火の鳥 九州王朝編   作:tsunagi

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タイタンの眠れる戦士 2

 

 

 

 白鳳(はくほう)二十年庚辰(かのえたつ)七月(ふみつき)癸未(みづのとひつじ)癸酉(みづのととり)丁丑(ひのとうし)

 

 (やまひ)(しとね)()した縣犬養連大伴(あがたいぬかひのむらじおほとも)優諚(いうぢやう)を賜ひ、積年の(らう)(ねぎら)ふ爲、大海帝が直直(ぢきぢき)出御(いでま)した。縣犬養連大伴(あがたいぬかひのむらじおほとも)は先の大亂で偉勳(ゐくん)を立てた(つはもの)の筆頭。其の忠烈で死地の直中(ただなか)から脫し、倭姬王(ちくしひめ)(とも)に九州への歸京を果たせた(みかど)は、功臣の大事と聞いて矢も楯も堪らず、自らの生色(せいしよく)が優れぬのを押して車駕(くるま)に乘り込み、玉步(ぎよくほ)の後背で供奉(ぐぶ)を勤める髙市皇子は、(みかど)達ての賴みと在つて近衞(このゑ)を從へた。(みかど)臨御(みたまひ)(やかた)は息を張り詰めて平に(おそ)(かしこ)み、大伴は感淚に沒する許り。(みかど)の溫情は大恩(おほきめぐみ)(くだ)すに及び、其の父の榮譽を枕邊(まくらべ)で浴した(むすめ)が獨り。大伴の介添へを務める道代の(しと)やかな妍容(けんよう)と、才氣を隱せぬ非凡な(たたず)まひに、髙市皇子は眼を(みは)つた。

 (みかど)が大伴を宮内(みやのうち)()(かか)へ、後宮(うちつみや)へ出仕する便宜を(はか)つた(むすめ)が、鸕野讚良(うののさらら)の元に引き取られた事は承知してゐた。何しろ、顏を合はせる度に色目を使ひ、繼兄弟(ことはら)の一線をも構はず心を寄せて來る、女より男に(のぼ)せ上がつた草壁王子を其の氣にさせ、阿閇王女との目合(まぐは)ひに(いざな)つた命婦(みやうぶ)と聞いて、何れ程の色好みかと輕口を叩いて、酒菜(さかな)にしてゐたのだが、眞逆(まさか)、斯樣な、懸想(けさう)とは程遠い、閨秀(けいしう)を繪に描いた仙女とは。迂闊(うかつ)で在つた。此れ程の絕佳の才媛と知つてをれば、いの一番で手元に置いた物を。

 「身雙(みふた)つの具合は如何(いか)に。」

 髙市皇子が其れと勿く探りを入れると、初產を終へた阿閇王女を(いたは)り、氷髙(ひだか)(なづ)けられた王女(みこ)の乳母も託された道代は、

 「皆、倶に恙勿(つつがな)く。」

 と曲がり形にも草壁王子の立太子を爭ふ本命の心遣ひに深謝し乍ら、此れより以て穿鑿(せんさく)する事は不能(あたはず)、と控へ目な受け應へで一線を引く心憎さ。此の命婦(みやうぶ)勿くして、子寳(こだから)も勿し。十二支一囘り若くして、其の老獪な手練れに髙市皇子は痺れた。御卋嗣(およつ)ぎを切望してゐた鸕野讚良(うののさらら)に取つて、嫁の產褥(さんじよく)や孫の養育なぞ二の次三の次、本題は、年每に持病が增える先の勿い草壁王子に、次が有るのか如何(いな)か。其れは流石に此の賢女とて荷が重いと承知で、(かしづ)いてゐる事が末恐ろしい。髙市皇子が草壁王子の樣子を探らうと、遠囘しに鎌を掛けても眉獨つ亂れず、のらりくらりと(はぐ)らかすのでは勿く、逆に禮を盡くす。手强い。然う、二の句の詰まつた處に、病床の大伴が割つて入つた。

 「(それがし)の息災なぞより、(むすめ)の行く末。此の儘、何の後ろ盾も勿い身の上で、(それがし)に若しもの事がと思ふと。」

 此程の妍容(けんよう)を誇つてゐ乍ら良緣に惠まれぬと知つて、髙市皇子は亦候(またぞろ)驚き、此の才媛に奇怪(をか)しな(むし)が附いては爲らぬと直感した。

 「案ずる事勿かれ。」

 髙市皇子は二つ返事で其の緣組みを引き受けると、そつと眼を伏した道代を睨み付けた。譬へ喉から手が出る程慾しくとも、(むし)の息の草壁王子から其の右腕を引き拔いたのでは角が立つ。髙市皇子には心當たりが有つた。先の大亂で大友王子が太宰(おほみこともち)(つかさ)援軍(たすけ)を求めて送つた使ひを、佩刀一閃(はいたういつせん)、門前拂ひにした(しん)()(をとこ)東國(あづま)に迠轟いた其の功名を聞き付け、髙市皇子が召し上げた、太宰(おほみこともち)栗隈王(くりくまのおほきみ)嫡男(よつぎ)美努王(みののおほきみ)こそ相應(ふさは)しい。内通なぞ買つて出る鼠でも勿ければ、此方(こちら)とて斯樣な下心は願ひ下げ。飽く迄、一臂(いつぴ)(ちから)を貸す迠の事。其れが功を奏したのか、蟲の息で在つた草壁王子は待望の嫡男(よつぎ)を授かる事と爲る。然れど其れは、新しい命の產聲(うぶごゑ)では勿く、滅び行く魂の慟哭(どうこく)で在つた。

 

 

 

 白鳳(はくほう)二十三年癸未(みづのとひつじ)、春正月(むつき)甲寅(きのえとら)己丑(つちのとうし)朔、

 

 車駕(おほきみ)、難波宮に(いてま)して、賀正禮(みかとをかみのこと)(みそなは)す。是の日に、車駕(おほきみ)元宮(もとつみや)に還りたまふ。

 

 庚寅(かのえとら)

 

 百寮(もものつかさ)(みかど)(おほには)(ゐやまう)ふ。筑紫太宰(ちくしのおほみこともち)丹比眞人㠀(たじひのまひとしま)等、三つ足の雀を(たてまつ)る。

 

 乙未(きのとひつじ)

 

 親王(みこ)より以下(しもつかた)及びに群卿(まへつきみたち)を、大極殿(おほあむとの)の前に()して宴之(とよのあかり)したまふ。()りて三つ足の雀を()ちてに示したまふ。

 

 

 元日、大海帝が朝賀の儀に參内(さんだい)し、難波宮に(ましま)す竺志の日嗣(ひつぎ)太子(みこ)から賜つた瑞鳥は、(あく)る、飛鳥宮での朝賀の儀の後、山門の王族氏族が(つど)(とよのあかり)御目見得(おめみえ)はした物の、其の經緯(いきさつ)經緯(いきさつ)な丈けに、珍奇な瑞祥を(ことほ)群臣(まへつきみたち)とは裏腹に、大海帝は此の後の(あしら)ひに頭を抱へた。赤烏(あかきからす)太宰(おほみこともち)(つかさ)に獻上された折りも、臘子鳥(あとり)()び、地震(なゐ)の大禍を()び、此の度の瑞鳥も、心を病んだ薩夜蔴を逆撫でするのが眼に見えてゐるが故に、厄介拂ひされた擧げ句、巡り巡つて東國(あづま)(みや)にまで追ひ遣られて來た(いは)()き。魔物に鳥憑(とりつ)かれた薩夜蔴の亂心は寧ろ、靈鳥を賴り、甘えるしか術の勿い、錯誤の()せる(わざ)とは雖も、流石に氣味の良い物では勿い。咒禁博士(じゆこむのはかせ)蔭陽博士(をむみやうのはかせ)を喚び寄せて占筮(めどき)を揮ひ、

 「此の三つ叉の雀、己巳(つちのとみ)の年に難波宮から飛び發たれた白鳳の舞ひ戾つた姿也。早早に元宮(もとつみや)へと遷座し、篤く奉る可し。」

 との卜兆(うたかた)により、竺志の日嗣(ひつぎ)には心苦しいが、出火で立て替へられた大藏省(おほくらのつかさ)、奧の院の(しつら)へを更に改め、鄭重に封じ込めた。其の御藏入りと入れ替はりに日の目を見た、(かす)かな禱命(とうみやう)一雫(ひとしづく)

 草壁王子が阿閇王女に託した御卋嗣ぎの降誕。鸕野讚良(うののさらら)が神佛に拜み倒して待ち侘びた心願成就に、此れで家督安泰かと思ひきや、產婆の取り出した赤子は舘の者達の背筋を凍り付かせた。蒼褪めた四肢に、魂を拔かれた樣な白い御髮(みぐし)を被り、產聲も上げずに阿閇王女の股から埀れ流された塊は、息が有るのやら勿いのやら。

 「不吉な。」

 の一言すら喉を通らぬ、伊邪那美(いざなみ)の初めて宿した水蛭子(ひるこ)の如き(あや)ふさに、珂瑠王子(かるのみこ)(なづ)けられた親王(みこ)は、人目を忍んで御產屋(おんうぶゆや)の祝ひも(ひら)かれず、父にも增して薄弱な星の許に生まれ落ちた。然して、嫡男(よつぎ)の顏を見屆けた草壁王子は、安堵の故か、將亦(はたまた)、男の產褥(さんじよく)か、新しい命に餘力を奪はれたかの如く床に臥せ、仁術に身を委ねる日日を送る事と爲る。此の生き寫しの父子を託されたのが乳母の道代で勿ければ、雙つの命は敢へ勿く燃え盡きてゐたで在らう。果敢勿(はかな)後胤(こういん)の有樣に焙り立てられて、身も卋も勿い鸕野讚良(うののさらら)(なだ)(すか)し乍ら、粘り强く忠實(まめ)やかに草壁王子と珂瑠王子(かるのこみこ)の卋話をする、千手(せんじゆ)の菩薩の如き(たへ)なる獻身。()()の榮達に鳥憑(とりつ)かれた亡者と、安らかな眠りを只管(ひたすら)求める雛鳥の斷絕は旣に始まつてゐた。親と子で別の夢を見る、此の不幸な(えにし)を繫ぎ止める爲、手を取り合つて介抱に努める道代と阿閇王女。瞬く閒に年は明け、咲く花の移ろひを顧みる(いとま)も勿く過ぎていつた、其の最中(さなか)

 

 朱雀(すざく)元年(はじめのとし)甲申(きのえさる)、十月乙亥(きのとゐ)己卯(つちのとう)壬辰(みづのえたつ)

 

 

 人定(ゐのとき)(いた)りて、大きに地震(なゐ)ふる。(くぬち)(こぞ)りて、男女(をのこをみな)叫唱(さけ)びて不知東西(まど)ひぬ。(すなは)山崩(やまくづ)河涌(かはたぎ)ちて、諸國(もろもろのくに)(こほり)官舍(つかさのやすかり)、及び、百姓(おほみたから)倉屋(くらや)寺塔(てらのたう)神社(かむやしろ)、之れ破壞(こほ)てる(たぐひ)あげて(かぞ)ふること不可勝(たふべからじ)(これ)()りて、人民(おほみたから)、及び、(むくさ)(けもの)(さは)()死傷(そこな)はれり。時に伊豫(いよ)湯泉()(うづも)れて不出(いでず)土左國(とさのくに)田菀(たその)五十餘萬頃(いそよろづしろあまり)(しづ)みて海と爲りぬ。古老(おきな)()へらく、若是(かか)地震(なゐ)未曾有(いまだいむさきにはあらじ)也。

 是の夕べ、鳴る(おと)(つづみ)の如く有りて、(ひむがし)の方に聞こゆ。有る人の(まう)せらく、伊豆㠀(いづのしま)西北(にしきた)二面(ふたおも)自然(おのづ)から三百餘丈(みほつゑあまり)增益()して、更に一つの(しま)と爲れり。(すなは)ち鼓の如き音()、神の是の(しま)を造れる響き也。

 

 

 (のち)()に白鳳大地震と呼ばれる大禍は、伊豫(いよ)粟國(あはのくに)木國(きのくに)伊卋(いせ)遠水海(とほつあふみ)珠流河(するが)出豆(いづ)相摹(さがみ)の天地を(くつがへ)し、罪の勿い百姓(おほみたから)崩土(ほうど)の下敷きにして灰燼(くわいじん)の山を築いた。途轍も勿い凶威の版圖(はんと)如何(いか)に推し量れと云ふのか、氣が遠くなる末卋(まつせ)の全望。蹉跎岬(さだのみさき)から廐崎(うまやざき)に到る(はやせ)(たけ)り、津波が土左(とさ)浦里(うらさと)を呑み、熊野の河を遡つて、其の激甚は群峰を盾とする飛鳥の地に迠達した。戊寅(つちのえとら)の年に竺志を(こぼ)ち、地の底に(おとし)めた大地震(おほなゐ)から、十二支の半ばを過ぎた許りで此の七難苦厄(しちなんくやく)。神も佛も()(おほ)せぬ阿鼻叫喚に、罹災した難波宮を指差して、大藏省(おほくらのつかさ)に鎖ぢ込められた三つ叉の雀が、()はれの勿い幽居に(あらが)つてをられるのだと、()()れた者達は街談巷語(がいだんかうご)を卷き上げ、寺を失つた僧侶が天裁を仰ぐ。

 「度重なる大禍は(まつりごと)の儘ならぬ證し。此の前代未聞の奇禍(きくわ)に限らず、疫氣(ゑのやまひ)戰亂(いくさ)も總ては海表(わたのほか)に通ずる倭國(ゐこく)から(もたら)されて來た凶事(まがごと)也。幾度と勿く繰り返され、東國(あづま)に押し寄せる(のろ)はれし扶桑の(たた)りを何と爲る。白鳳、朱雀に御伺ひを立ててみるが良い。竺志から送られた珍鳥なぞ瑞鳥に非ず。火の鳥の化身にして諸惡の根源(みなもと)。卽刻、九州の火山(ひやま)に歸す可し。」

 命辛辛(いのちからがら)(てい)で道端に(うずくま)る疲れ切つた者達の頭上を往き交ふ、荒唐無稽な云ひ掛かり。怒りの矛先すら()()れた()(かぶ)れの雜言の他に、咲く花も勿ければ、口を聞く氣力も勿い。平時なら眉を(しか)めるで在らう、何處(いづこ)(はふ)り出されるとも知れぬ斯樣な飛語に、眼の色を變へる女が獨り。

 「火の鳥とは(まこと)か。」

 神妙な面持ちで尋ねる鸕野讚良(うののさらら)に、美努王(みののおほきみ)()を宿した身重の道代は其の(ほとぼ)りを醒ます爲、僻目(ひがめ)(かし)母心(ははごころ)(しづ)かに(ただ)した。

 「(しも)(かた)御耳汚(おみみよご)しで有りませう。」

 一向に立ち直る見込みの勿い草壁王子の容態に心を碎いて幾春秋(いくしゆんじう)。此の儘、(やまひ)(しとね)(いつ)(すみか)に爲るのかと、袖に眼を伏して淚を隱す埀乳根(たらちね)の藁にも(すが)(おも)ひが、不死の魔力に鳥憑(まりよく)かれた。

 「火の鳥の生き血さえ手に入れば。」

 然う(ひと)()ちる、浮はの空の鸕野讚良(うののさらら)に聞く耳なぞ勿い。

 「(みかど)は火の鳥を隱してをられる。」

 と繰り返す恨み言を(いと)はず、道代は我が身を(なげう)つて寄り添ひ、苦しみを()かち()ふ事で、少しでも其の迷ひを解かうと務めた。積年の勳功の甲斐も有り、八色(やしき)(かばね)を上から數へて三番目に當たる、宿禰(すくね)(なの)る事を父、縣犬養連大伴(いぬかひのむらじおほとも)が許され、公卿(まへつきみ)の仲閒入りを果たさうと、道代の獻身に驕りも僞りも勿い。物に當たるのなら物と爲り、猜疑の虜とあらば濡れ衣と爲り。一心一體を成して血を通はせる。其の物狂ひを遠卷きに眺め乍ら、次の策を練る漢が復た獨り。御卋嗣ぎの命と皇位に總てを(なげう)ち、餓鬼道に墮ちた鸕野讚良(うののさらら)藻搔(もが)けば藻搔(もが)く程、絡み取られる傀儡(くぐつ)(いと)を不比等は手繰り寄せていく。鳥憑かれた者同士の合はせ鏡で亂反射する脂ぎつた闇。其の狹閒を竺志の驛馬(はゆま)が驅け拔けた。

 

 

 太宰府(おほみこともちのつかさ)、三つ足の赤雀(あかきすずめ)(たてまつ)る。仍りて年號と爲す。

 

 

 扶桑(ふさう)の天子から(くだ)された瑞祥改元(ずいしやうかいげん)數珠繫(じゆずつな)ぎの大禍を(しづ)め、其の犧牲(いけにへ)と爲つた者達を(とぶら)ふ、災異改元の願ひも籠めて、朱雀(すざく)と銘打たれた新しい年の始まり。白村江(はくすきのえ)の慘敗、唐土(もろこし)(いくさ)の倭國進駐、壬申(みづのえさる)の大亂と、區切りの付かぬ戰火に飜弄され、二十三年と云ふ長きに(わた)り、風雲雷鼓に耐へ拔いた白鳳年號の、餘りにも唐突な終焉に、見覺えの有る宸翰(しんかん)(したた)められた大言宣(おほみことのり)を廣げて、大海帝は嗚咽(をえつ)を禁じ得ず、薩夜蔴と自らの數奇な半生を重ね合はせた。佰官(もものつかさ)に改元の手筈を(おぼ)()し、禁裡(おほうら)入御(にゆうぎよ)して(ひと)(みつ)める朱雀の二文字。此の期に及んで、未だ、去る歲に獻上された化鳥を持ち出すとは。驛使(はゆまづかひ)の話しに據ると、竺志の(みかど)は、

 「火の鳥に卷かれて燒身往生(せうしんわうじやう)を。」

 と、譫言(うはごと)を繰り返し、夢魔幻妖に(うな)されてゐると云ふ。嘗て明日香(あすか)太子(みこ)と讚へられた飛べ勿い鳥の皮肉に、返禮(へんれい)の筆を執る事すら出來勿い。珍獸を瑞祥と()ふか、不吉と畏怖(ゐふ)かは紙一重。靈鳥を憎み、(のろ)ひ、(あが)め、倭國の護り神の奇跡を待ち續ける薩夜蔴の煩惱が、最早、(いと)ほしく、天下に雅俗の(しな)有りとは雖も、人の卋は()()く處、悲しく、然して、美しい。常色(じやうしき)の海幸彥と山幸彥と呼ばれた榮華が、散る花の円舞に霞む物の哀れ。遙か彼方の祖國に殘した兄弟統治の半身半雙(はんしんはんさう)に立ち直る望みが勿いと悟り、張り詰めてゐた神氣の解けた大海帝は、性根を引き拔かれた樣に手足が萎え、床に伏せては(ふすま)を返す餘力も次第に失せていつた。然して、迎へた、

 

 

 朱鳥(しゆてう)元年(はじめのとし)乙酉(きのととり)、春正月(むつき)己丑(つちのとうし)壬寅(みづのえとら)

 

 難波宮で竺志の日嗣(ひつぎ)太子(みこ)元日(あたらしきとし)賀正事(よこと)(まう)す、朝賀の儀に參内(さんだい)した、(あく)る、

 

 癸卯(みづのとう)

 

 大極殿(おほあむどの)(おほましま)して、(とよのあかり)諸王卿(おほきみたちおほまえつきみたち)に賜ふ。

 

 迠は、何とか持ち堪へてゐた物の、

 

 乙卯(きのとう)

 

 酉時(とりのとき)に、難波の大藏省(おほくらのつかさ)失火(みづながれ)して、宮室(おほみや)(ことごと)()ゆ。或るには()はく、

 

 阿斗聯藥(あとのむらじくすり)の家に失火(みづながれ)して、宮室(おほみや)に之れ引及(ほびこ)る。唯、兵庫(つはものくら)(つかさ)不焚(もえず)

 

 

 年が明けて半月と經たぬ()()つに、難波宮が大火に因り燒失。其れも瑞鳥を鎖ぢ込めてゐた大藏省(おほくらのつかさ)からの出火との一報に、大海帝は三つ叉の雀の行方を追はせたが、無論、跡形も勿い。太宰府(おほみこともちのつかさ)と難波宮、東西の據點(きよてん)を共に失つた倭國の痛手。薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)、竺志の日嗣(ひつぎ)太子(みこ)と參種の神璽(しんじ)を飛鳥宮に抱へ込み、新しい宮の造營を急がねばならぬ窮狀も()事乍(ことなが)ら、亦しても禍事(まがごと)の裏で(ひるがへ)化鳥(けてう)の影。果たして、消えた竺志の瑞鳥は九州の火山(ひやま)に歸つたのか。倭國の護り神と呼ばれた火の鳥で存つたのか。得體(えたい)の知れぬ靈鳥の魔力に身も心も搔き亂されて、(みかど)生魂(みたま)安和(やすらか)なる事を得ず、さ迷う邪念の千鳥足は異境の(いばら)に絡み取られて、常夜(とこよ)(しとね)へと引き擦り込まれていくと、枝の上で(ささや)()はす小雀か、宵闇に喚き合ふ烏か、扶桑の(みやこ)で臥せる薩夜蔴も復た共鳴し、其の(かす)かな(いき)()は途切れていつた。兄弟統治の片身と片身が死の床で初めて獨つと爲つた悲哀。常色(じやうしき)の海幸彥と山幸彥が倭國(ゐこく)東國(あづま)(ふた)つ枕で體不豫(みやま)ふ嘗て勿い大事と在つて、除病平癒の加持祈禱(かぢきたう)に明け暮れる天下(あめのした)。兄弟統治の天子が背負ふ打ち破れた雙翼(さうよく)を支へ、衰弱の一途を辿る容體(ようだい)を押し畱め樣と、渾心の大勤行が木靈(こだま)する。

 

 

 五月(さつき)甲午(きのえうま)庚子(かのえね)癸亥(みづのとゐ)

 

 天皇(すめらみこと)、始めて體不安(あつしれ)たまふ。因り以ちて川原寺(かはらでら)に於いて藥師經(やくしきやう)を說かしめたまふ。宮中(おほみやのうち)安居(あんご)せしむ。

 

 戊辰(つちのえたつ)

 

 金智祥(キムシチヤウ)等を筑紫に(みあへ)したまひて、碌賜(ものたま)ふこと(おのもおのも)(しな)有り。(すなは)ち筑紫()退之(まかりかへ)る。是月、(みことのり)のりたまひて左右(もとこ)大舍人(おほとねり)等を遣りて、(もろもろ)の寺の堂塔(だうたう)を掃き淸めたまふ。(すなは)ち大きに天下(あめのした)(つみゆる)したまひて、囚獄(ひとや)(すで)(むな)し。

 

 六月(みなづき)甲午(きのえうま)己巳(つちのとみ)戊寅(つちのえとら)

 

 天皇(すめらみこと)(みやまひ)(うらな)ふに、草薙劍(くさなぎのつるぎ)(たた)れり。卽日(そのひ)に尾張國熱田社(あつたのやしろ)に送り置きたまふ。

 

 甲申(きのえさる)

 

 伊勢王(いせのおほきみ)及び官人(つかさ)等を飛鳥寺に遣りて、(もろもろ)(ほふし)(みことのり)して(いは)く、

 近者(このごろ)()(みみ)不和(やくさ)む。願はくは三寳(さんぽう)(かしこきみたまのふゆ)を賴りて、以て身體(みみ)安和(やすら)けきことを得しむと(おもほ)す。是れを以て、僧正(そうじやう)僧都(そうづ)及びに(もろもろ)(ほふし)は、誓願(こひちか)()し。

 (すなは)珍寳(めづらしきたからもの)參寳(さんぽう)に奉る。

 

 

 髙熱で(うな)され續ける大海帝と一心に念佛を唱へる尼子娘(あめこのいらつめ)を、暖簾(のんれん)(しろぎぬ)越しに窺ひ乍ら、鸕野讚良は數珠を握り込んだ片袖を()み、込み上げる咒詛(ずそ)と愉悅を堪へ續けた。旣に除病平癒と西方浄土の見境勿き大勤行。皇后は好きな丈け拜ませて措けば良い。此處から先に待ち受ける大局。其の壹點(いつてん)に皇貴妃が心を(ひそ)めると、舘に推參しては耳言(みみごと)を繰り返す不比等の(はかりごと)和毛(にこげ)を逆撫で、背筋から襟足へと這い上つて來る。

 「竺志と山門、貳柱(にはしら)(みかど)が時を同じくして體不豫(みやま)ふとは。此れを天機と呼ばずして何物に例へられませう。宸儀(しんぎ)不安和(やすらかならぬ)のは(ゆゑ)有り。皇倒は國難に(あら)ず。君主として有る可き五德が失はれ、易姓が(あらた)まる(とき)音連(おとづ)れ。卋は有德の聖者(ひじり)を待ち侘びてをります。(かばね)()すか(かばね)()るか。今こそ、竺志の外樣(とざま)(けが)された、山門の古道を拂ひ淨め、一心に貫く(わか)(みち)。總ては御妃(おきさき)御心(みこころ)獨つで有りませう。」

 竺志と山門の天子亡き後の混亂に乘じる可し、と(そそのか)す不比等の危ふい甘言で、草壁王子の果敢勿(はかな)き命脈を繫ぎ止める鸕野讚良(うののさらら)。藤かかりぬる木は枯れぬるものなり、と(うた)はれた蔓草が賴みの綱とは卋も末。其れを承知で自ら闇に(すが)()く鬼子母の裾を摑んで放さず、逢魔(おうま)の手前で必死に食ひ止める道代の犬馬(けんば)(らう)こそが、最後の賴みの綱で在つた。

 「(みかど)の御容體が。」

 己の念佛に()()れてゐる皇后に代はつて、(しろぎぬ)から(ほふし)(くすし)が浮かぬ顏を出した。愈愈(いよいよ)、潮時を迎へたかと思ひきや、死太(しぶと)現卋(うつしよ)に齧り付いてゐる(みかど)に、今直ぐ止めを刺して遣り度い念ひと、猶一層、苦しませて遣り度い念ひが入り亂れる鸕野讚良(うののさらら)は、

 「白湯(さゆ)でも(すす)らせておけ。」

 と聲を殺して撥ね除けた。取り持ちに窮した(ほふし)は御妃の威迫に()され、怪訝な面持ちで恐る恐る御伺ひを立てる。

 「時に、史書(ふひと)如何(いか)にと。舊辭(きうじ)編纂(まとめ)如何(いか)にと。」

 (みかど)譫言(うはごと)に不意を打たれた鸕野讚良(うののさらら)は、「ふひと」と云ふ胡亂(うろん)な響きに(をのの)き、

 「未だ道半ばにしてと申せ。」

 「(しか)と。」

 肚の底を探られた怖氣(おぞけ)を足蹴に其の場を立つた。今更、彼の死に損なひに何を臆する事が有らう。蘇我の宗家を討ち滅ぼして母を物狂ひにした父に養はれ、其の(あだ)を討つ男の許に輿入れした巡り合はせに、親も勿ければ夫も勿い。己の腹を痛めた我が兒の他に、何の身の内が有る物か。竺志で()らうと山門で()らうと、人の情けを知らぬ殿上人(てんじやうびと)達に手心なぞ無用。譬へ來卋を迎へても、拭へぬ(むく)ひを受けるが良い。()(たぎ)る遺恨を臨終の(はなむけ)に殘して、鸕野讚良が舘に戾ると、道代は入れ違ひで不比等の歸つた旨を報せ、其の言傳(ことづて)は敢へて伏せた。

 體良(ていよ)く追ひ拂つた事を噯氣(おくび)にも出さずに(かしこ)まる、命婦頭(みやうぶがしら)(したた)かさと奧床しさ。不比等に(まと)はり附かれ、かと云つて無下(むげ)にも出來ぬ、背反、相渦卷(あひうづま)()()に、押し流される御妃を(おもんばか)り、道代は(つね)曲者(くせもの)の先手を取つて、拔け目の勿い僭越(せんえつ)を無言で(たしな)めた。彼の男の烱烱(けいけい)とした威妖な風貌。心の隙閒に忍び入る物腰と方便。然して、情理で割り切れぬ其の奇想。

 「御妃は火の鳥を御所望との事。」

 なぞと、子を(おも)ふ親の心を平然と惑はして睨み付け、微動だにせぬ彼の膽力(たんりよく)は如何にして養はれたのか。人の弱みに火を點けて邪氣を炙り出し、祕めた力を喚び覺ます魔性の巧み。不比等を舘に迎へる度に彌增(いやま)す、其の身に纏つた怪異と神祕に惹き込まれていくのを道代は不認不得(みとめざるをえず)、況して、(こと)()(こじ)れた、情趣(おもむき)の危ふい御妃は迷信咒物(めいしんじゆぶつ)(とりこ)。彼の男の甘言勿くして殿上(でんじやう)の優姿を支へ切れぬのも亦、獨つの()(ごと)。不比等とは一體、何者なのか。榮耀榮華(えいえうえいぐわ)懸想(けさう)に我を忘れた俗物と、星の數程相對(あひたい)する宮仕への身に在つて、全く底の知れぬ異物の中の傑物。

 

 

  立ち寄らむ ()のもともなき 藤の身は

    ときはながらに 秋ぞかなしき

 

 

 と去り際に置き捨てる不比等に、

 

 

  藤の花 色のあさくも 見ゆるかな

    うつろひにける なごりなるべし

 

 

 と差し戾すのも口惜(くちを)しく、

 「氣の早い事。」

 と失笑に(とど)め、下手に返して足許を掬はれぬやう自戒する道代の意氣地。其の裏に囘はつて渡り合ふ賢母の心遣ひを、鸕野讚良(うののさらら)は安堵とも失意とも取れぬ吐息で濁し、そそくさと奧へ下がつた。向かふは此處でも(しろぎぬ)一畵(いつくわく)瘴氣(しやうき)を帶びた暖簾(のんれん)から暖簾(のんれん)へと、愛憎の(しとね)を行き交ふ遣る瀨勿さ。

 「(みかど)は。」

 と宿痾(しゆくあ)()してをき乍ら父の快方を望む健氣な草壁王子に、彼の死に後れより先に息が上がつて如何(どう)する、己の養生に努めよと(けしか)ける譯にも行かず、不憫な嫡男(よつぎ)に淚を堪へ、神佛の加護を賴るより他に術が勿い。產褥を物ともせぬ阿閇王女(あへのみこ)に、晚雪を(いと)はぬ梅花の如く咲き誇る氷髙内親王(ひだかのひめみこ)と、何故(なにゆゑ)、女許りが息災に惠まれ、若宮の命脈は()くも(つたな)いのか。此れも前卋の罪科と云ふのなら、己の一身で(あがな)ふ物を。(あへ)いで勿ければ(ふすま)を掛けた倒木に等しい()()を、()して(なほ)、見下ろしてゐる事すら恨めしい。千載一遇の天機を前にして、決起する處か、寢返り獨つ儘爲(ままな)らぬ無念。()なぎだに、人竝(ひとな)みの果報を望む事すら叶はぬ身で()(なが)ら、求めて止まぬ登極(とうきよく)の裏口に鸕野讚良(うののさらら)切齒扼腕(せつしやくわん)する許り。淸雅な日日では飽き足らぬ、今生(こんじやう)冥利(みやうり)の頂に鳥憑(とりつ)かれた母の妄執。其の大願が行き著く處で在る筈の、遙かなる禁裡(おほうら)夜殿(よどの)で、雲上から突き落とされた天子が獨り。跡切れ勝ちな夢路を搖蕩(たゆた)ふ薩夜蔴は、薬師(くすし)の施術と問ひ掛けに(こた)へる氣力も勿く、()()めの勿い隨想に身を委ね、悄然と最期の刻を迎へてゐた。

 死とは畢竟(ひつきやう)、里山に敷き詰められた枯れ葉の獨片(ひとひら)。數有る煩惱(ぼんなう)の獨つにして、息の有る内は手を觸れる事すら敵はぬ異相の觀念。見た事すら勿い物を恐れる心の迷ひが垣間見る幻の產物に、神も佛も火の鳥も勿い。神代に遡る天孫(あめみま)も、海表(わたのほか)凱傳(がいでん)も、倭氏(ゐし)阿每氏(あまし)と承け繼いだ王道も、日出(ひいづ)扶桑(ふさう)(みやび)倭國(ゐこく)も、卷子(くわんし)で積み上げた()にし()(ふひと)も、總ては勿き事を理を以て有りげに(のたま)ふ空論。吹けば飛ぶ胡蝶(こてふ)鱗粉(りんぷん)()かずして、倭國(ゐこく)から東國(あづま)を股に掛ける大勤行(だいごんぎやう)(かはづ)の夜鳴きに紛れて遠退(とほの)いていく。失意の天王(あまきみ)が、身朽ち果てて、(ようや)く辿り著いた永永無窮の安寧。禪讓(ぜんじやう)(みことのり)御遺誡(ごゆいかい)も勿く、常色(じやうしき)の山幸彥は、復興、未だ半ばにも至らぬ竺志の(みやこ)で、(しづ)かに波亂の曆數(れきすう)()ぢた。

 

 

 丁亥(ひのとゐ)

 

 (みことのり)(したま)ひて、佰官人(もものつかさ)達を川原寺(かはらでら)に遣りて燃燈供養(ねむとうくやく)爲す。()りて、大齋(おほきにおがみ)(したま)ひて、悔過(くゑくわ)(なり)

 

 丙申(ひのえさる)

 

 法忍僧(ほふにむほふし)義照僧(ぎせうほふし)に、(おい)を養はむが爲に(おのもおのも)(ふこ)卅戶(みそへ)をたまふ。

 

 七月(ふみつき)乙未(きのとひつじ)己亥(つちのとゐ)庚子(かのえね)

 

 是の日、僧正(そうじやう)僧都(そうづ)等、宮中(おほみや)參赴(まゐおもぶ)きて悔過(くゑくわ)す。

 

 辛丑(かのとうし)

 

 (もろもろ)の國に(みことのり)したまひて大解除(おほはらへ)せしめたまふ。

 

 壬寅(みづのえとら)

 

 天下(あめのした)調(みつき)(なか)(ゆる)せ、()りて(ことごと)傜伇(えたち)(ゆる)せ。

 

 癸卯(みづのとう)

 

 紀伊の國に()國懸神(くにかかるのかみ)、飛鳥の四はしらの(やしろ)、住吉の大神(おほかみ)(みてぐら)を奉る。

 

 丙午(ひのえうま)

 

 一百(ももたり)(ほふし)に請ひて金光明經(こむくわうみやうきやう)宮中(おほみや)で讀ましめたまふ。

 

 癸丑(みづのとうし)

 

 (みことのり)のりたまひて(いは)く、

 

 天下(あめのした)之事、大き小きを不問(とはず)て、(ことごと)皇后(おほきさき)及びに皇太子(ひつぎのみこ)(まを)せ。是の日、大きに赦之(つみゆるしたま)ふ。

 

 丁巳(ひのとみ)

 

 (みことのり)のりたまひて(いは)く、

 

 天下(あめのした)百姓(おほみたから)貧乏(まづしさ)()りて、(しね)及びに貨財(たから)(いら)へてある者は、乙酉(きのととり)の年十二月(しはす)卅日(みそか)より以前(さかつかた)は、公私(おほやけわたくし)不問(とはず)て皆免原(ゆる)せ。

 

 戊午(つちのえうま)

 

 (ぐゑん)を改めて朱鳥(あかみとり)元年(はじめのとし)()ふ。

 

 朱鳥(しゆてう)、此れを阿詞美苔利(あかみとり)と云ふ。

 

 丙寅(ひのえとら)

 

 (きよ)行者(おこなひびと)七十人(ななそたり)()りて以ちて出家(いへで)せしむ。(すなは)ち、宮中(およみや)御窟(みむろ)(かき)設齋(をがみ)す。是の月、(もろもろ)(おほきみ)(おみ)等、天皇(すめらみこと)(みため)觀音(くわんおむ)(みかた)(つく)りまつりて、(すなは)觀卋音經(くわんぜおむきやう)大官大寺(だいくわんだいじ)におきて說かしむ。

 

 

 祖神(おやがみ)の御導きに因り、扶桑の天子は髙御座(たかみくら)の更なる高みへと旅立たれ、薩夜蔴の大法要に天下(あめのした)は明け暮れた。淚雨の梅霖(ばいりん)は何時しか蟬時雨(せみしぐれ)と爲つて降り注ぎ、東國(あづま)大伽藍(だいがらん)も亦、内陣外陣、耳を聾する千僧讀經(せんそうどきやう)大御聲(だいおんじやう)。其の天孫(あめみま)の菩提を弔ふ、引きも切らさぬ念佛に背を向け、髙市皇子は(みかど)の臨終に備へ、禁裡(おほうら)の裏方に身を(ひそ)めた。竺志の天王(あまきみ)亡き後の、空位に色めく(まつりごと)如何(いか)に執り成す可きか。(みかど)(たま)()が途絕えぬ内に道筋を附けねば(わざは)ひの元。手付かずの儘、大地震(おほなゐ)の瓦礫と倶に山積みの無理難儀。薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)踐祚(せんそ)するにしても德が足らず、參種の神璽(しんじ)を携へて歸京させるにしても、太宰(おほみこともち)(つかさ)は未だ假の住まひ。御占卜(ごせんぼく)に從ひ、熱田(あつた)(やしろ)に遷座した草薙(くさなぎ)(つるぎ)も、其の祟りは解けたのやら、解けぬのやら。斯うなると、片翼の()げた天子で貳國(にこく)()べるのは至難の業。髙市皇子が竺志に上洛し、山門は山門、猿山は山猿に任せる可きか。然れど、大津王子では其の荷は重く、旣に謀叛の影が幾重にも(ひらめ)いて、()れが敵やら味方やら。況して、白鳳の大禍に疲弊した百姓(おほみたから)(すく)ふ德政令で、貸し倒れとなる王族氏族が溫和(おとな)しく煮え湯を呑む譯が勿い。其れを御稜威(みいつ)で通すのが天下(あめのした)の差配。土著(どちやく)の豪族に債務を被せて其の力を削ぎ、抑へ込む。天王(あまきみ)の大喪、此の節目を逃して赦免の大鉈(おほなた)を揮ふ好機勿し。未だ息の有る大海帝に決裁を促し、其の譫言(うはごと)に耳を傾ける髙市皇子。(うつ)ろな物云ひを言質(げんち)とした後の責めを負ふのは止むを得ぬ。總ては竺志の復興と蕃屛(まがき)の統制、其の兩立を果たすが(ゆゑ)鬼手佛心(きしゆぶつしん)此以後(これをもつてのち)(みかど)は山門の者を夜殿(よどの)に寄せ附けず、今際(いまは)(きは)の浮はの空で、常色(じやうしき)の山幸彥の大往生を知つた海幸彥は、薩夜蔴の(さち)を取つて百柱の菩薩像を宮内(おほみや)に奉安し、明日香の太子と讚へられた(おもかげ)を忍び、年號を朱鳥に改めよ(かす)かに(のたま)ひ、天下(あめのした)に布されると、倭國の護り神に導かれ、霏霺(たなび)く鳳尾の後を追つた。

 

 

 八月(はづき)丙辰(ひのえたつ)己巳(つちのとみ)朔、

 

 天皇(すめらみこと)(みため)に、八十(やそたり)(ほふし)(いへで)せしむ。

 

 庚午(かのえうま)

 

 (ほふし)(あま)(あはせ)一百(ももたり)(いへで)せしむ。()りて()ちて、(もも)はしらの菩薩(ほざつ)宮中(おほみや)()ゑしめて、觀卋音經(くわんぜおむきやう)二百卷(ふたほまき)を讀ましむ。

 

 丁丑(ひのとうし)

 

 天皇(すめらみこと)體不豫(みやまひ)が爲に、(あまつかみ)(くにつかみ)(いの)りまつる。

 

 

 九月(ながつき)丁酉(ひのととり)戊戌(つちのえいぬ)辛丑(かのとうし)

 

 親王(みこ)より以下(しもつかた)諸臣(おほまへみつき)まで(いたる)に、(ことごと)川原寺(かはらでら)(うごなは)りて、天皇(すめらみこと)(みやまひ)の爲に誓願(ちかひこひねが)ふ。

 

 丙午(ひのえうま)

 

 天皇(すめらみこと)(みやまひ)遂に不差(いえ)たまはず。正宮(おほとの)(かむあがり)したまふ。

 

 戊申(つちのえさる)

 

 始めて(みね)(たてまつ)りて、(すなは)南庭(みなみのおほには)(あらき)(みや)()たす。

 

 辛酉(かのととり)

 

 南庭(みなみのおほには)(あらき)しまつりて、(すなは)(みね)()こしまつる。(まさ)に是の時に、大津王子、皇太子(ひつぎのみこ)謀叛(かたぶけむとしまつる)

 

 

 

 

  やすみしし ()大君(おほきみ)の 夕されば 見したまふらし 明け來れば 問ひたまはし 神嶽(かむをか)の 山の黃葉(もみぢ)を 今日(けふ)もかも 問ひたまはし 明日もかも 見したまはまし その山を ()()け見つつ 夕されば あやに悲しび 明け來れば うらさび暮らし 荒栲(あらたへ)の 衣の袖は ()る時もなし

 

  燃ゆる火も 取りて包みて 袋には

    ()ると言はず 八面智男雲(やもちのをくも)

 

  北山に たなびく雲の 靑雲の

    星離れ行き 月を離れて

 

 

 介添へに抱へられて(あらき)(みや)臺臨(たいりん)した草壁王子は、今生(こんじやう)(つゑ)(たて)で存つた(みかど)御遺形(ごゆいぎやう)に泣き崩れ、忠臣縣犬養宿禰大伴(あがたいぬかひのすくねおほとも)(しのびごと)で奉つた竺志の(おくりな)、|天渟中原瀛眞人天皇《あめのぬなかはらおきのまひとのすめらみこと》を、遊部(あそびべ)の名家、柿本朝臣人丸が(おごそ)かに(たてまつ)る一卋一代の挽歌を搔き消し、喪主の髙市皇子を差し措いて、位階を(わきま)へず(ひつぎ)(すが)る醜態に、參列者は眼を疑つた。初めて執り行はれる發哀(みね)(ゐや)とは云へ、身も卋も勿い其の慟哭(どうこく)(みかど)(いつく)しみに(あづか)る處か、母子共に(うと)んじられた境涯で()(なが)ら、人目を憚らぬ前後不覺の憐慕の激情に、控へてゐた哭女(なきめ)は役目を奪はれ、常色(じやうしき)の海幸彥と山幸彥、薩夜蔴と大海人の貳君(にくん)に仕へた(ほま)れに報ひる可く、稀代の歌聖(うたのひじり)が身も心も(つつし)んで臨んだ、竺志の正統な魂振(たまふ)りに泥を塗り、蕃屛(まがき)弔使(つかひ)ですら喪屋(もや)の外に座を外して呆れる始末。(むし)(いき)で驅け附けた草壁王子の事故(ことゆゑ)、周りは寬大に(じよ)してはゐる物の、(あたか)も、遺族の慰めと(はげ)ましを一身に(あつ)める企みの樣で見苦しく、髙市皇子も其の(うつ)けの所業に、本人が評判を落とす丈けと人丸を(ねぎら)ひ、、目抉(めくじ)らを立てる事も勿く受け流した。今は、己の足で舘に歸れぬ粗忽者(そこつもの)を相手にしてゐる場合では勿い。旣に、(もがり)を勤める其の裏で、(みかど)を偲ぶより跫音(あしおと)を忍ぶ、良からぬ動きの彼是(あれこれ)(ふた)つの(おもて)を使ひ別ける小賢(こざか)しい有象無象の(はかりごと)と比べれば、草壁王子の空泣きなぞ他愛の勿い俳優(わざひと)。見え透いた同情で(まつりごと)(まと)まるのなら、外征を忌避した淡海帝も水底(みなそこ)に眠る事は勿かつたらうに。竺志の日嗣(ひつぎ)で存る髙市皇子は庶子(みこ)戲事(ざれごと)から眼路を切り、參列者の不穩な氣振(けぶ)り、素振りを見逃すまいと、餘念を廢し哨戒に徹した。素服(そふく)()(やつ)して肅肅(しゆくしゆく)(つら)なる、(うやうや)しく取り澄ました禮法と格式。獨り獨りの眼の色を探る詮議の堵列(とれつ)。其の末尾で、

 

 

   (をろち)と犬と相交(つる)めり。

    (しばらく)ありて(とも)に死せり。

 

 

 と諷刺(わざうた)苦遊(くゆ)らせる、男在りけり。

 「()らぬと爲ると、誰しも()しい人に見えてくる物よ。

 

 

  兩頭倶截斷  兩頭 (とも)截斷(せつだん)

  一劍倚天寒  一劍 天に()つて寒し

 

 

 時の裁きに屈した其の無念。(ふひと)に名を刻まれるのも果報か將亦(たはまた)、國辱か。失政と大禍で行き倒れた下下(しもじも)の者と、彼の卋で答へ合はせをしてをる頃で在らう。」

 不比等は舌の上で(まろ)毒白(どくはく)を呑み下すと、神妙な假の(おもて)を被り直して威儀を正し、其れ其れの思惑が絡み合ふ位階の序列に足竝(あしな)みを揃へた。

 

 

 

 竺志の天子と山門の(みかど)(ふた)つの空位を如何(いか)に執り計らふ可きか。兄弟統治の兩翼を一度に失ひ、貳柱(にはしら)の遺志を獨りで背負ふ髙市皇子は搖れてゐた。荒廢した竺志の磐石を期す爲に自ら上洛し、陣頭を(ひき)ゐて指揮に當たるのは望む處。阿每(あま)氏の本貫こそ己の本分。山門の王位を讓る事に(やぶさ)かでは勿い。然れど、東國(あづま)の飛鳥で眼を光らせてゐ勿ければ、山猿を再び野に放す事と爲り、薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)太宰(おほみこともち)(つかさ)()ゑたとしても、鳳輦(ほうれん)(いただき)(かざ)るのが雛鳥では()()られるのが眼に見えてゐる。

 「何處(いづち)かもせぬ。」

 と(ひと)()ち、倭國再興の爲に下向したは良い物の、知らぬ閒に竺志と山門の狹閒で身動きの取れぬ髙市皇子。其處に、此の國の大事を迎へて吉野の會盟(くわいめい)を今一度、血束(けつそく)す可しとの申し入れ。

 「亦、此の者達か。」

 (あるじ)勿き禁裡(おほうち)(つど)ひ、(かしこ)まる面面に、佩刀(はいたう)を預けず參内した主賓は、宿痾(しゆくあ)()せる草壁王子を除いた白白しい庶子(しよし)郞黨(らうたう)睥睨(へいげい)し、一瞥で鸕野讚良(うののさらら)と大津王子の共謀を見拔くと、鞘で床を獨突(ひとつ)きし、轟く殿中に腰を下ろした。蚊虻(ぶんばう)の寄せ集めが何を企むのか。御手竝(おてな)み拜見と許りに、結跏趺坐(けつかふざ)に構へた日嗣(ひつぎ)太子(みこ)。其の御前(みまへ)に有志より選ばれた大津王子が(おもむろ)に進み出る。

 「此の度の、竺志と山門の(みかど)衾褥(きんじよく)(なら)べ、(かむあが)りした奇禍(きくわ)に、吾等、蕃屛(まがき)臣下(やつがれ)(おそ)(をのの)き、百姓(おほみたから)の心は(みだ)れてをります。僭越(せんえつ)乍ら、度重なる大禍も、詰まる處、天の戒めでは在りますまいか。此處は一先づ髙御座(たかみくら)御玉(みたま)を据ゑず、今は亡き先帝(さきのみかど)後宮(うしろのみや)()てて、暫く樣子を見ては如何(いかが)かと。」

 「御靈(みたま)()(しろ)後宮(うしろのみや)を据ゑ、此の儘、寳祚(ほうそ)を空けて爲政(まつりごとをな)せと。」

 「其の甲乙の伺ひを立てる可く、占卜(せんぼく)(しつら)へも整へてをります。」

 「太占(ふとまに)か。」

 「難波の大藏省(おほくらのつかさ)より飛び發たれた三つ叉の雀が赤烏(あかみとり)と成つて舞ひ戾つてをります。此ぞ明日香の太子の生まれ變はり。靈鳥は倭國の護り神。其の占鳴(せんめい)一聽(いつちやう)(あたひ)するかと。」

 「鳥に伺ひを立てろと。」

 「然樣(さやう)に。」

 何もかも織り込み濟みと云ふ手際の良さに、日頃から此れ位、勤めに(はげ)めば良い物をと髙市皇子は呆れ、

 

 

  天紙風筆畵雲鶴  天紙風筆(てんしふうひつ) 雲鶴(うんかく)(ゑが)

  山機霜矜織葉錦  山機霜矜(さんきさうちよ) を葉錦(えふきん)織る

  赤雀含書時不至  赤雀(せきじやく)書を含むも時不至(いたらず)

  潛龍勿用未安寢  潛龍(せんりゆう)用ゐらるる勿く安寢(あんしん)せず

 

 

 何時(いつ)ぞやの小癪(こしやく)詩歌(しいか)が頭を(よぎ)る。大津王子が裏方に向かつて兩手を二度拍つと、竹籠を頭上に掲げて(おもて)を伏し、腰を(かが)めて(うやうや)しく禹步(うほ)を擦り乍ら不比等が現れた。籠の中には(くちばし)の先から尾羽まで(あか)く塗られて、羽根が固まつた儘、飛べずに戶惑ふ(からす)が一羽、逃げ場を求めて跳ねてゐる。斯樣な子供騙しに腰を浮かせて感嘆の聲を上げる一同。打ち合はせ通りに奉られた瑞鳥に、異議を挾む者は獨りも居勿い。其の陶然とした(さざなみ)を突いて、不意に鸕野讚良(うののさらら)が奇聲を發し、泡を吹いて卒倒した。切り落とされた蜥蜴(とかげ)の尻尾の如く垈打(のたう)()はる物狂ひ。塲は騷然と爲り、正氣を失つた太妃(おほきさき)を取り押さえる事も出來ずに親王(みこ)達は周章狼狽し、白眼を剝いて聲色の裏返つた尸童(よりまし)の口を介して、(おぞ)ましい未知の化生(けしやう)木靈(こだま)した。

 「爾等(ナンヂタチ)ハ此ノ民ノ血ニ(マミ)レタ吾ガ身ヲ何ト心得ル。海表(ワタノホカ)ノ故地ニ(カマ)ケ、(ホトケ)敎化(オシヘ)(ウツツ)ヲ拔カシ、天神(アマツカミ)地祇(クニツカミ)(オロソ)カニシタ(ムク)ヒヲ思ヒ知ルガ良イ。」

 殿上を搖るがす雄威火(をたけび)に皆、車座で平伏し、悔過(くゑくわ)、鎭魂を拜み倒す先帝(さきのみかど)庶子(みこ)達。鸕野讚良(うののさらら)の神掛かりは絕頂に達し、胸と(ほと)(はだ)けて()()り、引き攣り、洟唾(ていだ)を散らして、(まげ)の解けた埀髮(すいはつ)を振り亂す。不比等は女王(ひめぎみ)の悶絕を盜み見乍ら、幼き日に浮はの空で聞いた祖父の繰り言を反芻した。

 

 

  皇后(おほきさき)吉日(よきひ)を選びて齋宮(いはひのみや)に入りて、(みつか)神主(かむぬし)と爲りたまふ。(すなは)武内宿禰(たけうちのすくね)(みことのり)して(みこと)()()む。中臣烏賊津(なかとみのいかつ)使主(おみ)()して、審神者(さには)と爲す。

 

 

 息長帶比賣(おきながのたらしひめ)御宇(みよ)に神の託宣の眞意を賜る役を勤め、三韓討征を決意させた古道の舊家、中臣氏。其の云ひ傳へが何處まで(しん)に足る物か、總ては己の腕次第。不比等は此處を先途と女王の憑き物に御伺ひを立て樣と腰を浮かせた。處が、()(つくば)つた繼兄弟(ままおとうと)の尻と尻、雌猿の發情から一步引いた處で、髙市王子が通り一遍の夜郞自大(やらうじだい)な口寄せを醒め醒めと眺めてゐる。

 儒佛(じゆぶつ)の行き渡つた今の卋に妃巫女(ひみこ)とは恐れ入るしか勿い。其れも息長帶比賣(おきながのたらしひめ)の猿眞似。(げい)が細かいのは結構だが、揃ひも揃つて絞つた淺智惠が此の亂癡氣騷(らんちきさわ)ぎとは。太妃(おほきさき)も立場を顧みず一肌脫いだ後始末を、()う付ける心算(つもり)なのか。會盟(くわいめい)()聯座(れんざ)出來ぬ薄弱な息子の分も(からだ)を張る、其の痛ましい姿には心を打たれるが、流石に度が過ぎる。女の物狂ひが男への甘えで在る樣に、巫女の物狂ひは神に甘えてゐる(あかし)。巫女とは果たして仙女(せんによ)賤女(せんによ)か。神の御言(みこと)大王(おほきみ)に下されず、女王(ひめぎみ)に託されるのは何故(なにゆゑ)か。大王(おほきみ)寳祚(ほうそ)より、女王(ひめぎみ)がより神に近い御位(みくらゐ)で在る事は()にし()からの習ひ。にも拘はらず、大王(おほきみ)の如く血統で總ての天孫(あめみま)と繫がつてゐ勿い女王(ひめぎみ)は、自らを天照神(あまてるかみ)息長帶比賣(おきながたらしひめ)の偉大な女王(ひめぎみ)と重ね合はせて、()一層(いつそう)、神に近附かうとする。其れが髙じて神の聲を僭稱(せんしよう)し、(かへ)つて祟られるのが落ちだとも知らず、擧げ句の果てに此の爲體(ていたらく)。然りとて其れは、天孫(あめみま)(なの)倭王(ゐわう)とて同じ事。髙市皇子は此の塲に皇后、尼子娘(あまこのいらつめ)を招かずに臨んだ、己の卓見を()めた。斯樣な醜態に卷き込まれるのは己獨りで足りてゐる。皇位を讓らぬ爲の時閒稼ぎに付き合つてゐる暇は勿い。髙市は佩刀(はいたう)に手を掛けると、籠の外から丹塗(にぬり)りの瑞鳥を一突きで串刺しにし、(くちばし)を切り裂く斷末魔で我に返つた鸕野讚良(うののさらら)に一喝した。

 「父君が素服(そふく)(まつりごと)(おこ)され後の顚末を御忘れか。墓も勿く淡海(あふみ)の底をさ迷ひたければ、何時でも力に爲りませう。」

 ()られも勿い姿で(あへ)ぎ乍ら、日嗣(ひつぎ)太子(みこ)を見上げて、片言の辯解(べんかい)すら口に出來ぬ步き巫女。平伏した庶子(みこ)達も(おもて)を上げられず、此の塲から逃げださうにも、背を向けた途端に斬り拂はれるのは必定(ひつぢやう)。全く此の漢は物が違ふ。事此處に至つて歷歷(まざまざ)と思ひ知らされた其の豪腕(がうわん)豪膽(がうたん)

 「竺志の天王(あまきみ)(から)の地から生きて還つて來られたのも、火の鳥の生き血を啜つてゐたからと申すなら、御後嗣(ごこうし)も此の血を御賞味なされば良からう。」

 鸕野讚良(うののさらら)を睨み付けた儘、(あか)(はぢ)の上塗りと爲つた(からす)の鮮血を顎で指し、(けが)がれた兇刃を拭はず鞘に(おさ)めると、髙市皇子は足許に轉がり(ふる)へてゐる不比等を、

 「()ね。」

 と蹴散らして、其の塲を後にした。

 愚にも附かぬ天宇受賣(あめのうずめ)の裸踊り。氷髙内親王(ひだかのひめみこ)(みかど)に輿入れし外戚の利を摑めば良い物を、態々床に伏せた儘で望みの勿い鷄殼(とりがら)に皇位を託す太妃(おほきさき)は、何に血迷つてゐるのやら。此れも親の欲目の()せる(わざ)。だからこそ組み易しと云ふ事か。飛んだ御眼汚(おめよご)しの入れ智惠をしたのが何處の誰なのか、(あらた)める迠も勿く、(おの)づから尻尾を出す事に爲らう。髙市皇子は殿下(てんが)(きざはし)で事の成り行きを見護つてゐた柿本朝臣人丸(かきのもとのあそみひとまる)に氣が付くと、遊部(あそびべ)として先帝(さきのみかど)(もがり)(しつら)へに追はれた(ねぎ)ひの爲、吉野の巡啓に帶同させてゐた腹心に、

 「脂が乘るまで泳がせて措け。」

 と云ひ殘し、敢へて寳祚(ほうそ)を極めず空位に(とど)めた。國の大事を(あづか)(まつりごと)は、一時(ひととき)權宜(はからひ)に流されては不成(ならず)()(なが)ら、彼の手の(やから)は安い撒き餌程、喰ひ附きが良いのも復た必定(ひつぢやう)。己の手を汚す迠も勿いと、季節外れの夏の虫を誘ひ出す、(あるじ)勿き髙御座(たかみくら)篝火(かがりび)(とも)し、此れから始まる亂癡氣騷(らんちきさわ)ぎの本番に、日嗣の太子は心を凝らした。

 

 

 

 

 狀貌魁悟(じやうばうくわいご)器宇峻遠(きうしゆんえん)。幼くして學を好み、博覽にして()(ふみ)を屬る。(さう)に及び()を愛し、多力(たりき)にして()く劍を擊つ。(たち)(すこぶ)る放蕩にして、法度に(こだ)はらず。(せつ)を下して()(うやま)ひ、是れに()りて人多く付託す。

 

 と讚へられた大津王子。其れは髙市皇子の拔きん出た天稟(てんりん)に張り合ふ爲の、嵩上(かさあ)げされた方便に()かず。淡海帝の外征の忌避に(くみ)した大田王女(おほたのひめこ)嫡男(よつぎ)で在るにも(かか)はらず、大海帝が其の因緣を(いと)はず重用し、群臣(まへつきみたち)から慕はれたのも、髙市皇子の有り餘る膂力(りよりよく)を牽制するが故。若くして蕃屛(まがき)(いくさ)を束ね、死線を越えた日嗣(ひつぎ)太子(みこ)は全くの別格。其の影を蹈む事すら覺束(おぼつか)庶子(みこ)ならば、早早に己の()(わきま)へる可きで在つた。其れを、

 

 太子(みこ)骨法(こつはう)は是れ人臣(じんしん)の相ならず。此れ久しく下位を以てすれば、恐らくは身を(まつた)うせず。

 

 となぞ新羅僧(しらぎのほふし)行心(ぎやうしむ)に持ち上げられて眞に受ける人の良さ。本人に()(ほど)、其の氣が有つた物やら。兵達(つはものたち)が乘り込んで來た時には既に、譯語田(をさだ)の舘は幾重にも取り圍まれ、大津王子の天命は虫籠の中に在つた。

 

 

 十月(かむなづき)戊戌(つちのえいぬ)戊辰(つちのえたつ)己巳(つちのとみ)

 

 王子大津(みこおほつ)謀反(かたぶけ)發覺(あらはにな)りて、王子大津(みこおほつ)逮捕(から)め、(あは)せて王子大津(みこおほつ)の爲に所詿誤(あざむかれ)たる、直廣肆(ぢきくわうし)八口朝臣音橿(やぐちのあそみおとかし)小山下(せうせんげ)壹伎連博德(いきのむらじはかとこ)()大舍人(おほとねり)中臣朝臣臣蔴呂(なかとみのあそみおみまろ)巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやす)、新羅の沙門(ほふし)行心(ぎやうしむ)帳内礪杵道作(とねりのときのみちつくり)等、卅餘人(みそたりあまり)(とら)ふ。

 

 

 莫逆(ばくぎやく)(かど)で、瞬く閒に取り押さえられた大津王子と其の臣下(やつがれ)。決起に先立ち、伊勢の齋王(いつきのみこ)を勤める姉大來王女(おほくのみこ)の元に王子(みこ)(おとな)ひ、今生の別れを吿げたのが何よりの(あかし)と、總ては鸕野讚良(うののさらら)の鶴の一聲に端を發し、河嶋王子(かはしまのみこ)の密吿と云ふのも後追ひで、取つて付けた物で在らう。命を狙はれた(たう)日嗣(ひつぎ)太子(みこ)を差し措いて兵を率ゐた、越俎(えつそ)(つみ)をも顧みぬ强權(きやうけん)。其の詮議に反駁(はんぎく)の餘地は勿く、中でも大津王子に至つては舘に監禁された儘、辨明(べんめい)()すら設けられず、極刑を俟つ許り。此のあれよあれよと云ふ閒の誅罰に疑義を唱へる者は勿く、吉野の會盟に名を(つら)ねた親王達も靜觀を貫き、暗殺の當事者で在る筈の髙市皇子ですら、

 「好きに遣らせて措け。」

 の一言で()ませた。(とど)()まり、(はかりごと)の眞僞なぞ藪の中。大津王子の濡れ衣を態々(わざわざ)晴らす義理も勿い。草壁王子が先に(くた)る事すら待ち切れぬ、性根が乞食の若宮(わかみや)に何の御零(おこぼ)れが有ると云ふのか。己の腹を痛めた()の爲なら、亡き姉の忘れ形見なぞ知つた事では勿い鸕野讚良(うののさらら)と手を組んだのが(うん)()き。(たと)へ有らぬ疑ひでも、力で其の非を(ただ)し、()()ける事が敵はぬのなら、押し流される丈けの事。他人の引いた貧乏籤を案ずるよりも、今は此の大捕り物を裏で絲引く、獨片(ひとひら)の影を見定める事が先決。髙市皇子は先帝(さきのみかど)の後ろ盾を失つた鸕野讚良(うののさらら)が、藤原鎌足の嫡男(よつぎ)、不比等の舘に宮を遷し、其の庇護の元に在る事を摑むと、水底(みなそこ)に沈めた淡海帝と策士鎌足が黃泉復(よみがへ)り、卋を越えて鸕野讚良(うののさらら)と不比等を組ませた因力に、思はず感服の念を抱いた。草壁王子の暮らす岡宮(をかのみや)も、淡海帝と鎌足が入鹿(いるか)暗殺の謀議を重ねた多武峰(とうのみね)の中腹で、明日香の(さと)から急な上り坂の先で隱棲(いんせい)し、療養してゐる(えにし)も淺からぬ物が在り、此れも繰り返す星の巡りと云ふ事か。粗附(ざらつ)いた苦笑を甘嚙みにして、髙みの見物を決め込む髙市皇子の前で、口裏を合はせる樣に大津王子の臣下(やつがれ)は主君の輕擧(けいきよ)を認め、申し開きをする事も勿く、各各(おのおの)の罪科の輕重が振り分けられていく。

 其れに引き換へ、登つた覺えも勿い梯子を外された叛徒の頭梁(とうりやう)は、散り際にこそ最期の華を潔く咲かせる可き物を、唯只管(ただひたすら)、舘を取り圍む兵達に無實を訴へ、命乞ひをし、晚節を(ろう)した。不比等の寢囘しで寢返り、溫和(おとな)しく配流の()()く者達の、哥枕でも見て參るかの如き裝ひを見たらば、死罪の王子は何と申した事やら。中でも、莫逆(ばくぎやく)(ちぎり)りを交はして措き乍ら、(へん)()いだと云はれる河嶋王子(かはしまのみこ)(とが)めも勿ければ、大津王子の潔白に聲を上げる素振りすら勿く、(まさ)朋友(ほういう)才情(さいじやう)薄し。山齋(さんさい)(えん)で披露した時の詩歌(しいか)

 

 

  塵外年光滿  塵外(じんぐわい) 年光(ねんくわう)滿ち

  林閒物候明  林閒 物候(ぶつこう)明らかなり

  風月澄遊席  風月 遊席に()

  松桂期交情  松桂(しようけい) 交情を()

 

 

 も恨めしく、白白と夜が明けた、(あく)る、

 

 庚午(かのえうま)

 

 王子大津(みこおほつ)賜死(みまから)せしむこと譯語田(をさだ)(やかす)に於けり。時に(みとし)二十四(はたちあまりよつ)妃王女(みめひめみこ)山邊(やまのべ)、髮を(みだ)して徒跣(すあし)で、(はし)()(ともにみまか)る。見る者皆歔欷(なげ)く。王子大津(みこおほつ)は、天渟中原瀛眞人(あまのぬなはらおきのまひと)天皇(みめらみこと)第三子(つぎてのみはしらのみこ)也。容止(みかほ)(たか)(さかし)くして、音辭(みことは)(すぐれ)(あきらか)なり。天命開別尊(あめみことひらかすわけのみこと)が爲に所愛(めでたまはゆ)(ひととなる)に及びて(ことのわき)才學(かど)有り。(もつと)文筆(ふみつくること)(この)み、詩賦(しふ)(おこり)、大津()り始まれり。

 

 

 有無を云はさぬ裁きが下り、日を跨ぐ事勿かれとの達しに、燃え盛る晚照の(みぎは)()()れた山邊王女(やまのべのひめみこ)(なだ)める事すら叶はず、舘の庭に引き擦り出された大津王子に許されたのは、唯、臨終の一絕(いちぜつ)のみ。

 

 

  金烏臨西舍  金烏(きんう)西舍(せいしや)に臨み

  皷聲催短命  皷聲(こせい)短命を催す

  泉路無賓主  泉路(せんろ)賓主(ひんしゆ)無く

  此夕誰家向  此の(ゆうべ)()が家に向ふ

 

 

  ももづたふ 磐餘(いはれ)の池に 鳴く鴨を

    今日(けふ)のみ見てや 雲隱りなむ

 

 

 皇位の行方を占鳴(せんめい)に問ふた大津王子が最期に聞いた鴨の(はなむけ)。倭國の護り神から見放された男を、詩賦(しふ)(おこり)と讚へた處で、被つた汚名の足しにも爲らず、壹粒胤(ひとつぶだね)粟津王(あはづわう)を殘して山邊王女(やまのべのひめみこ)も其の後を追つた。果たせるかな、大友王子の模造品で終はつた、狀貌魁悟(じやうばうくわいご)器宇峻遠(きうしゆんえん)の英才。其の、髙市皇子が()へて身を引き、空位を裝つた髙御座(たかみくら)(おび)()せられ、思ひ通りに事が運んだと勘違ひする目出度(めでた)さよ。日嗣(ひつぎ)太子(みこ)の手を(わづら)はせる事も勿く、策を弄した者同士の潰し合ひで、目障(めざは)りな庶子(みこ)が復た獨り、體良(ていよ)く片付いた。親王(みこ)として()(はや)された丈けの一生に如何(いか)なる意味が有つたのか。季節外れの夏の虫は秋の夜長に短い夢を見た。

 

 

 

 大津王子の陷落は覿面(てきめん)で在つた。不比等の暗躍は程勿く、朝堂の裏方を(しづ)かに賑はす事と爲る。鎌足から不比等に承け繼がれた、密吿と蔭謀に因る恐怖の系譜。其の黃泉復(よみがへ)つた亡靈に新たな命が吹き込まれる。

 

 

 朱鳥(しゆてう)四年己丑(つちのとうし)二月(きさらぎ)丁卯(ひのとう)甲申(きのえさる)己酉(つちのととり)

 

 淨廣肆(じやうくわうし)竹田王(たけだのおほきみ)直廣肆(ぢきくわうし)土師宿禰根麿(はにしのすくねねまろ)大宅朝臣麿(おほやけのあそみまろ)藤原朝臣史(ふぢはらのあそみふひと)務大肆(むだいし)當蔴眞人櫻井(たぎまのまひとさくらゐ)と、穗積朝臣山守(ほづみのあそみやまもり)中臣朝臣臣麿(なかとみのあそみおみまろ)巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやす)大三輪朝臣安麿(おほみわのあそみやすまろ)()を以ちて判事(ことわるつかさひと)()たまふ。

 

 

 不比等、御歲(おんとし)三十一(みそぢあまりひとつ)にして判事(ことわるつかさ)に任ぜられ、直廣肆(ぢきくわうし)從五位下(じゆごゐのげ)(さづ)かつた。律令を司る立場から、不文律の慣習(しきたり)で治めて來た公序良俗を、(のり)(ふみ)に據つて明らかにし、(ととの)へ、改め、其の手に束ねて、(まつろ)はぬ者は平らげる要職。空位の髙御座(たかみくら)後宮(うしろのみや)()てた事が(あだ)と爲る、鸕野讚良(うののさらら)肝煎(きもい)りで果たした成り上がり。然も共に任官された中臣朝臣臣麿(なかとみのあそみおみまろ)巨勢朝臣多益須(こせのあそみたやす)の顔觸れは、昇敍(しようじよ)を出し拔かれた者丈けで勿く、上位に構へる公卿(くぎやう)方でさへ眉を(しか)めた。謀反の疑ひで大津王子と聯座(れんざ)して捕まつた(ふた)りの敍位(じよゐ)は、取りも直さず主君を(そそのか)した其の謝禮(しやれい)。今更、答へ合はせが出來た處で、王子の潔白が浮かばれる物でも勿く、只、隱れてゐた物が日の目を見、刑部省(うたへただすつかさ)が不屆き者に乘つ取られた事を意味した。律令の行使は法の番人の手心で如何樣(いかやう)にも捻じ曲げられる。元來、武藝(ぶけい)が肌に合はぬ本の蟲は、筆を矛に、木簡を盾にして、敵對する者達を法の網に追ひ込み、腹心の暴力は誅鋤(ちゆうじよ)(ことわり)有りとして無罪の山を築き、大義の御旗(みはた)を振り翳した。此に由り、王族で存つても臣籍降下(しんせきかうか)得度(とくど)を申し出、日嗣(ひつぎ)(くらひ)を固辭する者が續出し、中には罪を背負はされ排斥される位ならばと、酒を(あふ)(うつ)けの振りをする者まで現れる事と爲る。最早、相謁(あひまみ)ゆるに足るのは髙市皇子のみ。更に竺志の布した律令は、位階と引き換へに本領を召し上げ、東國(あづま)からの出稼ぎで地盤の勿かつた藤原氏に、豪族と肩を竝べる翼を(あた)へた。父、鎌足をも超える、護る盾の勿い寳劍(ほうけん)を手に入れ、

 「淡海帝に(かしづ)く丈けで終はつた父は生溫(なまぬる)い。」

 と己に云ひ聞かせ、誰に(はばか)る事勿く豪語する不比等。其の裏で、大津の謀殺が公の物と爲り、後戾りの出來勿くなつた鸕野讚良(うののさらら)は、葛藤(ふぢかづら)咒縛(じゆばく)に身も心も操られていく。

 

 

 (しま)離宮(とつみや)駿馬(しゆんめ)を飛ばし、突如として現れた髙市皇子に明日香の(さと)(どよ)めいた。草壁王子の重篤。見舞ひと云ふ()り、其の死に樣を拜みに參つたと、日嗣(ひつぎ)の顏には書いて有る。大津王子亡き後、其れ其れの宮で(いそ)しむ河嶋王子を始めとする山門の庶子(みこ)達。後は草壁王子が(かむあが)りすれば吉野の會盟は棚上げと爲る。不歸(ふき)(しとね)(あへ)ぐ痩せ衰えた鷄殼(とりがら)を見下ろし、其の(くちばし)の樣に尖つた鼻を見て死期の近い事を確かめると、鸕野讚良(うののさらら)の顏を立てるのも此處迄と許りに、

 「(まつりごと)(おろそ)かに()さいませぬ樣。」

 と當て附けに忠言し、瘴氣(しやうき)漂ふ暖簾(のんれん)に背を向けた髙市皇子。(きびす)を返した其の先で不比等が(うやうや)しく額突(ぬかづ)いてゐる。早速現れた當代の曲者(くせもの)此奴(こやつ)が只の取り卷きでは勿い事は承知の沙汰。寧ろ氣懸かりなのは、其の後ろに控へてゐる命婦頭(みやうぶがしら)の道代の押し殺した挺身。冷やかしに來た積もりが、此の(ふた)つの異才が揃ふ奇遇に、髙市皇子は三卋(さんぜ)を超えた底知れぬ(えにし)を覺え、身構へた。

 「殿下(わがきみ)御成(おな)りを存じ上げてをりましたなら、相應(そうおう)御持(おも)()しを(ととの)へました物を。」

 ()たり(さは)りの勿い禮節(れいせつ)で切り出す不比等を相手に、(はら)の探り合ひをする心算(つもり)なぞ毛頭勿い。五分に渡り合へると見縊(みくび)られたら最後、此の手の鼠賊(そぞく)は何處迄も喰らひ附いてくる。手加減は無用。

 「昇御(しようぎよ)近しき(ひつぎ)王子(みこ)に墓の穴まで仕へる積もりか。其程、墓守が爲度ければ小屋の獨つも建てて遣らうぞ。」

 暖簾(のんれん)の中で介抱する鸕野讚良(うののさらら)にも聞こえる樣に吼え立てると、面の皮の厚い不比等も流石に返す言葉が勿い。此の男の企みは何處か情理を超えてゐる。故に少しは骨の有る奴かと思つたが、()(かぶ)り過ぎた。裏で小細工をする丈けで面と向かつては何も出來ぬとは。鼠は穴に(かく)れて生き、穴を失ひて死ぬ。大友王子と云ひ、大津王子と云ひ、(すく)ひ樣が勿い。(しろぎぬ)越しに埀乳根(たらちね)嗚咽(をえつ)が聞こえて來る。其の眼に見えぬ悶絕が更に嗜虐(しぎやく)(きよう)(そそ)り、髙市皇子は悅に入つて捲し立てた。

 「竺志の血と山門の血は水と油。草壁王子の忘れ形見と爲る珂瑠王子(かるのみこ)も亦、床に臥せる許りの、息災とは程遠い幼弱な五體(ごたい)に生まれ落ちて、此の先に如何(いか)な望みが有ると云ふのか。髙御座(たかみくら)を空けて踐祚(せんそ)の叶ふ日を()ちたければ、()()むまで()てば良からう。其の閒に日嗣(ひつぎ)(ひつぎ)(ひとつ)つから(ふた)つに增える迠の事。氷髙内親王(ひだかのひめみこ)輿入(こしい)れすると云ふのなら、話し丈けは聞いて遣らう。」

 餘りの()(ぐさ)に、(しろぎぬ)を卷き上げて飛び出し、鬼の形相で髙市皇子に襲ひ掛かる鸕野讚良(うののさらら)。其れを閒一髮の處で道代が取り抑へると、山門の太母は此の卋の終はりの如く絕叫した。

 「火の鳥を何處(いづこ)に隱した。」

 「永遠(とは)の命を御所望か。何時ぞやの緋い(からす)の生き血は如何(いかが)なされた。」

 「竺志から送られて來る火の鳥を何故(なにゆゑ)に隱す。」

 「御疑ひと在らば、(それがし)の舘を探せば良からう。其の死に馬が生き延び、天下(あめのした)の頂に立つた處で何を成す。己の身獨(みひと)儘爲(ままな)らぬ者に、國の大事が勤まる物か。」

 皇位の如何(いかん)占鳴(せんめい)(ゆだ)ねた時の猿眞似とは物が違ふ、本物に鳥憑(とりつ)かれた死に物狂ひの鸕野讚良(うののさらら)を、必死で抑へ引き畱める道代の姿に、此の期に及んで未だ平伏(ひれふ)して面を上げぬ不比等と見較べ、矢張り此の女は物が違ふ、初見で手込(てご)めに爲可(すべ)きだつたと、獨礫(ひとつぶて)の悔悟を置き土產に立ち去る髙市皇子。其の背中に、鸕野讚良(うののさらら)の斷末魔が木靈(こだま)した。

 「火の鳥は何處(いづこ)、火の鳥は何處(いづこ)。」

 

 

 

 夏四月(うづき)己巳(つちのとみ)癸未(みづのとひつじ)乙未(きのとひつじ)

 

 草壁王子尊、(かむさります)

 

 

 「もう、氣が()んだで在らう。」

 昼夜を()かぬ介抱で削り取られた襟足に髙市皇子が聲を掛けても、()()まで喰らひ盡くした鬼子母の如く逆情した鸕野讚良(うののさらら)の耳には(とほ)く及ばず、喪屋(もや)を搖るがす慟哭は、(かへ)つて御靈(みたま)の安眠を妨げ、發哀(みね)(ゐや)を失する程に常軌を逸し、(もがり)(みや)の聖謐を徒に蹂躙した。慰める祝部(はふりべ)髻華(うず)()した玉蔭(たまかげ)(かづら)を引き千切り、御遺形(ごゆいぎやう)に覆ひ被さつた儘、離れやうとせぬ鳥亂(とりみだ)した狂女の醜態は、參列者の不興を買ふ許り。

 「(ひつぎ)(くらゐ)(ようや)く叶つた嬉し泣き。」

 「(おほき)(あまごひ)(まつ)(ひでり)の折りに、彼丈(あれだ)け泣いて吳れれば、百姓(おほみたから)も助かる物を。」

 (はな)から日嗣(ひつぎ)の目の勿かつた薄命の庶子(みこ)。見返りの勿い同情を皆、出し惜しみ、遠卷きに眺めるのみ。唯獨(ただひと)り髙市皇子が弔儀(てうぎ)(さは)ると促したのは、搖るぎ勿い王者が差し伸べた、責めてもの情けで在つた。

 大津王子、草壁王子と立て續けに早逝(さうせい)し、生き殘つてゐる庶子(みこ)も揃つて日嗣(ひつぎ)には及び腰。此れにて吉野の會盟は水泡に()し、只、其處に居る丈けで道が(ひら)かれ、皇位へと導かれる、髙市皇子の持つて產まれた竺志の御稜威(みいつ)を知らしめす事と成つた。先の大亂の立役者で蕃屛(まがき)の軍を掌握し、其の富貴に(なら)ぶ者は勿く、文武にも血統にも秀でた竺志の日嗣(ひつぎ)。此程の器が此處まで踐祚(せんそ)を見送つたのも、竺志と山門の(まつりごと)を其の身獨(みひと)つに背負ふが(ゆゑ)の奇手。遂に巡つて來た宗主の登極に異を唱へるは、天に弓引くに不外(ほかならず)天孫(あめみま)の直系が竺志から乘り込んで來たと云ふのに、王位に一縷(いちる)の望みを抱いてゐた山門の分家の方が抑も如何(どう)かしてゐる。(ようや)く納まる物が納まる可き處に納まり、臣下(やつがれ)忠視(ちゆうし)を一身に浴びて際立つ、髙市皇子の龍貌(りゆうばう)。其處へ、柿本朝臣人丸が()ざり()り、周りを(はばか)つて耳打ちをした。

 「直廣肆(ぢきくわうし)判事(ことわるつかさ)藤原朝臣不比等より内密に、親王を弔ふ長哥(ちやうか)をとの申し出が。耳の越度(をちど)と云ふ事で聞き流しはしましたが。」

 「史書(ふひと)(おろ)古哥(こか)卷子(くわんし)も編まぬ御國柄で、竺志竝(ひとな)みに挽哥(ばんか)を奉れとは。良くもまあ、()洒洒(しやあしやあ)と。何時もの猿眞似で在らう。程程に相手をして措け。」

 (かか)はる事勿(ことな)かれと一蹴するかと思ひきや、勝ち馬の情けを見せた髙市皇子に一禮(いちれい)して退く人丸。眼の前に踐祚(せんそ)を控へた主君が一度口にしたならば、旣に優諚(いうぢやう)(あたひ)する。其の宸旨(しんし)を叶へる爲ならば、己の身心(みこころ)(くだ)く事すら(やぶさ)かでは勿いが、()りとて、猿山の爭ひに興じて命を粗末にする山門の御靈(みたま)を弔ふ義理も勿い人丸には、氣紛れな溫情にしても生溫く思へた。挽歌とは先帝(さきのみかど)薩夜蔴の樣に國の爲に命を賭けて戰つた英靈にこそ相應(ふさは)しく、其の御魂(みたま)を讚へ、(しづ)めるのが柿本氏の勤めで在る。代々遊部(あそびべ)巫祝(ふしゆく)生業(なりわひ)として來た名家に取つて、王家の身で存り乍ら國の大事を顧みず、國の爲に獻げる可き()()の命を見誤つた儘、狂亂する鸕野讚良(うののさらら)の姿は、下下(しもじも)端勿(はしたな)い慰み事、其の一如(いちじよ)に盡きた。無論、人丸とて(ひと)()(いは)んや、若くして妻と死に別れた漢と有らば、先立たれた者の(いた)みに(しほ)を揉む氣は毛頭勿い。然れど、殿上人(てんじやうびと)は國を支へる宮柱(みやばしら)。中でも日嗣(ひつぎ)に名を(つら)ねるとも爲れば人で存つて人で勿い。一度(ひとたび)、天命を授かり產まれ落ちた其の身なら、譬へ死の淵を(また)がうと王道と云ふ旅の()()り。(とほ)(すが)りの野良犬が吠える度に足を止める、子供の遣ひでは務まらぬ。

 靈氣の滿ちた假屋(かりをく)を搔き亂す、鸕野讚良の(ひと)()がりな母心を睨み付け、一家言(いつかげん)を祕して(ほとばし)盡忠(じんちゆう)()何故(なにゆゑ)に此の怯懦(けふだ)東夷(とうい)に、承け繼いで來た竺志の言靈(ことだま)(ささ)げねば爲らぬのか。内陸の蕃境(ばんきやう)で外交の便も惡いが故に文物に(うと)く、古道に固執し、土地も瘦せてゐる山門が、(から)の故地の外征に背を向け、先の大地震(おほなゐ)でも痛手の少なかつた事で、何時の閒やら國の力を蓄へてゐる皮肉が口惜しく、護國邁進の果てに荒廢した太宰(おほみこともち)(つかさ)を知る人丸は、天の差配に一抹の疑懼(ぎく)を覺えた。

 

 

 

 朱鳥(しゆてう)五年庚寅(かのえとら)、春正月(むつき)戊寅(つちのえとら)己卯(つちのとう)朔、

 

 物部蔴呂朝臣(もののべのまろのあそみ)大盾(おほたて)()てまつる。神祇伯(かむつかさのかみ)中臣大嶋朝臣(なかとみのおほしまのあそみ)天神(あまつかみ)壽詞(ことほぎこと)を讀みまつる。()へて、忌部宿禰色夫知(いむべのすくねしこぶち)神璽(みしるし)(つるぎ)(かがみ)皇太子(ひつぎのみこ)奏上(たてまつ)りて、皇太子(ひつぎのみこ)天皇位卽(あめのしたしろしめす)公卿(まへつきみたち)佰寮(もものつかさびと)羅列(つらなりなら)(めぐ)(をろが)みて()()ちまつる(なり)

 

 庚辰(かのえたつ)

 

 公卿(まへつきみたち)佰寮(もものつかさびと)(みかど)(をろが)むこと、(むつき)(うごなはる)(ふるまひ)の如し。丹比㠀眞人(たぢひのしまのまひと)布施御主人朝臣(ふせのみうしのあそみ)騰極(ひつぎ)(よろこび)(まを)す。

 

 

 滿を持して昇御(しようぎよ)した髙市皇子の寳祚(ほうそ)で年が明け、叔父、薩夜蔴の遺志を背負ふが如く、飛鳥帝(あすかのみかど)()ばれた新帝(あらたしみかど)は、髙御座から右手に向き直つて西望すると、遙かなる扶桑の本貫を遙拜(えうはい)し、東國(あづま)天下(あめのした)()ろしめした。

 

 

 天武死して子、總持立つ。

 

 

 後の新唐書(しんたうじよ)(したた)められた、倭國の正統と(なら)び立つ皇胤(くわういん)御稜威(みいつ)。飛鳥の朝庭(おほには)で執り行ふ大嘗(おほにへ)節會(せちゑ)は未だ先だと云ふのに、各各の宮の設へに思ひを馳せる佰官(もものつかさ)は、神璽(みしるし)と倶に引き繼がれた御卋(みよ)の何と目出度(めでた)い事かと、(とこ)()の春の吉事(よごと)(ことほ)ぎ、天孫(あめみま)彌榮(いやさか)(いの)つて(とよのあかり)(さかづき)を囘した。其の裏で、新しき年の初めに背を向けて、骨肉の彼岸をさ迷ふ女が獨り。

 大寒の殘雪も(いと)はず、(あさ)素服(そふく)で其の身を(さいな)み、()()の生きてゐた()(とし)(すが)つて泣き暮れる(もがり)(みや)に、朔風(さくふう)()(すさ)ぶ。親族の死を受け入れる爲の假住(かりず)まひの喪屋(もや)で、柩から滴る屍液(しえき)と腐臭を意に介さず、黃泉復(よみがへ)りを信じて禱り續ける鸕野讚良(うののさらら)伊弉冉(いざなみ)葦舟(あしぶね)に乘せて流した水蛭子(ひるこ)の樣に、母の手から擦り拔けて行つた草壁王子は今何處(いまいづこ)。此の非業の旅路は、()()の登極を果たす爲、血祭りに上げた大津王子の祟りなのか。鳥憑(とりつ)かれた魔物に捧げた()(にへ)諸共、冥土(よみ)(つかさ)日嗣(ひつぎ)太子(みこ)を引き擦り込まれた自責の念に()(のめ)され、正氣を保つ生き苦しさで奇行に走る、報はれぬ愛の亡者に道代は無言で付き添つてゐた。生來、心根のか細い上に、乳母の手獨つを賴りに育つた、奧の院の姬君。巷塵(かうぢん)(まみ)れた事の勿い籠の鳥で、謀略の重壓と脅威に堪へ得る譯が勿い。

 今年で(ようや)く八つと成る、忘れ形見の珂瑠王子(かるのみこ)も復た息災に惠まれず、何時(たま)()が途切れても奇怪(おか)しく勿い、夭折した父の()(うつ)し。次の日嗣(ひつぎ)を窺ふにしても、初冠(うひかうぶり)ですら後幾歳(あといくとせ)。親讓りの病身で、立太子まで持ち堪へる事すら危ふい影郞(かげらう)に皇位を期すのは、不治の(しとね)(いはほ)(ふすま)()()かる重責に息の根は喘ぐ許り。親子で二の舞ひを踊る囘向(ゑかう)が何處に在る。此の上更に、太妃(おほきさき)の夜の御勤めが人目に觸れたらば、總ては(つひ)えて終ふ。髮を振り亂して嗚咽(をえつ)する鸕野讚良(うののさらら)の背を(さす)り乍ら、道代は此の()ざされた()しき血の絆を斷ち切る(ほころ)びは勿い物かと、愛憎の闇の彼方を睨み付ける。

 草壁王子が御隱れに爲られたのは、生まれ落ちた星の許に(かへ)つた迠の事。佛の御心(みこころ)()れて現卋の罪荷(つみに)を解いた果報者也と手を合はせて御見送りし、後は珂瑠王子(かるのみこ)天壽(てんじゆ)を支へ、殘された日日を(まつた)うす可き物を、何故(なにゆゑ)に天は此の幸の薄い親子を弄ぶのか。何故(なにゆゑ)に一握りの心の安らぎをも赦さぬのか。太妃(おほきさき)の物狂ひに吾が身を焦がして仕へる道代の無言の哀訴。其の言靈(ことだま)は何を喚び起こした物か。總ての元凶が、倭言葉(ちくしことば)の莊嚴な鈴生(すずな)りと倶に、喪屋(もや)の仕切りを拂ひ除けて(あらは)れた。

 

 

 天地(あめつち)の 初めの時の ひさかたの (あめ)河原(かはら)に 八佰萬(やほよろづ) 仟萬神(ちよろづかみ)の 神集(かむつど)ひ (つど)ひまして 神分(かむわか)ち (わか)ちし時に 天照(あまて)らす 日女(ひるめ)(みこと) (あめ)をば 知らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穗(みづほ)の國を 天地(あめつち)の 寄り合ひの極み 知らしめす (かみ)(みこと)と 天雲(あまくも)の 八重(やへ)かき別けて 神下(かむくだ)し いませまつりし 髙照らす ()王子(みこ)は 飛ぶ鳥の 淨御原(きよみ)の宮に (かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして 天皇(すめろき)の ()きます國と (あめ)(はら) 岩戶(いはと)を開き 神上(かむあ)がり 上がりいましぬ ()大君(おほきみ) 王子(みこ)(みこと)の (あめ)(した) 知らしめしせば 春花(はるはな)の (たふと)くあらむと 望月(もちづき)の 滿(たたは)しけむと (あめ)(した) 四方(よも)の人の 大船(おほふね)の 思ひ賴みて (あま)(みづ) 仰ぎて待つに いかさまに 思ほしめせか つれもなき 眞弓(まゆみ)の岡に 宮柱(みやばしら) 太敷(ふとし)きいまし みあらかを 高知りまして 朝言(あさこと)に 御言(みこと)問はさず 日月(ひつき)の まねくなりぬれ そこ(ゆゑ)に 王子(みこ)宮人(みやひと) 行くへ知らずも

 

  ひさかたの (あま)見るごとく 仰ぎ見し

   王子(みこ)御門(みかど)の 荒れまく()しも

 

  あかねさす 日は照らせども ぬばたまの

    ()渡る月の (かく)らく()しも

 

  (しま)の宮 (まが)りの池の 放ち鳥

    人目に()ひて 池に(かづ)かず

 

 

 人丸の書き下ろしを朗朗と奉る渾身の魂振りが(あらき)假屋(かりをく)を搖るがすと、柩に覆ひ被さり泣き崩れてゐた骨肉の亡者は魂窮(たまきは)まり、

 「其の挽哥(ばんか)は若しや、人丸の。」

 と絕叫して、不比等の足許に縋り付いた。主從の上下を搔毆(かなぐ)り捨てて額突(ぬかづ)く劣情の奴碑(ぬひ)。竺志仕込みの(まじな)ひを引つ提げて凱哥(がいか)を擧げた忠臣は、片膝を突いて鸕野讚良(うののさらら)の手を取り、神妙な面持ちで其の(やつ)()てた心に忍び込んでいく。

 

 

  いたづらに 身はなしつとも (かき)()

    手折(てを)らでさらに (かへ)らざらまし

 

 

 「命を捨てて、かの(かき)()、持ちて來たるとて、王子に詠みたてまつりたまへ。」

 「不比等、賴りになるのは其方(そなた)丈け。如何(どう)か、如何(どう)珂瑠王子(かるのみこ)を、珂瑠王子(かるのみこ)を。」

 我を忘れて自ら(ふぢ)(くびき)に絡み附く鸕野讚良(うののさらら)に、道代は袖の淚を禁じ得ず、此の藪蛇(やぶへび)に首の根を締め落とされた()(もの)は數知れず、かと云つて、今、此の(あや)しい噓の咒縛(じゆばく)が勿ければ、太妃(おほきさき)の心を人の卋に繫ぎ止める事が敵はぬのも亦、實以(じつもつ)()(どころ)の勿しと瀨蹈(せぶみ)みし、此處は一先づ(ふた)りを見護るより他に術が勿い。其れにしても、直廣肆(ぢきくわうし)從五位下(じゆごゐのげ)の分際で正參位(おほきみつのくらゐ)に取り入るとは。然も、天雲(あまくも)八重(やへ)かき別けて神下(かむくだ)しいませまつりし邇邇藝命(ににぎのみこと)を、草壁王子に擦り換へて髙照(たかて)らす()王子(みこ)僭稱(せんしよう)し、天孫(あめみま)天降(あまくだ)りから後の御代(みよ)を切り捨てるとは不敬の極み。(みかど)の眼も在らうに、

 「如何(いか)にして其の(うた)を。」

 喪屋(もや)を立ち去る不比等と擦れ違ひに問ひ質す道代に、

 「いと忍びて。」

 と(とぼ)ける蔓草(つるくさ)(まむし)。道代は其の()たり(かほ)に當て附けて辛唇(しんしん)を裂き、(ふぢ)には勿い措辞(とげ)()(かへ)した。

 

 

  まことかと聞きて見つれば(こと)()

    かざれる(かき)()にぞありける

 

 

 

 

 朱鳥(しゆてう)六年辛卯(かのとう)八月(はづき)丁酉(ひのととり)癸亥(みづのとゐ)辛亥(かのとい)

 

 十八(とをあまりやつ)(うぢ)(みことのり)のりたまひて、其の祖等(おやたち)墓記(おくつきのふみ)上進(たてまつ)らしめたまふ。

 

 

 先帝(さきのみかど)の遺志を繼ぎ、大三輪(おほみわ)雀部(ささき)石上(いそのかみ)藤原(ふぢはら)石川(いしかは)巨勢(こせ)膳部(かしはで)春日(かすが)上毛野(かみつけの)大伴(おほとも)紀伊()平群(へぐり)羽田(はた)阿倍(あべ)佐伯(さへき)釆女(うねめ)穗積(ほづみ)阿雲(あづみ)の氏族に下された、山門の出自を(つまび)らかにせよとの達し。倭國に其の名を(つら)ねる盟主(まがき)として、正統な史書(ふひと)を上奏し、倭國の帝紀、其の外傳(ぐわいでん)として卷子(くわんし)(つら)ねる事は、飛鳥帝の()べる東國(あづま)東夷(とうい)を脫する始めの一步。其の仕上がりを(うかが)ふ男の影が史部(ふひとべ)(つかさ)(ひら)いた。刑部省(うたへただすつかさ)判事(ことわるつかさひと)が何事の詮議に(あらは)れたのか。と(いぶか)しむ(ささや)きも意に介さず舘内を闊步する不比等の傍若(ばうじやく)

 「時に史書(ふひと)(はか)如何(いか)に。」

 史生(ふみお)時代に机を(なら)べた舊知(きうち)(ともがら)を見付け呼び止めると、大陸特有の大らかさで百濟の歸化人(きくわじん)は氣さくに(ぼや)いた。

 「方方の墓記(おくつきのふみ)を召し上げたは良い物の、生憎(あいにく)(つたな)き覺え書き(ゆゑ)。」

 白村江(はくすきのえ)(えき)から(はや)三十歲(みそとせ)命辛辛(いのちからがら)、海を渡り、母國の曆數を見限つた他所者(よそもの)庶子(よつぎ)の編む史書(ふひと)に何の(おも)しが有ると云ふのか。討ち滅ぼされた百濟の命運を(したた)めて、後の代の再興を期さうともせず、倭國の冷や飯に甘んじる居候(ゐさうらふ)なぞ話しに爲らぬ。己の名を馳せる事も勿く、宮仕へに通う丈けの飼ひ馴らされた公僕に、不比等は竺志の布した律令で骨拔きにされた豪族の末路を見た。宗主の皇胤(くわういん)、飛鳥帝が髙御座(たかみくら)に納まり、非の打ち處の勿いが故に(いさか)ひも勿く、誰も彼もが(ほう)けてをる。其れで良い。餘計な正史(ふひと)(かつぎ)()げる氣運も泰平呆癡(たいへいほうち)()せる(わざ)天孫(あめみま)傳承(でんしよう)に自家の祖神(おやがみ)體良(ていよ)(くく)()けた丈けの墓記(おくつきのふみ)を、幾ら繫ぎ合はせたとて髙が知れてゐる。天地(あめつち)(をろが)古道(しきたり)を護る事しか頭に勿かつた蠻族(ばんぞく)だからこそ、竺志の天王(あまきみ)が說く(ほとけ)敎化(みち)を最後迠拒み、文林(ぶんりん)を避け、書生(しよせい)の勉めを蔑ろにして來たのだ。(しう)御代(みよ)から貢獻し、漢の御代(みよ)には(すずり)を摺つてゐた竺志とは較べる可くも勿い。讀み書きも碌に出來ぬ山門(やまざる)口傳(くちづた)へなぞ誰が眞に受ける。

 不比等は未だ志半ばで宙に浮いた史書(ふひと)空舟(からぶね)に、一先(ひとま)づ胸を撫で下ろした。山門の曆數は未だ眞つ更な卷子の中で眠つてゐる。其の(もや)ひの()(ひも)に初めて指先の()れた氣がした。()化鳥(けてう)(そそのか)されて早幾歳(はやいくとせ)。倭國に(まつろ)ひ、苦澁(くじふ)()む事を生業(なりはひ)とする卑屈の蕃境(ばんきやう)。其の空を(あまね)く無風の歲月に平伏した儘、山は(しづ)かに動き始めてゐた。

 

 

 朱鳥(しゆてう)七年壬辰(みづのえたつ)五月(さつき)丙午(ひのえうま)丙寅(ひのえとら)丁亥(ひのとゐ)

 

 淨廣肆(じやうくわうし)難波王(なにはのおほきみ)等を(まだ)して、藤原(ふぢはら)宮地(みやどころ)鎭祭(いは)はしめたまふ。

 

 庚寅(かのえとら)

 

 使者(つかひ)(まだ)して、(みてぐら)四所(よところ)の伊勢、山門、住吉、紀伊の大神(おほがみ)に奉らしむ。(まを)さしむに新宮(にひきみや)のことを以てす。

 

 六月(みなづき)戊辰(つちのえたつ)甲子(きのえね)癸巳(みづのとみ)

 

 天皇(すめらみこと)藤原(ふぢはら)宮地(みやどころ)(みそな)はす。

 

 

 やすみしし ()大王(おほきみ) 髙照らす ()皇子(みこ) 荒栲(あらたへ)の 藤原がうへに ()す國を 見し給はむと 都宮(みあらか)は 髙知らさむと (かむ)ながら 思ほすなべに 天地(あめつち)も 寄りてあれこそ 石走(いはばし)る 淡海(あふみ)の國の 衣手(ころもで)の 田上山(たなかみやま)の 眞木(まき)さく ()嬬手(つまで)を もののふの 八十氏河(やそうぢがは)に 玉藻(たまも)なす 浮かべ流せれ ()を取ると さわく御民(みたみ)も 家忘れ 身もたな知らず 鴨じもの 水に浮きゐて わが作る ()御門(みかど)に 知らぬ國 ()巨勢道(こせぢ)より わが國は 常卋(とこよ)にならむ (ふみ)()へる (あや)しき(かめ)も 新代(あらたよ)と 泉の河に 持ち越せる 眞木(まき)嬬手(つまで)を (もも)足らず (いかだ)に作り (のぼ)すらむ (いそ)はく見れば (かむ)ながらながし

 

 

 地祇(くにつかみ)(しづ)める柿本朝臣人丸の獻哥に夏草は霏霺(たなび)き、名越(なご)しの(はらへ)(そそ)がれた飛鳥の(せせら)ぎに、瑞穗(みづほ)の掘り割りが葉脈(えふみやく)を拍ち奮はせて潤ほふ小暑(せうしよ)の始め。(みの)(ゆた)かに()(さか)山門嶋根(やまとしまね)を遙かに見渡して、飛鳥帝は新代(あらたよ)治卋(ちせい)(あきら)かにす可く、新宮(にひきみや)の造營に向けて舵を切つた。朱鳥元年(しゆてうのはじめのとし)乙酉(きのととり)の年の初めに失火(みづながれ)し、竺志の副都、難波宮から燒け出された薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)、竺志の日嗣(ひつぎ)(ましま)(みやこ)を、新たに据ゑる國是も()事乍(ことなが)ら、先帝(さきのみかど)の遺志を繼ぎ、律令に據つて東國(あづま)()(とりしま)佰寮(もものつかさ)(ととの)へられるに從ひ、人員の補充と輯積(しふせき)が進み手狹と爲つた飛鳥宮。律令の成果で堅調な(みつき)正倉(しやうさう)を滿たし、百姓(おほみたから)傜伇(えたち)にも餘力が生まれた刻下に於いて、建て增しが急務の政廳(まつりごとのとの)が嘗て勿い威容を誇る事は推して知る可し。(すなは)ち其れは、今以て復興儘爲(ままな)らぬ、太宰(おほきみこともち)(つかさ)をも凌駕する條坊(でうばう)を築く事を意味した。山猿を律令の(くびき)()めた心算(つもり)()(あら)ず。磐石と成つた東國(あづま)の支配が裏目に出た主從の逆轉。此れでは猶の事、山門の地を(おさ)へる手を緩める事が出來ず、かと云つて、未だ君德の及ばぬ竺志の日嗣(ひつぎ)を獨りで歸京させる譯にも行かず、(まつりごと)の深みに()まつていく飛鳥帝。榮耀榮華《えいえうえいぐわ》の一途を辿る成り上がりに急き立てられ、參種(さんしゆ)神璽(しんじ)の執り計らひと倶に迫り來る決斷の刻。其の(せめ)()ふ相克の裂け目を擦り拔けて、一匹の鼠賊(そぞく)盡忠報國(じんちゆうほうこく)に搖れる朝庭(みかど)御柱(みはしら)に囓り附く。

 

 

 

 朱鳥(しゆてう)八年癸巳(みづのとみ)九月(ながつき)壬戌(みづのえいぬ)丁亥(ひのとゐ)乙未(きのとひつじ)

 

 重陽(ちようやう)の節句に催された奉爲(おほみため)御齋會(ごさいゑ)先帝(さきのみかど)御靈(みたま)に奉られた柿本朝臣人丸の讚哥(さんか)大極殿(おほあむどの)(しつら)へた天蓋(てんがい)木靈(こだま)する。

 

 

 明日香の 淸御原(きよみはら)の宮に (あめ)(した) 知らしめしし やすみしし ()大王(おほきみ) 髙照らす ()皇子(みこ) 何方(いかさま)に (おも)ほしめせか 神風の 伊勢の國は 奧津藻(おきつも)も (なび)きし波に 潮氣(しほけ)() (かを)れる國に 味凝(うまこ)り (あや)にともしき 髙照らす ()御子(みこ)

 

 

 參列者の末席に控へ、海幸彥の雄雄しき遺德に(おも)ひを()せ、忠魂義膽(ちゆうこんぎたん)の總てを注いだ言靈(ことだま)に感極まる哥聖(うたのひじり)扶桑(ふさう)社稷(くにのおほもと)を立て直す、復興の志も半ばに、倭國の本貫、竺志より天離(あまざか)り、遙か東征の地で客死に屈した天孫(あめみま)の無念は如何斗(いかばか)りか。譬へ御遺誡(ごゆいかい)を賜る事は(かな)はずとも、其の御心(みこころ)は察して餘り有り、日嗣(ひつぎ)を果たした飛鳥帝の元、盾と成り矛と成り、天地(あめつち)を搖るがす試練にも附き從ふ決意を、改めて固めた其の刹那。人丸の肩口に忍び寄る、位冠に紛れた鼠の門齒(もんし)在り。

 「折り入つて御話が。」

 追孝(ついかう)に熱く爲つてゐた襟足から耳の裏を逆撫でされて粟立(あはだ)和毛(にこげ)。振り返ると其處に、素服の蔴地から下心の透けた不比等が(かしこ)まつてゐる。先帝(さきのみかど)女御(にようご)御抱(おかか)への曲者(くせもの)に絡み付かれて、人丸は平靜を裝ひつつ、冷ややかな虫酸(むしず)(ほぞ)の奧へと押し殺した。(あひ)()はらぬ、蛇の樣に狙ひを定めて、鼠の樣に掠め盜る、拔け拔けとした平身低頭。文林(ぶんりん)(やから)(いへど)も侮る事勿かれ 此の男に眼を附けられて憙ぶのは、餘程の虛けか疫病神。其の()(まと)はれて碌な事の勿い、藤繩(ふぢなは)足枷(あしかせ)で存るにも拘はらず、無闇に袖にする譯にも行かぬ己の不甲斐なさ。今や此の判事(ことわるつかさひと)が朝堂の裏方を束ねる蔓草(つるくさ)に化けて(しづ)かに(はびこ)り、政道を茨の道に變へた事は衆官の一致する處と爲つてゐた。作物の收奪、賦役(ふえき)の慣例、(みつき)の橫領。律令の網を手繰れる身とも爲れば、誰しもが叩けば埃の出る(からだ)。其の弱みを握られ、刑部省(うたへただすつかさ)の詮議に掛けられた官吏(つかさびと)で、折れぬ者など見た事が勿い。事犯の尻尾が摑め勿ければ、讒言(ざんげん)と密吿で有らぬ嫌疑を(でつ)()げて引き擦り降ろす。(まつろ)はぬ者達を意の儘に裁く不比等の豪腕に、冠位の(まさ)公卿(まへつきみ)ですら緘默を貫いた。

 折り入つてと申して措き乍ら、(くだん)(ことづ)けで在る事は明らか。人丸は素知らぬ顏を貫き、(みみ)(とが)として伺ふ事すら(うと)んじた。(みかど)の許しが有つたとは雖も、草壁王子の挽哥を一度引き受けた事で付け込まれた己の不行き屆き。山門の庶子(よつぎ)魂振(たまふ)りに分ける言靈(ことだま)なぞ勿い。(いは)んや、

 

 天地(あめつち)の 初めの時の ひさかたの (あめ)河原(かはら)に 八佰萬(やほよろづ) 仟萬神(ちよろづかみ)の 神集(かむつど)ひ (つど)ひまして 神分(かむわか)ち (わか)ちし時に 天照(あまて)らす 日女(ひるめ)(みこと) (あめ)をば 知らしめすと 葦原(あしはら)の 瑞穗(みづほ)の國を 天地(あめつち)の 寄り合ひの極み 知らしめす (かみ)(みこと)と 天雲(あまくも)の 八重(やへ)かき別けて 神下(かむくだ)し いませまつりし

 

 と邇邇藝命(ににぎのみこと)天基(あまつひつぎ)草創(はじめ)とする、倭國の王道を哥ひ上げた頌句(しようく)を切り捨て、

 

 髙照らす ()王子(みこ)は 飛ぶ鳥の 淨御原(きよみ)の宮に (かむ)ながら 太敷(ふとし)きまして 天皇(すめろぎ)の ()きます國と (あま)(はら) 岩戶(いはと)を開き 神上(かむあ)がり 上がりいましぬ

 

 と草壁王子を天降(あまくだ)りの太祖(はじめのおや)(なぞら)へ、山門の飛鳥に舞ひ降りたかの如く編み直すなぞ言語道斷。(こと)()を弄ぶ事は人の心を弄ぶ事に不外(ほかなら)ず。(あまつさ)へ、皇御孫(すめみま)(ふひと)怪釣(あやつ)るとは如何(いか)なる肚心算(はらづもり)か。不比等の不吉な一念に屈し、不毛な挽哥を奉つたのは一生の不覺と己を責める人丸。其の哥聖(うたのひじり)の矜恃が故の、天離(あまざか)(ひな)()(くすぶ)る哥心を、()奸臣(かんしん)は逆手に取つた。

 

 

  (しま)(みや) (うへ)の池なる (はな)(どり)

    (あら)びな行きそ 君いまさずとも

 

 

 「眞に惜しい御方を亡くしました。離宮(とつみや)の水鳥も今何處(いまいづこ)。鳥は天の使ひと申します。今頃、王子の元で獻哥を(さへづ)つてゐる事で在りませう。時に、中納言(なかのものまうすつかさ)は竺志の地で火の鳥を御眼になされた事は御有りか。」

 唐突な不比等の問ひに人丸は思はず半身を向けて、片耳を(そばだ)てた。

 「山門にも朝越えの神の鳥が在ると云ふ。」

 

 

 

 人丸は其の夜、夢を見た。安騎野(あきの)冬獵(ゆふがり)扈從(こじゆう)し、死出(しで)黃葉(もみぢ)で敷き詰められた山尋(やまたづ)ねの道行(みちゆ)きを、誄詞(しのびごと)(こと)()を辿つて導く己の姿を。(おそ)(かしこ)き幽界を求めてさ迷ふ、末若(うらわか)()大王(おほきみ)隱口(こもりく)(くぐ)り、異鄕の(さかひ)を越えて亡き父の(おもかげ)と折り重なり、地靈(ぢれい)(すみか)旅宿(たびやど)りして祖神(おやがみ)を迎へ、黃泉復(よみがへ)りし御魂(みたま)()れた此の夜を(たた)へ、咒歌(じゆか)を奉る。人丸は神ながら成る者の成就を一心に(いの)つた。巫祝(ふしゆく)の血が騷ぎ、占鳴(せんめい)(つんざ)禁樹(きへき)()()べし荒れ野。(いにしへ)()(つた)へが聞こえる。口移しに語り出す(すめらぎ)雷名(らいめい)。燃え盛る拂曉(ふつげう)と倶に靈鳥が飛び立ち、()王子(みこ)は其の大願を我が物とした。

 

 

 やすみしし ()大君(おほきみ) 髙照らす ()王子(みこ) 神ながら 神さびせすと 太敷(ふとし)かす (みやこ)を置きて 隱口(こもりく)の 泊瀨(はつせ)の山は 眞木(まき)立つ 荒山道を (いは)() 禁樹(きへき)()()べ 坂鳥(さかどり)の 朝越えまして 玉かぎる 夕さりくれば み雪降る 阿騎(あき)の大野に 旗すすき 小竹(しの)()()べ 草枕 旅宿りせす (いにしへ)(おも)ひて

 

 

  阿騎(あき)の野に宿る旅人うち(なび)

   ()()らめやも(いにしへ)念ふに

 

  ま草刈る荒野にはあれど黃葉(もみぢは)

    過ぎにし君が形見とぞ()

 

  (ひむがし)の野に(かげろひ)の立つ見えて

    かへり見すれば月かたぶきぬ

 

  日竝王子(ひなみしのみこ)(みこと)の馬()めて

    御獵(みかり)立たしし時は來向(きむか)

 

 

 眼が覺めると、哥は旣に生み落とされてゐた。(やまひ)(しとね)()す許りで有りもし勿かつた草壁王子の遊獵(あそびがり)。其の亡き父の安騎野の獵場(かりば)に未だ(もとどり)も結ひ上げぬ、御歲(みとし)十一(とをあまりひとつ)の珂瑠王子が臨み、巫祝(ふしゆく)遊部(あそびべ)として從駕獻詠(じゆうがけんえい)したと云ふ繪空事(えそらごと)を、天孫(あめみま)に召し抱へられた名門、柿本氏の腕の見卋處(みせどころ)と許りに、人丸は哥ひ上げてゐた。冬塲(ふゆば)(かり)に祕められた命の返り咲き。父の(おもかげ)を追ひ求めて形見の地を祭場とし、珂瑠王子と草壁王子、生者と死者を重ね合はせて刻印する招魂と鎭魂の古儀。地靈に添ひ伏す一夜の宿り、天降(あまくだ)る神話と交はり、語り明かす夜伽(よとぎ)。不死と囘生の挽哥を奉る日嗣(ひつぎ)(とり)が、皇位に餓ゑた鸕野讚良(うののさらら)の慾望を照らし出す。

 遊部(あそびべ)として宮仕へを始める前の、柿本とすら(なの)つてゐ勿かつた神代(かみよ)の彼方から續く咒家(じゆか)の血に(そそのか)されて、人丸は知らぬ閒に哥を獻げ、(いにしへ)(おも)魂振(たまふ)りに()()れてゐた。哥哥(うたうた)ひで存るが故に、人波(ひとなみ)を越えて哥に感じ入り、共に鳴き交はして終ふ骨肉の(さが)。人丸は確かに、東雲(しののめ)白慕(はくぼ)(つんざ)く鳥の聲を聞いた。此の漢も亦、代々鳥憑(とりつ)かれてゐると云ふ事か。(まつろ)はぬ者を()()べ、神ながら成る大王(おほきみ)として珂瑠王子を(かつ)()げる、鸕野讚良(うののさらら)(みだ)らな執念に焚き付けられた最後の返歌。鸕野讚良(うののさらら)は本物の女王だつた。女王とは女の姿を(かり)た漢だ。冬の獵場(かりば)に旅宿りする儀禮(ぎれい)から解き放たれて蔭走(ほとば)日嗣(ひつぎ)の大願。草壁王子を喚び起こして成就する、僞りの皇統の繼承受靈(けいしようじゆれい)。譬え其れが噓でも(うた)()い。斯樣な氣持ちは初めてで在つた。

 「其れで太妃(おほきさき)御心(みこころ)(すく)はれるので有らば。」

 王道は理路に非ずとでも云ひ度げな、不比等の()たり(がほ)が眼に浮かぶ。彼の漢の()(なか)(かはづ)()して見上げる天の何と狹き事か。此の咒歌(じゆか)が思ひも寄らぬ何を喚び起こすで在らうと(をのの)巫祝(ふしゆく)の直感。其れは最早、人丸の才覺を遙かに超えて、神のみぞ知る井筒(ゐづつ)の空の彼方で在つた。

 

 

 

 無事、初姬(はつひめ)牟漏女王(むろのおほきみ)を取り上げて貰ひ、貳男壹女(になんいちじよ)に惠まれた道代は、生來、產褥(さんじよく)とは無緣の身丈夫(みぢようぶ)で肥立ちも(すこぶ)る良く、產穢の禊ぎと祓へを終へると、鸕野讚良(うののさらら)の舘に伺候(しこう)し、出產祝ひの反物(たんもの)を賜つた。積年の忠孝を(ねぎら)ふ其の篤志に觸れて感極まる一時(ひととき)。然りとて、此れで命婦頭(みようぶがしら)の勤めに區切(くぎ)りが付いた譯では勿い。斯樣に賴られてゐればこそ長居は無用。己許りが兒寳(こだから)息災(そくさい)に惠まれてゐる事も心苦しく、未だ宿痾の床で起き伏しを繰り返す主君を(おもんばか)り、暇明(いとまあ)けの挨拶も早早に珂瑠王子の元へ(まか)らむと、腰を浮かした其の刹那、

 「今(しばら)く。」

 と鸕野讚良(うののさらら)は道代を呼び止めて奧に下がつた。其の餘所餘所(よそよそ)しい素振りに(うづ)く女の直感。釆女(うねめ)の姿も勿く靜まり返つた舘に獨り。不穩な氣配に振り返ると、

 「折り入つて御話が。」

 不比等が祝ひの品の心算(つもり)なので在らう、錦繡(にしきもの)を提げて立つてゐる。其の强張(こはば)つた笑みで塗り固めた顴骨(くわんこつ)と、只ならぬ眼の色に道代は跳ね起き、踵を返した其の背中に不比等の熱い鼻息が覆ひ被さつた。聲を荒げても誰獨り驅け附ける者は勿く、事の次第を悟つた籠の鳥は卒然と抗ふ力を失ひ、後は唯、床の上を這ふ衣擦れの音を、强く閉じた眼裡(まなうら)で押し殺すより外に術は勿く、

 

 朱鳥(しゆてう)九年甲午(きのえうま)九月(ながつき)甲戌(きのえいぬ)壬午(みづのえうま)癸卯(みづのとう)

 

 淨廣肆(じやうくわうし)三野王(みののおほきみ)を以て筑紫の太宰率(おほみこともちのかみ)(よさし)したまふ。

 

 

 美努王(みののおほきみ)が竺志太宰率(だざいのそつ)として上洛するに至り、道代の(くだ)つた不比等の軍門、其の扉は(かた)()ざされた。產まれた許りの牟漏女王(むろのおほきみ)と、未だ美豆良(みづら)も解けぬ葛木王(かつらぎのおほきみ)佐爲王(さゐのおほきみ)嫡男(よつぎ)を殘して、扶桑(ふさう)(みやこ)へと旅立つ譯語田大王(おさだのおほきみ)の末裔。下向してゐる山門から、一族の本貫、竺志への歸還(きくわん)に異存は勿い。一昔前ならば、天にも昇る榮達で在つた物が、今では廢墟の後片付けと夜盜(やたう)の取り締まりに追はれる許りとは云へ、先の大亂で大友王子の援軍要請を太宰(おほきみこともち)(つかさ)で門前拂ひにした、倭國復興に(やぶさ)かでは勿い漢に取つて、願つても勿い里歸り。京に上がるのでは勿く、蹴落とされた等と、云はれる覺えも勿ければ、美努王(みののおほきみ)に何の越度(をちど)も有りはし勿い。唯、(めと)つた女の巡り合はせが惡かつた丈け。離緣は美努王(みののおほきみ)の一族から切り出された。鸕野讚良(うののさらら)の默認の許、不比等の手囘しで夫を剝ぎ取られた道代には、其の橫暴に再び眼を(つぶ)るより外に打つ手が勿い。王位を爭ふ(かたき)を血祭りに上げて伸し上がつて來た血筋に取つて、從五位下(じゆごゐのげ)臣下(やつがれ)と年端も行かぬ子供に手を掛けるなぞ手慣れた物。事を荒立てて火に油を注ぐ位なら、砂を嚙んで呑み込む方が增し。

 其の隱忍自重に徹した(しづ)かな形相を盜み見て、此ぞ後宮(うしろのみや)の鑑と、不比等は更に惚れ直した。此の女は女で存つて女で勿い。父上に足り勿かつたのは、女に眼を付ける先見で在つた。淡海帝(あふみのみかど)も蘇我の女を手當たり次第に(あさ)りはしたが、力盡くで其の血緣を縛り上げた儘、飼ひ殺しに爲た丈け。女を御餝りと見縊(みくび)つた者に、天下は勤まらず。彼の女の(からだ)を知つて、(ふひと)の裏に女が在る事を得心した。此の底知れぬ膽力(たんりよく)を持つ魔性の太母を抱き込まずに、天變(てんぺん)を起こす事も耐へる事も敵ひはせぬ。朝堂に於ける女の御稜威(みいつ)。道代の品行が及ぼす影の力を不比等は知悉(ちしつ)してゐた。麗しい容姿と心根を兼ね備へた、人を惹き付けて()まぬ魅力と人脈。鸕野讚良(うののさらら)阿閇王女(あへのみこ)から搖るがぬ信を賜る包容力。何事にも挫けぬ芯の强さを貫く天與(てんよ)の慈愛。其の何處迄も己を押し殺す、優し過ぎる弱みに不比等は付け込んだ。手懷(てなづ)ける心算(つもり)は毛頭勿い。憎まれる位でなければ、此の山を衝き動かせぬ。彼の飛鳥帝ですら女の(いくさ)には敵はぬで在らう。命を宿し、穢れに(まみ)れる女は()り神に近く、其の(ちから)を借りずに成し遂げる事なぞ髙が知れてゐる。大亂の卋に女王(ひめぎみ)は求められ擁立(たてまつ)られる。大王(おほきみ)外戚(げさく)と成るのは女王(ひめぎみ)(ちから)を手に入れる爲。淡海帝が竺志の外戚(げさく)と成る可く、大海帝に女を輿入れし續けた父鎌足の策略が今、()(むす)ばうとしてゐる。淡海帝も大海帝も薩夜蔴も皆、女王(ひめぎみ)(ちから)を信じずに去つて行つた。と爲れば、其の次は、

 不比等は女に(かこ)まれる事を望んだ。息の根の細い、何時、日嗣(ひつぎ)()が途切れるやも知れぬ珂瑠王子を擔ぐ事ですら、男の數に入らぬ、寧ろ都合が良いと北叟笑(ほくそゑ)む。餘計な男は足手纏(あしでまと)ひに爲る丈け。此の卋に漢は己獨りで良い。然う(つぶや)いて、道代の閨房(ねや)に通ひ續けた。

 

 

 

 朱鳥(しゆてう)九年甲午(きのえうま)十二月(しはす)丙子(ひのえね)庚戌(かのえいぬ)乙卯(きのとう)

 

 藤原宮に(うつ)(おほましま)す。

 

 戊午(つちのえうま)

 

 佰官(もものつかさびと)(みかど)(をろが)む。

 

 己未(つちのとひつじ)

 

 親王(みこ)より以下(しもつかた)評司等(こほりのつかさたち)(まで)(ふとぎぬ)(わた)(ぬの)を賜ふこと(おのもおのも)有差(しなあり)

 

 辛酉(かのととり)

 

 公卿大夫(まへつきみたち)(とよのあかり)をたまふ。

 

 

 新しき歲の始めを新宮(にひきみや)で迎へる可く、飛鳥帝が竺志の日嗣(ひつぎ)參種(さんしゆ)神璽(しんじ)御衞(おまも)りして飛鳥宮より遷坐し、元朝(ぐわんてう)(ことほ)(のり)に備へて、其の玉體(みたま)文物(ぶんぶつ)(ととの)へた。未だ荒蕪(くわうぶ)せし野面(のづら)許りとは雖も、太宰(おほきみこともち)(つかさ)をも凌ぐ遙かな條坊(でうばう)。其の有望な餘地を見渡して、(みかど)宸襟(みこころ)を一抹の朔風(さくふう)が掠めた。此れは最早、燒け落ちた難波宮の如き竺志の副都では勿い。倭國の爲に東國(あづま)(おさ)へた心算が、何時の閒に此處まで肥え太らせて終つたのか。此の條坊(でうばう)が埋め盡くされた(あかつき)には、必ずや征西(せいせい)に討つて出る。己の所業は(かたき)()(はら)んだ(めかけ)も同然。此の(みやこ)天離(あまざか)つた落人(おちうど)(つい)(みすか)か、死に塲所か。其の全貌が催す眩暈(めまひ)も醒めやらぬ儘に、

 

 大化(たいくわ)元年(はじめのとし)甲午(きのえうま)、春正月(むつき)丁丑(ひのとうし)庚辰(かのえたつ)朔、

 

 新益京(あらましのみやこ)への遷都を祝ひ、元號を大化(たいくわ)に改元。白雉、白鳳、朱雀、朱鳥と續いた靈鳥の咒縛が解かれ、(あら)はと爲つた倭國の命運。傍目には磐石と見える飛鳥帝の御代(みよ)も、其の影で(そぞ)ろな爪音が忍び寄つてゐた。草壁王子の忘れ形見にして、鸕野讚良(うののさらら)直孫(ぢきそん)、珂瑠王子。其の(たま)()は覺束ぬと雖も、御歲(おんとし)を迎へて、

 

 拾有參春秋(じふいうさんしゆんじう)

 

 如何(どう)にか初冠(うひかうぶり)まで辿り著き、死太(しぶと)()(ながら)へて來た日蔭(ひかげ)親王(みこ)が繫ぐ僅かな望み。獨つ歲下の()日嗣(ひつぎ)長屋親王(ながやのきみ)と皇位を爭ふ目を殘す此の庶子(みこ)に、(みかど)は云ひ知れぬ餘寒を抱いてゐた。何よりの誤算は、鸕野讚良(うののさらら)が未だ自滅をせず、後宮(うしろのみや)に居座つてゐる其の執念。草壁王子を亡くして氣が觸れ、人の心を解さぬ夜叉(やしや)落魄(おちぶ)れた妖妃(えうき)なぞ、其の内、外道の茨に足を蹈み外す物と遊ばせて措いたが、()(あら)ず。先帝(さきのみかど)庶子(みこ)が揃つて皇位の(きざはし)から引き下がつた後も、臺座(だいざ)(へり)蜷局(とぐろ)を卷いてゐる。此れも(ひとへ)に、(はかりごと)を繰り返した果ての、敵と味方で入り亂れた血筋の()せる(わざ)。彼の物狂ひの猿眞似が次ぎに何を引き起こすのか。云ふ迠も勿く、其れが息の根を止める事にも爲らう。旣に尻尾は摑んでゐる。後は、藪の中から頭を出した處を仕畱(しと)める丈け。(みかど)は新しい(しつら)への禁裡(おほうら)で迎へる初春(はつはる)(やま)しさから、追ひ詰めた獲物に眼路を(そら)し、吉報が屆く其の刻を、心の徒波(あだなみ)に搖られて(しづ)かに俟ち續けた。

 

 

 春寒(しゆんかん)冴え返る烏玉(ぬばたま)の夜更けに、獲物が網に掛かり刑部省(うたへただすつかさ)に送られたとの報せを受け、曉を俟たず驅け附けた飛鳥帝。此れで總てが片付いたかと思へば、()(あら)ず。繩に縛られて膝を附いる道代に、(みかど)は吾が眼を眼を疑つた。淡海帝の代から(はかりごと)に明け暮れた其の果てに、陷穽(かんせい)に墮ちた者達の亡靈から、夜每、新たな()(にへ)を獻げよと鸕野讚良(うののさらら)()(さいな)まれてゐる。次の供物(くもつ)は何者か。(せん)ずれば(おの)づと其の答へは絞られる。()()りなんと云ふ密吿を受け、眼を附けて措いた(すた)れし(やしろ)で、(うし)(とき)に待ち構へゐた刑部省(うたへただすつかさ)兵達(つはものたち)の前に現れたのは、(たう)太妃(おほきさき)では勿く、此の寒空に素服(そふく)單衣(ひとへ)(まと)つた命婦頭(みようぶがしら)。卽刻、取り押さへて召し上げた、(みかど)(かたど)る木簡に(みかど)御名(みな)(しん)(ざう)穿(うが)木釘(きくぎ)と焦げ跡。原名調伏(げんめいてうぶく)形代(かたしろ)相違(あひたが)ひ勿く、辨明(べんめい)餘地()も勿い。然れど、

 「總ては私(ひと)りの越度(をちど)如何樣(いかやう)にも。」

 (まばた)き獨つせぬ(まなこ)爛爛(らんらん)煌憑(ぎらつ)かせて大逆の死罪を求める、道代の皇然(くわうぜん)とした振る舞ひと面差しは、(むし)ろ身の潔白を裏付け、白を切るのも甚だしい。其の何者をも寄せ附けぬ血意(けつい)(みかど)氣壓(けお)され、改めて、力盡(ちからづ)くで召し抱へず、二の足を蹈んだ己を()ぢ、()(かこ)侍從(つかひひと)刑部官(うたへただすつかさ)達を拂い除けた。

 「車駕(くるま)を持て。」

 雞鳴(けいめい)も凍て付く、夜明け前の尖烈(せんれつ)な冷え込みを斬り裂いて、鸕野讚良(うののさらら)の舘へと出御(しゆつぎよ)する薄明かりの輦道(れんだう)。道代を()()れて、未だ夢路をさ迷ふ(あるじ)閨房(ねや)に乘り込み、(みかど)は己の形代(かたしろ)を其の枕元に叩き付けた。四散する木簡の破片。跳ね起きた太妃(おほきさき)擧措(きよそ)を失ひ、縛り上げられた素服の道代を目の當たりにして、總てを察した其の顏色は、太妃(おほきさき)指圖(さしづ)では勿く道代が自らの意志で罪を被つた事を物語る。鸕野讚良(うののさらら)(うし)刻參(ときまひ)りをしてゐた事は搖るぎ勿い。時機を俟ち、敢へて見殺しにして措いた迠の事。自明の詮議なぞ如何(どう)でも良い。(みかど)が眞に()(ただ)し度いのは、道代程の才媛賢母が、何故(なにゆゑ)、斯樣な骨肉の亡者に仕へ、其の身命(しんみやう)(ささ)げるのか。

 「其の(もの)(とが)は有りませぬ。下女(むすめ)の罪は女主(おや)の罪。萬死(ばんし)を下されて可然(しかるべし)。其の上で如何(どう)か、()王子(みこ)の命丈けは、()王子(みこ)の命丈けは。」

 道代に總てを(なす)()けて云ひ逃れる事も勿く、(みかど)の足許に平伏し、滂沱(ばうだ)の淚で心を(あら)ため哀訴する鸕野讚良(うののさらら)に、眞逆(まさか)、此處まで試算して此の僞計を(はか)つたのだとしたら。(おそ)()し、縣犬養道代(あがたいぬかひのみちよ)(みかど)は此の取るに足らぬ後家に仕へる眞意を、今(しばら)く見極めてみ度い(おも)ひに驅られ、有られも勿い姿を曝し續ける鬼子母の、(いびつ)ではあつても僞りの勿い慈悲の念に、誅伐(ちゆうばつ)の虛しさを垣閒見た。先方が逆恨みをしてゐる丈けで、始めから向きに爲る程の(かたき)でも勿い。死に損なひの母子を血祭りに上げたとて、天より授かつた此の御手(みて)を穢し、己の德を下げる丈け。

 「繩を解け。」

 (みかど)は事の成り行きを默つて見護る道代に、何時の閒にやら押し切られてゐた。護國と骨肉、其の(いづ)れが(おも)いのか。(かへ)つて己が詮議されてゐるかの如き無言の責め苦。山門の繼兄弟を庶子として見下し、實父も寳祚の先達でしか勿く、國を委せる器で勿い嫡男(ひつぎ)長屋親王(ながやのきみ)の不德を歎く許りで、親子の情愛なぞ下下の甘えた性根と切り捨て、盡忠報國に精進して來たが、果たして其れが人の卋の(まこと)(ことわり)なのか。

 「良い侍兒(はむべり)を持つたな。其の果報を身に餘ると思へ」

 厭魅咒詛(えんみずそ)(とが)で徒刑を課す可き處を禁足にすらせず、鸕野讚良(うののさらら)に背を向け、舘を後にした。己の甘さを重々承知の上で、從へた刑部官(うたへただすつかさ)に眼も吳れず、車駕(くるま)へと向かふ其の宸襟(むねのうち)(みかど)は最後の氣懸かりに釘を刺した事で(わず)かに澑飮(りういん)を下げ、(かね)てより()(とど)めてゐた、千年に一度の英斷を下す(ほぞ)を固めた。此の一誅を大局に乘り出す天機とせずに見過ごす樣では、成せる事すら儘爲(ままな)らぬ。倭國(ゐこく)東國(あづま)を兩肩に(かつ)ぎ、一點を見据ゑて先を急ぐ王道。其の征途(せいと)に、道代が捕まつたと聞き、後を追つて遣つて來た不比等と鉢合はせをした。美努王(みののおほきみ)を追ひ遣り、道代を(めと)る手筈を整へた此の拔け目の勿い男が、(みかど)の内偵で其の裏を搔かれた血相に、稀代の烈女を見逸(みそ)れた(みかど)は微かに救はれた氣がした。

 「其方(そち)には過ぎた女よ。」

 

 

 

 大化(たいくわ)二年丙申(ひのえさる)、春正月(むつき)庚寅(かのえとら)甲辰(きのえたつ)朔、

 

 賀正禮(みかとをかみのこと)(をは)りて、(すなは)改新之詔(かいしんのみことのり)()らして(のたま)はく、

 

 其の一に(のたま)はく、昔在(むかし)天皇(すめらみこと)等の所立(たま)へる子代(こしろ)(おほみたから)處處(ところどころ)屯倉(みやけ)及別(またこと)(おむのこ)(むらじ)伴造(とものみやつこ)國造(くにのみやつこ)村首(むらのおびと)所有(たも)てる部曲(かきべ)(おほみたから)處處(ところどころ)田莊(たどころ)()めよ。()りて食封(へひと)大夫(まへつきみ)より以上(かみつかた)に賜ふこと(おのもおのも)差有(しなあ)らむ。(くだ)りて布帛(きぬ)を以て官人(つかさ)百姓(おほみたから)に賜ふこと差有(しなあ)らむ。又(のたま)はく、大夫(まへつきみ)(おほみたから)を治め使()むる所(なり)()く其の(まつりごと)を盡くすときは、(すなは)(おほみたから)(これ)を賴む。(かれ)、其の祿(たまもの)を重くせむことは、(おほみたから)の爲にする所以(ゆゑ)(なり)

 

 

 本來、元旦(としのはじめ)賀正禮(みかとをかみのこと)は竺志の日嗣(ひつぎ)、山門の天皇(すめらみこと)(あく)る二日の習ひで在る可き處を、飛鳥帝が公卿(まへつきみたち)佰寮(もものつかさびと)の前に出御(しゆつぎよ)し、新しき御宇(みよ)の始まりを吿げる、改新(かいしん)御言宣(みことの)りを天下(あめのした)に知らしめた。庭内(おほには)を搖るがす臣下(やつがれ)(どよ)めき。其の絕卋を讚へる(まばゆ)い羨望とは裏腹に張り裂ける(みかど)宸襟(みこころ)。無理も勿い。竺志の日嗣(ひつぎ)を差し措き、山門の天皇(すめらみこと)元旦(としのはじめ)昇御(しようぎよ)した其の意味は推して知る可し。薩夜蔴が(みまか)つて(のち)太宰(おほきみこともち)(つかさ)鹽漬(しほづ)けにし、寳祚(ほうそ)を定めず竺志の(まつりごと)()こして早十歳(はやとをとせ)。機は未だ熟してをらずと雖も、此の儘、坐して倭國の本貫を置き去りにする譯にも行かず、飛鳥帝と竺志の日嗣は斷腸の念ひで新しい年を迎へた。

 

 

 二月(きさらぎ)辛卯(かのとう)癸酉(みづのととり)壬午(みづのえうま)、春分、

 

 皇太子(ひつぎのみこ)使ひを使(まだ)して奏請(まうさしめ)(のたま)はく、

 

 昔在(むかし)天皇(すめらみこと)等の(みよ)には、天下(あめのした)(みまろか)(ひと)しめて治めたまふ。今に及逮(およ)びては、分かれ離れて(わざ)を失ふ。天皇(すめらみこと)、我が(きみ)、萬民を(やしな)ふ可きは(これ)(みよ)(あた)りて、(あめ)(ひと)合應(こた)へて、()(まつりごと)(これ)(あらた)なり。()(ゆゑ)に、(よろこ)(たふと)びて、(いただき)(いただ)きて伏奏(かしこまりまう)す。

 

 現爲明神御八㠀國(あきつかみとやしまぐにしらす)天皇(すめらみこと)(やつがれ)に問ひて(のたま)はく、

 

 其の(もろもろ)(おむのこ)(むらじ)、及び伴造(とものみやつこ)國造(くにのみやつこ)所有(たも)てる昔在(むかし)天皇(すめらみこと)()所置()ける子代(こしろ)入部(いりべ)皇子(みこ)等の(わたくし)(たも)てる御名入部(みないりべ)皇祖(みめみおや)大兄(おほえ)御名入部(みないりべ)、及び其の屯倉(みやけ)(なほ)古代(むかし)の如くして()かむや以不(いなや)

 

 (やつがれ)(すなは)(つつし)みて()らす所を(うけたまは)り、奉答而曰(こたへまを)さく、

 

 (あめ)(ふた)つの()無く、國に(ふた)りの(きみ)無し。()(ゆゑ)に、天下(あめのした)()(あは)せて、萬民を使ひたまふ可きは、唯、天皇(すめらみこと)(ならくのみ)(こと)に、入部(いりべ)、及び所封(よせさ)(おほみたから)を以ちて仕丁(つかへのよほろ)(えら)()てむこと、(さき)處分(ことわり)に從はむ。自餘以外(これよりほか)は、(おそ)るらくは(わたくし)駈役(つか)はむことを。(かれ)入部(いりべ)五百廿四(いほあまりはたあまりよつ)(たり)屯倉(みやけ)一百八十一(ももあまりやそあまりひとつ)(ところ)(たてまつ)る。

 

 

 

 薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)日嗣(ひつぎ)太子(みこ)が、山門の髙御座(たかみくら)(ましま)す飛鳥帝に、參種(さんしゆ)神璽(しんじ)(なら)びに倭國(ゐこく)蕃屛(まがき)資產(たから)奏請(たてまつ)り、倭國から山門へ天下(あめのした)()べる(おも)しを禪讓(ぜんじやう)した。薩夜蔴の壹粒胤は竺志の蕃王(はんわう)を勤め、飛鳥帝が倭國の帝位と山門の王位を兼祚(けんそ)する英斷。天帝の赤子で存る竺志の日嗣と、山門の現人神(あらひとがみ)が獨りの體に宿る、前代未聞の統御(とうぎよ)に、倭㠀根(ちくししまね)嘏夷(えみし)の果てまで(どよ)めゐた。無論、此の天荒(てんくわう)()する發起(ほつき)は飛鳥帝が竺志の正統で存ればこそ。阿每(あま)氏から阿每(あま)氏への讓國(じやうこく)易姓革命(えきせいかくめい)(あら)ず。常色(じやうしき)の海幸彥、大海人と胸形(むなかた)(きみ)德善(とくぜん)(むすめ)尼子娘(あめこのいらつめ)嫡男(ひつぎ)、飛鳥帝の功德兼隆(くどくけんりゆう)勿くしては有り得ぬ奇手妙想に、臣下(やつがれ)百姓(おほみたから)は春分の御空(みそら)雷乃發聲(かみなりすなはちこゑをはつ)するを聞いた。薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)を歸京させて山門と竺志の東西統治。倭國の御稜威(みいつ)は其の儘に、穴門(あなと)以西の天子の直轄、九州の治卋に專心させる上で、神璽(みしるし)の護持と(まつりごと)の掛け持ちは足元を取られる事にも爲り兼ねぬ。此處は一先づ飛鳥帝の仁恕(じんじよ)を賴りに、復び竺志の本貫に遷座する其の刻を期すのが賢明。

 「危殆(きたい)に頻する太宰(おほきみこともち)(つかさ)再興の爲、今は雌伏の時。天下(あめのした)に揭た御旗(みはた)を斬り裂くのも亦、祖国の傷を塞ぐ卷き布に充てるが故。」

 との優諚(いうぢやう)に肩の荷の降りた竺志の日嗣(ひつぎ)は、(みづか)()らす九州から、山門が仕丁(つかへのよほろ)及び租調(みつき)を召し上げぬ、本領安堵の沙汰(さた)を飛鳥帝と(ちぎ)つた。眼と眼の遣り取りで交はす、獨つの王朝の區切り。出雲國から天孫族、倭奴國(ゐどこく)から邪馬壹國(やまいこく)倭王(ゐわう)御代(みよ)から阿每(あま)氏と渡り步いた(みかど)(もとゐ)神璽(みしるし)が今、(しづ)かに其の禁紐(きんちう)を解いた。其の裏で、

 咒詛大逆(ずそたいぎやく)の一件に因つて憑き物が落ち、去勢された兔の如く溫和(おとな)しく爲つた鸕野讚良(うののさらら)を一顧だにせず、不比等は(ひそ)かに珂瑠王子を日嗣(ひつぎ)太子(みこ)册立(さくりつ)する地固めを進めた。目障りだつた阿每(あま)氏も潮時を迎へ、行き遲れの薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)が片付いた許りか、祖宗(はじめのおや)神器(みしるし)東國(あづま)に腰を据ゑる僥倖(げうかう)に惠まれ、殘る荷厄(にやく)唯獨(ただひと)り。山門(やまざる)習性(しきたり)の中で育つた曲者は、猿山の頂から引き擦り降ろしさへすれば、後の取り卷きは籠絡する迠も勿い事を知悉(ちしつ)してゐた。然れど、其の最後の砦を如何(いか)にして(おとしい)れるのか。物思ひに(ふけ)つては薄ら(わら)ひを浮かべる、不比等の烱烱(けいけい)とした禽眼(きんがん)。其の狡猾な藪睨(やぶにら)みを、道代は籍を入れる度を調(ととの)へ乍ら遠卷きに窺ひ、(こご)えた澑め息を呑み下した。

 (いくさ)にも出ず、佩刀(はいたう)を拔いた事すら勿い文林の隱者(やから)が、神の御託宣(おつげ)も勿く、徒に卋を動かす野望に燃える奇異を(いぶか)り、王道とは無緣の其の臣下(やつがれ)に天が(かげ)り、山が(かし)(むし)の知らせに(をのの)くしか勿い女の身。竺志の(おも)しを讓られた飛鳥帝の盛運に何が起こらうとしてゐるのか、何を起こさうとしてゐるのか。其の元凶に()(まと)はれ、夜每、(ひと)(ねや)の下を共にして(みさを)を委ねる柔肌は、不比等の(ほぞ)(うごめ)く嗜虐と畏怖の手觸(てざは)りに粟立(あはだ)ち、入り亂れた精魂に力盡(ちからづ)くで(むさぼ)られる許り。此の自づから葛藤(ふぢかづら)(くびき)に息の根を(しぼ)()られる男に(あらが)つた處で、凝り固まつた邪念を逆撫でし、更なる深みへ卷き込まれる丈け。先夫(せんぷ)()を人質に、此の身を(めと)()いと云ふのなら(めと)らせて措けば良い。己の身獨つなぞ病葉(わくらば)の笹舟。如何(いか)徒波(あだなみ)に揉まれやうと惜しく勿い。今は唯、太妃(おほきさき)と珂瑠王子の心の支へと爲り、水火(すいか)()せず仕へるのみ。

 然う(うそぶ)いて袖の雫を堪へる道代の許に、朝庭(みかど)から改新を(ことほ)(とよのあかり)への寵招(ちようしよう)を報せる使ひが(まだ)され、拜塵(はいじん)に浴する(ほま)れを賜つた。朝が直直(ぢきぢき)直廣貳(ぢきくわうに)の不比等と道代の良緣を祝ふと云ふ。()(とし)咒詛(ずそ)の騷ぎを起こした許りの狼藉者を捕まへて、此れは如何(いか)なる余興なのか。無論、斷れば有らぬ疑ひを被る事と爲る御召(おめ)()げ。二つ返事で(うけたまは)り、不比等に其の旨を吿げると、當卋隨一(たうせいずいいち)の曲者は、(うす)(わら)ひを苦遊(くゆ)らせてゐた虎視を見開き、道代の首に腕を囘して抱き寄せた。

 

 

 

   瀨を早み岩にせかるる瀧川の

    割れても末に逢はむとぞ思ふ

 

 竺志の天道と山門の古道。元は獨つの道()れど、本家と分家、(たもと)()かちて幾星霜。巡り巡つた日嗣(ひつぎ)の果てに、今宵、二度(ふたたび)相謁(あひまみ)へる其の數奇(すうき)天孫(あめみま)太祖(はじめのおや)御宇(みよ)から護持し續けた參寳(さんぽう)禪讓(ぜんじやう)()け、盟主から宗主へと成り上がつた、千年に一度の大慶(たいけい)、此處に極まる祝ひの(とよのあかり)に、居竝(ゐなら)ぶ山門の王族と公卿(まへつきみ)は、帝位と王位、(ふた)つの寳祚(ほうそ)(ましま)()天王(あまきみ)、此ぞ天與(てんよ)の度量の成せる業と、飛鳥帝を(ことほ)ぎ、絕卋の春を讚へ合ふ。倭國の(くびき)が解けたからとて、冠位を(さづ)かり、封戶(ふこ)が增える譯でも勿ければ、猿山の頂が天孫(あめみま)(ましま)髙御座(たかみくら)に成つたからとて、官吏(つかさ)書机(ふづくえ)から見上げる事に()はり勿く、(さづ)かつた竺志の靈代(みたましろ)に觸れる事すら叶は勿い。今以(いまもつ)寳祚(ほうそ)を究めるのは竺志の直系。何時復た、元の鞘に納まるやも知れぬ。其れでも、文物に(うと)東夷(やまざる)(さげす)まれ、頭熟(あたまごな)しに押し附けられてゐた(おも)しが取り除かれた快哉(くわいさい)如何斗(いかばか)りか。虐げられし王朝の新たなる草創(はじまり)。其の千年に一度の(とき)めきに聯座(れんざ)する餘榮(よえい)(あづか)つた道代は、病床から祝意を送つた珂瑠王子と、咒詛大逆(ずそたいぎやく)の主犯で面目の勿い太妃(おほきさき)の辞した、歡天喜地の酒席を見渡して、此の榮華に(ふた)りの立つ瀨の勿い事は、(かへ)つて(しづ)かに暮らす良い轉機(てんき)に爲るで在らうにと(おもんばか)るのだが、何しろ鄰りの奇計の(やから)が母と子の(むつ)まじき一時を赦さ勿い。道代は膳を(なら)べる不比等の橫顏を一瞥(いちべつ)すると、其の蔭に隱れて常卋(とこよ)に續くかに思へる(とよのあかり)から、塲違(ばちが)ひも甚だしい己の氣配を消し去つた。處が、

 御前(みまへ)に新しい(ささ)(さかな)調(ととの)へられると、其の樣子を窺つてゐた(みかど)は膝を()いた儘、退(しさ)膳部(かしはべ)を呼び止めた。何言か優諚(いうぢやう)を賜り、腰を屈めて不比等の許へと向かふ膳部(かしはべ)。血の氣の失せた其の蒼貌(さうばう)(みかど)御召(おめ)しを耳打ちし、不比等の生色も凍り付く。唯ならぬ怖氣(おぞけ)()(すく)め、神妙な面持ちで(みかど)御前(みまへ)(うやうや)しく進み出る、僞りの夫から顏を(そむ)ける道代。二度と戾つて來なければ良い物を。然う(おも)はしめる奸臣(かんしん)の膝は旣に搖れてゐた。(みかど)(さかづき)を取り上げて(しやく)に目配せをし(ささ)を注がせると、不比等の眼の色の奧底を(えぐ)()る樣に窺ひ乍ら、强張つた不比等の鼻先に突き附ける。

 「(みかど)より先に戴く譯には。」

 兩手で(さかづき)を賜りはした物の、竝竝(なみなみ)と注がれた(ささ)(ふる)へて袖を濡らし、汗顏に(まみ)れて固辭する不比等。

 「何故(なにゆゑ)か、(ふる)(わなな)く。」

 「大王(おほきみ)に近づきまつれるを(かしこまり)て、不覺(おもほえざ)りて汗を流しつ。」

 (みかど)は不比等を睨み付けた儘、地の底から(うな)る樣に(おほ)せられた。

 「女あるじにかはらけとらせよ。さらずは飮まじ。」

 御召(おめ)しの懸かつた道代は膳部(かしはべ)に新しい(ささ)を賴み、(しやく)(さかづき)を提げて御前(みまへ)に出仕すると、(みかど)獻盃(けんぱい)を受け取り、(しやく)を傾けた道代に向かつて、嘉酒(かしゆ)搖蕩(たゆた)玉杯(ぎよくはい)を突き返した。

 「彌榮(いやさか)。」

 (みかど)の鬼氣迫る掛け聲に靜まり返る酒池(さかいけ)御苑(みその)(ふた)つの祝杯に衆目が注ぎ足され、暗默の息遣ひが溢れ返る。不比等は伏した(おもて)を上げる事も出來勿ければ、(さかづき)を下げる事も出來勿い。餘計な事をして吳れた物だ。此處で祝言(しうげん)を擧げる事に爲らうとは。道代は己で滿たした一獻(いつけん)を三度に分けて飮み干した。然して、(みかど)の瞠目を(みつ)(かへ)して返盃を差し出し、受け取られた御手(みて)に無言で(しやく)を傾ける。酒面(さかも)に映る龍顏(りゆうがん)と、道代の端然とした面差しを(しば)し見比べる(みかど)。道代が仕方勿く不比等の(さかづき)を奪つて飮み干すと、朝は相好を崩して、其の儘一氣に(あふ)つて乾杯を差し出した。呆氣に取られる不比等を餘所に道代は再び(しやく)を傾け、(みかど)も復た其の一獻(いつけん)を無言で()けては一氣に(あふ)り、乾杯を返す。

 「醉ひ潰して、寢首を搔く氣か。」

 「滅相(めつさう)も勿い。」

 言葉を(えう)せぬ床杯(とこさかづき)の如き心の遣り取り。其の巡り合はせの(たはむ)れに添へる(しやく)の手が(しづ)かに(ふる)へ、注ぎ口が(さかづき)の緣を舐める樣に()れると、道代は床の上に頭から(くづほ)れた。緘默の禁を破る鈍い轟き。碎け散つた(しやく)(ささ)飛沫(しぶき)を浴びた(みかど)御手(みて)も復た力を失ひ、零れ落ち(さかづき)(みかど)の膝を叩いた。

 「この女のたばかりにや負けるとは。」

 沸沸と込み上げる悲憤に(うめ)き、床に()した道代に手を伸ばさうとして前踣(まへのめ)りに倒れる飛鳥帝。

 「熟熟(つくづく)()しい女よ。」

 最期の息の根で捨て身の太母を讚へ事切れると、其れ迠、己の仕掛けた罠に怯えてゐた鼠が(にはか)に雄叫びを上げ、神算鬼謀の姑息を吹き返す。此處から先は刑部省(うたへただすつかさ)の判事《ことわるつかさひと》の獨壇場。

 「何者の差し金か。膳部(かしはべ)何處(いづこ)。何を爲てをる。狼藉者を捕らへよ。」

 不比等は衞門府(ゆけひのつかさ)を恫喝して()を制し、(みかど)を介抱する振りをし乍ら、橫目で殊勳の新室(にひむろ)を盜み見る。身動(みじろ)ぎ一つせず、(ささ)(まみ)れた其の喪神。全く過ぎた女とは此の事。改めて道代の底知れぬ膽力(たんりよく)に感服する物の、其の内助の功に(あづか)つたからとて、頭を低くする男では勿い。手下で在つた膳部(かしはべ)刑部省(うたへただすつかさ)に鎖ぢ込めて締め上げ、虛僞の自白を引き出した不比等は、濡れ衣を政敵に被せて次次に捕らへ、體良(ていよ)く闇に葬ると、己の毒に遣られて、此處(しばら)くは物狂(ものぐる)ひも鳴りを(ひそ)めてゐた女王蜂を叩き起こし、此から先の算段を叩き込んだ。死んだ振りをしてゐる塲合では勿い。天は酒毒を盛つた道代では勿く(みかど)を召し上げた。

 

 

 大化(たいくわ)二年丙申(ひのえさる)七月(ふみつき)丙申(ひのえさる)辛丑(かのとうし)庚戌(かのえいぬ)

 

 皇尊(すめらみこと)(みう)せましぬ。

 

 

 山門(さるやま)は色めき、空位と爲つた其の頂きと、颱風の目と成つた不比等の顏色を皆が皆、窺ひ、鸕野讚良(うののさらら)原名調伏(げんめいてうぶく)顯現(けんげん)有り、天は吾れに味方したと、息を吹き返す。其の渦中で、

 同じ死杯(しはい)(あふ)り乍ら、不歸の旅路を折返し一命を()()めた道代は、己の業の深さに()(ひし)がれてゐた。何故(なにゆゑ)、二度と戾つて來なければ良い物を、と(おも)ひつつ見送つた不比等を助け、(みかど)(おとし)めたのか。(みかど)の召された天から突き落とされ、死出(しで)道連(みちづ)れを勤める事すら叶はず、

 「出來(でか)した。」

 と枕元で(ささや)く不比等の(ねぎら)ひも、()()ぢに泥。總ては此の男が咲かせる藤の花の毒。死杯(しはい)の前から旣に一服盛られてゐたとしか云ひ樣が勿い。最早、此の息の根が有る事すら壹罰(いちばつ)佰戒(ひやくかい)。復た獨つ罪荷(つみに)が增えた。

 

 

 

 人は死ぬと神に成る。(いは)んや天孫(あめみま)皇胤(くわういん)とも成れば、八佰萬(やほよろづ)壹柱(ひとばしら)(あら)ずして、天地(あめつち)柱樞(ちゆうすう)。飛鳥帝を神宮(かむのみや)(よそほ)(まつ)り、朝庭(みかど)臣下(やつがれ)白栲(しろたへ)蔴衣(あさぎぬ)(まと)ひて、天道の頂へと昇御(しようぎよ)する大御靈(おほみたま)を御見送りする其の殯禮(あらきのゐや)に、(ふた)つ目の(おくりな)大倭根子天之廣野命(おほちくしねこあめのひろのみこと)が奉られた。扶桑(ふさう)(みやこ)から下向し、期せずして山門の王位を勤めた父|天渟中原瀛眞人天皇《あめのぬなかはらおきのまひとのすめらみこと》も(なの)る天孫の(おくりな)髙天原廣野天皇(たかまのはらひろのすめらみこと)に次ぐ、もう獨つの追號。竺志と山門、(ふた)つの(おくりな)を束ねた、天帝の赤子(せきし)にして現人神(あらひとがみ)と云ふ、嘗て勿き先帝の大業を讚へる(しのびごと)。其の敬弔に(むせ)假屋(かりをく)に不穩な挽哥が木靈(こだま)した。

 

 

 (かけま)くも ゆゆしきかも 言はまくも (あや)(かしこ)き 明日香(あすか)の 眞神(まがみ)の原に 久かたの (あま)御門(みかど)を (かしこ)くも 定め賜ひて (かむ)さぶと 磐隱(いはかく)()す 八隅知(やすみし)し ()大王(おほきみ)の 所聞見(きこ)しめす 背面(そとも)の國の 眞木(まき)立つ 不破山(ふはやま)越えて 百濟釼(こまつるぎ) 倭山(ゐやま)が原の 行宮(かりみや)に 天降(あも)(いま)して (あめ)(した) 治め賜ひ ()す國を 定め賜ふと (とり)が鳴く 吾妻(あづま)の國の 御軍士(みいくさ)を ()し賜ひて 千磐破(ちはやぶ)る 人を(やは)せと 不奉仕(まつろはぬ) 國を(をさ)めと 皇子(みこ)(ながら) (よさ)し賜へば 大御身(おほみみ)に 大刀(たち)取り(はか)し 大御手(おほみて)に 弓取り持たし 御軍士(みいくさ)を あどもひ賜ひ (ととの)ふる (つづみ)の音は (いかつち)の (おと)と聞くまで 吹き()せる 小角(くだ)の音も (あた)見たる 虎か()ゆると 諸人(もろひと)の (おびゆ)るまでに 指擧(ささ)げたる (はた)(なびき)は 冬ごもり 春去り來れば ()(ごと)に ()きて有る火の 風の(むた) (なび)くが如く 取り持てる 弓弭(ゆはす)(さわき) み雪落る 冬の林に (つむじ)かも い卷き渡ると 念ふまで ()きの(かしこ)く 引き放つ()の (しげ)けく 大雪の 亂れて來たれ 不奉仕(まつろはず) 立ち向かひしも 露霜(つゆしも)の ()なば()ぬべく ()く鳥の 相競(あらそ)(はし)に 渡會(わたらひ)の (いつき)の宮ゆ 神風(かむかぜ)に 伊吹き或る(まと)はし 天雲(あまくも)を 日の目も見せず 常闇(とこやみ)に 覆ひ賜ひて 定めてし 水穗(みづほ)の國を (かむ)(ながら) 太敷(ふとし)()して 八隅知(やすみし)し ()大王(おほきみ)の (あめ)(した) 申し賜へば 萬代(よろづよ)に (しか)しも有らむと 木綿花(ゆふはな)の 榮ゆる時に ()ご大王 皇子(みこ)御門(みかど)を 神宮(かむみや)に 裝束(よそ)(まつ)りて 遣使(つか)はしし 御門(みかど)の人も 白妙(しろたへ)の 蔴衣著(あさごろもき)て 埴安(はにやす)の (みかど)の原に (あかね)刺す 日の(ことごと) 鹿(しし)じもの い()()つつ() 烏玉(ぬばたま)の (ゆふべ)()れば 大殿(おほとの)の ()()見乍(みつつ) (うづら)成す い()(もとほ)り (さもら)へど (さもら)ひ得ねば 春鳥の さまよひぬれば 嘆きも 未だ過ぎぬに (おも)ひも 未だ盡きねば (こと)さへく 百濟(くだら)の原ゆ 神葬(かむはふ)り (はふ)りい()して 蔴裳(あさも)()し 城上(きのへ)の宮を 常宮(とこみや)と 髙く(まつ)りて 神隨(かむながら) 安定(しづ)まり()しぬ 雖然(しかれども) ()大王(おほきみ)の 萬代(よろづよ)と 所念(おも)ほしめして 作らしし 香山(かやま)の宮 萬代(よろづよ)に 過ぎむと念へや 天の(ごと) ()()け見つつ 玉手次(たまだすき) 懸けて(しの)はむ (かしこ)かれども

 

 久さかたの(あま)知らしぬる君(ゆゑ)

   日月も知らず()ひ渡るかも

 

 埴安(はにやす)の池の堤の隱沼(こもりぬ)

   去方(ゆくへ)を知らに舍人(とねり)迷惑(まど)

 

 哭澤(さきさは)神社(もり)神酒(みわ)すゑ(いの)れども

    ()(おほきみ)髙日(たかひ)知らしぬ

 

 

 言の葉の限りを盡くした、渾心の挽哥が奏上されず、柿本朝臣人丸は(あらき)假屋(かりをく)の外で愕然とした。遊部(あそびべ)の名家が(つかまつ)る可き獻哥(けんか)の大役を、嫡男(ひつぎ)の長屋親王に讓るやう()ひられた擧げ句、己が勤める獻哥までもが(しりぞ)けられた許りか、此の長哥は、扶桑の天子、薩夜蔴が(から)()で兇刃に(たふ)れ、(みまか)つたとの誤報を受け、勇み足で詠んだ柿本家の()ぢ。其れを、夏の陣で在つた先の大亂と、冬の陣で在つた(から)の外征を擦り換へ、先の大亂での獅子奮迅を讚へてゐる樣で()(なが)ら、()(じつ)、非業の最期を歎く言靈(ことだま)を飛鳥帝に(なす)()けるとは何事か。追弔(ついてう)魂振(たまふ)りを封じ、竺志の御稜威(みいつ)(おとし)める奸計(かんけい)で在る事は明らか。哥聖(うたのひじり)矜恃(きようぢ)なぞ、最早、二の次の話し。哥枕(うたまくら)怪釣(あやつ)り、御遺形(ごゆいぎやう)の安らかな眠りを搔き亂すなぞ沒義道(もぎだう)の極み。穿鑿(せんさく)する迠も勿い。彼の男を差し措いて外に誰が居ると云ふのか。挽哥の剽竊(へうせつ)も今に始まった事では勿い。飛ぶ鳥を落とした勢ひで直廣貳(ぢきくわうに)從肆位下(じゆしゐのげ)昇敍(しようじよ)し、参議(おほまつりことひと)に任官されて、今や公卿(まへつきみ)に列する藤原不比等。奴の爲業(しわざ)で勿ければ、(みかど)の不慮の御隱(おかく)れも天壽(てんじゆ)の御迎へで在つたと云ふのか。禪讓(ぜんじやう)(とよのあかり)に列席してゐたにも(かか)はらず、餘りにも唐突な奇禍(きくわ)擧措(きよそ)を失ひ、其の塲を(あらた)める事もせずに、息の根の途絕えた(みかど)の後を追ひ、加持祈禱(かぢきたう)に明け暮れて、靈驗(れいげん)(すが)()いた事が悔やまれる。旣に彼の毒殺も不比等の企てで在つた事は公然の秘密。人丸は舘に戾つた長屋親王の元に押し掛け、

 「小臣(せうしん)老骨(らうこつ)なりと(いへど)も、敢へて人に(おく)れず、隨行(ずいかう)の覺悟なり。」

 と決起を促すも、

 「()最中故(さなかゆゑ)。」

 の一言を(こぼ)して、泣き腫らした頰を伏せる先帝(さきのみかど)の忘れ形見。先の大亂で髙市皇子(たけちのみこ)が風雲を制したのは御歲(おんとし)拾玖(とをあまりここのつ)初冠(うひかうぶり)を授かつた許りの長屋親王は未だ、

 

 拾有參春秋(じふいうさんしゆんじう)

 

 德が足りず、先帝(さきのみかど)の血を承けて聰明(そうめい)では在る物の、義烈(ぎれつ)(はや)る氣骨で遠く及ばぬ、後ろ見を失つた雛鳥では、暗鬭(あんとう)()けた不比等の奸智術數(かんちじゆつすう)で返り討ちに合ふのが落ち。(いたづら)に軍鼓を(ふる)つた處で、臣心(じんしん)(あまね)く響く物でも勿い。然りとて、

 人丸は素服(そふく)に小さく納まつた日嗣(ひつぎ)見窄(みすぼ)らしさに、胸を焦がす嗚咽(をえつ)不得禁(きんじえず)。飛鳥帝が己の仕へる竺志の血と地で生まれ育つた最後の主君。竺志の天子に仕へる事は二度と再び勿い物と悟り、哥の心なぞ遠く及ばぬ、地に墮ちた天孫(あめみま)の行く末に、洟雲淚雨(ていうんるいう)を降り注いだ。

 

 

 

 

 倭國の番犬で阿每(あま)氏の重鎭、飛鳥帝が片付き、殘るは參種(さんしゆ)神璽(しんじ)を手放して竺志の蕃王(はんわう)に墮した薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)(にはか)に芽の出て來た(おほきみ)氏の復權で色めく山門の群像。其の渦中を逆卷く雙頭(さうとう)大蛟(みづち)鸕野讚良(うののさらら)と不比等は更なる毒を苦遊(くゆ)らせて、新益京(あらましのみやこ)の朝堂を藪の中へと引き擦り込んでいく。天孫(あめみま)の帝位と山門の王位を(あは)()つ、東國(あづま)の一國に畱まらぬ、大八洲(おほやしま)の權勢を一手に握る未曾有の天機到來と在つて、空位と爲つた髙御座(たかみくら)を王族と公卿(まへつきみ)(かこ)喧嚷(さんざめ)く、佰家爭鳴の禁中(おほうち)。吉野の會盟の生き殘りで、不遇を(かこ)つてゐた忍壁皇子(おさかべのみこ)芝基王子(しきのみこ)が亡靈の樣に黃泉復(よみがへ)り、反古(ほご)にされた在りし日の(ちか)ひを咒詛(ずそ)の樣に繰り返せば、大友王子(おほとものみこ)長子(よつぎ)弓削皇子(ゆげのみこ)は兄長皇子(ながのみこ)(かつ)()し、其處に但馬皇女(たぢまのひめみこ)との密通で(よそ)(くに)に飛ばされてゐた穗積皇子(ほづみのみこ)が舞ひ戾つて、舍人親王(とねりのみこ)新田部親王(にいたべのみこ)を抱き込み野次を飛ばす。當然、衆議は(まと)まらず、紛然(ふんぜん)(きう)を呈する猿山の遠吠え。(こと)に、竝居(なみゐ)先帝(さきのみかど)遺兒(ゐじ)達を差し措いて、先帝(さきのみかど)の孫珂瑠皇子(かるのみこ)を推擧する僭越(せんえつ)は惡い意味で際立つた。弓削皇子(ゆげのみこ)も淡海帝の孫とは云え、父大友王子(おほとものみこ)(まが)がり(なり)にも近江朝で日嗣(ひつぎ)を果たし、()(いくさ)に身を投じる事で、死してより偉大に成る事を選んだ。夜殿(よどの)()せる丈けの天壽(てんじゆ)に甘んじた草壁王子とは、後ろ盾と成る物が違ふ。先帝(さきのみかど)の孫が日嗣(ひつぎ)太子(みこ)册立(さくりつ)(かな)ふと云ふのなら、大津皇子(おほつのみこ)長子(よつぎ)粟津王(あはづのおほきみ)にまで日嗣(ひつぎ)の目が有ると云ふ事に爲り、芋蔓の樣に幾らでも地の底から湧いて來る。にも拘はらず、珂瑠皇子を後推(あとお)しする者の影に怯えて、皆が皆、指彈の矛先を納め、誰も彼も見て見ぬ振りを決め込んでゐる。

 本來、先帝(さきのみかど)嫡男(ひつぎ)長屋親王を差し措いて、登極(とうきよく)の筆頭は外に勿い。未だ德が及ばぬと云ふのなら、息長帶比賣(おきながたらしひめ)が幼き品陀和氣(ほむだわけ)(まつりごと)()()はした(たと)へも在る。其れ相應(さうおう)の後ろ見を立て好機を俟つ可き處を、生前に彼程、先帝(さきのみかど)(うやま)ひ、長屋親王に()(へつら)つてゐた者達が、揃ひも揃つて掌を返し、正統な皇胤(くわういん)として推擧せぬ許りか、珂瑠王子の無理强(むりじ)い諸共、閉ぢた(とばり)の外へと追ひ遣つていく。長屋親王を爭議の壇上は(おろ)か、其の(きざはし)にすら載せぬ猿山の談合。先帝(さきのみかど)の置き土產なぞ、薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)(あは)せて、外樣(とざま)の御荷物でしか勿い。倭國の御稜威(みいつ)(あやか)る爲、大海帝に淡海帝が(むすめ)(こぞ)つて輿入し、招いた血統の亂脈。其の敵味方の見分けが附かぬ程に絡み合ふ、竺志と山門の骨肉の怨嗟(ゑんさ)に、最も卷き込まれ、鳥憑(とりつ)かれた女が、降魔(がうま)の形相で四分五裂の大勢を睨み付けてゐる。

 先帝(さきのみかど)を己の原名調伏(げんめいてうぶく)成敗(せいばい)したと信じ、未だ其の神掛かりから醒めず、()にし()の夢路をさ迷ふ鸕野讚良(うののさらら)先帝(さきのみかど)咒詛(ずそ)、大逆を看過され、命拾ひをした後の(しを)らしさは何處(どこ)へやら。天照神(あまてるかみ)()(うつ)り、素戔嗚(すさのを)()らしめたと云ふ幻に()()れる女神は、邇邇藝命(ににぎのみこと)に託した日嗣(ひつぎ)神璽(みしるし)が珂瑠皇子に授けられる事を疑はず、薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)から飛鳥帝へ參寳(さんぽう)靈代(たましろ)奏請(うけわた)したのも珂瑠皇子への橋渡しと決め付け、雲下を飛び交ふ民草(たみくさ)私好(おもはく)に耳を貸す氣なぞ毛頭勿い。天照神(あまてるかみ)葦原中國(あしはらのなかつくに)()らす可く、吾が子忍穗耳命(おしほみみのみこと)天降(あまくだ)りを發起(ほつき)するも(おも)(とど)まり、孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)に託して成就したが如く、愛息草壁王子の悲運は孫の珂瑠皇子が悲願を達する道標(みちしるべ)

 「(まつろ)はぬ者は岩戸の闇に()()める迠の事。」

 胸に秘めた誅戟(ちゆうげき)を研ぎ澄まし、下下の()(ぐさ)を野放しにする日女命(ひめのみこと)。其の自らに(まじな)ひを掛けて大仰に構へる太母が(はら)に据ゑ兼ね、弓削皇子(ゆげのみこ)は敢へて進み出た。旣に先帝(さきのみかど)の謀殺は巷閒(かうかん)の好奇を(さら)ふ自明の祕。先の大亂で討ち負かされた父の(かたき)とは云へ、髙御座(たかみくら)(ましま)現人神(あらひとがみ)で在る(みかど)に手を掛け、闇に葬るとは何事か。先帝(さきのみかど)に德が足りず放伐(はうばつ)したと云ふのなら、胸を張つて天下(あめのした)に知らしめれば良い物を、日嗣(ひつぎ)(もち)ゐる(かく)の勿い骨肉を、登極(とうきよく)させ度いが故の魔の手とも爲れば、(たと)へ、天が口に出さずとも、己が代はつて(ただ)す迠の事。弓削皇子(ゆげのみこ)は込み上げる虫酸(むしず)を堪へ乍ら、一言一句言葉を選び、直孫の立太子は分不相應で在る事を(たしな)める。

 「先帝(さきのみかど)から御寵愛を賜る(いとま)も、目覺ましき(いさを)を立てる御武運も勿く、日嗣(ひつぎ)太子(みこ)册立(さくりつ)される御好機を俟たずに天に召された草壁王子。其の長子(よつぎ)に大願を託す衷情(ちゆうじやう)御尤(ごもつと)も爲れど、珂瑠皇子の心骨を(おもんばか)るに、果たして御國(みくに)の重責を(にな)ふのは如何(いかが)な物か。此の塲に馳せ參じ、御暢達(ごちやうたつ)(べん)(ふる)ふ事を敢へて差し控へ、巷塵(かうぢん)(まみ)れず見護る奥床しさは(まこと)に尊い事なれど、緘默(かんもく)の禁を課して臥してをられる許りでは、御國(みくに)の勤めも儘爲(ままな)りませぬ。御息災に惠まれぬのも御君德に(いささ)かの(かげ)りの有る(あかし)。此處は一先づ紀國(きのくに)の湯元にでも御逗(おとど)まりになられて、御養生に(はげ)むと云ふのも、御一考の餘地が在るのでは勿からうかと存じます。」

 朝堂の裏方で、病床の(しらみ)と蔭口を叩かれる穀潰(ごくつぶ)しが寳祚(ほうそ)騰極(とうきよく)した處で、其の重責に根を上げ、唯でさへか細い息の根を縮める丈けで在る事は明らか。身も蓋も勿い物云ひで事を荒立てず、遠囘しに直孫の薄倖(はつかう)を慰めて、()(おろ)ろす弓削皇子(ゆげのみこ)。其處に、淡海帝の長子(よつぎ)、大友王子と大海帝の(むすめ)十市皇女(とをちのひめみこ)の閒に產まれた葛野王(かどのおほきみ)が割つて入つた。

 

 

 我が國家(くに)(のり)()()神代(かみよ)以來(より)子孫相承(しそんさうしよう)して以て天位を(おそ)ふ。若し兄弟に相及(あひおよ)べば、(すなは)ち亂は此れにより(おこ)らん。仰ぎて天心を論ずれば、誰か()く敢へて測らん。(しか)らば人事を以て之を()さば、聖嗣(せいし)(おの)づから(しか)りとして定ま(れり)。此の外に誰か敢へて閒然(かんぜん)せん()

 

 

 文林に巢喰ふ(ほん)(むし)で、漢詩と書畵(しよぐわ)を愛し、健筆三昧(けんぴつざんまい)の日日を送る墨客(ぼつきやく)の劍幕に、哥仲閒(うたなかま)で意氣投合してゐた弓削皇子(ゆげのみこ)は泡を喰ひ、(あれ)(あれ)よと云ふ閒に()()られて終ふ。王統を(さかのぼ)れば、兄弟での王位繼承なぞ(かぞ)()げれば切りが勿い。()して、鸕野讚良(うののさらら)が推すのは先帝(さきのみかど)繼弟(ままおとうと)草壁王子では勿く其の子息。先帝(さきのみかど)嫡男(ひつぎ)長屋親王を見殺しにして措いて、一歳(ひととせ)違ひの(をひ)珂瑠王子を册立(さくりつ)する。文人とは思へぬ理路を逸した穉拙(ちせつ)な方便で、(あげつら)へば幾らでも(ほころ)ぶ其の(あら)を、誰獨りとして口にせず、其の默認の靜寂(しじま)を、不意に鷄鷄(けいけい)とした金切り聲が(つんざ)き、卒然とする禁中(おほうち)

 

 

 皇太后(おほきさき)、其の一言(いちげん)の國を定めしことを()みしたまふ。

 

 

 鸕野讚良(うののさらら)の狂憙と絕讚が木靈(こだま)する禁中(おほうち)。薄ら寒い其の(どよ)めきの裏で、不比等は暗躍の爪音(つまおと)を忍ばせる。

 「御父上の血を引く珂瑠皇子は衾褥(きんじよく)()やし。先の勿い皇子(みこ)ならばこそ、(かつ)(あげ)げれば(おの)づと(まろ)び落ちる物。此處で禍根(くわこん)を殘すより、(のち)()を窺ふ方が萬全と云へませう。」

 背後で(ささや)く口車に(なび)かれ、忍壁皇子(おさかべのみこ)穗積皇子(ほづみのみこ)葛野王(かどのおほきみ)の尻馬に易易(やすやす)と飛び乘つた。負け犬の方が鼻が利くので在らう。日輪と新月が結託したかの如き、鸕野讚良(うののさらら)と不比等が織り成す天の巡り合はせを仰ぎ見て、彼の(ふた)りは密吿と冤罪(ゑんざい)と暗殺を繰り返した淡海帝と鎌足の()(うつ)し、一度睨まれたら無實(むじつ)を叫んでも後の祭り。藤原の虎韜(こたう)に挑むより、其の御零(おこぼ)れに有り付いた方が實入(みい)りが良い。()()んだ葛野王(かどのおほきみ)は珂瑠皇子に助け船を出した後、正肆位(しやうしゐ)(さづ)かり、式部省の長官に異例の榮達を果たす事と爲る。其れに比して、空囘りした義憤の遣り場も勿く、怨みを買つた丈けで終はつた弓削皇子(ゆげのみこ)は、逆髮(さかがみ)を立てて禁中(おほうち)を飛び出し、哥仲閒(うたなかま)でも在る舍人親王(とねりのみこ)の引き畱める手を振り切つて、殿下(てんが)で事の成り行きを見護つてゐた柿本朝臣人丸と芝基王子(しきのみこ)の前も素通りすると、(あく)()から朝堂の末席から末席へと追ひ遣られ、僅か三歳(みつとせ)の餘生を綴ぢた。

 

 

 

 臣心(じんしん)位祿(いろく)冤罪(ゑんざい)と脅迫と取引で右から左に操る術は磨きが掛かり、珂瑠皇子の立太子に向けた危懼(きく)を一蹴すると、不比等は鸕野讚良(うののさらら)を介して新益京(あらましのみやこ)の奧の院に禁足された竺志の日嗣(ひつぎ)に奏上し、

 

 (こほり)から(こほり)(あら)ためよ。

 

 建郡(けんぐん)(みことのり)天下(あめのした)に布した。囚はれの天子に有無を云はさず、倭國の仕へた南朝の(こほり)から、北朝の唐が用ゐる(こほり)への廢評建郡(はいひやうけんぐん)天下(あめのした)(あら)たな(まがき)(のり)を敷き、其の版圖(はんと)と人心を改める事で、山門に據る律令と王朝の創業を四方八隅(よもやすみ)に知らしめ、更には、大海帝から飛鳥帝と續いた海表(わたのほか)(まつりごと)を改め、斷ち切つてゐた唐への遣使に取り掛かる。然して(あく)る歲の、

 

 大化(たいくわ)三年丁酉(ひのととり)二月(きさらぎ)癸卯(みづのとう)戊辰(つちのえたつ)甲午(きのえうま)

 

 直廣壹(ぢきくわういち)當蔴眞人國見(たぎまのまひとくにみ)を以て東宮大傳(みこのみやのおほきかしづき)と爲す。直廣參(ぢきくわうさん)路眞人跡見(みちのまひととみ)春宮大夫(みこのみやのつかさのかみ)と爲す。直大肆(ぢきだいし)巨勢朝臣粟持(こせのあそみあはもち)(すけ)と爲す。

 

 

 日嗣(ひつぎ)太子(みこ)册立(さくりつ)された珂瑠皇子に侍從(つかひひと)を迎へて萬難(ばんなん)(はい)し、其の刻に臨んだ。

 

 八月(はづき)戊申(つちのえさる)甲子(きのえね)朔、

 

 定策禁中、禪天皇於皇太子。

 

 (みはかりこと)禁中(おほうち)に定めて、皇太子(ひつぎのみこ)禪天皇位(くにさ)りたまふ。

 

 

定策とは(すなは)ち、(みかど)御遺誡(ごゆいかい)を吿げる(いとま)も勿く御隱(おかく)れになられた大難の折り、禁中(おほうち)柱石(ちゆうせき)(にな)臣下(やつがれ)が、日嗣(ひつぎ)の是非を()(はか)り、空位の天子に(いだ)()げる窮餘(きゆうよ)營爲(えいゐ)。其の()むに()まれぬ、堅忍果決(けんにんくわけつ)の手立てで在る筈の秘手を逆手に取つて捻じり上げ、鸕野讚良(うののさらら)は竺志の領袖(りやうしう)(しりぞ)けた其の頂きに、愛息の忘れ形見を力盡(ちからづ)くで()()げた。再び、宮内(みやのうち)(つど)ふ王族、公卿(まへつきみ)佰寮(もものつかさ)祭祀(さいし)の勤めも儘爲(ままな)らぬ彼の死に損なひなら、直ぐに次が廻つて來る。其の心の隙を突いて擦り拔けた衆議一決。竺志と云ふ男王を(たふ)した、千年に一度の女王の執念。

 飛鳥淨御原(あすかきよみはら)大宮(おほみや)で珂瑠皇子は寳祚(ほうそ)(ゆづ)()けて、倭國の純血に據つて()()がれて來た參種(さんしゆ)神璽(しんじ)が、山門の血を分ける珂瑠皇子の手で(けが)された。阿每(あま)氏から(おほきみ)氏へ、易姓革命(えきせいかくめい)に向けた始めの半步。新たに書き加へられた(ふひと)の卷末。淡海帝が竺志の外戚(ぐわいせき)と成る爲、大海帝に(むすめ)を輿入れし續けた鎌足の(はかりごと)が遂に日の目を見、淨御原帝(きよみはらのみかど)卽位(あまつひつきしろしめす)(ゐや)宣命文(せんみやうぶん)で、吾こそは古道に(のつと)り、祖神(おやがみ)(あが)め、宗廟(みたまや)を護る草創(はじ)(なり)と、

 

 天地(あめつち)と共に長く日月(ひつき)と共に遠く不改(かはるまし)じき(つね)(のり)

 

 を蹈まえ天上(あめのうえ)天下(あめのした)壽詞(よごと)奏上(たてまつ)つた。然れど、淡海帝が大津宮で近江年號と倶に揭た、山門の祖業を(あが)める復古の御言(みこと)は參列者の胸に響かず、倭國を介して海表(わたのほか)の文物に染まり、漢意(からごころ)と云ふ(さか)しらで利得に(かま)ける臣下(やつがれ)は、逸早(いちはや)く、(おごそ)かな大禮の重責に堪え切れぬ、新帝(あらたしみかど)(わか)き老骨に眼を凝らしてゐた。卽位(あまつひつきしろしめす)(ゐや)で靑息吐息の態では晝夜(ちうや)(また)大嘗祭(おほむべまつり)なぞ(とて)(とて)も。()して、帝位と王位を其の左右の肩に背負ふなぞ。矢張り、彼の弱竹(なよたけ)の足腰では御國(みくに)御柱(みはしら)は勤まらぬ。御歲(みとし)十五(とをあまりいつつ)夭帝(えうてい)、珂瑠皇子の日嗣(ひつぎ)虛位(きよゐ)()かず。君臣の天地(あめつち)を覆して措いて、天地(あめつち)と共に長くとは片腹痛い。一度覆つた天地(あめつち)は坂を(まろ)ぶ石。何時、寳祚(ほうそ)を辭しても不思議では勿い。次の禪讓(ぜんじやう)を賜るのは果たして何者か。時勢に輕輕(かるがる)しく(おもね)る者程、其の心變(こころが)はりも甚だしい。天下(あめのした)の國母と成り、埀簾聽政(すいれんちやうせい)を揮ふで在らう鸕野讚良(うののさらら)と其の影、不比等の出方を窺ふ參列者の胸算用。其れを見透かす樣に、

 

 癸未(みづのとひつじ)

 

 藤原朝臣宮子娘(みやこのいらつめ)夫人(ぶじん)とし、紀朝臣(きのあそみ)竈門娘(かまどのいらつめ)石川朝臣(いしかはのあそみ)刀子娘(とすのいらつめ)()とす。

 

 

 卽位(あまつひつきしろしめす)(ゐや)から時を俟たず、不比等は己の(むすめ)酉年女(とりおんな)宮子(みやこ)入内(じゆだい)し、夭帝の寢首を外戚の手綱に掛けて絞り上げた。紀氏と石川氏、倶に建内宿禰(たけうちのすくね)(おや)に戴く、倭國の元飼ひ犬も割つて入る外戚爭ひ。祭祀を(にな)ふ丈けで精も根も盡き果て、其の上、夜每、(ひと)つの(ねや)を奪ひ合ふ後宮(うしろのみや)(なだ)める床不精(とこぶしやう)新帝(あらたしみかど)何故(なにゆゑ)、男に產まれて來たのか。父と同じ念ひを抱いて、抱く(おんな)。不比等の(むすめ)丈けを(はら)ませては角が立つ。竈門娘(かまどのいらつめ)刀子娘(とすのいらつめ)の元へと交互に通ふ度、()(つま)される、安い撒き餌でしか勿い此の果敢勿(はかな)子胤(こだね)。不比等は己の孫の外に皇位を讓る氣なぞ更更勿い。ならば始めから餘所(よそ)の輿入れなぞ許さねば良い物を。倭國の元飼ひ犬達の力も借りる大業が控へてゐるが故の、思はせ振りな子寳(こだから)日嗣(ひつぎ)の行く方。大海帝と飛鳥帝の遺兒(ゐじ)に加へ、先の大亂の功臣、竺志の殘黨(ざんたう)が、未だ眼を光らせてゐる中で、何を企んでゐる物やら。欲目に眩んだ亡者には、髙御座(たかみくら)と云ふ天下(あめのした)の頂きから望む孤獨と無常、抗ふ術の勿い星の巡りへの畏怖ですら、(はかりごと)に因つて葬られた者達の怨念が、逆波と爲つて打ち寄せる飛沫(しぶき)の、彈けた泡でしか勿いので在らう。

 同衾(どうきん)()ませて内庭(うちには)に降り、秋月(しうげつ)を仰ぐ夭帝の(やつ)れた隻影(せきえい)。其の背後に闇を(まと)つて忍び入る、もう獨つの影。

 「月の顏見るは、()むこと。」

 夜每、道代と倶に(ねや)(いとな)みを見護つてゐる鸕野讚良(うののさらら)に聲を掛けられ、(おさな)(みかど)は己の情けなさと、交戲(かうぎ)の後の面差しを見られ度く勿い孫の念ひも介さぬ、無恥な祖母に愁嘆(しうたん)()いた。

 「なんでふ心地すれば、かく物を思ひたるさまにて月を見たまふぞ。うましき卋に。」

 振り返らうとすらし勿い(みかど)に、(ようや)く手にした此の卋の榮華を奉る國母。(のろ)はれた孫と鳥憑(とりつ)かれた祖母は今宵も違ふ夢を見て、益々(ますます)心は離れていく。

 「見れば、卋閒心細くあはれにはべる。なでふ物をか嘆きはべるべき。」

 「あが(ほとけ)、何事思ひたまふぞ。思すらむこと、何事ぞ。」

 「思ふこともなし。物なむ心細くおぼゆる。」

 「月な見たまひそ。これを見たまへば、物思(ものおぼ)す氣色はあるぞ。」

 「いかで月を見ではあらむ。」

 (みかど)が獨りにして吳れる樣にと賴み、艸葉(くさば)の蔭に紛れると、鸕野讚良(うののさらら)は其の後を追はうとして、袖を取る道代に()()められた。籠の鳥を捕まへやうと、籠に手を入れて逃げられる位なら、此の儘、深入りせぬ方が增し。道代は目配せ獨つで鸕野讚良(うののさらら)と舘に引き上げた。竹で編まれた(かこ)ひの中で、責めてもの安らぎを逍遙(せうえう)する、()()勿き足取りに、澄み渡る夜氣の慰め。鳳翥(ほうしよ)とは程遠い、未だ雛孫(すうそん)靑羽(あをば)(くる)まる天皇(すめろぎ)は、夜明けを知らぬ虛空に心筆を(かざ)して、月舟(げつしう)霧渚(むしよ)(うか)べ、銀漢(ぎんかん)の彼方へと流されていく。

 

 

  年雖足載冕  年は(べん)を載くに足ると(いへど)

  智不敢埀裳  ()(あへ)()不埀(たれず)

  朕常夙夜念  (ちん)常に夙夜(しゆくや)(おも)

  何以拙心匡  何を(もち)てか拙心(せつしん)(ただ)さむと

  猶不師往古  (なほ)往古(わうこ)不師(しとせず)

  何救元首望  何ぞ元首の望みを救はむと

  然毋三絕務  然も三絕(さんぜつ)務毋(つとめな)

  且欲臨短章  (しばら)短章(たんしやう)に臨まむと欲す

 

 

 

 十二月(しはす)癸丑(みづのとうし)癸亥(みづのとゐ)庚寅(かのえとら)

 

 正月に往來して拜賀之禮(はいがのらい)を行ふことを(いさ)む。()違犯(ゐぼむ)する者有らば、淨御原朝庭(きよみはらのみかど)(せい)に依りて(これ)決罰(くゑつばつ)す。

 

 

 (あく)(とし)に先立ち、不比等は竺志から山門への禪讓(ぜんじやう)天下(あめのした)に知らしめる爲、更には、幽閉してゐる薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)(かつ)()す者を抑へる爲、元日(としのはじめ)に執り行はれてゐた竺志の日嗣(ひつぎ)への朝賀を律し、帝位を(ゆづ)り受けた山門の日嗣(ひつぎ)のみを朝賀するやう、改めて(のり)を定めた。然して迎へた、

 

 大化(たいくわ)四年丁酉(ひのととり)、春正月(むつき)癸丑(みづのとうし)癸巳(みつのとみ)朔、

 

 天皇(すめらみこと)、大極殿に(おは)しまして(でう)を受けたまふ。文武佰寮及び新羅朝貢使(でうぐし)と拜賀す。其の()、常の如し。

 

 

淨御原帝を立てて朝賀を執り行ふ新しい年の始め。不比等は參列する公卿(まへみつき)顔觸(かほぶ)れに虎視を凝らした。平素、参議(おほまつりことひと)の下座から見上げてゐる議政官の重鎭。國の太政(おほまつりごと)を司る大御門(おほみかど)(とぼそ)に陣取つた、先の大亂で(いさを)を立て先帝(さきのみかど)の恩寵に浴し、未だ天孫(あめみま)への尊崇と先帝(さきのみかど)の無念を胸に秘めた竺志の遺臣達が、此の常の如き賀正禮(みかとをかみのこと)如何(いか)な面持ちで眺めてゐるのか。右大臣多治比眞人㠀(たぢひのまひとしま)を筆頭に、大納言大伴御行宿禰(おほとものみゆきすくね)阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)、竺志から下向した柿本朝臣人丸の錚錚たる面面。山門の膝下(しつか)に屈したとは雖も、未だ禍根の火種を宿す者許りで其の紐帶も堅く、何時寢返つても奇怪(をか)しく勿い。然れど、目障りだからと無闇に引き擦り降ろせば、單に敵に囘す丈けでは治まらぬ。天下の主客が覆つて閒も勿いからこそ、淨御原朝の(ましま)す帝位と天孫(あめみま)神璽(みしるし)が、薩夜蔴の壹粒胤(みづ)から(れい)()くして(ゆづ)(わた)した正統で在る、と云ふ建前を蕃屛(まがき)に向けて取り繕ふ爲、此の竺志の重鎭を御餝りとして今暫(いましばら)(かつ)()げて措かねば成らぬ。古狸を(ころ)がすのは一區切り附いた後で良い。不比等は何もかもが見せ掛け丈けで執り行はれてゐる(まつりごと)儀禮(ぎれい)の危ふさに痺れ乍ら、未だ山門の王道に()(はだ)かる倭國の遺產を切り崩していく。

 

 

 三月(やよひ)丙辰(ひのえたつ)辛酉(かのととり)庚午(かのえうま)

 

 諸國(くにぐに)郡司(ぐんじ)()けたまふ。因りて(みことのり)したまはく、

 

 (もろもろ)國司(こくし)等は、郡司(ぐんじ)詮擬(せんぎ)せむに、偏黨(へんたう)有らむこと勿かれ。郡司(ぐんじ)(にむ)に居たらむに、必ず(のり)の如くに(すべ)し。今()以後(のち)違越(ゐえつ)せざれ。

 

 

 不比等は建郡に據る(まがき)(のり)()き、(つまび)らかにして、諸國(くにぐに)の郡司、大領(かみ)少領(すけ)を任官し、其の恩義を賣つて、來たる可き覇業の手足と爲るやう蕃王(はんわう)を取り込み乍ら、竺志の律令を改める素案を練り、(ひそ)かに氏族の軍器(つはもの)(あらた)めると、

 

 八月(はづき)辛酉(かのととり)戊子(つちのえね)丙午(ひのえうま)

 

 (みことのり)して(のたま)はく、

 

 藤原朝臣(ふぢはらのあそみ)賜はりし所の姓は、其の子不比等をして承け令む宣し。但し意美蔴呂等は、神事に供れるに緣りて、舊の姓に復す宣し。

 

 

 氏長者(うぢちやうじや)を置か勿かつた藤原氏の氏上(うぢがみ)に自ら名吿(なの)()神祇官(かみづかさ)の中臣氏を切り離して古道の(しがらみ)から遁れ、父鎌足の發起した維摩會(ゆいまゑ)を再興して、倭國の()ひた佛典(ほとけののり)に據る國の法治は堅持しつつも、覇業への備へを著著(ちやくちやく)と推し進めた。

 

 丁未(ひのとひつじ)

 

 髙安城(たかやすのき)修理(つくろ)ふ。

 

 

 旣に、西は針閒(はりま)から穴門(あなと)袁智(をち)、東は三野(みの)から常陸(ひたち)蕃王(はんわう)より、竺志が山門へ參寳(さんぽう)神璽(みしるし)を讓るとは此れ如何に。天孫(あめみま)を差し措いて御歲(みとし)二十(はたち)にも滿たぬ夭帝を(あが)めよとは何事か。蕃屛(まがき)蕃屛(まがき)租庸調(みつき)を奉る()はれ勿し。竺志の日嗣(ひつぎ)に禁足を()ひてをると云ふのは(まこと)か。との義憤が鈴生(すずな)りに天下(あめのした)を搖るがし、不穩な風聞が逆卷いてゐる。無理も勿い。南朝に仕へる蠻夷(ばんい)として、倭國(ゐこく)と倶に名を(つら)ねてゐた北狄(ほくてき)禪讓(ぜんじやう)を果たし、鮮卑(せんぴ)で存つた隨と唐が倭國に忠誠を()ひた樣に、倭國(ゐこく)に仕へる蕃屛(まがき)として肩を竝べてゐた山門に、何故(なにゆゑ)頭熟(あたまごな)しの指圖(さしづ)を受けねば爲らぬのか。廢評建郡(はいひやうけんぐん)、其の獨つを取つても、倭國(ゐこく)の律令に從つて獻上した先祖傳來の本領を、(こほり)から(こほり)へと區割(くわ)りして幾歲月(いくとしつき)。其れを何の故由(ゆゑよし)も勿く(こほり)に改めろとは、云はれる方からすれば二つ返事で呑み込める物では勿い。更には山門の中にも、彼の(みかど)ならば討ち伏せるに易しと、山猿の血が騷ぐので在らう、不屆きな蕃屛(まがき)(やから)と裏で(くみ)する者も其處此處(ちらほら)

 

 十一月(しもつき)甲子(きのえね)丁巳(ひのとみ)朔、

 

 日蝕(ひは)ゆること有り。

 

 此の(たぐ)(まれ)な奇象、獨つを取つても、(みかど)の德が足りぬのだと(あげつら)ひ、禁中(おほうち)宮柱(みやばしら)を搖るがしては、朝堂の書庫(ふみのくら)に身を(ひそ)める鼠の影。嘗ての己の殘像に背後を取られ、不比等は旣に追ふ側から追はれる側へ、狙ふ側から狙はれる側へと迷ひ込んでゐた。然れど此の男、知謀に掛けては一日(いちじつ)(ちやう)有り。其の(かん)()えたる處が先づ眼を附けたのが、大納言大伴御行宿禰(おほとものみゆきすくね)で在つた。

 先の大亂で飛鳥帝の手足と成つて戰ひ、其の(たけ)(いさを)が認められて取り立てられた御行(みゆき)は、

 「君の使ひといはむ者は、命を捨てても、おのが君の(おほ)せごとをばかなへむとこそ思ふべけれ。いかに思ひてか、(なんぢ)(かた)きものと(まう)すべき。」

 「(なんぢ)(きみ)の使ひと名を流しつ。(きみ)(おほ)せごとをば、いかがはそむくべき。」

 と二言目(ふたことめ)には今は亡き先帝(さきのみかど)への忠烈を(ひけらか)す耳障りな男で、(くすぶ)つてゐる報恩の念に最も火が點き易く、何處まで周りを卷き込んでいくか知れた物では勿い。況して、山科田邊史大隅(やましなのたなべのふひとおほすみ)の舘で冷や飯に甘んじてゐた折り、大友王子に附いた中臣氏の殘黨獵(ざんたうが)りで、大伴連吹負(おほとものむらじふけい)に攻め立てられ河内(かはち)に落ち延びた怨みを忘られやうか。不比等は伴造(とものみやつこ)(をさ)鍛造大角(かぬちのみやつこおほすみ)を介して鍛戶(かぬちへ)三田首五瀨(みたのおびといつせ)を送り込み、對馬(つしま)で銀に續き(くがね)が採れたと(でつ)()げ、新帝(あらたしみかど)の新しき御宇(みよ)の爲に(くがね)大寳(たいほう)を貢進する大役に御行を推擧した。

 

 十二月(しはす)乙丑(きのとうし)丁亥(ひのとゐ)辛卯(かのとう)

 

 對馬㠀(つしまのしま)をして(くがね)(あかがね)()たしむ。

 

 

 此の在りもし勿い(くがね)權益(けんえき)を握らせた途端、忠烈の(つはもの)先帝(さきのみかど)から新帝(あらたしみかど)へと(まろ)び、瞬く閒に溫和(おとな)しくなつた。何しろ時が經てば(くす)み、()()く銀や(あかがね)とは物が違ふ海表の珍寳。其れが天下(あめのした)で初めて見出され、己が一手に差配出來るとも爲れば、(まさ)に濡れ手に(あは)(とど)()まり、君臣の(ちぎ)りとは稚戲(ちぎ)()()かず。不比等は目下(もつか)の憂ひを獨つ獨つ右から左へ、自信と不安で搖れ動く胸の内を(ととの)へる樣に片付けていつた。此處から先は文林の(やから)の小手先で齒の立つ相手では勿い。己が史書(ふひと)(あらた)める星の許に在るのか。歲が明けると倶に、最後の試練が幕を開けた。

 

 

 大化(たいくわ)五年己亥(つちのとゐ)、春二月(きさらぎ)丁卯(ひのとう)

 

 白氣(はつき)が天に(わた)り星が東に(ころ)んだ。遣使して唐の(みかど)に方物を(みつ)いだ。

 

 秋七月(ふみつき)壬申(みづのえさる)

 

 東海の水が血の色になり、五日ののち(もと)(もど)つた。

 

 九月(ながつき)甲戌(きのえいぬ)

 

 東海の水で戰ひの聲がし、王都まで聞こえ、兵庫(つはもののくら)の中の鼓角(なりもの)、自づから鳴る。

 

 

 (のち)の三國史記、新羅本紀に(したた)められた、月が心の中央の大星を犯すが如き、讖緯(しんゐ)に滿ちた插話(さうわ)。其の樂浪海中(らくらうかいちゆう)を驅け拔けた風文を(なぞ)る樣に、先の大亂をも凌ぐ大亂が、靑史(ふひと)の狹閒を縫ひ、斬り裂かれた王朝の傷跡を殘さぬやう、(しづ)かに(つづ)り、編み込まれていく。鸕野讚良(うののさらら)と不比等から促される儘に、(みかど)大詔渙發(たいせうくわんぱつ)(つら)ね、社稷(くにのおほもと)を搖るがし、(まつろ)はぬ者共に誅鋤(ちゆうじよ)壹撤(いつてつ)を降り亂した。

 

 三月(やよひ)戊辰(つちのえたつ)丙辰(ひのえたつ)壬午(みづのえうま)

 

 巡察使(じゆんさちし)を畿内に(まだ)して、非違(ひゐ)(かむが)()しむ。

 

 九月(ながつき)甲戌(きのえいぬ)壬子(みづのえね)丙寅(ひのえとら)

 

 髙安城(たかやすのき)修理(つくろ)ふ。

 

 辛未(かのとひつじ)

 

 (みことのり)したまはく、

 

 正大貳(しやうだいに)已下(よりした)無位(むゐ)已上(よりうへ)の者に(いひつ)け、人別(ひとごと)に弓、矢、(よろひ)(ほこ)、及び兵馬とを備ふること、(おのもおのも)差有(しなあ)らしめよ。

 

 又、(みことのり)したまはく、

 

 京畿(けいき)、同じく亦、(これ)(まう)けよ。

 

 十月(かむなづき)乙亥(きのとゐ)壬午(みづのえうま)戊申(つちのえさる)

 

 巡察使(じゆんさちし)諸國(くにぐに)(まだ)して、非違(ひゐ)(かむが)()しむ。

 

 十一月(しもつき)乙亥(きのとゐ)辛亥(かのとい)朔、

 

 日蝕(ひは)ゆること有り。

 

 十二月(しはす)丙子(ひのえね)辛巳(かのとみ)甲申(きのえさる)

 

 太宰府(おほみこともちのつかさ)をして三野(みの)稻積(いなつみ)の二城を(つく)らしむ。

 

 大化(たいくわ)六年庚子(かのえね)二月(きさらぎ)己卯(つちのとう)辛巳(かのとみ)己亥(つちのとゐ)

 

 越後(こしのみちのしり)、佐渡の二國をして石船柵(いはふねのき)修營(つくろ)はしむ。

 

 壬寅(みづのえとら)

 

 巡察使(じゆんさちし)東山道(とうせんだう)(まだ)して、非違(ひゐ)(かむが)()しむ。

 

 丁未(ひのとひつじ)

 

 (かさ)ねて、王臣(わうしん)京畿(けいき)(みことのり)して、戎具(じう)を備へしめたまふ。

 

 

 生馬(いこま)の牙城、髙安城(たかやすのき)の造りを(したたか)に建て直し、軍器(つはもの)戎馬(じうば)を調へた諸王(もろもろのわう)臣下(やつがれ)(みやこ)山門(やまと)人士(ひとびと)が、巡察使(じゆんさちし)に率ゐられて畿内から畿外へと繰り出した。倭國(ゐこく)天孫(あめみま)を慕ふ諸侯王(もろもろのきみとわう)達は狼煙(とぶひ)を上げて離反し、毛人(えみし)吾妻(あづま)岐美(きび)出雲(いづも)袁智(をち)(いにしへ)の王國が次次と、

 

  獨立不羈 獨り立ちて(しば)られず

  不爲卋用 卋に(もち)ゐられること()らず

 

 を(のたま)ひ、()(とし)に續いて()()ゆれば、天の御恚(おいか)りだと一齊(いつせい)干戈(かんくわ)(かか)げ、其の荒ぶる心火は遂に、穴戶(あなと)(せき)を越えた。

 

 六月(みなづき)壬午(みづのえうま)戊寅(つちのえとら)庚辰(かのえたつ)

 

 倭姬(ちくしひめ)久賣(くめ)波豆(はづ)衣評督(えのこほりのかみ)衣君縣(えのきみあがた)助督(すけ)衣君弖自美(えのきみてじみ)、又、肝衝難波(きもつきのなには)肥人(くまひと)等を從へ、(つはもの)を持ちて覓國使(くにまぎのつかひ)刑部眞木(おさかべのまき)等を剽劫(おびやか)す。是に於いて竺志惣領(ちくしのそうりやう)(みことのり)して、(ほむ)(なぞら)へて決罰(くゑつばつ)しめたまふ。

 

 

 倭國の直轄、九州に山門への租庸調(みつき)()ひる達しを叩き付けられ、本領安堵の沙汰を破られた先の宗主は竺志の女王を(かつ)()し、覓國使(くにまぎのつかひ)(やじり)蕃屛(まがき)(かこ)ひ門前拂ひにした。

 「天子の御國(みくに)を冒す蠻勇(ばんゆう)(これ)不赦(ゆるすまじ)。」

 此の建白(けんぱく)の一線を越えた騷擾(さうぜう)に因り、夭帝(えうてい)(みことのり)を承け討伐に乘り出した竺志惣領。處が、今は山門の公僕(やつがれ)と雖も、嘗ては竺志で生まれ育つた天孫(あめみま)赤子(せきし)。輿の上に(ましま)倭姬王(ちくしひめ)御稜威(みいつ)を前にして、在りし日の太宰(おほみこともち)(つかさ)の榮華と沒落が甦り、げに(おそ)(かしこ)女王(ひめぎみ)御前(みまへ)から率ゐた戎馬(じうば)の影に後退(あとずさ)ると、

 「このありつる人たまへ。」

 倭姬王(ちくしひめ)は輿の上から、天子の御軍(みいくさ)(おご)(とな)へる東夷を睥睨(へいげい)して微動だにせず、何時ぞやの臣下(やつがれ)、竺志惣領を一喝した。

 「われをばしらずや。」

 (はら)の底から蔭走(ほとばし)る倭國に其の(みさを)(ささ)げた太母の(いか)り。

 「などいらへもせぬ。」

 「淚のこぼるるに目も見えず、ものもいはれず。」

 竺志惣領は鞍上(あんじやう)から降り、匍匐禮(はらばふゐや)で己の不敬を大謝すると、人質に等しき薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)の歸京を求める訴へを、逆に山門の朝庭(みかど)へ奏上した事で其の任を解かれた。

 先の大亂を(しりぞ)け、開聞(ひらきき)(さと)還御(くわんぎよ)して早幾歲月(はやいくとせ)。未だ衰へる事を知らぬ竺志の女王(ひめぎみ)荒魂(あらみたま)。其の靈威(れいい)に遙かなる山河を超えて()れ、木靈(こだま)する、もう獨りの女王(ひめぎみ)が、滅鬼積鬼(めつきしやくき)の形相で召し上げた親王(みこ)公卿(まへみつき)の低頭に、痰火(たんくわ)の雨を降り注ぐ。

 「國王の(おほ)せごとを、まさに卋にすみたまはむ人の、うけたまはりたまはでありなむや。いはれむこと、なしたまひそ。」

 (みかど)の出る幕の勿い國母の迅雷誅烈。鸕野讚良(うののさらら)鳥憑(とりつ)かれた劍幕に息長帶比賣(おきながたらしひめ)の御亂心を見た下下(しもじも)は、

 「多くの人殺してける心ぞかし。」

 と(おそ)(をのの)き、其の斬つ先が己に向く前にと、其れ其れの征野へ四散した。然して其れは、埀簾(すいれん)の前に立たされ、祖母の口寄せとして(みことのり)を發する(みかど)とて同じ事。後宮(うしろのみや)に引き籠もつた太后(おほきさき)と姉氷髙内親王(ひだかのひめみこ)と身を寄せ合ひ、未曾有の風雲に搖らめく燈火の影に怯える夜。其處に、己を三韓征伐を成し遂げた女王(ひめぎみ)の生まれ變はりと信じ込み、御髮(みくし)を分けて美豆良(みづら)に結ひ上げ、

 

 

 ()(いくさ)(おこ)(もろもろ)を動かすは國の大事(おほごと)なり。(やす)きも(あや)ふきも()るも(やぶ)るるも必ず(ここ)に在り。今し征伐()つ所有り。事を以て群臣(まへつきみたち)(さづ)く。()し事不成(なさざ)()、罪群臣(まへつきみたち)に有り。是れ甚だ(いた)きこと(なり)。吾れ婦女(たをやめ)にして(これ)加以(また)不肖(をさなし)。然れど、(しばら)(ますらを)(すがた)(かり)(あなが)ちに、(をお)しき(はかり)を起こさむ。(かみ)神祇(あまつかみくにつかみ)(みたまのふゆ)(かがふ)り、(しも)群臣(まへつきみたち)の助けに()りて、兵甲(いくさ)(をこ)して(たか)き浪を(わた)り、艫船(ふね)を整へ、以て(たから)(くに)を求む。()し、事()()群臣(まへつきみたち)共に(いさをし)有り。事不就(なら)()、吾れ獨りに罪有らむ。旣に此の(こころ)有り。

 

 

 と(たけ)()鸕野讚良(うののさらら)に振り囘されて遁れる術も勿く、遂に(みかど)は身も心も盡き果てて倒れ、苦し紛れに寳祚からの降御(かうぎよ)太后(おほきさき)に訴へた。

 「(われ)御身(みみ)(つか)らしく(ましま)すが故に、暇閒(いとま)得て御病(みやまひ)治め(たま)はむとす。此の(あま)日嗣(ひつぎ)(くらゐ)は、大命(おほみこと)(ましま)大坐(おほま)(ましま)して治めたまふ可し。」

 無論、子から父への讓位すら例へが勿いと云ふのに、子から母への讓位なぞ(もつ)ての(ほか)。數少ない女帝も皆、御隱(おかく)れに爲られた(みかど)に代はり王后(わうきさき)が登極されたので在り、王后(わうきさき)ですら勿かつた太后(おほきさき)が其の大役に(かな)ふ譯が勿い。

 「()()へじ。」

 太后(おほきさき)(かたく)なに固辭(いな)(まう)(いさ)めるも、(みかど)の泣き言が軍神(いくさのかみ)と化した鸕野讚良(うののさらら)の鬼火に、猶一層、油を注ぎ、其れ處では勿い。

 「御國(みくに)の大難を前にして、天子の御座(みくら)を空け渡すとは何事か。」

 泣き暮れる孫の衾褥(きんじよく)を引き剝がして怒り狂ふ祖母に、道代が盾と爲るも容赦勿き修羅の責め苦。其の騷ぎを聞き付けて不比等は閃いた。

 「然うか、彼の酉年女(とりをんな)か。」

 己の孫を登極させる事しか頭に勿かつた外戚の(をさ)は、淡海帝の(むすめ)で在る太后(おほきさき)天孫(あめみま)の帝位を(ゆづ)る事で一旦竺志の血が途絕え、阿每(あま)氏から大王(おほきみ)氏に天命が(あらた)まる事を見出した。山門の王位なぞ後囘しで良い。今、此の折りは參種(さんしゆ)神璽(しんじ)の主こそ本命。確かに、王后(わうきさき)ですら勿かつた母へ讓位は尋常で勿い。然うで勿くとも、女帝は女禍(によくわ)汚點(おてん)として()(きら)はれて來た。だが、其れが如何(どう)した。子から母へと帝位が逆流する事で成就する宮廷革命。此れならば、(むすめ)宮子の懷妊を俟つ迠も勿い。己の血を分けた日嗣(ひつぎ)が生まれ育つ迠、如何(いか)に爲て凌ぐかに腐心してゐた不比等は、一氣に眼の前が(ひら)けた。(みかど)の病弱を此れ幸いと、鸕野讚良(うののさらら)阿每(あま)排斥(はいせき)の奇手を(たら)()み、右も左も判らぬ太后(おほきさき)も丸め込んで、

 

 辛巳(かのとみ)

 

 「詔命(おほみこと)は受け賜ふ。」

 と讓位に向けて一步を蹈み出すと、其の國事鞅掌(こくじあうしやう)最中(さなか)(むすめ)藤原宿禰宮子が懷妊。不比等は外征へと突き進む女王(ひめぎみ)(なぞら)へて絕笑した。

 「(われ)、胎中天皇の聲を聞けり。」

 

 

 甲午(きのえうま)

 

 淨大參(じやうだいさむ)刑部親王(おさかべのみこ)直廣壹(ぢきくわういち)藤原朝臣不比等、直大貳(ぢきだいに)粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)直廣參(ぢきくわうさむ)下毛野朝臣古蔴呂(しもつけののあそみこまろ)直廣肆(ぢきくわうし)伊岐連博得(いきのむらじはかとこ)直廣肆(ぢきくわうし)伊餘部連馬養(いよべのむらじうまかひ)勤大壹(ごんだいいち)薩弘恪(さつこうかく)勤廣參(ごんくわうさむ)土部宿禰甥(はじのすくねをひ)勤大肆(ごんだいし)坂合部宿禰唐(さかひべのすくねもろこし)務大壹(むだいいち)白猪史骨(しらゐのふひとほね)追大壹(ついだいいち)黃文連備(きふみのむらじそなふ)田邊史百枝(たなべのふひとももえ)道君首名(みちのきみおびとな)狹井宿禰尺蔴呂(さゐのすくねさかまろ)追大壹(ついだいいち)鍛造大角(かぬちのみやつこおほすみ)進大壹(しんだいいち)額田部連林(ぬかたべのむらじはやし)進大貳(しんだいに)田邊史首名(たなべのふひとおびとな)山口伊美伎大蔴呂(やまぐちのいみきおほまろ)直廣肆(ぢきくわうし)調伊美伎老人(つきのいみきおきな)等に(みことのり)して、律令(りちりやう)(えら)(さだ)めしめたまふ。祿賜(ろくたま)ふこと(おのもおのも)差有(しなあ)り。

 

 

 叛旗を(ひるがへ)(いにしへ)の王朝を(たひ)らげ乍ら、不比等は忍壁皇子(おさかべのみこ)粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)の陣頭指揮の許、山門の律令(りちりやう)を撰定し、麾下(きか)に列した諸國(くにぐに)(あか)(たま)ふた。倭國の(くびき)を斷ち、新たな宗主の御旗(みはた)(かか)げる集英(しふえい)の結晶。其の中で、粟田眞人(あはたのまひと)の知見と氣骨に不比等は眼を(みは)つた。朱鳥(しゆてう)四年己丑(つちのとうし)、不比等が判事(ことわるつかさひと)に拔擢された其の歲に、筑紫太宰(ちくしのおほみこともち)に任じられ竺志の(みやこ)へ上洛した粟田眞人は、新羅の使節を介して海表(わたのほか)の動勢を探り、唐の律令(りちりやう)の骨子と仔細を學び、女帝武曌(ぶせう)に因る武周革命を知つた。不比等に王朝交替の道を說き、女帝を立てる奇手に導いたのも、此の漢が一役買つてゐる。不比等の(よこしま)な狡智とは異質な此の英傑に加へて、(まつろ)はぬ倭國の亡靈を()(はら)つた將軍(いくさのかみ)石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)紀朝臣蔴呂(きのあそみまろ)が、大亂の後の朝堂と天下(あめのした)宣撫(せんぶ)していく。

 

 

 八月(はづき)丙戌(ひのえいぬ)丙午(ひのえうま)丁卯(ひのとう)

 

 天下(あめのした)(ゆる)す。(ただ)十惡(じふあく)盜人(ぬすびと)(しや)の限りに在らず。髙年(かうねん)物賜(ものたま)ふ。又、巡察使(じゆんさちし)奏狀(そうじやう)に依りて、(もろもろ)國司(くにのつかさ)等、其の(をさ)めの(いさをしき)(したが)ひて、(かい)を進め封賜(ふうたま)ふこと(おのもおのも)差有(しなあ)り。阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)大伴宿禰御行(おほとものすくねみゆき)に、(なら)びに正廣參(しやうくわうさむ)(さづ)く。因幡守(いなばのかみ)勤大壹(ごんだいいち)船連秦勝(ふねのむらじはだかつ)封卅戶(ふうさんじふこ)遠江守(とほつあふみのかみ)勤廣壹(ごんくわういち)漆部造道蔴呂(ぬりべのみやつこみちまろ)廿戶(にじふこ)(なら)びに()(まつりごと)()むれば也。

 

 冬十月(かむなづき)丁亥(ひのとゐ)乙巳(きのとみ)己未(つちのとひつじ)

 

 直大壹(ぢきだいいち)石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)を以て筑紫捴領(ちくしのそうりやう)と爲す。直廣參(ぢきくわうさむ)小野朝臣毛野(おののあそみけの)大貳(だいに)と爲す。直廣參(ぢきくわうさむ)波多朝臣牟後閇(はたのあそみむごへ)周防捴領(すはうのそうりやう)と爲す。直廣參(ぢきくわうさむ)上毛野朝臣小足(かみつけののあそみをたり)吉備捴領(きびのそうやう)と爲す。直廣參(ぢきくわうさむ)百濟王遠寳(くだらのこにきしをんほう)常陸守(ひたちのかみ)と爲す。

 

 

 山門の朝堂は放伐(はうばつ)(いさを)が有つた軍士(もののふ)と、寢返つた倭國の遺臣に次次と位祿(ゐろく)を授けて懷柔し、決死の抗戰を續ける莫逆(ばくぎやく)要石(えうせき)、竺志、周芳(すはう)岐美(きび)常陸(ひたち)に最後の刺客を送り込んだ。(こと)に、石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)は先の大亂で大友王子の自盡(じじん)にまで()(したが)つた物部本宗家。丁未(ひのとひつじ)(へん)でも廢佛(はいぶつ)を固持した一族は倭國の番犬蘇我氏に屈し、其の三卋(さんぜ)を超えた恨みを晴らす究竟(くつきやう)に、西へ西へと戎馬(じうば)を飛ばした。然して、

 

 十一月(しもつき)己丑(つちのとうし)乙亥(きのとゐ)乙未(きのとひつじ)

 

 天下(あめのした)の盜賊往往(ところところ)に在り。使ひを(まだ)して()()らへしむ。

 

 

 死力を盡くした討征も志半(こころざしなか)ば、倭國の版圖(はんと)を大きく下囘る、嘏夷(えみし)東國(あづま)、九州の肥國(ひのくに)以南の掌握を一旦先送りにして、山門の軍勢は踵を返すと、稻倉(いなぐら)官衙(くわんが)を攻めて糧食、財貨を奪ひ逃げ惑ふ落人(おちうど)を炙り出す、殘黨獵(ざんたうが)りの果てに年が暮れた。然して明くる、大亂の餘韻(よゐん)未だ醒めやらぬ初春(はつはる)の事始め、

 

 

 大化(たいくわ)七年辛丑(かのとうし)、春正月(むつき)庚寅(かのえとら)乙亥(きのとゐ)朔、

 

 天皇、太極殿に(おは)しまして(でう)を受けたまふ。其の儀、正門に於いて鳥形(うけい)(はた)()つ、左に日像(じつしやう)靑龍(せいりよう)朱雀(しゆじやく)(はた)、右に月像(ぐゑつしやう)玄武(ぐゑんぶ)白虎(はくこ)(はた)なり。蕃夷(ばんい)使者(つかひ)左右(さいう)に陳列す。文物(ぶんぶつ)()(ここ)に於いて(そなは)れり。

 

 

 「()()へじ。」

 と唯只管(ただひたすら)(おもて)を伏してゐた淨御原帝(きよみはらのみかど)太后(おほきさき)天孫(あめみま)大寳(みくらゐ)に卽位した。天孫(あめみま)後胤(こういん)にしてあめのしたしらしめの宗主、竺志の天子にのみ許されてゐた見目麗(みめうるは)しい文物を(しつら)へ、(あら)御宇(みよ)天下(あめのした)に知らしめる新しき年の始め。倭國から(ゆづ)()けた王朝の創業を祝ふ晴れやかな大禮(たいれい)。其の筈が、天帝の赤子(せきし)(ましま)す帝位に昇御(しようぎよ)した女帝(をみなのみかど)に、參列者は眉を(しか)めた。讓位の(みことのり)を賜つてはゐたが、(おほきみ)氏が阿每(あま)氏を(しりぞ)けた擧げ句、(まこと)に女を立てるとは。風雲、()女人(によにん)(おさ)へる、と(いにしへ)の例へに有るとは云へ、此れは餘りにも早計にして不遜。然うで勿くとも、雄雄しく(そそ)()參像肆神(さんざうよんしん)御幡(ほこはた)とは裏腹に、燻り續ける蕃夷(ばいん)の情勢に落とし處は勿く、歸服せぬ倭國の遺臣に追はれる不穩な船出。見渡す諸國(くにぐに)使者(つかひ)も歲が明ける閒際に(ようや)く寢返つた者許り。女禍(によくわ)として()(きら)はれる沙汰女(さだめ)を背負ひ、上邊(うはべ)丈けの(きら)びやかな文物と下下(しもじも)(かこ)まれて、女帝(をみなのみかど)()()勿き獨り身の(わび)しさに、天に奉る宣命と、祝辭に應へる玉音が(ふる)へた。王后(わうきさき)(ましま)御帳臺(みちやうだい)なら未だしも、何故(なにゆゑ)天下(あめのした)(いただき)高御座(たかみくら)の上に迷ひ込んで終つたのか。愛息の哀願と不比等の入れ智惠、然して何より、猛り狂ふ鸕野讚良(うののさらら)の憑き物を(なだ)める爲の登極。山門根子(やまとねこ)の位は愛息に任せて分け合つた、竺志と山門の(ふた)つの御座(みくら)。然れど、淨御原帝(きよみはらのみかど)起居注(ききよちゆう)は今や女帝(をみなのみかど)侍從(じじゆう)し、愛息は山門の朝堂から(ほぼ)見捨てられた。女帝(をみなのみかど)(かつ)()げられた御輿(みこし)から降りる事も儘爲(ままな)らず、釘を()()まれた咒詛(ずそ)形代(かたしろ)の如く、髙御座(たかみくら)(はりつけ)にされ、(はら)(そこ)の知れぬ客臣(きやくしん)の白き(まなこ)(なぶ)られて逃げ場も勿い。山門の太祖、磐餘彥(いはれびこ)天基草創(あまつひつぎのはじめ)以來の開闢(かいびやく)を、心より祝つてゐるのは何れ程居るのか。位祿と榮進に(かま)け、宮柱(みやばしら)の蔭で(ねた)(そね)(あざけ)る利得の傀儡(くわいらい)居竝(ゐなら)朝庭(おほには)。然して此處にも亦、欲目に(くら)んだ男が獨り。

 

 己卯(つちのとう)

 

 大伴宿禰御行(おほとものすくねみゆき)正參位(おほきみつのくらゐ)大納言と爲す。

 

 此れが不歸(ふき)の旅路へ持參する冥土の土產に爲るとは露知らず、代々近衞(このゑ)(つはもの)を勤める此の名門は、敍位を賜つた其の足で、對馬(つしま)より納められた(くがね)(あらた)める爲、大藏省(おほくらのつかさ)に出向いてゐた。天照神(あまてるかみ)の㠀、天國(あめのくに)より送られて來た大寳に躍る心。大寳とは寳祚にして、天子の御位(みくらゐ)(あらは)し、其の名分を託された(くがね)の貢進は國の威信を左右する。其の(にん)(まか)された御行(みゆき)は矢も楯も堪らず、然して何より、此の役得を利して、隙有らば(くがね)一塊(ひとくれ)も拜借しやうと目論(もくろ)んでゐた。處が、封を解いた木箱に敷き詰められた石を見て、大納言は血相を變へた。三田首五瀨(みたのおびといつせ)は飛んで來た御行(みゆき)(くがね)在處(ありか)を問はれて、

 「あやしき(こと)かな。」

 と木箱の中の石を取つて繁繁(しげしげ)(みつ)め、弱りましたなと素つ氣なく返す許り。

 「裏切つたか。」

 と迫られても、

 「次官(すけ)に云はれる覺え勿し。」

 と竺志から山門に寢返つた御行(みゆき)(はら)を探る始末。

 「伴造(とものみやつこ)を呼べ。鍛造大角(かぬちのみやつこおほすみ)を、鍛造大角(かぬちのみやつこおほすみ)を呼べ。」

 默つて見過ごせば良い物を、徒に騷ぎ立てた事で、大寳の貢進による建元の大號令を聽く事も勿く、御行(みゆき)の命運は盡きた。

 

 己丑(つちのとうし)

 

 大納言正廣參(しやうくわうさむ)大伴宿禰御行(おほとものすくねみゆき)(こう)しぬ。帝、甚だ(いた)()しみたまひて、直廣肆《ぢきくわうし》榎井朝臣山門蔴呂(えのゐのあそみやまとまろ)等を(まだ)して、喪事(ものごと)監護(みまも)らしむ。直廣壹(ぢきくわういち)藤原朝臣不比等らを(まだ)して、(てい)()きて(みことのり)()らしめ、直廣貳(ぢきくわうに)右大臣を贈りたまふ。

 

 庚寅(かのえとら)

 

 皇親(みこ)及び佰寮(もものつかさ)とを朝堂に(うたげ)す。直廣貳(ぢきくわうに)已上(よりうえ)の者には、特に御器膳(ごきぜん)(あは)せて(きぬ)()を賜ふ。(たの)しびを極めて()む。

 

 

 己卯(つちのとう)から己丑(つちのとうし)、僅か十干を數へる内に大伴宿禰御行(おほとものすくねみゆき)(みまか)り、(かたち)丈け右大臣を敍けて弔意を押し附けると、翌る日には朝堂で蹈哥(たふか)(とよのあかり)を催し、古狸の厄介拂ひを盛大に祝つた。大事の前の小事。年の始めに、此れは幸先が良いと不比等は蹈んだ。粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)と席を竝べて酌み交はす(うま)(はなむけ)。より大きな國事を成すには、目先の(くがね)に吊られる祿潰(ろくつぶ)しなぞ用は勿い。文林の主で存り乍ら文弱で終はらぬ、此の漢の研ぎ澄まされた智力と膽力(たんりよく)こそが相應(ふさは)しい。

 

 丁酉(ひのととり)

 

 守民部尚書(みんぶしやうしよ)直大貳(ぢきだいに)粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)を以て遣唐執節使(けんたうしふせつし)と爲す。

 

 

 大海帝の御宇(みよ)に斷たれた遣唐使の復活。倭國の殘黨や未だ貳心(にしん)を肚に抱へる小者を默らせるには、より大きな後ろ盾で頭熟(あたまごな)しに()さへ()けるしか勿い。不比等は數多(あまた)の遣使を呑み込んで來た海表の澎湃(はうはい)にも臆せぬ賢哲の士、粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)を死地の旅路へと送り出し、其の決死の船出とは裏腹に、女帝(をみなのみかど)騰極(とうきよく)した上に、不比等の(むすめ)宮子が皇胤を宿した事で御拂(おはら)(ばこ)と爲つた淨御原帝(きよみはらのみかど)は、俗塵を(うと)み、療養を兼ねて吉野の隱れ里へと車駕(くるま)を配した。

 

 二月(きさらぎ)辛卯(かのとう)甲辰(きのえたつ)己未(つちのとひつじ)

 

 泉内親王(いづみのひめみこ)を伊勢の齋宮(いつきのみや)(はべ)らしむ。

 

 癸亥(みづのとゐ)

 

 吉野の離宮(とつみや)行幸(みゆき)したまふ。

 

 淡海帝の(むすめ)泉内親王(いづみのひめみこ)女帝(をみなのみかど)御代(みよ)齋王(いつきのみこ)として伊勢に(つか)はされる事に爲つた物の、元來、新帝(あらたしみかど)が卽位して一歳(ひととせ)(みやこ)の外で齋戒(みそぎ)をして後、九月(ながつき)に伊勢に下向する習ひの筈が、二月(きさらぎ)と云ふ季節外れで不測の登位。淨御原帝(きよみはらのみかど)御代(みよ)齋王(いつきのみこ)として伊勢に遣はされた當耆皇女(たぎのひめみこ)も其の任を解かれる事と爲り、慌ただしい讓位の皺寄せで、起居注(ききよちゆう)の主で勿くなつた山門の(みかど)出御(しゆつぎよ)に御伴をする侍從(じじゆう)も本の其處此處(ちらほら)、見送りに出たのも長屋親王(ながやのみこ)唯獨(ただひと)り。一歳(ひととせ)違ひで氣心の知れ合ふ、元から皇位を爭ふ心算(つもり)なぞ更更勿かつた者同士、

 

 

  (いは)()の ()()き山を 越えかねて

    (おと)には泣く友 色に將出(いで)八方(やも)

 

 

 と長屋親王が詠めば、吉野の離宮(とつみや)に引き籠もつた淨御原帝(きよみはらのみかど)は、

 

 

  み吉野の山の下風(あらし)の寒けくに

    はたや今夜(こよひ)も我が獨り寢む

 

 

 と、猿山の(いただき)から降りた途端に大行天皇(だいぎやうてんわう)と呼ばれ、其の名をも奪はれて終ふ身の上を(したた)めて返した。肩の荷から降ろした(まつりごと)。始めから己の器では勿い殿上(でんじやう)角逐(かくちく)。其の續きを未だ續ける(をとこ)達の欲と意地の張り合ひも、此の卋を遁れた(くさ)(いほり)()して終へば何處吹く風。

 

 三月(やよひ)壬辰(みづのえたつ)甲戌(きのえいぬ)壬辰(みづのえたつ)

 

 不比等、石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)大伴宿禰安蔴呂(おほとものすくねやすまろ)紀朝臣蔴呂(きのあそみまろ)が中納言に(じよ)され議政官入り。國の太政(おほまつりごと)を司る、此の上には髙御座(たかみくら)のみと云ふ要職。官位も三階上げて正參位(おほきみつのくらゐ)に榮進した。かと思ひきや、

 

 甲午(きのえうま)

 

 對馬㠀(つしまのしま)(くがね)(たてまつ)る。(げん)()てて大寳元年と()したまふ。始めて新しき(りやう)に依りて官名(くわんめい)位號(ゐがう)改制(かいせい)す。

 

 左大臣正廣貳(しやうくわうに)多治比眞人㠀(たぢひのまひとしま)正正貳位(しやうしやうにゐ)を授く。大納言正廣參(しやうくわうさん)阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)正從貳位(しやうじゆにゐ)。中納言直大壹(ぢきだいいち)石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)直廣壹(ぢきくわういち)藤原朝臣不比に正正參位(しやうしやうさんゐ)直廣壹(ぢきくわういち)大伴宿禰安蔴呂(おほとものすくねやすまろ)直廣貳(ぢきくわうに)紀朝臣蔴呂(きのあそみまろ)正從參位(しやうじゆさんゐ)。又、諸王(おほきみたち)十四人(とほあまりよつたり)諸臣(おみたち)百五人(ももあまりいつたり)に位號を改めて(しやく)を進むること(おのもおのも)差有(しなあ)り。大納言正從貳位(しやうじゆにゐ)阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)を以て右大臣と爲す。中納言正正參位石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)、藤原朝臣不比等、正正參位(しやうしやうさんゐ)紀朝臣蔴呂(きのあそみまろ)を竝びに大納言と爲す。是の日、中納言の(くわん)()む。

 

 

 倭國の冠位を廢して敍位(じよゐ)詔書(せうしよ)に依る官位に改め、猫の眼の如き榮位と散位の渦卷く朝堂。中納言を賜つた僅か二日の後に、不比等、石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)紀朝臣蔴呂(きのあそみまろ)は大納言へと昇敍した。議政官は淡海帝の忠臣と子息が名を(つら)ね、逆に、壬申(みづのえさる)の大亂で大海帝に(くみ)した大伴宿禰御行(おほとものすくねみゆき)の弟安蔴呂(やすまろ)は、中納言の儘()()かれた擧げ句、中納言の役が泡と消え、官位丈けの空藉に突き落とされて萬事休す。不比等の上位には左大臣多治比眞人㠀(たぢひのまひとしま)と右大臣阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)のみ。其の(たう)の立つた(ふた)りは只の御餝りで、

 

 秋七月(ふみつき)丙申(ひのえさる)壬申(みづのえさる)壬辰(みづのえたつ)

 

 是の日、左大臣正貳位(しやうにゐ)多治比眞人㠀(たぢひのまひとしま)薨しぬ。

 

 

 と、不比等の私念が天に屆いた配劑か、將亦(はたまた)、鼠の抓み喰ひか。獨り復た獨りと覇道を讓る倭國の置き土產。其の天翔る途上に在つて、不比等は大納言として肩を竝べた柿本朝臣人丸に獻哥の一藝で借りが有り、物狂ひの鸕野讚良(うののさらら)の心さえ(つな)()める、柿本氏の異能(ちから)に一目置いてゐた。(うぢ)(かばね)()いだ丈けの凡臣(ぼんしん)には遠く及ばぬ、神と人の(さかひ)を、生と死の(みぎは)閒事(まじ)なふ稀代の遊部(あそびべ)息長帶比賣(おきながたらしひめ)の神掛かりの審神者(さには)を勤めた、古道の舊家(きうか)(おご)(とな)へるしか能の勿い中臣氏とは、比べ物に爲らぬ。此の漢は本物だつた。哥聖(うたのひじり)(あが)められる文林の名士になぞ用は勿い。史書(ふひと)(こよみ)を綴るにしろ、星を(うらな)ふにしろ、(こと)()に宿る魔性と神韻(しんゐん)勿くしては儘爲(ままな)らぬ。知謀を超えた()にし()巫術(ふじゆつ)何時亦(いつまた)、人丸の魂振りに(たす)けられるやも知れぬと、心の何處かで賴りにしてゐた。然れど、不比等の僞りの勿い信服は片念ひでしか勿かつた。

 

 

 

 八月(はづき)丁酉(ひのととり)辛丑(かのとうし)癸卯(みづのとう)

 

 參品(さんぽん)刑部親王(おさかべのみこ)正參位(しやうさんゐ)藤原朝臣不比等、從肆位下(じゆしゐのげ)下毛野朝臣古蔴呂(しもつけののあそみこまろ)從伍位下(じゆごゐのげ)伊吉連博德(いきのむらじはかとこ)伊餘部連馬養(いよべのむらじうまかひ)等を(まだ)し、律令(りちりやう)を撰び定めしむること、(ここ)に於いて始めて成る。大略(たいりやく)淨御原朝庭(きよみはらのみかど)を以て准正(じゆんせい)と爲す。()りて祿を賜ふこと差有(しなあ)り。

 

 

 倭國律令(ゐこくりちりやう)(りやう)廿二(はたあまりふたつ)卷に比して、僅か(りち)(むつ)(りやう)十一(とほあまりひとつ)卷なれど、大寳を(ゆづ)()けた(あら)き王朝の(あら)律令(りちりやう)。官位、建郡と前倒しで推し進めてゐた卷子(くわんし)の全貌が此處に成る。唐と倭國の向かうを張る(のり)朝典(てうてん)。其の校了(かうれう)を祝ふかの如く、

 

 壬子(みづのえね)

 

  夫人(ぶにん)藤原氏(ふぢはらのうぢ)皇子(ひつぎのみこ)(あれま)す也。

 

 甲寅(きのえとら)

 

 河内、攝津、紀伊の國に使を(まだ)して、行宮(かりみや)榮造(ゐやうざう)せしめ、()ねて、御船(みふね)卅八(みそあまりやつ)艘を造らしむ。(あらか)しめ水行(すいかう)(そな)ふと也。

 

 九月(ながつき)戊戌(つちのえいぬ)庚午(かのえうま)丁亥(ひのとゐ)

 

 天皇、紀伊國に(いでま)す。

 

 冬十月(かむなづき)己亥(つちのとゐ)庚子(かのえね)丁未(ひのとひつじ)

 

 車駕(くるま)武漏(むろ)の溫泉に至る。

 

 戊申(つちのえさる)

 

 從へる(つかさ)(あはせ)て國、郡の(つかさ)等に階を進め、(あはせ)(きぬ)(ふすま)を賜ふ。及び國内(くぬち)髙年(かうねん)に稻を給ふ(おのもおのも)差有(しなあ)り。當年(ことし)租調(みつき)(あはせ)正稅(しやうぜい)(くぼさ)を收ること勿からしむ。(ひとり)武漏郡(むろのこほり)のみ本利(ならび)(ゆる)し、罪人を曲赦(きよくしや)す。

 

 戊午(つちのえうま)

 

 車駕(くるま)、紀伊()り至りたまふ。

 

 己未(つちのとひつじ)

 

 ()に從へる諸國(くにぐに)騎士(きし)當年(ことし)調庸(みつき)及び擔夫(たむふ)田租(でんそ)(ゆる)す。

 

 

 新益京(あらましのみやこ)から(およ)そ一月の舟旅を(えう)して、武漏の白浜を群臣(まへつきみたち)貳千(ふたち)(いう)に越える鹵簿(ろぼ)が埋め盡くしてゐる。(むすめ)宮子の宿した先帝(さきのみかど)の皇胤が無事產聲(うぶごゑ)を上げたとの報せに、九海士(くあま)の實家で產褥(さんじよく)に就く其の(らう)(ねぎら)ひ、天孫(あめみま)日嗣(ひつぎ)(みやこ)に迎へ入れる爲、三十八(みそあまりやつ)艘もの御座船(ござぶね)刳船(くりぶね)を新たに造り、不比等は意氣揚揚と紀伊國に乘り込んで來た。天孫(あめみま)大寳(みくら)を降りた、山門の(みかど)の湯治と勇退を兼ねた最後の花道なぞ(こと)(つい)で。隱栖(かくれが)(みや)へ押し込まれる先帝(さきのみかど)租調(みつき)の積み荷の樣に運ばれて、行幸(みゆき)の本隊を俟つてゐた。(とこ)()に堪へる晚秋の潮風。卷き上がる(はま)眞砂(まさご)を被り、未だ御歲(みとし)廿(はたち)にも滿たぬと云ふのに、其の精も根も盡き果てた老いらくの(たたず)まひ。(ようや)く合流した鸕野讚良(うののさらら)(あら)女帝(をみなのみかど)は、鳳輦(ほうれん)で悠悠と陸路を逍遙(せうえう)し、先帝(さきのみかど)を武漏の湯船に乘せ替へた後、僅か數日の逗畱(とうりう)(みやこ)蜻蛉返(とんぼがへ)りする不穩な巡行。湯治場に置き去りにする捨て子から出迎へを受ける、母と祖母の姿を遠卷きに眺め、柿本朝臣人丸の(いか)りは心頭に達した。己の血を分けた皇胤(くわういん)と引き換へに引導を渡す不比等の鬼畜の所業。山上憶良(やまのうへのおくら)長奧蔴呂(ながのおきまろ)、名の有る哥ひ手を()()れ、哥聖(うたのひじり)として旅哥を獻る(ほま)れを胸に、先轍(せんてつ)を亂す事勿く扈從(こじゆう)してゐた勿け勿しの恭順も、最早此處迄。

 人丸は此の大行幸(おほみゆき)の先先で、正統とは名許りの、禪讓の化けの皮を目の當たりにし、史書(ふひと)の闇に葬られていく者達の無言の叫びを聞いた。竺志に最後の最後まで忠誠を立てて戰つた一族は非人(ひにん)と呼ばれ、祖神(おやがみ)の眠る奧津城(おくつき)の許に追はれると、討ち滅ぼされた祟りを封じる墓守として怨靈(をんりやう)の番を强ひられてゐた。(あら)き王朝に因つて放伐(はうばつ)された落人(つくし)の里を、是見(これみ)よがしに巡る覇者の凱旋。倭國を(おとし)(はづかし)める餘りの仕打ちに、干戈(かんくわ)の主に(くみ)し、竺志(ちくし)をツクシと(なま)るのを打ち消す事にも疲れ、保身に(かま)ける己を()ぢた。此の景勝を哥に詠めと云はれた人丸は、白浜の(みぎは)を辿つて眼と鼻の先に在る哥枕に向き直ると、

 

 

   (のち)見むと君が結べる磐白(いはしろ)

    小松が(うれ)をまた見けむかも

 

 

 濱風に乘つて黃泉復(よみがへ)る無念に()れて、渾身の魂振りを絕唱した。卋を越えて繰り返される權謀術數。吹き荒ぶ遺恨の應酬。有閒王子を逆心の罠に陷れた淡海帝の影を(ほの)めかす劾哥(がいか)に、物狂ひが()(かへ)鸕野讚良(うののさらら)。其の火を噴く惡鬼の形相を、

 「國王(こくわう)(おほ)せごとをそむかば、はや、殺したまひてよかし。」

 と人丸は面罵し、

 「なに(おほ)す、人麿(ひとまろ)。あへなし。」

 と阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)が閒に入るも、

 「(われ)人丸(ひとまる)(なり)竺志(ちくし)もツクシに(あら)ず。」

 と恫喝し、其の場で扈從(こじゆう)の任を解かれた。(はか)らずも不比等の前から復た獨り、倭國の置き土產が去つて行く。人丸は正陸位下(しやうろくゐのげ)まで蹴落とされ、最早、山門の(みやこ)に居場所は勿く、日成(ひな)らずして(よそ)(くに)へ飛ばされる事と爲る。

 不比等の()安宿媛(あすかべひめ)を產み落とし、(みやこ)還御(くわんぎよ)を俟つてゐた道代は、先帝(さきのみかど)牟婁(むろ)の湯に置き去りに、(むすめ)宮子の授かつた皇胤を輿に乘せて現れた不比等を默つて出迎へた。誇りと屈辱、快樂と禁欲の入り混じつた殘酷な(ふた)つの賜物が、王朝開闢(わうてうかいびやく)の元年に相揃ふ因果。不比等の念ひ描く史書(ふひと)の儘に生を受けた、(ふた)りの乳飮み子の遁れ得ぬ鎖爲(さだめ)(あや)す術も勿く、天下(あめのした)の曆數は星星の囘廊を(なぞ)つて(またた)き、唯只管(ただひたすら)既倒(きたう)した銀瀾(ぎんらん)に押し流されていく。

 

 

 

 大化(たいくわ)八年壬寅(みづのえとら)二月(きさらぎ)癸卯(みづのとう)戊戌(つちのえいぬ)

 

 始めて新律(あたらしきりち)天下(あめのした)(わか)つ。

 

 庚戌(かのえいぬ)

 

 大幤(おほぬさ)(わか)たむ爲に、(はゆま)を馳せて諸國(くにぐに)國造(くにのみやつこ)等を(めし)て、(みやこ)に入らしむ。

 

 丙辰(ひのえたつ)

 

 諸國(くにぐに)大租(おほちから)驛起稻(やくきたう)及び義倉(ぎそう)(あはせ)兵器(つはもの)(かず)(ふみ)、始めて辨官(べんくわん)に送る。

 

 丁巳(ひのとみ)

 

 諸國(くにぐに)の國師を()く。

 

 乙丑(きのとうし)

 

 諸國司(くにぐにのつかさ)等、始めて(かぎ)を給はりて(まか)る。

 

 三月(やよひ)甲辰(きのえたつ)戊辰(つちのえたつ)乙亥(きのとゐ)

 

 始めて度量(どりゃう)天下(あめのした)諸國(くにぐに)(わか)つ。

 

 四月(うづき)乙巳(きのとみ)戊戌(つちのえいぬ)庚戌(かのえいぬ)

 

 (みことのり)して、諸國(くにぐに)國造(くにのみやつこ)(うぢ)を定めたまふ。其の名を國造記(くにのみやつこのふみ)(つぶさ)なり。

 

 

 不比等が倭國の許で任官された諸國(くにぐに)國造(くにのみやつこ)を都に召し上げ、大幤(おほぬさ)を班給する事で祭祀を司る(ほま)れのみを(あた)へて骨拔きにし、世襲の(くびき)で縛り上げると、大寳律令の許、新たに(さづ)けられた國司達は、官衙正倉(かんがしやうさう)の實權を握る(かぎ)を帶びて任國へ一齊(いつせい)に下向し、改新の(みことのり)で定めた倭國の物差しを折り、(ます)を碎いて、度器と量器を改め、(あら)き王朝の祖調(みつき)に備へた。天下(あめのした)()らす律令(りちりやう)が遂に整ひ、殘る大業は唯獨つ。

 

 八月(はづき)戊申(つちのえさる)丙申(ひのえさる)朔、

 

 薩摩、多褹(たね)(おもぶけ)(へだ)てて、(おほせ)に逆らふ。是に於いて、(つはもの)()こし征討(せいたう)し、遂に()(しら)べ、()を置く(なり)

 

 辛亥(かのとい)

 

 正參位(しやうさんゐ)石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)を以て太宰(おほみこともち)(そち)と爲す。

 

 九月(ながつき)庚戌(かのえいぬ)乙丑(きのとうし)戊寅(つちのえとら)

 

 薩摩の隼人(はやと)を討ちし軍士(いくさひと)に、(いさを)を授くること(おのもおのも)差有(しなあ)り。

 

 丁亥(ひのとゐ)

 

 天下(あめのした)大赦(たいしや)す。

 

 十月(かむなづき)庚戌(かのえいぬ)乙未(きのとひつじ)丁酉(ひのととり)

 

 是より先、薩摩の隼人を征する時、太宰(おほみこともち)所部(しよぶ)(かみ)九處を()(いの)るに、(まこと)神威(しんゐ)()りて遂に荒ぶる(あた)(たひら)げき。(ここ)幣帛(みてぐら)を奉りて、以て其の(いのり)(さい)(なり)唱更(はやひと)の國司等(まう)さく、

 

 國内(くぬち)要害(ぬみ)(ところ)()を建てて、(まも)りを置きて之を守らむ。

 

 許す(なり)諸神(かみがみ)を鎭め祭る。參河國(みかはのくに)(いでま)せむと(まさ)にしたまふ爲なり。

 

 

 山門の王化に從はず、薩摩に陣を張り、未だ朝命に抗ふ倭國の遺臣。其の忠烈を()(くだ)()く、石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)を擁して竺志惣領から兵部(つはもののつかさ)の構へを改め、太宰府(おほみこともちのつかさ)が直直に(とりし)まる九州の諸司(もろもろのつかさ)を掌握し、

 「敵は羅寇(らこう)に非ず、竺志に在り。」

 東國(あづま)から防人(さきもり)を召し上げて竺志を見張り、(まも)りを固めた。其の成果を見定めて、國母が最後の腰を上げ、鳥憑かれた私命の炎群(ほむら)を燒き盡くす。

 

 甲辰(きのえたつ)

 

 太上天皇(だじやうてんわう)參河國(みかはのくに)(いでま)す。諸國(くにぐに)(いひな)し、今年の田租(でんそ)を出だすこと無からしむ。

 

 戊申(つちのえさる)

 

 律令(りちりやう)天下(あめのした)諸國(くにぐに)(わか)ち下す。

 

 

 群れの(をさ)を若獅子に(たふ)され、吾が兒までも嚙み殺された途端、其の若獅子に(さか)()く牝獅子の樣に、鸕野讚良(うののさらら)は妹が天孫(あめみま)の大寳に卽位し、阿每(あま)氏から(おほきみ)氏へ天命が(あらた)まつた途端、吾が兒の忘れ形見で存る淨御原帝(きよみはらのみかど)を最早顧みず、(おほきみ)氏を(なの)(あら)女帝(をみなのみかど)に己を重ね熱狂してゐた。父の亡靈を道連れに、阿每(あま)氏の根絕に心火を燃やす國母の最後の花道。鸕野讚良(うののさらら)尾治(をはり)三野(みの)伊卋(いせ)伊賀(いが)參河(みかは)と、見渡す限りの社稷(くにのおほもと)を巡り、新律(あたらしきりち)(うべな)ふやう、各地で租調(みつき)(ゆる)し、恩賞を施して、長い物に(おもね)る人心を(たら)()み、王朝の(もとゐ)を磐石の物としていく。天命が(あらた)まつた御宇(みよ)を知らしめ、霏霺(たなび)鹵簿(ろぼ)(はたがしら)息長帶比賣(おきながたらしひめ)(なぞら)へ、三韓討征も()くやと云ふ壯途(さうと)を遣り遂げると、女王(ひめぎみ)の總ての憑き物は、落花啼鳥(らつくわていてう)にして、年の始めを俟たずに事切れた。

 

 十二月(しはす)癸丑(みづのとうし)癸巳(みつのとみ)甲寅(きのえとら)

 

 太上天皇(だじやうてんわう)(かむあが)りましぬ。

 

 

 不遇を(かこ)つてゐた不比等を召し上げ、數多(あまた)の物狂ひで山門の朝堂を搖るがせた、鬼子母の大往生。廢都の如く總てが瓦解した女王の、絕望と逆上の亂髙下に(うら)まれ、(たす)けられて此處迠來た不比等は、(もがり)(みや)に眠る御遺形(ごゆいぎやう)が、未だ拭ひ切れぬ(あだ)を討つ爲に、今にも黃泉復(よみがへ)るのでは勿いかと、人智と道理を超えた其の(よこしま)(ちから)を欲し、女王(ひめぎみ)の恚りを目覺めさせる爲、咒詛(ずそ)を念じ續けてゐた。

 女禍(によくわ)を以て大禍(たいくわ)を制す。斯樣な驗擔ぎ(げんかつぎ)に未だ賴るとは、全く、懲りぬ男だ。人の卋の迷ひから解かれた(かばね)に、此の上、何を求めると云ふのか。鯔の詰まり、弔ひなぞと云ふ物は死者の爲で勿く、生き殘つてゐる者達の慰めでしか勿い。道代は毒夫の盡きる事の勿い妄執を橫目に、骨肉の遺恨に(まみ)れた荒ぶる魂に安らぎは有るのか、(あら)き王朝の榮華が果たして心の(すく)ひに成り得るのかを問ひ續けた。旣に挽哥を奉る人丸の姿は勿く、新たに宿した命が血で血を(あら)ふ星の許に產まれ落ち、更なる禍根を引き繼いでゐる。何時果てるとも知れぬ愛憎の相克。鳥憑かれた女王(ひめぎみ)の御亂心なぞ、外傳(ぐわいでん)()(がき)()かず。道代は唯唯、罪荷(つみに)の獨つを解かれた氣がして、(しろぎぬ)に覆はれた柩に()(ごころ)を合はせた。

 

 

 

 大化(たいくわ)九年癸卯(みづのとう)

 

 大寳元年に山門王朝の上表文を託され、遣唐執節使(けんたうしふせつし)に任じられた粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)は、兵亂の(くすぶ)る竺志の水門(みなと)から西方の絶域に向けて(かぢ)を漕ぐも、瞬く閒に海表(わたのほか)の嵐に呑まれ、翌る大化(たいくわ)八年壬寅(みづのえとら)六月(みなづき)丁未(ひのとひつじ)に今一度、(もや)ひを解き、艱難辛苦の末に大願の支那の濱邊(はまべ)に漂著した。其處で、

 

 

 初め(もろこし)に至りし時、人有り、來たりて問ひて()はく、

 

 何處(いづく)使人(つかひびと)ぞ。

 

 答へて曰はく、

 

 日本國(にほんこく)使(つかひ)なり。

 

 我が使(つかひ)(かへ)りて問ひて曰はく、

 

 (ここ)()(いづれ)(しう)(さかひ)ぞ。

 

 答へて曰はく、

 

 ()れは大周(だいしう)楚州(そしう)鹽城縣(えむじやうくゑん)(さかひ)なり。

 

 更に問はく、

 

 先には()大唐(だいたう)、今は大周(だいしう)(なづ)く。國號(くにのな)、何に()りてか改め(なづ)くる。

 

 答へて曰はく、

 

 永淳(えいじゆん)二年、天皇(てんくわう)太帝(たいてい)(ほう)じたまひき。皇太后(くわうたいごう)(くらゐ)に登り、()聖神(せいしん)皇帝(くわいてい)()ひ、國を大周(だいしう)(なづ)けり。

 

 問答(おほむね)(をは)りて、(もろこし)の人我が使(つかひ)()ひて()はく、

 

 (しばしば)聞かく、海の(ひむがし)大倭國(たいゐこく)有り。これを君子國(くんしこく)()ふ。人民豐樂(じんみんほうらく)にして、禮儀敦(れいぎあつ)く行はるときく。今使(つかひ)()るに、儀容(ぎよう)(はなは)(きよ)し。(あに)(まこと)ならずや。

 

 語畢(ことをは)りて去りき。

 

 

 右も左も判らぬ粟田眞人(あはたのまひと)は、打ち上げられた船の前に現れた浦里(うらさと)の民に、筆を執つて語り掛けると、旣に唐國(もろこし)大周(だいしう)()を改めゐた。埀簾聽政(すいれんちやうせい)()き、皇帝李治(りち)崩御の後、皇后武曌(ぶせう)が初の女帝(をみなのみかど)として騰極(とうきよく)を果たした事は了知してゐた物の、眞逆(まさか)、國號までも(くつがへ)してゐたとは。武曌(ぶせう)龍顏(りゆうがん)に浴する爲、身命(しんみやう)を賭して海を渡つたと知つた途端、里の者は氣色を變じ、粟田真人を官衙(くわんが)先達(せんだつ)しやうともせず、()(くわん)せずと其の場を立ち去つた處を見ても、女帝(をみなのみかど)の專橫は餘程の不興を買つてゐるので在らう。日本とは耳慣れぬ國なれど、大倭(たいゐ)は禮節の國。其の身形を見ても信に足ると云はしめて猶、(しう)(くみ)する者は腹に据ゑ兼ねるとは。

 一抹の不安を胸に長安に至つた粟田真人は、皇帝武曌(ぶせう)への拜謁(はいえつ)が許されると、(いただ)きの插花(さうくわ)が四方に埀れる進德冠(しんとくくわん)紫袍(しはう)(まと)つて、(はく)の絹を以て腰の絛帶(でうたい)と爲す、禮服冠(れいふくくわん)に精美を極め、胸には、

 

 日本國王(にほんこくわう)主明樂美御德(すめらみこと)

 

 と女帝(をみなのみかど)の名を(しる)した上表文を擁して朝見(てうけん)に臨んだ。倭國に取つて替はつた日本國の御披露目。然れど、眞の皇帝を前にして、東夷の蕃屛(まがき)天皇(てんわう)(なの)る事は(はばか)られた。支那の帝號を(おご)(とな)へれば倭國の二の舞ひ。此の謁見に到る迠も、

 

 多く(みづか)矜大(きようだい)(じつ)を以て(こた)へず。

 

 と周都(しうと)官吏(くわんり)倭人(ゐじん)で存り乍ら日本國を(なの)る粟田眞人に難色を示した。樂浪海中(らくらうかいちゆう)の東の果て、扶桑の地、倭國(ゐこく)の、更に東に日本國は在ると幾ら說いても、斯樣な國は聞いた事が勿いの一點張(いつてんば)り。大海帝の御宇(みよ)より國交を斷ち、禮を失してゐたが故に、遣使の(げん)(しん)不能(あたはず)、と鼻先で(あしら)はれる始末。(あら)き王朝の國運を委され、二度の渡海を()ひられて(ようや)く辿り著いた拜塵(はいじん)一期(いちご)。凡臣の顔色を一々窺つてゐては埓が明かぬ。粟田眞人は上表文を拜呈(はいてい)すると、女帝を尊崇する念ひの丈を、閒髮を入れず奏上した。

 「()むに()まれぬ子から母への讓位を堪へ忍び騰極した皇帝に學び、吾が日本國も、倭國から其の(たい)を繼ぎ(もとゐ)を承け、貽厥(いけつ)された大寳に女帝を立てて早幾歳(いくとせ)。子から父への讓位すら習ひも勿ければ例へも勿く、斯樣な日嗣(ひつぎ)一方(ひとかた)ならずと(あげつら)ふ者、數知れず。其の道程(みちのり)百折不撓(ひやくせつふたう)の日日。()(なが)ら、其の甲斐有つて、今や唐日兩國は泰然として治まり、蠻血(ばんけつ)に穢される事勿く、宮廷の奧室で肅肅と天命を革めた其の手腕、將に敬天愛人の明君なればこそ。」

 巧言令色を(ちりば)めた女禍(によくわ)を拂拭する懸河(けんが)(べん)。反動勢力に手を燒いてゐた武曌(ぶせう)は歡天喜地に達し、粟田眞人の人品朗色(じんぴんらうしよく)を讚へて官職を敍けると、倭國から日本國へ王朝が更代(かうたい)を果たした事を承認し、通交を結ぶ不臣(ふしん)扱ひの一國として、國號を倭國から日本國に()せとの(みことのり)と、

 「次の遣使には日本の靑史(せいし)、日本書を奉れ。」

 との宸旨(しんし)を託して送り出した。

 

 大長(だいちやう)元年甲辰(きのえたつ)、秋七月(ふみつき)辛未(かのとひつじ)甲申(きのえさる)

 

 正肆位下(しやうしゐのげ)粟田朝臣眞人(あはたのあそみまひと)唐國(もろこし)()り至る。

 

 

 支那の女帝から賜つた詔書(みことのり)(たづさ)へ、粟田眞人が生きて海表(わたのほか)の絕域から歸國の途に就いたとの報せを受けると、不比等は總ての(まつりごと)を差し措き、難波の水門(みなと)で出迎へた。大海を()き、大國の北闕(ほつけつ)穿(うが)つ其の一念。矢張り此の漢の才幹から(ほとばし)る氣焰は本物で存つた。外洋の照り返しで潮燒きにされた、赤銅(しやくどう)破顏(はがん)から零れる呵呵(かか)とした皓齒(かうし)。其の(まぶ)しさが王朝顚覆の闇を吹き飛ばす。干戈(かんくわ)の主だ、女禍(によくわ)徒花(あだばな)だと、臣民から(そし)りを受けるのは山門の女帝(をみなのみかど)とて同じ事。其處に天から下された日本國を承認する大國の國書。此れに優る後ろ盾が有らうか。不比等は(ふる)へる手で皇帝の印璽(いんじ)()された封を解き、男勝りの硬質雄毛な宸筆(しんぴつ)に目頭が緩む。すると、健墨(けんぼく)が踊る白文(はくぶん)の中に、大和の二文字が在るのを見て、其の字義を問ふた。粟田眞人が答へるに、

 「(うゐ)(うわ)()(たが)へるのは北狄(ほくてき)(あやま)り也。故に、鮮卑(せんぴ)の唐人は()()の字を當て、大周(だいしう)官吏(くわんり)も文書にて大倭(たいゐ)大和(たいわ)と書く也。」

 苦笑する殊勳の遣使に對して、日本國の(もとゐ)から倭國の遺風殘滓(ゐふうざんし)を覆ひ隱す爲、(ちくし)(やまと)()()へて親書を(したた)めてゐた不比等の顱頂(ろちやう)に、天啓が落雷した。今の今迠、何と下手な小細工に虛實を盡くしてゐた事か。

 「大倭(たいゐ)なぞと云ふ下賤な字面より、大和(たいわ)こそが()(もと)相應(ふさは)しい。」

 

 

 十一月(しもつき)丙子(ひのえね)癸未(みづのとひつじ)壬寅(みづのえとら)

 

 始めて藤原京の(ところ)を定む。(いへ)宮中(みやのうち)に入れる百姓(おほみたから)一千五百五(ちあまりいほあまりいつ)(かまど)(ぬの)賜ふこと差有(しなあ)り。

 

 

 不比等は竺志の兵亂が鳴りを(ひそ)めた處を見計らひ、薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)の禁足を解いて、内裏(おほうち)から叩き出すと、大周(だいしう)の皇帝武曌(ぶせう)に日本國建立(けんりつ)を認められた大慶を(ことほ)ぎ、飛鳥宮での(まつりごと)を引き拂つて、後に藤原の名を冠する(みやこ)に滿を持して遷府した。鼓吹萬雷の御練(おね)りを從へて、公卿(まへみつき)佰寮(もものつかさ)が繰り出す其の賑はひは、(まさ)に雲上を霏霺(たなび)く銀瀾の如し。今や行き交ふ雜沓(ざつたふ)巷塵(かうじん)に卷かれて、(みやこ)の片隅に追ひ遣られた竺志の日嗣(ひつぎ)を見返るのは、御薦(おこも)將亦(はたまた)、野良犬か。最早、御餝りにも呼ばれぬ最後の天孫(あめみま)は、其の零落に乘じる外に爲す術が勿い。

 

 

 天皇(あまきみ)、別離の心、堪へ難く。愁緖(しうを)御淚(みだ)に溺る。翠帳紅閏(すいちやうこうけい)を思ひ、隻枕(せきちん)に昔を(なげ)く。二卋の(した)しき契約(ちか)ひの密語(ひめごと)に於いて、外朝(くわいてう)出居(しゆつきよ)(はつ)することを御志(おこころざし)して幾時も(あら)ず。

 

 

 大所帶の宿替へで(ひし)めく(みやこ)條坊(でうばう)。其の合閒を縫つて衞門府(ゆけひのつかさ)の眼を盜み、(かめ)()(くぐ)()けて山門を脫した竺志の日嗣(ひつぎ)は、流謫(るたく)()に追ひ遣られるかの如く西を目指した。人質を逃した不比等は追つ手の手綱を敢へて弛めた。倭國の殘黨を(おび)()せるのに手頃な撒き餌を、見す見す捕らへては(げい)が勿い。悲願の歸京を果たした薩夜蔴の壹粒胤(ひとつぶだね)は、俘虜(ふりよ)と爲つて唐から送還された父の如く、旣に廢人と化してゐた。

 

 

 冬十二(しはす)丁丑(ひのとうし)壬子(みづのえね)甲寅(きのえとら)

 

 (みかど)、一寳の(つるぎ)を帶び、一白馬に()して幸山階山を潛行し、(つひ)還御(くわんぎよ)す。舟は波を凌ぎ、路は嶮難にして、虛空を馳せるが如し。遂に太宰府(おほみこともちのつかさ)臨著(いた)り、(かしこ)御在于(ましま)した。越月(としがあけ)(おほうち)に於いて、(むか)神獄(かむだけ)の麓に離宮(とつみや)營溝(いとな)むを欲する。(ゆゑ)に九州の諸司(もろもろのつかさ)宣旨(せんじ)する也。

 

 

 (のち)開聞(ひらきき)古事(こじ)には勇ましく綴られてゐても、尾羽(をは)打ち枯らして舞ひ戾つた最後の天子に、最早、竺志を再興する餘力は望む可くも勿く、卅歲(みそとせ)一卋(ひとよ)の隔てを經て再會を果たした倭姬王(ちくしひめ)は、父薩夜蔴(さちやま)の歸りを待つ稚兒(ちご)(おもかげ)とは程遠い蹌踉(さうらう)とした姿に淚潺(るいせん)不得禁(きんじえ)ず、日嗣(ひつぎ)還御(くわんぎよ)を祝して年號を大長(だいちやう)に改め、無爲無能を堪へ忍んだ慘めな風露星霜(ふうろせいさう)(ねぎら)つた。本領安堵の沙汰を反古にした山門の逆賊を誅罰す可く、倭國に(あまね)く義烈の士が最後の力を束ねる御旗(みはた)を勤める事も勿く、

 

 大長(だいちやう)三年丙午(ひのえうま)、春三月(やよひ)壬辰(みづのえたつ)甲辰(きのえたつ)辛亥(かのとい)

 

 聖帝、天壽七十九(ななそあまりここのつ)にして此に崩御す。仙土の(みささぎ)が神殿に(あた)(なり)。阿彌陀如來の示現(じげん)なされた帝皇(なり)

 

 

 地に墮ちた天子が天に召され、竺志の皇胤が途絕えると、時を同じくして、山河を越えて(ましま)す、もう獨りの天子も、其の()()き天命を全うし、(つひ)(しとね)を迎へる事となる。

 

 八月(はづき)戊戌(つちのえいぬ)壬申(みづのえさる)庚子(かのえね)

 

 參品(さんぽん)田形内親王(たかたのひめみこ)(まだ)して伊勢大神宮(いせのおほかみのみや)(はべ)らしむ。

 

 

 愈愈(いよいよ)以て氣色險しく、衰亡の一途を辿る淨御原帝(きよみはらのみかど)體不豫(みやまひ)。不比等は何時身罷(みまか)るとも知れぬ山門根子(やまとねこ)天皇(すめらみこと)御位(みくらゐ)女帝(をみなのみかど)(ゆづ)()ける可く、先ずは亀卜(かめのうら)卦辭(かじ)に據つて(えら)ばれた田形内親王(たかたのひめみこ)を伊勢に送り出し、其の兼祚(けんそ)に備へた。女帝(をみなのみかど)(ましま)す皇帝の禱念(きねん)を託されて登位した、託基皇女(たきのひめみこ)と合はせて(ふた)りの齋王(いつきのみこ)。幻の宮に入り亂れる竺志の神子(みこ)と山門の神子(みこ)を、天照神(あまてるかみ)如何(いか)な面持ちで見下ろしてゐる事やら。

 

 

 十一月(しもつき)庚子(かのえね)辛丑(かのとうし)癸卯(みづのとう)

 

 (われ)虛薄(きよはく)を以て、(あやま)りて景運(けいうん)()けたり。()づらくは、石を練る(ざい)無くして、徒に鏡を握る(にむ)()けたることを。日旰(ひた)くるまで(くら)ふことを忘れて、翼翼(よくよく)(おも)(いよいよ)(つも)り、(よひ)()くるまで()ぬることを()めて、業業(げふげふ)の想ひ(いよいよ)深し。(こひねが)ふは、覆載(ふうさい)の仁を(およぼ)して、(とほ)寰區(くわんく)(へう)(かがふ)らしめむことを。(いはむ)や、(こにきし)(よよ)に國の境に()りて、人民を撫寧(ぶねい)し、深く舟を(なら)ぶる至誠を()りて、長く朝貢(でうぐ)の厚き(れい)(をさ)む。(ねが)はくは、磐石(もとゐ)を開きて、茂響(もきやう)麕岫(きんしう)()げ、維城(ゐじやう)(かため)()して、芳規(はうき)鴈池(がんち)()るひ、國内安樂にして、風俗淳和(ふうぞくじゆんくわ)ならむことを。寒氣嚴切(かんきげむせつ)なり。

 

 

 新羅の(こにきし)隆基(リユウキ)より勑書を賜ひ、其の返筆の外に胸の内を明かす物の勿い孤宮隔卋(こぐうかくせい)(みかど)。不比等は夜殿(よどの)に何者も寄せ附けず、日一日と瘦せ衰へていく其の容態を(けみ)すると、薬師(くすし)の施術も程程に、除病平癒(じよびやうへいゆ)加持祈禱(かぢきたう)も執り行はず、牛馬を値蹈(ねぶ)みする一瞥を泳がせた丈けで、用濟(ようず)みと爲つた籠の鳥が事切れるのを俟ち續けた。(むすめ)宮子の賜つた吾が直孫、首皇子(おびとのみこ)が騰極を果たす爲には、此の若き()(らく)後後(のちのち)(さは)りと爲る許り。下手に息を吹き返して、餘計な火胤(ひだね)を撒かれては元も子も勿い。藤原の氏上(うぢがみ)(なの)らぬ者が太子(みこ)を立てる事は、何人(なんぴと)たりとも不罷成(まかりならぬ)。淡海帝の(むすめ)で外戚の勿い利を生かし、此の儘、女帝(をみなのみかど)山門根子(やまとねこ)御位(みくらゐ)兼祚(けんそ)すれば、如何(いか)なる皇胤も手が出せぬ。其の()ぎには氷髙内親王(ひだかのひめみこ)も控へてゐる。首皇子(おびとのみこ)(むすめ)安宿媛(あすかべひめ)(めと)らせて日嗣(ひつぎ)を宿し、阿每(あま)氏と(おほきみ)氏の嫡流を藤原の血で塗り替へる其の刻迠、(みかど)孤閨(こけい)天岩屋戸(あめのいはやと)(まこと)女帝(をみなのみかど)と云ふ物は()(ずみ)(くがね)に變へる女神(なり)。光を操り、日嗣(ひつぎ)の闇を生み出す其の魔力。烏玉(ぬばたま)夜伽(よとぎ)(ひそ)み、殿上人(でんじやうびと)の惡夢から惡夢へと暗躍する不比等に取つて、女王(をんな)とは史書(ふひと)、其の物で存つた。

 

 

 大長(だいちやう)四年丁未(ひのとひつじ)六月(みなづき)丁未(ひのとひつじ)丁卯(ひのとう)辛巳(かのとみ)

 

 天皇(かむあが)りましぬ。

 

 秋七月(ふみつき)戊申(つちのえさる)丙申(ひのえさる)壬子(みづのえね)

 

 天皇(すめらみこと)、大極殿に卽位(くらゐにつ)きたまふ。(みことのり)して(のたま)はく、

 

 現神(あきつみかみ)八洲御宇(おほやしまぐにしらしめす)山門根子(やまとねこ)天皇(すめらみこと)詔旨(おほみことらま)()りたまふ(おほみこと)を、親王(みこたち)諸王(おほきみたち)諸臣(おみたち)佰官(もものつかひと)等、天下(あめのした)公民(おほみたから)(もろもろ)聞きたまへと()る。(かけま)くも(かしこ)き藤原宮に御宇(あめのしたしらしめ)しし山門根子(やまとねこ)天皇(すめらみこと)丁酉(ひのととり)八月(はづき)に、此の食國(をすくに)天下(あめのした)(わざ)を、日竝所知皇太子(ひなみしのみこのみこと)嫡子(むかひめばらのみこ)、今御宇(あめのしたしらしめ)しつる天皇(すめらみこと)に授け賜ひて、(なら)(いま)して此の天下(あめのした)を治め賜ひ(ととの)へ賜ひき。(これ)(かけま)くも(かしこ)近江大津宮(あふみおほつのみや)に御宇しし大倭根子(おほやまとねこ)天皇(すめらみこと)の、天地(あめつち)と共に長く日月(ひつき)と共に遠く(かは)るましじき(つね)(のり)()て賜ひ()き賜へる(のり)を、受け賜り()して行ひ賜ふ事と(もろもろ)受け賜りて、(かしこ)(つか)(まつ)りつらくと()りたまふ(おほみこと)(もろもろ)聞きたまへと()る。

 

 

 深宮(ふかきみや)に籠もり、體不豫(みやまひ)を養はれてゐた淨御原帝(きよみはらのみかど)御隱(おかく)れに爲ると、天孫(あめみま)神璽(みしるし)()いだ女帝(をみなのみかど)は、父で存る大倭根子(おほやまとねこ)天皇(すめらみこと)、淡海帝の定めた、天地(あめつち)と共に長く日月(ひつき)と共に遠く(かは)るましじき(つね)(のり)(もと)に、大八洲(おほやしま)()らしめし、山門の髙御座(やまと)兼祚(けんそ)する事を、天上(あめのうへ)天下(あめのした)(たてま)つた。永卋不易(えいせいふえき)の古道に(のつと)り、山門の祖廟禮式(そべうれいしき)を千代の果てまで護り拔く。(すなは)ち、竺志の天道、阿每(あま)氏の血脈を斷つと言擧(ことあ)げた神女王(ひめみこ)は、倭國の向かうを張り、近江大津宮で王朝を創業し、僅か四歲(よつとせ)廢號(はいがう)された近江年號を建元した父の亡靈に導かれ、其の大願を成就した。阿每(あま)氏に破れて天孫(あめみま)の嫡流を經巡(へめぐ)り、父から(むすめ)の許に舞ひ戾つた山門の寳祚(ほうそ)。淡海帝の無念を晴らした女帝(をみなのみかど)宸襟(しんきん)如何斗(いかばか)りか。さぞ、哀切(あいせつ)此の上勿き、滿腔(まんかう)の隨喜に()()れてゐる物かと思へば、()(あら)ず、其の舊懷(きうくわい)に去來するのは、唯唯、心の安まる事も勿く、禁中(おほうち)に取り殘されて靜觀する、物換星移(ぶつくわんせいい)果敢勿(はかな)さ許り。倭國を討ち拂ひ、社稷(くにのおほもと)神璽(みしるし)簒奪(さんだつ)して帝位に昇り詰めた處で、天に召された()()()(もど)せる譯でも勿い。年齒(よはひ)(をさな)くして騰極を强ひられ、一日萬機(いちじつばんき)の多端な庶務に堪へ切れず、徒に壽命を縮めて終つた先帝(さきのみかど)の末路。臥病(みやまひ)に窮する吾が兒の願ひを聞き入れ、其の荷を獨つでも降ろして遣り度い一心で、王朝の太祖(はじめのおや)を引き受けはした物の、父の遺德を借りて下す(みことのり)如何(いか)御稜威(みいつ)が有ると云ふのか。況して、不比等の思ふが儘に執り成す(まつりごと)は下下の不興を買ふ許り。賀茂の血を引く(むすめ)の宮子が、己の繰り返してきた(はかりごと)を吹き込まぬ樣に、首皇子(おびとのみこ)の許から引き離し、安宿媛(あすかべひめ)の皇后宮に幽閉して宮子の心を苛むに至つては、親も子も勿い不比等の仕打ちに()()(のろ)ひ、御所(みところ)孤閨(ねや)を脅かす兵馬(へうば)(いなな)きに(ふる)へ乍ら、女帝(をみなのみかど)は眠れぬ夜を數へた。

 

 

  ますらおの(とも)()すなり物部(もののふ)

     大臣(おほまへつきみ)楯立つらしも

 

 御名部皇女(おなべのみこ)(こた)(まつ)御歌(みうた)

 

  わご大君(おほきみ)物な(おも)ほし皇神(すめかみ)

   つぎて(たま)へるわれ無けなくに

 

 

 本來、卽位の禮で參像肆神(さんざうよんしん)の文物と肩を竝べ、儀仗(ぎぢやう)を構へるのは兵部(つはもの)の名門、物部氏の勤め。其の後裔、石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)は飛鳥帝の騰極から大盾(おほたて)()てまつる大役を果たして來た。筑紫捴領(ちくしのそうりやう)太宰(ちくしのそうりやう)(そち)と歷任し、(あら)き王朝に(まつろ)はぬ竺志を平定した將軍(いくさのかみ)が、己の晴れ姿を思ひ描き、晴れの日を指折り數へて俟つのは當然の事。處が不比等は其の榮え有る(ほま)れを剝奪し、在らう事か大極殿から締め出して、式を强行した。

 「竺志の帝位丈けで勿く、山門の王位までも女帝(をみなのみかど)が引き繼ぐとは何事か。子から母への禪讓と云ふ丈けで尋常ならざる沒義道(もぎだう)の極み。王朝の創業と聞こえは良くとも、行き著く處は干戈(かんか)(ぬし)女身(によしん)(けが)れ丈けでは飽き足らず、吾等が兵部(つはもの)の手を(よご)して射止めた寳冠に、如何程(いかほど)の聖德が備はつてゐるのやら。(もろこし)女帝(をみなのみかど)實子(みこ)から禪讓を受けたからとて、其れに(なら)()はれが何處(いづこ)に在るのか。往古より竺志の猿眞似を續けて、物嗤(ものわら)ひの種を撒いた先人を御忘れか。」

 征西討倭(せいせいたうゐ)武勳(ぶくん)(のぼ)()がり、女帝(をみなのみかど)兼祚(けんそ)(なじ)石上蔴呂(いそのかみまろ)の不穩な動きに、()()りなんと先に手を打つた不比等の勘所。そろそろ彼の男も五月蠅(うるさ)く爲つて來た。離反者の歸服に手閒取り、未だ豫斷(よだん)を許さぬ天下(あめのした)大化(たいくわ)九年癸卯(みづのとう)(うるふ)四月(うづき)丁巳(ひのとみ)辛酉(かのととり)朔に右大臣阿倍朝臣御主人(あべのあそみみうし)(みまか)り、議政官を牛耳る不比等に取つて、如何(いか)九仞(きうじん)(こう)有らうと、餘計な野心を(いだ)く曲者は一簣(いつき)()く。怨靈調伏(ゑんりやうてうぶく)(ほふし)が取り憑かれる例へも有り、此の先、再び竺志に送り出して寢返りでもされたら、眼も當てられぬ。己の面目を潰された位で管を卷くやうでは、今の内に選り分けて措くに()くは()い。卽位の禮で女帝(をみなのみかど)御言宣(みことの)りした不改(かはるま)しじき(つね)(のり)なぞ何處吹く風、不比等は神璽(みしるし)の伴はぬ山門の大禮なぞ二の次三の次と御座なりに構へて逆撫ですると、古道を(ないがし)ろにされた石上蔴呂は、新帝(あらたしみかど)御前(みまへ)(まと)儀仗(ぎぢやう)(おも)みを、

 「誰ばかりおぼえむに。」

 と是見(これみ)よがしに放言し、(あら)き王朝に獻げた忠烈を(なら)べ立てて吐き捨てた。

 「あな、かひなのわざや。」

 默つてをれば位祿(ゐろく)に苦勞はさせぬ物を、何故(なにゆゑ)に男は()くも虛心に泳がされ、自らの怒濤に溺れていくのか。不比等は石上蔴呂(いそのかみまろ)(しりぞ)ける根囘しを進め、徒に騷いで己の首を絞めた父大伴宿禰御行(おほとものすくねみゆき)の仇を討たず、胸の内に治めて(じつ)を取つた嫡男(よつぎ)安蔴呂(やすまろ)の物判りの良さこそ、人の上に立つ者の甲斐性だと思ひ知る。男の(ねた)(そね)みの獅子吼(ししく)なぞ物の數では勿い。女王の(したたか)さと危ふさを手懷(てなづ)けて來た不比等に取つて、力任せの力なぞ(ちから)に非ず。斯樣に無粹(ぶすい)夜郞自大(やらうじだい)も甚だしい石上蔴呂(いそのかみまろ)の反り返りも、其の内、自重で()()れて、向かうから泣きを入れて來るのが落ち。然れど、

 取るに足らぬ其の尊大な物云ひの中に、唯獨(ただひと)つ氣に懸かる事が不比等には有つた。

 「扶桑壹(ふさういち)刹柱(さつちゆう)天下(あめのした)(ひけらか)した、法興寺の五重塔の再建も儘爲(ままな)らぬ竺志なぞ、最早相手に爲らぬ。」

 征西(せいせい)(あかし)を手土產に凱旋した將軍(いくさのかみ)は、上宮法皇多利思北孤(たりしほこ)の姿を(かたど)つたと云はれる、等身の觀卋音菩薩像(くわんぜおんぼさつざう)を朝堂で橫倒しにし、仰向けの額を(かかと)(にじ)り雄叫びを上げた。餘りの蠻勇に、

 「佛と竺志の(たた)り有り。明日は吾が身。」

 と眉を顰めた公卿佰寮(くぎやうひやくれう)。足蹴にされた法興寺の觀卋音菩薩像は其の後、如何(どう)爲つたのか。然して、白鳳(はくほう)十八年戊寅(つちのえとら)、竺志の大地震(おほなゐ)で倒壞は免れた物の、解體(かいたい)した儘、野積みに爲れてゐると云ふ五重塔。更には、竺志の大禍を報せる臘子鳥(あとり)の大群と靈鳥の顯現(けんげん)。眼に見えぬ(えにし)紙縒(こより)りで絡み合ふ數奇な追想が、此の手で政敵に科した藤の木の(くびき)の樣に、喉元を締め上げる。

 不比等は(かぶり)を振つて衣冠を(ただ)し、倭國に(まつ)はる胡亂(うろん)兆端(きざはし)を拂ひ除けた。戎馬(じうば)を飛ばすしか能の勿い荒くれの戲言(ざけごと)に氣を揉むなぞ(のみ)小膽(しやうたん)。暇を持て餘した將軍(いくさのかみ)の御守なら小兵に任せて措けば良い。其れよりも、

 不比等は宮の外で怒りの楯を打ち鳴らす石上蔴呂(いそのかみまろ)に怯え、猜疑(さいぎ)(とりこ)と化した女帝(をみなのみかど)孤閨(こけい)に泣き臥し、(まつりごと)(おろそ)かに爲る許りと聞いて禁中(おほうち)に足を運んだ。

 「山の(わざは)ひ止まず。日旱(ひでり)田苗(でんべう)燋萎(せうゐ)し、天下(あめのした)(ゑやみ)()ゑぬ。山川に祈禱(きたう)し、神祇(あまつかみくにつかみ)奠祭(まつ)れども、未だ效驗を不得(えず)寛仁(くわんじん)を布して以て民の(わづら)ひを救はむとするも限り有り。是れ(われ)の薄德のみならず、竺志の(たた)り也。先帝(さきのみかど)の夭折、臣下(やつがれ)の莫逆も、總ては是れ、神璽(みしるし)を奪はれ、皇胤を斷たれし竺志の(たた)り也」

 在りし日の鸕野讚良(うののさらら)ならば前後不覺で鳥亂(とりみだ)し、人や物に當たり散らす處を、(ふすま)を被り(ふる)へてゐる女帝(をみなのみかど)を見下ろして不比等は興醒めした。斯樣に溫和(おとな)しいのでは大禍(たいくわ)を制する女禍(によくわ)の勤めは儘爲(ままな)らぬ。其れならばと、扈從(こじゆう)する道代に耳打ちし、窮鼠(きゆうそ)(けしか)けた。

 刀子娘(とねのいらつめ)の舘に足繁く通ふ者有り、

 「いと忍びて。」

 事の委細を(つまび)らかにせずとも、唯、此の獨言(ひとこと)で事足りた。最愛の夫と息子を(わか)くして失ひ、其の情の深さが禍ひして(こじ)れた、心の紙縒(こより)りに()()ける後宮(うしろまみや)の醜聞。女としての幸せ、母としての幸せを奪はれて堪へ忍び、身も心も(ただ)して獻げる事が何よりの(とむら)ひに爲る。然う信じて疑はぬ後家の執念に、耳の越度(おちど)が通じる筈も勿い。弧寡(こくわ)(みさを)を極めて重んじ、有無を云はさぬ女帝(をみなのみかど)の逆鱗。日頃、(しと)やかな手弱女(たをやめ)の餘りの劍幕に道代は泡を喰つた。

 「佐渡に流せ。」

 禁中(おほうち)瓦樓(ぐわろう)を搖るがす激昂は將に鸕野讚良(うののさらら)()(うつ)し。愛息を裏切つた遊女を除籍し、廢黜(はいちゆつ)の處罰を下して荒れ狂ふ鬼子母を、不比等と道代が(いさ)めて如何(どう)にか貶黜(へんちゆつ)(とど)め、何とか其の場は治めた物の、八つ裂きにせん許りの勢ひに肝を潰した。矢張り、肚違ひと雖も鸕野讚良(うののさらら)の妹、蘇我の血は爭へぬ。禁中(おほうち)(らう)する騷ぎの甲斐も有り、此れは首皇子(おびとのみこ)立太子(ひつぎのみこ)册立(さくりつ)で爭ふ、刀子娘(とねのいらつめ)(ふた)りの息子の皇籍を剝奪する爲の誣告(ぶこく)では、との(そし)りを巧みに遁れた。王妃(わうきさき)から(ひん)稱號(しようがう)を奪ひ、息子を太子(みこ)から引き擦り降ろす丈けなら、刀子娘(とねのいらつめ)廢黜(はいちゆつ)を下す迠も勿い。首皇子(おびとのみこ)(むすめ)入内(じゆだい)させた石川と紀氏に、外戚への足掛かりを許さぬ、藤の蔓の先鞭。況して、石川は蘇我の末裔。先祖を辿れば建内宿禰(たけうちのすくね)に辿り著く、息長帶比賣(おきながたらしひめ)御宇(みよ)から仕へた倭國の傀儡(くわいらい)(まこと)に蘇我と云ふ(やから)は、切つても切つても生えて來る蜥蜴(とかげ)の尻尾也。不比等は石川に限らず、古豪と名の附く執濃(しつこ)い出自の眷屬(けんぞく)を、()(もの)に爲らぬ廢鷄(ひね)の樣に締め落とした。

 竺志の(たた)りなぞ恐るるに足らず。斯樣な(ちから)が有るのなら、薩摩の果てまで落魄(おちぶ)れる事も有るまいに。散々蕃屛(まがき)の恨みを買つて來た天孫(あめみま)に恨まれる覺えなぞ勿い。怨靈(ゑんりやう)なら倭國に(じゆん)じた逆賊を墓守にして封じて在る。氣に病むのなら、牟婁(むろ)への巡幸(みゆき)で見て囘はつた非人の里を、もう一巡りして來れば良からう。總ては此の()(ごころ)の上を(まろ)び、(まつろ)はぬ者は零れ落ちていく。女帝(をみなのみかど)を煽り、議政官を束ね、人の手すら(よご)さずとも、右から左に差配する丈けで萬事が治まる我が卋の春。寢首を搔かれはしまいかと闇に怯え、人に背を向けて步く事すら避け、

 「()ね。」

 と飛鳥帝に足蹴にされて(おもて)を上げる事すら敵はず額突(ぬかづ)いた、輕慮淺謀(けいりよせんぼう)の日日が寧ろ懷かしい。今では臣下(やつがれ)の眼を(みつ)めて先に(そら)したら切る。唯、其れ丈けで事は片付き、一抹の物足り勿さを覺える今生(こんじやう)の榮華。其の氣怠(けだる)さは最後の総仕上げに取り掛かる前の、(かす)かな(やす)らひの一時で在つた。

 不比等は(おもむろ)書机(ふづくえ)から腰を上げ、女帝(をみなのみかど)が卽位の禮で(をり)()れた、

 

 

 山澤(さんたく)に亡命して軍器(つはもの)挾藏(けふざう)し、百日(ももか)まで(まう)せずんば、()(つみな)ふこと初めの如くす。

 

 

 其の日切(ひぎ)りに達した詔を(おほ)せ付かり、倭國最後の牙城、薩摩への再征に乘り出した。山門の王朝が()らす大八洲(おほやしま)(あら)(ふひと)を奉るのに、敗れし者の古き(ふひと)に用は勿い。萬全を期して臨む、不比等の壯大な遠望本懷。敵は淡海帝の正室で在つた、倭姬王(ちくしひめ)を莫逆の御旗(みはた)に立て籠もつてゐると云ふ。(しゆう)を惑はす日巫女(ひのみこ)の淺からぬ因縁に、

 「薩摩の化け猫を成敗せよ。」

 と不比等が息卷く其の裏で、倭國に身も心も獻げた漢が、竺志からも山門からも(とほ)く離れた(ひと)(くに)で、獨り哥枕(うたまくら)()し、言切(ことき)れた。

 

 

 大長(だいてう)四年丁未(ひのとひつじ)石見國(いしみのくに)に於いて髙津(たかなみ)にて死す。

 

 丹比眞人(たぢひのまひと)の柿本朝臣人丸の(こころ)(なぞら)へて(こた)へるたる哥一首。

 

  荒浪に()り來る玉を枕に置き

    吾此閒(ここ)に有りと誰か吿げけむ

 

 

 女王の雅趣(がしゆ)に逆らひ、石見國の官衙(くわんが)に追ひ遣られた柿本朝臣人丸の最期。怒濤の亂卋(らんせ)に呑まれた哥聖(うたのひじり)は、辭卋(じせ)の句を(とな)へる事すら許されず、風の便りが掠めた音沙汰に舞ひ上がる、三十一文字(みそひともじ)獨片(ひとひら)。其れも、大化(たいくわ)七年に身罷(みまか)りし人丸の僚友(れういう)、左大臣多治比眞人㠀(たぢひのまひとしま)(なぞら)へた黃泉人(よみびと)に、

 「()れこそ魂極(たまきは)まりて降りて來た()(もの)()せる(わざ)。流石、巫祝(ふしゆく)の名門(なり)。」

 と卋人(よひと)(こゑ)。今更にして恨めしく、五分の慰みにも不能(あたはず)

 

 

 

 大長(だいてう)五年丁未(ひのとひつじ)、春正月(むつき)癸丑(みづのとうし)乙未(きのとひつじ)乙巳(きのとみ)

 

 聞こし()食國(をすくに)(うち)(ひむがし)(かた)武藏國(むさしのく)に、自然(おのづから)作成()れる和銅(にきあかがね)()()りと(まう)して獻れり。此の物は、天に()す神、地坐祇(くににますかみ)(あひ)うづなひ(まつ)(さき)はへ(たてまつ)る事に()りて、(うつ)しく()でたる(じつ)に在るらしとなも、神隨所(かむながら)(おもほ)()す。(これ)を以て、天地(あめつち)の神の(あらは)し奉れる瑞寳(しるしのたから)()りて、御卋(みよ)年號()改め賜ひ()へ賜はくと()りたまふ(みことのり)(もろもろ)聞きたまへと()る。(かれ)慶雲(きやううん)五年(いつとせ)を改めて和銅元年(わどうのはじめのとし)と爲して、御卋(みよ)年號()と定め賜ふ。

 

 

山澤(さんたく)に亡命して禁書(きむしよ)挾藏(けふざう)し、百日(ももか)まで(まう)せずんば、()(つみな)ふこと初めの如くす。

 

 

 二月(きさらぎ)乙卯(きのとう)甲子(きのえね)戊寅(つちのえとら)

 

 詔して曰はく、

 

 (われ)(つつし)みて上玄(じやうぐゑん)()けたまはりて、宇内(くにのうち)に君として臨めり。非薄(うす)き德を以て、紫宮(しきう)(たふと)きに()り。常に以爲(おも)へらく、(これ)()すは(いたは)し、(これ)()るは(やす)し。遷都の事、必ずとすること未遑(とまあら)ず。(しか)るに王公(おほきみ)大臣(おほおみ)(みな)(まう)さく、

 

 往古(いにしへ)より已降(このかた)、近き卋に至るまでに、日を(はか)り星を()て、宮室(きうしつ)(もとゐ)を起こし、卋を(うらな)ひ土を()て、帝皇(ていわう)(さと)を建つ。定鼎(じやうてい)(もとゐ)永く固く、無窮の(わざ)(これ)に在り。

 

 衆議(しゆうぎ)忍び難く、詩情(しじやう)深く(せち)なり。(しか)して(すなは)京師(みやこ)は、百官(ひやくくわん)()にして、四海の(おもむ)く所なり。唯(われ)一人、(ただ)(たの)しび(あそ)び、(いやしく)も物に利あらば、其れ(とほ)かるべけむや。昔、殷王(いんわう)(いつ)たび(うつ)して、中興(ちうこう)()を受けき。周后(しうこう)()たび定めて、太平の()を致しき。(やす)みし以て其の久安(きうあん)(いへ)(うつ)せり。(まさ)に今、平城(へいせい)の地、四禽(しきん)()に叶ひ、三山(さんざん)(しづ)めを()し、龜筮(きぜい)(なら)びに從ふ。都邑(といふ)を建つ()し。其の營み(つく)(もと)(すべから)く事に(したが)ひて(をちをち)(そう)すべし。亦、秋收(しうしう)を待ちて(のち)路橋(ろけう)を造る()し。子來(しらい)()勞懮(らうぜう)を致すこと勿かれ。制度の()(のち)不加(くはへざ)()し。

 

 

 年が明け、東國(あづま)の平定に目途が立つた事を祝ひ、大寳年號と同じ手口で武藏國から(あかがね)(あらがね)が採れたと(でつ)ち上げ、年號を和銅に改めた。殘る叛圖(はんと)嘏夷(えみし)と薩摩のみ。不比等は更なる討征への備へを下達すると、支那の髙祖の偉業に(なら)ひ、禪讓を賜つた前王朝に伴ふ諸諸の(しがらみ)を斷ちて、人心一新を期す爲に、女帝(をみなのみかど)を促し遷都の(みことのり)宣下(せんげ)させた。無論、此の芳命(はうめい)(みかど)宸旨(しんし)に非ず。不比等の度重なる建議に折れ、(みかど)は唯、其の手續きを眺めてゐるのみ。阿每(あま)氏から(おほきみ)氏へと天子の(かばね)を革めた王朝の創業も、(あら)(みやこ)勿くして大成には至らず。何時迠も飛鳥帝の(には)に閒借りして、山門の太祖(はじめのおや)御下(おさ)がりの御座(みくらゐ)に押し込めてをられやうか。不比等は最後の大詰めに向けて、自らの右大臣への昇敍(しようじよ)を執り計らふと、緯古經文(ゐこけいぶん)()ける書庫(ふみのくら)(むし)を召し上げた。

 

 

 不比等の舘に伺候(しこう)した太安萬侶(おほのやすまろ)は、燈明皿(とうみやうざら)(ほむら)を挾んで差し向かふ當主(たうしゆ)竝竝(なみなみ)ならぬ意氣込みと、龍の首の珠を摑むが如き其の難題に弱り果てた。右大臣への昇敍(しようじよ)を前にして、史書、日本紀(にほんぎ)の編纂に乘り出した不比等の宿願。大海帝の宸旨(しんし)を賜つて後、永らく棚上げと爲つてゐた國事の大役として、其の手腕を買はれ、白羽の矢を立てられたのは身に餘る(ほま)れ。然り乍ら、史部(ふひとべ)の末席として、事の(はな)()から携はる安萬呂は、志半ばで宙に浮いてゐた所以(ゆゑん)も知り盡くしてゐた。何しろ、山門の氏族が奉る()(あつ)めの墓記(おくつきのふみ)は心許勿く、己の家督に都合の良い事許りを()(つら)ねた吹き語りは、倭國の舊辭(きうじ)と照らし合はさねば使い物に爲らず、肝心の舊辭(きうじ)の底本も遙か扶桑の地。更に、神代より續く古道を如何(いか)に爲て漢文に落とし込むのか。如何(いか)に爲て倭言葉(ちくしことば)の訓みを漢字に置き換へるのか。

 無論、安萬呂とて(あら)き王朝の事蹟に携はる(ほま)れも然る事乍ら、文林の(をさ)として己の手掛けた卷子が後卋に承け繼がれるのは冥利(みやうり)()きる。誰も成し遂げた事の勿い、倭言葉(ちくしことば)を漢文で(あらは)すと云ふ野心も(やぶさ)かでは勿い。其れ故に猶の事、倭國の蕃屛(まがき)としての系統を綴り、帝紀の外傳として卷子(くわんし)(つら)ねると云ふ骨子、其の物が、(あら)き王朝の創業に因り覆された今、一筋縄では行かぬ()(もと)曆數(れきすう)に弱り果てた。

 「(おほきみ)氏を神代より大八洲(おほやしま)の宗主と成せ。」

 不比等に睨み付けられて眼を(そら)す事は、(みやこ)からの配流を意味する。皇帝武曌(ぶせう)に、

 「次の遣使には日本の靑史、日本書を奉れ。」

 と(いひつけ)られた漢も後には退けぬ。安萬呂は苦し紛れに、

 「皇帝は日本紀では勿く日本書と仰せられたのでは。」

 「傍流(ばうりう)の史書なぞ云ふに及ばす。」

 「日本紀を奉つた其の後、倭國の本紀は如何(いか)に。」

 「禁書(きむしよ)召し上げの宣旨(せんじ)は下した。」

 不比等は安萬呂の疑懼(ぎく)を捻じ伏せる樣に間髪を入れず云ひ放つ。瞬き獨つ許されぬ安萬呂は事の正鵠(せいこく)を射拔き、其の眞意を(ただ)した。

 「成らば、天孫(あめみま)は山門に降り立ち天基(あまつひつぎ)草創(はじめ)た、と云ふ事に。」

 然う詰め寄られて不比等は固唾(かたづ)を呑み、二の句を探した。無理も勿い。王氏が神代より大八洲(おほやしま)の宗主だと云ふのなら、髙天原(たかまがはら)から態々竺志に降り立つ()はれは勿い。倭國の本紀を禁書にして闇に葬るのなら、()氏が竺志を本貫とする(あかし)對馬(つしま)天國(あまのくに)から天孫(あめみま)(あま)(はら)(わた)り、竺志を平らげた事蹟ごと闇に葬る可き。(おほきみ)氏が山門を本貫とするのは、天から降り立つた故地が山門で在つたが爲。天孫(あめみま)は三輪山に降り立つた。然う公言出來ぬ者が宗主を號れやうか。竺志に降り立つた天孫(あめみま)の分家で、所領を求めて東へ東へ出稼ぎに行つたなぞと、口が裂けても云へやうか。

 安萬呂から眼路を切り、墓記(おくつきのふみ)を廣げて項埀(うなだ)れた不比等は、己の冒さうとしてゐる神と人の境に痺れてゐた。太祖(はじめのおや)邇邇藝(ににぎ)が降り立ち天基(あまつひつぎ)草創(はじめ)た地を竺志から山門に改め、天孫(あめみま)の古事に泥を塗れば、舊辭(きうじ)(のつと)り神事を司る天下の神社が默つてはをるまい。其れは取りも直さず、倭國の正統な日嗣(ひつぎ)で在ると云ふ御稜威(みいつ)を失ひ、(ようや)く手に入れた參寳(さんぽう)神璽(しんじ)(てい)を爲さぬ。況して、佛法(ほとけののり)に據る法治を推し進める爲、中臣氏と(たもと)(わか)かち、藤原の氏上(うぢがみ)名吿(なの)るとは雖も、代々古道を司る祭官の末裔が、造化參神(ざうくわさんしん)より(はじ)まる神話を搖るがすなぞ、己の首を切り落とすに等しい。

 安萬呂は墓記(おくつきのふみ)(おもて)を伏した不比等に、此の謀君(ぼうくん)も矢張り(ひと)()(おそ)(かしこ)き神の御前(みまへ)では是非も勿い、と生色を持ち直し、刮目を解いた。日本紀(にほんぎ)なぞと大書(たいしよ)し、(のたま)つた處で、藤原氏の家傳(かでん)に納まる事は眼に見えてゐる。是れは史書(ふひと)將亦(はたまた)、物語か、否、物騙(ものかた)りか。幾ら虛辞を糊塗(こと)し、善惡で色付けしやうとも、地金が透けて見えるのは自明の理。國の曆數を天命と見做(みな)さず、己の物語に書き替へ、己の噓を信じ込んだ處で、星の巡りを卷き戾せる物では勿い。(いつは)りは記さず、(まこと)は更に記さず。日本紀と云ふ大義は棄て、支那の漢書(かんじよ)魏書(ぎしよ)晉書(しんじよ)梁書(りやうじよ)の如く、數多(あまた)の王朝の傍流、日本書(にほんしよ)として奏上するより外に勿からう。安萬呂は(おも)ひの(たけ)を口にせずに呑み下し、肩の荷を降ろすやうに一息吐いた。何故(なにゆゑ)に人は物を語り、假初(かりそ)めの噓を求めるのか。(ふた)りの閒に橫戲(よこたは)靜寂(しじま)に耳を浸し、沈默に(まさ)雄辯(ゆうべん)は勿い、然う念ひ至つた安萬呂は、人智の及ばぬ神韻(しんゐん)()れて、茫然と宙に心が(およ)いだ。顳顬(こめかみ)から血の氣が退いていく。眼星(めぼし)が飛んで(くら)くなり、何物かが天より舞ひ降りて來た。何故(なにゆゑ)に人は物を語るのか。其れは、物語コソ、

 

 

 神代ヨリ卋ニアルコトヲ、記シオキケルナリ。日本紀ナドハ、タダカタソバゾカシ。コレラニコソ道道(ミチミチ)シク、クハシキコトハアラメ。

 

 

 聲色(こはいろ)を變へて上奏する安萬呂に、不比等が墓記(おくつきのふみ)から(おもて)を上げると、白眼を剝いた史部(ふひとべ)の背負う影が羽擊(はばた)き、燈明皿(とうみやうざら)(ほむら)(はげ)しく搖らめゐた。安萬呂は仰向けに倒れて泡を吹き、散亂する書机(ふづくえ)卷子(くわんし)。不比等は鳳尾を(ひるがへ)した火影(ほかげ)に倭國の護り神を見出し、其處で初めて眼が覺めた。何もかもが振り出しに戾り、臘子鳥(あとり)の群れから(あらは)れた靈鳥に鳥憑(とりつ)かれる前の、山科田邊史大隅(やましなのたなべのふひとおほすみ)の許で冷や飯に甘んじる、大志とは無緣の書生が其處に居た。位人臣(くらゐじんしん)を極める榮華を轉がり落ち、何もかも彼の靈鳥の仕業だと氣付き、己の犯した非道の數數に愕然とする不比等。(しかばね)に群がる烏合(うがふ)の一羽に投げ付けられた獨礫(ひとつぶて)。卒倒した安萬呂が仰向けの儘で()()り、更に何事か語り出さうとしてゐる。不比等は恐ろしさの餘り耳を塞いで外に飛び出した。彼の奇象は何を意味するのか。何故(なにゆゑ)に、今頃に爲つて、眞實と云ふ惡夢を叩き起こすのか。

 闇に葬つた者達の怨靈(ゑんりやう)を振り切る樣に、不比等は駿馬(しゆんめ)を蹴立てて石上朝臣蔴呂(いそのかみのあそみまろ)の舘に乘り込み、寢惚(ねぼ)(まなこ)の家主を叩き起こした。

 「觀卋音菩薩(くわんぜおんぼさつ)何處(いづこ)海東(かいとう)菩薩天子(ぼさつてんし)多利思北孤(たりしほこ)の形見は何處(いづこ)。」

 不比等は藏の隅に幡戈(はたほこ)一纏(ひとまと)めに立て掛けられて埃を被る、聖德の明君、多利思北孤(たりしほこ)の姿を(かたど)つた等身の立像を探し當てると、其の足許に額突(ぬかづ)いて、父鎌足の發起(ほつき)した維摩會(ゆいまゑ)の經文を熱誦(ねつしよう)し、拜み倒した。

 「嗚呼(ああ)、何と御勞(おいたは)しや。」

 觀卋音菩薩像は不比等の舘に鄭重に運ばれ、(まつりごと)等閑(なほざり)晝夜(ちうや)()かず其の御前(みまへ)で念じ續ける不比等に、道代は吾が眼を疑つた。古道の神祇官(かみづかさ)、中臣氏の出自も切り捨て、佛法(ほとけののり)律令(りちりやう)生殺與奪(せいさつよだつ)の方便でしか勿かつた物を。(ひと)()はつたの一言では及びも付かぬ、此の男の愚かさに道代は初めて(すく)はれた氣がして、憑き物の落ちた夫の隣に、妻も(しづ)かに額突(ぬかづ)いた。失はれた王朝と竺志の天王(あまきみ)御靈(みたま)を鎭める爲、倭國の名刹(めいさつ)、法興寺五重塔を燒失した法隆寺の跡地へ移築する聖斷が下され、薩摩への討伐と、塔の資財を(はこ)ぶ人足が、時を同じくして組まれると云ふ。僞りの夫婦で在つた(ふた)りの前に(そび)え立つ、等身の觀卋音菩薩像。西方淨土の遙か彼方、幾千萬里の海表(わたのほか)(わた)り、扶桑の東の、更に東に舞ひ降りた古雅の頰笑みに、一條(ひとすぢ)の光が零れた。

 

 

  わが上の 露ぞおくなる 天の河

    とわたる船の かいのしづくか

 

 

 

 

 

 

 夏草を(くすぐ)る靑臭い谷颪(たにおろし)に頰を打たれ、眼裡(まなうら)を解いたエメラルダスが光を取り戾し、(うつぶ)せてゐた鉄筋コンクリートの臺座(だいざ)から(おもて)を上げると、等身大の立像が女王を無言で見下ろしてゐた。

 

 

 

 

 

 

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