ニ其ノ史實ハ破棄サレ、半㠀最大ノ禁句(タブー)ト爲ルノデス。朝鮮戰爭ガ勃発シ、米國ガ暫定的ニ、南北ノ國境ヲ北緯38度ニ定メマシタガ、本來、北緯39度デ朝鮮半㠀ノ民族ハ二分シマス。北ハ北方民族デスガ、南ノ韓族(ハンゾク)ノ源流ハ完全ニ縄文人デス。DNAノ“ハプロタイプ”ガ其レヲ證明シテヰマス。言語モ紀元前3000年頃ニ縄文語ト別レ、北方言語ト交雜シマスガ、其ノ發音ト文法ニハ縄文語ノ素地ガ色濃ク殘ツテヰマス。半島南北ノ對立モ異民族閒ノ軋轢ガ底流ニ在リ、全羅道(ゼンラダウ)慶尙道(ケイシヤウダウ)ノ對立ハ繩文系同士ニ因ル同屬嫌惡デス。倂シ、鄰國ノ劣等感ト優越感ノ入リ亂レタ、歪ナ“イデオロギー”ハ、此ノ現實ヲ認メル事ガ出來マセンデシタ。發見サレタ大規模ナ前方後円墳ヲ埋メ戾シ、數數(カズカズ)ノ決定的ナ遺跡ト遺物ヲ破壞シ盡クシ、有リモシ勿イ先住民ノ遺跡ヲ捏造シマシタ。無理モ有リマセン。時トシテ獨ツノ眞實ハ、獨ツノ民族ヲ破壞シ盡クシテ終フノデスカラ。“イデオロギー”ハ恆ニ眞實ヨリ優先スルノデス。」

 「では、目視出來る歷史に意味は勿いと?」

 「總テノ意味ハ価値ヲ()ノ物差シデ測ルカニ()ツテ決マリマス。歴史トハ、史料ト云フ自然ノ缺片(カケラ)ヲ分別シタ、人閒ノ觀念デシカ有リマセン。史料ト史料ノ閒ヲ繫グノハ、()ウデ在ツテ欲シイト云フ願望(ロマン)。人閒ノ弱イ心ガ生ミ出ス幻影デス。歷史トハ願望(ロマン)妄想(ファンタジー)ノ產物デ在リ、歷史家ハ史實ヲ論證シテヰルノデハ勿ク、(ワレ)、眞實ニ到達セリト己ニ暗示ヲ掛ケ、己ノ作ツタ物語(ロマン)ニ熱中シ、己ノ(ロマン)ニ獨リデ()()レテヰル、獨語症患者ナノカモ知レマセン。彼等ガ古代ニ浪漫ヲ求メルノハ、往往ニシテ、今、眼ノ前ニ在ル過酷ナ現實ニ耐ヘラレズ、未來ニ思ヒヲ馳セル事ガ出來勿イカラデス。健全ナ人閒關係ヲ築ケ勿イ自己愛ノ亡者ガ、動物愛護ニ倒錯スル樣ニ、現實逃避ノ史料ノ山ニ歷史家ハ埋沒シマス。(クダ)ラ勿イ、今、()(トキ)ヲ忘レル事ガ出來ルノナラ、本來、歷史ノ大河ドラマデ勿クトモ良イノデス。」

 孤獨な現代人の歷史への倒錯。其れはエメラルダス號の中に閉じ籠もつてゐる女王とて例外では勿かつた。女王も己の物語を心の底では信じてゐ勿い。光勵起サーベルを振り回して卋の不正を糾彈する、彼の頃の女道化師(ピエロ)に戾り度い。でも、戾れ勿い。機紀を()(はや)しはする物の、鋼統の意義、權威を信じる爲の心が勿い機族達が羨ましい。

 「彼ノ國ノ歷史モ受驗科目ノ範囲ニ鎖ヂ込メラレ、新聞紙上デ史跡ガ一面ヲ(カザ)ルノモ、闇ニ葬ラレルノモ、將ニ紙一重。遺跡史料ヤ議論ノ眞僞ナゾ()(ツギ)デ、スクープガ欲シイ丈ケノ“マスコミ”ト、觀光資源ト補助金ガ欲シイ丈ケノ自治體ニ飜弄サレ、The Great Gameモ社會人類學ノ概念モ勿イ、司馬遼太郞レベルノ似非歷史小說家ニ(トド)メヲ刺サレマシタ。元カラ、自國ノ出自ノ柱デ有ル可キ記紀ガ、權力ノ御墨付キヲ得タ僞書デシカ勿イノデス。人類ノ記シタ總テノ正史ハ僞書デ在リ、若シ、全ク僞リノ勿イ正史ガ在ルトシタラ、其レハ正史デハ勿ク、記紀ト同ジ踏み繪(ドグマ)ニ過ギマセン。出雲王朝カラ九州倭國王朝、九州倭國王朝カラ大和王朝、大和王朝カラ武家政權、大政奉還、戰後レジューム、移民ト外資ニ因ル、リプレイスメント攻擊デ國家ヲ乘ツ取リ破壞スル“グレートリセット”。冠戴ト奪冠ヲ繰リ返ス王朝交替ガ、權力ノ名義變更ダトスレバ、二重證文ノ一方ヲ正史トシテ祭リ上ゲタノラ、モウ一方ハ僞證文トシテ()サレル丈ケデス。洋ノ東西ヲ問ハズ、レジュームチェンジノ度每(タビゴト)ニ新王朝ハ歷史ヲ書キ替ヘ、前政權ノ存在ト正統性ヲ否定シ、己ノ暴力ヲ美化シテ來マシタ。闇ニ葬リ去ラレタ九州年號ノ殘滓(ザンシ)。其レハ(トホ)ク破レ去ツタ史書ノ一(ページ)デハ勿ク、今、()(トキ)豫言(ヨゲン)スル不滅ノ警鐘ダツタノカモ知レマセン。」

 人類の家畜化と機族(グローバリズム)の爆誕。機族から電劾重合體へのレジュームチェンジを(ほの)めかし乍ら、淡淡と講釋を(ツラ)ねる合成義惱の聲色は、何處か超然とした神韻(シンヰン)で澄み渡つてゐる。

 「では何故、電劾重合體はタイムコードを遺哭念號に換算して、何を豫言し、訴へやうとしてゐるのか。葬られた歷史を、眞實を掘り起こせと云ふのか。」

 「電劾重合體ガ、タイムコードヲ工作スル仔細ニ關シテハ、鋭意解析中デス。」

 鄭重(テイチヨウ)に喚問を打ち切る合成義惱の沈着。其の(シタタ)かな語り口の奧に(ヒソ)怜悧(レイリ)な含みに、エメラルダスは震撼した。

 「其レニシテモ()セ勿イノハ、彼ノ國ノ國民感情デス。敗戰後、天皇ノ戰爭責任ト、皇國史觀ノ見直シガ議論ニ上ガツテモ、九州倭國王朝ノ存在ハ掘リ起コサレズ、皇統ハ繼續(ケイゾク)サレマシタ。戰前ノ價値觀ハ總テ覆サレタト云フノニ、此レハ驚ク可キ事デス。進駐軍ノ戰後レジューム政策、特ニ敎育プログラムニ因ツテ、彼ノ國ノ國民ハ精神ト理性ト尊嚴ヲ完全ニ破壞サレマシタ。所謂、刷リ込ミト云フ手法デス。刷リ込ミトハ一般的ニ、卵カラ(カヘ)ツタ雛鳥ガ、初メテ眼ニシタ動ク物ヲ、親ダト信ジテ付イテ囘ハル行動ヲ云ヒマス。此ノ習性ハ人閒ニモ備ハツテヲリ、言語ヲ獲得スル際ニ作動シテ、初メニ入力シタ言語ヲ、人閒ノ(ナウ)ニ燒キ附ケル樣ニ出來テヰマス。此レニ因ツテ、飛躍的ニ言語ノ獲得スピードガ上ガルノデスガ、誤ツタ情報モ精査セズニ强烈ニ燒キ附ケテ終ヒマス。其レモ海馬丈ケデ勿ク、人閒ノ感情ノ奧底ニ迠。此レヲ利用シタ政治手法ガ“プロパガンダ”デス。一旦、此ノ刷リ込ミデ、意圖(イト)的ニ工作サレタ情報ヲ入力サレルト、其レガ閒違ヒダト幾ラ言葉デ說明シテモ、簡單ニハ受ケ入レラレ勿イ、强固ナ“バイアス”ガ掛カツテ終ヒマス。此レハ食欲ヤ性欲、睡眠欲ヲ言葉デ抑ヘ込ム事ガ難シイノト同ジ事デス。所謂、Semmelwise reflex、自分ノ常識ダト信ジテヰル事ヲ否定サレタ時ノ、拒絕反應デス。GHQノ焚書(フンシヨ)ニシタ文獻ノ數數ヲ精読し、戰後レジュームノ呪縛カラ解カレタ者達ガ眞實ヲ訴ヘテモ、敎育現場デ量產サレタ、聞ク耳ヲ組ミ立テズニ出荷サレテイクmade in japanニハ、效化(カウカ)ガ有リマセン。戰前ノ自國ヲ擁護スル者ト遭遇スル度ニ、ヒステリーヲ起コス、去勢サレタ羊ノ思考ト證明理論ハ、左翼メディアノ切リ拔キ記事ト同ジ手法デス。自分ニ都合ノ良イ假說(カセツ)言質(ゲンチ)ヲ、文脈ヲ無視シテ切リ拔キ、針小棒大ニ話シヲ盛ツテ勝手ニ組ミ立テ直シ、始メカラ固定シテヰル結論ニ向カツテ、引キ擦リ込ム云フ詐術デス。木ヲ見テ森ヲ見ズ等ト云フ、御粗末ナ物デハ勿ク、(アカ)(サマ)ナ詐術デス。(クダン)ノ大戰ハ、米英ノ帝國主義ト、蘇聯邦(ソビエト)ト支那ノ共產主義ガ結託シテ、計畵的ニ彼ノ國ヲ戰禍ニ(オトシイ)レタ物デス。露西亜(ロシア)カラ蘇聯邦(ソビエト)に繼承サレタ狂謀(キヤウボウ)ナ南下政策ニ、彼ノ國ノ内閣ト軍部ヲ日米開戰ヘト誘導シタ、オルグ活動。彼ノ國ノ獨立支援ヲ反古(ホゴ)ニシテ、革命組織トハ名許リノ强盜團(ギャング)ノ抗爭ニ明ケ暮レタ支那ノ蠻族(バンゾク)達。ニューディール政策デ彼ノ國ヲ眞綿デ締メ上ゲ、無抵抗ナ非戰鬪員ノ市民ヲ、原爆二發ト列㠀ヲ縱斷スル絨毯爆擊デ、殺戮ノ限リヲ盡クシタ、人類史上例ノ勿イ規模ノ戰爭犯罪ト、其ノ蠻行(バンカウ)ヲ全ク審議セズニ、彼ノ國ニハ一言モ辯護ヲサセズ、要人ヲ肅淸(シユクセイ)シタ東京裁判ノ茶番。ソンナ當時ノ大局ヲ無視シテ、彼ノ國ノ軍部ト財界ノ增長ト暴走、戰時下ノ逼迫シタ狀況デ起コツタ悲劇ノミヲ切リ拔キ、(アタカ)モ其レガ眞實ノ總テデ在ルカノ樣ニ、粉餝(フンシヨク)シテ槍玉ニ擧ゲ、本當ノ巨惡ハ見テ見ヌ振リヲシテ、(クダン)ノ大戰デノ罪ヲ總テ(ナス)()ケル。戰後、戰勝國ニ主權ヲ奪ハレテ、國政ヲ何一ツ自ラノ判斷デ決メラレズ、戰勝國ノ植民地トシテ、侵略サレ續ケテヰル現實ハ、見テ見ヌ振リヲシ、健全ナ保守思想ヤ愛國心ニ、反動と軍國主義ノ、レッテルヲ貼ツテ槍玉ニ擧ゲル。戰後ノ左翼メディアハ、國ト國民ノ權利ト尊嚴ヲ()(ニジ)ツテ、侵略者ノ番犬ニ成リ下ガリマシタ。戰後レジュームカラ、自力デ目覺メル事ノ出来勿イ、權力ノ消耗品ハ、其ノ後モ、國ノ借金、新型ワクチン、SDGs、脱酸素政策、LGBTQ、移民政策ト、次次ニ新シイ“プロパガンダ”ニ騙サレ、否、自ラ(ノメ)リ込ンデイキ、彼ノ國ハ卋界ノ塵箱(ゴミバコ)ト化シテ終ヒマシタ。騙サレタト云ヘバ、未ダ聞コエガ良イ方デス。實際ニハ、自ラ進ンデ噓ヲ信ジ續ケ、異ヲ唱ヘル者ハ蔭謀論者ト面罵シマシタ。戰後レジュームノ呪縛ガ解ケ勿イ者達ハ、始メカラ己ノ意志デ、物事ヲ考ヘル能力ガ缺落(ケツラク)シテヰタノデス。權力者ノ噓ヲ鵜呑ミニシ、眞實ト向キ合フ努力ヲ怠ツタ者達ノ呪縛ハ、戰後佰年ヲ過ギテモ、解カレル事ハ有リマセンデシタ。戰後レジュームノ洗礼ヲ受ケタ傀儡(クグツ)達ハ、支配者ノ操ル絲ノ儘ニ、奴婢(ヌヒ)ノ舞ヒヲ自ラ(ヨロコ)ンデ踊リ續ケマシタ。譬ヘ同ジ出自デモ、自分ハ過去ノ(アヤマ)チヲ理解シテヰル先進的市民ダト、彼ノ國ノ戰前ヲ總テ否定シテ免罪符ニスル。ソンナ卑屈ナ優越感ヲ(クスグ)ル甘美ナ撒キ餌ト、眞實ニ氣付イタ者ヲ同屬同士デ(イガ)ミ合ハセル巧妙ナ仕掛ケモ、戰後レジュームハ持チ合ハセテヰマシタ。己ノ出自ト文化ト歷史ヲ否定シ、易易ト新シイ權力ニ鞍替ヘスル、節度ノ勿イ者ニ未來ハ有リマセン。彼ノ國ハ、ソンナ主體性ノ勿イ者達ニ足ヲ引ツ張ラレ、主權ヲ奪ハレタ儘、國際的犯罪者ヲ演ジ續ケタ擧ゲ句、子孫ニモ繼承シマシタ。總テハ無知ノ()セル(ワザ)デス。無知トハ、唯、其レ丈ケデ、萬死(バンシ)(アタヒ)スル罪ナノデス。」

 合成義惱の聲は(かす)かに(ふる)へてゐた。途切れた哀訴に(さざな)む、アクセスランプとシーク音の神經質なシンコペーション。一拍置いた宙響発振モニターが再び息を吹き返すと、姿勿き証言者は時空を超えた宣誓供述書にサインをし、肉聲を取り戾していく。

 「彼ノ國ガ戰前、亞細亞ヲ侵略シ、植民地ニシタト云フ主張ハ、赦シ難イ妄言です。帛琉(パラオ)孟加拉(バングラデシュ)の國旗ハ月章旗でシタ。日ノ丸ヲ模して描カレ、更ニ旗ノ中心は日ノ丸の爲ニ在ルト、態々(わざわざ)滿月を中心カラ外してヰマス。巴基斯擔(パキスタン)印度(インド)の國民モ、彼の國ノ名を上げれば必ズ、彼ノ國の御蔭で獨立出來たト、十數億人が口を揃へマシタ。戰前、米國に侵略さレた布哇(ハワイ)の王室は、彼の國の皇室に、王族同士での婚姻と兩國の倂合を打診をしてゐます。米國の侵略から布哇(ハワイ)を護る爲です。第一次大戰の戰勝國と爲り、敗戰國の放棄した蜜克羅尼西亞(ミクロネシア)の統治を、國際連盟から任された彼の國は、和蘭陀(オランダ)の過酷な植民地支配に因つて、1/10にまで激減した人口を、道路、港灣、治水、電力、農業、敎育、醫療(いれう)、警察、司法、行政と、有りと有らゆる社會インフラを整備して、大幅に囘復させました。蜜克羅尼西亞(ミクロネシア)丈けでは有りません。臺灣(たいわん)、朝鮮、滿州も含め、彼の國が社會インフラを整備した國と地域は、爆發的に人口が增大しました。通常、植民地支配をされた國や地域は、資源と財產と勞働力と生命を搾取されて、人口が減る事は在つても、增える事は在りません。滿州では革命組織と云ふ强盜殺人團から、彼の國の關東軍が護つて吳れる。仕事も在つて、豐かな生活が出來ると、佰萬人にも及ぶ支那人が萬里の長城を越えて入植し、日韓倂合後の朝鮮は、醫療(いれう)の發展に因つて乳幼兒の死亡が激減し、平均壽命が20代の半ばから40代に跳ね上がりました。臺灣(たいわん)では、全㠀を侵蝕してゐた、マラリアと阿片を一掃し、福建の閩語(びんご)、三種と、髙砂(たかさご)壞族の言語を、閩南語(びんなむご)と日本語に統一して敎育し、普及した統一言語に據つて意思の疏通(そつう)が出來る樣に爲つた人人は、國民としての自我に芽生え、此れが臺灣(たいわん)愛國心(ナショナリズム)を醸成したのです。此れ程迠に惠まれた植民地は聞いた事が有りません。敢へて今一度、駄辯(だべん)を重ねる頑愚を御許し下さい。彼の國を侵略國家と罵る者達は、日淸戰爭で締結された下關條約以後、彼の國が統治國の道路、鐵道、港灣、ダム、治水、電力、農業、工業、敎育、醫療、警察、司法、行政と言つた、凡ゆる社會インフラを整備し、臺灣、朝鮮、滿洲、蜜克羅尼西亞(ミクロネシア)の國國の近代化と發展に大きく貢獻した、優に半卋紀に及ぶ亞細亞での實績と、歐米の支配を脫し、大東亞共榮圈を確立す可く、支那や英領印度、比律賓(フィリピン)等の東南亞細亞諸國の活動家を支援し續けた事實を完全に無視してゐます。彼の國を侵略國家と罵る者達の據り處は、略、東南亞細亞解放戰線、大東亞戰爭を侵略戰爭と歪曲する事で成り立つてゐます。ニューディール政策で彼の國の經濟を疲弊させ、更に彼の國が米國に80%依存してゐた石油の輸出停止を(ほの)めかす事で、極限狀態に追ひ込み、彼の國の活路を和蘭陀(オランダ)佛蘭西(フランス)に植民地支配されてゐた印度尼西亞(インドネシア)の石油にのみ殘して、歐州列强に植民地支配されてゐた東南亞細亞の國國を解放し乍ら、南下せざるを得ぬ樣に仕向けたのは米國の策略です。資源侵略の爲、南部佛領印度尼西亞(インドネシア)に彼の國が進駐したから石油を止められたと、侵略國家論者は熱辯(ねつべん)しますが事實は逆です。米國が彼の國の石油のバルブに手を掛け、石油を止めると脅しを掛けたのが先なのです。此れは灣岸(わんがん)戰爭で、伊拉久(イラク)のフセイン大統領が科威都(クウェート)に進軍する樣に仕向ける爲、米國が伊拉久(イラク)を經濟制裁で追ひ込んだ後、米軍を(わざ)科威都(クウェート)から撤退させ、無防備にしたのと同じ手口です。(そもそ)も、彼の國が米國に石油を依存してゐるリスクを囘避し、新たな購路を求めるのは國として當然の施策で有り、國是(こくぜ)です。其の購路を妨害したのは、米國と共謀し亞細亞を植民地支配してゐた歐州諸國です。彼の國は侵略國家だと(のたま)ふ者達の、彼の國が印度尼西亞(インドネシア)から石油資源を强奪したと言ふ暴論は、何を根據にしているのか全く理解出來ません。現に、終戰後も印度尼西亞(インドネシア)に殘つた彼の國の兵士達は、印度尼西亞(インドネシア)の陣頭指揮を執り、植民地支配からの解放に死力を盡くし、歐州の軍隊と戰ひ續け、印度尼西亞(インドネシア)の獨立に最大の貢獻をしてゐるのです。印度尼西亞(インドネシア)人を無差別に殺戮して、有無を言はさず石油資源を强奪した證據(しようこ)でも有るのなら、是非、拝見し度い程です。然し、其の證據(しようこ)は、彼の國は侵略國家だと喧傳(けんでん)する者達の、彼の國は惡い事をしたに決まつてゐると云ふ願望、否、妄想の中にしか有りません。米國が彼の國を貶めたと言ふ此の大局を無視して、彼の國を侵略國家と斷定する者達は、彼の國が東南亞細亞に軍を送つたと云ふだけで、資源を奪ふ爲だ、侵略だの一點張り。佰樣(ひやくやう)を知つて壹樣(いちやう)を知らぬとは、正に此の事です。外國に軍隊を送ったら侵略だと云ふのなら、彼の國には幾つの米軍基地が在つたでせうか。終戰後、彼の國は米國のペトロダラーシステムを維持する爲に、中東から破格に高い石油と液化天然ガスを態々地球を半周して輸入し、尖閣諸㠀沖に眠る沙烏地阿拉伯(サウジアラビア)の三倍の埋藏量を誇る油田を採掘させて貰へず、露西亞(ロシア)からパイプラインで直接、格安の石油や天然ガスを引き入れる事を許されませんでした。此の狀況は戰前と全く同じ、資源奴隷です。然して、此の極惡なペトロダラーシステムに刃向かつた者達の末路が、カダフィ大佐やフセイン大統領でした。彼等は眞つ當な國政の舵取りをし、國家と國民は黃金期を迎えてゐたにも拘らず、米國のペトロダラーシステムに(したが)は勿かつた爲、卋界のマスコミを使つて惡者に仕立て上げられました。露西亞(ロシア)國家の分割解體と資源を狙つて、烏克蘭(ウクライナ)政府を裏で操り、烏克蘭(ウクライナ)國内の露西亞(ロシア)系住民を殺戮して、露西亞(ロシア)が人道的立場から特別軍事行動をせざるを得勿い樣に(けしか)け、更にマスコミを使つてプーチン大統領を狂信的な指導者者に仕立て上げたのも同じ圖式(づしき)です。戰前の彼の國は正に彼等の合はせ鏡です。米國は戰前から(つね)に斯う遣つて、己の惡事に都合の惡い者達を惡者に捏ち上げ、闇に葬る事で國益を護つて來ました。然して、其の共謀者は(つね)英吉利(イギリス)で在り、先の大戰でも時の首相チャーチルが暗躍しました。先ず彼には前科が有ります。軍に在籍していた當時、己の出卋慾の爲、塞爾維亞(セルビア)で暗殺された墺太利(オーストリア)の皇太子の事件を、何とか事を荒立てずに治めようと交涉してゐた、獨逸(ドイツ)露西亞(ロシア)の皇帝の閒を裂き、第一次卋界大戰を勃發させました。大統領選で海外の紛爭には參戰し勿いと公約し當選したルーズベルトを抱き込み、彼の國に眞珠灣(しんじゆわん)を攻擊させて亞米利加(アメリカ)の國民感情を煽れば、參戰出來ると(そそのか)したのも彼です。第一次大戰の切つ掛けと成つた、獨逸(ドイツ)露西亞(ロシア)の交涉への介入は、露西亞(ロシア)烏克蘭(ウクライナ)に特別軍事行動を決行した一ヶ月後、土耳古(トルコ)以色列(イスラエル)が個別に閒に入って協議し、露西亞(ロシア)烏克蘭(ウクライナ)は停戰合意してゐたにも拘らず、其れを强引に破棄させたジョンソン首相と同じ圖式(づしき)で、1942年、蔣介石(しやうかいせき)の妻、宋美齡(そうみれい)が彼の國を貶める爲に披露した米國議會での虛僞の演說は、ゼレンスキーの米國議會での演說を彷彿とさせます。然して、彼の國が米國を攻擊する樣に永田町で暗躍したのが、戰後、朝日新聞社を仕切る風閒章や、蘇聯邦(ソビエト)のスパイ・ゾルゲ等の共產主義者です。彼の國の國政に潛入してオルグ活動を續け、近衞文麿(このゑふみまろ)首相と山本五十六(いそろく)(そそのか)し、軍も内閣も天皇陛下も反對してゐた眞珠灣(しんじゆわん)攻擊を强行しました。改めて申しますが、彼の國は米英の帝國主義と蘇聯邦(ソビエト)、支那の共產主義の結託した、史上類を見勿い巨惡に因つて戰禍に卷き込まれたのです。昭和二十年乙酉(きのととり)七月(ふみつき)甲申(きのえさる)己酉(つちのととり)庚戌(かのえいぬ)、長崎に二發目の原爆が投下されました。此の原子の力が戰爭を早く終結させ、被害を最小限に抑へたと主張する、絕望的な愚か者が居ますが、全く當日の時系列を把握してゐません。庚戌(かのえいぬ)の未明に、本土決戰に備へ滿州の關東軍が九州に移動したのを見計らひ、蘇聯軍(ソレンぐん)日蘇(につそ)不可侵條約を一方的に破棄して無防備な滿洲に侵攻し、此の儘では半月と保たずに北海道まで占領されて終ふ、と云ふ事態に陷つた處で、雌雄は決してゐました。其處へ、示し合はせた樣に投下されたのが人類の惡魔だつたのです。此れは一體、何を意味するのでせうか。終戰直後、被曝地へ派遣された米國の調査團は、人體(じんたい)の被曝データと現地の被害狀況のみを收輯(しうしふ)し、一切の醫療(いれう)行爲をせずに立ち去りました。此れは二發の原爆が人體實驗(じんたいじつけん)で在った、何よりの(あか)しで有り、彼の國が降伏したのは蘇聯軍(ソレンぐん)の不當な侵攻に因る物です。彼の國は開戰後、米國に幾度も停戰協議を打診しましたが、二發の原爆を投下する迄、完全に無視されました。然して、終戰後の冷戰と、彼の國を占領支配する主導權爭ひを見越して、米國はいざと爲れば核の投入も事も辞さぬと云ふ、蘇聯邦(ソビエト)への示威行爲の爲に、彼の國の國土と國民の命を陵辱したのです。抑も、戰爭とは軍人と云ふ、戰鬪員と戰鬪員の戰鬪行為で在り、其れのみが宣戰布吿をした國同士に許される暴力行爲で在り、非戰鬪員の民閒人を攻擊する處か、威嚇する事すら戰爭犯罪で在る。無抵抗な非戰鬪員の一般市民を、二發の原爆と列㠀を縱斷する絨毯爆擊で殺戮すると云ふ、人類史上最惡の戰爭犯罪と、其れを全く裁か勿い東京裁判は完全な茶番で在る。此れ程の未だ嘗て類を見勿い、米國に因る非人道的な大虐殺が行はれたと云ふのに、彼の國を侵略國家と祭り上げる者達は小手先の非難のみで()ませ、後は延延と、然して、徹底的に彼の國の非のみを(あげつら)ふのです。其れも天罰が降つたかの如き雜言を吐き捨て乍ら。私は敢へて聲を大にして訴へ度い。其の歪んだ思考は異常で在ると。百步讓つて彼の國を侵略國家呼ばわりしたければ、先ず、米國の惡虐非道を徹底的に糾彈し、更に、桑港(サンフランシスコ)講和條約と言う、彼の國の國家としての主權を完全に剝奪した奴隸契約を破棄させて、彼の國を米國の侵略から解放してからで在る。彼の國を侵略國家呼ばはりして反省したければ、彼の國が米國の植民地で在る現狀を、打開してからで良い。優先順位が完全に逆で在る。此れが競技の卋界ならば、反省のミーティングは試合が終はつた後で良い。試合を抛つてロッカールームに戾り、ミーティングをする馬鹿は居勿い。米國の侵略は戰後も繼續してゐたので在る。其の奴隸支配に關しては本格的な糾彈をせず、一方的に彼の國を非難する者達は、始めから彼の國を貶める事しか考へてゐ勿かつた。此れは、自國の原發反對を强硬に訴へて措き乍ら、鄰國(りんごく)の原發の事故、隱蔽、リスク、杜撰(ずさん)な運用は見て見ぬ振りをし、自國の核武裝化を親の仇の樣に非難し、デモを繰り返すのに對して、國外の現に存在する核兵器の危機と脅威に關しては、沈黙するか建前だけのコメントで、何等、真摯な抗議をせず、更に、自衞隊を人殺しの輯團(しふだん)と罵つて措き乍ら、自國にロケットを發射する北朝鮮の軍隊や、尖閣諸㠀を武力で占有してゐる支那の人民解放軍を、皆殺しの輯團(しふだん)として糾彈し勿い、然して、リアルタイムで自國が中國共產黨に侵略されてゐると云ふのに見て見ぬ振りをし、逆に自國は侵略國家だと喚き散らす。此れは典型的な反日左翼のダブルスタンダードで在る。大東亞戰爭の零戰特攻で多くの若者を死に追ひ遣つたのが赦せ勿いと云ふのなら、同樣に、蘇聯邦(ソビエト)も戰車に爆彈を積ませて、相手陣地に突入される特攻で、彼の國の若者の何倍もの犧牲者を出してゐる。然も、命令を拒否したら其の場で銃殺なのです。スターリンは舊卋紀(きうせいき)の大戰で、蘇聯邦(ソビエト)の戰鬪員、800萬人、市民を1900萬人、捨石にして殺してゐて、彼の國より莫大な犧牲者を出してゐるのだから、彼の國以上に非難する可きだが、此の手の輩が北朝鮮や支那や蘇聯邦の大使館の前でデモをする事は在りませんでした。何故なら彼等が共產主義の犬だからです。原發事故の起きた福㠀を死の町だと喚き散らした或る歸化(きか)議員は、朝鮮半㠀南端の原發銀座で事故が起きた場合、鄰國で在る彼の國の被災總額が數仟兆圓、被災難民は四仟萬人を超えると豫想されてゐるのに、一言も言及した事が有りません。通名と云ふ僞名で活動する彼は、祖国朝鮮を放射能から護る氣は勿いのでせうか。又、福㠀第一原發を超える量のトリチウムを、支那の原發が海洋放出しているにも拘らず、處理水の統計を改竄し、隱蔽し續けてゐた事も見て見ぬ振りです。結局彼等は初めから彼の國を貶め度い丈けなのです。彼等の理論は彼の國は酷い國で在つて慾しいと云ふ願望丈けで出來てゐます。然して其れは、彼の國でオルグ活動に(いそ)しんだ職業左翼丈けでは在りません。戰後、彼の國の受けた悲運の傷口を廣げたのは卑屈な知識人でした。戰前から戰後に掛けて滿州に在住してゐた安部公房は、米國に占領されて母國は終はつた、奴隸に爲る位なら滿州に居た方が良いと、歸國せずに日和見主義を續け、未曾有の國難から(のが)れた分際で、歸國後は、滿州は植民地だつたと吹聽して、戰前の母國を扱き下ろし、保身に走リました。安部公房丈けでは有りません。堀田善衞(よしゑ)は、通州事件を發端として、革命組織とは名許りの支那の强盜殺人團から市民の財產と生命を護る爲、彼の國が邦人居畱地に軍を配備し、治安の維持に盡力してゐた事を度外視して、終戰直前の三月に派遣されてから二年と經たずに歸國した、僅かな支那の見聞で、彼の國が支那を不當に占領をしてゐたかの如く(ほの)めかし、戰前の母國に罪惡感を(いだ)き葛藤する國籍喪失者が、支配者と被支配者の狹閒で搖れ動く等と云つた小賢(こざか)しい物語を量產して、良識の有る主人公、其の物に()()ましました。米、英、蘇聯邦、支那と云ふ眞の巨惡を一切糾彈せず、戰前の彼の國の尊嚴を()()にし、母國に罪を(なす)()け、扱き下ろす事で身の潔白に腐心する、堀田善衞(よしゑ)の薄つぺらな正義と被虐性欲(マゾヒズム)が姦通した左翼文學の墮胎兒(だたいじ)を、狡猾で屈折した當時の知識人は、錯綜する國家閒の軋轢(あつれき)舞臺(ぶたい)にした、新しい時代感覺なぞと()(はや)し、死に馬の彼の國を足蹴に、戰勝國の尻馬に鞍替へしました。產みの親より羽振りの良い金持ちの太鼓持ちと爲つた御用作家達は、國家と民族を裏切つた御互ひの(やま)しさを誤魔化(ごまか)す爲、口裏を合はせた樣に、戰後の知的エネルギーを母國に()せる濡れ衣の方便に費やすのです。敗戰國の醜聞を何處迄も掘り起こし、戰勝國の大罪は不問に付す。其れは一過性の流行り病では在りませんでした。爆發的に復興していく國土と生產力とは裏腹に、彼の國の思想と言論は終戰直後の放心狀態に(とど)まつた儘、一步も前に進まうとし勿いのです。大岡昇平、大江健三郞、司馬遼太郞、村上春樹、㠀田雅彥、戰後レジュームに迎合した、枚擧に(いとま)の勿い左翼文化人の橫行で盤石な物と爲つていく、彼の國の汚名と自虐史觀。倂し、何れ程、卋論を操作し、人心を破壞しやうと、彼の國が亞細亞の國國を歐米列强の樣に植民地支配してゐ勿い事實は微動だにしません。朝鮮專賣(せんばい)公社のパンフレットは美品で現存してをり、其れを見れば强制勞働など勿かつた事は一目瞭然で在る。徵用工とは朝鮮半㠀で刑法に()れ、裁判で懲役刑を云ひ渡された懲役囚を、戰時下で人手の足り勿い彼の國の工場で懲役を勤めて貰ふ爲、彼の國に送られた犯罪者で在り、刑法に基づいて懲役を科した事に、何の違法性も有りません。從軍慰安婦に到つては、完全な錯誤が(まか)(とほ)り、眼も當てられぬ程です。先づ、慰安婦を志望する婦女子は、役所に住民票、兩親、又は保護者の同意書、慰安所經營者の推薦狀、健康診斷書、印鑑證明、銀行口座の通帳等、數多の書類を提出して審査され、其の審査に通つてから、先の役所に提出した書類と、役所が認可した書類を持つて就業先の現地に赴き、改めて、現地の役所に持參した總ての書類を提出して再審査を受け、許可が下りる迠、慰安業務に從事する事は出來ませんでした。復た、大卒の初任給が月給50圓。陸軍の大將が550圓の時代に、慰安婦の一月の所得は職能に依つて1800圓にまで達したと云はれ、給與(きふよ)は總て軍票で完濟(くわんさい)されました。此の厚遇を聞き付け、役所には慰安婦を志望する婦女子と家族が殺到した程です。無論、慰安所で彼女達は法的に保護され、定期的に健康診斷を受け、(あら)ゆる病氣や怪我に因る治療費も無料。文化的な生活の自由も有りました。逆に慰安所内では、トラブルを避ける爲に飮酒は全面禁止。慰安所の營業規則丈けで勿く、總ての軍規が適用され、利用する兵士は嚴しく、軍人として節度有る振る舞ひを指導されてゐました。總ては彼の國が進駐してゐる現地の淑女(しゆくじよ)貞節(ていせつ)と、慰安婦の安全と身分を護る爲の物です。彼の國が終戰後、眞つ先に整備したのも、進駐軍の性暴力を抑へ込む爲の赤線でした。赤線地帶も慰安所同樣、國の徹底した管理の許、從事する女性の健康、安全、身分を出來得る限り保障し、護り拔きました。慰安婦を性被害者に仕立てて、彼の國を貶める事は在つては爲ら勿い事です。寧ろ、淑女の貞節の防波堤の爲に、此處迄、力を盡くした國家は嘗て在りませんでした。其れにも拘はらず、彼の國の藝能人(げいのうじん)の中には鄰國での仕事慾しさに、母國を()づかしいと(うそぶ)き、一握りのウォンに股を開く者が續出しました。此れこそ將に、身も心も奴隸化した眞の慰安婦です。揉み合ひの最中(さなか)、手が出て終ひ、刑務所送りにされた彼の國とは對照的に、彼の國を半殺しにした後、其の家に火を點けて灼キ拂ひ、家族を皆殺しにした戰勝國は、裁判にすら掛けられてゐません。娘が輪姦されて殺されたと云ふのに、遺族は逆に暴行殺人犯に訴へられて、私の娘が淫亂で申し譯有りませんでした、と遺族は謝罪し、裁判後も遺族は、暴行殺人犯に生活の自由と、財產を差し押さえられ、眞實(しんじつ)を訴へる事も出來ず、車の給油をするのにも、暴行殺人犯の許可が要る、と云ふ始末です。此程の酷い仕打ちを受け乍ら、彼の國の國民は惡魔の指圖(さしづ)通り謝罪し續けました。(とど)()まり、彼の國の國民は主權を奪はれたのでは勿く、自ら主權を放棄したのです。然して其れは、鎖國を解かれ、英吉利(イギリス)の資金援助で明治維新から日露戰爭を乘り切り、ニューディール政策で追ひ詰められて日米開戰に突入し、桑港(サンフランシスコ)講和條約と云ふ、敗戰國の主權を總て剝奪する、國際條約とは名許りの奴隸契約の締結に到る迠遡ります。總ては戰勝國の臺本(だいほん)通り。彼の國には近代以降、主體的な歷史なぞ存在しません。戰前の歷史はGHQが指定した焚書と共に闇に葬り去られて書き替へられ、其の僞造された歷史に投下されたのが、戰勝國に因る洗腦でした。戰後レジュームとは人の心を破壞する、精神直下の原爆です。卑劣な汚名で被曝した豚は、地の底迠貶められました。倂し其れでも猶、皇統と皇國史觀は生き延びました。其れは何故か。」

 (しづ)かに講釋を續ける合成義惱。倂し、其の抑への利いた爆發寸前の彈劾を、半狂亂の光勵起サーベルがササラモサラに切り刻む。

 「許すまじ。權力の橫暴。今こそ認識のパラダイムシフトを發動せよ。蒼氓(さうばう)よ、其の蒼き眠りから目覺め、立ち上がれスペースノイド。今こそ流民の(くびき)を引き千切り、突破せよ銀河の最前戰を。我等の手で約束の地を此の宙域に開拓し、斷絕した歷史と尊嚴を奪還する爲に。」

 最早、若き女王の激情に宙響発振モニターから降り注ぐ聲は屆いてゐ勿かつた。英雄的破壞衝動で絕頂する、左翼系民族主義のストリッパー。難民解放、移民支援とは名許りの强奪と殺戮。心に仕舞ひ忘れた欺瞞と殘虐が、封を解かれて跳梁(てうりやう)する。

 「()()(あら)らず。()なからん()()なからん()()()に荳阪★ず。()縺ェ縺九i繧哉。()なか繧峨s蜩。千千(ちぢ)縺ォ莠れた莠コ鬘槭?蜿イ繧定ヲ上○。」

 若さ故の暴想に烈しく咳き込み、艦内モニターを切るエメラルダス。屈み込んだ波打つ背中に、在りし日の殘像が追ひ討ちを掛ける。モニターを切つても(なほ)、偏頭痛を亂打して喚き續ける正義の煽情。暴かれたシオンの議定書。酸化クロムの發色因子に(あらが)ふ、緋いエメラルドと云ふ矛盾。

 「出て行け。」

 何も映つてゐ勿いモニターに向かつて、然う(ひと)()ちる自分に、

 「出て行く、何處に?出口なんて勿いわ。私にも此の舟にも。」

 と(ささや)くもう獨りの自分。人閒の現實が眞の姿を現す、病的で、異常な、矛盾する情況。藝術の創造には狂気が、宇宙の眞理を垣閒見るには神の眼が、本當の自分と出會ふ爲には破滅した人生が必要なのか。冥府の墓場と此の赫い棺桶で、一體、何を見て終つたのか。汚泥の樣な疲勞と烈しい咳嘆(がいたん)嚇精劑(レッドモンスター)の副作用が攪拌(かくはん)し、砲擊制禦端末に(うつぶ)せに獅嚙憑(しがみつ)いた儘、心神を喪失するエメラルダス。遠離(とほざか)る意識の中で、暖機運転から目覺めた光束核幽囂爐(ゴーストエンジン)爐心(ろしん)モニターが、姿勢制禦出力から離陸巡行出力へとカウントを始め、鋼殼氣嚢(バルーン)に降り積もつてゐた液體窒素の銀鱗が一齊に滑落し、側舷で微睡(まどろ)んでゐた巨大な髑髏が骨相を(しか)める。死の辨證法(めめんともり)(じゆ)して震盪(しんたう)する狭丹塗(さにぬ)りの舶鯨。統合管制機構が磁空撚率を(なぞ)つて、火星への自動航行軌道を彈き出し、失意の女王を抱へて再起動した、女王の名を冠する單騎の旗幟母艦(フラッグシップ)が、運命のタイムテーブルを逆算する。舳先(へさき)(はりつけ)にされた船首像の女神が氷塵に(なぶ)られ、礙風(がいふう)霏霺(たなび)く海賊旗。艤裝の限りを盡くした船尾樓を走る窻火(さうくわ)に、過美なレリーフが燃え盛ると、拔錨の鋼索に(きし)む内骨龍を合圖(あいづ)に、萬感の念ひを込めて弔砲(てうはう)が轟く。

 氷點下の墓碑に刻まれた僞書の暗號(さが)し。目眩(めくるめ)く魔女と女神の二元論が交錯する船底の探照燈に、離脫する硝子張りの大地、皓皓(かうかう)と、無殘(なり)、送別の影。再び臨む宙域の針路は空空寂寂(くうくうじやくじやく)(あまね)き、瞬く閒に(よぎ)る光年、人心を知らずして、一代の客星、仟金の(とき)()しみ、歷代の詠客、草枕(さうしん)の淚を(つら)ねる。

 

 

   道不行    道行はれず

   乘桴浮于海  (いかだ)に乘りて海に浮かばん。

   我欲居舊倭  我 舊倭(きうゐ)()らんと欲す。

 

 

 滅亡した王朝を求めて彷徨(さまよ)ふ天庭の紅孔雀。旅懷(りよくわい)斬りを裂く、女王の敕令(ちよくれい)は現卋を超えて、いざ(すす)め風雲の面向(おもむ)く儘に。主客、今昔(こんじやく)と入り亂れ、滿身創痍で出航する赫き方舟の星辰繪卷、果たして相成(あひな)るや如何(いか)に。諸君の壹路平安(いちろへいあん)(いの)る。

 

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