私は宇宙人   作:蒲鉾三田

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第九話 乗り込めモンスタートレイン

 

「なあにまんまと呪われてやがんだ。だから見んなって言っただろうがよ、ボケが!」

 

 招き猫姿のターボババアは顔を顰めて桃を見上げ、開口一番に罵倒した。

 

「もっと言ってやって。綾瀬 モモはバカよ」

「うるせえババアだぜえ〜。呪われようが元凶ぶっ倒しゃいいんだろうがい!」

 

「で、寝たら死ぬってどういうこと」

 

 私に対し、パジャマ姿の桃は惚れ惚れするほどの仁王立ちで腕組みする。

 余命数時間の人間とは思えない肝の座りっぷりであった。

 

 子供たちはお祖母様に言われるまま慌ただしくシャワーを浴びてきた後だ。

 なので身支度を終えて白装束を纏うお祖母様に比べ、子供たちは今からお泊まり会かパジャマパーティーでも始まりそうな格好だった。いいんだろうか、決戦がこれで。

 

 隣の部屋のド真ん中には私が持ち込んだ呪い玉が台に置かれ、仰々しく鎮座している。

 

 さて、覚悟の準備はできてるようだし。桃に眠りこけられる前に情報共有せねばなるまい。

 桃の催促に応じた私はパジャマパーティーズに念話を飛ばした。

 

『我々はこれから眠ると夢を見ることになります。それは “猿” の登場する悪夢です』

 

「猿の妖怪…!?」

「おっ、猿までは喋っても大丈夫なんだ。ウチが玉見た時に襲ってきたのも猿だったんだよねー」

 

 部屋の隅でターボババアが壁を背もたれにあくびする。

 

「猿の夢か。西枕だな」

 

 お祖母様が押し入れから布団を出し、顎で枕を抑えて言った。

 知っているのか雷電!? いや、西枕 is 何。

 

「西枕…ですか?」

「なにそれ、聞いたことある?」

「さあ?」

 

 オカルンはお祖母様に布団を押し付けられて困惑し、まごついている。

 お祖母様はそんなオカルンへ、「ほらサッサと敷け。呪いの元凶をブッ倒すなら寝る必要があんだよ」と次の布団を抱えて急かした。

 

「西枕ってのは、夢の中に猿が出ると4年以内に見た奴が死んじまう、っていう昔の言い伝えだぜ。死の予兆だとか言われてるが、実際はそういう妖怪の仕業ってわけだ」

 

 へえ! 流石は本職の霊媒師。

 各地で噂される謎の迷信は、実は妖怪の実害が絡んでいたと。えっ、おもしろ!

 私は布団を敷く邪魔にならないよう天井に避けながら、お祖母様の話に関心を寄せた。

 

 畳の部屋に客用の布団が3つ並んでいく。お祖母様は(ふすま)を閉め切り、御札を貼りながら話を続けた。

 

「夢の内容を人間が知れば奴に呪われ、テリトリーである悪夢に引きずり込まれるんだが。すぐには殺さねえ。何故か分かるか?」

 

 お祖母様は矢の切っ先じみた眼差しを私と桃に向ける。

 

「奴は人間に恐怖を植え付け、泳がせれば、次の獲物が手に入ると知ってやがるのさ」

 

 ゾッとしたのか、桃は喉に手を当てた。

 知らぬ間に人を道連れにする生き餌にされれば、いい気分はしないだろう。

 例え霊が見えなくとも話してしまえば、聞いてしまえば、いとも容易く呪いは感染するのだ。

 

「奴が台当したのは現代にインターネットが普及してからだ。悪夢の内容がネットワークに載せられた結果、爆発的に呪いが拡散した」

 

「その時に呼ばれた奴の名は── “猿夢” 」

 

 悪夢に潜み、噂を伝い、連鎖的に犠牲者を生み出す情報災害の怪談。

 

 

 流行性悪夢──都市伝説 “猿夢”。

 

 

 私は黙って、その名を噛みしめた。

 これが我々の星、惑星ライムズを混沌と破滅に叩き込んだ憎きあんちきしょうの名だ。

 モンスタートレインとはライムズ星人が未知のウイルスにつけた別称でしかない。

 

 私が元日本人だった時にもネットを通して話題になり、有名になった怖い話…なのだが。

 前世の地球じゃどんなに恐ろしい話でもただの肝試しに過ぎず「ああ、怖かった!」で済む。

 それが本物の脅威としてこの世に存在するのだから、マージで洒落にならない。

 

 私は自分の知識が間違っていなかったのだと確信していた。

 お祖母様が話を続けるまでは。

 

 バットを床に突いた彼女は学生たちの顔を真剣に見つめ、警告した。

 

「猿夢を見ると寝ている間に体を乗っ取られんだ、夢遊病みてえにな」

 

 ファッ!? 乗っ取、えぇっ!?!?

 未知の情報に度肝を抜かれ、私は盛大に動揺する。

 

「宿主の知らない間に動物を手当り次第食うか、虐殺して回り、周囲の人間にも手を出して、最終的に宿主も(ひで)え殺され方をする」

 

 全っっ然知らない情報なんですけど!??

 

その様な事象は確認されておりません。我々が睡眠行為を取れば短時間で死に至ります

「宇宙人とジブンらで呪いの内容が変わるとかあるんスか!?」

「声がでけえ」

 

 お祖母様が私とオカルンにチョップした。

 私は落下し、布団の上に大の字で落ちる。内心の大混乱で触角がうにうに動いた。

 

 都市伝説の猿夢にそんな話全くなかったじゃん!! 猿の夢だから猿夢だよ!? 夢の外まで出てきてんじゃん!! は? え? 何??

 体を乗っ取られる? 周囲の虐殺!? 嘘でしょ、そんな症例の報告一件もなかったんだが!? …?

 

 違和感に混乱が止まる。私は疑念を精査し始めた。

 その症状がない故に猿夢だと逆に推測できていたが、私の知る猿夢じゃなければ何故ライムズ星人にこの症状が出なかった? 差異といえば地球環境、日照時間、睡眠形態──。

 

「節穴が、目ぇついてんのか。テメェと水饅頭の違いも分からねえのかよ」

 

 不確定要素に寝不足のコアを痛めていれば、ターボババアが組んだ足をぶらつかせ口を開いた。

 

「野郎は夢の中に連れ込んだ人間の()()()を通して体に入りやがる。その水饅頭に目はねえだろうがよぉ」

 

 あ、そういう? 物理的な問題??

 

 桃と愛羅は仲良く私を眺め、どゆこと? と言わんばかりの顔をした。私も同じ気持ちです。

 念視で視た私たちに呪いはかけられても、乗っ取るためには()()を通らないといけないの? …なんで??

 

「目がついてないと乗っ取れないって。そんなことあるんですか、お姉様?」

 

「招かれないと入れない妖怪だとか、人間が転ばないと襲わない妖怪もいるだろ。奴らにはそういう、破れない決まりがあるのさ」

「あー、何となく分かるかも」

 

 ううむ、と原理を考えていればお祖母様が先に答えてくれた。

 ターボババア化したオカルンは泳げなくなり、猿夢ですらライムズ星人が能動的に眠らなければ殺せない。理屈ではなく今は “そういうもの” として納得するしかないのだろう。

 

『我々に寄生できないため、即座に始末したということでしょうか』

「かもしれねえな。猿夢は残忍な野郎だ、呪った奴に何してもおかしくはねえ」

 

 お祖母様が頷く。

 惑星ライムズでは体は奪えなかろうが噂が秒で広まり、呪われてない生命などいなくなった。後はもうまな板の上に来るのを待って捌くだけ、煮るなり焼くなり好き放題だ。全く、やんなっちゃうね。

 

「そんなクソ野郎の命運もここまでだぜ、クリオネ!」

『はい。では、悪夢の内容を開示します』

 

 桃ちゃんに発破をかけられたので、ここでドカンと一発。味方に呪いをぶちかましましょう!

 私は浮遊し、身構える彼女たちに念話を紡ぐ。

 

『意識遮断後、電車内にて覚醒することから、我々はこのウイルスを “モンスタートレイン” と呼称しておりました』

 

『車内アナウンスが流れ、その放送内容に合わせた殺害方法で乗客と化した者は命を奪われます』

「なんで電車、きゃあ!!」

「ほああ!? び、びっくりした」

「うお」

 

「おー、しっかり襲われてらぁ」

 

 途端に愛羅が身を庇って悲鳴を上げ、オカルンは硬直し、お祖母様が眉を上げた。既に呪われ済みの桃は呑気なものだ。

 これで全員無事に、無事に? 感染したね! 夢の中の入手情報は最低限でも駄目か。

 

『皆様、ご覧になりましたか』

 

「見たわよ。何あいつ! 笑い方キモすぎ!! 脅かして笑ってくるなんて、癇に障る野郎だわ…!!」

「マジでそれな〜! 目玉もギョロついてるし、やたら毛深いチンパンジーって感じじゃね」

「心臓に悪いですよこれ…」

「あのサル・ゴリラ・チンパンジー野郎が。ワシを煽るたぁいい度胸してんじゃねえか」

 

 グロテスクなまでに目と口がデカい猿が飛び出してくるんだから、心臓に良いわけない。

 初対面のグロ猿とキスする趣味がなきゃ、誰もお断りだろう。

 

 恐怖に対してすぐ怒れる愛羅と、心臓に毛の生えた桃はいいとして。胸を抑えて背を丸めるオカルンの今後が心配である。オカルンくんホラー苦手? 私もだよ。

 だから知ってることをジャンジャン話すね!(善意)

 

 私は死者が間際に視ていた光景を鮮明に思い返した。

 

『猿夢は大きな個体と、小さな複数の個体がおります。先ほど感染の際に現れたものが恐らく呪いの根源となる猿夢です』

 

『小さな個体に関しましては、アナウンスの際に現れますが正確な数は不明。彼らは武器を所持しています』

「夢の中は奴の土俵(テリトリー)だ。夢の中じゃこっちは札も武器も持っていけねえからな、厄介な相手だぜ」

 

 私の情報に補足を入れたお祖母様は、学生たちを見据える。

 

「だが、お()えらなら体に宿すその力で野郎をぶっ飛ばせるだろうよ」

 

「え!? じゃあ婆ちゃんはどうすんだよ!?」

「ワシはここに残ってお()えらが乗っ取られた時にどうにかしてやる。それと、夢の中の怪我がこっちの肉体に影響を及ぼさねえようにもな」

 

 流石はお祖母様! 寝てる間に肉体に危害を加えられたらどうしようも無いので、これは本当に助かる。まあ欲を言えばついて来てほしかったが、適材適所だ。

 頼もしいお祖母様のサポートに期待していれば、急にオカルンが「ああっ!?」と叫んだ。

 

「忘れてた! ジブン今日本気2回もう使っちゃってました!! どうしましょう!?」

 

 頭を抱えた彼は、呻きながら座り込む。え、オカルンの変身って制限付きなの?

 

 いや、考えてみればそうか。人外の動きが出来たとて肉体が人のままじゃ不備が出る。豆腐にレーシングカーの動きをさせるようなものだ。

 もしかして愛羅もそうか? そうなるとこの状態で猿夢に戦いを挑むのはまずいかもしれん。え、今それ言う?

 

『回数制限があるのですか』

「ターボババアの力が強すぎて体が弾け飛びそうになるんです。1日2回がジブンが本気出せる限界っす…!」

 

『愛羅はどうですか』

「私は平気。アクロバティックさらさらにオーラを貰って、今日初めて覚醒したけど。体に限界は感じなかったわ」

 

 2人に聴けば、別々の返事が返ってくる。

 愛羅ってば生身の状態であれだけボコボコにされてたのに、ピンピンしてるもんね。

 オカルンも変身している時はタフだし、愛羅ちゃんってもしかして体の作りから変質してたり…?

 

「オカルンのはターボババアに呪われてた時の副産物だしなぁ」

『呪いと譲渡で差異が見られるというわけですね』

 

 オカルンの変身は呪いの力。愛羅の変身は譲ってもらった力、言い換えれば加護のようなものだろうか。

 アクロバティックさらさらって聞いたことないんだよな、桃ちゃん曰く悪霊らしいが。うっかり目に入るくらいの有名どころしか流石に分からんぞ。

 詳しい経緯が気になる。猿夢を倒した暁には是非じっくりしっぽり聞かせてもらおう。

 

 それはさておき、問題はオカルンの変身限界だ。

 1日2回が限度というが正確にはあと何時間? クールタイムはどの程度? 待つにしたって先に桃の限界が来るかもしれない。もっと早く思い出してくれれば…。

 

 ターボババアが不機嫌そうに鼻を鳴らした。

 

「夢ん中に体ごと持ってけるわけねぇだろうが」

「え?」

 

 どうすれば、と苦しげに頭を抱えていたオカルンがターボババアを見る。

 

「夢の中は現実の体を使ってるわけじゃ無いから、高倉君が変身しても大丈夫なんじゃない?」

「あ、そっか! オカルン良かったじゃん! もしかして、夢の中なら本気使い放題じゃね!?」

「えっ!? マジすか!?」

 

「バカが。夢は夢でも悪夢だぜ、そう簡単に上手くいくかよ。それにこの小僧はセンスっちゅーもんがねえ。ワシの力をろくに使いこなせてねーんだからよお」

「そ、それは…ジブン、不器用ですから…」

「ゔっ♡」

 

 オカルンはターボババアに貶されて肩を落とし、桃が胸を抑え布団に崩れ落ちる。

 ま、良かった良かった。変身できるんだったらこれで安心して各々戦えるな!

 

「っていうか、この状態で寝るんすか。流石に同じ部屋でってのは気まずいですよ」

 

 オカルンが居心地悪そうに3つ並んだ布団を見やる。

 

「誰が乗っ取られるか分からねえからなあ。ワシは全員簀巻きにしてもいいんだぜ」

「余計寝れるか!!」

 

「あ〜ん高倉君、私の寝顔は結婚初夜まで見ないでね…! 寝顔は乙女の大切なプライベートゾーンなの」

「ジブン襖の方向いて寝ますんで」

「うるせえ、はよ横になれバカ女。とっとと寝るぞ」

 

 愛羅が頬を抑え雌猫の顔でくねくねすると、桃は彼女の顔に枕を投げた。

 

「クリオネさんはどうするんですか?」

 

 後ろで雄叫び伴う野蛮な枕投げ大会が勃発する中、布団に正座したオカルンが私を見上げる。

 

『どなたかが寝入り次第、私もすぐさまスリープ状態に移行します。ですので、どなたも単独先行の心配はありません』

「横になったら3秒で寝られんのかよ! のび太じゃん」

「宇宙人の睡眠方法にも違いが! 2ヶ月近く眠らなくても活動できる代わりに睡眠に確実に入れるんですね!! その場合の睡眠時間は長くなるのか、いやもしかして自力で調整を…!?」

「高倉君がはしゃいでる…かわいい」

 

「寝ろや」

 

 お祖母様の声に子供たちが一斉に横になり、サッと首元まで布団を引き上げた。素直でよろしい。

 

「言っとくが、怪我は何とかしてやる。だが流石に死んだらどうしようもねえ。お()えら、気張れよ───死ぬんじゃねえぞ」

 

 桃たちが2階で着替えを選んでいる時、お祖母様は私に教えてくれた。

 猿夢が退治されると隣の部屋の呪い玉は消滅し、逆に私たちの誰かが殺られれば…その時点でこの部屋は惨状と化す、と。

 

 お祖母様が蛍光灯の紐を引っ張り、電気を消した。

 

 オレンジ色の淡い光が部屋をじんわりと照らす。

 お祖母様の通り過ぎる背を、桃は布団の中で寂しそうに眺めていた。

 そして宙に浮かぶ私を見て、布団の中の愛羅を見て、最後に寝返りを打ってオカルンの背中をじっと見詰めてから、強い意志を感じる目を閉じる。

 

 オカルンも、愛羅も。お祖母様の言葉に布団の中でそっと目を開けて、決意を新たに目を瞑った。

 

 畳の部屋は襖を閉めきり、豆電球の灯りがあってもぼんやりと薄暗い。

 外の風が窓をカタカタ小さく揺らし、風で冷えた家がピシリと鳴った。田んぼの(あぜ)で鈴虫たちが慎ましく鳴き、合唱している。

 呼吸音が聞こえるほど、和室の中はしん、と静まり返っていた。

 

 桃が眠たそうに目を細め、くわりと欠伸した──次の瞬間。

 カクン、と不自然に彼女の身体が脱力した。

 

()()()()()()か。海坊主、お()えも行ってこい。気ぃつけろよ」

『はい。勿論です』

 

 私は桃の布団の足元に着地する。

 お祖母様の声を聞いてパッと目を開けたオカルンが、焦った様子で瞼を強く閉じた。

 既に彼女に意識はなく微かな寝息を立てている。直に夢の中で()()()()だろう。急がねば。

 

 ゲル体を縮めて丸くなり、念の知覚を切る。

 後は意識をスリープ状態に移し、本来なら記憶の整理を始める──のだが。

 

 

 何も見えないはずの暗闇の中。

 黒く長い手に、確かに体を掴まれた。

 

 恐怖に息が止まる。

 

 手があるなら腕がある。

 腕があるなら──その先は?

 

 すぐ傍に、巨大な怪物がいた。

 分厚い唇を捲り上げ、真っ赤にぐじゅぐじゅと膿んだ歯茎を剥き出しに嗤っているのも。

 怯える私の心を、悪意に満ち溢れた真っ黒の目で覗き込み、愉しんでいるのも。

 念の知覚を切り、視えるはずがないのに。そこにいるのが何故か分かった。

 

 黒い手にぐん、と体を引っ張られ「あ、」と思う。

 意味の無い空白の言葉を思った後に、ドッと冷や汗が出るようにコアが竦み上がった。

 

 布団の上にいた事などお構い無しで、私は()に引き摺り込まれる。

 あまりに眠くてカクンと船を漕いだ時のあのヒヤリとした瞬間を、何百倍にも引き伸ばした感覚が私を襲う。

 

 地獄に真っ逆さまに急降下するジェットコースターにでも括り付けられた気分だった。

 

 咄嗟に、私は怪物を視た。

 死と恐怖が皮膚を不快に撫でる時。音が鳴れば人は振り向き、目を閉じていれば開けるだろう。それと同じ、本能的な行為。

 

 一切の光もない暗闇の中。

 ゲル体に食い込む(きた)ならしい爪は、何層にも重なり割れていた。

 口は肉が裂けたように赤く大きく、歯が割れた柘榴に釘が生えたように並んでいる。そして。顔の中でも異様に目立つ、ドス黒く巨大な目が、私を見ていた。

 虫が這うような怖気にゾッとコアが波打つ。

 

 ──くそっ! 寝る前だってのに変なものみせやがってッ!!

 笑ってられるのも今のうちだ、その捲れ上がった厭らしい口、今に逆さにひん曲げて戻らなくしてやるからな! 覚悟しろ猿ゥ!

 

 私はどうにか必死で心持ちを立て直した。

 独りではきっと耐えられなかったおぞましさも、頼れる味方がいるおかげで何とか反骨心を持てる…持ち堪えられる。

 っしゃあ、かかってこいや!!(震え声)

 

 世界が不条理にぐにゃりと歪む。夢と現実の境界線から異質な生暖かい空気がなだれ込む。

 

 そこで私の意識はぶつりと途絶えた。

 

 

 □

 

 

 ガタタタン、ガタタタン。

 

 継続的に音が鳴り、その度に体が僅かに揺れる。

 

 オカルンは微睡みながら、この違和感の正体に気が付こうと身動(みじろ)ぎした。

 いつもと違う柔軟剤の香りがふわりと鼻をくすぐる。

 

 さっきまで聞こえなかった音だ。

 寝足りない頭でぼんやりとそう思う。

 

 無理やり眠ろうとして…布団の中で目を閉じて…。

 寝ぼけて回らない頭が、どうしてか起きなければと焦燥感を持って足掻いていた。

 寝ようとしたのに、どうして起きなきゃいけないんだっけ。

 あの後、焦って酸欠になりかけて、大きく深呼吸しようとしたら、それが欠伸の代わりになったのか…ドッと疲れが押し寄せて──自分は布団で寝たはずだ。

 

 体勢が変わっている。

 椅子に座らされている事に気がつき、オカルンはガバリと跳ね起きた。

 一気に目が覚める。

 

 目に飛び込んできたのは、青いソファの背面。そこには折り畳みのテーブルとネットが備え付けられていた。どこかで見たような…?

 中途半端に立ち上がったせいで足元の揺れにバランスを崩し、オカルンは慌てて背もたれを掴む。

 

 顔を上げれば青い椅子が並び、つり革がぶら下がった通路に窓がズラリと列を作っていた。

 既視感の正体に気が付き、息を飲む。

 ターボババアに鬼ごっこを仕掛けに行く時に、綾瀬さんと乗った電車の中だ。

 彼は借りたパジャマに裸足のまま、電車の座席にへっぴり腰で掴まっていた。

 

 クリオネさんが言ってた通りだ。

 呪われた途端に、悪夢の電車の中に連れてこられた。

 他に誰かいないか車内をぐるりと見渡して、通路を挟んだ反対側の座席へ目を移し──その視線の先に見えたものに、彼の心臓は凍りつく。

 

 綾瀬さん…!?

 座席に横たわる姿、あの服は間違いなく綾瀬さんだ。

 起きる気配もなく電車の振動で力なく揺れる足に、顔の見えない彼女に、嫌な予感ばかりが過ぎる。

 まさか、もう…!?

 

 座席に肘や腰をぶつけた。

 それでもなりふり構わず駆け寄り、彼女の肩を掴む。

 

「綾瀬さん! 起きてください綾瀬さん!」

「ん、ん゙ん゙…」

 

 苦しげに呻く声。

 オカルンが必死に揺さぶると、桃は座席に顔を埋めた。

 

「あんだよぉ婆ちゃん……まだ目覚まし鳴ってないってぇ……」

 

「寝ぼけてないで起きてください! ここは猿夢のいる夢の中です!!」

「………っは!! 危ねー! 普通に寝てたわ」

 

 桃は何事もなくパチリと目を覚まし、勢いよく起き上がった。

 それに心底ホッとして彼は胸を撫で下ろす。

 

 桃もまたパジャマに素足の状態だった。

 胸元には電車と「CLICKETY-CLACK( ガタンゴトン )!」の文字がプリントされている。

 桃は座席からひょいと立ち上がり、オカルンと一緒に通路に出た。2人の素足がリノリウムの床でペタペタと音を立てる。

 

 彼女はうんと伸びをして、そうして軽く辺りを見回し眉をひそめた。

 オカルンも眼鏡の縁を持ち、自分たちがいる電車の中を今度はじっくり観察する。

 

 本当に夢の中かと疑うほどにリアルだ。

 今の格好がパジャマ姿に裸足じゃなければ、ついさっき布団の中で寝たことを忘れそうなくらいに。

 

 車内は電気がついているというのに、生暖かい空気が滞留しどこか薄気味悪かった。

 この車両は最後尾らしく、トンネルの中を走っているのか、窓の外には壁とレールの続く暗がり以外に何も見えない。

 トンネルに付いた紫色の照明が窓を怪しく照らしては通り過ぎていった。

 

「オカルン、ウチよだれ垂らしてない?」

「大丈夫っす。よくぐーすか寝れますね、こんな状況で」

「いや普通に寝てるとこ引っ張ってくる方が悪いっしょ。バカ女とクリオネは?」

「いやジブンも今起きたところで」

 

 

この列車をご利用くださいまして 誠にありがとうございまぁす

 

 

 会話を、低音質のアナウンスが遮った。

 スピーカーから聞こえる、悪意と嘲笑を帯びた感謝の言葉。その放送がワンワンと窓を揺らし、耳を打つ。

 車掌アナウンスの上辺だけ真似た、鼻にかかった声だった。

 

「こっちは客だぜ、馬鹿にしてると痛い目みんぞコラ!」

 

 桃がスピーカーに喧嘩を売る。

 

「──モモちゃん、気を付けろぉ。クリオネちゃんが言ってたアナウンスだぜえ」

 

 その横でオカルンは桃に警戒を促しながら、ターボババアの姿へ変身した。

 

 黒髪が燃え上がるように白髪に変わり、歯型のマスクがメキメキと音を立てて口元を覆う。

 老人のように背が曲がり、皮膚は筋張り、漲る力と共に彼のテンションは地に落ちた。

 ヘドロに沈んだゴミの気分で首と瞼をどうにか持ち上げる。

 

お客サマにお願いいたしまぁす

 

 スピーカーが空気を震わせ、不快にガビガビと音を立てた。

 

この列車は乗務員が空腹の為 座席をお立ちのお客サマは大人しく席にお戻りくださぁい

 

 オカルンは不穏なアナウンスに身を低く構え、ふと目の隅に何かが見えた。

 

 

 座席の隙間から覗く真っ黒な──目。

 

 

次は活けづくりぃ 活けづくりです

 

「うぐっ!!」

 

 隣から桃が消える。

 座席の隙間に気を取られていたオカルンは、桃の悲鳴にハッと我に返った。

 

「モモちゃ──!?」

 

 振り向いた先の光景にゾッとする。

 

 猿だ。

 

 小さな猿が座席の上に。

 荷物置きに。

 吊り革に。

 

 異様に大きな目をした毛深い小猿が、至る所で歯を剥き出し、嗤っている。

 真っ黒な目と嗤う黄色い歯の明暗が、電車の中でギトギトと光って目立つ。

 

「ヒヒヒヒ」

「ヒヒ、ヒヒヒッ」

「ヒヒヒッ!」

 

 小猿たちは壊れた玩具のようにカクカクと首を傾げ、座席の上で手を叩く。吊り革に逆さにぶら下がり、耳障りに嗤う。

 

 敵が現れ、桃は攻撃を受けた。

 だというのにオカルンは動かない。

 否、動けない。

 

 目が見ていた。

 目が、彼の目を見ていた。

 どろりとした底のない深淵に通じる沢山の、目が。

 

「離せ! 鉄臭えんだよてめぇら、猿なら温泉にでも入って綺麗にしてろや!!」

 

 桃は突如沸いた小猿に蹴り飛ばされ、座席に逆戻りさせられていた。

 挙句、両手首を頭の上で掴まれてシートに転がされ、大暴れしてもちっとも身動きが取れやしない。

 

 小猿の大きさは30cmほどで、それは小型犬くらいのサイズだったが。桃が暴れてもビクともしない恐ろしい怪力を持っていた。

 その猿が何匹もいるのだ。

 

 桃の膝の上にひょいと降りてきた別の小猿が、両手に持った包丁同士を滑らせ、シィンと研いだ。

 トンネルの照明が反射し、刃が紫にぎらりと光る。

 

 桃ちゃんが危ない。

 

 そう分かっているのに、オカルンはピクリとも動けなかった。

 注がれる視線から目を離せない。

 夢の中で走ろうとしても走れないように、体が重く、動かない。

 

 肉体は乖離し、現実が遠のいていく。

 

 喉がカラカラに乾いて張り付き、滲んでいた汗が鼻先から滴る。キンと耳が遠くなる。

 桃の抵抗の声も、猿たちの嗤い声も、どこかへ通り過ぎたように聞こえなくなっていく。

 オカルンはただ猿に凝視され、呆然と立ち竦んだ。

 

 まるで悪夢の中のように、ただ見ていることしか───。

 

 

『苦戦しているようですね。もう少々お待ちを』

 

 

 霧がかったオカルンの頭の中に、ハッキリとした声が届いた。

 その針のような真っ直ぐとした声はオカルンの脳を貫き、ぶわり、と思考の霧を払う。

 

 オカルンは一気に正気を取り戻した。

 肩を揺らし、足掻く。バランスを崩した彼は硬い床にドスンと尻もちをついて、強かに尾てい骨を打ちつけた。

 彼を足止めしていた小猿が、ザワリと動揺する。

 

 体から力が抜けていて、変身もいつの間にか解けてしまっている。

 しっかりしろ! 高倉 健!!

 オカルンは自分に喝を入れ、不甲斐なさで手のひらに爪を立てた。握った拳で太ももを殴りつける。

 

 手足に血の気はなく、冷えきって感覚がなかい。

 もう少々ってどのくらいだ。

 今すぐに動けるのは自分だけだ。

 早く、早く! 綾瀬さんを助けないと!!

 

 動くオカルンに、小猿が残忍に刃物を構える。

 

「このままじゃウチが刺身にされる!! くそ、超能力が、上手く使えねえ…!」

「ぁ、やせ、さん…!」

 

 桃が超能力で小猿の刃物を白刃取って、どうにか押し返そうとする。しかし生身の両手が塞がれたせいか、なにか別の理由か、思うように動かせない。

 小猿たちの目がトンネルの明かりで紫色にてらてらと光り。

 

 薄紅がサラサラ揺れた。

 長い髪がその目を塞ぎ、縛り上げる。

 

 

『こんばんは、猿夢の方々。お招きいただきまして誠にありがとうございます』

 

 

 静かな淡々とした声が不快な嗤い声のノイズを割いて響く。

 

『ご存知の通り、ライムズ星人と地球人です』

 

 髪の襲撃から逃れた小猿が、どこからともなく聞こえる声にてんでバラバラな方向に目を向け、歯を剥き出して威嚇した。

 

 ──呪縛は解かれた。

 

「う、おおお!!」

「オラァ!! くたばれクソだらぁ!」

 

 次の瞬間。

 オカルンは変身しながら強ばった体を転げるように動かす。

 注意が逸れた猿を相手に、桃も白刃取りしていた刃物ごと猿を床に叩きつけた。

 

 手すりを踏みつけ、桃を拘束する猿に頭から突っ込む。

 

 桃は飛び込んできたオカルンを自由になった手で抱き寄せると、2匹の猿を超能力で掴み「ゥラァ!」と窓に投げつけた。

 窓が破片を撒き散らし、悲鳴が遠のき消えていく。

 

『あなた方へ報復に参りました』

「ええ、徹底的にね!!」

 

 割れた窓から生温い風が押し寄せる。

 轟々唸る車内を、後部座席から現れたピンクの旋風がかき乱し吹き荒れた。

 

「私のアクロバティックは、お暴風なのよ!!」

 

「ギャッ!!」「ギッ!?」「ギッ」

 

 顔に隙間なく巻き付いた髪は、まるで竜巻のように凄まじい速度で回転した。

 遠心力のまま壁に叩き付けられた猿たちが、あっという間に鎮圧される。

 

「高倉様、ご無事ですか!!」

 

 桃のタンスを容赦なくひっくり返し、パジャマの中でも一等可愛いものを着た白鳥 愛羅が、靱やかなバレエの仕草でピタリと静止した。

 

「ちょっと! 最初からおやられそうになってんじゃねえですわよ、綾瀬 モモ!!」

 

 彼女は固く目を閉ざしながら、座席からクリオネ星人を抱き上げ、肩に乗せる。

 そしてまるで見えているかのようにズビシ! と桃を指さした。

 

「クリオネ! アイラ!! 来るの遅えし!」

 

 アクロバティックさらさらに変身した愛羅は髪を靡かせ、高慢に顎を上げる。

 

「とっくに来てたに決まってるでしょう。妙なお力をお使いになるようだったから、あなたでお様子見させてもらったわ」

「は? ウチは囮かよ」

「アイラちゃん、ナイスな判断力だぜえ」

 

 オカルンはグッと親指を立てた。

 あの拘束は厄介だった。もしかするとここで終わっていたかもしれない。

 

「てか、なんなんだこの猿共。超能力使おうとしたら、いつもより力が入んなかったんですけど」

『猿夢の目を見た者は怖気にやられ、動けなくなるものと思われます』

 

 愛羅は目を閉じながら、失神している小猿を髪で縛り上げ窓からポイポイ放り捨てる。

 

 オカルンはその様子を見てメガネの縁を摘んだ。興味ある物を見る時の癖だ。

 愛羅ちゃんはいつの間に目を閉じたまま周りが分かるようになったんだろう。

 

「目を見んなだぁ!? この狭い電車の中でこいつら大量に出んだぞ!」

『問題ありません。対策がございます』

 

 文句を言う桃に対し、クリオネ星人が答えようとして。

 

次はささがきぃ ささがきです

 

 ガビガビのアナウンスがワン、と響く。

 

 オカルンと桃は弾かれたように顔を上げた。

 瞬きもしていないのに、気づけば小猿はそこにいた。

 車内の至る所で意味もなく叫び、笑っている。

 包丁がかち合い、甲高い叫びと笑い声、窓から入る風の音が混ざりあい、不協和音をかき鳴らす。

 

『目を閉じ、受け入れてください』

 

 目を閉じたままの愛羅が顎を引き、戦闘態勢を取った。

 その肩にピッタリくっついたクリオネ星人が、オカルンと桃へ触角を揺らす。

 

 飛びかかる猿の群れ。

 迫り来る目の恐怖と振り回される刃物。

 それを前にして、2人は死に物狂いで目を閉じた。








西枕  NISIMAKURA
生息地 夢の中
体長  不明

西枕とは、一富士二鷹三茄子の親戚ともいえる、夢占いの一種。
夢で見るものによって効果は様々だが方角や動物が関わるものが多い。

〈例〉
西枕→西枕で寝て猿の夢を見ると死ぬ
東枕→東枕で寝て狐の夢を見ると死ぬ
北枕→北枕で寝ると死ぬ

他にも蛇の夢を見ると死んだり、十五夜の晩に東枕で猿の夢を見ると人死の前兆だったりと様々だ。
俗信の大抵は妖怪が見せる呪いの夢が起源になっている。
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