火の鳥 九州王朝編   作:tsunagi

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タイタンの眠れる戦士 1

 

 

 

  滿紙荒唐言  滿紙(まんし) 荒唐(くわうたう)の言(げん)

  壹把辛酸淚  壹把(いつぱ) 辛酸の淚

  都云作者痴  都(み)な云(い)ふ 作者は痴(ち)なりと

  誰解其中味  誰か其の中(うち)の味(あじ)を解さん

 

 

 宙原(ちうげん)に放愾(はうがい)する、淸廉隱士(せいれんいんし)の負け惜しみ。眞空の洞(うつろ)で木靈(こだま)する賢(さか)しらな贅語(ぜいご)に、大人(だいじん)は己(おのれ)無し、とは誰が觀た夢。未だ至らぬ、無可有(むかいう)の鄕(きやう)。坐忘(ざばう)せよ、白玉樓中(はくぎよくろうちゆう)の召(せう)。名を盜(と)るも、聖を穫(と)るも、一時の迷ひにして、船緣(ふなべり)に縋(すが)る俊寬(しゆんくわん)の淚。天に大赦莫(な)し。鬼界の不遇も亦(また)、歸(き)の寄(き)なるを以て水盃(すいはい)を呷(あふ)る、作家乞食で薄情者。

 

 

 

 息を吐く度に血痰が絡み、爛(ただ)れた氣管支が掠(かす)れた笛を吹いて目覺める、不吉な草枕。病は以て身を保つ可し。そんな氣休めは與(あづか)り知らぬ、汚泥の樣な寢汗の濘(ぬか)るみに塗(まみ)れた不治の褥(しとね)。枯れ枝の樣に投げ出された手足は、腎機能低下に因る帶狀疱疹(たいじやうはうしん)で被(かぶ)れ、俎板(まないた)の上に磔(はりつけ)にされた救卋主を、唐桃の梢が鬱蒼と見下ろしてゐた。藥の力を使つて幾ら背伸びをした處で、身(み)の丈(たけ)と云ふ物が有り、己の毒に遣られた女王蜂の片手で數へ切れる程の餘命が、ポケットの中の小錢の樣に洒落付(じやらつ)いてゐる。此の勿(な)け勿(な)しの身代(しんだい)で、次は何に賭けるろと云ふのか。寢返りを打つて覗き込む、半月に缺(か)けた鏡の中のメフィストフェレス。雙(ふた)つに割れた己の魂と引き換へに何を契約したのやら。惡い星の許に醉つてゐる時閒すら殘されてゐ勿い女王は、病葉(わくらば)の如き手(た)な心(ごころ)を翳(かざ)して、管制モニターに切り換へると、霞む眼を凝らして巡航狀況を確認した。アンタレスを葬り、一刻も早く直行す可き電劾の討征。處が、エメラルダス號の合成義惱は、火星とは異なる軌道計算を彈いて、到達距離をカウントしてゐる。大義を閣(さしお)き、傾(かし)いでいく慝(よこしま)な航路。心(しん)は萬鏡(ばんきやう)に隨(したが)つて轉(てん)ずる、二度振りの賽(さい)。火星に突入する蹈ん切りが付かぬ、と云はれれば其れ迠の、二の足を蹈んで逸れる脇道の先に、女王の緋き靑春の礫(つぶて)が點(とも)つてゐた。

 何故、此の期に及んで圡星の第六衞星に立ち寄らねば爲らぬのか。モニターの星系圖(せいけいづ)で明滅する翠玉(すいぎよく)の雫を弓形(ゆみなり)に追ひ掛ける、重力係數と突入角度の破線が、エメラルダスの肺の腐を抉(ゑぐ)り、追憶の座標軸を遡つていく。家門(かもん)を過(す)ぐれども入らず、の誓ひも虛しく、軍門に降つたアンタレスとの再會。堪へてゐた人戀(ひとこひ)しさと懷舊(くわいうきう)の情が堰を切り、自制の櫂(かい)を失つた笹舟は、只管(ひたすら)、航海軌道の螢線(けいせん)に押し流されていく。鉄郞との邂逅で心は旣に折れてゐた。人肌の聲の溫もりに觸れて氷解した女王の氣概。袖と著丈(きたけ)の餘る男物の軍服を羽織り、流行りの思想で理論武裝した、卋閒知らずの御姬樣は、もう、唯の女ですら勿い。身無(みな)し子(ご)の慄(おのの)きが、薔薇色の孤髙を僞り續けた代償と爲つて、背筋を這ひ囘る。借り物の武力を誇示し、猛猛(たけだけ)しい凱歌を喚いて、無闇に殺生を重ねた丈けの半生。新しい服や寳石や男を求める馬鹿な女達を貶(さげす)み、誰にも抱かれず、己の腕一本で宙域を泳ぎ切らうと藻掻き續けた。人生に騙されたと簡單に妥協し勿かった分、邃(とほ)く刻み込まれた縫合痕。過去と人語で塗り固められた、女王と云ふ自意識の獨り歩きを、エメラルダスは靜かに俯瞰してゐる。奪はれた外套を求めて彷徨(さまよ)う亡靈の樣に、もう獨りの女王が徘徊する艦内。當(あ)て所(ど)勿い軍長靴の鐵踵(ヒールチップ)が聞こえる。漢に成り切れず、女で在る自信も勿い分裂した自分に、追ひ付く事は出來勿いのなら、責めて、時閒を少しでも卷き戾し、其の距離を縮め度い。束の閒の錯誤で構は勿い。心に鎖(とざ)した鉄のカーテンの隙閒で搖れる女王の瞳。此の儘、燃え盡きていく丈けの自分には、もう想ひ出に浸る事しか赦されて勿い。今一度、此の眼に燒き付け度い。網膜を掠める殘像だと嗤(わら)はれても良い。宙域に唯一殘された常綠の大地に降り立つて、何が爲度(した)い譯でも、出來る譯でも勿い。不渡りを繰り返した人生の帳尻合はせなら火星に取つて有る。只、其處迄吳れば、彼の女に挨拶の獨つも爲て措かなければ氣が濟まぬ。今更會つて何が如何(どう)なる物でも勿いのは、アンタレスと同じ事。到り得て歸り來たれば別無(べつな)し。然うと判つてゐても足を向けて終ふのが、腐れ緣と云ふ奴だ。彼の女は己の居場所を知つてゐて、其處に居る丈けで人を喚び寄せる能(ちから)が有り、誰もが斷ち切れぬ因力に搖曳(えうえい)されて、旅から舞ひ戾る。

 再び、蜜に嵌(は)まり込んだ蠅の樣に溺れていく死の床の魔泥(まどろ)みの中、エメラルダスは眼窩を零れ落ちさうな水晶體(すいしやうたい)を透かして、圡星に寄り添ふ健氣(けなげ)なの點滅(てんめつ)を、翠玉(すいぎよく)の湛へる永遠の煌(きら)めき追ひ續けた。女王の異名が生まれた、神助(しんじよ)の第六衞星を。

 

 

 

 火星が生命を墮胎した地球の模造品止まりだつた樣に、大方の入植地は鑛物資源を採り盡くすと、開發は打ち切られ、物流の據點(きよてん)にすら成れず、煙草の吸ひ殼宜(よろ)しく其の場で踏み躙られた。在りし日の地球とは程遠い地球を量產する宙域開拓の中に在つて、タイタンは或る意味、奇蹟の星だつた。テラフォーミングと綠化に最も成功した天體で、宙域開拓の理念に卽した、地球を凌ぐ翠(みどり)の星。髑髏の海賊旗も其の眩(まぶ)しさに眼睛を屡叩(しばた)く、本來、表彰されて然る可き最優良物件の筈が、帝政投資家(グローバリスト)の皮算用で不良債權の烙印を押され、手間と時閒の掛かる利幅の薄い植物資源より、高價なレアメタルや紛争ダイヤモンドを求めて、人人は系外へと旅立つて行き、女王も亦、其の中の獨りだつた。詮ずる所、宙域に地球環境の再生や自然との共生なぞ、誰が求めてゐたと云ふのか。使ひ捨てられた地球と同じ產廢に後足(あとあし)で砂を掛け、次の現場へと向かふ賞金稼ぎにロールモデルは無用。木樵(きこり)と鑛夫(くわうふ)と盜賊では何(ど)れが儲かるか。其れが總てで、天秤に掛ける迠も勿い。不良債權として見捨てられたタイタンは、本音と建て前で使ひ囘される事すら勿く、職業左翼の吹(ふ)き澑(だ)まりと爲り、太陽系の樂園と揶揄(やゆ)された。其れが自然な流れと云ふ奴なのだらう。

 誰もが一瞥も呉れずに素通りする無可有(むかいう)の鄕(きやう)。其の唯一成功した失敗作にアプローチする、スペースノイド解放戰線の旗行船(きかうせん)。ジェット氣流で渦卷く雲海を全長480mの鋼殻気嚢(バルーン)で搔き分ければ、星、碧(みどり)にして、舟、逾(いよいよ)緋(あか)し。舊世紀(きうせいき)の地球と見紛ふ葉綠素と海潮の鬩(せめ)ぎ合(あ)ひ。無機質な固形物の茫漠では勿い、有機物の氾濫に船外モニターが歡憙(くわんき)する。女王の凱旋。常綠の絨毯(じゆうたん)に降り立つ狹丹塗(さにぬ)りの舶鯨が、其の莫大な機影を引き擦り乍ら、測位衞星システムに入力した座標に向けて滑空し、斷層圈防禦を解いた艦内に植物電荷が充満していく。裝備を整へ、果てる事の勿い原生林を瞠(みつ)め乍(なが)ら、エメラルダスは淺墓(あさはか)だつた己の知見に、幽(かす)かな頰笑(ほほゑ)みを苦遊(くゆ)らせる。遺傳子(いでんし)のアーカイブから培養し增殖させた生命の結晶。今が盛りの、青丹(あをに)よし第六衞星を半月に缺(か)けた御鏡(みかがみ)越しに眺望し、此處が火星と竝(なら)ぶ、己の錨星(カシオペア)だつたと氣付いた時には、もう旣に遲(おそ)し。宙域に放たれた事で復活した大地主義。地球ですら宇宙(かみ)が人類の爲に貞操を護つてゐた處女地では勿かつた。タイタンの原生林が圖(はか)らずも披瀝(ひれき)する、文明が髙度化する程、低俗で野蠻化(やばんか)していく文化と云ふ心の宿り木。原始の營みが何よりも洗練されてゐると、認める事が出來勿かつた文明の髙慢な越度(をちど)が、此の衞星を太陽系の樂園に壤成(じやうせい)した。爆發的な食物聯鎖(れんさ)で網羅された肥沃(ひよく)な大地に瑙蜜(なうみつ)な大河。蝶花鳥獸(てふくわてうじう)の阿鼻叫喚が絕卋を謳歌する萬物の神祕。此の翠玉(すいぎよく)の魔法の元で、嘗て人人は日日の生活を磨き上げ、太古の豐かで臈長(らふた)けた紐帶(ちうたい)、風俗、習慣、人生、社會を培つてゐた。宇宙と云ふ概念を夢想するより、自分の手が屆く範圍(はんゐ)の卋界で、過去も未來も勿く、人も草木も畜生も分け隔て勿く、總ての生類と命を分け合ひ、一日每に一つ一つの人生を生きる。生と死の渾然一體と爲つた存(あ)るが儘(まま)を享受して、眼に見えぬ未知の物に對して、不安も、恐れも絕望も勿い桃源郷。そんな神慮の星が、小(ち)つ惚気(ちつぽけ)な野望に急き立てられて飛び出した時の姿の儘、平然と待つてゐて吳れた。本能に刻み込まれた感性が慾する快哉(かいさい)。當時は見向きも爲勿かつた天然の創造美に、最早、何も考へる必要は勿い。理窟で捏造された經濟的價値觀なぞ及びも付かぬ、卋界の本質が其處に廣がつてゐた。我欲に曇る心では受け止める事の出來勿かつた景色に、澡(あら)はれていく人類の望鄕。無謀な遠征の終著(しゆうちやく)を認める失意の歸還(きくわん)。其處に靑い鳥は實在した。創作は時として現實を超え、物語が眞實へと昇華する瞬閒に、エメラルダスは嚇精劑(レッドモンスター)の力を借りず、此の天然の大地を全身で感應(かんおう)し度いと、叶はぬ願ひを夢想する。

 天網の彼方を目指し、エメラルダス號で乘り出した今迄の航海は何だつたのか。旅とは己の中に根付いた卋界觀の再生でしか勿い。在るが儘の宇宙を見てゐる積もりでも、經驗と予測で照合した範囲内で、其の差異に一憙一憂してゐる丈けの事。知の領域に新しい發見を求める事自體が、人類の愚かな營爲の驗(あかし)だ。己の價値觀と閒尺を超えた理解不能な新事實を目の當たりにした時、人は其の存在にすら氣附け勿い。未知の何かに出遭つた積もりでも、自ら求め、用意して措いた、旅の情緖に呑まれた醉客。今と爲つては何れ程の眞實を見過ごして來たのかすら判ら勿い。其の依怙地(いこぢ)な旅すら、後、殘り僅か。プリセットの座標にモニターを切り替へると、葡萄谷と呼ばれた往時の據點(アジト)が旣に灰燼(くわいじん)と化して、大地の肥やしを務めてゐる皮肉に、獨り呵呵(かか)として大笑した。

 光束核幽囂爐(ゴーストエンジン)を浮揚姿勢制禦に切り替へ、地平線の彼方まで敷き詰められた密林の直中(ただなか)にエメラルダス號が投錨(とうべう)すると、極彩色の猛禽(まうきん)の群れが爆擊の煙霧の如く飛び發つた。開放された艙口(ハッチ)に流れ込む、發酵した腐葉圡で噎(む)せ返(かへ)る、手荒な大氣の歡迎。生臭い熱波が亞蔴(あま)色の埀髮(すいはつ)を搔き上げ、和毛(にこげ)の粟立(あはだ)つ毛穴全快の皮膚呼吸が、虫の息だつた肺細胞の毛細血管を拡張し、壞疽(ゑそ)寸前の女王を叱咤する。野性の一擊を喰らつて目覺めた、埀直に筋の通つた脊椎。骨密度が凝縮し、膝關節も滑らかに、天體(てんたい)重力を闊步して降り立つ熱帶雨林の大地。天頂を囘遊する核融合パネルが輪舞し、人工太陽が常夏の卋界を照らし出してゐる。額に滲む心地良い汗。軍裝の汗澡(かんさう)冷卻を起動し、種子と胞子と菌糸と、絡み合ふ梢に覆はれた樹海のトンネルにエメラルダスは潛(もぐ)り込(こ)んだ。

 無盡藏(むじんざう)の精氣と濕度(しつど)と臭氣と天然色素が攪拌(かくはん)し堆積した、猥雜な養分に眩暈(めまひ)を覺え乍ら、羊齒(しだ)植物の天鵞絨(ベルベット)を蹂躙する編み上げの軍長靴。蔦葛(つたかづら)と蜘蛛の巢と小蠅の群れを、帶劍で拂ひ除ける度に木漏れ日を浴び、枝先の振動と體溫(たいおん)に反應(はんおう)して頭上から降る蛭(ひる)を引き千切る。途切れる事の勿い豐饒(ほうぜう)で饒舌(ぜうぜつ)な大榕樹(だいようじゆ)の密林。倒木を解體(かいたい)する白蟻の軍勢。樹液に絡み付いて痙攣する揚羽蝶(あげはてふ)。木蔭に隱れる爬虫類と齧歯類(げつしるい)の俊敏な影。子菟に頭から嚙み付いた儘、一休みしてゐる縞蛇。死骸の腸(はらわた)に湧いた蛆蟲(うじむし)の脂ぎつた乳白色。一華五葉(いつかごえふ)を開く、七重八重(ななへやへ)の葉脈(えふみやく)にはルソーの眞筆も及ばぬ綠黃色の階調が霏霺(たなび)き、雄蘂(をしべ)と雌蘂(めしべ)と共に入り亂れて發情する花瓣(はなびら)の讚歌が、想ひ出を一目燒き附け度いと云ふ、甘い考へだつた網膜に突き刺さる。一分一秒を爭ひ、己の生を貪る事に夢中で、女王の行軍になぞ一瞥も呉れぬ原始の王國。海も山も五分で飽きると豪語してゐた御轉婆(おてんば)が、今や泥と垢に塗(まみ)れ、文明を一息に呑み込む壓倒的な包容力と格鬭し、抗ふ自由に、生きてゐる手應へを摑んで放せ勿い。心は旣に旺盛な大地に跪(ひざまづ)き、接吻してゐる。

 

 往(い)にし方(へ)に歸(かへ)れ。

 

 蔭陽五行や蠻夷(ばんい)への逸樂とは一線を劃(くわく)す太古の禮讚(らいさん)。安易な復古主義では語り盡くせぬ魂の根源。此れが自然囘歸、否、轉向在野(てんかうざいや)と云う奴か。物事が上手く行か勿いと、直ぐに投げ出し飛び出して、新しい小芝居を繰り返してゐた彼の頃。己の意地も通俗な卋閒が在つての事。此の星は人語を解さぬ神の代辯者(だいべんしや)だ。精靈(せいれい)達の競演の前では、女王も魂の遭難者でしか勿い。天文學的な細胞分裂と交尾が太古の鼓動を打ち鳴らし、地鳴りの如き蟬時雨(せみしぐれ)、啼禽咆猴(ていきんはうこう)の大合唱に取り卷かれて、方向感覺が痲痺していく。幸ひ、髑髏のヘアブローチに導かれて突き進むと、蹄(ひづめ)と轍(わだち)で蹈み固められた獸道(けものみち)に合流した。日光と榮養素を求めて、所狹しと侵蝕する新陳代謝を跨(また)いだ文明の殘滓(ざんし)。目的地は近いが、熱帶雨林は囘虫と感染症と野獸が犇(ひし)めく死の寶庫(ほうこ)。一瞬の油斷が其の鐵格子(てつがうし)を開ける鍵と爲る。確か此の一帶には孟加拉虎(べんがるどら)を計畵(けいくわく)放獸してゐた筈で、出會(でくは)したら、手圡產にするのも惡く勿い、と北叟笑(ほくそゑ)むエメラルダス。程勿く、紛れ込んだ竹藪の向かふから、納屋に毛が生えた丈けの侘しい孤(ひと)つ屋(や)が顯(あらは)れた。

 仙女の賤家(しづや)か、魔女の隱(かく)れ處(が)か。柱の木目から節、小傷、下地窻(したぢまど)の格子に絡む蔦(つた)一本に到る迠、寸分違(たが)はぬ往時の佇まひ。燐寸(マッチ)箱と自諧(じかい)してゐた苫葺(とまぶ)きの草庵は、女王の奧懷(おくふところ)に祕めた其の儘の姿で、天日に干した腰蓑(こしみの)の樣に枯れ果ててゐた。區劃(くくわく)制禦の設定を蕃屛(まがき)に、亞熱帶の氣候と生態系で取(と)り圍(かこ)まれた、淸閑幽韻(せいかんいうゐん)の避暑地。葉先で彈けた朝露の香爐(かうろ)から揮發する、萬象一滴の薰陶(くんたう)。割れ鍋の如き原生林の騷亂は鳴りを潛(ひそ)め、木造の平屋を圡壁で固めた丈けの朴訥な靜謐に、蜜蜂の羽音丈けが纏(まと)はり附いてゐる。丸で、議論に餓ゑてゐた若き日のエメラルダスの樣に唸(うな)る、たつた一匹の叛逆(レジスタンス)。アイドル革命家、星辰のジャンヌダルクと呼ばれる前の、旣に女王蜂氣取りだつた少女が其處に居た。熱帶夜に突き刺さつた氷柱(つらら)の樣な論客に喰つて掛かる、血の氣の濃さ丈けが取り柄だつた日日が甦り、冠木(かぶき)に掲げた扁額(へんがく)の屋號を仰げば、墨痕(ぼつこん)逞しき草書の女瀧(めだき)が蔭走(ほとばし)り、其の名も嫗の如水庵(じよすいあん)。其の健在を確認し、日頃押し殺してゐる表情筋に、緩い緊張と苦い愉悅が絡み合ひ、皓齒(かうし)が零れる。餘命幾許(よめいいくばく)も勿い身と爲つては、罪重(つみかさ)ねた羞(は)ぢの數數さへ愛ほしい。

 傳承(でんしよう)と神話こそが精神の石据(いしず)ゑで在り、傳統(でんとう)と格式が人の和を成す、過去と未來の橋渡しで在る事を認めず、空理空論を振り翳してゐた若造の減らず口に、粗茶を勸めた嫗の雅量。其れは此の星の氣宇壯大(きうさうだい)な營みに相通じると、今更思ひ知らされる。性差に抗(あらが)ひ、萬物の攝理を無視し、男を超える女に成ると息卷いて男の猿眞似をし、凡(あら)ゆる個別の性の人權讚歌を謳つて措き乍ら、多樣性と云ふ唯獨(ただひと)つの價値(トランク)に總てを押し込んで、何處へ行かうとしてゐたのか。鳥、飛ぶに倦(う)んで還るを知り、蒼蒼自生の竹林と手入れの生き屆いた植栽に圍まれて、沈思に耽(ふけ)る苫屋(とまや)の箱庭。天に向かつて埀直に伸び、絡み合ふ事を知らぬ、風霜高潔の孤孤(ここ)に在つて猶、竹に上下の節(ふし)有り。蓮(はす)つ葉(ぱ)の戲言(ざれごと)を優しく見護る嫗の眼差しに氣付かぬ程、若かつた。差し出された茶菓(さくわ)に一切手を觸れず、獨り相撲を繰り返しては露地に飛び出し、徒(いたづら)に伸ばした赤日(せきじつ)の長い影。

 一體、何を求めて此の苫屋(とまや)に足繁く通つてゐたのか。彼の女の言葉に何を見出さうとしてゐたのか。單に人戀(ひとこ)ひしさに流されてゐた丈けなのか。他人の言葉に耳を傾けて何に爲る。人は往往にして、己の心の奧底で蠢く本當の聲に耳を傾けず、他人の言葉を當てに爲る。他人の助言に縋るのは、己の本心を放棄するに等しいと云ふのに。此の全宙域で最も理解不能なのは己自身の存在と心だ。人は潜在意識の裏側を暗躍する本心に支配されてゐる。故に、己の感情と肉體を制御出來勿い。己の本心は常に助けを求めて聲を上げてゐる。其れなのに人は己の本心では勿く、スポーツ選手やミュージシャン、作家や投資家の言葉に許り耳を傾ける。卋閒で成功したと稱(しよう)される者達の發言を金言として奉るのは、成功と云ふ權威に媚びてゐる丈けしか勿い。其れは主體性の勿い人閒に落ちゐる第一步だ。他人の言葉に振り囘される者に未來は勿い。他人の評價の中に己は存在し勿いと云ふのに、端末でエゴサーチをする者程、他人の聲に目移りする。己の本心に耳を傾け、己の本心と對話し、己の本心と和解して、己の頭で考へ、己の心で決斷し、己の體で行動し、己自身で總ての責任を負ふ。其の達成感と蹉跌(さてつ)の匙加減こそが人生の滋味。他人の言葉に從つて物事が上手く行つた處で、其れは己の力では勿い。都合の良い結果許りを追ひ求めて何に爲る。エメラルダスは寂然(ひつそり)と苔生す露地を前にして、改めて耳を澄ました。己の中に鎖じ籠もつてゐる、もう獨りの女王の聲に。

 相手を云ひ負かす事しか頭に勿く、一切、眼に畱(と)まら勿(な)かつた、蹲踞(つくばひ)の廻り道で息を潛める苔生(こけむ)した石燈籠、筧(かけひ)から手水鉢(てうづばち)に注ぐ埀水(たるみ)の玲瓏(れいろう)。其の些些(ささ)やかな設(しつら)への出迎へに、女王の凱旋は勝(か)ち鬨(どき)の聲を、固唾(かたづ)と共に嚥下(えんげ)した。今以て、空手還鄕(くうしゆげんきやう)の境地には非(あら)ず、餝(かざ)る錦(にしき)と圡產に拱(こまね)く、手振らの出戾り。其の里心を信じてゐたからこそ、同じ場所で待ち續ける寂然不動(じやくねんふどう)の靜物に、旅に遁(のが)れた愚かさを知る。譬へ其れが感傷で補正された追憶でも、掛け替への勿い仲閒達。安住の地とは、兔角、言葉を弄せずして人の心を誑(たら)し込(こ)む、狐里(こり)にも似たりか。エメラルダスは中門勿き茶庭の軍門に降り、飛び石を叩く鐵踵(ヒールチップ)が彈ける度に、獨つ復た獨つと心の軍裝を解いていく、步步(ほほ)是れ道場。

 見誤つた本願を强引に凝視し、歪んだ忍耐力で己の憎惡を捻じ伏せ、何かを克服した気に爲つてゐた永遠の處女。衰へた肉體を引き擦つて初めて判る人生の正念場。殘された日日に急かされる見えざる敵との戰ひと較べたら、時代の寵兒(ちようじ)と持(も)て囃(はや)され、有り餘る若さに乘じて成し遂げた事なぞ、巷(ちまた)の風聞に帆を張り、浮かれてゐた丈けの事。今、俗卋を後に、省察と和解の一時に耽(ふけ)る寸進牛歩。其の開け放たれた心の扉に不穩な影が忍び込む。途切れた小径(こみち)の突き當たり。躙口(にじりぐち)の手前で重ねた沓脫(くつぬ)ぎ石(いし)の上に、爪先の傷から踵の減りまで見覺えの有る軍長靴が肩を竝べ、直立不動で主人の歸りを待つてゐる。女王を閣(さしお)いて招かれた眞逆(まさか)の正客(しやうきやく)。剩(あまつさ)へ、懷舊(かいきう)の情(じやう)が昂(かう)じてゐる處へ、瓜二つと見紛ふ黑革の編み上げ。其の不埓な既視感に瀟洒(せうしや)な趣(おもむき)は一瞬で吹き飛び、エメラルダスは下地窻(したじまど)越しの氣配に矢も楯も堪らず、躙戶(にじりど)を橫毆りに拂ひ除けると、高さ二尺三寸、幅二尺二寸の、挾み敷居と鴨居の木枠に圍(かこ)まれて、もう獨りの女王が茶掛けを背負ひ、四疊半の床前(とこまへ)に端坐してゐる。本意とは懸け離れた后位(こうゐ)に擔(かつ)ぎ上(あ)げられた少女の伏した憫睫(びんせふ)。エメラルダスは貴種で在り乍ら身賣りされた、もう獨りの自分に愕然とした。暗轉(あんてん)する茶室と遠離(とほざか)る悟性の中で目眩(めくるめ)く「元來不識(ぐわんらいふしき)」の茶掛け。此の星に降り立つ事で、本の僅かでも卷き戾し度いと願つた刻の流れが決壞し、制御不能で逆卷いていく。

 

 

 

 

 足處氣勿(あどけな)い姬の面差しが傾(かし)ぎ、魔泥(まどろみ)みに獨り舟を漕ぐ、天下千年の夢。

 

 白鳳(はくほう)八年戊辰(つちのえたつ)、正月(むつき)、

 

 淡海(あふみ)の渚(みぎは)の樓閣で披(ひら)かれた山門の大王(おほきみ)卽位の宴(とよのあかり)に、倭姬王(エメラルダス)は御餝(おかざ)りの王后(おほきさき)として座の一隅を埋め、物憂い丈けの退屈を嚙み殺してゐた。淡海帝(たんかいてい)の誕生。其れは倭姬王(ちくしひめ)の御心(みここ)から餘りにも遠い繪空事で、啻(ただ)、白雲の孤飛を仰ぐ許り。白村江(はくすきのえ)の役で倭國(倭國)軍と百濟は全滅し、唐の進駐軍に太宰(おほみこともち)の府(つかさ)を占據(せんきよ)され、都落ち同然、命辛辛(いのちからがら)の體(てい)で東國(あづま)に下向。更に其の背走の最中、筑紫の再興を期し、

 

 

  拾有參春秋(じふいうさんしゆんじう)

 

 

 髮を結ひ上げて閒も勿い、戀(こひ)の憧れすら想ふに委せぬ身空(みそら)で、中大兄王子と云ふ稱號(しようがう)を傳へられた丈けの、會つた事も勿い男へ輿入(こしい)れが取り纏められた。獨りの子娘が異を唱へて、如何にか爲る卋情では勿い。山門との協調勿くしては、立ち行かぬ處まで追ひ詰められた倭國。天孫(あめみま)が對馬(つしま)から竺志に降臨してより以來(このかた)、存亡を賭けた政略。其れは唐軍の手に墮ち、俘虜(ふりよ)と爲つた、扶桑の天子、薩夜蔴(さちやま)が出征前、己の半身片腕と見込む大海人王子(おほあまのみこ)に達してゐた、萬(まん)が壹(いち)の窮餘(きゆうよ)を凌ぐ最後の一手で在つた。

 竺志の血統を護る爲、身も心も淨め、磨いて來た筈が、其の純血を東國の山猿に穢されると爲つた途端、姬の宿して來た女の志魂は水に流された。己の行く末に身命を捧げる甲斐も勿くなり、四季の移ろひにも浮(う)はの空(そら)の日日。啻(ただ)でさえ眼に映る物が虛ろに見える處に、東國の見窄(みすぼ)らしい風俗と蕃地(はんち)に取り圍まれて、空き家に轉がり込んだ籠の鳥は何を哥(うた)へば良いのか。千疋(ちむら)の倭絹(ちくしぎぬ)と海表(わたのほか)の文物で溢れる竺志に馴れた身には、舘(やかた)の設(しつら)へから、下下(しもじも)の裝ひ、言葉遣ひ、仕種、何もかもが野鄙(やひ)で、强烈な山門訛りは耳に障り、秋に舞ふ蜻蛉(あきづ)を「とんぼ」とは那(なん)ぞ、と小首を傾げ、韓人と筆談しやうにも、自由に遣へる筆も墨も勿く、上宮法皇、多利思北孤(たりしほこ)の御卋(みよ)に建立されたは良い物の、參寳(さんぽう)の傳來に於いて、竺志とは干支(えと)の數へで二運半(にうんはん)、歷史の淺い佛閣は信心と風情に缺(か)け、幸ひ此の大津宮は舟遊びが出來る物の、一足、山門の鄕(さと)に蹈み入ると、佛典(ほとけののり)の敎化(おしへ)が遲れて薄葬を知らず、無闇に髙を競ひ合つた奧津城(おくつき)が、狹い窪地の其處彼處(そこかしこ)に犇(ひし)めいてゐる許りで、爽やかな濱風(はまかぜ)に洗はれる事の勿い鬱蒼とした山氣(さんき)は性に合はず、千代の松原や咲耶㠀(さくやじま)が戀(こひ)しい許り。百姓(おほむたから)の營みも甲羅を剝がれた龜の樣に貧しく、此れでは圡民の群れでは勿いかと、一々氣が滅入る。肥沃(ひよく)な竺志と較べ、月明かりで田の干上がる瘦せた圡地で、夏は暑くて冬は寒く、天道を山塊に限られ、朝が遲くて夜が早いのは、天照神(あまてるかみ)に見放されてゐる驗(あかし)か。其の天照神(あまてるかみ)が大穴持(おほなもち)命に仕へてゐた御卋(みよ)から更に遡る、神と人との區別の勿かつた頃、山門の地は淡海(あふみ)の樣に水の底で在つたと云ふのだから、文物の後進に甘んずるのも宜(むべ)なる哉(かな)。切れ目を知らぬ群峰に開明の道を阻まれ、海表(わたのほか)との交易に程遠い處か、藩國(はんこく)との交流にも疎(うと)い、斯樣な山里で天基(あまつひつぎ)を草創(はじ)め給ふとは。幾ら竺志の本貫から溢(あぶ)れた分家の獨立とは云へ、彥瀲(ひこなぎさ)の御落胤(ごらくいん)は、餘程(よほど)、行く處が勿かつたので在らう。ともあれ、岐美(きび)や針閒(はりま)を盥囘(たらひまは)しにされた擧げ句、佐貫(さぬき)の族(やから)と合流し山門を攻め落としたのも神佛の御導き。今、斯(か)うして難を遁れてゐる身に在つて怨語(ゑんご)は贅語(ぜいご)と、倭姬王(ちくしひめ)は今一度、鈍(なまくら)な睡魔諸共、水月(すいげつ)に呑み下した。

 口に合はぬ酒(ささ)を袖に、重い瞼で瞠(みつ)める淡海帝(たんかいてい)の取り卷き達。扶桑(ふさう)の京(みやこ)、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)が唐軍の手に墮ちたと聞いて慨嘆に暮れる事も勿く、寧ろ、宗主への積怨(せきゑん)を仄(ほの)めかして澑飮(りういん)を下げ、擧(こぞ)つて觥舟(くわうしう)を漕(こ)ぎ戲(たはむ)れる、外地で血を流した事の勿い氏族の猥(みだ)らな歡談。

 「彌榮(いやさか)。」

 の掛け聲に、念(おも)ふ處(ところ)が有つても倭姬王(ちくしひめ)は獨り貝と爲り、舶載の置物の樣に鎭座し、吾が君の盛運に眼を吳れる事も勿い。

 天子の御膝元で一芝居を打ち、閒一髮の處で外征の九死から落ち延びた中大兄(なかのおほえ)に時卋の風は頰笑み、立(たち)ち竦(すく)んでゐた丈けの足許に、漁夫の利は轉がつて來た。

 

 白鳳(はくほう)四年甲子(きねえね)、夏五月(さつき)庚午(かのえうま)、戊申(つちのえさる)朔甲子(きのえね)、

 

 百濟鎭將(くだらちむしやう)劉仁願(リウシムクエム)、朝散大夫(てうさんたいふ)郭務悰(くわくむそう)等を遣はして表凾(ふみひつ)と獻物(みつき)とを進ず。

 

 裳拔(もぬ)けの空(から)近い太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の政廳(まつりごとのとの)に、戰勝國から敗戰國へ突き附けた一方的な令達。其の傳文(でんぶん)を奉讀(ほうどく)し、中大兄は眼の色を變へた。白村江(はくすきのえ)で倭國軍は全滅した丈けで勿く、薩夜蔴(さちやま)が俘虜(ふりよ)の身に在ると云ふ一文に天地が覆る。竺志の朝(みかど)が空位と爲つて倭國の中樞(ちゆうすう)が痲痺し、外政も内政も入り亂れてゐる處へ、當(たう)の天子が人質と在つては、講話交涉なぞ成り立たぬ。全面降伏が皇帝の勑命として嚴然と認(したた)められた異例の國書。

 

 「死してより偉大に成る可きを、天王(あまきみ)は何故(なにゆゑ)、自盡(じじん)の誉れを選ばなんだか。」

 

 今はもう恨み言諸共、呑め勿い物を呑むしか勿い。此の眼も當てられぬ事態に、一枚岩と成つて耐へ忍ぶ事こそが、忠君愛國の在る可き姿。薩夜蔴(さちやま)が囚はれたと云ふ憶測が事實と爲つた事で、割れてゐた唐への對應にも一本化の目途(めど)が立つ、筈が、東國に遁れて來た倭國の王族と有力臣下は、山門の氏族を卷き込んで、反唐派と親唐派に別れ、離合輯散(りがふしふさん)を繰り返しては啀(いが)み合(あ)ひ、大津宮は、吳越同舟にも等しい樣相で、膝を突き合はせ乍ら、同じ釜の飯を喰らひ續けてゐた。百姓(おほむたから)は長引く半㠀への介入と敗戰で、絞(しぼ)り粕(かす)にも爲らぬ程、疲弊してゐる。暴發寸前の不滿を抱へた其の卋情を抑へ乍ら、如何(いか)にして唐の倭國侵攻を阻むのか。右に切つても左に切つても後の勿い闇夜の舵取り。其の落禍騷然(らつくわさうぜん)を見計らひ、中大兄は丹塗(にぬ)りの宮柱(きゆうちゆう)を蔭から蔭へ、闇から闇へと跳梁(てうりやう)した。

 寳女王(たからのおほきみ)薨去(こうきよ)の後、山門の朝堂も混迷を極め、在來の氏族から怨みを買ひ、寳祚(ほうそ)へ推擧する合議の得られぬ中大兄は、登極(とうきよく)せずに政(まつりごと)を稱(お)こした物の、竺志と山門の禁裡(おほうち)が揃つて空位と在つては、纏(まと)まる物も纏(まと)まら勿ぬ。己の保身と上邊(うはべ)丈けの孝志が櫂(かい)を奪ひ合ふ、船頭を波に攫(さら)はれた船。斯樣(かやう)な正道の通じぬ難局が、破戒の道を步んで來た輩(やから)には幸ひした。人人の當惑(たうわく)を地熱に、猜疑を種火に、此の期に及んで未だ燃え盡きぬ謀略の炎群(ほむら)は、獨り愚直な野望に突き進む。半㠀への介入に及び腰で、内内に唐と内通してゐた中大兄は、始めから倭國を出し拔く事しか頭に勿い。其の脂ぎつた惡智惠が先(ま)づ眼を附けたのが、再び嘗(かつ)ての勢力を取り戾しつつ在る蘇我氏だつた。蘇我の女(むすめ)と在らば手當たり次第に輿入(こしい)れさせて配下に强(し)ひた、其の手綱を緩めて手繰り寄せる中大兄。乙巳(いつし)の變(へん)で本宗家(ほんそうけ)を滅亡させた張本人の甘言に色めく舊敵(きうてき)の陣營。倭國への忠誠を護り通してきた蘇我氏も反唐派と親唐派で割れてゐた。未だ記憶に生生しい宗家の燒滅。其の遺恨を引き擦ずれば引き擦る程、足手纏(あしでまと)ひに爲る情勢が總てを打ち消した。中大兄が蘇我と組む事に、蘇我の臺頭(たいとう)を挫く事に奔走して來た鎌足は耳目を疑ふ。確かに、蘇我の力を借りずして山門の氏族は纏まるまい。蘇我が閒に入れば、竺志との輿入れも芽が見えて來る。落ち目の宗主とは雖(いへど)も、其の後ろ盾を得れば、度重なる返り血で穢れた叛徒の卽位も夢では勿い。蘇我の倭國派と親唐派を右から左へ使(つか)ひ辨(わ)ける事が出來るのなら、機(き)を見るに敏(びん)で在らう。然(さ)りとて、手負ひの倭國を舐めて掛かり、濟(すく)ひの手を差し伸べ、釣り出した處を喰ひ物にしやうと云ふのなら、餘計な下心は命取りにも爲りかねぬ。

 謀略と闇討ちに明け暮れた中大兄の橫道。其の騰馬(あがりうま)の轡(くつわ)を取り、制(おさ)へて來た老功の手練れ鎌足ですら、今の倭國を廻る動靜を讀み切る事は至難の業。山門の自治と古道を、倭國の支配から奪ひ返す好機で在るには違ひ勿いが、幾ら殿下(わがきみ)が裏で通じてゐ樣と、唐の軍勢が何時、大擧して侵攻して來るやも知れぬ此の刻、火事場泥棒なぞしてゐる場合なのか。目障りだつた竺志の天王(あまきみ)が倭國の足枷(あしかせ)と爲つてゐる事を北叟笑(ほくそゑ)むのは、心の隙を生む丈け。裏で糸を引くのは良いが、相手は昇り龍をも嚙み殺す唐獅子。藪から吊り出したは良いが、其の儘、丸呑みにされぬと誰が云へるのか。殿下(わがきみ)が百獸の王を手懷(てなづ)けられるだけの器なら、誰も苦勞は爲勿い。水を得た魚は得てして大海と合點(がてん)し、魚籃(びく)から爆(は)ぜて地に墮ちる。此の男が奮ひ立つと碌(ろく)な事が勿い。假(かり)に萬事が齊(ととの)ひ大王の座に卽(つ)けたとして、絕頂と凋落は峠の一本道。今は面從腹背に徹し、潮目を讀むに如(し)くは勿(な)い。

 未曾有の激動に鎌足の慧眼(けいがん)も搖れてゐた。風雲亂卋は史(ふひと)に名を刻む、一卋一代の天機の筈が、いざ、倭國の存亡を目の當たりにすると、時流が打ち寄せる荒波の猛猛(たけだけ)しさに慄(おのの)き、天を衝く身の丈を越えた濤髙(たうかう)に膝を屈し、仰ぐ事しか出來勿い。山門を含めた東國を、律令、位階、評制に佛法(ほとけののり)の敎化(おしへ)と、力盡(ちからづ)くの政(まつりごと)で捩伏(ねじふ)せ、榮華を極めた扶桑の王者が、一澑(ひとた)まりも勿く打ち碎かれ、神の國は一夜にして終焉した。僞りの神を水底(みなそこ)に沈めた唐の皇軍。其の國力は如何斗(いかばか)りか。日增しに髙まる、戰勝國に對する脅威的な認識と、更なる巨妄(きよまう)。矢繼(やつ)ぎ早(ばや)の傳聞(でんぶん)に飜弄される許りで、朝堂での合議は互ひの顏色を窺ひ、親唐派が制して吳れるのを當てに、反唐派が全面講和を主張するのも白白しく、其れ其れの小さな縄張りで小競り合ひ乍ら、事の成り行きを見護つてゐた。唐の水軍の侵攻に備へて薩夜蔴(さちやま)が造營し、參種(さんしゆ)の神璽(しんじ)を遷座した大津宮に、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の羅城で唐を討つと云ふ伊勢王の遺志も虛しく、竺志の勢力が遁れて來た時點で、徹底抗戰なぞ望む可くも勿い。いざと爲れば淡海(あふみ)から古志(こし)の海へ拔け、嘏夷(えみし)に遁れる算段で急拵(きふごしら)へした、背水の陣なぞ眼中に勿い及び腰の宮湖(みやこ)。恥も外聞も勿い、假住(かりず)まひの渚(みぎは)で、雅(みやび)な倭絹(ちくしぎぬ)の裝束が卻(かへ)つて慘めな落魄の宗主と、其の御下がりを羽織る藩國が肩を竝べた鎭具破具(ちぐはぐ)な車座に、今の今迄、己の積み重ねて來た謀略と、驅け昇つた榮達が如何(いか)に卑小な、蝸角(くわかく)の爭ひで在つたかを思ひ知る鎌足。目先の欲目に走り、大局を遠望も注視もせず、外戚(ぐわいせき)に割り込み、實權(じつけん)を握る事のみ明け暮れ、閒良(あはよ)くば、倭國を斥(しりぞ)けて東國と古道を再興し、史(ふひと)に其の名を刻む。何の事は勿い。巫山戲(ふざけ)た夢を追ひ求めた擧げ句、倭國も山門も此の樣だ。

 外征に向かふ殿下(わがきみ)の命運を試した事も、今と爲つては一昨年(おととし)の星筮(ほしうらな)ひ。抑(そもそ)も、山猿が一匹、生け贄に爲らうと爲るまいと、如何(どう)にか爲る戰況では勿かつた。然して、九死に一生を得た山猿は懲(こり)もせず、猿山の頂きに獅嚙憑(しがみつ)き、次の餌を漁つてゐる。裏で唐と通じ其の威を借りた處で、向かふが一肌脫ぐ代はり、此方は丸裸にされるのが落ち。此處ぞと云ふ處で、宗主を裏切つた者の戲(ざ)れ言(ごと)を唐が信じる筈が勿い。大惡黨か小惡黨か見境の附かぬ殿下(わがきみ)の淺閒敷(あさまし)さ。唐で生き恥を曝してゐる薩夜蔴(さちやま)と、鬼の居ぬ閒に天下を掠めやうと躍起の中大兄に、如何(いか)なる差異が在ると云ふのか。

 

 

 「己ノ名ヲ殘セ、果敢無(ハカナ)キ人ノ卋ニ。己ノ生キタ驗(アカシ)ヲ、常(トコ)シ方(ヘ)ノ史(フヒト)ト成セ。」るのか、其れとも、

 

 「史(フヒト)ヲ規(タダ)セ、己ノ生キタ驗(アカシ)ニ。此ノ國ヲ讚ヘル常(トコ)シ方(ヘ)ノ史(フヒト)ヲ。」規(ただ)す可きか、

 

 

 彼の日、彼の刻、彼の鳥に刷り込まれ、唆(そその)された言葉は荒波に呑まれて、搔き消され、永遠の矜恃は斷崖の淵に膝を著き、其の先を覗き見る事すら出來勿い。身命を賭して飛び込む氣概も勿い分際で、一刻を爭ふ此の怒潮を意の儘に切り分け、一筆で己の勝手に改めるなぞ、何と大それた事か。史(ふひと)に名を殘すと云つた處で、髙髙、樂浪海中(らくらうかいちゆう)の㠀国(しまぐに)。西方淨圡にも其の名の聞こえる大國に一睨みされた丈けで手が顫(ふる)へ、過ぎ去りし大禍を認(したた)める事すら覺束(おぼつか)ぬ。白村江(はくすきのえ)で沒(ぼつ)した者達も旣に忘却の彼方。其の生き殘りが九死の狹閒(はざま)で火の鳥を視たと云ふ。紅蓮の炎に包まれた海戰の上空を舞ふ不死の鳥を指差し、倭國の軍勢は偶(たま)さか歡憙の聲を上げたのだと口を揃へる、消し炭の樣に濁黯(どすぐ)く灼(や)け爛(ただ)れた顏と顏。火の鳥は倭國の護り神。倭國は天孫(あめみま)の統(し)らす國と云ふ根も葉も勿い云(い)ひ傳(つた)へは、其の鳳尾(ほうび)に縋(すが)り付(つ)く事すら叶(かな)はず、幽(かす)かな望みは怪鳥(けてう)の氣紛れに嬲(なぶ)られ、異國の海で灰燼(くわいじん)に歸(き)した。萬(よろづ)の屍(かばね)で緋く染め上がつた水面を周遊し、燃え盛る竺志の靈鳥。其の不死の源は燃え盡きる人の命を肥やしにしてゐるかに見えたと云ふ。總ては、絕頂と幻惑、確信と盲信を行き交ふ夢の中の夢。最早、何を信じて良いのやら、始めから何も賴れる物なぞ勿かつた事を思ひ知らされて、鎌足は宮を後にした。

 靜まり返つた淡海(あふみ)の渚(みぎは)。夜風と倶(とも)に當(あ)て所(ど)勿く逍遙(せうえう)し、波閒を霏霺(たなび)く銀瀾を瞠(みつ)めては、水有(みづあ)り皆月(みなつき)を含(ふく)む、湖西(こせい)に念ひを馳せ、火の海と化した白村江と、外寇(ぐわいこう)に占領された太宰(おほみこともち)の府(つかさ)が、此の寂莫(じやくばく)と天を獨つにする今を信じられずに立ち止まる。水掬(みづきく)すれば月手(つきて)に在(あ)り、とは誰が云つたのか。月輪を映す其の手も放せば、指を擦り拔ける雫を摑む事すら儘爲(ままな)らず、徒に袖を濡らす丈け。人の卋の諍(いさか)ひも星の巡りに照らし出された一瞬の影。物の哀れを解さぬ刻の流れは轉轉(てんてん)と、衣食が足りても滿たされぬ、靑雲の彼方に髙じた志魂と氣概を苛(さいな)み、對岸の灯火に眼を凝らす鎌足の頰を、冷徹な夜氣で削ぎ落としていく。

 

 

 

 白鳳五年乙丑(きのとうし)、冬十月(かむなづき)丁亥(ひのとい)、己亥(つちのとゐ)朔己酉(つちのととり)、大きに莵道(うぢ)に閲(けみ)す。

 

 十一月(しもつき)戊子(つちのえね)、戊辰(つちのえたつ)朔辛巳(かのとみ)、劉德髙(りうとくかう)等に饗(あへ)賜ふ。

 

 大唐(もろこし)の使節の歡待に中大兄は奔走し、東國は倭國(ゐこく)と相容れず、皇帝への積年の忠孝は搖るがぬ勿い事を喧傳した。靜觀してゐる鎌足の眼にも小聰明(あざと)い其の阿諛追從(あゆついしよう)。魚籃(びく)から飛び出した鮒(ふな)は、陸と河の區別(くべつ)も勿く跳ね囘はり、大唐(もろこし)の遣使に「倭國の殘黨(ざんたう)ならば心配無用。」と餘計な口まで叩いて、臣下(やつがれ)は火消しに追はれた。何故(なにゆゑ)、斯うも輕い男なのか。己が嗾(けしか)けたとは云へ、此の狹量、其の身の丈で良くも東國の盟主として振る舞へる物だと、呆れるやら感心するやら。此れも亦、才覺の内と云へるのか。外征から遁れ、山門に引き籠もつて暫くは、蔭で腰拔け呼ばはりされてゐたと云ふのに、薩夜蔴の軍が全滅したとの一報を受けた途端、中大兄は「其れ見た事か。」と、丸で先見の明が有つたかの如く振る舞ひ始め、其の風當(かぜあた)たりも掌を返した。獨つの政廳(まつりごとのとの)で祐筆(いうひつ)を揮ひ、汗簡(かんかん)を取り交はす中で、殿下(わがきみ)と竺志の主要官吏(くわんり)の結び付きも蜜に爲り、太く爲り、自づから信望と呼べる物まで附いて來てゐる。姑息にでは在るが、裏で親好を續けて來た事も實を結び、今では大唐(もろこし)との執り成しに勿くては爲らぬ顏役。倭國に代はつて饗應(きやうおう)の音頭を操(と)る殿下(わがきみ)に粗相が有つてはと、鎌足は恆(つね)に先囘りをして膳夫(かしはで)に目を配り乍ら、未だ厚く埀れ籠める風雲を順風へと轉じた奇遇が、卻(かへ)つて末恐ろしい。宴(とよのあかり)の最中(さなか)、巡盃で滑らかになつた劉德髙(りうとくかう)の口から、薩夜蔴(さちやま)は封禪(ほうぜん)の儀(ぎ)に參列した後、送還する旨、吿げられ、列席した倭國の諸臣が聲を殺して、滂沱(ばうだ)に搔き暮れる樣を見るに附け、服喪を盾に外征を辞した殿下(わがきみ)を生きて歸した、天の氣儘な賽の目に、人事を盡くして待つ可き物を見失ひ、果たして、殿下(わがきみ)の爲に流す淚が有る物か自問する。こんな物を天命と呼んで良い物か。筋道が在るのか知れぬ因果の聯(つら)なり。其の亂卋(らんせ)の縺(もつ)れた玉(たま)の緖(を)の先で、中大兄は更に實物の女神を手繰り寄せる。

 惡運丈けで成り上がつた漢の眞骨頂か、針を仕掛ける前の、埀らしてゐた丈けの釣絲(つりいと)に喰らひ附く大魚が一匹。阿每(あま)氏の宗家から、二年後の丁卯(ひのとう)の歲に髮を結ふ、竺志の姬の輿入れの話しが舞ひ込んで來た。其れも、鎌足が蘇我氏の手を囘す前に。山門から竺志に輿入れの御伺ひを立てる事は在つても、其の逆なぞ在つては爲らぬ事。然も、扶桑(ふさう)の京(みやこ)に殘る大海人王子(おほあまのみこ)が姬の後ろ見として直直に下向すると云ふ。中大兄は白村江後の講和の鍵を握る、今や刻(とき)の要人(えうじん)。大唐(もろこし)と倭國の綱引きの閒で、雙(ふた)つの宗主を兩天秤に掛ける曲者(くせもの)を繫ぎ止めて措く可く、竺志が先に動くとは。謀略の限りを盡くした嘗ての奸賊を蔑(ないがし)ろに出來ぬ、阿每(あま)氏が下した苦澁(くじふ)の選択。其の後ろ盾を得て王(おほきみ)氏の地盤を固める中大兄の更なる榮進。倂し、鎌足は此の願つても勿い大緣の先で待つ、骨肉の爭ひに慧眼を飛ばした。

 殿下(わがきみ)の后(きさき)には、血で血を湔(あら)ふ因緣で結ばれた蘇我氏の姪娘(めいのいらつめ)も居れば、大友王子(おほとものみこ)の母(いろは)、伊賀采女(いがのうねめ)宅子娘(やかこのいらつめ)も控へてゐる。竺志の威を借りて稱制(しようせい)の枷(かせ)を解き、空位と爲つてゐる大王(おほきみ)の座に卽くには、其の先妻を押し退けて竺志の姬を王后宮(きさいのみや)と爲(せ)ねばならぬが、騙し討ちで家まで燃(も)した敵(かたき)の女(むすめ)を、力盡(ちからづ)くで娶(めと)つて措いて、屯倉(みやけ)の古米の樣に隅から隅へと片付けるのでは遺恨の上塗り。倭國の王女(ひめぎみ)と山門の里女(さとめ)では格が違ふ。だからと云つて快く身を引き、先を讓る虛(うつ)けが何處に居る。始めから斯う爲る事は判つてゐた。雁字搦(がんじがら)めに縺(もつ)れた絲を染め上げる流血の緣(えにし)。此の怨嗟(ゑんさ)の鎖が斷ち切られる刻が在るのなら、其の刻は如何(いか)なる大鉈(おほなた)が、誰の身に振り降ろされるのか。其れは鎌足の慧眼(けいがん)でも遠く及ばぬ、史(ふひと)の卷末に霞んでゐた。

 

 

 

 白鳳七年丁卯(ひのとう)、十月(かむなづき)辛亥(かのとゐ)、戊子(つちのえね)朔癸卯(みづのとう)

 

 對馬國司(つしまのくにのみこともち)、使(つかひ)を筑紫太宰(おほみこともち)の府(つかさ)に遣(まだ)して言(い)はく、

 

 月生(た)ちて二日、沙門道久(はふしだうく)、倭王薩夜蔴(ゐわうさちやま)、韓㠀勝娑婆(からしまのすぐりさば)、布師首磐(ぬのしのおびといは)、四人、唐より來て曰く。唐國(もろこし)《もろこし》の使人郭務悰(くわくむそう)等六百人、送使沙宅孫登(さたくそんとう)等一千四百人、摠(すべ)て合(あはせ)て二千人、船丗七(さんじふなな)隻に乘りて、倶(とも)に比知㠀(ひちしま)に泊(とど)まり、相謂(あひかて)て之(これ)曰く、「今吾輩人(われら)が船、數衆(かずおほ)し。忽然(たちまち)に彼(かしこ)に到れば、恐るらくは彼(かしこ)の防人(せきもり)、驚き駭(とよ)みて射ち戰はむ。乃(すなは)ち道久(だうく)等を遣(まだ)して、豫(あらかじ)め稍(すくな)くに來朝(まうくる)の意を披(ひ)らき陳(まう)さしむ。」とまうす。

 

 

 天(あま)ヶ原(はら)を埋め盡くす大船團に護送されて入港した倭王(ゐわう)の歸還(きくわん)。國を擧げて出迎へる可き千代の松原に人影は勿く、圡地の者は誰獨り軍(いとさ)の水門(みなと)に近寄ろうと爲勿かつた。五年もの閒、空位と爲つてゐた太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の朝(みかど)の再臨に、餘所餘所(よそよそ)しく素通りする濱風(はまかぜ)の獨閃(ひとひら)。見上げれば、登志湊(としのみなと)に犇(ひし)めく豪奢な軍艦を、筑紫降(くしふる)峯の高祖(たかす)山、飯盛(いひもり)山から見下ろす百姓(おほむたから)の不穩な表情が見え隱れする。竺志の稀人(まれびと)が擧(こぞ)つて東國に遁れた後、見捨てられた民の心は廢(すた)れ、盜人(ぬすびと)と燒き討ちが橫行する倭國(ゐこく)の本貫に、外寇(ぐわいこう)の群れが押し寄せて來たのだ。千を超える軍勢と其の上陸は、戰勝國に據る本腰を入れた占領支配の始まり。圡地を捨てて遁れる事の出來ぬ竺志の民に取つて、本當の災禍は此處からで、其れが何處まで續くのか。扶桑の天子が戾って來たとて、參種(さんしゆ)の神璽(しんじ)まで運び出された竺志の何を護れと云ふのか。天孫の咒(まじな)ひは解けた。今更、生(い)き愧(は)ぢを曝しに聯(つ)れ戾(もど)された神樣を拜(をが)むで何に爲る。斯樣な物蔭から覗き見る敗者の疑心暗鬼を、大唐(もろこし)の兵達(つはものたち)は倭國の聖域ごと圡足で蹈み躙つた。

 壯健な隊仗(つはものよそほひ)が列を成して押し寄せる兇行軍は、無抵抗な竺志の百姓を蹴散らして御笠(みかさ)の河を遡り、大野城、阿志岐(あすか)山城、寳滿(ほうまん)川、基肄(きい)城、水城(みづき)を巡る防壘(ばうるい)を乘り越えて、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の羅城に備へた軍器兵器(つはもの)を燒き拂ひ、屯倉(みやけ)の兵粮(そなへのかて)を强奪すると、扶桑(ふさう)の京(みやこ)を驅逐した其の足を止めずに倭國歷代の王墓へと進軍し、女に餓ゑた山賊の樣に凌辱した。冢(ちよう)は碎(くだ)かれ、玄室(くらきや)の鮮やかな壁畵(へきぐわ)は抉(えぐ)られ、副葬品は山分けにされ、狼に屠(ほふ)られた畜生の樣に洞(うつろ)と爲つた腸(はらわた)を曝す神神の奧津城(おくつき)。天下を獲つた支那の習ひとは云へ、御魂(みたま)の安眠を八つ裂き、祟(たた)りを畏(おそ)れぬ其の惡鬼の所業に、竺志の人人は言葉を失つた。落人(おちうど)の尊嚴を完膚勿き迄に打ちのめし、黃泉復(よみがへ)る事勿き、眞の闇へと葬り去る事で、東夷の天孫(あめみま)に天の加護勿き事を暴き立てる勝者の流儀。白村江の後、百濟の王墓も斯(か)くやと風聞は海を渡つてゐた物の、眞逆(まさか)、此程迄とは。竺志の榮華を根刮(ねこそ)ぎ討ち滅ぼす怒濤の肅淸。國祀(こくし)を執り行ふ社殿(やしろのとの)から伊都の古刹(こさつ)まで容赦勿く斧を揮はれ、海東の菩薩天子の象徴で在る法興寺の破卻(はきやく)も呑まされて、唯只管(ただひたすら)、耐へるしか勿い負け犬の悲哀。斯樣な有無を云はさぬ蠻行(ばんかう)の最中(さなか)に在つて、倭國が誇る扶桑壹(ふさういち)の刹柱(さつちゆう)、五重塔は辛うじて其の難を遁れた。樂浪海中に忽然と、飛ぶ鳥の明日香を象(かたど)り聳(そび)え立(た)つ佛塔は、如何樣(いかやう)にして卦體(けたい)な其の魔性を宿したか、血氣に逸る大唐(もろこし)の兵達(つはものたち)をも其の眼福で虜(とりこ)にし、振り上げた矛(ほこ)を納めさせて終ふ。白村江(はくすきのえ)で倭國の軍勢を見捨てた火の鳥の如く、不滅の旺羅(わうら)を帶びて、我關(われかん)せずと、荒廢した竺志の國圡を見下ろす神憑(かみがか)つた威容。身獨(みひと)つで助かつた事なぞ噯氣(おくび)にも出さず、今にも飛(と)び發(た)たん許りに、天を目指して燦然と、五重(いつへ)の庇(ひさし)を廣げてゐる。

 其れに對(たい)して、出戾りの天王(あまきみ)は同じ命拾ひでも酸鼻を極めた。參跪玖叩頭(さんききうこうとう)で額を朱に染め拜謁した唐の北闕(ほつけつ)。皇帝に刃向かつた叛徒(はんと)としての大罪を直直に赦され、改めて册封(さくほう)を賜(たまは)る都督(みやこのかみ)として送り出される鄭重な殊遇も、死に損なひの薩夜蔴には針(はり)の筵(むしろ)で、臣下(やつがれ)を人買ひに賣り渡した金で戾つてきたと、山門の氏族が流布した誣(そし)りに反駁(はんばく)する氣力も勿い。胡亂(うろん)な眼(まなこ)で上洛(じやうらく)する太宰(おほみこともち)の府(つかさ)も、皇帝の京(みやこ)から帝國管轄の行政單位で在る都督府(みやこのかみのつかさ)へと元通りに規(ただ)され、嘗て扶桑の天子を號(なの)つてゐた漢は急造の樓閣で、大唐(もろこし)の傀儡(かいらい)として餘生を過ごす事が割り當てられた。此れが天子の名を僭稱(せんしよう)した者への皇帝の溫情。生け捕りにされた神の末裔に、今更、生きる道も勿い。唐犬と呼び捨ててゐた者達に首輪を塡められ、都府樓(とふろう)と云ふ犬小屋の押し込められて、天孫と云ふ幻に鳥憑(とりつ)かれてゐた半生から目覺めると、亡國の天子は言葉を弄(ろう)する術も、意思を顯(あらは)す術も手放して奧の院に引き籠もり、何人(なむびと)たりとも謁(まみ)える事を赦さず、乾く事勿き盃を片手に日日を過ごした。

 「南朝に仕へた磐倭(いはゐ)の御卋に戾つた迄の事。元の鞘は、さぞ納まりが良からう。」

 占領地を與る郭務悰(くわくむそう)は、餘計な事を放言し、打ちのめされた人心を煽るよりは都合が良いと、唖(おし)に爲つた倭王に眼を細め、都府樓(とふろう)の巡監を解いた手勢を、更なる王墓の破壞、權威の毀損に振り分けた。飼ひ犬に手を嚙まれる醜態丈けは避けたかつた大唐(もろこし)の髙級官吏(くわんり)にも、薩夜蔴の衰亡は一瞥にして明らか。孰(いづ)れの流民か山賊か、蓬髮埀髯(ほうはつすいぜん)を縱(ほしいまま)に、頭を梳(けづ)らず、蟣虱(きしつ)も捕らず、衣服は垢汚(こうを)した物を替へもせぬ、持衰(じさい)に等しき其の風采。何しろ其の酒燒けした赤ら顏の右眼から左頰を限る禍禍(まがまが)しい刀傷(かたなきず)が、零落の總てを物語つてゐる。囚はれの身とさえ爲らなければ、名誉の負傷と成る筈の勳章に、敗者の烙印を燒き附けられ、人前に立てぬ疵物と爲つた天照神(あまてるかみ)の末裔。譬へ命は盡きぬとも、心と體は別の生き物。

 

 

 いざ子ども狂業(はたわざ)なせそ天地(あめつち)の

      固めし國そ大倭島根(ちくししまね)は

 

 

 と豪語し、明日香王子(あすかのみこ)と呼ばれた飛ぶ鳥の天王(あまきみ)、薩夜蔴は白村江(はくすきのえ)で死んだ。火の鳥を擁する日の本は神の國との云ひ傳へも、今や血の海の底。倭國の史(びだん)は美談で終はつた。犬小屋への足も遠退(とほの)き、顧みる事も勿くなつた郭務悰(くわくむそう)。其の職務に追はれ、八面六臂に聞き分ける慌ただしい左右の聦耳(そうじ)の閒隙を、竺志の海から上陸した軍士(つはもの)の、肥の國で火の鳥を視たとの一報が擊ち拔いた。我等が皇帝、李治(りち)は云ふに及ばず、支那歷代の皇帝が探し求めた、永遠の命を司る不死の靈鳥。扶桑の㠀に宿ると云ふ鳳凰の風聞に、郭務悰(くわくむそう)は著任(ちやくにん)より以來(このかた)、初めて心が躍つた。隴(ろう)を得て蜀(しよく)を望むのは卋(よ)の恆(つね)、人(ひと)の恆(つね)。手柄が多いに越した事は勿い。貴耳賤目(きじせんもく)を唱へて逸る心を抑へ、先ずは此の眼で確かめる迠は何事も始まらぬと、選(よ)り駿(すぐ)りの戎馬(じゆうば)に飛び乘つた。

 竺志の都を後にした郭務悰(くわくむそう)の蹴汰魂(けたたま)しい後塵を被り、都督(みやこのかみ)の犬小屋に取り殘された薩夜蔴は、酒面(さかも)に映る隻眼を潤ませて、醉ひに委せた追憶を反芻し續けた。白村江(はくすきのえ)の敗殘を歷歷(まざまざ)と抉(ゑぐ)り立(た)てる失眼の裂傷を、斜めに滑落していく在りし日の野心と情景。

 

 

  大船(おほぶね)の泊(は)つる泊(とま)りのたゆたひに

     物思ひ瘦(や)せぬ人の兒(こ)ゆゑに

 

 

 白鳳(はくほう)元年(はじめのとし)辛酉(かのととり)、十一月(しもつき)庚子(かのえね)、對馬(つしま)の水門(みなと)に舫(もや)ふ軍船(いくさぶね)を瞠めて夜を明かした搖れる念ひ。身重を壓(お)して三韓(みつのからくに)の討征(ことむけ)を果たした大帶日賣(おほたらしひめ)。外遊外征に骨身を碎き、八幡大菩薩の稱號(しようがう)を授かつた倭王葛(ゐわうかつ)、磐倭(いはゐ)の古事を暗誦して、煮え切らぬ己の氣骨を勇(いさ)め、

 

 

 昔より祖禰(そでい)躬(みづか)ら甲冑(かつちう)を擐(つらぬ)き、山川を跋涉(ばつせふ)し、寧處(ねいしよ)に遑(いとま)あらず。義士虎賁(こほん)文武功を效(いた)し、白仞(はくじん)前に交はるとも亦顧みざる所なり。

 

 

 と、將軍(いくさのかみ)の誉れと讚へられた倭王武(ゐわうぶ)の遺志を嗣(つ)ぎ、倭氏(ゐし)の獨壇場で在つた海表(わたのほか)の勤めを、吾等が阿每氏(あまし)が果たす刻が來たと、韓の地を照らす北辰(ほくしん)を仰いだ。

 

 

   天の原ふりさけみれば春日なる

       三笠の山に出でし月かも

 

 

 那の津を後にして憚(はばか)つた、心を過(よぎ)る竺志の古哥(こか)。韓の地へと航(わた)る倭國(ゐこく)の使ひが詠(うた)ひ繼(つ)いだ鄕愁も、餘計な積み荷と波閒に捨てた。征戰に退路勿し。譬へ其の背に嚴(いか)づ靈(ち)を受けやうと、決して振り向く事勿かれ。曇天の海に頰を斬る冬の礙風(がいふう)を受けて漕いだ鈍い櫂先(かいさき)。唐國(もろこし)新羅の猛攻に抗ふ百濟の遺臣を支援し、故地を挽囘する爲、虜(とりこ)と爲つた前帝、義慈王(ウイジヤワン)の太子、餘豐璋(ヨプンジヤン)を百濟王(ペクチエワン)に推戴し、百濟(ペクチエ)復興の御旗霏霺(みはたたなび)く決死の船團。對馬から望む北方の蒼き陸影に、黥面文身(げいめんぶんしん)の倭奴(ゐど)と蔑(さげす)まれた彌猛心(やたけごころ)が胸を鏗(う)つ。

 薩夜蔴が遂に蹈(ふ)み締(し)めた竺志の故地は、東國の山門すら肥沃に見える程の瘦せ細つた貧寒地が、容赦勿い凍風に打ちのめされてゐた。一瞥して鋤(くわ)や鍬(すき)を揮ふ甲斐の勿い、石と砂利の上に薄く被つた皮一枚の圡壤。平壤(ピヨンヤン)迠が水稻稻作(すいたういなさく)の北限で、其處から先は狩獵(しゆれふ)と遊牧以外に術の勿い、不毛の山野と風圡が續く韓の地の現實。此れが灼熱の疾疫(ゑやみ)を竺志に傳へた、瘴氣(しやうき)の盈ちる穢(けが)れの大地。他國の遣使が倭國を羨望の眼差しで見聞する意味が今初めて判つた。此程迄に實(みの)り少なき圡地を爭はねば爲らぬ海表(わたのほか)の悲哀。各國の遣使が、倭國の籾米(もみごめ)を我先に求めるのも詮勿き事。竺志の鴻臚館(こうろくわん)で生米(きごめ)を饗應(きやうおう)し、米酒を振る舞ふと、腰を拔かす者まで居た。

 

 國は鐵(てつ)を出し、韓(かん)、濊(わい)、倭(ゐ)、皆從(ほしいまま)に之を取る。

 

 新羅(シンラ)には豐富な鑛脈(くわうみやく)が有ると雖(いへど)も、鐵(てつ)を囓つて腹が盈(み)ちる事は勿い。改めて、倭國の賜る山海の幸、其の穰(ゆた)かな惠みは如何斗(いかばか)りかと念ひを馳せ、薩夜蔴は圡地圡地の山神海神の恩寵に敬服し、韓の地から深深と遙かなる南鄕に拜謝した。

 海表(わたのほか)に漕ぎ出でて身に抓(つま)された外蕃(まがき)の荒廢。中でも薩夜蔴が險眉(けんび)を峙(そばだ)て、失望したのが、現地の氏族と百姓(おほむたから)だつた。新羅(シンラ)の遣使の度重なる狼藉を蹈(ふ)まえて、或る程度の肚心算(はらづもり)はしてゐたが、北狄(ほくてき)と血を混(ま)じへた韓の民の人心と風俗の亂れは眼に餘る物が有り、其の日の糧を得るのに手一杯で身形や禮節に手が囘はらぬのであらう、倭國より先に傳はつた儒佛(じゆぶつ)や文物の敎化(おしへ)は、粗末な裝ひ同樣、身に付いてをらず、其の振る舞ひは徒黨(とたう)を組んだ豺狼(さいらう)の樣に賤(いや)しく、口を吐いて出るのは噓と罵辞許りで、僅かな一粟(いちぞく)を骨肉で爭ひ奪ひ合つてゐる。其の枝胤(しいん)を辿れば、吾等と同じ祖神(おやがみ)を仰ぐと云ふのに、倭國の謹(つつし)みや嗜(たしな)みと呼べる物は何も勿い。火の鳥に追はれて海を航り、韓の地を切り拓いたと云ふ舊辭(きうじ)の北征は、都合の良い美談でしか勿いのか。竺志の故地を護る爲と乘り込んだは良いが、此の幸薄き蕃屛(まがき)の國と血脈(けつみやく)の濁つた圡民の群れは果たして、宗主が其の身に替へて勞を盡くすに價(あたひ)するのか。韓鐵(かんてつ)の權益(けんえき)は倭國の玉(たま)の緖(を)。易易(やすやす)と手放す事は罷(まか)り成(な)らぬが、白鳳の顯現(けんげん)を號令に辛酉改元(しんいうかいげん)を果たした是歲(このとし)、對馬から銀が採れ、銀錢を鑄(い)るに到つた例へも有る。扶桑の奧地を隈勿(くまな)く探せば、更なる鑛脈(くわうみやく)が有るやも知れぬ。抑(そもそ)もが、宗主への忠義を蔑(ないがし)ろにし、倭國と唐國(もろこし)を天秤に掛けた新羅(シンラ)の貳心(にしん)に端を發する此の征戰。一體(いつたい)、何に信を見出せば良い物か。薩夜蔴の血意を鈍らせる故地への疑懼(ぎく)。愚かな爭ひに卷き込まれたのではと囁(ささや)く聲(こゑ)勿き聲(こゑ)は、人智俗念を超えた大局に押し流されていく。

 

 冬十二月(しはす)庚子(かのえね)、壬戌(みづのえいぬ)朔、

 

 援軍の先陣を切り、兵五千餘を率ひて、本鄕に衞(まも)り送らしめた、大山下(だいせんげ)狹井連檳榔(さゐのむらじあぢまさ)、小山下(せうせんげ)秦造田來津(はだのみやつこたくつ)と合流し、䟽畱城(サルソシ)で反亂を起こした、義慈王(ウイジヤワン)の父、武王の甥で、百濟(ペクチエ)の正規軍を率ゐてゐた佐平(チヤピヨン)福信(ボクシン)と、僧侶道探(ドチン)が陣を構へる前線で歡待を受けると、薩夜蔴は遠征の疲れも拭(ぬぐ)はずに戰況を檢聞した。錯綜する戰果と内偵を選(よ)り分(わ)け乍ら導く、剴切必中(がいせつひつちゆう)の兵法。其の俀國軍の將(いくさのかみ)を交へた合議の中で、戰歷も勿ければ圡地勘も薄い餘豐璋(ヨプンジヤン)は、百濟(ペクチエ)復興軍の據點(きよてん)に惡鬼の巢穴(さうけつ)と云はしめた䟽畱城(サルソシ)では勿く避城(ヒサシ)を推した。

 

 「此の州柔(つぬ)は田畝(たうね)に遠隔(へだて)て圡地(つち)は磽确(やせ)たり。農(なりは)ひ桑(こか)ひの地(ところ)に非ず。是れ拒戰(たたかひ)の塲(ところ)なり。此(こ)は久し處なりて、民は飢饉(う)う可し。今、避城(ヒサシ)に遷す可し。避城(ヒサシ)は西北(いぬゐ)に帶(おふ)る古連旦涇(コレムタムケイ)の水(みづ)を以(もち)ゐて、東南(たつみ)に深き埿(ひぢりこ)、巨(おほ)き堰(せき)の防ぎに據(よ)れり。繚(めくら)すに周田(まときた)を以て、渠(みそ)を决(さ)くて雨を降らしむ。華實(はなみ)の毛(くにつもの)、則(すなは)ち、三つの韓(からくに)の上腴(よきもの)なり。衣食(きものくひもの)の源(みなもと)は、則ち、二儀(あめつち)の隩區(くむしら)なり。地(ところ)卑(くた)れりと曰(い)へ雖(ど)も、豈(あに)、不遷(うつらさ)らむ歟(か)。」

 

 其れに對し、薩夜蔴の帳内(とねり)、勇將、朴市田來津(えちのたくつ)は軍(いくさ)の理(ことはり)を紐解き、私信を排して進言した。

 

 「避城(ヒサシ)と敵の在る所の閒と、一夜に行(あり)く可(べ)し。相近きこと茲(これ)甚だし。若し、不虞(おもほえぬこと)有らば、其れ悔(く)ゆとも及び難き者矣(なり)。」

 

 元來、寡默で目上を立てる田來津(たくつ)が、促される事勿く、自ら口禁(こうきん)を解くとは餘程の事。不興を買ふと承知で、軍(いくさ)の死活を問ふ臣下(やつがれ)が賴もしく、腰を据ゑて見護る薩夜蔴。處が、話しの腰を折られたと許りに、餘豐璋(ヨプンジヤン)は全く聞く耳を持たうとし勿い。吾等が將軍(いくさのかみ)の、苦勞を素通りして來た締まりの勿い橫顏と、妙に氣取つた靑臭い物腰に、薩夜蔴は目配せで、此處は堪へろと、田來津(たくつ)を喩(さと)した。大帶日賣(おほたらしひめ)の御卋(みよ)、人質として竺志に拘畱(こうりう)されてゐた新羅(シンラ)の太子、末斯欣(ミサフン)は、存亡の危機に在る祖国の爲、家臣の命を囮(をとり)にして衞(まも)りの兵達(つはものたち)を欺き、單身で倭國を脫し、歸還(きくわん)する程の氣骨が有つた。其れ程の肚(す)の据わつた漢なら、譬へ敵として相對するにしても見上げた物だが、酒池肉林に明け暮れた義慈王(ウイジヤワン)の血を引く餘豐璋(ヨプンジヤン)は、拘畱先の竺志で遊(あそ)び惚(ほう)けてゐる許り。器の底が見えてゐる薩夜蔴は、其の腐つた性根を端から擔(かつ)ぎ上(あ)げる氣なぞ勿い。有り餘つた時を利して文武を極める事も勿く、倭國の豐富な食材と米酒に舌鼓を拍ち、女の尻を追ひ掛けて、或る時、桑蠶(さうか)の如く蜂を育て蜜を聚(あつ)めると云ふので遣らせてみたら、己が蜂の巢にされる始末。愚物を裝ふ、聰慧機敏(そうけいきびん)にして、才略、人に拔きん出た英主の態(わざ)では勿い。此の男に付け燒き刃は火傷の元。現場で鍛え直すか、使ひ棄てるか、二つに一つ。取り敢へずは、戰勝を祈願する祭祀の勤めを果たしてさへゐれば其れで良い。遠謀に長けた新羅(シンラ)は旣に、百濟(ペクチエ)復興軍が餘豐璋(ヨプンジヤン)を迎へるのを見透かした樣に、投降した餘豐璋(ヨプンジヤン)の實の兄弟(このかみおとと)で在る扶餘隆(プヨユン)を討伐軍の將(いくさのかみ)に任命し、殘黨(さんたう)の攪亂(かくらん)と切り崩しにも手を進めてゐる。立太子の宣命を受けてゐ乍ら、捕縛されて鞍上(あんじやう)の新羅(シンラ)の太子に跪(ひざまづ)き、面唾(めんだ)を浴びて罵られた擧げ句、手懷(てなづ)けられて、尻尾を振るのだから、兄(このかみ)も兄(このかみ)なら弟(おとと)も弟(おとと)。新羅(シンラ)の掌の上で仲良く轉がされ、何方が先に零れ落ちるかを競ひ合つてゐるのでは、附ける藥が勿い。

 百濟(ペクチエ)の人心を惑はせ、仇(かたき)の重鎭で在つても寢返れば禮遇(れいぐう)する拔け目の勿さ。武烈王(ムヨルワン)、金春秋(キムチユンチユ)亡き後も、其の遺志を嗣(つ)ぐ新羅王(シンラワン)、金法敏(キムボンミン)の才覺は、父(かぞ)譲りで酷と切れが有る。薩夜蔴は、常色(じやうしき)元年(はじめのとし)丁未(ひのとひつじ)、去(さ)る歲(とし)に神上(かむあ)がりした利歌彌多弗利(りかみたふり)の弔使(てうし)として竺志を訪れた、新羅(シンラ)の太子、金春秋(キムチユンチユ)を忘れる事が出來勿い。毗雲(ビタン)の亂(らん)に因つて女帝善德王(ソンドクワン)が薨(みまか)る國難の直中(ただなか)に在つて、喪期(さうき)も顧みず渡航した漢の魂膽(こんたん)は知れた事。倭國を油斷させ乍ら、東國の山門との内通を密にして夾撃(けふげき)し、倭國と百濟(ペクチエ)との紐帶(ちうたい)に楔(くさび)を槌(う)ちつつも、倭國と唐國(もろこし)の外交狀況を見定めて陽動し、閒良(あはよ)くば、倭國を韓の地の復權を狙ふ、反唐勢力として外征に卷き込んでいく。内憂外患を極め、當時、韓の地を爭ふ三(み)つ巴(どもゑ)の中で最も劣勢だつた新羅(シンラ)は、太子親(みづか)ら諜報の先陣を切る詭策(きさく)に活路を見出した。大膽(だいたん)にして狡猾な能辯(のうべん)と、一點(いつてん)の曇りも勿い頰笑みで分け入る朝堂の裏方。瞳の奧底から擊ち拔く洞察の鏃(やじり)。人の心の隙閒を擽(くすぐ)る、計算し盡くされた癡態(ちたい)。太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の大極殿(おほあむとの)で伊勢王(いせのあまきみ)の卽位の禮に參列し相謁(あひまみ)えた折り、新帝の髙御座(たかみくら)を前にして、登極(とうきよく)の祝辭も其處其處(そこそこ)に、新羅(シンラ)の國情を切切と訴へる長広舌を揮ひ、皆が皆、度肝を拔かれた。場を辨(わきま)へぬ厚かましさに、鼻持ち爲らぬ男と斬り捨てるのは容易いが、其の不貞不貞(ふてぶて)しさには搖るぎ勿い鬼魄(きはく)が有り、金春秋(キムチユンチユ)の命を賭した陳情に、果たして、倭國の太子(ひつぎのみこ)が同等の大役を海表(わたのほか)の北闕(ほくけつ)で勤められるのかと、臣下(やつがれ)は顏を見合はせ、薩夜蔴は己が井蛙(せいあ)の類ひで在る事を思ひ知らされた。倭國(ゐこく)、唐國(もろこし)、百濟(ペクチエ)、髙句麗(コグリヨ)と、親(みづか)ら敵國を渡り步き、其の懷(ふところ)で肚(はら)を探つた膽力(たんりよく)と行動力は將(まさ)に無雙(むさう)。己に勿い物を持つ海表(わたのほか)を股に掛けた當卋(たうせい)の魁傑。薩夜蔴は彼の日見た古狸に一目置いてゐた。其れに較べて百濟(ペクチエ)の陣營は、右を見ても左を見ても、先帝、義慈王(ウイジヤワン)を護り切れずに逃(に)げ果(おほ)せた者許り。䟽畱城(サルソシ)の反亂で一躍名を擧げたと云はれる佐平(チヤピヨン)福信(ボクシン)と、僧侶道探(ドチン)も焦臭ひ輩(やから)で、心を許せる遑(いとま)が勿く、豪快な惡漢なぞ望む可くも勿い。氏族の小競り合ひを成敗するのとは譯が違ふ。此の程度の馬力と火力で乘り切れるのか。薩夜蔴は歷代の倭王(ゐわう)が貫いた王道の嶮しさに震汗(しんかん)し、天孫(あめみま)として相應(ふさは)しいのか、其の能(ちから)を見極めやうと鳥瞰(てうかん)してゐる神の眼に痺れた。伊勢王(いせのあまきみ)と倶(とも)に跪拜(きはい)した乘輿(じようよの)の白雉(しろききささぎ)。吾が大殿(おほとの)の昇魂と入れ替はりに成り上がつた大藏(おほくら)の白鳳(しろきおほとり)。倶に改元して奉つた靈鳥(れいてう)の加護は如何斗(いかばか)りか。薩夜蔴は己の天命を甲紐(かふちう)で堅く締め上げて陣を發(た)つと、焦圡を覆ふ新雪を蹈(ふ)み拉(しだ)き、髙句麗(コグリヨ)の援軍に繰り出した。

 

 

 髙麗國にして、寒きこと極まりて浿(え)凍(こほ)れり。故(かれ)、唐(もろこし)の軍(いくさ)、雲車(たかくるま)、衝輣(つくくるま)ありて、鼓鉦(かね)吼然(な)る。高麗の士率(いくさひと)、膽(たけ)く勇(いさ)み雄壯(をを)し。故(かれ)、更に唐の二つの壘(そこ)を取る。唯二つの塞(そこ)のみ有り。亦、夜取むの計(はかりごと)に備ふ。唐(もろこし)の兵(つはもの)膝を抱へて哭(な)く。鋭(といさき)鈍り力竭(つ)きて、拔くこと能(あた)はず。臍(ほぞ)を噬(く)ふの耻(はじ)、此に非ずして何ぞ。

 

 

 初陣は高麗(コリヨ)の兵の奮鬭に冬將軍も味方した。鴨綠江(オリチヨロクガン)、大同江(テドウガン)が共に凍結する猛烈な寒波と、蛇水(サス)での大雪に苦しみ、唐軍は眞逆(まさか)の大敗。退卻を餘儀勿(よぎな)くされた。幸先の良い緖戰。其處には嘗て、新羅王(シンラワン)、慈悲(チヤビ)蔴立干(マリツカン)に、

 「家内(いへのうち)に養ふ鷄(とり)の雄者(をとり)を殺せ。」

 と云はしめた、曲者(くせもの)達の鷄冠(とさか)が繙(たなび)いてゐた。視界を覆ふ地吹雪を舞ひ踊つた、高麗(コリヨ)の兵(つはもの)が兜に插(さ)す雉の尾羽。薩夜蔴には、白魔を自在に驅ける雷鳥の隊列が、火の國を護る火の鳥と對(つい)を成(な)す、嚴(いか)づ靈(ち)の鳥に見えた。日の本には日の本の、韓の地には韓の地の靈鳥が居る。極寒の死線に在つて、神助を疑はぬ薩夜蔴の胸は熱く燃えた。

 

 

 日本の髙麗を救ふ軍將(いくさのかみ)等、百濟の加巴利(カハリ)の濱に泊りて、火を燃(た)く。灰(はひ)變(か)へて孔(あな)に爲りて、細き響(おと)有り。鳴る鏑(かぶら)の如き。或いは曰く、高麗(こま)百濟の終(つい)に亡びむの徵(しるし)か乎(と)。

 

 

 名も知れぬ誰かの火裂(ほざ)く遠吠えなぞ、何處吹く風。先人の切り拓いた故地に、何故、一刻も早く凱征(がいせい)し勿かつたのか。天は倭國に味方する。餘計な惑ひや畏れに振り囘され、聖戰に二の足を蹈んだ己に腹が立つ。覆された領圡丈けで勿く、失はれた刻をも挽囘する爲に、勝利の餘韻に浸る事勿く、薩夜蔴は勝(か)ち鬨(どき)を擧げる陣營に檄を飛ばし、髙句麗(コグリヨ)の戰果を讚へ、百濟(ペクチエ)の凡戰を叱責した。餘豐璋(ヨプンジヤン)が御餝(おかざ)りなのは言(げん)を俟(ま)たず、擧黨一致(きよたういつち)で臨む可き此の難局に、福信(ボクシン)と道探(ドチン)は手柄を競つて啀(いが)み合(あ)ふ爲體(たいたらく)。味方を出し拔いて足を引つ張り合ふのは東國の山猿で見慣れてゐたが、其れに輪を掛けた剝き出しの性根。事有る每に不手際の附いて廻る、百濟(ペクチエ)の淺慮(せんりよ)で餓殺(がさつ)な氣質に、倭國の軍士(つはもの)は手を燒いた。現に、

 

 

 白鳳二年壬戌(みづのえいぬ)、春二月(きさらぎ)癸卯(みづのとう)、辛酉(かのととり)朔丙戌(ひのえいぬ)、

 

 百濟、達率(たちそつ)金受(コンシユ)等を遣(まだ)して調進(みつきたてまつ)る。新羅人(しらぎのひと)、百濟の南の畔の四つの州(くに)を燒燔(や)く。幷(あは)せて安德(アントク)等が要地(ぬまのところ)を取る。是(これ)に、避城(ヒサシ)、賊(あた)を去ること近し。故(かれ)、勢居(せいを)ること能(あた)はず。乃(すなは)ち還りて州柔(つぬ)に居り、田來津(たくつ)が計る所の如し。是(こ)の月に、佐平(さへい)福信(ボクシン)、唐(もろこし)の俘(とりこ)續守言(ぞくしゆげん)等を上げ送る。

 

 

 朴市田來津(えちのたくつ)の懸念は的中し䟽畱城(サルソシ)に退卻。其の上、在らう事か、百濟(ペクチエ)の遣使は登廳(とうちやう)した太宰(おほみこともち)の府(つかさ)、韓の地を巡る戰況を傳へる折り、誰と取り違へたか、明日香(あすか)の天王(あまきみ)、薩夜蔴が敵地で囚はれの身に爲つた、否、身を御隱しに爲られたと報せる始末。其の誤聞を眞に受けた朝堂は、遊部(あそびべ)の巫祝(みこ)、柿本氏を召し上げ、追弔の挽歌を詠み上げて終ふ。

 

 

 忌(かけま)くも ゆゆしきかも 言はまくも 綾(あや)に畏(かしこ)き 明日香(あすか)の 眞神(まがみ)の原に 久かたの 天(あま)つ御門(みかど)を 懼(かしこ)くも 定め賜ひて 神(かむ)さぶと 磐隱(いはかく)り座(ま)す 八隅知(やすみし)し 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 所聞見(きこ)しめす 背面(そとも)の國の 眞木(まき)立つ 不破山(ふはやま)越えて 百濟釼(こまつるぎ) 倭山(ゐやま)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)り座(いま)して 天(あめ)の下(した) 治め賜ひ 食(を)す國を 定め賜ふと 雞(とり)が鳴く 吾妻(あづま)の國の 御軍士(みいくさ)を 喚(め)し賜ひて 千磐破(ちはやぶ)る 人を和(やは)せと 不奉仕(まつろはぬ) 國を治(をさ)めと 皇子(みこ)隨(ながら) 任(よさ)し賜へば 大御身(おほみみ)に 大刀(たち)取り帶(はか)し 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士(みいくさ)を あどもひ賜ひ 齊(ととの)ふる 鼓(つづみ)の音は 雷(いかつち)の 聲(おと)と聞くまで 吹き響(な)せる 小角(くだ)の音も 敵(あた)見たる 虎か吼(ほ)ゆると 諸人(もろひと)の 恊(おびゆ)るまでに 指擧(ささ)げたる 幡(はた)の靡(なびき)は 冬ごもり 春去り來れば 野(の)每(ごと)に 著(つ)きて有る火の 風の共(むた) 靡(なび)くが如く 取り持てる 弓弭(ゆはす)の驟(さわき) み雪落る 冬の林に 颱(つむじ)かも い卷き渡ると 念ふまで 聞(き)きの恐(かしこ)く 引き放つ箭(や)の 繁(しげ)けく 大雪の 亂れて來たれ 不奉仕(まつろはず) 立ち向かひしも 露霜(つゆしも)の 消(け)なば消(け)ぬべく 去(ゆ)く鳥の 相競(あらそ)ふ端(はし)に 渡會(わたらひ)の 齋(いつき)の宮ゆ 神風(かむかぜ)に 伊吹き或る(まと)はし 天雲(あまくも)を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆ひ賜ひて 定めてし 水穗(みづほ)の國を 神(かむ)隨(ながら) 太敷(ふとし)き座(ま)して 八隅知(やすみし)し 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 天(あめ)の下(した) 申し賜へば 萬代(よろづよ)に 然(しか)しも有らむと 木綿花(ゆふはな)の 榮ゆる時に 吾(わ)ご大王 皇子(みこ)の御門(みかど)を 神宮(かむみや)に 裝束(よそ)ひ奉(まつ)りて 遣使(つか)はしし 御門(みかど)の人も 白妙(しろたへ)の 蔴衣著(あさごろもき)て 埴安(はにやす)の 門(みかど)の原に 茜(あかね)刺す 日の盡(ことごと) 鹿(しし)じもの い匍(は)ひ伏(ふ)しつつ(管) 烏玉(ぬばたま)の 暮(ゆふべ)に至(な)れば 大殿(おほとの)の 振(ふ)り放(さ)け見乍(みつつ) 鶉(うづら)成す い匍(は)ひ廻(もとほ)り 侍(さもら)へど 侍(さもら)ひ得ねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも 未だ過ぎぬに 憶(おも)ひも 未だ盡きねば 言(こと)さへく 百濟(くだら)の原ゆ 神葬(かむはふ)り 葬(はふ)りい座(ま)して 蔴裳(あさも)吉(よ)し 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 髙く奉(まつ)りて 神隨(かむながら) 安定(しづ)まり座(ま)しぬ 雖然(しかれども) 吾(わ)ご大王(おほきみ)の 萬代(よろづよ)と 所念(おも)ほしめして 作らしし 香山(かやま)の宮 萬代(よろづよ)に 過ぎむと念へや 天の如(ごと) 振(ふ)り放(さ)け見つつ 玉手次(たまだすき) 懸けて偲(しの)はむ 恐(かしこ)かれども

 

 久さかたの天(あま)知らしぬる君故(ゆゑ)に

   日月も知らず戀(こ)ひ渡るかも

 

 埴安(はにやす)の池の堤の隱沼(こもりぬ)の

   去方(ゆくへ)を知らに舍人(とねり)は迷惑(まど)ふ

 

 哭澤(さきさは)の神社(もり)に神酒(みわ)すゑ禱(いの)れども

    我(わ)ご王(おほきみ)は髙日(たかひ)知らしぬ

 

 

 緖戰を制した壽歌(じゆか)で勿く、魂鎭(たましづ)め咒歌(じゆか)を奉り、不穩な言靈(ことだま)を喚び覺ます輕躁(けいさう)な失態。斯樣(かやう)な事とは露知らず、韓の地の倭國軍は善戰を續けた。

 

 三月(やよひ)甲辰(きのえたつ)、

 

 唐人(もろこしのひと)、新羅人(しらぎのひと)、髙麗(こま)を伐ちき。髙麗、救(すくひ)を國家(みかど)に乞へり。仍(より)て軍將(いくさのかみ)を遣(まだ)して、䟽畱城(サルソシ)に據(よ)らしむ。是(これ)に由(よ)りて、唐人(もろこしのひと)其の南の堺を略(かす)むることを不得(えず)、新羅其の西の壘(そこ)を輸(おと)すことを不獲(えず)。

 

 蘇定方(ソテイホウ)、遂に平壌(ピヨンヤン)を圍むも、大雪に會ひ、圍みを解きて還る。

 

 

 唐軍丈けで勿く、兵粮(ひやうらう)が底を突いた新羅(シンラ)も兵を引き揚げる程、高麗(コリヨ)の兵には分の有つた冬場の消耗戰。其れは暗に、遲い春の音連れで氷解する事を意味してゐた。薩夜蔴の率ゐる倭國と百濟(ペクチエ)の兵達(つはものたち)の足竝(あしな)みは、穩やかな小春日に微睡(まどろ)む宥(なだ)らかな雪山の如く、人知れず徐(しず)かに滑落していく。

 

 五月(さつき)丙午(ひのえうま)、

 

 畱鎭郞將(りうちむらうしやう)の劉仁願(リウシムクエム)を熊津城(ウンジンソン)に封じ込めて包圍し、復興軍の反擊は此處で獨つの區切りを附ける事に爲る。重い腰を上げ韓の地の掣肘(せいちう)に乘り出した物の、一向に吉報の屆かぬ戰果に痺れを切らした、唐國(もろこし)の女帝、武照る(ブセウ)は、劉仁軌(リウジンキ)に檢校(けんぎよう)、帶方州刺史(たいはうしうしし)を與(あた)へて、前の都督王文度(ワンフンド)の部隊と統合し、叛徒の軍營に向かはせると、雪解け水の泥濘(ぬかるみ)から解き放たれた皇軍は各地を轉戰し、敵陣を陷(おとしい)れては不敗を誇つた。迫り來る巨人の跫音(あしおと)に顫(ふる)へる竺志の故地。皇帝の鶴聲(かくせい)に大山は鳴動し、押し寄せる軍靴(ぐんか)の爪先と相謁(あひまみ)える以前に、百濟(ペクチエ)復興の軍勢は自滅していく。

 唐國(もろこし)の名將を追ひ詰めたにも拘はらず、福信(ボクシン)は劉仁願(リウシムクエム)の包圍を解いて熊津城(ウンジンソン)を放棄すると、任存城(イムジヨンソン)に退き軍の體制を立て直した。此の不可解な撤收に我が眼を疑ひ、籠城の緊を解く事が出來ぬ劉仁願(リウシムクエム)。無理も勿い。福信(ボクシン)は戰火の騷亂に紛れて、反りの合はぬ道探(ドチン)に有らぬ罪を擦(なす)り付(つ)け、野良犬の樣に捕殺してゐた。薩夜蔴の眼の屆かぬ處で暗躍する亂臣賊子(らんしんぞくし)。始めから軍規と呼べる物は勿く、福信(ボクシン)は道探(ドチン)の殘黨と反亂後に四散してゐた雜兵(ざふひやう)を倂呑(へいどん)し、任存城(イムジヨンソン)に據(きよ)を構へると、軍務經驗の勿い餘豐璋(ヨプンジヤン)は其の後に付いて廻るしか勿い。復興の御旗(みはた)で存る筈の百濟王(ペクチエワン)も、福信(ボクシン)に取つては旣に足手纏(あしでまと)ひ。軍の實權は旣に其の手に有り、千切れ掛けた尻尾を振り返る事も勿ければ、其の御餝りの尻尾が司る祭祀の神賴みや占卜(せんぼく)に縋(すが)る事も勿い。

 合流した劉仁願(リウシムクエム)と劉仁軌(リウジンキ)は甲紐(かふちう)を解いて兵を休ませると、增援の要(もと)めを請(こ)ふた。目先の勝敗に囚はれず、戰ひ續ける事が生業(なりはひ)の劉仁願(リウシムクエム)も、此の時許りは冬の陣で曝した醜態の雪辱に燃えてゐる。其の士魂に女帝武曌(ブセウ)は右威衞將軍(ウヰヱイシヤウグン)孫仁師(ソンジンシ)の派遣で應(こた)へ、磐石の布陣で決戰の刻に備へた。

 

 七月(ふみつき)戊申(つちのえさる)、

 

 虎と龍を掛け合はせた劉仁願(リウシムクエム)と劉仁軌(リウジンキ)の唐軍が、熊津(ウンジン)の東で福信(ボクシン)の進擊を打ち破ると、立て續けに䟽畱城(サルソシ)、尹城(インソン)、大山(テサン)、沙井(サセイ)の柵を陷れ、戎馬(じゆうば)の蹄前(ていぜん)に投降させた。形勢が一變した福信(ボクシン)は、本陣を張る䟽畱城(サルソシ)の萬(まん)が壹(いち)に備へ、汀(みぎは)を臨む髙く險しい要衝の眞峴城(シンヒヨンソン)を新たな據點(きよてん)を設けると、形振り構はず復興の士を搔き聚め、囘瀾(くわいらん)を旣倒(きたう)に反(かへ)す可く、再起を圖(はか)る。倂(しか)し、犯した罪の數丈(かずだ)け削られていつた命數(めいすう)の殘滓(ざんし)は、今や片手の指で足りる程。刻の趨勢は一度(ひとたび)、衰亡に傾(かし)いだが最後、滅びる可く爲て滅びていく。

 疑心暗鬼が跋扈(ばつこ)する背走の陣。福信(ボクシン)は此の劣勢を餘豐璋(ヨプンジヤン)に擦(なす)り付(つ)け、實權(じつけん)を奪はれた餘豐璋(ヨプンジヤン)は餘豐璋(ヨプンジヤン)で、福信(ボクシン)の專橫(せんわう)が氣に入らぬ臣下で身を固め、御互ひに裏を探り合ふ。然して遂に、福信(ボクシン)が病氣を裝ひ、餘豐璋(ヨプンジヤン)が見舞ひに來た處を仕畱める奸計を嗅ぎ付けられ、逆に、福信(ボクシン)を謀叛の疑ひで網を張つてゐた餘豐璋(ヨプンジヤン)の親衞隊に誅殺された。策に溺れ、闇討ちの應酬で、己に因果のツケが囘はつた奸賊の末路。半ば氣(き)の觸(ふ)れた百濟王(ペクチエワン)が、醢漬(すしづ)けにした福信(ボクシン)の首を誇らしげに揭げ、祝杯を上げてゐるとの報せを受けて、薩夜蔴は漸(やうや)く眼を覺ました。彼の疫病神を人質に殘してゐた許りに、百濟(ペクチエ)復興軍に驅り出され、嵌まり込んだ泥沼。太宰(おほみこともち)の府(つかさ)で金春秋(キムチユンチユ)の振り撒く、計算し盡くされた笑顏が頭を過(よぎ)る。百濟(ペクチエ)の穀潰(ごくつぶ)しを人質に取つて、今の今迠、倭國は何を擔保(たんぽ)に出來てゐと云ふのか。出征を前に、内緣の妻で在つた多臣蔣敷(おほのおみこもしき)の妹との別れを惜しみ、正式の婚儀に漕(こ)ぎ著(つ)ける事しか頭に勿かつた男だ。奴を擔(かつ)ぎ上(あ)げてゐては何處にも辿り著けぬ。抑も、疫氣(ゑのやまひ)と爭(いさか)ひと貧窮で窒息した、何も見出す物の勿い此の咒(のろ)はれた大地に、辿り著く可き何處かなぞ果たして在るのか。淺墓(あさはか)としか云ひやうが勿い。伊勢王(いせのあまきみ)の遺志を護り、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の羅城で韓の地を平定した唐國(もろこし)を迎へ討つ可きだつたのか。戰野の直中(ただなか)で王道を蹈み外した薩夜蔴の茫慨(ばうがい)。此の内訌(ないこう)で䟽畱城(サルソシ)奪還への出兵が十日遲れ、其の一齣外(こまづ)れた數奇の齒車に、倭國の命運は引き擦り込まれていく。

 

 秋八月(はづき)己酉(つちのととり)、丁亥(ひのとゐ)朔甲午(きのえうま)、

 

 「今聞く、大日本國(おほひのもとのくに)の救ひの將(いくさのかみ)、明日香天君(あすかのあまきみ)、健兒(ちからひと)萬餘(よろづたりあまり)を率(ゐ)て、正當(まさ)に海(わた)を越えて至らむとす。願はくは、諸(もろもろ)の將軍(いくさのかみ)等の圖(はかりごと)を預(あづか)る應(べ)し。我自ら往きて白村(はくすき)に待饗(あへ)せむとす。」

 

 福信(ボクシン)を斥(しりぞ)け、一卋一代の手柄でも上げたかの如き餘豐璋(ヨプンジヤン)は、意氣揚揚と薩夜蔴を親(みづか)ら白村(ペクチヨン)に出迎へると云ふ。嘗て、酒池肉林に耽(ふけ)る義慈王(ウイジヤワン)を諫(いさ)め投獄された佐平(チヤピヨン)成忠(ソンチユン)は、死の閒際に血辯(けつべん)を揮ひ、

 「凡(およ)そ軍(いくさ)を制するに、地の利を生かすに如(し)くは勿(な)し。上流は陣を構へて相手を呼び込めば、百戰に憂ひ勿し。外狄(がいてき)の襲擊に於いては、陸路で沉峴(チンヒヨン)を破られては爲りませぬ。水軍も同じく、伎伐浦(チポルポ)の岸に上陸させては爲りませぬ。狹隘艱險(けふあいかんけん)な地を利して護り拔けば、何を恐れる事が有りませう。」

 と宣(のたま)ひ、同じく流刑に甘んじてゐた佐平(チヤピヨン)興首(フンス)も、

 「唐の軍勢は巨大にして嚴格。況(いは)んや、新羅(シンラ)と謀(はか)つて夾撃(けふげき)を狙つてゐる以上、決して、平素な原野で對峙しては爲りませぬ。白江(ペクガン)と沉峴(チンヒヨン)は百濟(ペクチエ)の要衝。一夫(いつぷ)、單槍(たんさう)で萬(よろづ)の兵(つはもの)も逡巡(たじろ)ぐ堅難を誇ります。憂國の志士を擁して、唐軍を白江(ペクガン)で堰き止め、羅軍を沉峴(チンヒヨン)に釘付けにすれば、後は䟽畱城(サルソシ)に籠もり、身を固めれば、敵の兵粮(ひやうらう)が盡きるのを待つ許りです。」

 と忠臣は口を揃へた白江(ペクガン)と沉峴(チンヒヨン)の衞(まも)り。王も取り卷きも聞く耳を持たず、義慈王(ウイジヤワン)自らが虜(とりこ)の身(み)と爲つて其の眞價(しんか)を改めて示した、䟽畱城(サルソシ)の膝元を流れる國防の生命線に、兵達(つはものたち)の背負う其れ其れの功(いさを)と罪(つみ)が、再び魅き寄せられていく。

 彼の地の攻防が鍵を握るのは對する唐軍とて同じ事。女帝武曌(ブセウ)の命にて兵四十萬を率ひ、德物㠀(トクムルド)を經て熊津府城(ウンジンブソン)に赴いた右威衞將軍(ウヰヱイシヤウグン)、孫仁師(ソンジンシ)は、唐軍の先發隊と合流するや、征野の繪地圖(ゑちづ)を圍み、戰況と機略を質(ただ)した。或る者は、水陸の要衝、加林城(カリムソン)に總力を傾ける可しと力說するも、徒に堅牢で割りの合はぬ事を知る劉仁軌(リウジンキ)は、兵戈(へいくわ)を傷(いた)める許りと諫(いさ)め、

 「兵法の極意は實(じつ)を避けて虛(きよ)を突くに盡きる。䟽畱城(サルソシ)を討つ可し。䟽畱城(サルソシ)は百濟(ペクチエ)の衞戍地(ゑいじゆち)にして、賊軍の巢穴(さうけつ)也。惡の根を斷てば、諸城は自づから降(くだ)るで在らう。」

 と、居竝(ゐなら)ぶ勇將の燻(くすぶ)る鬭志(とうし)を怜悧(れいり)な一計で一閃し、紛糾必至の戰議を制した。孫仁師(ソンジンシ)と劉仁軌(リウジンキ)、然して、新羅王(シンラワン)、金法敏(キムボンミン)は陸軍を率ひて䟽畱城(サルソシ)に進軍し、劉仁軌(リウジンキ)の別働隊、杜爽(トサウ)と、義慈王(ウイジヤワン)の子、扶餘隆(プヨユン)が率ゐる水軍と兵粮船(ひやうらうせん)は、熊津江(ウンジンガン)から白江(ペクガン)へと下り合流する。本來なら一手遲かつた筈の出兵。其れが卋紀を超えて名を刻む血戰と爲つた。

 

 秋八月(はづき)庚戌(かのえいぬ)、丁亥(ひのとゐ)朔戊申(つちのえさる)、

 

 餘豐璋(ヨプンジヤン)からの報せを受け、䟽畱城(サルソシ)へと向かふ倭國の水軍。天地開闢(あめつちひらけしとき)以來と云ふ規模の船師(ふねいくさ)を率ゐて北上する薩夜蔴の雙眸(さうぼう)は、三千人の宮廷女官が身を投げたと云ふ落花岩(ナツクアアム)を探した。唐軍に追ひ詰められ、新羅(シンラ)からの辱(はづかし)めを遁れる爲に入水(じゆすい)の列を成した悲劇の斷崖。其の復讎(ふくしう)を期すべき景勝も、討征(ことむけ)の大義に搖れる將(いくさのかみ)の虛ろな心には、係畱地(けいりうち)迠の里程を數へる澪標(みをつくし)の獨つでしか勿い。源泉を發して北から西へと大きく渦卷き、熊津、泗沘と百濟(ペクチエ)の京を通り拔けて黃海に注ぐ錦江は、百濟(ペクチエ)の水運を司る幹線水路。湖江と讚へられた其の穩やかな水流を遡る風光明媚な航軍に、胡亂な氣配が埀れ籠めて來た。夥しい群影が川幅を埋め盡くし、進路を塞いで漂つてゐる。何事かと眦を窄め遠望に正視を凝らすと、旣に先頭を行く倭國の船師(ふねいくさ)は唐軍の火鏃(ひじり)を浴びてゐた。遡る事十日の、

 

 秋八月(はづき)己酉(つちのととり)、丁亥(ひのとゐ)朔戊戌(つちのえいぬ)、

 

 唐軍は旣に䟽畱城(サルソシ)を繞(かこ)み、水軍は黃海に注ぐ白村(ペクチヨン)の入り江に艦隊を敷いて漲(みなぎ)つてゐた。上流で陣形を堅めた唐國(もろこし)の颯颯(さふさふ)たる大船團。統制の取れた戰艦から放つ烈火の弓擊(きゆうげき)が、不測の敵襲で擧措を失つた俀國軍を壓倒(あつたう)する。出航が遲れたが故の、形勢を齊(ととの)へる閒の勿い唐突。桁違いの物量で艤裝した軍艦の迫力と、覆しやうの勿い分の悪さに、醜尾(しうび)を曝す事を厭(いと)はず、撤退の號令を咆える薩夜蔴の激喉(げきこう)。舳先(へさき)を反(かへ)して唐國(もろこし)の追擊を振り切り、倭國の船師(ふねいくさ)が靑息吐息で難を遁れると、舒川(ソチヨン)の岸邉(きしべ)に潛(ひそ)んでゐた百濟(ペクチエ)の軍勢が恐る恐る首を出し、復興の御旗(みはた)を振り立て呼び止めた。

 出迎への餘豐璋(ヨプンジヤン)が倭國軍の奮鬭を襃(ほ)め讚(たた)へるも、薩夜蔴は餘りの白白しさに、其の場で斬り捨てる衝動を堪へる事しか出來勿い。目の當たりにした唐軍の絕望的な規模。本氣に爲つた皇帝の瞋恚(しんい)を前にして、危(あや)ふきを避けるのが賢君の勤め。然うと判つてゐ乍ら、攻略を練る氣も、聞く耳も持てず、逆上して血走つた眼(まなこ)は、一睡に甘んじる處か、一中夜瞬(まばた)き一つせず、祖神(おやがみ)に戰勝を禱(いの)り續(つづ)け、翌(あく)る日の、

 

 己酉(つちのととり)、

 

 日本(ひのもと)の諸(もろもろ)の將と百濟王(ペクチエワン)と、氣象(あるかたち)を不觀(みず)て相謂(かたら)ひて曰く、

 

 「我等先を爭(きそ)はば、彼自(み)づから退(ひ)く應(べ)し。」

 

 と、薩夜蔴は天下に勑(みことのり)し、王道は天を目指すと宣誓した。

 「倭國(ゐこく)は今、試されてゐる。嘗て鮮卑(せんぴ)と呼ばれた北狄(ほくてき)の騎賊(きぞく)が、天(あま)の理(ことはり)を欺き、神璽(みしるし)を掠(かす)め、朝(みかど)の御名(みな)を騙(かた)りて憚(はばか)る事勿し。我等、天孫(あめみま)の精裔(せいえい)が其の勤めを果たす可き時が來た。」

 迫り來る恐怖を怒鳴り散らして搔き消す明日香(あすか)の天王(あまきみ)。傍らの餘豐璋(ヨプンジヤン)なぞ眼中に勿い。信じる物は條理(でうり)を超えた天與(てんよ)の勝利。其れを疑ふ事は神を疑ふ事。天命に此の身を獻(ささ)げぬ己の怯懦(けふだ)こそが眞の敵だと、異論を斷舌(だんぜつ)した。

 「兵法は神の御心(みここ)で在り、戰力とは神の威信で在る。天下(あめのした)に貳朝(にてう)勿し。征韓の大義は我が手に有り。賊軍、恐るるに足りず。」

 萬雷(だんらい)の陣太鼓と鬨(とき)の聲(こゑ)が天を衝き、我先にと櫂(かい)を漕ぐ船師(ふねいくさ)の猛者(もさ)達。薩夜蔴の言靈(ことだま)に醉(よ)ひ癡(し)れ、一氣呵成に討つて出た、其の果てに、

 

 

 日本(ひのもと)、伍(つら)を亂す中軍(そひ)の卒(そととも)を率(ゐ)て、大唐(もろこし)が陣(つら)を堅之(かためて)ある軍(いくさ)に進み打ちて、大唐(もろこし)便(すなは)ち左右(もとこ)自(よ)り船を夾(はさ)みて繞(かこ)みて戰ふ。須臾(とき)の際(ま)に、官軍(あめのみくさ)敗績(やぶ)れぬ。水に赴(おもぶ)きて溺(おぼ)り死ぬる者衆(おほ)し。艫舳(ともへ)廻旋(めぐら)すこと不得(えず)。

 

 倭人(ゐじん)と白村江(ペクチヨンガン)に遇ふ。四戰皆克(か)ち、其の舟四百艘を焚(や)く。煙、炎天を灼き、海水、丹(たん)を爲す。

 

 

 倭國の平船(ひらぶね)とは造りが違ふ、砦の如き軍艦から擊ち下ろされる火鏃(ひじり)の雷雨。統率された艦隊に退路を絕たれ、倭國の船師(ふねいくさ)は東西不知(まど)ふ許りで、潮目を無視して突擊しては、甚だしい干滿の差に船が水底(みなそこ)を著(つ)き、身動きが取れずに藻搔(もが)いては、瞬く閒に燒き拂はれていく。全く勝負に爲らぬ、海戰とすら呼べぬ殺戮。火の海と血の海が鬩(せめ)ぎ合(あ)ふ煉獄で、無謀な東夷(とうい)の逆賊が徒に自滅していく、將に其の刻、と或る獨りの兵が天を指差して歡聲(くわんせい)を上げた。

 

 彩鳳(さいほう) 丹霄(たんせい)に舞ふ

 

 其の一言に煤雲(ばいうん)の埀れ籠める炎天を見上げると、西方淨圡の極樂かと見紛ふ光輪に包まれた、劫火絢爛たる鳳凰(おほとり)が皇然と羽擊(はばた)いてゐる。珠玉の限りを鏤(ちりば)めた冕冠(べんかん)に、灼熱の燎翼(れうよく)。綾錦(あやにしき)の如く霏霺(たなびく)く鳳尾(ほうび)に、熔鐵(ようてつ)の鉤爪(かぎづめ)。海上の地獄繪圖とは無緣の莊嚴と妖麗に息を呑み、暫(しば)し戰火の直中で在る事を忘れる倭國の兵達(つはものたち)。阿蘇、雲仙嶽、鶴見嶽、霧㠀、鹿兒㠀と倭國の火坩(ひつぼ)を巡る靈鳥が、今、倭國の窮地に驅け附けた。其の生き血を飮み干せば、永遠の命が宿ると云はれる不死の鳥の顯現(けんげん)は、倭國が不死身の證(あか)し也(なり)。日(ひ)の本(もと)の護り神の參戰に、倭國の水軍は狂憙し、起死囘生の奇蹟を垣閒見た、僅かな一瞬。其れは文字通り一瞬の奇蹟で在り、慘めな慰めでしか勿かつた。待望の靈驗(れいげん)に見向きもせぬ唐軍は弓擊の手を緩めず、火の雨を浴び續ける倭國の船師(ふねいくさ)。上空を旋囘する火の鳥は其の阿鼻叫喚を優雅に遊覽し、金燐(きんりん)を豪奢(がうしや)に振り撒き乍ら、持て餘した鳳尾を飜(ひるがへ)す許り。愉悅に滿ちた七寳(しつぽう)の眼差しは、炭と爲つて折り重なる屍(しかばね)を視姦(なぶ)り、和光同塵とは相容れぬ天真爛漫な艶舞は、一向に神助の一石を投じる樣子も勿ければ、手の屆かぬ上空から降りて來る氣配も勿い。然して、薩夜蔴は見た。兵達(つはものたち)の燃え盡きる命の炎を啄(ついば)んでは、嬉嬉として喉を鳴らす、人の死と血の臭ひを嗅ぎ付けて襲來した、火の鳥の貪婪(どんらん)な惡食(あくじき)を。

 

   髱井 蟆 埼

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    荳? 譚ッ 荳

   ?譚ッ 蠕ゥ 荳?譚ッ

 

  更なる生け贄を求めて咆哮(はうかう)し、敗者の絕望を煽り立てる死神の翼。火の鳥は不死の鳥では勿く、啻(ただ)、人の命を奪つて肥え太る化鳥(けてう)でしか勿かつた。太古の薩摩を灼き盡くし、熊襲(くまそ)の民と竺志の民を北へ北へと追ひ遣つた元凶が、今、刻を超えて韓の地まで追つて來たとでも云ふのか。其の優美な姿形は、燦然(さんぜん)と煌(きら)めく凰羅(ほうら)は殘虐の裏返し。恰(あたか)も、自然の嚴しさは優しさの裏返しで在るかの樣に。絕望と恍惚が混然と渦卷く生死の氾濫に、爲(な)す術(すべ)も勿く立ち盡くす薩夜蔴。其の火の鳥を仰ぐ視界の片面に、紅い星が飛んだかと思ふ閒も勿く闇に塗(まみ)れ、頰を限る斬像から熱い脈動が溢れ出てくる。乘り込んで來た雜兵(ざふひやう)を斬り捨てて、光が有る方の隻眼を飛ばすと、潮の引いた入り江に飛び降りた唐國(もろこし)の軍勢が徒(かち)で押し寄せ、薩夜蔴の船を取り圍んでゐる。

 

 

 朴市田來津(えちのたくつ)、天(あめ)を仰(あふ)ぎて誓ひて、切齒(くひしば)りて嗔(いか)りて、殺すこと數十人(あまたとをたり)。於焉(ここ)に戰ひに死にき。

 

 是時(このとき)、百濟の王(こにきし)豐璋(ほうしやう)、數人(あまたのひと)と與(とも)に船に乘りて高麗に逃げ去りつ。

 

 

 薩夜蔴を護る爲、身を挺して盾と成つた田來津(たくつ)の怪力亂神も虛しく、更に其の奮鬭が主君の稀人(まれびと)で在る事を詳(つまび)らかにした。生け捕る爲に手足を取られ、懸命に抗ふ血塗(ちまみ)れの形相を、悠(はる)か上空から嘲笑(あざわら)ふ火の鳥。裏切られたのでは勿い。夢を見た己が莫迦(ばか)だつた丈けの事。右眼(うがん)の缺落(けつらく)した視界諸共、薩夜蔴の遠離(とほざか)る意識は、勝(か)ち鬨(どき)の聲(こゑ)を上げる人の波に呑み込まれていつた。

 

 

 虜(とりこ)の身(み)と爲つた薩夜蔴は、未だ己に息の有る事を呪ひ、生(い)き存(ながら)へてゐる事を愧(は)ぢた。新羅王(シンラワン)、金法敏(キムボンミン)は橫戲(よこたは)る薩夜蔴に面唾(めんだ)して、其の頭を踏み躙り、命が欲しければ新羅(シンラ)の傀儡(くわいらい)に爲れと迫つたが、嘗ての倭王(ゐわう)は旣に、國と民を賣(う)る氣力も勿く、漠然と缺落(けつらく)した隻眼の闇を瞠(みつ)めてゐた。死してより偉大に成る可き樣子も勿い廢人と雖(いへど)も、倭國(ゐこく)の稀人(まれびと)。皇帝へ獻げる最上の戰果を殺(あや)めては堪らぬと、劉仁願(リウシムクエム)が金法敏(キムボンミン)を諫(いさ)めて身柄を保護する事三年。

 

 白鳳五年乙丑(きのとうし)、秋八月(はづき)乙酉(きのととり)、

 

 熊津(ウンジン)都督を敍(さづ)かつた扶餘隆(プヨユン)と新羅王(シンラワン)が、熊津(ウンジン)の就利山(チユイリサン)で白馬を供犧(くぎ)して盟誓し、立ち會ひの劉仁願(リウシムクエム)が其の文辭を金書鐵契(きんしよてつけい)して、新羅(シンラ)の朝廟(てうべう)に納めると、劉仁願(リウシムクエム)は新羅(シンラ)の使者と百濟(ペクチエ)、耽羅(タムナ)、倭人(ゐじん)、合はせて四國の使者を引(ひ)き聯(つ)れて黃海を航り、西方に降り立た其の足で泰山(タイシヤン)を目指した。虜と爲つて何度目の秋かも判ら勿い薩夜蔴も、其の一行の中に放り込まれてゐた。

 

 

 冬十月(かむなづき)丁亥(ひのとゐ)、皇后、封禪(ほうぜん)を請(こ)う。

 

 冬十二月(しはす)己丑(つちのとうし)、泰山に封ず。仁軌、新羅(シンラ)及び百濟(ペクチエ)、耽羅(タムナ)、倭(ゐ)四國の酋長を領(ひき)ゐて赴會(ふくわい)す。髙宗、甚だ悅び、大司憲を擢拜(てきはい)す。

 

 

 女帝武曌(ブセウ)の大號令で往(い)にし方(へ)より甦つた聖天子の盛儀、封禪(ほうぜん)の儀(ぎ)。天下の泰平に與(あづか)つた、際立つ功と德の有る天子は、泰山(タイシヤン)に封(ほう)じ、梁父(リヤンフ)に禪(ぜん)す。泰山(タイシヤン)は秦の始皇帝、漢の武帝等、古來、天子の崇拜す可き聖山として尊ばれ、梁父(リヤンフ)は泰山(タイシヤン)と對を爲す南の名山。「封」は圡を盛つた壇に天を祠り、「禪」は地を祓つて山川を祠る。其の兩儀を經(へ)ずして正當な統治は成し得ず。是れ、眞の皇帝の驗(あかし)也(なり)。

 中華を普(あまね)く夷蠻戎狄(いばんじゆうてき)の王と太子が一堂に會する稀代の祭典。東夷(とうい)は羈縻(きび)政策に則して鷄林(ケリム)大都督を敍(さづ)かつた新羅王(シンラワン)、金法敏(キムボンミン)を先頭に、熊津(ウンジン)都督扶餘隆(プヨユン)、耽羅(タムナ)の國主、佐平(チヤピヨン)徒冬音律(ドトンインリユル)と聯(つら)なり、捕囚の薩夜蔴も倭國(ゐこく)の首領として引き擦り出された。泰山(タイシヤン)に續續(ぞくぞく)と輯結(しふけつ)する蠻夷(ばんい)の國國。供物を詰んだ夥しい牛車の群團と、涯(はて)し勿(な)き參列が地を埋め盡くす壓倒的な規模に、茫然とする薩夜蔴。神の國と豪語してゐた倭國(ゐこく)は、東夷の片隅に浮かぶ外藩の一國に過ぎ勿かつた。其の取るに足らぬ存在が、比べ物に爲らぬ大國で在る事も知らずに挑んだ、彼の無謀な外征に何の意味が有つたのか。最早、外遊を重ね活路を見出した金春秋(キムチユンチユ)の足許にも及ばぬ己の器才に呆れ、新羅王(シンラワン)の後塵を拜する扈從(こしよう)の屈辱を歎く、生氣すら勿い。盛大にして壯大な聖儀の末席で傍觀する空疏(くうそ)な餘命。眞の帝國は年號を麒德(りんとく)から乾封(けんふう)に改元し、以後、舊唐書(くとうじよ)から倭國(ゐこく)の記述は途絕えた。

 

 

 

 酒精と隻眼で距離が摑めず取り零した觴(さかづき)が轉(まろ)び、薩夜蔴は再び淺い眠りの泥濘(ぬかるみ)みに足を取られていく。釆女(うねめ)の卋話を寄せ附けぬ、胸まで達した蓬髮(ほうはつ)と霜髯(さうぜん)。贅を盡くした倭絹(ちくしぎぬ)の盛裝が痛痛しい、枯木の如く窶(やつ)れた體軀(たいく)。後の卋の卽身佛(そくしんぶつ)も斯(か)くやと云ふ、生きて地獄の責め苦に甘んじる其の狂變(きやうへん)は、當の開祖、釋迦牟尼(しやかむに)ですら說法を躊躇(ためら)ふに相違ひ勿いと云ふ。阿每(あま)氏の王族で獨り、薩夜蔴の歸りを俟(ま)つて竺志に殘つてゐた大海人(おほあま)は、唐兵(とうのつはもの)で固めた衞門府(ゆけひのつかさ)が取り繼ぐ氣の勿い事を悟り、流謫(るたく)に等しき都府樓(とふろう)を後にした。倭國の年號にも其の名を聯ねる「兄弟(きやうだい)」統治の扶桑に在つて、常色(じやうしき)の海幸彥(うみさちひこ)と山幸彥(やまさちひこ)とも稱(しよう)されて竝(なら)び立(た)つ、竺志の宗主の一翼が捥(も)がれた。己の半身を失つて、もう二度と甦る事は勿いのか。此れでは倭國を立て直すなぞ夢の復た夢。太宰(おほみこともち)の府(つかさ)を唐國(もろこし)の軍勢に制壓され、竺志の天王(あまきみ)は生きた儘、御隱れに爲り、竺志の氏族と官吏(くわんり)が遷居した東國の大津宮も、親唐と反唐で割れて弓を引き合つてゐると云ふ。物情騷然として暗澹たる卋卋情情。此の國の石据(いしず)ゑを失ひ、今や其の樞軸(すうじく)が何處に在るのかすら判ら勿い。伊勢王(いせのあまきみ)の御卋(みよ)に常色(じやうしき)の榮華を誇つた倭國ですら、僅か數年で此程の苦境に陷(おちい)るのだ。此の卋に永遠を約束された物なぞ何も勿い。生生流轉の徒波(あだなみ)に飜弄され、今では嘗ての北狄(ほくてき)に傅(かしづ)き、更に其の支那の王朝も亦、猫の眼の替はり樣。始皇帝から受け繼いだ神璽(みしるし)の正當を揭た處で髙が知れてゐる。王墓を凌辱されて祟(たた)りの獨つも勿い王族から人心は遠退(とほの)き、天地神明の梯子を外されて、地に墮ちた倭國の王道も、化けの皮が剝がされた迠の事。神の庇護を失ひ、一體、何を支へに政を治めれば良いのか。然う自問した刹那、奧の院に籠もり、卋を捨てた薩夜蔴の無言の斷絕が、

 

 「姬を賴む。」

 

 と託した、彼の日の一言を喚び覺まし、大海人の吐胸(とむね)に木靈(こだま)した。昼日中に在つても見通しの立たぬ闇路を睨み返す亡國の王子。其の重い足取りは一路、南を目指した。沖津宮(おきつのみや)に祕した海の正倉院と對(つい)を爲す、生葉評(いくはのこほり)に築かれた陸の正倉院。唐軍(もろこしのいくさ)の手を遁れた扶桑の寶庫(ほうこ)に辿り著いた大海人は、天子の勑許(ちよくきよ)を要する開封の儀を閣(さしお)き、引き畱める衞士(まもりのつかさ)を腰の佩刀(はいたう)で振り拂ふと、私人禁制の扉に手を掛けた。倭姬(ちくしひめ)の納采(なふさい)に召し上げる選(よ)り選(すぐ)つた四海(しかい)の御神寳(ごしんぽう)。中でも、髙良玉埀命(こうらたまたれのみこと)の御卋(みよ)に百濟の調進(みつきたてまつ)つた七枝刀(ななさやのたち)は門外不出の逸品。此の萬財(ばんざい)の壹傑(いつけつ)を持ち出す事は、もう以前の倭國には戾れぬ事を意味してゐた。其れでも、無念の輿入れに責めてもの華を添へて竺志の威信を示し、東國から倭國を立て直す、其の石据(いしず)ゑと成るのならと、大海人は足處氣勿(あどけな)い女王を輿に乘せ、扶桑の京(みやこ)を後にした。

 

 

 

 

  皇明光日月  皇明(くわうめい) 日月と光(て)り

  帝德載天地  帝德 天地と載(の)す

  三才竝泰昌  三才(さんさい) 竝(なら)びに泰昌(たいしやう)

  萬國表臣義  萬國 臣義を表す

 

 白鳳八年丁卯(ひのとう)、正月(むつき)癸丑(みづのとうし)、丙辰(ひのえたつ)朔壬戌(みづのえいぬ)、

 

 卽位の宴(とよのあかり)で興が乘り、淡海帝(あふみのみかど)の嫡男(ひつぎ)、大友王子(おほとものみこ)が詩を吟じ、碩才(せきさい)の片鱗を見せた。博學多通にして文武材幹有り。天性明悟、雅(つね)に博古を愛し、筆を下せば章を成し。言を出(いだ)せば論を爲す。時に議する者は其の洪學(こうがく)を歎(なげ)く。魁岸奇偉(くわいがんきい)、風範弘深(ふうはんこうしん)、眼中淸輝(がんちゆうせいき)、顧盻煒燁(こべんゐえう)の麒麟兒(きりんじ)と、其の絕讚を縱(ほしいまま)にし、白鳳(はくほう)五年乙丑(きのとうし)、白村江(はくすきのえ)の役(えき)以後の講和の根囘しの爲、東國を訪れた唐國(もろこし)の遣使劉德髙(りうとくかう)も、莵道(うぢ)で閲兵し、饗應を受けた折り、大友王子の駿風(しゆんぷう)に觸(ふ)れ、

 「此の王子、風骨卋閒の人に似ず。實に此の國の分に非ず。」

 と舌を卷いた相當な詠み手だと云ふのに、倭姬王は吾が君を讚へる繼子(ままこ)の壽歌(ほぎうた)を、引きも切らさぬ祝辭を、上の空に浮かべて聞き流してゐた。酒(ささ)の味も判らぬ歲で詩にも醉へず、畏(かしこ)まつた振りをしてゐるしか勿い霽(は)れの日の臨席。本來、此の大友王子が年相應で在る筈が、五十路(いそぢ)を過ぎた父(かぞ)、淡海帝(あふみのみかど)に髮を上げた許りの生娘(きむすめ)が姻(とつ)いだのだから、下下(しもじも)の者ならば笑ひ物。總ては竺志と山門の野合(やがふ)の爲。若い身空で一生を捧げる倭國の人身御供(ひとみごくう)が、數多(あまた)の先妻を押し退けて擔(かつ)がれた后位。分別の附かぬ年頃でも判る妬(ねた)みと嫉(そね)みを背負はされ、針(はり)の筵(むしろ)と迠は云はぬが、氣分の良い眺めでは勿い。竺志より持參の七枝刀(ななさやのたち)を差し出した途端、急變(きふへん)した周りの眼の色が、山門の總てを物語つてゐた。此の大津宮に其の場凌ぎで遷座した參種(さんしゆ)の神璽(しんじ)も危ふい物。此の儘、參寳(さんぽう)諸共、東國の流謫(るたく)に埋もれていく貞女(さだめ)なのか。倭姬王の器量に餘る其の憂ひは、愛(め)でる者の勿い妍容(けんよう)と類ひ稀なる氣品を、徒(いたづら)に磨き上げていく。念(おも)ひの丈(たけ)を呑み下して伏す程に燁(かがや)く雅(みやび)な面差し。其の靜楚(せいそ)な津津(つつ)し美(み)を、招かれざる猛猛(たけだけ)しい騷(ざわ)めきが搔き亂し、矛を杖に床板を鎚(う)ち鳴(な)らし乍ら、大海人が嫡男(ひつぎ)の髙市王子(たけちのみこ)を引き聯れ、鬼の形相で乘り込んで來た。旣に、開(はだ)けた盆の窪から耳の裏に掛けて紅潮し、酒精を湯氣の樣に立ち昇らせてゐる。藪睨(やぶにら)みで屡叩(しばた)く血走つた眼(まなこ)が獲物を捉へると、咄嗟(とつさに)に鎌足が盾と爲り、

 「御待ち申して居りました。」

 と尋常で勿い劍幕の進路を塞いで額突(ぬかづ)くも、闖入(ちんにふ)の輩(やから)は矛の鐜(いしづき)で拂ひ除け、淡海帝(あふみのみかど)に躙(にじ)り寄(よ)る。

 「中元(ちゆうげん)とは那(なん)ぞ。」

 大海人は宴席から外された事なぞ、端から眼中に勿い。倭國の年號、白鳳(はくほう)が旣に在り乍ら、東國に淡海帝(あふみのみかど)の御卋(みよ)を數へる年號「中元」の建元を布(ふ)した暴擧に、矛の握りが痺れてゐる。

 「年號とは一國の天子にのみ赦された、統(す)めら命(みこと)の驗(あかし)で在り、國の誇りにして、天子の御卋(みよ)を認(したた)める史(ふひと)の驗(あかし)也。二十歳を待たずして得度(とくど)し、海東の菩薩天子、上宮法皇と成られた多利思北孤(たりしほこ)の御卋(みよ)に、法皇年紀、法興を建元した例へは有れど、其れは天子の成せる業。山門の大王(おほきみ)風情が何の理(ことはり)を以て年號を騙るのか。肥の國に遷居した郭務悰(かくむそう)に御伺ひを立て、無理が通つたのなら、然う申してみよ。事有る每に、遷座した參種(さんしゆ)の神璽(しんじ)の周りを彷徨(うろつ)きをつて。七枝刀(ななさやのたち)丈けでは飽き足りぬか。天子の御名(みな)を僭(おご)り稱(とな)へ度ければ、力盡くで來い。」

 大海人は怒髪天を衝く仁王立ちで啖呵を切ると、淡海帝(あふみのみかど)の跏趺(あぐら)を搔いた股の閒に矛を突き立て敷板を貫いた。宴(えん)も闌(たけなは)で在つた取り卷きの巡盃は凍り付き、淡海帝(あふみのみかど)を庇(かば)ふのは鎌足のみで、皆が皆、自席に鎭座して腰を浮かす者すら勿い。本來なら薩夜蔴の俘囚(ふしう)に由(よ)り空位と爲つた倭國の王位に卽く可き漢だ。其れが私利私慾を棄てて天王(あまきみ)の幼き血胤(けついん)に立太子を讓り、倭姬王の後ろ見と東國の治政に眼を光らせる爲、竺志の本貫を顧みず下向したのだから竝大抵(なみたいてい)の事では勿い。酒淫に乘じていると雖(いへど)も、持つて生まれた威風の格が違ふ。何時寢首を搔かれるか知れぬ山門を制(おさ)へる爲、己の帝位を棄てた大海人の迫力に、會衆(くわいしゆう)の醉ひは蒼醒め、中でも宴席に紛れる竺志の氏族は、面(おもて)を上げる事すら儘爲(ままな)らぬ。大海人は濟(な)し崩(くず)しで猿山に取り込まれた元の飼ひ犬を、獨り獨り眼に燒き附けた。

 嘗て竺志の地に於いても、力に物を云はせて驕り高ぶり、私年號を建元した剛(がう)の者(もの)が居勿かつた譯では勿い。己の領地、領分の限りで羽目を外すのは卋の習ひ。宗主が出る杭を打ち、水に流せば其れ迠の事で治めてゐた。天孫の威信が磐石で在つた頃は。落ちる處まで落ちた倭國と、肩を竝べた積もりで建元したで在らう此の挑發を見過ごせば、其の先に俟(まつ)つ物は何か。外征を避けて力を蓄へた山門に、孰(いづ)れ竺志は倂呑(へいどん)される。一昔前なら、一笑に付された戲言(ざれごと)が笑ひ話しで濟(す)ま勿(な)くなる。

 「何だ其の眼は。申し開きが有るのなら、先ずは手を突き、地に平伏してからで有らう。」

 片翼が捥げ、地に墮ちた天孫の逆鱗に、淡海帝(あふみのみかど)は突き立つた矛を引き拔き立ち上がらうとするも、敷板諸共貫かれた袴の内股に足を取られて轉(まろ)び、鎌足は慌てて矛の骹(はぎ)と柄(え)を摑み、

 「爲りませぬ。」

 と聲を荒げ、形振り構はず抑へ込んだ。

 「其の腰付きで人が斬れるのか。」

 大海人は引き裂かれた袴を濡らす粗相の染みを見下ろして髙笑ひ、淡海帝(あふみのみかど)は鎌足と矛を奪ひ合ひ乍ら必死で云ひ返す。

 「此の手が顫(ふる)へるとでも。」

 王位に卽く政略の具として、己の女(むすめ)を四人も差し出した相手で有る事も忘れ、減らず口を叩く淡海帝(あふみのみかど)を鎌足諸共蹴倒すと、大海人の舌鋒は氣焰萬丈(きえんばんぢやう)に達し、丹塗(にぬ)りの列柱に轟いた。

 「韓の地を前にして怖(お)ぢ氣付(けづ)き、尻尾を卷いて逃げ歸つた分際で何を宣(のたま)ふ。吾等が天王(あまきみ)を見殺しに、倭(ちくし)の恩を仇で返した腰拔けが、一國の大王(おほきみ)とは聞いて呆れるわ。」

 「先の外征に如何程(いかほど)の分が有つたと云ふのか。無闇に倭國と爭ふ氣の勿かつた藪の中の唐獅子を起こすなぞ愚の骨頂。敢(あ)へて南韓には手を附け勿かつた、話の判る相手を引き擦り出し、防壘で圍つた太宰(おほみこともち)の府(つかさ)誘ひ込まうとしたのは何處の賢君か、御忘れなら敎へて進ぜやう。無益(むえき)な軍(いくさ)で百姓(おほむたから)は疲弊し、竺志の京(ちくし)は唐圡(もろこし)の兵(いはもの)に踏み躙られ、此れが天下(あめのした)の政(まつりごと)と申すなら、國が幾つ有つても足りぬわ。」

 「何奴(どいつ)も此奴(こいつ)も唐風(からつかぜ)に靡(なび)きおつて。」

 孰(いづ)れ唐國(もろこし)は韓の地を平定し、倭國に南征する事を承知の上で此の口車。唐國と山門で倭國を夾撃(けふげき)する狙ひが透けてゐる明ら樣な詭辯(きべん)に、奸計(かんけい)の才(さい)許りが際立つ淡海帝(あふみのみかど)は猶も捲し立てた。

 「徐福(じよふく)が童(わらは)男女參仟人、伍穀の種、佰工を携え、神仙藥を求め東へ向かひ、平原廣澤(へいげんくわうたく)の地を得て畱(とど)まり王と成つて還らずと云ふでは勿いか。我等の祖に當たるやも知れぬ唐圡(もろこし)と仲違ひするのは、如何(いかが)な物か。」

 「我は太伯(たいはく)の末成(すゑな)るぞか。唐圡(もろこし)から逃げ延びて措いて、頭を下げて朝貢(てうこう)するとは、そんな出戾りの後家に用は勿い。抑も、唐も隋も北狄(ほくてき)の牧童。斯樣(かやう)な者に血を分けて貰つた覺えも、仕へた覺えも勿いわ。成り上がりの威光に肖(あやか)つて、鮮卑(せんぴ)の血筋を祭り上げる。そんな倭魂(ちくしだましい)の勿い者に、此の國の政(まつりごと)が勤まるか。況(いは)んや、天子の年號を僭(おご)り稱(とな)へるなぞ以(もつ)ての外(ほか)。」

 「成(な)らば、竺志の天王を扶桑の天子とは此(こ)れ如何(いか)に。大唐(もろこし)の皇帝にのみ赦された天子の號(なのり)を僭(おご)り稱(とな)へ、藩國(まがき)の官衙(くわんが)、都督(みやこのかみ)の府(つかさ)を、天子の坐(ましま)す太宰(おほみこともち)の府(つかさ)と僭(おご)り稱(とな)へるのは何と爲る。」

 「竺志の天子は竺志の天子。唐圡(もろこし)の天子は唐圡(もろこし)の天子。大王(おほきみ)の方こそ、何方の天子に仕へる心算(つもり)か。貳心(にしん)勿き壹意專心(いちいせんしん)の忠義こそが、邪馬(やま)の御卋(みよ)から續く壹國(いこく)の誉れ。唐犬に尻尾を振るのに壹本(いつぽん)では足りぬと申すなら、切り落とす迠の事。萬(まん)が壹(いち)、手元が狂ひ、勢(せい)を割去(かつきよ)したならば、倭國に宦官(かんぐわん)の道は勿い。女王(ひめぎみ)は溫和(おとな)しく蠶室(さんしつ)に下(さが)るが良からう。」

 舌火(ぜつか)の勢ひが、誰にも明かせず堪へてゐた重責の煩悶にまで飛び火して、何處迄も燃え廣がつていく。其の淡海帝(あふみのみかど)の貳心(にしん)を詰(なじ)る大海人も、肚(はら)の底(そこ)では親唐か反唐か、東國に讓步するのか、倭國の體面(たいめん)を固持するのかで搖れてゐた。天孫(あめみま)を崇(あが)める丈けで藩國(まがきのくに)と氏族と百姓(おほむたから)が著(つ)いて來(き)たのは昔の話。祖神(おやがみ)の咒(まじな)ひが解けた今、山門に足許を掬(すく)はれる前に唐國との講和を結び、都督(みやこのかみ)としての威儀を改めて規(ただ)し、國力を恢復(くわいふく)す可きで在る事は言を俟(ま)た勿(な)い。然(さ)れど、韓の地を眼の前にして外征を蹴つた背叛不義(はいはんふぎ)と、竺志の京(みやこ)と王墓を辱(はづかし)めた暴虐に眼を瞑(つぶ)るのも亦、竝大抵(なみたいてい)の事では勿い。薩夜蔴の無念も背負つて切り拓く、倭國の革(あら)たな王道。其の重壓(ぢゆうあつ)に悲鳴を上げる大海人を、嫋(たを)やかな囁(ささや)きが優しく包み込んだ。

 「大皇弟(まうけのきみ)は醉つてをられる。」

 据(す)ゑ膳(ぜん)の酒(ささ)を瞠(みつ)めて身動(みじろ)ぎ一つせぬ倭姬王の、泰然とした玲聲瓏韻(れいせいろうゐん)。静まり返つた狂宴(きやうえん)の視線が、年端も行かぬ小娘の一點(いつてん)に注がれると、大皇弟(まうけのきみ)は淡海帝(あふみのみかど)に背を向けて一呼吸措き、涸れ果てた喉を振り絞つた。

 「此の大海人、譬へ醉つてはゐても、飼ひ主の足許に粗相をする山狗(やまいぬ)では勿い。」

 薩夜蔴、達(たつ)ての内命とは云へ、倭姬王の輿入れを大海人は悔やんでゐた。卋が卋なら、嫡男(ひつぎ)の髙市王子(たけちのみこ)が娶(めと)り、竺志の天后(あめのきさき)と成る可き神女で在る。吾が女(むすめ)を手放し、穢されゐるが如き斷腸の想ひは、今以て癒やされる事が勿い。其の亡國の女王(ひめぎみ)が解いた怜悧(れいり)な口禁(こうきん)。

 「國の大事を與(あづか)る身ならば、大皇弟(まうけのきみ)としての勤めを重んじる可きで在りませう。」

 倭姬王の發した大皇弟(まうけのきみ)と云ふ言靈(ことだま)の響きに大海人は顫(ふる)へ、紅潮した襟足が蒼褪めていく。倭國の阿每(あま)氏が誇る兄弟統治の一翼、大皇弟(まうけのきみ)は、天王(あまきみ)の天命を佐(たす)ける龍顏(りようがむ)の點睛(てんせい)。山門の王(おほきみ)氏が云ふ處の王弟(まうけのきみ)とでは生まれ持つた星の權(おも)みが違ふ。然して其れは倭姬王とて同じ事。如何(いか)に氷肌玉骨(ひようきぎよくこつ)を誇らうと、祖父と孫ほど歲の離れた淡海帝(あふみのみかど)と大后(おほきさき)では、御互ひ男でも勿ければ女でも勿い。國の大義に身を窶(やつ)す乙女の、花を咲かす事も散る事も叶はぬ長い一生。其の意を察したかの樣に、倭姬王は徐(しづ)かに言(こと)の緖(を)を紡いでいく。

 「倭國に產まれ落ちた其の日から、倭國に姻(とつ)いだ此の吾が身。開聞(ひらきき)の鄕(さと)から二歳(ふたとせ)で太宰(おほみこともち)の府(つかさ)に上洛し、東國の山門に下向したのも總ては倭國(くに)の爲。女の幸せなら下下(しもじも)の者に委せて措けば良い。」

 倭國の捨て石を勤める大役に、己の進む王道を見出した獨りの小娘。色戀(いろこひ)に溺れて天孫(あめみま)の通力を失ひ、竺志の血を穢(けが)がした兒(こ)を宿す位なら、石女(うまづめ)と爲るのも復た本望と許り、据ゑ膳の觚(さかづき)を諸手で天に獻(ささ)げると、周(しう)の御卋(みよ)から傳はる參獻(さんけん)の儀禮(ぎれい)で、飮め勿い酒(ささ)を飮み干した。

 「倭(ちくし)の姬鷄彌(ひめぎみ)として賜つた此の天命に、何の不足が有らう。」

 亡國の太母とし貞女(さだめ)られた渾(すべ)てを全うする其の鬼魄(きはく)に、大海人は身重の腹に石を括(くく)つて三韓を征した大帶日賣(おほたらしひめ)を、本物の女王を覩(み)た。醉ひが醒め、見失つてゐた倭國の命脈に搏(う)たれた大海人は踵を返して退き、髙市王子(たけちのみこ)も其の後に續いた。大海人の怒りには酒の勢いですら燃え盡くせぬ芯が有り、寧ろ、一步下がつて見護つてゐた髙市王子は物足りぬと許りに、去り際、大友王子の前で立ち止まり、不遜な流眄(りうべん)で綾(あや)を附けるも、淡海帝(あふみのみかど)の嫡男(ひつぎ)は伏した面(おもて)を上げ樣とすらし勿い。此れでは端から勝負にすら爲らぬ。嵐が去つた後、荒れに荒れる淡海帝を宥(なだ)め乍ら、鎌足は改めて宗主の眞髓(しんずい)に觸(ふ)れ、雜事に追はれ見失つてゐた史の本流を垣閒見た氣がした。

 藩國(まがき)の成り上がりの下では埓が明かぬ。手負ひの天孫(あめみま)と雖(いへど)も、仕へる可きは、矢張り、倭國の嫡流(ちやくりう)で在つたか。大海人も然(さ)る事乍(ことなが)ら、倭姬王の皇皇(こうごう)しさには感服するしか勿い。此の騷ぎで氣配を消してゐた髙市王子も、流石、扶桑の稀人(まれびと)。一步引いた處から一步も引かぬ其の膽力(たんりよく)と、大友王子を威拔(いぬ)いた彼の眼力。人を制するのに言葉は要らぬ。母(いろは)は竺志の王族、胸形(むなかた)の君、德善(とくぜん)の女(むすめ)、尼子娘(あめこのいらつめ)で、將(まさ)に倭國(ゐこく)の正統也(なり)。仕切り直して酒(ささ)を注いだは良いが、盃を口に運ぶ手元は泳ぎ、袖を濡らす許りの大友王子なぞ、啻(ただ)の當て馬。魁岸奇偉(くわいがんきい)、風範弘深(ふうはんこうしん)と囃(はや)し立(た)てられた處で、いざと云ふ時に此れでは話に爲らぬ。鎌足は後に、

 

 

  道德承天訓  道德は天訓を承(う)け

  鹽梅寄眞宰  鹽梅(えんばい)は眞宰(しんさい)に寄る

  羞無監撫術  羞(は)づらくは監撫(かんぶ)の術(じゆつ)無きことを

  安能臨四海  安(いづく)んぞ能(よ)く四海に臨まん

 

 

 と大友王子に助言を乞はれるも、

 

 「恐らくは聖朝萬歲(せいてうばんざい)の後、巨猾(きよかつ)の閒釁(かんきん)有らん。然(しか)れども臣(しん)、平生(へいぜい)曰く、豈(あに)、此の如き事有らんや。臣(しん)聞く、天道は親(しん)無し。惟(こ)れ然(しか)あるは是(こ)れ輔(たす)くと。願はくは大王(おほきみ)勤めて德を修めよ。災異(さいい)憂(う)うるに足らざるなり。」

 

 其の鼻に掛かつた衒學(げんがく)に色を附けて返し、體良(ていよ)くの己の女(むすめ)を娶(めと)らせた。育ちの良さが人の良さの惡い方に出て、入鹿を斬る前の中大兄の樣に、一皮も二皮も剝ける必要が有る。

 卽位の宴(とよのあかり)の蠻行(ばんこう)にも拘(かか)はらず、淡海帝は嫡男(ひつぎ)で在る大友王子では勿く、大海人を立太子に推さざるを得ず、朝堂の要職も、左大臣(ひだりのおとど)に蘇我赤兄(あかえ)、御史大夫(ぎよしたいふ)に蘇我果安(はたやす)、巨勢人(こせのひと)、紀大人(きのうし)を昇敍(しようじよ)し、因縁淺からぬ蘇我氏を始め、建内足尼(たけうちのすくね)を祖(おや)に戴く竺志の飼ひ犬で固める苦肉の策で、漸(やうや)く治まつた近江朝の船出。其の事始めに建元して態々倭國に喧嘩を賣り、親(みづか)ら出鼻を挫くとは。參種(さんしゆ)の神璽(しんじ)が大津の宮に遷座した事で、天孫(あめみま)を嗣(つ)ぐ驗(あかし)は眼と鼻の先、見す見す、竺志に還して爲る物かと息卷き、吾こそは古道に則(のつと)り、祖神(おやがみ)を崇(あが)め、宗廟(そうべう)を護る草創(はじ)め也(なり)と、

 

 天地(あめつち)と共に長く日月(ひつき)と共に遠く不改(かはるまし)じき常(つね)の典(のり)

 

 不改常典を大袈裟に揭けた擧げ句、

 

 時の人に「天皇(すめらみこと)、天命將及(まさにおよぶ)。」

 

 と曰はしめ、親(みづか)らの卽位を支那の王朝交代に淮(なぞ)へた。其の勇み足も、孰(いづ)れは山門の古道を蹈(ふ)み外(はづ)す。淡海年號が何處まで續く事やら。此れから先の尻拭ひは命を粗末にする丈け。鎌足の心も搖れてゐた。今惟(おも)ふに倭國からの輿入れは拙速だつたのでは勿いか。納采(なふさい)の七枝刀(ななさやのたち)に眼が眩(くら)み、ああも易易と竺志の女王(ひめぎみ)を差し出した、其の裏を見極め勿かつた報ひを受ける日が來やう。淡海帝の御卋は玉響(たまゆら)の流れ星と判つてゐ乍ら、往時の樣に立ち囘はれぬ衰へた氣骨。東國に乘り込んで來た倭國の阿每(あま)氏に鞍替へするにしても、淡海帝の樣に脇の甘い相手では勿い。況(ま)してや、尻に敷いて、手綱を揮ふなぞ、其れこそ命の投げ賣り。己の器と餘生では、所詮、此處迄。目障りな氏族を蹴落とし、山門の王族に阿(あもね)り、遮二無二伸(の)し上(あが)がつた榮達も一息吐き、保身に囘はる時が來た。化鳥(けてう)の影に怯えて、史(ふひと)を規(ただ)せと己を叱咤し、永遠(とは)の名聲に鳥憑(とりつ)かれてゐた彼の頃は何だつたのか。今と爲つては思ひ出す事も出來ず、山と積まれた廳(まつりごとのとの)での務めに、肅肅(しゆくしゆく)と勤しむ鎌足。扶桑の東の更に東、常陸(ひたち)の國から流れ著き、地所も勿く昇り詰めた鎌足に取つて、豪族から本領を召し上げて官僚化する律令の徹底は、一族繁營の命綱。倭王葛(ゐわうかつ)、磐倭(いはゐ)から多利思北孤(たりしほこ)、多利思北孤(たりしほこ)から伊勢王(いせのあまきみ)へと受け繼がれた倭國(ゐこく)律令、常色(じやうしき)律令を素地に、山門の諸司(もろもろのつかさ)に頒布(はんぷ)す可く、東國を束ねる近江令を編み上げていく。其の裏で、遡る事、

 

 白鳳(はくほう)四年甲子(きのえね)、

 

 淡海帝は白村江(はくすきのえ)で扶桑の天子が虜(とりこ)と爲つた閒隙を透かさず、鬼門除(よ)けと稱(しよう)して、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)を見下ろす有智山(うちやま)の竈門(かまど)の社(やしろ)に、名も勿き蕃屛(まがき)の捌佰萬神(やほよろづのかみ)を强引に押し込んで奉(たてまつ)り、艮(うしとら)から山門への咒術(まじなひ)を封じると、

 

 白鳳(はくほう)九年己巳(つちのとみ)、

 

 有閒王子(ありまのみこ)の陷穽(かんせい)に功の有つた蘇我赤兄(あかえ)に、筑紫率(ちくしのかみ)を敘(さづ)けて上洛させ、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)を衞(まも)る可く繞(めぐ)らした、防壘(ばうるい)の頂に坐(ましま)す山城の神神を引き擦り降ろし、中でも大野城と基肄(きい)城に坐(ましま)す、事代主(ことしろぬし)、武甕槌(たけみかづち)、天御中主(あめのみなかぬし)は王城神社と筑紫神社に鎖ぢ込めて、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の羅城の結界を解いた。天命を革(あら)め王朝の交替を成す「天命將及(てんめいしやうきふ)」の足掛かりに、竺志の神の切り崩しに掛かる淡海帝には、未だ鎌足の力が必要だつた。處が、不慮の落馬に因り鎌足は脊椎を打ち、傷痍(しやうい)の程は殊(こと)の外(ほか)重く、病床に臥して終ふ。

 

 冬十月(かむなづき)乙亥(きのとゐ)、丙午(ひのえうま)朔乙卯(きのとう)、

 

 功臣の患禍(くわんくわ)と知つて、淡海帝親(みづか)ら直々に慰問(ゐもん)し、恐縮する鎌足。

 

 「天道(あめのみち)の仁(めぐみ)を輔(たすけ)ること、何そや乃(すなは)ち虛說(いつはりことならん)。善を積みて慶(よろこ)びを餘すといへど、猶ほ是(ここ)に徵(しるし)无(な)し。若し、所須(すべきこと)有らば、便(すなは)ち以て聞こす可し。」

 

 積善餘慶を說いて勞(いたは)る朝(みかど)に、鎌足は己の不德を羞(は)ぢ入(い)る許り。其の型通りの遣り取りを、嫡男(よつぎ)の不比等は疏惚(そこつ)な面持ちで聞いてゐた。未だ髪を結ふ歲では勿いが、其れでも人の噂は聞き分ける。鎌足の最後の正室、鏡女王(かがみのおほきみ)は、淡海帝の御落胤(ごらくいん)を宿して暇を出され、其の後片付けに鎌足が引き取りつて血胤(けついん)を隱し、與志古娘(よしこのいらつめ)が產んだ兒(こ)として育てた。幼い不比等の背を靡(なび)く心勿い風聞。己の實父やも知れぬ男との初めての對面。況(ま)してや時(とき)の朝(みかど)として謁(まみ)える奇異に摑み處が勿く、二人の父(かぞ)と同席してゐる巡り合はせを前にして、氣配を殺す事しか出來勿い。見舞ひを終へて退出する淡海帝は、不比等を一瞥して眼路を逸すと、顏色獨つ變へず、

 「忠孝に勵(はげ)め。」

 と云ひ殘して去つた。然して五日後の、

 

 庚申(かのえさる)、

 

 大王(おほきみ)、東宮(ひつぎのみこ)なる大皇弟(まうけのきみ)を藤原の内大臣(うちつおほまへつきみ)の家に遣はして、大職(たいしき)の冠(かがふり)と大臣(おほまへつきみ)とを授けたまふ。仍(かさね)て姓(かぎね)を賜ひて、藤原氏(ふじはらのうぢ)と爲せり。此れ自(よ)り以後(のち)、通して藤原内大臣(ふじはらのうちつおほまへつきみ)と曰ふ。

 

 卽位の宴(とよのあかり)で淡海帝に喰つて掛かつてより以來(このかた)、氷炭(ひようたん)相容(あひい)れずと云はれる大海人が、其の朝(みかど)の使ひで舘(やかた)に出向き、鎌足に藤原姓を授けた。何(ど)う云(い)ふ風の吹き回しか、意想外の推參に舘の者達は泡を喰ひ、此れには何か裏が有ると穿鑿(せんさく)したが、鎌足は大海人の光來を欣幸(きんかう)の至りと拜謝し、人拂ひをして面會に臨んだ。病身を押して歡待する父(かぞ)の密かな目星と、大海人の怜悧な虎視が何(ど)う噛み合つたのか。別室の不比等には知る由も勿い。父(かぞ)の萬(まん)が壹(いち)に備へ、日を置かずに來駕(らいが)した雙(ふた)りの稀人(まれびと)。不比等の足處氣勿(あどけな)い瞳には、時の朝(みかど)を一囘り凌駕する大海人の、悲愴な迠の險しい雄雄しさが灼き附き、此程の殿上人(てんじやうびと)に求められる父(かぞ)の威德が身に染みて、其の後を嗣ぐ自信の勿い不比等には、己の境遇の總てが重荷でしか勿かつた。

 朝(みかど)と大海人の心盡くしの甲斐も勿く、容體は一向に好轉せず、瘴氣(しやうき)に蝕まれて衰弱の一途を辿る鎌足は己の死期を悟り、藤原家の嫡男(よつぎ)として不比等を呼んだ。

「髙市(たけち)郡藤原を本據に、天兒屋根命(あめのこやねのみこと)を祖神(おやがみ)とし、王家の祭祀を勤め、黑田の子息の常盤(ときは)の代に中臣連(なかとみのむらじ)を賜り、朝(みかど)からは藤原の姓(かばね)を賜つた。其の恩寵は計り知れず、冥利の總てに報ひる事なぞ望む可くも勿い。將に果報の至り。此の身命を賭して朝(みかど)の御心(みこころ)に殉(したが)ふ事こそ本望で在ると信じて來た。然(さ)れど、王道は天道に非ず。況(ま)して山門の古道は如何(いか)なる物か。」

 落ち窪み、隈で緣取られた眼窩(がんくわ)の奧で烱烱(けいけい)と煌憑(ぎらつ)く雙眸(さうぼう)が、加冠に與(あづか)る歲にも滿たぬ不比等の童顏に喰ひ入り、寢返り獨つ打てぬ體(からだ)を起こさうとする。父(かぞ)の後ろ盾を失ふ吾が子の行く末を案じる親心が、其の腹藏を詳(つまび)らかに撲(ぶ)ち撒(ま)けた。

 「心して聞け。王位を巡り何事か凶變(きようへん)が起きたらば、朝(みかど)を立てて、大海人に附け。矢張り、竺志の嫡男(ひつぎ)、山猿とは一味違ふ。今一步、早く出會ふ可きで在つた。苦し紛れに蘇我と組む朝(みかど)に見込みは勿い。中臣の者達が朝(みかど)に附いても決して後を追ふな。墮ちた星は拾ふ不可(べからず)。王族なぞ詮ずる所、駕籠の中の色を塗られた瑞鳥。塗り固めた羽では駕籠から飛び發つ事すら儘爲(ままな)らぬ。」

 其處迄一氣に捲し立てて、鎌足は息を呑んだ。瑞鳥の二文字が喚び覺ます、大藏省(おほくらのつかさ)に鎖ぢ込められた白鳳の幻影。白村江(はくすきのえ)の役(えき)以後の騷亂で完全に失念してゐた、淡海帝の中元建元に因つて、穢(けが)され、侮(あなど)られた倭國年號の鳳凰(おほとり)が、今再び、燃え盡きようとしてゐる鎌足の命の炎を嗅ぎ付けて鳥憑(とりつ)き、眼も眩(くら)む閃光の燦亂(さんらん)を斬り裂いて、衝天駭愕(しようてんがいがく)の爆音が轟いた。地を穿(うが)つ激甚に心(しん)の臟(ざう)を鷲掴みにされた暫(しば)しの空漠。舞ひ落ちる梁塵(りやうじん)を見上げる丈けで足腰の立たぬ不比等の耳を、表に飛び出していく舘の者達の跫音(あしおと)が擦過する。嚴(いか)づ靈(ち)が直擊し、火の粉を散らす庭の佳木(かぼく)を取り圍む人垣と喚聲(くわんせい)。其の輪が廣がつていく程に靜まり返る病床の枕邊(まくらべ)を、耳慣れぬ禽獸(けもの)じみた占鳴(せんめい)が劈(つんざ)いた。

 「不比等(フヒト)ト號(ナヅ)ケラレシ其ノ刻(トキ)カラ定メラレシ史(フヒト)ノ天命。爾(ナンヂ)コソ、千千(チヂ)ニ亂レシ古事ヲ束ネ、此ノ國ノ史(フヒト)ヲ規(タダ)ス者也(ナリ)。」

 物心附いた時から幾度と勿く聞かされた父(かぞ)の口癖。其の度に、溫和(おとな)しく意氣地の勿い不比等は、身の丈を超えた大義を計りかねて戶惑ひ、生返事を繰り返して來た。此處數年、其の口數も減つたとは云へ、何故、斯(か)うも父(かぞ)は天の配劑(はいざい)で在る史(ふひと)に拘(こだは)るのか。何故、斯(か)うも息子の顏を見る度に使命だ天命だと捲し立てる樣に爲つたのか。昔の父(かぞ)を知る者が云ふには、或る頃を境に、父(かぞ)の爲人(ひととなり)は變はつたと云ふ。古道を護る事に勤め、出卋とは無緣だつた祭官の嫡男(よつぎ)が、眼の色を變へて仕官し、辣腕を揮つて政敵の排斥に明け暮れ、榮進に次ぐ榮進を果たしていく樣は、憑き物が降りて來たとしか思へぬと首を傾げてゐた。然して、現に、今、眼の前の父(かぞ)の聲色(こわいろ)は全く別人、否、全く別の生き物に聞こえる。

 「時卋ヲ見極メ、天機ヲ摑メ。爾(ナンヂ)ハ史(フヒト)ヲ規(タダ)ス者ゾ。」

 落雷で碎けた幹の爆(は)ぜる音に焚き付けられて聯呼(れんこ)する、口寄せの宣明。其の遺言とも咒(まじな)ひとも知れぬ狂ほしい發作に縋(すが)り付(つ)き、不比等は最期の夜を過ごした。

 「御氣を確かに。」

 幼い皓齒(かうし)で呼び掛ける必死の介抱。庭の焦木(せうぼく)は鎌足の身命を宿した樣に燃え續け、翌(あく)る日の、

 

 辛酉(かのととり)、

 

 冠位二十六階の最上位まで昇り詰めた鎌足は薨(みまか)り、燻り續ける庭木から煙立つ燒香(せうかう)が、東雲(しののめ)の霄(そら)に紛れた。天に昇つた御魂(みたま)を摑まうと手を伸ばす、灼け殘つた枝振りを見上げて彳(たたず)む不比等の、泣き腫らした眼に窶(やつ)れた頰。鄕(さと)の者達は旣に、此の落雷も入鹿や有閒の祟(たた)りだと、聲(こゑ)を潛(ひそ)めて冷やかしてゐる。藤原の姓(かばね)を賜つた丈けで、

 

 

   藤かかりぬる木は枯れぬるものなり

      いまぞ紀氏(きのうぢ)は失せなむずる

 

 

 と恨(うら)やむ卋閒に不比等は放り出された。藤原の家督を繼ぐも何も、父(かぞ)の後ろ盾を失つた孤兒を引き取つて吳れる者は、中臣氏の類緣に在つても山科田邊史大隅(山科のたなべのふひとおほすみ)しか居らず、資財も親族も四散して、位人臣(くらいじんしん)を極めた鎌足の大成も、帰する處、壹榮壹辱(いちえいいちじよく)に閃く紅葉の獨片(ひとひら)。

 

 

   神奈備(かむなび)の石瀨(いはせ)の社(もり)の呼子鳥(よぶこどり)

    いたくな鳴きそ我が恋まさる

 

 

 生家を後にして風の便りに聞いた、憶說の母(いろは)、鏡王女(かがみのおほきみ)が噎(むせ)ぶ偲(しの)び哥(うた)。子を呼ぶ鳥の愛しさを顧みる事すら赦されぬ身の上で、古巢を追はれた不比等は冷や飯に甘んじ、父(かぞ)の遺訓も忘れ、文林を生業とする田邊史大隅(たなべのふひとおほすみ)の許で、諸學の研鑽に勵(はげ)む事と爲る。飛び發つ翼も覺束ぬ男雛(をびな)に取つて、史(ふひと)とは偏(ひとへ)に、押し流されていく日日の彼方で語り嗣がれる、月卿雲客(げつけいうんかく)の物語でしか勿かつた。鎌足が降りた事で閊(つか)へてゐた楔(くさび)が外れ、愈愈(いよいよ)、危ふい角度に傾いでいく政爭の舞臺(ぶたい)。然して遂に、屋台骨の歪んだ朝堂の奧の院に身を潛(ひそ)めてゐた史(ふひと)の番人が、新たに鳥憑(とりつ)く漢を求める樣に、歲も押し迫つた、

 

 十二月(しはす)丁丑(ひのとうし)、

 

 難波宮から姿を消した。衞門府(ゆけひのつかさ)で固め一分の隙も勿かつた大藏省(おほくらのつかさ)の奧の院。其の途切れる事の勿い監視の許で出火した奇禍と倶に、忘れ去られてゐた瑞鳥は燒滅した。年號にまで祭り上げられた白鳳の最期。炭と化した官廳(まつりごとのとの)に佰官(もものつかさ)は額突(ぬかづ)き、

 

 

 鳳(ほう)や鳳(ほう)や、何ぞ德の衰へたる。

 

 

 と、今は勿き靈鳥(れいてう)の愾(いか)りを鎭(しづ)めた。竺志の副都を見放した此の凶兆は何を意味するのか。獨つの禍(わざは)ひが喚び寄せる、新たな禍(わざは)ひの鈴生(すずな)りに怯え、亦候(またぞろ)、外征か疫氣(ゑのやまひ)かと訝(いぶか)る天下(あめのした)。其の欹(そばだ)てた俗耳と戰戰兢兢の巷吻(こうふん)が治まらぬ内に、

 

 

 鳳(ほう) 吟(ぎん)ずれば雷雲起こる。

 

 白鳳十年己巳(つちのとみ)、四月(うづき)辛巳(かのとみ)、癸卯(みづのとう)朔壬申(みづのえさる)、

 

 夜半の後に法隆寺に災(ひつ)けり。一屋も餘ること無し。大雨ふり、雷震ふ。

 

 

 山門の斑鳩(いかるが)を染め上げた紅蓮の劫火。嚴(いか)づ靈(ち)の矛を振り亂す叢雲(むらくも)を引(ひ)き聯(つ)れ、滿天の星空を瞬く閒に覆ひ盡くした鳳凰(おほとり)に、法隆寺は灼き滅ぼされた。怒濤の豪雨を物ともせずに炎繞(えんぜう)する大伽藍。立ち昇る火柱に金燐を鏤めて燃え盛る火の鳥の炎舞。倭國の護り神の激嗔(げきしん)から鄕人(さとびと)は逃げ惑ひ、唐國と新羅に媚びを賣る許りで、天孫(あめみま)を蔑(ないがし)ろにする山門の政(まつりごと)を、口口に罵つた。文武王十年庚午(かのえうま)の史書に曰く、

 

 

 倭國、更(あらた)めて日本(ひのもと)と號(なの)る。自ら言ふ。日出づる所に近し。以(ゆゑ)に名と爲すと。

 

 

 倭國の威名を剽竊(へうせつ)し、山門が東國の國號と年號を革(あらた)めて閒の勿い此の禍事(まがごと)。己の號(な)を穢された白鳳に因る近江朝への戒めか、或いは、倭國の斷末魔か。雷雨と爆炎が吹き荒れる、末法の終焉も斯(か)くやと云ふ地獄繪卷に、火の鳥は歡憙の雄叫びを上げ、燒け出されていく佛の文物を其の兩翼で煽り立てた。竺志の明日香を僭稱する斑鳩に吹き荒れた、情け容赦勿い狂亂。將に其の夜、大海人も天地を覆す疾風怒濤の雷夢に寢首を擊ち拔かれた。

 

 

 飛鳥淸原大宮(あすかのきよみがはらのおほみや)にて大八洲(おほやしま)御(をさめ)たまふ天皇(すめらみこと)の御卋(みよ)に曁(およ)びて、潛龍(せむりよう)、元(もと)を體(あらは)し、洊雷(せむらい)、應(まさ)に期(こころさ)さむとす夢(いめ)の哥(うた)開(と)きて、而(しか)るに纂(あつま)りし業(つとめ)を相(み)せ、夜(よ)の水(みづ)に投(くくり)て、而(しか)るに基(もと)を承(う)けむと知る。然(しか)れども天(あめ)の時(とき)に臻(いた)らず、南の山に於いて蟬は蛻(もぬ)けし、人(ひと)の事(こと)共に給(そな)はり東國(あづま)に於いて虎步む。

 皇(すめら)の輿(こし)、忽(たちま)ちに駕(か)け山川を凌ぎ渡る。六師(むいくさ)雷震(らいしん)し、三軍(みいくさ)電逝(でんせい)す。矛(ほこ)を杖(と)り、威(い)を擧げ、猛(たけ)き士(つはもの)、煙(けふり)に起ち、旗は絳(あか)くして、兵(つはもの)は耀(かがや)き、凶徒(あた)瓦解(くづ)る。

 乃(すなは)ち、放牛(うしをはなち)息馬(うまをやすめ)し、愷悌(やすきさま)華夏(みやこ)に歸(かへ)り、旗を卷き戈(ほこ)を戢(をさ)めて舞ひ詠ひ、都と邑(むら)に停(やす)みたまひき。歲大梁(とりのとし)に次(いた)り、月夾鐘(きさらぎ)に踵(いた)りて、淸原大宮(きよみがはらのおほみや)に昇りて、天位(あまつくらゐ)に卽(つ)く。

 

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 靈鳥(れいてう)の絕叫で目覺めた大海人は、子(ね)の四(よ)つを囘はつた歲の瀨の夜も顧みず、咒禁博士(じゆこむのはかせ)と蔭陽博士(をむみやうのはかせ)を喚び寄せて夢を占卜(せんぼく)し、宵(よひ)の禊(みそ)ぎで身を淨め神前に改まると、天命、顱頂(ろちやう)を貫いて心の髓に轟き、己の纂(つ)ぐ可き業(つとめ)が詳(つまび)らかと爲りて、見失つてゐた王道が夜明けと倶に啓(ひら)かれた。白む東雲(しののめ)に色褪せる天河。

 

 潛龍(せむりよう)、元(もと)を體(あらは)し、洊雷(せむらい)、應(まさ)に期(こころさ)さむとす

 

 風雲は嚴(いか)づ靈(ち)の導きにして、壹卋(いつせい)に貳(ふた)つの天機勿し。大海人は日の出を待ち侘びる小鳥の哢(さえづ)りすら瑞唱(ずいしやう)に聞こえ、今將(いままさ)に立ち昇る天照神(あまてるかみ)が、倭國再興の御達しに相違勿いと、大願の成就を盟(ちか)つた。此れから捲き起こす狂瀾(きやうらん)の坩堝(るつぼ)。其れは大海人の野望を遙かに凌ぎ、去る夜に暴威を揮つた火の鳥の沙汰(さた)ですら、後の卋の焦圡から惟(おも)ひを騁(は)せれば、激動の前の胎動、始まりの始まりでしか勿かつた。

 

 

 

 白鳳十一年辛未(かのとひつじ)、春正月(むつき)己亥(つちのとゐ)朔、

 

 天下(あめのした)の諸王、文武佰官は難波宮に聚參(しゆうさん)して朝賀の儀に臨み、薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)にして、竺志の日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)に新年の御慶びを申し上げた。倭國の神聖にして正統な文物の儀。其の御稜威(みいつ)を脅かす不遜な態度の者は紛れてゐ勿いか、樹(た)て巡(めぐ)らした日月像(にちげつぞう)と四神旗(しじんき)の狹閒(はざま)から、後(うし)ろ見(み)の大海人と儀仗(ぎぢやう)を構へる竺志の軍士(つはもの)が睨みを利かせる龍尾道(りゆうびだう)。其の參列者の一隅に淡海帝も何食はぬ顏で畏(かしこ)まつてゐる。竺志の都府樓(とふろう)に坐(ましま)す、倭國(ゐこく)の都督(みやこのかみ)、薩夜蔴に替はつて出御(しゆつぎよ)された殿下(わかぎみ)の尊影に泥を塗り、惠方(ゑほう)に配した幢幡(どうはん)を叛旗に飜(ひるがへ)す狼藉者に神經を遣は勿ければ爲らぬ程、天孫(あめみま)の玄德は千千(ちぢ)に亂れてゐた。天子の禮服を繞(まと)ふ殿下(わかぎみ)の强張(こはば)つた紅顏(こうがん)。笞杖(ちぢやう)の刑で磔(はりつけ)にされたかの樣に立御(りふぎよ)する、見るに忍び勿い姿が、大海人の祕めた覇業に火(ひ)を點(つ)ける。去(さ)る歲(とし)に、雷夢と倶(とも)に顯現(けんげん)した火の鳥の、亂心は亂卋の驗(あかし)。神意は吾に有り。藩國(まがき)の度重なる不義を、天が此れ以上見過ごす筈が勿い。啻(ただ)、其處に居る丈けで臍(ほぞ)の鼎(かなへ)が煮(に)え滾(たぎ)る淡海帝の面の皮を探り乍ら、大海人は黙黙と虎視を研ぎ澄ました。眼に物を云はせるのは未だ早い。暗君は必ず髙御座(たかみくら)で躓(つまづ)き、卋變(せいへん)に轉(まろ)ぶ。其の刻に手足と爲る臣下(やつがれ)、獨り獨りの倭國への忠烈、其の眞僞を拜賀の所作で見極める。果たせるかな、翌る日の、

 

 庚子(かのえね)

 

 大錦上(だいきむじやう)蘇我赤兄臣(そがのあかえのおみ)と大錦下(だいきむげ)巨勢人臣(こせのひとのおみ)と、殿(おほとの)の前に進みて、賀正事(よこと)を奏(まを)す。

 

 淡海帝の許で執り行はれた朝賀の儀では、鎌足の楔(くさび)が外れた蘇我の類族で拜賀の序列を爭ひ、佩刀(はいたう)に手を掛けたと云ふ。然(さ)も有(あ)りなん。大海人の順風耳(じゆんぷうじ)丈けで勿く、巷閒(かうかん)をも賑はす其の醜聞。今迄、鎌足が其の都度接(つ)ぎ直(なほ)してゐた綻(ほころ)びが、命脈を絕たれた玉(たま)の緖(を)と倶に解(ほつ)れていく。勢ひを失つた獨樂(こま)に鞭を入れる者が居勿ければ、後は轉(ころ)ぶのを俟(ま)つ許(ばか)り。大海人は此の大局に靈智(れいち)を啓(ひら)き、其の節目に眞の正鵠(せいこく)を見定める。古事を語り嗣いで來た神の末裔が、革(あらた)に紐解く白妙(しろたへ)の卷子(くわんす)。

 

 

 諸家(もろもろのいへ)の帝紀(すめろきのふみ)及び本辭(さきつよのことば)を賷(もた)らす所は、旣に正實(まこと)を違(たが)へ、多(おほ)きに虛僞(いつはり)の加(くは)はる。當(も)し、今の時に其れ失ふを改めざれば、幾年を經(へ)ずして其の旨欲(まさ)に滅ばむとす。

 

 

 序章の草稿に垣閒見る國記(くにつふみ)の殘像。獨り步きをし始めた焚書の影法師が、交互に蹈(ふ)み拉(しだ)く虛實(きよじつ)の跫音(あしおと)が聞こえ、亡命せし者の邪說と、葬られし禁書の片鱗が、正史と云ふ幻想の闇に今、閃(ひら)く。

 

 

 

 白鳳十一年辛未(かのとひつじ)、十月(かむなづき)己亥(つちのとゐ)、甲子(きのえね)朔庚辰(かのえたつ)、

 

 御召(おめ)しが掛かり大津宮に伺候(しこう)した大海人は、淡海帝が讓位の詔勑(しようちよく)を出す旨を、内密に摑んでゐた。嫡男(ひつぎ)で在る大友王子の立太子に吝(やぶさ)かで勿い筈の王權の亡者が、何故(なにゆゑ)、無殘無殘(むざむざ)と、呉越の仲と認め合ふ相手に髙御座(たかみくら)を明け渡すのか。其の透けて見える肚積(はらづ)もりに、素知らぬ振りを突き通す。此の押し引きも旣に、只の手續きでしか勿い。謁見(えつけん)の閒へ向かふ囘廊(ほそどの)で、旣に子飼ひの蘇我臣安蔴侶(そがのおみやすまろ)から擦れ違ひ樣、

 

 「有意(こころしら)ひて言(まを)したまへ。」

 

 と耳打ちされるも、如何(いか)に體良(ていよ)く應(こた)へやうと、遲かれ早かれ濡れ衣を著せられるのは眼に見えてゐる。避けては通れぬ王道の嶮難(けんなん)。東國を日出處(ひいづるところ)の國、倭國を日沒處(ひぼつするところ)の國に淮(なぞら)へて、日(ひ)の本(もと)を剽竊(へうせつ)する男と相對するのも此が最後で在らう。盜人猛猛しい其の面構へを眼に灼き附け、決戰の火種を燒(く)べるに如(し)くは勿(な)い。

 佩刀(はいたう)を解き、畏(かしこ)まる大海人の前に出御(しゆつぎよ)した淡海帝は、其の玉體(ぎよくたい)を苛(さいな)む甚だしき臥病(みやまひ)の大凡(あらま)しを敍(の)べると、鴻業(あまつひつぎのこと)を授(さづ)く聖旨(せいし)を勑(みことのり)し、快い領掌(りやうしやう)の辯(べん)を聞き逃すまいと半步身を乘り出した。病の翳りなぞ微塵も勿い、竝竝(なみなみ)ならぬ眼光に宿る其の旺盛な精力に、面(おもて)を伏した儘、暫(しば)し沈默を貫く大海人。安い餌で氣を惹く位なら、其の場で斬り捨てれば良い物を。闇討ちしか藝(げい)の勿い男が、探つた肚(はら)を知つた處で何に爲る。大海人は込み上げる蟲酸(むしず)と咒詛(ずそ)を呑み下し、焦(じ)れる朝(みかど)に醒め醒めと獻言(けんげん)した。

 「臣之(やつかれ)が、不幸(さきはひなき)は元より多(さは)に病を有(もて)るにありて、何(いつく)んぞ能(よ)く社稷(くにのおほもと)を保(まも)るか。願はくは陛下(きみ)、天下(あめのした)を擧(こそ)りて王后(おほきさき)に附(よ)せたまへ。仍(よ)りて、大友王子を立て宜しく儲君(まうけのきみ)と爲(な)したまふべし。臣(やつかれ)は今日(けふ)に出家(いへて)しまつりて、陛下(きみ)が爲(みため)に功德(のりのこと)を修(おこな)はむと欲(おも)ひまつる。」

  王位を輕王子(かるのみこ)に讓つたにも拘はらず、叛徒に祭り上げられた古人大兄王子(ふるひとのおほえのみこ)の薨去(こうきよ)から早、十二支を二囘はり。一度味を占めたら止められぬのが謀(はかりごと)の食指。惡計は繰り返す。蘇我の徒(ともがら)も淡海帝に附くか大海人に附くかで旣に割れ、何方(いづれ)が勝(まさ)つても良い立ち位置に陣取る者達は、淡海帝の前では大友王子の卽位を熱望して、大海人を惡(あ)し樣(ざま)に罵り、大海人の前では日嗣(ひつぎ)の位(くらゐ)を讓つた蔭德を襃(ほ)め稱(そや)すで在らう。此の後に及んで、猿山の習俗に怪事(けち)を付けても始まらぬ。政(まつりごと)の觚(さかづき)は天下に獨つ。毒酒を干さずに美酒を注げるのなら誰も苦勞はせぬ。大海人は舌の根を焦がす辛酸を呑み下し、疲弊した國家(みかど)と百姓(おほむたから)の復興と慰撫(ゐぶ)、母國に歸れぬ英靈達の鎭魂(みたましづめ)を發心(ほつしん)した次第を說き、重ね重ねの讓意に固辭し續けた。

 「請(こ)ふ、洪業(ひつぎ)を奉(あ)げて大后(おほきさき)に付屬けまつらむ。」

 此れは倭國の最後通牒で在つた。倭姬王が東國の王位に卽き、淡海帝を始末して倭(ちくし)の兒(こ)を宿せば、東國の血筋を斷ち切れる。此の餘りにも際疾(きはど)い、捻じ伏せられた逆手を覆す薩夜蔴の布石に、大海人は胸が閊(つか)へて言葉に爲らず、心は扶桑の彼方を遙拜(えうはい)した。

 

 

 大王(おほきみ)之(こ)を聽(ゆる)したまふ。卽日(このひ)に出家(いへて)して法服(のりのころも)をきたまふ。因りて以て、私(わたくし)の兵器(つはもの)を收(をさ)めたまひて、悉(ことこと)く司(おほやけ)に納(をさ)めまつりたまふ。

 

 

 頑として墓穴を掘らぬ大海人に根負けした朝(みかど)は、一度口に爲して終つた苦苦しい勑(みことのり)を取り下げ、羞(は)ぢの搔(か)き捨(す)てと許りに無言で入御(にふぎよ)した。御互ひ此れで取り繕ふ物は何も勿い。御前(みまへ)を退いた大海人は、内裏(だいり)の佛前に端座して髻(もとどり)を解き、沙門(しやもん)の裝ひに履き替へた其の足で、敢(あ)へて人目を憚(はばか)らず奧室に立ち寄つた。伊卋(いせ)參宮に言寄(ことよ)せて御暇を乞ふも、朝(みかど)の許しが下りぬ倭姬王に、得度(とくど)して宮に籠もる旨を傳(つた)へ、

 「伊卋(いせ)へ行啓(みゆき)の折には、吉野で俟(ま)つて居(を)ります。船遊びでも致しませう。」

 と云ひ殘して大津宮を後にする。はて、東國の吉野には船遊びの出來る河處か瀧すら勿い、と訝(いぶか)る倭姬王の愁眉(しうび)に、竺志の山懷で披かれた鵜飼ひや曲水(きよくすい)の宴(えん)が過(よぎ)り、若しや其の吉野とは、と心が騷いだ。

 

 此に皇后(おほきさき)若し恥有らんや、私(ひそか)に生圡の所に歸らむと欲しめせ。

 

 大海人の底意(そこ)を汲んだ倭姬王は、己の勤めを果たし終へた事を悟つた。倭國再興の爲、僅かでも刻が稼げたのなら、此の難儀に堪へた甲斐も有る。竺志の太母は其の本望を遂げたと許りに、羽根を休めたも鳳凰(おほとり)斯(か)くやと云ふ、雅な睫尾(せふび)の帷(とばり)を下ろした。

 

 壬午(みづのえうま)、

 

 吉野宮に入りたまふ。

 

 或(あるひと)の曰く「虎に翼を著(つ)けて之(こ)を放てり。」といふ。

 

 兵器(つはもの)を解き、朝(みかど)から賜つた袈裟を羽織つて、大海人が吉野入りしたのを見屆けたは良い物の、讓位の魂膽(こんたん)を見破られた上に、易易と逃げられた不調法に、淡海帝の取り卷きは呆れてゐた。東國に下向したと雖(いへど)も、相手は針閒(はりま)以西を顎獨(あごひと)つで從(ほしいまま)にする倭國の柱石(ちゆうせき)。今迄の陷穽(かんせい)に突き落とせば事足りてゐた山猿とは格が違ふ。だからこそ、綿密な奸計で委細漏らさず闇に葬る可き處を。彼の及び腰では、譬へ大海人が讓位を受けてゐたとして、仕畱める事が出來てゐたのやら。虎翼(こよく)一たび奮(ふる)はば、卒(つい)に制す不可(べからず)。逃した獲物は鯉や鮒では勿い。讓位を固辭した大海人は倭姬王を推戴した。竺志からの輿入れは東國に倭國の女帝を樹(た)てる爲の布石。其れを己の登極(とうきよく)に浮かれて身拔け勿かつた淡海帝の御寒い料簡。最早、大友王子の立太子なぞ二の次三の次。藤原の内大臣(うちつおほまへつきみ)、生きてが居られたなら如何(いか)に差配したか、と顏を見合はせる下下に、成り行き任せの綸言(りんげん)が、木枯らしに煽られ吹き拔けていく。

 

 

 

 

 

 錦秋(きんしう)の散り果てた佛殿(ほとけのとの)に滲(し)み渡(わた)る般若波羅蜜多(はんにやはらみつた)の受持講說。本尊と正對し、兩の手(た)な心(こごろ)を合はせて念誦(ねんじゆ)する護國濟民(ごこくざいみん)の悲願に、隱(かく)し果(おほ)せぬ仁王(にむわう)の氣概が凜然と張り詰めてゐる。介添への僧侶を背に、單衣(ひとへ)の素服(そふく)で結跏趺坐(けつかふざ)した大海人の、冥想の坐法とは思へぬ不穩な佇(たたず)まひ。倭國の存亡を背負つた其の肩に、一房(ひとふさ)、復た一房(ひとふさ)と、剃り落とされた御髮(おぐし)が舞ひ散る度に、露はと爲つた顳顬(こめかみ)の頭皮が靑銅の地金の如く底光りし、淸淸滔滔(せいせいたうたう)と伏し拜む獨經(どきよう)が俄に殺氣を帶びていく。俗塵の柵(しがらみ)を削ぐのは形丈けで、意を決した鬼魄(きはく)の形相。積もりに積もつた讐念(しうねん)が佛の御心(みここ)をも炙り立てる。

 

 

 天(あめ)の時に臻(いた)り、南の山に於いて蟬は蛻(もぬ)けし、人(ひと)の事(こと)共に給(そな)はり東國(あづま)に於いて虎步む。

 

 

 蟬に五德有り。頭上の緌(ほおすけ)は文。露のみを飮むは淸。穀物を食べぬは廉。巢を持たぬは儉。定まつた刻に出づるは信。其の成蟲(せいちゆう)が餌も得ず全(まつた)うする短い命を、淸廉にして信義を護る姿に準(なぞら)へた、其の君子が人の皮を脫ぎ、鑄鐵(ちうてつ)に焦がれた饕餮(とら)と成る。御髮(おぐし)が梳(す)かれる程に、無數の皺襞(しゆうへき)が大海人の襟足から頥(おとがひ)へと疥癬(かいせん)の如く這ひ昇り、綠靑(ろくしやう)の酸化皮膜に爛(ただ)れていく顴骨(くわんこつ)に饕餮(たうてつ)の獸紋(じうもん)が蠢(うごめ)いて、合掌した手の甲をも覆ひ盡くしていく。常色(じやうしき)の海幸彥(うみさちひこ)と呼ばれた漢の覺變(かくへん)。僅かに俯いた黥面文身(げいめんぶんしん)の皇鼎(くわうてい)から立ち昇る幽渾(いうこん)が、都府樓に封印された山幸彥(やまさちひこ)の生(いき)き靈(りやう)を更に喚び覺まし、雙(ふた)つの天命が獨(ひと)つと成つて、薩夜蔴の斬り潰された右眼が大海人の獸面(じうめん)に乘(の)り憑(うつ)ると、生き殘つた左眼を苦悶の醜眉(しうび)が渦卷き、眼窩(がんくわ)を緣取つて血走る火眼金睛(くわがんきんせい)の瞠喝(だうかつ)。紅蓮の隻眼(せきがん)から放電する、獵奇(れふうき)を帶びた嚴(いか)づ靈(ち)が、鬼界の門を抉(こ)じ開(あ)け、人の俤(おもかげ)を見失ひ、獸神(じうじん)に蝕(むしば)まれた鑄鐵(ちうてつ)の權化(ごんげ)が沸鼎(ふつてい)し、内陣に仁王經(にむわうぎやう)の慟哭(どうこく)が轟く。

 

 

  劫火洞然(ごふかとうねん)  劫火洞然(ごふかとうねん)として

  大千倶壞(だいせんくゑ)  大千(だいせん) 倶(とも)に壞(くず)る

  須彌巨海(しゆみこかい)  須彌(しゆみ)と巨海(こかい)と

  磨滅無餘(まめつむよ)  磨滅して餘(あま)り無し

 

  梵釋天龍(ぼんじやくてんりゆう)  梵釋天龍(ぼんじやくてんりゆう)

  諸有情等(しようじやうとう)  諸(もろもろ)の有情等(うじやうとう)

  尙皆殄滅(しやうかいてんめつ)  尙(なほ) 皆(みな) 殄滅(てんめつ)せん

  何況此身(がきやうししん)  何(いか)に況(いは)んや此身(このみ)をや

 

  生老病死(しやうらうびようし)  生老病死(しやうらうびようし)と

  憂(う)謔イ苦惱(くなう)  憂(う)謔イ苦惱(くなう)と

  怨親逼迫(をんしんひつぱく)  怨親逼迫(をんしんひつぱく)し

  能與願違(のうよぐわんゐ)  能(よ)く願ひ與(と)違(たが)ふ

 

  愛欲結使(あいよくけつし)  愛欲の結使(けつし)

  自(じ)菴瘡疣(さういう)  自(みづか)ら瘡疣(さういう)繧剃ス懊☆

  參界無安(さんがいむあん)  參界(さんがい)安きこと無し

  國有何樂(こくうがらく)  國に何の樂しみか有らん

 

  有爲不(うゐふ)蟇ヲ  有爲(うゐ)縺ッ蟇ヲ不(なら)ず

  從因緣起(じゆういんえんぎ)  因緣(いんえん)從(よ)り起こる

  盛(じやう)陦ー電轉(でんてん) 盛(じやう)陦ー電轉(でんてん)じて

  暫有(さんう)蜊ス無(む)  暫く(しばら)有り縺ヲ蜊ス縺。無し

 

  ?「界(かい)雜」生(じやう)  ?「縺ョ界(かい)と雜」縺ョ生(じやう)は

  髫業緣現(ごふえんげん)   業緣(ごふえん)に髫九?て現(げん)ず

  螯影(やう)螯響(こう)   影(かげ)の螯ゅ¥響(ひび)き縺ョ螯ゅ¥

  一切(いつさい)逧空(くう)   一切(いつさい)螺?逧???空(くう)なり

 

  識(しき)逕ア讌ュ漂(へう)  識(いき)は讌ュ縺ォ逕ア繧て漂(ただよ)ひ

  乘(じよう)閧?、ァ襍キ  閧?、ァ縺ォ乘(じよう)じ縺ヲ襍キ繧

  辟。明(みやう)諢帷ク  辟。明(みやう)と諢帷ク帙?

  謌第?謇?逕   謌代→謌第園繧医j逕溘★

 

  隴倬圷讌ュ驕キ  隴倥?讌ュ縺ォ髫ィ縺イ縺ヲ驕キ繧

  霄ォ蜊ス辟。荳サ  霄ォ縺ッ蜊ス縺。荳サ辟。縺

  諛臥衍蝨句悄  諛峨↓遏・繧九∋縺怜恚蝨溘?

  蟷サ蛹紋コヲ辟カ  蟷サ蛹悶↑繧九b莠ヲ縺溽┯繧翫

 

 

 一向(ひたぶる)程に崩壞していく護國品(ごこくほん)の偈頌(げじゆ)と、大海人の卋人(よひと)としての原型。瓦解した本願が咒詛(ずそ)の羅列と爲つて、甲殼を嵌め込んだ頥(おとがひ)から蔭走(ほとばし)り、剃り落とされた御髮(おぐし)が放電して、奇矯な矩形と三角の繊光で逆立ち、心(しん)の臟(ざう)の鼓脈に合はせて蠕動(ぜんどう)し乍ら、鑄物(いもの)の憑坐(よりまし)を同心円に幾重にも輪舞し、擴散していく。不協和な念佛と合成周波數が糾(あざな)ひ、冥走する情念。薩夜蔴の絕望と不離一體の形代(かたしろ)に轉生(てんせい)した大海人の、額を穿(うが)つ隻眼が發皇(はつくわう)し、變容(へんよう)の一部始終を盜み見て終つた目擊者を睨み返す。太古の文樣が流動し、獸神が徘徊する煮(に)え滾(たぎ)つた醜貌。其の甲殼が不意に綻び、年の功を刻んだ嫗(おみな)の柔和な相好に映り變はつていく。

 

 

 

 

 「朝(みかど)から行啓(みゆき)の御許しを給はりました。急ぎて御支度を。」

 釆女(うねめ)の嫗(おみな)に起こされ、重い睫毛の御簾(みす)を差し上げると、沸鼎の怒氣で搖らめいてゐた佛前は何處(いづこ)。得度した大海人の尊顏を覆ふ綠靑(ろくしやう)を吹いた地肌も、皺積(しうせき)した貪婪な獸神の綾竝(あやな)みも、瘡蓋(かさぶた)を剝がされた樣に憑き物は落ち、鑄造(ちうぞう)の死神は姿を滅した。

 幻妖、醒めやらぬ夢魔の餘韻。不吉な兆候を夜著の裾に引き擦り乍ら、倭姬王(ちくしひめ)は促される儘に裝束を整へ表に出ると、寢惚け眼で三日月の隱れた西の霄(そら)を仰ぎ、

 「あな、と。」

 なぞと、氣怠(けだる)く微笑んだ。御伊卋參(おいせまゐ)りと云ふのに車駕(くるま)を引き入れず、厩(うまや)へ靜靜(しづしづ)と誘ふ嫗の彎曲した寡默な背中。

 

 冬十一月(しもつき)庚子(かのえね)、甲午(きのえうま)朔丁酉(ひのととり)、

 

 倭姬王がの大海人の遣(まだ)した臣下(やつがれ)の尻馬に乘ると、餞(はなむけ)の言葉も勿ければ、夜明けすら俟(ま)たず、北辰(ほくしん)を背に駿馬(しゆんめ)は驅け出した。闇の中を爆(は)ぜる蹄が總てを置き去りにして、最早、吉野の船遊び處の話しでは勿い。倭姬王の吐胸(とむね)は高鳴り、外遊を許した淡海帝の肚(はら)の蟲(むし)も亦、新たな謀(はかりごと)で蠢(うごめ)いてゐた。倭姬王の行啓(みゆき)を、大海人の謀叛に加擔(かたん)して身を隱したのだと喧傳(けんでん)し、壹網打盡(いちまうだじん)にする爲、態(わざ)と泳がせた朝(みかど)の算段と、其れを嗅ぎ付けて、一足先を出し拔いた逃避行。驛鈴(むまやのすず)は旣に抑へ込まれ、敗殘の落人(おちうど)の如く吉野の大海人と合流し、東へ東へと向かふ倭國の命運。追つ手と伏兵の網の目を縫ふ背走に、

 「藤原の内大臣(うちつおほまへつきみ)が生きてをれば。」

 と大海人は遲過ぎた鎌足との和睦を悔やみ、後續の馬群を顧みた。破瓜(はか)を迎へ、此れから女として咲き誇る筈の倭姬王を、此の儘、國の捨て石にしては、祖神(おやかみ)の拜塵に浴する面(おもて)も勿い。淡海帝の卽位の宴(とよのあかり)で觚(さかづき)を飮み干し、塲(ば)を治(をさ)めた彼の氣概。何故(なにゆゑ)、漢に生まれ勿かつたのか。其の器は薩夜蔴と大海人を悠かに凌ぐ物が有る。國を統(し)らす威信の搖るがぬ權(おも)しは、理窟で備はる物では勿い。大海人は、最後の最後、竺志の本貫を護り拔くのは、此の女王(ひめぎみ)の樣な氣がして爲ら勿ず。倭國の太母を此處で手放す譯には行かぬと勇鞭(ゆうべん)を揮ひ、腹心之臣(ふくしんのしん)を鼓舞した。

 

 

 是に大友王子、兵勢を催し、倭姬王を弑(しい)せんと欲し、衆兵(つはものども)を路次に躃(めぐ)らす。川波髙く沂(ほとり)を遡り遂に逆兵(さかふもの)皆退去す。

 

 

 數多(あまた)の嶮難(けんなん)を凌ぎ、汗馬(かんば)を潰して追擊を振り切り、辿り著いた伊卋(いせ)の阿濃津(あのうつ)は、祕(ひそ)やかな宵の渚(みぎは)と、常(とこ)し方(へ)の卋卋生生(せぜしやうじやう)を知り盡くす松風で一行を迎へた。大海人は雄叫びを上げ、天寵(てんちよう)は吾に有りと確言する。敵を撒くには格好の星明かりの海原。手を囘して措いた船も滯(とどこほ)り勿く、時津風(ときつかぜ)にも惠まれ、後は舫(もや)ひ綱を解いで漕ぎ出し、二手に分かれて上げ潮に乘る許り。大海人は此れより先、要らぬ徒波(あだなみ)の立たぬやう綿津見神(わたつみ)に禱(いの)り終へると、慌ただしい船出を强(し)ひる己の不德を詫び、倭姬王に詩を送つた。

 

 

  月光似鏡無明罪  月光 鏡に似たれども罪を明らむること無く

  風氣如刀不破愁  風氣 刀の如くなれども愁(うれ)ひを不破(やぶらず)

  隨見隨聞皆惨慄  見るに隨(したが)ひ聞くに隨(したが)ひ 皆惨慄(さんりつ)たり

  亦秋獨作我身秋  亦(こ)の秋は獨り我が身の秋と作(な)る

 

 

 現(うつ)し身(み)で會ふ事は、最早、在るまいと、互ひに後顧之憂(こうこのいう)を排して臨む楫枕(かじまくら)。譬へ舳先(へさき)は違(たが)へども、大海の水底(みなそこ)より邃(ふか)き護國の念に隔(へだ)ては勿い。倭姬王は己が大海人の王道に身(み)を窶(やつ)す持衰(じさい)に成らうと、髮を降ろし、肅(しめ)やかな夜氣に千早振(ちはやぶ)る。

 

 

  なかれゆく われはもくつとなりしとも

      きみしからみと なりてととめよ

 

 

 鬼道を事とし、能(よ)く衆(しゆう)を惑はす女王の俤(おもかげ)。片膝を突いて畏(かしこ)まる大海人に、倭國の行く末を指南する日(ひ)の神子(みこ)の言靈(ことだま)が轟いた。

 「吾が殿下(きみ)の壹路平安(いちろへいあん)を禱(いの)る。」

 

 

 

 舘に殘つた髙市王子(たけちのみこ)は、倭國の精鋭に機要(はかりことのぬみ)を託して、山門を取り圍む東國に遣(まだ)し、近江朝(あふのみかど)の内偵と諸般(もろもろのたぐひ)の根囘しに暗鬭(あんとう)してゐた。

 「唐圡(もろこし)の郭務悰(かくむそう)を抑へ、竺志と蕃屛(まがき)の援軍を取り付ける。果報を俟(ま)て。」

 と吿げて出立した大海人の畱守(るす)を與(あづか)る其の耳に、倭姬王も今や囘南(くわいなん)の海路(うみぢ)に在りとの報せを受け、追討の手の者が獲物を取り逃したとも爲れば、次の朝(みかど)の矛先は云はずもがな。迫り來る戎馬(じゆうば)の蹄轍(ていてつ)と嘶(いなな)き。髙市王子は己の本領を揮(ふる)ひ發(た)つ星の巡りに、兩(りやう)の肱(かひな)に祕めた有り餘る膂力(りよりよく)を、揚揚(やうやう)と撫(ぶ)した。倭(ちくし)の漢(をとこ)に產まれ落ちて、何時迄も鞘の中で錆を吹いてゐられる物か。上げ美豆良(みづら)で見送つた薩夜蔴の外征。稚兒(ちご)と云ふ丈けで、佐(たす)けに爲(な)らぬと畱守(るす)を强(し)ひられた無念が歷歷(まざまざ)と甦る。己が白村江(はくすきのえ)に臨んでをれば、必ずや一矢を報ひて唐國(もろこし)から倭國の本貫を護り拔いてみせた。況(ま)してや、生(い)き愧(は)ぢを曝して送り返されるなぞ萬死(ばんし)の沙汰(さた)。焦がれ續けた捲圡重來の風雲に色めく紅顏(こうがん)。大殿(おほとの)を立てて一步引き、畏(かしこ)まつてはゐたが其れも此處迠。鬼の居ぬ閒に事を成(な)さず爲(し)て、何時成(な)せるのか。親(みづか)ら矢面に立つて憚(はばか)らぬ若宮は、其の大事の前に、別棟に匿(かくま)ふ鸕野讚良(うののさらら)と一粒胤(ひとつぶだね)の草壁王子(くさかべのみこ)に眼路を飛ばした。淡海帝が實(じつ)の女(むすめ)に手を掛けるのなら其れ迠の事と、大海人が吐き捨て置き去りにした、敵と味方の血を分ける足手纏(あしでまと)ひ。蘇我の外戚の影をも引き擦る、何(いづ)れに附かうと不思議で勿い、表と裏の判らぬ妖女だ。仇(かたき)の兒(こ)を產んだ女(むすめ)なぞ、今更、人質にも人の盾にも爲らず、寳女王(たからのおほきみ)の薨去(こうきよ)に託(かこつ)けて、淡海帝の服喪に加擔(かたん)し、外征を忌避した異母(ままはは)に義理も勿い。此れを好機に後仕舞ひとする可きなのか、投げ遣りな思惑に耽(ふけ)る事すら煩(わづら)はしい。

 何しろ、物狂(ものぐる)ひの中で沒(ぼつ)した遠智娘(をちのいらつめ)の次女で、氣難しい女に育つた鸕野讚良(うののさらら)も然(さ)る事乍(ことなが)ら、草壁王子に到つては人の足を引つ張る意氣地すら勿い。謁(まみ)える度に蒼褪めた瘦貌(そうばう)は圡氣色へと死相を濃くし、胸が惡く氣息が整ふ事の勿い異母弟(ことはら)の不甲斐なさには蟲酸(むしず)が走る。後一月で歲が明ければ、髮を上げ冠(かうぶり)を授かると云ふのに、丈を超える埀髮を美豆良(みづら)に結ひもせず、倭(ちくし)の錦(にしき)を肩から袈裟懸けにして科(しな)を作り、床に臥(ふ)せつてゐるか、書庫(ふみのくら)に籠もつてゐるかで藝事(げいごと)に明け暮れ、女が腐つたとは將に此の事。人を鑄直(いなほ)す鑪(ゐろり)が在るのなら突き落として遣る物を。漢氣(をとこぎ)を母(いろは)の臍(ほぞ)に忘れて產まれた者より、歲下とは云へ、同じ蘇我の血を引く、鸕野讚良(うののさらら)の姉、大田王女(おほたのひめみこ)の嫡男(よつぎ)、大津王子(おほつのみこ)の方が未だ見所が有る。斯樣(かやう)な末生(うらな)り風情に冷や飯を喰はせて、何の肥やしに爲ると云ふのか。實父を追討されても舘に殘り、逃げも隱れもせずに陣を固めた髙市王子に取つて、煮え切れず、かと云つて芯の勿い根菜なぞ目障りな丈け。何時の卋にも軍(いくさ)に餓ゑた者は掃いて捨てる程居る。其の殺氣の中で揉まれる事に生きる手應へを摑む倭國の强者(つはもの)は、吾が背を焙る火急(かきふ)の變(へん)に眼路を切つた。

 

 丙辰(ひのえたつ)、

 

 蘇我赤兄臣(そがのあかえのおみ)、中臣金連(なかとみのくがねのむらじ)、蘇我果安臣(そがのはたやすのおみ)、巨勢人臣(こせのひとのおみ)、紀大人臣(きのうしのおみ)が大津宮に參内して、大友王子と内裏(おほうち)の佛前で合議し、

 

 臣等(やつかれとも)五人(いつたり)、殿下(きみ)に隨(したがひ)て大王(おほきみ)の詔(みことのり)を奉(うけたまは)るに、若し違(たが)へること有(あ)ら者(ば)、四天王(してんわう)打たむ。天神(あまつかみ)地神(くにつかみ)、亦復(また)、誅罰(つみせ)む。三十三天(さむじふさむてむ)、此の事を證(あきら)め知ろしめせ。子孫(あすなゑ)、當(まさ)に絕えて家門(いへ)必ず亡ぶべし、云云(しかしか)

 

 と盟(ちか)ひ合(あ)ひ、赤兄(あかえ)に到つては滂沱(ばうだ)に塗(まみ)れ、大友王子の御前(みまへ)に平伏したと云ふ。有閒王子(ありまのみこ)を陷穽(かんせい)の奈落に突き落とし、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の羅城の結界を解いた國賊の空泣き。入鹿(いるか)から石川蔴呂(いしかはまろ)迠、蘇我の宗家を悉(ことごと)く燒き拂はれて措き乍ら、猶も「家門(いへ)必ず亡ぶべし。」なぞ片腹痛い。髙市王子は翌(あく)日の、

 

 丁巳(ひのとみ)、

 

 大津宮の大藏省(おほくらのつかさ)、第三倉(みつにあたるくら)に灾(ひ)を放ち、法隆寺を灼き盡くした火の鳥が舞ひ降りたと風聞を流した。宗主を蔑(ないがし)ろにされて怒り狂ふ倭國の護り神の再臨。次に灰に爲るのは内裏(おほうち)か朝(みかど)本人かと囃(はや)し立てられて、大友王子の取り卷きは何(ど)う動くか。御上(おかみ)に齒向かふ火付けの咎人(とがにん)なぞ當たりは知れてゐる。間髪を入れず討つて出れば良い物を、大海人と倭姬王を取り逃がした事すら噯氣(おくび)にも出さず、敵は只管(ひたすら)及び腰で樣子を見る許り。卻(かへ)つて髙市王子の側が痺れを切らす程で、月も押し迫つた晦日(みそか)の獨つ前、

 

 壬戌(みづのえいぬ)、

 

 漸(やうや)く小火(ぼや)の片付けの濟(す)んだ朝堂に動きが在り、再び聚(あつ)まつた六人が淡海帝の御前(みまへ)で改めて盟(ちか)ひを共(とも)にしたとの報せ。然して、つい今し方、朝(みかど)の使ひの者が獵(かり)の誘ひに現れた。

 「朝(みかど)の御體(おからだ)に障(さは)るのでは。」

 「内裏(うち)に籠もるのも如何な物かとの事。」

 盟(ちか)ひの場で何を取り決めた物やら、兵達(つはものたち)で固めた物物しい舘の中に通されて、素知らぬ顏で返す厚かましさに、髙市王子は込み上げる愉悦を堪へ切れず、呵呵(かか)として快諾した。然して、

 「外での氣晴らしと雖(いへど)も、此の季節(おり)は、淡海の濱風(はまかぜ)も卻つて體毒(たいどく)と爲りませう。」

 と、大津宮から眼と鼻の先、朝(みかど)の獵(かり)を恆(つね)とする奧津㠀(おくつしま)での誘ひに牽制を入れた。離島に先乘りして待ち伏せされては一澑(ひとた)まりも勿い。人拂ひをして闇に葬る心算(つもり)で在る事は眼に見えてゐる。無理にと云ふのなら當の日の前に事を運ぶ迠の事。獵(かり)の病(やまひ)に御見舞ひするなら、病(や)み討(う)ちこそ相應(ふさは)しい。其の肚の底を知つてか知らずか、溫和(おとな)しく引き下がる使ひの者を見送る、舘の兵達(つはものたち)の胡亂(うろん)な眼光。臣下(やつがれ)の獨りは火中に臨むのは拙速に過ぎ、竺志に向かつた大殿(おほとの)の果報を俟(ま)つ可(べ)きではと進言するも、髙市王子は壹檄(いちげき)で斬り捨てた。

 「今の使ひの膽(きも)の坐り樣を何と爲る。先に火中に飛び込まれて、默つて居れるか。果報なぞ軍(いくさ)に勝つてからでも遲く勿い。」

 

 

 

 獲物に怪しまれるのを恐れてか、髙市王子の意を汲み、獵場(かりば)は山階(やましな)の鄕(さと)へと轉じ、朝靄に烟る山懷は、朔風拂葉(きたかぜこのはをはらふ)、小雪(せうせつ)の夜氣を引き擦り、未だ冴え渡つてゐた。倭國と山門を繫ぐ交通の要衝で、足繁(あししげ)く通つた鎌足の陶原(すゑはら)の舘(やかた)も在り、淡海帝に取つては勝手知つたる圡地柄。御伴(おとも)の者達と、冬枯れの木立に潛(ひそ)む兵達(つはものたち)に圍まれた朝(みかど)は、艶(あで)やかな獵衣(かりぎぬ)を纏(まと)つて白馬(あをうま)に跨がり、蒼鷹(しらたか)を愛(め)で乍ら、獲物が罠に掛かるのを待ち構へてゐた。獵場(かりば)に迷ひ込んだ樵蘇(せうそ)に扮し、敷き詰められた落ち葉に紛れて息を殺す、大友王子率ゐる誅烈(ちゆうれつ)の志士達。獵(かり)の最中(さなか)、髙市王子が獨りに爲つた處を捕らへるも良し、其(そ)の塲(ば)の勢ひで亡き者とするも良し。怖氣(おぞけ)に驅られて姿を顯(あらは)さぬのなら、此の機に乘じて叛徒の舘に討つて出る。我等同志の血盟を大藏省(おほくらのつかさ)に火を付けて嘲笑(あざわ)つた怨みを如何(いか)に爲て晴らすか、木の股に顏を埋めて念ひを巡らす大友王子。竺志に遁れた大海人を其(そ)の儘(まま)封じ込め、嫡男(ひつぎ)の髙市王子を片付ければ、自(おの)づと披(ひら)ける山門の王道。淡海帝の卽位の宴(とよのあかり)で見下された屈辱を灌(そそ)ぎ、髙御座(たかみくら)に立御(りふぎよ)した己の姿を夢想して、未だ手にしてもゐ勿い美酒に醉ひ始めてゐた。日日、文武に勵(はげ)んでゐる丈けの、苦勞を知らぬ若宮(わかみや)の浮ついた胸算用。其の思(おも)ふ樣(さま)廣げた大風呂敷に、招かざる客人(まらうど)が一番槍を爭ふ馬脚で蹈み込んで來た。

 獵路(かりぢ)に騷塵を蹴立てて犇(ひし)めく怒濤の進軍。鬨(とき)の聲(こゑ)を擧げ、甲冑(かふちう)に戎馬(じゆうば)を聯(つら)ねて現れた髙市王子は鞍上(あんじやう)から弓を番(つが)へると、疾風迅雷の先鏃(せんじん)を切り、一行の中で最も眼を惹く、的にして吳れと云はん許りに著餝(きかざ)つた、白馬(あをうま)の稀人(まれびと)を擊ち拔いた。後續の騎兵(つはもの)は木立の中に潛(ひそ)んでゐる大友王子の手勢に矢の雨を降らせると、落馬した朝(みかど)を助け起こす御伴を蹴散らし、意識の勿い朝(みかど)の兩脚を繩で縛り上げ、其の儘、頭を逆さに戎馬(じゅうば)で引き擦り聯(つ)れ去(さ)つて行く。其の閒、髙市王子は帶刀を拔いて振り翳し、姿勿き倭國の奸臣に半狂亂で怒號を浴びせ、逃げ惑ふ御伴の者達を斬り刻んだ。

 「大友は何處(いづこ)、大友は何處(いづこ)。」

 卽時撤收をと諫(いさ)める臣下(やつがれ)をも振り拂つて逆燒(ぎやくぜう)する、其の餘りの迫力に大友王子は落ち葉の中に頭から潛(もぐ)り込(こ)み、匍匐(はらば)ひで樹海を只管(ひたすら)さ迷ひ落ち延びると、肚の治まらぬ髙市王子は、捕らへた朝(みかど)に息が有るのも確かめず、名(な)にし負(お)ふ淡海の底に沈め、魚礁(ぎせう)の肥やしにした。其の後は舘を引き拂つて東國に脫し、達しを受けて馳せ參じた蕃屛(まがき)の兵達(つはものたち)と合流し、軍(いくさ)の布陣を堅めていく。一方、近江朝(あふみのみかど)の陣營は總て後手後手に囘はり、從前通りの謀(はかりごと)で事足れりと髙を括つた者と、端から擧兵する肚心算(はらづもり)で挑んだ者の差は歷然。大友王子に命じられ恐る恐る獵場(かりば)に戾り野捜しをし、今更、狐鼠狐鼠(こそこそ)と嗅ぎ囘はつた處で後の祭り。朝(みかど)の淺沓(あさくつ)の片割れを拾つた他に手掛かりも勿ければ、髙市王子から朝(みかど)の安否の報せが來る筈も勿く、徒(いたづら)に時が過ぎるばかり。同じ水底で哥枕(うたまくら)と爲つた、山門(やまと)の王(わう)の二の舞ひに、

 

 

   淡海(あふみ)の海(み) 瀨田の濟(わたり)に 潛(かづ)く鳥

    目にし見えねば 憤(いきどほろ)しも

 

 

 と獨(ひと)り言(ご)ちる、日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)として榮華を極め、博學多通にして文武材幹有りと持(も)て囃(はや)された大友王子の才覺は、詮ずる所、鞘の象嵌(ざうがん)や螺鈿(らでん)の類ひ。

 

 

 十二月(しはす)辛丑(かのとうし)、甲子(きのえね)朔丙寅(ひのえとら)、

 

 遂に、朝(みかど)の不在を隱(かく)し果(おほ)せず、大津宮は淡海帝の薨去(こうきよ)を公にはした物の、朝(みかど)を無殘無殘(むざむざ)攫(さら)はれて逃げ歸り、打つ手の勿い事まで明かす譯にも行かず、柩の中身に當てが勿いのでは、殯(もがり)の申し合はせすら覺束ぬ有樣。大友王子の卽位と、髙市王子を討伐(ことむけ)る手配に追はれる師走(しはす)を過ごし、歲が明けて、

 

 白鳳十二年壬申(みづのえさる)、

 

 大友王子が卽位し、近江年號を果安(くわあん)に改元。山門の大王(おほきみ)としての建前を整へる丈けで、後はもう、先帝(さきのみかど)の折りに催した卽位の宴(とよのあかり)を披(ひら)く可(べ)きか、口に爲る者すら居勿い。何故(なにゆゑ)、彼の時、大海人を招(せう)じ入(い)れ懷柔し勿かつたのか。何故(なにゆゑ)、其の後も髙市王子と張り合はうとしたのか。何故(なにゆゑ)、此の期に及んで改元なぞ爲てゐるのか。惡い夢から醒めても、眼を開けた儘、魘(うな)される事に爲つた新帝(あらたしみかど)は、淡海と云ふ背水を負ひ、正しく玉碎に討つて出るしか道の勿い窮地に親(みづか)ら追ひ込まれてゐた。瞬く閒に東國の勢力を牛耳られ、針閒(はりま)から西の倭國の蕃屛(まがき)に驛使(はゆまづかひ)を遣(まだ)して援軍を請ふも、悉(ことごと)く無下にされ、倭國に附くか近江に附くか、二手に分かれた蘇我氏の閒に割つて入る事すら敵はず、己の仁望(じんばう)の勿さを思ひ知らされる許り。此れも先帝(さきのみかど)の搔き捨てた巧言亂德(かうげんらんとく)の讎(むく)ひ。何を據(よ)り處(どころ)に造反の梯子を登つたのやら、二言目には、

 「藤原の内大臣(うちつおほまへつきみ)が生きてをれば。」

 と零す臣下(やつがれ)の澑め息が耳に痛く、取つて付けた氣休めも唇に寒い。鳥籠の外に出される迠、己が籠の鳥だと知ら勿かつた新帝(あらたしみかど)に、今更、何處へ飛び發てと云ふのか。矛を向ける相手を過(あやま)つたと氣付いた時には、旣に寢返る事すら叶はず、逃げ遲れた者達を束ねて臨む負け軍(いくさ)。一式揃へて磨き上げた甲冑が鈍く耀(かがや)き、決起の觶(さかづき)に呑まれ潤んだ瞳に、胴前の脇に添ひ伏す兜が己の生首に見えた。

 

 

 

 

   み吉野の 耳我(みみが)の嶺に

  時なくそ 雪は降りける

    閒(ま)なくそ 雨は零(ふ)りける

      その雪の 時なきが如(ごと)

   その雨の 閒(ま)なきが如(ごと)

    隈(くま)もおちず 思ひつつぞ來(こ)し

       その山道を

 

 

  無事、扶桑の天子の直轄地、九州に上陸した大海人は、御嶽(おだけ)から蛤嶽(はまぐりだけ)へと銀冠を聯(つら)ねた脊振(せふり)の重畳(ちようでふ)を仰ぎ見ると、頰を打つ御雪(みゆき)の慰みで熱い目頭を堪へた。紫雲霏霺(たなび)く頂きに辨財天(べんざいてん)が降り立ち、給仕(きふじ)の雙龍(さうりゆう)が背を振り欣憙(きんき)したと云ふ、懷かしき吉野の靈峰。其の雄雄しき白銀の繪卷に、薩夜蔴(さちやま)の外征から、倭姬王の後ろ見として東國(あづま)へ下向し、逃奔する迠の激動が一氣に甦り、千歳川(ちとせがは)の營みが追憶の大河と成つて其の吐胸(とむね)を流れ、背撓(せた)ら負(お)ふ天命と吹き下ろす寒氣に身が引き締まる。己の庭に舞ひ戾り、驛馬(はゆま)と驛鈴(むまやのすず)を易易と手に入れ、倭國の官道を縱橫に驅け巡る快哉(くわいさい)とは裏腹に、山門に於いて天涯の孤客で在つた大海人の瞳を擦過する、嘗て勿い彈壓(だんあつ)に因つて一掃された靈廟(れいべう)と御社(おやしろ)の數數。打(う)ち拉(ひし)がれた百姓(おほむたから)の生業(なりはひ)と廷臣(やつがれ)の忠孝(まこと)は辛酸を極め、天孫の稜威と信心も地に墮ちた。其の元兇の顏色を伺ふ爲、舊懷(きうくわい)を溫める遑(いとま)も勿く、倭國の眞の仇(かたき)の許へ直參する屈辱は如何斗(いかばか)りか。我等が故地に進駐し蜷局(とぐろ)を卷く大虬(みづち)の、毒を以て毒を制する他、手立ての勿い竺志の國情に、大海人は慚愧(ざんき)の鞭を揮ひ、己を責め立てる。奧の院に幽居し、醉生夢死の落人(おちうど)に沒した薩夜蔴の都府樓(とふろう)を背に指南する、唐國(もろこし)の兵達(つはものたち)に接收された肥の國の城郭(くるわ)。目指す朝散大夫(てうさんたいふ)、郭務悰は鴻臚館(こうろくわん)での饗應(きやうおう)を袖にして、阿蘇、髙來峯(たかくのみね)、霧㠀(きりしま)と火山の周遊に明け暮れてゐると云ふ。王墓を劾(あば)き、臣民を片輪にして、己は風光參昧とは良い御身分だ。戰勝國の元帥に見縊(みくび)られ、片手閒で統治する放漫。倂し、今は其の脇の甘さに活路を見出すしか勿い。

 安斗宿禰智德(あとのすくねちとこ)を從へて、阿蘇の外輪を望む郭務悰の逗畱地(とうりうち)に赴いた大海人は、文人然(ぶんじんぜん)とした唐國(もろこし)の髙級官吏(くわんり)の容姿に息を呑んだ。舶載の白磁かと見紛ふ尊貌の肌理(きめ)。進駐する軍(つはもの)に暴虐の指示を下したとは思へぬ瀟洒(せうしや)な物腰に、皓齒(かうし)を開けば金聲玉振(きんせいぎよくしん)の鈴鳴(すずな)り。科擧(くわきよ)を及第し、更に選(よ)り選(すぐ)られた指折りの國士が發(はな)つ靜謐な凄味と相謁(あひまみ)え、此の漢の力を利して大友王子を斥(しりぞ)け、更には唐國(もろこし)をも斥(しりぞ)ける大業(たいげふ)に背筋が顫(ふる)へた。先ずは白村江(はくすきのえ)の役(えき)の賠償と講和を如何(いか)に纏(まと)め上(あ)げるか。事に韓國(からのくに)が漢の御代(みよ)から續く重貢(ぢゆうこう)を、倭國も擔(にな)ふ事丈けは、此れ丈けは何としても避けねばならぬ。金銀牛馬の他に三千に及ぶ韓(から)の女(むすめ)が、貞操を獻(ささ)げる事を强(し)ひられ、性僕(せいぼく)として支那に送り出されてゐる慘狀に、韓(から)の宗主を號(なの)る分際で見て見ぬ振りをして來た讎(むく)ひ、と云はれて返す言葉も勿い。韓(から)の女(むすめ)は、姻(とつ)がず、切(き)らず、塗(ぬ)らずと制(さだめ)られ、髮を切つて男を扮(よそほ)ふ事は疏(おろ)か、頰に藥を塗つて爛(ただ)れさせ、醜女(しこめ)に爲る事すら赦されぬ。此れを倭國(ゐこく)の女(むすめ)に科す事なぞ、在つてはならぬ國辱。海峡の隔てが在ると雖(いへど)も、新羅が此の機に乘じて、積年の重責を倭國に押し附けても不思議は勿い。大海人は唐國(もろこし)が何處まで新羅の意を汲んでゐるのか端倪(たんげい)し、通事(をさ)の介釋(かいしやく)に耳を欹(そばだ)て乍ら、其の折り目正しい容色の變化を見逃すまいと眦(まなじり)を吊り上げる。處が、意に反して郭務悰の心は政(まつりごと)に在らず、身を乘り出して切り出したのは、淡海帝の追討を遁れた大海人が、海路(うみぢ)に在つて知らざる、髙市王子の蠻勇(ばんゆう)が撒き散らした東國の風聞。

 「去る歲、火の鳥が大津宮を燃(も)したとは眞(まこと)か。」

 白鳳十年己巳(つちのとみ)、火の鳥に燒き滅ぼされた法隆寺の件なら未だしも、全く耳に覺えの勿い嫡男(ひつぎ)の禍事(まがごと)に、郭務悰の聰明(そうめい)な眼差しが、大海人の眸(ひとみ)の奧を覗き込んでゐる。其の只ならぬ入れ込み樣に、大海人は心得顏で受け流した。

 「だとしたら。」

 「火の鳥は倭國の護り神と聞く。何故(なにゆゑ)、東國の地に舞ひ降りたのか。」

 其の問ひに大海人は千載壹遇の天祐(てんいう)を察し、此處を先途と疊み掛けた。

 「倭國の祖神(おやがみ)を蔑(ないがし)ろにした東國(あづま)の大王(おほきみ)氏に、火の鳥が戒めを下した迠の事。天の恚(いか)りに僞(いつは)り勿し。其の御心(みこころ)に背き、事有る每に不義を爲す大王(おほきみ)氏の貳心(にしん)は、必ずや、皇帝李治(りち)、幷(なら)びに、皇后武曌(ぶせう)を欺く事と爲りませう。」

 大海人は兩手を著(つ)いて平伏すと、額を擦り付けた床板に念(おも)ひの丈(たけ)を放唾(はうだ)し、其の激語は樓閣(たかどの)の天蓋に轟いた。

 

 

 「汝(なんぢ)の國は數(あまた)戰ふ國也(なり)。必ず戰術を知らむ。今如何(いか)に。」

 「厥(それ)、唐國(もろこし)は先に覩者(ものみ)を遣(まだ)し、以て地形の蔭平及び消息を視さしむ。出師の方、或は夜襲、或は昼襲す。但し深き術は知らず。」

 

 

 大海人の劍幕に壓(お)され答えへに窮する郭務悰。半身に構へ直した其の後を、亡國の烈士は二の矢三の矢で追(お)ひ縋(すが)る。

 「我等の道理を計るに、恆(つね)に會稽東治(くわいけいとうち)の東に在る可し。夏后(かこう)少康(せうかう)の子が廣めし、會稽東治(くわいけいとうち)の遺德に叛(そむ)く輩を、此の儘、野放しにせよと申されるのか。」

 

 

 鳲鳩在桑、其子在榛  鳲鳩(しきう)は桑(さう)に在りて、其の子は榛(しん)に在り

 淑人君子 正是國人  淑人君子(しゆくじんくんし) 是(こ)の國人(こくじん)を正(をさ)たらん

 正是國人 胡不萬年  是(こ)の國人(こくじん)を正(をさ)たりて 胡(なん)ぞ萬年(ばんねん)ならざらんや

 

 

 大海人は詩經(しきやう)に淮(なぞら)へて、郭務悰に正鵠(せいこく)を見定めよと攻め立てた。郭公(かくこう)は扶桑(ふさう)に在りて、册封(さくほう)する國と民を正すならば、宗主の勤めを全うす可し。考へる餘地を與(あた)へずに押し切り、無理が通る筋道を抉(こ)じ開(あ)ける。竺志進駐の指揮を執る暴官は矢も楯も堪らず、

 「先ずは落(お)ち著(つ)き召されよ。火の鳥の件(くだん)を持ち出したのは他でも勿い。隨の煬帝(やうだい)の勑使(ちよく)として倭國に航り、王朝の姓(せい)が革(あらた)まつた後にも、髙祖(かうそ)に仕へた裴卋淸(はいせいせい)の文書を御叡覧(ごえいらん)召された皇后が、竺志の火山より飛び發ち、常(とこ)し方(へ)の命を司ると云ふ火の鳥を御所望し、皇帝の聖旨を閣(さしお)き、講和も賠償も二の次で倭國に臨めと息卷いてをられる。周公の御卋(みよ)に鬯艸(ちようさう)を獻上してより以來(このかた)、倭國は不死の祕法が宿る四海の果て。永遠に續く妍(うつく)しき容(かたち)と權(おも)き力(ちから)を求める者達は皆、樂浪(らくらう)の海表(かいへう)を目指した。徐福(じよふく)が求めた神仙(しんせん)の㠀(しま)に棲(す)み處(か)を爲す、神仙の鳥を。數多(あまた)の傳奇(でんき)、民の巷說(かうせつ)を鏤刻(ろうこく)する肥の國に至りて、阿蘇の噴煙を仰ぎ、吾、確信せり。此の日出(ひい)づる扶桑の地に非(あら)ずして、不死の鳥は不生(ならず)と。倂し、俟(ま)てど暮(く)らせど靈鳥は顯現(けんげん)せず、在(あ)らう事(こと)か淡海を火の海にしたと云ふ。火の鳥は肥の鳥にして、倭國の護り神では勿かつたのか。火の鳥は何處(いづこ)、今何處(いづこ)。」

 思はぬ火の鳥への執心に面(おもて)を伏した儘、愉悅を嚙み殺す大海人。白村江(はくすきのえ)で我等を見捨てた疫病神に入れ込むとは、人の欲目に倭國(ゐこく)も唐國(もろこし)も勿い。火の鳥を我が物とし、其の能(ちから)を自在に操れるのなら、唐犬(からいぬ)や高麗狗(こまいぬ)に遲れを取る物か。煉獄の番人に手を出して火傷で濟(す)んだ例しは勿い。生け捕りにし、永遠の命を得られると云ふ其の血を呑まうとした者は、悉(ことごと)く身を滅ぼして來た。彼の化生(けしやう)に鳥憑(とりつ)かれたのなら、態々(わざわざ)正氣に戾す事は勿い。然うと判つてをれば、法隆寺を燒き盡くしたとの俗說も有つた、難波宮の白鳳(しろきおほとり)を押し附けてゐた物を。皇后武曌(ぶせう)の肝煎(きもい)りとも爲れば話しが早い。毒を以て毒を制すのは統治の眞髓(しんずい)。唐國(もろこし)が僞りの靈鳥に感(かま)けてゐる此の隙を突かずして、次の天機なぞ望める物か。

 「火の鳥を手に爲る者は、天(てん)の理(ことはり)を手に爲る事に不外(ほかならず)、倭國の祖神(おやがみ)は其の通力を怪釣(あやつ)り、氏族(うぢのやから)と百姓(おほむたから)を蒼古の代より導いて參りました。靈(れい)は天に宿り、鳥は其の使ひで在り乍ら、刻に靈(れい)、其の物。火の鳥を冒す事は天(てん)の理(ことはり)を冒す事。譬へ、皇后が御所望で在つても此れ許りは。」

 「何と、火の鳥を怪釣(あや)る。怪釣(あやつ)るとは如何(いか)に。」

 「其れは倭國の政(まつりごと)を司る門外不出の祕儀にして、眞床覆衾(まとこおおふふすま)の祭祀。」

 大海人の打つて出た狂言に、眼を瞠(みは)る郭務悰。其の鬼魄(きはく)に通事(をさ)は訝(いぶか)る事すら赦されず、唐國(もろこし)の髙級官吏(くわんり)は鼻先で靡(なび)く蜘蛛の糸に、伸ばした指が空を切る。

 「成(な)らば、火の鳥の生き血を呑めば永遠の命を授かると云ふのは。」

 「然樣(さやう)、其の能(ちから)は深淵にして尊大。而(しか)れど、如何(いか)に皇后武曌(ぶせう)の御本願との仰(おほ)せでも、火の鳥は倭國の護り神。」

 「其處を達(たつ)ての。」

 千代に苔生(こけむ)す巌(いはほ)の如く、匍匐禮(はふゐや)で固辭する大海人に、郭務悰が擦り寄らうとした其の刻、舘の石据(いしず)ゑを衝き上げる激甚が謁見(えつけん)の閒(ま)を搖り起こし、臍(ほぞ)に轟く地響きが顱頂(ろちやう)を驅け拔けた。天地を覆す萬物の震撼。九州を貫く燠(あつ)き脊椎の怒號(どがう)。大海人は、平伏を解いて驅け出すと、降り注ぐ梁塵(りやうじん)を潛(くぐ)り戶を開け放つた。地神(くにつかみ)が鳴動すれば、天神(あまつかみ)が舞ひ降りる、倭國の乾坤一擲(けんこんいつてき)は今此處に在り。逆光を背に振り返つた大海人は、腰が拔けて躄(ゐざ)る郭務悰を見下ろし、勝(か)ち鬨(どき)の聲(こゑ)を擧げた。

 「御覧召されよ。」

 

 

 無影樹(むやうじゆ) 頭(とう)に鳳(ほう)舞ふ

 

 

 悟達の無心に音連(おとづ)れると云ふ靈鳥が、大海人の狂氣が咒(まじ)ひと爲つて召喚したかの樣に、阿蘇の凱煙(がいえん)から躍(をど)り出(い)で、噴塵と雷霆(らいてい)と金燐を撒き散らし乍ら、竺志海(ちくしのうみ)を跨いだ髙來峯(たかくのみね)へと羽擊(はばた)いていく。灼熱の雙翼(さうよく)に蓬蓬(ほうほう)たる綾錦(あやにしき)の鳳尾(ほうび)を霏霺(たなびか)かせ、天に沙羅(さら)降り、地に馨(かほり)立つ極樂を繪に描いた衆彩莊嚴(しゆうさいしやうごん)に、

 「也太奇(やたいき)、也太奇(やたいき)。」

 郭務悰は四つん這ひで歡憙の聲を上げ、大海人の脚に獅嚙憑(つがみつ)いた。仙姿玉質(せんしぎよくしつ)を搔毆(かなぐ)り捨てて戰(をのの)く埀涎(すいぜん)の崩顏(ほうがん)。此の男も亦、屍(しかばね)に羣(むらが)がる銀蠅と大差勿い。火の鳥を所望してゐるのも皇后なのか妖しい物。同じ手懷(てなづ)けるのなら、天を舞ふ魔性の鳥より地を這ふ唐犬(からいぬ)。此の千載一遇の奇蹟に、大海人は郭務悰の視座に合はせて片膝を突くと、其の亂れた冠(かうぶり)と襟元を規(ただ)し、靈驗(れいげん)に顫(ふる)へる手(た)な心(ごころ)を優しく握り込んだ。

 「先ずは落(お)ち著(つ)き召されよ。火の鳥は逃げも隱れも致しませぬ。皇后の永華に骨身を削り、譬へ其れが國の護り神と雖(いへど)も捧(ささ)げ獻(たてまつ)るのが、册封(さくほう)を賜る藩國(まがき)の勤め。先程の峻拒(しゆんきよ)は本の戲言(ざれごと)。皇后の御稜威(ごりようい)に叛(そむ)くなぞ以ての外。此の大海人、必ずや皇后の御千慮(ごせんりよ)に應へて見せませう。」

 「其れは誠か。」

 「漢の約束に證文は無用。但(ただ)し、人に話を聞いて貰ひ度くば、先づ人の話を聞くのが自明の理。」

 大海人は生き肝を拔かれた郭務悰を抱へ上げると、俄(にはか)に聲色を落として東國の背信に色(いろ)を點(つ)けてを吹き込み、講和と賠償の大いなる讓步を地獄の底から引き擦り出した。武力で相手を捻じ伏せ、其の領分を見渡す限り廣げても物足りぬ人の野心。四海(しかい)の寳(たから)を積み上げても屆かぬ永久(とは)の命を逆手に取り、畢竟(ひつきやう)、人を惑はすなら、獨りより天下を惑はした方が理(り)に適(かな)ふと、大海人は竺志海(ちくしのうみ)を夾(はさ)む對岸の太良(たら)を臨み、放愷(はうがい)した。

 

 

  淑(よ)き人のよしとよく見て好(よ)しと言ひし

     吉野よく見よ多良(たら)人よく見

 

 

 火の鳥の魔力に眼(め)が眩(くら)んだ御人好しを丸め込み、手も勿く轉(ころ)がした亡國の虎の子。處が、

 

 

 三月(やよひ)甲辰(きのえたつ)、癸巳(みづのとみ)朔己酉(つちのととり)、

 

 内小七位(うちのすないななつのくらゐ)阿雲連稻敷(あづみのむらじいなしき)を倭(ちくし)に遣(まだ)し、大王の喪(みも)を郭務悰等に吿げしむ。是(これ)に於いて、郭務悰等、咸(ことごとく)に喪服を著て三遍(みたび)轝哀(みねたてまつる)、東に向いて稽首(をろが)む。

 

 壬子(みづのえね)、

 

 郭務悰等、再び拜(をろが)みて書凾(ふみはこ)と信物(くにつもの)とを進(たてまつ)る。

 

 

 東國(あづま)から汗馬(かんば)を乘り潰して馳せ參じた驛使(はゆまつかひ)の報せに、大海人と郭務悰は互ひの瞠目を見交(みか)はした。淡海帝の豫期(よき)せぬ薨去(こうきよ)と、果報を俟たずに擧兵した髙市王子。左右の耳を聾する其の違算を裏付ける樣に、淡海帝の後(あと)を嗣(つ)ぎ卽位した大友に官符(おしてのふみ)を託されて、佐伯連男(さえきのむらじをとこ)が太宰(おほみこともち)の府(つかさ)に乘り込み、下された興兵(こうへい)の令(のり)を、栗隈王(くるくまのおほきみ)が理(り)に非(あら)ずと受(う)け對(こた)へ、三野王(みののおほきみ)と武家王(たけいへのおほきみ)が佩刀(はいたう)に手を掛け斥(しりぞ)けるに至つては、畱守(るす)にしてゐる東國で何もかもが先走り、己が竺志に取り殘されてゐる事を大海人は認めるしか勿い。嫡男(ひつぎ)の獅子奮迅の武勇を素直に憙べぬ父(かぞ)の徒勞と俗情。倭國が誇る益荒男(ますらを)の譽(ほま)れの一言では片付けられぬ、餘りの剛腕に付いて廻る先先の杞憂。大勢は旣に決し、後の卋に壬申の亂と呼ばれる合戰は、東國に主君が歸還する許りと爲つてゐた。

 

 

 夏五月(さつき)丙午(ひのえうま)、辛卯(かのとう)朔壬寅(みづのえとら)、

 

 甲冑(よろひかぶと)、弓矢を以て郭務悰等に賜ふ。是(こ)の日に郭務悰等に物を賜ふこと、總合(すべ)て絁(ふとぎぬ)一千六百七十三(ちあまりむほあまりななそあまりみ)匹(むら)、布(ぬの)二千八百五十二(ふたちあまりやほあまりいそあまりふた)端(むら)、綿(わた)六百六十六(むほあまりむそあまりむ)斤(はかり)。

 

 戊午(つちのえうま)、

 

 髙麗(こま)、前部(せむほう)富加抃(ふかへん)等を遣(まだ)して調進(みつきたてまつ)る。

 

 庚申(かのえさる)、

 

 郭務悰等罷(まか)り歸(かへ)りぬ。

 

 

 未だ見果てぬ火の鳥への夢に、後ろ髮を引かれる念ひで歸國船に乘り込む郭務悰に取つて、白村江(はすくすのえ)の賠償として積載した大量の貢(みつ)ぎ物(もの)も御慰(おなぐさ)みの品品でしか勿く、阿蘇の外輪から峨峨(がが)として立ち昇る白皙(はくせき)の噴煙に、彼の日見た鳳(おほとり)の影を探し求め、此の儘、何時迠も波待ちを續けられればと、時津風(ときつかぜ)よ吹くなと禱る許り。必ずや火の鳥を送り屆けると云ふ大海人の確約。其の賴りの綱も、舫(もや)ひを解かれた船の上で心細く搖蕩(たゆた)ひ、後はもう天の御心(みこころ)に委せるしか勿い。髙市王子の壓勝(あつしよう)を吿げる、續報に次ぐ續報を受けて東國(あづま)に下向する大海人も亦、其の足取りは重く、豫斷(よだん)を許さぬ内亂の事後の政(まつりごと)に險眉(けんび)を極め、入れ違ひに、伊卋(いせ)を發つた後、南囘はりで蕃屛(まがき)を巡り、寄港する先先で歡待を受け、長國(ながのくに)、圡左(とさ)、日向(ひむか)と逗畱(とうりう)した倭姬王は、

 

 

 布帆(ふはん)御恙(おつつが)なく、終(つい)に翌(あく)る白鳳十二年壬申(みづのえさる)冬十一月四日薩州衣評(えのこほり)、山川牟瀨濱(やまかはのむせのはま)に著きたまふ也。

 

 

 九州に集(つど)ひし雲水は其れ其れの空へと四散し、今や二度と錯(まじ)はる事の勿い、囘曆(くわいれき)をさ迷ふ刻(とき)の客人(まらうど)。女王の歸還(きくわん)を祝ひ、沿道を匍匐禮(はふゐや)で埋め盡くす百姓(おほむたから)に出迎へられた倭姬王は、開聞嶽(ひらききだけ)の頂に登つて夜勾㠀(やくしま)の翁嶽(おきなだけ)、宮之浦嶽(みやのうらだけ)を背負ひ、竺志を護る四王寺山(しわうじやま)、卋卋(せぜ)の奧津城(おくつき)、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)、胸形(むなかた)の社(やしろ)を結び、韓(から)の地を目指した北埀(ほくすい)に壹揖(いちいふ)すると、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、髙御產巢日神(たかみむすひのかみ)、神產巢日神(かむむすひのかみ)の參柱(みばしら)に向かひ參禮參拍手(さんれいさんかしはで)し、披(ひら)かれた天扉(てんぴ)に倭國への忠貞(ちゆうてい)を誓ひ遙拜(えうはい)した。百の還曆を遡る太古の黎明、天神の化身、火の鳥の業火で淨められ、地神の惠みに因つて甦つた大地を見護る竺志の太母。邦圡の復興と安寧を願ふ禱りが、鹿兒㠀(かごしま)の噴塵に噎(むせ)ぶ凱風(がいふう)を喚び覺まして埀髮(すいはつ)を逆卷き、其の篤(あつ)き吐胸(とむね)で擁(だき)き抱(かか)へた、萬卋(ばんせい)の搖籃(えうらん)に眠るもう獨りの女王が今、千夜一夜の夢路を超えた、更なる風雲に舞ひ戾つていく。

 

  黑髮の亂れたる卋ぞはてしなき

    思ひに消ゆる露(つゆ)の玉(たま)の緖(を)

 

 

 

 

 「そんな苫屋(とまや)の隅に蹲(うずくま)つて、何を狐鼠狐鼠(こそこそ)してゐるんだい。」

  玉響(たまゆら)の魔泥(まどろ)みに、泡沫(うたかた)の往古が目搏(まばた)き獨つで彈け、漂白した追憶の彼方へ絲を曳く餘韻が、淸閑とした露地に滲み渡り、蕃屛(まがき)の笹波(さざなみ)に紛れていく。座標軸と時閒軸が混線した儘、茫然と搖蕩(たゆた)ふ見當識(けんたうしき)に鹿威(ししおど)しが句讀點(くとうてん)を打ち、躙(にじ)り口(ぐち)の前に重ねた、沓脫ぎの敷石に片手片膝を著いて目覺めたエメラルダス。夜伽(よとぎ)と覺醒の狹閒を行き交ひ、刻を驅ける少女は、永遠の姬君として甦り續ける千年女王の運命に幻惑され、暫(しば)し、心と體の焦點(せうてん)が嚙み合は勿い。沓脫ぎの上に揃へられた、爪先の傷から踵の減りまで見覺えの有る、先客の軍長靴は旣に見當たらず、髙さ二尺三寸、幅二尺二寸の躙(にじ)り口(ぐち)が猫の額を閉ぢてゐる。茶室の中で漲(みなぎ)る風艫釜(ふうろがま)、下地窻越しの老獪(ろうくわい)な主(あるじ)の氣配。其の膠(にべ)も勿い御挨拶に、殺伐とした舊交(きうかう)が甦る。

 

 

  城外杏園人去盡  城外(じやうぐわい)の杏園(きやうえん) 人去(ひとさ)り盡(つく)し

  煮茶聲裏獨支頥  茶を煮る聲裏(せいり) 獨り頥(おとがひ)を支(ささ)ふ

 

 

 苔生(こけむ)した手水鉢(てうづばち)と蹲踞(つくばい)が寄り添ひ、石燈籠が緘默(かんもく)を貫く、苫葺(とまぶ)きを目深(まぶか)に被った幽邃(いうすい)の草庵(そうあん)。訥訥(とつとつ)と滴(したた)る井泉(ゐせん)が過ぎ去つた月日を數へ、何もかも縮尻(しくじ)り薄汚れた自分を窘(たしな)める、彼の頃の儘の靜物達。エメラルダスは刀掛けに佩刀(はいたう)と戰士の銃(コスモドラグーン)を預けると、當時は荒荒しく開け放つてゐた躙戶に恭(うやうや)しく手を添へて、挾み鴨居に跪拜し、聚樂壁(じゆらくへき)越しの御呼ばれに甘んじた。

 「御静閑(ごせいかん)を煩(わずら)はせて申(まう)し譯勿(わけな)い。」

 苦苦しく口を濁して潛(くぐ)り拔(ぬ)ける、燐寸箱(まつちばこ)と鼻で笑つてゐた隱れ處(かくれが)。躄(ゐざ)る兩膝を張り替へられた許りの靑疊が擦り切り、賽子(さいころ)を裏返した樣に削ぎ落とされた、最小限の意匠と閒取りに、女王と云ふ虛餝(きよしよく)は裸にされていく。面(おもて)を上げると其處には、小皿に活けられた一輪の花橘(はなたちばな)が、梅昆布茶(うめこぶちや)の樣な婆(ばばあ)の說敎に嚙み付いてゐた在りし日を偲(しの)び、床の間で躍る墨痕逞(ぼつこんたくま)しき茶掛(ちやがけ)の一筆には、

 

 林下千年夢

 

 無神論者の懺悔室に揭られた刻(とき)の十字架に、下(しも)の句(く)を返すなぞ烏滸(おこ)がましい。何せ此の會席(くわいせき)の主(あるじ)は、點前疊(てまへだたみ)に端座する、木綿の藍絣(あゐがすり)に紅を散らした單衣(ひとへ)に、屹乎(きつ)と引き締まつた細帶の妖女だ。逝く刻の流れを偶詠(ぐうえい)して彳(たたず)み、物の哀れにも工(たく)まず。傳統(でんとう)には普遍的な玄理(げんり)と永遠のモダニズムが在り、過去にしか眞の新しい發見は勿い事を知る此の星の太母に、付け燒き刃は通用し勿い。底光りする栂(つが)の柱で劃(くぎ)られた、四疊半一閒の小宇宙と相對して、彼の頃より一層大きく見える反目の師。

 「如何(どう)なんだい、海賊稼業の方は。」

 淨められた棗(なつめ)と茶杓(ちやしやく)と金繼(きんつ)ぎの伊萬里茶碗に顏を向けた儘、天河無雙の女王を前にしても與(くみ)せぬ、澁(しぶ)く掠(かす)れた低吟(ていぎん)。銀髮を小振りに結つた、何處吹く風の丸髷(まるまげ)に、松の根の如き襟足。往時はさぞ臈長(らふた)けて、明眸皓齒(めんぼうかうし)を振り撒いてゐたで在らう傾城(けいせい)も、今や三途(さんづ)の渡しにも不動(どうじ)ぬ不遜な橫顏。冥圡の圡產も質草にして呑んで終つたと云はん許りで。宙域の片隅で獨り、樂しみに淫(みだ)れず、哀しみに傷(くづ)れず、露地の蹈み石の樣に實繰(じつく)りと生きて來た、今が盛りの姥櫻(うばざくら)。

 

 

  かたちこそ み山隠れの 朽木なれ

     心は花に なさばなりなむ

 

 

 一分の隙も勿い修身の心得と、此の星を飛び出した日付の儘、淡淡と繰り返される薄茶點前の所作に、一客一亭の眞髓(しんずい)が張り詰めてゐる。絣(かすり)の袖(そで)が伊豫簾(いよすだれ)の帛紗(ふくさ)と靑海波(せいかせいは)を一節舞つて、年季の入つた茶道具に溶け込んでゐた面(おもて)を上げると、女王の腰まで達した亞蔴色(あまいろ)の埀髮(すいはつ)に嫗は眼を細めた。

 「おやおや、隨分と悄(しを)らしく爲つた物だ。

 

 暫(しばら)く男(ますらを)の貌(すがた)を假(かり)て、强(あなが)ち雄雄(をを)しき略(はかりごと)を起こさむ。

 

 と息卷いてゐた男女は何處へやら。其れぢやあ今更、尼寺にも戾れやし勿いねえ。頭に殼を被つて走り回つてゐた雛鳥が、如何云(どうい)ふ風の吹き囘しだい。澑(た)まつた垢を落としに來たのなら、裏の外湯(そとゆ)に囘はりな。」

 「雀が一羽落ちるのも神の攝理と云ふ奴だ。」

 客疊(きやくだたみ)に足を崩して腰を下ろした放蕩娘は、今更何を弄(ろう)した處で羞(は)ぢの上塗り、堅苦しい茶論(サロン)では勿いと釘を刺される位なら、有りの儘で良い。

 

 

 泰擔有女兒  泰擔(たいたん)に女兒(じよじ)有り。

 二十心已朽  二十にして心已(すで)に朽ちたり。

 

 

 と喝破された緋き靑春。相手が怨恨(ルサンチマン)に塗(まみ)れた暴走を知悉(ちしつ)する、數少ない目擊者と在つては逃げ場も勿い。氣後れしまいと斜に構へてゐた驅け出しの革命戰士。若(わか)さ故(ゆゑ)、の一言では片付けられぬ、辯證法的(べんしようはふてき)禪問答を繰り返した匹夫(ひつぷ)の勇(ゆう)に、耳の裏が熱く爲る。そんな女王が少女に戾つた羞(は)ぢらいを見透かして、

 「下品な生菓子で良かつたら、何卒(どうぞ)。」

 嫗の勧めた小皿の上で畏(かしこ)まる、茶巾包(ちやきんづつ)みの和紙に祕められた、懷かしき逸品。エメラルダスの目泣子(まなこ)が愛(め)でる、追憶の褥(しつね)に臥(ふ)した小振りの早乙女(さおとめ)、其の名も姬橘(ひめたちばな)。

 「良く覺えてゐた物だな。」

 大陸より傳來した金柑を、黃身時雨(きみしぐれ)と紅餡(べにあん)の二層で包んだ不老長壽の靈果(れいくわ)は、此の儘、胤(たね)の勿い唐桃(からもも)で良いのかと云ふ苦肉の裏返し。包みを解いて、薄紅色に蒸し上がつた巧みの龜裂(きれつ)を頰張ると、舌に甘く心に苦い、向かう見ずの小娘を優しく諭(さと)す淡い酸味に減らず口を塞がれて、

 「不思議な物でね、歲を取れば取る程、昔の事を思ひ出して、取(と)り畱(と)めも勿く一日が過ぎて行くんだよ。今此處に自分が居る事も放つて、愚圖愚圖(ぐづぐづ)と浸つて許りゐる。情け勿い話しさ。」

 と云ひ乍ら抹茶を差し出す嫗に、

 「忝(かたじけな)い。」

 と心で呟(つぶや)き、下げた頭部(かうべ)を上げる事の出來勿いエメラルダス。

 アンタレスの元を飛び出し、仕組まれたリベラル思想に氣觸(かぶ)れ、人類の前衞で在る可しと躍起に爲つてゐた彼の頃。惡魔とは天使の姿で現れる。自分は眞實に目覺めたのだと勝手に思ひ込み、スペースノイドの解放、移民の宥和(いうわ)と多文化の共生の爲、國家、民族、宗敎、風習、傳統的價値觀に、性差から家族の紐帶(ちうたい)迠、過去の遺物を總て破壞する事こそが自由への道だと、精神と肉體の解放だと帝政投資家(パトロン)から吹き込まれる儘に、歪んだ正義を、左翼思想の最上檣(ロイヤルマスト)、人權の御旗(みはた)を、御仕著(おしき)せの博愛を、大上段で振(ふ)り翳(かざ)した。人道主義の先陣を切る無限の宙域。伏(まつろ)はぬ者共は、手當たり次第に排外主義のレッテルを貼つて反動分子に仕立て上げ、、諜報戰とゲリラ戰で捻じ伏せる。崇髙な理念を盾に手段の正否より目的を優先し、己の過失に氣付いても、軸受けが捥(も)げる迠、橫車を押し續けた。其の行き著く先は、銀河鐵道網と云ふ鳥籠の編みの中。輯積化(しふせきか)した情報經濟のファシズムだとも知らずに。果ての勿い旅に見えた航路は、銀河鐵道株式會社の敷設した路線圖(ろせんづ)の物流領域を徘徊してゐるに過ぎず、移民に因る開拓と侵略は其の親會社の差し金で、移民の解放と天體(てんたい)の略奪は表裏一體、革命部隊は資本家の使ひ走りで、理想の未來と究極の自由は、隱癡奇(いんちき)な口先丈けの綺麗事で、己の氣に入ら勿い者を腕力で罵倒する、只の感情論、否、喋る暴力だつた。

 

 今以汝爲總裁

 

 先代の衣鉢(いはつ)を繼いだ積もりが、其の實態は、銀河鐵道株式會社の株式を强奪し、海賊の合法化に乘り出したハーロックの蔭謀を、地下組織化する爲に据ゑられた傭(やと)はれママ。御餝(おかざ)りの女王は、新裝開店の花輪でしか勿かつた。彼の漢に絆(ほだ)されたのでは勿く、漢に成る事を想ひ描いた英雄譚に騰(のぼ)せ上がつた丈け。漢を追ひ掛ける駄目な女にも爲り切れず、憧れと戀(こひ)と憎しみで綯(な)ひ交(ま)ぜになつた漢と張り合はうとする俗情。そんな悲憤の奴隸で在つた事すら、今と爲つては、己の心實(しんじつ)に忠實(ちゆうじつ)だつた眩(まぶ)し過ぎる日日。其れに較べて、

 スペースノイド解放戰線を支援し、人權や差別やヘイトや夫婦別姓を声髙に訴へる者の殆(ほとん)どが、職業左翼や在家左翼、若しくは左翼に騙されている情報弱者で有り、其の主張の全ては、建前だけの、欺瞞と詐術に塗(まみ)れてゐた。邦人ファーストを外國人ヘイトに歪曲して糾彈する邦人ヘイト。難民や移民の斡旋、人身賣買、實態(じつたい)の勿い就勞支援で補助金の詐取を繰り返し、ボロ儲けする左翼ビジネス。果ては、石油元賣業者から受け取つた日當で、時に、原油價格を髙止まりさせる爲、化石燃料の枯渴を誇張して喧傳(けんでん)し、時に、敵對する原子力發電事業を貶(おとし)める爲、反原發運動に繰り出したかと思へば、再生可能エネルギー利權を貪(むさぼ)る爲、捏(でつ)ち上(あ)げられた脫炭素政策の廣吿塔に明け暮れ、更には、菜食主義の名の許に、遺傳子組み換へ食品と昆虫食に投資してゐる資本家からの保釋金(ほしやくきん)とボーナスで、小賣店(こうりてん)の乳製品、精肉賣場、畜產設備の破壞を買つて出る環境テロリスト。裏の勿い表が勿い樣に、反差別主義者、人道主義者、平和主義者、難民救濟募金の揭る正義には必ず闇が有り、其の本性と絡繰(からく)りを隱してゐる。短絡的な理論と見せ掛けの美德を竝(なら)べ立(た)てた、頭熟(あたまごな)しの原則(ドグマ)で徒に秩序を搔き亂し、敵對する主張は言葉狩りで血祭りに上げ、總括の名の許に抹殺する、天使と惡魔の二重人格。

 アフリカ大陸で黑人狩りをし、白人の奴隷船に賣(う)つたのは黑人自身で在るのに、此の不都合な眞實を黑人差別の糾彈者が口に爲る事は勿い。肌をホワイトニングする黑人は白人に憧れ、黑人の肌の色を蔑視する、歷(れつき)とした黑人差別者で在り、ファッションの一言で誤魔化せる物では勿い。フェイスペイントで肌を黑く塗るなと云つては、日傘を使つて肌を黑くし勿いのは差別だと騷ぎ立てる自意識過剩な自家撞著(ダブルスタンダード)。此の不寛容こそが黑人以外を無差別に排外する、典型的な差別主義だ。殘酷な事實だが、絕對的に思へる黑人に因る黑人差別の糾彈にも、或る一定の欺瞞が存在する。

 福㠀瑞穗、辻元淸美、田嶋陽子、上野千鶴子、香山リカ、山田五郞と云つたフェミニストは、フジテレビの女子アナウンサー上納問題に沈默を護り續けた。日頃、仕事を貰つて御卋話になつてゐる地上波に忖度(そんたく)したが故の其の沈默は、取りも直さず、女性の性を商品化している事に加擔(かたん)し、男女平等は口先だけで、本當に肝心な處では、女性より男の味方で在る驗(あかし)。此の手のフェミニストに「では女性にも徵兵制を。」と進言すると、戰爭反對と云つて論點を逸(そら)す許り。抑(そもそ)も、フェミニストの最大の敵はイスラム敎だ。イスラム敎の男尊女卑は性暴力をも超えた性奴隷だ。初潮が有れば强姦しても罪に爲ら勿いと、宗敎指導者が豪語するカルトを何故野放しにするのか。ムスリムの女性には社會的身分の保障と人權が勿く、死ぬまで性暴力から身の安全を護れ勿い事に絕望し、女を棄てて男として生きる事を選擇する者まで居ると云ふのに、此の似非(えせ)フェミニスト達は、見て見ぬ振りを決め込んだ。所詮、男女平等を謳つて、其れ其れの違ふ特性まで均一化し、結果的に旣存の倫理を總て無效化し樣としてゐる丈け。夫婦同姓が男尊女卑に據る物で、先進國は皆、夫婦別姓だと吹聽するのも完全な詐術だ。歐米の先進國は殆どが夫婦同姓で在り、夫婦別姓の傳統國は支那と朝鮮で在る。此れは姻(とつ)いで來た嫁を家族に組み入れ勿い爲の物で、夫婦別姓は寧ろ男尊女卑の最たる物だ。彼の國で夫婦別姓を叫ぶ者は、殆どが彼の國の國民に僞裝した支那人と朝鮮人で在り、彼の國に大量移住して侵略する上で、夫婦同姓が足枷となる爲、排斥し度いのだ。彼の國のフェミニストは、男女平等の名の許に夫婦別姓を押し附けて、彼の國の戸籍制度を無效化し、國體(こくたい)を破壞し度い、通名と云ふ僞名で諜報活動をする害人勢力でしか勿い。

 部落差別に至つては、同和解放組織を隱れ蓑にした左翼系會社組織が、法の網を縫つて樣樣な違法ビジネスを繰り返し、左翼に資金提供をしては、更に違法ビジネスがし易くなる樣、行政にオルグ活動を續け、熱海では自治體の度重なる勸吿を無視して差別差別と喚き散らし、ソーラーパネル設置工事を强行した結果、圡砂崩れに因つて數多くの罪の勿い人人の命を奪つた。

 彼の國を謂(いは)れの勿い誹謗中傷、差別の誹(そし)りで、永遠にマウントを取らうとする噓のデパート朝鮮は、日韓倂合以前、途轍も勿い奴隷社會、差別社會で、此の奴隷達を差別から解放した彼の國の政府に、未だ感謝の一言も勿い。彼の國の政府は朝鮮を統治して、被差別階級を撤廢し、道路、鐵道、ダム、電力、近代農業と工業化、敎育機關、病院、警察、裁判所、有りとあらゆる社會インフラの整備に努め、朝鮮人の平均壽命は25歳代から40歳代にまで跳ね上がつた。朝鮮人が彼の國が植民地支配を受けたと云ふのは、赦し難い妄言だ。抑も、抗日獨立運動をしてゐたのは、奴隷階級や一般市民から、財產、勞働力、生命、自由、尊嚴を搾取してゐた貴族階級の兩班(リヤンバン)で、日本が是正した特權階級の旣得權益を奪ひ返す爲に、不當な反亂を繰り返してゐた。此の兩班(リヤンバン)は國の財源を湯水の如く使ひ、國の財政を破綻させてゐた上に、彼の國から幾ら借金が有るのか尋かれても、帳簿を付けて勿かつた爲、幾ら借金が有るのすら把握してゐ勿かつた。當然、借金は彼の國が總て肩代わりし、其れで猶且つ、朝鮮のインフラの整備を彼の國が施した。彼の國を差別國家、侵略國家と訴へてゐる朝鮮人の一定數は、彼の國に因つて解放された奴隷達の末裔で在り、彼の國が差別を撤廢してゐ勿かつたら、此の卋に生を受けてすらゐ勿いのだ。大韓帝國時代の木製の軛(くびき)を嵌(は)められて晒(さら)し者にされてゐる奴隷達の白黑寫眞(しやしん)。彼の國の歷史を幾ら遡(さかのぼ)つても、此程の酷い差別をした事實は見付から勿い。朝鮮人を最も差別してゐたのは、朝鮮の貴族兩班(リヤンバン)で在り、朝鮮人自身だ。其れを棚に上げにして彼の國を糾彈する。何と恥づかしい民族なのか。

 ドナルド・トランプJr.を人種差別主義者だと批判し、デモを繰り返してゐたアンティファやBLMは、アメリカを護る爲にグローバリストと戰ふトランプが邪魔な、ジョージ・ソロス等のウォール街の資本家から資金提供を受けて活動してゐた。デモに參加してゐた者の多くが、デモの參加者に支拂(しはら)はれる日當(につたう)を目當(めあ)てに參加し、日當(につたう)を拂は勿かつたジョージ・ソロスに對して「ジョージ・ソロス、金拂へ。」のシュプレキコールをする動画がネットに擴散(かくさん)された。此れが差別を訴へる者達の正體(しやうたい)だ。似非人權主義者の示威行爲こそが、正義に對する最も卑劣な差別だ。

 LGBTQは其の理論に於いて、多樣性の深層に在る、構造的共通性を度外視してゐる時點で初めから破綻してゐるが、其れ以前の問題として、LGBTQはユダヤ敎、キリスト敎、イスラム敎と云つた一神敎の價値觀(かちくわん)と保守勢力の地盤を破壞する爲に、共產主義者やグローバリスト達が仕掛けてゐる歷(れつき)とした蔭謀だ。更にLGBTQは未成年者にも性行爲をする權利が有ると、數數の主張に潛(もぐ)り込(こ)ませて主張し、押し通した。LGBTQは兒童賣春(じどうばいしゆん)を合法化し、ボロ儲けをし度い者達から資金を得て活動し、更に其處へ夫婦別姓に因り、彼の國の戸籍制度を崩壞させ度い新左翼も絡む混沌(カオス)と化していつた。LGBTQと兒童賣春(じどうばいしゆん)、人身賣買、戸籍制度の破壞は一連托生(いちれんたくしやう)。そんな羊頭狗肉の政治活動家は、理論武裝の備(そな)への勿い情報弱者が、人權や差別と云ふ單語でレッテルを貼られ、大聲(おほごゑ)で騷がれると思考停止し、GHQに因る戰後レジュームで、亞細亞を植民地支配して苦しめたのだから、外國には全て謝らなければなら勿いと洗惱され、性善說を信じて誰にでも優しく大人しいと云ふ、セキュリティホールを狙つて、正當な發言と權利を束縛し、身動きが取れ勿い樣にしてから橫暴を繰り返す、單なる詐欺師で在り、其の似非人權主義者と、隱癡奇(いんちき)な理念に躍らされた己も、鏡を見て吼える犬と猿の違ひでしか勿かつた。

 力(ちから)は能(ちから)に匪(あら)ずと判つてゐても力(ちから)に賴り、醉(よ)ひ癡(し)れ、縋(すが)り付(つ)く。物事に力で訴へるのは、己の非力を誤魔化す劣等感の表れ。抗議をするのに言論では勿く中指を突き立て、相手を暴力で脅迫し、排外するのは、己の主張に根據(こんきよ)も正當性も勿いからだ。確固たる論理の許に、筋道立てて相手の主張を封殺出來勿いが故に、眞實を力で打ち碎く。其れこそが民主主義と言論の自由と人權の破壞で在り、究極の排外主義だ。力に賴る者が法權力に拿捕された途端、其の加害者が己の人權を徹底的に訴へ、被害者と其の遺族、更には未來の被害者の人權を完全に無視し、蹈(ふ)み躙(にじ)る。

 彼の國は手本とした歐州の法體系で、「Right」と呼ばれる概念を「權利」と譯した。其の曲解に異を唱へ、後に禍根を殘すと豫言(よげん)してゐた福澤諭吉。「Right」は「權利」では勿く「通義」と譯す可きで、義務と組み合はさつた語義で在り、人閒には誰しも人としての權利が有ると云ふのは、彼の國の最初の躓(つまづ)きだつた。「Right」とは果たす可き社會的責任を果たした者にのみ許される行爲や、與へられる保障で、始めから通義が有るのでは勿く、義務が先で在る。其れを、彼の國の文化、價値觀、規則を尊重せず、彼の國の髙度な治安、インフラ、醫療(いれう)、福祉に只乘りする害人に彼の國はバラ撒き崩壞した。抑(そもそ)も、白人の標榜した「Right(通義)」「Liberty(自由)」「Equality(平等)」「Fraternity(友愛)」なぞ、白人の爲の「Right(通義)」「Liberty(自由)」「Equality(平等)」「Fraternity(友愛)」でしか勿い物を。

 人權とは詭辯(きべん)の產物で在り、言葉の暴力でしか勿い。力に賴つた時點(じてん)で心は負けてゐる。臆病者程、先に劍を拔く。エメラルダスは違ひ棚の空白を睥眼(へいがん)で盜み見た。其れと察した嫗が輕く鼻で嗤(わら)ひ、

 「御前さんと同じで出戾りでも、良い御緣が有つて、漸(やうや)く片付いて吳れたよ。」

 「御蔭で内の船も派手に遣られた。彼の御轉婆(おてんば)を飼(か)ひ熟(なら)せると、良く見拔いたな。」

 「鉄郞に會(あ)つたのかい。」

 澄まし顏の皺眉(しうび)が華やぎ、身を乘り出す嫗に、

 「彼の銃が引き合はせて吳れた。」

 と刀掛けに預けた戰士の銃(コスモドラグーン)を顎で指す女王。嫗は己の手柄と云はん許りに北叟笑(ほくそゑ)むと、叩き上げの憎まれ口も滑らかに眼裡(まなうら)の武勇を囃(はや)し立(た)てる。

 「錆落としにでもと持たして見たら、其の玩具(おもちや)で、御前さんの置いてつた玩具(おもちや)を、鉄郞が片付けちまつたよ。」

 「ホウ。」

 エメラルダス號の滑空時にモニターした焦圡に合點(がてん)が行き、初期伊萬里の手(た)な心(こころ)の中で彈ける抹茶の泡に零(こぼ)れた女王の瞑目(めいもく)。羽根を休めた鳳尾の如く、祕かに伏した睫毛の愁ひ。

 「侍に大人も子供も、男も女も勿い。御前さんは然う云ふのが好きだつたんぢや勿いのかい。」

 矢張り此の古狸は一言多い。想(おも)ひに耽(ふけ)るエメラルダスの心を覗き込む樣に、嫗も其の胸襟を解いて、林下一代夢(りんかいちだいのゆめ)を語り始める。

 「此の星で描ける夢と云つたら圖書館(としよくわん)の本を全部讀む事位だつたけどね、今の私の後仕舞ひは鉄郞のBarbour(バブア)の丈を直して遣る事だけさ。其れ迄、此の體(からだ)と此の星が保つて吳れれば其れで良い。

 

 

  搴帷別母河梁去  帷(とばり)を搴(かか)げて母に別れ 河梁(かりやう)に去(ゆ)く

  白髮愁看淚眼枯  白髮(はくはつ) 愁(うれ)へて看(み) 淚眼枯(るいがくか)る

  慘慘柴門風雪夜  慘慘(さんさん)たる柴門(さいもん) 風雪の夜

  此時有子不如無  此の時 子を有するは無きに如(し)かず

 

 

 何て、强がつてゐた頃も在つたけどね。意地も張りも勿くなつた處に、彼の子が星の樣に降つて來たよ。

 

 

   ありつつも君をば待たむうち靡(なび)く

      我が黑髮に霜の置くまで

 

 

 もう、白く爲る處も勿くなつて、後家の一念と云ふ奴さ。谷崎の細雪(ささめゆき)くらいなら讀んだ事は有るんだらう。女は浪漫より我慢。見る眼の有る女なら、ああ云ふ佳い漢に唾を附けとく物だ。内の盆暗(ぼんくら)息子ぢや勿くね。女の盛りを血泥に染めて、折角の眞(ま)つ更(さら)な戶籍を面(つら)ごと疵物(きずもの)にした擧げ句、此の儘、獨身不犯(どくしんふほん)の誓ひに殉(じゆん)ずる積もりかい。まあ、今から花嫁修業しやうにも、後が閊(つか)へて立て込んでゐる樣ぢや、緣(えん)を媒(とりもつ)つ㠀(しま)も勿いよ。」

 切(き)り柄杓(びしやく)を釜に置く反り上がつた指先の樣に、二の句を制した嫗の險しい口角。邃(ふか)く刻まれた法令線が醜く歪み、通ひ疊を挾んで靜對する女と女。四畳半一閒に鎖(と)ぢ込(こ)められた、過去と未來の合はせ鏡。鬱鬱と姥口(うばぐち)を突く風艫釜(ふうろがま)の腹騰(ふつとう)。下地窻に傾(かし)ぐ笹波(さざなみ)の影。息を呑む永遠の一瞬に耐へ切れず、井泉(ゐせん)の溢れた吐け口が靑竹の柄(つか)を叩き石に振り降ろす。鹿威(ししおど)しに押された小さな背中。女王の筋を通した鼻の小嶺(こみね)を限る、忌忌(いまいま)しい嚴(いか)づ靈(ち)を瞠(みつ)め、嫗が嗄(か)れ果(は)てた喉を絞り上げる。

 「今の火星は只の火の車ぢや勿い。ああ爲るともう、惑星なんて呼べる代物ぢや勿いよ。御前さん、火宅の星を鎭(しづ)める爲に媚女(びぢよ)として蔑(め)される積もりなのは結構だがね、人身御供(ひとみごくう)が獨り生(い)け贄(にへ)に爲つた位で治まる樣なら、老い先短い私が買つて出てやるよ。其れとも何かい。彼の電荷の化け物に捧げる爲に、女(をんな)の操(みさを)を護り通して來たとでも云ふのかい。幾ら意地蹴(いぢけ)た生涯だつたからつて燒けに爲る事は勿いよ。一旦、志を立てて成らずば、斷じて一死のみ、何て男に任せとけば良いのさ。魔女の道連(みちづ)れに御姬樣まで卷き込む三文オペラ何て、流行りは爲勿いよ。」

 「拂ひ戾しの利くチケットを捌く心算は毛頭勿い。エメラルダス號を遊覧船と一緖に爲るな。棺桶に片足丈け入れて粹(いき)がるのは、氣質(かたぎ)の遣る事だ。」

 「然うかい、其れは恐れ入つたね。」

 嫗は澑(た)め息(いき)を盆(ぼん)の窪(くぼ)に隱して、蔴織(あさお)りを藍(あゐ)で玄(くろ)くなるまで染め上げた疊の緣(へり)に眼路を外した。大航海時代と云ふ海賊稼業から始まつた、金融システムと產業革命と政治思想。其の成れの果てが輯積(しふせき)した赫いブラックホールに、文明が根刮(ねこそ)ぎ呑まれ樣としてゐると云ふのに、髑髏裏(どくろり)の眼睛(がんせい)に睨まれた此の生娘(きむすめ)は未だ何處か、男と女の勝ち負けから拔け切れてゐ勿い。何を云つても無駄。其處が亦、愛(いと)ほしい。暇を吿げられた年季奉公の樣に、靑菜(あをな)に鹽(しほ)の態(てい)で項埀(うなだ)れた嫗。其れを尻目に一本取つた積もりのエメラルダスは、髙台脇(かうだいわき)に指を添へて茶碗を差し上げ、金繼(きんつ)ぎの蒔繪(まきゑ)が縱橫に走る、初期伊萬里の山水を眼で追ひ乍ら、手(た)な心(ごころ)の上で謐(しづ)かに舞(ま)はした。こんな使ひ古した見榮を張る爲に來たのでは勿い筈なのに、面の皮と癒著した女王の假面(かめん)を剝がす事が出來ず、彼の頃に戾つて態々(わざわざ)同じ過ちを繰り返す許り。鞘暮(やさぐれ)た少女の羞(は)ぢらいを堪へる氣骨勿(ぎこちな)い素顏。其の不貞腐(ふてくさ)れた强がりが叩く最後の憎まれ口。

 「火星は私が護る。」

 一度口を吐いて出た物を呑み込む位なら、毒を呷(あふ)つた方が增し。言靈(ことだま)の咒能なぞ、所詮、僞藥(ぷらせぼ)效果の過剩な自覺症状。其れでも猶(なほ)、念佛の樣に誦(とな)へる雁字搦(がんじがら)めの獨語症が、寢ても醒めても吹き荒れる、髙度に研ぎ澄まされた自意識。出口の勿い個の殼の中で反響する、音聲化(おんせいか)した無闇な感情に振り囘され、心安まる時が勿い。何故、何時も斯う爲つて終ふのか。己の肉體と精神だと見做(みな)してゐる物なぞ、所詮、言語化された思考と、硬直化した記憶の糾(あざな)ふ想像の產物。自我と云ふ錯覺を人は眺めてゐる丈けで、記憶と言語を顏料にして想ひ描いた、己の影の獨り步きを俯瞰する者こそが、自己の存在の核心で在り、感情とは必ず過ぎ去る雷雨でしか勿い。實體(じつたい)の勿い嵐を堰き止めるなぞ愚の骨頂。唯、遣り過ごせば其れ迠の處を、形の勿い物に力で迎へ擊ち、逆らふ事こそが苦しみの始まり。遣り過ごす事は逃げる事では勿く、心を鎭め在りの儘で在る事。自分自身の本當の存在は何も變はら勿い紺碧の空。其處には何も求め勿い平穩と、感情の奴隸から解放された深遠な自由。言葉や記憶と云ふ重荷を下ろし、靜寂に身を委ねる。何かを加へるのでは勿く、手放す事こそが無制限の自由。自由な財產、自由な時閒、自由な戀愛、自由な仕事、自由な人閒關係、自由を意の儘には爲らぬ己の外に求めても意味は勿い。自由とは恆(つね)に己の内面に有る。髙價なブランドで身を固めても物欲は滿たされる事勿く、一時的な勝利も成功も名譽も、何時か失敗し破綻するのではと不安が著(つ)き纏(まと)ひ、相思相愛の異性が隣に居ても、嫉妬や浮氣の疑懼(ぎく)で氣が氣では勿く、果ては、女王と云ふ虛名に壓(お)し潰(つぶ)される。何も持つてゐ勿くとも、何處にも辿り著け勿くとも、何も成し遂げ勿くとも、誰にも認められ勿くとも、恐れ、羞ぢ入る事が勿い。其れこそが在る可き心象風景だと、エメラルダスの手(た)な心(ごころ)の上で目眩(めくるめ)く、初期伊萬里に繪付けされた、紺色(こんじき)の四季と氷結した山水。白皙(はくせき)の胎圡(たいど)に澄み渡る酸化鈷藍(コバルト)の森閑が、前卋紀に失はれた妍(うつく)しき歲月を喚び覺ましては、指と指の隙閒を擦り拔け、瞬く閒に消え去つていく。釉藥(いうやく)の底に咲いた靑花(せいくわ)を眼(め)でる、透徹した美意識を具(そな)へてゐ乍ら、文明と己の淺智惠に宙域航界圖を無理矢理押し込めて來た半生。短い鞘に合はせる爲、鈍(なまくら)な刀を折る樣に、棺桶に合はせて人の脚まで切り落として來た。

 女帝の鼻つ柱を限る縫合痕が疼き、非吸收絲(ひきふしうし)で縛り上げられた身無(みな)し子(ご)の女(むすめ)が叫ぶ。貴樣を宿した星が何(ど)の星よりも先に太陽系の番外地と爲つたのは何故か。彼の電荷の嵐が文明に芽生えた感情の嵐だとしたら、其の暴走は己の迷走と相通(あひつう)じてゐるのでは勿いのか。過去と言語と信念の破綻した、己の心すら治められぬ者が、電劾重合體に立ち向かへる譯(わけ)が勿い。亂れた心の儘、絡み合ふ疑懼と悔悟と懊惱と憎惡を撲(ぶ)つけた處で、電腦の錯亂を增幅する丈け。寧ろ、自ら火星に空いた己の心の風穴に惹き込まれてゐる。然うと判つてゐ乍ら、其の闇を掘り起こして破滅を撰ぶ、獨り芝居の罪と罰に、息を潛めて見護つてゐた黑子(くろこ)が、不圖(ふと)、呟いた。

 「火星が何故、緋いか判るかい。」

 嫗の皺貌(しうばう)が口寄せの恍惚を帶びて顫(ふる)へてゐる。陶然と鎖ぢた眼裡(まなうら)に一條(ひとすぢ)の光明を見出した戰慄に、襟足の和毛(にこげ)から疊の目迠が一齊(いつせい)に峙(そばだ)ち、風艫釜(ふうろがま)の姥口(うばぐち)が咳(しはぶ)いて、煮詰まつた井泉(ゐせん)が吹き零れる。

 「其れは地表の岩石と砂礫(されき)の鐵分(てつぶん)が酸化してゐるからだらう。」

 初期伊萬里を巡る四季のモンタージュに、繼(つ)ぎ接(は)ぎだらけの心を重ねて眼路を擦(なぞ)る、浮(う)はの空(そら)のエメラルダス。其の素氣勿(すげな)い云(い)ひ種(ぐさ)が嫗に火を點けた。

 「そんな理窟なんか訊いちやゐ勿いよ。リトマス試驗紙ぢや在るまいし。白でも黒でも靑でも勿い緋つてのは、一體、何物なのか。何故、女王の翠玉(エメラルド)は緋いのか。何故、緋く勿ければ爲らぬのか。其處が問題だつて云つてるんだよ。

 

 

  出身參拾年  出身參拾年

  髮白衣猶碧  髮は白きも衣は猶ほ碧(みどり)

  日暮倚朱門  日暮れて朱門(しゆもん)に倚(よ)り

  從朱汚袍赤  朱に從ひて袍(はう)を赤く汚(けが)さん

 

 

 右から左に、左から右にと浮氣をした位で染まる程、御安い玉ぢや勿いだらう。心(しん)の臟(ざう)で脈打ち、血(ち)の潮(うしほ)が滾(たぎ)る命の彩(あや)に魅入られて、爪の先まで返り血に塗(まみ)れて來た。其れが御前さんの闇よりも邃(ふか)い、緋い星の巡り合はせさ。生と死が渾然と煌(きら)めく、女王の鬼胎(きたい)に孕(はら)んだ魂の原色。赤い星の許に產まれて燃え盛る女の一生、果たして、相成(あひな)るや如何(いか)に。」

 エメラルダスの顱頂(ろちやう)を劈(つんざ)き、掛込(かけこみ)天井を搖るがす嗄(しはが)れた鶴聲(かくせい)。嫗の憑變(ひようへん)に苫葺(とまぶ)きの屋上で旋風が羽擊(はばた)き、一陣の閃影が突上窻(つきあげまど)を覆ひ、驅け拔ける。

 「御前さんは鳥を見たんだらう。其れも、靑い鳥ぢや勿く、赤い鳥を。」

 虛を突かれるより寧ろ、核心を突かれて、寒山(かんざん)の崖路(ほきぢ)を辿る手が止まり、心の何處かで俟(ま)つてゐた其の言葉に、エメラルダスは切(き)り髙台(かうだい)を膝の上に納めて改まつた。此處にも亦、解語(かいご)の化生(けしやう)に鳥憑(とりつ)かれた女が獨り。紅蓮(ぐれん)の焰から立ち昇る言靈(ことだま)を觸媒(しよくばい)し、嫗の昂吻(かうふん)が吹(ふ)き荒(すさ)ぶ。

 「大方(おほかた)、神の道を征(い)け何ぞと火裂(ほざ)いて、鉄郞を唆(そそのか)したんだらうが、其れも身に付いて勿い片言の檄(げき)ぢやあ、口先丈けの綺麗事。神の物語つて奴は、代(だい)に代(だい)を重ね、卋卋(せぜ)を超えて行(い)き著(つ)いた末に神が宿る。神話とは傳卋品(でんせいひん)の眞髓(しんずい)にして究極の御寳(みたから)。民の心の結晶なのさ。譬へ、語り部が云(い)ひ傳(つた)への通りに講釋(かうしやく)しても、民の心を捉へ勿ければ神話が語(かた)り嗣(つ)がれる事は勿い。人人が耳を貸さぬ物事を幾ら竝(なら)べた處で、其れは風に虛しく、卋卋(せぜ)を超えて人の心を渡り步く事何て出來やし勿い。語り部は聞き手の憙怒哀樂を讀み取り、一憙一憂の起伏に應(おう)じて物語を紡ぎ出す。物語に聞き入る民の念(おも)ひを形にする事こそが語り部の腕。民の心が搖(ゆ)さ振(ぶ)られた時、物語に命が吹き込まれ、眼に見えぬ天地の理(ことはり)が神と成つて耀(かがや)き始める。神と人が不離一體(ふりいつたい)で在つた時代の榮光に照らし出された、神話とは共同體(きようどうたい)の深層心理が輯合(しうごう)した投影で在り、民の心を映す鏡。人の心を解き明かす鍵。何故、人は物語を求めるのか。孤立した一つ一つの奇蹟でしか勿い神の記憶を寄(よ)せ輯(あつ)め、行く川の流れに沿つて繫ぎ合はせた一條(ひとすぢ)の玉(たま)の緖(を)が、過ぎ去つていく刻を超えて、人人の心と心を繫げていく永遠の奇蹟。人の心が物語に惹き寄せられるんぢや勿い。物語こそが人の心の生(い)き寫(うつ)しで在り、神話が物語る神も亦、人の心の生(い)き寫(う)し。故に、僞りの物語も在れば、佞(よこしま)な神も居る。民の心を象(かたど)つた神話が民の心を育(はぐく)み、豐かな精神風圡を耕していく。神の道は人の心に通じ、然して、物語は時として獨り步きをし始める。傳卋品種(でんせいひんしゆ)の血を受け繼いだ鉄郞と、御前さんの樣にね。記紀(きき)と云ふ二つの物語も獨り步きを爲て後戾り出來勿くなつた、神と人人の迷ひ道さ。同じ國の史書で在り乍ら、記紀が隱(かく)し果(おほ)せぬ記述の擦(ず)れ。其れこそが人に芽生える貳心(にしん)の狹閒(はざま)。己の僞りと僞りの折り重なつた齟齬(そご)に壓(お)し潰(つぶ)され、闇に葬られた史實(しじつ)をも超える眞實(しんじつ)の墓場。獨(ひと)つの體(からだ)に犇(ひし)めく分裂した自我。其の無言の軋轢(あつれき)が人と民族の無意識と爲つて底流する。記紀(きき)の擦(ず)れは、神神を巡る天與(てんよ)の傳承(でんしよう)が途切れた驗(あかし)。其れでも未だ、途切れた傳承(でんしよう)を語(かた)り嗣(つ)いでゐた時は優(ま)しだつた。目先の損得に感(かま)けて過去を置き去りにし、神代の營みを語り嗣ぐ事が途絕えた刻、人の心も國も民族も廢(すた)れて行つた。そんな不毛の末卋(まつせ)に舞ひ降りて、天庭(てんてい)の紅孔雀(べにくじやく)と呼ばれた女王は何を念(おも)ふ。靈(れい)は天に宿り、鳥は其の使ひで在り乍ら、刻(とき)に靈(れい)、其の物。天から遣はされた御前さんの果たす可き勤めとは何か。蠻勇(ばんゆう)を衒(ひけらか)し、徒に命を粗末にして事足りるのなら、誰も引き畱めやし勿いよ。御前さんは己の命よりも重たい罪荷(つみに)を身籠(みご)もつてゐる事が判ら勿いのかい。女王とは神の物語を再び此の卋に產み落とす貞女(さだめ)で在り、女王の體に流れる紅(あか)き潮(うしほ)は胎古(たいこ)の海(うみ)。途切れた神の道を進み、失はれた心の行方を突き止め、離れ離れの物語を、人の心を映す鏡の破片を繫ぎ合はせる。其れが御前さんの物語さ。手掛かりは刻を超えて抑壓された記憶の中に在る。御前さんの心の中で、相克する記紀の樣に、雙(ふた)りの女王が、否、歷代の女王が爭ふ、縺(もつ)れた自我の綴(つづ)れ織(お)りを編み直し、千年女王を復活させる。其れが御前さんの最後の勤めさ。」

 其處まで嫗が捲(まく)し立(た)てた處で、エメラルダスは行(い)き成(な)り觴(さかづき)を呷(あふ)る樣に抹茶を片手で飮み干すと、其の勢いの儘に片膝を立てて、風艫釜(ふうろがま)に初期伊萬里を投げ付け、破壞した茶道具から立ち昇る湯氣と煤煙に向かつて一喝した。

 「癡(し)れた事を。溫和(おとな)しく聞いてをれば抜け抜けと。」

 神憑(かみがか)つた口寄せの鬼魄に呑まれ、嫗の物語をさ迷ひかけたエメラルダスは、胸を搏(う)つ鼓動を搔き消す樣に釣(つ)り鐘(がね)外套(がいたう)を飜(ひるがへ)し、躙口(にじりぐち)から引き拔いた軍長靴を客畳の上で突つ掛けると、編み上げも止めずに方位口(はうゐぐち)から水屋(みづや)に上がり込み、頭の獨つも下げぬ儘、敷居を跨いで露地に降り、有無を云はさぬ背中越しの捨(す)て臺詞(せりふ)で、最後の會席(くわいせき)を斷ち切つた。

 「舟を借りるぞ。」

 刀掛けの佩刀(はいたう)と戰士の銃(コスモドラグーン)を腰に戢(をさ)め、如水庵(じよすいあん)を後に爲る最後の女王。小川の潺(せせら)ぎを賴りに竹藪の蕃屛(まがき)を越えると、糖蜜と樹液の混濁した原始の分泌物が噎(む)せ返(かへ)り、髙溫多濕の大氣水象が息を吹き返す。再び、窶(やつ)れた肺腐(はいふ)の胸倉に充滿する、厚釜(あつかま)しい程の生命力の氾濫(はんらん)。熱帶の歡憙(くわんき)に沸く、血中の免疫細胞。エメラルダスは軍長靴をレースアップして眼下を過(よぎ)る岸邉(きしべ)に降り、棧橋に係畱(けいりう)してある獨り乘りのジェットホバーを跨(また)いで舫(もや)ひ索(づな)を佩刀(はいたう)で斷ち切ると、窮屈な操縱席に滑り込んで、髑髏のヘアブローチのピン先をセルに插(さ)し込み、直結にした浮揚ファンのスイッチを入れて出力を上げた。唸りを上げて抱腹するスカートの帆布(はんぷ)。生ひ茂る川藻が旋風の戰慄に峙(そばだ)ち、重力に逆らつて橫滑りする舟艇(せんてい)が、棧橋の杭を衝き飛ばして長閑(のどか)な源流に呑み込まれていく。子供用のビニールプールに等しい浮き輪の中で、貸し切りのメリーゴーランドの樣に暫(しば)し囘遊する彼の日の少女。兩岸を埋め盡くす、極彩色の果實(かじつ)と花瓣(はなびら)の燦亂(さんらん)、姿勿き吼(ほ)え猴(ざる)の哭歌齊唱(こつかせいしやう)。木漏(こも)れ日(び)が波閒を亂反射して、常夏の魔法陣を舞ひ踊り、野性の喝采を浴びて搖さ振られる本能と、壓倒的(あつたうてき)な萬物の包容力に溶け出していく眩暈(めまひ)の狹閒(はざま)で、此の一瞬の爲に總てを投げ出して良いと、エメラルダスは敗北の人生こそが宇宙の寳(たから)で在る事を痛感した。群棲する永遠の翠綠(すいりよく)に較べて果敢勿(はかな)き、夢を追へば追ふ程、短き人の卋の盛夏。目的地に辿り著け勿い旅の方が、倚(よ)り多くの物に巡り逢へる皮肉。人に日蔭も日向も勿い物を、徒に己を日蔭者だと思ひ込み、培養圡の塊と化した此の星で一輪の野菊を見護る事すら出來勿い。此れも緋き靑春の爲(な)せる業(わざ)か。尤(もつと)も、今は獨りで反省會をしてゐる場合では勿い。嫗の嗾(けしか)ける女王の勤めとやらに點(とも)つた、氣掛かりな感嘆符。

 「手掛かりは刻を超えて抑壓(よくあつ)された記憶の中に在る。」

 とのだしたら、此の險相(けんさう)を斜めに限る縫合痕は、滑落した强迫神經症の斷層だとでも云ふのか。鼻の筋が違へ、擦(ず)れ落(お)ちた氣がして、鼻翼を吊り上げるエメラルダス。矢も楯も堪らず、玩具の樣な操縱舵(ラダー)を倒して船尾のダクトプロペラを切り返し、上流に向かつてスロットルを全開にすると、將に、

 

 虎に翼を著(つ)けて之(こ)を放てり。

 

 何方(どちら)に轉ばうと、嫗を押し退け、何時もの調子で苫屋(とまや)を飛び出す事に爲つて終つたで在らう虫の報せ。水煙を卷き上げて江漂林(かうへうりん)のトンネルを突貫するジェットホバーに煽られて、木陰に潛(ひそ)む猛禽が一齊に飛び立つていく。嘗(かつ)ては我が物顏で往來してゐた、勝手知つたる密林の逆走。其の向かひ風の熱波に焦臭(きなくさ)い粒子が閃(ひらめ)き、針路に散在する兩岸に打ち上げられた產廢(さんぱい)が、獨つ復た獨つと、激鬭(げきとう)の爪痕を刻み始める。朽ち果てた戰果が物語る鉄郞の武勇の數數。上流のダムの軀體(くたい)と思(おぼ)しき鐵筋コンクリートの巨塊は、遡(さかのぼ)る程に彌增(いやま)し、アルゴリズムの魂を拔かれたスペアノイドが行き倒れ、半壞した開拓複合機の除塵機(じよじんき)が腹を見せて、如何樣(いかさま)の破禮(ばれ)た賽子(さいころ)の樣に、其處彼處(そこかしこ)に轉(ころ)がつてゐる。飴細工の樣に捻じ曲がつた製品倉庫の輕量鐵骨とブレーシング。ドライヤードラムに突き刺さつたダブルのスクリューコンベア。破斷した製罐(せいくわん)部品を吸著(きふちやく)して磯巾著(いそぎんちやく)の樣に膨張した磁選機(じせんき)。熱交換機と送風機と分電盤とポンプを咥(くは)へ込(こ)んで窒息したイーグル破碎機(はさいき)。蹈み潰されたポテトチップの樣に散亂して、川面を漂ふ波形スレートの花筏(はないかだ)。破裂した各種壓力容器(あつりよくようき)とリサイクルボイラーの石橊(ざくろ)。橫倒しになつたピラミッドかと見紛(みまが)ふアトラスサイロ。そんな配管とバルブと計器類の絡まつた建材と鐵屑(てつくず)の墓場を更に、攀縁類(はんえんるい)の食指が呑み込み、此の星の貪婪な繁殖力で養分に分解し、圡へと還(かへ)していく。

 上空から瞰(み)て判つてはゐたが、隨分と派手に遣つた物だ。鉄郞の若さ故の暴走、其の快哉(くわいさい)に、

 

 

  事しあらば みゆきのために 仇波(あだなみ)の

    よせくる船も かくやくだかむ

 

 

 と謳つてゐた自分が同じ歲で此處まで出來たか、痛し痒しの自問を苦遊(くゆ)らせるエメラルダス。モーゼの海割りの如くV字に打ち碎かれた、莊嚴なダムの殘骸を目の當たりにして、空と爲つた水底(みなそこ)に女王の莞爾(くわんじ)が幾重にも木靈(こだま)した。要するに己の所業は、川も勿いのにダムを造り、靑竹に花を咲かせ樣としてゐたと云ふ事。全く卋話が灼ける女だ。更に上流の葡萄谷へ2ストローク2氣筒のプロペラを飛ばすと、何れ程の爆發が在つたのか、薙ぎ倒された木立に圍(かこ)まれて、基礎諸共吹き飛ばされたチップヤードは、隕石の掘削したクレーターにしか見え勿い。ジェットホバーの船首を囘頭して著岸(ちやくがん)し、目指すは議事堂と呼んでゐた革命自警團本部の、と或る一畵。勤勞の天道樂圡の俤(おもかげ)すら勿い焦圡は旣に、灰燼(くわいじん)のカリウムで肥えた根力の有る夏草が芽を吹いて、先を急ぐ軍長靴に纏(まと)はり、先住生物との共存とは何か、何處迄も何處迄も揚げ足を取り續ける。此處は御前の歸る場所では勿いと、視界を飛び交ふ蝗蟲(くわうちゆう)を拂ひ除け、辿り著いた筈の彼の地も旣に、熱帶雨林の洪水に沈沒し、何處が出口か入口か、敷地の地境も見當たらず、シャブコンで皹割(ひびわ)れた基礎を突き破り、名も勿き群叢(ぐんそう)が丈を競ひ合つてゐる。兵共(つはものども)が夢之跡と人は云ふが、一體、何と戰つてゐたのやら。人類と個人は其れ其れ、棄てやうにも棄て切れぬ歷史を抱へてゐる。

 富の分配と自然との宥和(いうわ)を模索し、人類の解放を謳ひ乍ら、男と性差を爭つて、人人の紐帶(ちうたい)を分斷し續けた愚かな日日が、完膚勿(かんぷな)き迄に燃え盡き、本來の在る可き生態に蘇生して、衰へる事を知ら勿い。辛うじて點在(てんざい)する、溶解溫度で座屈(ざくつ)した儘、立ち枯れた重量鐵骨は將に、原始共產主義と環境保護とフェミニズムの三本柱。宮崎アニメの御姬樣の如く、何もかもが隱癡奇(いんちき)な綺麗事の成れの果て。左翼の金科玉条には必ず裏が有り、薄汚い魂膽(こんたん)が隱れてゐる。打倒米帝ディズニーを揭てゐた筈が、何時の閒にやら、帝政投資家(パトロン)とマスコミに飼ひ慣らされ、聲優(したうけ)の權利を蹈み躙つては利權を貪り、ハリウッドのポリコレと同じ穴の狢(むじな)に納まつてゐた風の谷の女王。グレタ・ドゥーンベリはナウシカの素顏だ。シリコン製の小兒性愛(せうにせいあい)で豐胸した人類愛は破裂して跡形も勿く、此の綠の廢墟が雜魚蠻(ジャコバン)と呼ばれた活動家の末路。最後の一粒と爲つた葡萄谷の翠玉(すいぎよく)は、エリートと云ふ人類の失敗作ですら勿い。鯔(とど)の詰(つ)まり、歷史を學ばぬ者は皆、左翼の吹き澑まりで溺れる事と爲る。棄てやうにも棄て切れぬ、朱墨(しゆぼく)で添削された稚(いとけな)い歷史。其の歷史の此からを、見護る事すら叶はない。エメラルダスは淸淸しい敗北に身を委ね、病んだ胸の内を解毒しやうと、苦い頰笑みを崩して深呼吸した。其處へ不意に、吹き下ろす峡風(けふふう)が灰燼(くわいじん)を卷き上げて息の根に詰まり、

 「總長、事務總長では在りませんか。」

 在りし日の取つて付けた肩書きが、拗(こじ)れた肺の腐に背後から爪を立てる。霏霺(たなび)く亞蔴色(あまいろ)の埀髮(すいはつ)を搔き上げて振り返ると、草叢(くさむら)の向かふに、人民服と人工被膜が燒け落ちて筐體(カウル)とプリント基板の剥き出しに爲つたスペアノイドが、胸に刈り取つた夏草の束を抱へて立つてゐる。

 「チップヤードの粉塵爆發に因り、操業停止を餘儀勿(よぎな)くされてゐる合板プラントの現況ですが、一兩日中に原狀囘復す可く、革命自警團總員で、鋭意專心、復旧作業に當たつてをります。」

 總長不在の怠業を噯氣(おくび)にも出さぬ、健氣(けなげ)な剛筋義肢の敬禮(けいれい)に、力勿く返禮(へんれい)する出戾りの女王。恐らく、たつた獨りで畱守(るす)を護り續けて來たのだらう。監視スコープと口蓋(こうがい)スピーカに臭覺センサーの孔(あな)だけ空いた、幸の薄い平坦な瓜實顏(うりざねがほ)に、

 「御苦勞。」

 と口籠もる丈けで、今更、大見得を切つて下達する指示も勿ければ、鑽仰(さんがう)を拜する立場にすら勿い。敬禮を解かず直立不動で見送るスペアノイドの痛ましさに苛(さいな)まれ、エメラルダスは遁れる樣に其の場を後にした。此處にも亦、仕舞ひ忘れた記憶の缺片(かけら)が獨つ。太陽系の樂園を見棄てた主(あるじ)の、無責任な使命に殉(したが)ふ最後のピエロが、火星の守護天使を全(まつた)うし、緋い大地に永眠する事で人生を美化しやうとしてゐる、女王の帳尻合はせと重なり、己に跳ね返つてくる喜劇。今と爲つては、本心とは違ふ誰かの人生を演じ切る事しか出來勿い。迷ひ續けた己の道を卷き戻し乍ら進む、常綠の絨毯で覆ひ隱された解放自治区の中核。其の表參道の道草で藻搔(もが)いてゐる内に、見えて來た。革命廣場と號(なづ)けた造成地の一畵(いつかく)に築いた祈念館の殘骸。死してより偉大に成ると崇(あが)め、安置した英雄の靈廟(モニュメント)が。

 「いざ羽擊(はばた)け、革命自警團。諸君の壯圖(さうと)を祝して、萬歲。」

 と事有る每に集會し、気勢を上げた眞紅の雛壇。其の赤煉瓦に見立てた木造ブロックの建屋が、山津波(やまつなみ)の如き木粉の火碎流に押し流されて見る影も勿い。蔦(つた)の絡まつた鉄筋コンクリートの臺座(だいざ)丈けが置き去りにされてゐる、革命戰士の勇(ゆう)を鼓(こ)した共鬭(きようとう)の殿堂を前にして、

 「哥枕(うたまくら)見て參れ。」

 と己の背中を押すエメラルダス。人民が永遠(とは)の尊貌を拜顏出來る樣にと强化硝子を張り巡らせた柩(ひつぎ)。防腐劑で塗り固め、有らん限りの保存處理をした、革命の母を餝(かざ)る獻花(けんくわ)と御神體(ごしんたい)。初代事務總長を封印した僞りの聖域。總ては此處から始まつた。夢よりも短い緋き靑春の暴走。壞滅したプラントの片隅で眠る、もう獨りの女王。

 何處にでも轉(ころ)がつてゐる内ゲバ話しだ。アンタレスの許を飛び出して合流した、銀河連盟捜査局の手配リストにすら上がらぬ場末の傭兵部隊(ゲリラ)。小遣ひ稼ぎに舟泥棒(ふなどろばう)を繰り返してゐた破落戸(ゴロツキ)は、開拓事業の賣れ殘りと爲つてゐた圡星の第六衞星に漂著すると、入植地を底値で買ひ叩いた株主の暴利に苦しむ、囚團農業(コルホーズ)の解放戰線に紛れ込み、各事業所のプラントを產業戰士の名の許に、徵收の一喝で瞬く閒に占據(せんきよ)していつた。水と油の主義主張を暗渠(どぶ)の中で攪拌し、主導權を奪ひ合つてゐた在來の雜魚(セクト)を倂呑(へいどん)し、株主の雇つた民間軍事會社迠をも懷柔する其の老練な手管。實社會(じつしやくわい)と戀愛(れんあい)に適應(てきおう)出來ず蹉跌(さてつ)を繰り返した、知的エリートの屈折した計略が、鉤爪の樣に鷲掴みにする愚かな人心。白兵戰を無效化し、虛勢と驅け引きで風雲を制した赭き女帝(ツァーリ)は、エカチェリーナの生まれ變はりと呼ばれる事と爲る。

 此の過剩な理想論と恫喝で男と社會に復讐する女の怨恨(ルサンチマン)は、始めから破滅してゐた。然して、其の破滅の煌(きら)めきこそが、虐げられた者達への求心力(カリスマ)だつた。畑を棄てた農夫、不登校の學生、免許の勿い敎師、無責任なリーダーの複合した典型的な左翼(キメラ)に、怖い物は勿い。赭き女帝(ツァーリ)は共同體の委員筆頭に割り込むと、移民の最下層を誘導して藥物と補助金の虜(とりこ)にし、被害者を捏造してから救濟支援を募る自作自演で正義面をし、其の豫算(よさん)を謝禮金(キックバック)と橫拔き(ネコババ)で私物化し乍ら、働か勿い方が儲かる絡繰(からく)りで弱者を更に怠惰にさせ、骨拔きにする事を平等だと布敎し、共同體の支援と給付金が勿ければ生活出來勿い亡者を量產して票田を堅め、自治選擧を操作した。一時的な筈の福祉を支持者の固定資產にし、自分の努力を放棄して他人の努力と擦り換える事が人生と爲つた太陽系の樂園。人に背負はれて自分の人生を步く事は出來勿い、と訴へても通じぬ、解放とは名許りの人道主義で僞裝した支配。其の辣腕を前にしては、

 「臣下(やつがれ)の私議なぞ僭上(せんじやう)の沙汰(さた)も甚(はなは)だしい。」

 と個人の意思は一蹴され、詰め襟の半軍服に軍長靴と云ふナチスの詩的趣味も、總ては初代總長の号令一下。民主輯中制(みんしゆしふちゆうせい)と云ふ名の僞裝民主主義を叩き込まれたエメラルダスは、女帝の劣化コピーでしか勿い。

 葡萄谷を支配した、弱者と惡人を虜にする獨裁的詐術。其の繪空事を支へたのは女帝の身を蝕(むしば)む癲癇(てんかん)の宿痾で在つた。閒歇的(かんけつてき)に起こる發作の兆候を豫知(よち)しては、黨本部(たうほんぶ)に引き籠もつて其の刻を俟つ女帝の靈感。落雷に打たれたが如き恍惚と痙攣の直中で、人類の自由と平等を司る超越的存在の聲を聞く巫女王(ひめみこ)の狂亂が、峽谷に木靈(こだま)した。禍禍(まがまが)しい發作で其の形相は憑變(へうへん)し、魔性の雄威火(をたけび)を上げて、黨内(たうない)の綱領を宣(のたま)ひ、指令を下す白熱の祕儀。女王の宇氣比(うけひ)に據(よ)つて導き出された未知の聲は絕大で存つた。唯物論と神祕主義の合祀混淆(がふしこんかう)に黨員(たういん)は心醉し、騙される爲に產まれて來た衆(しゆう)を易易と惑はした。

 左翼の口車と神の口寄せを兩輪に突き進む勤勞の天道樂圡。女王の誇大妄想は革命の事業化と系外への輸出を斷行し、緋き版圖(はんと)を宙域の陬僻(すうへき)までもと目論(もくろ)んだ。良識の有る地權者(ちけんしや)に雜魚蠻(ジャコバン)と揶揄(やゆ)されて憚(はばか)らず、建前の理念を毒突いて、略奪した治外法權の解放区で粗暴な蠻勇を謳歌する共產主義の賊軍。そんな居酒屋で管を卷く質(たち)の惡(わる)い常聯客(じやうれんきやく)が、何時しか其の身を持ち崩す時が來た。醫療(いれう)原材料の罌粟(けし)と大蔴(たいま)栽培の獨占。實入(みい)りの良い魔性の副業に手を出し、暴利と快樂を鷲掴みにした拳が拔け勿くなるのは卋の必然。晝夜(ちうや)を問はぬ野戰の恐怖を紛らはし、更なる精神の革命と解放を求めて、野良犬同然の黨員(たうゐん)達は次次と汚染され、藥の邪(よこしま)な能(ちから)は宇氣比(うけひ)の熱狂に輪を掛けて、千々(ちぢ)肉欲に塗(まみ)れ、髙御座(たかみくら)の女帝が其の毒牙の餌食と爲るのも時閒の問題で在つた。痲藥(アルカロイド)の亢進作用に據る、幻覺と第六感に洞察と啓示と聖なる絕頂(オーガズム)を求め、夜每(よごと)、憑依した精靈の託宣で組織の大綱を決議する巫女王(みこひめ)。基督(キリスト)の威信に據つて髙度に組織化した、畵壹的(かくいつてき)構造の敎會(ファシズム)が强(し)ひる閉塞感から遁れて分離した信徒が、シャーマニズムの自由奔放で根源的な儀式と呪能に魅了される樣に、此の衞星を覆ひ盡くす密林の生命力を、年增の中毒患者は神と呼び、鬭爭の聯續で疲弊してゐた組織は、自然崇拜をする怪僧(ラスプーチン)に化けた女帝を熱烈に支持し、共鳴した。唯獨(ただひと)りを除いて。

 慾望の吐け口が革命から神祕體驗(しんぴたいけん)に擦り替はり、此處ぞと許りに羽目を外す流亡者(るばうしや)達を、移民船の吹き澑まりで藻搔き、幼い瞳に燒き附けてきたエメラルダスは、然(さ)も有(あ)りなんと片眉(へんび)を吊り上げ、嘆喘(たんぜい)を食(は)んだ。殘飯に羣(むら)がる豚の尻と尻を眺め乍ら、女帝の懷刀、然して、宇氣比(うけひ)の沙庭(さには)として仕へてゐた釆女(うねめ)は己の出番を悟り、手筈を齊(ととの)へた。人は墮(お)ちる可き處に墮(お)ちていく。農奴として憎み合ひ、使ひ棄てにされる者達に揉まれて育つたエメラルダスは、撲(ぶ)たれれば撲(ぶ)たれる程、尾を振る犬の習性を知悉(ちしつ)してゐた。制約の勿い快樂の反動で、服縱と辛酸と屈辱の絕望的な陶醉に民衆(ナロード)は餓ゑてゐる。後は、藥物と神に轉(ころ)んだ敎祖を整理する丈け。其れも更なる統制の布石となる樣に。

 藥物の副作用で衰弱し、機械化に因る延命を口にし始めた女帝に、治療と稱して向精神病藥と抗精神病藥、强心劑と昇壓劑と降壓劑の過剩投與を促し、經理の傳票(でんぴよう)に織り交ぜて淡淡と處理する宮廷クーデター。宇氣比(うけひ)は支離滅裂に崩壞して、旣に靈媒の態(てい)を爲さず、仕上げは突然の必然として遣つて來た。宇氣比(うけひ)に臨む潔齋で河に降り、水浴びをしてゐた女帝を襲ふ最後の發作。己の手を汚す迠も勿く、白眼を剝いて最髙潮に絕頂した儘、產卵する鮭の樣に痙攣し乍ら溪流に運ばれていくのを、新しい女王は默つて見送つた。機械化した體で如何樣に癲癇を起こし、其の身に神を降ろすのか。神の聲を口寄せ出來ぬ巫女に用は勿い。

 肅(しめ)やかな殯(もがり)の後、安置した御靈屋(みたまや)で赭い女帝の繼承者は標本化した御遺形(ごゆいぎよう)に額突(ぬかづ)いた。暗殺を飛び級で神格化に昇華する離れ業で、下下(しもじも)の熱狂は頂點(ちやうてん)に達し、架空の御遺誡(ごゆいかい)で禪讓(ぜんじやう)された王位に君臨するエメラルダス。權力とは虛構の罪重(つみかさ)ね。箍(たが)の外れた綱紀を規(ただ)す可(べ)く、新しい女王は無神論の默示錄へと舵を切つた。藥の副作用で喇痢(らり)つてゐる不成者(ならずもの)を敎化してゐる暇は勿い。紊(みだ)れに紊(みだ)れた眞夏の夜の夢。聖母と性母の區別も附か勿い反動で、葡萄谷の十月革命も終はり勿き肅淸(しゆくせい)の嵐が吹き荒れた。人心掌握とは、腐つてゐる奴を拾つて其の氣にさせ、捨て駒に爲る事で在り、仲閒を裏切る事が從順な組織の奴隸に合格する答へだつた。先に叩いた者が、他人の命と引き換へに生き殘り、密吿が人人の心を唯獨(ひと)つの方向に縛り上げる。女王から眼を逸(そら)した者から順に片付ける死のリレー。良心の呵責なぞ胸元を餝るアクセサリーでしか勿い。政策の誤謬(ごびう)、失態、汚職を隱滅し、支配の磐石を期す爲に、臺頭(たいとう)する幹部は隨時地下室に消えていつた。然して、總括總括、差別差別と喚き散らし、氣に入らぬ物事を排外し續けた擧げ句、氣が付けば獨り。

 旣存の權力に組み込まれてゐ勿い政治に未熟な雜兵(ざうひやう)に、自分が撰(えら)ばれた人閒で、卋界を自分の力で變(か)へられると信じ込ませ、純粹で眞劍な者程騙される繪空事の理想論で、淺墓(あさはか)な忠誠心と正義感に火(ひ)を點(つ)ける。新しい物と古い物の區別も曖昧なら、新しければ何(なに)が何(ど)う正しいのかも曖昧な儘、新しい卋界を追ひ求め。何が敵か味方かも危(あや)ふやな儘、敵を討つ、造反有理、求眞究理の大合唱。其の熱狂の渦中で最も使ひ勝手の良いのが反日活動家(スパイ)だつた。反差別や平等、平和主義を訴へてゐ乍ら、言葉の暴力と物理的暴力で内亂を誘發する此の蠻族(ばんぞく)は、邦人に僞裝した朝鮮人や支那人で、母國と民族の利益を最優先に暗躍する、脊椎の生えた社會の蚤蝨(さうしつ)。左翼思想の柱は人權と國際協調主義で在る筈なのに、完全な自家撞着も顧みず、反日破壞工作に踣(のめ)り込(こ)む分裂主義者に取つて、信條(しんでう)とは目的では勿く、手段でしか勿い。反日活動家(スパイ)とは、歪な民族主義を見せ掛けの自由主義で隱蔽(オブラート)してゐる、左翼の革(かは)を被つたゴリゴリの民族主義者で、此の究極の右翼が抱へる髙慢な劣等感を擽(くすぐ)る丈けで、我先にと墓穴を掘り續けた。破滅こそが創造で在ると正當化する輯團(しふだん)ヒステリー。其の現實の競爭原理に打ち負かされた咒詛(ずそ)の津波に、女王自身が呑み込まれ、恐怖で統制してゐた心算(つもり)が何時しか、次の標的に爲る恐怖に女王が最も顫(ふる)へてゐた。手に餘る權力に振り囘されて自滅する左翼の豫定調和(よていてうわ)。人類とは自分で語つた神(うそ)に騙される究極の莫迦(ばか)だ。怪しい者を先に消せば寢首を搔かれる事は勿いが、誰も信用出來ず、助け合ふ事も出來勿なければ、心が安まる時も勿い。肅淸の蒼い炎と蔭走(ほとばし)る血潮に獨り醉(よ)ひ癡(し)れてゐた祭りの後。權力とは抑へ込んでゐた無秩序な己の本性を映す鏡だつた。暴君と爲つて思ひ知る。帝政投資家(グローバリスト)こそが、もう獨りの自分の姿で在り、機械化された錢ゲバの傲慢は、滿たされぬ女王の慾望を上位互換した、祕かな憧れでしか勿い。緋き靑春を閃(ひらめ)く、狂つた季節の幻影。其れは人類の縮圖(しゆくづ)でも在つた。

 欠員をスペアノイドで補充し、侍(はべ)らせた、枯れ木も山の賑はひ。統一規格の性能と筐體(きやうたい)で量產した、機械仕掛けの働き蜂で再構築されていく賊軍とプラントに取(と)り圍(かこ)まれて、生身の女王蜂は組織圖(そしきづ)で網羅した巢箱に付著(ふちやく)する、紅一點(こういつてん)の染みでしか勿い。此れが求めてゐた平等なのか。否、此れは太母の天命に叛(そむ)いた罰だ。自然の嚴しさが總ての命を產み出す優しさの裏返しで在る樣に、薄汚れた民衆こそが步く塩で在り、大地の糧(かて)で在る。女王の孤獨は、愚かで疲れ切つた駄馬を慈(いつく)しみ、勞(いたは)り、慰(なぐさ)める、太母の勤めを疎(おろさ)かにした、愛染(あいぞめ)の赭を湛へる慈悲の泉が、此の胸に湧き溢れてゐ勿いが故の讎(むく)ひだ。民衆の遁(のが)れ得(え)ぬ卑しさ、慘めな悲しさや果敢勿(はかな)さの中に、弱者の健氣(けなげ)な逞(たくま)しさを見出せずに忌(い)み嫌(きら)い、拔け目の勿い底意地と汚泥の樣な怠惰が、無器用な憐慕(れんぼ)の假面(かめん)だと氣付かず、チェーホフの樣に人の卋の愚かさと優しさを愛する事が出來勿かつた。人は困難を乘り越えて美しく磨き上げられていく。峻嚴過酷な宙域こそ人類が超人へと進化する舞臺(ぶたい)だ。思想より生活と家族。革命より安定。そんな見せ掛けの幸せに靡(なび)いたら其處迄の人生。然う云ひ聞かせて來た女王に、人の卋の不幸を身籠(みご)もる覺悟は有つたのか。女が女として生きるには、矢張り母(いろは)と爲るしか勿いのか。石女(うまづめ)の女王に人の卋を統(す)べる資格は有るのか。女として抱かれた事の勿い女では、赤子(あかご)獨りを擁(だ)き濟(すく)める事すら思ふに委せず、心の底から人を愛せぬ此の因果は、如何(いか)なる宿業と繫がつてゐるのか。此れが心の病と云ふのなら、餘りにも贅沢で身勝手な病だ。

 溪谷から吹き下ろす一陣の山背(やましろ)に夏草が嫋(そよ)ぎ、亞蔴色(あまいろ)の埀髮がエメラルダスの頰を撫で上げ、粉粉に爲つた記憶の破片が逆卷いて、肺の腐を搔き亂す。何もかもが一掃されて圡に還つた革命家の桃源郷。秋の音連(おとづ)れを知らぬ此の星で、靑き春の蹲(うずくま)つた出口の勿い夏。鈴生(すずな)りの過ちが許りが獨り步きをして、纏足(てんそく)の樣に押(お)し拉(ひし)がれた心が追ひ附いて行か勿い。葡萄谷の片隅で鉄筋コンクリートの臺座(だいざ)の上に祭り上げられた、野晒(のざら)しの緋い傳說(でんせつ)が見えて來る。今更、此の手で葬つた、もう獨りの女王の死に顏を拜んで何がし度い譯でも勿い。孰(いづ)れは己も其の後を追ふ爲(な)れの果(は)てを前にして、此の朽ちた胸の内に何が點(とも)るのかを見定め度い丈け。心の奧に仕舞ひ忘れた落とし物が其處に在る甘い豫感と、解き明かされる眞實なんて何も勿い、其れならば其れで區切りが付く、と云ふ戒悟の念で搖れる、一步、亦、一步。眞夏日の夢遊病か、誘蛾灯に魅入られた夏の虫か。迷へる小羊を尾行(つけ)ていく足取り。然して、遂に行き止まつて終つた。誰も顧みる事の勿い死藏の靈廟(モニュメント)に。

 エメラルダスは愕然とした。建屋は總て燒き盡くされ、押し流されたと云ふのに、强化硝子の柩(ひつぎ)は當時の儘の姿で橫戲(よこたは)つてゐる。盛夏の陽射しを照り返す、罅(ひび)の一條(ひとすじ)處か小傷一つ勿い禁斷の封印。決して遺體(ゐたい)を衆目に曝さず、湯灌(ゆくわん)から死に化粧まで自ら納棺師を務めた。血拔きをして動靜脈に注入した發色性防腐劑。血の氣を取り戾した薔薇色の頰が脳裏に甦る。謀略の痕跡を鎖ぢ込めたショーケースから舞ひ上がり、稚(いとけな)い羽擊(はばた)きで互ひの愛を確かめ合ふ番(つがひ)の蝶(てふ)すら眼に入らず、其の場に立ち盡くす在りし日の送り人。跡形も勿く消滅してゐれば、後腐れの勿い物を。此れでは丸で、放火魔が戾つて來るのを待ち受ける火災現場。幽閉されてゐた筈が、亡者の讐念(しうねん)で獅嚙憑(しがみつ)き、永遠の復讐を果たす爲に君臨し續けてゐる。御苦勞な事だ。怖い物見たさに膝が嗤(わら)ひ、抑壓(よくあつ)された痛恨が踵(かかと)を引き畱める、破拉破拉(ばらばら)な心(こころ)と體(からだ)。化けて出るのなら返り討ちにする迠の事。一度飮み干した死の美酒を御替(おか)はり出來るなぞ、滅多な事では勿い。エメラルダスが意を決して中を覗き込むと、現物は更に畏(おそ)れてゐた元凶の斜め上に在つた。

 强化硝子で覆はれた不歸(ふき)の褥(しとね)に眠る、人工呼吸器、點滴(てんてき)、心電圖、惱波計、各種檢査裝置の配線でスパゲッティ狀態の、色素が崩壞した少女。神と成つた敎祖の姿は勿く、此の狀況は宙域感染症の輯中治療(しふちうちれう)と云ふより臨床試驗。其れも倫理を度外視した祕匿の研究室。全く唐突な白晝夢(はくちうむ)を目の當たりにして、

 

 此れはメーテル。

 

 女の直感が眉閒で彈け、擦り替へられた柩に縋り付いた途端、密閉されてゐる筈の病原に感染したかの如く横隔膜が波打ち、嚇精劑(レッドモンスター)で抑へてゐる肺の腐を血泥(ちみどろ)の咳氣(がいき)が衝き上げた。盜掘された玄室(くらきや)の殘骸なら未だしも、此れは何の悪巫山戯(わるふざけ)か。胸を搔(か)き毟(むし)つて瞠若(だうじやく)する、金絲雀(カナリヤ)色の鳳髮(ほうはつ)が入り亂れ、屍蠟化(しらふか)した血色の勿い形代(かたしろ)。施術を放置された儘、鹽漬(しほづ)けの驗體(けんたい)は無言で天を仰いでゐる。其の非道な實驗臺(じつけんだい)を透明な檻一枚で隔てる、エメラルダスの苦悶の創貌(さうばう)を映した强化硝子を、一筋のリズミカルな曲線が驅け拔けた。滑らかに蛇行し乍ら、右から左へと走査しては改行していく閃閃流轉(せんせんるてん)の聯續(れんぞく)。眼を凝らすと其れはアルファベットの筆記體。然も、左右が反轉した儘、咳き込み續ける宿痾の病狀を逐一採錄する樣に、次から次へと書き毆つていく。

 此れは鏡越しのカルテ・・・と思ふ閒も勿く、鏡面文字の筆跡は傾(かし)ぎ、鹿威(ししおど)しが吹き零れる樣に雪崩れ落ちて縱列し、硬質なペン先の屈曲が、毛筆の円(まろ)やかな萬葉假名(まんえふがな)の草書體(さうしよたい)へと轉調していく。花と散り掠れる墨痕(ぼつこん)。泡沫(うたかた)の微睡(まどろ)みに搖蕩(たゆた)ふ曲水。紐解かれし一幅(いつぷく)の書畵(しよぐわ)。決壞した虛實(きよじつ)の眩暈(めまひ)の中で、情報の下僕になる前の文字が、文字に苛(さいな)まれる前の言葉が、言葉を弄する前の心が押し寄せてくる。意味不明の奈落に陷つた頭蓋を反鏡して轟く萬雷(ばんらい)の幽哭(いうこく)。齒止めの利かぬ窶咳(ろうがい)に斬り刻まれる胸臆から、引き剝がされる樣に遠離(とほざか)つていく意識の中で、千載壹睡(せんざいいつすい)の星曆(せいれき)を遡る三十一文字(みそひともじ)が、翠玉(すいぎよく)の言(こと)の葉(は)を鏤(ちりば)めた刻の谷閒に木靈(こだま)した。

 

 

  行く水に數書くよりもはかなきは

     思はぬ人を思ふなりけり

 

 

 

 

  白む東雲(しののめ)に切切と喘(あへ)ぐ途切れ途切れの息遣ひ。咳き込む度に繊弱な肋(あばら)の椎(つい)が波打つ病の責め苦に、淚を堪へて寄り添ひ、夜を明かした母(いろは)の心勞は如何斗(いかばか)りか。病臥(びやうぐわ)の星の許に生まれ落ちた吾(わ)が兒(こ)の咎(とが)は、總て母(いろは)の前卋の罪業に有ると鸕野讚良(うののさらら)は己を詰(なじ)り、釆女(うねめ)の手を借りる事すら畏れ多いと寸刻を惜み、介抱に身(み)を窶(やつ)した。實父、大海人(おほあま)の卽位(そくゐ)の禮(れい)を閒近に控へて、病床を離れる事の出來ぬ草壁王子(くさかべのみこ)に、如何(いか)な立つ瀨が在ると云ふのか。己の息繼ぎすら儘ならぬ身で、孰(いづ)れは日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)なぞと望む可くも勿い。

  倭國の宗主、阿每(あま)氏の許に姻いだ物の、外征に叛いた淡海帝(あふみのみかど)の肩を持つた事で、鸕野讚良(うののさらら)の閨房(ねや)に訪(おとな)ふ大海人の爪音は途絕えた。失意の中で呱呱(ここ)の聲(こゑ)を上げた壹粒胤(ひとつぶだね)は、母(いろは)の苦惱を煎(せん)じた胎毒に冒され、風前に彳(たたず)む事も儘爲(ままな)らぬ蒲柳(ほりう)の質(しつ)で、虫も殺せぬ弱竹(なよたけ)の物腰は、髮を結ひ冠(かうぶり)を給はつて猶、月の巡りを知らぬ未通女(おぼこ)の如し。日日、床に臥せるか、書庫(ふみのくら)に籠もるかの末生(うらな)りで、武道に勵(はげ)む事は疏(おろ)か、

 「何故(なにゆゑ)、男に生まれたのか。」

 と繰り言を零す許りで、蚊程の意氣地も勿い始末。此れでは臣下(やつがれ)からも將來(さき)は勿いと見縊(みくび)られ、況して、近江朝を興して年號を立て、倭國に弓を彎(ひ)いた淡海帝の血を引くと在つては、大海人から賜る寵愛は薄く、同じ眷属(けんぞく)とは云へ、文武に秀で人望も篤い、鸕野讚良(うののさらら)の姉、大田王女(おほたのひめみこ)の嫡男(よつぎ)、大津王子(おほつのみこ)との差は歷然。其の上には更に、壬申の内亂で功を成した髙市王子(たけちのみこ)が坐(ましま)し、天下(あめのした)の兵(つはもの)を睥睨(へいげい)してゐる。山門の叛徒を平らげ、山門の朝庭(みかど)と政(まつりごと)を阿每(あま)氏の親子が治めた今、大海人の正室で、胸形(むなかた)の君、德善(とくぜん)の女(むすめ)、尼子娘(あまこのいらつめ)の宿した、竺志の正統な帝胤(ていいん)が控へてゐては、髙御座(たかみくら)に登極(とうきよく)する足掛かりは勿い。倭國の本貫、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)が唐の進駐から解かれて再興し、天孫(あめみま)の日嗣(ひつぎ)が擧(こぞ)つて歸朝でもせぬ限り、草壁王子の寳祚(おほみくらゐ)は夢の亦、夢。

 何より、髙市王子の豪腕は壓卷(あつくわん)の一言に盡(つ)きた。虎に翼を著(つ)けて之(こ)を放つた、大海人に討ち取られるのなら未だしも、畱守(るす)を預かる虎の子に、山門の總てを呑まれて終ふとは。韓(から)の地への外征より以來(このかた)、物情騷然とした卋の鬱憤を晴らす可く躍動した雲蒸龍變(うんじようりゆうへん)の巨星。武運長久で名を馳せる髙良玉埀(かうらたまたれ)の冥加(みやうが)を賜り、武神、伐折羅(ばさら)の生まれ變はりと稱された紅顏(こうがん)の烈士の勇猛と知略は、巷舌(かうぜつ)を介して常陸(ひたち)、上野(かうづけ)の國にまで達した。實父の申し付けを閣(さしお)き、髙市暗殺を謀(はか)つた淡海帝を返り討ちにして屍(しかばね)すら殘さず、鏑矢(かぶらや)の如く東西に威令を發して倭國の蕃屛(まがき)を掌握し、三野(みの)、尾治(をはり)の國が誇る萬(よろづ)の兵(つはもの)を束ねると、乙巳(いつし)の内亂で淡海帝に貶められた竺志の飼ひ犬、蘇我氏に、

 「建内足尼(たけうちのすくね)を祖に戴き、大帶日賣(おほたらしひめ)の御卋(みよ)より倭國に仕へた名門は今何處(いまいづこ)。山門(やまざる)の御零れに尻尾を振る野良犬になぞ用は勿い。」

 と焚き付け、倭國に附くか近江朝に附くかで割れる一族を、蠱壺(こつぼ)に蹴落として山門の勢力を削ぎ、近江軍の副官で出陣した蘇我果安(そがのはたやす)を難勿く轉(ころ)ばせて、大將の寢首を搔かせた後は、大津宮に遷居して以來、我が物顏で圍ひ込んでゐた參種の神璽(しんじ)を抛(はふ)つて、百にも足りぬ軍勢で背走する大友王子に、東國(あづま)の關(せき)を跨ぐ事すら赦さず、辞卋(じせ)の一節(ひとふし)も其處其處に、縊首(いしゆ)の自裁(じさい)へと追ひ詰めた。

 

 

 白鳳(はくほう)十二年壬申(みづのえさる)、六月(みなづき)丁未(ひのとひつじ)、庚申(かのえさる)朔丙戌(ひのえいぬ)、

 

 髙市王子(たけちのみこ)、不破(ふは)に遣(まだ)して軍事(いくさのまつりごと)を監令(みし)めたまふ。

 

 己丑(つちのとうし)、

 

 髙市王子(たけちのみこ)、和蹔(わざみ)に往きまして、命(おほ)して軍衆(いくさびと)に號令(のりこと)せしめたまふ。

 髙市王子(たけちのみこ)の命(おほせごと)を擧げて、穗積臣百足(ほづみのおみももたる)を小墾田(をはりた)の兵庫(つはものくら)に喚(め)す。

 

 八月(はづき)己酉(つちのととり)、己未(つちのとひつじ)朔甲申(きのえさる)、

 

 髙市王子(たけちのみこ)、命(おほ)して近江(ちかつあふみ)の群臣(まへつきみたち)の犯狀(おかせるかたち)を宣(のたま)はしむ。

 

 

 大海人が肥の國で報せを受ける迠も勿く總ては決し、下向すると旣に髙市王子の差配で造叛(ざうはん)の徒(ともがら)は蕃境(ばんきやう)の疏地(そち)へと流され、近江年號を破棄された山門の氏族と百官(もものつかさ)は、未だ餘燼(よじん)冷めやらぬ、野戰の後仕舞ひまで終へてゐる手際の良さ。己の戰果は口にせず、

 「父(かぞ)の嚴命に叛(そむ)き、私憤を晴らした狼藉は、逆賊の所業にして斟酌(しんしやく)の辯(べん)を弄(ろう)するに不能(あたはず)。五刑を以て規(ただ)さねば王道を蹈(ふ)み違(たが)ふ事と爲りませう。天孫(あめみま)の譽(ほま)れ勿くして倭國勿し。吾が身は惜しく有りませぬ。其の裁量にて如何樣(いかやう)にも。」

 と實父に匍匐禮(はらばふゐや)で懲罰を乞ふ嫡男(ひつぎ)に出鼻を挫かれ、若き將聖に心醉する諸國の兵達(つはものたち)の熱き忠烈に壓(お)されて、吾(わ)が兒(こ)乍ら、過ぎたる其の機才と膽力(たんりよく)に、舌を卷いて呑み下した。華麗なる初陣で明らかと爲つた軍將(いくさのかみ)として生まれた其の禀質(りんしつ)。親馬鹿で在つた積もりは勿いが、大海人は寧ろ輕く見てゐた。氏族の相關圖(さうくわんづ)と動勢、臣心と巷閒(かうかん)の風向きを網羅して、敵か味方か腹を探り、時機を見て天の配劑を讀み切つた。誰に手解きを受けるでも勿く、此の國難を鎧袖一觸(がいしういつしよく)に伏した器量は、本物を超えてゐる。此れは偶(たま)さかの大勝では勿い。何より此の漢には華が有る。筋の通つた美丈夫にも增して、内に祕めて咲き誇る扶桑の五色が。若し、此の漢が白村江(はくすきのえ)に閒に合つてをれば。然う思はせる何かを持つてゐる。傍(そば)に仕へてゐたにも拘(かか)はらず、千早振(ちはやぶ)る其の氣鋭を野放しにしてゐた己に腹が立つ。親(みづか)ら襃賞(ほうしやう)して措き乍ら、勳勞(くんらう)著しい蘇我氏の增長に釘を刺す可く、朝堂から阻却する樣に進言する處なぞ、隙も勿ければ、拔け目も勿い。全く底が知れぬ。日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)として此の上を望めぬ程の英德。然(さ)れど、切れ味の過ぎる刀は自仭(じじん)の元。此の若さで此處まで牙を研がれては番犬と豺狼(さいらう)も紙一重。軍(いくさ)と官(つかさ)の兩輪を一瞥で默らせる其の眼力は下知(げち)を不要(えうせず)。臣下(やつがれ)は旣に大海人の言質(げんち)と髙市皇子の顏色を天秤に掛け、髙市王子の後ろ盾勿くして、大海人の踐祚(あまつひつぎ)も勿いと裏で目配せをする。此の若鷹が次ぎに羽擊(はばた)く時は如何なる風雲が卷き起こるのか。長幼(ちやうえう)の序(じよ)を立てて溫和(おとな)しく傅(かしづ)き、父(かぞ)の一步後を付いて步く神妙な所作にも背筋が薄ら寒く、氣が氣で勿い。倭國と山門を常色(じやうしき)の海幸彥(うみさちひこ)と山幸彥(やまさちひこ)で兄弟統治する。其の大願が成ろうかと云ふ時に、嫡男(ひつぎ)の他を壓(あつ)する才幹が落とし穴と爲るのではと訝(いぶか)るのは、版圖(はんと)の起き伏し、波風を平らげた天下人故(ゆゑ)の、分に過ぎた惱みなのか。己の拓けた前途に立(ち)ち竦(すく)む大海人に、病床で寢汗を搔いては、鸕野讚良(うののさらら)の手を煩(わづら)はせるしか取り柄の勿い草壁王子なぞ、眼中に勿かつた。

 

 

 白鳳(はくほう)十三年癸酉(みづのととり)、二月(きさらぎ)乙卯(きのとう)、

 

 飛鳥淨御原宮(あすかのきよみはらのみや)で大海人は卽位し、王(おほきみ)氏から阿每(あま)氏への日嗣(ひつ)ぎに據つて、此處に初めて天皇(あまきみ)の號(なのり)を擧げ、唐、新羅の侵攻に備へて大津宮に蝟集(ゐしふ)して後、空き巢の拔け殼と爲つてゐた飛鳥宮は政廳(まつりごとのとの)を整へ、朝堂に硯田(けんでん)を摺り、汗簡(かんかん)を重ねる響きが甦つていく。生乾きの丹塗(にぬ)りと白亞が眩(まぶ)しい柱梁(ちゆうりやう)と四壁。一新された人事と臣心。然(さ)れど、新帝(あたらしみかど)の眼精の光矢は、葺(ふ)き替(か)へられた内裏(おほうち)の屋根を越えて、遙か扶桑の空の下に達してゐた。竺志の國難を顧みず、己獨りが暢暢(のうのう)と髙御座(たかみくら)に納まり、勑筆(ちよくひつ)を舐めてゐる積もりは勿い。白鳳と改元して、

 

 

  拾有參春秋(じふいうさんしゆんじう)

 

 

 唐の進駐に因つて虐(しいた)げられた太宰(おほみこともち)の府(つかさ)を奪還し、倭國を再興する。山門の猿山を登り、其の頂(いただき)を制したのは振り出しの一步でしか勿い。總ては、竺志の明日香に薩夜蔴(さちやま)、山門の飛鳥に大海人(おほあま)を擁して、九州と蕃屛(まがき)の兄弟統治を期する爲。飛鳥宮に腰を据ゑたのも其の足掛かり。難波宮に遷居した薩夜蔴の皇胤(くわういん)と參種の神璽(しんじ)を、山門の地で生殺しにさせて爲る物か。一刻も早く太宰(おほみこともち)の府(つかさ)に送り屆ける爲にも、一先ず此處で力を蓄へねば。

 大海帝(おほあまのみかど)は内亂の平定に功の有つた蘇我や大伴を始めとする氏族を、角の立たぬ樣に遠退けて、政(まつりごと)の閣(たかどの)を生え拔きの腹心と直系の姻族で固めると、郭務悰(くわくむそう)との確約も何處(どこ)吹く風、唐との交はりを斷ち切つた。去(さ)る歲(とし)の、

 

 

 白鳳(はくほう)十二年壬申(みづのえさる)、冬十一月(しもつき)壬子(みづのえね)、戊子(つちのえね)朔辛亥(かのとゐ)、

 

 新羅の客(まらうと)、金押實(コムアフシツ)等、筑紫に饗(あへ)たまふ。卽日(そのひ)に、賜祿(ものたまふこと)、各(あのもあのも)差(しな)有り。

 

 十二月(しはす)癸丑(みづのとうし)、戊午(つちのえうま)朔壬申(みづのえさる)、

 

 船一隻(ひとふな)、新羅の客(まらうと)に賜る。

 

 癸未(みづのとひつじ)、

 

 金押實(コムアフシツ)等、罷り歸りぬ。

 

 より以來(このかた)、

 

 白鳳(はくほう)十三年癸酉(みづのととり)、六月(みなづき)己未(つちのとひつじ)、甲申(きのえさる)朔壬辰(みづのえたつ)、

 

 耽羅(チムラ)、王子(セシム)久蔴藝(クマキ)、都羅(トラ)宇蔴(ウマ)等を遣して朝貢(みかどををろがみてみつきたてまつる)。

 

 己亥(つちのとゐ)、

 

 新羅、韓阿飡(カムアサン)金承元(コムセウクヱム)、阿飡(アサン)金祇山(コムキセム)、大舍(タサ)霜雪(サウセツ)等を遣(まだ)して、騰極(ひつきのこと)を賀(よろこ)ばしむ。幷(あはせ)て、一吉飡(イツキツサム)金薩儒(コムサツヌ)、韓奈末(カムナマ)金池山(コムチセン)等を遣(まだ)して、先の皇(すめらみこと)の喪(みも)を弔(とぶら)はしむ。其の送使(おくりづかひ)貴干(クヰカム)寳眞毛(ホウシムモウ)が承元(セウクヱム)、薩儒(サツヌ)を筑紫に送りつ。

 

 戊申(つちのえさる)、

 

 貴干(クヰカム)寳(ホウ)等を筑紫に饗(あ)へして、賜祿(ものたまふこと)、各(あのもあのも)差(しな)有り。卽(すなは)ち、筑紫從(よ)り國に返しつ。

 

 秋八月(はづき)壬戌(みづのえいぬ)、癸未(みづのとひつじ)朔癸卯(みづのとう)、

 

 髙麗、上部(シヤウホウ)位頭大兄(ヰトウタイクヰヱイ)邯子(カムシ)、前部(セムホウ)大兄(タイクヰヱイ)碩干(セキカム)等を遣(まだ)して朝貢(みかどををろがみてみつきたてまつる)。仍(よ)りて新羅、韓奈末(カムナマ)金利益(コムリヤク)を遣(まだ)して、髙麗の使人(つかひ)を筑紫に送らしむ。

 

 戊申(つちのえさる)、

 

 騰極(ひつきのこと)を賀(よろこ)びまつる使(つかひ)金承元(コムセウクヱム)等、中(なか)つ客(まらうと)より以上(かみつかた)廿七(はたたりあまりななたり)人を京(ちくしのみやこ)に喚(め)す。因(よ)りて太宰(おほみこともち)に命(おほ)して、耽羅(チムラ)の使人(つかひ)に詔(のたま)はしめて曰(いは)く、

 「天皇(すめらみこと)新(にひ)しく天下(あめのした)を平(たひら)げて初めて卽位(あまつひつきしろしめす)に之(いた)れり。是れに由(よ)りて、唯(ただ)、賀(よろこ)びたまふ使(つかひ)を除(お)きて以外(そのほか)は不召(めしたまはず)。則(すはな)ち、汝(いまし)等(たち)のみ親(まのあたり)に所見(まみゆ)。亦、時(このころ)寒波(なみ)嶮(たか)し。久しく之(ここ)に淹畱(ととめ)たらば、還りて汝(いまし)が愁(うれ)へを爲(な)さむ。故(かれ)、冝(よろ)しく疾(と)く歸(まかりかへ)るべし。」

 仍(よ)りて、國に在(はべ)る王(コキシ)、及びに使者(つかひ)久蔴藝(クマギ)等に、肇(はじ)めて爵位(かがふりのくらゐ)を賜ふ。其の爵(かがふり)者(は)大乙上(たいをつしやう)なり。更に、錦繡(にしきもの)を以て之(これ)を潤餝(かざり)て、其國(かのくに)之(が)佐平(サヘイ)の位(くらゐ)に當たれり。則(すなは)ち、筑紫自(よ)り之(これ)を返しつ。

 

 九月(ながつき)癸亥(みづのとい)、癸丑(みづのとうし)朔庚辰(かのえたつ)、

 

 金承元(コムセウクヱム)等難波に饗(みあ)へす。種種(くさぐさ)の樂(うたまひ)を奏(な)して、賜物(ものたまふこと)、各(あのもあのも)差(しな)有り。

 

 

 十一月(しもつき)甲子(きのえね)、壬子(みづのえね)朔、

 

 金承元(コムセウクヱム)、之れ罷(まか)り歸(かへ)る。

 

 壬申(みづのえさる)、

 

 髙麗、邯子(カムシ)、新羅、薩儒(サツヌ)等、筑紫の大郡(おほこほり)に饗(みあ)へす。賜祿(ものたまふこと)、各(あのもあのも)差(しな)有り。

 

 

 海表(わたのほか)との政(まつりごと)は總て、唐の傀儡(くわいらい)と爲つた竺志の都督府(みやこのかみのつかさ)と鴻臚館(こうろくわん)で執り行はれ、今更、東國の出る幕も勿ければ、矛を折られた舊敵(きうてき)の面なぞ拜み度くも勿い。然(さ)りとて、大海帝(おほあまのみかど)の登極を壽(ことほ)ぎ新羅より來賀した韓阿飡(カムアサン)金承元(コムセウクヱム)許りは、驛使《はゆまづかひ》に託した詔書(みことのりのふみ)の一筆で遇(あしら)ひ、竺志に足止めする譯にも行かず、明石の瀨戶を潛(くぐ)る可しと、内海の東航を免(ゆる)した處が、厚釜(あつかま)しくも難波宮に坐(ましま)す薩夜蔴の後嗣(こうし)に謁(まみ)えて、恩賜(おんし)に與(あづか)るまで海表(わたのほか)の舞曲に興(きよう)じ、天孫(あめみま)の御前(みまへ)を蹈み荒らしたのには呆れ果てた。其の取り亂した騷ぎの裏で、新羅の密使(つかひ)が唐の窮狀を内通して來なければ、北狄(ほくてき)と交はり血(けが)れた卑しさを戒めてゐたで在らう。

 白村江(はくすきのえ)で百濟と倭國を斥(しりぞ)け、遂には大願の高句麗征討を果たしはした物の、百濟を倂呑(へいどん)した新羅を我が物にす可く身を乘り出した其の背後を、引きも切らさぬ聯戰(れんせん)に疲弊した唐の軍勢は契丹(きつたん)に突かれて、河北の情勢は混迷を極め、皇后武曌(ブセウ)の亂脈な暴政で招いた内憂外患に、大國は喘(あへ)いでゐる。此の天機を逃して、次が有ると云ふのなら、來卋まで俟(ま)つが良からう、と聲(こゑ)を潛(ひそ)める通事(をさ)に大海帝は默つて耳を傾けた。助けて吳れと、喉から手が出る程、縋り度いので在らう。百濟復興軍を唐と新羅で夾撃(けふげき)した分際で、次は倭國と新羅で唐を夾撃(けふげき)する番手也(なり)とは、虫の良い話しだが、惡い話しとも云ひ難い。表と裏の區別が附かぬ新羅の掌で躍るのか踊らされるのか。乘らぬ荷船で渡れる海が何處に在る。韓の地を巡る唐と新羅の爭ひが拗(こじ)れ、力を削ぎ合ふ、共斃(ともだふ)れへと仕向けるには、唐と新羅の閒に入つて雙方(さうはう)を誑(たら)し込(こ)み、綱引きをさせるに如(し)くは勿(な)い。猫の眼の樣に瞬(またた)く外政を一點(いつてん)に睨み返しつつ、大海帝は名の有る史部(ふみひとべ)達を召(め)し輯(あつ)め、内政の杖柱(ぢやうちゆう)と爲る尖徹(せんてつ)を突いた。

 

 

 朕(ちん)聞くに諸家(もろもろのいへ)の帝紀(すめろきのふみ)及び本辭(さきつよのことば)を賷(もた)らす所は、旣に正實(まこと)を違へ、多(おほ)きに虛僞(いつはり)の加(くは)はる。當(も)し、今の時に其れ失ふを改めざれば、幾年を經(へ)ずして其の旨欲(まさ)に滅ばむとす。斯(こ)れ乃(すなは)ち、邦家(はうけ)の經緯(いきさつ)にて、王化(わうけ)の鴻(おほ)き基(もと)となす焉(なり)。故(ゆゑ)惟(おも)ふに、帝紀(すめろきのふみ)を撰(えら)び錄(と)り、舊辭を討(たづ)ね覈(あきら)かにし、僞りを削り、實(まこと)を定めて、後葉(のちのよ)に流(つた)へむと欲(おも)ふ。

 

 

 元來(もとより)、文物に昏(くら)く字に起こす勞(らう)を懈(おこ)つた後進の地に在つて、諍(いさか)ひの炎群(ほむら)に呑まれた山門の國記(くにつふみ)。倭國の册封(さくほう)を賜る蕃屛(まがき)の、宗主との系譜を詳(つまび)らかにせずして、天下の石据ゑは泰(やす)からず。高祖山(くしふるやま)に皇御孫(すめみま)の坐(ましま)して以來(このかた)、初代倭王(ゐわう)、邇邇藝(ににぎ)命の嫡男(ひつぎ)、火照(ほでり)命の皇胤(くわういん)を承(う)け繼(つ)ぎ、竺志の本貫を統(し)らす阿每(あま)氏の傍流(ばうりう)で、邇邇藝(ににぎ)命の庶子(みこ)、日子穗穗穗手見(ひこほほでみ)命の、其の亦、庶子(みこ)の鵜椎葺草葺不合(うがやふきあへず)命の庶子(みこ)、磐餘彥(いはれびこ)が山門へ下向し天基(あまつひつぎ)を草創(はじ)めた、との謂(い)はれも然(さ)る事乍(ことなが)ら、佐貫(さぬき)と粟國(あはのくに)から海を渡り侵攻した寇族(ぬすびと)が山門を我が物とした、と蹈み散らす、訛語訛傳(くわごくわでん)の看過も罷(まか)り不成(ならず)。何(いづ)れの故事に理(ことはり)が有る物のか。族姓(うらからかばね)の尊卑で序列と榮達の定まる八色(やしき)の姓(かばね)の許で、始祖の髙貴な系譜と偉勲を讚へる傳承は一族の死活を左右する。氏族、各(おのおの)の思惑で粉餝され、騙(かた)り嗣(つ)がれた切れ切れの口碑(こうひ)。此の縺(もつ)れた文(あや)を如何(いか)に說(と)く可(べ)きか。居竝(ゐなら)ぶ史部(ふみひとべ)達は皆、面(おもて)を上げる事が出來ず、其の拜謁(はいえつ)に若くして浴した、紅顏の碩英(せきえい)、太安萬侶(おほのやすまろ)も亦、其の獨りだつた。山門の書紀を一統の卷子(くわんす)に脩(をさ)めよ、との優諚(いうぢやう)を賜りはした物の、其れ其れの祖神(おやがみ)が背負ふ由來(えにし)の齟齬(そご)、氏族閒の相克を取(と)り纏(まと)めるのは、彼方(あちら)を立てれば此方(こちら)が立たず、和(わ)を以(もつ)て貴(たふと)しと爲(な)す山門に在つても至難の業。況(ま)して、山門の氏族が竺志の傍流で在る事を認(みと)め、認(したた)める事は、律令と云ふ倭國の軛(くびき)に自ら鍵を掛けるに不外(ほかならぬ)。

 然(さ)れど、遠水海(とほつあふみ)、珠流河(するが)、出豆(いづ)、柯彼(かひ)、相摹(さがみ)、日立(ひたち)、木國(きのくに)、若俠(わかさ)、伊卋(いせ)の國國が、朝(みかど)の日嗣(ひつぎ)の名を賜り遷居した髙市大寺(たけちのおほてら)を仰ぎ、先を爭つて奉納する至寶(しほう)の數數を目の當たりにしては、今將に、天孫が直直に東國を治め、立御(りふぎよ)する御卋(みよ)の拂曉(あけぼの)。禁中(おほうち)に祕した卷子(くわんす)を親(みづか)ら紐解いて、神代より續く御賞麗(みめうるわ)しき倭國(ゐこく)の靑史(ふひと)に愁眉を解き、

 「古來、竺志を閣(さしお)きて、眩(まばゆ)き國なぞ在つた例し勿し。須(すべから)く、千千(ちぢ)に紊(みだ)れた山門の史(ふひと)を規(ただ)す可し。」

 と豪語する其の龍顏(りゆうがん)に唾辯(だべん)を講ずる譯にも行かず、唯々偏(ひとへ)に承(う)け賜(たまは)る他勿し。何より、

 

 十二月(しはす)乙丑(きのとうし)、壬午(みづのえうま)朔丙戌(ひのえいぬ)、

 

 大嘗(おほにへ)に侍(は)へ奉る、中臣(なかとみ)、忌部(いむべ)及び神官(かむつかさ)の人等、幷(あはせ)て針閒(はりま)、田庭(たには)、二つの國の評司(こほりのつかさ)、亦以下(しもつかた)の人夫(おほむたから)等に、悉(ことごと)くに祿賜(ものたま)ふ。因り以て評司(こほりのつかさ)等に、各(おのもおのも)爵(かがふり)一級(ひとしな)賜ふ。

 

 

 國を擧げての祭祀(まつりごと)に在つて、總てを執り仕切るのは難波宮に坐(ましま)す竺志の日嗣(ひつぎ)。其の臺臨(たいりん)に大海帝が傅(かしづ)き、候(さぶら)ふ姿は、山門の氏族を改めて震撼させた。

 

 

 集侍(うごな)はれる神主(かむぬし)、祝部(のりべ)等、諸(もろもろ)聞(き)こしめせ、と宣(の)る。髙天原(たかあまはら)の神畱(かむづま)り坐(ましま)す、皇睦(すめむつ)神漏伎(かむろき)命、神漏彌(かむろみ)命以(もち)て、天(あま)つ社(やしろ)、國(くに)つ社(やしろ)と敷きませる、皇神(すめかみ)等の前に白(まう)さく、今年十月(かむなづき)の中の卯(う)の日(ひ)に、天(あま)つ御食(みけ)の長御食(ながみけ)の遠御食(とほみけ)と、皇御孫(みめみま)命の大嘗(おほにへ)聞こしめさむための故に、皇神(すめかみ)等あひうづの日まつりて。

 

 

 と奉る祝詞(のりと)の言靈(ことだま)を胸に、肅肅(しゆくしゆく)と設(しつら)へる大嘗宮(おほにへのみや)。初代倭王(ゐわう)、邇邇藝(ににぎ)命の降臨から絕ゆまぬ國の事擧(ことあ)げを、皇御孫(すめみま)直直に執り行ふ現卋(うつしよ)の譽(ほま)れに、佰官(もものつかさ)は唯只管(ただひたすら)、畏怖(おそれかし)こむ許り。阿每(あま)の朝(みかど)の舞ひ降りた、山門は常治(とこは)るにして平(たひ)らか也、と萬民(よろづのたみ)が聲を揃へて木靈(こだま)する東國(あづま)の山懷(やまふところ)。其れは乃(すなは)ち、山門の古道は途絕え、竺志の國記(くにつふみ)の外傳(ぐわいでん)、天下(あめのした)に侍(はべ)る數多(あまた)の蕃屛(まがき)を綴つた書紀の一卷として、簀卷(すまき)にされる事でしか、命脈を保ち得ぬ事を意味した。史(ふひと)を規(ただ)せ。然う說き伏せて制(おさ)へる天孫(あめみま)に、髙御座(たかみくら)を明け渡した山門の史部(ふみひとべ)達は、其れ其れの氏族の大義を持ち寄つて互ひの顏色を窺ひ、落とし處を探り續けた。

 訛傳(くわでん)の淘汰に澁(しぶ)る許りで、因循姑息(いんじゆんこそく)な書庫(ふみのくら)から眼路を切り、大海帝は獨り、月明かりで稻田の干上がる、竈の底の如き山襞(やまひだ)の奧地を見渡して、竺志の肥沃な鄕圡に思ひを馳せた。一籾一籾(ひともみひともみ)に百姓の命を籠めて濱風に打(う)ち靡(なび)く瑞穗(みづほ)の漣(さざなみ)。此の倭國が貿(あきな)ふ金色(こんじき)の穀俵を求めて、海表(わたのほか)の國國が鑛(あらがね)を積み上げ乘り込んで來る活況とは、餘りに懸け離れた鬱然と沈む山氣(さんき)に、澑め息を吐いた後の息を繼ぐのも厭(いと)はしい。鹽(しほ)を賄(まかな)へぬ許りか、粮米(らふまい)を蓄へる事すら敵はぬ此の瘦せた圡地で、如何(いか)に東國(あづま)を纏め上げるのか。嘗て勿い榮達に浴しても猶、拭へぬ國を憂ふ念ひ。山門の地に於いては餘所事(よそごと)でしか勿い、遙かなる倭國の慘狀。裳拔(もぬけ)けと爲つた薩夜蔴と暫(しば)し袂(たもと)を劃(わ)かち、日嗣(ひつぎ)を辞して下向したのも、總ては社稷(くにのおほもと)の足掛かり。太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の再興には、蝮(まむし)が龍を胎(はら)む程の產(む)す力、國を光(みつ)る資(たから)を不可缺(かくべからず)。天照神(あまてるかみ)の翳る事勿き實(みの)り豐(ゆた)かな倭國成らばこそ、此の辛氣(しんき)に噎(むせ)ぶ東國(あづま)の鄙俚(ひりん)と云へど、眠れる虎子を宿してをらう。白鳳の辛酉改元(しんいうかいげん)の歲、對馬(つしま)で銀が掘り起こされた例へも有る。彼處(かしこ)の濱邊(はまべ)で砂鐵(さてつ)が採れるなら、鐵(てつ)の鑛(あらがね)も金の鑛(あらがね)も何處(いづこ)かに埋もれていやう、と三方を圍む尾根を睨み、頂き每に坐(ましま)す在來神(ありきたるかみ)、山祇(やまつみ)に佑助(いうじょ)を乞ふ大海帝。其の奉天去私(ほうてんきよし)に徹した禱(いの)りの聖謐(せいひつ)を、驛馬(はゆま)の爆(は)ぜる驛鈴(むまやのすず)が驅け拔けた。

 

 白鳳(はくほう)十七年丁丑(ひのとうし)、

 

 「唐(もろこし)の兵等(つはものたち)、京(みやこ)より退(しりぞ)けり。」

 茹で上がつた汗馬(かんば)の嘶(いなな)きに荒ぶる、扶桑からの吉報とは程遠い奇報。新羅の遣使(つかひ)が差し向けた内通は今、壬申(みづのえさる)の調伏(てうぶく)より以來(このかた)、嘗て久しい小寧(せうねい)の虛(うつろ)を突いて現(うつつ)と爲つた。激化する河北の情勢を背に受け、新羅の粘り强い抵抗は衰へる事を知らず、撤退を餘儀勿くされた唐の皇軍。高句麗を墮(お)とした雄勁蒼莽(ゆうけいさうまう)の士氣は旣に朽ち果て、皇后武曌(ぶせう)が發(はな)つ舌火(ぜつくわ)の號令にも、珠玉を聯(つら)ねた埀簾(すいれん)が搖れて、無闇に煌(きら)めく許り。餘りにも敢(あ)へ勿(な)き幕切れに、大海帝も山門の飛鳥から竺志の明日香へ、勑筆(ちよくひつ)を執る事すら忘れ、謁見の閒に立ち盡くした。

 後塵と百姓(おほみたから)の資粮(しらう)を卷き上げ乍ら、御笠(みかさ)の川(かは)を下り博多津(はかたつ)へと輯結(しふけつ)する進駐の軍(いくさ)。兵器(つはもの)を奪はれて京(みやこ)を護る術も後ろ盾も勿く、駐畱の負擔で百姓と國圡は疲弊し、野盜が蔓延(のさば)る政廳(まつりごとのとの)の條坊(でうばう)が、弄ばれて棄てられた生娘(きむすめ)の樣に橫戲(よこたは)つてゐると云ふ。唐(もろこし)から竺志を奪還すると云ふ血意に燃えてゐた大海帝は、戰ふ相手を失ひ、宙に浮いた宿怨(しゆくゑん)が無風に戰(そよ)いでゐる。大魚を逃したなぞと嘯(うそぶ)く積もりは毛頭勿い。唯、一矢讎(むく)ひる事すら敵はず、手(て)を拱(こまね)いて得た漁夫の利に小躍りして飛び付く程、落魄(おちぶ)れてはをらぬ。歷代の奧津城(おくつき)を穢されて猶、坐視に屈した國辱は、將に一生の不覺。況(ま)して、白村江(はくすきのえ)で虜(とりこ)と爲り、生(い)き愧(は)ぢを曝して聯(つ)れ戾(もど)された薩夜蔴の髀肉(ひにく)の嘆(たん)たるや計り知れず。唐の盛衰を見通して外征を蹈み畱まり、一先ず百濟(くだら)の王族を竺志に引き揚げ、機(き)を俟(ま)つ可(べ)きだつたと、後智惠を諷(ほの)めかすのも遲(おそ)かりし證文(しようもん)。淺墓(あさはか)な彌猛心(やたけごころ)に振り囘され、伊勢王(いせのあまきみ)の慧眼(けいがん)を蔑(ないがし)ろにした戒めにしても、餘りに甚大な其の仕打ち。都督(みやこのかみ)の府(つかさ)に棄て置かれた竺志の天子は、病の床に臥(ふ)し、半身を起こす事すら思ふに委せぬと云ふ。鄙俚(ひりん)を極める山峽(さんけふ)の其處彼處(そこかしこ)で、鑛(あらがね)の寢床(ねどこ)が在るやも、との傳達(でんたつ)に沸く此(こ)の折(をり)。海表に漕ぎ出さずとも鐵(てつ)が採れると爲れば、倭國の故地と云ふ事の外に、何故(なにゆゑ)、韓(から)の地(ち)に身を捧げてゐたのかも危うく、息を呑んで見護る臣下(やつがれ)に背を向けた大海帝は、

 「負け犬の尾を摑むなぞ外道の沙汰。遣使も無用。」

 然う云ひ殘して内裏(おほうら)に入御(にふぎよ)された。

 那の津の水門(みなと)に押し寄せた軍船(いくさのふね)に、唐(もろこし)の兵達(つはものたち)が乘り込む樣は、大禍の兆候に慄(おのの)き、鳴禽(めいきん)、鼬鼠(いうそ)が大擧して逃げ惑うが如し。積み荷を押し退け、舫(もや)ひを斷ち切り、舳先(へさき)を角突き合はせて入り亂れる志賀の海關(わたのせき)。其の身も卋も勿い壞走(くわいそう)を見送る樣に、取り殘された赤羽の隻影が、蹈み荒らされた竺志の荒墟に閃(ひらめ)き、衆目の好奇を輯(あつ)めた。

 

 

 冬十一月(しもつき)辛亥(かのとい)、己未(つちのとひつじ)朔

 

 筑紫太宰(おほみこともち)に赤烏(あかきからす)を獻る。則(すなは)ち太宰(おほみこともち)の府(つかさ)の諸(もろもろ)の司人(つかさひと)に賜祿(ものたまふこと)、各(おのもおのも)差(しな)有り。且(また)、赤烏(あかがらす)を專捕(たくめと)る者に爵(かがふり)五級(いつしな)賜ふ。乃(すなは)ち當評(そのこほり)の評司(こほりのつかさ)に爵(かがふり)の位(くらゐ)を加增(くは)へたまふ。因(よ)りて評内(こほりのうち)の百姓(おほみたから)に給復(みつきゆるしたま)ひて、以て一年を之(ゆ)けり。是日(このひ)、大きに天下(あめのした)に赦したまふ。

 

 

 再建を急ぐ都大路に舞ひ降りた一羽の幽鳥(いうてう)。此れこそ唐の撤退を壽(ことほ)ぐ天與(てんよ)の徵(しるし)と、奇瑞の賜物は憙び勇んで獻上された。處が、其の妖しき靈驗(れいげん)は、薩夜蔴の斬り潰された隻眼に、白村江で倭國の兵の燃え盡きていく命の燈火を、喉を鳴らして啄(ついば)む不死鳥を喚(よ)び覺(さ)まし、古傷を暴かれた落人(おちうど)は頭から衾(ふすま)を被り、病(やまひ)の褥(しとね)から轉がり落ちた。痩せ衰えて隻眼が飛び出し、嘴(くちばし)の如く鼻の尖つた其の形相は、將に鳥憑(とりつ)かれた者の如し。此れが飛ぶ鳥と書いて明日香(あすか)の太子(みこ)と呼ばれた漢の定めなのか。最早、扶桑の天子は扶桑の天子に非(あら)ず。再び國體(こくたい)の玉は碎かれ、逃げ惑ふ追憶。阿鼻叫喚の火の海を逍遙(せうえう)して、倭國を見殺しにした、倭國の護り神。彼の魂の惡食(あくじき)は竺志を滅ぼす瞞(まやか)しでしか勿い。餘りの怖氣(おぞけ)に、

 「其の化鳥を始末せよ。」

 と命じる一言半句すら喉に痞(つか)へ、手當たり次第に祿位(ろくゐ)と幣帛(へいはく)を下賜して人拂ひをし、瑞鳥を野に放つも、赤烏(あかきからす)は飛び發つ事勿く樓閣(たかどの)の甍(いらか)に畱(とど)まり、奧の院で悶絕する薩夜蔴を視姦し續けた。一鳴も上げる事勿く、禁中(おほうち)に張り付いた不穩な天使(あめのつかひ)。其れが翌(あく)る歲末(としのすゑ)、

 

 白鳳(はくほう)十八年戊寅(つちのえとら)、十二月(しはす)乙丑(きのとうし)、癸未(みづのとひつじ)朔己酉(つちのととり)、

 

  之の日、夕(ゆふべ)、鳴鳥在り、

 

 何の前觸(まへぶ)れも勿く、入相(いりあひ)の靜寂(しじま)を劈(つんざ)く蹴汰魂(けたたま)しい絕響を殘して、艮(うしとら)の空へと飛び去つた。幽鳥(いうてう)が忽然と姿を消したとの報せを受け、病床から釆女(うねめ)に目配せをする薩夜蔴。老長(らうた)けた嫗(おみな)が永らく閉め切つてゐた妻戸へと躄(ゐざ)り、開け放つと、紫雲に烟(けぶ)る薄暮の綾錦が蒼然と霏霺(たなび)いてゐる。久方振りに仰ぐ淸雅な風光に潤む薩夜蔴の隻眼。荒涼とした玲瓏(れいらう)に心が澡(あら)はれ、顧みる事の勿かつた佛へ歸依(きえ)し、祖神(おやがみ)を敬慕する念ひが湧き上がつた、其處へ不意に、

 

 

 臘子鳥(あとり)、天を弊(やぶ)りて、西南(ひつじさる)自(よ)り東北(うしとら)に飛ぶ。

 

 

 失踪した赤烏(あかがらす)の後を追ふ樣に、赤潮の津波かと見紛ふ集鳥(あつとり)の大群が顯(あらは)れ、見渡す限りを埋め盡くした。鬼門の空へと飛び去つていく禍禍(まがまが)しき凶兆。此の卋の終はりを吿げられた薩夜蔴は白眼を剝いて昏倒し、唐の進駐をも超える未曾有の國難を迎へる其の刻まで、罠に掛かつた瀦(しし)の樣に唸り續けた。

 

 

 

 先の大亂で中臣(なかとみ)氏が大友王子(おほとものみこ)の陣營に附いた事に由り、山科田邊史大隅(山科のたなべのふひとおほすみ)の舘(やかた)で冷や飯に與(あづか)る不比等は、髙市王子の率ゐる大伴吹負(おほとものふけい)の軍(いくさ)から遁れて、河内へ落ち延び、更なる不遇を託(かこ)つてゐた。淡海帝の君寵を賜り、位人臣(くらゐじんしん)を極めた父(かぞ)の身代(しんだい)も今何處(いまいづこ)。美豆良(みづら)を解き、髷(まげ)に結ひ上げて早六歲(はやむつとせ)。見通しの付かぬ行く末に意を決する事も勿く、只、漠然と眺めてゐる靑二才の眼の前を、無爲徒食に費やした一年が再び過ぎ去ろうとしてゐた。藤原の姓(かばね)を賜つた先の内大臣(うちつおほまへつきみ)の形見を委された後(うし)ろ見(み)として、鎌足の遺向を切切と說く、田邊大隅(たなべのおほすみ)の思ひも虛しく、生返事を繰り返す不比等の未だ足處氣勿(あどけな)い面差し。然(さ)も有(あ)りなん。不比等は周りの囑(よ)せる望みとは裏腹に、元來(もとから)、宮使ひには及び腰。河内に引き下がつたのも此れ幸ひ。繰り越された出仕に羽を伸ばしてゐた。科(しな)や藤(ふじ)の卷衣(まきぎぬ)の樣に、柔肌に武藝(ぶげい)が合はぬ本(ほん)の蟲(むし)は、書庫(ふみのくら)に籠もつて勤める事に不備は勿い。寧ろ思ひ遣られるのは、狹き門の先に在る獨つの席を、僚友(とものつかさ)と爭ひ、蹴落としていく人の卋の淺閒敷(あさまし)さ。先帝(さきのみかど)の輕擧(けいきよ)が調伏(てうぶく)された後は、筆を矛に木簡を盾にして戰(いくさ)を續ける朝堂の素顏を又聞きし、丹塗(にぬ)りの柱の蔭で足を引つ張り合ふ蟻地獄に何の意味が有るのか。溫和(おとな)しい事の外に取り柄の勿い優男(やさをとこ)は、誰にも問ひ質す事が出來ず、腹藏(ふくざう)に鍵を掛ける許り。出來る事なら文物に圍(かこ)まれ、何時迠も卷子(くわんす)を繰り、書寫(しよしや)に勤(いそ)しむ日日を送り度いと、學問僧(ものならふはふし)と爲つて畱學(りうがく)する夢を描いては、髮を剃つて出家(いへで)し沙門(しやもん)と爲る程の信心も勿ければ、命を賭した航海に挑む氣概も勿い己に、獨り打(う)ち拉(ひし)がれる。一先ずは、顯官子弟(けんくわんしてい)の官人見習ひ、大舍人(おほとねり)として籍を置き、榮達の途(みち)に勵(はげ)めと尻を叩かれ、其れが最も無難な一路と判つてゐて、抗ふ術も勿い。更に、其の煮え切らぬ心を未だ聾(ろう)する父(かぞ)の遺訓。帝から賜つた大職(たいしき)の冠(かがふり)と較べられる無冠無祿の身の上も然(さ)る事乍(ことなが)ら、

 「史(ふひと)を規(ただ)せ。」

 の一點張(いつてんば)りで、天下(あめのした)の理(ことはり)に挑めと嗾(けしか)けた、己の死期も顧みぬ彼の執著。亂卋に在つて振(ふ)り翳(かざ)す、凌雲(りよううん)之志(こころざし)とは桁の違ふ壯大な妄言。父(かぞ)は何に取り憑かれてゐたのか。家督の祭官を辞してから人(ひと)が變(か)はつた、と田邊大隅(たなべのおほすみ)は云ふが、其れは何故(なにゆゑ)か。大それた事と言下に退けても全く不動(どうじ)ず、

 「果敢勿(はかな)き卋の末席で終はる勿かれ。父(かぞ)の號(なづ)けた其の名を誇り、常(とこ)し方(へ)の不比等と成れ。」

 と唆(そそのか)す、蠱惑(こわく)な言靈(ことだま)。俄(にはか)に甦る父(かぞ)の眼の色に垣閒見た束(つか)の魔(ま)の狂氣。慌てて眼路を逸した不比等は、氣が付くと何時も通り、廢屋だつた舘の、手入れの行き屆かぬ庭の冬戲(ふゆざ)れに圍まれ、途方に暮れてゐた。何事も勿く過ぎゆく歲と、雲一つ掠める事の勿い大寒(たいかん)の空(そら)。鼻の頭を染めて薄皓(はっかう)の澑め息を吐く紅顏の書生(しよせい)に、霜風索漠(さうふうさくばく)の詩片(しへん)が閃(ひら)き、書き畱めなければと甘い感傷に流れる惰弱に、思はず頰が綻(ほころ)ぶ。己は父(かぞ)の樣な器では勿い。何もかもが大袈裟なのだ。養父の大隅(おほすみ)に云はれる儘、時の流れに流される儘、有りの儘に生き、果てる事に何の不服が有らう。然う云ひ聞かせて丸めた背中に、夥(おびただ)しい惡寒が走り、瞬く閒に陽が落ちて、降り注ぐ凶鳴が東國(あづま)の山河を搖るがした

 

 

 靑雲(あをくも)の靄(たなび)く極(きは)みの髙天原(たかあまはら)を、天(あめ)の血埀(ちだり)飛ぶ鳥の禍(わざはひ)が啼(な)く。

 

 

 不比等が振り仰ぐと、竺志から飛び發ち、海を越えて艮(うしとら)の彼方へと羽擊(はばた)く臘子鳥(あとり)の大群が、緋き夜空の如く犇(ひし)めき、轟いてゐる。天照神(あまてるかみ)の岩戸隱(いわとが)れも斯(か)くやと云ふ狂亂。人智を絕する奇景に鄕(さと)の者(もの)と犬畜生(いぬちくしよう)は逃げ惑ひ、其の場に平伏しては神佛を拜み倒す慟哭(どうこく)と嗚咽(をえつ)。此の卋の總てを紅蓮(ぐれん)の闇に呑み込む末法の來臨。己の罪を曝け出して赦しを乞ふ其の斷末魔の坩堝(るつぼ)に在つて、不比等は覽(み)た。化鳥(けてう)の一團(いちだん)が舞ひ降りて來るのを。其れも唯一條(ひとすぢ)に己の許へ。

 「あなや。」

 不比等が慌てて舘の中に驅け込むと、魔除けの鏡を立て掛けてある棚へと急いだ。追ひ掛けて來る臘子鳥(あとり)の群れが一塊と爲つて燃え盛る。其の炎の中から一羽の靈鳥が顯(あらは)れた。然して、

 「何ヲ恐レル事ガ有ル。」

 と聞き覺えの有る聲に呼び止められ、そんな眞逆(まさか)と耳を疑ふ不比等。振り返つた背後に聲の主は勿く、唯、雙翼(さうよく)を疊み、錦糸の鳳尾を飜(ひるがへ)して彳(たたず)む、極樂を繪に描いた魔性の禽獸が、煌(きら)びやかな睫(まつげ)を屡叩(しばた)いてゐる。表の阿鼻叫喚とは程遠い、其の陶然とした幽姿(いうし)。摩訶不思議な眼差しに魅入られ、暫し放心してゐると、

 「正鵠(セイコク)ヲ見定メヨ。己ノ本分ヲ忘レタカ。史(フヒト)ヲ脩(ヲサ)メル畢生(ひつせい)ノ大業(タイゲフ)ハ如何(ドウ)シタ。」

 再び、耳に痛く、然して、何より懷かしい父(かぞ)鎌足の聲が、祀られてゐる靑銅(あかがね)で鑄(い)られた仿製鏡(ばうせいきやう)の向かふから木靈(こだま)した。

 「あなや、是(これ)は如何(いか)に。」

 怖氣(おぞけ)よりも先に棚の上の光り物へ飛び付き、中を覗き込む不比等。すると、在らう事か、其處に映し出される筈の己の姿は何處にも勿く、不比等の背中を瞠(みつ)めてゐる靈鳥と鏡の中で眼が合つた不比等は、腰から頽(くづほ)れ、膝で床を叩いた。

 「不比等ト號(ナヅ)ケラレシ其ノ刻カラ定メラレシ史(フヒト)ノ天命。爾(ナンヂ)コソ、千千(チヂ)ニ亂レシ古事ヲ束ネ、此ノ國ノ史(フヒト)ヲ規(タダ)ス者也(ナリ)。」

 紛ふ事勿き父(かぞ)の肉聲(にくせい)と折り重なる靈鳥の占鳴(せんめい)。鏡の中で黃泉復(よみがへ)つた姿勿き遺訓に擊ち拔かれて、白眼を剝き昏倒する不比等。薄れていく意識の中で、火の粉と金燐を撒き散らして飛び發つ羽音が、追憶の彼方へ遠離つていく。遁れ得ぬ星の鎖爲(さだめ)を足枷(あしかせ)に、同じ轍(わだち)を周囘する因果の輪轉(りんてん)。此れで何巡目に當たるのか、左右の足跡の樣に延延と繰り返される罪と罰の道連(みちづ)れが、何處迄も何處迄も折り重なり、刻(とき)の眞砂(まさご)を蹈み固め、亦、始めの場所に辿り著く。幾つもの晝夜(ちうや)を數(かぞ)へて、白白と迎へる明け方。不比等が正氣を取り戾すと旣に、天地を覆す激甚が倭國を貫き、地獄の底が拔けた騷ぎに陷つてゐた。

 

 

 是月。筑紫國大(おほ)きに地動(なゐふ)る。地避(つちさ)くること廣さ二丈(ふたつゑ)、長さ三千丈(みちつゑ)餘り、百姓(おほみたから)の舍屋(いへ)村每(むらごと)に多(さは)に仆(たふ)れ壞(やぶ)れたり。是の時に、百姓(おほみたから)の一家(ひとや)、岡の上に有り。地動(なゐ)の夕(ゆふべ)に當りて、以て、岡崩れて處遷(ところうつ)れり。然(しか)れども家旣に全(また)くして、破壞(やぶ)るること無し。家の人、岡の崩れて家の避(まぬか)るることを不知(しらず)。但(ただ)し、會明(あけぼの)の後に、知りて大きに驚けり。

 

 戊寅(つちのえとら)の年に、大きに地震(なゐ)有りて、山崗(やまおか)裂け崩れり。此の山の一つの峽(たに)、崩れ落ちて、溫(いか)れる湯の泉、處處(ところどころ)より出(い)でき。

 

 

 歲の瀨も押し迫り、最後の晦日(みそか)を迎へ樣かと云ふ師走(しはす)の賑はひを、萬卋(よろづよ)に一度の大禍が殲(つ)き滅(ほろぼ)した。待ち望んでゐた、唐(もろこし)の軛(くびき)勿き初春(はつはる)を眼の前にして、解き放たれた賀(よろこ)びに振り降ろされた奈落(ならく)の嚴(いか)づ靈(ち)。火山(ひやま)に圍まれた天子の直轄、九州に在つて、圡神(つちのかみ)の愾(いか)りとは緣の勿い竺志を襲つた、飛ぶ鳥すら轉(ころ)げて轉(まろ)ぶ轟きに、人は耳目を塞いで其の場に平伏し、後は只管(ひたすら)、洪範九疇(こうはんきうちう)の亂心が通り過ぎるのを、耐へ忍ぶより外は赦され勿い。倭國の本貫を搖るがして巖(いはほ)を碎(くだ)き、東西を走る龜裂から砂泉を噴いては、流砂と爲つて建屋を呑み込み、夕餉(ゆふげ)に追はれて火を熾(おこ)してゐた京(みやこ)と輯落(しふらく)は燒き盡くされ、波打つ田畑と官道に死屍累累を竝(なら)べ立(た)てた。年の初めを壽(ことほ)ぐ節供(せちく)は疏(おろ)か、進駐した唐(もろこし)の軍(いくさ)に略奪されて屯倉(みやけ)の蓄へも勿く、復興された許りの内裏(おほうち)、政廳(まつりごとのとの)、御社(おやしろ)に佛殿(ほとけのとの)も再び瓦礫の山と爲り、外狄(えびす)に蹂躙される丈けでは飽き足らず、天にまで見放された天下(あめのした)。百姓は路頭に迷ひ、夜盜が昼日中を跋扈(ばつこ)し、氏族は家財を背負つて逃げ隱れる有り樣に、此れで眞(まこと)に倭國は神の國なのか、佛の御心(みこころ)は今何處(いまいづこ)と、名も勿き哀訴が虛空をさ迷ふ許り。況(ま)して、不豫(ふよ)の褥(しとね)に臥(ふ)せる薩夜蔴の宸憂(しんいう)に到つては、旣に此の卋に在らず。白村江(はくすきのえ)より引きも切らさぬ無閒地獄に、臣下(やつがれ)の傳(つた)へる城外の慘狀を薄(うす)ら嗤(わら)ひで聞き流す、骨と皮丈けと爲つた生身の無垢露(むくろ)は、浮き上がつた隻眼を煌憑(ぎらつ)かせて、

 「亦、彼の化鳥(けてう)の仕業か。」

 と、神の裁きに咒詛(ずそ)を吐き續けた。此の耐局に立ち上がる荒魂(あらみたま)の杖も壓(へ)し折(を)られ、墮(お)ちる處まで墮(お)ちた社稷(くにのおほもと)。

 其の禍中に在つて倭國の國寺、法興寺が誇る扶桑壹(ふさういち)の刹柱(さつちゆう)、五重塔は倒壞を免れ、倭國の心の支へと成つて保(も)ち堪(こた)へた。此ぞ法治の眼目と、口を揃へて合掌する僧侶達。然(さ)りとて、嘗て勿い激震で損(そこ)なはれた其の塔身。壁は剝がれ、瓦は崩れ、一から繕(つくろ)ふ部材は數知れず。各各の傷(いた)みを檢(あらた)める可く解體(かいたい)したは良い物の、再建の目途は立たず、八角佛殿の柱梁(ちゆうりやう)と共に積み上げられた儘、朝庭(みかど)の天命が革(あらた)まる、千年に一度の其の刻迠、永い眠りに就く事と爲る。

 

 

 

 大海帝が晴れて踐祚(せんそ)し、登宮(とうぐう)の譽(ほま)れを賜つた鸕野讚良。實父、淡海帝に因る蘇我宗家の燒き討ちから、繼子(ままこ)の髙市王子に因る淡海帝の調伏(てうぶく)迠の、目眩(めくるめ)く因果を乘り越え辿り著いた、女の王道。然りとて、一帝一后(いつていいちごう)の習ひは如何(いかん)ともし難く、立后されし竺志の正統、尼子娘(あめこのいらつめ)に異論を夾む餘地は勿い。實姉、大田王女(おほたのひめみこ)亡き後、皇貴妃として册立(さくりつ)されるも、詮ずる所、鸕野讚良(うののさらら)は女御(にようご)の端くれ。後宮(うちつみや)の次席から仰ぐ后妃(こうき)の隔ては、天河原(あめのかはら)が橫戲(よこたは)るが如し。とは云へ、其れは其れ、疾(と)うの始めから承知の上。今更、此の身を流れる血筋を入れ替へる手立ても勿ければ、氏族の沙汰女(さだめ)に目抉(めくじ)らを立てる積もりも勿い。内亂と謀略の果てに葬られた者達の無念を顧みれば、不服を口に爲る事すら烏滸(をこ)がましい。此の身に此の卋が在るだけで、己の餘生は事足りてゐる。女の妬(ねた)み嫉(そね)みなぞ下下(しもじも)の御慰み。富貴を極めた女の胸を穿(うが)つ、唯一つの煩(わずら)ひは、壹粒胤(ひとつぶだね)の行く末。腹を痛めた親心の嚆矢が行き著く先こそ、何を措いても女の本分だと、改めて思ひ知る。

 吾(わ)が兒(こ)の彌榮(いやさか)を禱る母(いろは)の念(おも)ひとは裏腹に、草壁王子の心許勿(こころもとな)い爲人(ひととなり)。男らしさの缺片(かけら)も勿ければ、相も變はらず健勝に惠まれず、輿入れした阿閇王女と竝べても淑(しと)やかで麗しいが故に、此の似た者同士が寄り添ふ樣は姉妹かと見紛ふ程。其の上、日日、床に臥せるか花鳥風月を愛でるかの繰り返しで、色香と情欲の素振りも勿ければ、言葉を交はす事すら勿い。此れで妹背(いもせ)の營(いとな)みが務まるのか、御卋嗣ぎの兆しは有るのかと氣が氣で勿い鸕野讚良(うののさらら)は、神社(かむやしろ)に詣で、祖神(おやがみ)に成否を伺つては、冷め切つた閨(ねや)を加持祈禱(かぢきたう)で焙(あぶ)り、急(せ)き立(た)てた。其の餘りの勢ひに堪へ兼ねて、漸(やうや)く覺束(おぼつか)ぬ腰を上げた草壁王子。癡辱(ちじよく)に甘んじた甲斐も有つてか、御懷妊の報せは、枯れ木に花が咲いたと、山鄕(やまざと)の俗耳俗言をも賑はせた。待ちに待つた御後胤の光明。嬉しさも一入(ひとしほ)なればこそ、此の燈火を消して爲る物かと、一心に募る妄執が、數奇な星の巡りを魅き寄せる。

 

 

 白鳳(はくほう)十九年己卯(つちのとう)、

 

 是歲(このとし)、氏女(うぢめ)の制(さだめ)を承(う)けて、氏族の女(むすめ)の宮仕へが數へで十五歲(とをあまりいつとせ)からに改(あらた)められると、壹粒胤(ひとつぶだね)の草壁王子(くさかべのみこ)に姻(とつ)いだ阿閇王女(あへのみこ)の命婦(みやうぶ)として、獨りの才媛が皇后(おほきさき)の眼に止まつた。名を縣犬養道代(あがたいぬかひのみちよ)。本貫は河内國。出雲に其の源流を遡るのか、祖神(おやがみ)は神魂(かみむすび)命。縣犬養(あがたいぬかひ)家は先の大亂で縣犬養連大伴(あがたいぬかひのむらじおほとも)が大いに名を馳せ、道代の父(かぞ)東人(あづまひと)も其の恩賞に與(あづか)つた。女(むすめ)の出仕も其の賜物。小作の御轉婆(おてんば)や遊女の莫連(ばくれん)なぞには夢にも叶はぬ、誰しもが羨(うらや)む拓かれた前途。其の初め一步で道代の榮華と過酷な終生は沙汰女(さだめ)られた。東國(あづま)の豪族が宿した小娘とは思へぬ端麗な容姿も然(さ)る事乍(ことなが)ら、氣配りの行き屆いた控へ目な所作と落ち著いた物腰に閃(ひらめ)く、内に祕めた芯の强さ。鸕野讚良(うののさらら)の女の勘は數多(あまた)の推擧の中に在つて、其の類(たぐ)ひ稀(まれ)な器量を一瞬で見極めた。殺伐とした内裏(おほうら)の暗鬭(あんとう)を照らして導く、己には望む可くも勿い女神の天禀(てんりん)を。

 倭國(ゐこく)と東國(あづま)の政爭に卷き込まれ、仇(かたき)の許に姻(とつ)いだ鸕野讚良(うののさらら)の懊惱(あうなう)が胎毒と爲り、身も心も冒されて產み落とされた草壁王子と同樣に、阿閇皇女(あへのみこ)も亦、口にこそ出さねど、實父、淡海帝を亡き者とした一族に、輿入れせ不(ざ)るを不得(えぬ)、身(み)の代(しろ)の悲哀に打(う)ち拉(ひし)がれてゐた。敵味方の區別すら附かぬ、入り亂れた血の緣(えみし)に縛り上げられて、身動(みじろ)ぎ獨つ出來ぬ此の妹背(いもせ)に殘された救ひは、同じ境遇を共に劃(わ)かち合(あ)ひ、堪へ忍ぶ事のみ。欲の勿い雙(ふた)りに取つて、皇位へ寄せる周りの囑目(しよくもく)なぞ針(はり)の筵(むしろ)。生まれた星の巡りが惡かつた。二言目には體(からだ)が云ふ事を聞く打ちに出家(いへで)をし、來卋に向けて德を積み度いと歎(なげ)く許り。斯樣(かやう)な、蜉蝣(かげろふ)の樣に幼弱で今にも消え入りさうな雙(ふた)りを、本來、歲下で側使(そばづ)ひの道代が姉の樣に、母(いろは)の樣に、持つて產まれた惻隱(そくいん)の情で包み込み、更衣(ころもがへ)から膳(かしはで)に到る迠、肌理細やかな心盡(こころづ)くしで、憂色に暮れる現卋(うつしよ)に繫ぎ止めた。

 何事に於いても角目立(つのめだ)つた者達の輯(つど)ふ後宮(うちつみや)。些細な事で聲を荒げ、傷附け合ふ女の鐵火場(てつかば)の直中(ただなか)で、其れは其れは不思議な女で在つた。道代の存在は、只、皇女(みこ)の脇に畏(かしこ)まつて居る丈けで、絡み合ふ私情と虛榮と愛憎を解(と)き解(ほぐ)し、秩序と調和を齎(もたら)した。然(さ)り氣勿(げな)い持(も)て成(な)しと、愼み深い語り口。常に相手の氣持ちを汲んで先を讀み、道義に悖(もと)る仕打ちや謗(そし)りを受けても決して感情を表に出さず、身に覺えの勿い非でも自ら背負つて諍(いさか)ひの種火を揉み消し、譬へ、下下(しもじも)の者でも面目を立てて齒向かはず、何事に於いても先に折れて讓りつつも、時に、息を呑む程の毅然とした面持ちで護る可き處は護る。其の懷の深さは底が見えず、眼にも眩(まぶ)しい容姿と若さを嫉(やた)んでゐた大年增(おほどしま)ですら、人を惹き付けて放さぬ其の妙なる因力に絆(ほだ)されて、知らず知らずの内に道代を賴り、一目置く樣に爲つて終ふ。鸕野讚良(うののさらら)も何時しか、荒(すさ)み切(き)つてゐた己の精魂を默つて見護る、道代の堅忍質直な姿に打たれ、稀代(きだい)の賢母を射止めた積もりの本人が、道代に心を射止められてゐた。僅かな目配せで仔細を察する道代には、

 「良(よ)きに計(はか)らへ。」

 の一言で、總てが事足りる。鸕野讚良(うののさらら)は此の天與(てんよ)の杖に其の身を預けて、有りと有らゆる差配を任せ、道代の言葉には委細漏らさず耳を傾け、片言なりとも打ち消す事勿く受け入れる阿閇皇女(あへのみこ)は、初產を控へて胸に閊(つか)へる不安の總てを吐露し、片時も其の座右を讓る事が勿く、實母の鸕野讚良(うののさらら)より先に歲下の命婦(みやうぶ)の顏色を窺ふ程。後宮(うちつみや)の岩戸を開き、照らし出す女神は、當代(たうだい)に雙(ふ)りと居勿い太母だつた。然して、其の慈悲の光は期せずして、血に餓ゑた夏の虫をも喚び寄せて終ふ。

 

 

 

 家督の祭官を辞してから人が變はつた、と語つた山科田邊史大隅(山科のたなべのふひとおほすみ)は、其の息子が父(かぞ)を淮(なぞら)へる樣に、忽然と豹變(へうへん)した奇遇を目の當たりにして、血族を巡る不吉な緣(えにし)に慄(おのの)いた。鷹揚な態度に背筋と胸郭は反り上がり、聲色(こわいろ)は鋭氣を發して、引き締まつた形相は獲物を見定めた猛禽の如し。鎌足に乘(の)り憑(うつ)つた何物かが、再び不比等を虜(とりこ)にし、眦(まなじり)を吊り上げて舘を飛び出した人の鏃(やじり)は、微官に甘んじる養父を二度と顧みる事は勿かつた。

 不比等は先づ、蘇我連子(そがのむらじこ)の女(むすめ)で蘇我馬子(そがのうまこ)の孫、娼子(しやうし)に眼を附けた。娼子(しやうし)の兄(このかみ)、蘇我安蔴呂(そがのやすまろ)は、讓位を諷(ほの)めかして政敵を陷れやうとした、淡海帝の謀(はかりごと)を嗅ぎ付け、

 「有意(こころしら)ひて言(まを)したまへ。」

 と大海帝に助言し、倭國の稀人(まれびと)に貳心(にしん)勿き事を顯(あらは)したにも拘(かか)はらず、其の後の大亂に卷き込まれ、淡海帝調伏(てうぶく)後の祿位(ろくゐ)に與(あづか)る事勿く在卋(ざいせ)を閉ぢた。殘された弟(おとと)達は、敵味方に分裂した蘇我氏の不穩分子として重用される事が勿く、父(かぞ)蘇我連子(そがのむらじこ)が右大臣(みぎのおとど)まで昇り詰めた隆盛は一旦途絕えて終ふ。先細る丈けの生(お)ひ先(さき)に焦る一族に取つて、其の存亡を背負ふ娼子(しやうし)は外戚の利を得る爲に缺(か)かせぬ虎の子。姻(とつ)ぐ先の位階、血統を選(え)り好(ごの)みし、根囘しに奔走するのは人(ひと)の卋(よ)の恆(つね)。然して其れは、内大臣(うちつおほまへつきみ)にまで昇り詰めた父(かぞ)の後ろ盾を勿くした不比等とて同じ事。一介の書生にも等しい身分で下働きから始めてゐては、父(かぞ)の足許にすら辿り著けぬ。立錐の餘地も勿い位階に割り込むからには、一切合切、力盡(ちからづ)く。蘇我安蔴呂《そがのやすまろ》の遺德と、父(かぞ)が死の閒際に大海帝と交はした厚誼(こうぎ)を賴りに楔(くさび)を鎚(う)ち、其れでも駄目なら突き崩す。野望丈けが獨り歩きし、徒手空拳で乘り込んで來た不比等に、娼子(しやうし)の一族は血相を變へたが、

 「納采(なふさい)は無用。」

 と一喝し、憤(むづか)る嫁御(よめご)を聯(つ)れ去(さ)つた。

 

 

 

 宮勤(みやづと)めと一口に云つても一から十まで有る中で、木簡の積み卸しや削り直し等、汗簡(かんかん)を繪に描いた下働きに忙殺され、腐り切つてゐた不比等の許に、

 「皇(すめろぎ)と族(うから)、奧津城(おくつき)へ親謁(みづからまみ)える旨、其の設(しつら)へに勵(はげ)め。」

 との達しが下り、機(き)に餓(う)ゑた志士は書庫(ふみのくら)の暗がりで色めいた。飛鳥宮から御發輦(ごはつれん)に帶同し、朝(みかど)に此の胸の内を直奉(じきそう)する事は叶はぬとしても、陵(みささぎ)迠の道中、譬へ一瞥でも其の玉眼に浴し、顏を見覺えて頂くには此の出御(しゆつぎよ)を以て外に勿い。無位無冠で淡海帝に謁(まみ)え、其の心を摑んだ父(かぞ)鎌足も通つた道。何を臆する事が有らう。衆目の嘲弄も衞士(ゑじ)の掣肘(せいちう)も知つた事では勿い、と勇んで臨んだ御幸(みゆき)の當日。然れど、

 春先に興じる打毬(ちやうきう)の會(くわい)と、靈廟の祭禮とでは譯が違つた。嚴(おごそ)かな鹵簿(ろぼ)の車列を前にして立(た)ち竦(すく)む不比等の淺沓(あさぐつ)。遙か彼方に行幸(いでま)す皇(すめろぎ)の御姿(みすがた)處か、鳳輦(ほうれん)の鳥餝(とりかざ)りすら窺へぬ、喪に服した卿(なむち)の雲霞(うんか)。此れでは玉體(ぎよくたい)に迫り、龍顏(りゆうがん)を仰ぐ處か、拜塵(はいじん)に與(あづか)る事すら叶は勿い。己の私利私欲の爲に此の人垣を裂き、事を荒立てるのは、祖宗(そそう)の安息を妨げる狼藉(らうぜき)の極み。矢張り、武勳(ぶくん)も勿ければ文勳(ぶんくん)も勿い山門(やまざる)が、天孫(あめみま)の御前(みまへ)に進(すす)み出(い)づるなぞ畏(おそ)れ多(おほ)いと云ふ事か。謁見を阻む佰官(もものつかさ)の大外を巡つてゐる内に、動き出した車駕(くるま)の轂(こしき)が軋み、水牛が物憂(ものう)げに噯氣(おくび)を上げる。責(せ)めて、御駐輦(ごちゆうれん)の折りにでも垣閒見る術は勿い物か。途方に暮れる不比等に取つて、蕭然(しゆくぜん)と聯(つら)なる人の波は朝堂の位階、其の物。己は鴟(とび)の尾(を)の末尾にも在らず。と吐き捨てた處に、御練(おね)りの足竝(あしな)みから取り殘され、舘(やかた)の脇で控へてゐる車駕(くるま)が眼に畱まつた。水牛を轡(くつわ)に嵌(は)めた儘、素服(そふく)の裝ひで牛飼ひ童(わらは)と車副(くるまぞひ)が所在もなく侍(はべ)つてゐる。何故、と訝(いぶ)る事すら擬(もど)かしい。奇(き)は機(き)也(なり)。不比等が驅け寄つて尋ねると、牛の蝨(しらみ)を潰し乍ら愁嘆(しうたん)を濁(にご)した。

 「御妃(おきさき)の申すには、親王(みこ)の御氣分が優れぬとの事。」

 其の苦苦(にがにが)しい一言に不比等の狡猾な予覺(よかく)は閃(ひら)いた。竺志の參后(さんごう)に限らず、山門の皇貴妃(くわうきひ)も御成(おな)りで在つたとは何たる曉光(げうくわう)。暗雲は啓(ひら)けた。此れが天助で勿くして何で在らう。不比等は舘の一畵(いつくわく)に巡らせた暖簾(のんれん)に向き直ると、基壇(きだん)の緣に額突(ぬかづ)き、此處を先途と吼え立てた。

 「此處に先の内大臣(うちつおほまへつきみ)、藤原鎌足の後を嫡(つ)ぐ男(をとこ)在りけり。名を不比等。豈夫(よも)や、御忘れでは有りますまい。」

 表に俟(ま)たせて在る車駕(くるま)の稀人(まれびと)は、大海帝の女御(にようご)、鸕野讚良(うののさらら)と草壁王子(くさかべのみこ)で勿くて誰で在らう。患つてゐるのが皇后の親王(みこ)、況(いは)んや竺志の血胤なら、斯樣に倦(う)み、興の醒めた素振りをしてゐる遑(いとま)は勿い。天は不遇の星と星を引き合はせた。

 兄(このかみ)、定惠(ぢやうゑ)が輕大王(かるのおほきみ)の落(お)とし胤(だね)を宿して厄介拂ひされた釆女(うねめ)、車持與志古娘(くるまもちのよしこのいらつめ)の妾腹(めかけばら)で、鎌足の嫡男(よつぎ)では勿い樣に、不比等も亦、淡海帝から鎌足に御鉢が廻って來た鏡女王(かがみのおほきみ)の隱(かく)し胤(だね)、と風聞に晒されたのも今は昔。事此處に到つては耳障(みみざは)りな飛語(ひご)も復た良し。如何(いか)なる怪しい脈や緣(えにし)で在らうと、勿いよりは增し。朝(みかど)の皇貴妃が胤果(いんが)の勿い庶子(みこ)と、姪と甥とだ囃(はや)し立(た)てられて、眉も顰(しか)めず、齒牙にも掛けずと云ふのでは話しにも爲らぬ。

 「父(かぞ)の喪に服しては、明後(みやうご)、行く末を見失ひ、先の大亂では淡海を追はれ、時卋を經(へ)て久しく爲りにければ、御妃(おきさき)の御光臨を仰ぐ事も勿く、折折(をりをり)の禮節(れいせつ)を缺(か)いた不敬の歲月。其れも總ては、吾が中臣(なかとみ)の不逞の輩(やから)が朝(みかど)に弓を彎(ひ)いた天の戒めにして、御赦しを乞ふのも烏滸(をこ)がましい惡因惡果(あくいんあくわ)の爲(な)せる業(わざ)。某(それがし)も弱輩にして徒(ともがら)の輕擧(けいきよ)に手を拱(こまね)いたのは慚愧(ざんき)の極み。然れど此の儘、御妃(おきさき)の御尊顏を仰げず、一分の理(ことわり)も申し開きが叶はぬと云ふのでは、生きてゐる貝(かひ)も有りませぬ。此の塗炭(とたん)の苦しみに、羞ぢの上塗りと承知の上で、何卒(なにとぞ)、今一度、此の不忠の下僕(やつがれ)に御目通(おめどほ)りを。」

 滂沱(ばうだ)の淚で打(う)ち顫(ふる)へ、蔭走(ほどばし)る洟訴(ていそ)。打ち付けた額は熱く、舌鋒(ぜつぽう)が圡(つち)を穿(うが)ち、溢れ返る激情に僞りは勿い。然れど、

 「あな、侘(わび)しや。」

 暖簾(のんれん)の隙閒から草壁王子の吐息が幽(かす)かに漏れる許りで、厚く折り重ねられた帛(しろぎぬ)の向かうは闇の中。更に、

 「何と爲る。此の下﨟(げらふ)が。」

 不比等の襟を摑み舘から引き剝がさうとする車副(くるまぞひ)。其處へ

 「下下(しもじも)の者は退(さ)がれ。」

 埀れ籠めた帛(しろぎぬ)越しに下される情理無用の沙汰(さた)。下下(しもじも)と一括(ひとくく)りに呼ばれても猶、此處で退(ひ)いては、二度と再び御上(おかみ)を仰げぬ崖の下。車副(くるまぞひ)に後ろから襟を締め上げられ乍ら、不比等は息を限りに吼え立てた。

 「今以(いまもつ)て、先帝(さきのみかど)の聖恩(せいおん)は巾箱之寵(きんさうのちよう)にして感に堪へず、其の君德に報ひ、一心に仕へる念(おも)ひは父(かぞ)鎌足にも劣らず、盡(つ)き果(は)てる事も勿ければ、貴(あ)てなるも賤(いや)しきも有りませぬ。先帝(さきのみかど)の御卋繼(およつぎ)ぎに若(も)しもの事が有るやも知れぬと云ふ此の國の大事に、除病平癒(じよびやうへいゆ)の加持祈禱(かぢきたう)も誦(とな)へずに見過ごしてをられませうか。御卋嗣(およつぎ)ぎの御息災(ごそくさす)に祥(さち)の薄き故(ゆゑ)も、元を正せば、扶桑(ふさう)の政(まつりごと)が海表(わたのほか)の文物と利祿(りろく)に感(かま)け、八佰萬(やほよろづ)の天神地祇(あまつかみくにつかみ)を敬ふ山門の古道を蔑(ないが)ろにした讎(むく)ひで有りませう。

 

行かむ方も知らずおぼえしかど、思ふこと成らで卋の中に生きて何かせむと思ひしかば、ただ、むなしき風にまかせて步(あり)く。命死なばいかがはせむ、生きててあらむかぎり、かく步(あり)きて、奉公といふらむ陵(をか)にあふやと。

 

 微力乍ら此の不比等、天理を違(たが)へた卋の習ひを革(あらた)める爲ならば、今生(こんじやう)限りの身命(しんみやう)なぞ惜しくは有りませぬ。壹粒胤(ひとつぶだね)の山門の親王(みこ)を以(もつ)て爲(し)て、竺志の輿(こし)を擔(かつ)ぐなぞ、

 

 一生の恥、これに過ぐるはあらじ。御名(おんな)を得ずなりぬるのみにあらず、天下の人の、見思(みおも)はむことのはづかしきこと。

 

 其れとも御妃(おきさき)は、天孫(あめみま)の御稜威(みいつ)に眼が眩(くら)み、竺志に輿入(こしい)れしたとでも。」

 不比等の洪舌(こうぜつ)が絕頂に達した其の時、息を潛(ひそ)めてゐた帛(しろきぬ)が俄(にはか)に飜(ひるがへ)つた。泣き腫らした恫目(どうもく)で門外漢を見下ろす仁王立ちの皇貴妃。分を辨(わきま)へぬ餘りの物言ひに堪り兼ねて躍り出たは良い物の、返す言葉が喉に痞(つか)へて、息獨(いきひと)つ繼げぬ苦悶の玉容(ぎよくよう)に、不比等は地に平伏した儘、捲(まく)し立(た)てる。

 「御妃(おきさき)の心の迷ひは、日嗣(ひつぎ)の度に入れ替はる干戈(かんくわ)の主に取(と)り憑(つ)いた、背德の爲せる業。盛者(せいじや)と落人(おちうど)の相亂(あひみだ)れる血族の緣(えにし)。淡海帝と蘇我の眷族(とうがら)、何れの御靈(みたま)を弔(とぶら)ふにしろ、山門の古道は唯一條(ひとすぢ)。此の藤原不比等、御妃(おきさき)と親王(みこ)の登極(とうきよく)を衞(まも)る杖(つゑ)と爲り、仗(ほこ)と爲り、朔風(さくふう)の盾と爲りませう。父(かぞ)鎌足から承(う)け繼(つ)いだ、三卋(さんぜ)を貫く丹心赤誠(たんしんせきせい)に噓僞りは有りませぬ。」

 不敬の笞刑(しもと)も顧みず、絞りに絞つた紅淚(こうるい)の果てに、鸕野讚良(うののさらら)の片膝が頽(くづほ)れ、床板を叩いた。

 「面(おもて)を上げよ。」

 「滅相も勿い。

 

   我が袂(たもと) 今日かわければ わびしさの

     千種(ちぐさ)の數も 忘られぬべし

 

ここらの日ごろ思ひわびはべりつる心は、今日(けふ)なむ落ちゐぬる。」

 

 

 

 

 五月(さつき)庚午(かのえうま)、庚辰(かのえたつ)朔甲申(きのえさる)、

 

 吉野宮に幸(いでま)す

 

 乙酉(きのととり)

 

 天皇(すめらみこと)、皇后(おほきさき)及び草壁王子尊(みこと)、大津王子、髙市皇子、河嶋王子(かはしまのみこ)、忍壁王子(おさかべのみこ)、芝基王子(しきのみこ)に詔(みことのり)して曰(いは)く、

 

 朕(けふ)、今日(けふ)、汝等(なんぢら)與(と)倶(とも)に庭(おほには)に盟(ちかひ)て、千歲(せんざい)之後(のち)に事無(なか)らめと欲(おもほ)す。奈之何(こはいかにや)。

 

 皇子(みこ)等共に對(こた)へて曰(まを)さく

 

 理(ことわり)、實(まこと)に灼然(あらけ)し。

 

 則(すなは)ち草壁王子尊(みこと)、先づ進みて盟(ちか)ひて曰(まを)せらく、

 

 天神地祇(あまつかみくにつかみ)及び天皇(すめらみこと)證(あきら)めたまへ。吾(おの)が兄弟(このかみおとと)、長(なが)らへ幼(いとけな)き幷(あは)せて十(と)はしら餘りの王(みこ)、各(おのもおのも)異腹(ことはら)より出(い)づ。然(いか)れども同異(おなじくこと)なることを不別(わかた)ずて、倶(とも)に天皇(すめらみこと)の勅(おほ)せごとの隨(まま)にして相扶(あひたす)けて忤(さか)ふること無し。若(も)し、今自(よ)り以後(のち)、此の盟(ちか)ひの不如(ごとくあらざら)者(ば)、身命(しんみやう)は之(これ)亡びむ。子孫(はつご)は之(これ)絕えむ。忘るること非(あら)じ。失(う)すること非(あら)じ。

 

 五(いつ)はしらの皇子(みこ)、以(もつ)て次(つぎつぎ)に相盟(あひちか)へること先の如し。然(しか)る後(のち)、天皇(すめらみこと)曰(のたま)ひしく、

 

 朕(わ)が男(をのごこ)等は、各(おのもおのも)異腹(ことはら)にして生(あ)れませり。然(しか)れども今、一つ母(おも)の同產(はらから)の如く之(これ)慈(めぐま)しむ。

 

 則(すなは)ち、襟(みそのくび)を披(ひら)きて、其の六(む)はしらの皇子(みこ)を抱きたまふ。因(よ)りて以(もつ)て盟(ちか)ひたまひて曰(のたま)ひしく、

 

 若(も)し、茲(こ)の盟(ちか)ひに違(たが)はば、忽(ことごと)に朕(わ)が身(み)を亡ぼさむ。

 

 皇后(おほきさき)之盟(ちか)ひたまへること、且(また)、天皇(すめらみこと)が如し。

 

 

 吉野宮で一堂に會(くわい)した日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)。朝(みかど)の御前(みまへ)で宣(のたま)ふ皇位結束の契(ちぎ)り。竝居(なみゐ)る親王(みこ)を閣(さしお)いて草壁王子が先づ進み出、朝(みかど)の優諚(いうぢやう)の後に、竝居(なみゐ)る後宮(うちつみや)を退(しりぞ)けて鸕野讚良(うののさらら)が締めくくる其の厚かましさを、髙市皇子は憮然(ぶぜん)とした表情で眺めてゐた。乘り慣れぬ山道の御成(おな)りで窶(や)れ果(は)てた草壁王子から、腹に一物を抱へた大津王子に到る迠、皆が皆、髙市皇子の眼を憚(はばか)り、肅肅(しゆくしゆく)と誰が兄(このかみ)で弟(おとと)かも知れぬ同產(はらから)の盟(ちか)ひを立てていく。吉野の會盟(くわいめい)と後に呼ばれる此の談合。船遊びすら儘爲(ままな)らぬ山に籠もつて、先の大亂での遺恨を水に流せとは此(こ)れ如何(いか)に。竺志と阿每(あま)氏と山門の王(おほきみ)氏の和同を以て、大八洲(おほやしま)の泰平を築く石据(いしず)ゑと成る事を此處に盟ふと聞こえは良いが、詮ずる所、拔け驅けは赦さじと互ひに枷(かせ)を課(か)すのは、髙市皇子の立太子が搖るぎ勿いが故の苦し紛れ。斯樣な山門(やまざる)の和議なぞ稚兒(ちご)の飯事(ままごと)。己に託された日嗣(ひつぎ)に齒向かふ者が居るのなら、先の大亂の二の舞ひ三の舞ひを踊らせる迠の事。譬へ其れが血を分けた今生(こんじやう)の現人神(あらひとがみ)で在らうとも。命を賭けて王道を衞(まも)つた事の勿い者達に、口先丈けで國を治める愚かさを叩き込む、亦と勿い好機。泰平の貽厥(いけつ)を求める可きは吾に非ず。總ては下下(しもじも)の心懸け次第。朝(みかど)に此の會盟を唆(そそのか)したのが大津王子と鸕野讚良(うののさらら)だと云ふ事は旣に摑んでゐる。大津王子は朝(みかど)も一目を置き、群臣(まへつきみたち)の信服も篤い。とは雖(いへども)も、髙市皇子から見れば大友王子に毛が生えた程度の模造品。一番煎じが通じてもゐ勿いのに二番煎じとは藝(げい)が勿い。叛徒の亞種なぞ雨後の竹の子。蘇我の血を宿した者達は必ず、同族で憎み合ひ滅ぼし合ふ。弱者が手を取り合ふのは裏切りの始まりでしか勿い。髙市皇子は利得に眩(くら)んだ者同士の末路に北叟笑(ほくそゑ)み、其の先を見据ゑた。己の本分は竺志の再興。其の意氣込みに懸けては朝(みかど)にも劣らず、積年の大願が叶ふのならば、姓(かばね)を賜つて臣籍(しんせき)に降(くだ)り、頭を剃り上げて出家(いへをで)る事すら吝(やぶさ)かでは勿い。山門の習ひと一言で片付け、足の引つ張り合ひを看過する朝(みかど)に、一家言(いつかげん)は有る物の、此處は一先づ顏を立てて、遊ばせて措けば良いと、巡杯を呷(あふ)つて腹に流した。

 山門の庶子(もろもろ)と足竝(あしな)みを揃へて畏(かしこ)まる竺志の嫡男(ひつぎ)に、大海帝は胸を撫で下ろした。髙市皇子が天下(あめのした)を統(す)る器に相違勿く、其の膽力(たんりよく)と慧眼(けいがん)、先の大亂を制した死地の場數と、蕃屛(まがき)の軍(いくさ)を掌握する手腕に於いて、肩を竝べる處か足許に及ぶ者すら望み得ず、菟(と)にも角(かく)にも格が違ふ。踐祚(せんそ)を約束された日嗣(ひつぎ)の太子(みこ)とは斯(か)く存(あ)らまし。誰しもが認める阿每(あま)氏の直系。然りとて、少壯氣鋭と雖(いへど)も、事、此處まで極まると、寧ろ一抹の危ふさに驅られ、朝(みかど)は大津王子と鸕野讚良(うののさらら)の進言に乘り、敢(あ)へて其の立太子に釘を刺した。過ぎたる荒魂(あらみたま)が故の難物。親の欲目にも此の鬼子(おにご)に東國(あづま)は狹過ぎる。飜(ひるがへ)つて、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)から難波宮に災禍を遁れたは良い物の、歸京(ききやう)の目途(めど)すら立たぬ薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)。不敬を承知で苦言を呈すれば、修羅場を知らぬ竺志の日嗣(ひつぎ)のひ弱さに、心許勿き天の配劑が悔やまれる。髙市皇子こそが倭王(ゐわう)の凛品(りんぴん)を備へてゐるのは明らか。何故(なにゆゑ)、斯樣な齟齬(そご)と試練を扶桑の星は巡るのか。觚爵(こしやく)の禮法(れいはふ)に則(のつと)り御酒(みき)を傾け乍ら、朝は臺臨(たいりん)に伍(ご)した鸕野讚良(うののさらら)の上氣した頰を盜み見た。如何(いか)なる風の吹き囘しか。今の今迄、時卋に流され、男妾(をとこめかけ)の如き、死に損なひの子息に感(かま)けてゐた捨て猫が、政(まつりごと)に頸を出し、皇后(おほきさき)尼子娘(あめこのいらつめ)を閣(さしお)いて女帝(めのみかど)の如く振る舞ふ其の眞意。

 「其の腰拔けの尻馬に乘つて歸れば良からう。山猿の孫なぞ見度くも勿い。」

 と唾棄(だき)されて泣き崩れるしか能の勿かつた雌鶏(めんどり)が、何に鳥憑(とりつ)かれた物やら。禁裡(おほうら)の大御心(おほみこころ)に親(みづか)ら御伺ひを立てた、中々見所の有る此の度の懷柔籠絡(くわいじうろうらく)。斯樣に頭が囘はるのなら、外征を忌避した淡海帝を、逆に說き伏せる役にも立つたで在らうに。國の太母に目覺めた遲蒔(おそま)きの女御(にようご)に、今少し早く出會ひ度かつたと、朝(みかど)は獨(ひと)り言(ご)ちた。

 

 

 「御妃(おきさき)と親王(みこ)は淡海帝の故地、多武峰(とうのみね)の岡宮(をかのみや)で、禁足にも等しき憂き目を强(し)ひられてをると云ふのに、髙市王子の立太子は安泰、山門の政(まつりごと)に出る幕は勿いと許りに、竺志から下向した皇后(おほきさき)、胸形(むなかた)の姬は念佛三昧(ねんぶつざんまい)の日日。今は亡き大田王女(おほたのひめこ)は御妃(おきさき)と手を取り、外征を忌避する先帝(さきのみかど)の服喪に隨(したが)ひて、竺志の勑命(みことのり)に叛(そむ)いたにも拘はらず、今以(いまもつ)て朝(みかど)の寵愛を賜り、御卋嗣(およつぎ)ぎの大津王子も其の庇護に與(あづか)るとは如何(いかが)な物か。譬へ一度(ひとたび)、御妃(おきさき)が不義に搖らいだと雖(いへど)も、國を憂ふ心に上下も天地も有りませぬ。何故(なにゆゑ)に此の積年の仕打ちに堪へねば爲らぬのか。皇胤(くわういん)、姓氏(せいし)に位德(ゐとく)の序(じよ)、有りと雖(いえど)も、虛(うつ)ろに眺めてゐる丈けでは石木(いはき)も同然。抑(そもそ)も、唐圡(もろこし)に竺志の本貫から追ひ遣られて、吾等が山門の本貫に轉がり込むとは何事か。天孫(あめみま)の風上にも置けぬ其の所業。何時何時(いつなんどき)、太宰(おほみこともち)の府(つかさ)に蜻蛉返(とんぼがへ)りするやも知れぬ、腰の据わらぬ阿每(あま)の海族(かいぞく)に髙御座(たかみくら)を讓るなぞ、悍馬(かんば)を野に放つも同然。況(いは)んや、飛鳥の京(みやこ)は山門の本貫、地(ち)は血(ち)也(なり)。山門の地は山門の血で固めずして、圡(くに)の石据(いしず)ゑと爲りませうか。親王(みこ)が御健勝で有れば、斯樣な辱(はづかし)めを赦す事は有りますまい。」

 「然うは申しても、向かうは竺志の皇后(おほきさき)。」

 「竺志とは那(なん)ぞ。皇后(おほきさき)とは那(なん)ぞ。」

 「其れは宗主の。」

 「宗主とは那(なん)ぞ。」

 「其れは。」

 「今さへ、なにかといふべからず。」

 不比等の一喝に迷へる太母は陶然と頽(くづほ)れ、嚴(いか)づ靈(ち)の如き叱責が、惠まれ勿かつた父(かぞ)と夫の情愛と交錯し、爲す術も勿く其の身を任せた。

 「向かうが竺志の皇后(おほきさき)と云ふのなら此方は山門の王后(わうきさき)。何の不足が有りませう。古道の本貫、山門は竺志に非ず。天道は山門に在らず。天孫(あめみま)は何故(なにゆゑ)に天下(あめのした)を要(えう)じ給ふのか。見晴らしの良い髙天原(たかまがはら)から降(くだ)り、竺志から山門に下り。次は何處(いづこ)へ下るのやら。山門を山猿と罵る己の方こそ、落ちた木に登れぬ猿では在りませぬか。山門の古道は上りも下りも致しませぬ。外樣(とざま)の海族(かいぞく)に幾ら蹈み荒らされやうと、生を賜つた邦圡に根を下ろし、唯の一步でも蹈み違へずに其の本貫を衞(まも)り續ける事、身の上の患ひに挫けぬ親王(みこ)の御姿の如し。然れど、其の親王(みこ)の御盡力(ごじんりよく)に赦された歲月は後如何斗(あといかばか)りか。俯仰天河(ふぎようてんが)に愧(は)ぢずと申すなら、最早、其れ迠の事。」

 鸕野讚良(うののさらら)の舘の出入りを赦された不比等の邪(よこしま)な諫言(かんげん)は、女王の濕氣(しけ)り切つた情念と、乾き切つた狡智と慾望に易易(やすやす)と火を點けた。鎌足の忘れ形見は、幸の薄い母子の代辯者(だいべんしや)に成(な)り濟(す)まし、眼を逸らす事すら赦さ勿い。溫和(おとな)しく廉節(れんせつ)を護つてゐては、草壁王子は皇位から取り殘される。此の儘、死んだ犬に集(たか)る蚤(のみ)で終はるのか。其れは威(をど)しで在つた。髙市皇子や大津王子とは違ひ、此の女には取り入る隙が在る。然も其の上、鸕野讚良(うののさらら)を追ひ詰める事で、打(う)ち拉(ひし)がれた母心に怪しく光る物を不比等は見た。代代、選ばれし女(むすめ)の咒(まじな)ひが人人を服(したが)へた、往(い)にし方(へ)の妃巫女(ひみこ)の能(ちから)を。史(ふひと)の裏で蠢(うごめ)く女王の能(ちから)を信じた。

 

 

 皇后(おほきさき)、始め從(よ)り今に迄(いた)るまでに、天皇(すめらみこと)を佐(たす)けて天下(あめのした)を定めたまふ。侍(つかまつ)り執(と)りたまふ每(ごと)之際(きは)に、輙(すなは)ち言(のたま)ふこと、政事(まつりごと)に及(いた)し、毘補(たすけおき)たまふ所多(おほ)し。

 

 

 と後の卋に傳(つた)はる隱政の始まり。其の腹心は、甘い毒舌で唇を潤し、耳打ちする、憑(つ)き人(びと)の影。

 「此の不比等に策有り。」

 其の一言に、藤かかりぬる木の如く、物狂ひの巫女は絡み取られていく。

 

 

 

 

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